新頌 北原白秋 Guide 扉 本文 目 次 新頌 海道東征 海道東征 第一章 高千穗 第二章 大和思慕 第三章 御船出 その一 その二 その三 第四章 御船謠 その一 その二 その三 第五章 速吸と菟狹 その一 その二 第六章 海道囘顧 その一 その二 その三 第七章 白肩の津上陸 その一 その二 第八章 天業恢弘 建速須佐之男命 建速須佐之男命 第一段 第二段 第三段 第四段 大陸序曲 路傍にねむる 狙ひ 熟眠 突撃 清明古調 白須賀 神苑 雪朝 白樺 煙霞餘情 丸彫 道の手 こさめひたき 臺南旅情 鴛鴦 白鷺 千鳥 紀元二千六百年頌 交聲曲詩篇 第一章 序曲 第二章 第三章 第四章 聲はあがる彌榮 紀元二千六百年頌 後記 新頌 海道東征 海道東征 第一章 高千穗 男聲(獨唱竝に合唱) 神坐しき、蒼空と共に高く、 み身坐しき、皇祖。   邈かなり我が中空、   窮み無し皇産靈、   いざ仰げ世のことごと、   天なるや崇きみ生を。 國成りき、綿津見の潮と稚く、 凝り成しき、この國土。   邈かなり我が國生、   おぎろなし天の瓊鉾、   いざ聽けよそのこをろに、   大八洲騰るとよみを。 皇統や、天照らす神の御裔、 代々坐しき、日向すでに。   邈かなり我が高千穗、   かぎりなし千重の波折、   いざ祝げよ日の直射す   海山のい照る宮居を。 神坐しき、千五百秋瑞穗の國、 皇國ぞ豐葦原。   邈かなり我が肇國   窮み無し天つみ業、   いざ征たせ早や東へ、   光宅らせ王澤を。 第二章 大和思慕 女聲(獨唱竝に合唱) 大和は國のまほろば、 たたなづく青垣山。 東や國の中央、 とりよろふ青垣山。 美しと誰ぞ隱る、 誰ぞ天降るその磐船。 愛しよ鹽土の老翁、 きこえさせその大和を。 大和はも聽美し、 その雲居思遙けし。 美しの大和や、 美しの大和や。 第三章 御船出 男聲女聲(獨唱竝に合唱) その一 日はのぼる、旗雲の豐の茜に、 いざ御船出でませや、うまし美々津を。 海凪ぎぬ、陽炎の東に立つと、 いざ行かせ、照り美しその海道。 海凪ぎぬ、朝ぼらけ潮もかなひぬ、 艪舳接ぎ、大御船、御船出今ぞ。 その二 あな清明け、神倭磐余彦、その命や、 あな映ゆし、もろもろの皇子たちや、その皇兄や。 行でませや、おほらかに大御軍、 まだ蒙し、遙けきは鴻荒に屬へり。 慶を皇祖かく積みましき、 正しきを年のむた養ひましぬ。 神柄や、幾萬、年經りましき、 暉や、かつ重ね、代々坐しましぬ。 和み靈、また和せ、ただに安らと、 荒み靈、まつろはぬいざことむけむ。 大御稜威い照らすと御船出成りぬ、 日の皇子や、御鉾とり、かく起ちましぬ。 その三 日はのぼる、旗雲の照りの茜を、 いざ御船、出でませや、明き日向を。 海凪ぎぬ、滿潮のゆたのたゆたに、 いざ行かせ、照り美しその海道。 海凪ぎぬ、朝ぼらけ潮もかなひぬ、 艫舳接ぎ、大御船、御船出今ぞ。 第四章 御船謠 男聲(獨唱竝に合唱) その一 御船出ぞ、大御船出、 御伴船擧りさもらへ、 御伴びと擧り仰げや。 搖りとよめ科戸の風と 聲放て、東に向きて。 大御船眞棍繁ぬき、 照りわたる御弓の弭、 あな清明け、神にします、 あな眩ゆ、皇子にします。 はろばろや大海原、 涯なしや青水沫、 搖りとよめ大き國民、 大君に、 この神に、 讚へ言、 壽詞申せや。 その二 荒海の、 荒海の潮の八百道の、 八潮道の、 潮の八百會に、ハレヤ、 とどろ坐す速開津姫に、 朝開、朝のみ霧の 遠白に、 末鎭み 鎭まらせ、 み眼すがすがと笑ませとぞ、 きこしめせと申さく み船謠。 