断腸亭日乗 断膓亭日記巻之二大正七戊午年 永井荷風 Guide 扉 本文 目 次 断腸亭日乗 断膓亭日記巻之二大正七戊午年 荷風歳四十 正月元日。例によつて為す事もなし。午の頃家の内暖くなるを待ちそこら取片づけ塵を掃ふ。 正月二日。暁方雨ふりしと覚しく、起出でゝ戸を開くに、庭の樹木には氷柱の下りしさま、水晶の珠をつらねたるが如し。午に至つて空晴る。蝋梅の花を裁り、雑司谷に徃き、先考の墓前に供ふ。音羽の街路泥濘最甚し。夜九穂子来訪。断膓亭屠蘇の用意なければ倶に牛門の旗亭に徃きて春酒を酌む。されど先考の忌日なればさすがに賤妓と戯るゝ心も出でず、早く家に帰る。 正月三日。新福亭主人この日余の来るを待つ由。兼ての約束なれば寒風をいとはず赴きしに不在なり。さては兼ての約束も通一遍の世辞なりし歟。余生来偏屈にて物に義理がたく徃〻馬鹿な目に逢ふことあり。倉皇車に乗つて家に帰る。此日寒気最甚しく街上殆人影を見ず。燈下に粥を煮、葡萄酒二三杯を傾け暖を取りて後机に対す。 正月七日。山鳩飛来りて庭を歩む。毎年厳冬の頃に至るや山鳩必只一羽わが家の庭に来るなり。いつの頃より来り始めしにや。仏蘭西より帰来りし年の冬われは始めてわが母上の、今日はかの山鳩一羽庭に来りたればやがて雪になるべしかの山鳩来る日には毎年必雪降り出すなりと語らるゝを聞きしことあり。されば十年に近き月日を経たり。毎年来りてとまるべき樹も大方定まりたり。三年前入江子爵に売渡せし門内の地所いと広かりし頃には椋の大木にとまりて人無き折を窺ひ地上に下り来りて餌をあさりぬ。其後は今の入江家との地境になりし檜の植込深き間にひそみ庭に下り来りて散り敷く落葉を踏み歩むなり。此の鳩そも〳〵いづこより飛来れるや。果して十年前の鳩なるや。或は其形のみ同じくして異れるものなるや知るよしもなし。されどわれは此の鳥の来るを見れば、殊更にさびしき今の身の上、訳もなく唯なつかしき心地して、或時は障子細目に引あけ飽かず打眺ることもあり。或時は暮方の寒き庭に下り立ちて米粒麺麭の屑など投げ与ふることあれど决して人に馴れず、わが姿を見るや忽羽音鋭く飛去るなり。世の常の鳩には似ず其性偏屈にて群に離れ孤立することを好むものと覚し。何ぞ我が生涯に似たるの甚しきや。 正月十日。歯いたみて堪へがたし。 正月十一日。松の内と題する雑録を草して三田文学に寄す。 正月十二日。寒気甚しけれど毎日空よく晴れ渡りたり。断膓亭の小窗に映る樹影墨絵の如し。徒然のあまりつら〳〵この影を眺めやるに、去年十一月の頃には昼前十一時頃より映り始め正午を過るや影は斜になりて障子の面より消え去りぬ。十二月に入りてよりは正午の頃影最鮮にて窗の障子一面さながら宗達が筆を見るが如し。年改りて早くも半月近くなりたる此頃窗の樹影は昼過二時より三時頃最も鮮にして、四時を過ぎても猶消去らず。短き冬の日も大寒に入りてより漸く長くなりたるを知る。障子を開き見れば瑞香の蕾大きくふくらみたり。 正月十三日。園丁五郎を呼び蝋梅芍薬瑞香など庭中の草木に寒中の肥料を施さしむ。蝋梅二株ある中其の一株去年より勢なく花をつくる事少くなりたれば今より枯れぬ用心するなり。此日いかなる故にや鵯群をなして庭に来り終日啼き呌びぬ。 正月十四日。西北の風烈しく庭樹の鳴り動く声潮の寄来るに似たり。 正月十五日。歯痛未止まず。苦痛を忘れむとて市中両国辺を散歩す。夜唖々子来訪。 正月十六日。毎夜月あきらかなり。厠の窗より夜の庭を窺見るに霜を浴びたる落葉銀鱗の如く月色氷の如し。寒気骨に徹す。 正月十七日。築地に清元梅吉を訪ひ帰途新福亭に立寄る。亭主風労にて打臥しゐたり。 正月十八日。花月主人書肆新橋堂主人とは相識の由。新福のはなしにより花月主人を介して同書店に赴き主人に面晤し、拙著腕くらべ一千部の販売方を委托す。 正月二十日。堀口大学来訪。其著昨日の花の序を請はる。 正月廿一日。松莚子の書柬を得たり。 正月廿三日。朝まだきより小雪ちら〳〵と降りそめしが昼過ぎて歇む。寒気甚し。夜堀口氏詩集の序を草す。 正月廿四日。鴎外先生の書に接す。先生宮内省に入り帝室博物館長に任ぜられてより而後全く文筆に遠ざかるべしとのことなり。何とも知れず悲しき心地して堪えがたし。 正月廿五日。夜松莚君来訪。 正月廿七日。田舎の人より短冊を請はれ已むことを得ず揮毫すること四五葉なり。余両三年来折々沢田東江の書帖を臨写すれど今に至つて甚悪筆なり。三味線と書とはいつも思ふやうに行かず。よく〳〵不器用の生れと見ゆ。 正月廿八日。過日断膓亭襍稾を知友に贈呈す。其返書追追到着す。馬塲孤蝶氏懇切なる批評を寄せらる。 二月朔。清元梅吉本日より稽古始める由言越したれば徃く。清心上げざらひをなす。 二月二日。立春の節近つきたる故にや日の光俄に明く暖気そぞろに探梅の興を思はしむ。午後九段の公園を歩み神田三才社に至り新着の小説二三冊を購ひ帰る。 二月四日。立春。 二月五日。夜九穂子来訪。 二月六日。終日雨。本年になりて始めての雨なり。 二月七日。植込にさし込む朝日の光俄にあかるく、あたり全く春めき来りぬ。