仏教人生読本 岡本かの子 Guide 扉 本文 目 次 仏教人生読本 この書を世に贈るについての言葉 第一課 悲観と楽観 第二課 誰でも持つたから 第三課 飽くまで生き抜く力 第四課 苦労について 第五課 たしなみ 第六課 人情に殉じ、人情を完うす 第七課 性質を矯め過ぎるな 第八課 あまり放縦でも困る 第九課 人生の広い道 第一〇課 人格完成 第一一課 世の中 第一二課 衣食住 第一三課 憂鬱と笑い 第一四課 涙の価値 第一五課 無駄 第一六課 誤解された時 第一七課 誘惑 第一八課 勇気 第一九課 好き嫌い 第二〇課 試合の練習 第二一課 橋は流れて水は流れず 第二二課 敵、味方 一 二 第二三課 不平の征服 第二四課 軽い考え方・重い考え方 第二五課 母性愛 第二六課 父性愛 第二七課 兄弟愛 第二八課 自分と他人 一 二 第二九課 慈悲 第三〇課 愛・憎 第三一課 性欲 第三二課 恋愛 第三三課 婚約の前に八方手を尽せ 第三四課 結婚と夫婦愛 第三五課 家庭 第三六課 ハムレット 第三七課 お茶時 第三八課 懺悔 第三九課 入学試験に臨んで 第四〇課 僻み 第四一課 体育 第四二課 虚栄 第四三課 時計と椅子と袴 第四四課 人間の味 第四五課 賞める・叱る 第四六課 他愛 第四七課 利己主義 第四八課 女のヒステリー 第四九課 仕事 第五〇課 塹壕戦 第五一課 人間万歳 第五二課 成功 第五三課 失敗 第五四課 金 第五五課 運命 第五六課 達人の病苦観 第五七課 死 第五八課 信仰に入る前の準備 第五九課 迷信の話 第六〇課 信仰 一 二 第六一課 信仰生活のあらまし 第六二課 仏、菩薩は染物屋にあらず 第六三課 智慧の説明 第六四課 因果ということの説明 第六五課 唯物と唯心 第六六課 現実と理想 第六七課 光明中のハイキング 第六八課 差別と平等 第六九課 都会と田舎 第七〇課 知られざる傑作 第七一課 モダン極楽・モダン地獄 第七二課 さとり 第七三課 仏陀 第七四課 聖徳太子仰讃 第七五課 日本の仏教 跋 この書を世に贈るについての言葉  二十年近くも、私が心に感じ身に行って来た経験をふりかえり、また、批判してみたことを偽りなく書き集めたのが、この書物となりました。私という一人の人間が、真に感じたり想ったりしたことは、同じ人間である世のみな様に語って真実同感して頂けることと信じます。また私の信仰する仏教は、飽くまでも人間に対して親切で怜悧でありますから、仏教の信仰を通して語る私の言葉は、殆んど絶対な理解や同情をみな様にお贈りすることが出来、みな様の「人生解決」のお役に立つことをかたく信じて疑いません。   昭和九年十一月 岡本かの子 第一課 悲観と楽観  悲観も突き詰めて行って、この上悲観のしようもなくなると楽観に代ります。今まで泣き沈んでいた女が気が狂ったのでなく静かに笑い出すときがそれであります。さればとて捨鉢の笑いでもありません。訊いてみると、「ただ何となく」といいます。私はその心境をしみじみ尊いものに思います。  心の底は弾機仕掛けになっているのでありましょうか。どの感情の道を辿って行っても真面目に突き詰めて行けばきっとその弾機に行き当るのでしょうか、必ず楽観に弾ね上って来ます。 「おあん物語」という古書があります。家康の軍勢に大垣城が取囲まれ、落城する砌の実状を、そのとき城中にあった、おあんという女の想い出話の記録であります。  落城も程近い城中にあって当時若い腰元のおあんはその朋輩とともに、将卒が取って来たたくさんの敵の首の歯におはぐろを塗っているのであります。  将卒たちは自分が取って来た敵の首が白歯のままであるとそれは敵軍の士卒の首であることが判るので、おはぐろを塗って貰って将士の首に見せかけ主人達の感賞に与ろうとするのであります。その役を、危険な混雑な落城も程近い城中にあって心弱い若い女のおあんたちは取乱した様子もなく無雑作にやっているのでありました。悲観の極の楽観と同様、せっぱつまった時の落ちつきです。 憂きことのなほこの上に積れかし   限りある身の力試めさん  これは尼子十勇士の一人の山中鹿之助が主家の再興を図りましたけれども、ほとんど絶望であることが発見されてのち詠み出でた歌であります。ちょっと見ると破れかぶれの歌にも見えますけれどもそうではありません。悲観の極は例の弾機仕掛けに弾ね上げられ、人生を見直し出した従容たる態度の歌であります。蕭条たる秋風に鎗を立てて微笑む鹿之助の顔が眼に泛ぶのであります。 「男が話が判ってくるのは一度首の座に直ってからだ」。私の母は、その父の郷士で儒者であった人が、しじゅうこう口癖に言っていたということを、よく幼時の私に話して聞かせました。その郷士は横浜開港などにも関係し、相当、危険な幕を潜った体験を持った人だそうです。 「首の座に直る」ということは悲観の極を一度味わったことのある人ということでありましょう。それを通り越して来たものは人力の如何ともすべからざること、人力以上のもののあること、それらを体験的に弁えた人であるが故に、我執も除かれ、万事、実相に明らかな眼で誰人とも応酬出来る。そこを「話が判る」と言ったのでしょう。私は当時幼くもあり、また女のことでもあり、何を母がいうかとぐらいにしか思っていませんでしたが、この頃はときどき昔の人はうまい表現をしたものだと思い出すことがあります。  悲観を突き詰めて行かなければならない事件やら境遇やらには誰しも出会いたくありません。けれども、退引ならざるを得ない場合が、絶対に来ないとは誰しも断言出来ません。しかし、その場合にも、誰の心にも弾機仕掛けがあって、どうやら人生を見直さしてくれるということは、たしかに信じ得られる事実です。  それにしても、私たち人間には悲観の際、悲観の原因や感情の由来をたださずに、ただ理由もなく悲観の感慨に耽る傾向のあるのは気を付けねばなりません。  また人生の秘機を探るのは、必ずしもそうした稀な場合のみでなく、日常生活の平凡事中にいくらもそういう機会が待っていることは心得置くべきことだと思います。仏教では、平常の時のこの心構えを「静中の工夫」と言い、非常の場合を「動中の工夫」と言います。平常無事の際も、非常危急の場合も、落付いて物事の筋目を見究め、同時に自分の心の動きを観察して行かなければいけません。これをまず仏教の第一の心得としてあります。そして人間の心には、人世のあらゆることを凌ぎかつ無限に向上せしめて行く力があることを信じます。これが仏教の第一歩で、心を信ずるゆえにこれを信心と言います。 第二課 誰でも持つたから 頭は考えて分別し、 胸は感情を披瀝する。 腹は蔵めて貯え、 手足は動いて実地に当ってみる。 頭でいけなければ胸で、 胸でいけなければ腹で、 腹でいけなければ手足で、 そして全体として、完全な協同作業が取れています。  私たちの唯一の財産、最初にして最後の財産=身体には、これだけの機能が備わっています。およそ世の中に、これだけの機能の備わっている道具は、又とあるでしょうか。これだけの機能を使って出来ないことがあるでしょうか。私たちが今までこれに気が付かなかったのは愚かな至りです。周囲のものばかりに気を奪られ、羨んでいたのは笑止の沙汰です。早速、使い出してみよう。使い出してみるとなるほどこれは調法です。  法華経見宝塔品という経文の中に、多宝塔(この宝塔の中には如来全身有す)という塔が地中より涌き上って空中に止まり、その中に多宝如来と釈迦仏とが並んで座せられる場面が書いてあります。  この場面で、多宝如来は真理を現し、釈迦仏は智慧を現している。そして多宝塔は私たちの身体を象徴ったものです。私たちの精神肉体の一致しているこの身体は、使えばあらゆる真理、あらゆる智慧が取出せる。そこを、多宝塔中、釈迦多宝の二仏の並座で表現したのです。つまり私たちの身体、一名多宝塔です。多宝というくらいだから、私たちの身体には万宝が含み備わっているに違いない。  知らないうちは兎に角、そうと知った以上、塔の中の宝を、身体の価値を、ぽつぽつ取出して行こう。これだけの宝を持っていながら、なにをうかうか他所ばかり見て、無暗に宝を探しあぐねていたろう。五体を丹念に、まめやかに、正直に、使って行くところに、私たちの本当に授かる宝は取出されるのです。 第三課 飽くまで生き抜く力  飽くまで生き抜く力と言っても、朝から晩まで肩肘張って力んでいることではありません。相手や、場合によってそうしなければならないこともあるでしょうが、始終そうやっていては誰だって疲労れてしまいます。  人間は一面、ゴムの紐と同じようなものであって、あまり長く緊張し続けるとのびてしまいます。  若い時、かなり激しい気性の人で、活動し続けて来たのが、老後になってぽかんとしてしまったという老人など、たまにみなさんの周囲にお見受けになりませんか。  そうかと思うと四十過ぎまでは、何の存在も認められなかった人が、中年からそろそろ活動を始め、老境に入るに従っていよいよ冴えて来たという人もあります。  それからまた、若い時から忙しい生活をし続け、一生それを押し通し、老いてますます盛んな人もあります。  以上三つの型に人間の生涯が区別されます。  これはどうしてでしょうか。一つは気魄や、体質により、一概にも言われませんが、概して、人間の内部にある「飽くまで生き抜く力」というものを、信仰とか信念とかで掴んだ人が活動が続くようです。  私はある名医の話を聴いたことがあります。その医師が言うには、「およそ、上手な医者ほど、自分の力では病気を癒さん。自然の力で癒す。人間の身体にはもともと病気を癒す力が備わっている。それを介添えするだけが医者の役である。下手な医者ほど自分の力を信じて無暗に薬を盛り、この恢復力を殺してしまう」と。  なおも、よく聴いてみると、私たち素人にもなるほどと諾かれます。胃腸が悪くなった時、医者から貰って飲む薬は、ただ痛みを止めたり、胃腸の中の残留物を除いたり、あるいはその腐敗を止める防腐剤などであって、特に胃腸そのものを良くするという薬は入っていません。そうやって、胃腸を害する原因を防いでいるうちに、胃腸はその持ち前の恢復力で元の健康状態に盛り返して来ます。これを癒るというのです。風邪を癒すにしても、せいぜい患者に汗を出させて、汗と同時に身体の中の余分な熱を体外へ流し出そうと努める発汗剤や、高熱のため、方々の器官に故障を起させないようにと遠まわしの薬(例えば心臓の薬とか胃腸の薬など)が主なもので、特に風邪そのものを退治する薬ではないということです。そうやって患者の身体に助太刀しているうち患者の身体自身に備わっている体温調節の機能が盛り返して来て、病気を弾ね除けてしまいます。それを風邪が癒ったと言います。「もっとも、人間にはいちいち持ち前の体質の相違があって、それによって同じ病気でも、出かたが違う。そこを見分けて手当も変えて行く。そこに医者の伎倆の優劣があるのだが……」。そういってその名医は多少得意の顔色を見せました。  人間の生きる力というものにも、前の医者の話と同じ道理があるようです。自分で力み出す力には、自ずと限度があります。いくら眠らずに働こうとしても三、四晩以上の徹夜は不可能です。いくら勤倹貯蓄の精神を励ましても、つい何か食べに出かけたくなったり芝居、活動を見に行きたくなるものです。また、その辺に私たち凡人の可愛気もあるところです。故に自分の生きる力ばかりを鞭打って飽くまでやり通そうとするのは、それはゴムの紐を最大限に引伸して、いつまでも使えるものと思うのと同じことです。私たち凡人はいつかのび切ってしまって、反対に締りがなくなることさえ往々あります。自分の力ばかりを最後まで使い切らないで、自分以上の力が、宇宙にも自身の内部にも存在することを信じ、それに対する信念を得て、それを呼び求めて、その力を自分の不断の力と一緒にして自分の仕事任務をさせて貰うとき、私たちはわれ知らず、自分でも驚くほどの事を行って退けます。  よく講談などにある、仏神に祈誓を籠め、自分以上の力を得て仇討を完うしたという話などはそれです。私たちはその話を聴きながら、どこか胸をうたれて涙さえ流すことがあります。これらの話の中には、生きる力の秘密が囁かれているからです。  飽くまで生き抜く力は、人間にひとりでに備わっている力です。それは病気を癒す力が患者にひとりでに備わっていると同様です。しかし、私たちは不断、それに気付きません。患者が自分の身体中にある病気恢復力を知らずにいるようなものです。その恢復力を医者が取出してそれを使って病気を癒してくれます。しかし私たちの不断の生活において誰も、医者も、私たちの飽くまで生き抜く力を取出してはくれません。それは自分で取出さねばなりません。自分自身の信念信仰(そういう力が世の中に、また自分の中にあるということを信じて疑わないのみならず、体験にまで持ち来すこと)によって呼び寄せるのです。  信念とか、信仰とかは井戸掘り機械です。いくら豊富なその力(飽くまで生き抜く力)が私たちの上に備わっていても、ただのままでは、地下何百尺の地下水のようなものです。あることだけは知っていても、それを取出す方法を講じなくては何の役にも立ちません。機械によって井戸を掘り、はじめて地下水は私たちの役に立ちます。すなわち信念とか信仰によって体験に持ち来されるに及んではじめて私たちの飽くまで生き抜く力となるのです。  それでは生き抜く力とはどんな力でしょうか。それが最初から判っているくらいなら、普通の人力とそう違いはない程度のものです。判らないからこそ、信念によってそれを迎えます。  福沢諭吉という方は、維新後の日本に物質文明の必要なることを痛感せられ、極力その智識を輸入し、また国民間にその普及を図られた今日の日本文化の有力なる指導者の一人でありましたが、当時固陋の人々からは、俗学者だとか、拝金宗の親玉だとか言われました。それほど物質的なものに眼を着けられた学者です。ところが、わが国の物質文化もひとまず出来上り、一般が物質文化を謳歌する様子が見えて来ると、諭吉先生は、今度は超人間的な力の存在を、その著書で力説し始められました。「世の中には人間以上の力の存在が必ずある。人々はこれに気付き、高尚敬虔な情操を養わねばならぬ」と。先生は言説ばかりではなく、実際に仏教家の子弟などを自分の塾の学生として教育され、その中には後に明治年間の名僧と呼ばれるような人も出ております。  世の中の変遷を見守って来た人、達識者は、幾多の経験の末、どうしてもこの力に結論せざるを得ないものにぶつかるらしいのです。孔子にしろ、王陽明にしろ、いずれも、この飽くまで生き抜く力、人間以上の力があるのに気付いています。「もしナポレオンが宗教を解していたら、あんな末路にはならなかったろう」と書いている西洋の哲人もあります。なるほどそうかも知れません。  人力以上にして、しかも、私たちにも備わり、天地の間にも瀰漫している力、すなわち、飽くまで生き抜く力であります。信念、信仰によってこれを享くるものは尽きせぬ動力を供給せられ、労せずして根気も敏活も働きの上に上るのであります。 終日語って一語も語らず。 終日行じて一事も行ぜず。  こういう古語があります。一日中空虚な言行をしているという意味ではありません。それと反対で、物事に応じた言説、行為を力いっぱいやっているのです。しかも言説、行為をなした当人は、悪執拗い努力や作為は一つもなく、ただ力が入っている。力が入っていながら行雲流水のような自由で自然の態度を備えている。これは、まあ私たち凡人にとっては理想の話ですが、一片の信念、信仰を懐くものは、いつとはなしに本然の(宇宙および自分にもとから備わっているところの)生き抜く力が体験中に拡大強化されて行って、昔の自分と比較するとき、思わず驚くほどになるものです。それはちょうど、坂の上から小さい雪の手玉を転がし落すと、坂の下まで来たときには大塊の雪団になっているようなものです。  いつも青年の気を帯び、老いてますます盛んな人をよく観察して御覧なさい。必ず何らかの一貫した信念を持っている人であります。たとえそれは俗情のものであっても。それから中年後になって活動を開始したという人は、そのときはじめて何らかの信念を握った人で、それまでは自分の力だけで、自分の工夫だけで齷齪していたのであります。まして正道の信念を得た人の活動力は素晴しいものであります。それでは、自分だけの普通の力とか、自分の工夫努力は全然不必要かというと、これはまた、本当の飽くまで生き抜く力を知らない人の言うことであります。飽くまで生き抜く力を仰ぎ得た人は、その大きな力の中へ、自分の力も、工夫努力もみんな籠めてしまうのであります。自分の普通の力、工夫努力が多ければ多いほど、飽くまで生き抜く力を引っ張り出すのに、それだけ余計に沢山の力を利用することが出来るのです。  かくて、ひとたび信念によって生き出したものは、実はどこまでが仰いだ力でどこまでが自分の普通の力なのか、区別がつかなくなるのであります。仰ぐ力と、信念と、自分の力と、この三者は、時に円融し、時に鼎分(三つに分れること)し、そこに反省あり、三昧境あり、以て一歩一歩、生きる力の増進の道を踏み拓いて行くのであります。そこに信念生活の妙味があるのであります。 第四課 苦労について  料理通の話を聴きますと、「魚肉などで味の深い個所は、魚が生存中、よく使った体の部分にある。例えば鰭の附根の肉だとか、尾の附根の部分とかである。素人は知らないから、そういうところを残しがちだが、実は勿体ないことである」と言いました。  なるほど、この事は人間についても言われます。苦労をしない人よりは、苦労をした人の方が人間味が深いのであります。いわゆる、お坊っちゃん、お嬢ちゃんは、魚にすればどこかの辺の遊び肉でありましょう。  しかし苦労をするにしても、苦労のしくずれということがあります。すっかり苦労に負けてしまって、味も素っ気もなくなってしまい、狡くなり、卑屈になってしまうのがあります。これはどうしたことでありましょう。  人世に苦労があるよりはない方がよろしいのであります。さればといって現に苦労がある世の中から逃れるには死より外に道がありません。ですから、苦労に立ち向って、これを凌ぐ力を養わねばなりません。凌ぐ力が養えたら、苦労があってもないのと同様であります。すなわち、苦労をするのは、苦労が目的でなく、人世から苦労を、ないも同様にしようとする方法手段であることが判ります。方法手段に捉われて、目的を忘れてしまうのは、人世の道草であります。苦労のしくずれは、この途中の苦労に捉われ、目的地を忘れた道草の人であります。  釈尊が仏教を打ち建てられたとき、仏教の立場から当時印度に行われていた他の多くの思想宗教学派について非難攻撃をされました中に、苦行外道(外道六師の中の一人、その名を阿耆多翅舎欽婆羅という)というのがあります。わざと襤褸を着て、身体を火で炙いたりして、自分に苦痛を加えるのを修業と心得る修道派の一派であります。そうすると来世は幸福ばかりを享けるところの天界に生れると考えているのであります。  釈尊のこれに対する非難は、「仮りにそのようにして、天界へ生れたとしても、すでにそこへ行く原因の修業法が無理な拵えものであるから、やがてその足場が崩れて、また元のこの世へ落ちて来るに違いない」と言うのであります。譬えて言えば、無理算段をして温泉逗留に出たものが、旅先で旅費を使い果せば、やがてほうほうの態でまた元の住みにくい我が家へ戻って来るというのであります。  そして釈尊の教えは、これと違って、正しい考え方であります。この現実の苦労の原因、性質を見究め、正しい生活法によってその苦労の原因性質を除いて行く。そこに壊れも、押し戻されもせぬ永遠の天界が見出されるのだとするのであります。前の譬えに比較してみますと、こちらは、無理なことをして温泉行きなどせずに、只今の住みにくいこの我が住家について、どこが住みにくいのか、襖が破れていたら張り替えもしよう、雨漏りがしていたら、穴も葺き防ごう。このようにいちいち住みにくい個所を調べ除いて、そうして我が家に、温泉宿同様な快適な住み心地を見出そうとするのであります。  この教えによっても判るように、苦労は、これを避けて楽なところへ逃げ出すのもいけないが、さればと言って苦労に噛りつき、これに蝕まれるのも正しい人生の行路者ではありません。  要は、苦労は苦労として冷静にその原因、性質を見究め、勇敢にこれを取除く手段や生活法を取って、さて新しい気持ちで次の経験に向うのであります。苦労に蝕まれず、苦労を一つの研究材料としてそこに人生の一部一部を観て取って行く。かくして人生の姿を、より多く、より広く、知識し経験したものこそ、苦労に捉われず苦労のし甲斐があった人であります。  魚の鰭や尾の附根の美味いのは、そこの筋肉が激しく使われながら、一向浪や潮に蝕まれず、常にこれに応ずる筋肉の組織を増備して行って、いつも生々活溌の気を貯えているので、その質中に自ずと美味になるものが含まれるのでしょう。魚の鰭や尾の附根が、浪や潮に蝕まれたら、腐って落ちるだけです。  この例を聞くにつけ、苦労を上手に摂取して、各人自分達の性質のよき味の分量を増したいものです。 第五課 たしなみ  大雪が降りました。朝、眼を覚ました秀吉は考えました。「いかに名人、利休でも、こんなときは油断していてまごつくだろう。一つメンタルテストに出かけてやろう」と。 「茶というものは贅沢や遊びにやるものではない。人間同志、互いに持ちまえの和親敬愛の情を表すために使う方便だ。そしてその作法というものは、身を慎しみ心を磨く修業である。人生のあらゆる態度を、この作法の中に切り縮めて研究工夫するのである」。これが茶道の元祖といわれる千利休の茶に対する態度でありました。さすがに一芸に達するほどの人の見解であります。そして利休は、これを口に唱えるばかりではなく、職分の上に実行してもいました。それで寸分も隙がありません。隙というものは、物事について張り切った研究工夫の気持ちが抜けたとき出て来るものであります。ふだん随分、千利休の隙のないことを試してみて、感心もし、すっかり兜を脱いでいる保護者の秀吉ではありましたが、折しも、この大雪を見ると、もう一度試してみようという考えが起りました。  その朝は、まだかなり早かった。野も人里も深い雪をかむって、息さえ詰まるようでありました。東の空から明け初めて、寝呆けたような鴉の声と五位鷺の声とが宮の森のあたりからかすかに聞えて来ましたが、静寂な天地はたちまちそれを吸い取って、まだ闇の気配の残る、燻しをかけた銀世界にはなおも霏々として雪は降り続くのでした。小径へ入ると、折れた竹や倒れた柴垣で秀吉はしばしば行手を阻まれました。しかし、この腕白な英雄は結局それを面白いことにして、二、三連れて出た近侍の小姓と障害物の跳び競べなぞするのでした。そして、その度に今日こそあの隙のない名人に不意討ちをかけ、一泡吹かしてやるのだと思うと勇気が凜々と五体に漲り弾ける思いがするのでした。  木下藤吉郎の昔から秀吉は、数知れぬ難攻不落の城々を攻めた経験の持主であります。しかし、どんな城砦でも秀吉が一目見るときには、どこかに隙がありました。何となく運命に恵まれない暗い陰があるとか、地理や設備の上に欠陥があるとか、あるいは城内の人々が協力心を失っているとか、いわゆる天地人三才の徳に欠けたところがありました。秀吉は天才の直覚力をもって、この欠点を感じ取り、そこへ手を入れるので、嘗て攻め落されないあるいは和睦を申込まない城とてはありませんでした。天下の優者も、自分の眼にかかってはみな疵物だという自信が強く平常の秀吉の胸にありました。ところがたった一人の茶人、利休にはその欠点を見付けることが出来ません。天衣無縫と言おうか、鳥道蹤なしと言おうか、まるで引っかかりがありません。ただすべすべした珠玉でありました。そして当人はそれを無理に努めているようにも見えません。どこか余裕を持ちながら、天地人三才の徳を芸道上に湛えているのです。これが秀吉にとっては驚異であるばかりでなく、日頃他人の虚を衝くのを得意としている秀吉の自信を裏切らせるものであります。秀吉にはもう一人、天下に自信を裏切らせるものがありました。それは家康でした。しかし、家康は営々として隙を作らないよう努めている形跡があります。利休に較べると、まだそこに隙が見えます。その隙がまだ秀吉の得意さを失わせませんでした。しかし利休に至っては、時にまるで赤児のよう、時にはまるで賢者のよう自由自在に振舞って、しかも一向そつがないのであります。時には富豪のように散じ、時には貧者のように貯えて、愛惜と濫費の別が見えないのであります。その自然さ、そして才気の底の知れなさ、秀吉は、天下に嘗て代って見たいほどの羨ましい人間には出会ったことがありませんでしたが、この利休を見てからは、その気持ちが少々あやしくなって来ました。利休とは一体どんな人間なのか。その底も見究めたく、遂にこういう朝駈けを試みるのでした。故に、好奇心半分とは言いながら、人物鑑定癖のある秀吉にとっては、実は相当真剣な襲撃でもありました。  秀吉が利休の茶室の門に辿り着いたときは戦場へ臨んだかのような緊張さえ覚えました。そして一人の小姓を通知に側口へ廻らせたあと、折柄雪も止んで、利休の有名な瀟洒たる庭園も満目白皚々たる下に埋もれて単なる綿の取り散らしにしか過ぎない光景を、門越しに眺めて秀吉はほくそ笑みました。 「これならさすがの名人も風雅な款待が出来ないだろう」  一方利休は、もうちゃんと起きていました。起きているどころか、炉に炭をつぎ入れ、新しい水の釜をかけて、湯の沸く暇を、炉の前に端座して心を練っておりました。  彼は小姓の通知を受けると、普通の答えをして、扇一本取出して、腰に挟んで出迎えに出ました。利休の様子には少しも周章えた様子は見えません。ただ朝明けの雪を楽しみつつ客を迎える温恭な気持ちでありました。その気配が秀吉の心に浸みました。秀吉の方がすこし恥かしくなったのです。 「ようこそ、御入来下さいました。何はなくとも雪中の粗茶一服。さあ、どうぞ、これからおいでなされませ」  利休は、腰から扇子を抜き取り、要の方を先にして右手に持ちかえました。やや屈みながら、歩き幅の間隔ずつに、扇の要口を庭の面の雪中へ突込むのであります。そして一つ一つ何やら円い扁たいものを撥ね上げて進みます。円い扁たいものが撥ね除けられた跡には、見るも潤って美しい踏石の面が現れ出ました。秀吉は呆れて瞠った眼で、撥ね除けられた円い扁たいものを見ますと、それは米俵のさん俵でありました。秀吉の驚きは、これに止まりませんでした。 「雪の早朝、冷えてお饑じくあらせられましょう。まず暖かいものなと召食られて、それから」と言った利休は、どこからか乾米の袋を取出して来て、ちょうど沸き上った釜の湯の中に開けました。それから水屋の窓先に実っている柚子を捥ぎ取り、これを二つに割り、柚子の酢を混ぜた味噌を片方ずつの柚子の殻に盛りました。これを菜にし、そして釜で煮えた乾米の湯漬けを秀吉主従に勧めるのでした。秀吉は、その簡素で優雅な行き届いた利休の作法にむしろ呆れ果て、ただただ感嘆を続けつつ、饗応を受けて帰りました。後で秀吉はつくづく言ったそうです。 「あれほどの器量の人間なら、相当大国の領主も務められよう」  ここで問題になるのは、利休の平常の用意であります。利休はかかることもあろうかと、かねがねさん俵を用意し、乾米を作り、柚子の木を窓近く植えたのであります。正にそれに相違ありません。それですから、万一の時の役に立ったのであります。  しかし、それだけの用意をしながら、秀吉が雪の朝にとうとう来ずにしまっても利休はちっとも落胆はしなかったでしょう。その用意こそ、いわゆる茶道のたしなみであります。  