その三 い ヤァハレ 海原や青海原。 ヤァハレ 青雲やそのそぎ立、 その極み、こをば。 我が海と大君宣らす、 我が空と皇孫領らす。 ろ ヤァハレ 潮漚のとどまるかぎり、 舟の舳の行き行くきはみ。 ヤァハレ 島かけて、八十嶋かけて、 大海に舟滿ちつづけて。 見はるかし大君宣らす、 四方つ海皇孫領らす。 は ヤァハレ 國土や、大國土。 ヤァハレ 國の壁そのそぎ立、 その極み、こをば。 我が國と大君宣らす、 我が土と皇孫領らす。 に ヤァハレ 青雲のそぎ立つきはみ、 白雲の向伏すかぎり。 ヤァハレ 谷蟆のさわたるきはみ、 馬の爪とどまるかぎり。 見はるかし、大君宣らす、 四方つ國皇孫領らす。 ほ ヤ 狹の國は廣くと、 ヤ 嶮し國平らけくや。 ヤ 遠き國は綱うち掛け、 もそろよと、 もそろと、 國引くと、引き寄すと。 あなおほら、大君宣らす、 あなをかし目翳しおはす。 善しや、善しや、彌榮。 とどろとどろ、彌榮。 第五章 速吸と菟狹 その一 男聲獨唱 海原や青海原、 海道の導や、早や槁根津日子、 速吸の水門になも、その珍彦。 童聲或は女聲合唱(童ぶり) 龜の甲に搖られて、 潮の瀬に搖られて、 かぶりかうぶり海の子、 棹やらな、附いまゐれ、 波かぶりかぶるに、 み船へと移らせ、 名をのれ早や早や、 み船へまゐ出るは 臣ぞとそれまをす。 國つ神と這ひこごむ。 潮みづく國つ神、 海豚の眼見よな、 遠眼、鋭眼、慧しな、 羽ぶり羽ぶりおもしろ。 その二 男聲女聲(交互に唱和竝に合唱) 菟狹はよ、さす潮の水上、 豐國の行宮。 ああはれ足一騰宮とよ、行宮。 足一騰宮は、行宮と 青の岩根に一柱坐す。 足一騰宮に參出ると、 大わたの龜や、川のぼり來る。 足一騰宮の大御饗、 誰が獻る、はるか雲居に。 足一騰宮は菟狹津彦、 朝さもらふ、夕さもらふ。 足一騰宮は湍の上や、 足一つ騰り、雲の邊に坐す。  ええしや、をしや、  ええしや、をしや。 第六章 海道囘顧 その一 男聲女聲(交互に唱和竝に合唱) かがなべて、日を夜を、海原渡り、 かがなべて、將た歳を、宮遷らしき。   ああはれ、その幾歳、   ああはれ、その行き行き。 年ごとに、御伴船、いや數殖えぬ、 つぎつぎに、御從びと、またいや増しぬ。   ああはれ、また春秋、   ああはれ、そが海山。 その二 月の端や、足一騰宮、 一年や、筑紫の崗田の宮。 多祁理とも、阿岐の埃の宮、 たづたづや、七年や。あはれ。 吉備にして、また八年、高嶋の宮、 大和はも遠しとよ、高千穗よ遙けしと。 その三 かがなべて、日を夜を、海原渡り、 かがなべて、將た歳を、宮遷らしき。   ああはれ、その幾歳、   ああはれ、その行き行き。 滿ち滿つや、み蓄、早やかく成りぬ、 天の下ことむけむ、秋今成りぬ。   ああはれ、えしや、   ああはれ、今ぞ秋や。 第七章 白肩の津上陸 その一 男聲(獨唱竝に合唱) 青雲の白肩の津、その津に、 雄たけびぞ今あがる、御船泊てぬ。   いざのぼれ大御軍、   いざ奮へ丈夫の伴。 浪速の邊に騷ぐ味鳧や、その渚を、 追ひ押しに押しのぼり、み楯竝めぬ。   いざのぼれ大御軍、   いざ奮へ丈夫の伴。 その二 日下江の蓼津、その津に、 雄たけびぞ今あがる、大御軍。   いざのぼれ、大和は近し、   いざ奮へ丈夫の伴。 浪速の潮なし遡ると、 我が行かば何はばむ、長髓彦。   いざのぼれ、大和は近し、   いざ奮へ丈夫の伴。 