鵯の声に交りて雀の囀りもおのづから勇しくなれり。 二月八日。早朝築地に行き権八鈴ヶ森の段稽古はじむ。清元浄瑠璃の中にて此の鈴ヶ森刑塲の段、殊に二上りの出、余の最も好む所なり。浦里三千歳なぞよりも遥によし。午後歌舞伎座に立寄る。延寿太夫父子吉野山出語あればなり。 二月九日。家に在りて午後より腕くらべ続篇の稾を起す。去冬思立ちし紅箋堂佳話二三枚は茟すゝまざれば裂棄てたり。 二月十二日。腕くらべ製本二部を添へて出版届をなす。久振りにて新福亭を訪ふに花月楼主人在り。款晤日暮に至る。 二月十三日。樹間始めて鶯語をきく。福寿草花あり。今村次七君金沢より出京、断膓亭を訪はれ浮世絵の事を談ぜらる。 二月十五日。三田文学に書かでもの記を寄す。 二月廿四日。新演藝過日市川左団次のために懸賞脚本の募集をなす。此日選評者一同を東仲通鳥屋末広に招飲す。余も選評者中の一人なれば招れて徃く。帰途新福にて八重次唖々子と飲む。 二月二十五日。梅花未開かざれど暖気四月の如し。貝母の芽地中より現れ出でたり。 二月廿七日。風再び寒し。夜窗雨を聴きつゝ来青閣集をよむ。 二月廿八日。昨夜深更より寒雨凍りて雪となる。終日歇まず。八ツ手松樹の枝雪に折れもやせむと庭に出で雪を払ふこと再三なり。 三月朔。雪歇み空晴る。築地に行く。市街雪解け泥濘甚し。夜臙脂を煮て原稿用罫紙を摺ること四五帖なり。 三月二日。風あり。春寒料峭たり。終日炉辺に来青閣集を読む。夜少婢お房を伴ひ物買ひにと四谷に徃く。市ヶ谷谷町より津ノ守阪のあたり、貧しき町々も節句の菱餅菓子など灯をともして売る家多ければ日頃に似ず明く賑かに見えたり。貧しき裏町薄暗き横町に古雛または染色怪しげなる節句の菓子、春寒き夜に曝し出されたるさま何とも知れず哀れふかし。三越楼上又は十軒店の雛市より風情は却て増りたり。 三月三日。園梅漸開く。腕くらべ印刷費壱千部にて凡金弐百六拾円。此日東洋印刷会社へ支払ふ。 三月九日。微風軽寒。神田電車通の古書肆をあさる。 三月十日。春隂鶯語を聞く。午後烈風雨を誘ひしが夜半に至り雲去り星出づ。 三月十一日。風寒し。風邪の心地にて早く寝に就く。 三月十二日。臥病。園丁萩を植替ふ。 三月十六日。唖〻子令弟梧郎君病死の報に接す。大雨。 三月十七日。雨晴れ庭上草色新なり。病未痊えず。終日縄床に在り。 三月十九日。いまだ起出る気力なし。終日横臥読書す。此日天気晴朗。園梅満開。鳥語欣々たり。 三月二十日。北風烈しく寒又加はる。新福亭主人病を問ひ来る。 三月廿二日。風烈しく薄暮雹降り遠雷ひゞく。八重次訪来る。少婢お房既に家に在らざるが故なり。 三月廿三日。病既によし。唖々子米刃堂解雇となりし由聞知り、慰めむとて牛門の酒亭に招いで倶に飲む。 三月廿五日。暴風大雨。落梅雪の如し。 三月廿六日。雨晴れしが風歇まず。お房四谷より君花と名乗りて再び左褄取ることになりしとて菓子折に手紙を添へ使の者に持たせ越したり。お房もと牛込照武蔵の賤妓なりしが余病来独居甚不便なれば女中代りに召使はむとて、一昨年の暮いさゝかの借金支払ひやりて、家につれ来りしなり。然る処いろ〳〵面倒なる事のみ起来りて煩しければ暇をやり、良き縁もあらば片づきて身を全うせよと言聞かせ置きしが、矢張浮きたる家業の外さしあたり身の振方つかざりしと見ゆ。 三月廿七日。母上訪来らる。 三月廿八日。風邪全癒。園中を逍遥す。春草茸〻。水仙瑞香連翹尽く花ひらく。春蘭の花香しく桃花灼然たり。芍薬の芽地を㧞くこと二三寸なり。 四月朔。唖〻子及び新福亭主人と胥議して雑誌花月の発行を企つ。 四月二日。雑誌花月の表紙下絵を描く。 四月三日。腕くらべ五百部ほど売れたりとて新橋堂より金四百円送り来る。 四月四日。半隂半晴。桜花将に開かむとす。 四月九日。花月第一号草稾大半執筆し得たり。 四月十日。雨烈しく風寒し。築地けいこの帰途新福に立寄り、主人と雑誌花月の用談をなす。 四月十二日。八重次と新福亭に会す。夜木挽町田川に徃き浦里を語る。三味線は延園なり。 四月十三日。微雨薄寒。唖〻子新福主人来りて花月第一号の編輯を畢る。 四月十四日。風気順ならず。 四月十五日。暴に暖なり。袷に着かへたき程なり。 四月十六日。支那産藍菊の根分をなす。白粉花鳳仙コスモスの種を蒔く。午後富士見町の妓家に徃く。靖国神社の桜花半落ちたり。 四月十七日。松莚子宅にて玄文社懸賞脚本の選評をなす。 四月二十日。服部歌舟に招がれ采女町三笑庵に徃く。円右、小さん、喜久太夫、山彦師匠、各得意の技をなす。 四月廿三日。常磐木倶楽部にて梅吉弟子梅初名弘の会あり。余野間翁と共に招がれ、梅之助の三味線、梅次上調子にて浦里を語る。翁は得意の青海波を語る。 四月廿六日。午後より雨ふる。清元会なり。 四月廿七日。晴又隂。花月第一号校正終了。 四月廿八日。唖々子来訪。杜鵑花満開。 四月晦日。黄昏地震。雨忽降来る。風暖にして心地わろし。 五月朔。隂雨空濛たり。 五月二日。花月校正手廻しのため新福に徃く。 五月三日。西南の風烈しく遽に薄暑を催す。冬の衣類を取片つけ袷を着る。