北風にたこは上がる 小川未明 Guide 扉 本文 目 次 北風にたこは上がる  隣家の秀夫くんのお父さんは、お役所の休み日に、外へ出て子供たちといっしょにたこを上げて、愉快そうだったのです。 「おじさんのたこ、一番だこになれる?」と、北風に吹かれながら、あくまで青く晴れわたった空を見上げて、賢二がいいました。 「なれるさ。」と、おじさんは、いったが、そばから秀夫くんが、 「お父さん、もっと糸を買ってこなければ、だめですよ。」と、いっていました。そのうちに、たこはぐるぐるとまわりはじめました。 「あ、落ちる!」と、秀夫くんは、あわててお父さんの手から糸を受け取ると、うまく調子をつけましたので、たこは、やっと落ちなかったのです。 「おじさんは、まだ下手だなあ。」と、賢二がいいますと、 「あ、はははは。」と、おじさんは、笑いました。 「賢ちゃん、君の家では、活動写真をしているの?」と、おじさんは、ききました。 「活動写真? どうしてですか。」と、賢二は、不思議そうに、おじさんの顔を見ました。 「だって、さっきから、ガリ、ガリ、ガリやっているじゃないか。」  おじさんは、それがなんの音であるか見当がつかないので、賢二くんの兄さんか、姉さんかが子供の活動写真でもやっているかと思ったのでした。 「あ、あれか。」と、賢二は思いましたが、 「なんでもないんですよ。」と、賢二は答えました。 「そうか、ちょうど、活動写真をまわしているようにきこえるから。」と、おじさんは、いいました。  かつて、秀夫くんの家にも、活動写真機があって、みんながいって、よく見たのですが、あまりひどくハンドルをまわしすぎて、ついにいまでは、その機械は、役にたたなくなってしまったのです。おじさんは、たぶん、自分の家にあった、その機械のことを思い出したのでしょう。 「お姉さんが、なにかお料理を造っているのです。」と、賢二は、答えました。  このごろ、てんぴを新しく買ったので、お姉さんは、しきりにいろいろのお料理を造るのだけれど、あまりうまくいかなかったのです。そんなことを思うと賢二は、ちょっと苦笑せずにはいられませんでした。  おじさんは、また、どんな料理かと思ったのでしょう。合点がいかぬというような顔つきをして、 「ふうーん。」といって、そのまま空を仰いで、秀夫くんの上げているたこを見ていましたが、そのうち、お家へ入ってしまいました。 「秀夫くん、あとで、遊びにおいでよ。かるたとりするからね。」といって、賢二も、お家の中へ入ってゆきました。  台所へくると、てんぴの焦げる臭いがしました。強いガスの火にかかっているからでした。そして、女中のきよが、いっしょうけんめいに鉄ざらの中へ卵を入れてかきまわしていました。ガリ、ガリ、ガリという音が、ほんとうに活動写真機をまわすときの音のようでした。 「お姉さん、また、カステラをこしらえるのかい?」と、賢二がききますと、女中のそばに立って、じっとさらの中を見つめていましたお姉さんは、賢二をにらむような目つきをして、 「いいから、あっちへいっていらっしゃい。」といって、弟を、あちらへ追いやろうとしました。なぜなら、昨日もカステラを造り損ねて、賢二くんに笑われたからです。 「昨日のように、卵を焦がしてしまっては、食べられやしないよ。」と、賢二が、いいますと、お姉さんは、女中をしかりつけて、 「きよは、力がないのね。もっとかきまわさなければ、だめなのよ。私に、おかしなさい。」と、あわだて器をひったくって、お姉さんは、ガリ、ガリ、ガリと、すさまじい音をたて、卵をさらの中でかまわしはじめました。 「お隣のおじさんが、活動写真をやっているのかときいたよ。僕、きまりがわるかった。」と、賢二が、いいますと、さすがに、お姉さんもおかしくなってきて、ついに笑い出してしまいました。  そこへ、お母さんが、出ていらして、 「なにを、そんなに、大騒ぎをしているんですか?」とおっしゃいました。 「三時のおやつに、カステラをこしらえるつもりのが、できないのよ。」と、お姉さんは、顔を赤くしました。 「いつも、そう、卵ばかりむだにしては、困りますね。」  こう、お母さんが、おっしゃられると、お姉さんは、 「学校で、ならったとおりにやったのよ。どうして、家ですると、うまく卵がふくらまないんでしょう。」と、さも不思議そうにいいました。  賢二は、そこにあった、卵のからを数えて、 「お母さん、六つ卵をむだにしましたよ。もったいないですね。毎日、ねずみのご馳走ばかりお姉さんは造っているのだ。僕に、それだけのお金をくれれば、大だこが、買えるのだがなあ。」といいました。  これを、おききなさったお母さんは、 「おまえも、このあいだから、いくつたこをこわしましたか?」といって、賢二くんをおにらみになりました。  このとき、お姉さんは、 「きよは、なんにも知らないのね。」といいましたので、お母さんは、 「それは、あたりまえですよ。あんたは、学校へいって、ならってきたお料理さえ満足にできないではありませんか。」といって、おしかりになりました。お姉さんは、だまってしまいました。  二、三日前には、賢二くんが、自分のたこを買うのに自分でいかず、女中のきよを使いにやったばかりに、具合のいいたこが手に入らなくて、上げると、すぐにぐるぐるとまわって、木の枝にかけてしまったのでした。そのとき、彼は、家へ帰って、 「あんな、わるいたこを買ってくる、ばかがあるものか。」