第八章 天業恢弘 男聲女聲(獨唱齊唱竝に合唱) 神坐しき、蒼雲の上に高く、 高千穗や槵觸峯。   邈かなりその肇國、   窮みなし天つみ業、   いざ仰げ大御言を、   畏きや清の御鏡。 國ありき、綿津見の潮と稚く、 光宅らし、四方の中央。   邈かなりその國生、   かぎりなし天つ日嗣、   いざ繼がせ言依さすもの、   勾玉とにほひ綴らせ。 道ありき、古もかくぞ響きて、 つらぬくや、この天地。   邈かなりその神性、   おぎろなしみ劍よ太刀、   いざ討たせまつろはぬもの、   ひたに討ち、しかも和せや。 雲蒼し、神さぶと彌とこしへ、 照り美し我が山河。   邈かなりその國柄、   動ぎなし底つ磐根、   いざ起たせ天皇、   神倭磐余彦命。 神と坐す大稜威高領らせば、 八紘一つ宇とぞ。   邈かなりその肇國   涯も無し天つみ業、   いざ領らせ大和ここに、   雄たけびぞ、彌榮を我等。 建速須佐之男命 建速須佐之男命 枯山の卷 第一段 をを、をを、 をを。 神ぞ居れ、喚び哭く 冥き神、 神性や、霹靂と 猛猛し、ひと柱、 しや、須佐之男命、 建須佐之男、 速須佐之男、 ひたぶるや、益良神と 暴ぶる荒御魂の大童 雄叫び、 泣きいさち、 鞴踏み、 蹴ゑはららかすや、 纒き、放つ湯津爪櫛、 美豆良振り亂り、 拳たたき、 掻い垂らす、胸前や 振り分つ八握髭、 鳴りとよむ御統の御珠、頸珠、 手纒、釧や、 ゆらかす足玉の緒もゆらに 搖り立て、 搖り荒べば、 凄まじ、この生み終の神、 さながらや、海阪の昂騰 押し移る 神立雲、 早手風、飛ぶ電光、 とどろ立つ蒼の虬、 閃めく掻爪の焦ちを、卷き崩れて 覆す鱗魚の大降り雨、 かく歎けば、 かく哭き喚べば、 泣き腐し、泣き噪れば、 うち冥む世のことごと、 降り腐すそのことごと、 海河も泣き涸らすと、 しとど垂る長霖雨や、ああ、 光無し、時無し雨、 日も無し、 夜はも無し、 ただ戀し、妣の國、 ただ遠し、根の堅洲國、 鬱にただ、鬱に泣き隱りぬ。 第二段 をを、をを、 をを。 神ぞ居れ、喚び哭く 冥き神、 おどろしき神性の、 ひたぶるの人性の、 しゑや、縱しや、善き惡しき、 ただ歎く暴風雨の神、 霧立つや八雲立つ 出雲の子ら、 大族、國造の祖先神、 しや、建速須佐之男命、 この命ぞ、 秀に見る空のさきざき、 眼に見る國のまほろば、 たたなづく青垣山は 青山の石根、木の立、 神弱り、泣き腐すと、 神さぶと、枯山と泣き枯らすと、 息長の息嘯の風と 雨呼ばひ、哭き喚び、泣き隱れば、 日を竝べて、夜を竝べて、かく歎けば、 鬱にただ鬱に冥む。 かくなれば、世の神神、 をを、神神、 清明けき、ひとしほに和御魂、 顯らけく、美くしき、 常そよぎ、奇ふる神、 山と野の精靈、 大山津見、 鹿屋野比賣二柱の神、 そが持ち分けて生みませる神、 もろもろの生きの産巣、 大地の草分、木の神久久野智神、 末ずゑの岐れの神、 澄みわたる神境や、 齋槻、湯津眞椿、 葉廣熊白樹、 嚴橿や、白檮や、處女檀、 ああ、黒檜、雲懸るさるをがせ、 雪の上の白樺や、 水上の石楠の神、 柊や、ひらきそよご、 繁み立つ馬醉木、黒木、 磐村の犬大羊齒、 沼邊には茅萱、葦、髮がやつり。 もろもろの鏡葉や、 霞針、纖き葉の神、 落葉木や、 若萠の光る木の芽、 花隱る杪欏。 そを何ぞ、泣き枯らすもの、 日に奪ひ、夜に奪ひ、雨ふらせば、 ありとある立のことごと、 ありとある色のことごと、 勢無し、臥り撓むと、 すべしなし、立ちも滅ぶと、 水の氣盡き、素力盡き、 ああはや、匂失せぬ。 