フレップ・トリップ 北原白秋 Guide 扉 本文 目 次 フレップ・トリップ フレップの実は赤く、トリップの実は黒い。いずれも樺太のツンドラ地帯に生ずる小灌木の名である。採りて酒を製する。所謂樺太葡萄酒であ... 揺れ揺れ帆綱よ 海上の饒舌 小樽 おおい、おおい 安別 パルプ 真岡 多蘭泊 本斗の一夜 樺太横断 小沼農場 イワンの家 豊原旧市街 樺太神社 豊原よりの消息 木のお扇子 笛 曇り日のオホーツク海 敷香 海豹島 その一 第一光景 第二光景 第三光景 海豹島 その二 ハーレムの王 序画 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 十一 十二 十三 十四 十五 巻末に フレップの実は赤く、トリップの実は黒い。いずれも樺太のツンドラ地帯に生ずる小灌木の名である。採りて酒を製する。所謂樺太葡萄酒である。 揺れ揺れ帆綱よ 心は安く、気はかろし、 揺れ揺れ、帆綱よ、空高く……  おそらく心からの微笑が私の満面を揺り耀かしていたことと思う。私は私の背後に太いロップや金具の緩く緩くきしめく音を絶えず感じながら、その船首に近い右舷の欄干にゆったりと両の腕をもたせかけている。  見ろ、組み合せた二つのスリッパまでが踊っている。金文字入りの黒い革緒のスリッパが。 心は安く、気はかろし、 揺れ揺れ、帆綱よ、空高く……  私の今度の航海は必ずしも物の哀れの歌枕でも世の寂栞を追い求むる風狂子のそれでもなかった。ただ未だ見ぬ北方の煙霞に身も霊もうちこんで見たかったのである。ほとんど境涯的にまで、そうした思無邪の旅ごころを飽満さしたかったのだ。南国生れの私として、この念願は激しい一種の幻疾ですらあった。いまこそ私は年来の慾望を果し得ることを喜んでいい。私はまさしく樺太観光団の一員として、この壮麗な高麗丸の甲板上にある。 心は安く、気はかろし、 揺れ揺れ、帆綱よ、空高く……  ハロウとでも呼びかけたい八月の朝凪である。爽快な南の風、空、雲、光。  なんとまた巨大な通風筒の耳孔だろう。新鮮な藍と白茶との群立だ。すばらしい空気の林。  なんとまた高いマストだろう。その豪壮な、天に沖した金剛不壊力の表現を見るがいい。その四方に斉整した帆綱の斜線、さながらの海上の宝塔。  ゆさりともせぬ左舷右舷の吊り短艇の白い竜骨。  黄色い二つの大煙突。  あ、渡り鳥が来た。耿として羽裏を光らせて行くその無数の点々。  煙だ。白い湯気だ。その無尽蔵に涌出するむくりむくりの塊り。  しかも、見るものは空と海との大円盤である。近くは深沈としたブリュウブラックの潮の面に擾乱する水あさぎと白の泡沫。その上を巨きな煙突の影のみが駛ってゆく。  北へ北へと進みつつある。  ハロウ、ハロウだ。 心は安く、気はかろし、 揺れ揺れ、帆綱よ、空高く……  そこで、私は支那服をつけているのだ。初めてつけたこの麻の支那服の著心地のいいことは、実に寛々としてさばさばしている。その薄藍いろの上衣には唐草模様の釦どめが鮮かな黄の渦巻をなしている。五つも六つものポケットだ。それから雪白のだぶだぶとしたズボン、利休鼠のお椀帽。  今朝から変装して見て、すこしく気恥かしいが、私には却ってこの方がしっくりする。悠々とくつろげていい。  なんと青い深い耀きをもった空の色だろう。私はマッチを擦る。抓みの厚い土耳古煙草に火をつける。  香炎、香華、香雲、香海。 心は安く、気はかろし、 揺れ揺れ、帆綱よ、空高く……  いい旅だなと、私は思う。  こうして海洋の旅を続けるのは、私としては小笠原渡航以来十三年ぶりのことである。だが、かつての南の空は明るかったが、私の眶は重かった。今の潮は暗いようでも、私の心は晴ればれしい。人生の浮沈というものは一向に測りがたいものではあるが、とにかく今の私は平穏である。少くとも幸福である。  今度という今度、廉物ではあるが私は腕時計というものを初めて購った。それからこまごまとととのえたものには洋杖蝙蝠傘、藤いろ革の紙幣入、銀鎖製の蟇口、毛糸の腹巻、魔法罎、白の運動帽、二、三のネクタイ、艾いろの柔かなズボン吊、鼠いろのバンド、独逸製のケースにはいった五、六種の薬剤、爽かな麦稈帽、ソフトカラアにハンカチーフに絹の靴下。白麻のシャツに青玉まがいのカフス釦までつけ換えて、これはどうだいとうれしがった。私は山荘の住人で、平生竹や草や昆虫ばかりの中に立ち交っているので、身のまわりなぞは清潔にはしているが、少くとも野趣そのままにちがいなかった。それがアルパカの黒背広に黒の小さな鞄を肩から引き掛けて、「さようなら、行ってまいります。」だから、それは瀟洒な、(色が黒くて肥ってはいるが)さぞ好紳士に見えたことだろう。  ましてや、誰よりも私のこの長旅行を喜んでくだすったのは私の両親であった。その前夜には、二人の弟もその妻たちも妹もそろって大森の両親のもとに集った。そうして一同が私のために盛んに杯をあげてくれた。友人としては私のいわゆる隣国の王と称する(それは童話国の王だからだ。)「赤い鳥」の鈴木の三重吉が、それこそ上機嫌でぴちぴちして、「ええのう、ええのう。」で意気が昂ったすえには、それはまことに枯淡閑寂な鰌すくいを踊りぬいて、赤い農民美術の木の盆と共に危くひっくり返りそうになったほどだ。それから私は両親の寝床の間にもぐりこんで、長い白髯を引っ張るやら、皺くちゃの乳房にかじりつくやら、ひとしきり困らしていたようだが、いつの間にかぐっすりと眠りこけてしまったらしいのだ。  当の七日の正午には、私は桜木町から税関の岸壁を目ざして駛っている自動車の中に、隣国の王やアルスの弟や友人たちに押っ取り巻かれて嬉々としている私自身を見出した。それから高麗丸の食堂ではそろって麦酒の乾杯をした。驚いたのは同行すべきはずの庄亮(歌人吉植君)が解纜前五、六分前に、やっとリボンもつけない古いパナマ帽に尻端折りで、「やあ」と飛び込んで来たことである。「アッハッハ」と豪傑笑いをして一寸頭を掻くと、首をすくめて、 「なに、いや、そのう、銀座でこれをやっていたんでね。」と左を利かせる。あくまでも飄々としていたものだ。 「こりゃああぶないぜ、吉植君、これから上陸する時には、よほど気をつけないと、それこそ鬼界ヶ島の俊寛ものだよ。」  誰やらが一本参った。 「いや、大丈夫、僕がついてるから。」 「その兄さんがまたあぶないからな。」 「そこは俺が引き受ける。」 「どうだか、二人ともさぞきこしめすだろうな、こいつあ、どっちも剣呑だ。」  また後ろで奇声をあげたのがいた。  ジャランジャランジャランと銅鑼が鳴ると、税関前に降りた一同はしきりに万歳をとなえてくれた。それから各自にカメラを向ける。活動写真を撮る。私たちは帽子を振る。次第に遠く遠く、小さくなってしまった。 イツテクルヨ、ランランラン  こう私は小田原の妻子へ打電するように弟に頼んだが、船が出ると船員が私の前に「電報がまいっております。」と私を探しに来た。 イツテラツシヤイ、バンザイ、パパ、バンザアイ  私は微笑した。そうして竹林の中の草深い私の家を、土間の篠竹を、また紅い芙蓉や黄のカンナを、妻と二人の子を、その一人は生れてやっと一と月にしかならぬ篁子のことを、夜はまた満天の星座と浪の音と虫の声々とに闌けてゆく壊れかかった二階のバルコンと寝室とを私はまた心にふり返った。  健在であれ。 心は安く、気はかろし、 揺れ揺れ、帆綱よ、空高く……  とにかく、幸先はわるくない。私はまた紫の煙草に火をつける。  や、鯨だ鯨だと騒ぐ声がする。下甲板だろう。  まあいい。そこで、今度の話は印旛沼の庄亮君の宅を訪ねた時に初まるのだが、彼は鉄道研究会員の一人で、新聞聯盟の外報部長であるところから、鉄道省主催のこの観光団に五、六人の同勢と乗り組むはずになっていた。そこで私も勧められたが、その時には何故か浮きたたないで、行くとも行かないとも確答はしずに酒ばかり飲んで帰った。が、妻に相談すると、連れはいいし、またとない好機会だから是非行らしったがいいと、しきりに煽り立てた。と、急に足元から鳥の立つような騒ぎになって切符を申込む、印旛沼へ電報をうつ。それでももう締切にぎりぎりとかで二等の最後の切符がやっとしか手に入らなかった。ところを、研究会の同勢が沙汰止みになって、庄亮君一人となった。で、私はいい工合にその寝室として当てられた最上の特等室に割込ませてもらった訳なのだ。無論増金は出したが、私のために庄亮君が宣伝これ努めたお蔭であるといっていい。  何といってもこの船一の特等室である。談話室と寝室と便器附きの広い浴室と、三室続きの豪奢なものだ。つい前まで関釜連絡船としてのこの船のこの特等室は朝鮮総督の使用室だったというのである。私の親愛な友人は私を大きな寝台に寝かしてくれて、自分は談話室のソファを仮寝台にこさえさして寝た。そうして、さて改まって私を朝鮮の王様と披露した。  朝鮮の王さまもおもしろい。万事のんびりとやってやろ。  そこでこの支那服だが、これはむろん私のものではない。昨夜、そうだ、この船での第二夜、一等の食堂で、期せずして私たちの間に童謡音楽会が開かれた。どうせみんなが酔っていた。私の周囲にはいつのまにやら三等客の学生たちが有りったけの蛮声を張りあげていた。ピアノを弾く者もいた。踊る者もいた。それをまた覗きに来て、ぞろぞろとはいり込む人々で食堂がいっぱいになった。方々の窓にはまた黒い赭い白い顔と手とが鈴なりにぶら下った。その時、大柄ののっぽうの、それでいていつも棗のような顔をして眼の細い、何か脱俗している好々爺が著て来たのがこれであった。 「これはいい、僕が貰っとく。」  そこで、私の麻の浴衣と脱ぎ換えさしてしまった。すると、背の低い小さい小さい実直そうなお爺さんの頭にのっけた鼠の頭巾が目についた。 「お爺さん、その帽子はいただきますよ。」  小さなお爺さんはちょこちょこと私の前に来て、その頭巾を「へい、どうぞ。」と差出した。 「朝鮮の王さま出来ました。」と誰やらが頓狂に叫んだ。  一同礼拝、ハハッ、であった。  こうして身につけてしまったのであったが、朝になると、浴衣と帯とは談話室の椅子の上に畳んでキチンと載っけてあった。となると、支那服は返さねばなるまいが、どうにも欲しい。で、朝から両手に桜麦酒をかかえ込んで遊びに来た九州は福岡の読売新聞の支局長だというY君に、 「どうだね、これは貰っときたいが。」とやった。 「かまいませんさ。私が話しときますたい。著ておいでなさい。」  欲しいものは貰ったがいいだろうと私も思った。 「ちょっとそういって来ますたい。」と、とつかわY君は飛び出した。やっぱり九州人はいいなと思ったものだ。 「大丈夫、くれます。」 「しめた。どうしたい。」 「何ですたい。」と、どかりとソファに身体を弾ねかえらして、薄い口髭をちょいとひねった。円いはじきれそうな赭ら顔のすこしく釣った眼尻を仔細らしく細めると、両腕をテエブルに、そして肩を怒らした。どう見ても快活な佐賀男だ。 「話して見ましたもんな。あの爺さん、何でもあれを神戸で買うて来て、たった一度しか手をとおさないちいいましたけんな。なに、ちっとばっかり惜しか如しとりましたたい。そげんかこついうたっちゃでけん、あげなさい、何か書いてもろうてやるけんよかたい。そげんか支那服いつでん金ば出しゃ買わるっじゃろが。よかよか、俺が善うしてやるち、うんと恩着せて置きましたたい。そしたら喜んで進上しますといっとりますばい。」 「しかし、惜しがってるのを無理に貰うのはいけないな。」 「うん、よかよか。とっときなさい。短冊でんくれてやんなさり。そっでよかたい。」と片手を仰山にうち振ると、それからまた麦酒をグッとひとあおりだ。 「あん爺さんもおもしろか。何でん、下の関で車輛会社をやっとるちいよったが、うん、やっぱり変っとる。いまに酒でん提げて来させまっするたい。」  元気旺溢である。 「そりから、まだえれえ奴がおりますたい。肥前の呼子ち知っとんなはろが。彼処ん王さまん如っとたい。よか親子ですもんな。三等に乗っとりますばってん、そりゃ貴族院議員の資格もあるちいいよりましたばい。鯨ん鑵詰ばこさえとる。全国に出しますもんな。彼ば引っ張って来う。今度呼子においでたなら、そりゃよか、学校ん生徒でん何でんお迎い出すちいよる。」 「鯨の髭さ。ありゃうまいや、粕漬だろう。君。」 「鯨ん鼻ん骨ですたい。輪切がえらかもんな。そりゃ珍らしか。好いとんなはるなら送らせまっしう。うむむ、後で連れて来う。」  ここで話が一転して、もう一人の支那服の白髪のお爺さんの噂へ移る。  私はそのお爺さんが初めから目についていた。日本人には珍らしい、若い時はさぞ秀麗だったろうと思える、禿げ上った頭のそこらに、真っ白い縮れ髪がもじゃもじゃして鼻の太くて高い威風堂々とした朱面の持主である。タゴールそっくりといっていい。いや、それよりも厳ついかも知れぬ。それが白い麻の支那服を著て、一等の談話室の、ラジオの黒い喇叭が二つ背中合せに立っている緑の大卓を前に控えて、ポケットから大きな眼鏡を取り出すと、白髪頭をひと振り振って両耳へ掛ける。何か書類をいっぱいに拡げて、それは精密に書いたり調べたりしている格好を見ていると、まるで白い牡牛のような活気と精力とが充ち満ちていそうであった。 「おい。」と、昨日の朝だったか、庄亮が私の袖を引いた。 「あのお爺さんどうだい。みんながね、白秋さんはどの人だろうと探している様子だから、ひとつ、あのお爺さんがそうだといってやろうかね。おもしろい。」 「莫迦いえ。あんな白髪のお爺さんにされちゃあ困る。」 「いや、いいよ。あれだあれだ。」と頭をかかえて笑い出した。  その話がまた出ると、 「まあいいさ。ゆうべですっかりお里がわかっちまったんだから。」 「あのお爺さんも余程おもしろかったと見えて、おしまいまで、一緒に飲んだり跳ねたりしていたぜ、君。」 「知っとる、知っとる。ほんに酒好きけんな。飲ます事ちなか。とてん偉えお爺さんの如る。」 「それでむしょうにうれしがっていたぜ、君。そして君のことをまるでやんちゃの赤ん坊だ、あれでなくちゃ詩も歌もできまいと。」 「君の稲葉小僧の新助もだろう。」  アッハッハッと、政友本党では幅利きの吉植庄一郎氏の令息で、法学士で、政治ぎらいの、印旛沼は出津の開墾家の、お人よしの、どこか抜けている坊さん風の、歌人の、わが友庄亮が頭を叩いて、「閉口閉口。」と元から細い眼尻を一倍細くして、赤い顔をした。  何でも、今度の観光団は面白そうだとなった。一同で選挙した団長が日露役の志士沖禎介の親父さんで、一等船客の中には京大教授の博士もいれば、木下杢太郎の岳父さんもいる。中学校長もいれば有名な富豪もいる。銀行の頭取、牧畜家、材木業者。それに二、三等にも山持ち、汽船持ち、芸術写真のKさん、小学校長、学生、西洋画家、宿屋の主人、等の種々雑多の階級の人たちが全国から三百幾人と集まったのだ。それが、まだしっくりとはとてもうちとけないで、何かしら気づまりで固く鯱こばっていたのが、昨夜の童謡音楽会でさらりと流れ、ふわりと和らいでしまった。 「とにかく、あれでよかったんだ。」  そうだと私も思った。  と、「先生はおいでですか。」と誰やらがいきなり飛び込んで来たものだ。 「明日仮装会をやるんだそうで騒いでいますが、皆さんに御賛成を願います。なんでもこちらに出ていただかないと、どうもなりませんで。二等船客総代という格で伺った訳なんですが、是非どうかひとつ御声援を。ええ。」 「うむおもしろか、やろ。」とY。 「これでいいんですか、この支那服のままで、それならかまいませんよ。」 「やあ、結構です。ではお願いします。どうせまた明日引っ張り出しに来ます。」 「いやあ。」といっているうちに、またポンと飛び出してしまった。 心は安く、気はかろし、 揺れ揺れ、帆綱よ、空高く……  まったく汽船の旅はいいなと思う。ことに夏の海上くらい爽快なものはなかろう。  第一日は室内の整理やら、入浴やら、何かとそわそわとして暮れてしまったし、明るい食堂の晩餐をも虔ましく片隅に寄って済ました。それから一等の談話室を覗いたり、甲板の籐椅子へもたれて見たり、自分の寝台へ帰って仰向いたり、まだ十分の落ちつきは得られなかった。甲板での活動写真の催しも、いたずらに人寄せの技師が不馴れで、ただ急造の白幕に白い円ばかりを出して、そのままコチコチコチコチで中止になってしまった。  ただ、J・O・A・K、こちらは東京放送局であります。と、はっきりと大きくは唸ったものの、すぐとその後から、ゴウゴウゴウと何処かの無電がしっきりなく邪魔をしかけて、それからの義太夫も太棹も聴いてる方で頭を鑢でこすられるようで苦しかった。  翌朝はまだ暗いうちから取り騒いだが、大洋の黎明は何ともいえずすがすがしかった。そのうちに珈琲が来る。謄写版刷の高麗丸新聞が配られる。この第二日もいい凪であった。私は午後無線電報を続々と諸方に打って貰った。昨日の御礼である。  妻子には、 トクトウニカハツタ、イマヨコハマヨリ二〇〇ノツト、 イチロヘイアン、アア、ヒロイウミ、アヲイウミ  また、ある東京の友人にはこうも打った。 アア、ソラトウミ、ナミヲハシルハエントツノカゲ  私はまた環投げの遊戯に加わった。それに正午にはまだかなりの間があるうちから、しきりに腹が空いて、昼餐の合図の銅鑼ばかりが待たれて困った。ベルを押すことベルを押すこと。 「紅茶を二つ。」 「こんどは珈琲だ。」 「菓子、菓子。水菓子。林檎林檎。」  遠い、いささか薄紫に煙った北方の空を鴎が幾むれも翔った。  ひろいひろい大うねりの黒い波間には、小さな鴨ほどの海鴫が揺られ揺られて浮いたり沈んだり、辷ったり、落ちたりしている影も見た。何という落ちついた叡智の持主であったろう。その羽は黒く紫に、その嘴は黄色く、よく横向に尻尾をあげあげ辷った。  それに船側に添って乱れて駛りのぼる青い腹の、まるで白竜のような新鮮な波の渦巻と潮漚とをつくづくと俯瞰しては、何とか歌にまとめようと苦吟もして見た。  午後になって、左舷の遥かに金華山らしいのが眺められたが、航路というものは、海岸線には添いつつも、なかなかに近くへは寄れないと思えて、おおかたは空と海とのかぎりない大円盤ばかりを周りにして進んで行くのだ。 「ここまで来れば、何も彼も忘れてしまいますね。」とある船客は幾度かの深呼吸の後で、哄然としてその笑いを放った。 「無だな。」とまた誰かがその言葉を飛ばした。 「ロウリング、ロウリング、ロウリング。」と、ある少年は両手と両足とを思うさま踏鳴らして舞って廻った。  何処やらでは、のうのうと、声をそろえて羽衣を謡っていた。  笛を吹く人もあった。  まったく、大洋はいいなと思った。  何が世の騒壇であろう。幽人高士のあまりに少い今の乱脈さは、その気品の低く、香気の薄く、守ることの浅い不見識は、あの市井無頼の徒たりとも口にすることを恥ずる暴言と態度の賤鄙と(いや、それよりも下俗な覆面の残虐と私情の悪罵と)あの卑劣とは何事であろう。あの狭隘さは、あの某々雑誌の喧々囂々はいったい何事であろう。あの無秩序な、無差別な、玉石も真贋も混淆したあの評価は、あの妥協は、あの美に対する放恣な反逆は。  私がもし秦の始皇帝ならば、焚くべき書、埋むべき坑はいかほどあるか。私は相応に知っている。決して文芸に就いては風俗壊乱のみを狙うべきでない。しかもその行使はほとんどが美への冒涜が多い。むしろ秩序紊乱の罪悪がどれだけ芸術の正しい品位を破るか。近代は澆季なりと時の人が嘆いたあの戦慄すべき保元平治時代よりもまだまだ今日の芸術界の一部は浅ましい。堕落しきってるような気がする。  芸術とはあんなものでない。大乗の、大雅なものだ。  この空を、この雲を、この風を、この海を、この光耀を見たがいい。  私は今日も、空を吸う、雲を吸う、風を吸う、海を吸う、この光耀を吸う。  ハロウだ、まさしく。 心は安く、気はかろし、 揺れ揺れ、帆綱よ、空高く……  また、腹が空いた。もう昼餐の銅鑼が鳴るのもじきであろう。  どれ、ケビンの甲板に下りて見ようかな。  や、ゴルフをやってるな。  誰だ、いったい。あの桃いろのスカアトを跳ね跳ねして、まるで乳房の張った馴鹿のように踏っているのは。  すばらしい、すばらしい。 心は安く、気はかろし、 揺れ揺れ、帆綱よ、空高く…… 海上の饒舌  銀の雄弁といいたいが、これは銀鍍金の饒舌だ。  またなんと恐ろしくしゃべる、ちょっぴり髭の赤いぺらぺらの舌であろう。  私は呆れて見入っているのみだ。  時は八月の九日午後二時──三時、処は横浜を北へ去る少くとも五百海浬の海上、今やまさに津軽海峡の中間を進行しつつある観光船高麗丸の後甲板。  演者は誰ともわからぬ。  俗間に濶歩するお一二の学生帽に紅の帯紙を貼りつけ、黒い髭をぴんと生やし、詰襟の黒服の右肩には緒縄か何かのまがいの金モウルを巻きつけ、両の筒袖にはまた銀星をちりばめた幅広の紅紙を巻き、腰にはブリッキの手製のサアベルをさえ吊るし、さて、そのサアベルの柄頭に左の手を後へ廻り気味に当て、腰をかまえ、りゅうと胸を反らすと、右の手で黒骨の金に大きな朱の日の丸の玩具の軍扇をサッと拡げて、口元近く煽いだり裏返したり、上げたり下げたり、時には「えへん。」と声づくろいをしてからに、得意気に、やや諛って、ええ、さてと、帽子の鍔を一つ叩くと、  まず、初めは、「近頃流行の安来節」と手前口上で、一歩退ると、えへんとやったものだ。さて、この海軍参謀、ちょんがらちょっぴりの小男でござい。 安来千軒、名の出たところ、  コラサッと、この時、笊を前のめりに、ひょろひょろと、横っ飛びに蹌けかかった黒んぼがある。此奴の面の黒いこと、鍋墨と墨汁とを引っ掻き交ぜて、いやが上に、処きらわず塗り立て掃き立てたと見えて、光るものはただ両つの白眼ばかりの、部厚な唇だけを朱紅に染めてから、てっぺんから孔のあいたお釜帽子に、煤いろの襤褸の腐れ鰊の臭気でも放ちそうなのに、縄帯をだらしなく前結びにして、それも画きちらした髯むじゃの黒い胸をはだけ、手も足も、それこそ真っ黒々に汚ごしきって、すなわち早速の鰌すくいと来た。 コラサッ。  それは頓狂な、両肩両腕を大袈裟に振り立てる。爪立ち、蹲んでくるりとやるかと思うと、ひょくりと後足で跛をひく。とんとんとんと笊を拍子で、スッと掬うと、また腰を使う、右を見たり左へ傾いだり、眼を剥き、でんぐり返すと、そのまた、反頤を突き出し、突き出し、またひょくりとやる。鼻はこする、水っ洟はかむ。笊の中は掻きまわす。嗅いで見る。おくびはする。穢ならしいの、厭らしいのといったらないのだ。淫猥とも俗悪とも、それがその悪達者なだけにとても見るに堪えない代物なのである。 社日ざくらに十神やま  やんややんやと、観衆が笑いこけこけ喝采する。手をたたく。それをいいことにして、 「ええ、今度は詩吟入り、おなじく安来節。」と日の丸の軍扇が胸を叩く。 「よし来た。コラサッと。」  黒んぼの奴、すっかりお調子に乗って、いよいよ出でていよいよ妙ちきりんな姿態をする。跳ねる、飛ぶ、眼で媚び、股でひねる。日の丸も負けず劣らずである。味をやる、きいきい声を出す。  ああ、日は小さくもないのにな。夜になれば夜で、月も星も光るのにな。  考えると、踊にも高下がある。それは踊る人の気品によるのだ。すぐれた気品は表現以上の心法の鍛錬から来る。つまりは内から映発するのだ。奥の奥の人柄の香気だ。芸は道なり。深く心を潜めてこそ行為にも光る。詩を生むのも踊に現わすのもその精神とするものは凡ては一つで、二つではあるまい。この流通こそはおのずからに現われて来るものだ。だからたとえば、私も踊る。ではあるが、私の踊は父とも母とも妻とも子とも弟ともおどれる踊だ。三重吉の鰌すくいも、あのままがあの人の芸術と同じ高さの心で現れる。踊の玄人にしろその心の鄙しさをその巧妙な手振りでは蔽いかくせぬものがあろう。だから、これは教養だ、人だ。  鰌すくいはそこらの百姓が踊ればそこらの鰌はすくえるであろう。だが、月の光は、星のまたたきは、田水の、または根芹のかおりは、土の香は、青い鰌の精霊は、品の低いともがらにはすくえない。  月の光を切々とすくう鰌すくいの端厳さはかつての鏡花散人も見たものだ。  それに、何ぞや、この日の丸は、黒んぼは。  さて、それでも黒んぼの鰌すくい、流石におしまいにはへとへとに疲れたと見えて、くるくるくると小鼠のように転廻すると、右手に並んで取澄ました仮装団のまん中へとどたりわアところげてしまった。と、白粉べたべたの洋装婦人の立膝がもろくもぶっつぶれて、「あ痛っ、こん畜生。」となる。大笑いだ。  ところが、金モウルの日の丸の意気はいささかも衰えないから呆れたものである。 「さて、このたびは追分。」  やや仰向き加減に眼を細め、口をすぼめて。それでも美い声は出る。 大島ア………小じまアの……… あいとお……るウ……ふねエエエは… 江差し……がよ……いかアよオ……… なつかし…イイ…や…………………… 「もうひとつ。」 帯も……十勝……に………… その…ま……ま……ねむ…ろ……… 落石…イイ……なみだ…は………… ほろい……ず……ウウウ…ウ…み…… 「うまいぞッ。」と声がかかる。拍手拍手。 「ええ、今度は新潟甚句。」「ええ、さてその次といたしまして三がい節。」「関の五本松。」「さのさ。」「喇叭ぶし。」「キンライライ。」「へらへらへ。」「八木ぶし。」 鈴木主水というさむらいは 女房こどものあるその中に、 きょうもあすもと女郎買いばかり。……… カッタカタア、カッタカタ。 「ええ、こんどはストトン節、籠の鳥、枯れすすき、鴨緑江、まったく以て休憩なしのぶっつづけとござい。」  それがやっと済むか済まぬに、また姿勢を立て直すと、やりもやったり、 「ええ、さて、今度も一人で代りあいまする事なり、流石に代りばえもいたしませぬが、えへんのえへんのえへん、烏賊捕口説とどうじゃいな。」 励む、サーイ、励む励むと烏賊釣商売、今日はよい凪、日も入りござる。勝浦、法木の島船、小船、浦の真船の出鼻を見れば、姐も妹も皆乗り出して、艪をおし押し、にまきの先に、おせなおせなとさぶかぜ通れば、凪もいし、かつまを通れば、せじた宵烏賊、せがらし宵烏賊、ながせながさき流れて通れば、風は南風で、下り帆が早い、おしゃく沖から錨を下ろす。波も静かでねぶりすりすり、簑鞘はずす。空のすんばり、荒崎沖よ。明星出れば船足遅い。遅い船足たのしり沖よ。これでなるまい、楫をかきかきおとじをはずす。おとじはずせば法木の前よ。ちかちか明の鴉の鳴くこえきけば、首尾えい首尾えいと島中に告げる。内の婆さまたち早や目をさます。にまにつきたる子供のはても、遊ぶひまなく大漁繁昌で暮らす。ヤンレ。 「ええ、地蔵舞歌とはどうじゃいな。」 なにかかにか出そうだ。なにかかにか出そうだ、何舞とかに舞と、地蔵舞を見さえな。地蔵舞を見さえな。地蔵よ地蔵よ。地蔵は尊だから、何して鼠にかじられべ。鼠こそ地蔵よ。鼠こそ地蔵なら、何して猫にくわれべ。猫こそ地蔵よ。猫こそ地蔵なら何して狼に負けべ。狼こそ地蔵よ。…… 「さて、東西東西、魚づくしはどうじゃいな。」「野菜づくしはどうじゃいな。」「鱈捕口説はどうじゃいな。」「何とか何とかどうじゃいな。」「謎々何とかどうじゃいな。」 何とか何とか何とかで、何とか何とか申すなら、何とか何とかべいしゃらで、何とか何とがべえしゃらで、そのまた何かが何とかで、ええ、何とか何とか何とかじゃあ…………  立板に水というが、これはまた高粱畑に榴散弾でもぶち撒くように、パラパラペラペラと、よくその舌のまわることまわること、一人で二時間立てつづけの、早口の、とても目にもとまらねば耳にもとまらぬ薄っぺらの赤い舌の先きのプロペラではある。 「えろう、早うおまんな。何というてやはるのやな。」 「へへん、雲雀の生れ代りだっせ。あかん。」 「あやつアくさい。気狂じゃろうのう、あんまり饒舌らすもんな。」 「どうしましたい。まだやってますかい。やれやれ。」 「驚いたね。よくもあの舌が廻るもんだな。ハーン。」 「えれえ、えれっちゃ。」 「ヤハハイ、ヤハイ。」と少年たち。 「止しやがれ。」ピーと誰かが口笛を奔らす。 「ああ、ああ。」 「ああ、ああ。」 「ああ、ああだ。」 「はあ、へえだ。」  初めはその諧謔、淫靡、精根、類の無い饒舌の珍らしさに、後から後からと黒山のように群って、盛んに拍手し喝采もしていた聴衆も、あまりの目まぐるしさに、それに長い時間をたった一人で遮二無二押しとおすその単調さに、ぼつぼつと、ああああと欠伸し出して来た。 「誰だい、いったい、彼奴は、船客かい、船員かい。」 「誰だか、何だか、海坊主でも匍い上ったもんらしいぜ。これからそろそろ韃靼海だからね。」  誰ひとり、その銀鍍金の饒舌家を知る人はなさそうに見えた。何でもうまく変貌していたにちがいない。  ところで、前に書くはずなのを、うっかりしていたが、ちょうど、この日の昼餐が済むと、直ぐから、二等船客発起の仮装行列なるものが、それこそジャランジャラン騒ぎでケビンの甲板を一周し二周したものだ。私までが幾度も幾度も引っ張り出されたが、今更となると、どうにも気恥かしいのだが、後からただ蹤いてまわるには蹤いてあるいた。おそらく、何の工みもなく、ただ支那帽に支那服のままで、いつもの通りに自然にあるいていたのは私一人だったろう。だが仮装といえばいえるであろう。素面といえば素面であろう。粉飾するのみが仮装ではないのである。  壊れバケツに金紙の両眼を貼り、金の髭をつけ、それを一人が冠って、その頭から青毛布の波を躍らしうねらし、一人がその尻にもぐって担ぎあげて、飛んだり跳ねたり、それが日本医専の獅子舞であった。このバケツの獅子を先頭にして、箒を負うもの、炭取函を首から掛けるもの、例の黒んぼ、赤い風呂敷のスカートの紅毛婦人、支那人、宣教師、按摩、軍人、ヤンキー、アイヌ、似ても似つかぬ世界各国の人種共がそれは滑稽百出で練りあるく。見るから汚らしくて乱雑で愉快でないところの非美術的な一列であった。それが、観客のなだれに押しまくられ突きまくられて、とどのつまりが船尾の一端に坐り込みの、芸づくしということになったのである。  だが、青毛布のバケツ頭の金の眼の獅子の勇気は譬えようもなかった。まことに獅子こそは百獣の王だと見られた。しかしだ、それも二度か三度か跳ね廻ると、意外にもくたくたと解体して、青毛布は尻尾の方にずるずると持って行かれてしまった。それから黒んぼの鰌すくいだが、これも汗みどろの大吐息で、顔から手から白斑になってしまった。ヤンキーでもアイヌでも歌わせれば歌えそうにも立ちつ坐りつしていたが、それもただ千年も万年も続けば続きそうな日の丸の独り口説にいよいよ気を腐らしたものか、または八月の暑熱に倦じて軽い眩暈でも起したものか。うとりうとりと、傍から傍から寝ころんでしまった。  それにもかかわらず、「何とか何とかどうじゃいな。」はたった一人でもおかまいなしの、ペラペラペラで、いつになったら止まるものか、そうした気配の微塵でも見えぬ根気よさには、いかな辛抱づよい静観者の私とてもひた呆れに呆れて、ただもうおとなしく引き退るよりほかはなかった。  で、私は甲板をひと周りした。どうにも頭が病めてしかたがなかったのである。  が、私はその後甲板へ帰って見ると、それこそ眼を瞠って驚かねばならなかった。  あのペラペラが、日の丸がフッと掻き消えていたのである。そればかりではない。仮装の連中も観客の一人の影さえ、もう其処には見られなかった。ただ、一面に日の照らしが白く明るく、板と板との継ぎ目の塵埃屑のにじみさえが光り耀いていた。午後四時過ぎの涼しい静謐が其処にはあった。帆綱や欄干やケビンの何かの影も映っていた。  それは一時間と経つことか。たった十分か十五分のほんのちょっとした短時間のことである。それがどうだろう。あの恐るべき饒舌の何の名残も、あの金扇や日の丸の朱も、チョビ髭も、サーベルも、金モールも、お一二の帽子も、何一つとして、其処には影の影だに止めて居らないのだ。初めから何の踊りも口説も演歌も、あの淫靡も悪趣味も、其処には起らなかった、そうしたことを夢みるのはまるで痴人のたわいもない幻想としか考えられなかったのだ。 「何と驚いたお饒舌り家だったろう。だが、何と驚いた雲散霧消だろう。まるでお饒舌りの神様見たいな奴だったが。いや、お饒舌りの神様だったかも知れんて。」  私はまたあたりを眺めまわした。  津軽の連山は幽かであった。だが、北海の丘陵は右舷に近く迫っていた。何という雑草の青の新鮮さ。海はまたかぎりなく明るかった。やや紅と金とを交えた牛酪いろの一面のはるばるしい漣であった。いよいよ夕凪だなと、私は私の船室の方へ、穏かに、また安らかに歩みを返した。 小樽  旅にまで来て、十五、六年前の幽霊をかついでまわるのは何という愚かなことだと、私はつくづく朱筆を投げてしまった。小樽の色内町のキト旅館の二階での歎息である。私は処女歌集の、「桐の花」の改訂をやっているので、その校正刷をここまで提鞄にしこたま詰め込んで来たものである。しかも私の校正なるものは普通の校正ではない。ともすると改作になる。改作というより全然の新作が加わる。 乳緑のびろうどの河豚責めふくらし昨日も男涙ながしき  こうした歌を校正しているうちに さみどりのちひさ河豚の子上げ潮のしほさゐ安く群るるこの頃 という風の歌が出来る。そうした時には、私はきっと二十七歳の夏の私に還っている。ちょうど第二詩集の「思ひ出」を上梓した頃だ。私は筋肉炎という未だかつて聞きもしなかった病気にとりつかれて蠣殻町は岩佐病院の一室にほとんど五十日余も入院していた。大手術を受けたのであった。その病後の療養に、私は小田原の御幸ヶ浜へ一と月ばかりほど転地していたことがあった。ああ、あの頃だったなと思うと、私の追憶には青い青い広重の海の色や朝夕の潮騒の音が響いて来る。何かにつけて涙ぐましい自分であったなと思う。 あかしやの花さく見れば水の上にはかなき夏の夢もやどりぬ 片恋のわれをあはれと鈴麦の花さく傍を通ひ来にけり 夕青き微光の中をあがりゆく足長蜂は足を垂らせり 玉赤き蝋マツチする草のなかすでに蛍の臭気むせべり  こうした所縁の深い新作が増補として、「第二桐の花」としてでも加えられねばならない恋々たる気持にもなる。何という情痴であろうと果敢なくもなった。  ああ、あの頃だ。私は若かった。木下杢太郎も吉井勇も長田秀雄も若かった。ゲエテの門番の孫で、伊上凡骨の弟子の猿づらの彫刻家独逸人のフリッツ・ルㇺプも若かった。桐の花とカステラの時代だ。緑金暮春調の時代だ。紺と白との燕や骨牌の女王の手に持った黄色い草花、首の赤い蛍、ああ屋上庭園の青い薄明、紫の弧燈にまつわる雪のような白い蛾、小網町の鴻の巣で賞美した金粉酒のちらちら、植物園の茴香の花、大蒜の花、銅版画は司馬江漢の水道橋の新緑、その紅と金、小林清親の横浜何番館、そうして私たちの「パンの会」、永代の一銭蒸汽と吊橋、小伝馬町は江戸の白い並倉と新しい東京の西洋料理店、椅子に三味線、紅提灯に電灯。切支丹伴天連の南蛮趣味。 春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外の面の草に日の入る夕べ 歎けとて今はた目白僧園の夕べの鐘も鳴りいでにけむ 鐸鳴らす路加病院のおそざくら春も今しかをはりなるらむ 草わかば色鉛筆の赤き粉のちるがいとしく寝て削るなり いつしかに春のなごりとなりにけり昆布干場のたんぽぽの花 手にとれば桐の反射の薄青き新聞紙こそ泣かまほしけれ 横網に一銭蒸汽近よるとまはるうねりも君おもはする  こうしたわかき日の抒情歌にうき身をやつした軽い背広の私ではなかったか。 あかしやの金と赤とがちるぞえな、 やはらかな秋の光にちるぞえな。  あの小唄は私の爾後の歌謡体の機縁を開いた。永井荷風氏が褒め、新しい「白樺」の人たち、武者小路、柳、志賀、里見、萱野の諸君までがロダン号の巻頭に寄せ書して、あれを読んで片恋の身に相成候とか何とか盛んに慇懃を通じて来たものだった。そうだ、あの少し以前に、私たちの雑誌『屋上庭園』は私の官能の色濃い新詩「おかる勘平」で発売禁止になったものだ。ちょうどその晩に、小伝馬町の三州屋の階上で、荷風、有明両氏をはじめ私たち「パンの会」の一連が集って盛んに鬱憤を晴らしていると、その席へ有島生馬君の携えて来たのが『白樺』の創刊号であった。それから時代が次第に浪漫派から人道主義に転々して行ったものだったな。それにいわゆる新感覚派の芸術といえそうな開放運動はあの以前木下杢太郎や私なぞが夙うに済まして来たものだったな。  だが、時は過ぎた。赤い蒸汽の船腹の過ぎゆくごとくである。 「かお、かお、かお、かあ、くるっくるっ。」  や、鴉だなと私は向うの電柱の頂辺を眺める。無数の白い碍子と輝く電線、それに漆黒の鴉が四、五羽も留っている。紫に見える。 「くるっくるっ。」  これは鴉の独語である。実に円い音をころがす。上機嫌の場合にそれが限るのである。  鴉は並んだり、向きを換えたり、上へ跳ねたりする。子鴉だなと私は見ている。と、葛飾の生活が目に浮んで来る。私は子鴉とよく話をした。よく遊んだ。しかし、それが今に何の係りがあろう。  この現実の灰色の亜鉛屋根ばかりの、それでいて尖った旧式の装飾頭をつけた棟の連続、汽船の煤煙、薄ら寒い輝かぬ海港、雲の群れて曇った空、そうした見馴れぬ北国の風物に直面している私である。埃と雨との沁みついた硝子障子はことごとく閉めきったままだ。習慣とは恐ろしいものだなと思う。それにどの敷居にもただ一筋しか開閉の途がついていないのだ。それでいて、流石に夏は夏である。暑い、蒸される。それでいてまた、硝子障子がガタガタと響く、風が吹きつける。  だが、せめて北の方でも一枚ぐらいは開けてもよさそうだと、私は卓上電話の受話機を採る。とその埃りっぽい薄膜の耳がポロリと落ちる。それを慌てて継ぎ合せて「もしもし」である。  鳶のような大鴉がまたしっきりなく屋根から屋根へとわめく。 「小樽というところは鴉の多い港だよ。」私は小田原の我が子へ書く。 スイカダ、スイカダ、ランチ、ランチ  つい、着いたばかりに発信したが、あの高麗丸から海岸の西瓜の山を瞥見してそれこそ子供のように小躍りした鮮新さや、青や白や鼠色ランチの馳せちがう、やや煙で黒っぽい油絵風の画趣からも、今はもう午前十時の観想は離れてしまった。  そこだ、現代の未来派でやっつければ、 鴉、鴉、鴉、鴉、 灰色、灰色、灰、灰、灰、亜鉛、亜鉛、亜鉛、 尖塔、電柱、線、線、線、 +×△□、!!!!! 2幽霊、H2O 過酸化マンガン。チリチリチリン。 である。  私はまた「桐の花」の校正刷に目を移す。船中でもこれのお蔭で随分と陰鬱にもされた。弟の書肆では急いでいる。初版通りで済ませば済むものを、旅先まで昔の幽霊を背負ってあるく自分も自分だなと深い心の底から溜息も出る。それでも、何とか一、二字を生かせば生きるあの頃の真実も目につく。青春は二度とない。見果てぬ夢の香気と色とは今だに連想の林に薄紫の桐の花を靉々と匂わしたくなる。考えるとまだまだ歌い残したものが夥しい。かといって、あの現実と空想との限界もつかなかった年少の恍惚とほの甘い感傷とは、この頃の集には入れられないのだ。正面から歌えもしない。昨今の私の詩歌は燻製の鰊だ。燻製の鰊と桐の花と一緒にされるものか。ほんのかりそめの煩悩であるが今のうちに一寸でも昔に還って見たい。いい機会だ、この機会を取りはずして永遠に寂しい私になりそうな気もする未練である。ないしょで、こっそりと、こつこつ、ほのぼのである。やっぱり夢は見たいのだな。  が、何という鴉だろう。話にきくと、北海の鰊場には三角眼の不良鴉が跳梁しているそうである。子供の頭には乗っかる、突き飛ばす、赤銅色の漁師の腕はすり抜ける、嚊衆の洗濯物はばたつかす。猾智で放埒極まるものだそうである。まるで鴉の王国といった風だそうである。初めて私はこの小樽でそれを思い当った。  今の私は以前の私ではない。現実という黒い鴉が私を見ている。燻し鰊の私を。 白き猫膝に抱けばわが思ひ音なく暮れて病む心地する  この浮薄と衒気とを省みると、何が音なく暮れてだ、何が病む心地するだろうと赤面する。そこで朱線を引いてしまう。 白き猫ひそけき見れば月かげのこぼるる庭にひとり戯れぬ  これと換えよう。どうだと、昨日も船の中で庄亮の方へ向くと、それは観想が深過ぎるという。昔の歌ではない、今の君の歌だという。それでも越前堀の月夜の庭で、真実に同時に見たものだと私が答える。ただあの時は見てはいたが歌えなかったのだ。それが今の技巧で出て来たのだ、構やしないだろう。と私は意地を張る。だが、ちがったのは技巧ばかりじゃないよと彼はいう。ふふむ、あの頃の生活ということを考えると、今度の新しい歌集にも入れられない、かといって、「桐の花」ともちがうとすると、仕方がない、逆戻しかとまた私が折れる。その方がいい、過ぎ去った昔の歌集に入れるのは惜しいじゃないか、今更誰だって新しいものとは見てはくれまいと庄亮君がいう。それから、幼稚でも済んだ昔なら仕方がない、諦めるさとまたいう。それもそうだ、一旦吐いてしまった自分の息は取り還せるわけはないからな。ではいっそ、何も彼も初版どおりにまた遣り直しだな。それも大変だな、印刷所が今度は怒るぜ、さんざん直させてまた逆戻しとは人を莫迦にするのも程があるというにきまっている。呆れはてたものだなと私が頭をたたいた。それでおしまいかと思うと、まだ、上陸するとからここのキト旅館で、あの無数の意地悪鴉を恐れ恐れ、それこそ極内密でまた、こつこつ、ほのぼのである。何の因果かと思うのだ。        * 「種馬の交尾でも見に行った方がよかった。」と私はまた灰色の空と海とを眺める。  それはこういうことなのだ。  いよいよ高麗丸が錨を下ろすと、船中が一斉にざわつき出した。私たちもすっかり身支度を済ました上で、ともかく甲板の腕椅子へ凭って、初めて見る小樽港の眺望を物珍らしく取沙汰していると、「やあ。」と麦稈帽をとった紳士があった。名刺を出すのを見ると、札幌鉄道局の電気課長のA君だ。庄亮とは学友なのだそうだ。そこで庄亮がまた「やあ。」と立ってゆくと、その人は一寸物かげへ引っ張って行って何か手真似していた。 「やあはっはっ、」と庄亮が頭をかかえて、顔を赤くしながら笑い笑い出て来た。「どうしたんだ。」と訊くと、 「そのなんだよ。」と生真面目になって、「種馬の交尾をないしょで見せたいといってるがね。君、どうする。」 「ほう、何処で見せるんだ、それは。」 「道庁の牧場だといっていたぜ。すばらしいんだそうだ。」 「そりゃそうだろう。だが、今晩の歓迎会はどうだ。」 「それもだが、君が校正を済まさないと、僕は鉄雄さんに申訳がないがね、昼間中は勉強してくれたまえよ、上ったらすぐ旅館に鎮座さして、誰一人寄せつけないことにするからね。」 「籠城かい。だが君、今日一日引籠ったところで、とてもできそうにないよ。だから。」 「だが、僕は困る、ちゃんと仕事させますと約束して来たんだからな。」 「驚いたな。君の監督も怪しいもんだぜ。」 「あっはっはっ、僕だけは一杯やりに行く。君の邪魔になる。」 「置いてきぼりかい、いやだなア。」  で、種馬見物は帰りにでもということにしてもらって、ぞろぞろと出迎いの歌人たちに交って階梯を下りかける、すぐにランチに飛び移ると、 「兄さん、おい、兄さん。」と、別の大型のランチから、逞しい面の浅葱の背広が呼び立てた。 「やあ、Oかい、いたのかい。」 「いたのかいもないでしょう。わたしが小樽に来ていることは、兄さんだって知っているはずだ。もう一年にもなるじゃないか。のんきだな。」 「のんきだといっても、すっかり忘れていたんだ。あっはっ、いたのかい。」 「いたのかいもないもんだ。さっきから二度も三度も呼んでいるじゃないか。」 「そりゃあ誰か呼んでるとは思ったさ、だが、俺を呼んでるとは思わなかった。君だったかい。」 「そうさ、ランチまで持って来ているじゃないか、早く此方へお乗んなさい。」  庄亮は「あれは僕の甥でね、やっぱり印旛沼だよ。あっはっ、すっかり此処にいたのを忘れていたんだよ。」と笑った。甥といっても大きい甥御さんだった。元気溌剌としてござる。  そこで皆が大型の方へ乗り移ると、ぼうと汽笛が喚く。揺れる揺れる。煙が吹きまく。  壮快壮快、海岸には西瓜の山だ。丘だ、煙突だ、レールだ、そして防波堤だ、浮標だ。  波を蹴立てて、風の薄寒い港内を一まわりすると、ランチが岸へ着いた。