衣類のこと男の身一つにては不自由かぎりなく、季節の変目毎に衣を更るたび〳〵腹立しくなりて人を怨むことあり。されど平常気随気儘の身を思返して聊か慰めとなす。 五月四日。築地けいこの道すがら麹町通にて台湾生蕃人の一行を見る。巡査らしき帯剣の役人七八名之を引率し我こそ文明人なれと高慢なる顔したり。生蕃人の容貌日本の巡査に比すればいづれも温和にて隂険ならず。今の世には人喰ふものより遥に恐るべき人種あるを知らずや。晡下大石国手久振にて診察に来る。実は米刃堂より依頼の用談を兼てなり。昨日にもまさりて風烈しく黄昏に至り黒雲天を覆ひ驟雨屡来る。蒸暑きこと甚し。夜窗を開きて風を迎ふるに後庭頻に蛙の鳴くを聞く。河骨を植えたる水瓶の中にて鳴くものの如し。 五月五日。母上粽を携へて病を問はる。昼過四時頃驟雨雷鳴。夜に及んで益甚し。電燈明滅二三回に及ぶ。初更花月第一号新橋堂より到着す。 五月六日。階前の来青花開く。異香馥郁たり。 五月十日。烟雨軽寒を催す。服部歌舟子が関口の邸に招がる。躑躅満開。園林幽邃。雨中一段の趣を添ふ。山彦栄子三味線にて歌舟子河東莭邯鄲を語る。歌舟子は日本橋堀留の紙問屋湊屋の主人なり。是日柳橋の名妓数名酒間を斡旋す。 五月十一日。終日門を出でず。花月の原稾を整理す。薄暮久米氏来りて新福亭経営甚困難なる由を告ぐ。金百円貸す。 五月十二日。午後新福亭にて唖〻子と相会し花月第二号の編輯を終る。 五月十三日。八ツ手の若芽舒ぶ。秋海棠の芽出づ。四月末種まきたる草花皆芽を発す。無花果の実鳩の卵ほどの大さになれり。枇杷も亦熟す。菖蒲花開かむとし、錦木花をつく。松の花風に従つて飛ぶこと烟の如し。貝母枯れ、芍薬の蕾漸く綻びむとす。虎耳草猶花なし。 五月十六日。夜十時旧監獄署跡新開町より失火。余烟断膓亭を蔽ふ。 五月十七日。終日大雨。風冷なり。小品文夏ころもを草す。枕上随園詩話を繙いて眠る。 五月廿二日。花月第二号校正。晩来雷雨あり。 五月廿五日。毎日風冷にして雨ふる。梅花の時莭と思誤りてや此日頻に鶯の啼くを聞きぬ。 五月廿六日。天候穏ならず。風冷なり。夜山家集をよむ。 五月廿七日。薔薇花満開。夜唖〻子来談。花月第一号純益四拾弐円ばかりの由。 五月三十日。空晴れて俄に暑し。人々早くも浴衣をきる。 五月卅一日。雨ふる。大山蓮華ひらき、丁字葛馥郁たり。 六月一日。曇りて蒸暑し。始めて鮎を食す。 六月三日。雨ふる。午前花月第三号草稿執筆。午後常磐木倶楽部訪諏商店浮世絵売立会に赴き巨川一枚。清長一枚以上 板物俊満茟画幅。栄之画幅。蜀山人書幅を購ふ。夜所蔵の浮世絵を整理す。 六月十日。雨ふる。八ツ手の葉落ち、石榴花ひらく。 六月十一日。晴天。春陽堂主人和田氏来りて旧著の再梓を請ふ。 六月十二日。曇天。唖〻子来る。花月第三号編輯。 六月十三日。晴天。梅もどきの花開く。香気烈しく虻集り来ることおびたゞし。湖山人手紙にて句を請はれたれば短冊を郵送す。 六月十四日。花月編輯のため唖〻子重て来庵。夕刻まで新福亭主人の草稾を待ちしが到着せざるを以て別に催促をなさず。そのまゝに打棄て置きぬ。夜風冷にして心地よからず。 六月十六日。日曜日。夕方久米氏来訪。井阪梅雪氏現のせうこを請はるゝ由を告ぐ。後園に栽培したる薬草を摘み久米氏に托して贈る。 六月十七日。この頃腹具合思はしからず。築地に行きしが元気なく三味線稽古面白からず。 六月十八日。陰晴定りなく雨ならむとして雨来らず。蒸暑し。夜机に憑る。四鄰蕭条。梅の実頻に屋根の瓦を撲ち庭に落る響きこゆ。 六月十九日。母上来訪。夜花月第三号校正。 六月二十日。午後大雨の中唖〻子来る。花月校正のためなり。夜に至り雨ます〳〵烈し。鼬頻に庇を走る音す。 六月廿二日。曇りて寒し。三田文学会に徃く。 六月廿三日。曇りて夜雨ふる。 六月廿四日。唖〻子来る。金糸梅紫陽花ひらく。 六月廿五日。井阪梅雪子より短冊を請はれゐたれば揮毫して郵送す。風俗画報東京名所案内を読む。夜雨あり蛙声戞々。 六月廿六日。清元一枝会下ざらひあり。午後より梅吉を訪ふ。 六月廿七日。萬安楼にて一枝会下ざらひあり。梅雨霏々。 六月廿八日。有楽座一枝会温習会。梅之助三味線にてお染を語る。桟敷後の方にてもよく聞えたる由なり。 六月廿九日。晩間梅吉夫婦と赤阪の酒亭三島に飲む。 六月三十日。雲重く暑気甚し。夜半華氏九十度なり。おかめ笹の稿をつぐ。 七月一日。空晴れ暑気益加はる。 七月二日。清元梅吉唖〻子をたのみ一枝会帳簿の整理をなしたき由。再参の依頼により其の趣を唖々子に報ず。 七月三日。風あり暑気少しく忍易し。母上来たまひて老媼しん入用なればとて連行かれたり。予は始めより秋田県出張中なる威三郎方へ遣したき下心なりと推察したれば何事をも言はざりしなり。我が家俄に炊事をなすものなく独居の不便こゝに至つて益甚しくなりぬ。 七月四日。唖〻子来談。晩来微雨あり。涼風簾を撲つ。 七月五日。微雨あり、風涼し。 七月六日。電車にて赤坂を過ぐ。妓窩林家の屋上に七夕の笹竹立てられ願の糸の風になびけるを見たり。旧年の風習今は唯妓窩に残るのみ。天下若し妓なかりせば、服左袒。言侏離たらん歟。呵呵。 