第三段 をを、をを、 をを。 神ぞ居れ、喚び哭く、 冥き神、 しや、童、速須佐之男、 大天や高天原、 日は治らせ、大日孁貴、 さもこそや夜之食國、 夜は治らせ、月よ月讀、 海原、吾はえ治らさじ、 言依させ、吾は聽かじ、 神柄ぞ、暴ぶる神、 膽太の眦裂くと、 言擧ぐと、泣きいさち、 抗ふと、おぞえ吼え立つ。 かく、吼え立てば、 大海よ、滄海原、 引き引きに歪み退き、 潮干るや、干潟泡立ち、 沸き立つや、蠍なすもの、 菊石なす、鰻なすもの、 鰓の怪や、飛ぶ翼の龍、 八劍の蜥蜴草食み、 始祖鳥荒き齒に咋ふ。 青水泥ひどらが沼、 蟠るぬめり蟒、 憚らず 曠野巨牛、 畏るなし 禍つ狼。 をを、をを、をを、 かく經れば、降りつづく雨をもちて、 蛆沸き、鯘れ、蒼蠅なす神神のおとなひ、 萬づ四方つ神の災、 高津鳥の災、 昆ふ蟲の災、 脂なす、逆吐き、嘔吐り、 生み、殺め、疼き、呻ぶ もろもろの邪、 曲り、朽ち、饐え、死ぬる物の穢、 常無く、火の氣無く、 耀かず、祓ひ了へず、 下心澱み、 清まず、障り、 嚔り、瘧り障り、 蘝しく、焦だたしく、 苦しく、息づかしく、 瘡病、掻き淫ると、 醜つ神、追ひ挑むと、 ことごとや世のことごと、 堰きたぎち、 泣き、言問ひ、 擧り泣き、泣きなづみて、 ああはや事起りぬ。 第四段 をを、をを、 をを。 神ぞ居れ、喚び哭く、 冥き神、 果しなし、泣きいさつと、 海岸や上高岸、 巖窟なす岩戸、沙面、 腹這ふ大海膽の 紅殼や、生死殼、 錆釘のここだくの釘 その根、幹疎にうち埋めて、 開き葉の高張りや、 大葉蘇鐵、 をを、をを、 をを、 滴るや長雨しづき、 水松布なす美豆良雫き、 苔むすや、股、臂、 細螺と珠い這ひ、 疊菰褌破れ裂け、 小鈴落ち、脚結紐解け、 はららぐと、その短裳、 空見ず、ただ歎けば、 海見ず、ただ歎けば、 しや、伊邪那岐大神、 埓も無し、建須佐之男、 汝、 言依さす國は治らさず、 何もかも泣きいさちる。 父の御神詔りたまへば、 伊邪那美よ、僕が母、 妣坐せば、 根の堅洲國、 僕は戀し、罷りゆかずば、 ただ哭くと泣く。 ゑや、愚かや、 な住みそ、さば、此の國原、 行け、罷れ、 神柄ぞ、もとな流浪へ、 神やらひやらひたまふと、 ああはれ、建須佐之男、 眼も白み、追ひやらはれ、 泣き涸らし、はた、嗤ひぬ。 大陸序曲 路傍にねむる 戰爭畫報を見て ひた疲れ、ああ、このごと 路の端にねむる人、 命なり、赤き陽に、 こんこんとうち伏しぬ。 正しきはまじろがず 天地に面ふらず、 戰士、守護神、 身をさらし、髭も凍る。 なべて見よ、この姿、 晝も夜もここに無し、 祖國のみ、民族の 血と肉と、一つのみ。 まつろはず、信なき 滿蒙のかの匪賊。 憤る、憤るもの、 力なり、ためらはず。 戰へば勝つ人も 眠る間無し、小床無し、 せめて今、銃叉むと ひきかぶるものも無し。 涙せよ、この姿、 晝も夜もここに無し。 ここにあり、土のうへ、 ひたぶるにねむる人。 狙ひ しづかなり夏空、 軍の眞上、 畏ろしく形無きもの 風をはらむつかのま。 敵なりや、稚き 將た生物、 現れ、また現れ、 視野は透る。 響無し、聲も無し、 氣息のみ 輝やかし時秒のみ 滿ち、いきるる ひたおもて、黄の土。 軍はあり、草をかつぎ 山のごとしづもる戰車、 睛眼にひたと向ひ、 未だ放たず。 そのはじめ、天地 創られて新に、 俟つありき、何ごとかの 一の動き。 どとと射つ我か、彼か、 このたまゆら、 勝つ者の正しき狙ひ 神のみぞ知ろしめすらむ。 