横浜を出て四日ぶりで陸地を踏むのである。うれしくないことはない。気が軽い。それが一、二町も歩くか歩かないうちに、旅館へ送られてしまった。 「実は、その、白秋君はね、仕事を持って来てるんで、非常にいそがしいんだ。で、一人で置かないと勉強して貰えないのでね。とにかく奉って、夕方の歌会の時に迎えに来てほしいんだがね。実いうと折角A君が種馬の交尾を見せるというのを断ったくらいなんだからね。」  早速にその社中の歌人たちを帰すと、庄亮自身も飛び出してしまった。  やれやれと私は思った。それからくるっくるっの子鴉の啼声になったのである。  私は浴衣の肩や膝や畳の上に巻煙草の灰ばかり落して、手は赤インキだらけになって、それで何一つ片づきそうにもない。  午も過ぎたが、連れも帰って見えない。電話はきらいだし、手はたたいてもきこえず、やっと廊下を通る草履の音を聴いて、そこで昼飯の支度を命じたが、待てども待てどもお膳は出ない。いったい、北海道の旅館は悠長だとはきいたが、これには驚いた。  上陸する匆々から一人でぽつんと膳に向うのは寂しいものだ。ビフテーキの堅いことがまた切れるはずのナイフさえ徹らないのだ。女中はつつましいが、想像していたような東北弁ではない。楣間や床の置物などを見まわしてもやっぱり東京だ。で、寂しいが旅情というほどのものは起らない。もっと違った意味で寂しがりたい私の心もちはすっかり裏切られた。  全く私は北海道の旅館といえば、もっと暗鬱で、女中などはアイヌ見たようなのがいて、言葉も碌に通じはしまいと、迂闊にも思っていたのだ。それがまた非常な興味を予想させられたものだ。これは幼年時代の恣な童話的空想がそのままに頭の何処かに残っていたらしく思える。  二十一、二の頃、そうだ、私が石川啄木に逢ってまだほんの二、三度目の時だったと思う。 「君のお国はどちらです。」と私が訊いたら、 「盛岡の在です。」と彼は答えた。 「そうですか、奥州や北海道は、僕の国では鬼でもいそうなところだと思っていますよ。五、六百里も北だからね。」それはほんの何の気もなく、むしろ親和の心で私は微笑していったのが、それが彼の性来の癇癖にきつく障ったらしい。私には答えないで、すぐに、隣りにいる人に向って、 「I君、君も鬼のいる国の人だね。」 と両肩をスッと怒らしていった。それで私は吃驚して、 「君、君、僕の国だって熊襲だからね。」 と大真面目であった。 「じゃあ、鬼の一種だね。」 「うむ、そうだよ、君の方から見れば鬼の一種だろう、やっぱり。」  あの頃も何かといえば反抗心の強い、負けずぎらいの少年だったな、啄木は。もっとも細君は持っていたが。 「姐さん、一寸、このビフテーキを切ってくれないか。」 と今も私は頼んだ。女中はカチカチやっていたが、その皿がお膳から反りかえりそうになっても、コチコチで、そのうちカチャカチャ、くるりと皿ごと廻ってしまった。 「牛肉と馬鈴薯」といえば、独歩の小説から連想しても、北海道には野となく丘となくふかし立ての馬鈴薯が雪のように積り、熊の毛皮を着た髭むじゃのアイヌやシャモが、その中に群居して埋まって、それらの窓や戸口から、手や頭やを出すとむくむくもぐもぐ馬鈴薯ばかりを食べているような気がした。いったい誇張は芸術なりで、私は何でも大袈裟に物を考えるのが好きな方だ。だから、牛肉でも、あの牛屋に吊したような赤と白茶の片脚だけのが、内地は百姓屋の軒や周囲の荒壁にぐるりと掛け連らねた唐辛子、唐黍、大根の如く、いや、それを十層倍にしたぐらいの大きさのものが、まるで牛肉の祭礼のようだといいと思えたものだ。それがすっかり幻滅してしまった。  それに口取も猪口もお椀も、何から何まで、貝類ばかりなのも弱った。これでは夏の江の島へ行ったようで、北の小樽とは思えない。  やっと食膳を片づけさして、またぽつねんと一人となると、やっぱり札幌の牧場にでも行って種馬の見物でもした方が、よっぽど有意義だったろうと悔しくなる。雄大な自然の中で、奔放な種馬が跳躍し交尾し歓喜する壮観は、それは稀に見るすばらしさだろうとも思える。それに光り輝く光線、風、草いきれ。  それに私は幽霊の二乗を背負って、折角の真夏の旅の一日を引っ籠っているのだ。  たまたま下の洗面所に顔でも洗いにゆくと、目に入るものは、赤錆いろの鉄分の強い坪ばかりの池の水と、萎えきって生色のない八つ手の一、二本である。        *  二時頃になって、庄亮が、小樽新聞社のM氏と連れ立って帰って来た。二人とも相当に酔っている。氏は三木羅風君の義父さんだと紹介される。そこで羅風君の話が出る。ついこの出発の前夜に私たちが逢ったことも私は伝えた。M氏は庄亮のお父さんの永年の乾分だと自身をしきりに私に知らしていた。酔眼朦朧としていられた。 「何処で飲んだのだい。」と私は庄亮をふり返った。 「いや、つい近所の洋食屋だがね。」といっているうちに、女中はトマトにマイナスソースをかけたのと、蟹のコキールとを二皿持って来た。これらは感心に勉強していたので御褒美だそうである。  牛肉はコチコチだったが、トマトの新鮮で美味なのには驚いた。流石に北海道だと思えた。  これは素敵だ、これは素敵だで、とうとう私一人で食べ尽してしまった。  そうして光りかがやく紅のトマト畠を想像して見た。そうした北国の野菜畠の外光はどんなに爽快だろう。そうした畠の斜面は。  かつて小笠原の父島にいた時、私は朝となく、夕べとなく、この赤いトマトを食べ恍れていたものだ。だが、亜熱帯のそれは何かしら熱気が深く籠っていて、これほどの冷えびえとした舌触りは無かったような気がする。  ただ、あの島の日光は全く金色に照り輝いていた。午後の二時三時になると、まっ白い雲の光までが底深い金色にぎらぎらした、どんな油絵具でも、あの強烈な光は出せなそうに思えた。それに犬の男根のような若芽の護謨苗や、浅緑の三尺バナナや、青くて柔かな豆の葉や、深い緑のトマトの葉、褐色の鳳梨やが、朱紅色の土の上に、まるで印度更紗のように、いやそれよりも生々しい極彩色の絵模様として綴られてあった。その中に鍬打つ人もその朱紅色の土の香を深く嗅いで、悶絶しそうであった、素っ裸で。  と、島独特の黄色い円い面をした童子が赤いトマトの累々とつまって盛り上った竹の籠を両手に擁えて、山坂などを上って来る。その髪の毛に円光が立つ。私は或日、とある山道の曲り角でそうした童子と、突然に遭遇って実に驚いたものであった。行き過ぎてからでも私は後ろを幾度振り返ったか。礼拝したくもなった。  だが、小樽や札幌のトマト畠が果してどうした香気の風景であるか。その漿水の発散は、光線の層積は、まだ私の目には浮んで来ない。 「吉植君。君も印旛沼を開墾したらトマトをこさえろ。」 「こさえるとも。」 「五十町歩すっかりトマト畠にしてしまいたまい。」 「やああ、それでは飯が食えなくなる。」        *  私の語法は現在格で進める。この方が楽だからである。  そこで、フイルムが変る。  夕方、庄亮の主宰する橄欖社の小樽支部の人たちや、此処で出している『原始林』の同人たちが五、六人で迎えに来る。私の仕事はそこでひとまず明日の出帆前のことにする。入浴して、さて晩餐を済まして、会場へ行こうというのだが、宿の方の支度がなかなか整わない。 「どうも北海道は悠長ですよ。」と誰やらがいう。 「それも何処か雄大でいいさ。」と私が笑う。 「雄大は妙ですな。」  八時半にやっと総勢で自動車に乗る。  駛る、駛る。私は早朝上陸して、この夜になって初めて小樽の市街を見るのだ。 「や、明るい明るい。」  全く、通りは広いし、電燈飾は華美だし、雑踏する群集も真夏の軽装だし、一々にそれらが鮮新な発光体となって遊泳して、両側のショウウィンドウの中までが、まるで水晶宮のように水々しく照り反すと、花屋がある、植木屋がある。それから活動小舎がある。絵看板がある。幟が並ぶ。銀座と六区とを一つにしたように殷賑である。 「縁日だね。」 という間に何か公園の入口らしいところで自動車が停まる。矢野倶楽部である。  二階の広間へ上ると、四十余名の会者がすでに集って三方に居流れている。床柱の前に二人が据えられる。みんなが一斉にこちらを向く、そうして堅くなっている。  潮音の旧い社友で、土地の歌壇で元老株のお医者さんの山下秀之助君が一場の歓迎の辞を述べて、これが済むと、また皆が私の方を向く。講演は嫌いだから初めからお断りしてある。それにどうも挨拶といったところで、私なぞは結論が序論と一緒になってしまうので一言二言いえばいつもそれでおしまいになるのである。  まあ、立ち上って大広間のまん中に進んで見た。 「エー、今晩は偶然の好機会で、こうして皆さんにお目にかかれたことを愉快に思います。何かいろいろお話したいと思いますが、どうも私には結論が先きへ来て困る。皆さんも顔だけ見ればいいといわれる。で、とにかくこれが私──白秋です。よく見て下さい、一寸と廻って見よう。」  そして三遍同一点でぐるぐると廻ったが、廻っているうちにおかしくなって笑い出してしまった。  座につくと、「今のは踊の手が交ったようですな。」と誰やらがいう。 「そうかな。踊じゃないよ。」  庄亮はと見ると、本来が雄弁家だが一人で喋舌ってもわるいと思ったかして、簡単に「皆さん、ありがとう。」と頭を下げてすました。そこで一同が急に寛ぎ出した。笑い声が方々に起った。  それから歌会に移ったが、一方の壁に半紙一枚に一首ずつ歌を書いて、四十余枚の歌を一々に批評するのである。庄亮君は坐ったまま、 「このお歌を拝見いたしまするとお。」と一々に演説口調でいう。  私は貼紙の傍まで行って、朱筆で、難点に傍線を引いて、何かと指摘しては、こうむつかしくしてはいけないかなとも考えさせられる。庄亮は馴れているが、本来私には歌会の形式が好きでない。  思うに運座とか互選とかは、こう大勢ではともすると無意義になるのである。一視同律であまりに酷しく批判すれば、初心の人は怖け、または恨むであろう。また真に熱意の無い人が二、三あるとすると、そうした人にいかにこちらから説話しても真実に要を得させることはむつかしい。で、先方の心が真に道を求めようとして動きかけるまでは、黙っていた方がいい。と私は常に思っている。一つには自分にも出来もしない癖に差出るまでもないと思うからである。  だが、この晩の歌会は非常に静粛に了えた。よく統一されていた。  二次会は新中島という宏壮な家で有志の人たちだけで催された。煌々たるシャンデリヤの下で、置酒交歓、感興成っていつ果つべくも見えない。土地の美妓も数多見えた。半折や短冊を後から後からと書かされる。初めには忸怩として差控えたが、酔うに従って書くに従ってただそのことがうれしくてならなくなる。踊もおどった。伊奈節や麦搗踊、一同が輪になって踊って廻っているうちに夜がほのぼのと明けてしまった。 「あまり書いてはいけないよ。」と庄亮から叱られる。帰り途の自動車の中ではO君から 「あまり踊ってはいけませんよ。」 とまた叱られる。 「おもしろくてしょうがなかったんだ。やあ。」  一寸と頭をかかえてしまった。        * 「や、すばらしいトマトだな。」  若紳士戸塚君が実に清新なトマトを一籠提げて来た。 「これはいい、船で十分に食べられるぜ。」と庄亮が喜ぶ。 「大きいのは俺が食べることにする。」 「や、そりゃとにかく、君は仕事はどうしたい。」 「もう止した。幽霊の重荷は御免だよ。それにとても間にあいそうにない。第一昔の歌ばかり改訂していたんでは、何のために旅行に出たかわからなくなる。陰鬱になる。君の監督はこれで辞任してもらいたい。将来に生きることをしないでどうするのだ。僕はこの旅行を全然楽しむ。」 「そうか。わかった。もう何にもいわぬ。」  さあ出かけようとなる。決断してしまうと、心から晴々しい。口笛でも吹きたくなる。往来に出る。 心は軽く、気は安し、 揺れ揺れ、帆綱よ、空高く……… 「やあ、先生。」と九州男子のY君が胸を反らして髭をひねって来る。 「やあ、どうしました。」 「定山渓へ行たて来ましたたい。団員は誰でん行た。そりゃあ面白かった盆踊が、ほんによか温泉ですばい。そりから、誰でん知らんばってん、わしだけ上の方に今朝早う行たて見ましたもんな。よかったあ。川に白い鳥が二羽浮いていましたたい。短艇も貸さすもん。お帰りなっとん行たて見なはるとよか。そりばってん、熊ん出ますもんな。うむむ、まだ今は出んちいいよった。」  日本医専の生徒の美少年のSがまた角帽で、絵具函を片手にぶら提げ、小躍りしながらやって来る。 「先生、札幌はいいです。あかしやがいい。大通りの中に花畑があって、子供が遊んでいて、実際美しかったですよ。東京よりいいです。それに大学や植物園の楡がいいです。素敵。」 「ほう、いいな。画いて来た。」 「ええ、沢山。」  京都の若い警部さんで温厚で真撃な紳士A君がまた眼鏡を輝かし輝かし帰って来る。 「牧場はいいですよ。月寒の牧場は、雄大で羊がいて。ええ、行って来ました。向うに野幌の原始林が見えましてね。それに地平線までが緑ですからね。もっとも月寒の夕方がいいそうです。夕日の頃が、羊を追って帰る頃が、まるで日本ではありませんよ。」  惜しいことをしたなと思う。  と、飄々として下の関の車輛会社の中爺さんが来る。 「先生、ようべはお楽しみ。お盛んでしたな。へへへ。」 「や、あんたもあの家へ行っていましたかね、向うで騒いでいたのはきっと、そうだ。」 「先生、鎌かけよっとばい。そげんすぐ欺されなはんならでけん。こん爺さん嘘言いいたい。なあん、小樽で遊ぼか、定山渓に行たとらしたですたい。」 「ふふ。」と爺さん笑い出した。 「わしあ、よか事した。今日たい。小樽へ帰って来っと馬車ん一台居ったもんな。そこで五円札ば、うんち投げ出えて、何処っちゃよかけん、五円がつ汝がよか事駈けさせちいうて、じゃらんじゃらんじゃらんじゃらん駈け廻ったもんですたい。愉快でしたもんな。大臣になったごたった。」  ランチだ、ランチが出るぞう。  ぼうう………。ランラン、ラン、ジャン、 「やあ、高麗丸だ、高麗丸だ。」 「幽霊退散万歳。」 「そうだ、万歳。」 心は軽るし、気は安し、 揺れ揺れ、帆綱よ、空高く。 おおい、おおい  光り耀かぬ波、一面に滑らかな乳黄色の波、何かしら薄ら寒い遠い眺めの海。明るいようでも、それは燻されている。何かしらまた空にも寒い靄がかかって、窮みもなく日の光が光らずに流れてゆく。小樽を出てからの展望はいよいよ北海らしい感じを深めて来た。それに幾分は曇天でもあった。ともすると明日あたりは雨になるかも知れないとさえ私にも思えて来た。 「見たまえ、あんなに日が当っても、波の面一つ光らないんだからね。」  私の友はこういって、甲板の籐椅子から延びあがって見て、またのそりと腰を下ろした。ノートにしきりに歌を書きつけている。 「そうだな、何だか急に昼が短かくなったようだ。」  私も隣の籐椅子に凭りかかって、しげしげと何か白い鳥の飛ぶのを眺めていた。 「お腹も空いたようだな。君、何か食べないかい。」 「それより、お湯にはいりたいね。」 「そうだな、夕飯でまた一杯やるとして、その前にはいっとくかな。それにしても紅茶でも取ろうや。」 「よく、君はいけるね。よっぽど健康な胃ぶくろだと見える。」 「健康だとも。いいかい。呼鈴を押すぜ。」  私たちはまた自分たちの談話室にはいり込んでしまった。  と例の九州男のY君が、一人の実直そうな白面の若者を引っ張って来た。 「やッ、先生、この仁ですたい。松浦王の息子さんですもんな。ほんによかけん。」 「ほう。」と私はその方を見た。「さあどうぞ。」とクッション附きの華奢な椅子の一つを指した。  Y君はどかりと窓際のソファに腰を下ろして、グッと後ろへ凭れ気味になる。 「出して見なはり、その鑵詰ば。」と、それから此方を向いて、 「こつですたい、鯨の鼻骨は。粕漬ですもんな。まだ野菜漬もあったろが。うむ、そりそり。」と、またもう一つの鑵詰を新来の客に出させる。 「こりば、先生に上ぐっちいいよらす。食べて見なはっとよか。そりゃうまか。小樽で買うて来らしたたい。自分の家の鑵詰ですもんな。うむ、日本中の何処行たっちゃ売っとる。」  小松浦王はまだ立ったままだが、温和な微笑を面に漂わして、謙遜に、しかも何処かに闊達な意気をひそめている。口数が極めて少い。やさしい眼だ。 「それは難有う。それではウイスキイでも抜くかな。」  そこで、角罎の栓がポンと鳴る。鈴の釦を押す。ボーイが来る。煽風機が廻り出す。 「へへへへ。」と赤ら顔の車輛会社のS爺さんがひょろりとやって来た。もうだいぶきこしめしている。 「お酒盛ですかい。先生、わしはお恨みを申しに来ましたがな。へへ。」 「どうしたのです。まあ、お掛けなさいよ。」 「ええ、難有う。」と、ソファの尻、Y君の隣に、ぐにゃりとして、両膝に手をついた。眼がとろんとしている。鯨の赤肉見たいような顔の皮膚だ。 「支那服ですがな。支那服。あれは喜んで進上申すと、このY君にもいうときました。先生の御希望じゃ。それはありがたい。結構じゃで、喜んで、進上と。」 「こん人酔うとる。もうそげんか事いわんちゃよか。」Yは元気だ。 「いや、お恨み申す。それをそのお返しになった。これは理窟じゃが、折角の志。」 「そりゃあ、僕も欲しかったんだがね、ちょっと惜しそうに、あんたがしていたというから、お返したまでさ。人が物惜みするのを貰ったってしょうがない。」 「物惜しみ。これはおかしい。いったい、どの仁がそう申したか。怪しからん事じゃな。」 「俺がいうた。ほんな事じゃろが。」とY君が口髭をキウと一つひねって、 「うん、よかたい。一杯飲みなはれ。」 「いや、いただきますまい。わしがボーイを呼ぶ。そういう事なら、一倍お恨み申す。わしの面目が丸つぶれじゃ。先生、御用心さっしゃれじゃ。今度こそはどえらい仕返しをし申すで。」 「よし、よし、わかった。わかった。」 「わかりゃしませんがな。わしの子分を連れて来る。ボーイ、麦酒だ、麦酒だ。──おおい。」  ふらふらと立ち上って、そのまま甲板へ出たと思うと、 「おおい、おおい。」 おおい、おおいと、海豹も 海のなかから呼んでます。 どうせ、薄雲、北の海、 おおいおおいで日が暮れる。        *  とうとう日が暮れてしまった。  いかにも何かしら物寂しい風と煙である。色と響である。光のない上の世界と下の世界、その間を私たちの高麗丸のスクリュウが響く。機関が熱る。帆綱が唸る。通風筒の耳の孔が僅かに残照の紅みを反射する。  あ、書くのを忘れた。あの後、私は専用の雪白の湯槽の中に長々と仰向きになった私自身であった。船中でも入浴ほど心の安まるものはない。私は湯にひたり、薄紅い角の石鹸をいつまでも私の両掌の中に弄んでいた。なんと温かな、いい匂であろう。私はまた蓮の実型の撒水器の下に立って、頭からさんさんと水を浴びた。新しい浴衣の下に、改めて薄いメリヤスの襯衣を着こんだのはそれからであった。思いなしか、ひえびえとした気流が昨日とは何か変って感じられたものだ。  私は船室の前に出て、空いていた籐椅子の一つに凭れて見た。一列にみんなが並んで、誰もが蒼茫と暮れてゆく北海の薄明りを眺めていた。全く物寂しい風と煙であったのだ。 フネガデルデルカラフトヘ  小樽を出る時、私は小田原の妻子へ、こう打電したものだ。つい三、四時間前のことであった。私たちは一旦着換を済ますと、しばらくは右舷へ集って、応接に遑もない鮮緑色の海岸線を物珍らしく楽しんでいたが、一人減り二人減りすると、私もまた左舷の自分たちの甲板へ還って来た。其処には先きにいったように遥々とした大洋があった。あの光のない、ただ明るいだけの波濤の連続が。  その波濤の面の金と紅とが乳黄となり、やや寒い瓏銀となり、ブリュブラックとなり、重く暗くなり、そうして今は舷下の飛沫と潮漚とがただ白く青く駛って、擾れて、機関部の汚水がタッタッと吐き出されてゆく。  一寸したウイスキイの酔は、すぐにも発散したし、湯上りのやや肌寒を感ずるところへ、明日はいよいよ樺太だと思うと、何か気も昂れば、引き緊っても来る。 「おい、何を考えてる。」  こうした時、ぽんと肩でも叩かれたら、私は恐らく顔を赤めたであろう。 「郷愁だな。」  そうしたものだろうなと私は私自身にも答えても見た。  私ばかりでなく、これは籐椅子、木の椅子、安楽椅子のこれらの一列の人々の凡ての顔にも表われている。 おおいおおいと誰やらが 海のはてから呼んでます。 どうせ、ぬか星、北の海、 おおいおおいで日が暮れる。  と、一斉に燈が点く。ジャランジャランと銅鑼が鳴る。        *  煌々たる食堂。それが却って明る過ぎて、何か今夜は堅苦しい。誰でもが緊張して、以前とは様子が違っている。それは、札幌鉄道局の役人たちと、小樽からの新来客の二人とが加わったための、やや油に水をそそいだ気配もあったかも知れぬ。その人たちにとっても初めての晩餐ではあり、そうそう寛げもし得ないであろう。それに一同の郷愁である。とはゆかなくとも、近づいて来る目的地への期待と何とない或種の武者ぶるいもある。  ここで、この一等船客の食堂について、多少の説明をして置こう。先ず食器棚の両方の入口からはいると、奥の正面にはピアノが一台装飾的に据えてある。ピアノの上にはどす黒いラジオの喇叭が載っている。その室内には白いテエブルクロースを掛けた食卓が三列に流れ、中央のにはピアノを背にして船長が腰かける。船長はいかにも穏かな温顔の人で、先ずは無口に近い。やや前跼みでいつも黙々としてナイフとフオクとを使っている。それに向って事務長が末座に位置する。長身の、まだ若いが、職掌柄だけに凛として気の利いた顔貌と風采の持主だ。左舷寄りの上席には門司鉄道局の船舶課の、かなりの上役らしい人が据わる。この仁は鼻も高いが、いくらか権高のすっかり官僚風にできている。これらの三つの座席は必ず極っている。船客の座席はどれと定ってはいない。自由ではあるが、中央部には、下の関や神戸から乗ったO・M・A・K・D、それにH夫妻その他が既に早やお極まりのように両側に居流れている。O氏は日露戦役の志士沖禎介氏のお父さんで、肥前は有田の弁護士である。もう六十を越えて、それで前額は禿げているが、矍鑠としたシャンとした老人である。郷里ではその子の禎介氏の記念図書館の館長をしていられ、老後を全く壮烈な忠死を遂げた、その子の名誉を己れの円光として生きている人である。親としてはこれほどの光栄もなかろうが、その子としてはこれほどの孝行もなかろう。この人が団長に挙げられたのも忠孝並びいたる禎介氏の功績が与って力がある。少々は酒がいける。Mさんは神戸の縉商である。いうところによると、美術院の大観観山等の極めて親しいパトロンだそうである。飄逸な反り型の赤ら顔だが、どこかに俗っぽい。好きで酔うと贅六句調で、変な唄ばかり歌う。A博士は電気学者で京都の大学教授である。髪をキッと分けて、角ばった頤の、眼鏡の奥に謹直らしい眼を光らしている。絶対に禁酒家である。もとはかなりいけたそうであるが、今は何か病後でもあるという。一、二度はその夫人も並んで見えたが、すっかりこの頃は影をひそめてしまった。同行の令息とでも一緒かも知れぬ。令息ははっきりと覚えぬが三高の学生らしい。建築家のK氏は我親友の木下杢太郎の姉さんの夫にあたる人で、彼を準養子にされている。胡麻塩頭の、金縁眼鏡をかけた、顔の白い、一寸学閥風の老紳士である。もっともらしい態度でやや中脊だ。少しは飲めそうだ。津軽海峡あたりからそろそろよい機嫌になって来られた。これは内密だが、一寸長唄に懸腕直筆で富士山の画がお得意だ。D中学校長は温厚そのものといっていい。円い眼の笑えば眼尻が細くなる。棗面である。酒にはすぐに赤くなる方である。団員名簿に会社員と記されたH君夫妻は小倉から出て来た、土地では相当の資産家らしい。夫君はまだ若いが代議士の候補にも一、二度は立ったとも誰かの話であった。船員を除いて、この人ばかりはいつも黒の背広を着て来る。浴衣がけなぞにはなったためしがない。髪をオールバックにチックで反らして、美髯の、瀟洒な風姿であるが、何か気取って、笑うにも声もさして立てず、肯き肯きする。腕を拱む。ボーイに麦酒ひとつ呼んだことがない。夫人は先ず船中一の美人であろう。細っそりして、色が白い。身重で、時には面やつれがして見えるが、そのせいか何かコケチッシュにも感じられる。童謡音楽会の時はこの奥さんが、私の「あわて床屋」をピアノで弾いたのが導火線になった。だが一曲弾いただけですっと居なくなってしまった。若い学生たちの乱酒と騒擾とに驚いたのだろう。食堂ではチンと澄ましている。それが今夜は鼠色の眼鏡をかけて、急に寂しくなった。  私と庄亮とはO氏やA博士やH君夫妻を向う斜めに見わたせる、船舶課側の窓際のクッションに凭れる、末席の方だが、このテエブルには若い船医や京都府の警部さんのA君やと大概は同席である。だが、今は私たちの前には某銀行の重役のBさん夫妻が並んでいる。私たちの隣室の客だ。Bさんは下り眉の濃い眼尻のたるんだ中老の恵美須顔だ。サイノロジイらしいなと誰かが噂した。妻君は桃いろのスカートで、歩くときには、その健康そうな円いお腰がくるりくるりと弾む。これも誰かが手真似をしては怪しからぬ笑い声を立てた。顴骨が高くて、さほど美しくはないが、近代的ともいえばいえる魅力を持った顔だちだ。頭取さんは甲板ゴルフが好きと見えて、午前も午後もぶっ通しの、相手を集めては莞爾として杓子棒で玉を突いたり飛ばしたりしている。下戸でその方は話にならぬ。ただお二人はいつも御一緒である。だから若い者がやきやき騒ぐ。  右舷寄りのテエブルには、音楽会の晩、私に利休鼠の頭巾を貸してくれた、小さな小さな商人風の、若山牧水に似た顔のお爺さんと、その連れの須田町のある旅館の主人だという、これも江戸っ子式の快活な中爺さんと、例によって酒が賑やかだ。これは珍らしく向うの隅っこで気勢を挙げる。  私たちの席はいつも私たちだけが残されてしまう。時には外のテエブルに鞍替して見るが、何処へ行っても残されてしまう。つまらない事おびただしいのだ。船舶課の側へずり上ったところで、何だかお役所風で話が堅くなるし、中央は占領されているし、たまには例の白髪の、牧畜家の、活気縦横な和製タゴール氏と対い合になることもあるが、まだまだ十分には双方からうち解けない。  こう見渡したところ、その他の船客たちも何れも相当な紳士ばかりで、至極至極におとなしい。  それが申し合せたように、今夜は不思議に静粛である。庄亮までが、風邪気味で咽喉を痛めたというので、さして左が利かない。 「止すか。」 「うむ。御飯にしょう。」  何とまたH夫人の鼠色の眼鏡が寂しいことだ。        * 、こちらは東京、ゴウゴウゴウ、放送、ガバガバガバ、局であ、グワウグワウ、す、す、す、す、ジャオジャオジャオ。 「何だ、いったい、こりゃあ、しょうがないな。」 と、誰やらが、心細い声を出した。まだ宵のくちの一等談話室のソファである。 「今頃は半七さ、グワウグワウグワウ。ジャオオ。」 「ああ、ああ。」とまた一人が立ち上った。 「ラジオにもいよいよ見放されるのかな。」 と、また一人が、しみじみと、眼鏡をはずして、浴衣の袂で拭き初めた。  と、また新来の若い中脊の背広の紳士が、その台の方へ行ってしきりに二つのレシーバーを耳に嵌めては、針を動かして見たり、跼んだり、透かしたりして見ていたが、それも諦めたように、耳のをはずして、カチャリと置くとこちらを向いた。美髪のどちらかといえば円顔の眉の凛々しくつまって、聡明な眼の、如何にも切れそうな態度でいい。余程のラジオ狂らしい。 「もういけない。ひどい無電だ。」  私はラジオはどうにも好きでない。ラジオを聴くといらいらして来る。ああ、化物じみた、非音楽的の非人情の音響で、神経を刺戟されてはとても坐っているに堪えられないのだ。一つには私が文明化された電気というものとあまりに交渉のない生活をして来たせいかも知れぬ。この四、五年こそ電燈の下で創作もしているが、この十五年来、ほとんど縁がなかった。いや、ずっと以前にも、そうだ、明治三十八、九年の早稲田時代にも、私たちは下宿から下宿へ引越車の後を蹤いてゆく時にも、ニッケル製のランプを片手に捧げて、とぼりとぼりと歩いたものだ。大正の一、二年にも相州の三崎ではランプであった。小笠原では無論のこと。その後葛飾でも初めはそうだったし、小田原へ移ってからも、二、三年は煤けランプの油煙くさい臭気をいつでも徹夜の暁には嗅がされた。それに電話は身ぶるいするほど嫌いだし、田舎に引き籠ってからは、あの雑閙する東京の電車にはとても飛び乗れそうにない。ラジオ流行の時節にも到底救われない旧人だと見えて、酒の座などで、いきなり、ワァワァワァと唸られると、それこそカッと疳癪が起って来る。何で周囲に当り散らすのかわからぬ立腹が、たちまち私の眼先を真っ暗にしてしまう。それがまた、地球外の不快な何かの囂々音らしい無電の妨害までが挟まっては、まるで悪魔の洞窟にでも堕ちたような気がする。見放されてこそ仕合せだと思うのだ。だが、日本内地からいよいよ私は離れつつあるのだ。それを思うとまた、頼りない郷愁も湧く。 「や、活動が初まったな。」  総立ちに出て見ると、もう、左舷の甲板は観客でいっぱいになっている。自分の船室への通路も全く塞がれてしまった。それよりか、丸窓もはいり口も燈が消されて、ほの青い光の中に、密集した低い高い黒い頭の壁際になってしまっていた。  で、私もその前に跼んでしまう。  チカチカチカチカ、コチコチコチコチ、パッとまた幕面が白く明って見出しの円が出る。思いがけない樺太風景である。 「や、鰊漁だ。すばらしいすばらしい。」  現れたる青い画面には溌剌とした鰊の数千数万本が飜る。小蒸汽とモオタア船の甲板である。日光、漁夫、モリ、舷側の飛沫。  影、影、影、光、光、光。  鰊だ、眼だ、腹だ、尻尾だ、雪崩だ、総雪崩だ。や。  密集、重積、氾濫、迷眩、混乱。  帆だ、帆だ、帆だ、  運搬、駛走、海洋、巻雲。煙、煙、煙。  と、砕氷船。 「大きいぞ。」と声がかかる。  と、たちまち、船影は消えて、一面の氷結した極寒の海峡が真白く、白く、暗い影の底から遥かに遥かに光る。輝く。寒い寒い雲だ。あっ、樺太だ、確かに。  と、来た来た、氷を蹴砕き蹴砕き、さっきの砕氷船が。  ピー。  あっと、一同が振り向くと、それは白髪の白い支那服のタゴール爺さんだ。吹きも吹いたり。とてつもない鋭い口笛だ。「あっはっはあ。」「ヤハイハイ。」  パッパッパッ。「大泊の光景でござい。」  雪、雪、雪、煙突、倉庫、店看板、防寒帽子、毛ごろも、手袋、がんじき、橇、橇、橇。スキーだ。スキーだ。  駛る駛る駛る、樺太犬が、一匹二匹三匹、五匹六匹、二列だ。  パルプだ。突進、突進、突進。  と、牛肉だ、肉塊だ、犬だ、頭だ、うおうおっうおうおっ、頭、頭、頭、口、口、口、や、舌、舌、舌。  食慾だ。争闘だ。血だ、血だ、血だ。 「氷上の魚獲。」  静かな月光、声のない声。雪白の幌内川の氷上に、ただひとつ穿たれたばかりの黒い穴。 ついと、こちらを見て笑ったギリヤアク土人の顔、しょぼしょぼの眼。毛皮の帽子。 や、また、一人、二人、三人。 砕く砕く。一心に、懸命に、こつこつこつこつ。 振り上げた手、手、手。 跳ねた。水だ。や、魚だ。魚だ。魚だ。 黒、黒、黒、穴、穴、穴、穴、穴。 「馴鹿。」 飛躍、飛躍、 角、角、角、 雪だ。パッ。「今晩はこれきり。」 ほっと、みんなが吐息をついた。 そうだそうだ。これから今夜にも宗谷海峡を過ぎるであろう。 その先は韃靼海。        * 「今夜は妙に湿っぽいじゃないか。」 「うむ、僕もどうも工合がわるい。あの、それ、いつか煽風機をかけっぱなしで寝たことがあるだろう。あれからのらしいのだ。咽喉が痛くて、悪寒がする。これはどうもいけない。」 「寝たまえ。今から病気だと大変だよ。お、いい薬がある。」  私は立って黒皮のケースを取り出して来る。 「独逸製の薬品だがね。バイエルアスピリンというんだ。こういう時はありがたいね。」 「そりゃいい、貰って見るかな。」 「そうしたまえ。それから王様の寝台は君にゆずるよ。交代だ。」 「しめた。俺も王様になるかな。あっはっは。」 「ははは、その元気があれば大丈夫。じゃあ寝たまえ。僕は少し仕事をしよう。何だか、やっぱり弟の方が気になる。とにかく「桐の花」だけは済まそう。」 「そうだな。そうしてくれるとありがたいな。僕も申訳がたつ。」  じゃあということになって、一人は別室の厠へゆく。一人は談話室のテエブルを引き寄せる。  卓上には、水芋のような、青い縞入りの葉が大きいのと小さいのと二枚。南洋植物の一鉢である。電燈の光も静かである。 「おおい、おおい、ボーイ。げっぷ、うえっぷ、げっ。」  ひょろひょろと、車輛会社が、セルの着流しで。 「や、御免。御勉強ですかな。これはお邪魔で。」  困ったと思ったが、そうもいえず、 「や、まあ、おかけなさい。」 「へえ、御邪魔なら、どうも失礼で。──帰りましょかな。」 「まあ、いいさ。」 「坐りましょかな。」 「どちらでも。」 「どちらでもとはおひどいな。そのなア、支那服の一件じゃで、夕方、申しときましたろが。お恨みに存じ申すと、面目がつぶれた。わしの一分が相立たん。おおい、ボーイ。そこできっとし返しにまいると。なア、そうでしたろがな。いけませんかな。げえっぷ、うう。」 「やりましたね。また。」 「へえ、どうもなア、いやにその浪の音がな。どもならんというておりますわい。」 「ははあ、弱ったね、それじゃ。」 「弱りゃしませんがな。支那服のし返しじゃ。飲みましょかいな。おおい、ボーイ。」  ぽんとボーイが飛び込んだ。 「抜け、P公。先生、これはわしの子分でな。いい男でしょうがな。おい、抜け、コップを三つ持って来オい。」 「持ってまいっております。」 「そうかあ。えらい奴じゃのう。注げ。」 「へ、お注ぎいたしてあります。」 「やああ、これはどうも恐れ入る。よしよし。おっとっとうと。」 「君はSさんの附きかい。」と私はボーイの方を見た。 「は、そうであります。」 「軍隊式だね。」 「へ。」  実直そうな、それでなかなか怜悧そうだ。まだ二十二、三だろう。小綺麗でいい。知識的な眼もしている。 「これはな、先生。わしの子分じゃ。国のものでな、P公、うう、P公と申す。先生にお願いがあるそうじゃで、わし、引っ張って来申した。」 「どんなことかね。」と私も笑った。  P公は、「は。」といって、チラとSさんの方を見た。 「申し上げ。なんで黙っておるのじゃな。よし、わしがいうてやろ。ええ、何かひとつ書いておもらい申したい。そうじゃろ、何か書いて。」 「は。」と直立不動で、ニッケルのお盆を持って、白服の詰襟である。髪を立てて撫で上げている。 「持っておいで、短冊でも、明日でいいだろう。」 「は。小樽で買ってあります。」と、ありがとうとはいえないで、頭を垂れた。 「そこでと、吉植さんは、おいでならんとかな。吉植さん。」 「吉植君は風邪で弱ってますよ。」  と、「やああ。」と寝室の方から、我が庄亮が浴衣の胸をはだけて、ぬっと坊さん頭を突き出した。ちょっと此方を見て眉を顰めたが、何思ったか、ついと出て来て、私の傍に腰を下ろした。 「どうもそのね、北原君は已むを得ない仕事があって忙しいんで、困ってる。麦酒は明日にしてもらえんかね。」 「これは御挨拶、痛み入る。しかしじゃ、先生はよろしい、飲もうというてござるじゃて、ようござりましょうがな。お邪魔ならおいとま申す。それは失礼。だがな、どもならんそうじゃて、どもならん。」 「浪の音だそうだよ。」と私はまた笑った。 「ええ、浪の音。そうじゃ、あっはっは。いやにその。」 「まあいい。君は寝ていたまえ。障るとわるい。」  私はこれはやはりどもならんと思ったので、麦酒のコップを執りあげた。 「困るなア、それではね。僕がお附き合いしよう。よし、かまわぬ。さあ飲むぞ飲むぞ。」 「これはありがたい。夜あかしじゃ。」 「夜あかしゃ困るよ。」 「あっはっはあはあ、そりゃ困る。」と庄亮が両手で頭を引っ擁える。やあぁとその上で手先きを揉み上げる。 「や、Sさん、何処さん行かしたかと思っとった。此処来とらしたたい。」とY君だ。はいるとどかりとソファの端に腰を据えた。愛嬌のある円顔の髭をちょっとひねって、仰向いて目を細めた。もう赤くなっている。 「どうも。」と眉を顰めるとまた、赤っ面を振って、 「さびしゅうしてならんけん。誰も彼もぐうぐう鼾ばかりかいとって、始末におえん。甲板さん出て見たっちゃ、真っ暗闇で、歩けもせん。星も出とらん。雨でん降りまっしゅごたる。」 「どもならんというておりますわいだろう。Sさん。」 「へ、浪の音がな。その浪。」 「もうよし、飲もう飲もう。吉植君、君は王様の寝台だ。」私も観念した。だが、何か私とてもまんざら寂しくないことはない。キリキリキリキリと帆綱の鐶も鳴っている。 「や、僕も少しやっつけよう。飲むよ。飲むよ。」  そこで、三本にまた追加が五本。肴は鯨の鼻骨に野菜の辛子漬。  キリキリキリと帆綱の鐶。  浪の音がな。浪の音。        * 「おや、車輛会社はどうした。」 と、私は南洋植物の青縞の葉の下を透かした。 「や、行去した。オートバイででん逃げ出えたそな。」 「P公、P公、や、彼奴も行去たかな。」 「車輛会社にゃかなわん。護謨輪でん何でんチャアンと持っとる。はっはっは。」 「おや、吉植もいないじゃないか。寝たかな。」 「寝ましたくさい。弱っとらした。」 「弱るなア、僕も、寝ようかな。」 「でけん、でけん。行たて見まっしゅう。まだ誰か起きとるか知れん。」 「ぐうぐう鼾かいとったというじゃないか。」 「うん、あん時ゃぐうぐう云よった。ばってんが、もう誰か醒めとろ。車輛会社もパンクしとらすか知れんくさい。行たて見う行たて見う。」 「行ってもいい。だが、ちょっと待ちたまえ。」  私ももうかなりに酔っていた。ふらふらする足取りで、隔ての青いカーテンを寄せると、いわゆる王様の大きい寝台に近づいて見た。この寝室は全く広くて贅沢な、それで清々しいいい室である。向うは浴室との戸になっていて、その横の壁にマホガニー色の装飾を凝らした鏡附きの古風な化粧台があって、それに相当の空間を置いて、相対した壁に洋銀のダブルベッドが備えつけられ、それには前面と裾とに卵色の薄いカーテンが掛っている。天井も同じ絹布で張って、壁には網棚もある。平時は関釜連絡船で、このベッドには朝鮮総督とか師団長とか最長官の用に供せられるのだそうである。私は幾晩もこの白いシーツの上に白毛布を包んだ白いカバーを引っかけて眠った。今夜は親友が寝ている。  私はそっと帷を開いて差し覗いて見た。すやすやと庄亮が眠っている。少し斜めに壁の方に身体をねじ曲げ気味に片手枕で、毛布を蹴ぬいて、何かしら弱々しそうな息づかいである。  私は白カバーの毛布をはだけた彼の浴衣の胸まで引き上げて、それから、そうっと、その二分刈りの坊主頭の汗じみた額の上へと私の左の手を当てて見た。熱はない。が、私の掌には、その時、私の友の薄い眉毛の幽かなむずがゆさが染みついた。  私はまた差し覗いた。何という無雑作な酔態だろう、この眠りざまであろう。  私は、ふらふらと、その足元に匍い上った。そうして向き直ると、両足をブランブランさした。 眠ている、眠ている、眠ています。 酔ってる、酔ってる、酔ってます。 「先生、何しとんなはる。行きまっせんか。先生。」 「おっ、ちょっと待ちたまい、眠ってるよ、吉植が。」 「よか、三等へ行こう。あっちも眠てしまうじゃいわからん。」 「行こう行こう。」と私はそっと寝台を飛び下りると、談話室を抜けた。 「吉植はよく眠っているよ。なんだか俺は泣き出しそうだよ、よう、おい。」  ザザザザ、ザアッと浪が舷側を撃った。外は暗い。キリキリキリと帆綱の鐶が鳴る。 「先生。」といきなりYがかじりついて来た。逞ましい大きい両手だ。 「先生。わしも泣く。わしは、わしは子供を棄てて来た。見殺しにして来た。どうなっとるじゃいわからん。わしが出る時なア、もう危篤じゃった。とても助かっとるめえ。行かにゃならん、仕方んなか。死ぬなら死ねちいうて出て来た。葬式は嬶アに頼うで来た。もう死んどろ、死んどるかも知れん。わしはこの胸ん中が張り裂きゅごたる。先生、泣えたっちゃよかろ。」 「うむ、泣えたっちゃよかぞ。泣け泣け、おれにつかまれ。」  きょうきょうと、何かが翔る。        * 「もうよし、君のところへ行こう。」 「ええ、行こう行こう。」 「や、ちょっと待て、一等の船室を廻って見よう。みんなが眠たかどうか見て来よう。」 「よかよか、人ん事心配せんちゃよか、金持ちどもは卑俗くしなん、構いなはらんがよかたい。」 「だが、心配だよ。ちょっと覗いて見よう。さあ手を握れ。一緒に行こう。 眠ている、眠ている、眠ています。 酔ってる、酔ってる、酔ってます。  え、おい、歌おう歌おう。」 「眠ているですかい。 眠ている、眠ている、眠とらすたい。か。 酔っぱらって、酔っぱらって、梯子酒か。」 「おい、 眠てない、眠てない、眠やしない。 醒めてる、醒めてる、醒めてます。  こう聞えないかい。眠ている、眠ているが。」 「歌うて見なはれ、もう一度、きこえるかも知れん。うむ、きこえるような気もしますたい。」 眠ている、眠ている、眠ています。 酔ってる、酔ってる、酔ってます。 「おや、まだ起きてるようだな。いや、風かい。」  私たちはもう、一等食堂の前の階段を下りかけていた。幾度か二人はつんのめりそうになった。両腕を互の首根っ子に廻わして、お互にまた引きずったり、凭れかかったりしていた。 「お、よく眠ている。」  私はすっかり燈を消した暗い暗い寝室の間の廊下をそっと差し覗いた。そうして、盗人のように足音をひそめた。 「叱っ。」 「Hさん夫婦は眠てますかい。」 「莫迦。叱っ。」  その長い両側につぎつぎと並んだ浅葱の重いカーテンは何れもしっとりと垂れ下って、そよとの音もしなかった。すやすやとしたいい寝息がした。 「よく眠ている。万歳。あっ、誰だか寝返りした。そうっと、そうっと、いいか、すり抜けるんだ。そうっと。」  私たちはまた肩を組んで甲板へ出た。 「今度は二等室だ。おい。」 「もうよかろ。もう起きとらん。」 「眠ていりゃ幸だ。何だか、それでも寂しいな。行こう行こう。」  私たちはまた船尾の方へ廻った。  階段を下りる。と、突差に白い白い電灯の光がパッと眼に当った。私たちはくらくらした。  危うく転びそうになって、私たちはやっと私たちの身体を階段の欄干に支えた。そうしておずおずと下を差し覗いた。  其処は通路を中にした広い広い雑居の寝室であった。通路には紅い緒の草履や、スリッパが脱ぎ散らしてあった。  両側の雑然たる寝姿、それは白い蒲団は両側に整列しているが、足元や枕元には旅行案内、地図、トランク、雑嚢、水筒、ゲエトル、浴衣、洋杖、蝙蝠傘、麦藁帽などがかなりに、ほうりっ放しになっていた。  老いたるもの、若きもの、更に稚きもの、商人、学生、教員、画家、牧畜家、官吏、玄人筋らしい老婆と娘、各種の中流階級の人々が、仰向き、横向き、斜め向き、手を曲げ、足を蹴ぬき、潜まり、反り出し、歯をむき、眼をあけ、品よく、或は露わに、卑しく、または素直に子供のように眠りこけていた。 「よく眠ている。よく眠ている。」 「あっ、起きた。」  と、左側の中央部に、互に蒲団をきっちりと引きつけて、そうして、近々と向き合って寝ていた一組の若い夫妻の、その妻君の方が、ふっと眼を開けて、驚いたようにくるりと背を向けてしまった。 「あ。」 といったまま、私は階段を駈けあがった。 「いけない、いけない。早く早く。」  私たちはまた暗い甲板の上を歩いていた。 「や、無線電信が起きている。だな。じゃないかな。そうっとそうっと。」  幽かな、それは幽かな金属性の音律が、閴寂とした夜ふけの暗黒の中に、コチコチとカチカチと、それは遥かな白金光の小都会の何かの点音のように、絶えては続き、続きては絶え絶えしていた。だが、技師も今は眠っているはずだし、無電でもあるまい。それでは何の音であろう。幽界からの音信でも、何かが触知するのか。何か生きた者が、眼を開いてる者が、紙か、ペンか、受信機か、卓子か、椅子かの中にいる。 「あ、きこえる、あ、きこえる。」        * 「おおい、誰でん起きろ、おおい、先生が来た来た。