愛の詩集 室生犀星 Guide 扉 本文 目 次 愛の詩集 をさなき思ひ出 1 2 孝子実伝 序詩 愛の詩集のはじめに 自序 愛の詩集例言 故郷にて作れる詩 はる 桜咲くところ 万人の孤独 蒼空 万人の愛 朝の歌 夕の歌 未完成の詩の一つ 萩原に与へたる詩 犀川の岸辺 故郷にて冬を送る 小詩一つ 罪業 しぐれ 秋くらげ 「故郷にて作れる詩」の終りに 愛あるところに 永遠にやつて来ない女性 自分の生ひ立ち 雨の詩 女人に対する言葉 愛あるところに 子供は自然の中に居る 大学通り 何故詩をかかなければならないか 「愛あるところに」の終りに 我永く都会にあらん よく見るゆめ また自らにも与へられる日 自分もその時は感涙した この喜びを告ぐ 自分の室 我永く都会に住まん この苦痛の前に額づく ある街裏にて この道をも私は通る 「我永く都会にあらん」の終りに 幸福を求めて 街と家家との遠方 美しい晩にかいた詩 詩の一つ 郊外 汚れにも生きられる 燭の下に人あり、本を読めり 冬の霊魂 永久孤独な自分 幸福を求めて ドストエフスキイの肖像 結婚時代 赤城山にて 良きもの深きもの 鷲の詩 打ち打たるるもの 自分の使命 永久の友 父なきのち 門 「幸福を求めて」の終りに 愛の詩集の終りに ネルリの肖像について恩地は十枚ばかり書いてくれて、自分でネルリの顔をかいてゐると今更にドストエフスキイの大きさに驚くと言つて来た... エレナと曰へる少女ネルリのこと ドストイエフスキイ みまかりたまひし父上におくる いまは天にいまさむ うつくしき微笑いま われに映りて、我が眉みそらに昂る……。  私の室に一冊のよごれたバイブルがある。椅子につかふ厚織更紗で表紙をつけて背に羊の皮をはつて NEW TESTAMENT. とかいて私はそれを永い間持つてゐる。十余年間も有つてゐる。それは私の室の美しい夥しい本の中でも一番古くよごれてゐる。私は暗黒時代にはこのバイブル一冊しか机の上にもつてゐなかつた。寒さや飢ゑや病気やと戦ひながら、私の詩が一つとして世に現はれないころに、私はこのバイブルをふところに苦しんだり歩いたりしてゐた。いまその本をとつてみれば長い讃歎と吐息と自分に対する勝利の思ひ出とに、震ひ上つて激越した喜びをかんじるのであつた。私はこれからのちもこのバイブルを永く持つて、物悲しく併し楽しげな日暮など声高く朗読したりすることであらう。ある日には優しい友等とともに自分の過去を悲しげに語り明すことだらう。どれだけ夥しく此聖書を接吻することだらう。 わがなやみの日 みかほを蔽ひたまふなかれ われは糧をくらふごとく灰をくらひ わが飲みものに涙をまじへたり 詩篇百二 をさなき思ひ出 1 おれはよく山へ登つた 山にはいろんな花がさいてゐた 気の遠くなるやうな深い谷があつた そこでよくねころんだ そのゆめのあとが ふいと今のおれの胸に残つてゐて 緑緑ともえてゐた 2 松並木は果もなかつた 僕はいつもとぼとぼと歩いて行つた そのやうに海は遠かつた 僕はいつも泣きながら歩いた 歩いても歩いても遠かつた 僕は海の詩をかいて都へ送つた あれからもう十年は経つて了つた 熱い日光を浴びてゐる一匹の蠅。此蠅ですら宇宙の宴に参与る一人で、自分のゐるべきところをちやんと心得てゐる。 フイドオル・ドストイエフスキイ 孝子実伝 ちちのみの父を負ふもの ひとのみの肉と骨とを負ふもの きみはゆくゆく涙をながし そのあつき氷を踏み 夜明けむとするふるさとに あらゆるものを血まみれにする 萩原朔太郎  千九百十七年九月二十三日のまだ夜の明けぬうちに私はその最愛の父を失うた。父は真言宗の一僧都としてのその神の如き生涯の中、私を愛し私の詩作をはげました。父の世にあるうち此詩集をひと目見せたいといふ切な願望は、もはや明らかに失はれてゐた。父のそばに机を置いて詩をかいたことを思へば私は童顔白皙な額にその微笑を思ひ出すのだ。だれしも肉親をもつものの必然な運命とは思ひながら、私はいまさらに私の失うた愛は甚だ大きいものであることを知つた。これを父上におくる。 爾曹なにを願ふや鞭を以て我なんぢに至ることを願ふ乎。また愛と柔和の心を以て至ることを願ふ乎。 哥林多前書四ノ二十一 序詩 自分は愛のあるところを目ざして行くだらう 悩まされ駆り立てられても やはりその永久を指して進むだらう 愛と土とを踏むことは喜しい 愛あるところに 昨日のごとく正しく私は歩むだらう。 愛の詩集のはじめに  室生君。  涙を流して私は今君の双手を捉へる。さうして強く強くうち振る。君は正しい。君の此詩集は立派なものだ。人間の魂で書かれた人間の詩だ。さうしてここに書かれた君の言葉は尽く人間の滋養だ。君の甦りは勇ましい。さうして純一だ。魂は無垢だ、透明だ。おお、君は安心して君自身を世に示したがよい。さうして更に世の賞讃と愛慕とを受けたがよい。おお、上天の祝福よ、水久に我友の上にあれ。  愛の詩集一巻。之は何といふ優しさだ、素直さだ、気高さ、清らかさだ。さうして何といふ悲しさ、愛らしさ、いぢらしさだ。おお、ここにはあらゆる人間の愛がある。寂しい愛、孤独の愛、真実の愛、幸福な安らかな愛、正しい愛、虐たげられ、呵責まれた愛、憐憫の愛、神のやうな愛、健やかな恵深い愛、忍従の愛、寛大な、而して叡智の潜んだ愛、自然の愛、新鮮なみづみづしい愛、善良で正直な愛、素朴な野生の愛、深大な愛、一人の、而して万人の愛、おお、さうして一切の愛、これらが皆この中にある。さうして凡てが神の魂を有つた人間の安らかな良き心から流れ出てゐる。  何等の無理もない、その言葉は何等の飾りもなく、しぜんと魂の底から、一人の人間の静かな息づかひその儘に溢れ出てゐる。誰にもわかり易い言葉でわかり易く虔ましやかに語られてある。  誰が読んでも、誰に読んできかせても、それは深い滋味のある言葉だ。誰しもが温められ、かき擁かれ、慰められ、力づけられる言葉だ。淫らな、何ひとつ不純な声が無い。これは水だ、いい茶だ、魂のパンだ。さうして日の光だ、雨の音だ、清しい草花のかをり、木の葉のそよぎ、しめやかな霙、雪の羽ばたきだ。おお、さうして貧しい者には夕の赤い灯火であり、富みたる人には黎明の冷たい微風となる。さうして生れてくる者には温かい母の頬ずりを、病めるものには花、寂しい者には女性を、さうして又死なんとする者には何ものにもまして美しい蒼空の微笑を、おお之等は示す。  何といふ力づよさだ。又、何といふ初初しさだ。室生君。君はいい心境に落ちついた。君の之等の詩は淑やかに読んでもいい、声あげて読んでもいい。庭園の朝、木蔭で一人で読んでもいい。晩餐の後、家族挙つて楽しく読みあつてもいい。全く誰が手に執つても、どの頁を開いても愛撫される。  これは水だ、いい茶だ、魂のパンだ、人間の滋養だ。           *  室生君。  万法は流転する。希臘の古哲 Herakleitos の此の言葉は詢に真理である。現世は無常であるが、それが故に私達も茲に新たに転生して、改めて神の栄光に浴する事を得た。この私達を生み出した大自然の力と愛とを思ふ時私達の頭は下る。永劫を一瞬に縮めて光るこの生命、この人間の魂は愛なしには片時も生きられぬ。詩人は上天の恵みにより、殊に選ばれたる人間の中の最も高貴なる人間である。私達は身にあまるこの恩寵を等閑にしてはならぬ。  私達は何が故に苦しむか。何が故に自らを虐たげ、自らをさいなみ、自らの血を流し、身肉をこれ絞るか。省れば人間の心は浅ましく仰ぎ見すれば涙である。掌を合して祈り、祈つてただ己れの至らぬ事を耻づる。ただ大慈大悲の御心に縋るより途は無い。切切として湧き上るこの感謝の念、抑へても抑へきれぬこの念。  神は愛也。君が聖書を尊崇し、偉大なるドストイエフスキイの苦悶と信仰とに感激する嬰児のやうな心はここから起る。君の永い間の焦燥、憂慮、省察、求信、之等は決して徒事では無かつた。孤独も貧窮も耐忍も決して無為では無かつた。今は確乎として君は目ざめた。これからである。何事もこれからである。  思へば基督は君の為めに矢張り君の魂の父であつた。萩原君の云ふ如く、而も君は生れ乍らにして神の愛を体得した人の一人であつた。それは詩人としての天稟である。玉のやうな良き素質である。良き素質ほど貴いものはない。常人は教養と苦業とに依つてはじめて神の御心を悟る。然し乍ら詩人の霊性は受胎の抑々から既に神の御声を聴く。純真にして無垢だからである。  君も無垢であつた。野生の儘で、素朴で、飽迄も正直で、単純で、又をかしいほど露骨で、男らしく育つて来た。君の感情は蛮人のやうに新鮮で、君の魂はいつも鵞鳥の卵のやうに牧草と地面の間に転がつてゐた。君の感覚も神経も其処で自然のままに曝され試され鋭く削られて来た。而して時として稚気を帯びた淫心からこづき廻はされたり、処女のやうに怖怖したり、又は凶悪の仮面を装つたり、嫉妬したり、狂つたり、踊つたりした。今でも君は全くの自然児である。何れにしても君は何も彼も六官も七情も霊魂も肉体も剥き出しである。  その自然児が一面に於て熱烈な文明の思慕者であり、秩序ある諸徳、中にも貴族的品格と正しい礼節とを憧憬し、之に己れを則らんとする無邪と、謹慎と、謙譲とは、人をして如何なる時も彼を愛せしめ、微笑せしめずにはおかぬ。室生君、私の言葉は稍過ぎた。然し乍ら、君の天稟の樸直と意識せざる品位の貴さとが、日を追うて君自身を洗練し浄化して来たのである。而して愈君の魂は正しく調節され、次第に愛ある静謐と山羊の眼のやうな柔和の中に澄みきつて来た。さうして真の礼儀と規律とが君の現在の禁慾的生活に自らなる良き整形を為す。かうして此の愛の詩集が生れたのである。  室生君。  何と云つても私は君を愛する。さうして萩原君を。君と萩原君とはまことに霊肉相通じた芸術的双生児である。その何物にも代へ難い愛情、激烈なる相互の崇敬感激、之を二魂一体と君等は云ふ。まさしく君等は両頭の奇性児である。相愛し相交歓し乍ら、君等はその気稟に於て、思想に於て、趣味、并びにもろもろの好悪に依つて、寧しろ血で血を洗ふ肉親の仇敵の如く相反し相闘ふ。  君は健康であり、彼は繊弱である。君は土、彼は硝子。君は裸の蝋燭、彼は電球。君は曠原の自然木、彼は幾何学式庭園の竹、君は逞ましい蛮人、而して彼は比歇的利性の文明人。君は又男性の剛気を保ち、彼は女性の柔軟を持つ。君は貴族の風格を尚び、彼は却て純樸なる野趣を恋ふ。而も両者が人間として真の理解と徹底した性愛の上に、一の赤い心臓を他の蒼い心臓の上に、圧し重ねて、等しく苦しみ等しく歔欷しつつある。何と云つても君等は永久に離れられない胴体であり、同じ湿婆神の変化である。  おお、さうして私は君等の何れもを愛する。愛せずにゐられない私は、君等の相反した凡てを、驚くほど私自身の中に見出す。それは密度に於ては、或は君等の何れもより薄いかも知れぬ。然しながら、此の三人は根本に於て一つである。私達は同じく同じ神の声を同じ母胎の中で聴き、同じ血の鼓動を聴きつつ、輪廻転生の絶大苦悶から一時に一切の因縁を忘れて了つたのである。私達は永い間盲目探しに探し廻つた。さうして私から室生萩原と順順に目を開いて、また再び相擁いたのである。