熟眠 陰はあり巨き戰車、 据われり休らひのあひだ、 道のべ、 響なす蒼蠅のみ 集り集る。 ねぶたし、ただ 疲れはてて、 空も無し、仇も無し、 戰、小止み。 命なり、張り滿つる 五日、六日、 夜も無し、朝も無し、 飮まず、食はず。 我射ちぬ、彼射ちぬ、 しかも大暑、 何ごとのしらすぞとも 知らず、射ちぬ。 強しとも弱しとも 誰か分かむ。 ねぶたし、ただに瞼の 重く垂り來。 もぐりて、深くもぐりて、 兵なり、我ら、ねむる。 戰車よ、鐵の戰車、 しばしを、 ああ、しばしを光蔽へ。 ねぶたし、 ただに眠ると、 何も無し、我も無し、 ひた土に額押しあて。 眞晝ぞ、ただ虚しき。 饑ゑたりや、饑うるともいざ、 生きむとも死なむとも 將た思はず。 ねぶたし、ただねぶくて 早や識らず戰も、彈丸も ねぶたし、眠らしめて つかのま母の聲聽かしめ。 突撃 突撃、 突撃するもの、 突くなり、突きまくり、 ひた刺し、刺しつらぬき、 銃床逆手もろに 飛び入り、はたきのめし、 はたくや、たたき斃す、 これのみ、ただこれのみ。 突撃、 突撃するもの、 ひたぶる、ひたぶるなり、 生死無し、邪無し、 戰ひ、戰ひ恍れ、 突き刺し、たたき斃し、 聲のみ、息あるのみ、 我あり、跳ぶあるのみ。 突撃、 突撃する時、 ただ見る、命ある、醜き、 顏ゆがめ、眼ひらき、 恐れに、膽へし消え、 わななき、わななくもの。 敵なりや、彼なりや、 將た知らず、 斃れに、ただ斃れぬ。 響きて、ひと斃れぬ。 清明古調 白須賀 遠州濱名郡白須賀 白須賀は昔の宿、 ただ白し、ものさびて、 その蔀、はひり戸、 なべてみな同じ障子。 ただわびし、軒竝の 同じ型、 出で、はひる人すらや、 同じ影。 音も無し、なにひとつ、 埃づくものも無し。 草屋のみ、 弱き日あたりたる。 いづこぞ遠江灘、 潮見坂ほどちかくて、 薄ら曇る低き空を 風も來ず。 冬ながら、その屯。 ほのなごむ家がまへ、 ここ過ぎて、きびしとも、 おもほえず、寒しとも。 白須賀は舊街道、 朱の鷄冠ふりたてて 軍鷄の居れども。 そは暮のひとあかりのみ。 神苑 明治神宮西參道 幽けさや、この日なかの 邃き木の木しづく。 開けよ、聲を雉子、 外の霞に。 たふとさや、神苑の 光る陽の橿若葉、 閑けさや、黝み闌くる こもごもの青と緑。 とどめじ、塵ひとつ、 玉の砂敷きならして、 清々し、參道の うねる徑、こを行かばや。 芝生や、緩るきなだり、 寶物殿、 白きは隱る夏の 花のえご、香の一本。 よく觀よ、和み靈に 吾が幼子、 龜の子の搖る影を、 鰭、さざなみ。 しづもれよ、晝間嵐、 現ながら、 ほのぼのと雲は立ち、 神と人息吹きかよふ。 雪朝 清明けさや、この雪、 ふりおける雪につみ、 木々につみ、 燈籠にしろくつみぬ。 神垣や、このあした、 石走る水の音の うちひびき、 氷柱みな新なり、日の光に。 この雪に跡つくる、 兎なり、跳び跳びて。 すがしきは笹の芽食む 毛の柔もの、幼し。 滿ち滿つ忝さ、 何事も畏くて、 息づきぬ、 國の秀の山高きに。 神ながら、この道に ああ我や言ふすべなし、 大皇子の生れまして 春まさに雲ぞ騰る。 拍手、 拍手ぞ、ただ。 白樺 清しきは雪に立つもの、 白樺の林よ、げに しろき木肌、 そは眞處女。 幽けさよ、雪の溪に 直立ち、ほそき幹の 雪よりも光帶びて。 日は曇り、しろき眞晝、 聲も無し、このかがやき、 風も無し、色ひといろ。 閑けさよ、興安嶺、 ひえびえとけむる梢、 鷹すらも一羽飛ばす。 何すとか、ここに住む 白系露西亞、 貧しきは淨らかに窻ひらきて。 