笛と太鼓 室生犀星 Guide 扉 本文 目 次 笛と太鼓  子供ができてから半年ほど経つと、国の母から小包がとどき、ひらいてみると、小さい太鼓と笛とが入つてあつた。太鼓には六十銭といふ赤縁の正札が貼られたままあつた。巴の紋のついた皮張りで、叩いてみると、まだ新しいだけよく鳴るのである。無器用な作りを見せた笛にも、やはり田舎らしい、暗ずんだよい音いろがあつた。  片町といふ目ぬきの田舎の市街に、中島といふおもちややがあつた。風船、ゴム玉、汽車や刀や、さまざまな珍奇な弄品が、ところ狭いまでならべられ、サアベルや鉄砲の錻力の光つた色が、ちかちかしてゐた。そこの店さきに立ち、あれでもない、これでもないと、択り急いでゐる老いた母の姿が、じくじくした時雨つづきの、どうかすると霰でも来さうなうそ寒い日和と一しよに、やさしく、目にうかんでくるのである。  太鼓は毎日よく鳴るのである。とんとんとことんといふふうに、それを部屋にゐて机にかじりつき、あたまが濁り怺へかねてゐるときにも、知らず識らず私はほほ笑むやうな気になり、やかましくても叱るわけには行かんのである。遠いやうにも聞え、また近近と頭にひびきもする。しまひにはペンを投げ出し、いらいらした顔と目をこすり、こすることによつて一度に草臥れた私は、子供のそばへ行き、かんかんと太鼓を叩くのだつた。あたまは益益いたむが、坐り込んでさうしてゐると何だか優しくなれるからだつた。正札だけは人がみてもをかしいから除つてしまひませうと、女が六十銭とかいた四角な正札に指さきをつけるのだ。さうして置いておけ、いや剥いだ方が、いいかな、いややはりその儘にしておくんだと自分でもわかり兼ねるやうに、この小さな太鼓をみつめるのだつた。  朝は朝晴れのなかに太鼓の音がひびくのである。勉強部屋へはいらぬ前に、こんな音をきくのは、頭の調子をわるくするとは知りながら、疲れた頭になつて泣くな泣くなと太鼓を叩くのである。それゆゑ、つい書きもののとつつきが逸れ、ぼんやりと庭をながめてゐるやうな日になることが多かつた。 底本:「日本の名随筆25 音」作品社    1984(昭和59)年11月25日第1刷発行    1999(平成11)年4月30日第17刷発行 底本の親本:「室生犀星全集 第二巻」新潮社    1965(昭和40)年4月 入力:門田裕志 校正:仙酔ゑびす 2012年12月9日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。