私達はまさしく無垢であつた。子供らしく、純一で、而も何ものよりも優れて透明で、心は常に天の藍色を映してゐた。おお、此の単純にして誠実なる三人の愛、この愛は互に互の動悸を聴きわけるほどに澄徹で、又、互の胸に互の手を直接に触れ得るほどに緊密だ。『月に吠える』の序、あれに私はかう書いた事がある。おおこの三人、それは廻り澄む三つの独楽が今や将に相触れむとする刹那の静謐である。おお、その微妙なる接吻。           *  室生君。  私は曾て萩原君の天稟を指して、地面に直角に立つ華奢な一本の竹であると云つた。而も君は喩へば一本の野生の栗の木である。  一本の野生の栗の木。  栗は天然の光と雨露の恵みと地壌の慈みとに依つて先づ青い二葉を開いた。未生以前よりこの耀やかしい地上に生れて来なければならぬ因縁が、時を得て初めて栗の芽生となつて顕現されたのである。好運がその芽を祝ひ、微風がその初毛をそよがした。さうしてその芽は茎は生れた儘何らの工みも妨げもなくすくすくと生ひ立つた。凡てが祝はれた儘であつた。さうして凡てが彼の伸びる儘であつた。凡てが自由で朗らかで愛に満ち亘つてゐた。水はその根を廻つて曠い野つ原を流れ、蒼い空の円天井は常住その上にあつた。  夏が来た。幸福な栗の若木はこの時銀のギザギザをつけた鮮緑の若葉を一斉に萌え立たせた。それは細細とした瑞々しい若葉であつた。その若葉を渦巻かせ乍ら、栗はまだ枝々の尖りが眩しかつたり、腋の下が羞痒ゆいやうな新生の歓びから何も彼も涙ぐましく眺め入つた。さうして夕霧がかかると感傷し、朝風がそよぐと小躍り、細い弦月がきらめくと、己れから感極つて啜り泣いた。  それから一年経ち、二年経ち、五年経ち、十年経つた。  栗の木はいつしかガツシリした姿勢と粗々しい木肌とを持つた立派な一本立の木になつた。さうして愈激しい生長の慾望と愛と力とに燃え上つた。のみならず、曠原の風景が愈彼の為めに新らしくされ、野末を通る人馬も自づから彼の姿を振り返つてゆく。さうしてゴツホの燬きつくやうな太陽が東にあがり西に赤々とくるめき廻る真ん中で、この大麻栗の緑葉の渦巻に、真つ白な花穂がいくつもいくつも垂れ下つて、まるで妊娠になつた綿羊の綿毛のやうに重々しく咲き盛つた。その淫蕩無比の臭気、その狂熱、その豊満、将に此の樹木の放つ動物的精液の激臭は下ゆく人をして殆ど昏倒せしめずんばやまなかつた。雨の夜などは殊更である。その弾ぢぎれるほどの淫心。而も此の栗の木を前にして、真赤なえんえんたる天鵝絨の坂があり、坂の上には丘があり、麦畠があり、麦畠には麦が穂をそろへて揺れたり光つたりする清明な小景があつた事も読者よ記憶せよ。昼はその麦の穂立の中に基督のかげが見え隠れ、夜は祈りの鐘の音が薄靄の間を縫つて静かに静かに栗の木のふところまで流れて来た。  それから陰欝した長雨が幾日も幾日も降り続くと、花は腐れて地に落ち、栗は再び目醒めたやうに真つ青に濡れしづき乍ら、日が照りつけると、更に又、一層の鮮かさを以て輝き出したのである。  愈秋になつた。思ひがけない大暴風雨が殆ど神意の如く此の一本立の栗の枝々を吹き捲つた。弱い葉や既に枯れかかつた病葉は一溜もなく八方に飛び散り、木は根から大揺れに揺れる。抗す可らざる大自然の意力に恐れをののく栗の葉の間に、この時、数知れぬ青栗の青毬が、密かに密かに生れつつあつた不思議さを思ふと誰しも涙なしにはゐられまい。それはそれは小ひさな小ひさな青い栗の果であつた。  大暴風雨が止むと、空は再び碧瑠璃に晴れ渡つた。玲朧隈もなしである。十月初旬の日光は更に遍ねく栗の全身に降り注ぎ、その光は次第に栗の果を膨らめてゆく。青い栗の毬、毬は鮮やかに滴る光を痛感した。  その頃から水蒸気が深く立ちこめ、四囲の夜景が穏かになる。秋雨がかかる。赤い灯が丘の間から囁きかはす。野菜畑が香気を吐く。おおさうして昼も白い月が幽かに残り、百姓の豊かな挨拶があちこちできこえ、朝もいよいよ涼しくなる。凡てが柔かく粛やかに、さうして澄みかかつて来た。その中に立つ栗の木の幸福な愛、さうしてその祈念、野生の儘の浄化。  その栗の木は君である。  君の詩の生ひたちを私は仮りに三期に分つ。『朱欒』の抒情小曲その他はさしづめ栗の若木の新芽である。それは雋鋭で、極めて感傷的であつた。而も新らしい叡智の瞳はその芽の心に既に幽かに光つてゐた。その驚異。  第二期は君として最も奔放な慾念と良心との混乱時代であつた。萩原君は之を指して色情狂的情調、或は凶暴的無智と云ふ。これは稍激し過ぎる。然し全く当時の君は彼の栗の花の淫蕩粗雑な花盛りと酷似してゐたのだ。而も君は基督を天の一方に見、喧燥の巷に神の声を聴く良き魂を持ち乍ら、盛んに密室の秘戯を空想し、更に悪魔的趣味性の好奇心を少しも制御し得なかつた。時として君は黒い覆面をかけ、手中に見えざるピストルを閃めかし、盗心を神聖視し、憔悴しては銀製の乞食となつて彷徨ひ歩るき、消え失せんとしては純金の蜩の声を松の梢に聴いた。酒に酔つて人を殴打き、女の足を拝み、夜赤い四角の窓を仰いでは淫獣の如く電線を伝つて忍び込んだのも君だ、幻覚中の君であつた。かくして君の白い両掌は常に生生しい鮮血の粘りを滴たらしてゐた、が、おおその鮮血は決して殺人の夢ではなかつた。十字架上の基督の両掌の釘の跡であつた。釘から噴き出る貴い犠牲の血潮であつたのである。此時君の呼吸は最も狂つて大きく、君の奔騰したリズムは縦横無碍に乱舞の極を尽した。此時だ。君の善も悪も美も醜も憚る処なく白日の下に投げ出された、此時だ。君は全く活躍し、赤裸々であつた。君の詩は最も放縦に、最も豊満に、最も魔気と魅力とに驕つてゐた。さうして稀に見る人間の真実がその中に却て地虫の声のやうに闇の奥底からきこえてゐた。その悩ましさ、惑はしさ、物悲しさ。その時の君のすばらしさ。  ああ、さうして野つ原の栗の木には思ひがけない大暴風雨が来た。あらゆる人間の苦悩に堪へ忍んだ心霊界の巨人ドストイエフスキイの悲歎と懺悔と教化とは雨となり嵐となり涙となつて迷へる者の上に殺倒した。栗の木には青い栗の青毬が密かに密かに生れんとするその時だ、その第三期の新生の曙を君は尽く涙を以て語り得る。  愛の詩集はかうして成つた。  栗の毬は粗い、けれども鮮かだ、純緑だ、一本一本が鍼のやうに細い。栗の果は固い、けれども噛めば噛むほど滋味が出る、純白だ。栗の果は君の魂だ、君の詩だ。           *  室生君。  更に君の感情の表現法に就て、私にもう一つ云はしてくれ。  君の本然の魂に於て然るが如く、全く言葉の上にも君は自然児であつた、野生であつた。君のリズムの新鮮と自由とはそこから来る。元より何の苦労も渋滞も君には無い。初めから君はあらゆる因襲と患はしい覊絆から綺麗に離脱してゐた。否、殆ど関知しなかつたと云つていい。何といふ仕合せだ。君は君自身で、君のリズムは君より外に遣る人は無い。生生としてゐる。  翻つて私達はなまじ古典を崇拝し、秩序ある伝統の教養を受け、その画のやうな象形文字の輪廓、若くばその音律の齎らす古蒼、荘厳、或は簡素、幽婉、微趣のかずかずにあまりに深く薫染し過ぎて来た。それ丈この老い痴れた妖魔の手管と誘惑から逃れ出づる事は容易で無い。而して、血の通つた水々しい自己一人のリズムを創造するには君達の知らぬ困苦と反抗と勇気と冒険とを経て始めて為し得たのである。而もなほありあまる愛着と未練と淫情と臆病とに後髪を絶えず曳かれつつ蹌踉として進むに進めぬ惨めさ。苦しみ抜いた、私は全く苦しみ抜いた。さうして漸く今在る処まで行き着いた。それを君は殆ど何の苦しみもなく歩いてゆく、何にも知らぬ子供のやうな心で進んでゆく、羨ましい事だと思ふ。  然し、たつた一言云はしてくれ、君の言葉はまことに素朴で自然ではある。心の儘に流れ出てゐる。日常の言葉通りである。然し芸術の妙機は一面「味ひ」であると云ひ得るならばその味ひは詩ならば矢張りその言葉に頼らなければ噛みしめられぬ。匂があり色ある言葉、節約し廻転さし弛緩さし圧重し昂騰せしむるリズム、それらは座談の平語とは異ふ。詩はやはり詩である。  愛あるところに言葉あり、その言葉である。愛は説く事はできる。然し愛の味ひ、人情の真の味ひに理も非もなく人をして泣かせ、踊らせ、笑はせ、怒らせ、眠らせ、安らかに落ちつけ、はては頭を垂れさせるだけのリズムと言葉、その言葉そのリズムが詩には何よりも必要ではあるまいか、その魅力、その尊さ、その怪しさを又何より尊しとせねばなるまいと思へる。  私は日本の現代の言葉は鉱だと思へる。玉と為すにはまだまだ不断の琢磨と陶冶とを念とせなければならぬ。錬金道士の苦しみを苦しみとするのはこれが為めである。血を流し身を絞るのもこれが為めである。技巧は飾りでは無いが、それ丈の音律の苦労は必要である。君は安らかに言をいふ、それもよい。なだらかに説く、それもよい。然し兎もすると、今の君の言葉は流れ過ぎる。詩が散文でない限りより一層のリズムの純化を私は君に欲する。切に切に祈る。  更に私の君に願ふ処は君の現在の心境に、もう一度彼の既往の熱と力と美と露骨と、又彼の驚くばかりの魅力あるリズムと、生の儘の神経と感覚と、寧ろ淫するばかりの空想と狂気のやうな幻覚と醜と野蛮とを思ひきり復活さしてくれる事である。加へて深刻なる音楽の重圧と残虐なる感情の蠧惑とを弥が上に圧し出してくれる事。取り澄ましてくれぬ事、ドストイエフスキに対する盲目的感激から、真の君自身を、君の愛を隔離し、愈君本然の真の道に立たむ事である。  さうしたら君の詩は愈素晴らしいものになるに違ひない。その時こそ君は大成される。今や魂の真の革命が君の心に起つた。而してこの次に来る可き光栄ある第二次の革命が愈君を権威ある詩壇の真人たらしめる事を信ずる。私は君の現在を祝福し、更により多くその未来を翹望する。           *  室生君。  何と云つても此詩集は立派だ。矢張り何と云つても正しいものは正しい。之は全く人間の言葉で書かれた人間の詩だ。さうしてここに書かれた君の言葉は全く人間の滋養だ。君の甦りは勇ましい。さうして純一だ。魂は無垢だ、透明だ。おお、君は安心して君自身を世に示したがよい。さうして更に世の賞讃と愛慕とを受けたがよい。君は何と云つても私の友だ。萩原と君と。おお今こそ再び私は涙を流して君の双手を捉へる。さうして強く強くうち振る。おお、上天の恩寵よ、永久に我友の上にあれ。 千九百十七年十一月十六日 君と畑一つ隔てて 北原白秋 自序  自分はこの詩集を出版することが出来たのを深く幸福に思ふ。自分は永い間これらの詩をまとめて世に送り出すことを絶えず考へてゐたけれど、まだ充分な力が無かつたり、これらに値する資力を欠いでゐたために、心ならずも、四五年の月日をむだにして、自分の韻律の整頓を遅延させて了つた。しかし今は我慢の出来ない自愛と内外に向つて自分の生存を快適に物語る時を得たので、私の親しい書斎からこれを世に送り出すことにした。  詩は単なる遊戯でも慰藉でも無く、又、感覚上の快楽でも無い。