白夜ともほのあかる 空ひととき、 白樺の林よ、げに 光る神々。 煙霞餘情 丸彫 丸彫に我を彫る。 この眼の刄。 丸彫のこの木彫 細かくも、素に荒くも。 丸彫のこのもしさ 我彫らむ、みづからを皆。 丸彫のてづつなさ、 觸れつつも、この己れ。 丸彫よ、息つめて、 息かけて、いとほしと。 丸彫のうるはしさ、 こを見よと我思ふ。 丸彫に刻むもの、 我ならず、何かある。 丸彫に彫りあげて、 その白き手に獻げまし。 道の手 ふるさとや、わが母の この山の手、 昔見しさながらを ただしづかに。 闌けたり櫨若葉、 池も見えて、 壁赤き山の家の ひとつふたつ。 築石や、棚畑や、 ふかき晝を 日の照り、 時うつる、この片岨。 影はあり、獨佇つ よき童、 おもざし、我かとも、 いま見上げつ。 鷽鳥よいづくにか 鳴き、くくみて、 色、匂、さまわかず、 風なるか、空なるかも。 北の關、南の關、 この道の手、 我は見る、我が昨日の をさなごころ。 こさめひたき 色はあり、聲にのみ、 こさめひたき、 雫のみこまかなる この朝あけ。 花はあり、影にのみ、 ひとりしづか、 香ひのみ寂びたもつ 杉よ檜。 巣は懸る、高くのみ、 ウメノキゴケ、 氣色のみ、母鳥や 姿、羽ぶり。 現あり、しろくのみ 濡るる光、 卵のみ、おそらくは 四つか五つ。 色はあり、聲にのみ、 こさめひたき、 雫よ雫よと、 ただ幽かに。 臺南旅情 もの憂さや、老酒や、 瓜子はとり食めども、 にほひなし、晝はまだ 彩燈の切子硝子。 空なりや、 雲に行く日のまぼろし、 ゆゑわかず、うつつなし、 女童は言問へども。 梅雨ぐもり 影にのみ、﨟たけて、 低くのみ 烏秋の飛びたわむと。 濡れがちや、 朱の寂びや、 反り棟の碾瓦、 赤嵌樓。 瓜子、瓜子は眼の下の小さ黒子 齒にあてつつ、 齒にあてつつ、 愚しく美しく時は過ぎぬ。 註。瓜子(西瓜のたね)烏秋(臺灣烏) 赤嵌樓(蘭人の所謂プロヒレンチヤ城なり) 鴛鴦 飛ぶ禽としも、幽かだに 思ひかけずておろかさよ、 こずゑの雪に鴛鴦の たつる羽音を觀しや君。 白鷺 雪のおもてに白鷺の 影ほの青き春の晝、 現はそよぐ風さきに 彳むもののせつなさよ。 千鳥 月に觀し夜の色ならで 氷は薄し水のうへ、 つかれば泛ぶ羽ながら あまりにしろし我が千鳥。 紀元二千六百年頌 交聲曲詩篇 大陸の黎明 第一章 序曲 天地の闢けしはじめ、成りませる神々 神々を、  (讚へまつれ、いざや。) 天照らす大御神、皇祖、 皇祖かくぞ、  (讚へまつれ、いざや。) 言依さす中つ國、大八洲この國土、  (讚へまつれ、いざや。) 天壤と窮みなき、天津日嗣、ここに  (讚へまつれ、いざや。) げに宇とおほひます八紘、陸を海を。  (讚へまつれ、いざや。) 大きなり、彌榮や、天つ御業、 げに崇し、はや和す大御軍。  (讚へまつれ、いざや。) おお、今ぞ、大やまと、雲居騰り、 おお、今ぞ、大き御代、照りわたらせ。  (讚へまつれ、いざや。)  (讚へまつれ、いざや。) 第二章 種子ありき、神産び玉と凝るもの、 かく在りき、在りて生き、香は蘊みぬ。 土なるや、大き陸蒙古の底ひふかく、 隱らひぬ、鑛と巖との隙埋もれ。 時ありき、日も知らず、星も別かず、 ただ在りき、かく在りて千五百萬の歳。 驚けよ、この命、靈びに若し、 讚めあげよ、かく古りてかく全けし。 世々ありき、人は興り、地に滿ち滿ちき。 國興り、將た滅び、また代々ありき。 霾るや、黄なる沙、嵐と哮び、 漲るや、洪き水、天傾ぶけぬ。 