七月七日。甘草花開く。 七月十日。新福亭主人来訪。 七月十二日。中国より京阪地方暴風雨に襲はれし由。其の余波にや昨日より烈風吹続き、炎天の空熱砂に蔽はる。唖〻子花月編輯のため来訪。新橋の妓八重次亦来る。夕刻大雨沛然。風漸く歇む。今朝唖〻子第二子出生の由。賀すべし。 七月十三日。唖〻子と倶に八重次を訪ひその家に飲む。八重次余の帰るを送り四谷見附に至り袂を分つ。 七月十四日。凌霄花開く。 七月十五日。去十二日より引つゞきて天気猶定まらず風冷なること秋の如し。四十雀羣をなして庭樹に鳴く。唖〻子の談に本郷辺にては蝉未鳴かざるに早く蜩をきゝたりといふ。昨日赤蜻蜓の庭に飛ぶを見たり。是亦奇といふべし。 七月十六日。花月第四号編輯。 七月十七日。天気定りて再び暑くなりぬ。 七月十八日。未秋ならざるに此夜虫声を聞く。 七月十九日。蒸雲天を蔽ひ暑気甚し。半輪の月空しく樹頭に在り。昨日より気分すぐれず、深更に及び腹痛甚しく、大に苦しむ。 七月二十日。横井時冬著園藝考をよむ。唖〻子花月第四号校正の為来訪。 七月廿一日。苦熱筆を執ること能はず。仰臥終日。韓渥が迷楼記を読む。 七月廿二日。百合の花ひらく。 七月廿三日。花月第四号校正終了。 七月廿四日。炎暑日に日に甚し。 七月廿五日。日中寒暑計華氏九十四度に昇る。夜に至り凉風徐に起り明月庭を照す。虫声喞々既に秋の如し。おくり舩二三枚執筆。 七月廿六日。風あり稍涼し。瀧田樗䕃来談。 七月廿七日。風烈しく終日困臥。夜おくり舩執筆。月よし。 七月廿八日。秋海棠花ひらく。 七月廿九日。夜半蛼の鳴出るをきく。 七月三十日。 七月卅一日。昨日より灸点治療を試む。腹痛に効能ある由聞伝へたればなり。今日も灸師を招ぎ治療をなせしにそのため却て頭痛を催し、机に向ふこと能はず。横臥終日。迷楼記を読む。 八月朔。連日の炎暑に疲労を覚ること甚し。夜九時頃微雨あり涼風頓に生ず。喜んで筆を把らむとするに蚊軍雨に追はれ家の中に乱入す。一枚をも書き得ずして已む。 八月三日。唖〻子病むとの報あり。 八月五日。再び疑雨集をよむ。驟雨あり。涼味襲ふが如し。 八月六日。暴風の兆あり。裏庭の雁来紅に竹を立てゝ支ふ。萩咲き出でたり。終日驟雨、幾度か来り幾度か歇む。夜花月第五号の原稾をつくる。 八月七日。春陽堂より荷風全集校正摺を送り来る。空模様前日の如し。 八月八日。筆持つに懶し。屋後の土蔵を掃除す。貴重なる家具什器は既に母上大方西大久保なる威三郎方へ運去られし後なれば、残りたるはがらくた道具のみならむと日頃思ひゐたしに、此日土蔵の床の揚板をはがし見るに、床下の殊更に奥深き片隅に炭俵屑籠などに包みたるものあまたあり。開き見れば先考の徃年上海より携へ帰られし陶器文房具の類なり。之に依つて窃に思見れば、母上は先人遺愛の物器を余に与ることを快しとせず、この床下に隠し置かれしものなるべし。果して然らば余は最早やこの旧宅を守るべき必要もなし。再び築地か浅草か、いづこにてもよし、親類縁者の人〻に顔を見られぬ陋巷に引移るにしかず。嗚呼余は幾たびか此の旧宅をわが終焉の地と思定めしかど、遂に長く留まること能はず。悲しむべきことなり。 八月九日。昨日立秋となりしより満目の風物一として秋意を帯びざるはなし。八重次病あり。入院の由書信あり。 八月十二日。女郎花ひらく。執筆半日。 八月十三日。春陽堂荷風全集第二巻に当てんがため、あめりか物語ふらんす物語二書の校訂を催促すること頻なり。此日たま〳〵これ等の旧著を把つて閲読加朱せむとするに、当年の遊跡歴歴として眼前に浮び感慨禁ずべからず。筆を擱いて嘆息す。余にして若し病なからむか一日半刻も家に留ること能はざりしなるべし。日本現代の世情は実に嫌悪すべきものなり。 八月十四日。唖々子花月第五号編輯に来る。用事を終りて後晩涼を追ひ、漫歩神楽阪に至る。銀座辺米商打こはし騒動起りし由。妓家酒亭灯を消し戸を閉したり。 八月十五日。残暑甚し。晩間驟雨来らむとして来らず。夜に至り月明かに風涼し。市中打壊しの暴動いよ〳〵盛なりと云ふ。但し日中は静穏平常の如く、夜に入りてより蜂起するなり。政府は此日より暴動に関する新聞の記事を禁止したりと云ふ。 八月十六日。胃に軽痛を覚ゆ。あめりか物語を校訂す。晩間唖唖子来りて市中昨夜の状况を語る。此日夜に至るも風なく炎蒸忍ぶ可からず。唖〻子と時事を談じ世間を痛罵し、夜分に至る。涼味少しく樹隂に生じ虫声漸く多し。 八月十七日。紅蜀葵開く。萩正に満開。 八月十九日。秋暑を忍んで終日旧著を添刪す。夜に至り明月清風を得たり。 八月廿二日。曇りて涼し。午前松莚子を訪ひ、三才社に立寄りて帰る。 八月廿五日。八重次来る。唖〻子亦来る。夜八重次を送りて四谷に至り、別れて帰る。 八月廿六日。久しく雨なし。萩枯れむとす。 八月廿七日。おかめ笹続稿執筆。夜ミユツセの詩をよみて眠る。唖唖子復び病めりといふ。 八月廿八日。午後三菱銀行に赴く。驟雨沛然たり。家に帰り見るに雨はわづかに打水したるほどなり。秋草いよ〳〵枯死すべし。 八月廿九日。夜に至り俄に雨を得たり。 八月三十日。風雨。草木蘇生す。 