たしなみということは、効果如何を考えず、責任として尽すところに価値があります。誰への責任でしょうか。誰への責任でもありません。自分の職分としての責任であります。維新時分の達識の人が、天を相手にすると言った意味です。人に知られず、効果を考えず、深く自分の職分を考えて、その準備を深めて行く。そのことに楽しみを持って行く。これが本当のたしなみであります。故にたしなみという言葉には奥床しさという感じが伴います。  人に知られず、効果に現れずとも、たしなみの深い人には、奥床しさがほのぼのと立騰るものであります。気配というものは正直なものであります。  利休の場合を考えるのに、彼のたしなみはまだ他に沢山にあったに違いありません。その沢山のたしなみが、単なるたしなみだけに終ったものがどのくらいあったか知れないでしょう。多くの用意のなかから、たしなみの顕現れる場合は、実に百分率に支配されるようです。  ある一事についての深いたしなみは、もうそのことの上のたしなみだけでなく、人間上のものになって来ます。その心得はもう一芸のものでなく、諸道に通じます。そして人を感動させます。利休のたしなみのごときも、私たち処世上の心得としてどのくらい貴重な参考になるか知れません。  利休の茶道の歌に、 寒熱の地獄を潜る茶柄杓も   心なければ苦しくもなし  これ利休が職分の深いたしなみから、人生の悟道(さとり)に入った証拠であります。憂き辛い世の中も、無心で向えば何ともないという妙諦に茶の経験から入ったのであります。ここで無心ということは、ぼんやりとか冷淡になってとかいう意味ではありません。驀直に傍目も振らずという意味であります。無心とは「迷いの心なく、ひたすらに」という意味であります。  柚子味噌というものは、利休のこれが最初だという話ですが、本当かどうか知りません。しかし柚子味噌を喰べるたびに私はこの話を思い出します。 第六課 人情に殉じ、人情を完うす  ある人が、あるところへ後妻を世話しました。ところが、その媒酌人のところへ、後妻に世話した女が泣き込んで来ました。  その媒酌人はなかなか苦労をして、人情にも道理にも通じたところがありました。その場で次のような対話が交わされました。 「まあ、そう泣いてばかりいないで、理由を話しなさい。何かね、やっぱり御主人との仲がしっくり行かないかね」 「いいえ、主人は大層良くしてくれますので有難い幸福なことだと思っております。しかし、前の先妻の遺して行かれた娘さんが一人、どうにも私に懐かないのでございます」 「ふーむ。どういうふうに懐かないんだね」 「わたくしが全く実の母親の気持ちになり切って、世話をしてやりますのに、振り切って、わざとよそよそしくするのでございます。まるで面当てがましいような素振りさえするのでございます」 「どんなふうにだね」 「今日のお昼に、わたくしが、親身のような愛情を示そうと、試しに娘の食べかけの残したお菜に箸をつけようとしますと、娘はその皿を急に引ったくりまして、お母様、これは私の食べかけでございます。汚のうございます。お母様のは、そちらにちゃんとございますと言って、その食べかけのお菜を猫にやってしまいました。これでは、まるでわたくしに恥を掻かせるようなものではございませんか。その前にも、わたくしは、わたくしの少し派手過ぎた着物を娘に仕立て直してやりましょうとしますと、どうしても断って仕立て直させません。これでは全く継母扱いをまざまざ鼻の先に見せつけられるようなものでございます。わたくしはもう堪りません。それで御相談に参ったのでございます」  これを聴いて暫時黙っていた媒酌人が突然こう訊ねました。 「ちょっと伺うが、その娘さんは、あなたが生んだ娘さんかね」  あんまり馬鹿な訊ね方なので、後妻の女はむっとしました。 「──冗談仰しゃらないで下さいませ。生みの娘なら、なんでこの苦労はいたしましょう。なさぬ仲には極まっております。あなたも妙なことを仰しゃいます」 「ふーむ。やっぱり継子なのか」。媒酌人は念を押すように、そう言って、それから次のように言いました。 「まあ、落付いてよく聴きなさい。継子なら継子のように扱いなさるが当然だ。それを実の子のようにしようとしなさるから、そこに無理が出るのだ。だが誤解をしては困るよ。継子だからとて世間によくある継子苛めをしなさいと言うのではないのだよ。あれは継子の扱いではなくて、鬼の扱いだ。人間の扱い方ではない。私の言う継子の扱いというのは、兎に角、自分の生んだ子供ではない。だから親身の母子の情の出ないのは当り前だ、それを無理に出そうとすれば、自然、どこかからお剰銭(反動)が出て来るにきまっている。だから、その無理は止めるとして、その代りに、人様の生んだ子だ。しかもその家にとっては嘗て心棒であった先妻の生んで遺していった遺児だ。そこをとっくり胸に入れて、大事な品物を預ったつもりになりなさい。元来、大事な預り物ゆえ、少しくらい嵩張ろうが、汁が浸潤み出ようが、そっくりそのまま大事に預って置く。それともう一つ、こういう気持ちが肝腎だ。なにしろその娘は、実母のない孤児なのだ。孤児といえば女の身として誰でも同情が湧く。あなたは、その娘さんを身内のものとも何とも考えず、ただ世の中に一人淋しく、母に死に別れた憐れな孤児が居るというところへ眼をつけて、労ってやりなさい。孤児とある以上、多少、捻くれや僻みがあっても致し方はない。その児の罪ではなく、不運の罪だ。せいぜいそう思って面倒を見てやる。まあ、その辺のところで辛抱しなさるんだね」  後妻の女は、まだ本当には腑に落ちぬらしく、はっきりしない顔付きで帰って行きました。  それからその女は、しばらく媒酌人の家へ来ないので、媒酌人の家ではどうしたのだろうと噂などしていましたところへ、ひょっくり、土産物なぞ持って訪ねて来ました。媒酌人は訊ねました。 「継子の様子はどうだね」  すると後妻の女は不快な顔をして、 「継子なんて言葉をお使いなさらないで下さいましよ。この頃はもう親身の親子以上」  そこで媒酌人は頭を掻いて言いました。 「ほうこれは失言した。失礼失礼」  後妻の女は朗らかな声で家庭のこと、世間のこと、何気なしに面白そうに語って帰って行きました。  七里恒順という幕末から明治へかけて生きておられた浄土真宗の名僧があります。  その人の言葉に、 「月を盥の水に映すのに、映そう映そうと焦って盥を揺り動かしたら、月影は乱るるばかりである。何の気なしに抛って置くと、いつの間にやら月は盥の中に丸く映っている」  普通のことのようですが、本当の体験を、月と盥に事よせて語っているので、普通の中に言い知れぬ趣があります。 第七課 性質を矯め過ぎるな  人生の使い方に二とおりあります。そのいずれへも極端にかたより過ぎると、結局その人の生涯が駄目になってしまいます。今、極端に性質を矯め過ぎる方を述べてみます。  私たち活花を活けるときによく経験することですが、一本の枝を取ってみて、この枝振りも面白くない、あの枝振りも面白くないと言って切り捨ててしまいます。枝ばかりでなく、花も同じことです。だんだん鋏み捨てて行くと、すっかり裸にしてしまって、とうとう活けられなくなります。これを活花の素人と言います。  人間にしても同じことです。どうも私は瞋りっぽくていけないからとて、その感情の根を押し潰し、また私は欲望が多過ぎて苦しいからとて、その根を断ち、また私は子供らしくて困るからと、その根を刈ります。結局生きているのか、死んでいるのか判らないような人間になって、世の中の役に立たなくなってしまいます。ちょうど、前の活花の場合と同じです。前の場合を活け花の素人と言うなら、これは人生の素人であります。  すべていけない方に目を付けてこれを刈込んでしまう。これでは誰でも、何事でも、痩せて、枯れて、滅してしまう一方です。仏教では、この方法を「灰身滅智の空寂」(肉体も精神も罪悪の基として否定する教えすなわち小乗仏教)と言って、肉体も精神もみな罪悪の基として否定するやり方で、本当の仏教(大乗仏教)からは、これを低級な仏教すなわち小乗仏教として嫌います。この方法では人生の理想の花を咲かす根本の種子を潰してしまいます。  この流儀で人生に処すると、世の中や人間のあらばかり見え、だんだん浮世が嫌になり、自分独り孤独を楽しむようになって、人交際が出来にくくなります。  子供を育てるにしろ、人を使うにしろ、相手をすっかり萎縮けさしてしまって、その特色を引き抜いてしまいます。 第八課 あまり放縦でも困る  前述の方法とちょうど正反対の方面があります。何でも、あるがままがよいとして、食べたい放題、遊び放題、無理の言いたい放題、不義理のし放題──それを、また世間でも、磊落だとか無邪気だとか言って買い被り、苦笑しながらも黙って見ているようなことがあります。もし世の中が、あるがままがいいということになったら、人生は骨折りも努力もいりません。  千の与四郎というのは茶道の名人、利休の幼名ですが、秋の庭の趣を添えるために、庭に落葉をひと散し落して置いたというのが彼の茶道の功名のはじめですが、これもはじめから木の葉の落ち散るままにして置いたというのではなしに、一旦庭を清潔に掃き浄めた後、一つの見識を以て、あらためてひと散し木の葉を撒いたので、そこで芸術になりました。自然の落葉のままが風雅なら、どんな田舎家にも千家茶道宗家の看板は掲けられましょう。まわりを刈り込んで、残すだけを残した髯と、無精髯とは鑑別けてやらねばなりません。人間がたった一人、この世の中に生れて来て、そして自然の中に生きて行くのなら、相手も自然、こっちも自然、それで気が合ってよろしいでしょうが、しかし、人間が二人となり三人となる以上、協調ということが生活上必要になって来ます。協調ということは折れ合うこと、折れ合うということはしたいことも相手に遠慮して差し控えるということです。程よく保ち合うということです。まして人間には、たった一人のときでも自分を完成し、周囲の自然を開拓しようとする意志は持って生れているのですから、その人間本来の意志に従わず、勝手気ままな外界の自然のありさまを手本にでも見習うような放縦な生活は、どうあっても「真理」の逆行です。この心得違いは、二千五百年のむかし、釈尊の活躍しておられた印度にもかなりあったと見え、十三外道(仏教外の哲学、真理外の邪法)とか三十種外道とかいう中に入れて、その説伏に釈尊は非常に骨を折られました。自然外道というのがそれです。  よく浴衣の模様などに、鎌の絵と、○と、ぬの字を染め抜いてかまわぬと判じさせるのがありますが、模様としては元禄ぶりの寛闊な趣を見せてなかなか面白いものですが、それを生活方針として世の中に持ち込まれたら、誰もかまわぬわけにはゆきますまい。 第九課 人生の広い道  私たちの持っている人間性、これを刈り取ってはいけず、さればと言って、伸び放題うっちゃって置いてもいけない、なかなか難しいことになりました。しかし、こう押し詰めて行って、よく考えてみると、そこに一筋通れる道が残されているのが判ります。否、そこを是非通って貰いたいとて実は人生の本道が広く道を真中に開いて待っているのでありました。それは言うまでもなく、前に述べましたように、一見、邪魔、不善に見える人間のいろいろの性情の根は、実は非常に大切なものでありますから、これを潰したり押えたり、刈り取ったりしないで、これらをみんな活かして善用して行き、立派に役立てて進んで行くという人生の大道です。  仏教の言葉で、「煩悩即菩提」(迷いや欲の本性は取りも直さず悟りのもと)と言ったり、「凡聖不二」(愚かしい心と霊知の心と根は一つ)と言うのは、この事を指しているのです。  むかしから、この事実を説明するためにいろいろの苦心がなされております。大乗仏教の沢山の経巻も、人々にこの事実を開いて説き示すために出来たようなものですし、名僧知識たちが教義を工夫されたのも、やはり目的はこの一点にかかっております。 田の草をそのまま田への肥料かな  この句はよくこの意味の説明の引合いに出される句です。田の草は私たちの人間性をさします。人間性が蔓るのを邪魔な雑草と思って、わきへ抜き捨ててはいけない。雑草が使いようで田畑の肥料になるではないか。邪魔のように見える低劣な人間性も人間向上の培養素になるではないかというのであります。今日では、田の草どころでなく、わざと紫雲英草を種子蒔き前の田に植えて、空中窒素を地中に吸い取らせて土地を肥沃します。  文殊菩薩がある日、善財童子(文殊は智慧の象徴、善財は求道者、両者とも、華厳経中の人物です)に向って、「おまえ、これから世界中を探してみて、もし、薬にならないような草が在ったら持って来い」。そう言って外へ出してやりました。善財童子は命令に従って世界中探して廻りましたが、絶対に薬にならないという草は一本も見付かりませんでした。そこで手持ち無沙汰で帰って来て、文殊にその報告をしたという寓話が「五燈会元」という本に載っております。これなぞも人間性といわれる性質の中のどれ一つとして絶対に人間に不利益と見究めのつけられるものは一つもない、みな使い方によっては立派に人間の向上、進歩、発展の薬になるものだという寓意を含んでおるのであります。  なるほど、そう言われてみると、神経過敏症が文学者の職業に役立ったり、家に落付かない性分の人が周旋業を始めて成功したり、虫取りの好きな子供が昆虫学者になったり、大腕白の子供が英雄になったり、いろいろその性質の活かし方によっては申し分のない役に立ちます。  この人間性のどれ一つにも見限りをつけず、必ず活用の途ありとして、その価値の出し方を研究いたします。これもまた大乗(大乗とは、悟りへ運ぶ大きな乗物の意味)仏教の特色の一つであります。前の小乗(小乗とは、小さな乗物)仏教や、外道と違っている点はここです。 第一〇課 人格完成  私たちは誰でも、人格完成の種子を、生れながらに持っている(一切衆生ことごとく仏性あり〔涅槃経〕)と仏教は説くのであります。人格完成と言っても、ただの人格完成の程度でなく、あらゆる美徳、技能、智識を備えた円満無欠の人格者になる種子であります。それは賢人、愚人、善人、悪人、男性、女性、大人、子供の差別なく、みな平常に持っている種子であります。これを持っていることを信じたものは朗らかな安心生活が送れ、この種子を育て上げたものが真の成功者であります。  何故ならば、その成功者はどんな幸福にも増した幸福を、永久に享ける資格が持てるのですから。  ところが私たちには、一方、生れながら愚かしさや、迷いごころがあって、この人格完成の種子のあるのを判らないように邪魔しております。たとえ教えられて、持っているはずとは知っても、さて、その育て方の方針がつかないのであります。  天地の広大無辺な存在は、私たちをもその中に引くるめた、一つの大きな生命体であります。この中を縦横に貫いて、すでに立派に完成されている光明体が流れております。その光明体は、常に私たちはじめ天地の間に秘んでいる仏性(人格完成)の種子に呼びかけ、その眠りを覚し、芽を吹かし、自分同様な立派なものにしようと働きかけ、合図をしつづけております。  私たちの中なる仏性の種子も、それを感じてしきりにその光を浴びたがっています。その様子を、日蓮聖人は籠の中の鳥が、空飛ぶ鳥の鳴声を聞いて呼び交わそうとしている趣に譬え、禅家の方では卵の中で、いま孵ったばかりの小雛が外へ向って呼ぶ声と、外の母鶏が卵の中からその小雛を連れ出そうと殻を啄く母鶏の嘴とが、呼吸の合っている(碧巌録〔禅書〕の中にある文句「啐啄同時底の機」)のに譬えております。私たちの内にある人格完成の電球と、外にあって私たちの人格を完成させようとする電気の導線とは実はとっくの昔から設備が出来ておるのであります。天地が始まって以来、設備が出来ておるのであります。それは自然の設備であります。この設備が、はじめからなかったら、いくら偉い宗教家でも、救いだの、恵みだのという仕事は絶対に出来ません。仏教の諸先輩たちは、この設備を発見したので、非常な確信を持ち、そこにスイッチを取りつけました。これが仏教における「信仰の仕方」であります。信仰の仕方はスイッチでありますから、これによって救いの電流を通じさせれば、苦もなく私たちの内なる人格完成の電球に灯が点ります。  そこで私たちに、希望と歓喜の光が照り出します。 第一一課 世の中  捨ててみて、はじめて拾える世の中。皮肉な世の中。そのときは、もう自分で拾うのではない、寄ってたかって人が拾わせるのです。そのときは、もうたいして自分には興奮もない世の中ですが、その代り、失墜の心配もない。たいして得も取らせなければ、たいして損もさせない世の中です。  だが、そうと判ってみれば、今度はなかなか面白く眼に映る世の中。  誰かの句に、 身を捨ててまた身を掬ふ貝杓子  他力信仰(他力信仰は浄土宗、浄土真宗の信仰の仕方で、阿弥陀仏のさしのべる手〔本願〕に救われる信仰生活です)のこつをいったものであります。 第一二課 衣食住  仏教を非常に消極的なものに考えて衣、食、住のごときも貧弱一方にするのが功徳のように思っている人があります。これは誤っています。むろん奢り贅沢はいけませんが、身分不相応な切り縮め方をして、子供や使っている人を、営養不良色にして得意になっているのは、これまた贅沢の一つです。吝嗇贅沢といいます。  一口にいえば、適時、適処、適事情の三つの条件に当てはまるのがよろしいのです。  専門家の僧は、人から寄附を受けて生命を支え、専ら修業に努力するのが生活の建前ですから、なるたけ寄附する人の負担を軽くするため、また、修業を妨げぬため、極力生活を切り詰めました。釈尊時代は着物なども、死人の着たものなどを貰って来て、それも下着に、上衣に、式着の三枚しか持たないのが僧団の規則だったようです。  しかし、それさえ像法時代といって、人々を眼で見ることから、崇高な感じを起させ、道に入れなければならない時代になって来ると立派な寺院を造り、立派な仏具を用いて説法の助けにしました。弘法大師なぞは工芸美術の学校を建てて大いに芸術を利用しようとしました。  今日は末法時代といって仏教の弘通にまたひと工夫要る時代となっております。  とにかく、そういうわけで専門家の方でさえ、時に応じ、所に応じ、事情に応じて善処することになっていますから、私たちいわゆる在家のものはなおさら生活様式は時代の適応性を考えなければなりません。  洋装が便利だったら洋装も結構でしょうし、洋食、支那食がカロリーが多かったらそれもよろしいでしょう。ただ生活様式というものは便利一方のものでなく、趣味からも相当精神に影響を及ぼすものですから、私たち日本民族の一員として、その心を養成して行けるような長所のあるものは、生活の要として衣、食、住の様式の中にますます発達さして行きたいと思います。  ここに至って昔、日本で使われた「和魂漢才」とか「温レ故知レ新」とかいう言葉が観られます。西洋の言葉では「新保守主義」とか「新古典主義」とかいうものでしょう。  時に適するようとは、大きくは今日の非常時に適し、小さくは毎日のその時々に適するよう、気配り、工夫が要るということです。国の財政に赤字が多く、外国為替がとても高価いときに、外国品を好んで買うことなぞはいかがなものでしょう。松茸のたくさん出る季節に竹の子の鑵詰をむやみに開けるなぞはいかがなものでしょう。所に適するとは場所場所に応じた気配り工夫が要るということです。いわゆるいたにつくということです。母の会へ芝居行きの着物はいかがなものでしょう。ピアノを外套掛けと並べて玄関口に据えるなぞはいかがなものでしょう。  事情に応ずるとは、事情にちょうど振向いた処置捌きが必要だということです。失業している人の奥さんに昇任の話なぞは禁物でしょう。子供の大勢ある家へ頭数に足りないメロンの贈物なぞは気が利かないでしょう。  兎に角あらゆる物事に五分の隙もなく、ぴたりぴたり当て嵌って行くその自由さ適当さ、これが仏教にこなれた人の働きの理想であります。観音菩薩に三十三身あるというのもその事で、三十三身とは、数を約めた譬えで、実は人間の心の働きは無数無限の方面があって、決して行き詰まることはない。その徳能を磨いて行くのが仏教の実地の修業であります。これが完全に出来れば私たち自身が観世音菩薩であります。それが出来ないうちは、その理想人格、観音さまを拝して導きを受けるのであります。 第一三課 憂鬱と笑い  憂鬱のときは、兎に角笑ってみましょう。笑えなくとも勇気を出して笑ってみましょう。  形に心はついて来ます。笑って、笑って、笑ううちに、笑いについて憂鬱がとけて来ます。一種の生理的作用でもあります。  私たちの心理と生理作用には、必ずその仕掛けが秘んでいるはずです。  笑ってから、さて、おもむろに手段を考えましょう。 第一四課 涙の価値  物事をいい加減にしていれば涙はありません。苦しくないからです。物事を真面目に考えて、まともに向うと涙があります。苦しいからです。  なぜ、いい加減にしていれば苦しくなく、真面目になると苦しいのでしょうか。  いい加減にしていると、矛盾も矛盾に見えず、より良きものが眼につかないからです。今の状態でもどうやらお茶が濁せるからです。それで苦しくありません。  反対に、真面目になって、まともに向うと、矛盾が目につき、より良きものが望まれ、現状にひどい不満を感じて来るからです。それで苦しみます。  人間にあって、何が一番深刻な矛盾であって、いつが一番より良きものを望む時でしょうか。仏教にあっては、私たちの内部に「菩提(梵語 Bodhi の漢音訳で「覚り」の義)心」が蠢めくときがそれであるといたします。 「菩提心」とは何でしょうか、自分を良くし、人も良くしようという願い心です。自分も、この上もない智慧を開いて円満無欠な人格に到達し、人も同じくその幸福にあらしめようと願う心であります。  そんな遠方なものを望んで、今日只今の、この苦しみ、この涙があるのかと不思議がられる方があるかも知れません。そうです、あるのです。事情や形は、さまざまに変っていても、その苦しみ、その涙が、真面目なものである限り、その底には、きっと、「菩提心」が蠢いているのです。  良心というものは時代によって変り、周囲の情勢によって変ることもあります。自分の肉体の貞操を売っても、夫へ心の貞操を捧げるのを良しと認めた封建時代の女性の良心は、もう今日の女性の良心ではありません。しかし「菩提心」は、時代により情勢によって変るものではありません。人間がある限り、その中に在ってその発展の方向を示し、これを浄化推進して行く羅針盤兼、白血球であります。  白血球というものは、悪い黴菌が潜入するとき血液内に待受けていて喰い殺す役目を勤める肉体の保護者です。私たちはそれが居るとは知らずに、血液を浄化されています。私たちは菩提心ありとは知らずに、心の清純を保たされています。  もし良心が時代時代において、道徳維持の適応性を持って来たとしたなら、その良心をしてそうあらしめたものは、その底にある「菩提心」です。  自動車が走っているとき曲り道の急角度に出会うと運転手は急に制動機をかけます。あの強い反動と、歯止めの軋る音は、今まで快速力を楽しんでいた乗客には、かなり不快なことに違いはありません。しかしそのため乗客は生命を救かります。  私たちが、生活という自動車に乗って、人生の路を気ままに走っているとき、過ちの曲り角へ来ると、「菩提心」は急に制動機をかけます。そのとき身に感ずる強い反動が苦しみで、歯止めの軋る音が涙です。しかし、そのため心の生命は救かります。  私たちを苦しみや涙が誘うとき、それを徒然にせず、その原因を深く辿って行くとき必ずこの心の発露に出会います。そしてその心の指図によって新しく正しき人生の方向を執ります。方向転換のときはさすがに辛くあります。しかし、それを越すと何か真直なものに沿うて行く気がして心は軽く確かになります。  故に涙は反省の機会、余滴です。人生航路の方向の検査水準です。この貴い価値を使わねばなりません。 「生の苦しみ」という事があります。旧き生から新しき生を生み出すときには、必ず苦悩があります。涙があります。樹が芽を吹くとき、樹の皮に現れるものはまず疵です。苦悩です。次に樹脂──つまり涙です。そして新しい生なる五月の新緑が芽生えます。  わざわざ疵をつけて涙の価値を取出すことさえこの世の中にはあります。たとえば、ゴムです。ゴムは、ゴムの樹が幹に疵をつけられて苦しさのあまりにじみ出した樹の涙です。涙であるが故にゴムは柔かく、しかも、ねばり強く、辛抱強くあります。  涙の価値を払って、人生の意義を求める道理を人格化して、仏教で説いたものに、常啼菩薩(常啼菩薩は七日七夜泣き続け、遂に道を得ました〔智度論〕)というのがあります。私たちは真面目になればなるほど、一面、常啼菩薩です。 第一五課 無駄 「自分がいくら骨を折って行っても、することなすことみな無駄になる」  苦学をして勉強していた一青年が、こう歎じました。実際彼が骨を折ってなしたことがみな無駄だったように見えました。彼はすっかり懐疑家になり、しばらく呆然として暮していましたが、反撥心を起して、こう言いました。 「こうなったら、もう自暴だ。今度は逆に、無駄なことばかりしてやろう」  青年はそう決心はつきましたものの、さて、その決心に添うような無駄事を探す段になって、はたと行き詰りました。世の中の事は何一つとして必ず何か用途を伴うもので、全く無駄というものはない。ふてて、ごろりと寝ていることさえ、身体の休養になってしまう。  消炭の屑は鍋釜の磨き料になるし、コロップの捨てたのは焼いて女の黛になるし、鑵詰の空鑵は魚釣りの餌入れになるし、玉子の殻はコーヒーのアク取りになるし、南瓜のヘタは彫って印になるし、首のもげた筆の軸は子供の石鹸玉吹きになるし、菜切庖丁の使い減らしたのは下駄の歯削りになるし、ズボンの古いのは、切って傘袋になるし──。青年は家の中を見廻して、あまり無駄なもののないのに圧迫を感じて居堪まれなくなって表へ飛び出しました。  青年はふとラジオ店の前に立ちました。某水産技師の講演放送中でありました。 「みなさん、あの何万粒の数の子の中から孵って鰊になるのは、ほんの二、三匹に過ぎないということを聴いて驚かれるかも知れません。自然は何という無駄をさせるだろうと。しかし、それは人間の頭の考えであります。自然にしたらば、はじめからその何万粒の無駄を承知で、その中のいくらかの鰊の生を世に送るのであります。もし何万粒の無駄がなかったら、そのいくらかの鰊の生もないのであります。  従って自然においては、いくらかの鰊の生のために他の何万粒の犠牲は無駄どころか当然なかるべからざる用意なのであります。故に、自然は、その何万粒のどれにも厚薄のない同等の念を入れて世に送るのであります。それを無駄と考えるのは人間の頭であります。ここに自然の考えと、人間の考えとのスケールの大きさが違うのであります」  もう青年は、これ以上聴く必要はありませんでした。無駄をしまいしまいという考えは却って無駄をすることになるのだ。それはちょうど生きるだけの鰊の数しか数の子の粒を用意しないようなものだ。孵らないにきまっている。その中に無駄のあることを予想してかかる仕事こそ、却ってその無駄を意義あらしめる結果になるのだ。自然が何万粒の数の子を、いくらかの鰊として予算するようなものだ。そう考え付いた青年は、腕組みして、強い息を吐きながら、折りしも点きかけた町のネオンサインの旋廻を眺めながら言いました。 「僕も、無駄を平気でやれるような人間になろう」 第一六課 誤解された時  純理より言うときは、世の中に誤解のないものはありません。