来らしたぞ。」  船首へまた大迂回して、測量室の下まで来たところで、Yはいきなり大声を挙げて、三等船室の階段を駈け下りた。 「居る、居る、パンクしとる。先生、車輛会社が居りますたい。早うござり。」  成程、車輛会社は、三つ四つ並べた食卓の、とある隅っこと後ろの白ペンキの壁とにもたれて、ぐにゃりと、全くのところパンクしている。 「どうした。Sさん。」 「ううむ、どもならん。」 「浪の音、ソリャ、どっこい、浪の音ウか。どんこつ、おいか。」 「ううむ、お恨み申すじゃよ。」 「はっはっはっ、P公はどげんどんしたかな。P公。」  向うっ側の食卓の一つに、白服の詰襟のボーイ連、P・Q・Rが腰かけたままの突っ伏し姿で、どれもが一同にひっそりと、声ひとつない。  三等の食堂は一段上になっているので、下の雑居室は真上からそのまま瞰望せるのである。 「おおい、起きろ。や、起きとんな。しめた。先生が来た。さあ起きた。」  と、また、 「医専、慶応、早稲田ァ、二高、日本歯科、青年団、写真班、鹿児島ァ起きろ。」  と、起きた起きた。二等よりもより雑然たる諸相の中から、湧き出る、溢れ出る、転がり出る、飛び出る、それらの如く、蠢々として、哀々として、莞爾として、突兀として、二人三人五人の青年たちがむくりむくりと起き上って来た。 「やあ。」 「やあ。」 「やあ。」 「やあ。」 「ほう。」  P・Q・R、もまた叩き起されてしまった。 「酒だ、酒だ、やろう、おい。やりまっしゅう、先生、万歳だ。」 「やろう、やろう。」  祝杯。 「T君、君たちは起きていたのか。」 「え、なに寝てはいたんです。こんな晩にはしょうがないんですからね。でもねむってはいなかったんです。助かった。」 「僕も何ですよ、ねむったふりしていたんだ、つまらないんですからね。」 「俺だって、そうだ。Sさんのパンクだって知ってらあ。P公が弱りはてていたぜ。」 「そうだ、そうだ、どもならんどもならんだろう。」 「浪の音ウさ。ふっ。」 「や、まあ、いい、それじゃまあ飲もうや。」 「有難い。」 「歌おう、歌おう、や、やれ。」 関の五本松、一本伐りゃ四本、 「や、誰だ。」と下を。 「おうい、こっちだ、こっちだ。」 「起きて来い。」 「行っていいか。」 「おいで、おいで。」  また一人が、むくりと飛び起きた。 「出よう出よう、ね、諸君、僕のところの甲板に来たまえ。ここは安眠妨害だよ。さあ、出よう。」  出ましょう出ましょうで、一同がどかどかと階段を駈け上る。それ、麦酒だ、コップだ、いいか。 でかんしょ、でかんしょと、山家の猿は、ヨイヨイ。花のお江戸で芝居する。 ヨウイヨウイ、でっかんしょ。 でかんしょ、でかんしょで、半年ゃ暮らす、ヨイヨイ、あとの半年ゃ寝て暮らす。 ヨウイヨウイ、でっかんしょ。  青年はいい。活気そのものである。風の音も、大海の浪の響も、今は彼らの感興を煽るばかりに、暗く暗く輝いて来た。 「さあ、ここだ。とうとう還って来た。そこで、そこらの籐椅子をすっかり集めた。そうだ。一列に、みんなくっつけて。よし、さあ、歌った、歌った。」  一同はこれに勢を得て、歌ったも歌ったり、「春爛漫」から「都の西北」「春は春は」のボート歌、「城ヶ島の雨」「あわて床屋」「かやの木山」「りすりす小栗鼠」「煙草のめのめ」「さすらいの唄」みんなが知ってる限りの校歌民謡童謡流行唄は一つも残さず唄い終ってしまった。 「ああ、もう知らねえ。」 「草臥れてしまった。」 「寝ようや。もう。」 「万歳。」  どっこいしょと腰を叩く奴、ううむと唸る、ああと一人が両手を高く差し上げて欠伸をする、眼をこしこしとこするのもある。 「泣きたくなったよ、おい。」と、また一人が駈け出してしまった。 「じゃあ、これで解散だ。君が代君が代。」  流石は、そこで、粛として、並んで唱えた。  ほろほろと涙が滾れ落ちそうになる。 「万歳さよなら。」 「万歳さよなら。」 「諸君。また明日だ、さよなら、さよなら。」  後はしんとした。  キリキリキリと帆綱の鐶が鳴る。大海の暗黒の、風の、浪の響が、そうそうとして、急に凄く高まった。 「先生、わし、先生の裾の方へ泊めてもらいますばい。よかろ。」  Yだけは跡に一人残った。そうして談話室までまたはいり込んで来た。 「泊る。泊れ。だが、どうかな、君は九州っぽうだからな。」 「莫迦いいなさい。」 「俺はまだ美少年だし。」 「ふっ。なんちゅうこつじゃい。」 「いうにいわれぬ、その。」 「へっ。莫迦いいなさい。わしあ、そげん卑俗きこつ知らん。」  そんなら泊れと、私はソファの一つに寝て毛布を引っかぶる。Yは鍵の手なりに、私の足へその毛むくじゃらの両足を向けると、すぐに、そのまま、ぐうぐうと深い鼾をかき出した。  私もまたそれなりぐっすりと眠入ったらしい。  ふっと、眼を醒ますと、まだ夜は暗かった。足元を見ると、いつの間にかYの姿は掻き消えていた。  ああ、浪の音だ。  宗谷海峡も過ぎたであろう。もう夜が明ければ樺太だが。  キリキリキリキリと帆綱の鐶。  空はまだ暗い暗い暗い。 おおいおおいと何やらが 海の底から呼んでます。 どうせ、くらやみ、北の海、 おおいおおいで夜もふける。 安別 薩哈嗹州ピレオ 北方二里 アレキサンドロフスク 北方約三十里  海岸の白木の角標にはこう記してあった。日露境界第四方とまた一面に大書してあった。  十三日の午前のことである。どうにもひどい強雨であった。        *  本来からいえば、小樽を出て翌朝、私たちは樺太西海岸の本斗に上陸して、真岡より野田へ汽車で行き、一晩泊って、それからまた海路を国境の安別まで続航するはずであった。ところが、ちょうど摂政宮殿下の行啓と差合になるので、急に模様換えになって、そのまま北へ北へと直航することとなった。その十二日は全く薄らさみしい日であった。右舷にはいつでも鮮かな緑と寒い黒椴の丘陵とが眺められて、何となく樺太らしい物珍らしさが感じられたものの、いよいよ北緯四十五度の線を越したかと思うと、曇天の日の円までが、ただ白くぼやけて寒ざむと、頼りなく仰がれても来た。海は黒く、滑らかな大きいうねりが続いているばかり、やっぱし明るいようでも輝きはしなかった。それに午近くになってぽつりぽつりと雨さえばらつき出すと、風までが、これに加わって、どうにも怪しい雲行きと変って来た。 「今夜はともするとひどい時化になりますよ。」  すれちがいに私に挨拶した事務長の言葉がこれであった。 「明日はうまく上陸できましょうかね。」 「さあ、どうも、ちとむつかしそうですな。ここの海岸線はかなり荒いようですからね。」  そうして帽を一寸脱いで、向うへスッスと行ってしまった。  これまで、私たちはあまりに恵まれた航海を楽み過ぎて来た。少しくらいは時化にでも遭った方が面白そうな気もしたが、夜に入っていよいよ本ぶりになると、誰もが言い合わせたように晩飯もそこそこに済ますと、早くからてんでの船室に引っ込んでしまった。その中で一人、お能の笛を吹いている音色がしていたが、それもすぐに止んでしまった。  終夜が波の響と風の音と、それに雑多の──それは帆檣に降る、船室の屋根の上甲板に降る、吊ボートに降る、下の甲板に降る、通風筒に吹きつける、欄干に降る、──雨の音であった。船の揺れはますます激しく、私のいわゆる王様のベッドの洋銀の欄干、網棚、カーテンの鐶などは、しっきりなく音を立てて鳴った。 「おやおや。」と私は思った。だが、いつのまにかぐっすりと眠入ってしまったものらしい。夜が明けると、早くから飛び起きて、すぐにメリヤスの襯衣に浴衣で、ドアを押して見たが、颯と来る雨霧に慌てて首をすっ込ますと、早速にレインコートを引っかぶってしまった。 「なるほど、樺太は寒いな。」と。  オートミルとフライエッグスと一、二杯の珈琲。どうにも洋式の朝飯は日本人にはしっくりゆかないものらしい。そこで、その朝は船室に籠りきりで、番茶に梅干で温まると、ないしょで味噌汁に飯をあつらえた。酒の翌朝はどうしても味噌汁に限るのだ。白い飯からはほかほかと湯気が立つ。 「どうにもこれがいい。」 「うむ。やっぱりな。」  私と庄亮とは、自分たちの談話室のソファに凭りかかって、それこそ水入らずで、また沢庵をかりかり噛んだ。 「咽喉はどうだね。」 「まだどうもいけない。妙にそのお、ここが痛んでね。」と反対にぼんの凹を片手で叩いて見せた。 「湿布でもするといいんだがな。」 「いや、僕には按摩がいちばん利くんだがね。」 「あのアスピリンはどうだ。」 「やあ、あれも君のをもう半分もいただいたんだがね。熱は下ったようだが、腹の工合がどうもよくない。」 「西洋の薬はそうしたものだよ。局部的なんだからね。利くには利くんだが、何かの反応が外へ禍する。いわゆる全科的じゃないんだね。だから僕は草根木皮主義だ。漢法の方が東洋人には適しているよ。」 「そうかなあ。」 「そうだと思うね。煎薬というものは微妙なものだよ。たとえば風邪の薬にしたって胃の薬も腸の薬も適度につまんで入れるし、十種も二十種も調合して、それは丹念に刻み込むんだからね。あれがまた同じ処法でも、やはりコツがあるそうだよ。極めて精神的なもので、それは創作的なものだそうだ。芸術にしたところで、何といっても東洋精神に限るよ。」 「実相観入かい。」 「近頃の歌壇の慣用語でいえば、そうさ。だが、写生の語義を伝神とか実相観入とかに転用するのはちょっと変だね。写生は普遍化された語義としてはやはり単なる写生だからね。子規の写生にしてからが、空想味の深い浪漫的な詩歌に対しての写生説だったんだからね。一種の反抗運動として見るべきだろう。写生文にしてからがそうだ。ありのままの平面描写ということになる。南宗画などの象徴的省略とは違う。もし写生という言葉を文字どおりに生命を写すと解して、伝神にまで深めて来るとすると、写真でも写実でも、おなじ意味にとっても差支ないということになるね。だが、写真といえば写真器械によって撮影され現像されたもの、ハイカラにいえば印画のことだろう。写実といえばまたゾラ以降の観法だろう。応挙あたりの精緻な写実もそうだ。だから写生ということも語義としては在来の写生であるはずだ。実相観入にまで及ぼすくらいなら、もっと外の適当な言葉を持って来るのが正しいだろう。殊に写生の語義を内観にまで利用するのは考えものだよ。サンボリズムとリアリズムとは楯の両面だからね。それも主客円融ということは渾然として境涯的のものであって、写生は畢寛写生に過ぎないからね。実感に即する抒情までも写生とするのは、少々牽強附会じゃないかな。そんなこといったらまごころでさえ歌ったものは何でも写生歌ということになるね。だが、芸術上の語彙には一々特殊の色も香いもあり、習慣もあるのだから、伝統的に意義づけられ差別されたものは在来の意義や差別をおとなしく受け継いで置いた方が、混雑しなくてよさそうに思うね。それにむしろ東洋の芸術精神は実を徹して虚に放ったところにあるのだからね。隠約とか省筆とかだ。で、実相の観入といったところで、単なる平面描写の写生とは少くとも格段があるのだからね。もっと立体的な内観的な象徴的なものだからね。ところで、話はまた草根木皮に還るよ。聴くかい。」 「あっはっは、こりゃおもしろい。聴くよお。」と庄亮は、両肩から首を振って、豪傑笑いをすると、両手を蠅のごとくに頭の上で揉み上げた。 「いったい、この頃は芸術でも教育でも何でも彼でもあまりに専科的分業的になり過ぎている。で、いよいよ偏狭になり不統一になりやしないかと思うね。我々にしたところで、詩人とか、歌人とか、やれ民謡作家だとか、童謡詩人だとか、一面からばかり見て、手っ取り早く何かに片づけられてしまうが、これは少々擽ったいものだな。何故一個の芸術家と見ないのかな。とにかく迷惑至極なものだよ。人体からいっても解剖的にばかり見るのは近代医学の悪弊だな。だから肥厚性鼻炎の切開をすると肺や肋膜を悪くしたり、──それはどちらに基因があるかわからないがね──感冒の薬を飲めば胃をこわしたりする。体内の各種の機関は凡てが連絡なしには作用しないのだからね。病源といったところで、それからそれへと繰ってゆかねば、一局部の兆候だけですぐに極めてかかるのは飛んだことになりやしないか。漢法では全的に見るのだ。むしろ直覚的にだね。僕の知っているH老先生なぞは、患者の顔色を見ただけで投薬してしまう。病気の器が面前にあるのだ、何で手を執って診る必要があるというんだ。理窟だね。そういえばそうに違いないさ。それで百発百中だから驚くさ。その先生は観相もやるし、仏典にも通じている、易学なぞは大家だというんだがね。人体を宇宙と観ずるという漢法医の道は術でなくてやはり道であるのだろう。単なる学理でなくて、創造的な直感的なものだろう。つまり心で観るのだ。」 「歌とおんなじだね。」 「そうだ。実相観入だね。あははは。そこでその先生は自分でコツコツと刻むのだ。一人前の薬を三十分もかかって彼是と調合するのだね。僕らが詩や歌を作る時のように、コツコツとやっている。その事に遊びほれるのだ。色々の草や木の香いを嗅ぎ分けながらだよ。そこがうれしいじゃないか。いったい感冒の薬は杏仁水が何グラムで何が何グラム、一日三回分服といった風に、すっきりと極めてもかかれまいじゃないか。もっと薬剤の配合は霊感的なものだと思うね。そこで面白いのは、こういう青年があるんだよ。もと僕の家にいたのだが、外国語学校の英文科を苦学して出ると、語学の先生になったところで莫迦莫迦しい、漢法医になるというんだ。今時には変っているだろう。学生時代にすっかりH先生に傾倒してしまったのだ。そこで易などに凝り初めて算木を寄せたり筮竹などをジャラジャラやり出した。や、なかなか当るよ。」 「あ、あれか。僕も知ってる。それ、君のところで何時か逢った、あのT君だろう。ありゃ、うまく当てたよ。副業線が莫迦に発達しているから、家業は継げなさそうだとか、結局親父の腰巾著だとやったね。どうも、やあ、閉口しちゃったよ。」 「そうそう。あの時は君も参ったようだったね。」 「ところで、何かい、T君は今どうしている。」 「台北へ行っている。中学の英語の先生さ。止むを得ない事情があってね。だが、すぐに帰って来るだろう。H先生の内弟子に住み込む覚悟でいるんだからね。何でも台北で病気をした時、総督府の病院へは行かないで、ないしょで土人の医者のところへ礼を厚うして診てもらいに行っていたとかで、同僚たちからすっかり愛想をつかされてしまったらしい。いや、みんなが呆れてしまって、旧弊も旧弊、頑愚度すべからずと笑われていると消息して来た。それがまだ二十三、四の青年だからね。おもしろい。だから、構わない、やれやれとこちらも激励しているのさ。ところで僕の方もこの頃はすっかり草根木皮で、ぷんぷんさしてる。薬でも日本酒のようにお燗をした方がほんとうの薬らしいからね。ビーターミンAがどうのBがどうのもあるものかい。ほうれん草のひたしでも食べたがずっといいんだぜ。」 「そりゃ、こっちでいう事だよ。俺んところの蒜肉や大根のうまさはどうだ。君はいったい美食すぎるよ。あんなに肉ばかし食べては危険だぜ。胃癌だとか糖尿病だとか、おしまいはきまってる。」 「そりゃ、君のところの野菜はすばらしいさ。印旛沼は格別だよ。ところで、僕にしたってこの頃はすっかり調味法が変ったね。ほとんど生のままの味で煮出している。それにだんだん菜食党になって来た。そりゃ年齢にもよるだろうが、やはり東洋精神への還元だね。」 「なるほど、そこで水墨集ができたわけかね。」 「僕ばかしじゃないよ。画の方だって、だんだん還元して来るからおもしろい。とにかく東洋は東洋だよ。真の象徴芸術は東洋にあると思うね。」 「ウイスキーより、俺あ日本酒だ。」 「だろう。だから芭蕉の句なぞが、毛唐にわかってたまるものか。童謡だってほんとうは境涯のものだよ。極めて単純化された。むしろ禅でなければなるまいと思うね。実相はあくまで深く観ての上のことだよ。スティヴンソンとかウォタア・デ・ラアメエヤだとか、大したものではあるまいじゃないか。殊にスティヴンソンの童謡などは常識的で、大人が推測した童心らしいものであって、畢竟の境涯的の童心じゃない。毛唐でさえあれば新進作家だろうとヘボ詩人だろうと忽ちにどえらい偶像にしてしまうのは悪い癖だ。日本語が世界語でありさえしたら、古来からの日本の詩歌人たちの方がどれだけ偉らいかわからないと思うね。よくは知らないけれども。民謡にしたところで、「外国の牧歌が素朴で快活だ、日本のは消極的でお座敷趣味だ。淫蕩だ。享楽的で無智だ。」なぞと、すぐに日本を打ち消してしまいたがる人があるが、それは記紀から万葉、催馬楽、田楽、諸国の地謡というものを真には研究して見ないからだ。すばらしいぜ、田歌なぞは。でなくとも、今の信州その他の青年たちが作る短歌はどうだ。立派に歌壇の水準を出ているじゃないか。それもほとんどが耕作したり、養蚕したり、縄を編んだり、馬を追ったりしている。それぞれに自己の生活を凝視めている。しかも彼らの歌がただに素朴な農民の歌謡だぐらいのものでなかろう。立派に短歌道の上からも教養があり鍛練も経ている。人数からいっても歌人としての価値から見ても、恐らくこれほど高い民衆芸術は西洋の田園にはあるまいと思うね。何故もっと日本人は日本の芸術を内省して見ないかと歯痒くなるな。一にも西洋二にも西洋だ。それに昨今のアメリカ化はどうだ。」 「だから、俺は印旛沼を開墾するというのだ。よかろう。やるぞやるぞ。」  と、「安別だ。安別だ。」と誰か走ってゆく声がする。 「や、安別だな。」 「おお、そうか。着いたな。」  驚いて、二人は立ち上った。  激しい雨の音と、波の響だ。        *  鮮かな緑の低い丘陵、そのところどころの黒と立枯れのうそ寒いとど松林、それだけの眺めの下に、ぽつぽつと家が五、六戸。冬ならば、とても荒まじいであろうところの辺土である。  これが日露国境の安別かと思うと、鬼界ヶ島にでもまざまざと流されて来た感じである。  いや、それでもまだ平らかな丘の端れに白い小さな洋館が見えた。測候所ででもあろう。そのまた北寄りのこれはやや小高く辷り上った傾斜面の中程に、鼠いろの天幕が一つ角錐状に張られてある。  見ていても激しい荒波である。それも強雨の霧しぶきの中の浜辺で、あちこちと奔走している黒い人影までが、つぎつぎと吹き飛ばされそうに撓んでいる。  ぼう、わう、わう。  あ、犬が吼えてる、吼えてる。  と、小さな鈍いろのランチが高く低く、のめりそうに高く低く、その荒浪を乗りあげ乗り下ろして来る。ぼうぼうぼうぼう。汽笛ばかりがけたたましく弾みをつけながら、横さまに倒れ倒れ起き上って来る。と、後に曳いた大きな艀に、洋服や半纏著の二、三人が立って、何かしきりに帽子を振っているが、とても凄まじい揺れ方である。  その時、私たちは思い思いの防水用意をして、既に右舷のブリッジのそばに犇々と詰めかけていた。  ランチは程よい距離に近づいたところで、曳綱のロップを放すと、代って艀がひたひたと近づいて来た。巡査と村長さんらしいのが直立している。いかにも素朴な風をしている。此処にもそうした人たちが住んでいたのかと思うと、何かしら心強くもなる。  雨は幾分かずつ小降りになるようであるが、波のあおりはいよいよ激しくなるばかしである。ともすると、艀が舷側のブリッジの中程まで糶り上って、ガチガチとやると、すっと堕ち込んで離れてしまう。 「そおれ、あぶないぞ。放せ、放せ。」 「やいやい、そのロップを投げろ。」 「それっ。ちぇっ。駄目だ駄目だ。」 「莫迦、こっちへ寄越せ、なあんだ。あっはっは。」  それも、やっとのことで、どうにかブリッジに繋ぎ留めると、第三班からどかどかと気早の連中が降り出す。「あぶない、あぶない。」である。  と、ランチにまたロップを放る。ランチはまた波飛沫を上げ上げ、半弧をえがいて、ぽつぽつぽつと引き返してゆく。 「万歳。」と艦上から誰やらが麦稈帽を振る。艀からは、タオルをかぶるもの、マントの頭巾に眼ばかりのもの、蝙蝠傘、ハンチング、誰、誰、誰、誰、いつも見知っているそれらが一斉に「万歳。」である。弥次る、はしゃぐ、手を振る、顔で笑う。  すばらしい波と雨と霧。艀は見えつ隠れつ、思わぬところに帽子の幾つかを見せてまた波の向うにずり込んでしまう。そうして割合いに早く小さくなってゆく。その間にも浜ではもう一つの団平が騒いでいるのだ。 「これは大変だな。命がけだな。」と笑っていると、つい傍にH夫人が小豆色のコートをつけて、タオルで頬かぶりの、鼠いろの眼鏡をかけて、ちらと愛嬌笑いをした。 「や、あなたもいらっしゃるのですか。驚いた。」 「ほほ、えらいでしょ。この恰好。」 「えらいな。タオルはいい。僕もかぶって見ようかな。もう一つこの上から。」 「そうなさいましよ。これ、浴室のタオルですの。」 「しめた」笑ってると、いきなりぴしゃりとズボンのお尻を叩かれた。 「白秋さん、しっかりなさいよ。」  ひょいと振り返ると、旦那様のH君だ。 「やあ、しっかりしている、している。」  これには驚いてしまった。  ところで、私たちの第一班がようやく艀に乗り込んだ時には、第三班のそれらより恐らく一時間は遅れていたろう。  と見ると、もう先発の一群は黒蟻のように、北寄りの緑の斜面を、黙々と螺旋状にのぼっている。角錐形の天幕が一つ。その上の頂ちかくまで匍い上っている影も二、三は見えた。 「あれが国境だな。」と私は見た。  波のなだれが颯と頭からかぶって来た。雨がまた勢を盛り返して来た。        *  それから、白木の角標の薩哈嗹州ピレオ北方二里に遭遇ったのである。  そこで、さきほどからの強雨はいくらか細めになったが、細身の洋杖蝙蝠傘をとおして、私はまったくのずぶ濡れになってしまっていた。私は黒の背広の上に薄緑のレーンコートをつけ、白の運動帽をかぶった上から、浴室用の厚いタオルをかぶり、それも吹き飛ばされないために、その首根っこを、また一つの手薄なタオルで、後ろからキッと引き締めて、首で結んで、あまりを長く垂らした、まるで白い兜を冠った川中島の信玄といった風である。  こうして私は国境安別の砂浜に立ったのであった。  上って見ると、沖から見た通りの、それは荒涼たる寒村であった。  先ず目についたのは鑵詰工場らしい、ほとんど吹き曝しのバラックだ。大きい、犢ほどの樺色の樺太犬がのそりと、その前には出ていた。ざくりざくりと薄墨色の砂を踏むと、昆布や赤い大きな蟹の殻や流木の砕片や、何かの脊椎骨が雨にじっとりと濡れて、北海の漁村らしい臭気が鼻をついて来た。  とうとう国境まで来たのかと思うと、ひえびえと私は雨の湿りに顫えたが、また、子供のように其処らを駈け廻りたくもなった。 「や、車前草だ。素敵素敵。」  それは樺太事前草とでもいうのだろう。すばらしく大きな葉だ。それが踏めば実に柔らかな緑をしている。砂浜から一段上ると、その車前草に縁どられた径が続く。大勢通ったのでひどい泥濘になっているので、私は草の上を歩く。 「や、驚いた。馬鈴薯の花だな。」  内地では五、六月の薄紫の馬鈴薯の花だ。蕊の黄色い新鮮な花。 「や、菜の花だな。これは驚いた。」  とある漁師の家の窓からは女の子がたった一人面を出していた。その前の畑には、いかにも雨に濡れた黄の菜の花が咲き群れていた。それに豌豆の花、背の低い唐黍。葱坊主。  この国土のはてに来て、この鮮かな野菜の花を見ることは。この暮春と初夏との色。  私はまたびしゃびしゃと緑の上を歩いてゆく。この車前草の踏み心地は。  雨がしだいにあがりかけて来た。が、まだ横なぐりに吹きつけるものがある。  砂浜には、細い丸太の長方形の高い柵が、その雨と風との中にさびしくわびしく続いている。網小屋のようなのも目につく。私は道連れの巡査さんに訊ねて見た。 「これは何です。」 「鰊乾場であります。これは廊下と申しまして、ここへ鰊を乾すのであります。」 「この小屋は。」 「これは納壺であります。網や雑具を入れるのであります。」  その外に大きな釜が二つずつぐらい据えっぱなしで、何れもが激しい鰊の臭気でとろんでいた。釜の中のは鰊粕であろう。粕の上には雨が降り溜り、脂がぎらぎらと浮いている。そのにおいだ。季節はずれだし、無論そこらには鰊らしいものは影も見えないで、たまたま昆布などがヒラヒラとしているきりであった。  と鴉が飛んだ。大きな黒い鴉だ。  ぞろぞろと汚らしい男女の童どもが出て並んだ家の戸口には、軒ごとに紙製の日の丸の旗が掲げられてあったが、それも紅が流れにじんでもうピラピラになっている。髭むじゃの男の顔も、そそけ髪の淫らがましい女の顔も、むさくるしい二階の窓から好奇らしく私たちを眺めていた。それはたった一軒の旅館兼料理屋らしかった。襖の染点までが浅ましかった。  大きい納壺の一つは戸が開けっぱなしになって、とてもすばらしい黒熊の毛皮がその形なりにぶら下っていた。その黒い黄の交った粗々しい毛並には雨霧が降っかかり、内側の白い皮までがすべすべと冷えきって何か無気味な、その納壺の奥には網が網臭く積まれ、土間には赤子を負った赤い髪の目の大きな女の子が、ただむっつりと時化波の荒海を眺めている。団員の二、三はその中へずかずかとはいって行った。吊るされた熊の毛皮がくるくると、顎から廻り始めた。  駐在所があり、郵便局があった。間を隔いてぽつりぽつりと、それはバラック式の果敢ないものであった。以前に、国境守護の駐屯兵が住むために急造したという小舎のままであるらしかった。東洋風の簡素なものだ。  だが、何という巨大な虎杖であったろう。それらの小舎のうしろ、丘の崖から下の裾まで、叢生した虎杖の早くも虫がついて黄ばみかけた葉の間には、今まさに淡黄緑の花盛りであった。それに丈の高い女郎花に似た黄色い草花の目ざましさは。私はまた佇ち停って、これらの初めてみる樺太の景趣に目を円くした。  それは燃え立つような細い赤い実のつやつやとむらがった名も知らぬ木の藪があった。 「あれは何の実。」 「ななかまど。」 と一人の男の子が私の問に答えた。  風と雨とがまた激しく音を立て初めた。 「おおい、おおい。」  前から、後から、わが団員の数々が、その風と雨と、しぶきで飛んでゆく霧の中から呼び応える。  こうして、私たちは国境の天測点へと、草ばかりの一つの丘の頂辺を目ざして、泥濘のひどい小径をうねりうねりして登りにかかったのである。        *  既に天測点を見極めて続々と降りて来る誰彼は、頭の上に大きな驚くべき蕗の葉を傘代りにかざしていた。杖にしてついてである。 「ほう、それが樺太蕗ですか。」 「ええ、大きいでしょう。」 「何処に生えています。」 「やたら一面です。」  ほうとまた驚きながら私は登る。靴に巻きゲエトルだが、わざわざと普請して土もまだ柔かなところへ、大勢で雨の中を踏みくずしたのだ。靴も何も泥まみれになる。それに足がかりも悪く、坂は急になるので辷ることおびただしい。私はとうとうのめりそうになって、強く突き立てた蝙蝠傘に思わず全身の重みを托したので、それが弓のように撓むと、その柄からボキリと折られてしまったものだ。柄にもない華奢な洋杖蝙蝠傘などを買って来たのがそもそもの過りであった、私は苦笑して、その柄と尖とを両手に持った。  斜面の中腹に出たところに、例の天幕があった。天幕の裾ははたはたと風にあおられていた。人声がしきりに笑っているので、濡鼠のまま飛び込むと、それは私たちのために村の青年団の人たちが番茶の接待に出てくれているのであった。  麦酒にウイスキー、キャラメル。  まことに赤いシトロンと草の緑は天幕の内部を明るくする。  私は麦酒を技いて貰ったが、凄まじい強雨と荒海の潮鳴りとに耳傾けながら、この国境の山上で味う麦酒の味はひえびえとしてそれもいい記念になるだろうと思えた。その色も泡も。だが、私は金を払うことを忘れて、一気に斜面を駈け上っている私自身をその後で見出した。        *  そこらは虎杖の花盛りであった。樺太虎杖の花は内地で見るようなほのぼのとした淡紅いろを含めていないが、その緑がかった薄黄は却て虔ましくてあわれであった。それが雨と霧とに濡れしずくになっているのである。  太い丸太の無雑作な二坪ばかりの周囲の柵があった。その柵は朽ちかけて、既に外皮のところどころはボロボロにくずれかけていた。その中に日本と露西亜との境界標石が厳然と立っているのだ。正方形の台座に据えられた鼠いろのその標石は高さは二尺にも満たないであろう。北面に鷲、南面に菊の御紋章が浮彫りにしてあった。私は露西亜領の虎杖の草叢にもはいって見た。  北を眺めると、その海岸線は南と同じようなさして高からぬ丘陵が続いて、立枯れのとど松の疎林が、しきりなく流るる雨雲の下にほうほうとうち煙って見えた。寂とした国境であった。  露西亜人村のピレオはつい、一つ二つ向うの丘の蔭にあるのだと聞いた。時々出猟する彼らの或る者の姿さえ見かけることがあるともいう話であった。国境とはいえ、警備隊も監督官もいるわけではなし、出入自在であるようにも見られた。簡単なものだと私たちはまた顔を見合せた。  ここでカメラを向ける者がかなりパチパチやった。  私と友とは、ここで一つ撮ってもらった。武田信玄と国定忠次という奇異な恰好でである。  誰だか露西亜の方を向いてつくづくと放尿していた。  天測点はついその上にあった。海上一キロメートル若干の地点である。  其処にも虎杖の花は今がまさに盛りであった。 この虎杖は露西亜領の花  歌の四五句が口をついて出た。だが、一二三句はどうしても出来ないで、私はまた帰路についた。  そこで天幕に再びもぐりに行ったものだ。 「麦酒の代は払って置きますよ。」  それからシトロンを一本あけてもらったが、また金は払わずに飛び出す私を私は見出した。  慌ててまた引き返した。  すばらしい斜面の緑、辷る辷る辷る。        * ワレラコクキヤウニアリ  妻子を初め東京の諸友に、その安別から打電した時には、私もまた意気軒昂たるものがあった。  小学校の粗末なテエブルの上で、私はしきりに頼信紙の雛をのべていたが、庄亮君はまた絵葉書に即興の歌などを走り書きしていた。 国土のはたてに我は来りけり薄紫の馬鈴薯の花 「これはどうだい。」と訊くから、 「そうした四五句は僕の三崎の歌にもあったよ。」というと、 「こりゃ困ったな。馬鈴薯の花でなくちゃならねえところなんだがな。」と、笑って頭を掻いた。 「君も気がついたんだね。」というと、 「驚いたよ。全く。あの馬鈴薯の花の新鮮なことったらないじゃないか。あっはっはっ、こりゃ困ったな。とにかく。」となって ことごとく名は知らぬ草ばな と訂正した。  駐在巡査のYさんが、そこで扇面など拡げて来る。が、しかたなしに私も筆を執った。 この虎杖は露西亜領の花 「半分しか出来ておりませんよ。」  この時こそ、泥靴の、びしょ濡れの、異様奇体の団員の群集で、いっぱいに充たされた校舎であった。騒々囂々たるものであった。  熱い熱い湯気のたつ番茶の土瓶を持ってしきりに奔走していた人の中で、まだ若い都会風の色の白い夫人があった。郵便局長の奥さんだということであったが、誰だか、 「こうした処においでになってお寂しくはありませんか。」とそぞろに同情している者があった。 「おほほ、それは寂しうございますけれど、馴れればそれほどでもありませんの。」 「でも、冬はたいへんでしょう。」 「ええ、それはもう。」と流石に肩をすぼめたものである。  見まわすと、窓の上、四方の板壁には、フランクリン、リンコルン、ビスマークだ、西郷南洲、そうした世界的英雄の廉物の三色版がさも大業に掲げられてあった。なるほど、此処は明治の二十年代だなと思うと、果してどんな教育が行われているものかと微笑された。 「童謡はやっておいでですか。自由詩は。」 「いや、一向にまだやらしておりません。内地にいました時は、考えてもいましたが、こうした辺鄙な処では、ごくごく程度が低いのですからな。お恥かしい次第です。」と教員さんの一人がすっかり恐縮してしまった。  生徒といえば、あの納壺の熊の毛皮の傍にいた赤毛の大目玉の女の子や、アイヌ式の、または劉生式の童男童女どもだろうと思うと、それもあわれであった。  艀の幾度かの往復に、自分たちの順番を待つ間を、私たちは、そのとっつきの鑵詰工場の中へはいって見た。仕事は休んでいると見えて、その板敷きの広間はガランとして、例の大きな樺太犬なるものが獅子のように傲然とその真ん中に蹲っているだけであった。ただ、これも大きな一つの溜桶に透明な掘貫きの水がなみなみと溢れ、こんこんと湧き出ているのが珍らしかった。奥では燻製の鰊や、蟹の鑵詰の鑵や、シトロン、麦酒の瓶などが、売品として、二、三の卓上に飾り立ててもあった。楣間の即製のビラを見上ると、 黄ストロン   一本参拾銭 赤キング    一本参拾銭 水雷サイダア  一本弐拾五銭 と拙い字で、しかも赤インキで丸々をつけたのが、「なるほど此処は樺太だわい。」とおかしがられた。  その黄ストロンをまた一本あけてもらった。        *  本船へ帰ると、私たちは初めて自分たちの塒に戻ったような気安さを感じた。何かさびしい、あっけないような国境の印象であった。  午後には、やや西の方が霽れかかって、時が経つにつれて、赤いぼやけた雲の色になった。日が短くて、薄ら寒い空気であった。  能楽の笛がまた何処かの甲板に鳴り出した。  人々はまた椅子を持ち出し初めた。ずらりと外洋を向いては並んでいる。 「赤化は絶対にいかんです。」と誰やらが叫んでいた。 「とにかく、現代はあまりに無秩序です。学生間にでもですな、この際大いに尊皇の精神を鼓吹せなくちゃならぬ。そこでですな。私は天照皇太神宮と、阿弥陀仏と、我が皇室と、この三体を一つに祭って、いやその祭壇を私の家庭にこさえたのです。私は神でなければならぬ仏でなければならぬというような偏狭でなしに、それに皇室と、つまり神を敬い仏を信じ皇室を尊むという、この主義信念を持って毎日礼拝している。家人にも礼拝させる。訪ねて来る学生にも礼拝させる。これが実に日本人であるところの。」 「あれは誰だい。まるで中学生の演説口調じゃないか。」と一人が伸び上ると、 「京大のA博士だよ。叱っ、しずかに。」とまた誰やらが慌ててすっ込んだ。 「そうです。現代の人心は実に浮薄です。救うべからずです。」とまた頭の頂辺から火のついたような、外の声がする。 「へへん。」と医専が舌を出した。「ブルジョアが何だい。階級が何だい。チェッ。」と何かしきりにスケッチをしている。 「俺が処来て見ろ。西郷先生の城山で切腹さした短刀ちゅうもんが、チャンと蔵してごわすじゃ。手紙でん何でん持っとる。来て見ろや、そりゃ、えさっかぞお。」 「喧嘩じゃないかね。びどく暴れてるじゃないか。」と、自分たちの談話室では庄亮が湯上りの浴衣の胸をはだけて、濡れ手拭で、きゅうきゅうと、まだ紅みの残ったその首筋を拭き出した。 「なに、あれは地声だよ。薩摩人だよ。ほら、あのA爺さんさ。」 「そうか。あの人はたしか城山に家があるといっていたね。」 「うむ、あれで、汽船も持っていれば自動車も持っている。山も持っているという話だ。何でも富豪だと聞いている。」 「えらい元気だね。喧嘩だったらひとつ出てやろうと思ったがね。」 「ぬうっとかね。」 「あっはっは。」 「お得意の剣道も当にはならないよ。尾山の篤二郎と相上段というところでね。」 「やあ、これは参った。いつかの歌の会のテエブルスピーチかい。失敬失敬。」 「だが、今日はずいぶんみんなが亢奮してるじゃないか。」 「草根木皮の祟りだろうよ。」 「あははは。まあ紅茶を一杯いただこう。」  私たちは、早速に船室の浴槽で、身体を温めて、さばさばした浴衣の着流しで、卓に対い合った。それから間もないことであった。 「今夜は飲めそうかね。」 「いや、どうも咽喉がこれじゃあね。」 「困ったね。大切にしたまえ。僕は三等へでも行って遊んで来よう。気楽でいい。」 「三等も今夜は亢奮してるぜ。」 「何にしろ、あの吹き降りに国境を見て来たんだからね。少々は変になるだろう。」 「だが、A博士はなかなか国粋党だね。」 「あれでね。まあいいさ。日本精神への復帰ということだろうから。僕はこれで真実の尊皇だからね。」 「そうだな。それは知ってる。」 「結局日本は日本だよ。日本人は日本人だ。」 「となるね。」 「何でも東洋芸術に限る。そう思わないのかな。」 「あっはっは、思うよお。」と、我が庄亮は、また蠅の如くにその両手を頭の上で揉みあげた。  銅鑼が鳴る。  お、夕餐だ。  船が出る。スクリューが響く。汽笛が鳴る。お馴染の船室の揺れが、コトコトとまた笑い初めた。 附記  安別の小学の生徒たちのために、私は一つの童謡を茲に贈り物とすることをせめてもの私の心やりとする。 海は鞋鞍、 夏の暮。 犬よ、のそりと 出て見ぬか。 鰊乾場の 葱坊主、 鴉つついて 啼かないか。 ここはお国の 北のはて、 赤い夕日も もう寒い。 パルプ  甚深微妙の音もなき響の響が其処にはあった。内に黒く剛い、しかし外に灰銀の柔かな、平滑な光の面、面は縦に大きく円く、極めて薄手の幅を持って、その両面が、一方は紫の陰影をしかもまた旋転光の数かぎりなき細かな輪の線を辷らしながら、目にも留らぬ速さで廻っていた。無論腕木の支柱があり、黒鉄の上下槓が横斜めに構えてはいた。その把手を菜っ葉服の一人が両手でしっかと引き降しに圧えた刹那である。  椴松の伐りっぱなしの丸太の棒が、一本ずつ、続々に、後から後から、鱶のごとく、鯨のごとく、鮫のごとく、生き、動き、揺れ、時には相触れ、横転しつつ、二条のレールの間を、エスカレエタ式の流れに乗って、遠い屋外の白光から、一旦黄色光に変じ、黄色光から、宏壮な機関室に入って、やや本然の木地の明りにその色は沈静して、しかして、コトリコトリと首をもたげて来る。その一列の丸太を載せて、流れは極めて単調である。疾きがごとく、遅きがごとく、流るべくして流れ、移るべくしてただ移る。いわゆる淡々たり寂々たり、虚にして無為だ。  時にまた、レールの上、十二、三吋の空間をあけて、かの直径七十吋余の截断刃が、むなしくその霊妙音を放って、ただに劉喨粛々と空廻りしているのである。その旋転光。  と、第一の丸太が流れてその関門にかかって来る。恐ろしい刃の下に。  丸太はすでにその荒皮を剥がれているのだ。何時のまに如何なる機械によって、かくもすべすべとなまなまと、木地も露わにめくられ引きむしられたかそれはわからぬ。その生肌が目を瞑って来る、仰向いて、観念して。うち見るところ、恰かも両手両足を断ち斬られた素裸の美女の首付きの胴体である。しかも生きている、顫えている、わなないている、気死して醒めて、痙攣して、極度に蒼ざめて、また赤く熱して、膨らんで、張って、真っ白に死ちかかってである。もはや逃れられぬ運命が、瞬間が、しんしんと、淙々と、その目前に鳴っている、待っている、澄んでいる、閃めいている。と、ものの一尺ばかり遣り過して、  じゅう……である。  その膨れて張った、すべすべとつやつやとした美女の生肌の、丸太の首根っこに、灰銀色の旋転光の截断刃が、物の気持ちよく、それも音もなく、(恐らく澄心の極とはこうした無音だろう。)閑かに、無気味に、降りて、その円弧の端が触れると、  じゅう……ううである。  そのまま、じいいい……と、底無しに喰い入り、圧しつけ、放して、すうっと空へまた十二、三吋あがると、流るる胴体は二つになって、截目も見せずに滑ってゆく、その腹部をまた、  じゅう……である。すうっである。  幽深見難し、甚大無量の、また、円満無礙の、謂うところのおぎろなき物、この霊妙音は何から来る。おそろしい截断刃はただ廻っている。  神性の惨虐、虚無。  私は息を呑んだ。  丸太はまた、次から次から流れて来る。菜っ葉服はただ、上下槓を下げまた上へ放つ。これしも黙々と、秒をはかり、吋を見、じいいと深く、それも瞬時に圧えて、殺して、すうっと放つだけである。  だが、何とすばらしい截断であったろう、虐殺で。  静かに佇んで、私は身じろきひとつしなかったが、また目ばたきひとつしなかったが、私は確に心でわなわなした。だが、何という快感。恍惚たる無上の残忍感。  私はまったく美女の胴体を、その戦慄の対照として想像した。ああ、このいい知れぬ怪異の殺人。  そればかりでない。私は流るる丸太に自分自身の肉体をすら感じていた。  じゅう……である。  何といい気持ちだろう。ああ、一思いに殺られたら。うんともすんともいう間はないのである。じいいと深く寸のめりに喰い込まれて、すうっと放たれる。その刹郡の快感。恐らく突かれ、斬られ、射たれ、搏れ、絞められ、毒されるあらゆる死難よりも、どれだけ恐ろしくて、また安らかであるか。無量苦と無量喜。  廻転する截断刃は、劉喨と、また、音なき音を深める。何という霊妙な誘惑、誘惑、誘惑。  そうだ。じっと目を瞑って、仰向いて、観念して、流れるままに、この截断刃の下を、こうして粛々として遣り過ごされて、じゅう……うう。  あっ、私はその時、青くなって、飛びあがって、我に返って、駈け出す私を見た。        *  斧だ。  大きな部厚な斧、上の縁が黒く、中が両方から内へ反って、また開いて煌々とした斧。  これが、ゆっくりと、寛々と、まるで象がうなずいて、また鼻を退く、そのように、立てた六、七吋ばかりの高さの丸太を、ちょいとやる。ほんのちょいと触れて退くだけだが、ばらり、すんすんと縦に割れてゆくのだ。音ひとつ立てるものでない。  截断された丸太が、ころりころりと、ころがって他のレールへ移ると、敏捷く菜っ葉服の一人の手へ捕えられ、重々とこの吊り下った大きな斧の下へ立たされ、ちょいと縁を割られ、くるりとなると、また他の縁をちょいちょいと割られ、ぱんとまた、二つ三つに割られて、ぱらりとなる。  槓杆の、片手は軽い。だが、大斧の、威力は籠る。  鼻が無くてしかもかの象の鼻のアンダンテ。  斧は重くて軽い。ちょいである。  これはまた思無邪の惨虐。  知るがごとく知らぬがごとく、鈍重で、宏量で、斧はうなずく。虚心平気とはこの事であろう。  斧はうなずく。 「則天無私。」「則天無私。」  ちょい、すん、ぱらり。  漱石の非人情もここまで来ればおもしろい。  天とは、言葉を換えていえば、「絶対の冷酷」そのものであろうか。        *  囂々々々々々、轟々々々々々、  混雑、擾乱、圧搾、粉砕、散乱、微塵、芳香、光、光、光。  や、木っ羽だ、木っ羽木っ羽、木っ羽微塵だ。流出だ。氾濫だ。と、私は呆然とした。  コトリコトリ、トンタンと、割られた、丸太の、体のいい薪ざっぽうが、レールの間を流れて、ゴトリゴトリガラガラと、放り落される、と、その井堰型の粉砕機の中での、たちまちの雑音囂音、大動乱である。  何とすばらしい短時分の粉砕、まさにこれ、霹靂的の粉砕なりである。  椴松の、丸太の、美女の胴体の、今のこの無慙である。  型態すでになし。椴松の生体はここに一切木っ羽微塵となってしまった。  何とまた驚くべき強力の、暗室内の惨虐だろう。  思うに、前の大斧は則天無私のちょいであったが、これはまた魔神の怪異である。少くとも一千人の金剛力者は、この機械の中に暴れて居る。何という破壊力だ。 「おそろしい機械だな。」と参観の誰かがいった。 「パルプといやはるのは、へえ、この木っぱだすかいな。」と誰かが、その木っぱの二、三片をその生っ白い掌の上でザラザラとあけた。  ああ、そうだ。パルプ、パルプ。  高麗丸船上から、この朝、私たちが瞥見した、あの濛々たる黒煙を吐いていた五、六本の大煙突の立つ真岡工業会社の内部に、私たちは今まさに、兢々然たる胎内潜りをやっているのだ。  パルプ、パルプ。        *  観光団員の一人は、鼠色のセメントの壁面に挿まれた、青色の急階段の半で、よろよろと倒れかかった。顔が真っ蒼になっている。慌てて、その男を誰かが引っ擁えて下へ降りた。 「毒瓦斯だ。」わあっと白ヘルメットの近眼鏡が、その背後から転げ転げ逃げ降りたものだ。一種異様の悪臭が私の鼻をも衝いた。うむ、むむむむである。 「あははは、亜硫酸瓦斯だよ。大丈夫。」という上から笑い声もした。  そこで、また、どかどかとあがった。それでも半数は階下の開き戸から表へ飛び出してしまった。空気、空気、空気。  