八月卅一日。風雨歇み秋涼愛すべし。堀口大学来訪。近日南米に渡航すべしといふ。 九月二日。梅吉方にて稽古をなし、庄司に立寄り、春日にて昼餉を食し延園を招ぎ三味線をさらふ。夕刻帰宅。執筆夜半に至る。虫声漸く多し。 九月三日。旧作父の恩を添削す。 九月五日。梅もどきの実薄く赤らみたり。今年はいづこの竹の葉にも毛虫つく事夥しといふ。 九月六日。早朝いつもの如く梅吉方にて稽古。この日図らず吉右衛門に逢ふ。三味線けいこする由なり。 九月七日。昼前薗八節師匠宮薗千春を築地二丁目電車通の寓居に訪ひ、今日より稽古をたのむ。鳥辺山をならふ。 九月八日。夜大風襲来の兆ありしが幸にして事無し。 九月九日。雨ふる。朝夕の風肌さむくなりぬ。花月第六号前半の編輯を終る。 九月十日。晡下市ヶ谷辺散歩。八幡宮の岡に登る。秋風颯然として面を撲つ。夕陽燦然たり。夜外祖父毅堂先生が親燈余影をよむ。火鉢にて辣薤を煮る。秋涼漸く自炊によし。 九月十二日。萩さき乱れ野菊また花開く。 九月十四日。早朝清元けいこの帰途、三十間堀春日に立寄り、薗八節さらはむとて老妓延園を招ぎしが来らず。直に帰宅す。今日新橋の教坊にて薗八節三味線を善くするもの延園、りき、ゆふの三老妓のみなりと云。 九月十五日。朝寒し。障子をしめ火鉢に火を置く。 九月十六日。朝夕の寒さ身に沁むばかりなり。されど去年に比すれば健康なり。何のかのといふ中また一年生きのびたれどさして嬉しくもなし。 九月十七日。早朝築地に赴き薗八清元のけいこをなす。午下帰宅。旧稿を整理す。二更寝に就かむとする時花月第六号校正摺来る。 九月十八日。風雨。 九月十九日。雨晴れしが風未歇まず。残暑再び燬くが如し。日暮風歇みて一天雲翳なし。仲秋の明月鏡の如し。虫の音日中の暑さにいつもより稠くなりぬ。 九月二十日。木槿花開く。 九月二十一日。東京新繁昌記の類を一覧す。盖し雑誌花月編輯のためなり。 九月廿二日。雨ふりて俄に寒し。セルの単衣に襦袢を重ねてきる。 九月廿四日。風雨終日歇まず。新橋妓史をつくらむとて其資料を閲読す。堀口氏詩集月光とピヱロの序を草す。 九月廿五日。晴。唖〻子来訪。夜座右の火鉢にて林檎を煮る。電燈明滅すること数次なり。 九月廿六日。晴。葉雞頭の種を摘む。萩の花散りつくしぬ。 九月廿七日。秋雨。梅吉宅けいこの帰り、築地の桜木に立寄り、新富町の妓両三名を招ぎ哥沢節をさらふ。 九月廿九日。暗雲天を蔽ひ雨屡来る。終日門を出です。執筆夜分に至る。花月第六号発行。 十月一日。築地けいこの帰り桜木に飲む。新冨町の老妓両三名を招ぎ、新島原徃時の事を聞かむと思ひしが、さしたる話もなし。一妓寿美子といへるもの年紀廿一二。容姿人を悩殺す。秋霖霏々として歇まざるを幸ひにして遂に一宿す。 十月二日。雨歇む。久しく見ざりし築地の朝景色に興を催し、漫歩木挽町を過ぎて家に帰る。晡時唖々子来談。 十月三日。鳥辺山けいこ漸く進む。桜木に立寄り、全集第二巻の校正をなし、妓寿美子を招ぎ晩餐を倶にし薄暮家に帰る。禾原先生渡洋日誌を写して夜半に至る。盖花月第七号誌上に掲載せんがためなり。 十月四日。微雨。夜松莚子を訪ふ。 十月五日。半陰半晴。午前梅吉方にて稽古をなし、午後常磐木倶楽部諏訪商店浮世絵陳列会に赴き、唖〻子の来るを待ち東仲通を歩み、古着問屋丸八にて帯地を購ふ。浅利河岸を歩み築地に出で桜木に至りて飲む。唖々子暴飲泥酔例によつて例の如し。この夜寿美子を招ぎしが来らず。興味忽索然たり。寿美子さして絶世の美人といふほどにはあらず、されど眉濃く黒目勝の眼ぱつちりとしたるさま、何となくイスパニヤの女を思出さしむる顔立なり。予この頃何事につけても再び日本を去りたき思ひ禁ずべからず。同じく病みて路傍に死するならば、南欧の都市をさまよひ地中海のほとりの土になりたし。晩餐を食し唖々子と土橋際にて別れ電車に乗る。曾て新橋巴家へ出入せし呉服屋井筒屋の番頭に逢ふ。予が現在身につけたる袷もたしか此の番頭の持来りし品なり。徃事茫々都て夢の如し。呵々。 十月六日。空くもりて秋の庭しづかなり。終日虫鳴きしきりて歇まず。芒花風になびき鵙始めて啼く。旧友坂井清君夫人同道にて来訪せらる。 十月八日。雨始めて晴る。読書執筆共に倦まず。 十月九日。余今日まで男物のお召縮緬及び大島紬を嫌ひて着ざりしが、近年糸織または莭糸などの縞柄よきもの殆見当らざるにより、已むことを得ず試に薩摩縞お召の袷を新調す。着て見れば思ひしほどにはにやけて見えず。時のはやりは不思議なものなり。三十間堀春日にて昼餉をなし夕刻新富座楽屋に松莚子を訪ふ。この日風冷なり。 十月十日。花月原稿執筆。黄昏雨あり虫の音少くなりぬ。 十月十二日。隂。左眼を病む。 十月十三日。新冨町の妓両三人を携へて新冨座を見る。 十月十五日。築地けいこの帰途春日に立寄り三笑庵に赴く。服部歌舟子に招がれしなり。席上始めて市川三升に逢ふ。その面立何となく泉鏡花氏に似たり。此日雨。 十月十六日。雨歇まず。油絵師有元馨寧といふ人馬塲孤蝶氏の紹介状を示して面会を請はる。画会を催す由なり。燈下禾原先先生渡洋日誌を写す。 