なほ在りき、生きの芽の命薫すと、 俟つありき、つひに來むそが黎明。 海を越え、空を蔽ひ、とどろ來るもの、 地響や、音爆ぜて翼搏つもの。 誰ならず、日の御裔、久米大伴が後、 神々の我が跫音、大御軍。 俟つありき、大き陸、今かがやけり、 さ緑や、はてしなくよみがへるもの。 種子ありき、神産び玉と照るもの、 命なり、息づくと芽ぶきそめぬ。 第三章 聞け大陸の黎明に響くは何ぞ嚠喨と、 とどろと進む地響の敢て押し行く勢を。 海を越えたる百萬の大御軍の雄叫びは 旗雲高くさしのぼる日にこそ勇めまのあたり。 沙漠の嵐吹き荒ぶ北は蒙古、滿洲里亞、 見よ、長城の嶮にして八達嶺は雲鎭む。 天より來る大黄河、長江の水さかしまに、 ひた攻めのぼる兵の勝鬨すでに年經りぬ。 神助の凪に艦泊てて月落ちかかるバイヤス灣、 椰子の葉蔭に枕ぎて夢むは誰ぞ海南島。 ああ南の潮黒く、呼べば應へむ波の涯、 俟つある民の歡びに結びて誓ふ共榮圈。 思へ、とどろく跫音に大御軍の征くところ、 物ことごとくよみがへり、茜さす日ぞ照り滿たむ。 第四章 大いなり、今にして現人神、かく坐せば、 かぎりなき大御稜威かくあらせば。  (彌榮や、八紘一つ宇と   彌榮や、大き亞細亞、南の海。) 新なり、早や目覺め、湧きあがるもの、 どよめきは天に滿ち地に滿ちぬ。  (彌榮や、この大き朝とどろき。   彌榮や、この大き朝とどろき。) 天雲のあをくたなびく大き陸 かく古も和したまひき。 聲はあがる彌榮 紀元二千六百年壽詞 聲はあがる、彌榮、 とどろきはいやあがる、彌榮とぞ。 大君は神にし坐す、 大御稜威神とし坐す。 畏きや天つ日嗣、 幾足日、幾千歳しろしめす。 青雲や、肇國や、大やまと、 神倭磐余彦天皇。 かく宣らし、かく坐しき天皇、 八紘宇よげに、一つ宇と。 聲はあがる、彌榮、 とどろきはいやあがる、彌榮とぞ。  現神今にし坐す、  大御稜威日のごと坐す。  ただ明し天つみ業、  押し照るや大き陸、南の海。  おほらかや、大み言かのごと坐す、  八紘げに宇と、一つ宇と。  祝ぎまつれ、大やまと。皇國、  仰げいざ、けふこの日、大み軍。 聲はあがる、彌榮、 とどろきはいやあがる、彌榮とぞ。 紀元二千六百年頌 朗誦詩  盛りあがる盛りあがる國民の意志と感動とを以て、盛りあがる盛りあがる民族の血と肉とを以て、個の十の百の千の萬の億の底力を以て、今だ今だ今こそは祝はう。紀元二千六百年、ああ遂にこの日が來たのだ。  蕩々たる空、藹々たる土、洋々たる海。和風おのづからにして、麗光十方に布く。日の天にあるかくのごとく、民の仰いで霑ふかくのごとく、悠久二千六百年、祝典の今日が來たのだ。  ラヂオは傳へる式殿の森嚴を、目もあやなる幢幡、銀の鉾射光の珠を。嚠喨と鳴りわたる君が代の喇叭。金屏の前に立たします。  聖天子、澄みに澄みとほる靈氣、聲ひとつせぬ五萬の呼吸、崇高なるこのひと時。靴音である。畏みに畏む總理大臣の靴音がする。奉る朗々たる壽詞。湧きあがる湧きあがる 天皇陛下萬歳。  皇禮砲はとゞろきわたつた。帝都は彩光に輝き、港灣は滿艦飾した。宮をあげての簫篳篥、浦安の舞。國をあげての日章旗、神輿、群衆。祝祭は氾濫し、ああ熱情は爆發した。轟けと、轟けとばかりに叫ぶ大日本帝國萬歳。  光あれ、輝きあれ、大日本。神國日本の姿はここにある。仰げよ萬世一系の皇統、巍々たる皇謨は無限に坐す。ああ、八紘一宇、肇國の青雲は頭上にある。  かの正しきを養ひ、暉を重ね、慶を積む。