なにしろ、一同、生れて初めて見た截断刃、大斧、粉砕機などに仰天し戦慄し畏怖しきっているのだから、突然、しゅうしゅうと斜め下ろしに吹きまくって来た亜硫酸瓦斯の悪気流には、全くのところたじたじたじとなったにちがいない。  蒸し熱い、激しく臭う、沸々沸々沸々とした何かが、階上に充ち満ちていた。樺太とはいっても八月の炎暑である。鼠色の壁の幾つかの煤けた硝子窓からは、流石に強烈な日光が流れ込んで、そこらの麦稈帽や鳥打帽や赫ら面や鼈甲縁の眼鏡やアルパカの詰襟のぼんの凹などが一時にくわっと燃え立って、それらがその光線を壁の影へ越えると、また後から後からと来る浴衣や、女帽や桃色のスカートに明って揺れて熾った。  ハタハタと白い扇子やハンカチーフが群蝶のように舞い出した。おおかたは鼻口を固くふさいだものだ。ところで、「やあ、こりゃあ、どえらい羊の胃袋だなあ。驚いた。」と、頓狂な、金魚眼をひんむいて、また「ひゃあ。」と叫んだ道化者がいる。  見ると、大きな大きな木釜のどれもが、にちゃにちゃと、まるで口の中で噛みつぶしたラブレタアそのままの椴松の繊維で、薄ぐろく、盛り高く、一杯に満ち溢れていた。阿剌比亜夜話の魔法にかかった王子や王女たちの羊の、一千匹も捕えて来て、それらの胃袋を断ち割って、中のどろどろを掻きさらって、一ところに集めたら、成程こうでもあろうか。  だが、片々に粉砕されたとはいえ、あのパルプの薄紅い光沢の木っ羽が、木の肉片がこのもこもことした、軟柔かな、粘りの酸っぱい、繊維の、一種の木の練り粕にたちまちの間に変形するとは。  沸々沸々と、瓦斯の立つ痘痕の面、これがあの丸太の、美女の胴体とは。  階下はおそらく焦熱地獄の機関室であろうか。  沸々、沸々、沸々々々………沸。        *  清浄な、そうして荘厳な大伽藍。  空気は沈静し、天井は高く、光はほの青い何かの陰影と織り交って、ひえびえと、そうして明るく、幾つかの室内は次から次へ見通しに広い。そうしてまた場外の外光が遠くの遠くに小さく、正方形に白く眩ゆく切り開かれているのだ。  その取っつきの本堂といったところに、高さ百吋以上の巨大な鉄製の機械が二列に、間を広くあけて並んでいた。如何にも均斉を保った配置であった。それらの凡てがまた極めて摩訶不思議な生命力の威厳を顕現しているのである。  静中の動、動中の静、兼ね備えたこれらの紙漉機械のあらゆる細部の機関、細きもの、平たきもの、円き、綱状の、腕型の、筒の、棒の、針金の、調革の、それらがひとしく動いて、光って、流れて、揺れて、廻って、幽かな幽かな微妙な複雑音と、製紙特有の清らかに爽かに鮮かな芳香と気品とを発して、目に見えぬ電動力の表象体そのものとしての、絶間なき活動を続けているのである。  何とまた其処らに動いている菜っ葉服の人間の、そうして参観人の私たちの小さなことだ。私たちは唖然として見上げてゆく。セメントの床を踏む靴音までも畏れて謹んでそうして叩頭してゆく。  あの固形体のパルプが、ねとねとの綿になり、乳になり、水に濾され、篩われてゆく次から次への現象のまた、如何に瞬時の変形と生成とを以て、私たちを驚かしたか。この化学の魔法は。  あの鈍色の液状のパルプが、次の機械へ薄い薄い平坦面を以て流れて落ちると、次の機械では、それが何時のまにか薄紫の、それは明るい上品な桐の花色の液となって辷り、長い網の、また丸網の針金に濾されて水と繊維とに分たれ、残された繊維はまた編まれて、吸水函に入り、ここでいよいよ水分が除かれると、たちまちの間に、その次では既に既に幅広の紙らしく光沢めき固まって来て、次のまた強く熱したローラーの幾つかに巻きつき巻きつき、そのローラーを蔽うた毛布の上を通されるその幾廻転をもって、遂に最後の乾燥をおわると、はさはさ、さわさわと白い白い音と平面光とを立てながら、ここにすうすうすうと閃めき出して来る。すっとまた切られて同型同吋の長さとなって、一枚一枚と、大きな卓上に、寸分の謬りも無く、はらりはらりと辷り止まって、積り、積ってまたその層を高めてゆくのだ。  何とまた、あの幅の広い広い、そうして薄手の薄手の白紙が、ローラーからローラーへ、一間の余の空間を辷って巻き附くその全く目にも留らぬ廻転と移動とを以てして、些の裂けも破けも、傷つきも飜りもしないことだ。何という叡智と沈着と敏捷と大胆と細心とを、秘めて、また、示していることだ。その神のごとき巧妙、霊性の作用は何から来る。  ほんのたまさか、それも奉仕(そうだ、監視ではない、奉仕そのものだ。)している人間の過失で、何か触れた手の疎忽で、ほんの何かの裂傷でも生じた場合に、慌てて、閃めき流れて来る紙の一端を強く裂いて除けてる、その刹那こそはまた、如何に老練な工人どもがほとんど始末し、整理しきれない速さでもって、後からと後からと、出来たてのぷんぷんする白紙は奔り出して来るのである。それを手に触れるが早いか、次のローラーへ、つっと巻きつける、巻きつけるとまた朗々として続いてゆく。その間の菜っ葉服の恐慌は、何とまた高麗鼠のようではないか。  積まれ積まれる白紙は、所定の、高さに層むと、目の廻る速度でまた除去して、空にし、空へまた奔って来て乗る白紙へ備えねばならぬ。人間の手よりも紙の辷りの迅さは、それこそ彼らを同所に同一点に、幾廻転をさせるか、思半ばに過ぎよう。それどころでない。実に無量の、また極度の迅速生産である事実が、次の室へ移ってもまた、幾百の女の二十日鼠がいかに天手古舞であることか。笑えるものではないのである。  若い女たちも、実に機敏で手馴れたものである。卓の数列に向って並んで、手頃に重ねた幅広い白紙の層を、ちょいと片端へ右の手の指を触れると、ハラハラハラハラとめくる。その速さには驚く。また、破損紙を識る直覚的の眼と指の確実さと速さにも驚く。だが、如何な彼女らも、後から後からと送られて来る生産力のそれには、絶えず追っ立てられ、焦燥させられ、慄えさせられ、しまいにはへとへとにされてしまう。見ろ、彼女らは髪もそそけ、どれもどれもが面色は蒼白になっている。  ここにまた、碧い包装紙を拡げ、検査された完全紙の層を、としりとしとしと載せ、重ねて、揃えて、整えて、またパタパタと四方から包み、サッサッと糊刷毛で掃き、レッテルを貼り、押し、叩き、次の荷造場へ送る中年おんなの活躍もさることだが、彼女らもまた同じ種の高麗鼠である譏りは徹頭徹尾免れない。何ともあわれな女奴隷であろう。  ところでまた、見ている間に破損紙が天井に届くばかりに積まれ高まってゆくのにも、私は目を瞠った。菜っ葉服らのそれは、敗戦の実証であって、抄紙機に駆使され頤使されて、周章狼狽の果ての過失から、まざまざと彼らは弱者たる彼ら自身を彼らの運転する機関の前に曝さねばならない惨めなジレンマに堕ちてしまったといっていい。機械は本来人間が発明し製作し運転するものであるが、一旦火力や電動力の導火をつけられるその瞬間から、たちまち一の個性を確立して来る。偉大なる生命の大活動が始まる。全く、一の神秘な人格とさえ成ってしまう。その時、人間はむしろ却って被駆使者となり、奴僕となり、これ命これに従わねばならなくなる。個々としての人性は蹂躪せられ、生活範囲は制限せられ、遂には絶対の権威を以て圧倒されてしまう。この時、機械や機関は決して生命のない無機物ではない。現代の文明によって生まれた機械は現代人に血と肉とを与えると共に、またこれを啖う。傲然として労働者の父となり王となり、富豪を額ずかせ、国家の政治をも左右する。しかも知るがごとく知らぬがごとく淡々として無為なのも彼らである。  さて、私は一人の倭人が、雪山のように高い、白い白い破損紙の層を背に負って、この大伽藍の中を匍うように動き出したのにも驚いた。考えて見ると空と空とを孕んだ紙の層はいかに高くとも、実に軽々としたものにはちがいない。だがあまりの不釣合いではないか。おお、紙の入道雲が歩行く歩行く、光り輝く紙の雪山が。  そこで、原料叩解機に移される。その山と積んだ白紙の層が、また瞬く間に、その大腹中に吸い込まれる、と、どろどろの綿状になり、繊維になり、液状のパルプになって、また紙漉機械へ流れ入る。桐の花色の寒天体になり、乾燥し、また紙に還る。虚心で、迅速、無常光明世界だ。その世界にだ、人間の高麗鼠がちょろちょろちょろと駈けまわる。引っ込む、面を出す。  戦場のような騒ぎはまた荷造りにある。しかし此処にも誰として一の私語すら発する余裕を与えられた高麗鼠はいない。事実空気は沈静している。ただ機械力の冷酷と暴虐とはこの工場の空間のあらゆる隅々までにも及んでいるのだ。あの無量生産から寸時の隙なく引きずられこづき廻わされている人夫たちの沈黙の苦力と繁忙とは見る目も痛わしい。彼らは彼らの意志も呼吸も圧迫されどおしである。  圧搾機がある。既に包装され、レッテルを貼られた紙の数連が送られて載る、パタパタパタ、トントンと四方に板を当てる、蓋をする。針金の位置が定まる。すうと圧搾機が下りる。ピシャンコになる。そら、函が出来た。よろし。運搬台が来る。ガラガラガラガラガラガラ、走り出す。また紙包みが来る。パタパタ、トントン、すうっ、ガラガラガラガラである。  また紙包みが来る。  また来る。  また来る。  また来る。  また来る。  また来る。  また来る。  また来る。  また来る。  丸太の截断から、この荷造りまで、果して何分間を要したであろう。恐らく、私たちの見た時間は二十分と経っていない。  畏怖と驚駭と感嘆と、絶大の圧迫感と、憎悪と崇拝と、私たちはあまりに苛まれ過ぎた。  茲で外へ出た。  夏、夏、夏、夏、 「ああ、青空だ。」  私はほっとした。  雲が見えた。山の緑が、そうして白楊のそよぎが燦々と光り、街の屋根が見え、装飾された万国旗の赤、黄、紫が見え、青い海が見え、檣が見え、私たちの高麗丸が見え、ああそうして、白い鴎の飛翔が見えた。  いや、それよりも、私たちの立っている広庭のこの輝きは、微風は、あ、この涼しさはどうだ。  あ、白い門が見える。門の傍の休息所が、 「あ、もし、もし、便所はどちらですかな。」誰かの声がした。  一斉に、また、観光団員の群集が、一、二丁も向うにあるW・Cへ向って、いっさんに駈け出して行った。 真岡  真岡はアイヌ語の「モウカ」である。「美しい波の上」という語義だそうである。  十四日の午前、その美しい波の上に来た。  前の夜、国境安別の海岸と別れた私たちの高麗丸は、元来た南へ南へと下航して、黎明に野田の沖合五、六丁の処にその機関の運転を停めた。予定の上陸地であったのである。だが、夜来の激浪がまだおさまらず、空しく迎えのランチも艀も、煙と汽笛と駄目だ駄目だというかしましい叫び声だけを、おそろしく高く低く上下させながら、空と浪とに掻き濁して、また踉け踉けて引き還してしまったのであった。で、しかたなしに二時間の余を続航して、今度は真岡の鮮かな緑の小山の一連と、市街と、パルプの真岡工場の数本の大煙突と濛々たるその黒い煙とを、近々とその右舷に指呼し得る距離まで来て停った。  浪はやはり激しく起伏していた。それでも野田よりはいくらか時も経って気勢が衰えていた。これなら上れぬこともあるまいとなって、まず第一班から迎えの艀へ乗り移った。  桟橋へ上って見て私の第一に喜んだのは、その前の広場に群って客待ちしている簡素な馬車の幾つかであった。せいぜい四吋ばかりの波型の幌飾りが四方を取りまわして、その幌飾りの縁が青で、それが八月の微風に涼しげにそよいでいた。極めて開放的で、無雑作に黒と赤との板枠をはめた座席の上の空間には細い四本の柱が立っているきりであった。 「こりゃいい、ひとつ後で乗って見たいね。」と私はいった。 「よかろう。」と庄亮も御機嫌だった。メリヤスのズボン下の尻端折で、リボンもない台湾パナマの帽子をヒョコッとかぶって、不恰好な大きな繻子張りの蝙蝠傘を小腋にかかえ、それから歌のノートを取り出した。 「写生しておいてくれよ。」というから、 「よろし。」と私も早速黄色い小型のノートを開いた。  空はよく晴れていた。そうして真岡の街は歓迎門が建ち、黄や赤や緑や紫の万国旗で賑々しく満飾されていた。つい一日前に摂政宮殿下の行啓を仰いだのであった。行啓気分が到る処に充ち満ちて、まるでお祭りであった。で、私たちは素顔としての素朴な樺太女「マウカ」へ会える、親しい、それでも物果敢ない旅人としての私たちの期待を裏切られた。そうして盛装した植民地美人「真岡」に、こちらも同じく鉄道省主催の観光団員としての挨拶と接吻を投げねばならなかった。  真っ直に一、二丁行って左折すると広い坂になって、白い白い銀の葉裏を飜えしているポプラの片側並木の輝きがまず目に映った。近づいて見るとそれらのポプラの葉は普通の円葉でない、楓のような葉であった。裏は毛ばだって白かった。これが馬車の次に珍らしかった。私はその葉の一つ二つを、早速に挘ぎ採っている誰かから貰った。 「独逸種じゃないかな。」と一人がいった。  その前に普請中のなにがし新聞社があった。やっぱり内地ではない何かが感じられた。その隣りが役場で、階上が商業会議所であった。  その階上で歓迎の茶菓を饗せられて、『樺太要覧』という小本と絵葉書とを一同が貰って、また少し上手の新築の小学校へ入った。日は暑かったが、校舎の内部はまだ生々しい木の香がぷんぷんと匂って、何か虔ましい旅愁をさえ味わせられた。  昨日、殿下の御休憩所に当てられた一室をその戸口から拝観すると、広い、素木づくりの極めて質素なものであった。床には黄と緑との花模様のあるリノリュームを張りつめて、上段に正方形の壇があり、壇の上に、これも極めて素朴な卓子と一脚の椅子があるきりだった。私は敬礼をして隣室の物産陳列室に入った。  花椰菜、千日大根、萵苣、白菜、パセリ、人蔘、穀物、豆類。海産物でははしりこんぶ、まだら、すけとうだら、からふとます、まぐろかぜ(雲丹)、それから花折昆布などが目についた。私は売店で樺太地図を一枚買って、そこで外へ出た。裏の幔幕の向うでは運動会のおしまい頃で何か騒いでいたがそれも聴き棄てにした。ただ出口で海老茶袴の二、三と逢ったが、着こなしがいかにも野暮くさく、面相がいくらか内地とは違うなぐらいで、それも軽く擦れ違ってしまった。  それから少し歩るいて、いよいよ例の馬車に乗った。一台にはA博士夫妻が乗って、真岡工場の方へ駈け去り、他の一台に庄亮とA博士の令息と私とが三人、早速の市街見物である。りんりんりんりん、りんりんりんりん、いくら行ってもさした見物もないので、今度は工場の方へ向きを換えさすと、広い広い一本道を工場へ、駈けた駈けた。両側には装飾電球の支柱が各戸ごとに並んで、遠い遠い正面には工場の白い門と大きな灰白色の建物ばかりが埃りっぽく見えるだけで、妙に面白くない通りであった。着いてから馭者のぼり方がひどいのにも驚いたが、そのりんりんりんもそれでおしまいになった。  工場の参観は改めてここに書かない。此所で「樺太のパルプ並製紙工業」という樺太庁版の小冊子や紙の見本や絵葉書を貰って、また私ら二人は一足先きへ外へ出た。すると後ろから白髪の支那服の和製タゴールさんが追い蹤いて来たので三人になった。  真岡は原名エンルモコマブ、樺太西海岸での第一の殷賑な小都会で、鰊漁で有名だというが、パルプ工場以外、夏にはさして興味を惹く街でもなさそうに見えた。 「つまらないじゃないか。停車場へ行って待っていよう。」 「や、何か目っかるよ。」 「目っかったのは、ほれ向うの靴屋ぐらいだよ。少し内地とちがうようだな。」 「しょうがねえでさあ。あんな雪沓なら何処にだってありまさあね。」とN老人。 「とにかく、お昼餐でもやるか。」 「や、しめた、蕎麦屋がある。物は試しだ。はいって見ようじゃないか。」  それは汚ない縄暖簾式の、どかりと腰かけておい一杯というやつだが、主人公なかなか風流人と見えて、一銭銅貨大の孔があいて日の光が射し込んだその壁の上に拙い字で貼り紙がしてある。 貸金はならぬ都の八重ざくらけふ現金の人ぞこひしき  だが、蕎麦は不思議にうまかった。蠅がいること、蠅がいること。 (真岡をここまで書いたが、書いていて自ら興味のないことおびただしい。前のパルプ工場で緊張したので一寸気抜けのした体である。こうした記録的紀行は書きたくないのだが、いったい真岡という街が雅味のない街だったのだ。此処の駅を出てしまったら、何とか筆はかわるだろう。ここまではまず、息休めのブランクペエジとでも見てほしい。観光団のおつきあいで。) 多蘭泊  汽車は駛る。  玩具のような、小さな、薄汚ない、ゴトゴトゴトゴトピイの二三輛の聯結列車である。それが私たち観光団第一班のためにわざわざ臨時に仕立てたというのである。これがまた、真岡、アイヌ語のモウカ「美しい波の上」という美しい語義を持った樺太西海岸での第一の市街から、南へ南へ、終点本斗を指して出た、や、それは今出たばかりの煙の、むくり、むくり、むくり、ぽっ、ぽっぽっである。  汽車は駛る。  さして高くない一連の小山の麓に添って、 「や、これはひどいな、まるでザラザラの石ころまじりの、赤土ばかりじゃないか。この斜面は。」 「それでも上の方に椴松が見えるじゃないか、あっ、空が青え。」 「や、虎杖だ、これはどうも驚いた、虎杖ばかりだ。」 「どうも土地が磽确ですな。虎杖の生えたところは碌な地味じゃありませんよ。」とA博士。 「や、唐黍だ、三尺ぐらいしきゃないね。ほう紅い房がもう出てるよ。」 「まだほのあかき唐黍の花、か。」 「もう歌かい。」  汽車は駛る。  私は見ている。 「や、すかんぽだ、すっかり枯れてる。どうもおかしいな。だが、いい色だな。カステラのふちそっくりの渋さだな、あの穂は。  や、また、すかんぽだな。  虎杖とすかんぽばかりだな。  や、白馬だ。  虎杖から顔を出した。」  汽車は駛る。 「Kさん、二班と三班はどうなりましたね。」と誰やらが声をかけると、 「ええ、二班は真岡泊りで、三班は野田へ引っ還すはずになって居ります。」Kさんは東京鉄道局の旅客掛である。 「今朝はどうも野田はひどうございましたな。どうもあの波ではとても上れそうではございませんで。」と老団長。 「そうでした。上れればよかったんですが、彼地でも歓迎準備をして、花火など揚げていましたので気の毒しました。宿もとってありますので、三班だけ行って貰いました訳で。ええ。」 「野田はおもしろそうですか。」と私。 「いえ、別に。」 「それは気の毒しましたね。明日四時間も汽車で来るのでは大変ですね。」と、これは若い警部のA君。 「じゃあ、真岡組が一番当ったというんですかい。」タゴール老だ。 「いや、これで、ここだけの話ですが、一班の方が、実は大当りで。あした、少し引き還して、アイヌの部落を見に行くことになって居りますので。」Kさんが伏目で、気の弱そうな笑顔をする。 「あ、アイヌ部落。それは何処です。」これは小樽からの新来の客の一人で、ラジオ狂で、いつかの晩ももう碌にJ・O・A・Kが聞えないと悲観していたF君。テニス界の清水氏の夫人の兄さんだ。 「ええ、この沿線です。多蘭泊。もう一時間もしたら通るでしょう。汽車からも見えるはずです。」と、向うの隅から札幌鉄道局の旅客課のS君。 「樺太アイヌですな。」と京大のA博士。 「さようで。」 「その部落ばかりですか、アイヌのいるのは。」 「や、まだ、東海岸に五箇所西海岸には三、四箇所ぐらいはありますですが、ええ、此処らでは多蘭泊ぐらいですな。野田の一つ隣りに登富津というのがありますですが。」これは樺太庁の水産課。 「へへん、何やろかいな。アイヌにも芸妓はんがありまへょか。」神戸富豪のNさん。九州男のYが「金持ちなんてん下俗してなん。」といった人だ。 「あっはっはっはっ。」「ははははは。」「ひっ。」  ここで、 「Nさん、本斗にはいますぜ、そら。お楽しみでさあ。」そこでピーと、やったはタゴール爺さん。と、その口から片拳をはずしながら、大きな眼鏡を長い紐と一緒に片方ずらかしにして、円い、光った、悪童のような眼をする。そして、ちょっと、その傍の庄亮の肱をつっ突いた。 「やああ、こりゃ、あっはっはっはっ。」と庄亮、両手を頭の横でうち振りうち振り、豪傑笑いだ。  汽車は駛る。  西日が強いので、左側はすっかり鎧戸を上げてある。それで残念なことには海岸が見えない。  一つ落とす。暑い光がかっと差し込む。  見える、見える、草葺の漁師の家が、海はすぐ前だ。一面に今日は光っている。 「や、高麗丸が行ってる。」  その側の皆がトントントンと鎧戸を落とす。硝子戸までガタガタとやる。反対の側のも二、三人は立ち上って来た。 「なるほど、今行くんだな。」 「ちょうど、同時になるでしょうね。それとも汽船の方が遅いかな。」 「そりゃ遅れるでしょうね。向うが。」 「だが、心丈夫ですな。」  そうだそうだと、誰もがこの時は同感したであろう。永い間自分たちの家にして来た汽船だ。それに今日初めて、真岡に上げ棄てにされて、団員が三方に別れ別れに今晩は分宿するというのだから、何かしら心細い頼りないような気がしないではなかった。それに今朝は今朝でパルプ工場でかなり機械の威力に脅かされて来たのだ。そこで、今、同じ方向に今夜の泊りの本斗を目ざして、自分たちの高麗丸が、やや少し斜め先きに、船体を真横に見せて、さほど遠からぬ沖合を駛っている。  あ、光ってる、光ってる。あれは舵機室の硝子だ。  あ、あの檣、煙突、煙、々、々、  あ、黄だ、白だ、紫だ、赤だ。  あ、通風筒、あ、あの船室の丸窓、  あ、あれが自分たちの船室だな。  あ、誰か欄干にいる。  おおい、おおいと、汽車の窓に乗り出して、一人が麦藁帽を振ると、  おおい、おおいと、また一人が麦藁帽を振ると、  おおい、おおいと、また一人が白扇を振ると、  おおい、おおいと、またまた一人がハンカチーフを振ると、  おおい、おおいと、あ、向うで何か振った、振った、振った。  光る、光る、光る、光る。一面の波の光だ。  汽車は駛る。  玩具のような樺太の汽車。  カーブだ。や、砂浜だな。  木柵、木柵、木柵、  海老茶だ、あ、すかんぽだ、あ、お襁褓だ。あ、お負っている。  あ、草家、草家、板壁。日の丸。  向日葵、向日葵、黄、黄、黄、黄、  あ、裸の子供だ。 「わあい。」 「わあい。」 「わあい。」 「ばんざあい。」 「べんじゃあい。」 「じゃあい。」  と、 「北原さん、無線電信は来てましたかい。」  白髪の支那服の、また牧畜家の、茶目の和製タゴオル老人が、西日の窓に向った私のぼんの凹に、うまく例の揶揄と笑いとを射撃した。  当った、と思った。  私の上衣のポケットの中には、つい、先程旅客課のKさんから受取ったばかりの、今年四歳になる坊やからの無電のそれがはいっていたのであった。 カゼサンヤンドクレパパノオフネ アブナイヨ  汽車が停った。  やや、開けた山裾、家があちこち、みんな日の丸の旗を掲げた、つい前もお祭り気分の運送屋、 毛糸があります と、貼り紙した店の横の雨戸袋。  ぞろぞろと汽車から下りる、またプラットフォムを駈けて来る。茄子とトマトの籠、赤ん坊の目、目、頭、帯、々、足。違う違う、顔色が違う。眉の毛の深い女、娘、廂髪。 「アイヌだ。」 「アイヌだ。」 「や、なるほど。」 「へえ、なある、これはよろしいね、なかなか別嬪やないか。毛深うおまんな、へへん。」 「Nさん、本斗がありますよ。」 「そやかて、待ちなはれ。へへん。」  と、 「皆さん、此処が多蘭泊でして、ええ、今度汽車が動き出しましたら、その部落の間を通りますから、よくお気をおつけになって下さい。それからきれいな川へかかります。その川筋はまた鰊のよく獲れるところで、ええ、後で車掌に鰊漁のお話でも致させたいと思いますから。」と、札幌の鉄道局。  ピーと、玩具人形の駅長さんの呼子が鳴った。  片手を一の字。  汽車が駛る。  あ、紅葵だ、  あ、また。  どうだ、あの色の新鮮なことは、不思議だな。小田原あたりよりもずっと色が純粋で明るいな。  あ、また葵だ。高い高い高い。 「や、アイヌの家だ。」 「出ている、出ている。」 「どれ。」 「ほうら。」 「やあ。」 「あ。」  汽車が駛る。駛る、駛る。  アイヌ、まことにアイヌの村にちがいない。彼らはまったくアイヌだと、私は観た。  アイヌは、アエオイナ神、別名アイヌ・ラク・グル(アイヌの臭いある人)に依って創造された祖先の後裔だと自身に彼らを思っている。アイヌは蘩蔞で頭を、土で身体を、柳で背骨を創られた。とまたいわれている。アイヌの眼窩は深い。頭髪が深い。神々の髪の毛の人として彼らはその美髪を矜っている。彼らは古伝神オキクルミを矜る、その蝦夷島の神を。  アイヌは白皙人種であろうか。だが、かの人種の皮膚は銅色がちの鳶色だとジョン・バチェラー氏はいった。私はそれを信じよう。  何とあの彼ら及び彼女らの髪の濃く眉の濃く髯の濃いことであろう。  紅葵は鮮紅で、蕊が黄で、上向きがちに目を仰いで咲く。根から枝が別れて、そろって延びて、花は段々を成して幾つともなく前に横に上に下につく。多蘭泊の紅葵は高い高い脊丈である。乳緑の葉っぱ、茎、枝、みな水々しく、そして毛ばだっている。咲きかけの折り目のついた紅い蕾がそれらの頂辺にある。  向日葵の大輪の黄金色もまた、私の想像していたアイヌの村にはなかった。しかし、この多蘭泊の部落には、廂よりも越えて輝く五六七八の大輪がひとむらがりに群を成している。これも日に向って廻る。  家は低い草葺である。でなければ鮮人の小舎のように見ぐるしく、またバラックの網納屋のようである。それらの家屋も絵葉書なぞで見る北海道アイヌの伝統的家屋とはほとんど趣を異にしている。あまりに日本化している。日本化したといえ、それは日本の乞食の住居のような陋屋がいかにも多く見られたのである。  だが、アイヌである。人種は確かにアイヌである。だが彼らの服装は浴衣がけである。シャツにズボンである。浅ましいのはまた乞食同様の風俗もしている。  が、紅葵の傍、向日葵の花叢の中、または戸毎の入口の前、背戸の外に出て、子供まじりに、毛深い男女のぽつんぽつんと佇んでいる姿を見ると、人種の血肉は争われないものだと観た。日本人の私なぞには通ぜぬ深い何かがある。アイヌのそうした哀愁はまた何から来る。  おお、みんなが今空を見上げている。  おお、またいわゆるアイヌ模様の厚司を着た爺がいる。いる、いる。二人も三人もいる。  何と、かの爺どもの胡麻塩の蓬々と乱れて深い渦巻きをした髪の毛、凹んだ黒い両眼に蔽いさがった眉毛、口髭、毛むくじゃらの胸まで長々と垂れた頤髯だろう。何と荘厳な顔貌と威厳ある風采の持主で彼らはあるであろう。  あ、トルストイがいる。トルストイがいる。  おや、あの爺どもも空を仰いだ。  と、 「鷲だッ」と、誰かが窓から見あげた。  はっと仰ぐと、アイヌ部落の、そのややうち開けた谿谷の上、海に迫った丘陵の椴松の黒い疎林の、その真っ蒼な空に一点、颯爽と羽風を切っているのは、  あ、たしかに鷲だ。  鷲は飛ぶ。飄としてまた流れて、翼を撓めて、あ、大きく張った。  向うところは韃靼の黒い遥かな大うねりの波濤の彼方である。 鷹ひとつ見つけてうれし伊良古崎    芭蕉  これだなと私は思った。  あ、アイヌが先刻から見あげていたのは、あ、これだったか。  青い青い空ではある。  汽車は駛る。  汽車は鉄橋にかかり、潺湲たる清流の、やや浅い銀光の平面をその片側に、何かしら紫の陰影をひそませた、そして河原の砂の光った、木の橋がある、そのつい下手を駛って轟とまた響きを立てた。 「皆さん、鰊漁のお話をいたすそうです。」札幌鉄道局のS君が戸口で、立って帽子を脱った。前額の禿がてらてらと光る。少い髪を櫛目を透かしてぺっとりと撫でつけている。  まだ若い車掌が、切符改めの通りすがりを、赤い顔して、引き留められて、克明にハッと頭をさげた。 「こりゃいい。頼みますぜ。」 と、誰かが手を拍いた。  旅へ出ると老人組までが、いや却って茶目にもなる。  ピーと、またタゴール爺さんが口笛を吹いた。 「へえ、へえ。」と、車掌は目を伏せて、「ちょっとちょっと。」と間を頭を下げて、手を戴くように、前の車へ切符拝見と出かけそうに、行きかける、それをタゴールさんが、矢庭に引っ捉えると、無理に自分の座席の隣りに抑えつけてしまった。  汽車は駛る。  鷲を見つけてから、私の心は閑かになった。  私は海を、遠い荒波を、通り過ぎる目の前の浜の小石を眺めている。  汽車は今、ひたひたと湛えた潮の、つい汀を快い左右動を楽しみながら駛ってゆく。  韃靼海の八月のやや赤みかけた円い太陽が、まだ水平線から、うち見に四、五尺の空に輝き輝きしている。だがその下の遥かの遥かの寒い霞の曇りはどうだ。向うの何処かに沿海州。  荒れてる、荒れてる。外は飛沫が凄まじいが、三四五六丁の此方はまたとろりとした一面の閑かさで、腐れたようにも濁っている。劃っているのは飛び飛びの青黒い岩の弧線である。  あ、鳥がいる。  飛び飛びの岩のひとつひとつに、どれもが同じ北の一方を向いて、鴉よりはやや小さい、鶺鴒よりもやや大きい、南国の鳥とも違った、何か寒げな、尻尾の動く、嘴の細そうな鳥の姿である。  外の波濤は穂がしら白く、内のとろみは乳黄で、またやや光った銅色で、閑かなようでもどうにもならない澱みがある。  澱みは凡てが昆布である。  子供がひとり、つッと此方を見て佇った。浜辺は昆布が散らかってる。  昆布が海を腐らしている。飛び飛びの岩の弧の線まで。  あ、たんぽぽだ。  汽車が停まった。 「本斗」「本斗」  山高に燕尾服の、品のいい老人が、車窓に向って直立した。若い従者がうしろに立った。  老紳士は山高を脱った。そうして、謹直な叩頭。  本斗の町長であった。 本斗の一夜 「おおい。まだかあい。」 と、こちらの二階の欄干へ、浴衣がけの三尺帯で乗り出したのは私である。 「おおい。もうじきだよう。」  広い通りを隔てた向うの理髪店から、椅子に掛け、姿見に対ったまま、その鏡の中から、ザッと刈ったばかりの坊主頭をしきりに振り立てるのはわが友庄亮である。首を竦めてキチンと構え込んでいる。何か脹れぼったい頬の、細い細い眼で笑っているようでもある。  八月十四日の、樺太は本斗の晴明な暮れがたのツワイライトである。摂政宮殿下の行啓を仰いで、ついその翌晩、お祭り気分の濃厚な、黄や碧や赤やの色々の装飾の中で、実に鮮かに一斉に電灯が点いた。それから五分とは経たなかろう。殊にもこの真向うの姿見、硝子棚、バリカン、廻転椅子、カバーの白白白、立ち廻る理髪師の背広の、ズボンの白、掻き立てなすりつけた客の頬や頤の石鹸の白、琥珀の香水、剃刀の光、鋏のチャキチャキ、そうした銀と緑との小夜景がまるで近代劇の或る場面かのように私の前に展開された。その横文字の看板の、そのまた屋根の、町並の上の近くは濃く青く、はるばると末は冥んだ韃靼海である。またいくらか薄い空の青みである。縁は陰って白い寒い雲の流れである。  そうして、沖には高麗丸の船室の灯が、美々しく、ちらちらと、今や輝き出した。  チャラン、チャラン、チャラン。  何やら金属性の透った音もきこえて来る。 「お腹が空いたぞお、いい加減にしないかア。」 と、また、乗り出す。 「じきだよオ。待ちたまえ。」 「頭は済んだかあい。」 「済んだよ。これからお面だ。」 「洒落れるな、おい。」 「洒落れはしねえ。」  と、剃刀がピカリと上へ反れた。危険危険、後ろ斜めに凭れ気味の、その刈りたて頭を。  ピーと、按摩の笛。  おもしろいおもしろい、按摩も白の背広で、麦稈帽である。  背広といえば小樽で見た按摩も、これは霜ふりではあったがやはり背広でカラをはめ、薄汚れてねじれてはいたが、何か黒に赤みがかったネクタイを結んでいた。キト旅館でひとりで机に向っていた時のことである。縁側からにじり込んで、下座にズボンの膝を折目正しくかしこまったその紳士を見て、私はまた土地の新進歌人のひとりかと早合点をした。それで、こちらも丁寧に向き直って、さて、「あなたは誰方ですか。」とやったものだ。 「ア……ン……マでごさいます。」  眼をぱしぱしで仰向いた。  流石に北海樺太はちがっている。  白、コツコツコツ、白、白、コツコツ、ピー。 「エンヤラヤアノ、エンヤラヤアノ、エンヤラヤノヤアヤ。」  跳ね跳ねして、ちいさな二人の女の子と男の子とが、ややほの白い広い通りのまんなかを歌って来る。これも白っぽいなと見ていると、またその後からのはのっぽで白で、大跨だ。支那料理のコックででもあるかな。岡持ちさげて、また、 「エンヤラヤアノヤアヤ。」である。  ひらひらと、海の空では鴎か何かが飛んでいる。一等星、二等星、生れたての幽かな星。  あ、波の音らしい。急にざわついて、またひっそりとなった。 「まだかあい。おい。」  妙に心がひもじくなる。で、煙草に、マッチをシュッと擦る。  と、隣りの室でも誰かが立った。  欄干に出る。  またその隣りの室でも咳をした。  欄干に出た。  白の支那服の、白髪の、白髯の、和製タゴール老人の姿も見えた。  こうして、アーク燈のような薄い紫の空気の、遠くは重い匂いの紫となる。 海暮れて鴨の声ほのかに白し    芭蕉        *  白い障子を閉めきって、何だか薄ら寒いなとなった。夏は夏でも夜分は急に冷えるのがここらの気候だと思われる。褞袍を浴衣の上に重ねる。それからぽつんとちゃぶ台の前に坐ると、傍の手あぶりには炭火がかっかと熾っている。それでも、ひしゃげた鉄瓶が、触れば周りの疣々がまだ温みかけたばかしである。  そこでお盆の上の蓋物のつまみを取って開けて見る。なんと貧弱なビスケットだ。なすった白の、薄紅の花模様を一つかじって、淋しいなとなる。  お、電灯は無論点いているのである。それもコードがダラリと垂れ過ぎた。立ってひと結びくくりあげると、白い陣笠形の上の埃が両手にくっつく。  ところで豪傑笑いの友人はまだ帰って見えない。 「あはは、どうです。今夜はひとつ探険にでも出かけますか。」  隣りから声をかけた。小樽からのちかづきの、あの俊敏な紳士の、麦酒会社の重役の、ラジオファンのF君である。さっきからこちらの悄気かたをすっかり観察していたものと見える。傍にはこれもその連れのもういい年輩のHさんが長者らしく正坐して、またこちらを眺めている。HさんはF君と同じS市の人で、同じく札幌の農科大学出(そういえば和製タゴールさんのN老人もその第一期の卒業生だそうである。)の有名な牧畜家だと聞いている。温顔の、それでいて重厚な犯し難い風采である。I公爵の従弟だとも、また人格者だとも私に話してきかした人もあった。俊敏と重厚と、いい取りあわせであるが、そのうえ、二人は非常に仲がよさそうに見える。F君は眉根をキッと寄せて金縁眼鏡で、声をあげて笑ったが、Hさんはこれも眼鏡だが、ややすこしく禿げあがった広い額の、髪は正しく掻いて、鼻の高い、それで眼元で優しく笑った。なかなかよく練れていそうである。それと比較べるとこちらの二人はどんなものかな。これも非常に気が合って、それで二人とも駄々っ子で、何か野呂間のようでもある。とにかく私も我儘者でかなり気むつかしやだが、この私を一度も怒らせぬところは不思議に庄亮えらいところがある。「まだ一度も喧嘩しないね、妙だね。」と、いつか私が笑ったら、「喧嘩してたまるものか。」と彼も笑った。 「だが随分長い旅行だぜ、誰だって一度ぐらいは気まずい思いをするものだよ。」とまた笑ったら、「あっはっはっ、僕なら大丈夫。」と頭を振り立てて豪傑笑いをした。その庄亮はまた、いつもになく、チョボチョボの不精髭など剃っている。 「出かけるかな。だが、飲めないでしょう。お酒は。」 「麦酒なら少々はいけますよ。」 「でも、ここの麦酒じゃね。」とHさんが火箸をいじった。  書き忘れたが、隔ての襖は初めっから開けっぱなしにしてあるのだ。 「エンヤラヤアノ、エンヤラヤアノ、エンヤラヤアノヤアヤ。」とまた表を通ってゆく。 「エンヤラヤアノヤって、ありゃいったい何の唄です。」とF君。 「ソオレ漕げ、ヤアレ漕げというのです。たしか中国辺の船唄だったと思います。本歌は忘れましたがね、一寸こうした節だったようです。船頭かわいや、穏戸の瀬戸で、エンヤラヤアノヤア、ソオレ漕げ、ヤアレ漕げ、一丈五尺の、一丈五尺の、艪が撓る、エンヤラヤアノ、エンヤラヤノ、エンヤラヤノ、エンヤラヤノ、エンヤラサノサア。もっともこの歌詞は別物ですよ。」 「なるほど。でも、何だかちがってやしませんか。あのエンヤラヤラヤアノヤアヤは。」 「そう、少々妙ですね。」 「や、はるかに見ゆるは本斗の港とやっていますよ。」 「ほう、それじゃ替唄でしょう。」 「本場じゃないんですね。追分はどうです。」 「忍路高島ですか。あれは流石に松前から此方のものですね。信濃の追分とはまた味がちがっていい。」 「信濃の追分というと。」 「あれこそ追分の本元でしょう。馬方節なのですね。西は追分東は関所せめて峠の茶屋までも。あれです。」 「すると、こちらの追分とはどうちがいます。」 「こちらのは船頭唄の追分です。節廻しが凡て艪拍子に連れて動いて、緩く、哀調になっています。信濃のは馬子唄ですから、上り下りの山路の勾配から、轡の音、馬の歩調に合せて出来上ったものなのです。シャンシャンと手綱の鈴が鳴ってです。小諸………出て見いりゃ、となります。小諸節ともいいます。」 「おもしろい。はは、それで、どっちも追分ですか。文句もおなじな。」 「いや、やはり信濃のが本場の追分ですね。西は追分だとか、今の小諸出て見りゃだとか、 小諸出て見りゃ浅間の嶽にけさも三筋のけむり立つ さまが来ぬ夜は雲場の草で刈る人もなしひとり寝る 浅間山から鬼や尻出して鎌でかっ切るような屁を垂れた  あはは。まったく浅間山の麓から生れた唄ですな。あの信州の追分は今では寂びれ果ててしまいましたが、昔は中仙道と北国筋との追分でしてね。沓掛や軽井沢と並んで浅間三宿といったのだそうです。大名行列で随分盛んだったでしょう。その追分には馬頭観音が立っているんですがね、いつか行って見た時には、まだ早春で枯草の中にぺんぺん草の花が咲いていましたよ。古い旅籠屋では油屋という、元は脇本陣だったそうですが、以前のままの大きな古い建築で、軒下には青い獅子頭などが突き出ていました。剥げちょろけですがね。二階が出張っていましてね。それに入口の板の間が広く、柱が大きくて、ありゃ国宝ものですよ。それに浅間の裾野一帯が落葉松林でしてね。や、翁草がずいぶん咲いていましたぜ。あの幅の広い林道を材木をつけた二輪馬車がカラカラカラと通るのです。霧のような雲が流れてね。や、これは話が横道に逸れてしまいましたが、砕けたところでは、 碓氷峠の権現さまよ、わしがためには守り神 送りましょかよ送られましょか、せめて峠の茶屋までも というようなものになっています。この信濃追分が北越の航路から蝦夷地へ流れ流れてゆくうちに、いつとなく波の響きや艪拍子の中で洗われ揉まれて、遂にはあの船唄としての追分の哀調になったのでしょう。その土地土地で松前追分とか渡島追分、江差追分とか呼んでるのがそれです。新潟辺ではそれを松前節としていますが、それは逆輸入から来た一種の錯誤感で、こういうことは東洋と西洋との間にもよくありますよ。浮世絵と後期印象派、芭蕉あたりの象徴句とマラルメあたりの仏蘭西象徴派との関係、調べるとまだいくらもあるでしょう。ところで、忍路高島ですがね。 忍路高島およびもないが、せめて歌棄磯谷まで 帯は十勝にそのまま根室、落つる涙の幌泉  これがこちらでの最も古い追分でしょう。この頃では前唄とか本唄とか組にしているようですが、そうそう、前唄の方はいわゆる松前前歌で、調子が軽い。」 「忍路高島には義経伝説がどうとかいいますが。」とHさん。 「積丹土人の酋長の娘の話でしょう。いや、あれはほんとうじゃなさそうですよ。外のアイヌ伝説と混同したらしいのです。理窟は何でも後でよくくっつけますよ。」 「替唄というものも沢山ありますかしら。」F君がまたこちらを眼鏡越しに透かした。 「それは年代が経つうちに、その歌曲に合せた新作も出来るでしょうし、諸国の俚謡だの、小唄などが混入して歌われることは随分あります。大概の唄は二十六字調ですから、融通が利き過ぎるくらいです。で、大島節の歌詞が安来節でも歌えるし、都々逸の文句が相撲甚句にもなるという風です。それに有名な歌詞はよく方々の土地で盗まれもします。坂は照る照るでも地名だけを変えて歌われたり、 男伊達なら千ヶ崎沖の潮の早いのを留めて見よ という大島のがっしゃがしゃが節が、小笠原の父島では八丈のしょめ節で 男伊達ならワントネの岬の潮のながれを留めて見な という風に転化されて、それが小笠原特有の歌のように思われたりします。それにおかしかったのは、つい昨年でしたが、中央公論か何かで或る人の島々の民謡の事を書かれた中に、私の八丈風の新作の民謡が、昔からの八丈の古謡として入れられてあったことです。向うで歌っていたので、生粋のしょめ節の唄と思いちがえたでしょうが、こうした例はいくらもあるでしょう。で、多少とも年代的に知って置かないと飛んだ恥をかくことになります。民謡の精髄というものはやはりその土地で生れたところに生命があるのですからね。樺太本斗のエンヤラヤアノヤアは、こりゃ眉唾ものですよ。」  と、「やああ」と、やや顔を赤めて大にこにこで、庄亮が飛び込んで来た。つるりと片手で刈りたての頭を撫でて、着ふくれた褞袍姿の、陀々羅な足どりで、「はっはっはっ。」とまた笑った。  それを見ると急にまたひもじくもなって来る。 「どうしたんだい。もう夕飯だよ。」 「あっはっはっ。失敬。」と、眼を細めて、首を振り振り、坐ると、また、「やああ。」と肩をゆすった。 「お洒落だなあ。いつまで面なんぞあたっているんだい。」 「なにそのお、海岸へ行っていたんだよ。明日は魚釣りに行くんだぞ。」 「見て来たかい。」 「うむむ。釣れるそうだ。舟でひとつ出かけるか。」 「どんな魚です。」とF君。 「いやあ、しまった。訊くのを忘れた。なんでも魚だよ。」 「のんきだなあ。」と、今度はこちらで笑い出した。 「樺太横断はどうする。きまったら真岡の自動車屋へ電話を掛けることになっているんじゃないか。」 「どうもそのお、この感冒じゃ冒険はむつかしそうでね。明日は半日休養しようと思っている。やはりみんなと一緒に大泊へ直航することにしようよ。」 「少々弱ったね。」 「今夜は按摩でも呼んでひとつ。」 「按摩はさっき通ったよ。白の背広で。だがよく按摩の好きな人だな。僕なぞは擽ったくてしょうがない。」 「はっはっはっ。君はとても駄目だよ。」 「それにしても飯の遅いには困るな。ベルをひとつ押してくれ。」 「よおし。」と後ろの床柱の方を向く。 「はははは、ベルはさっきからのべつに押してますよ。」そこはF君抜け目がない。 「だが随分悠長ですな、ここの家は。北海道から此方は妙にベルが利かない。」 「凍っちゃったんでしょうよ。」 「ですがね。すこし変ってますよ。じゃないですか。」 「まったく、これあ、虐待ですよ。」 「それにしても、まるでバラックですね。梯子段だけでもってるような宿屋だ。」  ここでいって置くが、このSS旅館なるもの、何か下等な材木の木の香ばかしが生々しいが、スリッパでも穿かねばとても脂っぽくて歩けそうにもない薄汚さで、そのうえ、廊下の突き当りにはきまって凸凹の姿見ばかりが、白ペンキ塗の厚縁の燦々で、脾弱い、すぐにも撓って外れそうな障子や襖の劃りの、そこらの間毎には膏薬のいきれがしたり、汗っぽい淫らな声が饐えかけたりしている。浴室へ行けばぬるりと辷るし、暗くて狭くて、天井が低くて、息抜きも無ければ、上り湯もない。歪形のペシャンコの亜鉛の洗面器が一つ放ったらかしで、豆電灯が半熟れの鬼灯そのまま、それも黄色い線だけがWに明ってるだけだから驚いた。それにしても店の真正面の梯子段の堂々としていることは、赤渋のニスの塗り立てで、まるで、しゃいしあい、トントントンの遊廓式である。えらい梯子段だなと這入る時に見て上った。 「手を拍くかな。」と庄亮。 「や、待っていようよ。神妙にしよう。恐れ入った。」  と、ポンポンポンポンポン。さては和製タゴール老か、警部さんか。これはきびしいせっかちだ。 「エンヤラヤノ、エンヤラヤノ、エンヤラヤアノヤアヤ。」  外は祭りの電光飾。        * 「へへん、来やがれ、畜生、何が何だって、今頃になって、碌でもないあまりもののお客なんぞをふり当てやがるんだ。と、てめえも小っぴどくやっつけやした訳で、へい。」  