詩は詩を求める熱情あるよき魂を有つ人にのみ理解される囁きをもつて、恰も神を求め信じる者のみが理解する神の意識と同じい高さで、その人に迫つたり胸や心をかきむしつたり、新らしい初初しい力を与へたりするのである。はじめから詩について同感し得ない人や、疑義を有つ不信者らにとつて、詩は存在し得ないし永久に囁くことが無いであらう。  自分は詩を熱愛した。同時にありとあらゆる自然や人類の上に、自分の微力を充ち亘らして讃歎すべきものを表現した。自分は正しく朗らかな此の宇宙のあらはれに就て、自分に働きかける総ての意志を掘じくり出すことに最大の生活を見いだした。自然も自分もその生活することに於て何等の間隙も不自由をも感じないほど、自分はよく自然をとり入れ理解することが出来た。詩の中に自分が存在することは、ただちに自分の救済であつたし幸福でもあつた。さうしなければならないほど、自分と詩との関係が深く根を張つてゐたのだ。  この宇宙にあるものはみな正しい。それが自分のやうな汚れたものにとつては、たまらなく苦悶をかんじさせる。その正しいものをとり入れて能くこなして、自分も又美しいそれらの最上な潔い意志によつて営みたい。なるべく自分を清めたい。この願望の熾烈な火は自分の中に潜んでゐる卑しいものや涜神的な情慾や不純な想念やと戦ひ、その敵と戦ひ、絶え間なく出入する内外の誘惑的なるものと戦ひ、不正や神秘主義や象徴主義や病的な悪魔主義と戦ひ、遊戯と誇張と耽美と劣小な利己主義と戦ふのであつた。かりに自分ひとりのみが此世に於ける最も正当な生活を最も朗らかな善良な生活を生活することによつて、他の多くの清廉なるものを損傷しないとしたら、一本のよき生涯の根を遺すやうな幸福を感じるのであらう。これのみにてもなほ彼の生涯の正しかつたことだけが分明することであらう。自分の詩もここに存在する。自分が今ここに人として正しい道を通りつつあることや、又それらのものについて、多くの表現と韻律とを贏ち得たことは、ここに集輯した作品に於て、極めて明らかにした。  自分の詩の根本は苦悶で漲つてゐる。自分の苦悶は永久で、泉のやうに無限であらう。自分をよくしてくれるものは、完全な円満や歓喜のみの世界ではなく、絶えざる憂慮によつてだんだん精神が磨かれてゆき、深くなりゆき正しくなりゆき、なほ幾多の蹉跌や失敗や没落やを意味するやうになるであらう。  自分はその感情の熾烈なことや、自らを語ることに於て饒舌だつたことは、自分が沢山の作品(書き過ぎほど)に於て明白にわかることであるが、その情操的な多感な叙情詩の全てをこんどは此集に収めなかつた。おそらく相次いでそれらの小曲集をも出版して、自分の今まで来た道に、かなりな華かな色白い少年の悩みを物語りたいことを期しておく。自分はこの詩集を土台にして益益幸福になりたい。今よりもつと幸福になりたい。又、この詩集をよむ人人とともに幸福になりたい。人はどうしても苦しまなければならないといふことも、およそ私が十四年間かかつて書いた此の微力な詩集によつて分明するであらう。この詩集の中に貫いた精神を統一することは、やがて私の半生の記録であるといふことが自ら理解できる。これをもつて序とする。  本集の北原氏の序文と萩原氏の跋文とは、本詩集にとつて特になければならないものであり、又、その殆んど海山にも比すべき友誼を紀念し得たことは、自分の感謝しおかないところである。  本集にをさめた恩地孝四郎氏清水太郎氏のカツト木版について深い感謝をしながら。このよき友らに挨拶しながら。郊外の新居にて。 千九百十七年十一月二十日 東京郊外田端にて 室生犀星 愛の詩集例言 「故郷にて作れる詩」は大正二、三年の作で順序無くあつめた。「愛あるところに」は大正三、四年のものが多い。内部からの苦悶が叫び出した時代だ。「我永く都会にあらん」五年の作。これは自分にとつて愈愈自分の仕事に自信を生みつけた。力をあたへた作だ。もはや明らかに疑ひも無き自分の使命をつかんだといふことは、やはり「幸福を求めて」までくる道草であつた。自分はただ幸福を求めた。凡てが善く美しく消化された正しい時代に、だんだん進んで来たのだ。現にここに営みを新しくすることは自分の歓喜であり幸福の全部だ。これより外に何者もない。自分はこれからのちもやつてやりぬく。仕事は山をなしてゐる。こつこつと固められてゆく土の中に、それを割り出したり温めたりするものが一切の春に浮動するやうに、自分の内外にほとばしるものを自分は、玉をみがくやうにしてゆく。それを期しておく。 故郷にて作れる詩 はる おれがいつも詩をかいてゐると 永遠がやつて来て ひたひに何かしらなすつて行く 手をやつて見るけれど すこしのあとも残さない素早い奴だ おれはいつもそいつを見ようとして あせつて手を焼いてゐる 時がだんだん進んで行く おれの心にしみを遺して おれのひたひをいつもひりひりさせて行く けれどもおれは詩をやめない おれはやはり街から街をあるいたり 深い泥濘にはまつたりしてゐる 桜咲くところ 私はときをり自らの行為を懺悔する 雪で輝いた山を見れば 遠いところからくる 時間といふものに永久を感じる ひろびろとした眺めに対ふときも 鋭角な人の艶麗がにほうて来るのだ 艶麗なものに離れられない 離れなければ一層苦しいのだ その意志の方向をさき廻りすれば もういちめんに桜が咲き出し はるあさい山山に まだたくさんに雪が輝いてゐる 万人の孤独 私はやはり内映を求めてゐた 涙そのもののやうに 深いやはらかい空気を求愛してゐた へり下つて熱い端厳な言葉で 充ち溢るる感謝を用意して まじめなこの世の その万人の孤独から しんみりと与へらるものを求めてゐた 遠いやうで心たかまる 永久の女性を求めてゐた ある日は小鳥のやうに ある日はうち沈んだ花のやうにしてゐた その花の開ききるまで 匂ひ放つまで永いはるを吾等は待つてゐた 蒼空 おれは睡いのだ かれはかう言つてやはり睡つてゐた かれの上には 大きな蒼蒼とした空が垂れてゐた かれの目は悲しさうに時時ひらく 日かげはうらうらとしてゐる 地主が来て泥靴をあげて蹶りつけた けれどもかれはすやすやと 平和にくつろいで寝てゐた やがて巡査が来て起きろ起きろと言つた かれはしづかに眼をあいて また睡つてしまつた みんなは惘れてかへつて去つた 草もしんとしてゐた 蒼空はだんだんに澄んで その蒼さに充ち亘るのであつた 万人の愛 自分は夜更けてからも マリア像のある壁の前に座つてゐた 露西亜わたりの 厚い木地に張つた古いこの石版画の いぶし金の地に小さなキリストを抱いた 聖母マリアの白いひたひは美しかつた 己はしげしげ眺めては 永い間長椅子に座つてゐた くる晩もくる晩も自分はひとりきりであつた 自分はあらしのやうな孤独に襲はれてゐた 自分は聖母マリアの額に接吻をした 熱病人のやうな 苦しい目つきで 自分はいつまでも起きてゐた 夜はしづかで 雨さへふり出してゐた 自分は立つて又た接吻をした 朝の歌 こどものやうな美しい気がして けさは朝はやくおきて出た 日はうらうらと若い木木のあたまに すがらしい光をみなぎらしてゐた こどもらは喜ばしい朝のうたをうたつてゐた その澄んだこゑは おれの静かな心にしみ込んで来た おお 何といふ美しい朝であらう 何といふ幸福を予感せられる朝であらう 夕の歌 人人はまた寂しい夕を迎へた 人人の胸に温良な祈りが湧いた なぜこのやうに夕のおとづれとともに 自分の寂しい心を連れて その道づれとともに永い間 休みなく歩まなければならないだらうか けふはきのふのやうに 変ることなく うつりもせず 悲哀は悲哀のままの姿で またあすへめぐりゆくのであらうか かの高い屋根や立木の上に けふも太陽は昇つて又沈みかけてゐた それがそのままに人人の胸にのこつた 人人はよるの茶卓の上で 深い思索に沈んでゐた 未完成の詩の一つ 赤赤しい夕焼 そのしたにぎつしりつまつた街と家家 それを見てゐるとつかれてくる そこからなにが映つてくるか そこから自分の心にしみ亘つてくる 夕ぐれどきのもの売のこゑごゑ あはれな時雨のにほひにまざつた いろいろな生活のこゑごゑ 窓にもたれて自分はそれをきいてゐる 萩原に与へたる詩 君だけは知つてくれる ほんとの私の愛と芸術を 求めて得られないシンセリテイを知つてくれる 君のいふやうに二魂一体だ 君の苦しんでゐるものは 又私にも分たれる 私の苦しみをも 又君に分たれる 私がはじめて君をたづねたとき 二人でぶらぶら利根川の岸辺を歩いた日 はじめて会つたものの抱くお互の不安 おお あれからもう幾年たつたらう 私を君は兄分に 君を私は兄分にした 吾吾のみが知る制作の苦労 充ち溢れた なにもかも知りつくした友情 洗ひざらして磨き上げられた僕等 今私はこの生れた国から 君のことを考へ此の詩を送ることは 「うらうらとのぼる春日に……」といふ あのギタルをひいた午前の むつまじいあの日のことを思ひ出す または東京の街から街を歩きつかれて 公園の芝草のあたりに座つたことを思ひ出す 君の胸間にしみ込んで よく映つて行つてゐる 私はもはや君と離れることはないであらう 君の無頓着なそれでゐて 人の幸福を喜ぶ善良さは 永久君の内に充ちあふれるであらう 君の詩や私の詩が 打ち打たれながらだんだん世の中へ出て行つたことも 私どものよき心の現はれであつたであらう。 犀川の岸辺 茫とした ひろい磧は赤く染まつて 夜ごとに荒い霜を思はせるやうになつた 私はいくとせぶりかで また故郷に帰り来て 父や母やとねおきしてゐた 休息は早やすつかり私をつつんでゐた 私は以前にもまして犀川の岸辺を 川上のもやの立つたあたりを眺めては 遠い明らかな美しい山なみに対して 自分が故郷にあること 又自分が此処を出て行つては つらいことばかりある世界だと考へて 思ひ沈んで歩いてゐた 何といふ善良な景色であらう 何といふ親密な言葉をもつて 温良な内容を開いてくれる景色だらう 私は流れに立つたり 土手の草場に座つたり その一本の草の穂を抜いだりしてゐた 私の心はまるで新鮮な 浄らかな力にみちて来て みるみる故郷の滋味に帰つてゐた 私は医王山や戸室や 又は大日や富士潟が岳やのの その峯の上にある空気まで 自分の肺にとれ入れるやうな 深い永い呼吸を試みてゐた そして家にある楽しい父母のところに 子供のやうに あたたかな炉を求めて 快活な美しい心になつて帰つて行くのであつた 故郷にて冬を送る ある日たうとう冬が来た たしかに来た 鳴りひびいて 海鳴りはひる間も空をあるいてゐた 自分はからだに力を感じた 息をこらして あらしや あらしの力や 自分の生命にみち亘つてゆく あらい動乱を感じてゐた 木は根をくみ合せた おちばは空に舞うた 冬の意識はしんとした一時にも現はれた 自分は目をあげて 悲しさうな街区を眺めてゐた 磧には一面に水が鋭どく走つてゐた 小詩一つ 私は感謝した さうしてゐる間に 自然と運命とは私どもをとりまいた ひき離した だんだん逢へなくなるといふことは だんだん手もとどかなくなり だんだん遠くなることだ しかし苛酷で優柔な自然は 私にいつも愛されてゐる 罪業 自分はいつも室に灯明をつけてゐる 自分は罪業で身動きが出来ない気がするのだ 自分の上にはいつも大きな 正しい空があるのだ ああ しまひには空がずり落ちてくるのだ ある時、故郷の寺院にて しぐれ あはあはしい時雨であつた さつと降つて またたく間に晴れあがつて行つた 坂みちを上りながら 空はと見れば しぐれは街のなかばに行つて 片町あたりにふつてゐた さうかと思ふともう寺町の高台あたり 明らかに第二の時雨が訪づれ そのおとは屋根屋根の上をつたつて 蒼い犀川の上を覆ふのであつた 秋くらげ 山には遠い海岸に くらげはまつさをに群れてゐた くらげは心から光つてゐた あるものは岸辺に打ちあげられ 松並木はこうこうと鳴つてゐた くらげにはくらげの可愛さがあつた 私はそれをつくづく眺めてゐた 山はみな高く海べに映つて ときをり雪もふつてゐた くらげは眺めて居れば居るほど あはれな いき甲斐のないもののやうな気がした 加賀 上金石海岸にて 「故郷にて作れる詩」の終りに  私は加賀の金沢の市街をつらぬく犀川のそばで生れた。