どんな気心を知り合った人間同志の間柄でも、互いの性質が違い、年齢が違い、教養が違い、その時々の気分や頭の調子に変化のある以上、そう一つことを二人の人が全く同じように了解し合うということは不可能であります。この理を、すこし拡大して譬えによって述べて見ますと、向うに港を出帆して行く汽船があります。岸で二人の人が見ております。一人の人は船暈する人ですが、一人の人は船に達者の人であります。そこで船に達者な人が「気持ちよさそうな船だ。乗って行きたい」と言ったところで、船暈する人がその気持ちに共鳴出来るわけはありません。互いの経験にもともと相違があるからであります。  人間の概念で一番共通で確実なものは、「数」だとされています。故に精密な物理学の理論などは、専ら数学で表されるのであります。しかし、この「数」とても実際、世間で扱われる場合には、感じ方にいろいろ相違が出来て来るのであります。「ちょっと一円貸して下さい」と言う人にとっては、その一円は簡単手軽な一円であるかも知れませんが、この一円を、ざっと一週間分の電車往復賃の予算に見込んでいる人にとっては重大貴重な一円であります。そこで「なんだ一円ぐらい」「一円なんて、とてもとても」という押問答が起ります。これは互いの生活状態による「数」に対する見解の相違であります。  これは、極端に現した二例であって、およそ普通の場合には、汽船なら汽船という概念があり、一円には一円という概念があって人間の間に行き亘り、大掴みの感じの上で了解が取引されております。しかし、すこし精密に調べるとこういう誤解が見出されて来ること、上述のごとくであります。  次に誤解について面白い原理は、この誤解があるによって、これを訂そうと正解が大いに発奮努力することでありまして、もし世の中に初めから正解ばかり行われていたら、世の中は一所停滞であります。文化の発達というものはありません。世の中には、ともすれば誤解が紛出しがちである。それを解き明し解き明しするところに真理の進歩があるのであります。  周囲のものは自分を認めぬ。これは周囲のものが自分の実力に対する誤解であります。婚約者が自分に冷淡である。これは婚約者が自分の愛に対しての誤解から来る。そこでこれを正解すべくいよいよ真心を傾ける。  先輩が自分の事業に賛成してくれない。これは自分の事業の性質に対する先輩の誤解である。そこでいよいよ説明説伏に努力する。製品の売行があまりに不良。これは製品の真価に対する誤解である。需要を高めるまで八方了解さす工夫を続ける。  これら誤解に大体、二種類あります。一つは消極的のもので、一つは積極的のものです。消極的の誤解というのは、今まで正解であったものが、より正解なものが出て来たので、変って誤解となったものであります。例えば天動説のようなものであります。昔は地球がじっとしていて、天体が動くとするのが正解としていたのを、天文学の発達によって、天体も動くが地球も動くというのが正解となって来たので、前の正解がたちまち誤解となったようなものであります──もっとも近頃の新科学では、計り方の土台の置き方で、どっちとも言えるということになって来たようですが、まだ常識知識にはなっていませんから、一応、上のように述べて置きます──。もし、これを人間の上の例に取れば、一人の青年があって、郷里にいるときはとてもぐずであった。それで郷里の人がその青年をぐずぐずと呼んでいたのは正解であります。ところがその青年が東京に出てから、持ち前の性質のよいところを出して精励恪勤の紳士になりました。こうなったとき、もう前の郷里のぐずの名は誤解であります。より真理なるものが出たので前の正解、たちまち誤解に変ったわけです。  消極的誤解の特色は、誰が見てもまたどこにもそれ以上の真理はないと思ったものが、後に、より真理なものが出て来たので、前のものが初めて誤解と判る点にあります。つまり不可抗力的誤解です。ところが積極的誤解となると、手を尽すか探すかすれば、正解に達し得られるものをいい加減にして置くか、感情に左右されて軽忽に実情を覆う誤解であります。真理はすでに厳然として在るのであります。ただ事情のために昧まされているだけであります。つまり可抗力的誤解です。その例は国際間の浮説、世上の噂、個人の周囲到るところに見出されます。  不可抗力と思われる誤解さえ、人智の発達はこれを覆えして、正解を呼び起して行けることは文化史上の幾多の事実に徴しても明らかであります。まして可抗的誤解などに惑わされていてはなりません。私たちは真理に対する強い信頼の力を呼び起して、あらゆる誤解を掃蕩すべく励まねばなりません。これこそ人生の使命の一つであります。しかし、その掃蕩に当って心すべきことは、この章のはじめに述べましたように、誤解は人生の機構上、無尽に湧き起る性質を持っております。一を払えば一起り、尺を刈ればまた尺というふうに、遼々無限の荒野を行くようなものであります。この様子を、般若心経は実に要領よく道破しております。 「無明もなく、また無明の尽ることもなく」、無明とは、人間の不明の心で、人世に誤解をなさしむる元であります。「無明もなく」というのでありますから、一応、不明の心を刈り取ったところであります。すると、その次に「また無明の尽ることもなく」と説き返してあります。けれども刈り取り尽せることもないと言うのであります。この誤解の刈り取り、また生え延びするところを人生の常として説明してあるのであります。それならどこに安心立命はあるか。そのような無限の鼬ごっこでは、結局疲労儲けではないか。ちょっとそう思われます。しかし、そこにこの般若心経の偉大さがあるのです。この経の題名である般若というのは智慧ということでありますが、智慧を以て一度この人生の姿の実相を突き止める。するとなるほど刈り取り生え延びの繰返しの無限延長であることが解ります。それが人生の姿ならばそれでよろしい。それ以外に人生がないと判って見れば泣きも叫びもしない。傍目もふらずにその繰返しの無限延長に働きかかって行こう。相手が無限ならば、こっちも無限の力を出して、行く。無限に対するこの懸命の働きそのものの上に、言い知れぬ悲壮な気持ちと、使命に殉じている安心光明が油然と胸中に湧くのであります。これは事実、体験的のもので、やらない人には判らないのであります。これを鼬ごっこの疲労儲けと解して、岐道へ外れた人は退屈と不安があるばかりで、生涯、人生の味は解し得られないのであります。  それから最後の人世の秘密として取ってある仕掛けは、その「刈り取り、生え延び」の人生行路は、一ところに停滞して繰返されるのでなく、一歩一歩に働く人を前へ進ましめて、事実何らかの意味で、向上発展の状態に移すのであります。ひそかにこの向上発展を人生行路の勇ましき実行者に褒美として与えるのであります。これも体験的のもので、どんな形で褒美が与えられるか、人々によって違うのであります。  口では、いろいろに言いますものの、誰しも誤解された時くらい、世にも果ない気持ちはありません。心の底から腐って、生きる力も張合いもなくなるのであります。しかし、そのときです。真に奮い立って起き上るのは。誤解がある故に、これを征服する力も引き出されるのだ。誤解が大きければ、これを征服する力も大きい。誤解され放しのままなら、ただの禍です。それに励まされて圧倒するほどの力が養えたら、誤解は却って育ての親です。是非とも私たちは逞しい持ち前の心を奮い起し、誤解に却ってお礼を言うようになりましょう。 第一七課 誘惑  むかし、あるところに老婆がありましたが、一人の禅僧に庵を建ててやり、衣食を送って修業を資けておりました。二十年間それを続けました。そこで老婆が思うのには、もうあの禅僧もかなり修業が積んだであろう。一つ試してみよう。老婆はどんなメンタルテストをしたかと言うと、自分の腰元の中でも、年頃で一番美人の女を選びまして何やらそっと命令け、かの禅僧の修業している庵室へ行かせました。  若い腰元は庵室を覗いて見ますと、かの僧は室の中央に静かに坐禅を組んでいました。そこへずかずかと寄って行って彼女はいきなり禅僧にもたれかかり、「あなた、こうして、どんな気持ち」と言いました。すると僧は、顔色一つ動かさず、「枯木寒巌に倚る、三冬暖気無し」と言い放ちました。「まるで枯木が冷え切った岩に倚りかかったようなものさ、寒の真最中吹き曝しの気持ちだ」というわけです。  若い腰元は、試験も済んだので、老婆のところへ戻って行き、僧の一件を報告しました。禅僧の謹厳な様子に、感心すると思いの外、老婆は大変怒りまして「思いの外俗物の僧を永らく優待していた。わたしは見込み違いをしていた」と言って、その僧を追い出し、住まわしていた庵室まで穢らわしいと言って焼き払いました。  この話は、「婆子焼庵」(禅の本で五燈会元というのに書いてある老婆が庵を焼く話)という題で、禅家の方の公案(禅宗の師匠が弟子に与えて修業させる試験の宿題)になっていまして、なかなか研究がむずかしい問題です。  つまり僧の態度は、実在方面一方の人生の解釈で、まるで人間味がありません。これでは草木も同様です。それで老婆は俗物と罵って怒ったのでした。この老婆には大乗仏教的の鑑識眼があるというわけです。  禅宗の方の公案の研究というものは、ちょっと見ると非常識なやり方に見えますが、案外怜悧なやり方で、人生に対する態度の雛型を一室の中で師匠と弟子とが実地のつもりで研究するのでありまして、いわば礼儀作法の稽古を小笠原流の先生と生徒とが、客となり主人となって雛型でやる、あれと同じようなもので、ただ内容が思想的に深刻な違いだけです。  ですから、あの若い腰元がもたれかかったのを実際世間上の場合に見立てれば、一人の女性に恋をし向けられた場合と見て取ってもいいわけです。その場合一人の男性として取るべき態度はいかに。この問題解決の研究です。無論その男性が、女性の恋を享け容れれば問題はありませんが、相手は見ず知らずの女性です。たとえ向うはこっちの男性をよく飲み込んでそれから恋したにもせよ、こっちの男性ははじめて会う女性です。少くとも心を打ち明けられたのははじめての場合です。こういう場合には、一人前の教養も、情操も、人情もある男性として、一旦は断るにしろあるいは永久に断るにしろ、相手の女性に恥をかかさず、さればといって自分の品位も堕さず、しかるべき人情味のある処置と言葉がありそうなものです。あの枯木寒巌のごとしと言って澄まし返った僧のような態度、言葉を実際にしたなら、相手の女性は一生恨み切るか、反撥的に自殺もしかねまじきあしらい方です。老婆の非難はそこにあるのでしょう。  同じ断り方でも、その女性の気持ちを汲みながら、無邪気ににっこり笑って「あなたが私をどんなに愛して下さっても、私は仏に仕える身ですから、あなたの愛を受ける事が出来ません。さあ早くお帰りなさい」とでも言いきかせて、肩へかけられた手をそっと外してのければ、あとはどちらも気持ちよく別れることが出来ましょう。二十年も修業して、このくらいな自由な処置が取れないとは、まだ生なところがある。誘惑に負けまいと一生懸命、肩肘張って、非人情に噛りついていなければならないとは、まだどこか心に弱いところがある。そこを老婆は見破ったのです。  仏教では、誘惑を避けて逃れるのは人生の達人でないと断定します。どんな誘惑の中に入っても、その誘惑に染まぬばかりか、却っていつの間にか、こちらからその誘惑をうまく支配してしまう。その効果を仏教では「愛染行」(愛染明王の行 愛欲に入ってしかも愛欲を度す)と言います。仏教修業の結果どんな熾烈な愛欲や誘惑の中に入っても、これをよく節度して、その悪果に染まないように、その心身を自由に、大きく、かつしっかりさせるのです。ちょうど「泥中の蓮の花」のように、雑多な野心や誘惑や愛欲の真只中に生活しながらもその汚れに染まず、しかもその欲望、誘惑をうまく消化善用して立派な人格完成、絶対の安心、無上の幸福という花を咲かせるのです。これが本当の仏教が勇ましく私たちに教え勧める処世法であり、先刻の禅僧といえども、この事を体得しなければ俗人に劣ると言わねばなりません。浮世を隠遁したり、誘惑を恐れて必死になって逃げようとするなどは仏教の方でも低劣な小乗仏教と言って嫌います。以上述べましたことは外部からの誘惑でありましたが、心内から起る欲望の誘惑も全く同じであります。 第一八課 勇気  勇気はその背後に信念がついていなければ正当に保つことも、永続させることも出来ません。論争するにしても、争闘するにしても、あるいは貧苦、煩悩を征服しようとしても、何か一定不変の信念を持たなかったなら、折角奮闘努力しようとする勇気も正当の勇気とならないで、蛮勇となり乱暴とさえなり終るのであります。正義の戦とか、御国のためとか、陛下の御ためとか、あるいは自分の奉ずる正しい主義のためとか、そういう確信を以て奮う勇気は、常に正々堂々として世の亀鑑となり、しかもその勇気は、撓まず滅せず、いやさらに燃えさかるのであります。  楠正成が湊川の戦いに、みすみす負け戦と判っていながら、勇気凜々と戦場に立ち向ったのは、正成の心中、唯一点、忠君の念があったからであります。そして、戦敗れ、自刃する際に臨んで「七度この世に生れて君恩に報いん」とさえ誓っております。何という素晴しい勇気でしょう。「信念は人を鉄にす」という諺を立証した好き例であります。  古今東西に亘って輩出した哲人、偉人、英雄の殆んど大部分が、それぞれ信仰を以て心身の拠りどころとし、充分の活躍をなしたのは明白な事実であります。昔の名僧などで、信念の凝り固まったものには、悪人強盗はもちろん、猛獣毒蛇でさえ近寄れなかったと言い伝えられています。その際の名僧の畏れざる態度こそ一見消極的に見えますけれど、なかなか凡人に出来にくい沈勇というものであります。沈勇を持する人は非常に落ち付いて、しかも堂々たる威力をそれとなく発揮しているものであります。  凡人の心は、苦難に際し、誘惑迷妄に際し、誠にぐらつきやすいものです。その凡心を以て──日常しなれた事をなすには凡心で結構かも知れませんが──少くとも一大事業を成し遂げようとするならば、まず何かしっかりした信念を掴んでかからないと結局失敗してしまいます。明治維新の際から日清、日露の戦役当時にかけて、盛んに活躍した豪勇の将士たち、沈勇の大政治家たちの殆んど大部分は、あるいは禅により胆を練り、あるいは浄土宗、浄土真宗により心身を仏に委託し、あるいは日蓮宗により宇宙の生命力を唱題によって心身に享け容れた人たちでありました。中には自室や庭園内に仏像を安置したり、堂を建立して仏、菩薩を祀り、礼拝を怠らなかった人々もあります。その人たちの偉大な勇気の源泉が、仏教信仰にあったということは、私たちの生活に、如何に信仰が重大な役目を演ずるかを示すものであります。 第一九課 好き嫌い  人間に心があり、心に感情がある以上、だれにも好き嫌いの気持ちがはたらくのはあたりまえです。それを好いてはいけない、嫌ってはいけない、と道学一ぺんに叱ってしまったら、目も鼻も撫でて延ばしてしまった顔のようなのっぺりした人間ばかりになってしまうでしょう。  松や桜や、梅や竹や、その百木千草の変化があって自然の風光が面白いように、人間に好き嫌いの気持ちの陰影があってこそ、むしろ人々の変化やリズムがあって面白い、世の中が単調に流れません。ですから好き嫌いは大いにあってよろしいのです。  ですがこういったあとで殊にも言い添えなければならないのは、くれぐれもその好き嫌いの気持ちに捉われてはいけないということです。捉われて、それをいこじに通して行こうとするとき、その人は我儘者になるわけです。  例えば「私はあの人は嫌いだから友達にしない。だからほかの誰でもみんなあの人を友達にしてはならない」というような、こんな嫌い方は絶対に我儘です。それはちょうど「私は松は嫌いだ。世の中から松なんか一本もなくしてしまえ、私は桜が好きだから桜ばかりにしてしまえ」というのと同じです。  これでは日本の風景にしても、吉野山や飛鳥山ばかりになり、須磨の眺めや明石の風光や松島の絶景はなくなってしまうわけです。それと同じように人間でも「私はあの人は嫌いだけれど誰々さんには好く見えるのかも知れないからお友達になっているのだろうからそれで好い」とこう気を落ちつけて、自分が嫌いなものを自分だけで嫌っていれば宜い。自分の嫌いな気持ちでその人を追いかけて行って、その人の好かれる場所まで入って邪魔をするなどは我儘な仕業です。それは世の中の調和を乱す者でありまして許さるまじき勝手です。この弊に落ち入ってしまった人は自分自身しまいには身のあがきがつかぬ窮屈な境遇に立ち至らなければなりません。  仏教では「自然法爾」(自然そのままで持っている価値)といって天地間のあらゆる生物草木に至るまで、どれ一つとして仏性(尊い生命の種子)を備えておらぬものはない。それ故、使い方によっては何一つとして捨てるもの、無駄なものはないとしてあります。ですから何ものに対しても、そのものの価値を絶対に無視することは許されません。それは自然への冒涜です。天地仏神への不敬に亘りやがて自分も罰せられなければなりません。  くれぐれも好き嫌いは自分および自分と同好同志の間柄だけに止めて置き、それによって天下の調和を乱さぬことです。 第二〇課 試合の練習  試合をあまりに試合第一と思い過ぎ、凝り過ぎる結果は、却って硬くなり思わぬ敗を取ることがあります。  また練習を練習だけの張合いのないものと心得、身を入れなければ、いくらやっても実になりません。  名将の言葉に「戦争は演習の延長だ」というのがあります。  日本曹洞宗の開祖、道元禅師のこつを教えられた言葉に「修業と効果とを二つのものに見てはいけない。修業しているそのことが効果であり、効果を得つつあるそのことが修業なのだ。なぜといえば人格の完成期は無限のものであり、いつが修業の終り、いつが効果の到着点ということがないからである。ひと座りひと座りの坐禅に刻々、全人格的の意義があるのだ」。(修証不二〔普勧坐禅儀〕)  これによると、試合と練習とを区別しないばかりでなく、その場その場の一モーションに全競技的精神が籠らねばならないのであります。 第二一課 橋は流れて水は流れず  私たち鰹節をナイフで削るときには、鰹節を確と握り押えてナイフの方を動かして削ります。鰹節を橋とし、ナイフを水としますと、この場合は、この章の標題とは反対の「水は流れて橋は流れず」であります。それは当然のことです。  しかし、鰹節削りの鉋が出来て鰹節を削るときには、今度は鰹節の方を動かします。この場合には橋に譬えた鰹節の方を動かし、水に譬える鉋は動かさないのですから、「橋は流れて水は流れず」です。  物事は、時と場合で自由な考え方、自由な使い方をしなければならない。鰹節を削るのには必ず鰹節を握り押えて削るもの、すなわち「水は流れて橋は流れず」の一方ばかりの考え方に凝り固まっている人は、折角鰹節削りの鉋箱が出来ても、どこまでも鰹節の方を動かしてはならぬものとして、鉋箱を逆にして鰹節に宛てがうでしょう。それでは不便で仕方がありません。  しかし鰹節と鉋の関係の融通ぐらいは、簡単なことですから誰でも無意識に自然にやっていて、別に大した考えを費さなくとも済みます。しかしもっと重大な事件に出合うと人間というものは案外、習慣や型に捉われて、なかなか自由な考え方で適切な処置をつけかねます。そこで、そういう捉われた頭を変換さすために仏教の禅語で「橋は流れて水は流れず」というような奇妙な言葉を、わざと言い出して、ちょっと人の気を抜くのです。禅語にはかなり沢山、こういう奇妙な言葉があります。普通は「水は流れて橋は流れず」です。それを逆にしたのは、つまり、物事の相対性を言ったのです。私たちが日常向い合っている物事について、私たちが考えたり、行為したりする態度を自由にしなさいと訓えた言葉です。この自由な、融通の利く考え方をしなければ、太陽ばかり動いて地球の廻転運行なぞは思いも及ばなかったでしょう。 第二二課 敵、味方 一  敵が相手側にばかりあるかと思えば自分の中にもあります。自分の中にある敵を「反省」といいます。 「反省」が出て来るということは辛いものです。自分が二派に分れてその一方が今まで味方だとばかり思っていた一方の自分をたちまち衣を奪って追い散らすのですから、そして新しく起った自分の中の敵が勝鬨を挙げるのですから、こんな苦々しい事はありません。  しかし、この苦々しさを身内で繰返して置くときは、外の本当の敵に向ったとき、もはや演習済みですから、大変楽です。その敵対処置を知っていてぴしぴしと節に当った処置が出来るのですから、反省の深刻なのは懺悔です。真理の前に、真理ならぬ自分の部分を責め捨て責め捨てして遂に真理に沿う自分にします。ただ懺悔の一法だけで道に達することも出来るのです。懺悔ということは決して弱いものには出来ません。よほど自己完成欲の強いものでなくては出来ません。 二  敵となり味方となるのはまだ縁のある方だとするのが大乗仏教の建前です。敵でもなし味方でもない中途の相手が一番自分にとってつまらない無意義な存在です。  法華経提婆品には、釈尊が自分の生涯の深刻な敵であった提婆達多に、自分に敵であった縁によって将来自分同様な人格完成の見込みのあることを証明されております。鉛も金をこすり合えば多少金がこすり付く道理です。  はじめ先生にひどく楯を突いた生徒が、何かのきっかけでうって変った仲好しになり、卒業後も永く交際を続けて行く例など、案外たくさん聞くことです。そうして、その当時の同級生でただ馴染んでいたものは却って、それきりになってしまっているというのです。  この道理から推して、「敵を一番憎む方法はその敵を何とも思わないことだ」といった人があります。深刻な言葉です。  敵でも本当に力が出し合える敵なら、敵ではなく先生です。負かされて感心するような敵を見出したいものです。 第二三課 不平の征服  人の一生を量ってみて、幸福が多いか不幸が多いかと言えば、正直のところ、普通の意味でいう不幸の方が多いと言う人が沢山あるに違いありません。中には「頼みもしないのにこんなみじめな世の中へ生んで貰って、もしこの世界の造物主とやらが見つかったら、一言恨みを言ってやる」などと言う人さえあります。  長い一生の収支決算まで待たなくても、現在、その日その日に不平は随分あることです。「これほど勉強しているのに、ちっとも認めてはくれない」「嫌な人達に頭を下げなくてはならない」「仕事がはかばかしく捗らない」「家庭が一向面白くない」「お金の入る片端から出て行って、これでは何のために働いているのだが理由が判らない」「これほど愛しているのにまるで張合いがない」「何もしないのに人から恨まれる」「何故こう気に入らない顔に生れたろう」などと人々の不平が数え切れぬほど沢山あります。ですが、まだこれ以上ここに書くだけでさえ身を切られるような生活上の不幸、命に係るような絶望、それらがどのくらい多いか、日々の新聞の社会記事を見ればよく判ります。  今まで書き並べました不幸とはまた違ったこれほどはっきりしていないしかも慢性の不幸というのがあります。「なんだかいらいらする」「すっかりくさった」「どれもこれも癪に触って」といった種類のものです。これは突発的な精神の打撃にはなりませんけれど、その代りに精神を虫食む度合が執拗く、だらだらと生活の張合いを失くしてしまいます。  これをどうしたらいいでしょうか。  もちろん、その原因は個人の上ばかりでなく、もっと広いところにあるというので識者たちが折角、研究努力しつつありますものの、それを待ってばかりおられません。そして、いつの世の中でも、世人全部満足だという世の中は歴史を見てもあった例がないのですし、また、多数の人の共存する世の中は、みんなの連帯責任ですから、私たち個人個人が常に不平で愚痴ばかりこぼしていては決して良くはならないでしょう。また自分がいらいらしていたり、くさっていたりしては、自分の病的な気分を他人にまで伝染したりしてしまいます。ですから仏教では、こういうのを「自救不了」(自分一人だけでも始末がつかないこと)と言って大層嫌います。  ではまず第一に自分を救う、すなわち自分の不平、不安、失望、落胆、恨み、呪い、……などを征服するには、どうしたら良いでしょうか。それには、その拠って来る原因を突き止めねばなりません。仏教では、自分の内部、および外界に在る三毒(貪・瞋・痴)が、これらの不平、不安、失望、恨み等……の悩みを惹き起すことを見破っております。  貪というのは、人間の本能欲です。眼前のいろいろのものを、惜しみ、欲しがる我欲です。瞋というのは、いろいろのことに怒ることです。他人のことに口惜しがり、また決して許すまじと思い募る激情です。痴というのは馬鹿のことです。私たちの心の最奥には仏智見と言って完全無欠の霊智があるのですが、その上を無明な痴が遮ぎっているので、みすみす自分に持ち合せる霊智を働かせることが出来ないのです。  以上三毒を仏教の修業法によって転向浄化して行くのです。仏(宇宙の大生命のこと。自身内部にある人格完成の芽もこれを仏性と言う)を念じ、無心無我となって、心を澄ますとき、この三毒の善用法が判って来るのです。皆さんは、悲しいとき、口惜しいとき、欲しいとき、馬鹿らしいことをしたとき、澄み切った大空や、漫々たる海上を眺めたことがありませんか。悠久無限を想わせるようなものに面すると、私たちの欲望、怒り、知識経験の如何に小さく、つまらないものであるかを嘆じ、慎ましくなるか、あるいは、朗らかになって一大勇猛心の湧くものです。仏というのは、その大空や、大海はもちろん、天地間のありとあらゆるものを引っくるめての宇宙の大生命体を指して言うのです。そして、この宇宙の万物は「草木国土悉皆成仏」(涅槃経は専らこの思想を説き明す)と言って、生物も無生物も、みな満足の状態になれる可能性があり、事実、刻一刻とその境地を目指して進んでいるのです。  ですから、その仏を念じ、その仏の目的を覚り、その進行に身を委ねるときは、貪は転向浄化して一切の善を求めて進み、瞋は転向浄化して一切の罪悪を断ち、痴は払いのけられて仏智現れ、ここにおいて天地間の大生命と、自心内部の赤裸々な仏心(人格完成の芽)とが手を取り合うのであります。この法悦の刹那を、絶えず自分の心身上に喚起し続けるのが仏教の修業法で、かくして日々の生活の一挙手、一投足が、自分のためにもなり、他人のためにもなる光明と歓喜にあふれたものになって来るのであります。この状態を、「自利、利他心平等」と言って、自分をよくし、他人をも同時に同じようによくするのですから、その人を菩薩として尊びます。もう、そこには不平不満や失望落胆などは決して起りません。 第二四課 軽い考え方・重い考え方  ものごとを軽く考えても当を得ません。重く考えても当を得ません。軽からず重からざる考え方こそ至当だと思います。  しかし、人間の性質により、また同じ人でも時によって、ものごとを軽く考え過ぎたり、重く考え過ぎたりすることが往々にしてありがちです。ですから、誰でもその時、その時の心に注意して、心があまり軽からんとすればこれを制禦し、心があまり重く沈滞せんとする時はこれを促進させるよう努めなくてはなりません。仏教でこれを言い現すに「即処に主となれ」とか、あるいは「念々」とかいう短い言葉につづめてあります。「念々」とは一刻一刻の心を検めること、「即処に主となれ」とは自分の心の臨むすべての場所において、正念(正しきものの考え方)をうち建てよということであります。要するに、時に応じ場所に臨みて正当の心を持つ主となって、着々ともの事の真相を見つめ、疑念や妄想に負けないで、一歩一歩、しっかりした人生を歩めということです。  誰か昔の偉人の言葉に、「あまり無頓着にやった仕事も本当でない、あまり凝り過ぎた仕事も本当の仕事でない」というのがあります。