皇祖皇宗はこの徳に坐し、神ながら道に蒼古に、あやに畏き高千穗の聖火は今に燃え繼いで盡くるを知らぬ。(火だ、まさしく民族の祭典の火だ。)思へ、天業恢弘の黎明、鎭みに鎭む底つ岩根の上に宮柱太しき立てた橿原の高御座を、人皇第一代神倭磐余彦の天皇を、ああ、大和は國のまほろば、とりよろふ青垣、鵄は舞ひ、朗かにおほらかに草も木も言祝ぎ謳つた。  ああ、我が民族の清明心、正大、忠烈、武勇、風雅、廉潔の諸徳。精神は一貫する。傳統は山河と交響し、臣節は國土に根生ふ。大義の國日本、日本に光榮あれ。  展け。世紀は轉換する。躍進更に躍進する。興隆日本の正しい相、この體制に信念あれ。  いにしへ、仇なすは討ちてしやみ、まつろはぬことむけ和した。砲煙のとどろき、爆彈の炸烈する、もとより聖業の完遂にある。大皇軍の征くところ必ず宣撫の恩澤がある。げにや隈なく御稜威は光被する。鵬翼萬里、北を被ひ、大陸を裏み、南へ更に南へ伸びる。曠古未曾有の東亞共榮圈、ああ、盟主日本。  盛りあがる盛りあがる國民の意志と感動とを以て、盛りあがる盛りあがる民族の血と肉とを以て、今だ今だ今こそは三唱しよう。聖壽の萬歳を、皇國の萬歳を。紀元二千六百年の今日、祝典は氾濫する。熱閙は光と騰る。進め一億、とどろく皇禮砲の下より進め。大政翼贊の大行進を始め。行けよ皇國の盛大へ向つて、世界の新秩序へ向つて、人類の福祉に萬邦の融和に向つて。一齊にとどろかす跫音を以て、個の十の百の千の萬の億の、靜かな底力を以て。 後記 新頌 『新頌』は紀元二千六百年記念として最近に刊行された。創作年月は『海豹と雲』以後、今日に及んでゐる。  詩風は『海豹と雲』の延長であり、概ね蒼古調である。私は曾てかう思惟した。 「古代の膽を捉へることは、あながち古語死語を漁ることではない。生々躍動した古代感情のリズムをこそ素手に捉へることである」と。  この所念よりして、この神ながらの道に立ち、かの蒼古に溯つて之を求めようとしたのである。而も現代の感覺を以て。  私はここに於て、これまでの全詩集を、この中の交聲曲詩篇「海道東征」に總括し、我が大成を所期した。この「海道東征」こそは、紀元二千六百年頌として日本文化中央聯盟の囑に應じて成した記念作であり、日本民族の物せる國民詩曲として、また信時潔氏の作曲と相俟つて、革正の先聲を掲げたものと信じ得る。この交聲曲は東京音樂學校の演奏により五百人の合唱を以て公開せられ、ビクターに於てまた十二吋盤八枚にわたり吹き込まれた。さうして英獨の譯詩と共に、世界の樂匠たちにその寄するところになる祝典樂曲の返禮として海外へ贈られ、また放送せらるることになつた。望外の幸である。因みにこの詩篇は神武天皇讚歌三部作の中の一つである。 「建速須佐之男命」の自由體長篇は、古事記を現代の感覺と角度とを以て新に解釋しようとした計畫の中の一試作であり、その一部である。私は同じくこの道を溯り、かの蒼雲を我が蒼雲と戴くであらう。 海豹と雲    初版  昭和四年八月  アルス版(絶版) 白秋全集第四卷 詩集Ⅳ 昭和六年一月  アルス阪(絶版) 底本:「白秋詩歌集 第二卷」河出書房    1941(昭和16)年2月19日発行 ※「後記」は「白秋詩歌集 第二卷」に対するものであるが「新頌」の見出しのつく部分のみを本文末に付記しました。 ※「艪」と「艫」の混在は底本通りにしました。 入力:岡村和彦 校正:川山隆 2011年2月10日作成 2011年3月6日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。