そして寺院で育つた。私はその寺院の寂しい一室に、いつも読んだり書いたりしてゐた。私のよき父は茶が好きで、茶をいれては茶の間から呼んでくれて、二人で朝や午后やを匂ひの高い茶をのんだ。それが私の読書や詩作を非常に慰さめてくれた一つのものであつた。その古い庭には秋は深い落葉が埋れて、野分のかぜはいつも寂しく吹いてゐた。いま父は病んでゐる。この集がその生前にできればどんなに嬉しく思はれるであらうぞ。それを思うて心ははやまるのだ。  千九百十七年九月二十三日父はたうとう此の詩集の印刷を終らない中に逝去された。そのみたまにささげる。そしてそのみたまを呼ぶ。 愛あるところに 永遠にやつて来ない女性 秋らしい風の吹く日 柿の木のかげのする庭にむかひ 水のやうに澄んだそらを眺め わたしは机にむかふ そして時時たのしく庭を眺め しをれたあさがほを眺め 立派な芙蓉の花を讃めたたへ しづかに君を待つ気がする うつくしい微笑をたたへて 鳩のやうな君を待つのだ 柿の木のかげは移つて しつとりした日ぐれになる 自分は灯をつけて また机に向ふ 夜はいく晩となく まことにかうかうたる月夜である おれはこの庭を玉のやうに掃ききよめ 玉のやうな花を愛し ちひさな笛のやうなむしをたたへ 歩いては考へ 考へてはそらを眺め そしてまた一つの塵をも残さず おお 掃ききよめ きよい孤独の中に住んで 永遠にやつて来ない君を待つ うれしさうに 姿は寂しく 身と心とにしみこんで けふも君をまちまうけてゐるのだ ああ それをくりかへす終生に いつかはしらず祝福あれ いつかはしらずまことの恵あれ まことの人のおとづれのあれ 自分の生ひ立ち 僕はあるところに勤めてゐた 僕は百人の人人と 朝ごとの茶をのんだ 僕は色の白い少年であつた みんなは頬の紅い僕を愛した 僕は冬も夏も働きつづめた そのころ僕は本を読んだ 僕の忍耐は爆発した 僕は力をかんじた 僕は大きく哄笑した 僕は勤めさきを飛び出した 僕は父と母とをうらんだ 父も母ももう死んでゐた 僕はほんとの父と母とを呪うた 涙をかんじたけれど もうどこにもその人らはゐなかつた 雨の詩 雨は愛のやうなものだ それがひもすがら降り注いでゐた 人はこの雨を悲しさうに すこしばかりの青もの畑を 次第に濡らしてゆくのを眺めてゐた 雨はいつもありのままの姿と あれらの寂しい降りやうを そのまま人の心にうつしてゐた 人人の優秀なたましひ等は 悲しさうに少しつかれて いつまでも永い間うち沈んでゐた 永い間雨をしみじみと眺めてゐた 女人に対する言葉 愛してやれ 接吻をしてやれ できるだけ大切にしてやれ 掃除を好きになれ 家を美しく清め うまいものを焚き いつも困難に勝ち 心を温かに持ち 又一切を優柔に 極めて極めて女らしく本質的なるやう 決しておこらないやう よき母親になるやう 近所の子供がなづくやう 乞食には少しづつ与へるやう 朝夕の祈りを忘れぬやう 決して偉い女人にならうとするな 偉くはひとりでなれるのだ 自分でならうとしなくとも 世間がさうしてくれるのだ 自分の夫を神のやうに思へよ 自分の夫の知識を食べるやう 夫の本は時時に読め 机をきよめ 火鉢に火をおこし 鉄瓶には湯気を立たし 茶と茶器とたばこを供へるやう おお その全てに君の温かさを満たし 倦むことなく つらい涙を見せず ああ いそしめ いそしめ そして君たちはどんなに喜多い 家族の中心となれることか! どんなに此の世間をだんだんに よくしてくれることか 君たちの 幸福でない時は世間がくらくなる 第一義の生活がくらくなる 明るくするやう ほんとに明るくしてくれるやう これがいつも自分が 君たちに語らうとしてゐた言葉だ おお 読め そして味へ これはやがて人類の言葉だ この言葉をいま君らに交す 愛あるところに わたしは何を得ることであらう わたしは必らず愛を得るであらう その白いむねをつかんで わたしは永い間語るであらう どんなに永い間寂しかつたといふことを しづかに物語り感動するであらう 子供は自然の中に居る 子供らは 何故に私の眼を怖がるか あらゆる正しさに 善き教へになれてゐる かれらは自分を見て怖がる 自分はそれを苦しむ 出来るだけ優しくならうとして 自分はおづおづ子供らに近づく その魂に温められに行く 子供らは自分を見てにつと微笑する あの大きな開け放した親密さに しりじりと自分はつめよる その正しさを感じたさに 神のあどけない瞬間を見たさに きたない自分をふり落す為めに あ! 思うても心は善良になる 心は清い羽ばたきをやる どんなにあの微笑が自分を慰めるか! どんなにあのあどけなさが 自分を底の底まで温めてくれることか! 子供の前で嘘は言へない 子供の前では恥かしいことだらけだ 子供は自然の中に居る 子供らはいつも私共を了解するやうに 私共をすつかりのみ込んでゐるやうに 正面から静かに私共を眺めてゐる やさしい正実で 花のやうな叡智の潜勢で ああ 寛大で みなぎり切つた大きな微笑! とてつもない自由な新鮮! お! 此のよい子供らは 私の顔を怖がつて泣くのだ けものに遭つたやうに怖がるのだ なぜに私が怖いのだ! 自分は過去で苦労をした 絶え間もない困難に打ち勝つて来た これらの傷ついた魂の根 これらのもたらす容貌のいかつさが 此の子供にまで響いて来る 此の子供の心をまで痛ましめる 子供は自分に触れることを厭ふ その清さが厭ふ お! 子供は自然の中にゐる 立派に美しく 彫り込んだやうにしつかりして そして神の瞬間にゐるのだ 大学通り 私は大学通りの しきつめた石の上を歩くことが好きであつた ほがらかな幸福な温かい朝日は 本郷三丁目の屋上をすべつて しき石と並木の銀杏を染めてゐた 自分がここの都にくらしてゐること 又自分の仕事がだんだん認められる その歓しさを切に内感して 靴を鳴らして歩いて行くのであつた クラプントといふ独逸の大学生は ボタンの穴に大きなダアリヤを挿して 人ごみのした街を無邪気に歩いたといふ その詩のことなぞも考へられるのであつた 自分はけふも幸福であつた 朝日はみち亘つて 自分の胸や額にまで漲つてゐた 何故詩をかかなければならないか 自分は何故詩を書かずに居られないか いつもいつも高い昂奮から 火のやうな詩を思はずに居られないか 自分を救ひ 自分を慰め よい人間を一人でも味方にするためか ああ この寂しい日本 日本芸術のうちで いちばん寂しい詩壇 詩をかいてゐると 餓死しなければならない日本 この日本に 新らしい仕事をするため 父母をにへにし 兄姉にうとまれ 世の中よりはのらくらものに思はれ いつも不敵なる孤独に住み それでゐて一日も早く 人類の詩であるやうに わからずやの民衆を愛し いつまでも手をつなぎ合つて 毎日毎日仕事をしてゐる私ども 善くならう善くならうとする私ども ああ あらしが起り 波立ち 自分らの足もとを掻つさらつても むすんだ魂は離れない いまに見ろ この日本の愛する人人が 私共の詩を愛せずに居られなくなる よい暗示をあたへ 手をとるやうにしてゐるのだ みんなで楽しみ 相抱擁し それで初めてよい日本になりゐよう おれだちを生んだ日本を 私は先づ讃へるのだ そして根本から美しくなるのだ 吾吾詩人は餓死しさうで 餓死することがないのだ 飢えと寒さとは いつもやつて来るけれど 吾吾は餓死しない 生きてゆくことの烈しさよ おお 自分だちが詩をかくことは 生きてゆくことと同じだ おお 「愛あるところに」の終りに  いつ私どもに愛が加はり注がれて来るだらうか。私は永い間この想念によつて、苦しい様様な日夜をすごした。詩はうしほのやうに私を圧したり、なぜ詩をかかないでゐられないかといふことに、私は激越して考へたりしてゐた。ある夜はくらい巷に佇つて、もり上る灯の海に圧せられたり、鮮鋭な冬の午前の街を行つて、いかに民衆がその日のつとめに忠実でありよく励んでゐるかを知つたりした。私はただかいてかきとほすことを考へ仕事にした。それをみんなが読んでくれればいい、救はれるものは救はれるし、楽しめるものは楽しめると思つたからだ。そして間もなく吾吾は愛あるところに、ゆたかな呼吸をつづけるであらう。 我永く都会にあらん よく見るゆめ 僕は気がつくと裸で ひるま街を歩いてゐたのであつた こんなことはあるべき筈ではないと 手をやつて見ると何も着てゐないのであつた 何といふ恥かしいことだ 僕は何か着るものがないかと 往来を見まはしたけれど ボロ切れ一つ落ちてゐなかつた 電車や馬車やは 明るい日ざしの下に街とともに動いてゐた 僕はくらい小路に逃げ込んだ やはりその小路にも疎らに人は通つてゐた みんな不審さうに僕の方を見てゐた 巡査でも来たら大変だと思つた しかし着るものがない 今はからだ一つしかない 世の中の人はみんなああやつて着てゐる はだかで居るのは僕ひとりだ 僕はどうすれば着れるのだ とある軒下に佇つてぼんやり考へてゐた たれか知人でも通らないかと いやしい心を叱りながらも やはりそれを求めてゐた だれも通らなかつた かまはない 裸で歩いてやれと思つた 自分は大胆に大きく 自分の踏むべき土を踏んで行つた はげしい往来へ出て行つたけれど ふしぎに人人は咎めなかつた 人人は安心したやうな目つきで 自分を眺め あるものは握手さへ求めた また自らにも与へられる日 人間の苦労をつくづく私はして来た 欄間にかけた ドストエフスキイの顔を見る 室を歩くたびにその顔をよく見る けふも友人の苦しみを聞いた その人のことを考へるだけでも おれはよいことをしたと思ふ 自分が友の門のところまで行つて パンを投げ込んでからも 自分が果してさういふことをしていいかと 永い間自分を恥ぢた そして此人の肖像のしたで 打たれ苦しめられて 深い恥かしさを受けてゐる おお 大ドストイエフスキイ! 