と、きよに小言をいったのでした。すると、きょう、お姉さんが、しかられたように、お母さんから、 「なんで、きよが、たこの善悪なんか知るものですか。自分で買いにいくべきものを、横着をするから、そんなことになったのです。もう、あんたには、たこを買ってあげません。」といって、しかられました。それで、今日まで、たこを持たずにいるので、外へ出ても、ただ秀夫くんらの上げているたこを、ぼんやりとながめていたのでした。  姉弟は、自分たちのおへやへ入ると、まず、お姉さんが、 「お母さんは、きよの味方ばかりしていらっしゃるんだわ。」と、不平をいいました。  賢二は、心の中で、お母さんのおっしゃることは、正しいと思ったけれど、 「きよは、とんまなんだよ。」といって、具合の悪いたこを買ってきたので、腹立たしそうにこういいました。 「そうよ、ものはこわすし、あまり、りこうではないわ。」と、二人は、いっしょになって、きよの悪口をいっていました。        *   *   *   *   *  ある日のことです。賢二が、ふとお勝手から外を見ると、物置の蔭のところで、きよがあちらを向いて、手紙を読みながら、ときどき目をふいていました。 「泣いているのだな。また、田舎の親から、お金を送れと、いってきたのかしらん。」と、賢二は、思うと、かわいそうになりました。  きよの田舎は、遠い、東北のさびしい村でありました。家が貧乏なのに、不作がつづいて、ますます一家は、苦しい生活を送っているので、きよは、毎月もらうお給金のうちから、幾何かを送って、親を助けているのですが、それでも足りないとみえて、よく無理と思われるような手紙をよこすのです。 「おまえも、かわいそうだね。」と、お母さんは、きよに同情していらっしゃったのでした。賢二は、また、そんなことであろう、ここで自分が見ていては悪いと思ったので、気づかれないようにして、奥へ入ってしまいました。  それから、しばらく、きよは、そこに立って考え込んでいるようすでしたが、そのうち、内へ入って、お母さんのところへきて、手紙をお見せしようとしました。お母さんは、きよのようすをごらんになると、すぐに、 「なにかまた、心配になることをいってきたの?」と、やさしく、お問いなさいました。 「はい、お父さんが、病気だそうです……。」 「お父さんが、病気?」と、お母さんは、びっくりして、その手紙を受け取ってごらんになりました。それには、一週間ばかり、お暇をいただいて、帰ってきてくれるようにと書いてありました。 「これは、弟さんが、書いたのかい。」と、お母さんは、子供らしい文字の手紙を見ながら、おっしゃいました。 「はい。」と、きよは、答えました。  きよにも、弟があって、小学校へいっているそうです。かたわらでこれを聞いていた賢二は、父親が病気では、どんなにさびしかろうと、田舎に姉の帰るのを待っている少年の身の上に同情せずにはいられませんでした。そして、その手紙の文字は、うまいほうではなかったが、いかにも丁寧に謹んで書いてあったので、きよの弟さんは、まじめな少年であろうと思ったのでした。自分の読んでしまった雑誌でも、きよが帰るときに、弟さんへ持っていってもらおうかな、などと考えていました。  きよは、その日の夜行で立つことになりました。常なら、はじめて田舎へ帰るので楽しかろうものを、打ち沈んでいる顔つきを見ると、かわいそうでなりませんでした。お姉さんと、賢二は、停車場まで、見送っていきました。 「お父さんが、たいしたことがなかったら、早く帰っておいで。」と、お姉さんは、きよをなぐさめていらっしゃいました。賢二は、また、心の中で、きよに、わがままをいって悪かったと後悔していました。きよは、そんなことをなんとも思っていないようすで、汽車が動き出すと、さも名残惜しそうに、幾度となく頭を下げて、遠ざかってゆきました。  翌朝のこと、お姉さんは、いつもより早く起きて、お母さんのおてつだいをいたしました。 「なかなか感心だ。」といって、お父さんは、おほめになりました。 「これが、幾日もつづけば、ほんとうに、えろうございますが。」と、お母さんは、笑っておっしゃいました。しかし、お膳を出すときに、はや、お姉さんは、茶わんを一つ割りました。 「大事な茶わんを割りましたね。」と、お母さんが、おっしゃると、 「冷たくて、手がすべったのですもの、しかたがないわ。」と、お姉さんは、かえって、ぷりぷりしていました。 「そそっかしいからですよ。」 「学校のことが、気になるんですもの。」 「もし、きよが、こわしたら、なんといいますか?」  こう、お母さんがおっしゃると、お姉さんも、自分がして、はじめてわかったので、ちょっとしたことできよをしかったことを、ほんとにわるかったと思いました。外には、北風が吹いています。賢二は、明日の日曜には、新しく買ってもらった、大きなたこを上げるのを楽しみにしているのでした。 底本:「定本小川未明童話全集 11」講談社    1977(昭和52)年9月10日    1983(昭和58)年1月19日第5刷 底本の親本:「小学文学童話」竹村書房    1937(昭和12)年5月 ※表題は底本では、「北風にたこは上がる」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2016年9月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。