痩形の、小柄の、巾着切りか刑事見たいな、眼が迫って険しい、青いしゃっ面の、四十前後の、それは鼻っぱしの恐ろしい番頭君が、蟷螂さながらの敷居際の構えで、ヤッと片手の利鎌を振り立てた。宿帳をつけに来て、坐り込んでしまったのである。  のっけから、あまりもののお客とやられて、思わずギョッとしたのは、庄亮、H、F、白秋だ。  悲観した。 「ふっ、あまりものとはひどいじゃないか。」とF君。 「へっ、これは御勘弁を。それでも何で、やっぱりBB旅館のあぶれ……。」 「あっはっはっ。あぶれは驚いた。こいつはおもしれえ。」と庄亮。 「あぶれのお客をおっつけやがって。──と。」 「おいおい、いい加減にしないか。」とF君。 「あぶれだよ、あぶれだよ。」と白秋。 「おもしれえ、おもしれえ。」 「あぶれじゃないよ。こっちの勝手で、別れて来たまでさ。BB旅館があまり混んでいるようでね。まだ団長へも私たちがここに来ていることを知らしてないくらいだからね。あまりものを向うで意地わるく押しつけたという訳でもないさ。」これは重厚だ。 「失敬きわまる。出ようじゃありませんか。」これは俊敏だ。  実際私たちは、怪しいお客の剰余じゃないんである。駅から町長の案内で、海岸寄りのBB旅館の前に初めは立った。  何でも鉄道局との打ち合せも済んでいたものと思われたし、東京の旅客課のK君も附いていることなり、や、お疲れさま、どうぞとあったので、そこで一同が安心して鞄を投げ出し、埃っぽい編上げの紐も解いたのである。だが少々渋ったのは桃色のスカートの、鼠色の華奢な眼鏡の、海老茶帽子の、そうした夫人同伴のB重役H会社員K工学博士あたりであった。別室があるかないかの問題である。ところが廊下でかなり騒ついたのは昨日からの客がかなり混み合っているようで、それに旅館の方でも例の講中式団体客並みに何でも一坪に二、三人の鮨詰めで済ませるものと多寡をくくっていたらしいのだ。一等船客の贅沢達が三十人も押しかけて、それで別室別室では狼狽したのは町長ばかりでなかった。やっととにかくどうにか収まったらしいが、そちこちの形勢がまだ蜜蜂の函の穏かならぬ呟きをひそめていた。私たちも一旦その後から上りかけたが、往来から何か意味あり気にF君が目交をするので、また靴の紐を結び直して外へ出た。F君はHさんを語らってサッサと歩き出した。そうしてその筋向いのこのSS旅館へ這入ると、前の会話に出た堂々たる遊廓式のまた博覧会の竜宮風の赤ニスの梯子段をトントンであった。私たち四人に、N老人にA警部、それにわが友若山牧水に似た鼠頭巾の小爺さんにその連れの万世橋はなにがし宿屋の主人公、この二人はお江戸の酒徒だが、さぞ今頃は縮こまって、悲しい無言の憤激をその衰えた眉根の皺に寄せていることであろう。 「へへ、どうも相済みませんで、お客様には何とも申し訳ございませんが、じたい、こうしたいきさつでがして、へい。」と、スッスッと乗り出した。この蟷螂少からず神経性だと見える。その利鎌を今度は二た振り右と左で空に反す、その柄を両膝に確と立てると、張り肱の、何かピリピリした凄い蟀谷になる。  青い青い青い青い、青臭い。 「いや、なんでございますな。癪、癪でして、ええ、そもそもBB旅館なるものが、そりゃあ本斗一の大店でしょう。でしょうがね、何かあればこれ見よがしだ。見識面をしくさる。役人共とは結托する。勝手気儘のし放題で、宿屋仲間の公徳を蹂躙する。………」  公徳がおかしいのか、ふふっと誰かが笑った。 「てめえどもは、御覧のとおり、安普請のバラック旅館にはちがいないのですがア。」 「梯子段はえれえよ。」 「へっへ、御常談でしょう。」とちょっとたじたじとなったが、それでもすぐに立て直して、ギョロリ眼の半腰になった。 「何がBB、何が町長でございますだ。昨日も昨日、団体客が三百人も来る、宮様の行啓中だ。さあ騒ぎだ。この潮時に一軒で独占するのも気の毒だ。半分別けてあげよう。へん、別けてあげようが聞いて呆れるじゃありませんかね。さあ収容おぼつかない。自力にあまるならあまるで、SS頼む、弱った、助けてくれでいい。そりゃ平生は平生、そうでがしょう。向うと此方だ。商売敵だ。角突き合いならどっちもどっちだ。だがいざとなりゃお互の公徳心に訴える。相互扶助でがさあね。」 「ほほう、相互扶助。」 「へえへえ、そうした理窟じゃありますまいか。よしんばプロでもブルでも水平社でもでさあ。」 「おもしれえ、おもしれえ。」と、庄亮。 「恩を着せるにゃあたらねえ。畜生、生意気ぬかすな、と、ここまでこう癇の虫がぐっと込みあげて来ましたね。だがでがす。まあそうしたもんじゃねえ。町長さんの口添えもあり、これも本斗のためだとひとまず胸をさすって、そこは潔く引受けたのでがした。」 「そうかい。ふうむ、流石だ。」F君も茶目だ。 「ところで、畜生、今朝になって、話がちがった、三十人しか来ない。こちらだけで引受ける。はいさようなら。よくもぬかした。鰊粕、強突張り、どうするか見ていやがれ、と、こりゃあてめえの怒るのが無理はありますめえ。」 「そうそう。」とHさんもうまく遣る。 「それに町長も町長でがさあ。そうなれば知らぬ顔の半兵衛さんだ。山高でフロックコートで、お従者を連れてすうと素通りで、や、SS、気の毒した、御苦労とも抜かすこつじゃねえ。何といってもブルはブルでがす。大店のBBの肩ばかり持ちやがって、成っちゃいねえ。たかだか植民地の町長ですからな。無鳥島の蝙蝠でがすな。」 「温厚ないい町長さんじゃないか。風采の立派な、ちょっと珍らしいよ。」と、これは私だ。 「そりゃあ押し出しは立派でがしょう。知れたもんじゃありゃせん。お客さんが這入られた。今度は頼むだ。ちぇっ、莫迦にしていやがる。」 「まあ怒るなよ。七、八人でも僕らが来たからいいじゃないかい。」 「いけません。」 「夕飯でも早く持って来さしたらどうだい。」少々心細くなる。 「そりゃ差し上げます。でがすがな。三百人の二分の一で、百五十人だ。よしきた、やっつけで、暗いうちからコツコツコツコツコツ、なにしろ、切り込みでも容易なこっちゃねえんで、やっと用意が出来て、さあいつでも来やがれとなったところで、たった八人、それもあまりものの。」 「おいおい、よしてくれ、またまた、あまりものかい。」 「へへえ、それでも癪に障りやがるんで。や、こいつあ失礼を、はっはっ。」 「笑いごっちゃないじゃないか。もう支度は出来ているんだろう。」で、じりじりとなったのはF君である。 「いや、昨日の御行啓の後でして、なにしろ、樺太庁のお役人は来る、新聞記者は騒ぐ、それに軍人、商人、何々団員で、すっかり満員の大盛況で、実は家内中へとへとになったところで、今朝の切り込みで、それで見事にスカ喰ったんですからな。一同張り合い抜けの体でしてな。昨夜だって誰ひとり寝やしません。いったい団体客に碌な……いや、へへえ。」 「悲観、悲観。」 「おやおや。」 「おもしれえ、おもしれえ。」  あはははと、みんなで笑いくずれたが、 「ともかく、食べさせるのか、いったい。」 「へええ、差し上げますには差し上げますですがな。もう一切合切種切れで、肴も附け合せも何にもありゃしねえでがす。」 「それでも百五十人分。」 「いや、あれは胸くそがわるいので、根こそぎ外のお客さま方へ御馳走しちゃいました。遺恨骨髄に徹すで。こうなるとさっぱりしたもんでさあ。日本晴れで、へへ。」  外のお客さま方が呆れる。我々の外には一室か二室しか塞がっていないのにと思うと噴き出したくもなったが。 「そこで、こっちはどうなるんだい。」とまたF君。 「ええ、とんとまだ何ですがな。支度を致させますならこれからでがす。」 「ふふむ。」 「や、どうも、へへ、それでは宿帳の方をなにぶん。」  くるりと身を飜すと、スッと一飛び、トントントントントンと、梯子段を駆け下りてしまった。        * 「驚いたな、これは。」 「おやおや、鑵詰の筍かい。」  隣りは隣りで、 「やああ。酸っぱい椎茸だな。これは固い。や、なんだ、大和煮か。」 「はは、鯣の附け焼きとは初めてだね。」 「どうです、食べられますか。ひどい晩餐ですな。」とF君の眼が眼鏡越しに笑いかける。お互、こうなれば何か問題が起きる方が結句茶目気分の幸福を感ずるのだ。 「プーアですな。プーアだな。」 「おもしれえ、おもしれえ。」 「吉植、おもしれえおもしれえで両手を振ってばかりいたって七面鳥の卵が湧いて来るはずはないぞ。ベルをひとつ押してくれ。」 「あっはっはっ、美食家の君にはたまるまい。俺はこのトマトで結構。」 「トマトだって心がコチコチじゃないか。俺は御免を蒙る。ビフテーキでも取ろう。」 「そのビフテーキが小樽式。いや、もっとコチコチだろうよ。」 「弱ったな。F君。これはやっていますか。」と、そこで左手を一寸と口の辺。 「サイダーにしましたよ。麦酒はまたサクラでしょうからな。」 「こっちはいってあるかい、酒は。」と庄亮の方へ。 「いいつけといたはずだがね。あっはっは、とんと貉の道だよ。」 「鼬の道とは聞いたが、貉の道とは、これも初めてだね。」 「そうかい、鼬かい。あっはっは。」 「弱る。俺はもうむぐっちょで、高麗丸へ帰りたくなった。」 「印旛沼なら、この頃は鯉のあらいに鯰の丸焼きというところだね。白焼の鰻もおつなものだぜ。」 「俺のところだって、この頃は鮎のフライがある。それに鰆は今しゅんだな。コールドビーフが食べたいな。おい。」 「茄子、南瓜、隠元、大蒜、うちの畑はいいよ、そりゃ。」 「だが、あの大蒜には閉口した。」 「あっはっはっ。あの時の君の顰め面ってなかったぜ。うちでは話の種になっている。」 「ほう。そうかい。」 「ところで、ここの料理だがね。鑵詰物なぞにしなくても、なんでこの土地の新鮮な魚や野菜を附けないのかな。」 「内地の物だと何でもいいことにしてるんじゃないかね。これでも優遇のつもりかも知れん。」 「優遇じゃありませんよ。」と向うから声がする。 「姐さん。や、酒が来た。まあひとつ遣ろう。どうだい。」 「うむ、ありがてえ。」  と、そこで口を盃へ、顔を見合せると、二人とも、や、や、や、 「駄目だな、どうも。」 「こりゃいけねえ。」  と、その時、旅客課のK君が「やあ。」と這入って来た。何かおどおどして、気弱そうな微笑を眼の縁に湛えて力がない。立ちながら、帽子を片手で。 「どうも手違いばかりいたしまして、今日はすっかり失敗です。こちらは如何でしょうか。」 「面白いですよ。なかなか。」 「あっはっ、素敵素敵。」 「虐待極れりです。」 「いや、いいでしょう。まあ。」  立ち疎んだK君、 「いや、あちらでは団長が怒り出しましてね。」 「やっぱり鮨詰めですか。」 「ええ、何分昨日行啓の今晩ですから、居残りでかなり混雑していますし、宿でも町の方でもすっかり疲れ切っているので、どうにも行き届きませんでね。団長などは外出中に無断で室を取り代えられましたのでね。御機嫌頗る斜めです。我々観光団の面目に関するというので、困りました。」 「鉄道省の方ではあらかじめ何か打ち合せしてあったんでしょう。」 「ええ、手筈はよくついていた訳なんですが。」 「まあ、いいでしょう。」 「と、こちらの方がまだ優待ですぜ。」 「じゃあ。どうぞあしからず。」と頭を下げて、K君は出て行った。  麦酒の方がまだましだろうとなって、それから、 「玉子焼きにでもするか。」 「玉子焼きとは窮したね。」  出来るかと、女中に訊くと、出来ますという。そこで誂えて、チビリチビリ麦酒を嘗めていると、何時の間にか隣りではひっそりとなった。早や影もないのだ。  待てども待てども玉子焼きは出て来ない。 「按摩でも呼ぶかな。おい姐さん。」 「玉子焼きはまだかい。おい姐さん。」  かれこれ一時間も経ったか。やっと、両手でウントコサと擁え込んだのを見ると驚くべし、直径一尺五寸余もあろうと思われる雅味のない大皿に盛りも盛ったり、恐らく十人前は焼いたであろうところの部厚な白斑の玉子焼きである。それにおおかたは冷めきっている。そうだろう。これくらい多量に焼くうちには何の温みも飛び去ってしまうであろう。 「おい。二十四匹の黒鶫封じ込まれてパイの中。というマザア・グウスの童謡があるが、この玉子焼きなら三、四十匹の二十日鼠は棲めそうだな。いささか非常識だね。」 「おもしれえ、おもしれえ。」 (ここで書き添えて置くが、この玉子焼きは翌日の勘定書には拾何円とか書き出されていた。)  外はあかるい電光飾。        * エンヤラヤアノ、エンヤラヤアノ、エンヤラヤアノヤアヤ。………… 「あ、やってるな。」  山の手寄りの駅の空では赤や緑の電灯が深紫の闇の中に煌々と二列に綴られていた。何かまたほうほうと汽笛のけはいもした。私たち、庄亮と同じく褞袍着のタゴール老人と私とは、うち連れて、冠木門に見越しの落葉松といった風の軒並の前の、うち湿った暗い通りをあるいていた。夜はもう十時に近かったろう。  たまさかに、障子が橙色の灯影に燃え立つように明って見える二階はあったが、それでもまだ素見の客の姿も、そこらの格子戸の中には見透かせなかった。  だが、こうした見知らぬこの北方の夏の夜の雰囲気の何処かで、内地で聴くようなあの三絃の音締めがして、そしてあのエンヤラヤアノヤアヤである。  大きな貸座敷風の構えも一戸二戸はあった。大概はまた待合風の怪しい景情であった。 「よう。目っけましたよ。あっはっはっ。」  N老人が突然立ち留って、上を仰ぐと哄笑した。  土蔵風の階上の窓は開かれて、その窓の欄干に横向に凭れて、そのまたほろ酔の棗面を外気に吹かれていた。Dさんだ。初め私は中学校長かと思ったがそうでもないらしかった。温厚な人柄らしかった。すっ込もうとしたが、どっこい、N老人そうはさせない。 「押しかけますぜ。ないしょごとはすぐ暴露れまさあね。お連れさんは誰方ですい。」 「や、これは、上りたまえ。」  今は仕方なしという風、それで、どかどかと這入って、何処だ何処だと、梯子段から上って、やあやあやあである。 「これは驚きましたね。かねての謹厳組たる皆さんが。やあ、Kさん、貴方もですか。」  そこにはわが親友Mの義父さんたる建築家のK大人が、もう顔を真赤にして小さく床柱に凭りかかって、いい機嫌で旅のころもは篠かけのう、篠かけのうであった。  神戸の縉商であるNさんなぞは、飄逸な海亀さながらの長い首を前伸びに踉けさして、ヤレ漕げソレ漕げエンヤラヤアノヤアヤである。芸妓とも白首ともつかぬ若い女を二人ほど手元に引きつけて、それもいい加減に本性を露わしかけているのだった。  我々一同着座。ほどよい陣形に割り込むと、さて、盃の雨がふる。 「へへん、何やな、おまはん狐やろかい。見なはれ。これでも芸妓はんいうてますさかい、阿呆らしやな。」 「ちぇ、どうせ、狐ですよう。」と、三味線をペコペコやっていたのが、口をヒョイと尖らした。眼の縁に紅でもさしたのか、それがなるほど白首の狐の面。 「Kさんききなはれ、これが化け猫や。樺太いうところは凄いもんやな。エンヤラヤアノヤアヤや。」 「エンヤラヤアノヤアヤはおもしろいね。歌って御覧。」 「はるかに見ゆるは本斗の港、エンヤラヤアノヤア、ヤレ漕げソレ漕げ、エンヤラヤノ。」 「やはり、何だな、本斗の港だな。」 「行啓記念の唄やいいよる。へんな唄やな。」 「ははあ、そうか、ほう。」  これでわかった。拙い唄だと思ったが。  Nさんはいよいよ出て卑猥になる。 「ストトンストトンと通わせてえ。これが流行のストトン節や。」 「知ってますようだ。」 「今さら嫌とはどうよくなや。」 「嫌なら嫌だと最初から。でしょう。」 「いえばストトンと通わせぬ。」 「ストトン、ストトン。」 「籠の鳥はどうやな、籠の鳥。」 「知ってますよお。逢いたさ見たさに怖さもわすれえ………。」 「さあ立とう、立とう、皆さん。」 「まあ、まあ、よろしいやおまへんか。ええやええや。」  それでも、流石に勘定高い。切り上げることは知っている。すぐに一緒に立ちかけた。そしてひょろひょろと狐の面にしなだれかかった。 「あら──だ。いやあ。助けてええ………。」  と、「なに泣いてはるのや。さあ、来なはれ。」 「出るに出られぬ………籠の鳥。………」  海には高麗丸。船室の灯。町には明るい電光飾。        *  星。  星。  星。  星。  空馬車、  空馬車、  空馬車。  ぽつり、ぽつり、ぽつりと、奉迎門の明るい電光飾に、三人の褞袍着の姿が埠頭の広場に現れる。中の一人は白髪に白髭である。  空は暗い。  波の音がする。  高麗丸の灯も近々と綴られてる、その沖に。  あ、ひらひらと何やら白いものが飛んでいる。  私は両耳に両手をあてる。  ほういほういと声がする。  と、巨大な奉迎門の黒い影、影、影、  正門と両側の小門。  あまりにシンメトリカルなその投影。  私たちは明るい反射光の中を通り抜ける。  緑の杉の葉のアーチには、鰊がいる。鮭がいる。眼が光る。腹が光る。口が暗い、尻尾が暗い。  昆布がある。烏賊がいる。荒布が靡き、大きな朱色の蟹が匍い、貝が光る。  暗い、青い、赤い。  凡ては本斗の海産物で装飾したその奉迎門は、確かに思いつきであった。  私は脚柱の一つに耳を当てる。  韃靼海の深い、遠い、冥い響きが、海鳴りが、波の音が、潮騒が、  あ、きこえる、きこえる。 「や、君は此処に何をしているの。」  左手の脚柱の暗い投影の中に、濃い鼠の潮じみ雨じみた角錐形の天幕が一つ、その中に、これも鼠の頭巾附きの汚れ破れた雨外套をかぶって、誰やらごろ寝していた。  テントの中のカンテラの灯、血のような豆の灯。 「夜番しているのです。盗まれるといけないから。」 「何を。」 「あの鰊や蟹を。」  おお、そうして、昆布を、貝類を、鮭を、荒布を、雲丹を、すけとうだら、樺太鱒を。  エンヤラヤアノ、エンヤラヤアノ、エンヤラヤアノヤアヤ………………  暗い暗い海、  星。  星。  星。  白いひらひら。  ほういほういと声がする。 樺太横断  ひどい自動車である。幌は破れ、車体は彎み、タイヤは擦り減り、しかもごろた石の凸凹の山坂道を駛り上るのである。揺れるの揺れないのでない。これが樺太横断を決行しようとする私たちの使用車だというのだから驚く。  西海岸の真岡から、樺太庁の所在地たる豊原まで、二十余里の山野を、蝦夷松、椴松、白樺の原生林を技けて、怪獣のごとくまた疾風のごとく自動車で横断することは、少くともこの旅行中の一大壮挙にはちがいない。この話は国境の安別から南航の船上で幾度か提議されたが、決死の覚悟ならとにかくまず見合せたがいいだろうとなった。それほど危険至極の事だと噂されていた。それでもまだ私と庄亮とは諦めがつかないので、真岡に上ると、市内見物の道すがら、縁の青い波型の飾りをそよがした例の簡素な幌馬車をリリリンリンリンで、最寄りの自動車屋をあちこちと探し廻ったものだ。見つけて、訊き合せると既に出払って一台の客待もなかった。樺太庁のを借りようとしたが、行啓後のことで、凡てが豊原へ発ってしまっていた。で、名刺を渡して、明朝行けるようだったら本斗から電話をかけるからということにして、またリンリンリンリンでパルプ工場へ駛らした。本斗の一夜ですっかり興が醒めて、やはり団員と共に大泊へ廻航したが安全だし、半日の小閑をぬすんで、沖釣にでも出かけようかとなった。それが朝になると、咄嗟に横断の議が極った。N老人と警部のA君が飛び込んで来て、俊敏のF君が奮起し、それに私までが燥ぎ出したので、重厚のHさん、風邪ひき鯰のわが庄亮までが、よし行こうとなった。と、汽車の時間までにもうキッチリ五分しかないという。真岡へ電話をかける、勘定を呼ぶ、団長へ単独行動についての諒解を求める、やれ、シャツ、やれ靴下という騒ぎで、大慌てに慌てて停車場へ駆けつけ、それから、汽車へ乗ると初めて、みんなが顔を見合せた。 「さあ吾々の団長を選挙しようじゃないか。」となる。N老人が最年長者だ、極まった極まったで、これは一議に及ばず可決、それから誰いうとなくロッペン団なるものが出来あがった。オホツク海は海豹島に三十万羽も羽ばたいているというロッペン鳥を聯想して、吾々の六人をもじったものだ。たわいのないことおびただしい。このロッペン団かなり不良である。  真岡駅へ着いたのが九時。その駅前のなにがし洋食店の階下から見た外光はすでに白く輝いていた。自動車の来るのを待つ間に私たちは幽かに沁み出る額の汗を感じながら、爽やかなアイスクリームの黄を啜り、水筒に水を、弁当鞄にサンドウィッチを、チョコレエトケーキ、餡パン、思い思いに用意した。  と、自動車の爆音がした。それが、このひどいぼろぼろの幌の、タイヤであった。高等の大型だというのがこれである。それにやっと六人が膝と膝とを突き合せると、運転手がすぐに一人十五円ずつの切符を切りはじめた。一台六十円の貸切りという約束とは違っている。それにまた山高帽に青風呂敷の蝙蝠傘の尻端折の男を一人、途中から拾って無理にも割り込ませようとした。これでは乗合いであって特別仕立てではない。貪慾にも程があると思っていると、とうとう庄亮が怒り出した。 「俺は、何だそのぉ、日本新聞聯盟の外報部長をしている。」 「へへ。」 「鉄道省の鉄道会員としても視察に来たものだがね。第一貸切りであるか、そのぉ、乗合いであるか。が問題だろうじゃねえか。貸切りならば約束外の切符制は間違っている。が、そのぉ、乗合いとするとぉ、すでにその規定人員を超過して、しかもなおかつ暴利をぉ………。」  プ…………ッ、ピッピッピッピッピッ、急に帽子の後頭をすくめた運転手は、やたらに逃げ腰の、ハンドルにばかりしがみついた。わぁわぁわぁわぁっという私たちの歓声に追っかけられて。  だが、危険危険、このぼろ自動車の揺れ方といったら。        *  光、光、緑、緑、  キャベツ、キャベツ、キャベツ、キャベツ、キャベツ。  おや、パルプだ、小舎だ、あ、紅だ、紅だ。陽炎、陽炎、陽炎。  崖だ、椴松だ、熊笹だ。あ、谿々々、や、虎杖だ、  と、パンクだ。 「やったな。」と揃って飛び下りる。  と、また私たちは、高原の、一路坦々たる、大虎杖の林の中に在る私たちを見出した。  虎杖のやや赤ちゃけた虫くい葉の日盛りである。  自動車は投げ出されたように傾いている。黒と灰色との巨大な昆虫だ。暑い土埃がふっかけて遠く白く奔ってゆく。運転手はまた同じような擦り減らしのタイヤと取り替える。しきりと尻から蹲んでポクポクカンカンである。  しんしんと虫の音がする。  さらさらと何かの葉ずれがする。  強い強い草いきれである。青、青、青。  そこで六人が、A、A、A、A、A、Aの形に帽子を脱いで駆け出して見る。麦稈、パナマ、ヘルメット。光、光、光。 「あ、紫だ、や。」 「ブシの花だよ。」  アイヌのブシ矢の塗料の有毒植物のブシの花の新鮮さ。  私はすなわち葡萄入りパンをかじり出す。  ひゅう、ひょう。………  あ、ほととぎすが翔る、翔る。        *  第二のパンクした時、私たちは青い青い樺太蕗の林の中にあった私たちを見た。  おそらく一丈にも近いだろうと思われる樺太蕗のすばらしい高さ、その紅い線の通った六角形の太茎、裏白の、しかも緑の表面の、八月の日光を透かす夕立のような反射。  なんと爽快な嵐、  なんとまた大きな蝸牛だ。あ、その触覚のアンテナは聴く、  JOAK、こちらは東京放送局であります。  あっ、そうだ、今はちょうど童謡の時間だ。  そこで、サンドウィッチだ。  私は道端の巨大な蕗の根に両足を投げ出した。清浄な、また沁み出るような葉緑素の濃い香気がした。いや、氾濫だ、大洪水。  庄亮は向うの蕗林を掻き分け掻き分け見えなくなった。野天の排泄、と思うと深い呼吸がこちらからも放たれてゆく。  開放された、全く。原始の自由のこの簡朴。  ただ、黙々と光る麦稈帽。  私はしみじみとまた、私のホワイトシャツの、自分の汗のにおいを嗅いだ。流るるようなこの汗。  なんとすいすいしたサラダと辛子だ。このハムだ、パンだ。 「どうですい。」と、白髪白髯の、そして朱面の、白い麻の支那服の、頑健そのもののN老人が立ちながら、その頭の上の蕗の葉の一つを仰いだ。  驚くべき葉脈の太い線。その亀の子形。  緑色の太陽。  ポキリと音がした。  あっ、折ったのだな。  おお、歩いて来る、動いて来る、輝いて来る、飜って来る、一枚の大きな蕗の葉が。  蹲んで庄亮が構えた、その巨大な茎の中ほどを握って。  私はマッチを擦った。一本。なんと生きた赤い火だ。  カメラだ。そこだ。パチッだ。        *  第三のパンクした時、私たちは鬱蒼とした樺太柳の、白楊の、また絹柳の緑蔭にはいりかけた私たちを見た。  木の橋があった。潺湲たる清流があった。  水は澄み、何か走る魚鱗の光が見えた。 「鮠かしら。」 「いや、鯇かもしれない。」  向こうに山があった。椴松の林があった。熊笹の柔かそうな微風の深い斜面の裾にはまた、紅の華魁草に似た花が見渡すかぎりのお花畑を作っていた。 「何の花だろう。」と私は訊いた。 「柳蘭です。」と運転手は、タイヤに空気を入れ入れ振り返った。  来る道でもよく目についた花だったなと、私は肯いた。あ、あの紅いのもそうだったのだ。  黄色い、安別で花叢を成したあの丈高い女郎花風のも咲き乱れていた。  下手はまた、風に楊が葉裏を飜していた。  その銀、銀、銀。  水面のまた閑かな投影、枝垂柳の深さ。  白い雲、やや潤んで晴れわたった空、大気。  私はまた立ちながら、ポケットから赤い一箇のトマトを取り出して、しゃぷしゃぷかじった。  おお、滴れる、滴れる、トマトの漿水が。 「ええ、おい、桃太郎の桃でも流れて来そうなところだな。」        *  道は椴松の原野から椴松の山林に入り、幾度かまた原野に下り、また山林をのぼってゆく。  そうして山々はますます深く、自動車は迂廻し、迂廻し、山腹をのぼってゆく。  椴松の梢は寒く、林は黒く、そうしてその間からちらと青い空を覗かせてはまた濃く黒く密叢した林となる。 「ここは何という峠だね。」 「熊笹峠です。」と運転手が答えた。  なるほど、熊笹の大なだれの波のうねりは驚くべく光滑に、また底に暗んで、しかもいかにも寝よげな絨氈の青みを重ねた。それが近づけば近づくほどの深みを撓めて見えた。  光が天の一方から流れる、流れる、流れる。  巒気か、冷気か、雲が迅いか、日がかげるか、自動車の捲き起す疾風か、私たちの胴ぶるいこそは繁くなると、  ああ、古蒼なさるおがせが椴松の高い枝にかかっている。  風邪気の庄亮に私は私の緑のレインコートを頭からかぶせた。私の黒いアルパカが吹かれる、吹かれる、吹かれる。 からまつの林に入りて、 からまつをしみじみと見き。 からまつはさびしかりけり、 旅ゆくはさびしかりけり。  この落葉松の私の詩を、私はまた思い出した。  ああ、その落葉松の林にもはいった。        *  おそらく、私たちを乗せた巨大な甲虫は、今は一千五百尺以上の山中を驀進している。  霧は霧を追って奔った。風は風を吹き落して奔った。  と、遥かに、思わぬところに海の一面が見えた。  あ、黒い黒い韃靼海。  真夏の巻雲。  まさしく、自動車は逆行しつつある。と思う刹那にまた山頂の一角を繞った。椴松の原野がまた眼下に見えて、今度はひた降りに疾走する。  真岡から此処までのうち、私たちは、ほんの二、三戸の一部落を見たのみであった。  幽邃と幽深と、北方の原生林の陰鬱な植物の威圧と無関心。  と、 「君とォわかァれて、コラサ。」である。 「松原ゆゥけェばァ、コラサ。」  や、赤、赤、赤、黄、黄、黄、白、白、白。  安来ぶしだ、  三味線だ。  飾り屋台だ。  や、や、や、襷だ、紅だ、姉さんかぶりだ、浴衣だ、赤い蹴出しだ、白足袋だ。や、や、や、や。  一、二、三、四、五人。  コラサッと笊を両手で、コラサ。  しかも、くわっと明った真っ白い大道のまん中である。コラサッ。  私たちの自動車は、思わぬこの娘子軍の出現にいきなり前方を塞かれて、たじたじとなるとガソリンの爆音のみ、いたずらに我が天心へ反響さして、さて停ると、ますます燥いで、浮かれて、ひっかかえたペコペコ三味線の連れ弾きと来た。  コラサッと、コラサッと、  無言の鰌すくいの足取りが左へ左へと腰をひねって廻ってゆく。  いったい、此奴ら、人間であるか、ただしは山の貉であろうか。それは知らぬ。ただ踊る姿は人間の女で、笊は手振は足取りは鰌すくいにちがいない。  何たる奇怪。  私は眼をこすった。  一同も総立ちになった。 「安来せんげェ……エェ……ン……ンン。コラサイイ。」 「なアンだ、後家さんか。わっはっ。」N老人が、そして、ひゅうと指笛を鳴らした。 「おもしれえ、おもしれえ。」庄亮だ。 「あっはっはっ、こりゃいい、白秋さんどうです。」  飛び込んで、よっぽど、その踊の輪の中に這入って見ようかと、麦稈帽を笊に、ワイシャツの、ハンケチの頬かぶりで思わず立ちかけたが、相手を見ればそうもならず、ただ顔をあかくして笑っていると、いると、 「白秋やれやれ。」と庄亮が後ろから背中をこづいた、こづいた。  それは全く踊りたかったのだが、惜しいことをした。夫子まだ悟入しないと恥入ったな。  だが人ひとりにも絶えて遭わなかったしんしんとした原生林のこの道中の、突如として起った、この三味線の、紅の襷の、鰌すくいである。私の動悸はまだ収まらなかったらしい。  よく見れば、白粉こってりの女どもであった。  小さな、玩具よりやや大きな飾り屋台には桜の造花をつらね、赤と黄との幕を張り、金壱円何々殿寄附のビラさえ二、三枚は風に吹かしていて、さて、曳いて、歩いて、また輪になってコラサッであった。  だが、あたりには家も見えなければ人影も見えないのだ。  天には日がちいさいちいさい。  F君が銭を投げた。  ところで、また、白日光耀の下で、形もない鰌の、日のこぼれの、藻屑の、ころころ田螺の、たまには跳ね蝦の立鬚まで掬おうとして、笊をかろく、足をあげ、手で鼻をつまみ、振りすて、サッとまた笊を、空へ、コラサッである。  色っぽい、色っぽい。 「やははい。」と顎を出す、眼で挑む、「旦那やア。」となる。  それ逃げ出せと、甲虫の突進だ。  サッと、娘子軍途を開く。そこで私も銀銭を目つぶし、チャリンと撥で受けると、片眼のそのお婆が、 「へい、ありがとう。」 「行ってらっしゃい。」「ごきげんよう。」「また、今晩ね。」チュウと鼠鳴きだ。  狐につままれたかな。  ああ、椴松、椴松。さるおがせ。        * 「あいつら何です。」 「白首でさあ。」とN老人。 「あ、家が見えて来た。」 「どれ、ほう、村だな、村だな。」 「や、お祭りらしいよ。」  それでわかった。あの娘子軍の一行、浮かれ浮かれて、村はずれを、人の気もない山へ山へと練り出した、そこで遭遇した私たちだったのだ。酔興だとも思えるが、流石に原生林の中の寂しい生活者の姿である。 「ストップ」と誰だか怒号った。  ビールやサイダアのビラがある、「ひやむぎ」と書いた貼紙、店は開け放して、長い床几が二、三脚、硝子の簾、造花の軒飾り、祭りの提灯。  物珍らしさに、私たちはその土間へずかずかと這入って見た。そうして黙々と肢や脚を揉んでいる卓上の銀緑の蒼蠅にこれはと目をしかめた。 「ひやむぎでもやるかな。」と私が笑うと、 「健啖だなあ。」と庄亮が驚く。  だが、ビールの一、二本がすぐと抜かれた。  いわゆる後家さんの屯所であろう。それらしい二、三軒が向いあいに、その新聞紙貼りの二階の壁までが露わに見通せたが、野猪のような毛むくじゃらの男の幾人かの顔も、とある廂の下に何だか陽気そうに集っていた。外に荒物屋が一軒。  此処が清水村逢坂。  何でも、そこらの山林にいる伐木人夫どもが、たまに酒でも飲みにやって来ようという、ほんの五、六戸の部落らしかった。それでも何という寂しい夏の祭りであろう。晴衣著た子供たちの姿も見えなければ、化粧した若い女のけはいもしなかった。  いや、ありったけの娘子軍は、すでにチャンチャカチャンチャカの鰌すくいに出払ってお留守なのである。  そこで、水筒に水を入れ替えて、またガソリンの爆音を立てさせた。        *  林が林に続いた。高原が高原に続いた。  露領時代のままの駅逓が或る林中に幽かに薄紫の炊煙を立てているのも見た。その駅逓は丸太組で、極めて簡朴な、そうして異国風の雅味を持った建築であった。それに赤みがちの錆色にも古びがつき、硝子窓の切り方などもかなりに凝って、尖った屋根飾りや軒飾りなども単純で、いかにもまた雪の深い樺太の情趣を忍ばせるものであった。  蹄鉄、長柄の鎌、フオク、斧、鉈の類がその土間には放り出されてあった。  日の光が、黒い椴松の梢々の間でちらちらした。  薄ら寒い雲の流れでもあった。  と、その上手の、まだ木の香のなまなましいバラックの、戸は引いて、窓も閉めたのが、その中では何か盛んに喧騒していた。たしかに酒に酔うた五、六の人間の放歌高吟がきこえた。  そのバラックの前に黒塗りの立派な函自動車が待たしてあった。  私たちの甲虫はその前をまた爆音高く通過した。        *  私たちはまた、こうした原生林の中の幾つかの駅逓や部落を通り過ぎた。部落といっても全くの寒村で、急勾配の廂の長い丸太式の家が二戸か三戸か、ほんの飛び飛びに並んでいるきりであった。  山はいよいよ高く、林はいよいよ深く、道はいよいよ迂回して、気流はまたいよいよ冷ゆるばかりであった。  霧が驟雨のように流れて行った。  ああ、さるおがせ。寒い寒い幽かな糸状の懸垂。英国風のクラシックな風景画の黒椴の骨格。その枝々のあのさるおがせ。  そうして、私はまた見た、その背景の白い雲の峰を、  また、密叢した落葉松を、  赤椴と赤だもの疎林を。  そうしてまた暗い谿谷の中腹の白く輝く白樺を。  何という処女林、清高な、犯し難い、しかしまた永遠の神性。  私はまた想像した、雪に埋れ、氷に閉され、伸びては枯れ、枯れては生うる林相の無常を。またその光明を。  あ、あれは何だ、あの赤い実の鈴生った蔓草は、やどり木は。  あ、紅葉も見える。もう秋だ。ああ、もう秋だ。        *  山峡である、ややうち開けた。  リュクサックを負った、絵の具函を水筒を肩から掛けた、三人の角帽の学生姿が流るる霧にぼやけ、日の光にまた現われて、その幽かだったPPPが急に大きい影像をつい目のさきに爆じかせて、逆に振り向くと、「やあ、やあ、やあ。」と満面の笑顔を輝やかせた。 「やあ、君たちだったの。」 「おお。」 「ほう。」 「M君、や、T君もだね。」 「Y君、これは驚いた。」  口々に私たちも驚いて帽子を振った。自動車は停った。日本医専の二人に工科大学生の一人であった。  彼らは徒歩で昨日真岡からすぐに発足したのであった。 「さあ、乗りたまえ。諸君。」 「つかまっていいですか。」 と、早速に両側の踏台に飛び乗った、そうして上の幌の柱にいずれもぶら下った。甲虫に黒蟻が取りついた姿勢である。 「貸切りだよ、かまわないよ。」  庄亮がすかさず、運転手は笑わず、ポウ、プップップップップップッである。 「昨夜は何処へ泊りましたい。」 「逢坂です。」 「なるほど、これはおえらい処へ。あっはっ、彼処の後家さん綺麗でしたかい。ことにM君なぞは大もてでごわしたろう。」 「僕らはそんな不潔な処へは泊りません。荒物屋です。奥さんは立派な人です。」 とMがムキになると、 「へえ、あっはっは」とN老人が哄笑した。  霧がまた驟雨のように私たちを追い越して行った。  午後の日もよほど廻ったらしい。  きょうきょうと何鳥か啼いて、また幽かになった。  ああ、黒椴、  さるおがせ。        *  一望の耕作地、鈴谷平野。  いよいよ私たちの自動車は最端の峠をその麓の坦道へと迂回し初めた。  だが、その山腹のお花畑の美しさは、その紅は黄は紫は、全く何に譬えよう。たしかにそれらは高山植物の気品と清香とを充ち満たしていた。  ああ、光がのぼる、のぼる。  ああ、また、なだれる、なだれる。  風だ、光だ、反射だ、影だ。  その中へ目がけて、私たちの巨大な昆虫はまっしぐらに驀進する。  と、また、山火事に焼け黒ずみ、また雪に雨に白く晒された椴松、白樺、落葉松の疎林が、ほうほうと寒い梢を所在に震わしている。その閑寂、その地の華麗。 「山火事跡かな。」 「いや、開墾のために焼いたんだろう。」 「だが、少々焼き過ぎたね。」 「飛火したかも知れないさ。」  私と庄亮とはこう問い答える。  螺旋状に段々と下降しつつ、俯瞰し、また大観しつつ、遥かに、翠緑の丘陵を平野のあなたに発見し得た私たちは、いよいよ、豊原に近づきつつある喜びのために歓声を挙げた。  まだまだ三里か四里かはあるだろう。  突進、突進。  赤、赤、赤、赤。紅、紅、紅、紅、黄、紫、黄、紫、赤、赤、赤、赤。  飛躍、飛躍。──咆哮、爆音、風、風、風、風。        * 「あっ、パンクだ。」 「また、やったな、ちぇっ。」  と、この第四のパンクの時に、それこそ私たちはもう曠々とした平野の耕作地に辷り込んでいた私たち自身を見た。  まことに砥のごとき途上であった。  両側の畑には穂に出て黄ばみかけた柔かな色の燕麦があった。またライ麦の層があった。トマトの葉の濃みどり、甘藍のさ緑、白い隠元豆の花、唐黍のあかい毛、──  また、飛び飛びの伐り株、測量のテント、道端の虎杖、そうして樺太蕗。  立ちつづく電柱の薄紫の碍子、針金。  麦粉、乾草を積んで東し西する荷馬車、また俵のうえに眠ってゆく少年。  ああ、なんだかフイルムで見たエルサレムへゆく巡礼道の情景と、そっくりではないか。  お、馬が来た。農作馬車だ。粗末な土まみれの木枠の中に十五と十二ばかりの眼の大きな百姓娘が坐っている。  馬はぽくりぽくりと傍らの蕗の葉の林へ這入ってゆく。  ほう、馬の首が蕗の葉にかくれた。妹の娘が振り返った。あっ、姉は澄まして馭してゆく。うれしい緑のこぼれ日、こぼれ日、こぼれ日。 「此処で、何です、いつか自動車が顛覆しましたんで、人死にがありまして、それで豊原道は危険だとなってしまいましたんですがね。いい迷惑でさあ。全く運転手の過失で、こんな何でもないところで飛んだドジをやったものです。」  運転手ははずしたタイヤをガバガバガバと地上にひっ転がすと、今度のまた破損の箇処にゴムの継ぎを当て当て、アラビヤ護謨で粘着けると、トントンと叩いて見た。これからまた例のポンプで空気を吹き込もうというのだ。技倆の未熟も恐ろしいが、掛替えさえも一つしかない、それでもう四度もパンクした、継ぎはぎだらけの膏薬貼りのタイヤの、このぼろぼろ自動車に乗った者こそ災難だろう。危険千万だと思うと笑いたくもなった。それでもまだどうにか此処まで来られたからいいようなものの、逢坂あたりで、代りのタイヤもパンクしました、もう動けませんとでもなったら、命は無事でも、行くにも行けず、還るにも還れず、一同立往生の憂目を見た事だろうと思うと、思わずほっとしたものだ。どう見たところで熊笹峠にせよ箱根の新道ほどの危険な懸崖はなかったと思えた。  どちらにしても、もう豊原は近いのだ。 「御迷惑さま、さあどうぞ。」  結局パンクの数の多いほど、今はかえって楽みであった。何故かといえば、その度ごとに、私たちは十分の暇を得た。眺望し観察し散策し撮影もしたのであった。だが、もうこれきりであろう。  自動車は駛り出したが、相変らず揺れる、揺れる。  お、誰だか長い柄の草刈鎌で、一面に熟れかえった燕麦をスウイスイと刈り立ててる。  いい香いだ、いい香いだ。        *  観ると、いつのまにか、目当の鮮やかな丘陵の緑に、裾の鼠にぼやけた白い重い雲がかぶさっていた。  その梢の隠された疎林、疎林、疎林。  斜陽はすでに黄ばみかけたが、さして強くは輝かなかった。  ただひろびろとした燕麦や豆の畑に、何かしら冷気だった物の影が流れて、また明るともなく後明りしては陰って行った。  だが、道はいよいよ善くなってゆく。  なんといい豊原道だ。  向うから小さな人影が来た、生きて動いて、何か帽子に幽かな円光を発てて。陽を真正面に受けたのであった。  一分………二分………  車体はイキナリ左へ投げ出されかかって停った。凄まじいパンク。  すれ違いさま、あわやと見たので、思わず急角度で避けようとしたのである。転覆こそは免れたが、今度こそ道の真ん中でパンクしてしまった。 「危険危険、あっはっは。」 「やりきれねえ、やりきれねえ。」  だが、私たちはまた道端のやや高畦の斜面へぽつぽつと凭りかかったり、蹲んだりした。わが庄亮は「やりきれねえ。」といいながら、歌のノートを取り出しては書きつけて、ともかく悦にはいっていた。 「しっかり頼んますよ。」と謹直なA君が今度ばかりは揶揄気味にきめつけた。  運転手は一生懸命であった。  この第五のパンクが騒ぎとなった。  ところへ闇雲に後から驀進して来た一つの高級自動車があった。あの露西亜風の駅逓の前に見たのがそれであった。  酔ってる、酔ってる、全くもって、山高帽の、モウニングの、また麦稈の背広の、眼鏡の、ホワイトシャツの、藤八拳の、安来節の、わいわい騒ぎの眼と鼻と口との連中が、不意にその前途を塞がれたので、停ると、いきなり、 「こりゃ、やい。ポンプ野郎。」となった。 「こりゃ、やい。」 「うむ、こりゃ、やい。眼があるか、やい。」 「天下の公道だぞ。不届者奴。」 「往来だぞ、公道のまん中でパンクする奴ゥがあるかア。」 「規則違犯だぞ。」 「赤だも、そっち避けい。」 「林野局のお通りだぞ。」 「下郎くたばれ。」 「ばかア。」  運転手はへえへえで、それでも手順も一向につかぬか、あ、また、螺旋巻ばっかり廻している。  こちらは、ほう、あの御仁体が樺太庁は林野局のお役人だそうなと眺めている。 「早くせんかア。」ドドドン。 「ひっしょびくぞ。」ガタガタ。 「こら、こら。」ドンドン、「馬鹿野郎ッ。」  いくら躍鬼となったところで、そう早急に始末のつく訳はないのだから、もうこれで五度のパンクでいかな膏薬万能のタイヤでもそうそう無理な治療が利こうはずもなし、気長に待つより仕方があるまいと、こちらはみんなが呑気である。  空に孔でもあかないのかなと、私は仰いで手枕だ。  そこで庄亮、「おい白秋、長柄の鎌でスウッスと刈ったらなあ、あの燕麦を。」  俊敏F君観察だ。手と足何本突き出した。  重厚Hさんはただ苦笑いでカメラをそっちへ向けている。  和製タゴールさんは大茶目だ。ぴゅうと指笛でも吹きそうだ。眼鏡を片っ方はずしてる。  医専の一人はスケッチだ。畑の向うの楡の木はいい形だなと、やっている。外の一人は実直だ。心配そうに避けている。  工科のY君、流石である。ガバガバパンパン手助けだ。  警部のAさん京都府だ。知らぬふりです。めんどうだ。 「こりゃ、やい、観光団の馬鹿ッ。」 「頼母子講。」 「竜宮の身投げ。」 「助平じじい。」 「イヨウ、ハイカラア、ふとっちょう。」 「ちきしょう。」 「何しに来たア。」 「椴松強いぞッ。」 「さっさと行きやがれ、へへんへんだ。」  おやおやと、こちらは眼交で、取り合わぬ。 「やいこりゃ、天ン下アの公道だじょッ。」 「ひきしょびくじょッ。」 「ばきゃやろうッ。」  だんだん、お声が悲しくなる。  この間おおよそ二十分間。  やっと、形ばかりの修繕を済ましたと、  また後ろでは勢を盛り返した。 「待てえッ。」 「俺の方を先きへ通せ。」 「寄せろ。」 「名刺を出せッ。」  この時、庄亮、剣道仕込みで、すうっと立ち上ると、 「運転手君ッ、さあ、お通してあげるぞぉ。諸君、押してくれたまえ。」プップウプップウ。擦り抜けると逃げた逃げた、一目散である。 「えらいお役人もあったものだね。」 「ええ、どうも威張りくさって困るのです。」と運転手。「植民地ですからなあ。」 「だがそのぉ、パンクして交通を停めたのはこちらの失策だが、一度叱れば済むことを、そのぉ、しちくどいからね。」 「僕たちは林野局の局長のAさんへの紹介状を持って来ているんです。今夜も泊めて貰うはずですから、いいつけてもいいです。」と医専のM。 「まあ、いいさ。黙っておくさ。」  そこで、私たちはまたぼろぼろ自動車へ乗る。ぶら下る。駛り出す。  また、パンクだ。 「ええ、もう一里弱ですから、このまま滑走してしまいましょう。」  これにはみんなが笑い出すと、 「ようし、やれ。」 「やっつけぇ。」  