自分もその時は感涙した 巡査は酔つぱらひを靴で蹶り飛ばした 酔つぱらひの頭から血がながれた これでよい かうして居かなければ性が懲りない かう言つて荒縄でぐるぐると括り上げた 縄はからだへ食ひ込んだ あたりにゐる人人は よい気味だと言つてゐる 酔つぱらひはへし潰れたやうになつて もう抵抗力が無くなつてゐた 酔が醒めてだんだん青くなつてゐた その目から大きな涙が流れてゐた この喜びを告ぐ これは何といふ美しさであらう この美しさは何といふ魔力であらう この蒼みのある 疲れきつたやうな ぐつたりした手も足も一つかたまりのやうな この柔らな世界は何といふ美しさであらう さし迫つてくる おとなしい哀憐は涙に充ちてゐるのだ 神のすんでゐるやうな体をして 刻刻に自分に迫つてくるのだ この人の虐げられた魂は泣く 蒼みのある病人のやうな この美しさは私を打つ 私に迫る 自分の室 僕は畑をふんで街へ出る 畑をふんで自分の室へかへる 畑は毎日どんどん肥える いつ見ても土のいろは堪らなく健康だ 晩は晩で大きな温かい生きもののやう ぽおつとして息をしてゐるやう ああ いいなと思ふ 半日も街へ出てゐると 堪らなく自分の室が恋しく すぐに帰へりたくなる 畑をふんでどんどんかへる 自分の室でなければ魂は休息しない 自分の室でなければ疲れがなほらない 自分の室ほどいいとこはない ありがたい自分の室 美しく飾られ 魂の住家となるべき 自分の室へ飛び込む そして仕事をする そして喜んでゐる この心持を寸分隙を見せずに ぴつたりと抱き締めて 我永く都会に住まん よき心をもて よき祈りをもつて わたしはよき友とともに この都に永くしづかに おのおののみちをすすまう わたしはそれを考へ そのものに祝福あることを信じる この苦痛の前に額づく よごれた寝台から起き上ると 自分は窓をあけて よい空気をとり入れた 夜は暗くじめしめした雨になつて 塔の姿はすみのやうに黒ずんでゐた かれは紙のやうなうすい肉躰を 痛痛しさうに身じまひした 麻のやうにほそい腕や 燐寸の棒のやうな手足やを 自分は苛酷な目付で眺めた そのやせた胸から骨がすいて見えた 自分はあらしのやうな恥しさを感じた 自分は寝台から飛び下りて かれのきたない靴を接吻した 自分は床に身を投げて 充ち亘る感動に震へてゐた かれは呆れたやうに自分を眺めた 自分は彼女の中に 澄んだ きれいな性質を見た 自分らの有てないやうな善良な それは(人のいい神のやうな)文字通りなものを見たのであつた 人がよすぎると こんな汚ない恥さらしな 自分の身を切売することになるのであつた 自分はまじまじと永い間かれを眺めて 胸をさし上つてくる 座に堪へられない涙をかんじた 自分は窓の方の暗いとこに立つて じめじめしたこの界隈の屋根を眺めてゐた 彼女は心配さうに 私のうしろから 私にいろいろ話しかけた ああ このくらやみの小路に まだ健全な魂の存在してゐることを 自分はどうして信じなかつたのだらう ある街裏にて ここは失敗と勝利と堕落とボロと 淫売と人殺しと 貧乏と詐欺と 煤と埃と饑渇と寒気と 押し合ひへし合ひ衝き倒し 人人の食べものを引きたくり 気狂ひと癲癇病みのやうな乞食と 恥知らずの餓鬼道の都市だ やさしい魂をもつたものは脅かされたり 威かされたりして しまひに図図しい盗人になるのだ 肺病やみや伝染病者や 生涯どうにもならないものらまで 這ひまはつて うじのやうに その黴菌をふり散らして歩くことにより 自分の瀕死的な境遇の仇を打つところだ 女は無垢を破られたり 金に売られたり 畜妾や 畜生同棲や 師匠の妻をたぶらす子弟や ここに正義も人道もない 下劣な利己主義者の群があるばかりだ 又すべての芸術志望者らの虐げられた生活は 極貧とたたかつて ただ一本の燐寸のやうに瘠せほそつて 餓鬼道のやうに吠え立つてゐるところだ 空気はいつも湿け込んで 灰ばんでゐるのであつた 人間の心を温かにするものは無く 又不幸な魂を救ふべきことも為されてゐない みんなはありのままに ありのままなのら犬のやうに生きてゆく この道をも私は通る これはどうしたのだ この闇のなかにうぢうぢとうごいて 銀貨一枚で裸体にもなる女等 君はこのやうな混濁の巷で 聖母マリアのやうな 美しい顔をどうするつもりだ 刷りへらした活字のやうな肢体は 釘のやうに歪つたくちびるは その毒毒しい人を食つたやうな調子は 永久世の中へ出て行かれなくなるまで 稼いでも稼いでも 貧乏してゐる君達 手も足もすりへらして終ふまで たましひをめちやくちやに傷めるまで しぶかみのやうに くしやくしやになつた肉体! 君だちを背景にしてゐる この人類の生きやうはどうだ いろいろの若い熱いたましひが 君らの傍にゐることを望んでゐることはどうだ ああ この道を通るにも 自分は涙を感じる 一歩そとへ出れば 恐ろしい都会の大街道 家に居ればふしぶしのいたむやうな稼ぎやう いまこそ私もこの道を通る お前達の送る毒の花をも 自分は優しく接吻して上げる 「私が神様を離れてどうして生きてゐられませう。」早口に力を入れて彼女は囁いた。急に輝きを帯びた目をちらと彼に投げて。そしてラスコオリニコフの手を堅くしめつけた。 ドストエフスキイ 「我永く都会にあらん」の終りに  自分は明治四十一年の五月の六日に初めて上京した。千駄木にゐた田辺孝次氏のところにその第一夜を過した。忘られぬ一夜であつた。七日には児玉花外氏と北原白秋氏とを訪ねた。この二氏は自分にとつていろいろ自分に力をあたへてくれた。それ以后けふまで文壇の誰人ともつき会はずに、自分は自分の力でやり通した。自分はがむしやに自分を信じた。つらい運命は自分を帰国させたり、くらい街上に長く佇たしたりした。自分は侮辱されたことがなかつたし、又、自分は飢えても詩より外にはかかなかつたし、書けもしなかつた。今自分は間もなくこの集の世に出ると同時に、あくまで自分の歩むべく踏むべき愛の正しいことを知り、又これからも自分の為さねばならぬ多くの仕事を信じ行ふやうになるであらう。そして限りない謙抑の志をもつて私はこの都会に永くありたいと思ふ。 幸福を求めて 街と家家との遠方 この菜の畑も 畑土の盛り上つた心持をも いまはこれまでにない親密さをもつて 眺めることが出来る 一直線に走つた菜の畑は ところどころに冬枯れの 寂しさを点綴してゐる ごほごほいふ小川の水 これは又生れて初めて聞く小川の音だ この正しい流れやうは! どこまでも流れてつきない 此の微妙さはどうだ いつまでも無限に くさむらを分けてゆく 微笑のやうな優しく秀れたるもの おれは噎んで喜ぶ これらのものを今こそ解りかけたことを喜ぶ 美しい晩にかいた詩 私のこの温かい室 燃えるとだんだんに匂ふ 美しい蝋燭のあかりで 私は貧しく飢えかつゑて歩いた ある寒い冬の夜のことを考へた あの晩どの街を歩いても どの人家の窓も楽しく明るかつた そこには熱い茶や 美しい楽しい若やいだ生活が 晴れやかに営まれてゐるやうだつた ああして静かな灯で勉強をしたら そこで書かれることは どんなに光のあることかと流涙した 僕には永久あんな明るい室や 夜の団欒や またしんとした平和が与へられないのかと思つた ひと晩でよいから ああいふ幸福をなめて見たいと思つて 寒さに凍えながら歩いた日のことを考へてゐた おお そして時が経つて 僕は美しい室に今は座つてゐた 立派な更紗や織物があり 本があり また快よい幸福が訪づれてゐた おお 私は勉強する 詩の一つ 神があるとさへ思つて居ればいい それだけでいい どれもこれも二人でやつたことと思へばいい 自分が悪ければ神も悪いのだ 自分が良ければ神も良いのだ 自分を悪くするのも神を悪くするのも みんなみんな一人でやつたことだ 郊外 郊外に来て誰でも 立派な大根が土にくひ込み 太り切つてゐるのを眺めるであらう さかんなる葉ツぱを 羽のやうに伸ばし はぢ切つてゐるのは 何といふ快適な気を起させることであらう 朝日は新らしい 屋根や屋根の上に 金箔のやうに輝いて居り 畑には百姓の姿はあり 露はな木立は鉄のやうに硬くなつてゐる それらの木立や林を透して かろがろとはしる山の手の電車 ああ 朝ごとに温かな食事を終へ 大根畑をあちこちあるき 百姓とは挨拶を交し すべてが朝の魂に充ち亘つてゐる中を ありあまる感謝の心特になつて行く ぱつとした冬の朝晴れ いづれの季節にも見られない 透明な立派な冬の大きさ! このやうな景色は 自分によい信仰と力とを与へるのだ 汚れにも生きられる 凡ては僕の中にあるのだ 高いものや 善良きものや 深いものや また卑しい低いものさへ潜んでゐるのだ 僕は毎日いやしいものを追ひ出す 清潔なさわやかなものをとり容れるのだ この宇宙のさまざまな感情 さまざまな汚れたものの一部に その空気にも生き泳いでゐるのだ 燭の下に人あり、本を読めり 本を読んでゐると又雨が降り出した 毎晩のやうに重い雨戸が 閉した窓を叩いてゐる 濡れてしめつたそととは反対に 僕の室では一本の蝋燭がともれ 立派な美しい垂れとしほとを見せたカーテンを下ろし カーテンの裾のはうに卓があり 僕は感涙しながら本をよんでゐる この恐ろしい物語りの中に 世にもやさしい一人の女性がゐて 人をあやめた不幸な男のために 声たかくヨハネ伝をよんで聞かしてゐる 頭を垂れた男の魂と 不遇な彼女の魂とはつれ立つて 今平和なすすりなきをしてゐる ここまで読んで僕はふいと耳を立てた ああ とぎれとぎれな雨のふる中で だいぶ虫の啼く声が減つたやうだ おとろへはてたあの声 毎夜のごとくかれらの美しい声により また慰さめられて本を読み そしてゐる間にもう肌さむい頃になつた 誰人とも会はず 清明な孤独に住み込んで おお もう秋おそい頃になつたのであつた 自分は再た窓をとざして しづかな雨をきいて 悲しい書物のペエジを剪りはじめた 冬の霊魂 立派に堂堂と正面から しつかり小さな私を抱いてゐる寒気 骨身に沁み亘る冬の霊魂! この中でこそ生きることが出来る ひしひしと迫れ 今夜は自分の室には火の気もない 本を持つてゐる手が凍みるやうだ この澄み切つた 魂に充ち亘つた寒気の中 ひとにおくれをとらないやう ああ 胴震ひして本を読め たしかなとこを掴んでから しづかな朝のくるまで よくねむれ! 永久孤独な自分 おれのからだは こんなに寂しく 隙だらけになつてゐるのか! おれの燃えるやうな深い深い魂の根! あ! これこんなに 隙だらけになつてゐるのか! ただの一度も安心と微笑とをしなかつた 此の地図のやうに悲しみ乱れた線 この深い彫り込んだやうな厳格な韻律 此ゆつくりした沈黙 ひしひしと迫る自然 巍然とした 男らしい自分自身が この卑しい寂しさに隙をとられてゐるのか 大胆なる微笑と 勇猛との所有者であるべき自分 いつもしつかりした歩調で 大地の愛をふんでゆく自分 あらゆる宇宙の中心に立ち あらゆる人人の魂に入つてゆく自分の ああ けさは鳩のやうに震へてゐることは! この三角に捩ぢまがり瘠せ込んだ私 ああ 一人の自分 ああ 永久孤独な自分 幸福を求めて ここにしあらば この正しさにあらば よき友らとともにあらば ドストエフスキイの肖像 深大なる素朴 耐へ忍んだ永い苦しみ 鈍い恐ろしい歩調で迫る君の精神 そのひたひには ペテルブルグの汚れた空気が くもの巣のやうにかかつてゐる 騒音がする 叫びが聞える 悩んだものの美がある 強いねんばりした人間性 ねちねちした生命 無窮な憐愍 あ! 