これは至言であると思います。  よく誰でも「どうも考えがこんがらがってしようがない」とか、「気持ちが流れないで鬱屈する」とか言います。これを他の言葉に言い換えれば「生命が停滞して流露しない」ということになります。すなわち、心の流れによって人間の心理が一歩一歩おし進められて行き、呼吸と血液の脈動とによって肉体が新陳代謝を行い、両々相俟って自己の生存を遂げて行くところのこの大切な生命の流れは、その原動力なる心の流れと呼吸血流の遅速によって非常の影響を受けるのです。  人間の生命の流れを、水の流れに譬えるならば、あまり水の流れが急速に過ぎれば浮んだ船を覆えし、あまり水の流れが沈滞し過ぎては、船の運行を止めてしまうように、あまりものごとを軽く考える時は生命の流れが急速に流れ過ぎて生命をして危ながらせ、遂には誤まれる方向におし進めることになり、反対に重く考え過ぎれば生命の流れをよどませてその働きを減じさせてしまうことになります。  ちょっと考えて見ると、何も、軽く考えようが重く考えようが大したことはないと思われますが、事実は以上のような「差」が出ます。常に念々=心の検討を行い、即処に主となれ=その場、その場に正念の持ち主となって、疑念妄想を排除し、自由適確な心持ちで暮して行くことが大切だと思います。  仏教でよく修業を積んだ人の所業を評して、「謡うも舞うも法の声」と言います。修業に修業が積み、生命の流れが過不及なしに流れている人、すなわち正念を常に保ち得ている人は、何事をしても決して過不及なしに、物事の本当のところにはずれることなく、ちゃんと当て嵌って行く。何をしても大丈夫だ。結果はすべて当処(本当のところ)に触れて行く。軽からず重からざる心の使い方。速過ぎず遅過ぎぬ生命の流れを流して行き得る妙境。こここそ、仏教の修業の目指すところであります。 第二五課 母性愛 母という不思議な存在を 子よ、あなた方、はっきりと 意識のなかに入れていますか 母という不思議な謎を 子よ、あなた方、はっきりと 解き得たことがありますか 母という存在は、子にとってあまりに大きく 意識のなかに畳み入るべく あまりに大きく 母という謎は 解かんとして解き得べく あまりに深く濃かき謎なり さらば、母なる我の 子をおもう母のこころを 語りてもみん 折から東京の外の面は秋雨 うすら冷たく庭草の濡れそぼつなか 眼に入るは、つわぶきの花の黄のいろ 子よ、と呼びかくべくあまりに遠い 我が子は、ふらんすの 巴里の都に 子よ、と呼ぶ声より先に 我が眼には、早や涙 秋雨にふるるつわぶき あわれつわぶきの黄金の花よ その花の黄金色こそ、稚き日の子がいでたち──制服のぼたんのいろに 制帽の徽章のいろに…… あわれ子よ お茶喫むか、巴里の都に 絵を描くか、巴里の都に お茶のみて母をや忘るる 絵を描きて母をや忘るる 忘るるも、よしやわが子よ にっぽんの雨降る夕 つわぶきの花をみつめて 母はおまえを懐かしみ泣く 母は今宵、外出します 黒いドレスに赤い小粒の首かざり おまえが母に一番似合うと言った服装 母はおまえの取りわけ懐かしいとき おまえの好みの服装 お前の好みの髪の梳りかたをする 母はときどき掌を見る おまえを育てた時 おまえのおしりをときどき叩いて叱ったおもい出 叩いたのも 撫でてやったのも 愛情だった、みんな、みんな、愛情だった そうしてお前は好い児に育った 今は巴里の 尖端画壇の中堅作家 お茶喫むかわが児よ巴里に 絵を描くか、友と語るか 日本の母を忘れて 忘るるもよしやわが児よ 育ち行くおまえの命、才分の弾ぜ溢るるに 何しかも母の事など 忘るとも、よしやわが児よ おまえが母は「母観世音」 おまえが母を忘れていても おまえの母の「母観世音」 いつもおまえを忘れていない 宇宙の母性も観世音菩薩 衆生の母性も観世音菩薩 衆生が呼べばたちどころに 難を救うは観世音菩薩 悲しき時は母の名を呼べ おまえの母は「母観世音」 たとえ常には忘れていても、悲しき時には母を呼べ ああ、にっぽんの秋のくれがた 冷い雨が降っていますよ つわぶきの黄いろい花が眼に沁みる 第二六課 父性愛  厳父、慈母と言って、父親は厳格、母親は慈しみ深いのが特色のように極められています。またそれが男親と女親との愛の表現の違いのようでもあります。  しかし、おのおの特色の一色だけを現しているときは、ちょっと、その特色の裏に用意されている他の特色の部分が気付かれないのであります。そして、ちらりと裏が覗かれるとき、思わず外部の特色の根に複雑な用意仕掛けがしてあるのを認め、その用意のために外に表れている特色が根強くしっかりとしていることが判るのであります。  私がある知合いの家の奥さまにお招ばれしたので、ちょうど時間にお訪ねしました。ところが、どうしたことか奥さまは留守で、御主人と小さいお嬢さまとだけおられました。御主人は私のお訪ねしたのを御覧になりまして、「これはいいところへ来て下さった。実は男の手で弱っているところでした」と言われました。見ると御主人がお嬢さまにお化粧をしておあげになっているのでした。がしかし、お嬢さまの顔は、小猫がセメント樽へ首を突込んだような顔になっているのでした。  おかしいのを堪えて私は、ひかえめにお化粧を直してあげながら理由を訊いてみると、奥さまは急な用事で女中さんを伴れて親戚へ出かけられ、直ぐ帰られるはずが、用事が片付かぬかして時間になっても帰られません。その時間というのは、小さいお嬢さまが是非行きたいと望んでおられたお友達の家に催される子供のお茶の会に行く時間です。  時間が迫るのに仕度をして貰うお母様も女中も帰らない。お嬢さまのしょげている様子を見て、御主人は堪まりかね、男の手でも出来ないことはあるまいと、お嬢さまに外出の仕度をしてあげようとされているのでした。 「標本なども見てやってみましたが、白粉は石膏や漆喰いと違いましてね、手におえません」。白粉だらけになった身体を拭きはたきながら御主人はつくづくそう言われます。見るとお化粧の見本に、古い婦人雑誌の化粧欄などが拡げてありました。そしてこの御主人の職業は、建築彫刻家でありました。  私は、もう笑えなくなりました。不断、無精な気難かしやでとおっている御主人が、真赭な顔になるまで気を入れてお嬢さまのために母親の代りをしてあげようとしておられるのです。私はひそかに眼の奥を熱くしました。  そのうち奥さまが帰り、仕度もずんずん済んで小さいお嬢さまは無事にお茶の会へ出かけられましたが、その後で、奥さまは御主人に向って、「あなたにも、そんなこまかい気持ちがあるんですかね」と、不思議な顔をして訊ねられます。すると御主人は、もう平常のむっつりやに返り、黙って笑いながらのそのそと仕事部屋へ入って行かれました。  硬中の柔、柔中の硬、などと言って、ただ一片の偏った硬なり柔なりでは、大生命(宇宙の万物が運行して行く力)の性徳を完全に映したものではありません。生命の一つの特色がさし当って目下の場合は硬であっても、実はその中にいつでも柔の用意がある。この自由円通を備えていて、はじめて自分は大生命に繋がる生命の一部なのです。そしてその生命の裏に用意されている他の部分が、時と事情により、われ知らず表面へ覗き出て来ます。 ほろ苦き中に味あり蕗の薹  この句は父性愛の譬えとして好適の句だと思います。 第二七課 兄弟愛  兄弟というものは、本当に妙なものです。同じ腹から出たという根拠の下に、千篇一律に扱われがちです。世には性質も、顔付きも、趣味も、身体も、一見同じように見える兄弟姉妹も稀にはあるでしょうが、それは外見だけで内部はかなり異っているでしょう。それにそんな兄弟でも成長とともに随分違って来るものです。大抵の兄弟姉妹は、世人と同じく千差万別で、中には全く正反対なものもあります。それが同じ家庭内で、相当の歳(独立する年齢)までともに暮すのですから、互いの間によほどしっかりした心配りがないと、易きについて堕落してしまいます。例えば、大変下劣な兄とか弟とかがあるとします。だけれど兄であるのを嵩に着て傍若無人の振舞をし続けたり、弟だからとて甘えて放蕩の仕ほうだいをする。これに対して兄弟姉妹たちは、兄だから、弟だから仕方がない、見逃そうとする安っぽい態度。真面目に忠告する謹厳さを欠いて不断のなれなれしい気持ちでからかって見たりすることが多いです。兄弟は、どういうわけか向い合って、自分の秘密や真剣な話など却って話しにくいものです。まして恥かしいことなんか、お互いに性的の嫌悪性があって、話しにくいものです。その点、友達の方が却って打ち明けられ、お互いに忠告しやすいものです。ここの道理を、「兄弟は他人の始め」と言います。  日本の家族制度上、兄弟愛を特に親子の愛の次に親密のものと考えられる傾向がありますが、その弊害か、兄弟だという観念は、全く安易な溺愛を与えて、平常はそう何とも思いませんが、何か不利益、不名誉なことでも兄弟の一人に起ると、全部の兄弟が、急にこぞって自分の兄弟の方ばかり肩を持って、物の真相を誤り無理を通そうとしたり、得難き親友までも捨ててしまうことが多いのです。甚だしいものになると、随分と不可ないことでも、兄弟のやることだと是認した上、自分までその悪事に加担して遂に大罪を犯すことがあります。また、兄とか弟とかの立身出世のために自分を身売りまでする姉や妹があります。そんなのは盲愛と言いましょうか、愛の濫用、堕落と言いましょうか、兎も角、決してそんなことで、兄弟が本当に救われることはありません。両方ともに必ず後で後悔するでしょう。自分を滅ぼして他を立てるということは、ある特別の場合(国家とか、君のためとか。そのもののために自己が存在し、そのものの滅亡は取りも直さず自己の滅亡である時、当然犠牲になるべきだと信じます)以外には通用しないことです。姉や妹のそんな乱暴な犠牲を求めてまで兄や弟は何を成功しようとするのでしょう。「親しき仲にも礼儀あり」ということは、兄弟の中に特に必要だと思います。  仏教は一切衆生を兄弟として認めておりますが、特別に血縁に依る兄弟というものを認めません。この立場から、もう一度、兄弟というものを見なおしてかかると、本当の兄弟愛が出て来るのではないでしょうか。兄弟姉妹の各々が、お互いに頼らず、まず自分を修め、自分を救い、それから他に及ぼし、相提携て団欒するということにしたら、本当の兄弟愛がそこにはぐくみ育てられて来ると思います。 第二八課 自分と他人 一  自分には自分の特長があり、他人には他人の特長がある。自分の特長は他人とくらべてどういうところにあるか、それを自覚し見定めることの確実さ、不確実さによってその人の一生には無駄がなく、随って有意義に一生を使い得ると思います。  しかし、何が自分の天稟に備わっているのか、何が他人にくらべて自分の特長であるか、それは、なかなかたやすく自覚し得るものではありません。ともすれば、他人のした事他人の獲得した良果を見て、盲目的に自分もまた、それと同じような良果を獲得しようと欲求します。そして、思慮分別もなくあせります。  一面からいえば「勉強が天才を作る」という諺さえありますから、勉強さえすれば他人のした事はなんでも自分に出来ないわけはないはずです。しかし、それは一般の人々の人生の方向を極める時の役には立たないと思います。勉強して天才と同じ効果を獲得したというのは、その人の隠れたところに勉強したためにその修業の成功を致させる性質が潜んでいたのかもしれません。そういうことは往々にして有りがちなのですから、しかし、そういう幸福に当らなかった人はどうでしょうか。眼のたちの悪い人が刺繍で成功しようとしたり、足の短い人がマラソンの選手を志したりする無謀は避けなくてはならないでしょう。  幼年時代から好きな道があり、それに添って歩んで行くことがその人の成功であったりというような人は別として、多くの人はある時期において「さて自分は何者になったらよいか、何業が自分の性質に適するであろうか」を冥想しなければならぬ時期に行き当るでしょう。そういう時、人々はどうしたら宜かろうか、ある人は目上の人に相談に行き、ある人は学校の師の許へ出掛け、友達や両親、兄弟などとも懇ろに謀るでしょう。それらも宜いかも知れません。しかし、結局の掛るところは自分自身の覚悟するところ、決断するところにあるでしょう。いくら他より観察して貰うにしても「この畑地には比較的野菜を蒔いた方が適するだろう」くらいのところまでしか助言を得られないでしょう。進んで野菜のなかの何種類が適するかというところまでいい当てては貰えないでしょう。またそれより進んで自分以外のものの選定に自分の天分の見わけ方や、自分の天性が欲する生涯の選択を任すのは、自分に本当に忠実なものとはいえません。結局が自分です、自分に真に依拠すべきです。  さて、私は今、人々を自分にしっかり依拠するように勧め勧めてここまで筆を運んで来ました。ところで人々は「では自己とは何ぞや」と改めて私に聴かれはしますまいか。されば「自己とは何ぞや」。自己とは、まずこの我が肉体によって差し当り象徴され、かりに形づくられています。しかしながら、今一だんと自問自答を突きつめて「では本当の自己とはどこか体の一部分にでも潜んでいるのか」「手に聴いてみよ、足に聴いてみよ、鼻に、口に、耳に、背に、膝に」「どこにも答えなし」「では残った頭と胸と腹に聴け」「腹は落ち付き、胸は騒ぎ、頭は重きのみ」。  ついに見出し得ない自己の代りにそこへ大きな虚無がくちを開けた。しかし、力を落してはいけない。暫時その寂漠に堪える人には忽然と湧く一念があって、その虚無のくちをふさいでくれるでしょう。この一念は自己の片割れである。この一念をまず捉えよ。そしてそれに合する外界の念を呼ぶべし──つまり南無と唱えて仏への祈願をこめるのである。この時唱える「南無」(「南無阿弥陀仏」を現代語にいい換えれば「光明と叡知よ、今、我に来れ」)は、この時に適した行進曲ともいい換えられます。ここの仏をいい換えれば、本当にこの自分を形作り、この世に出した宇宙の根本生命の当体だというのであります。  自分の内部に起った懸命に自己を尋ねる一念と、その一念が呼んだ外部の念が祈願に依って合するところに真の自己は生れる。その自己がその刹那において直覚したものこそ、真に自己の声、自己を証明する声、真の自己が自己に呼び掛ける声、教える声──しっかりその声を聴取なさい。雑念の蔭にその声を逃してはなりません。 二  人、ひとたび自己の信念のもとに、自分の職業なり技術なり芸術なり商業なり農業なり、ともかくおのが志すところを極めたら必ず低迷躊躇しないことです。欲望を整頓し心を端然と正して一途に自分の方向に行かなければならないことはもちろんでしょう。私が今さら、ここで筆を執って書くのもおかしいくらいあたりまえな事でしょう。ですが、このあたりまえな事をあたりまえに行ってゆくことがその実いかにむずかしいかを多くの人は知らないのではありませんか。  かの鎌倉時代の禅宗の高僧、道元禅師という大知識が、すでに至高の修業を積まれた上、三年の間支那へ留学されました。その時代の支那は前代の唐時代よりやや衰えたとはいえ仏教隆盛国として、我国から時々留学を志して渡支致しました。禅師もその一人として如何に稀有な奇抜な卓説を持ち帰られるかと人々は待ち構えていたものです。しかるに、当の禅師にありましては却って淡々として答えられました。曰く「眼横鼻直」。  これを直訳しますと、「人間の顔の眼は横につき鼻は竪についている」というのです。これを意訳しますと、「世の中の本当のことはあたりまえということだ。自分は修業に修業を重ねて結局そのことを本当に知って来た」と禅師は答えられました。私も曾てこういう事をしみじみありがたく痛感したことがありまして、次に書くような歌を詠んだことがあります。 梅の樹に梅の花さくことはりを   まことに知るはたはやすからず  たんたんたる歩みを運んで、自分に与えられたたんたんたる道を行くことは一見非常にたやすいようですがなかなかそうでありません。ちょっと道に花がある、停ち止って眺める。ちょっと岐路がある、そこへ曲り込んだらどこへ行くかと好奇心を起す。それからまたたんたんたる言葉をもって過不及なしの話を語りつづける。これもやさしいようで難しい。人間は、ともすれば誇張したり妄言を吐く性癖を持ち合せています。まったく人間というものは自分ながらつくづく持ち扱いにくいものであると思わざるを得ません。その始末の悪い人間が、心を落ちつけて、対象物を明瞭に視てつまるところ、人間の顔は眼が横につき鼻が竪についている、というような確実な正常な認識を得て一毛だも動ぜぬ人生の鑑識を備えます。これは大した修業の結果です。しかしながら、この大盤石量の達観は持ち得なくとも、常にこの理を心に置いて人生の間違いない生き方をする。そして、もし自分が「眼」のたちの人間でそれに相応した業務をもち、それによって成果を得られるならば、「鼻」のたちの人がそれによって得られる成果を羨望しないところに、この人生の良き現実の世界が在り、自他の区別が整然とついた立派な差別相が保てるのです。  モルモットを擬人法に書いた童話の作が私に在ります。そのモルモットの若い息子が、自分達種族に他の獣類のような尻尾を持ち合せないのを不平に思って、親の家を無理に出て広い世界の獣類のなかへ、自分に付ける尻尾の毛を探しに出て、ある時大滑稽を演じて他の動物のもの笑いになって恥しめられたり、時にはまた大変な危険に会ったりとうとう元来尾のない性の者が尾を欲する間違いを悔悟して親の家へ帰るという筋ですが、自己の領域以外他人の領域まで冒して自他の境界を乱す者への誡めともなろうかと思われます。 第二九課 慈悲  ひとくちに慈悲ぶかい人といえば、誰にでもものをやる人、誰のいうことをも直ぐ聞き入れてやる人、何事も他人のために辞せない人、こう極めてしまうのが普通でしょう。それはそうに違いないでしょう、それが慈悲ぶかい人の他人に対する原則ですから。  しかし、原則というものは結局原則であります。ものごとがすべて、原則どおり単純に行って済むのなら世の中は案外やさしいものです。お医者でも原則どおりですべて病人が都合よく処理出来るなら、どのお医者でもみな病理学研究室に閉じこもっていれば世話はありません。なにも、面倒な臨床学など習って実地研究の何年間など費す必要はないわけです。ところが、その必要がある。ありますとも、そこが臨機応変、仏教のいわゆる、「時、処、位」に適する方法において原則を実地に応用しなければなりません。  本当の慈悲とは、ここに本当にものを与えるに適当な事情を持つ人がある。その時、その人に適当な程のものを与える。それが本当の慈悲であります。ここに一人の怠け者があって、それが口を上手にして縋って来たとする。その口上手に乗ぜられ、ものをやったとする。それは慈悲に似て非なるものであります。おだてに乗った、うかつものの愚かな所行です。そんな時、ものをやる代りに、そのなまけ者のお上手者の頬に平手の一つも見舞ってやる。誡めになり発憤剤になるかもしれません。その方が本当の慈悲です。  人のいうことを聴けば宜いといって人を甘やかすばかりが慈悲ではありません。お砂糖ばかりで煮たお料理は却ってまずい。一つまみの塩を入れてたちまち味の調和がとれるではありませんか。時には、いつくしみのなかに味一つまみの小言もいれなくては完全の慈悲とはならないでしょう。  愛情ばかりで智慧の判断の伴わない慈悲は往々にしてまた利己主義の慈悲になります。折角、自分は善良な慈悲心でしているつもりのことが、利己主義の慈悲心になっては残念です。  トルストイの作品のうちにあった例だと思います、何の職業をしている人だったか忘れましたが、とにかく慈悲を心がけて暮しているある男がありました。ある冬の夜、非常に天候が荒れ(あるいは雪の夜だったかもしれません)ました。慈悲深い男は、家外の寒さを思いやりながら室内のストーヴの火に暖を採り、椅子にふかぶかと身を埋めて静かに読書しておりました。と、家外の吹雪の中に一人のヴァイオリン弾きの老爺の乞食が立ち、やがてそれは寒さのために縮んで主人の室の硝子扉に貼りつくように体を寄せました。主人はもとより慈悲の心で生きている人です。しばらくヴァイオリン弾きの乞食姿をあわれと思って見ておりましたが、やがて意を決して硝子扉を開けました。主人はそして、ひたすら恐縮するヴァイオリン弾きを室内へ招じ、暖かい喰べものを与え、ストーヴの火をどんどん焚き足して長時間吹雪のなかにさすらってこごえて来た乞食の老爺の体をあたためてやりました。  翌日、その翌日となり雪は晴れ道もよくなりました。ヴァイオリン弾きの老爺はしきりに主人の邸内から辞してまたさすらいの旅に出ようとしました。しかし、主人はきき入れませんでした。どこまでも、自分の邸内にとどめて可哀相な乞食音楽師を安楽に暮させようと心掛けました。それにもかかわらず老爺のヴァイオリン弾きはしきりに辞去したがる。するとなおさら主人は引きとめる。ほとんど強制的にひきとめる。  ある夜、主人はヴァイオリン弾きの老爺が、突然無断で邸内から抜け出し、どことも知らず、逃げ失せたのを知りました。「ああ、彼は、やはり空飛ぶ鳥であったか」。こう気がついたのは、主人であったか、読者たる私であったか忘れましたが、とにかく利己主義な慈悲の例証にこの話は役立つものです。すなわち、主人は、ヴァイオリン弾きの本質を達観し得なかった。彼の放浪的な運命をつくった性格を見透さなかった。彼の生き方は、どんな憂き艱難をしても、野に山に、街に部落にさすらって歩くのがその性質に合う生き方なのでした。そういうものには、そうさせて置くのが好いのです。彼の幸福は、決して暖衣飽食して富家に飼われ養われている生活のなかには感じられなかったのです。彼は主人に引き留められているうちどんなに窮屈であり、旅が、さすらいが恋しかったか知れないのです。彼は主人の好意がむしろ迷惑だったでしょう。主人の慈悲は彼にとってむしろなくもがなの邪魔だったでしょう。  それにもかかわらず、主人は自分が慈悲を行っていることに満足を感じていたでしょう。自分の「志」を立てることばかり考えていた主人は、それがために相手が、どんな不自由や迷惑を感じているかに気がつかなかったのです。つまり自己満足、利己主義の慈悲とはこういうことなのです。  有難迷惑の好意についても一ついえば、某外国に一百六十歳近い長寿者がありました。皇室ではそれを嘉せられ、召し上げられて飽衣美食でもてなしました。長寿者はたちまち死にました。粗食故に長寿していた生命が、美食に遇ってたちまち破損してしまったのだそうです。  要するに本当の慈悲とは、相手の立場や本質を考え、自分の慈善的感情本位でない施行において本然の達成が遂げられるのです。 第三〇課 愛・憎  愛しようと努めたとて、なかなか愛し得るものではありません。愛は花のようなものです。ひとりでに心の中に咲かなければならないものです。花は温かい季節に多く咲きます。心の季節の温かい人は愛の花を多く心に持つわけです。心のあたたか味は何から湧くでしょうか。理解からだと思います。理解を広くしようと心がけている人が世の中を最も広く愛し得るわけなのでありますが……しかし、ここに、感覚というものがあります。感覚の非常に強い人は、なまなかの理解ぐらいでは愛し得ざるものに愛は起し得ません。その人の愛は「道徳の愛」とは違うのですから。ですからそういう人は狭くとも深く愛して行くその人の傾向にまかせるよりほかはありません。詩人などにこういう性分の人は適当するのですが、一般人のなかに立ち交って随分不自由しなければならない性質でしょう。人間はいろいろな性質につくられているのですから仕方がありません。道元禅師という昔の禅宗の高僧は「この感覚」の自由さえみとめられました。仏教が「道徳教」でない証拠です。生きた、自由な、真実な軌道に添っている宗教である証拠です。  憎みは大概、自分にとって都合の悪い対象者に向って湧く人情です。たとえば、自分の子をいじめる他所の子は憎い、自国に敵対する他国が憎い、自分の位置を凌駕する競争者が憎いなど。  ことごとく自分に都合の悪いものを憎むのは人間の本能の利己的感情がそうさせるのでありますが、世の中は自分に都合の悪い存在者が一ぱい居るといって好いほどです。その者達をいちいち憎んでいては、第一自分の気持ちが苦しくてやり切れないでしょう。一歩利己的感情から退いて理解の上に停って見たらどうでしょう。よしんば自分の立場から見て都合の悪い存在者でも、その者にはまたその者の立場があり理由があって生存していることが判るでしょう。  といっても利己主義や、憎みはやはり人情の本能ですから、なかなか全部たちどころに捨て切れるものではありません。憎みは憎みとして胸に持ちつつ、少しでも理解の掌でその胸を撫でながらとにかく自分の立場を保って行くことです。すると、ただの憎みの結果とはよほど違う余裕をもってその対象者にも好感を与え、それがやがて、自分の立場を保つ立派な砦となるかも知れない。ただの憎みは獣の憎みです。相手に牙を剥かせるばかりです。却ってますます身を危地におとしいれるだけです。  この憎みにもまた変態があります。たとえば、手におえないやくざ息子などあります。母親はそのやくざに欺され欺されして常にむだ使いのお金などねだり取られます。それにも拘らず、孝行な他の賢い子より、そのやくざで嘘つきな息子の方が可愛ゆくて憎もうとしても憎めない。  これは仏教でいう「人間の無明」といって心のなかに無智な感情がある(女性には殊に多く)。そこへ巣喰う一種の盲愛があり、それがために自分を欺く憎むべき者をも憎み得ない。いわばその「憎めない」は盲愛の変形でありますから、愛についての検討の部に属するものですが、しかし、普通の憎みの感情に対して変態的なもの、つまり憎み能わない憎みとでも強いていえばいえましょう。変態人情のおもしろみの立場から見れば、一がいに悪いことともいえませんが、それでは母も子もほろびてしまう。滅びても変態人情の美に殉ぜよという強いての好みを持つならばとにかく、人生の本道を歩もうとすれば、「無明」を憎む憎しみは、やはり生かさなければなりません。 第三一課 性欲  性欲は人間の三大本能(食欲、睡眠欲、性欲)の一つであります。そして他の二欲と違って、年齢により著しき消長があります。青年期から壮年期にかけて強く、少年期はまだ現れず、老齢になるに及んで減退するものであります。この性欲の根本使命は、種の保存、子孫繁栄にあるようですから、これを今さら取り立てて説明研究する必要はありません。ただ注意としてそれが非常に惑溺性を帯びておりますが故に、少くとも人間である以上、理性を以てこれを調整して行かねばならないと言うにとどまるのであります。  が、ここに性欲の別の見方、重大な活用法があるのでありますから、性欲もなかなか放置して置けません。  最近医学の進歩につれて、この性欲なるものは、人体内の諸所より血液中へ分泌される内分泌物、すなわちホルモンの司る作用であって、そのホルモンが血液に混じて体内をめぐり、一方性欲を惹起させ、他方また精神、肉体を強靱ならしめていることが実証されて来ました。そして性欲を濫費する時は、ホルモンの減少を来し、従って肉体精神の衰弱を来すことになり、これに反して、性欲を矯めて、ホルモンを適当に保存する時は、ちょうど、草の尖端をつめて、幹を太らせるように、精神力、体力を充実させ、それによって偉大な事業、絶大な忍耐、神聖な生活道程をなし遂げ得るのであります。  仏教では、この性欲などを三毒(貪・瞋・痴)のうち、貪(むさぼる本能欲)の中に入れて餓鬼の性質にしていますが、この貪を転向浄化せしむる時は、一切の善を求めて止まざる性質となりまして、遂には完全無欠の人格者すなわち仏陀の位にまで達せられると言うのであります。