驀進、驀進。        *  揺れる、揺れる。  や、楊だ、並木だ、光る、光る、光る。  や、紅葵だ、  向日葵、向日葵、  や、西瓜の花だ、縞西瓜だ。素敵。 「や、や、露西亜人の家だね。いいな、あの丸太組みの建築は。」 「いいなあ、広い通りですな。」 「や、旗なぞ出してますよ、お祭りですかしら。」 「や、豊原だ、豊原だ。」 「万歳。」 「万歳。」 「ぴゅう………うる………る。」        *  と、町へ入る左口、とある広場に、これはまた大げさな灰色の天幕。  おお、あのトロンボオンは、  クラリネットは、  おお、あの喇叭、  おお、太鼓は、銅鑼は、  そうだ、曲馬、曲馬。  滑走、滑走、滑走。  そこで、ふっと振り向く、ちらと眼に入ったは、天幕の前、象だ、象の子だ、小いさい、背中に金と赤との印度織りの鞍掛けを着せられて、垂れ下った両耳の、長い灰いろの釣鼻を揺っては振り振り客呼びしてる。や、や。 「あ、君、象の子がいる、象の子がいる。」 小沼農場  赭いガサガサした粗皮の椴松、蝦夷松、たもの木などの丸太で組立てた樺太庁農事試験場の歓迎門は流石に簡素であった。まことにいい趣味だと思わせた。  私たちの一行は小沼駅へ着くと、すぐに線路を越えて、その入口にかかった。よく掃かれて塵一つとどめぬ白い農園道は、坦々として真っ直ぐに熟色のライ麦や燕麦の畑中を通っていた。行啓の名残で、黄や赤や紫や青やの万国旗が此処でもまだ翩翻としているその下を、薄い翅のかがやく蜻蛉や蝶々の番いが、地にすれすれに流れたり縺れ飛んだりしていた。空は蒸しても何かしら光らぬ北方の曇天であった。  豊原から此処までの二駅の間は、たも、ばっこ楊、落葉松の疎林に紅紫の楊蘭や薄黄の山独活、ななつば、蝦夷蘭の花がまだ野生のままに咲き乱れて、ただ処々に伐採跡の木の根っ株が顕れていた。だがこの小沼へ来ると、総てはうち開けて整然とした穀物と野菜の祭りが私たちの前にあった。  案内役は林野局の局長のAさんである。  前夜、私たちはあらかじめ定められた北一条のH屋旅館にひとまず落ちついて、大泊から廻って来る同勢を待ち受けることにした。その晩餐後、最寄りの書店で絵葉書をあさっていると、其処へ医専のTが這入って来た。 「どうしたい。」 「Aさんの官舎へ泊めてもらうことにしました。きさくな人です。飲むとおもしろいんですよ。非常に歓待してくれましてね。そしてずっと泊っていいといってくれます。」 「ほう、それはいいね。」 「先生を知っていますよ、Aさんは。なんでも弁当箱に書かれたことがあるでしょう。愛翫しているそうです。小田原の親戚からもらったといっていました。Aさんも相州の人だそうです。」 「ほう、あの醍醐味かね。」と私は驚いた。  実はこういうことがあったのである。  私がまだ伝肇寺の間借りをしていた時代だからかなり古い話である。海岸のKという人の貸別荘によく遊びに行ったものであるが、ある時、山本鼎君と二人で、その奥座敷で快く饗応されるままにいい気になって、海を眺め、半日の小閑を楽しんでいた。  主人は手のついた白木の弁当箱を持ち出して何か書いてくれという。そこでよしよしと酔筆をふるった。それが醍醐味の三字であった。いつかしらまた、それがAさんの手に入ったものであるらしい。主人は土地や山林に関した仕事をしていた。商才に長けてなかなか機敏な人であった。 「一寸、林務官が見えていますから。」と時々中座した。その時の二階の客というのが、今思うと恐らくAさんであったであろう。  私たちは陶然としてしまった。もう少し酒興が深めばいよいよ羽化登仙というところで、サラリと正面の襖が開いて、コツコツと杖こそ突かぬが、ぬうと這入って来たは白髪白髯の老紳士とその老夫人であった。主人は後から元気な赤い顔をして蹤いて出て、 「ええ、こちらが十二畳でございます。」と、上座の私たちを、目八分に透かすと、 「只今、ここに御酒をめしあがっていらっしゃるのが北原白秋先生に山本鼎先生でございます。お家賃は百五十円で。」 「おいおい。」と鼎さんが私の袖を引いた。 「僕らも家賃の中へはいってるらしいよ。」 「や、こりゃ驚いた。逃げよう逃げよう。」  向うでも流石にすぐに引っ込んだが、後できけば、有福ななにがしの子爵とやらであった。  二階の客も逃げたらしい。小田原旧城の倒れ木の払い下げもついぞまとまったという話もきかなかった。  ああ、あの醍醐味の弁当箱かと、私はまた独で苦笑した。  そのAさんは背の高い痩形の、鼠の背広に麦稈帽という軽装で、気前よく私たちの先へ立って行った。役人臭のない、極めてさっぱりした中老人である。そうして時々突拍子もない諧謔を弄した。(だが、その翌日、林野局に私が挨拶に行った時は全く硬直した官僚的態度で、や、そうですか、や、と大きな事務卓を隔てて、にべもなく私の純情を跳ね返してしまった。そこで一寸てれた形になった私はそこそこに辞去したものだが、同じ昨日の人でありながら、こうも役所では変れるものかと不思議でならなかった。これは別に悪い意味でいうのでない。私にはわからないから呆然としてしまったのである。)  さて、私たちの歩みが薄紫の花のむらがる馬鈴薯畠の前に来たところで、何か親しい秋雨のような細かな霧雨も降り出して来た。        *  この菜園でも、白い蝶のひらひらが低く、燕麦の穂から穂へわたっていた。蝶の翅も幽かに雨を感じたらしい気であった。  菜の花の鮮黄の群れも目についた。  もち稗も熟れていた。  亜麻畠のややほの青みを保った熟いろの柔かさ匂やかさは何ともいえなかった。まだ紫の花がちらちらと残って、多くは小さな小さな円い実をつけ初めていた。  韮葱の花の大きなやや毛ばだった紫の球にも細かな霧の小雨がかかっていた。  庄亮はノートに歌を書く。  私は標木を読んで行く。  ライ麦(アルコール原料)かな。 アムール、 サクソン、 スプリング、 浦塩、 アプルツク。ランランラン。  やあキャンデータフトか。白い花、これはいい花、写生しよう。  や、トマトだ。蕃茄か、アーリアナか。  や、や、南瓜だ。ころげたな。 デリシアスかい、 ハッバードか。  まさかり南瓜だ、驚いた。  魔法杖でもちょいと振りゃ、娘ふたりがダンスの沓にもなりそうだ。躍れよ躍れよ、おどり沓。  や、草苺だ。ド、レ、ミ、ファ、ソ。紅いな紅いな、雨の粒。  や、木柵だ。御免なさい。  ほう、すかんぽだ、枯れ花だ。  朝鮮黍だ。唐黍だ。  青刈り用とはフレッシュだ。焼いて嗅ぎましょノスタルジャア。や、や、なるほど、秣にしますか、勿体ない。あかい垂れ毛も濡れている。  なんと緑の疣々だ。胡瓜の花も顔まけだ。  やっ、いい図案だ。花椰菜。民謡集の金版だ。  やあや、火焔菜、火のようだ。コールドビーフのつけあわせ。  亜米利加防風、ちさ、セロリー。ゴールデンセロリーは金の茎。  瑞典蕪、大蕪、銀の鰯がちらかれば、さしずめわたしの雲母集。  人蔘の髯、七、八寸、家畜用だと人はいう。  や、蜜蜂だ。ぶうんぶん。胴は花粉で真っ黄だな。花の色よりまだ濃いな。  おい、おい、庄亮、歌ができたぞ、四五句だけ、 大麦黄なり夏蕎麦のまへ  白花じゃがいも、赤いもだ。  紫の花、白いもだ。  雨、雨、雨、雨、傘さした。  私は口笛吹き吹き行った。  洋館前の芝生には、円い花壇がふたところ。  実に愉快だ。黄だ、赤だ、雪白、紫、緑いろ、  白玉葵、赤玉葵、  スウィートロッケット、シャスターデーシー、  また、金蓮花、  そして、ちらちら、コスモスの淡紅いろの花盛りだ。  そして細かな雨がふる。  裏へと口笛吹き吹き行くと、  蔓細千成、茄子の花、おはぐろつけたて中年増、  黄と白、赤の葱坊主、毛槍かつげば供奴、  人蔘の花、八重垣姫の花かんざしの額髪、  花の痛いは種牛蒡、勧進帳の篠懸けだ。  此処にも細かな雨がふる。  ピッチピッチ、チャップチャップ、ランランラン、  ピッチピッチ、チャップチャップ、ランランラン、  あ、あ、牧舎が見えた。  なんと抒情的な異国風景、  ああ、春楡、山査子、白樺、  広い広い牧草の原、  あ、羊だ、羊だ、遠くを人が追って来ている。  牧歌牧歌と誰やらが叫んだ。  私の小唄は閑かになった、浮かれ心は。  小雨も幽かに小やみになった。        *  洋風の牧舎の様式は早速に小型の黄色いノートを私に取出さしめたほど私を魅了した。私は克明に写生した。  その屋根は上部で段がついた深い急勾配で、正面から見ると将棋の駒の外観をしていた。棟には幾つかの空気抜きの小さな塔が並んでいた。屋根裏の窓は広く二層になって、上のは小さかった。入口は思い切り大きい両開きの木の扉が左右に裏板を見せて、ほの暗い内部を透かした向うにかっきりした長方形の雨空と緑との画面がうち明っていた。  私たちは紅い火焔菜の根を掌のひらにのせた場長さんの後に蹤いて、濡れ雫の蝙蝠傘をすぼめすぼめ這入って見た。  第一は牛舎であった。  其処には通路を中にして、両側に対い合せに間劃りがあり、その一つ一つに、エーアシャー種や、ホルスタインの種牛と牝牛とが沈々と深い瞳を光らしていた。何れも黒くつやつやしかった。角ががっしりして撓み、両耳が垂れ、そうして悠揚と突っ立っていた。糞尿に黒く湿ったその床も、それでも帚の目がよく届いていた。青草のにおいもした。  他の牧舎には耕馬もいた。内国産アングロールマン種、北樺太産洋種、内国産洋種。  骨太く、肉づき厚く、脚短く、逞ましい黒い馬の、流るるがごとき光沢の皮膚。 「耕馬はこれでなくちゃならないね。どうだ、このぉすばらしさは。」と庄亮がいった。  そうしてその一頭の長い額を叩き、頬の膨らみから頤の毛並を軽く軽く撫で擦った。馬は眼を細め、薄あかい歯茎をむき出し、顫わせながら、さも擽ばゆそうに笑った。  雨がまたしめじめと降りかけた時に、私たちは養狐場の高い板囲いの潜り戸を開けてもらっていた。  ほの黄色い燐の火でも燃えちろめきそうな空合であった。  樹といっては白い幹の凋落樹の白樺がただ一本うち湿っているきりであった。  狐は通路を隔てた両側の高い金網のなかを幾つかにまた劃った各自の庭を与えられていた。庭の中央には脚高の細長い小さな巣箱があり、その横から一方へ斜に樋のようなものが地面へ向けて突き出してあった。その樋の口から、きょろりと狐の眼が光った。その樋の下には階段があった。狐はその階段の下の地面に潜り穴まで穿っていた。  ともすると、庭に出て金網近くをきょそきょそと徘徊している黒狐もあった。疑心深く、驚いては逃げ、狡猾そうにまた後ろを振り向いて立ち留った。  ああ、雨がふる。  私たちはビスケットを投げた。だが狐は徒に尻込みして容易に金網に近づこうとしなかった。 「じりじりしますね。何でああ疑い深いでしょう。」と医専の一人が舌うちした。 「そこがいわゆる狐疑逡巡というやつだろう。」  褐色の尾の薄い青狐もいた。十字狐や赤狐もいた。その中に尻尾の尖りの白い黒狐の仔だけがまだ人なつこく、はしっこく、金網に飛びついて来た。可憐なその赤い舌が庄亮の掌を嘗めた。 「あっはっはっ。こりゃいい。おもしれえ。」 「無邪気だね。子どものうちはみんなああだな。」  ああ、雨がふる。狐の目つきに、毛の光沢に。  こんと一声。  秋雨めかしい、燐のにおいの小雨である。  養狐場を出たところで、私はまた牛舎の白い狭霧を、厩舎や豚舎の小雨を見た。雫を含んだ鮮緑の広々とした牧草の平面を、また散在した収穫舎、堆肥舎、衝舎、農具舎、その急勾配の角屋根を。  またうち湿った闊葉樹、針葉樹の林を、森を、また花いろの遠い煙霞を。  ああ、目に透かすと、先ほどの羊の影絵は早やなかった。  旅愁がしきりに動いて来た。  私は狐に遣り残しのべとべとのビスケットをわが手に嘗めた。 「羊はもう出て来ないのですか。」と私は歩きながら場長さんに訊ねた。 「緬羊ですか、いや、雨が降り出したのでもう入れてしまいました。なんならもう一度外へ出して見ましょう。雨も止んだようですから。」と、その人は答えて、「それじゃ、どうぞ此方へ。」と緬羊舎の方へ急いだ。  蔭の深い楡の二、三本の木立が、其処には幽雅な雨霧をまだ梢の緑に保っていた。  何という完全な楡の象であったろう。楡ほど枝ぶりの整った木は珍らしい。殊にそれが老木になったほど喬く、また鬱蒼と張っている。観ていていかにも北方の木の母だという感じがする。  その木立に一本の山査子がまた隣っていた。  製えたばかしの白木の卓子と二、三脚の同じ白木の長椅子とがその蔭に出しっぱなしであった。卓子も長椅子もじっくりと湿っていた。  私たち──Aさんと、医専の二人と庄亮と私とは、その楡の根方に座をしめた。  少し離れて左手にまた一本の、それは最も完全な老木の楡が涼しい繁りをそよがしていた。その蔭に正方形の白木の壇が据えられてあった。そうして白木の卓子も置かれてあった。つい前日に摂政宮殿下の御座所だったとのことであった。  そうして私たちの虔ましく取り囲んでいるこの卓子は、恐らく殿下の侍従たちの額が恭々しく集められたことであろう。殿下も白木の壇上の白木のあの卓子に、おん身を、そのお椅子を寛々と進めたもうたことであろう。そうして遠い白樺の林のかがやきを、牧草の一面の微風を、なんと御覧遊ばしたであろうか。何という簡素と高貴。  御座所の方に向って、また、四辺を広く眺めまわして、しみじみと私は崇敬した、日本皇室の神聖と、吾が民族の由来する伝統と精神とを、そうして愈々に幸わうわが国の言霊とを。  御座所の後ろにはささやかな、また清らかな浅い池があった。何の作るところもない、自然のままの池であった。その水面が薄く明って、平らかに、また何かの影も映していた。そうして周りの、紫の玉を綴った紅苜蓿や、四つ葉の黄の花の馬肥やとすれすれに落ちついたいい静まりを匂わしていた。あの水を緬羊も飲みに近寄るのだなと私はまた透かして見た。それは幽かであった。  音がした。それは初めはあるかない響きであった。その覚束ない騒めきが、次第に柔かでもある深みを持った重い確かさで、前の緬羊舎の戸口から、緑の濡れしずくの草っ原へもこりもこりと動いて来た。  改めて駆り出された緬羊の四、五十頭の群であった。  新月形の両の角を振り振り、素の額のまろい眶の肉の垂れた、眼の柔和な、何か老いて呆け面の、耳の蔽い毛の房々して、部厚い灰色の、凸凹の背の、気の弱い緬羊は密集して、誰から、どの列から誘うとも誘われるともなしに、おのずからに草を食べ食べ移ってゆく。その鈍い動きが動くにつれて立つる音から、古びた綿埃の渦のような、また絨氈臭い、そして高まる神秘性の何かの綜合音が感じられた。  めうう……めうう……とあるものは首をあげた。ほとんど総ては下向き下向き、草を食べ食べ移って行った。  と、場長さんが、若い技手に白い陶器のミルク入れと、白い西洋皿と、透きとおった薄手のカップとを運ばせて来た。白い二つの皿には水っぽい新鮮なサラダの緑を、白い三つの皿にはやや薄黄のマイナスソースをかけた羊の蒸肉を盛ってあった。それにはまた薄あかい割り箸を添えてあった。  ミルクが一同のカップに注がれた。 「これは搾りたてですから召しあがって下さい。サラダも挘ぎたてです。」場長さんはまた附け加えた。 「この羊の蒸肉は昨日のお残りです。」  それはと一同がお辞儀をした。 「ありがてえ、ありがてえ。」と庄亮が例の両手を振り振り、その頭をひっ擁えると、ふくれた眶を紅くして、目で喜んで、また頭を打ち振った。 「や、殿下もこれを召しあがったんだな。」と、私も恐縮した。 「ええ、奉呈しました。それにお扈従の武官たちにも出したのでした。そのおさがりです。」 「いい時に来あわせましたな。ひとつ戴きますかな。」とAさんはピシリと箸を割った。 「乾杯、乾杯、さあ。」と立ってミルクのカップを私が差し上げると、 「天皇陛下万歳ぁい。」とAさんが太声にどなった。 「皇后陛下万歳ぁい。」 「万歳ぁい。」 「摂政宮殿下万歳ぁい。」 「皇太子殿下万歳ぁい。」 「万歳ぁい。」  そこで、また、 「羊の蒸肉万歳ぁい。」と私が叫んだ。 「さあ、このミルクだ、搾り、搾りたてのミルク万歳ぁい。」 「搾りたての、あっはっはっ。」と庄亮が哄笑すると、「や、万歳、万歳。」と軽く早口に、鼠の縞縮の、尻端折の、メリヤスのズボン下の、黒兵児帯の、腰手拭の、それがあっはっはっで掛けてしまった。そして、 「これはすばらしい。このサラダも万歳だ。」 「ほんとだ、これはフレッシュだ。しゃきしゃきする。」  緑のちりちりした葉に雨がいっぱいついている。そのサラダは全く地面から湧き出た滋味そのものの新鮮さと気品とを飜えしている。 「お乳をかけましょうか。」 「いや、これで結構、ついでにその泥のついた火焔菜も。」と私が笑うと、 「あっはっ、甘いよ、そりゃあ。」 「甘くていいじゃないか。僕はこの頃何だよ、詩を作る時には、きっと砂糖を嘗めるよ。」 「やっ、こりゃ、初めて聞いたね。君が砂糖を。」 「おかしいかい。」 「おかしいともぉ、それはお酒でございましょう。」 「酒はきらいだ。」 「あっはっはっ、そうでしょうとも。」 「だがね、砂糖を嘗めるのはほんとだよ。頭が緻密になっていい。疲れが直るよ。だから、紅茶にドッサリ入れて何杯も何杯も飲む。」 「驚いたね。」 「酒は好きだが、酒を飲んだら僕には詩も歌もできないね。小唄ぐらいはどうだか知らないが、どうしても観照に罅が入るね。慷慨激越の詩ならとにかく、精確な写実をやる時は酒に酔った感覚では駄目だ。心は鏡のように澄んでいなければならないからね。それでも書ならば陶然として書き飛ばすがね。無慾恬淡だね。とすると歌なぞの時は少々固くなり過ぎるかも知れないな。もっとも書はどうでもいいと思う気持ちがあるからだが、詩や歌は本芸だとしているからね。酒の時はまた酒だけでいい。でないと酒の美徳を傷ける、とこうなる。」 「やっぱり、酒のみだよぉ。」 「いいさ、だが、甘いものもやるよ。」 「じゃあどうぞ、お砂糖をどっさり。」と技手君が砂糖壺を差し付けた。 「ありがとう、いただきますよ。それじゃミルクをもう一杯。」  これはうまい、濃厚だ、実につめたい、「おい、庄亮もう一杯やれ。皆さんどうです。」となる。 「よかろう。だがいいかい、そのぉ。」 「かまやしないよ。」で、「いくらでも搾れるでしょう。」と、すこし顔が紅くなる。 「よいしょ。」と医専のTが声を掛ける。  庄亮、「砂糖といえば、俺はもう閉口閉口。何だろう、そおれ、千葉から印旛佐原へかけて、本党は親父の地盤だろう。去年の選挙の時なんだがね。俺たちは、そのぉ、朝の暗えうちから、草鞋ばきの尻端折で、吉植です、ええどうかよろしく、ええどうかよろしくさ。あっはっは、やりきれねえ、やりきれねえ。だが、じつは半分は歌を作ってあるくんだからおもしろい。それこそかまやしねえ。山路などにかかるてえと菫が咲いてる、四十雀が鳴いてる。廐の裏でも通りかかって、屁でもプッと落すと、馬がコトリとやるんだからね。きまりのわるいのわるくないの。」 「よくやるんだね、君は。だがお砂糖はどうしたい。」 「そのぉ、お砂糖がア、問題なんだね。それ、どうせ印旛沼だ。あっちに一軒、こっちに二、三軒だ。一日がかりだアね。とう、やっと尋ねあてると、吉植です。それはまあ御鄭寧さまに、さあどうぞ、さて、そこで砂糖を。」 「砂糖を。」 「お手をどうぞというから、それ、右の手を出すと、お砂糖さ。こいつはたまらねえ。だが、そこは神妙に、ありがとうございますさ。厭な顔でもして見たまえ、何だ吉植威張ってやがる、俺ら百姓だがアとなる。そこで一票フイさ。仕方なくなく嘗めるんだ。あっはっはっ。それがまたそのぉ、次から次へとそうなんだからね。掌はベトベトする、口は甘ったるくなる、胸はむかついてくるしね。悪く行き合せると、田舎の事だから牡丹餅をこしらえてる、餡粉の草餅を揉んでる。まあまあ、どうぞお一つ、それやアお一つ、てこ盛りで、勧め方があくどいからね。それに野天は暑いし。」 「あっはっは。」とAさんが笑い出した。「それはお苦しい。」 「ええ、そのぉ、こう咽喉元まで詰め込んだやつを、正直に、や、もう真平とでもいおうものなら、それ、また一票フイとなる。ポロリポロリと涙がながれる。そこへもって来て、お隣りへ廻ると、またお砂糖。親父を代議士に持つんじゃねえ。子泣かせだよ。」 「なるほど、そう一々お砂糖をお嘗めならなくとも、どうにかなりそうなものですね。」と場長さん。 「いや、後で気がついたんですがね。そのぉ。」 「いつも後で気がつくんだ。」 「待ちたまえ。そこで、と。そう嘗めてばかしじゃやりきれねえ。で、嘗めたふりして、こうそっとふところへザラザラザラさ。秘伝だね。だが、こいつも困ったよ。内ふところがそれ汗まみれだろう。ベトベトする、くっつく。とても気持ちがわれえ。」  さあっと驟雨が走って来た。  驟雨は樹林の前、牧舎の裏ほど白く白くその雨あしを際立たせて、一斉に騒めき慌て出した緬羊の円い円い円い背の重なりを、たちまち模糊たる霧煙の中に引き包んでしまった。  めう……めうおおお……めう……めうおおお……  それこそまた濡れ鼠になって、向うの向うの庁舎の方へと、いっさんに駈け出す私たちであった。        *  大陸的な樺太の八月の驟雨である。いかにそれが異郷風の壮観であったかは想像してくれたまえ。  私は眺めていた。庁舎の押上げ窓の硝子を透かして。  目も彩な花壇の紅が、紫が、雪白が飜った。雨の飛瀑が襲来した。  フィルム。フィルムの急速度の線、線、斜線、  前面の菜圃が。──青黍、もち稗、花椰菜、火焔菜、トマトが、南瓜が、ああ大蕪が。  すばらしい、すばらしい。雨だ、音だ、銀だ、ああ、緑だ。霧だ、霧だ、霧だ。  亜麻が、ライ麦が、燕麦が、夏蕎麦が、菜の花が、ああ、また大麦が。  蝶だ、ああ、光った、乱れた。たたきつけられた、急角度に。  濛々と、隠見する遥かの白樺、たも。ああ、楡、ばっこ楊。家、家、家。  見渡すかぎりの牧草。  や、汽車が来た、紫の煙、煙。 「あ、彼処です。露西亜人のパン屋の家は。」と場長さんが、Aさんの話の中途で立ち上った。  先ほどの若い技手が、熱い熱い番茶を卓上の茶碗に注いでまわった。 「此方にも露人がいますか。」と私は振り返った。 「ええ、一、二家族居ついていますがね。」 「何をやって暮らしています。」 「パンを焼いたり、牧畜をやったり、それはおとなしいものです。」 「聖代の徳化にうるおっている訳でさ。ありがたいもので。」とAさんは敷島に火を点じた。 「白系の良民ですな。元は北樺太にいたのですがね、バルチザンの残党や赤化の無頼漢どもの脅迫から、とうとう堪えきれなくて南へ落ちのびて来たのです。気の毒なものですよ。それでも此方へ来てからはすっかり安心して、日本はいいといっています。もっとも、露領時代からの住民もいます、丸太式の小舎に。」 「校倉風のでしょう。あれはいい。豊原のはいり口でも見かけましたが。」 「いや、豊原には旧露西亜人街がありますよ。もっと揃っています。」とAさんが頬杖ついた。 「それはいい。ひとつ見に行って見ようか、吉植。」 「うむ、いいね。それからそのぉ、ツンドラ地帯というのは。」 「幌内川沿岸の一円の地帯で、つまり蘚苔類の堆積で深い幾段もの層を成しているのですね。下層は土に化したように、こう黒く、や、これがそれです。」と場長さんは後ろへ、室の一隅に据えた大きな硝子戸の長方形の棚を指さした。  なるほど、下部は黒く、中部はやや褐色に幾段もの脈がついて、上部は黄や青の苔の、そのツンドラの断層面がそのままそっくりその中に飾られてあった。 「なんですよ。そのツンドラ地帯にはフレップという紅い果の生る灌木が密生していましてね。それがフレップ酒の原料です。まだですか、紅い酒ですが。」Aさんは、そして微笑した。 「フレップ酒ですか。昨夜一寸やって見ました。甘いんですね。」 「でも刺戟は強いでしょう。」 「え、あれはアルコールに色をつけたんだとばかり思っていました。あまり紅いんですからね。」 「や、生粋の樺太葡萄です。」  話はそれから航海中の出来事や、横断のパンク自動車、逢坂の後家さんの安来節、これから廻ろうという敷香のオロチョンギリヤークの生活、海豹島の噂に移った。  雨がまた一しきり窓硝子をたたいて飛沫を散らした。  ガランとした白い一室である。 「これはいい、庄亮、踊るにはもって来いだな。」 「あっはっ、やるかア。」 「でも歌えまい、君には。」 「あっはっはっ、歌はちょいと、そのぉ、困るがね。」と首を竦めて、 「それでも何だよ、踊るぐれえなら、お弟子格でやれるよぉ。」 「T君どうだい。踊れるかい。」 「何です。伊那ぶしですか、家庭踊でしょう。」 「田辺さんの家庭踊じゃないさ。本場の伊那ぶし。」 「踊れますとも、僕はこれでも信州人ですからね。」 「や、それは失敬、だがもう僕は酔っぱらったよ。」 「お砂糖にかい。」 「雨にだ、ほら。」  外は濛々とした霧けぶり、銀と緑の驟雨、驟雨、驟雨、  あ、模糊として、なおかつ白い白樺の遠景。 「さあ、諸君踊ろう、踊ろう。静粛に。」  音は走る。  夏は走る、走る、走る。 イワンの家  雨はまだ激しかった。  緑である。白茶である。黒である。濃鼠である。そうした自分たちの、または農場から借物のレインコート、雨合羽、軍人マントの一行五人が、案内の技手君を先きに立てて、全くの濡れしずくになって飛び込んだが、其処がイワン・クリロフの家の入口であった。 「おいでかね。」  内では何やら答える声がした。  ずかずかと技手君ははいって行った。私もみんなの後から、蝙蝠傘の雫をきりきり、そのままで蹤いて上った。もっとも雑草の離々たる原っぱを横切って来たので、私たちの泥まみれの靴は綺麗に拭かれていた。  頭の禿げ上った乳っぽい赤ら面の、眼の柔和な、農民風の五十男の露助が、何か羞恥んだような驚きと親しさを見せながら、立ちあがると私たちへ笑いかけた。ペチカの前にでも跼んでいたのらしい。濃い藍色の労働服を着ていた。横から見たら首の根っこが鼠の裸児のような紅いろをしていた。毛むくじゃらの両手だ。  技手が何か手真似で戯けた。そしたら露助が、またしゃっ面を一層赤くして、「あっはっはっ。」と笑った。 「まだ日本語が話せないのです。」と技手が私たちを振り返った。 「何という姓ですか、この人は。」と一行の誰やらが訊いた。 「クリロフ。そうだったね。」と技手が眼で笑った。 「クリロフ。」  露人もまた眼で笑った。  何と素直で善良なロスキー気質であろう。おおまかで如何にも寛々とした無智。  クリロフの家は樺太における露人の住居特有な校倉式の丸太組のそれではなかった。極めて粗末なバラックで、ただ洋風に窓を劃り羽目板をぶつけたに過ぎない。  私は見まわした。  入口の一室はほんの六、七畳の板の間で、突き当りは物置らしい開き戸になっていた。右手の窓下にはフライ鍋やスープ鍋、瀬戸びきの大きな杓子、薬鑵などが雑然とぶらさがっている、これが台所だ。  セメントのペチカは右の室へ通ずる渋がちの廉更紗のカーテンの傍に造りつけになって、そのまた隣りに、これも粗末なテエブルが一つ出しっぱなしになっていた。ほかほかと焼けかかったパンの香いがして、ペチカの焚き口には赤い火の反射が幽かにはみ出していた。  外にはまだ雨の音がしてた。 「や、パンだな、焼いてるな。」 というと、イワンがふっと私の方を向いた。  指でちょいと、ペチカの方を、そして私が茶目ると、赤いおやじさんがぽんぽんと片手でその首根っこを叩いた。 「あっはっはっ。」  医専のMとTとがカメラを胸へ、そっと俯向いて、前へ出ると、 「ジャメジャメ。」  慌てたパン屋さん、大きく両手を振って、すぽりっとカーテンを後向きにもぐりにかかる。それをどかどかと追って、みんなが這入って見て、また見まわした。其処が食堂、いや、寝室らしくもある。木造りのほんの型ばかりのベッドが、奥への通路の赤い更紗のカーテンの傍にたった一つ、ベッドには白い藁蒲団に白い枕に白いカバー。 「簡素なものだな。」  だが向って右手の硝子窓には黄の赤い蘭科の花の鉢が一つ、大きな素木のテエブルの上に載せてあって、その怪しげな生物が、またこの大陸風のこの雨の日の外光を思いきり吸いふくれていた。  燃えあがる焼点。 「ツイトーフ。カムチャッカ蘭です。」 と、技手が私に答えた。  大きなテエブルの両側にはベンチ風の薄汚れた木の腰掛が一脚、二脚、クリロフの一家はここで、互に向い合せて、さて、スープの鍋底を大きな杓子でひっ掻きまわし、パンをもぎり、赤酒を、また牛の髄骨をしゃぶるらしい。そこでベッドは赤い爺さんのにきまった。たぷたぷと大きくて、長くて、そしてぴたりとくっつけた、萌黄模様の壁紙には染みがある。  その上部にこれはまた浅草物の石版画。  何であろうと、仰いで見ると、これは驚いた。遼陽占領奥軍大奮闘の図、竜宮風の城砦が今まさに炎上しつつある赤と黒との凄まじい煙の前面で、カーキ服の銃剣、喇叭、聯隊旗、眼は釣り上って、歯を喰いしばりの、勇猛無双の突貫突貫、やあ、万歳万歳のあっちこっちでは黒のコサック帽の、緋の上衣の、青ズボンの、髯むじゃ露助の助けて助けてに真向、拝み討ち、唐竹割り、逃げる腰から諸手突き、ウーラーウーラーも虫の息でへたばる背をば乗り上げ、蹴立てて躍進、伝令使だ。 「ほほう、露助滅茶敗けじゃないか。」  クリロフのおやじ、呑気なものだ。あっはっはとまた笑って、しきりに手ばかり振っている。 「ジャメジャメ。」 と、奥のカーテンをまくって、またのろくさとかぶって消えたところで、どかどかと私たちだ。  そこで後から蹤いてはいると、また見まわした。  十七、八の金髪の娘が一人、向うの隅っこに身をひそませていたが、何か青い毛糸の編針を動かし動かし、キッと此方を見た。痩せぎすの鼻の高い、それでも飾らぬ野生の美しさはその眼にその頬に蕾んでいた。  そこで、みんながたじたじとなった。  ふっと後ろを振り返ると、私は顔から火が出そうになった。  声もせぬ幽かな姿、  黒い頭巾をかむって、黒い服をつけて、それはまことに白皙の、髪も眉も眶毛も、その太い鼻も、頬の額の深皺も雪のような、何か品のよい老婆が、壁際の白いベッドに白いクッションを高く、下半身に白い薄手の毛布を引きあげて、そうして白い両手をその上に組み合せて、じっと此方を見入っていた。  何という無作法な旅ごころで私たちはあったろう。私はまだ燥いでる一同の後ろから、この不意な、そして無遠慮な異郷人の闖入行為を立ち竦んで恥じねばならなかった。  閑かな窓硝子からの光。濡れしずくの硝子の内側には紅や赤の草花の鉢を一鉢、小さな脚高の花卓の上に置いたのが、そのまわりが鮮新な、しかもかえってうら寂しい気分に明ってもいた。  白皙の老婆、(そうだ、もう八十にもとどきそうな)は私たちを見ると、幽かにその白い眶毛をしばだたいた。そうして、何の声をも立てなかった。  諦めはてた老いの心の姿をまさしく私は見た。  老婆の青い瞳は深かった。  どうせ彼女らは無智な農民には違いなかった。恐らく本国の土地もかつて踏んだこともあるまい。沿海州から北樺太へ、北樺太から国境を越えて、どうにかバルチザンの残虐から逃れおおせたものでもあろうか。二十何年か前の祖国と日本との戦争なども無論知っていそうにもなければ、ロマノフ家の稜威を一朝にして衰えさした、かの大敗北の噂話でもあるいは聞いたこともなかったであろう。だからこそ遼陽占領日軍奮闘の石版画の額などを掲げて安心しているのであろう。流れ流れて日本の領土にまで移り住んで、そしてまだまだ住みついたというでもなく、言葉も通じなければ、かろうじてしか日常の糊口すら凌げないという一家である。日本の国と人とに今はひたすら取り縋ってはいるものの、由来小悪で狡くて、勝っては傲り、弱みにつけこみやすいのが日本人のある階級の特性である。善良で無智と見ると何処までも層にかかる。だから果して末々までも頼られるかである。  老婆は諦めはてた心の幽かな姿で、幽かに白い眶毛を合せている。  その老婆の枕のうえには、私は見て虔ましくなった、金の十六弁の菊の御紋章が光り、今上皇后両陛下に摂政宮と妃殿下の御尊像が並び立たせられた石版刷りの軸が一本、まことにありがたそうに掛け垂らしてあった、そのそよともせぬ閑かさ。  と、また、向うの壁と壁との隅、その高い上部にぶちつけた三角の小棚には何が恭々しく飾られてあったか。  ニコライ皇帝、  その皇后、  手札形の真鍮縁のその御真影こそはあわれであった。  私は黯然とした。 「撮影さしてください、ね、いいでしょう。」  医専の美少年のMがしきりに娘のナタアシャ(そういう名だったと思うがちがったかも知れぬ)へせびっていた。ナタアシャは顔を赤くして反射的に編針を持った片手をうち振っていた。気の少し強そうな、だが邪心のない素朴さが彼女の瞳に見えた。  どかりと、ペチカの方で、テエブルに何か投げ出す音がした。  黄がちの鼠の鳥打帽に鼠の服をつけた、眼の白っぽい、鼻の高い十五、六の少年が其処には突っ立っていた。何と長い脛だろう。  呼び売りの露西亜パンの函を紐ながら首からはずして、快活に此方を見たところだ。 「帰ったね。」 と、技手が声をかけた。  少年はただ笑った。  それから私たちもペチカの前へ引き帰すと、娘のナタアシャも蹤いて来た。馴鹿のような軽い身振りだ。 「君の名は何というの。」 「イワン。」 「そうか、イワン、いい名だね。」と私は微笑した。  いかにも露助らしい名だと思えた。イワンの馬鹿ということがある。だが、この少年なかなか敏捷い。 「君、ここにイワンと書いてくれないか。」  誰かがそのノートを突き出した、鉛筆といっしょに。少年は奪うように手に取ると、窓際へ寄って、何か走り書きしたと思うと、今度は急に擲きつけるような恰好をした。 「ナタアシャ、君もひとつ。」  ナタアシャはほっほと笑った。そうして頤を突き出すと、叱るような眼をした。それでも面白そうに鉛筆の心を嘗めた。金髪がふさふさと揺れた。 「小父さん。」とまたMがやると、 「ジャメジャメ。」で、手を振った。 「じゃあ、撮らしてくれないか。」  爺さん、いよいよ赤い顔をして、また首根っこを叩いた。そうしてイワンとナタアシャと自分とを指ざした。 「じゃあ、みんなでいいじゃないか。」 「ジャメジャメ。」で、また尻込みしてしまう。 「じゃあ、家を映そう。」と私たちが外へ出ると、今度は硝子窓を開けて、内からさも映してもらいたそうに赤いにこにこ面で差し覗くのだ。  イワンの顔も出た。  ナタアシャの顔も出た。 「なあんだ、じゃあ、並びたまえな。や、そうじゃないんだよ、小父さん真ん中だ、そら、そのとおりとおり。」  医専がひとりで、雨だまりの草っ原からうれしがってると、赤い露助のおやじさん、いよいよ固くなって、それこそ直立不動の姿勢になる。そうして物珍らしそうな、また、極りの悪そうなおどおどした眼つき。  なんと善良な露助だろう。  なんと無邪気なのっぽ。  なんと素朴な。  恐らく、生れて滅多に写真など撮ってもらったこともなかったかと思われた。  カチリ、 「よし、済んだ、ありがとう。あ、もういいんだよ。」 「写真送るか。」とイワン。 「送るよ。」  イワンがナタアシャを突き飛ばしそうにした。ナタアシャはイワンの肩を撲った。  雨はもう霽りかけていた。  すかんぽ、すかんぽ、紅更紗。        *  小沼の駅へ帰る途々も、私はクリロフ一家のことを考えていた。  かわいそうにみんなが気が弱くなっている。郷に入れば郷に従うのが最も滞りがなくてよいかも知れぬ。しかし果して彼らはいつまでも今のパン屋で暮らしてゆけるものか。たいして信じがたいとは感じながら、強いても取り縋らないでは安んじていられない流浪者の境遇こそはまたとなくあわれに思われる。といって赤化の北へは帰れない彼らである。周囲の日本人に対する複雑した異種族の感情を抑えて、ともかく生きてゆかねばどうにもなるまい。それともまたヌーボーの露助のことだ。私が考えるほどのものでもないかも知れぬ。案外に野呂間で、今日を今日として悠々と楽しむ心も一面には持っていそうにも思われる。だが、あの子供らしい「ジャメジャメ」にも何かしらの暗い哀調は籠っていた。  通りへ出ると角に呉服屋兼小間物店があった。私は麻のハンカチーフを買った。連れの庄亮はゴム足袋にゲエトルを買って、穿くと、ぐるぐるとその片足に巻き出した。  店には火鉢が二つ、火がカンカンとおこしてあった。樺太は八月でも雨のふる日はうそ寒い。 「あのクリロフという露西亜人の家がありますね。」 「へい、ございます。」と痩せぎすの主人が答えた。 「あれはどうにかやっていますか。」 「ええ、パンを焼いていますですが、相当にやってゆけるようでございますよ。」  どうしたものか、私は主人のうしろに積み重ねた紺足袋の真鍮の小ハゼが目に沁んで仕方がなかった。  駅へ行って見ると、豊原行の臨時列車はまだ仕立中であった。  朝早く大泊から東海岸の栄浜まで直行して、またこの小沼まで引き返した観光団の一、二等客は、その合間に雨中を農事試験場の参観に出かけたということであった。  待っていると、ぽつぽつと帰って見えた。  臨時列車も野天のプラットホームに這入って来た。  私たちは乗り込んだ。  だが、一行の全員を収容するまでには、なかなか間がありそうに思われた。 「露人の家がありますよ。」と教えると、「や、それは。」と退屈まぎれに飛び出す人々もあった。  見える、見える、あのカムチャッカ蘭の窓が。  雨は霽りかけたが、まだ露人の家のあたりの空は薄鼠色にうち湿っていた。いや、もう日が暮れかけても来ていた。 「や、来た来た。」 と、誰やらが叫んだ。  少年イワンであった。首から黄いろい紐を、前の函には、それこそふかし立ての露西亜パンを山盛りにして、活溌に改札口を出ると、ちょいと横向きの白い頸すじを見せた。  レールが間に四条。じっくりと枕木も小砂利も濡れて、右も左も椴松の林が遠い、遠い、遠い。 「あれです、露西亜人の息子は。」  とても物好きな観光団です。それはというので、それに少々腹も空き加減の、恰もよしというところで、乗降口からレールへ飛び下りると、また駈け上って、 「おい、パン。」 「おい、パン。」 「おい、いくらだ。」「おい。」で、一時に真っ黒に群ってしまった。  イワン少年の片手の銀、銀、銀、銀。  瞬く間に売切れ、そこで、イワンはまた小躍りして、飛ぶように後を見せた。  またやって来た。また一斉に群った。  万歳、売切れ。  ピーと汽笛が鳴った。  イワンはぽかんと向うのプラットホームに突っ立っていた。胸の空函を反らし気味に。 「さようなら。」と此方で帽子を振った。  イワンは一寸と顔を赤くした。そうして特に見知り越しの私たちの眼と眼とぶつかると、莞爾として片手をあげた。 「さようなら。」  そしてまた鳥打帽をつかんだ。そしてまた顔を赤くして笑った。  振ってる、振ってる。  白樺、  白樺、  白樺、  汽車のカダンスが迅くなった。 豊原旧市街  見えた、見えた。露西亜人街だ、ほら、  丸太小舎だ、  あ、柳、  窓、  窓、  窓、  あ、赤だ、白だ、紫だ、花だ、  素敵だ、  流れだ、鶩だ、  おや、鶏だ、  さあ降りようと、私たちは自動車から早速に飛び降りた。  朝の八時頃、まだ昨日の雨の名残がどこやらに薄すらと籠って、しっとりとしたいい香気の空気であった。  大通北一丁目二丁目三丁目四丁目と出て、やはり北へ向った幅広の白い一筋道が、元露西亜人の住居したという旧市街ウラジミロフカへの往還である。私たち二、三人は博物館の参観、公会堂での観光団歓迎会へ臨む前のほんの小閑をぬすんで、その旧市街見物と出かけたのであった。  橋を一つ、また一つ、それから、やあ、此処だ此処だとなった。  道の左側にはささやかな流れがあった。私はその流れに沿って、また立ち留って見入った。  まったく校倉式の丸太組の露西亜人の家々は簡素で、また幽雅で、しかもいい寂色に古びていた。  純粋なものにこそ真実の意味の美しさがある。日本の古い百姓家にしてもその茅屋根の勾配といい、張り出しの廂といい、土間といい、煤びた大黒柱といい、外庭といい、いかにも日本固有の雅味がある。  それにしても、この原始的な丸太組の壁は、また飾りのない急勾配の板屋根の形は何といっていいだろう。硝子窓の劃り方もいかにも素朴で、それにどの家のどの窓にも何か色彩の濃い淡い草花の鉢を見せてある。流れに沿うた裏口のポーチも板張りの平面で、それに二、三段の無造作な周辺、水ぎわの緑の草、盛りの紅葵、あるいは向日葵、様々の夏草の花壇、柳の根といった風である。空には奥ゆかしい廂の上に枝垂柳が垂れている。こうしたのが露人の百姓家だと思うと、この頃の新開地の日本家屋の醜さがつくづく不快でたまらなくなる。樺太の原生林に、露人はその始めまったくいい生活をしていたにちがいない。  私たちの第一に訪ねた家はことに廂が深かった。イワン・チャハンスキーと標札が出ていた。無論農家であった。主家つづきに牛舎があり、中庭を隔てて、一層古びて頽れかけた茅舎の穀物納屋もあった。その間の庭の突き当りに細丸太の木柵があり、その外は野菜畑やクローバーの原っぱになっていた。  鶏が、その庭に、純日本種の鶏や矮鶏がココココと求食り求食りしてあちこちしていた。それを見て私は何とない微笑の頬にのぼるのを禁じ得なかった。 「鶏が遊んでいる、日本の鶏が。」  別に不思議でもないことながら、露人の住居だけに私には妙に珍らしく、また親しく感じられたのである。  私はその廂の下へはいって案内を乞うた。  戸口は開いてあった。  内は二室ぐらいしかなさそうであった。その取っつきの八畳ばかりの板の間の中央に、何か色の交った白地の頭巾をかぶったお婆さんが一人、古びた素木のテエブルに大きな木の盆を据えて、黄ばんだ麦粉をしきりに両手で捏ねかえしていた。そのお婆さんが眼で笑ってうなずいたので、私たちも這入って行った。うなずいて目礼して。ただ言葉が通じないかと思ったので、ただ黙って笑って見せた。向うでもきさくに笑って見せた。  川沿いの窓際にはやはり明るい草花の鉢を置いてあった。その硝子戸の外にも紅玉葵や黄蜀葵が咲き盛っていた。  外庭に向った一つの窓の前のテーブルには何か白いきれが拡げられてあった。洗って乾かした洗濯物らしかった。中婆が横向きに木の椅子に腰かけて、何か継ぎ剥ぎしていた。これも明るい頭巾をかぶっていた。二人ともよく肥っていた。  極めて簡素であった。  奥寄りの壁際には、これもお粗末な木のベッドが寄せてあった。薄紅色の浮織りのクッション、白い蒲団のカバー。  それだけ、  や、まだあった、白い笠の電球。  麦粉は黄色く、そうして白く輝いた。  饐えかかったトマトのにおいがした。  茶の赤い牡鶏が一羽戸口から這入って来た。閑かなその呼びごえ。  私たちは目礼して外へ出た。  二人のお婆さんはそれまで何一つ言をいうでなかった。だが、温かな親しさと、幼ない桃色の上気と、軽るい好奇心と何かの反射的亢奮とが彼女たちに見えた。  牛舎は空であった。主人が牽いて出たらしかった。  雨あがりの朝の光線が、今度ははっきりと穀物小舎の屋根の影を地上に映した。 「こうした百姓家では牧場も持っていなそうですがね。」と、私は白髪の和製タゴールさんに訊いた。 「や、何でさあ、最寄りの原っぱへ連れて出るのでさあ。このあたりはまだ原っぱばかりですからね。」  なるほど到る処の夏草であった。  私たちが外の板橋へかかると引きちがいに、同じ観光団の誰彼がどかどかと踏み込んで来た。  この悪趣味の連中が、あの二人の老婆たちの幽かな半日の楽みを驚かし、あの無作法で何か憤らしてくれねばよいがと、私は振り返ると、手を振った。 「や、こりゃひどい家だなあ。」という銅鑼声がうしろにした。  通りへ出ると、同じく丸太組の家が、それももうよほど廃頽している軒並が向う側にも続いていた。日本人の家も交っていた。  その中に、主家の外に牛舎か何かの建増しをしている露人の一戸があった。  肥った年輩の父親とその息子らしい二人の少年が、まだ骨組ばかりの屋根の上にあがって、専念に新らしい不足の垂木をぶちつけていた。父親は鼠の鳥打帽に藍色の労働服、息子たちは白っぽい鳥打帽に白のシャツに白ズボン下、夏はまことにその屋根の上の新材木と軽装の三人に光っていた。  