寛大 肩はばの広い おこりつぽいやうな此人 この人は迫る 温かい呼吸で迫る あなたは貧乏に打勝つた あなたはシベリアの監獄に四年も居た あなたの葬式に露西亜の大学生が その棺のあとから 鎖や手錠を曳いて 参詣しようとして官憲から停められた ああこの堪へがたい愚鈍なやうな顔 精神の美しさにみなぎつた顔 何を為てゐたか伝記学者も 解らないこの人の暗黒時代 此の人の前で勉強をしろ 我慢に我慢をかさね勉強をしろ どのやうな苦しみも此人の前では誓へる この人は万人の物だ 万人の魂に根を張つてゆく大地だ 誓へ ほんとによく生き よく勉強してゆくことを おお 結婚時代 自分はやはり女性のことを考へる 自分にとつては幸福であり 救済の全てである女性を考へる その美しさを考へる その美しさの中の神に近いものを考える 自分はある女性を恋した いまそれを考へると その女性の中に自分の内映を見いだし その自分の力を恋したのであつた 自分はこのごろ初めて女性を見ることが出来 女性を恋してもよい年齢とに逢ひ 女性に対して立派な肉躰をもち 低級な情感をふりおとすことが出来るやうになつた 自分の輝いた男性を持ち 自分の仕事に自信をもち 自分の結婚時代に立派な姿で出会してゐる 自分はもう若くはない 自分のすることにあやふやなとこがない 死よりも強い孤独は迫るけれど いつもこれらをとりおさへることが出来 その沈静ならしめる用意がしてあるのだ 自分を愛し 自分とともに来るものは 幸福になり得るであらう 自分とともに苦しみを分つものは 永く永く魂の上に荒い海をかんじるであらう 世間ぢうの平和と 世間ぢうの飢饉とに出会するであらう 赤城山にて 自分は今きたないものを弾き飛ばす 自分はこの美のなかに呼吸する 自分の頬にはじめて 微笑が乗りうつる ひとりきりで生きて来た 勝利を感じる ひとりきりでゐたことに 勇敢を顧る はじき飛ばす きたないものを ふりおとす 自分はあしの強い蝗のやうだ 満山に荒れた冬 満山の新芽 それらは今悠悠として燃えつつある 山も地面も 鉄のやうに固い これらの自然は今自分のままになる 自分はさかんに深い呼吸する さかんに消化する むさぼる 初初しい新鮮な眺めに浴り ゆつくり ねむる ねむつてゐる間にも この広大な自然から さかんな力が集つて来るであらう さわやかな風等はいつまでも たえず私を平和に誘つてくれるであらう 身もこころも 爽やかに洗ひ清められるであらう 美しいものはいつでも孤独の中にある。群集は美を会得しません。彼は自分を導く宗教を持たないからです。ロダンの言葉。クラデル女史。 良きもの深きもの 自分の心はあせる 迅雷のやうに今日もあせる 良きもの 深きもの たえざる仕事による甘美なるものらに 烈しい完成を求める どうにかして幸ある どうにかして思ふ存分なものらに この自分を到かしめやうとするのだ この自分の喜んだ はればれした瞬間に触手しやうとするのだ 自分は凡てのものから圧力を感じる 凡てのたわいないものらにも 自分は悲哀を感じる この世の微塵にもほんとに自分を泣かせるものがある 凡ての良きもの 深きものらは つねに重大を自分に乗せつける 自分の力に苛責をこころみて来る 一日自分をやりこめる 自分の中に埋められた良き芽は だんだん試みられて育つ だんだんふとるのだ それらの良き芽は人心に燃え移り 生きかへり いかばかり楽しみ多い 悩みと革命とを生みつけることか いかばかり正しく いかばかり美事に輝くことであらうぞ ああ 良きもの 深大なるもの 美しく幸福であるべきものらに 自分は日に日にすすむ この平和の巣である自分の室に座り 心は迅雷のごとく燃え 燃え増さる このたのしさ! このたのしさの中に我が凡てはあるのだ 鷲の詩 自分はまだ愛を受けない 自分はまだ触手されたことがない 自分は正当に万人とともに孤独だ 自分は庭へ出て 草花に水をやつたり 柿の木の下に椅子を置いたり そこに座して風をきいたり 高い空を眺めたりしてゐる 自分が草花に水をやるとき 自分は新らしいものらの 光の 自分の心にのりうつることを知る 凜然とした あれらのよき匂ひと姿勢とは 僕のゆがんだところを正しくする 僕の心をいとやさしくする こなれて僕の英気となるのだ 僕を活溌にするものだ 僕の顔いろをよくしてくれるものだ 毎日毎日鷲のやうな孤独を感じ 鷲のやうに凡てから離れ住んで いま此等の正しきものらに触手する しみじみ讃嘆する 自分はいまの年齢によつて初めて 草木の値を知るのだ 自分の知らなければならないものらは この世にどれだけ多くあることだらう あせりにあせり いま此処を通る 打ち打たるるもの 僕の韻律には苦悶がある いつも高揚する それが君達を打つ 僕みづからをも打つ まるで火のやうだ 僕はだんだんに清く瘠せる だんだんに澄む 僕の韻律を拒否することは君たちの不幸だ 卑劣や倭小や虚偽や捏造や奢侈や 象徴や神秘や夢想や恋愛やのの詩 それらのものは僕の韻律を顧みないだらう かれらには烈しすぎ かれらには本気でかいたことがないからだ ほんとうの苦悶が無いからだ 毎日吾吾の考へぬいてゐるものは何んだ いつも絶えることのない苦悶だ すこしでも幸福にならうとする心だ 真理を求めるからだ あれもこれも充たし みんなよくなることを どうしても幸福にならなければ 生きてゆかれない人間の努力を云ふのだ うそのないところだ これをおもふと火のやうになる やり通す気になる 僕一人でも本気で居ればいいのだ この広大な世界の中に 僕一人のきりきり舞ひは滑稽だ しかしうそでは無い 燃えるものは高揚する 苦悶は人心を打つ 必らず打つ 自分の使命 自分は凡ての人にたいして 優秀な へだてのない心を有つてゐる その人が初めてあふ人であつても その人によいところがあれば それをとり入れて 自分のものにし 導かれるのだ 力あるものや自分のあたひを知るものに 自分は自分の孤独の清さをそそぐ 自分は無限に一切を愛したいのだ 自分の中にある毒念の根を断ち切らうとして 自分は読んだり考へたり 正しいことにつかうとしたりして あとの半生を送るのであらう その半生に平安のあることを祈つてゐる 永久の友 自分は初めて彼女に逢ふことが出来た 君はしみ入るやうな透明な 美しい悲哀に充ちた目をして 僕の前に立ちあいさつをした 僕は僕の考へてゐたとほりの その容貌をもつてゐた彼女を見て 僕は自分の予言や自信を喜しく感じた この人に逢ふために僕は永い間苦しんだ 求めあがいた幸福と安息との一切が 此の中に充ちあふれることをかんじた 僕の生涯をゆだねるに足る その一切が潜在してゐて 僕の掘るがままに芽を生してゐた 僕はどうか永久の友となつてくれるやうに 僕の生涯を温めてくれるやうにたのんだ 君と僕とはてがみを交して 永い間お互ひの高さや深さを知り合つた 君はいつの間にか根強く 僕の中に存在してゐたのだ 君の中に僕はその根を下ろし初めたのだ 魂ある感動は言葉となつたり 吐息になつたりして 僕の心と君の心とにゆきゆきした ふたりの自由は叫び合つた 火をちらした ああ 僕はこの人を友に得て この世に出てゆかれる日があるならば 僕は鷲のやうなつばさを得るだらう 全世界のあらゆる美しい瞬間を集めて 心跳つて喜びに震撼するだらう あやふやなものを吹き飛ばすだらう 砂塵をあげて歌ふだらう 父なきのち 父をうしなつてから 私はやはり郊外にところを定めて そこに寂しい日をくらしてゐた 聖フランチエスコの伝記や カラマゾフ兄弟の中の 長老ゾシマの悲しげな臨終を読んだりして 深い物思ひに沈んで いまさらのやうに 蒼褪めた秋の木木の立つ姿を眺めたりした じめじめふる雨は 僕の心を全きまで沈ませ 厳しい精進の心を覆うてゐた 晩は高台の会堂の深い木立から お祈りの人人をあつめる鐘が鳴つて 僕はいつものやうに出て行つた 父をうしなつてからといふものは 僕はかの会堂の中に座つて ぼんやりした想念に抱かれながら 身も心も平安に委ねることを好んだ そこにある静かな人人の祈りは たとへその形式がどうあらうと 真摯な祈りの中に たえず動いてくるものがあつた それらは僕を静かに慰さめてくれた 僕は父のことを祈り あとにのこつた淋しい母のことを祈り ああ自分はいつ父のそばへ行けるのだらう いつ父の胸にすがつて 父上私も参りましたと云ふ 此世の一切を終るべき時を得るのであらう 自分はその日まで楽しみ 又 生き永らへるのだ その上で私は父の温顔を再た見るのであらう かう思ひながら 永い間祈りかつ咽ぶのであつた 夜は澄んで透つて星は輝いてゐた 白い額と蒼い目を持つた 美しい西洋婦人の祈りは長い間続いた 全ての女性の祈りが美しく 殆んど聴きとれないほど敬虔に 又低い祈りであるが如く 彼女の声もひくく殆んど啜泣くやうであつた 「主よこの一切の汚れの中にある私共に あなたの清さとめぐみと愛と そして又あらゆる人人の上にも 私共にくださるみ心を注いで下さるやう」 その祈りは万人の上にもあつた その美しい日本語は 会堂の中に充ちあふれる愛を囁いてゐた ここに集まつた人人らは すこしの邪念のない 美しい瞬間の光をあびながら 楽しげに一切に祈り上げるのであつた 自分はからだを締めつけられたやうな 身動きのできない静かな緊張された空気を感じながら ありありと父の顔を描き出した 僕は自分の中にあるだけの力を出して その力をもつて 温かな父の呼吸を感じることが出来た 私はうれしく掻き上りたい気がした 私は間もなく心で囁いた 「主よ あなたの力をいま私に注ぎ込み 私の祈りをあなたにささげた瞬間 私の愛してゐるところを示して下さるやう 此全世界の高い鼓動の中から 私の優しい人の その愛あるところの ほとばしる美しい目をお示し下さるやう ああ 一切が平安の中に進みますやう」 私はかう祈り沈んで 病熱を帯びたやうに 会堂を圧する昂奮をかんじた この瞬間全世界もよくなれといふ つきることのない願望に震へ上つたのだ あせははだみを流れた そして私はうつむいて 力一杯聖書に接吻した とどめがたい涙は偉大を感じながら つきることなく僕の立つところを湿した。 門 秋らしいしめりは よく掃かれた庭にゆき亘つて 歯朶の繊葉や 菊の花らを 全きまでに美しく投影してゐた 障子の中はしんとしてゐた ときをり本をめくる新鮮な紙のおとが その庭にある山茶花のあたりでも聴かれた あたかも祈るやうな 透明な幸福な 高高とした読書の声もした あるときは手紙の一片をも 感激したらしい声で朗んだりしてゐた 深い吐息がしたり 寝台に打倒れたやうな音もしたりした 香はしきりに炷かれてゐた 雨は毎日ふつてゐた この都会の郊外といはず 巷といはず じめじめと永い間 ちらちらと日かげするあひまを 寂しい雪もよひのそらに降つてゐた 室のあるじのひたひは蒼ざめ ときをり思ひつめたやうに 庭や門のあたりを掃き清めてゐた 心はゆたかに湿ほひ やがて訪づれのある人をまつてゐた かの女は白い額と 柔らかい手とをもつて かれの傍らに座し語るのであつた これらの幸福な予感は 永い年月孤独と戦ひ勝つて来た彼にとつて 再びこの世に出てゆくべき 一つの美しい安息の港でもあつた 「幸福を求めて」の終りに  私が前面に微かな幸福の光を見いだしたのは極めて最近のことであつた。