すなわち、この貪の性欲があればこそ、これを利用すれば人格完成の最後の幸福境に達せられるのですから、性欲の取扱い方もここにおいて非常に大切になって参ります。 第三二課 恋愛  子供は大抵中性です。中性というのは男性的なところも、女性的なところもあるものです。  それが年を経るに従って、男性、女性を発揮して参ります。男性には剛健の肉体、鬱勃たる勇気、不撓不屈の精神、鋭敏な決裁能力などが盛り上って来ます。女性には柔軟な優しみ、惻々たる慈悲心、風雅な淑かさ、繊細な可憐さなどの情緒が蓄積されて来ます。  この両方の特長を兼ね備えるということは人格が完成された完人に望まれることで、中途半端な私たちにはなかなかの難事であります。そこで男女はおのおのその特長を持って助け合い、両性の協調で人格完成に近づこうとします。  普通これは結婚した夫婦の形式において協調して行くのですが、男女はもとからおのおの一方の特長を持っている人間ですから、物心がついて性の相違を意識する時期には、本能的に自分に欠けたものを補おうとして異性が互いに慕い合い、近づきたがります。その熱烈なのが恋愛であります。  恋愛は人間の本能でありますから善いも悪いもありません。ただ自然の事実です。そして各人各様、遺伝も違い性質教養も違うのですから、この発作がある人もあれば、ない人もあります。これもまた、自然の事実でいずれが善いとか悪いとかするわけのものではありません。ただ恋愛については、次のごとき注意が要ります。恋愛をする人は大概年が若いのですから、それに溺れやすいのです。溺れてしまえば一所停滞であって、宇宙生命の根本原則である人格完成へ向っての進化発展の道に叛きますから、人間としては堕落です。故に恋愛に陥ったら、この根本原則に鑑み、結婚に入って早く協調助力に便利な境遇を作ることです。また、真の恋愛は、終世結び合って憾みのない、男女互いの人格を信頼し合える極めて清貞純真なものでありますが、これが一歩誤まると、性欲のためにそそのかされたり、あるいは一時の感激に駆られたり、また恋愛のための恋愛などという浮気なものがありますから、強いて好んで近寄るべきものではありません。因縁のある人が避け難き運命の下に、恋愛に遭遇して、止むを得ず取り上げるようにしてはじめて必然性が見出されます。また恋愛なくとも、結婚してから充分心使いによって、愛ということは生み出され味わえるものですから、恋愛のなかった生涯だといって寂しがることもありません。すべては人間人格完成を目標にして考えれば間違いはありません。  釈尊のように人格が完成された人になると偉大な中性であって、男性のよいところも女性のよいところも、みな持つようになります。 第三三課 婚約の前に八方手を尽せ  婚約ということは、殆んど結婚したも同様で、婚約してしまった後で、また取り消すということは、人情的にも、法律的にも面倒です。だから婚約する前にまず充分調査して、後でまごつかぬようにしなければなりません。  ここに一人の若い女性があって、夫を選ぶことになりました。やがて候補者が見付かったので、彼女は自分でも、八方手を尽して、その男の身元、素性、性癖、能力、健康、収入等を知ろうと努めます。また彼女は、身内の者および友達の調査や意見も聴きます。そうして最後の判断は自分の覚悟で決めます。つまり出来るだけ智慧を働かしたのち、決心をつけるのが順序であります。  もし、この順序をあやふやにして、全部人任せだったり、又は、ろくろく調べもせず、ただ覚悟ばかりで婚約し、間もなく結婚に飛び込んだとします。その結果が良かった場合は、稀な幸運としても、大抵の場合は結婚成績が予想外に不良なもので、例えば配偶者の性質、人格、趣味などが自分と全く融け合わないものであったり、配偶者の境遇に自分が到底同化出来ないことが判ったとき、その女はどうなるでしょうか(これは男が嫁を貰う場合としても同じことです)。その後の生活がめちゃめちゃになってしまうことがあります。そんな不運な場合には、さあ、準備に手抜きがしてあっただけに、ああもして置いたなら、こんなことにならなかったろうに、こうもして置いたなら、こうはならなかったろうなどと、後悔する方にばかり生活力を奪われ、またその失敗を他人のせいにしたり、自分の軽挙を恨み、眼の前の不成績を取り戻す努力は一向お留守になります。  反対に、これがもし、充分手を尽した上のことであってみれば、いわゆる、人事を尽して天命を待つというところまで念を入れたものであったなら、たとえ不成績が襲って来ても、これ以上は出来なかったのだ、自分にとって不可抗力なのだ、と綺麗に諦めがつき、身内や友達の責任まで、自分一人で引き受けてしまって、不成績な荒筵の上にも悪びれず座っていれば、自ずと心に余裕と元気が湧き、まあ、物は試しだ、切り抜けられるところまで切り抜けてみよう。どうせこの家の主婦として運命付けられた以上、他家の嫁じゃないという気になって再び立上る勇気も出て来るのであります。  この八方手を尽して充分の調査をすることは仏教での俗諦に当ります。そして最後に結婚すべきか否かの決心をすることが真諦に当ります。俗諦は言葉を換えて言えば世間的の知識経験のことで、真諦とは真理を覚り、それを信仰することであります。俗諦をも充分に尽し、その上に真諦を置くということは、人事を尽して天命を待つということです。人事を尽さずして天命を待つのは迷信になります。婚約するまえに八方手を尽さず、ただ向う見ずの覚悟で、僥倖を頼りに結婚するのは、一種の迷信であります。とんだ間違いが起きたり、失望落胆が来るのが通例です。  仏教では俗諦すなわち世間的の知識経験を非常に重大視し、これを欠くべからざる必要物としますが、なおその上に真諦すなわちものの真実を確認することを疎かにしません。通常の人たちのように、人事を尽した後はただ漫然と天命を待つという、そんな態度を執りません。なお積極的に、信仰の力によって、配偶者となるべき人と自分とが結婚すべきか否かを、真理的に観察するのであります。信念は心を平静にし、透徹させます。俗諦を去って公平無私にします。そこで、鮮やかな判決がつけられるのです。 第三四課 結婚と夫婦愛  青年男女が相当の年配に達すると、自然と起る呼び声があります。「いつまでぐずぐずしているのだ。もう身を固めてもよかろう」。それは傍からも聞えて来ますし、自分自身の内部からも湧き上って来ます。何故そんな呼び声が起って来るのでしょうか。自分の家庭を作って心身の拠りどころとし、ひいては子孫をもうけ家系を絶やさぬようにするのが世間のしきたりだからそういう声が起って来るのだと。それは通り一遍の解釈であります。しきたりだからという単なる理由だけでは、何も青年男女の殆んど総べてが時期に後れまじと吸い付けられるように結婚するわけがありません。  それは全ての人間の内部に潜む人格完成の種子が、時期来ってますます芽を伸ばさんとし、それと呼応して全宇宙に漲る大生命の哺み育てんとする作用力が、この種子に働きかけるためだと仏教では考えるのです。内外呼応して人間を刺戟するので、知らず知らずその自然力に押し迫られて青年男女は結婚という形式を以て──これは二人協力ですから比較的気強いです──人格完成に向うのでありましょう。これが「もう身を固めねばならない」という嘆声になります。また身内や友達も自己の体験に響いてそうさせるべきだという自然力を知らず知らずのうちに感じて「もう身を固めなさい」という助言を与えるのであります。そこで自分はもちろん身内のものや友達などが寄ってたかって配偶者を見付けにかかります。そして複雑な因縁の理によって、前から恋していた男女、縁つづきの男女、あるいは外見上、偶然の機会で知り合った男女、または思いもよらぬ人の勧告、仲介によって、男女は一生のかためを致します。しかしいずれも結びつくべき因縁があって、結びついたものであります。  結婚するに際して持参金目当てとか、家門のため、子孫繁栄のため、生活能率増進のため、放蕩防止のために結婚しようとするのは浅はかな考えであります。目的はもっと重大な人格完成にあります。かくして青年男女が、最も信頼するに足る媒酌人や神仏などの一種の権威の立会いの下に、いよいよこれからの二人の生涯を一緒に合せて、それを連帯責任として永遠に負担するということをハッキリと誓うのであります。恋人同志間でも、お互いに助け合って行こうと言い交わしますけれど、その意志や感情は実生活上のいろいろの事情のために妨げられて、どんなに変化するとも知れませんから、二人の結束もいつ破れるか判りません。結婚はその危険に対して防衛すべく、保証人を置いて天下に二人の意志継続を宣言するのであります。  新婚当初の愛は、まだ本当の意味の夫婦愛ではありません。殆んど普通の恋愛に近いものでありましょう。しかしその華やかにして遠慮がちな新婚生活は、一心同体となって勇ましくも荊棘多き人生行路を突き進まんには、余りに果なき生活であります。  恋愛は、男女対等の立場に置かれて、しかも異性としての特長がある限度までは相反する方が却って両者の愛は増すのであります。これと反して夫婦愛はなかなか複雑なものではあるが、いずれか自我を捨てて無我となり、両者一身のごとく融け合って、遂には、性的愛着から解脱するものさえあります。  故に結婚当初、恋愛生活を夫婦愛と間違えていたものは、結婚後二年、三年、五年と経つうちに、余りに身近く打ち融けてお互いに異性としての魅力もなくなり、兄妹のごとく、師弟のごとく、母子のごとく、友達のごとく、感じて来るのに唖然として新婚の快い夢が覚めるのであります。この時が結婚倦怠期であって、最も戒心を要する時であります。相互の矛盾欠点が眼に立ち、赤裸々の男女が鼻突き合せて、遠慮会釈もなく、ザックバランに、二人が本当にこれから先きの長い生涯を一緒に暮し得らるるや否やを吟味するのであります。その刹那こそ真剣にして悲壮な場面であります。この際、男の社会的地位も事業も風采も何のたしにもなりませんし、女の器量も表情も勘定のうちに入りません。ただただ赤裸々な一男性と、一女性とがお互いの愛と、ともに担い合う意力とを吟味するのであります。かくしてお互いが信頼し得るものと決定したとき、その決定は仏教の真諦に相当するものであって、物の真実性を認めたものであります。決して誤算がありません。この時の結合はもはや人智や意志の結合ではなくて、因縁の理による自然力の結合であります。私はこの結合を機として、本当の夫婦愛、本当の夫婦生活が始まるのだと思います。この結合にまで到達した夫婦の愛は、水中に魚の泳ぐがごとく、山に樹木の生えたるがごとく、自然そのものであります。時たま喧嘩することもありましょう、恨み嫉むこともありましょう、また不平不満を洩すこともありましょう、がしかし彼らは決して離れられないのであります。どんなにしても別れられないのであります。ここに離れられない夫婦の例があります。たまに夫が他の女のところへ出かけようとします。無論一心同体の妻が感付かぬはずがありません。そこで妻は玄関を出ようとする夫に向って快活に話しかけました。「あなた、どこへいらっしても、結局女ってみんな私と同じよ。私より良くもなければ、悪くもないのよ。無駄をしないで、私と遊びに行きましょう」  そこで夫は苦笑しながら、「こうさばけられては仕方がない」と言って、朗らかに妻と一緒に遊びに出かけました。  何という安心しきった妻の言葉でしょう。母のような、友達のような、先生のような。そして時たま謀叛気を出しながら夫は、やはりこの妻を信じ、決して離れようなどとは夢にも思っていません。 うつし身のつひに果てなん極みまで   添ひゆくいのち正眼には見よ 第三五課 家庭  私は紅山茶花を見るといつも思うのです。家庭というものは、こうも静かで浄らかであり、可憐なあでのいろをも添えたい。静かで浄らかでも蓮の花ではあまりに淋しい。梅でも百合でも香があって常住をともにするには刺戟が強い。では香がなくまた淋し過ぎない花として桜はどうか、牡丹、しゃくやく、の花はどうか。それはあまりに華やか過ぎる。紅山茶花の「紅のいろ」こそ、静かな浄らかな山茶花に、しかも淋し過ぎない「いろ差し」を持っている。  家庭は休息場です。静かでありたい。浄らかなところは、永遠に人を飽かさない。といって淋しくてはいけない、静かで、浄らかで、あでに可憐な紅山茶花!  そして水晶の二寸形の観音様をどこかの棚に置かれたい。嬉しい時、悲しい時、いつも掌を合せる。観音は私達の生活の護りの母です。  観音のスマートで清麗な容姿を私達の生活に加えるだけでも、どれほど美感に恵まれた家庭生活となるか知れません。 第三六課 ハムレット  ハムレットは、叔父に父を殺され、殺した叔父に母は嫁ぐ。自分はその叔父すなわち彼の恋人の父を殺さねばならない。しかも恋人はそのために狂死する。およそ世界の悲劇を一人で背負ったような青年です。それから彼はいちいち几帳面に仇敵に、それ相応の復讐を遂げ、自分はわざと恋人の兄の刃にかかって死にます。因果応報の道具にだけこの世に生れて来たような青年です。彼が台詞の言葉で言うように、これだけでは彼にとっては全くこの世の中は懐疑です。何もかも因果応報ずくめのこの芝居の中で、ハムレットだけには、骨折りばかりあって褒美の方が足りないようです。しかし、さすがは作者の沙翁、実は褒美は幕の外からハムレットに与えるようになっています。何かというと、見物の深い同情です。  以上で、この芝居は、外観には非常なもつれが行われて見えますが、中身は不増不減で、よく収支決算がついています。そこがちょうど現実の縮図を見ることになるのです。この芝居の何となく、いつの時代でも人をひきつける力があるのは、そういうところから来ております。日本の忠臣蔵もおなじことです。  仏教の言葉で、これを「実相平等因果差別」と言います。実相平等とは善因は善報を受け、悪因は悪報を受けて、ちゃんと割り切れるという、物事の実体方面で常に不増不減のところを指します。因果差別とは、物事の表面の現れ方で、一波万波を呼び、善悪相闘い、目まぐるしい凹凸のある方面を指します。 第三七課 お茶時  イギリスの家庭では四時過ぎ頃、家族一同集まってお茶を飲みます。いわゆるお茶時です。お茶は紅茶で、お茶受けにはパンの薄片にバターを塗ったもの、ビスケット、ケーキ、その時々の主婦の思い付きによります。時にはコーン・フレックスといって玉蜀黍の沢山入ったパン菓子の暖め立てのものを食べます。なかなか美味しいものです。  巴里へ行きますと、沢山ある珈琲店で、香り高い珈琲のコップを前に控え、人々はひと息、息を入れています。珈琲の容器が柄の付いた縦に細長いシークなコップで、それに吸管をつけて来ます。これがいかにも巴里らしい感じをさせます。巴里の珈琲店は給仕も男で、客は家族連れで行ける極めてさっぱりしたものです。  私たちも一日に一度ぐらい家族と集まってお茶を飲みます。格別何といって話もあるわけではありませんが、何となく気持ちに潤いが出て、あとの仕事の励みになります。  考えてみれば不思議な習慣です。別にお腹も減っていなければ咽喉が乾いているわけでもありません。それでいて、これを省くと何となく物足りない感じがします。用事のある客が来たのを招き入れて用談かたがたお茶を飲むときもありますが、どうもあとで、はっきりお茶を飲んだ気がしません。やはりお茶を飲むときは無駄なようでも、のんびりした雰囲気を作って家族一同の気持ちの転換を計った方がよいようです。  世の中に無用の用ということがあります。無用なればこそ役に立つということです。  昔、ある国に非常に倹約な殿様がありました。幕府から普請奉行を命令ったので、材料の木材を川に流して運び、それを陸へまた引き上げました。今でもそうですが、この時代にも人夫が材木を鳶口で河岸へ曳き上げるには掛け声をかけたのでした。殿様は河岸へ出張って材木の曳き上げを見ていると、いかにも掛け声が長くて仕事の時間が不経済だと思われました。「やれこのえんやらえ」というのであります。これをずっと永く引いて掛け声するのであります。殿様は早速人夫頭を呼んで言いますには、「全く掛け声しないのも永年の習慣で気が済むまい。だから掛けてもいいが、終いの方の文句だけに致せ。はじめの方は倹約致せ」といいつけました。鶴の一声でありますから仕方がありません。人夫頭は命令を人夫一同に伝えました。そこで人夫たちは、終いの文句の「えんやらえ」だけで材木を曳き上げてみましたけれど、どうも調子が悪くて直ぐ疲労てしまいます。しかし、文句の倹約は、殿様直々のお触出しですから、今さら、もとへと願い出も出来ません。窮した結果が、次のように掛け声を改めました。「はじめは倹約えんやらえ」と。殿様はさぞ吃驚したでありましょう。これは私が子供のとき付いていた乳母が得意になって私に話して聴かした話で、今に耳に残っております。 「イギリスの家庭の美風は、お茶時で維持されている」「フランス人の機智は、珈琲店(日本のカフェーとは違います)で培養される」。こういうことがよく西洋で言われています。  ですから、物事はあまり無用だ無用だと言って切り捨ててしまうのもいけませんが、さればと言って、無用のものを、有用のものの妨害になるほど増長させてもいけません。よく世間には、「まあ落付いて一服」と言って莨ばかり吹かし、結局何もせずに落付きじまいになってしまう人もあります。この辺の兼ね合いはなかなか難しいものです。こういう言葉があります。 有無相通じ、長短相補う。  このよき調節の伎倆は、やはり自分に対する活きた眼を備えることによって、はじめて得られるものでありましょう。 第三八課 懺悔 さんげは 心象上の生理作用です。 人間の体の皮膚に老廃物が溜れば 一つ一つの毛孔がふさがり ついに健康に支障を来すように 人間の心にも 心を活かして行く上に不必要なものがたまる。 たとえば、過去の嘆きとか悩みとか、罪悪を悔いる気持ちとか、 それらは体の皮膚にたまる老廃物と同じく 人間の心象のはたらきに溜る老廃物です。 さんげすることは 一体の皮膚を洗い流すと同じに 心の皮膚に溜った老廃物を 洗い流すと同じことです。 ためて置いては 次ぎ次ぎに新鮮に生きて行く 心の働きの邪魔になります。 ですから、ためらわず懺悔なさい。 もし、その前にひざまずき さんげするほどの価値も親しみも 人間のうちに見出せないならば 南無、み仏よと呼び掛けなさい 必ず必ずみ仏は来給う さんげなさい、み仏の前に そして心のよごれを拭ってお貰いなさい。 懺悔なさい、懺悔なさい、み仏の前に。 第三九課 入学試験に臨んで  私の知人の息子が、嘗て小学校卒業の年、中学校の入学試験に失敗し、翌年は信仰によって立派に合格した例があります。  その少年は、小学校時代は、組でも中以上の成績でしたが、随分と小心者でしたから、いざ中学校の入学試験を受けようとすると、試験場で胸がどきついたり、口が乾いたり、すっかり逆上して、何度も勉強したところを思い出せなかったり、自分の受験番号や名前さえ書き落したり、問題の意味をちょっとのことで大間違えしたりして、二、三校受験してもみな駄目でした。来年はどうかして合格しなければならぬと、試験度胸をこしらえるため、方々でやっている模擬試験(入学試験のまねごと)というのを度々受けたのでしたが、その翌年、本当の入学試験が来たとき、三つも中学校を受験してやはり駄目でした。その話を少年の母から聞いて私は気の毒に思い、どうかして少年の気を落ち付かせようと相談しました。そして私はその少年を招んで、仏さまを念じさせようとしました(仏を念ずることは、天地間の力と智に、自分の内部にある力と智とを結びつけることになります)。私の応接間でその少年を椅子に静かに腰かけさせ、眼を瞑って、心の中で「仏さま、仏さま、どうぞ仏さま」と、気が静まるまで呼びつづけることを稽古させました。するとその少年は暫時して、大変気が落ち付いたようだと言いますので、今度は、少年の持参した試験問題集の中の二、三の問題を別紙に抜き書きして、その少年の前の卓上に載せました。少年は、直ぐそれを何んだと思って、見ようとするのを、留めて、それを見る前にまず仏さまを念じさせました。少年は前のとおり眼を瞑って「仏さま、仏さま、どうぞ仏さま」と念じ続けました。そしてしっかり気が落ちついたと自分で感じたとき、眼を開いて、静かに試験問題を見させました。そして、答案を書かせました。  このやり方を、家へ帰っても毎日、繰返すよう言いふくめました。どんなやさしい問題でも、それを解く前に、いちいち、仏さまを念ずる癖を付けました。  その年の九月、第二学期はじめに補欠を採る中学校のあるのを聞いて、その少年は編入試験を受けたのでしたが、今度は立派に合格しました。しかも五十人近くの受験者のうちで十人の合格者があったのでしたが、その少年は二番で合格したのでした。  とてもにこにこして私のところへお礼に来たその少年に、合格のお祝いを言いながら私は、少年の受験当時の様子を詳しく尋ねました。少年は何もかも打ち明けました。 「試験の前夜、いつでも不安で眠られなかったので、今度は、『仏さま、仏さま、どうぞ仏さま』と念じ続けました。そしていつの間にか眠ってしまいました。私は本当に、『仏さま』と言うことだけで何でも思うことが成就することを信じました。それから、試験場へ入る前に、もう胸がおどって仕方がないので、水を飲んで、お小用して、その後で『仏さま』を念じました。すると大分落ち付きました。  それから試験場へ入って、腰かけ、答案用紙が配分られ、前方の黒板の上に試験問題の紙が貼られると、またしても胸がどき付いて仕方がありませんでした。それで私は眼を瞑って、下腹を両手で押えて、『仏さま』を念じました。そのとき試験官がやって来て、『何をしてるのだ』と言いましたので『気を静めております』と言いましたら、試験官は『ああそうか』と言って離れて行きました。そんなことがあったので私はまた、胸がどきどきして困りましたが、また『仏さま』を念じました。しかし、その時の私の念ずる仏さまへの言葉は、以前のよりも、もっと付け加えました。『仏さま、仏さま、どうぞ仏さま、私の勉強しただけは全部、私に思い出させて下さい。一度でも眼を通したことは洩さず思い出させて下さい』。そう念じ続けました。  すると、何となく、『よろしい‼』というような一種の応現というのか確信というのか私にはよく解らないが、ある瞬間が私のうちに来るのです。その時に、私は静かに眼を開き安静な気持ちで受験番号や名前も書き入れ、問題の解答を書き進めて行きました。そして、書き終えてなお時間が余っていたから再び『仏さま』を念じて気を落ち付かせ、もう一遍吟味してから答案を出して、試験場を出ました。いちいちの試験について私は同じように『仏さま』を念じて全試験を、書き落しもせず、ど忘れもせず、本当に心残りなく終了しました。そして予想外の好成績で合格しておりました」  そう語り続ける少年の、いたいけな姿を見守って私は深く心を打たれました。  少年の試験場における念仏に依って直接に得たものは何か、それは宇宙に漲る大きな助力と、自分の内部に蔵ってある潜在意識(一度でも経験したこと。生れてから今までの間に、一度でも見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、感じたり、意識したりしたことは、必ず脳の中に記録されていて、平常は潜んでいて気付きませんが、折りにふれ、催眠術により、あるいは心を澄ますとき、偶然判って来る意識です)とが喚び起されて、少年の記憶を助けたのでした。  試験地獄に直面して、そこに自分の小さいながらも人生の血路を切り開いて行った健気な態度、自分の繊弱い性質をどうにかして支持して行った苦心、そこに立派に少年の一つの理想が握られていました。苦悩の上に幸福が輝いていました。地獄と極楽とが手を繋いでいました。  その少年は、今では中学校の上級生です。成績も十番以内です。いまでも、試験の時は必ず「仏さま」を念ずると言います。私はそれを聴いてその少年に言いました。 「試験にばかり、仏さまを利用してはいけません。あなたもこれから大人になるのですから、いろいろの事が身に振りかかって来ます。そのとき、何事によらず、仏の力を信じ念じて、立派な人格者、本当の幸福者にならなければなりません。判りますか」。すると少年は答えました。 「判る、判る」と。 第四〇課 僻み 僻みとは こころの窪みに溜る 垢です 弱い人 偽りかざりたい人の こころは窪む 真実は 人を落ちつかせ こころを窪ませない 爪に爪が酬い 憎みに憎みが来るように 垢はまた垢を呼ぶ 垢にはまた バチルスが 宿る バチルスは またこころを むしばむ かくて 最初は窪んだだけのこころ ついには腐れむしばむ 腐れむしばみ初めたこころ ついには あとかたもないこころとなります こころが ちょっとでも窪み 一微塵の垢でも溜ったら 一微塵の垢でも溜ったら それと気づいたとき 直ぐにも 直ぐにも 垢を拭き払い こころの窪みの皺を直すことです 仏を念ずれば こころの皺は たちどころに直る ほとけとは 何か なにものか 宇宙に充満している 真実だ 力だ われらの心の 弱まるとき 窪むとき 直ぐに 真実よ 力よ、来れと 直ぐに 呼ぶべし 念ずべし、念ずべし 仏よ、まことよ 仏よ、ちからよ 来りたまえと 念ずべし 念ずべし ほとけを、仏を、ほとけを、仏を 第四一課 体育  一時、「自然に還れ、自然に還れ」という声が盛んでした。近頃の青年男女はそんなことを叫ぶ代りに直ちに実行に移して、大空の下、大地の上を、天幕旅行にハイキングに、登山にスキーに、競走に水泳に、ドライヴに乗馬に、積極的に自然へ向って飛び出して行きます。そして浩然の気を養っております。これは誠に結構なことであります。しかし、そういうことをするのに、時間と費用との余裕がない人も随分多いのであります。又、日常の劇務にすっかり疲れ果てて、何を好んでこれ以上体を疲らせなければならないのかとさえ言う人もありましょう。がしかし、不自然な毎日の生活に一定の秩序と生気を与え、意志を強固にするには、やはり仕事そのものの中にか、あるいは別のことで自然の運動法則に適った体育法を工夫することが必要ではないかと思います。  私は嘗て、墺国の首都ウィーンで、体育家の人気者ホーエンスタインという人に面会しまして、親しく氏の自然運動科学の実地を見せて貰いました。私は全くその突飛さに一驚しました。ところはウィーン市のコニー島というところにある自然運動学校でありました。  まず氏の説明を聴きますと、  私たちは間違った仕方で体を動かしているそうです。そのため私たちの筋肉はだんだん元来の機能を失って行きつつあると言われました。また私たちの体の支えかたも本当でないため、体の均斉がとれてない。誰もかもみんな、どこかが片輪になっていると言いました。それから、私たちの動き方、歩き方は、ちょうどあの羽ばたきはするが飛ぶことの出来ない牝鶏のようなものだ。我々は靴を発明したために、非常に足尖や膝の本来の使い方を忘れてしまった。人間と獣類との間に身体の構造についてさほどの大差がないのに、人間の体の動かし方や歩き方は獣類に比して、まるで竹馬に乗っかって歩くように(木に竹をついだように)全く不自然にゴツゴツとぎこちなく歩く、そして直ぐ疲れてしまい、かつ歩きぶりが不意気なものだ。そればかりでなく、我々の身体のいろいろの器官の運用法にもひどく間違いがある。それらのために我々はますます弱くなり片輪になって行きつつある。人類の身体はギリシャ、ローマ時代(日本の上古・大和時代)を頂上として漸次退化しつつありと叫ばれるに至ったのもこの不自然な体の扱い方に依るのだ。