ところが、いつの間に群ったものか、赤や白の薔薇の徽章を浴衣の襟、あるいは背広のボタンの孔に挟んだ観光団の数十人が、往来から盛んにカメラを向けて騒いでいた。  それのみでない。ずかずかとその主家にはいり込み、納屋をのぞき、牛舎へ廻り、ほとんど傍若無人の限りを尽していた。  屋根の上の露助は、初めは不愉快らしかったが、まだ黙って知らぬ顔で見ていた。それがいよいよ一斉にその足元からカメラを差し向けられると、堪えかねたか、赤い顔して、思いきり大きくその片手を振りまわした。それでも幾十のカメラはひるむ段でない。  パチパチパチパチパチパチリッである。  や、まだ、まだ、── 「写真泥棒。」 と、一人の息子が憤怒を飛ばした。純な少年のこの憤怒はまた、彼の白面を朱のようにわななかした。  と、父親の露語の怒声がまた極度に爆発した。  下では、一時たじたじとなったが、 「なんや、あれが馬鹿野郎いうのかいな。」と一人が、ひひと笑うと、連れて誰彼がまたどっと囃し立てた。  上ではもう狂気のように逆上した。 「泥棒、写真泥棒。」 「帰れ、くそ、畜生ッ。」 「がっがっがっがっ、ぶるぶるぶるッ。」  下では 「いよう、七面鳥。」  あたかも、この時、粗帽粗服の一高生らしいのが通りかかった。 「やれ、やれ、負けるな。」と上を向いた。そうして、「一体何だ君らは、帰りたまえ、乱暴も程がある。」  と立ちはだかった。 「やれ、やれ、俺が承知しねえ、くそッ、てめえたち何だ、何しにうせやがった。」  隣りから日本人の老百姓が飛び出した。息をきってふるえている。 「しっかりやんねえ、××スキー。」とまた一人の日本の百姓が躍り出して来た。 「止したまえ、諸君、止したまえ。」 と私たちも手を振った。何と恥かしいことだ。 「此奴ら、朝っぱらから入れ変り立ち変りだからたまらねえでさ。無作法過ぎまさあ、それに勝手に家の中は荒らす、写真は撮る。いくら何でも辛棒がしきれませんや。」と、また一人の日本の百姓が、私たちに訴え初めた。  まったく、弱者と見て傲り、群集を頼み、旅先を茶にして、彼ら観光団の俗悪者は不法を不法と思わず、無礼のありったけを尽したに相違ない。無邪気といえば無邪気かも知れぬ。しかし、こうした性情は日本人の一つの特性ではなかろうか。だが、また何と親しいウラジミロフカの街の日本と露西亜の百姓たちであろう。  私はしみじみと眼がしらが熱くなるのを覚えた。 「写真泥棒ッ。」 「しっかりやれ、アリョーシャ。」 樺太神社  十六日薄暮、私は二、三の連れと、この豊原の東郊は旭ヶ岡の樺太神社に詣でた。しっとりとした雨後であった。坦々とした幅広い道路を、いかにも自動車のタイヤが軽く親しく滑って行った。大鳥居の前で下りると、清楚な白い石畳の道を、また石の段を真っ直に、私たちは登って行った。その両側の土の色も芝生も落葉松の林も石燈籠も、見るものがことごとく雨をふくんで、また何ともいえぬ緑と白との涼しさをしたたらしていた。ことに後ろのなだらかな丘陵の緑は明るかった。私はつくづくと思ったが、この八月の樺太の爽かさは、とても内地に見られない色と香気との新鮮味を持っている。これは驚くべきものだ。展望がまたひろびろとして、しかも清らかで新らしくて、まことに植民地の神苑だと感じられた。祭神は大国魂命、大己貴命、少彦名命の三柱だ。神殿の前に立つと、私たちは皆濡れしずくの麦稈帽を脱った。  神殿はもう薄紫の暮色がたちこめて、奥殿に何か幽かに光るものが神々しく拝まれた。ほの青い装束のけはいもした。 「上って見ましょう。」と一人がいった。  私たちの靴の紐は湿って解きにくかった。やっと解いてから、木の階段を上った。  烏帽子姿の神官が、神前の供え物を、その白木の三宝を一つ一つに片づけていた。  奥殿へ通ずる扉を、それから閑かに閉して、薄ものの緑の、昆虫の翅のような装束をまた幽かに光らして下って来る神官に、また一人が呼びかけた。 「あの扉は何と申しますか。」 「中門です。」  まだうら若い、眼鏡をかけた人であった。  その人は黒い烏帽子を前かがみに、私たちの前に、やや斜めに跪いて、審かしげに、また親しそうに此方を見た。 「大国魂命と大国主命とはちがいますか。」とまた一人が訊ねた。 「はあ。」 「としても、やはり出雲系の神様でしょうな。植民地の祭神はよくそうのようで。」 「そうだよ、君、植民政策としては最も当を得ているかも知れん。」とまた一人がいった。 「だが、出雲系と天孫民族とはどうしても僕も同種属ではないと思う。素盞男命からして併合政策として、日本神話の大立物に祭り上げてしまったものらしいな。」 「そういう見方もありますね。」 「だから、どうしても天照大御神を中心に、お祭りするのがほんとうでないかと思う。植民地にしても、日本である限りはだよ。」 「台湾は。」 「北白川の宮様を合祀してあります。」 「なるほど。」  ひっそりとした四辺であった。蕭やかな、光の外の光と、影の中の影とが相縺れて、それらが物の隅々にまで柔かにうち燻んでゆきつつあった。  このほのかさは、この和御魂のかおりは、また荒御魂の融和は。この神々しさは。この幽けさは。  いい時に参ってよかったと、私は思った。みんなもそう思ったにちがいなかった。  凡てが、安らかな、また物がなしい自分たちの息づかいを聴いた。  だが、これが樺太であろうか。この親しさは、はるばるとした旅情ともちがう。  きょうきょう。 「あ、あれは何です。」 「ほととぎすです。」と烏帽子が空を仰いだ。  空はまだ幻燈のように青かった。 「あ、あの木は。」 「ななかまどと申しています。」  そのななかまどは紅葉しかけていた。  流石に秋の早いのにも驚かれた。 豊原よりの消息  Y君。  この豊原、旧ウラジミロフカの夏はいかにも高原地の初秋らしい風の涼しさを見せている。ここらの丘陵は今が季節の新緑を輝かしている。それだのに早や紅葉しかけた木々もある。  観望の壮大なことは驚く。それに市区の井然たることは、未だかつて内地の都市に見ぬ鮮かさだ。札幌はこれ以上に美しいという話だが、これは帰りの楽しみにして置こう。  旭ヶ岡の樺太神社から瞰下した豊原の夜景はまるで緑野の中の正しい灯の碁盤目であった。  私は南国人だ。北方の陰暗、深刻、そうした私の芸術に欠けているものをこそ求めて、私はこの北方に来ることを楽しみにしていた。が、来て見ると、案に相違した。あまりに新鮮で爽快過ぎる。樺太はやはり冬に来べきところだと思う。私はここで童謡はできるかも知れないと思えるが、北国風の民謡は到底作れそうにもない。夏は南国だ、熾烈で、あの深刻な悩気と棄ばちの気分は。  この八月の豊原風景はまさしく貴公子の緑の雨外套だろう。  だが、このH旅館の女中はどうしたというのだろう。この豊原一の宏壮な旅館だからかとも思ったが、まるで芸妓のような美服を著、粉黛している。内地の何処の旅館に泊ったってこんな事はない。一々嬌笑する。この家の旦那というのは内地の代議士だそうだ。  それから庄亮君が名刺屋を呼びつけたよ。法学士、鉄道会々員、新聞同盟外報部長という肩書附きで、本宅は青山の親爺さんのところで電話番号までチャンと刷らせるというのだ。明朝までにととのえろだ。脅かすなというと、「なに、これでいいんだよ、見ていたまえ、あっはっはっ。」と豪傑笑いをしてのけた。僕も忘れて来たので、ついでに名前だけのを頼んだ。  それから洋品店に電話を掛けさした。繻子張りの蝙蝠傘三円五十銭のを、これに限る、これを買えというのだ。それで僕は買った。絹張りのステッキ蝙蝠傘なぞは駄目だというのだ。まったく僕にも似合わないからね。国境の安別で、ひどい吹きぶりにとうとうへし折ってしまった。  この二人が、今朝、公会堂の観光団歓迎会のすぐ後から、幌馬車に乗って、豊原の西郊の追分という部落へ散策したと思いたまえ。僕たちは一昨日真岡から豊原へ二十里の原生林の横断を果したが、六度もパンクして、とうとうこの追分口から滑走してはいってしまった。そこには紅い葵が咲き、向日葵が盛り、西瓜や鶉豆の花、唐黍の毛などがそよいで、それに露西亜人の丸太組の家もところどころに残っているし、異国風の実にまた新鮮な風景だった。それに大きな長い柄の鎌ですういすういと燕麦を刈りそいでいた百姓の手つきが何ともいえなかったのだ。で、あれをもう一度見に行こうとなった。庄亮、あわよくば自分でも刈って見たい意気込みだったのだ。  幌馬車でちりんちりんだ。程よい道の曲り角で、下りると、私たちは子供のようにそこらの花畑や露助の家や農家の背戸などを覗いてまわった。それからずんずん一本道を河楊の並木に添って、この前見た燕麦の畑まで出て見たが、そこはもうおおかた刈られてしまって、例の長柄の草刈鎌も百姓の姿も見られなかった。亜麻畑にはまだちらほらと可憐な紫の花が残って見えたが、日は暑くて、耕作馬車の軋り一つきこえなかった。そこで私たちは燕麦の刈り跡に新聞紙を藉いて、寝ころんだが、雲は白いし、いい機嫌で気焔のあげっこだ。  と、庄亮が、「君。」とめくばせをした。  つい近くの道路を誰だか二人声高に話してゆくのだ。 「あれはアイヌでしょう、一人の方はよほど文化的教養を受けたアイヌらしいです。」 「あっはっはっ。こりゃ驚いた。」と庄亮が頭をかかえてしまった。 「おれはアイヌだとよウ。」 「ふふっ、おれは文化的教養を受けたハイカラアイヌかい。」  庄亮は例の鼠の縮の棒縞に、股引の、尻端折の腰手拭と来ているだろう。僕は黒のアルパカで、頭にはハンケチをかぶっていた。二人とも三円五十銭の蝙蝠傘だからな。それに庄亮の肩書附きの名刺だってまだ出来て来ないのだからな。  帰りはてくりてくり歩いた。途中で日の出温泉というのが目についたので、一汗流して行こうとなった。這入って見ると鉄渋色の鉱泉で、それも沸し湯だった。上って浴衣を借りると、実に薄汚なくてくしゃくしゃしている。一室に通してもらうと、生新らしい廉物の畳のにおいと木材のにおいだ。敷島をと呼んでもないという。麦酒となると、顔いっぱいに赤い湿疹のふき出た二十五、六の内儀が、おなじく赤いぶつぶつの乳房をはだけて、怪しげな赤ん坊の頭を片手で吊り気味に強く押しつけて、それでお盆に沢庵と一緒に載っけて出て来た。その麦酒も気が抜けて腐れていた。  どうにも気持が悪いので、そこそこに飛び出したが、いったいどういう家なのだろうな。何でも極めて閑散なものだったよ。  それから、遊廓の大通りへかかると、向うの木橋から、白い服の、そして胸高な青の袴の朝鮮の女が楚々として光って来た。華魁なのだ。  広っぱがあって、それからが、プカプカドンドンだ。曲馬の天幕の前には三角耳の眼の細い象の子が、赤と金との鞍掛けに飾られて、まだ初々しい灰色の曲り鼻をあげあげ客呼びしていると、それと対って、白狐とも化け猫ともつかぬ絵看板の、「これはこのたび奥州気仙沼は何とか何兵衛の女房お何が生み落しましたる血塊童子でござい。代は見てのお戻り、しゃい、いらっしゃい。カチカチイ。」  日本という国は何処へ行っても靖国神社式の見世物で持っている。祭りや縁日といえばすぐこれだ。初めて上京した時、東京も田舎だなアと驚いた事もあったが、この樺太ではやっぱしここも都だなアと感嘆された。  それかといってまた、先月は本居長世君が令嬢たちを連れて見えたそうだ。童謡音楽会は大入だったという。  豊原は東京の延長としか思えない。だが、ここの場末の盆踊は安来節でやるようだ。 (後略) 木のお扇子  坊や、  パパは豊原という樺太でのいちばん賑やかな町へ来ました。真岡という町からです。マウカというのは美しい波の上ということだそうです。その美しい波の上から、坊やの好きな自動車に乗って、二十里の山道をブウブウブウブウと飛ばして来ました。五度も六度もパンクしました。それでも転覆はしませんでした。馬の背たけよりも高い蕗の林もありました。アンデルセンのお話にある白いお家の蝸牛や黒いお家の蝸牛もいました。みんなアンテナを架けて、「JOAK、こちらは東京放送局であります。」あれがよくきこえるそうです。坊やは虎杖を知っているでしょう。小田原の山に生えている虎杖の花は薄紅くてちらちらしていたでしょう。樺太のは葉が大きいのです。それに茎が高いのです。藪のように繁っていました。  それから、坊やはよく坊やのお国はお菓子の木や蜜柑の木がどっさりあるんだといっていましたね。その坊やのお国は何処にあるか知っていますか。パパも樺太まで来たけれど、まだ見つかりません。やっぱりママさんのところにあるのでしょうね。見つかったら無線電信で知らして下さい。パパさんはこれからまたお船に乗って遠い遠い北の方へ行くのです。海豹島といって、おっとせいが黒山のようにいたり、ロッペン鳥が雪のように翔けていたり、それはお伽噺にあるようなおもしろい島があるそうです。それからフレップという紅い実やトリップという紫の実のいっぱいに生った広い広い野っ原もあるそうです。もしかすると、坊やと同じような子供が、パパといってその中から飛び出して来るかわかりません。篁子ちゃんも来ているか知れません。  坊や、  パパは今日、この町の博物館に行って見ました。その博物館に大きな木のお扇子がありました。棕梠の葉のように大きなお扇子です。そのお話をしてあげましょう。  その大きなお扇子はいろいろの木の板を紐で綴って、お扇子にこさえたのです。その木の板はみんな薄紅い肉色でみんないいにおいがしています。黒とど、赤とど、えぞまつ、おにぐるみ、たも、あかだも、やちだも、おんこ、からふとやなぎ、いたやかえで、しらかんば、からまつ、にれ。みんないい木です。みんな樺太の山や野に生えてる木です。それで、その木のお扇子を嗅いでいると、ほんとに樺太の山や野っ原がいいにおいをして動いているような気がします。  それからまだ、樺太にはいろんな木が繁っています。  どろやなぎ、ばっこやなぎ、きぬやなぎ、さんちん、にわとこ、からふとななかまど、たかねななかまど、しうり、やまはんのき、りんご、まるめろ。  まだまだ、いくつも木のお扇子がつくれます。  坊や、  博物館にはまたいろんな鳥や小鳥の剥製が、硝子戸棚の中に飾ってありました。  えぞせんにゅう、えぞおおあかげら、くまげら、しめ、赤ばら、えぞやまどり、しまえなが、のびたき、かけす、きびたき、るりびたき、しぎ、うみがらす、つつどり、きんくろはじろ、かるがも、こおりがも、おおせぐろかもめ、おいらんかもめ、うみしぎ、ちどり、うのとり。  見ていると、ほんとにみんなが生きているようです。こうしたいろいろの鳥や小鳥が樺太の山や海に飛んだり啼いたりしています。みんな愉快にみんなが子供のように遊んでいる樺太の山や海のことを考えてごらんなさい。きっと、坊やも踊りたくなるでしょう。  まだまだいろんな小鳥がいます。  坊や、  それからまた、博物館にはいろんな獣の剥製もあります。  大熊、羆、山猫、とらはんみょう、むささび、麝香鹿、馴鹿。  海で泳いでいる獣には、おっとせい、あざらし、おおあしか。  おおあしか、などは熊よりも牛よりも大きい海の獣です。うわううわうと吼えます。  坊や、  それから、お魚では、いわな、かわかじか、かわひらめ、すなひらめ、さめ、ます、さけ、にしん、などが泳いでいます。  見ていると、真水や潮水の中で、ほんとにみんなが生きて泳いでいるような気がします。  ほら、坊や、よくきこえるでしょう。谷川の音や、海の潮鳴りの音が。  みんなが、坊やの方へ跳ねたり、駈けたり、泳いだりして行ったら、どんなに愉快でしょう。  まだまだ樺太にはいろんな獣やお魚がおります。  坊や、  さあ、おやすみ、坊やのお国で坊やのいいお夢を御覧なさい。  とんとろ、とんとろ、とんとろとん。 笛  樺太は中知床岬の東、渺々たるオホーツク海のただ中、見渡すかぎりは円い水平線と氷雲、  燻された反射光、  ああ、日の小さい小さい空。  笛だ。  あ、笛が鳴る。  嚠喨と、起って響くその音いろ。  何かしら薄ら寒いが、いい凪である。明るいようでも晷りやすい日射し、照ってもまた光り耀かぬ黒い波濤の連続、見れば見るほど大きな深いうねりである。  その中に笛の音いろが澄みつつある。  吹いているのである。誰が吹くのか、その笛の音は、ただ一色に響いている。  空と海との、この焦点。  ひょうひょうふりょう、りょうふりょう。  まさしくお能の囃子である。  私は私の船室の前に、その白い壁に凭れ気味に、籐の腕椅子によりかかっていた。  私の右にも左にも同じような籐の椅子が並んでいた。人々が腰かけていた。  帆綱の影、潮じみた欄干の明り、甲板の板の目、鐶のきしり、白い飛沫、浅葱いろの潮漚。  うねるとも見えぬ果しもないうねりの丘陵。  はろばろとした波濤の畳みである。  宏大な海、小いさなのは私たちだ。  笛の音は中甲板の巨大な檣の下、三本立った白茶に藍の開き耳の、これも大きな通風筒の向う蔭から響いて来る。 「あれは誰ですか。」 「Iさんです。あの頬髭のある。」 「何を吹いているのです。」 「羽衣でしょうか。」  そうだ、天人の五衰を吹いているのだ。現実の切なさだ。いや、夢見る人の寂しさである。 「うまいのですかね。よくやっていますね。」 「うまい方でしょうよ。もう十年から稽古しているといっていました。舞台にも出るようですよ。」 「金春ですか。」 「いや、宝生でしょう。たしか。」 「玄人ですかな、あれで。」 「素人稽古の時はよく褒められたが、本気に遣り出してから以来、さっぱり褒めてもらえぬと悄気ていましたよ。そんなものでしょうかね。」 「そんなものでしょう。修業ですからね。お能の笛だけにはかぎりませんよ。」と私は初めて口を開いた。 「この頃臆していけないといっていました。」 「気合いひとつですからね。」と、また誰かがいった。 「それで何だそうですよ、稽古の時には碌に附けもしないで、いざとなるとヒタリと抑えてゆく豪胆な吹き手もあるそうで、これにはかなわぬといっていました。」 「それが腹なのでしょう。天性ですね。そうしてそれが心法にもかなったものでしょう。」 「型ばかりに囚われてはあがきがつかないということになるのですか。」 「先ず、そうでしょうな。」  Iさんは吹いている。  白い支那服の白髯の和製タゴール老人が大きな眼鏡の片紐を垂らし垂らし、ゆうらりと歩いて来た。 「やあ、来た来た、ロッペン団長。」と二、三人が手を拍いた。 「あっはっはっ、つまらねえでさあ。」とタゴールさんは、無雑作に欄干近くの反形のベンチに腰を下ろした。それから身体を斜に、両脚を上げると組み合わした。 「つまらねえもないでしょう。昨晩はどうです。大泊で。あっはっ。」とF君、なかなか逃がさない。 「御同様でさあ。ばらしますぜ。」 「御同様でもないな。」Fさんがまた眼鏡越し。 「そりゃあ、えらいの何のって、とてもだからな。這入るなりヤッというと矢庭に飛びかかって握手した、あの凄さと来たら、あっはっ、とにかく脅やかされましたよ。」 「何処でだい、いったい。」とこちら。 「はっはっ、つまらねえでさあ。」 「や、ちょっとおもしろい処です。なにしろ、お相手が十六、七の、はっはっ。」 「叱ッ。」 「あっはっはっ。」「あっはっ。」「はっはっはっ。」となる。 「といえば、なんでも豊原では馬車でお乗り込みだということで、もっぱらの評判ですぜ。」と、誰やらが左の隅から延び上った。 「いや、あれはみんなで行ったのさ。物は見て置けというのでね。」とロッペン団の一人。 「そうそう、何でもないのですよ。ただ素通りで一遍だけぐるりと廻って見ただけのことです。新聞記者や土地の人も附いていましてね。盆踊りがあるというので行ったが駄目でした。」と私。 「だが、このお爺さんには驚いたよ。あっはっ、矢口の渡しの頓兵衛見たいで、ずかずかと這入って行くのでね。いや、閉口だ。」と庄亮。 「A君もA君だよ。石橋の袂で、それは亀の子のように蹲踞み込んで動かないのだからね。」とF君。 「いいお坊っちゃんさな。警部さんならちと下情には通じて置くものですぜ、風教視察という奴でね。」とタゴールさん。 「いや、つとめたいとは思いますがね。どうも。」と若いA君は、そこで赤くなって頭を掻いた。チラと眼鏡の下から大きな眼がはにかむところで、 「そりゃあかん。」と扇子をパチリは右の三番目だ。  ああ、笛だ、笛だ。 「ところで、この夜明けまで、踊りに踊りぬいた人がありますからね。おもしれえおもしれえ。」と庄亮。 「へへえ、」と、みんなが此方を見た。 「これは聞きものだ、何処でです、いったい。」 「豊原のあの、あそこの大通りでだよ。あっはっ。面白うございましたでしょうよ。」 「やあ、ありゃ面白かったよ。盆踊りが盛っているというのでね、歌会の後で、歯科医のS君と一寸廻って見たのさ。すばらしかったからね。つい飛び込んで踊ってしまった。S君がヘルメットにステッキで、硬直しきりの、後ろからどっかの国の侍従武官兼警視総監というところだ。踊ったなんて絶対秘密になさいと、帰りに耳うちした。」 「はっはっはっ、絶対秘密が自分でばらしちゃ何にもならん。」 「そうかな、困ったな。」  りょうりょうふりょうと笛が鳴る。  昨晩のA西洋料理店の饗宴はまったく愉快だったなと、私は心から微笑した。  樺太で同好の士を幾人も見出したということ、私の育てた児童自由詩の揺藍学校である山梨は鳳来小学の校長であった高橋君が、大泊に転任していて、偶然にも逢いに来てくれたこと、それに『日光』の同人である大熊信行君のお姉さんに初めて会って、自分の童謡を歌ってもらったこと、青年たちも淑女たちも、私の顔さえ見れば誰もが莞爾していたこと、それから、私が立って挨拶したこと、 「ええ、今晩は皆さんに逢えて大いにうれしい。」と来て、「この先何かいおうと思ったが、何だか途断れそうだから、これでやめます。一杯のんで思い出したらまた遣ることにします。」と坐ると、庄亮が「なるほど、これはうめえ。」と頭を叩いたこと。それから、やや酒が廻ってから、盛んに燥いで、昔のパンの会の話やら、その頃の私たちの唄をせがまれるままに歌って、大恐悦で教授したこと、それから、みんなの顔のスケッチをする、胴上げはされる。おしまいには、みんなを立たして、そのみんなの空椅子の上を片っ端から飛んで歩いたこと、何でもやんちゃの限りを尽してしまったらしいこと。  だが、もう、昨日のことになってしまったのだ。私は今、オホーツク海を北へ北へ、二百六十浬の彼方、ツンドラ地帯は敷香の寒村に向って直航中の高麗丸の船上にある。あの豊原の若い歌人たちとも、また一生に二度と逢えるか逢えないかすらもわからないのだ。  信行君のお姉さんは歌った。この白秋の童謡を。あの夫人は音楽家だ。 吹雪の晩です。夜ふけです。 どこかで野鴨が啼いてます。 燈もちらちら見えてます。 わたしは見てます。待つてます。 何だかそはそは待たれます。 内では時計も鳴つてます。 鈴です。鳴ります。きこえます。 あれあれ、橇です、もう来ます。 いえいえ、風です、吹雪です。 それでも見てます、待つてます。 何かが来るよな気がします。 遠くで夜鴨が啼いてます。  私たちの、樺太の冬はちょうどこの通りですと、外の諸君も附け足した。  何の期待ぞ。  ただ、波、波、波、  笛の音ばかり澄んで来る。 「だが、二、三日でも船を離れて、こうして還って来ると、まったく、自分の巣にでも辿りついたという気がしますね。」 「そうそう、ほっとしましたい。」 「それにどうも陸に上っているうちは、何だか気ぜわしくていけなかった。」 「まったく、目まぐるしくてね、何を見たんだか探したか、わかりゃしない。」 「はっはっ、こうしていつも揺られているとね、揺られているのがほんとうで、何でもないのがかえって不安心なような気がしたものさ。」 「震災後、余震のない日に限って妙に寂しく思えたようにね。」 「そうだ、そうだ。」 「どすが、こないにしてまた何処へ連れて行かはるか怪態やないう感じはしまへんかな。だんだん日は遠くなるし、曇っては来るし。」 「寒ざむともして来るし。」 「何処を見たって波と空だしな。」 「猥談でもやりますか。」 「あっはっ、そこはNさんのお手のものでがしょう。」 「ふふ、つまらねえでさあ。」 「なにしろこうなると、この船一つがたよりでな。」  いや、笛の音一つがしみじみと頼りになったみんなであった。 「神様という気はしませんかね。」 「驚いたな。いやに突拍子もない声を出すじゃないか。」 と、みんなが笑った。何というかすれた笑いだろう。 「神は死せりさ。ふん。」 「若え、若え、そういったもんでねえ。」と、またどの爺さんだか胴間声をかっ飛ばした。  いわゆる微苦笑が私の頬にのぼった。 「どうしたんだい。」と庄亮。 「いや、ちょっと思い出したんだ。羅風がね、非常に怒っていたんだ。どうしたと訊いたら、「K雑誌」は怪しからん、もう詩は書いてやらんというんだ。何か失礼なことでもし向けたのかと思ったら、こうなんだ。羅風の詩に神様という言葉があまり多過ぎるから少し減らしてくれといって来たそうだ。減らせというのも非礼だがね。三木君もよく神々というんだ。でね、僕はこういったものだ。いや、君、こんな話がある。いつか僕に気品のある、誰にでも歌える宴会の歌を作ってくれと頼んで来たのでね、わざと古風にして、日本民族としての「酒ほがい」の歌を作って渡したものだ。すると酒の字があるから困るというんだ。クリスチャンや禁酒会員が見たら文句が出るにちがいないから、酒という字だけはよしていただきたいだ。君、酒もつかない宴会があってたまるものか。亜米利加ではあるまいし、怒心頭に発したものだ。そうお仰ればそうですが、何でも困ります、あれは酒の讃美ですというんだ。わからないのも程があると思ったね。それはね、「のめや、ともがら」とか「汲めや、うま酒」とかいう繰り返しがあるからね。こう繰り返されては影響が大変だというんだ。じゃあよせ、取りあげるとなったら、それではあれは掲載します。が、しかし、その御相談は、その詩の後にですね、飲酒の害という一大名文章を誰かに書いて貰って附けることにしますからそれだけは許していただきたいと来たのだ。莫迦なことをいいたまうな。と、それっきり怒りっぱなしになったが、で、僕は思うねえ。君には神様という字を減らしてくれという、僕には酒の字をよしてくれという。こりゃ君、K雑誌は公平だよ、怒りたまうな。とね。そういって僕はなだめた。」 「あっはっはっ、こりゃおもしれえ。」と、庄亮大喜びで泳ぎ出した。 「羅風さんは、そう神様神様とお仰いますか。」と、また一人が乗り出した。 「ええ、それはね、羅風君はカトリックの実に熱烈な信者だし、トラピストへも三、四年は籠っていましたし、しぜん神という言葉が詩に現れると思います。神を思うことは羅風君としての唯一不断の道ですからね。」 「じゃあ、酒を思うことは君の道かい。」と傍から。 「そうしてまた、庄亮の道かい。」 「あっはっは。」と、哄笑して、そうして軽く「まいったまいった。」と頭を動かした。 「だがね、羅風もよくいうよ。僕が天神山の眺望絶佳な高台に居を占めたのも、詩が出来るのも童謡を作ることも、女の子が生れた時に紫の鳩が来たことも、みんな神の恩寵が君の上にあるのだ、恵まれている。今度の旅行も神の導きだとね。これには僕もどぎまぎする。三木君がそう思ってくれることは有り難いのだが、僕はカトリックの信者じゃないのだからね。とにかく異端者としての僕にとっては一寸戸惑いされるんだ。これとよく似た話があるのだ。もう十年も前のことだ。麻布の玄米煎餅の路次裏で両親と同居していた時のことだよ。そうだ、ちょうど「白金の独楽」や「雲母集」の詩や歌の出来た頃だ。ある晩坐っていると、筆がおもしろいくらい動くのだ。何かこう自分以外のものが後から突き動かしでもするような物凄い無我夢中の感興が私を狂気のようにした一晩があった。作った作った、百篇ばかり作ってしまった。で、実に不思議だから、夜が明けるとすぐ父のところに行って話した。すると赤い顔をして笑って「そりゃ、そうじゃろばい。」といわれた。母もそうだ。母も微笑していられた。何故ですと伺ったら「そりゃそうくさい、おどんが、汝いよか詩の出来るごつ、いつでん金光様にお願いしとるけんくさい。」といわれた。「お蔭があったばい。」とさ。それは金光様がお作り下すった詩だというのだ。両親は金光教の信者だからね。実際僕は呆然としてしまったのだ。何だ、自分の力で自分がやったのでないか。信じもしない金光様の何のお蔭だと思ったがね。ただ親の情というものに撲たれてしまったのだ。まったくこの両親の恩愛のお蔭だとね。僕は落涙した。この意味で、天主は信じないが、三木君の友情には感謝している。今度も方々に手紙を出して置いてくれた。」  笛が鳴る。笛が鳴る。 「で、コワルスさんとかに逢いに行ったのだね。」 「うむ、歯科医のS君が羅風の手紙を持って見えたろう。謹厳な硬直した態度で、あの人が下座に畏こまった時には弱ったよ。羅風の紹介文があまり物々しいから僕もたじろいだね。S君はS君で是非コワルスさんに逢ってくれ、三木さんに済まぬという。で、ほれ、日の出温泉から出た足で、僕はS君の家に廻って、同道して天主公教会に訪ねて見た。」 「どんな人だったい、その宣教師さんは。」 「いい人だった。黒い長服を着て、すっかり宣教師タイプに出来ていた。眼が柔和でね、顔が林檎いろで、頭はつるつると禿げ上って、髭や頬髯のやや赭ちゃけた、どうしても五十四、五と僕は見たね。後で聞いたが実際に驚いた。まだ三十を少々越したばかりだというんだ。どうも西洋人の年齢はわからん。どうも考えるとおかしくなるね。案外も案外僕よりも十歳ちかく若かったんだからね。波蘭土人だそうだ。」 「何か話があったのかね、君。」 「いや、前から知らしてあったので、すぐに出迎えてくれた。スリッパを出してくれたので、靴を脱いで上った。握手するのかと思って手を出しかけたが、向うは純日本風で挨拶したので、こちらも差し控えた。室は簡素なものだったよ。テーブルに日本の古い本箱が二つばかり隅こに置いてあった。壁には大きな樺太全図の軸を一つ掛けてあったきりだ。私も気軽にテーブルを隔てて対い合って腰掛けた。私はS君の紹介の後で、実は三木君と詩の雑誌を出す事になったので、この際、この旅行をいい機会として、トラピストにおける彼の当時の住居や信仰の生活や、周囲の風物などをよく見て置きたい希望だということなどを話した。それから日本の子供の詩の話などを訊かれるままに話した。僕もすっかり快活な気持ちを持ちつづけていられたよ。三木君のことも訊いた。白秋さんの感じはどうです、いいでしょうなどと、S君が傍から言葉を添えるので、コワルスさんもあかくなって微笑していた。コワルスさんは何でも豊原草分けの宣教師で、独身で、土地の信教の為にはほとんど一人で尽しているのだと、S君はまたあの人を僕に非常に褒めてきかした。僕もいい感じがした。それから僕はさよならをのべて立ち上った。三木さんによろしくとあの人は送って来た。それからね、僕に、また春になったら避暑においで下さいと微笑した。僕も微笑したよ。ね、そうじゃないか。教会を出てからも、いい匂いのする人だと思った。日本人同志にああしたいい匂いの残る面会というのはなかなかないようだね。」 「樺太長官はどうです。」とF君が声をかけた。 「ああ、あの訪問ですか。」 「はっは、あれには驚きましたね。不得要領きわまるんだ、実際。」 「風采はあがらないが、あれでなかなか如才ない方でしょう。でも官僚は僕の性に合いませんね。」  大きな大きなガランとした階上の一室にその痩せ形の長官某氏が納まっていた。大きなテーブルには書類が少々散らばっていた。牧畜家のH、麦酒会社のF、印旛沼開墾の庄亮、京都府警部のA、それに私がその前の椅子に腰を下ろしていた。昨日の正午前のことであった。  植民について、──土地選定、土地区劃、土地処分。農業移民の生活状態について。畜産について、また林業について──造林、保護、調査。水産、或は教育について。交々詰めかけ詰めかけ質問した私たちに、かの樺太の王様たる長官が何を、また如何なる熱誠を以て応答したろう。 「ええ、実はそのお。」「ええ、実はそのお。」で、やや罅の入った重い濁り声で、咄弁でもなく雄弁でもなく、ただ冗漫言をだらだらと素麺式に扱いてゆくだけであるので驚いた。質問の要点には少しも触れないで、聞いていると枝葉の話ばかりで続くのである。それでいて、此方には口一つきかせないで、一人で埒もなく喋るのである。そこで、その間に属官が三度ばかりきまってコツコツとノックするのだ。  廊下へ出ると、F君が、ああああとやった。 「不得要領な男だなあ。」  少くとも私たちは何一つ与えられないで、公会堂の歓迎会席場へなだれ込むより外なかったのだ。 「瓢箪鯰とは政治屋のことですよ。」と今もF君は吐き棄てるように罵った。 「だがそのぉ、あれでなけりゃ身が持てないんだよ。要領を得ちゃすぐに没落だからね。だから僕はそのぉ、お百姓になろうてえんだ。のんきだぜ。」  笛の音いろは一色に、りょうりょうふりょうと鳴っている。 「ゴルフはどうですか、皆さん。おやりになりませんか。」  恵美須面のM重役が、その長い柄の杓子棒をコトンコトンと音さして、立てて、流して、ふらついて来たが、誰もまた立ち上ろうとはしなかった。  Mさんはすっかり悄気てしまった。今さら笑顔も引っ込められず、二等の船室を廻って消えた。 「一万円。」と、ほろ酔のいい機嫌の紅ら顔の、胡麻塩頭の、それが眼鏡の底の目くばせで、私へ向いて、またつっつっと通り過ぎたは浜の輸出商Cという小柄の老人。  そこで、私は庄亮を見た。どうにも笑いがこみあげる。  それは小樽を出ての海上の夜の食堂のことであった。いい気持ちに陶酔したC老人は、突如として私に年一万円の補助を申し出た。 「北原さん、洋行なすっちゃどうです。及ばずながらわたしが三万円御用立てしましょう。年に一万円ずつ、三年ですぞ。」  私は困って笑っていた。 「占めた。」と庄亮、 「こりゃうまい、白秋君、証文をひとつ書いてもらっとこじゃないか。」 「ようし。」とC老人、早速に半紙に書きなぐった。 「A博士、ひとつ御証明を、そのぉ願います。」  A博士は謹厳であった。容易に筆を執ろうとはしなかった。そこで、 「Mさん、どうです。」 「あてか、さよか、よろしい。」と、自称美術家のパトロン、M老人、つるりと唾に筆の尖、薄墨で蚯蚓流。 「占め占め。」と、庄亮、蟇口にねじ込んで、懐中に固くしまうと、「さあ、飲むぞ、飲むぞ。」 「飲もう。大いに飲もう。」とC老、ふらふらと立ち上ったが、また私を見ると、 「三万円、一年に一万円。」  小鼻に一本、直指の型だ。  だが、その翌朝になると、何か会っても鼻じろんだ、それがまた、酒気に乗って来ると、そら、また、「一万円。」である。  ところで、此方だが、うっかり忘れていたのを、ふっと気がついて蟇口をあけて見たその後のことだ。 「あっはっはっ、こりゃおもしれえ。あっはっ。」 「何だい、どうしたんだい。」 「おもしれえおもしれえ。」 と、証文の一札である。 金壱万円也  北原白秋 とある。 「これはそのぉ、白秋にぃ一万円贈る、あっはっはっ、じゃあないんだね。君の値段がぁ一万ン。」 「おやおや。」 「やあ、は〓(小書き平仮名は)ぁ、まだおもしれえぞ、ききたまえ、わて、しりまへん。あっはっ、これがそのぉ、M爺ぃさんのぉ。」 「証明かね。」 「あっはっはっはっ。」  そこで、二人が腹をかかえて転げまわったものだったが、知るや知らずや、またまた一万円である。 「あの人も寂しいんだね。」と私も見送った。  と、  でれでれと二等の一組。男は中脊の目尻下り、女は髪を等分の、これはこってりの、おちょぼ口。その恋々相愛の、手に肩、肩に頬を寄せて、私たちの見る眼も憚らぬ御遊歩である。 「なんだい、ありゃ。」 「叱ッ。」 「あれが君、評判の鴛鴦夫婦でさあ。」 「袋叩きにしようという、あれですかい。」 「あっは、何でも白粉刷毛まで御亭が叩いてやるんだそうだよ。」 「へへえ。」 「そして湯殿の御立番でさ。」 「いよういよう。」  笛の音いろが消えかかった。 「やぁ、はぁ、これは先生、かけちがってお目通りもし申さんで。ええ、いかがで、一杯。」  車輛会社のS爺さんだ。ずいぶんきこしめしている。 「やあ、先生、飲んまっしゅう。ひさしぶりですたい。この二、三日、何処どん居んなはったじゃい、いっちょんわからんじゃったたい。吉植さん、飲んまっしゅう。ほんに、つまんのうしてなんたい。おいでまっせ。三等ん方がよか。飲んまっしゅう。飲んまっしゅう。」  九州男のYだ。これは豪傑、胸をはだけて、ずしりずしりとやって来た。これも少々酔っていた。 「後で行くよ、君、今晩。」 「来なはれ。かまわん。あん爺さんも寂しかと、いよらっしゃる。吉植さん。」 「酒はごめんだよ。まだ咽喉がわるくてね。」 「なっちょらん。そんならよか。」  あ、また、行ってしまった。 「みんな、変なんだね。」 「なまじ陸で浮かれたせいで、妙に落ちつけないんだろう。何だかみんなの影が薄いじゃないか。」 「それに北へ北へと渡るんではね。」  ぽつり、  ぽつり、  ぽつり、  ぼつり、  ぽつり、  ぽつり、  ぽつり、  ぽつり、  ぽつり、  人は一列、元の籐椅子、右も左も同じ高さの頭である。  霧がさあっとかかって来た。  なんと黄色い日の燻しだ。  と、  はったりと笛の音いろが止んだのである。  急にはずむエンジン、  スクリュー、  舷側の波の裂けて砕ける音までが、白い嵐を吹きあげる。  オホーツク海だ。  やっぱりオホーツク海だ。  笛は袋にしまったらしい。 曇り日のオホーツク海  光なし、燻し空には  日の在処、ただ明るのみ。  かがやかず、秀に明るのみ、  オホーツクの黒きさざなみ。  影は無し、通風筒の  帆の綱が辺に揺るるのみ。  眺めやり、うち見やるのみ、  海豹のうかぶ潮漚。  寒しとし、暑しとし、ただ、  霧と風、過がひ舞ふのみ。  われは誰ぞ、あるかなきのみ、  酔はむとも、醒めむとも、まだ。  燻し空、かがやかぬ波、  見はるかす円き涯のみ。 敷香  や、黒い牛がいる。  私が揺り上げ揺り傾く艀の中から初めて見た敷香の第一印象は、一頭のその黒い牝牛であった。すぐとっつきの砂浜の一角にぽっつりと彼女は突っ立っていた。その下半身を埋めた雑草の緑は見るも鮮かであった。国境の安別で見た女郎花風の鬱金色の花も簇がっていた。だが、凄まじい飛沫のなだれであった。幌内川の濁流とオホーツク海の波濤とがその河口で激しくかち合って騒ぐのである。それにまだ昨夜の烈風の名残が容易に収まろうとは見えなかった。  上陸して見ると、敷香はかなりの寒村であった。そうして到る処が灰色の砂地であった。それで海岸道路には蝦夷松の葉で飾られた歓迎門が濃青い簡素なアーチを作って、私たち観光団一行をウエルカムした。くぐって少し行くと露西亜風の丸太小舎の郵便局も目についた。それに運送兼業の雑貨店や、やや小綺麗な店屋が飛び飛びに二、三軒はあった。どの店にも絵葉書は売っていたが、後れて私がはいった頃にはもうほとんど気早の人たちに選み散らされていた。それでようやく、丸太小屋の廂に奉迎と書いた提燈を吊して、脛の長い女の子と立って笑っている肥った露西亜人の女の写ったのを一枚手に入れて、早速うちの子に通信を認めると、急いで郵便局の小窓の前に行って見たが、此処で放りこむよりも北海道の稚内へ帰航してからの方が余程速いということだった。それでもとにかく出すことにした、いい記念のために。  河口を少しくのぼった空地には木羽葺の休憩所が一つ見えていた。まだ接待の準備もつかないらしく、若い酌婦風の女が一人二人、風に吹かれて、対岸の遠いポプラや白樺のかがやきを見入っていた。真夏とはいっても何かしら寂しい秋口の朝の光であった。まだ一行の誰もが来て休んではいなかった。 「姐さん、お茶はまだですか。」  私は他のように白樺の皮を剥ぎに行ったり、ざんざめいて歩き廻ったりするのが臆劫であった。 「おほほ、もうじきですよ。」 と、女のひとりは襷をかけた。  河の水は一面にちらちらしていた。利根川のように洋々たる大河であった。オロチョンギリヤーク土人の独木舟の競漕がおっつけ花火が揚ると初まる手筈であった。それから一行の誰彼がどやどやとはいって来た。オロチョン人の手製に成った馴鹿の鞣の鞄や、財布──それは太い色糸で不細工に稚拙に装飾してあった──白樺の皮鍋、アイヌの厚司模様のついた菅の手提げ、それに玩具の橇や独木舟などを彼らはてんでに買い込んで来た。それを見ると急に私も欲しくなったのでまた引返して、売れ残りの鞄の一つをどうにか探し出した。馴鹿の臭みがして小汚くて、赤と黄との図案があまりにけばけばして、子供でもない自分が肩から引掛けるのは些か気がさしたが、そこはそれ旅の気安さであった。その鞄は紐が短いので、掛けると左の小腋に吊り上がった。幼稚園の生徒のようだった。みんなが笑った。  内地の小さな村役場くらいの物産陳列館にもはいって見たが、豊原のを見た目には別に取立てて変った種類もなかったので、おそろしく深々とした熊の毛皮の外套や、防寒帽子、雪沓などを取り騒いで買い込んでいる人たちを後にひとりでまた外に出てしまった。  部落はたいした町家並にもなっていなかった。どの家も平家で、半ばはお粗末なバラック風であった。露領時代の名残も見えた。草もぼうぼう繁っていた。いちばん広い通りかと思われる砂地の十字路に出たところで、私は上の方から麦酒の空瓶らしいのを両手にかかえて小走りに駈けて来る八つか九つぐらいの卵色の軽い服を着けた亜麻色の髪の女の子に遭遇った。と、その女の子が私のオロチョンの鞄を見るとたちまち立ち停って笑い出した、身体じゅうで。露草色のくるくるとした瞳であった。何か見たような顔だと思った。 「いいだろう、これ。」ぽんぽんと、こちらも叩いて見せた。それからふっと気がついて私は訊ねて見た。 「あ、君だったね、絵葉書に写っているのは。」 「やだア。知らないよ。」 「それは何なの。」 「石油。」 「君の名は。」 「セーニャ。」  そういって、その瓶を目よりも高く差し上げると、また飛び跳ねる馴鹿の仔のように活溌に走り出した。素足の裏が白く白く飜った。  河畔へ出て見ると、休憩所の周りは既に群集で埋っていた。何と珍らしい樺太の晴天であったろう。光り輝く数百の麦稈帽の反射は近い水面を、空気を、砂地をことに眩ゆく新にした。そうして岸には長い櫂を蜈蚣見たいにそろえた細長の独木舟が幾隻か波に揺られて、早くも飛び込むと持場持場を固めるオロチョンギリヤークの青年たちも勇ましかった。彼らは鼠色の軽装にばんばらの蓬髪を長く靡かせていた。  川の上手から静謐な、光り輝く漣の上を影絵のように急速力で漕いで来る丸木舟も見えた。一人、二人、三人、四人、五人、あ、六、七人。 「来た、来た、金太郎金太郎。」歓声がひとしきり揚った。  オロチョン族の金太郎は少からず人気男と見えた。競漕でもとうとう彼の一組が美事に優勝した。  あの土人どもの無智な一図の活動はむしろ峻烈極まったものだった。映画で見る樺太犬の橇引きとたいして違いはなかった。四隻の細長い独木舟に分乗して、飛沫を散らして先後を争った凄まじさは、私としては見ていて壮快を感ずるよりも、かえって憐愍の情に撲たれたのであった。それともう一つは格別勝負事には興味を持ち得ぬ私にとっては、暑くとも日の照る砂地に踞座でもかいている方がよかった。私は手をあげてセーニャを呼んだ。セーニャも見に来ていた。 「来たね。」 「うむ。」 「君の家何処なの。」 「ショウヒン………ふふっ、あの横。」 「パパは。」パパでもわかるかと思って訊いて見た。私は露語を知らなかった。 「死んだよ。いないよ。」 「ママは。」 「いるよ。ミルク、初めたよ。牛ね、一匹いるよ。」  ああ、あの砂浜に出ていたのがそうだったかと私は微笑した。 「君たちは何処から来たの。」 「アレキサンドロフスキー。」 「何時。」 「去年、去年の前、あ、忘れた。」 「パパは何していた、彼方で死んだ。」 「うむ、お百姓、牛ね、羊ね、いたよ、沢山、パパ殺された。」 「ほう、どうして。」 「バルチザン、悪い人。みんな逃げた。お金もって。」  其処へ、また、赤や黄や濃い藍染めの更紗布を頭からひっかぶったオロチョンの子供たちがぞろぞろと集って来た。服は廉物の白に花模様のキャラコの更紗で、何れも韃靼風のものかと思われた。顔も手足も垢じみて、まるで乞食の子のようだ。  