自分の心はたえず湿つて静かな感動に充たされてゐた。温かなよい友らの感情は日夜私をとりまいて、私の内容の高さと深さとをよい方面に昂上することを讃美し又祝福してくれた。自分は心からなる声音と運動とによつて、これらの詩をかき、かいたことによつて益益よくなることを信じた。自分は永久の仕事がだんだんに積み重ねられたことを感じ、そのことによつて益益より高い幸福を求めることに多くの悩み多い日夜をその生涯に於て送ることを覚悟したのであつた。 愛の詩集の終りに  私の友人、室生犀星の芸術とその人物に就いて、悉しく私の記録を認めるならば、ここに私は一冊の書物を編みあげねばならない。それほど私は彼に就いて多くを知りすぎて居る。それほど私と彼とは密接な兄弟的友情をもつて居る。  およそ私たちのかうした友情は、世にも珍なる彼のはればれしき男性的性情と、やや女性的で憂鬱がちなる私の貧しき性情との奇蹟めいた会遇によつて結びつけられた。  主として運命は我等を導いて行つた。  年久しくも友の求めて居たものは、高貴なる貴族的の人格とその教養ある趣味性であつた。そして私の貴族めいたエゴイズムの思想と、一種の偏重した趣味性とは、不思議にも我が友のいたく悦ぶ所となつた。  一方また私の求めてゐた者は、卒直なる情熱的の人格と、男らしき単純さと、明るく健康なたましひをもつた人格であつた。  思ふに私のやうな貴族的な性情をもつて生れた人間にとつて何よりも寂しいことは、あのなつかしい「愛」の欠陥である。神は貴族とエゴイストとを罰するために彼等の心から愛憐の芽生をぬき去つた。(その芽生こそ凡ての幸福の苗であるのに。)あの偉大なるトルストイを始めとして、世の多くの貴族と生れながらのエゴイストとが、悩み苦しみて求めるものは、実にこの「生えざる」苗を求めんとして嘆き訴ふる悲しみの声に外ならない。  之に反して、貧しき境遇にあるもの、生れながらによきキリストの血を受けて長く苦労せる人人の心には、自然とやさしい人情の種が蒔かれて居た。  私の友、室生犀星は生れながらの愛の詩人である。  彼は口に人道と博愛を称へ、自ら求め得ざる夢想の愛を求めんとして、苦しき努力の生涯を終りたる、あの悲しいトルストイの徒ではなくして、真にその肉体から高貴な人義的の愛を体得して生れた「生ける愛の詩人」である。  かうして私と彼とは、互にその欠陥せる病癖を悲しみ、互にその夢想せるしかも正反対の性情の美しさを交換した。  とは言へ、私たちが始めて会遇した主なる動機は、もちろん人間としての交りでなく、ただその芸術を通じての交歓であつた。  その頃此の国の詩壇は傷ましくも荒みきつて居た。新らしいものは未だ生れず、古いものは枯燥しきつて居た。  室生と私とはここに一つの盟約を立てた。我等はすべての因襲から脱却すること。我等は過去の詩形を破壊すること。我等は二身一体となりて新らしい詩の創造に尽力すること及びその他である。  その頃、室生の創造した新らしい詩が、どんなに深く私を感動せしめたことであらう、私は日夜に彼の詩篇を愛吟して手ばなすこともできなかつた。  実際、当時の彼の詩は、青春の感情の奔蹤を極めたものであつた。  燃えあがるやうなさかんな熱情。野獣のやうな病熱さをもつた少年の日の情慾。及びその色情狂的情調。何ものにも捉はれない野蛮人めいた狂暴無智の感情の大浪と、そのうねりくねる所の狂的なリズム。此等すべて彼の創造した新らしい芸術は、一一に私を驚かし、私の心にさわやかな幸福と、未だかつて知らなかつた新世界の景物を展開してくれた。  併し今や時は流れすぎた。  そして私共は、既にかうした青春時代の花やかな、とはいへいくぶん狂気じみた創造の夢を過去に微笑して観ることさへもできる。  今や私共の狂暴な破壊は終つた。──それは私共の第一番目の仕事であつた。──そして兎に角にも自己流の珍らしい建築を完成した。  ある日、街上を行く。ふと私は友の背後に立つ二つの黒い投影を見て驚いた。  その一つの影は、いぢらしくも恋を恋する少年の日の可憐な真情を訴へた彼の『抒情小曲集』であつた。そこには少年に特有なあの美しい感傷と、生娘のやうな純潔の気高さがあつた。  他の一つの影は、逞ましく肉づいた青春の情慾と健康と、及びその放蹤無恥な感情の乱酔を語つた、世にも水水しい情熱の詩篇であつた。  私は静かに友の肩を叩いて笑つた。何故ならば『愛の詩集』を懐中にした彼の現実には、あまりに重厚で静謐な中年者の姿を思はせるものがあつたからである。  とはいへ、時はまた私自身の上にも流れて居た。恐らくに私自身の背後にもまた、その同じ二つの投影を見たことであらう。  思ふに私共の、よき宴会の日は過ぎ去つた。此の『愛の詩集』に於て友の語るものは、もはや少年の花やかな幻想ではなくして、荒廃したまことの人生と現実とに接触した、彼が最初の魂の驚きを語るものでなければならぬ。  室生の芸術の貴重さは、彼が人間としての人格の貴重さから出発する。  凡そ私の知つてゐる男性の中で、室生ほど純一無垢な高貴な感情をもつた人間はない。彼ほど馬鹿正直で、彼ほど子供らしい純潔と卒直さをもつた人間はない。  彼の詩を読むものは、何びともあの天才的奔蹤を思はせる未曾有のリズムと、その何物にも捉はれない嬰児のやうなナイーヴな感情とに、絶大な驚異を感ぜずには居られないであらう。しかもかうした驚異は、同時に人間としての室生犀星を知るものが、だれしも等しく感知する所の人格的驚異に外ならないのである。  彼の神経は、近代文明の病癖を受けて針のやうに過敏であり、その感覚は驚くべく洗練された者であるにも関らず、彼の精神は全く子供のやうな単純さと、野蛮人のやうな生生した原始的の驚きに充たされて居る。言はば室生は文明人の繊細な皮膚と野蛮人の強健な心臓とをもつて生れた、近代世紀の幸福なる予言者である。  彼の生活は、今や空虚な狂熱や、耽美的な情緒に惑溺する時代を通り越した。  今の彼は、深い確信の下に人類の幸福を愛し、私共のために彼自身の立派な生活と、その高貴な感情のリズムとを別ちあたへやうとする者である。  いま彼の靴音は、しつかりとして大地を踏みつけて行く。そのがつしりした鉄のやうな腕は、すべての不健全なもの、非人倫的なもの、神秘的なもの、病感的なもの(もちろんその中には私の詩にみるやうな哲学も含んで居る)及び人生の幸福に有害なる一切の感情を弾きとばすことに熱して居る。 「この道をも私は通る」以下の詩、及び淫売婦に贈つた数篇の詩篇をよむものは、どんなに長い間、彼が霊的に苦しんで居たか、そして今の彼がどんなに健全で高潔な愛の信仰の上に立つて居るかを知るであらう。  とはいへ、彼は決してニイチエやゲーテの如き意味でのよき詩人ではない。どんな方面から見ても彼は思想の人ではない。そして同時にまたボトレエルの如き冥想の詩人でもない。  人生は、彼にとつては決して「考へる」ものではない。そして、もちろんまた冥想するものではない。  人生は、彼にとつては一つの美しい現実であり、同時にまた理想である。  人はよく生きるためには、絶えず高潔な感情を求めて、現実の生活そのものを充実した美しさの上に、がつしりと、しかも肉体的に築きあげねばならないと言ふのは、彼の叙情詩の凡てが語る所の哲学である。  かうした彼の哲学(人格の語る哲学であつて思想の語る哲学ではない)は、ある意味に於て、あの偉大なる古代ギリシヤ人のそれと全く共通する。そこには近代文明の不幸な疾病が憧憬する所の、あの美しく明るい健康の哲学がある。新楽天主義(それは未来を支配する)の輝やかしい黎明の光がうかがはれる。  要するに室生は「生れたる新人」である。そして同時にまた「生れたる叙情詩人」である。恐らく、彼はその生涯を通じて、叙情詩以外の何物をも書かないであらう。しかもさうした純潔の詩人の生涯こそ、かの音楽家のそれと等しく、人生の最も神聖なる住宅、即ち道徳及びその他の感情生活の世界を支配する最高至美の権威でなければならない。  室生の詩に就いて、特に私の敬服に耐えないものは、その独創あるすばらしい表現である。  およそ日本の詩壇に自由詩形が紹介されて以来、真に日本言葉のなつかしいリズムを捉へて、之を我我の情緒の中に生かしたものは、室生以前には一人も無かつた。  その頃、此の国の自由詩と称するものは、多くは旧来の形式を完全に脱して居ない、極めて幼稚な口調本位のものであつた。あまつさへ、彼等の表現の多くは、乞食壮士の大道演説に類したものであつた。そこにはむやみと生硬の漢語や、俗悪で不自然な言葉のアクセントや、中学生じみた幼稚な興奮や、およそさうした類の低能な感傷的表情を、むやみと鼓張した態度で一本調子に並べたてられて居た。  また他の者たちは、西洋詩の生硬な直訳を思はせるやうな、息苦しい悪い趣味の詩を発表して新らしがつて居た。そしてその他の者は、相変らず古典的な美文で、古典的な、熱のない脩辞を繰返して居るにすぎなかつた。然るに私共の求めてゐたものは、もつと鮮新で、もつと自由で、そしてもつとしんみりとした情熱をもつた、純日本言葉の美しい音楽であつた。  かうした私共の要求を満足させて、最初に日本現代語の「音楽らしい音楽」を聴かせてくれたものは、実に私の友人室生犀星その人であつた。  彼の新らしい詩の表現は、丁度、愛する妻と共に日暮れの街を歩きながら、楽しい買物の話をするやうな、平易な親しさの中に、力強い情熱のひびきをこもらせたものであつた。(愛の詩集の読者は、だれしもさうした言葉の味覚を感得するであらう。)  勿論、彼の初期の作には、尚文章語脈を脱して居なかつたとはいへ、尚且つ当時に於ける他の流行の詩(気取つたり、固くなつたり、肩を怒らしたりする)とは、あまりに甚だしく風変りのものであつた。  かうした彼の艶艶しい表現は、長く日本の枯燥した詩に不満を抱いてゐた私にとつては実に絶大の驚異であつた。  私は殆んど彼を崇拝した。──私と北原白秋氏とは彼の最初の知己であつた──あまつさへ、私自身しばしば彼の表現を模倣しようとして、愚かな失敗を繰返したことさへある。思ふに、ああした魔力ある彼の言葉は、彼の不思議な天賦の性情から、自然と湧き出づる人格のリズムであつて、断じて彼以外の者の追蹤を許さない秘密であらう。  室生の詩の特長の一つは、一般に「易しくて解りよい」といふ評判のあることである。  彼の詩が、かくも民衆に親しみをもつて居ると言ふことは、勿論、一つはその内容の上から、彼が勉めて曖昧な哲学めいた思想や、異常な神秘的冥想を排斥して、現実の強健な感情生活を高歌するにもよるのであるが、また一つには、その表現の極めて卒直で民衆と親しみの深い平易な家庭的の日常語を、自由に大胆にぐんぐんとしやべることに原因するものでなくてはならぬ。  明らさまに言へば、『愛の詩集』の後半に現はれた彼の思潮とその傾向とは、私の立場からみて全く相反目する所の敵国である。  