誠に上古のギリシャ人は殆んど素足に近き恰好で、獣類の速歩、普通駈歩、伸暢駈歩と同じ体形で体を動かしていた。すなわち人間の本来の動作をなしていたことが、当時の絵画や模様物で推察することが出来る。彼らは今日の我々が坐ったり歩いたりする仕方は夢にも知らなかったのである。今日スポーツマンにしてこの自然的動作を活用しているものはほんの僅かに過ぎない。大抵のものは誤れる型によって動作するので、本当の能率を挙げ得ないのだ。スポーツマンの内でも水泳の選手が一番自然法を採用している。旧式の胸泳ぎは伸暢駈歩型であり、クロル式水泳法は水平駈歩の型であると説明せられました。  それから氏は独特の体育法を紹介されました。それは、人間は昔の完全な身体の機能を取り戻すために、時々獣類のように動くことを稽古しなさい。骨格といい筋肉といい、殆んど同様な人間と獣類が、一つは垂直に立ち上って動き廻り、一つは四つ足で水平に体を保って動き廻る。この両者の身体使用法を比較して考えるとき、いずれが最も安易かつ根本的であるか。大人の人間は立つことを普通に考えるが、乳児時代の這い廻る人間の子の速さを観察するとき、あれがあのまま二十年三十年這い廻り続けたら、どんなに素早っこく這い廻り、跳ねられることであろう。氏は、自分は決して、今さら愚かしく人間の還猿運動(猿のようになること)を勧めるのではないと弁解されました。ただ人間が忘れている大切な動作の基本法則を取り戻して、これを我々の日常生活や、いろいろの体育競技(例えば乗馬、競争歩行、拳闘、水泳、ダンス等)に応用して、以てその能率を上げさせ、身体のエネルギー浪費の軽減を計ろうと企てられたのであります。実際に獣類の身軽に、なめらかに、しかも正確に歩く形をよく観取して、それを時折自身に応用してみると最初は窮屈だが、次第に楽になり、体も丈夫になり、内臓や筋肉や骨格関節など全部が自然に調節せられて来る。頸の神経痛も頭がぼんやりしたのも、関節や筋肉のリウマチも、胃腸や心臓の弱いのも自然と癒って来ると氏は説明しました。  次に、氏は、実地に練習し体得している学生の様子を見学させてくれました。ウィーン市内の青年男女の有志者が、芝生の上で終日、四つん這いになって暮しているのでした。あるものは山羊のとおりの格好で跳ね廻り、あるものは馬の真似して跳躍し、またあるものは猟犬のごとく走り廻っていました。水泳タンクでも魚猿(尾のない、水泳を好む猿)の真似して游ぎ廻るのがありました。  氏自身も、馬の跳躍の模範を示されました。まず最初に馬に障碍物(垣)を跳び越えさせ、次に氏が、その型をそっくり真似てハードルを跳び越えられた。その順序を述べると、まず膝を屈縮し、差し出した両手で拳を握り、跳び上って垣を越えると同時に膝を曲げ、手と頭を下へ向けて下り、地へ着くとき掌を開いて両手で地につき、次いで両足の足尖で地に完全に下りるのでした。  その後で学校の森林へ入り、掌と足尖とで森の空地をかもしかのように四つん這いになって跳び歩き、またいろいろの他の獣の歩きかたを示されました。特に人間の横っ跳びが馬の伸暢駈歩を真似ると非常にうまく行くことまで実地にやって見せました。  最後に、氏専用の水泳プールで愛育の魚猿の後について、猿の飛び込み方、水くぐり、水の切り方などを真似られました。  氏が自然運動によって得られた均斉の取れた体格とその機能に私は感じ入りました。  日本でも、現在、九州で、ある青年が肺病にかかって、相当費用を惜しまず医療を加えましたが、どうも体が弱るばかりでしたので、医者から体育と養生の根本を聴いてヒントを得、一大決心で家人達と水盃をなし、深山に分け入って全く野獣のように四つん這いの生活を断行し、山泉を呑み、草木の芽や葉を喰べて五年の後、遂に頑丈の山男となって人家に帰って来た事実談を私は聴きました。  以上私は長々と述べましたが、これを以てみなさんに、たとえ時たまとはいえ、今さら獣類の真似をして這い廻り、跳ね躍ったり、木へ登ったり、水泳したりしなさいと勧めるのではありません。自然の中には、生の逞しさと同時に野蛮性があります。すなわち理想的なものと、理想的でないものとがありますから、その理想を採り上げ、非理想を捨てるということが仏教精神であることの実例としてあげました。かように理想を採り上げることは、体育においてもいろいろの方法手段がありますから、私たちの日常多忙の生活上にも自由にその適当なものを見付けて、健康になられることを祈ります。 第四二課 虚栄  虚栄はその字の示すとおり、むなしい栄えをのぞむことです。  もとより虚しいことです、ほんとうに手にも取り得ず、わが身を徒らに吹き過ぎる風のようなものです。これを捉えようとするものは労れるだけです。  労れはやがて生命をほろぼすものです。しかも虚栄の姿は、もっとも甘やかに華やかに人々を誘惑の手で手招くのです。  ほんとうの栄えは仏神を念じて、生命の底から湧き上る力を得てのちに得られるものだと信じます。 第四三課 時計と椅子と袴  ここにちょっとした面白い話があります。一人の青年がありました。ある紳士の邸宅の応接間に、面会時間と定まっている午前中に、着物を着て、袴をはいて、椅子に腰掛けております。するとこの青年はどう見ても面会人のお客さんです。ところが、もしこの青年が夜中の十二時過ぎに、シャツ一枚で、応接間の窓から半身入れて室内を覗き込んでいたら、これは何に当るでしょうか。盗賊と言いたいところですが、青年に盗みごころがなければ狂人か白痴でしょう。これではどう見ても面会に来たお客さんとは言われません。  同じ青年でありながら、ある時は立派な面会人のお客さん、ある時は狂人か白痴。これはどういうところから違って来るのでしょうか。これには三つの条件について狂いがあるからです。第一は時期の不適当。第二は場所の不適当。第三は資格の不適当であります。  青年は、午前中に来るべきものを夜中十二時過ぎに来たのは時間が不適当であります。青年が椅子に腰掛けず窓から半身覗かしていたのは場所の不適当であります。青年が着物、袴を着けずにシャツ一枚で来たのは服装の資格の不適当であります。この三つの不適当のために面会人のお客さんと同じ青年が、狂人か白痴に間違えられました。  これによっても判るように、天地の間の万事万物はみな、この三つの条件のどれ一つかの狂いで、正不正に別れ、善悪に別れ、美醜に別れます。例えば愛について言ってみますと、一人の夫が道を歩きながら、見も知らぬ女性に愛を語ろうとしたら、これは不道徳ばかりでなく、場合によっては法律上の問題になります。これは三つの条件が狂っているからです。この夫が自宅の内で妻に向って愛を語ろうなら、無事であるばかりでなく、いよいよ家庭円満の根を深めます。これらは、あんまりはっきりし過ぎたことですから、馬鹿らしく思われるほどですが、世の中の大概のことは、これほどはっきりしていないので相当に注意しなければとんだ間違いを起します。日常私たちは物事を、大抵常識で片付けたり、あるいはいわゆるかんとかこつとかでやっております。そして、果してそれが三つの条件に嵌っていたかどうか、あとで随分危ぶまれるのであります。中には覿面その狂いが酬って来て、今さら後悔の臍を噛むようなことが沢山あります。三条件が不適当だったということは、その物、その事を、充分適当な時期と場所と資格において活かし切らなかったということであります。ちょうど、炭火を熾して、充分熾ききらないうちに捨ててしまうようなものです。自分に対し、社会に対し、天地に対し、このくらい生命の不経済はありません。これは何とかして生命の火を本当におこし切る工夫をしなければなりません。ここに至って必要になって来るのが智慧です。仏教は一方から言えば生命の経済学。智慧はその応用の力であります。 第四四課 人間の味  ある料理通が次のような経験談を致しました。「だんだん料理を食べて行くと料理の手を余り加えたものより少く加えたもの、少く加えたものより全く加えないもの、結局、自然の味そのものが美味なってしまう。芋や大根なども、煮たり焼いたりするより、生のままの方がどのくらい、よい味か知れない」と。  この言葉は、私たち素人にはちょっと直ぐにはその妙味が解しかねますが、多少の察しはつきます。  私は欧州航路の船が上海に寄港しましたとき、人に招ばれまして有名な四川料理の支那料理店に行きました。そこで支那一流の濃厚料理が数え切れぬほど出ました中に、忽然と野菜だけの一鉢が出ました。その野菜というのが蓮根だの、慈姑だの普通煮て食べる種類のものを、ただ皮を剥いただけで、ざくざく輪切りにしたものでありました。その当時はただ珍しい原始的なことをするものだくらいにしか思わないで撮んだのでしたが、あとで考えてみると、濃厚と濃厚との味の間に挟まって何だかそれが一番おいしかったようにさえ思い出されます。さすがに支那は料理の国、この生の野菜を出すのにはなかなか考えたところがあるのでした。  人間の味というものも、結局、最後には純情素朴の童心の美しさでありましょう。しかし、ただの童心というものは、文字どおり童心一枚だけのものであって、狡智に嚮い、悪辣に懸かったときには、ひと堪まりもなく壊れてしまいます。欺され陥れられるばかりであります。修業もしない、ただの童心が良いとするならば、子供はすべて聖人であって、修業というものの必要はありません。  童心にして万事に応じられる機用を備えてこそ、磨かれたる童心であります。  よく「嬰児の如かれ」などと言いますが、「如かれ」というところに価値があります。もし「嬰児たれ」と言ったとしたら、その言葉は零です。  人間は乳首を銜えて腹匍っているところに値打ちがあるのではありません。ここでまた料理の味の話に戻れば、生の野菜の味は、あらゆる味を味わい尽した料理通においてはじめてこれを談じ得られ、これを、かの支那料理の中におけるごとく、活かして使えるのでありまして、ただの人がやたらに生の野菜を喰べたのでは、ただの物好きにしか過ぎません。  世の中の酸いも甘いも味わい尽した人の、確実な性格の裏付けの上に、なお純良性が残り、素朴性が保留されている、そういう性格の味わいの現れが本当の尊い童心であります。無邪気なばかりが尊いとは言えません。素直だから、善良だからと言って、幅も高さも重味もない性格では、本当の人間の味も価値もありません。 第四五課 賞める・叱る  他に対し、賞めるべきか叱るべきかは、その相手により、場合により、事情により決定されるものであります。  この賞める方を仏教では摂受門と言って、養い育てる方法です。例えば朝寝坊の青年に向っても、無暗と朝寝を叱らずに、 「随分よく睡眠を取ったね。感心感心。これでは今日の昼は、さぞ勉強が出来るでしょう」  そう言って、勉強に精出させるのです。しかし、こう言われてますます朝寝を増長させなお勉強もしないようでは、その青年にこの摂受門は適当しません。叱った方がよいのです。  叱る方は仏教で折伏門と言って、悪いところを除き捨てる方法です。朝起きの青年に向っても、その朝起きを賞めないで、 「朝起きしたって、ただぶらぶらしていたのでは何にもならない。まだ寝ていた方が邪魔でないだけましだ」  などとひどく言いまして、青年を発奮させなお一層働き出させるように導くのです。こう言われてすっかり意気銷沈してしまったり、却ってひねくれて、仕事を始めぬのみか、再び寝床へもぐるような者に対してはこの折伏門は害があります。  一つの手にもこの二門が備わっております。掌を伸ばして撫でるのは摂受門、握って打つのが折伏門です。  どっちにしても大事なことは、内心、相手を末は善かれと思う親切心を持つことです。  この二門は他に向ってばかりでなく、自分が自心に向っても常に働かせる有効な二方法であります。反省するときは折伏門よく、気を取り直すときは摂受門です。  仏、菩薩では、不動明王は煩悩を智の利剣で斬り伏せる折伏門係り、観世音は慈悲で智慧を育て上げる摂受門係りであります。 第四六課 他愛  他を愛することばかりが美挙の全部だと思っている人があります。他を愛する気持ちにばかり酔っている人があります。  なるほど、他を愛し、他よりよろこばれ、他のためになって自分の心の満足を味わうということは実に美しいよろこびです。  しかし、それがため、自分をすっかり失くす人があります。失くすだけならまだ好い、失くして今度は他人にねだらなければならないとしたら、だらしがないではありませんか。  他によくすると同じように自分にもよくするのが本当だと思います。人間には利己主義の本能があるので、そこへおちいらないブレーキのために「無我の愛」などという言葉が設けられてありますが、それは覚者(仏陀にも等しい人)が自分を全部他の者の中に生かすというような宗教的行業において特別な場合もありますが、普通世上に生存する人達が、いちいち生活上の軌道においてそういうことは不可能なことです。前にもいったように「強い我」を持つ人間として「無我」くらいな覚悟はあってほしいのですが、いざ実行の場合においては、それこそ仏智の方面を余計はたらかしてほしいのです。たとえば布教にしても、自己をまずある程度まで完了してから人にひろめよと仏教の方ではいってあります。このいわれはまあ、他人のために骨を折るとか、他人にものをやるとか、普通の生活の場合にあてはめるには少し適切でないかもしれませんが、祈って自分に在る仏智を喚び起せば、おのずから自分と他人との間に分布する好意の平均はとれるわけです。  自分の生命とてあながち自分一個のものではない。宇宙の大切な一分派、つまりつくり主から預った一つの生命です。粗末にはなりません。他人の生命が大切と同じように大切なものです。その自分のものをみんな奪って他人に与えてしまうのは出過ぎたはなしです。そして他人から感謝をうけて好い気持ちになるなどと贅沢すぎる話です。二つ持っていたら一つ与えるが好いのです。他人に一つ入用なものなら自分にも一つ入用であるべきはずです。他人に二つやってしまって自分に一つもなくなり、結局またほかの他人のところへどうしても入用になって一つのものを自分のために貰いに行く、それでは何にもなりはしません。  もっとも、これは原則ですが、場合によっては本当に全部投げ出して他人に与え、他人を救わねばならない時が誰にもあります。そういう場合とそうでない場合の鑑別もまた、仏を仰いで仏智に依るより正確なことはありません。 第四七課 利己主義  利己主義ということは、人間の生きて行く上において是非必要なことでありますが、それを余り強調拡大させると、隣人はもちろん、社会にまで迷惑を及ぼします。ですから今では殆んど吝嗇とか、欲張りの代名詞になっています。これは誠に残念に思います。正当に利己主義を使うことが日本ではまだ実行されていないようにさえ思います。そのために随分無駄をし過ぎたり、お互いに邪魔をし合ったりしているのを見受けます。  フランスやドイツの田舎の農家などを私どもが訪問したり招待されて行って見ますと、非常に喜んで大歓迎をしますが、夜の十時半頃になりますと、そこの夫妻が立ち上って、「私達は明日の仕事があるから一足先きに眠ることにするが、あなた達は、わざわざ楽しみに来てくれましたから、どうか思う存分、徹夜して騒いでくれ、それからいろいろご馳走もここに在りますから、どうぞお勝手に食べて」、そう言って、私たちお客のところへ近寄って、その家の玄関の戸の鍵を手渡しながら「お帰りの時、この鍵で外からかけて下さい。そしてその鍵を郵便受け函の中へ投げ込んで置いて下さい」と言って、別れの握手をして、夫婦は眠りに寝室へ去ります。後に残された私たち日本人らは、へんな気抜けした気持ちで騒ぐことも止めて、すごすごと帰ってしまいますが、外国人はそれを非常に好意に取り、また、そうするのが当然としてお客に行った家で、夜ふけまで騒ぎ廻ります。またそうして貰った方がその家の者も後で気持ちよいそうです。  かように、自分の明日の仕事に少しも差支えのないことで客人達を喜ばせ、客人達もその利己主義を許容し、主人夫妻をして明日のために充分眠らしめ、そこで自分も安心して自分達の愉快を尽すというところに、本当の利己主義の妙味があると思います。  こういうことは、因習、風俗、制度などの少しく異なる日本に、今直ぐ応用すべきことでないかも知れませんが、参考にはなると思います。  日本では、こういう場合に、客人達に義理立てして、客人達全部が帰ってしまうまで、二時でも三時でも起きて付いています。そしてとうとうその夜は寝ずじまいになり、客人達もその義理立てを当然に思って平気で居ます。そういうことが度々続いたとしたら、その結果はどうなるでしょうか。主人夫妻の方ではその翌日の仕事が駄目になりまして、その不満がお客に向うと、「あのお客達は長尻で困る」などと愚痴をこぼし、終いには訪問されるのを嫌うようになります。またお客達の方でも少しは気の毒に思ったり、恐縮することもありましょう。これではお互いの親善とか好意が無駄になります。  物事には程が必要ですが、それは、お互いにお互いの利己主義を認め合い、お互いのためを思い合って、お互いの利己主義を出来るだけ調和して発揮させて行くことが、博愛主義にも通ずる利口な利己主義の使い方だと思います。かくして健全な独立した個人による調和された社会、国家が成立つのであります。仏教でも、まず第一に自己を立てることを勧めます。お互いが自己を立てようとすれば、勢い他を立てることになります。それを利他と言いまして、自利、利他、相まって、完全な人生を出現させようと仏教は説いております。 第四八課 女のヒステリー  世間一般に言いならされたいわゆる「女のヒステリー」というものは、医学上でいうヒステリー症とは大変な相違があるようです。医学上のヒステリーは一種の精神病を指し、それは女ばかりでなく男でも子供でも起るそうです。その患者は時折癲癇のようにひっくりかえり、不断でも体の方々が痺れたりするそうです。しかし、私がここで述べますのは、世間でよく人々が悪口に言う「あの女はヒステリーだよ」とか、夫が妻に「お前はヒステリーだ」と言う、あのヒステリーのことです。  いわゆる女のヒステリーは、愛欲の変形であります。何ものをも惜しみ奪わんとする情欲と、気に入らぬものをことごとく排斥せんとする感情の入り交ったものです。他人の功績を嫉み、自分がそれに及ばぬのを口惜しがり、人々に愛されぬのを不満に思い、常に自分が悪評され、世間から除外されるのを気づかい、一日一刻たりとも気を落ち付けて過すことが出来なくなります。  このヒステリーは、大抵結婚した女に多いのであります。それは、余り世間の荒い波風に当らなかったか弱い、あるいは生一本な処女が、家庭を持ってその主婦となり、周囲の煩瑣な事件や境遇にひどくいたぶられた時、それに呼応して起った心内の愛欲苦悶が素直にはけ口を得ずして鬱屈し、これに加えて肉体的の過労や病気がますますヒステリーを引き起す助縁となります。そして、常に心を悩ます事柄には特に過敏になって来ます。例えば、家庭において唯一の頼みとする夫に背かれた場合、あるいは背かれたように誤解した場合、または前以て予期して、びくびくしていた姑や小姑に気に入られぬ場合、あるいはそう誤信した場合、その事に限って特に過敏になります。夫が女中と口を利いたのを、愛のささやきと誤り、嫉妬の焔に身を焼き、周囲の人々をみんな敵のごとく考えたりします。  しかし人間の脳力には限度がありまして、嫉妬とか邪推とかの方面にばかり鋭くはなりますが他の方面は無力になり、意志力なども弱くなって、前後の見境いなく騒ぎ出したり、急に陽気になって笑い出したり、先刻までひどく嫌っていた人を急に好きになったりします。この状態が嵩ずると本当の精神病になってしまうでしょう。恐ろしいことです。どうしたらこの状態を正常の位置まで匡正出来るでしょうか。すなわち女のヒステリーを、どう処置したら良いでしょうか。その原因の一部は、夫に在り、周囲の身内の人達にもあるのですから、それらの人々は充分注意してこの女の安心を得るよう努めるのが人情でありましょう。  しかし、女のヒステリーなるものは、持って生れた過剰な愛欲の変形したものですから、──しかも愛欲だけ過剰であって、他の感情が少いから圧えつけられて現れないので──その愛欲をどうにかしなければ根本の治療になりません。  ヒステリーが医薬で治療出来る程度のものでしたら、直ちに医師に任せる方がよろしいですけれど、ひどくなったヒステリーは、ものが精神作用の問題ですからちょっと面倒でしょう。  その女に向って諄々と正常な愛欲を説きさとすのも全然無駄ではないでしょう。催眠術をかけたり、一種の暗示法や精神分析による解悟法も幾分効果があることもありましょう。  がしかし、一旦歪んでしまった愛欲は、なかなかそんなことでは、もとへ引き戻せるものではありません。こんな際に仏教では、その歪み傷ついた愛欲をそのままそっくり信仰の行業へ向わせます。 「ある地方の町に、女学校がありました。中年で数学の教師の奥さんは、狭い町中で直ぐ評判になったほどのヒステリー女でした。毎日女学校へ行く夫のことを思うと身も心も切り刻まれるほど苦しみました。私の夫の顔を、校中の学生たちがみんな見詰める。そう思うだけでも夫が汚されたように考えるのでした。そして夫が学生たちに笑いかける。そう思うだけでも、もう夫は堕落したように思いました。いっそ女学校へ飛んで行って、この人は私の夫よ、と宣言してやりたいとさえ思い焦りました。夫が帰宅しても出迎えもせず、側へ夫が近寄ると、汚ならしいものが出来たように身を引きました。しかし内心では夫を死ぬほど愛していたのですから、脳も疲れ果てて嫉妬することや、疑ぐることが出来なくなると、呆然として、ただただ馬鹿のように夫に寄りすがるのでした。  ある日のことでした。妻は身を町角に隠して夫の帰途の様子を覗っておりました。やがて夫は歩いて来ました。そして運悪く、横町から出て来た若い女に思わず知らず振り向きました。夫の不行跡を待ちもうけただけに、そんな些細なことでも妻のヒステリーに異常な刺戟を与えました。やにわに必死の暴力を出して夫を組み伏せた妻は、禿げた夫の頭を叩いて泣きわめくのでした。これを目撃した町の人々や、同じく帰途にあった女学生たちは、余りのことに呆れ果てて、その周囲に立ちつくしました。  もう翌日からは学校はもちろん、町中大評判になって、その教師は辞職せねばならぬ羽目になりました。どんなにその夫妻は悶え苦しんだでしょう。三日間の後、もはや仏神の力を仰ぐより外、仕方がないと覚りました。そして日蓮宗のお寺を訪問して救いを求めた時、勧められたのは、お題目を一心不乱に唱えて、太鼓を叩くことでした。そこで彼女は、悲しいにつけ、苦しいにつけ、恨めしいにつけ、嫉ましいにつけ、お題目を唱え、太鼓を叩きました。それは単なる行為でした。でも、不思議なことに、彼女の強烈な感情は、題目一つ唱えるにつれ、太鼓を一度叩くにつれ、雲散霧飛して行きました。彼女は今まで持て余した情熱を、みんなその方面に吸い取られて大変楽になりました。やっと彼女の感情は整理されて、正当な夫婦愛に立ち帰って来ました。その間に、夫は、妻のこの健気な姿に幾度むせび泣いたことでしょう。一緒になって題目を唱え、太鼓を叩いて妻の信仰を援けました。  人の至誠は何人にも感動を与えずには置きません。町の人達も、女学生達も、更生したその教師を再び校庭に迎えて懐かしみ、また尊敬致しました」  仏教は、人生上の欲望煩悶を救わんとして出来上ったものでありますから、この例などの救済は最も得意とするところであります。しかして、釈尊をはじめ、古今多数の開祖、名僧知識たちは、大抵その欲望、煩悶の人一倍強かった人達でありまして、自分自身の克服解脱から割り出した宗旨、教義、修業法でありますから、それぞれ救い方に特色があります。そのいずれの宗旨、教義、修業法によって自分が救われやすいかは、自分の性質によく似通った開祖や名僧知識の説きましたものを選ぶのがよろしいと思います。例として挙げました女の劇しい単的な性質には、日蓮宗の行業がうまく当て嵌ったのでした。 第四九課 仕事  仕事を力一ぱい以上にやり、身も心もほとほとに疲れ果て、しかしそのまま寝倒れるのも惜しいというときがあります。このとき、つまらない末梢神経は尾をたたんでどこかの隅に消え隠れてしまい、ただ大きく頷く了々たる月のようなものが心の一角に引きかかっています。また感謝と恍惚が身体の節々まで浸み通り、皮膚さえ匂わしく感じられるのです。  仕事はどんな出来でも、自分には、これ以上出来ないのです。これ以下にも出来ないのです。  庭の景色が晩秋の午前の陽を受けて、おぼろな面ざしで私の顔に貼付くほど近く浮き出して見えます。池の鯉の尾鰭の揺めきが頬に柔かく触れるようです。 「無我」というのは、こういう気持ちでしょうか。人に言われた皮肉も痛くなければ、褒められたのにも浮き立ちもしません。  ただ、しとしとと心の上より下へ向って滴り落ちる雫は、思いやりと、慈しみと、親しさと、恩愛の情です。  そして、それが誰へ向けて、どちらの方へということはありません。広く深く、私より気の毒な方へ。ただそれだけです。  私は合掌して口誦みます。 妙音観世音  梵音海潮音 観音の有難さ、それは潮の音のごとく大きくひたひたと押し寄せる。 勝被世間音  是故須常念 世俗の雑音の上をおおうて衆生の呼ぶのに応ぜんとする故に、人々は常に観音を念ずべきだ。  さればといって格別需むることもありません。  空に、プロペラの音がします。私は寝ます。ゆうべ徹夜でした。 第五〇課 塹壕戦  物事を成し遂げるには、塹壕戦の覚悟が必要だと思います。自分の職場を守って、いつまでもいつまでも忍耐し、最後の成功を得るというやり方であります。  かの欧州大戦で、最初は一時も早く敵を倒してしまおうと、急勝に戦いましたが、そうしますと死傷ばかり多くて、ともすれば戦線に隙が出来、まかり違えば敵に背後を突かれるという危険がありました。そこで戦争の中頃からは一面に塹壕を掘って辛抱くらべを始めました。そしてじりじりと最後の勝利を得ることにしました。この戦法はその際是非とも必要だったのでした。それより他に仕方がなかったのでした。しかも塹壕戦は長く続くので、地中の薄汚ない坑道の中で、地層だけを見詰めて歳月を送っては、人間の生活だかもぐらもちの生活だか判らないという惨めさに、もう我慢出来なくなったり、またいつ先方から襲撃されるか、爆弾や、毒瓦斯弾が飛んで来るのか解らないという不安状態、それに加えて、こちらから少しも飛びかかって行けないという焦れったさや口惜しさまでが入り混って、とうとう、小心者は戦争恐怖症という狂人になってしまいました。それで塹壕中でのいろいろの慰安とか、士気を鼓舞する手段が講ぜられました。芝居だとか、活動、ダンス、トランプ……等。そして常に目指す敵の動静を見張りながら、味方のこれに対する構えを変化させて、持久戦をつづけたのでした。  私は、これからの世の中は、何事によらず、ますますこの塹壕戦の仕方と同じ仕方でやって行かなければならないと信じます。何故ならば、人口は殖える一方人智は進む一方ですから、その烈しい競争場裡において、ちょっとやそっとの知識や経験手腕では、直ぐと押しのけられたり、蹴落されるのであります。相当に世に認められる仕事をするには、何か自分の得意とするもの、あるいは自分に振り当てられた仕事に就いて、塹壕戦のつもりで、自分の身形や他人からの悪口を気にせず、また躍り上る浮気心や他人のお世辞にのぼせ上らずに、埃だらけ泥まみれになって努力し続けなければ駄目でしょう。そんな埃だらけ、泥まみれになってまで成功しようと思わぬ人は、何も強いてそうする必要はありません。