十月十七日。十三夜なり。宵のほど月を見しが須臾にして雲に蔽はる。 十月十九日。晴。呉服橋外建物会社に赴き社員永井喜平に面会して売宅の事を依頼す。帰途唖々子と清水に飲む。銀座を歩み赤阪鳴門に憩ひまた一酌す。花月第七号校正。 十月二十日。土蔵の雑具を取片づく。明治十二三年頃の錦絵帖。先考揮毫扇面十余。暁斎玉章扇面等を発見したり。此日中村吉右衛門鎌倉の別墅に清元梅吉夫婦、野間翁及余を招ぐ。余宿痾あり汽車の動揺病によからざるを以て辞して行かず。晩間唖〻子来訪。 十月廿一日。終日机に対す。花月第七号校正。 十月廿二日。酒井好古堂を訪ひ芳年の錦絵数種を購ふ。日本橋やまとにて昼飯を食し夕刻三田文学会に徃く。帰途三十間堀春日に少憩し車を命じて家に帰る。 十月廿三日。微雨午に至つて霽る。築地桜木に徃き妓寿美に逢ふ。月明にして新寒脉脉たり。愁情禁じ難し。 十月廿四日。春陽堂店員来談。 十月廿五日。午後南明倶楽部古本売立会に赴く。姿記評林購ひたしと思ひしが五拾円といふ高価に辟易して止む。帰途風吹出でゝ俄に寒し。家に帰り案頭の寒暑計を見るに華氏六十度なり。 十月廿六日。安田平安居浜野茂の二氏に招がれて三十間堀の蜂龍に飲む。この日寒気厳冬の如し。綿入小袖を着る。 十月廿七日。雨。清元会に徃く。久振にて菊五郎に逢ふ。 十月廿八日。竜胆の花開きて菊花の時節来る。 十月廿九日。唖々子と日本橋に飲む。花月第七号発行。 十月三十日。隂天。晩来小雨。 十月卅一日。晴れて暖なり。竹田書房主人来る。午後唖〻子来る。庭上再び虫語を聞く。 十一月朔。築地三丁目に手頃の売家ありと聞き、早朝徃きて見る。桜木の近鄰なり。立寄りて寿美子を招ぎ昼餉を食して家に帰る。 十一月二日。午後唖〻子来談。雑誌花月今日まで売行さして悪しからざる様子なりしが京橋堂精算の結果毎月弐拾円程損失の由。依つて十二月号を限りとして以後廃刊することに决す。雨烈しく降り出で夜もふけたれば後始末の相談は他日に譲り、唖〻子車にて帰る。 十一月三日。建物会社より通知あり。この度は築地二丁目の売家を見る。南風吹きて暖なり。 十一月四日。隂。石榴の実熟す。楓葉少しく霜に染む。 十一月五日。雨。モレアスのヱスキス、エ、スーブニルを取出して再読す。この書近世仏蘭西抒情詩家の随筆中、余の最も愛読して措かざるものなり。 十一月六日。雨ふる。明治史要武江年表を見る。 十一月七日。隂天。心倦みつかれて草稾をつくる気力なし。 十一月八日。午後三十間堀の春日に徃き延園を招ぎ清元落人をさらふ。 十一月九日。明治初年の風俗流行の事を窺知らむとて諸藝新聞を読む。 十一月十日。浜町河岸日本橋倶楽部にて清元一枝会温習会あり。余落人を語る。 十一月十一日。昨夜日本橋倶楽部、会塲吹はらしにて、暖炉の設備なく寒かりし為、忽風邪ひきしにや、筋骨軽痛を覚ゆ。体温は平熱なれど目下流行感冒猖獗の折から、用心にしくはなしと夜具敷延べて臥す。夕刻建物会社〻員永井喜平来り断膓亭宅地買手つきたる由を告ぐ。 十一月十二日。吉井俊三といふ人戸川秋骨君の紹介状を携へ面談を請ふ。居宅譲受けの事なり。夕刻永井喜平来る。いよ〳〵売宅の事を諾す。感慨禁ずべからず。 十一月十三日。永井喜平来談。十二月中旬までに居宅を引払ひ買主に明渡す事となす。此日猶病床に在り諸藝新聞を通覧す。夜大雨。 十一月十四日。風邪未痊えず。 十一月十五日。階前の蝋梅一株を雑司ヶ谷先考の墓畔に移植す。夜半厠に行くに明月昼の如く、枯れたる秋草の影地上に婆娑たり。胸中売宅の事を悔ひ悵然として眠ること能はず。 十一月十六日。欧洲戦争休戦の祝日なり。門前何とはなく人の徃来繁し。猶病床に在り。書を松莚子に寄す。月明前夜の如し。 十一月十七日。雨ふる。午前五来素川氏来訪せらる。雑誌大観に寄稿せよとのことなり。午後より座右のものを取片づけ居宅引払の凖備をなす。夕刻唖〻湖山の二子来る。唖〻子湖山子の周旋にて毎夕新聞社に入りしといふ。花月はいよ〳〵十二月かぎりにて廃刊と決す。 十一月十八日。早朝より竹田屋の主人来り、兼て凖備せし蔵書の一部と画幅とを運去る。午後数寄屋橋歯科医高島氏を訪ひ、梅吉方に赴き、十二月納会にまた〳〵出席の事を約す。明烏下の段をさらふ。此日晴れて暖なり。 十一月廿日。本年秋晩より雨多かりし故紅葉美ならず、菊花も亦香気なし。されど此日たま〳〵快晴の天気に遇ひ、独り間庭を逍遥すれば、一木一草愛着の情を牽かざるはなし。行きつ戻りつ薄暮に至る。 十一月廿一日。午前薗八莭けいこに行く。この日欧洲戦争平定の祝日なりとて、市中甚雑遝せり。日比谷公園外にて浅葱色の仕事着きたる職工幾組とも知れず、隊をなし練り行くを見る。労働問題既に切迫し来れるの感甚切なり。過去を顧るに、明治三十年頃東京奠都祭当日の賑の如き、又近年韓国合併祝賀祭の如き、未深く吾国下層社会の生活の変化せし事を推量せしめざりしが、此日日比谷丸の内辺雑遝の光景は、以前の時代と異り、人をして一種痛切なる感慨を催さしむ。夜竹田書店主人来談。 十一月廿二日。隂天。先考の詩集来青閣集五百部ほど残りたるを取りまとめて、威三郎方へ送り届く。