若し私共二人が、互にその思想や主張の上で自己を押し立てようとするならば、私共はとくに血を流すやうな争論を繰返して居なければならなかつた。  けれども私共は、始から「思想のための友人」もしくばその共鳴者ではなかつた。私共が互にその対手に認めて崇敬しあつたものは、思想でも哲学でもなく、ただ「人間として」のなつかしい人格であつた。極めて稀にみる子供らしい純一無垢な性情と、そして何よりも人間としての純潔さを、私共は互に愛し悦びあつた。  ここに私共のはれがましい不断の交歓があつた。そしてまたここに彼の芸術に対する私の思想上の異議が存在するのであつた。  が、それにも関らず、私は此の詩集に現はれた、彼の驚くべき表現と、そのすばらしい人格的感情のリズムの前には、偽りなき敬虔の心で頭をさげざるを得ないものである。  繰返して言ふ、私はこの書物の著者及びその人の生活に関しては、世の何ぴとよりも深徹な智識をもつてゐるものである。順つて私の著者に対する大胆な評価は、凡てこの自信と無遠慮の独断から出発する。「此の書物こそは」私は言ふ「日本人が日本語で書いた告白の最初の真実であり、そして日本に於ける、最初の感情生活の記録である」と。 千九百十七年十一月九日 郷里にて 萩原朔太郎 朝日みなぎれ 朝日みなぎれ 吾等苦しみあがきし日の償ひに 新婦をもてるものは新郎なり。新郎の友立ちて其声をきかばこれによりてよろこび多し。我いまそのよろこびに満つるを得たり。ヨハネ伝第三章二十九  私はいく晩となく長いあいだ室に座つてゐた。そして集めた詩を一つ一つ音読して高い昂奮と眼に光を注ぎ込まれたやうな偉大とを感得した。永い間苦しんだことがありありと浮んで来て、胸やあたまの中に広がることを感じた。「苦しみあがいた日の償ひ」にするため、「本を出しておかなければ死んでも死にきれない」為めに私はたうとう十四年かかつてこの素朴な本をつくることを私の過去から酬ひられてゐた。美しい夕雲のとりどりな地平の彼方に、いろいろな生活が横つてゐるといふ幸福な想念をさへ私は明らかに感じてゐる。私にも新婦はやつて来るだらう。そして私がまだ孤独の清さを有つてゐると言つてくれるだらう。 ET ILS ÉTAIENT CONTINUELLEMENT DANS LE TEMPLE, LOUANT ET BÉNISSANT DIEU. 53. 〓(ローマ数字24) SELON. SAINT LUC.  ネルリの肖像について恩地は十枚ばかり書いてくれて、自分でネルリの顔をかいてゐると今更にドストエフスキイの大きさに驚くと言つて来た。その中のいちばん気に入つたのを本集に出した。ほんとにいい顔だ。これをぢいつと見てゐるとペテルブルグの騒音がきこえるやうだ。この本をよむ人人とともに、この精神の美しさにあふれた可哀相なこの子を愛してやりたい。この心持は飯事のやうな愛ではない。この子のことをかいた本をよむ人はきつと正しい恋と愛とを得るにちがひない。孤独な人は美しい良い女性にめぐり会ふだらう。女性はまた良き永久の男性を得るにちがひない。この子を接吻してやりたい。みんなして接吻してやりたい。(十二月八日校了の夜) エレナと曰へる少女ネルリのこと ドストイエフスキイ わが為めに若くして永きいのちをささぐる友に……  私は「虐げられし人人」の少女ネルリのことを考へた。この不幸な少女は、じめじめした棺屋の地下室で生れてから、十四歳の死際まで一つの幸福と安息とを求めなかつた。その母親(かれは公爵に弄ばされた)は死際に「乞食をしても他人の世話には決してなりなさるな」と云つた。その言葉は、この可憐なる少女ネルリの小さいからだに泌み込んだ。ネルリはその言葉を守つた。恐ろしい頑固なつむじまがりの、高慢で癲癇持ちで人の気嫌なぞを些とも気にかけない、撲ぐられてもひいひい泣いても涙を見せないやうな子であつた。人に愛されないしぶしぶした性格は、棺屋のお内儀さんの鬼のやうな因業さと、絶え間もない酷使と痛い打抛の鞭の下にあつた。私は無理無躰にこの子を折檻する西洋のお内儀さんと、いつまでも泣かずにヒツ叩かれてゐるしぶといネルリとを、ありありと目にするやうな気がした。貧窮と迫害とはこの小さな子に靴足袋をもはかせなかつた。痛い牛皮の靴の中に可憐な小さい足は冬は皹れてゐた。彼女は「働かない」暮しを厭がつた。ヷーニヤ(ドストイエフスキイ自身)といふ青年に救はれても、その心苦しさから度度逃げ出した。ある時は、彼女は橋の上で、往来する人人から一銭二銭の合力を乞うた。そして彼女は語つた。「お母さんも乞食をなさつた。没くなる時御自分で仰有つたわ。貧乏でゐて乞食をした方が……よつぽどいいつて──乞食をするのはちつとも恥かしかないわ。わたしは一人の人から貰ふのではない。一人の人なら恥かしいけれどみんなの人ならちつとも恥かしかないつて、ある女乞食が私に教へてくれたことがあるわ。だつて私はちいちやいから、何処の家だつて使つちやくれないもの。わたし乞食になるわ。」かう云つてはヷーニヤを困らした。ある時はヷーニヤの茶碗をこはしたり、寝たふりをして話を盗み聞きしたりした。苦しめ苛まれ通しの可憐な此の魂の温まるまでは永い間かかつた。ヷーニヤはいろいろ親切な愛と憐憫との限りをつくした。  意地悪さと高慢とひねくれとねちねちした性格は、だんだんヷーニヤの手熱い同情と哀れみとによつて、時には紙をはぐやうになほる日もあつた。まだ一度も世間の人から愛されたことの無かつた彼女は、ある日感激してヷーニヤを抱いた。(凡ての女の子供が喜び勇むときの抱擁のやうに)そして言つた。「あなた一人だけ、唯あなた一人だけわたしを愛してくれるわね。」彼女は泣いて発作的に抱きついて、赧くなつて、そして元の悪猾い性格に変化するのであつた。虐げられた境遇と経験とが何時も自分を不幸にするやうな位置に置いた。彼女は十四歳で、ヷーニヤ等によつて抱かれて死んだ。持前の癲癇の発作があつてからであつた。胸のお守護袋には公爵のみなし児である証拠ともなる母親の手紙が緘ぜられてあつた。けれども、彼女は最後までその生涯を、じめじめした灰色な騒騒しいペテルブルグの夕方をあちこち逍ふ「どこか品のある美しい嶮しい顔」の乞食のやうにして送つた。  私は寂しくなると書棚の方へ椅子を置いて、「虐げられし人人」のこのネルリのことばかりを拾ひ読みをした。「ではあなたも貧乏なのね。あ! あなたもほんとに貧乏なの」と彼女はヷーニヤが寝台のそばに吊る帳を古着屋から買つて戻つて来たのを見て言つた。そして今まで冷淡なネルリの目は輝いた。自分を救ひ自分を同情してゐる人も貧乏なのに昂奮して、留守の間に室を掃いたり拭いたりするところがあつた。私はこの頁へくると自分のからだに非常に良い血液を注射されるやうな気がした。世間の何も彼も知り苦しめられてゐる此の小さな魂の前では、その可憐な姿とともに隔りない善い心の加はることを覚へた。  ドストイエフスキイは、子供を描く力と、子供の微妙な性格とに衝き込んで洞察こととに鋭い理解と温かい不断の精心とを持つてゐた。「罪と罰」のソーニヤの「妹」や「カラマゾフ」の「イリヨウシヤ」や、「白痴」の「コーリヤ」や、「死人の家」に出てくる或る母親に連れられた女の子が「キリスト様の為めに取つて下さい」と云つて囚人であつたドストイエフスキイに一枚の銅貨を与へることや、それ等の凡ては何とも云へない美しい温かい或るものはいとしさと善良さとを持つて、私どもの魂へ直接に触れ囁くのであつた。  私は曾つてラ・ミゼラブルのジヤン・バルジヤンに連れられた少女コゼツトの美しさと可憐さとを書いたことがある。コゼツトに較ぶれば何といふ深い根本的な「人間として」のネルリであつたらう。コゼツトは「可憐」と云ふ心持をお人形様のやうにして見せた。ネルリは此の混濁した東京の街裏や暗い小路穴のやうな町なぞで、いつか会へさうな姿を持つて迫つて来るのであつた。悩み苦しめられたもののみが持つ美しさ(これは僕の求めてゐる美だ)に漲つたネルリであり、品のある高慢で意地悪で反比例にどれだけ凄い澄んだきれいさに満ちたネルリであつたらう。固い小さい肉躰、頑固で可愛い歩調、青い透明な病的な顔、何といふ頼母しい美しさであらう。私はそれを考へる。その小さなあらしのやうに起つて来る美しさを考へる。そして又何といふ可憐といへば可憐の限りをつくした物語りであらう。あの子はいつでも「目に見えぬ家族の一人」となつて、私の室の、あいてゐる椅子に座つて、おとなしくして靴下を編んでゐるやうな気がする。この哀れな空想は峻酷な永久な孤独の私を温める。ある日は私の魂をして永く永く欷りなかす。おおネルリ! それは何と云ふ懐かしい呼び馴れた親密さと慰安と温良とを持つて此の寂しい私に迫つて来ることか! 静かな静かな春夜! この郊外に新らしく構へた私の家の一室にどんなに私はこのネルリのことを考へ、発作的に襲つて来る孤独とその惨忍とから救はれたことか! あらゆる智識階級者の苦しんで求めて居て為らざる愛! その愛の行方! 愛の饑渇! その全てに、どれだけ私の我儘と自由と多くの時間とを幸福にして呉れたことか! どれだけ荒くならうとする自分を優柔にひき戻し、微笑せしめ、注ぎ満たし、ああ! 何と云ふ病的な可憐ないぢらしい悩みのある美しさであつたらう! この物語りをかいたあの人! あの人の永い苦闘、隠忍、貧窮、屈辱、大成、そして寛大で憐憫で慈愛で山のやうな、見上げるやうな大きさ!  これらを思へば、ほんとうに生きられる。たのしみがある。神よ、この美しい世界にたいして私をもなほ加へて下さるやう。私をもなほ彼の如く本心につねに正純であるべきことをお示し下さるやう。 底本:「抒情小曲集・愛の詩集」講談社文芸文庫、講談社    1995(平成7)年11月10日第1刷発行 底本の親本:「愛の詩集」感情詩社    1918(大正7)年1月 ※冒頭の序にあたる部分の構成は下記のようになっています。「( )」の部分は底本では明確な見出しとしては扱われていませんので、見出し注記をしていません。 (扉銘)(「みまかりたまひし……」) (扉銘)(「いまは天にいまさむ……」) (「私の室に一冊の……」) (扉銘)(「詩篇百二」) (序詩)をさなき思ひ出 (扉銘)(「フイドオル・ドストイエフスキイ」) 孝子実伝 萩原朔太郎 (「千九百十七年九月……」) (扉銘)(「哥林多前書四ノ二十一」) 序詩 愛の詩集のはじめに 北原白秋 自序 愛の詩集例言 ※末尾の跋にあたる部分の構成は下記のようになっています。「( )」の部分は底本では明確な見出しとしては扱われていませんので、見出し注記をしていません。 「幸福を求めて」の終りに 愛の詩集の終りに (扉銘)(「朝日みなぎれ」) (扉銘)(「ヨハネ伝第三章二十九」) (「私はいく晩となく……」) (扉銘)(「53. 〓(ローマ数字24) SELON. SAINT LUC.」) (「ネルリの肖像について……」) エレナと曰へる少女ネルリのこと 入力:田村和義 校正:岡村和彦 2014年5月14日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。