ただ成功しなくてはいられない人だけ──それは自分自身の止むに止まれぬ欲望のためばかりでなく、家族のためとか、国家のためとか、人類のために成功したい人々は、否が応でも、この地味でパットしない塹壕戦に入らなければなりません。  以上、いろいろの事業職業の外に、科学的の研究や、仏道の修業、すなわち人格の完成には、現にこの塹壕戦の方法を採っています。研究所や僧院は明らかに忍辱の塹壕です。  常に自分をかえり見て、「今、わたしは塹壕戦の真最中だ、しっかり行こう」と落ち付き払って勉強し続けるのです。すると長年月の後には、「塵積って山となり、点滴石を穿つ」というように、必ず自分の才能特色が何らかの形をとって世に現れずにはいません。禅では「生鉄を嚼む」と言いまして、長い間生の鉄を噛んでいると、遂には噛みこなしてしまうというのです。 (注意一)しかし、塹壕戦をやって行くのには、前に述べましたように、それだけではなかなか堪えられないものです。何か絶えず、心を落ち付け慰めるものが必要であります。慰安のため二日も三日も自分の仕事を放棄するようでは、もはや塹壕戦ではありません。日曜も祭日も時には、犠牲にしなければならないでしょう。ですから、慰安なり休養なりは、その塹壕に即した(より添った)ものでなければなりません。出来たら、塹壕戦そのものの中に喜びと興味を持つのが一番確かでありましょう。仏道修業では刻々に自分の心を制禦し得て、刻々に現実の上に理想を見出して行きます。 (注意二)なおまた大切なことは、塹壕戦に向った以上、常に斥候、偵察機(直観)を働かして敵(目的、理想)の様子と味方との関係(自分の進況)を見守っていなければなりません。それをしなくても塹壕戦というものは、時に意外の方向に事業なり修業が展開して、予期した境地とは違ったところに成功することもありますが、まあ出来ることならそんな僥倖を望まず、正当に目指したものを得るのが当然ですから、目的への方向を間違えないよう、直観を働かせなければいけません。しかし直観力の弱い人、または境遇のため思うことが出来ない人は、その人の出来る範囲内で一番よいと思うことを選び出して、それと取っ組んで塹壕戦に入るのです。  以上二つのことをよく注意して塹壕戦を続けたら、何一つとしてその人なりに、達成されないものはないでしょう。  世の中で、成功者と言われるほどの者は、殆んど全部、この塹壕戦をやり通した人達ばかりです。昔の人々は塹壕戦と言わないで他の言葉でいろいろ言い現していますが、中でも有名なのは徳川家康の「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」という格言であります。しかし、私たちは現代人です。感覚も鋭敏になっていますから、この長い文句よりも「塹壕戦!」と言った方が、響きもいいし、単的です。みなさん、あなた方の仕事場の壁に「塹壕戦」とお書きになっては如何ですか。 第五一課 人間万歳 人間万歳 人間万歳 人間よ、泣きたくば泣け 人間よ、笑いたくば笑うも宜い 怒りたくば、怒っても宜い 迷うもなやむも好き勝手だ 人間よ、あなたの持つ七情を生かせ 人間よ、怒って、泣いて、笑って、迷って まだまだあなたの心をみんな生かせ 憎みも愛も嫌いも好きもみんな生かせ 人間よ、生悟りは御免だ 人間よ、白ちゃけた行い澄した顔はおやめ 泣くより怒るより迷うより ずっとみっともない、始末が悪い だが、すこしお待ちよ人間 何もかもあなたの本来 性そのものを生かすが自然 だが、すこしお待ちよ人間 ここに一つの条件がある 怒るに怒るところを得よ 笑うも笑うところがある 泣くもなやむも程度がある 節度を知れ、場所を知れ 仏智の裁きでそれを知れ 仏智は各自の人間が持つ 仏を念じてそれを取り出せ 仏と人間が一つになる いのれば人間が仏になる 仏になれる人間のまま 必ず仏になれる人間 仏になった人間が 「謡うも舞うも法の声」 怒るところに怒り得て 笑うところに笑い得る 嫌いも好きも程を知り 愛も憎みも当を得る 迷いなやみに傷つかず それがそのまま悟りとなる 生きた悟り 性本来を少しも殺さず 活溌溌地の人間生命 精いっぱいに生き切る生命 そこで万歳 人間万歳 それこそ万歳 人間万歳 第五二課 成功  人から、成功と見られて自分ではそれほどと感じない成功があります。  また、人から失敗と見られて、自分では成功と思っている成功があります。  また、人も自分もともに許す成功があります。  人が成功と思ってくれるのを、いくら自分は不満足だとて、にべもない顔をしているのは、あまりに人間味がありません。愛想にも多少は悦んでいいでしょう。  自分に真に成功した確信あらば、あまり人の批評は気にならないものです。  しかし、すべてを超越して真の成功の定まるのは、それだけの価値のものが、それだけの価値を現したときです。これ以上のときでも、以下のときでもありません。  私たちがここに五十銭銀貨を使うとします。その五十銭を五十銭相当に使い得たとき、私たちはただ満足を感じます。しかし、その以下に使ったとき、あるいはその以上として使ったとき、何だかねばった気持ちが心に残ります。 「五十銭を五十銭以下に使ったときは、惜しい、つまらぬことをしたというのでねばった気持ちもしよう。だが、五十銭を五十銭以上に使ったとき、愉快で得をした気持ちはするだろうが、何もねばるものはあるまい」。こう言われる人もありましょう。だが、やっぱり心の奥にはかすかな圧迫があって、その五十銭行使を実力でなく、投機使する気持ちを湧かすのであります。もしそう意識しないとしても潜在意識において。  本当の満足は、自分の実力を実力だけ出し切れたところにあります。それ以上でも、それ以下でもありません。そのとき私たちは、ただ敬虔で真空な心持ちに充されます。心が八方へ浸み通るような真空な気持ちです。  こういう場合には、案外、出来た仕事の成績は気にならないものです。その成績が人に認められて成功しようが、人に認められずして失敗しようが。牝鶏が卵を生んだあとの気持ち。まあ、そんなことも言えましょう。  ものが実力以上に出来過ぎたとき、さあ、この期を外さず人に見せて喝采を博したい。こうも焦慮ります。ものが実力以下に出来たとき、さあ不安で堪らない。何とか人によく見て取って貰って、この自分の気持ちを取りなしたい。やっぱり焦慮ります。  実力を養っては、実力だけずつ充分に表現して行く。その実力は大であれ、小であれ、その人の力一杯だけを表現して行く。ここに人間にとって最も充実した人生があります。実はそれだけで辛苦努力の報は酬われているのです。あとは雨降らば降れ、風吹かば吹けです。だが、そうなると却って形の上の成功も案外伴って来るものです。誰でしたか成功を地上の自分の影に譬えた人がありました。「影を踏もうと追い駆ければ駆けるほど踏めない。しかし静かに立っていれば却って影は身近くある」。この諺で、「静かに立っている」ということは何もしないでただ黙って立っていることではありませんでしょう。刻々、実力の養成とその適切な表現、これを繰り返しつつ静かに立っていることでしょう。  私たちには、十重八十重の因、縁、果の紐が結びつけられていまして、成功を目標にして努力しても、案外早く酬いられる人もあり、随分遅く酬いられる人もあります。これを運命と言っておりまして、中には生存中酬いられずじまいの人も往々見るのであります。いわゆる不遇の人です。真に気の毒と思います。  故に成功を目標にして努力することは、現象的には投機性を帯びたように見えやすいのです。そのつもりでかからねばなりません。しかし、自分の価値の行使を目的として、刻々に努力したならば、その場その場に心に酬いられて来て狂いがありません。いつも静かな感謝と満足に充たされるのであります。  こんなことを言うのは、何も成功を必死に望んでいる人々をくさらせようとするための嫌味でも皮肉でも、また、道学じみた教訓でもありません。お望みの方は、将来の成功のために努力なさるのは、一向差支えないことであります。そして、もし成功された後、これらの言葉を顧みられたら、またひとしお感慨深いものがあるだろうと思います。 第五三課 失敗 失敗が怖いのではない 失敗したときの人間が 「こころを腐らせる」のが怖いのだ 腐れは腐れを呼ぶ 少しの腐れが大きくなる 果てしもないほど腐れは拡がる 失敗を怖れるな 失敗は成功の始めとは あまりに古い言葉というか 古いとて真理ならば それはいつも新しい生命を持つ その言葉は古くしていつも新しい 伸びる前には屈するのだ 勝つ前に負けるのも一興 この考えは古くても真理だ たとえ言い古しても真理は真理だ 真理の前には いつも服する謙遜を持てよ 心を腐らすな 失敗を怖れるな そのため心を腐らすのを怖れよ 第五四課 金  金は、人生完成の途中の小遣銭です。これがなくても他に融通が利くはずです。大自然は大きいから、何かで、伎倆で、智慧で、作物で、自然物で、都合がつくはずです。しかしこの小遣銭がないとなかなか心細く、都合の悪いものです。それでは、金はいくらでもあってよいかと言うと、余り沢山持ち込むと、また、不幸になります。「人間は十万円以上は貯めてはいけない。それ以上になると、その金の始末に始終頭を使わねばならないから、つまり金に人が使われることになって、実に不幸になる。本当の人間らしい生活は出来なくなって、その人の顔付きまで溌剌たる人間味を失って来る」というのは多数の経験者の一致した意見であります。もし金で本当の幸福が得られるならば沢山金があるほど余計に幸福になれるはずですが、それが上述のごとく楽に遣いこなせる程度でなければ却って邪魔をすることになります。  ところが、現在の人々の大多数は、この人生の小遣銭が殆んどないので苦しんでおります。世の中の金廻りが非常に悪いところへ持って来て、人が多過ぎるので、平等にみんなの手に金が廻って来ません。しかも人間は急速に殖える一方です。何とかしなければならないでしょう。まず差し当って、余りお金を無駄使いしないように有り合せのもので間に合せて行くということが必要です。また他の娯楽や欲望はお金がかかりますが、人間完成の大娯楽に向う信仰は余り金もかかりませんから、その信仰に入り、仏智を得て欲望や煩悩を浄化善用し、信念に依る強靱な意志を養成して、以て事に当ったなら、命つなぎぐらいの費用はどうにか得られると思います。  また、みんなが信仰によって根本的に結ばれたら、慈悲の心からお互いに工夫し合い、融通させ合うことも安心して出来ましょうし、その他適当な救済の設備や制度も、信仰団体の中に出来ることになりましょう。  欧米では慈悲や救済は、殆んど宗教の専門のようになっています。また、そのことの出来る理由は、国々の人々の殆んど全部が、同じ宗教に依って根本的につながっているからであります。宗教によって真心を披瀝し合っているからであります。これが散り散りばらばらであっては、お互いを信ずることが出来ませんから、親身になって慈悲の心を出し合うことも出来ません。  日本当面の非常時、政治的不安や経済的行き詰まりにいよいよ恐慌を増して来ましたこの頃では、金融は全く逼塞してしまいましたので、日本の大多数の人々は、その命つなぎの金にさえ不自由する有様に立ち至っております。この時に当って、この窮乏に堪え、かつこれを打開するものは、ただ人々の仏教信仰によっての安心立命と、慈悲の円融なる救済力とに待つのが適切と思います。 第五五課 運命  自分の思うこと、願うことの殆んど大部分が意地悪く逆にばかり行くことがあります。例えば、今度の計画は成功しそうですとか、今度の競争には必ず勝ちますとか、今度の手当で私の病気が全快しますとか、近頃は私はとても丈夫で風邪一つ引いたこともありません、これなら当分私は丈夫でしょうとか、自分でも信じ、他人にも誇らしげに予告したり、時には前祝いまで済した直ぐ後で、皮肉にも計画や予想がすっかり外れてしまって、ひっこみがつかぬ事がよく人生に起るものです。不思議とある人に限ってこの齟齬が度々繰り返されることがありまして、悲運の余りいじけたり、呆然自失してしまう人があります。  これと反対に、外見上、すること為すことが大抵予想計画どおりにうまく行く人があります。世間では、前者を運に弱いとか薄命とか言うのに対して、後者を運に強いとか、又は人々は羨んで、悪運が強いとさえ悪口を言います。  では一体、何が私たちの運命というものを支配するのでしょうか。  世間には、血統に因るいろいろの素質とか、祖先はじめ現在の両親などから与えられているいろいろの境遇というものが、かなり人の一生の運命を決定するように思いきめている人があります。  例えば、遺伝した素質のうちでも、鋭い直覚力などは、物事を遂行する上に随分と役に立つものであって、相当に運命を支配出来るように思えます。直覚力の鈍い人は、どうも失敗しがちのようです。また、遺伝されたいろいろの病気に罹りやすい体質というものも随分人の運命に影響を与え得るものです。そのほか、祖先や両親、親族等から与えられる生活上のいろいろの便宜、例えば資産、権勢、閨閥等もまた、浮世のいわゆる運命をある程度まで支配することがあります。  こういう祖先伝来の便宜というものは、誠に長い間の因果関係によって時間的に縦に組立てられた結果であって、その因縁のなかった人には当然得られない便宜であります。しかし、これらの便宜を持たない人は、何も持たないということが「因」となって、今度は四方から「縁」を吸収して、横に「果」を拡大して行くのです。刻苦勉励によって鈍い直覚力を磨き上げ、なおこれを補うのに、学び得た知識と伎倆を以てするのです。弱い体質もまた、訓練養生によって強壮に向わせることも出来ますし、常に心を配ってその保全を図ればよろしい。いわんや両親から伝染した病気などは医療によって容易に除けましょう。  また、資産、権勢、閨閥なども、空拳でよく築き上げられます。時には、親譲りのこれらのものが、運命開拓に却って邪魔になることさえあります。  かく考えますと、時間的に縦に組立てられた因縁の結果であるいろいろの運命への便宜は、どちらかと言うと消極的、惰性的のものであって、ともすれば安易に付き、運命を腐らす危険があります。  これに反して、これらの親譲りの便宜なき者が、強い意志を以て四方へ因縁を植え弘めて行く努力は、よき運命への力強き、確実な行歩であって、逞しい精神力の持主である日本民族の最も得意とするところであります。  かくして運命は人の造るところとなるのでありますが、それにしても心すべきは、肉体の健全と強い意志の養成が必要であります。そしてその次に鋭き直覚力を掴まねばなりません。これにはいろいろ手段がありますが結局、本当の確信を掴むことです。何か一芸に徹することもよいでしょうが、仏教の信仰と修業とによって智慧を開く方法が最も正確でかつ可能なことの一つであろうと信じます。 第五六課 達人の病苦観  釈尊在世の昔、釈尊が滞在せられた毘耶離城に維摩詰という偉い仏教の体得者がいました。その偉さにおいては釈尊に一目置くだけで、あとの十大弟子などは足元へも寄り付けません。しかし身分は俗士の資格で職業も執り、家庭も形造っていました。  ある日維摩は病気をしたので釈尊は弟子に命じて病気見舞にやられます。ところが維摩は右に述べたような仏教の体得者ですから自分の病苦ぐらいについては立派な心用意があり、今さら、他人から慰めを得る必要もありません。しかし釈尊の弟子ともあろうものが、ただ、形式の見舞いの使者では物足らなくあります。何か維摩の持っている病気に対する慰め以上の慰めを考えて行って彼に力をつけてやり、実のある病気見舞をしなくてはなりません。そうなると維摩以上に人間が出来ている人物でなくてはなりません。それはそうでしょう。家庭の苦労に難んでいる人に独身者の慰めはあまり力になりません。好意を感ずるだけであります。その苦労より以上の苦労をした人の一言こそ、得難き薬になるのであります。  そういうわけで十大弟子は自らその資格なしと知って、見舞いの使者を辞退しました。仕方がないので釈尊は文殊菩薩というのを呼び出して、これに使者を命じます。この文殊菩薩というのは実在の人物ではありません。智慧を人間に仕立てて舞台に引出して来た人物です。よくお経はこういうやり方をします。精神的のものに形を与え実在人物と並べて平気で一つ舞台に立たせるのです。それで仏教は迷信だとか、架空な事をいうとか非難されますが、叙述の舞台上の形そのままを信ずるのではありません。その形が含んでいる内容の意味を汲んで取るのです。そういう戯曲的の表現手段ではダンテの神曲でも、ゲーテのファウストでもみな同じことです。現代のバーナード・ショウのものでもよく観察すれば、この象徴手段が採り入れられてあります。一つの便利な文学的の手法です。  智慧の権化である文殊菩薩は、さすがに自信があるものかこれを引受けて出かけます。智慧の横綱文殊と体験の横綱維摩との立合い問答、これこそ見もの聞きものだというので十大弟子はじめ大勢、文殊について行きます。ここのところを天女散華という題で歌劇化して支那の名優梅蘭芳が得意の演じものにしています。とても美しいものです。仏教もなるだけ、本来の持つところの活々と輝かしいものを取り戻し、感覚にも快いものにしたいものです。  文殊と維摩と会いまして病気見舞に事寄せいろいろ人世に対する考え方、生活態度についての問答があります。維摩の説は要するに、この現実に生きている以上、広い包容力と強い浄化の力をもって、あらゆる価値を活して行く積極的の態度でなくては人間として役に立たない。誘惑が来たら誘惑に立向って行くだけの力を備えてはじめて現実の理想化が行える。堕落が来たら堕落のまっ只中に割って入り堕落を怖れぬ勇気あってはじめて現実の理想化が行える。誘惑に脅え、堕落に尻込みして、こそこそ逃げ廻って蔭で排斥の口叱言をいってるようでは真に人世に忠実なるものとはいえない。つまらない小善主義を叱って大善主義を高唱するのであります。もちろん、そのためには強烈無比、高潔至極の大生命の光照を享け、その自由暢達な働きによって自己の全能率を総動員して行くのでありますが、この妙用はまた自己一心の性能にも備わっているのであります。そこで、この偉大な大善的働きの源をどうして発見し、自覚するかという問題になりますが、ここに維摩独特の「不二法門」(道を求むる、二つとない肝心な体得の方法という事)というのが提唱されます。経にここのところをこう書いてあります。 ここにおいて文殊師利、維摩詰に問う。我ら各自説き自れり。仁者、まさに説くべし。何等をかこれ菩薩、入不二法門という。時に、維摩、黙然言なし。文殊師利嘆じて曰く善哉善哉。これ真の入不二法門。  これでもってみると維摩は言葉でもって説明せずにその生命的活力の源を発するのは理屈や説明ではすでに廻り遠い。無念、無想、無我の心で自照し出す。これこそ心の当体だぞと実地のやり方で体験的に示したのであります。そこで文殊は感心して「善き哉」と讃めたのであります。支那の昔の人もこれを維摩の一黙雷のごとしなどと讃めております。  大生命の活きた力の取り出し方は、維摩に在ってはこうでありますが、他の人々に在っては思索するなり、仏を念ずるなり、題目を唱うるなり、坐禅なりいろいろありましょう。必ずしも維摩流に限ったことでもありません。  以上つい、うかうかと維摩の話をしてしまいましたが、肝心の話は私たちがもし病苦に攻められたとき、どう自分で慰めたらいいかという問題であります。維摩は経の中の問疾品において、文殊の問いに答えて、 衆生病む、故にわれ病む。  と答えております。これは維摩詰が仏陀の自覚に立っていう言葉で、宇宙の大生命は一体のものである。その生命の一箇所の衆生が病めば全体生命の自覚に立つところの仏陀が病んだことになるのは当然であります。故に自分が身代りになって病気をします。仏陀にとっては衆生は自分の身体も同然だからであります。  しかし、この考え方はあまり大き過ぎて早速私たち普通人には間に合いかねます。人々みな仏性を持っている以上、そう自覚する資格はあるのですが、ちょっといま、差当り、その気には大胆になれません。そこで、この意味をもう少し程度を低めて普通の実用程度に解釈したいのです。  それは、病苦というものは、その犠牲を払うことにおいて何らか周囲に利益を与えておるのだと考えることです。  事実、腫物などというものは黴菌が体内へ入って来たのを血液内の白血球が食い止めてともに刺し違えて死んだ筋肉上の塚ですから、肉体の他の部分にとっては感謝すべき無名戦士の墓です。  また、熱だの痛みなどというものも肉体が不健康状態に陥ったとき、それを知らせる肉体機構の妙用で、いわば警報器です。  私たちは、種痘や、チブスの血清注射によって一部の肉体の犠牲を、故意に要求し、全肉体の健康の冒されるのを防ぐ方法さえ講ずることがあります。  これによって、これを見るに、只今の病苦も何らか犠牲的、利他的の意味があるものと思いこれを忍ばねばなりません。「衆生病む、故にわれ病む」であります。自分に不健康状態があるによってそれに代ってこの病苦が引受けて悩んでくれるとこう考えるのであります。病苦を憎まず、素直に療法、介抱するところに早い恢復があります。  家庭の一員としては、家族の代りに自分が病を引受けているという敬虔な気持ちが必要です。その気持ちからどんなに病人の慎ましさや家族愛が生れることでしょう。 「物は考えよう」と世間のことわざにもいいます。まして生命の不思議は心の持ち方で必ず形を変えて来ます。価値的に考えるに如くはありません。  但し、心の持ち方に信頼するとて医者の手当を怠っては何にもなりません。それほど犠牲的なことをしてくれる病いであるが故に、あらゆる文化的の手を尽して早くその苦悩を取り除けてやろう。これは当然の人情であります。医者にもかからずわざと病気を重くするようなことをするのは、自分の身体にみすみす犠牲を強いるものであります。それこそ愚の骨頂であります。 第五七課 死  私たちは、結局死ぬことを知っておりますが、不断は忘れて平気でおります。そしていよいよ死期に直面すると非常に恐れ、悲しみます。もうどうしたらいいのか、絶望と淋しさに泣き叫ぶ不幸な人があります。本当に人間が死ねば、もう後は何も残らず、一切空滅に消え失せてしまうのでしょうか。人間が万物の霊長だなんて威張っていても、たかだか七、八十年経てば、すっかり跡形もなくなってしまうのでしょうか。実際そうだとすれば僅か七、八十年の人生は少々心細いものであります、死ぬのを諦め切れないで悶えるのももっともと思います。そうかと言って死ぬのを嫌がっても、人間は死ななければならないので、何とかして諦める理由を考え出します。ある人は子孫へ向って自分が生き継がれて行くとか、ある人は事業を以て自分の後身としたり、または人を愛したことや世話したことを以て人々の記憶の中に自分のことを残して置こうとします。しかしそれだけでは、死ぬ本人の体や心の直接な説明解決になっておりません。  ところが仏教では、死を別な方面から観ております。人間が死ぬのは、すっかりなくなってしまうのではなくて、一時変化するだけだ。ちょっと私たちに見えなくなるだけだ。人の生死はちょうど大河の水面上に現れた水泡が時々浮んでは、また消えるようなものだ。河の表面にある水は機会さえあればいつでも泡の形になれます。そしてその泡がたとえ一時消えてもやはりもとの水に還るのであって決してなくなるものではない。なおその上に、その泡がもとの水に還った部分の水は、河水の表面近くを流れているので、そのうちに機会さえあれば再び泡になり得るのであります。がしかし、河水全体から見るときは、河水の一部分が泡になろうが、またそれが消えてもとの水になろうが、泡も水ですから、全体として少しも増減がありません。泡になったために河水が増えもしなければ、泡が消えたために河水が減るのでもありません。もとのままで流れて行きます。ただ水の一部分が時折り形を変えて泡になったり、飛沫になったりするだけです。それも必ずもとの河水中に帰って来ます。  人間の生命も、宇宙全体に漲る大生命の一分派であります。その大生命は絶えず進転しています。その流動の上に現れた一つの泡が私たち一人一人の生命なのです。この世に人間という形を以て現れて来まして、いろいろの芸当をやって見せますが、時期が来れば楽屋裏の大生命の根拠地へ帰らねばなりません。役者が一興業が済んで舞台から身を引いた時は、もうハムレットでもなく、大石良雄でもなくただの人間です。がしかしその人間は役者の素質があるから、時期が来ればまたどこかの劇場の舞台面に、変った組合せであるにしろ現れることもあるのです。そのように、宇宙の大生命の一部分が人間の生命となってこの世に現れて来たのですが、それがもとの大生命のところへ帰って来ても、それはなくなるのではなく変化しただけで、大生命の総計はいつでも同じことです。ある人が銀行に預けてある一億円の金のうち一円だけを郵便局に郵便貯金として預け換えて置いたのを、ちょっと下ろしてまたもとの銀行へ収めたようなものです。利息をなしとすればその人の財産には一銭の増減もありません。  このように仏教では、人間の死を宇宙の大生命の方面から見まして、ただの変化、当然の里がえりだと見破りましたので、仏教を知らない人のように、死に臨んでうろたえ騒ぐことがありません。従容として根本生命に復帰します。従って仏教は、死を格別讃美しません。死よりも生れた意義とか現実の生活に重点を置きますので、生きられるだけは立派に理想的に生活させようとします。そしていよいよ死すべき時期が来れば、安心してひとまず宇宙大生命の根本の方へ帰って行くのですが、その帰って行った場所が、宇宙大生命のうちで人間に近い部分に帰っているのですから、いつまた人間に変化するとも知れません。その時は、以前人間であった時とそのままそっくり生れ変るのではないでしょうが、以前人間であった当時のある経験の一部分が残っていて、相当役に立つものと私は信じております。だから私は、みなさんに本当の仏教を勉強なさることをお勧めします。そして、仏教によって私たちの根本となる宇宙の大生命の存在を知ることが出来たなら、続いて死の根本の意味を、私がここで述べたよりもっと精細に、確然と了解されると思います。そこではじめて人間は安心して死に得ると信じます。 第五八課 信仰に入る前の準備  現代人は、折角、今日のような発達した文化の知識があるのですから、この知識を働かして、突き止められるだけは突き止めて、万遺漏のない心用意をしてから、さて「信仰」に入ります。そうしたものはあとで心の揺ぎがありません。それをしないでいきなり「信仰」に入ろうとすると、兎角、遺憾な事や迷いが邪魔をします。  よく世間の中には、宗教と科学とは両立しないとか、宗教は文化に逆行するとかいう意見を述べる人があります。あるいは、そういう宗教もあるでありましょう。しかし、少くとも仏教においては、出発の最初が科学的、文化知識的の結晶として、当時かなり発達していた印度の諸学派を、理攻めにして攻め降し、かくして仏教の存在隆盛を確かめて来た科学と哲学を基礎とする宗教ですから、いつの時代でも、真の仏教はこの出発精神に背きません。あらゆる新科学知識、新文化精神を、それらが真理であるならば、仏教は進んで歓迎し、それらの発達を促すものであります。またそれらの新科学知識や新文化精神を実際生活の上に当てはめようとするときに当っては、仏教は非凡な鑑識力と人格とによって批判適切ならしむるのであります。仏教に含んでいる道理の新しい方面では(例えば十八空〔空の意義の十八とおりの分析 智度論〕など)、今日の新物理学が却って後から証明して来るようなものもあります。