夜清元会に行く。適葵山人の来るに逢ふ。大雨となる。 十一月廿三日。花月楼主人を訪ふ。楼上にて恰も清元清寿会さらひありと聞き、会場に行きて見る。菊五郎小山内氏等皆席に在り。 十一月廿四日。洋書を整理し大半を売卻す。此日いつよりも暖なり。 十一月廿五日。晴天。寒気稍加はる。四谷見附平山堂に赴き家具売却の事を依頼す。 十一月廿六日。春陽堂番頭予の全集表帋見本を持来りて示す。平山堂番頭来り家具一式の始末をなす。売却金高一千八百九拾弐円余となれり。 十一月廿七日。建物会社〻員永井喜平富士見町登記所に赴き、不動産譲渡しの手続を終り、正午金員を持参す。其額弐万参千円也。三菱銀行に赴き預入れをなし、築地の桜木に立寄り、夕餉をなし、久米氏を新福に訪ひ、車を倩ひて帰る。 十一月廿八日。竹田屋主人来る。倶に蔵書を取片付くる中突然悪寒をおぼえ、驚いて蓐中に臥す。 十一月廿九日。老婆しん転宅の様子に打驚き、新橋巴家へ電話をかけたる由、昼前八重次来り、いつに似ずゆつくりして日の暮るゝころ帰る。終日病床に在り。 十一月三十日。八重次今日も転宅の仕末に来る。余風労未癒えず服薬横臥すれど、心いら立ちて堪えがたければ、強ひて書を読む。 十二月朔。体温平生に復したれど用心して起き出でず。八重次来りて前日の如く荷づくりをなす。春陽堂店員来り、全集第二巻の原稿を携へ去る。 十二月二日。小雨降出して菊花はしほれ、楓は大方散り尽したり。病床を出で座右の文房具几案を取片付く。此の度移転の事につきては唖〻子兼てよりの約束もあり、来つて助力すべき筈なるに、雑誌花月廃刊の後、残務を放棄して顧みざれば、余いさゝか責る所ありしに、忽之を根に持ち再三手紙にて来訪を請へども遂に来らず。竹田屋主人と巴家老妓の好意によりて纔に荷づくりをなし得たり。唖唖子の無責任なること寧驚くべし。 十二月三日。風邪本復したれば早朝起出で、蔵書を荷車にて竹田屋方へ送る。午後主人手代を伴来り家具を整理す。此日竹田先日持去りたる書冊書画の代金を持参せり。金壱千弐百八拾円ほどなり。 十二月四日。家具什器を取まとめし後、不用のがらくた道具を売払ふ。金壱百弐拾円ほどになれり。午後春陽堂店員来りて全集第一巻の撿印を請ふ。 十二月五日。寒気甚し。庭の霜柱午後に至るも尚解けず。此日売宅の計算をなすに大畧左の如し。  一金弐万参千円也         地所家屋  一金壱千八百九拾弐円也      家具什器  一金壱千壱百六拾参円八拾弐銭也  来青閣唐本及書画  一金八拾七円卅五銭也       荷風書屋洋本  一金壱百弐拾壱円〇五銭也     古道具  総計金弐万六千弐百六拾四円弐拾弐銭也 支出金高  一金弐千五百円也         築地引越先家屋買入  一金四百六拾円也         建物会社手数料  総計金弐千九百六拾円也 差引残金  金弐万参千参百〇四円弐拾弐銭也 十二月六日。正午病を冒して三菱銀行に徃き、梅吉宅に立寄り、桜木にて午餉をなし、夕刻家に帰る。 十二月七日。宮薗千春方にて鳥辺山のけいこをなし、新橋巴家に八重次を訪ふ。其後風邪の由聞知りたれば見舞に行きしなり。八重次とは去年の春頃より情交全く打絶え、その後は唯懇意にて心置きなき友達といふありさまになれり。この方がお互にさつぱりとしていざござ起らず至極結搆なり。日暮家に帰り孤燈の下に独粥啜らむとする時、俄に悪寒を覚え、早く寝に就く。 十二月八日 体温平熱なれど心地すぐれす、朝の中竹田屋来りて過日競売に出したる来青閣旧蔵の唐本中、落丁欠本のものあり、五拾円程総額の中より価引なされたしといふ。唐本には徃々製本粗末にて落丁のもの有之由。竹田屋この日種彦の春本水揚帳、馬琴の玉装伝、其他数種を示す。夜浅野長祚の寒檠璅綴藝苑樷 書本をよむ。 十二月九日。風邪全く痊えざれど、かくてあるべきにあらねば着換の衣服二三枚を、徃年欧米漫遊中購ひたる旅革包に収め、見返り〳〵旧廬を出で、築地桜木に赴きぬ。両三日中に買宅の主人引越し来る由なるに、わが方にては築地二丁目の新宅いまだ明渡しの運びに至らず。いろ〳〵手ちがひのため一時身を置く処もなき始末となれり。此夜桜木にて櫓下の妓両三名を招ぎ、梅吉納会の下ざらひをなす。 十二月十日。久米君より桜木方へ電話かゝりて、明十一日梅吉納会に語るべき明烏さらひたしとの事なり。夕暮花月に赴き、主人および久米、猿之助等と、赤阪長谷川に至り、猿之助の三味線にて放歌夜半に及ぶ。帰途花月主人の周旋にて土橋の竹家といふ旅館に投宿す。心いさゝかおちつきたり。 十二月十一日。午前旧宅に至り、残りの荷ごしらへをなし、正午旅館竹家に帰る。雪俄に降出し寒気甚し。炬燵を取寄せ一睡す。夕刻自働車を倩ひ日本橋倶楽部清元梅吉おさめの会に赴き、猿之助三味線にて明がらすを語る。中村吉右衛門仝時蔵は梅吉三味線にて三千歳を語る。雪夜半に至りて歇む。 十二月十二日。八重次見舞にとて旅亭に来る。午後十寸見歌舟に招がれ、日本橋加賀屋にて薗八を語る。宮川曼魚も亦来る。夜木挽町田川にて高橋箒庵の夕霧を聴く。 十二月十三日。