私はポケットからドロップの紙袋を取り出すと、少しずつみんなの掌に配った。 「君、何というの。」 「マッチョ。」と十歳ばかりの女の子が答えた。 「君は。」とまた私は次の女の子に訊ねた。  マッチョが「ウンノック」と代って答えた。 「この小さい子は。」 「ムンムック。」  そこへもっと小さい赤子を抱いて来た鳶色の老婆があった。いかにもツングース系の、顔が平たい琵琶型の、そして眼の細い、鼻のひしゃげた薄汚ない、まさかシャーマン教の巫女でもあるまいがと可笑しくなった。御亭主はエフロックで、自分がクルグックで、赤ん坊がドイッチだといった。とにかくこれでも揃って盛装して来たのであった。摂政宮殿下の御行啓を奉迎に、上流のツンドラ地帯から出て来て、そのまま部落に帰らずにいるという、水産課の人の話であった。 「オロチョンギリヤークの不潔さといったら、顔ひとつ洗わず、何もかも着物で拭くんですからね。それに米も麦も食べません。魚の干物ばかりで生きています。奴らは夏になると河のそばへ出て来て、冬は山地に籠るのです。」と、傍から私に話した。みんなが無表情な愚な目付きをしていた。そうしてまるで凍えかかった魚のように赤や黄や青のドロップをしきりに嘗めた。 「君の家へ行こうか。」と私はセーニャを振り返った。 「うむ、ミルクがあるよ。」とセーニャは駆け出した。        *  セーニャの家は広い砂地の通りに面した丸太組の小舎であった。窓の下には背の低くて小さい向日葵と、赤がちの黄の金盞花が咲いていた。セーニャははいり口から飛び込むと、もう窓に顔を見せて、ぴっと下唇を尖らした。それから飛びつくように上半身を撓めて乗り出すと、片手を窓枠にしっかと、片手を思いきり下向に伸ばし伸ばし、うるさく垂れさがる亜麻色の髪毛をまた、幾度か振り立てて笑った。桃いろの首根っこだ。 「取っておくれよ。」 「そっちから取れない。」 「やだなア、うん、よし、──ほら。」と葉と蔓と花とをいっしょくたに引きもぎった。  はいり口の横には貼紙に「ミルクあります。」と拙い日本字で書いてあった。  内へはいって見ると、二間きりしかなかった。侘びしい家具の配置であった。取っつきの室には粗末な木地のテーブルに、ミルクの空罎だのつまったのだの、ゴチャ交ぜに並べた、その横に素の片肱をついて、同じ亜麻色の髪のセーニャによく似た若い娘が此方を微笑して見ていた。少し顔を紅くして、私を見るとまたセーニャの方を見た。彼女はさして美人ではなかった。ただいかにも快活で熱情的で、やや投げやりにも見えた。  と、ママが奥から出て来て、眼で会釈をすると、すぐに善良な豊な笑顔になった。そうして窓際の小さなテーブルに、その大きな図体をぶっつけるようにして腰掛けると、無造作に壁に背を凭した。黒に近い葡萄色の軽装で両手を高くまくり上げ、薄紅い厚ぼったい耳朶には金の耳環を繊細に、ちらちらと顫えさしていた。二重頤の頬の肥えた、そうして七面鳥のように胸の高く張った堂々とした内儀さんであった。賢しい智識からこれと深められた目色は見えぬが、ただの農民の妻だったに過ぎぬが、いかにもお人よしの隔てのない愛敬がその顔にも表れていた。  私は先ずミルクを所望した。  セーニャが今度は後ろから、姉さんの首ったまにかじりつくと、矢庭にその左の頬を持って行った。姉さんは、身体を反り曲げて、おっほほと笑うと、何か歌の一くさりでも歌うように咽喉を転がした。 「セーニャ、姉さんは何という名。」私はそれで程よく寛ぐことができた。 「イフェミヤ。」  イフェミヤはその乱れた前額の毛をわざと巫山戯てその手で掻き散らした。 「はる、る、る、る。」  それから、 「イフェミヤ・ベリヴェヤワ。」  私は黄色い小型のノートを取り出した。 「どう書くの。書いてお見せ。」  イフェミヤは直ぐに立って来て、私から鉛筆を受取ると、一字一字力を籠めて書き記した。了るとまたスッと坐って、両肱を前にぱたりと投げ出した。そうして両手の指を深い前髪の中に、突き入れて笑った。それから、右の人差指を一寸鼻の上に当てた。 「ベペエデエバ。」と私が読むと、 「ベリヴェヤワ。」 「ベリヴェヤラ。」  ほっほっとママまで腹をかかえた。そうして、「ううむ、駄目。」と含み声でつっと身をねじらした。 b=B B=v と、ノートに書いて、「ね。」  眼を近々と寄せた彼女たちの字を書く時こそ一生懸命であった。 「神戸……いい。」 「え、いい。どうして。」 「十月行く。此処だめ。」 「なぜ駄目なの、いいじゃないか。此処。」 「駄目、赤来ます。」 「橇ね、乗って来るよ。わるい人。」 「だって、ここは日本だろう。」 「日本いい。赤わるい、おそろし。」  これは私も今度聞いたが、バルチザン滅落後も北樺太の赤派は極端に不良で、白系の良民に対して脅迫掠奪残虐至らざるなしということであった。従って良民は南下して日本領内に亡命した。で、農作は絶え、畜産は滅び、食糧には窮乏して来た。従って、結氷期にでもなると、幌内川を挙って南下しかねないという。橇を駆ってだ。それで敷香では無論防禦の武器はいくらかは準備してある。だが、かの世界の兇暴を兇暴とする強盗群の襲来を果して撃退し得るかは疑問である。それのみでなく、彼女たちは日本内地の大都会の文明的色彩と繁華とをまるで夢の様に憧憬しているらしかった。神戸へ行きさえすれば、日常の生活などはどうにでも幸福に過ごし得る事と、単にただ無邪気に考えているらしかった。 「お金あるよ、千五百円。」  ママは開けすけだ。 「牛売ります。ね。」  何と、ロスキーの大まかで、善良で、無邪気で、一本気で、また開放的でやりっぱなしであろう。こうしたのがいわゆる露西亜気質というものかと私は感嘆した。全く何と好きな国民だろうと。彼女の中にもイワンの莫迦は光っていた。  それ位で知人もない神戸へ行くのは危険だ、それは止したがいいと、私はしきりに手を振ったが、七面鳥さんなかなか強情っ張りで、容易に私の戒告を聴こうとはしなかった。 「神戸行きます。商売する、ね。」  ところへ、どやどやと一行の四、五人がはいって来た。室内が急に賑やかになった。  そこでこの肥って善良な七面鳥が奥の室から廉物の蓄音機を、耳環をちらちらで擁え出して来て、窓際の小さな卓子に据えると、煤色の大きな喇叭の口を私たちの方へ差向けたものだ。 安来千軒えええん…う…う  それから「江差追分」「八木節」「博多節」などに変って行ったが、青羅紗の凸凹の台の上にレコードはへたばりへたばりキイキイ声で旋廻した。  わるいので、そこで誰かの帽子を裏向けにすると、みんなが銀貨のなにがしかを投げ入れた。ママさんなかなかお世辞がよかった。そうして非常に喜んだ。なるほど、これもやっぱりいい手だなとやっと私は気がついた。別にミルクホールでもないのに私たちのような気まぐれの訪問者も断りも兼ねて愛想をふりまくことも、亡命者の弱気と遠慮とだとばかし推察して、いささか此方は済まない心で見ていたが、少し勝手が違ったようだ。なんの金には締ってないこともないらしい。 「さあ、写真を撮ろう。」と誰かが先きへ立って出ようとすると、セーニャがいちばんに外へ飛び出した。と、門口に一人の青年がまじまじと突っ立っていた。例の鼠の裸児がそのまま生長して大きくなったような顔の皮膚の薄紅であった。黄の軍服に紺の軍帽をかぶっていた。おおかたアレキサンドロフスキーから持越しのものであろうか。眼がしょぼしょぼして内気らしい、彼も素直で善良そうであった。セーニャに聴いたら従兄だといったが、イフェミヤが一寸紅くなってセーニャを睨んだので察すると許嫁の間らしい。そこでその青年も加えて、パチパチといくつかやって怪しい素人写真の何枚かが済んだ。  昼飯過ぎてから、一行が舟でツンドラのフレップ摘みに行くが、行かないかと誘ったらセーニャを初めその従兄の青年までが大喜びで約束した。全くこの僻遠の地で、三百人という文明人──彼女らから見れば──の集団をかつて見た事もなかったろうし、その常に憧憬している日本内地の都会生活者と伍して半日の遊楽をほしいままにするということは彼女らにとって望外の幸福を感じずにはいられなかったろう。セーニャは今度は表から金盞花の二つ三つを摘んで私にくれた。 「じゃあ、待っているよ。」 「行くよ、すぐ。」        *  ツンドラ地帯清遊のことはまた筆を改めて精細を尽したい。ここではベェリヴェヤワ一家の事を主題とするからである。ただ二隻のランチに一隻ずつ曳かれた私たちの大団平船が、沿岸に蘆荻が繁って、遥かの川上に中部樺太の山脈が仰がれ、白樺、ポプラ、椴松、蝦夷松の林を左右に眺めて、一時間も幌内の大河を溯航した壮快さを伝えて置きたい。全く内地にもすくない水郷だという感じが私を喜ばせた。海驢のように黒くて大きな流木も浮んで見えた。ベェリヴェヤワのお母さん七面鳥は私の乗込んだ団平船の高い艫の方に大きく膨れてかがんでいたが、いかにも楽天家の本相をあらわしていた。そうして事毎に「神戸神戸。」で話は持ちきっていた。何でも明日にでも牝牛を売るような口ぶりにはみんなも驚いて笑い出した。だがとにかくすっかり中心人物になり了せた。  ツンドラ地帯とは蘚苔類の層積から成る幌内川の沿岸は広袤数十里に亘る地帯の謂である。その地帯には俗に樺太葡萄と称する紅い果のフレップと紫の果のトリップとが一円に野生していて、自由に人の来て摘むに任してある。極楽園である。フレップもトリップも躑躅によく似た葉の細い小さい灌木である。舟が着いて上ると私たちは皆二時間ほどをその灌木林で悠遊した。いい日和であった。私たちはフレップを摘み、トリップを探してまた心ゆくままに味い、かつ夢みた。そうしてまた耀やかで涼しい風と光と色と音とをもまた十分に新鮮に食らい過ぎるくらいに食らった。セーニャは盛んに跳ねまわっていた。何と黄色いカナリヤであったろう。イフェミヤはその許嫁の従兄と時おり出会ったり、離れたりして摘み耽っていた。彼女は円みのあるいい声の持主であった。暑い暑いといいながら、両手で胸の乳房の上を抱き締め抱き締め、彼女はよく歌った。静かな、しかも強い日光の下で、恋々綿々として彼女は歌った。何という情感的な牧歌であったろう。  帰航の時、私たち一行の舟は右岸の白樺林の前に散在するオロチョン人の部落の前に差しかかった。土人たちは幾つかの煤色の天幕の前に簇っていたが、私たちの舟が通ると盛んに色々の光る布を頭の上でうち振った。私たちもこれに応えた。万歳アい、万歳アい。万歳アい。見ると赭っちゃけた魚の干物が幾並びも棚に掛けられてあった。その魚の干物にも日射しが移りつつあった。 「金太郎、金太郎。」 と、セーニャが伸び上って手を拍いた。 「おおそうか、金太郎がいるのか。」 「金太郎万歳アい。」 と、またひとしきり舟の中ではざんざめいた。そうして休憩所の前に著いた頃には、もうそろそろ日の光も黄色く晷り初めていた。風も出て来た。こうして敷香の夏の一日も、雲がまた薄く低迷して、うそ寒く、寒く暮れてしまうのである。私たちはまた一旦上って、中食所であった旅館の一、二へとりどりに鞄や土産物をそろえに急いだ。  それから小半時の後、私たちはまたランチに曳かれて本船へ帰ることになった。敷香の有志やオロチョンギリヤークの土人たちも一同うち交って、その河口の石垣に立って見送った。クルグックの婆さんも女の子マッチョ、ウンノック、ムンムックたちも赤や黄や藍の更紗の冠りで並んでいた。  例の肥ったベェリヴェヤワのママは左右を眺め眺め、さも名残惜しそうに、それでも眼では笑っていたが、舟の出しなに、いきなり大きなスカートを舞わして飛び込んで来た。送ってゆきたい、高麗丸の船室を是非見せてほしいというのであった。イフェミヤも続いて飛び下りた。許嫁の青年も、これは軍隊式に身軽くすぽっと飛んだ。続いてまたセーニャが人々を掻きわけると、両手を後ろに拡げて、いざと身構えした、ちょうどその時、「駄目駄目あぶないあぶない。」という声が岸と舟とに起った。 「セーニャ、セーニャ。」とママが呼んだ。  だがランチは旋廻し初めた。濛々として黒煙が靡き、とどろくエンジンの音が人々を息ぜわしく焦立たせた。セーニャは幾度か飛び込もうとして、支えられた。石垣と舟との距離が一間になり二間になり三間になった。セーニャはしきりに母を呼び姉を呼んだ。だが、最早やどうにもならなかった。「乗せてやれ、乗せてやれ。」と私たちも叫んだが、今はそれも危険で近寄れなかった。と突然、火のようなセーニャの泣き声が起った。セーニャは両腕を犇とその顔にあてた。  ママは何か大声で呼び続けた。たぶん牡牛を家へ連れて帰るようにとでもいいつけたことと思われた。  高麗丸はこの沖合ではいかにも壮麗に、またいかにも文明の高貴な象徴であるかのごとく眺められた。そうして船室の灯が一斉に点いた明るい美しさといったらなかった。星、星、星、星、星。ママやイフェミヤは眼を輝やかして手を拍った。彼女たちには高麗丸が大貿易港神戸の一部であり、神戸はまた高麗丸の延長であるかのごとく思えたに相違なかった。  日が赤く円く、それでも鈍く寒く、今はオホーツク海の遥かに沈みつつあった。はてしもない北方の夕焼けが次第に空には濃くなって来た。  セーニャは泣き泣き牛のいる傍まで駆けて来た。 「セーニャ、さようなら。」 「セーニャ、さようなら。」  セーニャと黒い牝牛とが、ぽつりぽつりと、砂浜の叢に残されてしまった。いつまでもいつまでも黒く突立っていた。 海豹島 その一  さあ、いよいよ海豹島だ。  読者諸君。  私はもうじりじりしていたのだ。旅程が長くて、いつまでも私の筆はこの目ざす一大驚異境に達しなかったからだ。  来た、来た。今度こそは縦横無尽だ。  飛躍、飛躍。  海豹島こそ見物だろうと人はいった。私にしろこの樺太旅行の眼目は全くこの海豹島だと期待していた。恐らく三百の観光団員総てがそうであったにちがいない。  この海豹島は眼前にあるのだ。  ブラボウ、ぼうぼうぼうぼうおうと汽笛が吼える。  八月は二十日の黎明、オホーツク海の暁色。  黒だ──島だ。  一浬。  万歳。  青だ。ああ、透明だ。──赤だ、樺だ、雲だ。  あ、小さい太陽、朱だ。北だ。  波、波。紫紺の波、波、うねり波、  光、光、光、光、金の閃光、運動、  かっきりした水平線、  鳥だ、あ、ロッペン鳥だ。  飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ。  飛ぶ、  飛ぶ、  黒、白。黒、白。黒、白、白、白、  白、白、白、白、白、  黒、  黒、黒、  ひりいりい、ひりいりい、ひょう、  ひょうと来た、  何と、世界より大きく見える翼、  一羽が来た。  鳥鳥鳥鳥鳥  鳥鳥鳥鳥鳥  鳥鳥鳥鳥鳥  鳥鳥鳥  鳥鳥鳥  鳥鳥鳥鳥  鳥鳥鳥鳥  鳥鳥鳥鳥  鳥  驚く。驚く。  円の、双眼鏡の端から端まで、  黒上衣の、白胴衣の、佇立した、密集した、幾段々になった、  鳥鳥鳥鳥鳥鳥鳥鳥なのだ。  ロッペン鳥の懸崖、岩壁──断層面。  いや、島自体がロッペン鳥の断層なのだ。  正面きった。  と、展開、第一光景となるのだ。 第一光景  島は小さく低かった、頂上は平坦で。  ちょうど、四六版の本を横に見た形だ。  まだほの暗い、藍鼠の背皮、その背皮は懸崖だ。  赤い、豆の太陽の南、影になった懸崖の残雪、  と観たが、違った。  生きている、生きている。  動いている、動いている、動いている。  生長し、生殖し、受胎し、産卵し、展望し、喧騒し、群立し、思考し、歓喜し、驚異し、飛揚し、飜躍し、──島そのものから、ああ、島そのものからすばらしい創世紀にあるのだ。  こちらは高麗丸の右舷、中甲板の欄干に総出で、かなしいかな、人間人間人間なんだ。 「いったい、何羽いるんだ。」 「三十万。」 「ほう、三十万。」 「わかりゃしないさ、計算できるかい。」 「坪で計るんでさあ、坪で。」と水産課だ。 「ペンギン鳥とはちがいますか。」 「ちがいます。似てはいますがね、海鴉という奴です。」 「直立しているんだね。ありゃ、おもしろいな。」 「あれで卵を一つずつ両股の間に挟んでいるんですよ、みんな。」 「へえ、どんな卵です。」 「それは綺麗ですよ。青磁いろで、黒い斑入りで、円錐形に近い楕円で、大きいんです。」  風だ。  光だ。   飛ぶ。    飛ぶ。     飛ぶ。   飛ぶ。    飛ぶ。 「やあ、飛んでる、飛んでる。」  岩壁の縁が、縁から、はがれて、飛ぶ、飛ぶ、  白光、  赤光、  紫金光。  閃々光だ。 「あ、啼いてるようだな。」  飛沫、飛沫、 「こりゃひどい、とても上陸れませんよ。この波では。」 「決死隊だな。一番やっつけるかな。」  飛ぶ、   飛ぶ。    飛ぶ。   飛ぶ。      飛ぶ。         飛ぶ。 第二光景 「坊や。」と私は心で叫んだ。  どうしたんだ、いったい、私は。  竹林だ。紅い芙蓉の蕾だ。  藁壁の木兎の家の窓から顔が出る。──円い眼だ。あ。 「君、君、白秋くうん、そのぉ、膃肭獣は何処にいるんだね。」 「膃肭獣かい。」  そうだ、此処は海豹島なのだ。  オホーツク海は樺太の東海岸北知床岬の南方十海浬だというのが、この海豹島の確かな位置とされている。その海豹島は長さが二百五十間、幅が三十間のほんの小さな岩島に過ぎないのだ。それを白い白い砂浜が四周に繞っている。私たちはその西側に直面して、今は僅かに五、六町の沖合まで近々と寄せて機関の運転を止めた高麗丸の船上にあるのだ。  晴天だ、すばらしい。  何とこの微塵光の新鮮さ。ああ、朝はすでに爽かに笑っているのだ。  岩壁に密集したロッペン鳥の風景は、空の明るに従っていよいよ細かに黒白分明し、その飛行はまた耀く風の幅となり、川となり、旗となり、帆となり、吹雪となり、波濤となり、無数に白く、また、黒く紫に、また白く白く擾乱して底止するところを知らないのだ。  汽笛が吼える。巨大なあらゆる通風筒の耳、  噴き出す湯気、大煙突。  海上の一大宝塔──高麗丸。  その汽笛のぼうううは島と空とに緩るく深く響いて、遠心的に白く広く拡がってゆく。  空腹だ。ぼうううう。  パパ、おまんまァアアアア。  私は涙が流れかけた、双眼鏡の下からだ。 「や、日の丸だ、おい。」  島の最高部、柱が天を摩して一本、日章旗だ。日本だ、日本だ。 「膃肭獣は見えないかね。君。みんな騒いでるがね。」 「待ちたまえ、や、赤い家が見える。」 「見えてるよ、さっきから。監視人の小舎なんだろうが、膃肭獣がいねえ。」 「膃肭獣は向うっ側にいるそうです。」と誰やらが前から振り返った。 「なるほど、変だと思った。」 「いる、いる、ほら、あれがそうらしい。」  黒い点々々、  右の砂浜の尖端、  あ、ざんざら波、  一面の反射光。  銀、銀、銀、銀、  天気晴朗なれども浪高し。  ところで、白い帽子の白詰め襟の老ボーイ、食堂の入口に現れるなり、燦爛と、さて悲しげに笑ったが、左に銅鑼、右に撥、じゃん、じゃららん、らんらんらんらん。 「一杯やるか、麦酒でも。」 「祝杯、よかろう。」  ──麦酒、正宗、サンドウィッチ、サイダァ、牛乳、餡パン、マッチ、新聞、──  あ、坊やの声だ。隆太郎、隆太郎。 第三光景  赤塗りの羽目板の家はたしかに監視人の小舎であった。  ほんの掌ほどの畠、刺身のつまほどの菜っ葉。  塩漬肉の貯蔵庫、  撲殺人の粗末な宿所、その外の砂地に散乱した白い獣骨、鬱金色の岩菊。  此処まで上陸するにはそれこそ一通りの騒ぎでは無かったのだ。  迎えのモオタアボートが伝馬を引っ張って来て辛うじてロップを投げる。ブリッジが激しく上下する。凄まじいブリュブラックの波の凹み、その凹みの底にひたと吸いついた欄干の眼、眼、眼。  米領「プリビロフ」露領「コンマンドルスキー」そうしてこの日本領の海豹島(露名、チュレニ島、ロッペン島)。世界に三つしかない膃肭獣の蕃殖場だ。絶海の孤島であるこの海豹島には人間のための伝馬などは二隻と用意されてあるはずもなかった。だから一組二十人として十五回に分乗することとなった。一同が上陸しおわるまでに半日はかかる。と、それぞれの見物の時間は極めて短縮されてあらねばならなかった。にもかかわらず、私たち二人は特別に最初から渡って最終まで居残らしで貰おうというのだ。危険な瀬踏も承知の前である、真っ先に私がブリッジを駈け降りると、続いて庄亮、その他のロッペン団員がおなじく斜めの飛沫で濡鼠になりながら、パッパッパッと伝馬へ躍り込む。 「万歳。」と上から歓呼した。  たちまち、波濤が渓谷になり、丘陵になった。 「やっ、海豹じゃないか。」  頭のぬめっこくて円い、黄色い頬っぺたの、眼の柔和な、髭の目だつ、人魚のようなのが上半身を出すと、またすぽっと潜ってしまった。 「行けっ、スピード。」  私は、そうだ、全く胴ぶるいを禁じ得なかったのだ。  海豹島、幾万の膃肭獣と、海豹と、海驢。  想像だも及ばぬ未知の世界がもうすぐに私たちの眼前に展開されるのだ。  と、横合から、なだれが、波飛沫が滝のように落ちかかって来た。私たちは外套をひっかぶった。  それからどうにか伝馬を着けると、ひらひらと板子の上を駈けて渡った。それからのことである。  前にいった赤い木造の監守小舎の横から、島の上へとつけた道がある。登りかけたところで、 ぎゃお、わお、がお、うわァああ、わお、 ぎゃおお、うわうう、ぎゃお、わあ、わお。  囂々として、騒々として、漠々として、瞑々として、恢々として、何ともつかぬ無数の肉音声が、蒼い蒼い向うの麗光の空から吼えとどろいて来た。いや、東の空いっぱいに響き返して、まだ見えぬ岩壁の下から下から湧きあがって来た。耳も聾するばかりのその怒号、吼哮。  愕然として佇ち留ったは私ばかりではなかった。  と、蒼蠅だ、緑金の点々々が真向から目を撲ち、頬を撲ち、鼻を撲ち、口を撲ち、たちどころにまた紫の螺旋の柱となって襲いかかった。  私たちは夢中に駈け上った。有頂天で。  岩角へのしかけて、三方に板を囲った見張り櫓。二人ぐらいしか並べない樋のような監視所、その板囲いの隙間から、直下の砂浜を差し覗いた──この驚駭、この動顛、この大畏怖、この寂光。  何とこの無人の、原始の、海獣の渾沌世界の、狂歓の、争闘の、蕃殖の、赤裸々の、瞬間の、また永遠の真実相であろう。  無慮三万の膃肭獣、 と聞いた。 「あっ被服廠だ。」  肉眼で観た、全く。  累々とした被服廠の死屍、まるであの惨憺たる写真のとおりだが、これはまさしく現実に活動し、匍匐し、生殖し、吼哮する海獣の、修羅場の、歓楽境の、本能次第の、無智の、また自然法爾の大群集である。 ぎゃお、わお、がお、うわァああ、わお、お、お、 ぎゃお、うわうう、ぎゃお、わお、わお、おう。  この不可思議な、この世のものとも思われぬ光景は、このグロテスクな黒褐色の群棲の集団は、言語にも想像にも絶したこの北海の膃肭獣の生活は。  私は観た。右を、左を、前方を、下を。  左の岩壁には、頂上には、密集した黒と白とのロッペン鳥が幾層積を成して、規律正しき燕尾服の紳士行列を作っている。また進行しつつある。  岩菊、浜菜、もるちの花叢、藜に茅萱、  黄だ、黄だ、黄だ、緑だ、金だ。  その下の砂浜一帯の海獣の裸臥像である。  また遠浅の遊泳群の擾乱である。飛沫である。  頭、  頭、  頭   頭  頭、頭、   頭  である。  何とまた空は蒼く、海は無際限に黒く、日は燦爛と明るいことだ。  見ろ、この膃肭獣の集団を。  ぴたぴたと潮に濡れた膃肭獣は頭が円く、毛がなめらかに、いかにもその後ろ姿までがしなやかに見える。黒い魚のような皮膚の光沢をしている。  だが、陸に上って既に日に乾いたものは熊のように黄褐の毛が逆立ち、頬の髭が強く張って、いかにも獰猛な巨獣の相を現す。  牛のごとく吼ゆるもの、  図体の憎々しく大きく、群獣をぬいて高く怒号するもの、  うそぶき、笑い、闊歩するもの、  孱弱く疲れていざり寄るもの、  ごろりと仰向きに臥ている牡、右の前鰭で、はたりはたりと煽いでいるもの、 (暑いんだな、あいつ鰭を団扇にしているんだ。)  へとへとに熟睡しているもの、  乗しかかって噛み合い、吼え合い、  血を流し、また荒れ狂うもの、  逃げるもの、追いかけるもの、  悠々と独歩し、離れてまた幽かに遊んでいるもの、  爛々と睨み、  驚いて救いを求め、  阿諛し、哀願し、心身を他の蹂躙に委せて反抗の気力も失せはて、気息また奄々たるもの、重なり重なり乗り越え、飛び越ゆるもの、  乳児を抱き、哺乳するもの、  匍い寄り啼き寄る幼獣、  また、強者に虐殺された死屍、腐れて啄まれる胴体、  砂をかけ合う無邪、  旺盛な精力、実にすばらしい生殖慾、  母愛の権化、  煩悩、嫉妬、反噛、  頭と頸とを重ね、  口を寄せ、  また無関心に蹲り、眼を瞑り、  急に驚いて鰭を振るもの、  海に飛び入り、  連れて飛び入り、  跳躍し、潜水し、駛走するもの、  泳ぎ返るもの、  子を泳がせ、また突き落し、  魚群をしきりに追いつめるもの、  鳥の毛の飛ぶふわふわを捉えんとしては身をすくめるもの、  鳥の毛といえば、こうした真夏の岩壁寄りを幽かに風に吹かれて飛ぶものもある。  白いのは千鳥、  群獣の中にあるのは雪のようだ。  華魁鴨は嘴が黄色く、頬が白く、羽は褐色である。その鴨もいる。  海鴫もいる。  黒い鵜の鳥も岩の角には巣喰っている。  ロッペン鳥も下りている。鴎はまた膃肭獣の棄てた胎盤をもらうのだ。  そして、また、  飛ぶ、   飛ぶ、    飛ぶ、  飛ぶ。 ぎゃお、わお、がお、うわァああ、わお、おお、 ぎゃお、うわうう、ぎゃお、わお、わお、おう。  吼える、  吼える、  吼える、  吼える、  吼える、   ぎゃお、わお、がお、うわァああ、わああ、おおおおお。  逞ましく牡牛のような巨獣の王が、また  首を高くもたげて仰いだ。  太陽は空にあるのだ。 海豹島 その二  読者諸君。  私は監守の小舎を訪ねた。  先客にはすでに白髪白髯の和製タゴール老人がいた。監守は相当の年輩に見えた。黒の制服をつけ、謹直な、素朴な態度で彼に応対していた。  粗末なガランとした室内、大きなテーブル、椅子四、五脚、多少の器具、雑書、壁に引かけた帽子、外套、極めて簡素で単純な色彩であった。  私は一揖して、タゴール老人の傍に坐った。話題は無論この島における膃肭獣の生活以外のものであるはずはなかった  私が今現像しようとしている幾多の映画は眼前嘱目の大驚異に、加うるに監守の某氏の談話と樺太庁内務部の発行にかかる印刷物「海豹島と膃肭獣」とより得たる知識に基づいたものであることをいって置く。  そこで映画「ハーレムの王」となる。 ハーレムの王 序画  うわおう。  天を仰いで咆哮する巨大な海獣一頭、  髭荒く、牙鋭く、頭毛逆立ち、眼光爛々として、高く上半身を起した。  膃肭獣の成牡(ブル)、年齢八、九歳、体重八十貫、牡牛のごとき黒褐色の巨躯、  ハーレムの王である。  うわおう。  再び彼は咆哮した。  堂々たるその勇姿、絶倫の性慾、全身の膨脹、悪戦苦闘の恐るべき忿怒相と残虐性亢奮とは今や去って、傲然たる王者の勝利感と大威力とに哄笑し快笑し、三度また頭を高く、激しくうち振った。開いた前肢、嘲り嘲り、巨躯を掻き、また搏きうつ後肢の鰭。  砂上だ。  背景は燦々たる白光、  飛沫黒き波濤の連続、オホーツク海の水平線。  うわおう。  ぎゃお、わお、がお、うわァああ、わああ、  おおおおお。 一  来る。  来る。  来る。  来る。  来る。  来る。  来る。  来る。  来る。  来る。  来る。  来る。  来る。  来る。  来る。  来る。  点々と、  団々と、  騒々と、  簇々と、  先駆し、雁行し、競走し、  密集し、乱擾し、軋轢し、潜航し、  跳躍し、  跳躍し、  跳躍し、跳躍し、跳躍し、  ああ、燦爛、冥々、燦爛、陰々たるオホーツク海一面の反射と影、影、影。  飛沫、  飛沫をあげ、  飛沫をあげ、  飛沫をあげあげ、  すばらしい海獣の群、膃肭獣の成牡(ブル)の水雷、黒褐の無数の肉弾。  千頭、二千頭、三千頭、五千頭、  と、  飛んだ、  宙に大きく近く、  ロッペン鳥だ。  耿として白く、また黒く、燕尾服の、  両翼を張って、ひらりと、  画面を横断して、  消える。  と、  飛ぶ、飛ぶ、  飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ、  飛ぶ、飛ぶ、  飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ、  飛ぶ、   飛ぶ、 「キイキイキイ、待ってた。」 「キイキイキイ、来た来た。」 「キイキイキイ、万歳。」 「キイキイキイ、万歳。」 「キイキイキイ、ハーレムの諸王万歳。」  時は五月の中旬、珍らしい晴天、  ロッペン鳥渡来後一ヶ月、  樺太は東海岸、北知床岬の南方十海浬、岩島は海豹島の前面、東方。 「ロッペン鳥万歳。」 「万歳。」 「異変ないか。」 「無し。」  よしと、先駆の海獣、  挺身した、高く高く、  一飛躍。 二  岸壁の断層──数万羽のロッペン鳥、  画面を斜めに仕切った砂浜、  波打ち際の  噴水のごとき飛沫、飛沫、飛沫。  来た、来た。  黒褐の肉体の波、波、波、重く、濃く、滑らかに、張り満ち膨れて、弾力性の、眼の光る、髭の立った、重なり重なり打ち寄せ押し寄せ、後から後からと部厚に部厚にうねりうねり、盛りあがり躍り立つ、──膃肭獣の波、咆哮、奔騰、  がばと上陸した、  一頭、  二頭、三頭、四頭、数十頭、  我勝ちにと、ずぶ濡れの頭をうち振ると早くも背後をふり向き、牙を鳴らし、前脚をはたいた。だが、  来る。来る。来る。  後から後からと続いて来る。  飛ぶ、飛ぶ、ロッペン鳥が飜る。 「ハーレムを、ハーレムを。」  彼ら成牡(ブル)の大群集はかくして海豹島の東面の砂浜に上陸する。自己のハーレムを形成すべく第一に地位の先取権獲得、次では生存の上の決定的優勝が各自に期せられてあらねばならぬ。生か死かである。  排他、脅迫、防禦、突進、乱闘、流血、  ぎゃお、わお、がお、うわアああ、わお、お、お、  ハーレムとは一の成牡(ブル)を中心として成る成牝(カウ)の多くは百頭三百頭の集団である。  見よ、見よ、如何なるブルが最勝の最大のハーレムの王たり得るかを。  英雄児よ、来れ、  肉弾中の肉弾。  飛ぶ、   飛ぶ、  ロッペン鳥は飛ぶ。 三  濃霧だ、  月光だ、  陰惨たる岩島、  画面を黒く、真直に截断した岩壁の一角、  鳥。     冥々、闇々、     咆哮、      悲鳴、──血、血、血、  あ、蒼白い月光、たちまち、  薄らぐ霧、      海獣、海獣、海獣、        肉迫、乱闘、乱噬、    ぐわう、ぐわう、がおかお、    わわわわ、わおわおわお。     濃霧だ、また、  岸壁の一角、  鳥。 四  曇天、  渺々たる黒い水平線、  時として閃々たる白光。  進む、進む、  画面は左へ左へ。  点、  点、   点。    海獣の頭だ。  あ、潜った。  いる、いる、いる、  無数の廃残者、  海中の遁走者、膃肭獣、  弱者、負傷者、  老大獣、  力尽き溺るるもの、波とともに盛りあがる、死屍、腐爛した頭。  再び跳躍し、潜行し、  飛沫をあげ、  飛沫をあげ、  海浜ちかく泳ぎよるもの、  新に突き落され、噛み落され、抵抗し、諦めず、血みどろに狂い、のたうち、もがき、必死に狙い窺い、匍いあがり、  また噛み合い、飛び越え、  動顛し、  仰臥し、  乗しかかり、  と、  灰黒色の大きな鰭。  殺った、  あ、ブラボウ、  巨大な、若い英雄、ブル。  くわっとあけた口、  上顎、舌、  両頬の髭、  眼光。 五  砂上、黒雲の影、いよいよ盛んなる乱闘、  幾千の成牡(ブル)入り乱れてまさに修羅場の壮観となる。  黒褐、黒褐、黒裾、黒褐、黒褐である。  占領、奪掠、突撃、死守、  悶絶、再襲、  ああ、しかもまだ彼等が争闘の主因たる成牝(カウ)たちは遥かな遥かな水平線の向うにいるのだ。  ブル即情慾である。彼らは本能そのものなのだ。衝動は自然だ。  全身をあげて彼らは搏つ、生きるがためには、  惨害──自己と地位の確守だ。  勝て。  弱者は畢竟するに弱者に過ぎないのだ。  勝て。  その外は死だ。  眼、  眼、  おそろしく獰猛な二頭が向き合った。 六  岩壁の一角。  鳥。  成牝が来た。  キイキイキイキー。  無数の    飛ぶ飛ぶ飛ぶ飛ぶ、ロッペン鳥。  晴天、  六月の上旬、成牡の来島に遅るること、二、三週後。  ああ、とうとう成牝の大群が来た。  聴け、海豹島の地響きを、動悸を。  九千九百の、  いや、一万、二万の花嫁が来たのだ。 七  新らしき曙の波濤に乗り、オホーツクの海阪を越え、渾沌として黒く漂う浮き脂の大いなるうねりに幾万となく群集して膃肭獣の花嫁成牝らは来る。  しかもまた雲霞のごとく後から後から押し寄せるのだ。  北海の黎明である。  雲は微茫のうちにあって暗く、霧は涯しなく吹き満ち、水平線のかなた遥かに澄みとおる紫の空が透く。  その遥かな、太陽の生るるところより、生まんがために成牝らは来る。  彼女らは総てが懐胎しているのだ。  身は重く、しかも心は強く、世界の母性として、彼女らは万里の波濤を越え、風雨に堪え、陣痛の苦と新生の輝かしい希望とを懐いて、永く忍び、永く忍びつつ、しかも衝き進むべくして衝き進みつつ、ああ、彼女ら成牝の大群が来る。  渺たる岩島海豹島こそは彼女らの光栄ある産褥であり、新らしき、また盛んなる蕃殖場である。  飛沫だ、  飛沫だ、  飛沫だ。  おお見よ、また、  朝暾すでに朱なりだ。 八  黒く、青い、ささ縁のみ光った、全面の光らぬ波濤、  しかも重厚なうねりの盛りあがり、また雪崩れて、見るまに丘となり谿となる。北海の荒海である。その海豹島の波うちぎわ。 「花嫁が来た。」  一斉の咆哮、  驚天動地の大歓喜、世界の情慾。  それと見た幾千の膃肭獣の成牡(ブル)はその波うちぎわに殺到する。鈍重な巨躯の逸りに逸った匍匐の醜態が今、一時にまた光り輝くばかりの黒褐の毛のなだれとなり、地響きとなり、奮いたつ香炎の放電体となる。  気早なのは海中に飛び入り飛び入る。  驚くべき俊敏。すばらしい身軽さ。  飛沫が立つ、立つ、立つ。  砂上の乱闘。咆哮、咆哮、咆哮、  ぎゃお、わお、がお、うわあああ、わお、おおお。  既に見よ、海浜に近づいて却って怯々として悲しく泳ぎ、恐れて潜り、驚いて退きつつ、ひたすらに上陸する隙を窺うて容易に果せぬ成牝、  何と、あの顔のさびしさ、素直さ、  あっ、また波から  出した、出した。  あの眼、あの眼、  人間の母性に見る最も貴い、崇高なあの眼、あの眼。  やっ、飛びつく、飛びつく、  血みどろな、敗れてもなお弾き立つ情念、老いてもまだ衰えぬ生存慾、力尽きて海中に噬み落された弱者、老大獣の必死の争奪戦。  あっ、四方から挑みかかる、躍りかかる、  無慙──女獣は引っ裂かれたのだ。  一頭、また一頭、  英雄よ救え、ハーレムの最大の王たるべきブル。  ぎゃお、わお、がお、うわあああ、わお、おお、  飛び入る、飛び入る、飛び入る。  しかもその時、牡牛のごとく猩々熊のごとき巨大なブル、  たちまちにして天を仰いで咆哮すると見るや、渹然とばかり飛び入った、たたた。  万歳。  だが、だが前から前からと襲走する。後から後からと挟撃する。  容易に上陸できそうにないのだ。  飛沫、飛沫、  なんと悲しい女性。  だが、だが、激しい陣痛の兆候は来る。生まれんとする者は胎内に張りつめる。何としても、死んでも生まなければならないのだ。  必死のカウの上陸となる。  たちまちまた、波うち際の、前にも増した肉弾戦、咆哮、乱噬。  むしろ凄惨な男性の性慾、暴力、所有慾、茲にしてまた引っ裂かれる女性の犠牲死体が、じりじりと日光と砂熱とに焼け爛れるのだ。  飛ぶ、飛ぶ、   飛ぶ、     ロッペン鳥。  や、や、処女獣の大群が来た。あの中にこそ未だ汚されぬ、しかも愈々花のごとく成熟した女性が、真の花嫁がある。 九  同じく砂浜、  岩角、監視所の下、  ハーレムの諸王万歳、  ハーレムの小なるも大なるも、既にその位置に拠って形勢された。  小なるは二、三頭のカウを、大なるは幾十のカウを、更に最も大なるは、百頭のカウを、それぞれに収容し、また神聖なる処女獣の幾頭をその保護の下に置いたハーレムの諸王たち万歳。  大洋は渺々たり、日光は燦爛たりである。  咆哮せよ、  汝らは勝ったのだ。  警戒せよ、  弱きはまた、追われ、殺され、盗まれるのだ。  不眠不休だ、ああ、これから愈々。  岩角、監視所、  木の囲いの上から大きな人間の顔が出る。 十  巨大に引き伸ばされた黄金色の岩菊の花、  その岩壁の下の花叢、  太陽光は輝々としてその花叢にある。  微風が花弁を動かしまた耀やかす。  七月の静謐、  黒と白との寛洪な燕尾服の紳士、ペンギン鳥の従弟、ロッペン鳥が、その上の岩壁の突処に立っている。  横向いて、なんと長閑なそのまるい眼だ。おりおり岩菊の蕊を覗き込む、  蟻の黒い大きな触角が動く。  と、すばらしく拡大された幼獣のなめらかな黒い頭と前肢の両つの鰭とが幕面の右下から匍いあがって来る。  なんとその面の眼の可憐なことだ。  微風が花弁を動かし、また耀やかす、  膃肭獣の児はすでに生れているのだ。おそらくは生後一ヶ月は経っていよう。彼らの母は上陸すると間もなく輝やかしい産褥に就いた。ハーレムの王たる英雄ブルの絶大の愛と保護とによって。  生れたものに幸あれ。  微風が岩菊の花弁を動かし、また輝やかす。  何か深く聴いている  巨大な蟻の触角である。 十一  ここで、諸君、かつて記した海豹島第三光景となる。この「十一」の映画は惜しいかな、前に切り取って映したのでここには復写せぬ。が、とにかく、三万頭の膃肭獣により成る数千百のハーレムにおける割拠、争奪、保護、飛血、生殖、哺乳の大歓楽境大修羅場を現出する。悪戦苦闘のブルどもは不眠不休、飲まず食わずしかも絶倫なる精力はその残虐と流血と肉弾戦の間にも驚くべき性殖力を発揮する。  殊にハーレムの王中の王、その最勝王ブルは三百頭の成牝と交接し、その懐胎するに到るまで続けて抱擁し、その三百頭ことごとくを懐胎せしむる。そうして、ようやくにしてハーレムを解放するのである。  成牝の体臭。  想像だも及ばぬ生きた「被服廠の死屍」さながらの、累々たる黒褐の、頭の、図体の、鰭脚の、本能次第の、無智の、性慾そのものの、阿修羅の、また自然法爾の大群集、その大群集を見よ。  ぎゃお、わお、がお、うわアああ、わお、おお、  ぎゃお、うわうう、ぎゃお、わお、おう。  ぎゃお、わお、がお、うわアああ、わお、おお、  ぎゃお、うわうう、ぎゃお、わお、おう、  ぎゃお、わお、がお、うわアああ、わお、おお、  ぎゃお、うわうう、ぎゃお、わおおう。  だが、これらの強大なハーレムも遂には分裂する。何れは三、四ヶ月の間だ。十月十一月、寒風の吹き荒むとともに、懐胎したカウの大群集は成長した幼獣、処女獣と南方に向って去り、半成牡も去り、そうして、かの絶倫なる諸王、ブル中の英雄たちも、不眠と絶食と間断なき性交とに、疲労困憊の極は、へとへとによろよろになってようやくに後から後から蹤いて去るのだ。ああ、だが、今は今は歓楽の酣である。 十二  同じく海豹島は砂浜の南端、群棲場の光景。  哀れなるかな、激烈なる生存競争に敗れて気息奄々たる、一頭の成牝若くは処女獣をさえ収め得ず、小なる小なるハーレム一つ創り得ずに止む永遠の孤独者、または昨の英雄、かつてのハーレム中の獰猛者、しかもまた老大奮わぬ今日の悶々者、かつはまた既に煩悩の兆して、未だ力弱き半成牡。  恥さらしの、孤独地獄の、しかもまた累々たる半死の膃肭獣の群棲場。  北の、砂浜つづきのすぐ近くには盛んな蕃殖場、咆哮、生殖、大歓楽。  眺めては眺めては悲しそうな、悔しそうな、諦められぬ、どうにもなれぬ、死にも死なれぬその眼、眼、眼、眼。  彼らをこそまた、監視所の人間どもは撲殺してまわるのだ。暁天に、月夜に。  しかもまた、彼らの群棲場には一羽のロッペン鳥すら、ああ、頬の白く嘴の黄色い華魁鴨の姿すら、小さな海鴫さえ、飛んでも来なければ、羽ばたいても遊ばないのだ。  今さら蕃殖の能力なき彼ら、彼等は早晩撲殺されるのだ。撲殺されて毛皮は売られ、肉は塩漬けにされ、また野師の手に買われてしまう。 「ええと、皆さん、ここもと御覧に入れまするは、樺太海豹島は膃肭獣の塩漬け肉でござい。何々ピン以上の滋養強壮剤、陰萎、腎虚の大妙薬、物はためし、効能霊験、万病の持薬、このごろ流行の若返り法などとは論外、ええ、膃肭獣の腎蔵──。」  波も嘲る。波も嘲る。  沖には処女獣、  ひらひらとロッペン鳥。  雲は白い白い。 十三  群棲場の前の波、波、黒い波、  小さな岩、  岩の上には小さな黒い頭の膃肭獣の幼獣がいる。  一頭、  また匍いあがる一頭、  二、三頭、  波が来る。つるりと滑り落つる幼獣、あっはっはっは、これはおもしろい。  三方四方からまた匍いあがる。  また波が揺り越す。  また滑り落つる。  なんと可憐な小供であろう。彼らは嬉々として遊ぶ、遊びを遊ぶ、日光と風と波とに。  何たる無邪、何たる永遠相。  ああ、また飛沫をあげ、飛沫をあげて、溌剌と泳ぎ、潜り、また跳りはぬる三、四歳の小供ども。  海は彼らに笑っている、永遠にもの愛しく。  説明者、 『童謡「北の海」を御紹介いたします。』 黒くて光らぬ オホーツク海の波は ざんざんざぶりこと 岩うつばかり。 岩へとあがるは おつとせいのこども、 ざんざんざぶりこと 波が来ておとす。 またまた、顔出す おつとせいのこども、 ざんざんざぶりこと 波が来ておとす。 いつまで遊ぶぞ おつとせいよ、波よ、 ざんざんざぶりこと お月さまあがつた。  幕面の光景、次第に月明になる。  蒼茫とした岩のうえの幼獣の群れ、  霧が幽かに飛ぶ。 十四  第「一」の一頭の巨大獣再写。  天にうそぶけ、  ハーレムの王中の王、その最勝最大の王たる英雄第一のブル。 十五  波濤、波濤、波濤、  渺たる海豹島の遠景、  暁天、  たちまち、  幕面を斜めに切って映ったロップ、  大汽船の鉄欄、  半側だけ見える巨大な通風筒、  と、ゆらりと、葉巻を啣えて出て来た支那服の北原白秋、  その顔が大きく微笑すると、微笑しつつ、いよいよ大きく、更にいよいよ大きく幕面いっぱいになる。 「ハーレムの王」 畢。 巻末に  大正十四年八月、私は鉄道省の主催に成る樺太観光団に加わって、二週間に亘る汽船高麗丸の航海を楽しんだ。横浜から小樽、国境安別、真岡、本斗、豊原、大泊、敷香と巡遊して、最後にその旅行の主要目的地であった海豹島の壮観に驚き、更にオホーツク海を南下して北海道の稚内で一同と別れた。そうしてまた旭川でアイヌの熊祭を観、札幌に淹留し、函館より海を越えて当別のトラピスト修道院を訪ねた。ただこのフレップ・トリップは主として樺太における収穫である。観光団解散後の北海所見はいずれ機を得て稿を改めるつもりである。この行は初めより歌友吉植庄亮君と伴であった。  フレップ・トリップ。樺太葡萄の紅い実と黒い実。  八月の日光、南風、波濤、  丈余の蕗と虎杖、  パルプと断截機、  燦爛たる楡の微笑、火焔菜と燕麦、緬羊と白樺、驟雨、驟雨、驟雨、  黒とどの原生林、  露人の家々、  ツンドラ地帯の極楽園。  ああ、海豹島、三万の膃肭獣と三十万のロッペン鳥。  今思うても実に愉快な旅行であった。  若かれと私は叫ぶ。  若かれ、若かれ、若かれと。 底本:「フレップ・トリップ」岩波文庫、岩波書店    2007(平成19)年11月16日初版第1刷発行 底本の親本:「白秋全集 19」岩波書店    1985(昭和60)年6月5日初版発行 初出:「女性」プラトン社    1925(大正14)年12月号~1927(昭和2)年3月号 ※「蹂躙」と「蹂躪」の混在は、底本通りです。 入力:kompass 校正:岡村和彦 2012年10月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。