築地桜木に宿す。深更石川島造舩所失火。 十二月十四日。久振にて鎧橋病院に徃き、大石国手の診察を乞ふ。宿疾大によしといふ。帰途巴家に立寄り早く旅宿に帰り直に眠る。 十二月十五日。新冨座桔梗会連中見物の約あり。晩食の後茶屋猿屋に徃く。小山内吉井長田の諸氏、玄文社〻員結城某等に逢ふ。結城氏諸子を新橋の某亭に誘ふ。余寒夜を恐れ辞して去る。枕上石亭画談を読む。 十二月十六日。旅館に在り無聊甚し。午後築地桜木に至り櫓下の妓八重福を招ぎ、置炬燵に午夢を貪る。 十二月十七日。朝の中築地二丁目引越先の家に至り、立退明渡の談判をなす。実は十五日中に引払ふべき筈なりしになか〳〵其の様子なき故、余自身にて談判に出かけしなり。然るに其の家の女主人は曾て新橋玉川家の抱末若といひしものにて、予が顔を見知りゐたりしとおぼしく、話はおだやかにまとまり二十日には間違ひなく立退く事を約せり。帰途桜木にて晩飯を食し、八重福満佐の二妓、いづれも梅吉の弟子なるを招ぎ、自働車にて浅草の年の市に行き、羽子板を買ふ。 十二月十八日。春陽堂店員全集第一巻製本見本を旅亭へ送り来る。久米秀治来訪。晩間有楽座清元会に徃く。家元明がらすを語る。会散ずるに先立ち、花月主人及久米氏と清元梅之助を伴ひ溜池の長谷川に至り、また明烏を語る。此夕月おぼろにかすみ暖気春の如し。 十二月十九日。終日雨ふる。寒気を桜木に銷す。悪寒甚しく薬を服して、早く寝につく。 十二月二十日。病よからず。夜竹田屋の主人旅亭に来り、明後日旧宅の荷物を築地に移すべき手筈を定む。二更の頃櫓下の妓病を問ひ来る。 十二月廿一日。頭痛甚しけれど体温平生に復す。正午櫓下の妓八重福明治屋の西洋菓子を携へ再び見舞に来る。いさゝか無聊を慰め得たり。夕方竹田屋主人旧宅荷づくりの帰途、旅宿に来る。晩餐を共にす。 十二月廿二日。築地二丁目路地裏の家漸く空きたる由。竹田屋人足を指揮して、家具書筐を運送す。曇りて寒き日なり。午後病を冒して築地の家に徃き、家具を排置す、日暮れて後桜木にて晩飯を食し、妓八重福を伴ひ旅亭に帰る。此妓無毛美開、閨中欷歔すること頗妙。 十二月廿三日。雪花紛々たり。妓と共に旅亭の風呂に入るに湯の中に柚浮びたり。転宅の事にまぎれ、此日冬至の節なるをも忘れゐたりしなり。午後旅亭を引払ひ、築地の家に至り几案書筐を排置して、日の暮るゝと共に床敷延べて伏す。雪はいつか雨となり、点滴の音さながら放蕩の身の末路を弔ふものゝ如し。 十二月廿五日。終日老婆しんと共に家具を安排し、夕刻銀座を歩む。雪また降り来れり。路地裏の夜の雪亦風趣なきにあらず。三味線取出して低唱せむとするに皮破れゐたれば、桜木へ貸りにやりしに、八重福満佐等恰その家に在りて誘ふこと頻なり。寝衣に半纒引きかけ、路地づたひに徃きて一酌す。雪は深更に及んでます〳〵降りしきる。二妓と共に桜木に一宿す。 十二月廿六日。雪歇みて暖なり。二妓雪後の墨堤を歩むべしと勧めたれば、自働車にて先浅草に至り、観音堂に詣づ。御籤を引くに第六十二大吉を得たり。余妓を携へて浅草寺に賽するや必御籤を引きて吉凶を占ふに、当らずといふことなし。余居邸を売り、路地の陋屋に隠退し、将に老後の計をなさむとす。大吉の御籤を得て喜び限りなし。 災轗時々退。 名顕四方揚。 改故重乗禄。 昇高福自昌。 是れ御籤の文言なり。余何ぞ声名の四方に揚ることを望まむや。唯故きを改めて重て禄に乗ずるの語、頗意味深長なるを思ふ。古きものは宜しく改むべきなり。冀くはこの大吉一変して凶に返ることなかれ。 十二月廿九日。今まで牛込区に在りし戸籍を京橋区に移さむとて、午後神楽阪上なる区役所に赴きしが、年末にて事辨ぜず。帰途銀座にて西京焼土鍋の形雅なるものを見、購ひ帰りて粥を煮る。夜半八重福来りて宿す。 十二月三十日。寒気甚し。草訣辨疑を臨写す。墨摺りたるついで桜木の老婦に請はれし短冊に、悪筆を揮ふ。来春は未の年なれば、羊の絵を描き 千歳の翁に似たるあごの髯 角も羊はまろく収めて 三更寝に就かむとする時、八重福また門を敲く。独居凄涼の生涯も年と共に終りを告ぐるに至らむ欤。是喜ぶべきに似て又悲しむべきなり。 十二月卅一日。新春の物買はむとて路地を出でしが、寒風あまりに烈しければ止む。寒檠の下に孤坐して王次回が疑雨集をよむに左の如き絶句あり。 歳暮客懐 無レ父無レ妻百病身。孤舟風雪阻二銅塾一。残冬欲レ尽帰猶嬾。料是無二人望一レ倚レ門。 是さながら予の境遇を言ふものゝ如し。忽にして百八の鐘を聴く。 底本:「荷風全集 第二十一巻」岩波書店    1993(平成5)年6月25日 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※底本はこの作品で「門<日」と「門<月」を使い分けており、「間庭」では、「門<月」を用いています。 ※「唖々子」と「唖〻子」と「唖唖子」の混在は底本通りです。 入力:米田 校正:小林繁雄 2012年3月5日作成 2012年5月8日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。