兎に角、文化の知識で押し詰められるまでは押し詰め、それから先、越えなくてはならない真理への境を、「信」で飛越して行って、真理を体験に持ち来し、それを生活力にしようというのが仏教の信仰の仕方です。  この方法を採らず、または先輩の体験者の証言を利用せず、浅はかに勝手な信仰をすることを迷信と言います。 第五九課 迷信の話  迷信については、私が西洋にいたとき聴いたおかしい話があります。  白耳義の首都ブラッセルから独逸国境の方へ半日ほどドライヴしますと世界大戦当時最も激戦を極めた地方へ出ます。その遺跡も沢山残っていますが、それでもこの辺一帯の天然の風景は、欧州の中で珍しい平和なのんびりしたものです。一面の青麦の畑は見渡す限りうち続き、澄み切った碧の空に風車がゆるゆる廻っています。その麦畑の畦に、ところどころに鄙びた基督の磔刑の石像が立っていまして、それに士地の農夫達の手作りの花環などが供えられてあります。ちょうど日本の田舎道に在る石地蔵の感じです。  この西洋の石地蔵の一つが、自分でときどき動くというので村の評判になったのです。これは基督の再臨の兆だというので、お詣りが増える。教会では感謝のお祭りがあったのです。大変な騒ぎになりました。このくらいまでは、まず騒ぎだけで済んで来ましたが、今度は、石像がいま眼の前で動くか動かないかで、占いをすることが流行り出しました。当るのも、外れるのもあった中に、この占いの指図で結婚した新婚、再婚の夫婦が三組ほどあったそうです。ところがそのうち石像の台下で鳴声がするというので、村の青年達が掘り返してみると田鼠が沢山仔を産んでいました。これを聞いて結婚した夫婦たちはどんな顔をしたでしょう。鼠の媒酌で結婚したなんて、世間の笑い草です。この例などは、間違えた信仰です。 第六〇課 信仰 一  天地の間に漫々と湛えている大生命の海。いつの原始から湛え始め、いつの未来まで湛え続くとも判らぬ海。涯しも知らぬ海。あらゆるものを育みそだて、あらゆるものを生きて働かせ、あらゆるものを葬り呑んで行く海。その中のこまかい組立てを見ますと、山あり川あり、月あり星あり。国の興亡、民族の盛衰。右や左の運動もその中で行われれば、恋愛、結婚、出産、老衰の人生の過程も繰り返される。飛行機も飛べば、潜水艇も潜航している。万朶の花、菩提樹の落葉、いななく馬あれば、眠る猫あり。いちいち書き尽すに暇がありません。そして私たちもその中に生きている。大生命の海の中に游ぐ小生命の魚のように。  これらの組立ては、いちいちに様が変り、時を経るに従って事情を違えては行くものの、その様の変りよう、事情の違いようが複雑変幻きわまりない中に、およそ一貫した根本の性質があるというのであります。海にすれば海性ともいうべきでありましょうが、大生命のことですから大生命性であります。仏教の術語では「法性」といっております。もっとも各宗の教義によっていろいろ違った名前がありますが、説明が混雑しますからここで使うのは「法性」の一つだけにして、あとは註に掲げておきました。  この「法性」(法とはこの天地間のあらゆる物のこと、性とはその根本の性質。真如、実相、法界、涅槃みな同じ意義)を知れば大生命の根本性質ですから、大生命の基調になる知識にも通じられ、その中に游いでいる私たち魚にどんなに便利で気強いか知れません。それで、それを知らそうとするのが仏教の目的で、知る方法が教義であります。  ところで、この「法性」を知る前に、大生命中のいちいちの組立てにつき、その変幻極まりない複雑な相を、前に述べました因縁の法則に当てはめて相において学び取ろうとするのが、私たちの智の範囲に属する経験や知識です。しかし普通一般の知識、経験というものは、縦横複雑を極めておる天地間の無限の組立てを、有限の人間が経験知識して行くものですから、局部局部であることを免れません。そしてその真理は変っても行きます。それによっては、たった一つの疑問──自分の生き死にの疑問さえなかなか説明してくれそうもありません。それで智の方の経験や知識は漸進的になおも人類の骨折りの蓄積によって開発して行きながら、その知識経験によって現実の生活をして行きながら、一方、慧の方の眼を使って直覚的に、大生命の根本性質すなわち「法性」を見破ってしまおうとするのであります(仏教では智慧を智と慧と判然と区別して、智は現象方面を知る精神力、慧は現象の奥の実在方面を覚る精神力とします)。それによって、まず、先に大生命海の総観的な様子を知り、私たち生の方針も見定め安心して現実生活に就こうというのであります。  ですから智の方の知識経験も疎かには出来ませんが、その根本方針を定めるのはどうしても慧の直覚に拠らなければなりません。なぜといえば前のものは大生命海の部分的のものですし、後のものは総観的のものであります。  総観的のものによって部分的のものを統一して行くのは順序であります。部分的のものが総観的なものを扶け補って行くのが当然であります。故に私は智と慧とは人間文化発展の両眼、一を失って一だけ保って行けるものではない。直覚と知識経験とは協和し提携してはじめて両者を活きるのだと説くものであります。かの宗教と科学とは両立しないという議論なぞは、少くとも仏教には不向きなのであります。  また、なぜ最後は「慧」の直観に拠らなければ大生命の根本性質は掴めないのか、この疑問のある方はあらゆる知識経験を使って、宇宙大生命の根本性質を突き詰めて行かれることをお勧めします。そうして行くと、なるほど最後は直観に拠らなければならない理由を発見して、この「慧」に入るのにたいへん楽であります。あとに未練なく入れます。疑問の深い傾向の方が、この根固を疎かにして宗教に入られると困難に遭遇するごとに、あとにはまだ疑問を残して来たような気がして、後髪をひかれる思いがあるでありましょうから。  しかし仏教には一方、安楽平易な門が拓かれ、ただ信ずることによってのみ、かの「法性」の理を身に滲ますことがいくらでも出来るのであります。  故に一応の道理を聴き置き、諸名僧知識と言われる人の人格を信じて、その教えのままに信仰に入られるのは、また賢明な行き方であります。 二  前節で大生命海の根本性質を「法性」と名付け、これを知るのが大事であることまでを述べました。  ところで面白いのはこの法性は取りも直さず私たちの肉体精神中に秘められておる仏性と一つものであることです。かの法性が私たちの肉体精神上に認められたのが仏性。大生命海中に放たれているのが法性。二つのように見えて実は一つであります。これをよく浪と海水との譬えで説明いたします。  私たちは浪である。大生命は海水である。浪を離れて水なく、水を離れて浪はない。二つに思うのは、ただ私たちの頭の上だけの考えである。実体は離すべからざるものである。  この事実によりますれば、この宇宙の大生命海が無限無量ならば、その浪である私たちの本体も無限無量である。出没生死に見えるのは、形の上のうねりだけである。故に、私たちが形の上の変化、すなわち、生れて、育って、成長して、死ぬ、これだけに目をつけて、本体の大生命との続きを認めなければ五、七十年の一生である。大生命と自分と、一体なるところを認め、五、七十年の一生は仮りの姿と見れば、本当の寿命は無限無量寿である。仏教のぎりぎり結着の話は実はこれだけであります。この外に何も別な考え方も理論もありません。そしてもし、この理が判って、その体験に生きられるなら、もう智慧とか法性とか仏性とかいう区別した話も要らないのであります。ただ毎日、生命の漂うまにまに任運騰々として充ち満ちた生活を送るだけであります。すべての善は、われ知らずにこれを行じてゆき、すべての悪は、われ知らずに離れ去ってゆく至福至妙の状態であります。この心境を説明するのに、人間の言葉に詰って「極楽世界」とか「三昧王三昧」とか、いろいろなことを言いますが、やはり片手落ちの表現に過ぎません。実感はもっと全部的なものでしょう。  ところで、こう書きますと、いかにもわけはないようでありますが、実際この心境に到達した人はいくらあるでしょう。これはその心境に到達した人だけが鑑別されるだけで、それ以下のものには見当がつきません。なにしろ、血の涙の修業の後です。それで、その心境に先に到着した人が、どうか、もっと楽な方法でみんなをここへ到着せしめたい。その願いから生み出されたのが仏教です。まず元祖の釈尊が工夫し出された「四諦」「十二因縁」の法をはじめ、支那へ来ては天台大師の天台宗の教義とか、達磨大師の禅法とかいうものであります。日本では平安朝の伝教大師の日本天台、弘法大師の真言密教をはじめ、鎌倉期になって法然、親鸞、日蓮、道元らの諸祖の新興仏教の出たのもこのためであります。  仏教を大別して、聖道門と易行門とに二分します。聖道門は修業的、易行門は信仰的の区別はありますが、兎に角、根本において「道」の存在を信じない仏教はありません。 「道」とは、かの法性と私たちの仏性と、根本において円通融合している真理のことです。宇宙の大生命と、私たちの小生命とは一体不二であるという真理のことです。それを仏教は信じさせようとするのです。但し、私たちに迷妄執着の凡心がありますから、それがこの自覚を妨げて、そのために私たちは不自由、不足に苦しみつつあるのだと仏教は説明します。  次に宇宙の大生命は、この「道」の義を、私たちに覚らせようと、手を代え品を代え働きかけつつあるのです。それはちょうど、幼いとき家出した浮浪少年を、親がさまざまに手を尽し、迎え戻そうとする骨折りに似ていると法華経は説いております。阿弥陀如来といい、観世音菩薩というものも、実はこの働き(宇宙の大生命が「道」を私たちに覚らしめようとする働き)を指して名づけたものに過ぎません。  私たちは、その迎え戻そうとする働きがつねに私たちの上にあるのを信ずる。これが第二段の「信」であります。  以上、第一段および第二段の「信」を、同時に胸に持ち続けるとき、その覚りの感じがあろうがあるまいが、もはや私たちは逃れざる大生命の子であります。そして、かの大生命の帯びている自然の諸性徳は、順次に私たちの精神肉体を薫化して行くのであります。このことは、他の章でいろいろの例を以て説明してありますから、そこで実際に就いて研究して下さい。 第六一課 信仰生活のあらまし  仏教を信じたものは、どんな生活をするのでしょうか。そのあらましを二つ三つ述べて見ましょう。  第一に安らかな気持ちです。  仏教では、この大きな天地も、私たち小さな人間のいのちも、その根もとで一つに親密に繋がり融け合って、分け距てがないことを教えております。どんな孤児でも、寂しくないどころか、始終、母の手の愛撫をひしひしと感じられて安らかさに充ちているのです。普通の母の手は、やはり人間業ですから、人間の手の中では一番自分に優しく温かな手でありますが、まだまだ及ばぬところがあります。仏陀(宇宙大生命の人格化、覚者の義)の手は行き亘らぬ隈もなく、どんな狭い隙からも霧のように漉き入り、身をも心をも柔かく包みます。旅へ出れば一緒に附いて行ってくれ、また向うでも待ち受けていてくれます。悲しみにつれ歓びにつれ、その手は、程を外さぬよう私たちを和めてくれます。たとえ「もう沢山!」とうるさがって弾ねのけても、それに怒って差し控えるような手ではありません。絶対無条件で慈悲の滴っている手です。死んで、死に別れというような果ない手ではありません。  第二に怜悧になれることです。  仏教は智慧を開く宗教ですから、物事に対して判断がはっきりつくようになります。自分の性格の長所短所、それが判れば自然と、自分の長所を養い育て、短所を補うようになります。自分に出来ることと、出来ないこととが判れば、無謀なことはしません。もしやって失敗しても、その失敗したわけがよく判るようになりますから直ぐ気を取直します。また案外うまく行ったからとて、調子に乗って長追いをしません。あるいはまた、自分の気持ちとしてどうしてもやり進まなければならないことは、はじめから失敗を予算に入れてかかります。予算に入れてある失敗は、もう失敗ではありません。そこで予算どおり失敗しても淡々とそれを見過ごす心の余裕があります。  世の中のあらゆるものに価値を認めて行きますから、憎んで憎み切り、恨んで恨み切り、というせっぱ詰まった気持ちに陥りません。必ず一部、長所と恩恵とを認めて、これを善用します。仏教ほど敵や讐の効能を説く教えは他にありません。  第三に自由な気持ちです。  私たちが毎日向い合っている現実生活に対して仏教は、もとより力一ぱい働くことを勧めますが、さればと言ってこれに余り捉われ過ぎないように致します。眼の前の生活に真剣に働きかけながらしかも、常に、無限の理想を望んでいます。現実の名誉、利益、勢力、そういうものに対して、いつも即かず離れずの態度で批判力を失いません。現実のものは現実だけの価値と知って、その価値だけに使って行きます。決して使い過しなど致しません。場合によっては、無限の理想の前にはそれらの眼前の現実の価値を泡一つほどにも思わず、未練なく抛つ心構えが出来ております。  また仏教の教養は、精神肉体の蟠りを取り去るのですから、相手によっては、優しくも無邪気にもなりますが、相手によってはまた磐石のようにしっかりして鎗先のように鋭くもなります。時には敢然と闘いもします。物事に応じて、その時一番にそれを始末するのに都合の良い心の方面を出して応待させます。  第四にねばり強くかつ進取的になります。  仏教を消極的だと見らるる人もあるようですが、大変な間違いです。仏教の理想は、無限に人格の完成を期して行くのですから、障害ぐらい何とも思っていません。ねばり強く歩を運びます。どうかしてその日その日を、理想の完成へ向けて一歩でも近づかせるよう努力致します。この意義から言っても仏教は進取的です。そしてしっかりした張合いのある日を送ることのため、日々が実に好き日であり、日々が新鮮であります。但し、漸進すべきもの、急進すべきもの、その区別を明らかにして決して順序を間違えません。本当の意味で、仏教ぐらい大欲な教えはないでしょう。出来ない望みの譬えに、松が枝に桜の花を咲かせ梅の香りを放させたいような願いだと言いますが、仏教はそれに似たことをやろうというのです。自分一個の上では、人間の持ち得る限りの善き性質、真理の性質、美しい性質を蒐め、世の中は、天地の貯えておるあらゆる宝を取出して飾り、みんな無上の幸福や、文化の頂上を味わうというのです。これが大欲でなくて何でしょう。もしこの考えを、ただ夢みるとか、空想するとかいうのだったら、それは神がかりであって、精神病だとも言われるでしょう。けれども仏教の方では、飽くまで合理的に研究して行って、人間の素質の中にある理想の種子を育てることによって、この現実の世に絶対の幸福を実現させようとするのですから決して神がかりや、空想ではありません。深く考えれば考えるほど、いよいよ人生の真理を覚知し得て欣喜勇躍するのであります。  第五、小欲より大欲につきます。  仏教生活では、眼の前の惜しい、欲しい欲望の生活、すなわち小欲生活を、大欲生活の目的のために見直して善用する工夫をするのであります。これが信仰というものです。このことは小欲こそ理想へ向けての歩一歩であることを示すものです。眼の前の惜しい、欲しいという欲望の生活なくしては、理想の目的地へ到着出来ません。ですから小欲生活──現実の生活に非常に注意を致しますと同時に、余りに現実生活に執われ過ぎることを避けます。小欲より大欲につくということは、何も別に小欲を捨ててしまって大欲ばかりを目指すということではありません。仏教で言う真の欲望へ向って、現実生活のすべての小欲を善用、利用し尽すということです。  仏教は進取的であっても、真理の根底が深いから、表面がやがやと騒ぎ立てません。落付いていますから、浅はかな眼からみれば、消極的に見えるのかも知れませんが、その見かたは大違いです。譬えば海を御覧なさい。沖の方の本当の千尋の浪は、岸にいる人の眼には付きません。岸に近くざわざわ騒ぎ立てる底の浅い浪の方が却って眼につき耳について離れません。さればと言って少し海水のことを考えたら、沖には海水の湛えてないなどと思う人は一人もないでしょう。否、まことの深い海水の本部こそ、沖に在るのだと思うでしょう。仏教の真理を、そのように力強く湛えた沖の海水だと思えば間違いありません。  ですから、本当に人生を生き抜くためには、眼の前の小欲にばかり夢中にならず、精巧な望遠鏡を以て沖を眺めるように、大船を駆って大洋に乗り出して来て沖の浪を見出すように、信仰によって獲得した霊智を働かせ、積極的に勇猛心を以て手段を講じ、眼の付けるところを、手をかけるところを、大きく広く、無限の幸福、人格完成を目指すのであります。 第六二課 仏、菩薩は染物屋にあらず  こんなことくらい誰でも判っていそうなもので、まだ判らない人があります。  仏、菩薩に祈請を籠めて、その応験がないという不平であります。  その祈請の筋を聞いてみると物を誂えるような塩梅で、時間なども気短かに区切って注文してあります。これで嵌るで染物屋へ物を誂えると同じ調子で、人間の思慮や力量以上の大きな了見の仏菩薩に向って頼む様子ではありません。たとえ、人間世界の馴染の染物屋でさえ、時には約束に遅れることもあるのですから、まして何千人何万人のお得意を持っている忙しい仏、菩薩なら、こういう人間並みの注文は勝手違いで、いよいよ後廻しにされるかも知れません。  兎に角、仏、菩薩は自分より力の上の方と思うから頼むのですから、頼んだ以上、こちらの当て推量や短気な勝手注文よりむこうの取捌き方や始末の方が上だと思わねばなりません。自分の考えどおり運ぶようなら人間業で運ぶことです。何も仏、菩薩を頼むには当りません。努力勉強して切って廻し、それで出来なければ諦めるだけのことです。つまり普通の行き方です。  ベストも尽しもしよう、人間業のあらゆる方法も講じよう。そして是非成就して貰わねば困る。諦められないことだ。その出発点から自分の力以上のものに頼むのですから、その取捌き方や始末は数倍あるいは数十百倍こちらより上だと思わねばなりません。ですから、こちらの推量どおり運ぶ事もある。しかし運ばないこともある。しかし結局の効果は必ずあることと信じて誠を捧げて行く。ここに祈請の妙味はあるのです。それで、あまり時間を切ったり、具体的な注文は、それが外れたように見ゆるとき、反対に仏、菩薩への不信を来すことになりますから余りよろしくありません。つまり染物屋式の祈請は人間以上のものに向う注文ぶりではあるまいと思います。  偉きな大方針で祈請すべきではないかと思います。  そうすれば時々刻々の現れは、善くても悪くても、それは人間の眼にちょっとそう見えるだけの話で、大きな目から見たら、いずれも目的への運歩の両足でうれしきにつけ悲しきにつけ筋は運んでいるものと、いよいよ信を捧ぐべきです。そうするときには安心の結果、持っている力も伸び伸びと使え、また、決して諦めない執拗な追求力は、仮りに仏教の信仰は迷信だとしても、これを信ずる人は普通の人間の精神力以上の程度には必ず能力を発揮して行きつつあります。まして仏教の応験なるものは絶対合理的なものですからなおさらです。「神を試みるべからず」、これは他宗の言葉としても仏教にも立派にあてはまります。なかなか妙味のある言葉です。  仏教はもっと度量が広く、疑いつつ弥陀を念じても疑城胎宮(疑いを持ちつつ念仏するものの生れる極楽浄土の辺地)といって極楽圏に対して番外当選ぐらいのところまでは行けることに、浄土教の祖師たちは説明されていますものの、疑わないに越したことはありません。それなら疑いを惹起しそうな人間のせまい了見で区切った勝手な祈請の仕方は避けた方がよかろうと思います。  元来、仏教の最終の目的は人々が最上の智慧を開覚いて最も完全な人格を完成するのに在るので、現世上の救難授福はその目的からは第二義的のものでありますが、しかし眼前の幸福は衆人が望むことでありますから、仏、菩薩においてもこれを蔑ろにしないで工夫に工夫を凝らされていることはもちろんのことであります。  しかし、どういう除災、授福を講ずる仏、菩薩の教義でも、それを講じながら最後には必ず智慧開覚、人格完成に結びつけ、導いて行くことは諸経みな一致しております。ここに仏、菩薩信仰の深い意味のあることを知らねばなりません。そして短気に浅はかにその功徳、効能をはかってはなりません。 第六三課 智慧の説明  普通一口に「智慧」と言いますが、仏教の方では、これを二つに分け、「智」と「慧」にして、その意味にはっきりした区別をつけております(智は俗諦に関する知力、慧は真諦に関する覚力)。  私たちが生れてから物心がつき、人から教えられて箸を持つ術、着物を着る術、学校通い、読み方、書き方、算術──みな「智」の方に属します。それらは誰かに教えられ、自分でも経験を積んで得られる知識だからであります。人々が成長して社会に立ち、職業を執り、友達と交際し、家庭を営んで行く、みな「智」の力であります。もし人から教えられなければ、見よう見真似で自分で工夫をする。しかしその工夫をするのも、しばしば経験を重ねてようやく得られるものであります。一口に言えば、私たちがこの世の中に処して生きて行く術、それを学び取る力が「智」であります。  この「智」は、人や書物から教えられ、また経験によって出来、不出来がありますので、時代によって違い、人によって違い、修養によって違います。つまり優劣や差別のある精神力です。たとえばむかし乗物と言えば駕籠しか知らなかったものが、今日では汽車、自動車、飛行機まで知るようになったという具合です。これは時代による「智」の相違です。また同じ人間でも甲の人は他人の身体の中の病気まで癒すが、乙の人は風邪さえ自分で癒せないで薬を貰いに行く。これが人による「智」の相違です。またAとBとは同じ野球チームの選手だが、春のシーズンには二人とも同じ打撃率だったものが、秋のシーズンになってAは安打数が増え、Bは相変らず凡打、三振を続けている。これが修養による「智」の相違です。 「智」の妙味はこういうふうに学ぶことと、経験によって違いが出来るところにあります。  さて今度は「慧」の方です。これがなかなか難しい心の能力です。一口に言うと、物の本性を見破る心の働きです。何か譬え話で説明致しましょう。  猿にらっきょをやると面白いそうです。中身がありはしないかと思ってまず最初の一皮を剥きます。やっぱり皮がある。どうも念入りな果物だと思って猿は、また一皮剥きます。やっぱり皮だ。こりゃ三枚重ねの外出向の着物を着ている果物だ。そう思ってまた剥きます。やっぱり皮です。こんな具合に猿はらっきょの本体を突き止めようと思って、剥いて剥いて、しまいに何にもない。猿はらっきょの中身を発見しようと思って、とうとう何にもないことを発見してしまいました。  猿ばかりがそうかと思って笑うわけにはゆきません。人間にも同じようなことをした人があります。  ある生理学者が、どうかして人間の生きている源を突き止めようと堅い決心をしまして、その試験台に他人では迷惑だろうと思って、自分で自分の体を解剖して行きました。腕をつついて見ましたが、腕を少々切ったぐらいでは生命に余り関係がないことがわかりました。足を方々切って見ましたが、それで直ちに死ぬほどの大切なところがありませんでした。かくして身体中、メスで掻き廻してみまして、やっと心臓のところで、人間が生きている源を発見しかけました。そしてそれを発見すると同時に彼は死んでいました。  この愁笑に堪えない寓話は、一面、人間が生の秘密を探り当てたい欲望が死を賭けるほど強いことを物語っていると同時に、生の秘密は死の秘密と一致すること、すなわち生の秘密は、それほど神秘不可思議の世界であることを仄めかしたものであります。  古歌に次のようなのがあったと私は覚えています。 年ごとに咲くや吉野の桜花   樹を割りて見よ花の在所を  これも同じ心持ちを詠んだ歌であります。あんなに賑やかに爛漫と咲く梢の花の仕掛けは枝の中に在るのであろうか。枝を割って見ても枝の中にはない。幹に在るのであろうかと、幹を割って見ても幹の中にもない。もちろん根を掘ってみてもありません。それでいて、時節が来れば、目覚まし時計をかけて置かなくとも桜の花がちゃんと咲きます。私たち普通見慣れておりますから何ともないようなものの、よく考えて見れば不思議極まるものです。不思議がるには、何も吉野山まで汽車に乗って行って、桜の下で毛虫にびくびくしながら考え込む手数などは要りません。手近かの庭の池の鯉、軒を伝う猫などにも、不思議な生命が尾鰭を生やし、尻尾を立てて動いております。不思議な生命──。  この万物の本体、本性を突き止める心力、これを「慧」と言います。前の「智」と違って「慧」は、いずれの時代でも少しも違いがなく、またどの人にも生れつきちゃんとそなわっており、修養によって余計はっきり見出されては来ますが、「智」のように増減がありません。  以上、「智」と「慧」とを合せて「智慧」となります。これが私たち人間のあらゆる生活上の資本であります。  この現象的の見方、すなわち「智」の力と、実在的の見方、すなわち「慧」との差別をさらに説明しますと、現象的の見方は人間的であたたか味はあるが、相手に捉われやすく、実在的の見方は超人間的で冷静ではあるが生気がない。どちらも片一方だけでは世の中の万事がうまく行きません。これを調和させて、両方有効に使って行こうとするのが仏教の目的です。そして仏教を信仰し、体得することによって、この両者を兼ね備えることが出来、人間生活の真の好き運転が行われることが約束されています。 第六四課 因果ということの説明  だいぶ古い言葉ですが、「親の因果が子に報い」とか、「何の因果でこの憂き苦労」などという言葉は浄瑠璃や唄の文句に出て来ます。そして大概、これらの言葉は、人間が悲境のときか、人生の暗黒面に見舞われたときに使われる常套語になっております。「親の因果で子の出世」とか「何の因果でこの幸福」などという文句を唄や浄瑠璃で聴いたことがありません。  因果のことをまた別に因縁とも言いますが、この因縁という文字もやはり、「因縁ずくと諦めて」とか、「因縁ばなし」とか言って、ことごとく運命的なものを指し、しかもそのものは絶対の不可抗力で、何とも手の下しようもないことを評する言葉になっております。  因果とか因縁とかいう文字は仏教から出て世の中に流布され、人心に感化を与えたのですが、それが流布された当時の封建時代の影響を受け、この文字の持つ内容の圧制的な消極的方面ばかりが採り容れられ、自由向上の積極的方面が捨てられたのは誠に遺憾であります。そして、その印象は今日もなお、深く人心に残っております。  因果、又は因縁という言葉は、正確に言いますと、因・縁・果、ということで、この世の中のあらゆるものの存在の相の説明であります。この理は「事実」そのものなのですから、人間に対して別に親切でも冷酷でもありません。いわゆる自然律です。この事実に圧服されて押し流される人たちは、この「因縁果」を恐ろしい、また苛酷なものと思うでしょうが、これを上手に活用して、立派な成績を挙げるものには、実に希望の「因縁果」であり、文明の利器となります。「因縁果」の理法を明るく見るのも、暗く見るのも、これに関係する人々の心々によります。理法そのものの罪ではありません。  因・縁・果の理というのはどういうことかと言いますと、例えば、私のテーブルの上に電気スタンドがあります。今は昼間なので灯は点っていませんが、電球の口元まで電気が来ているのは確かであります。この電気が因です。次に、夕方になって暗くなりましたので私はスイッチを捻ります。この捻ることが縁であります。すると電球に灯が点ってテーブルの上を照らします。これが果です。  因・縁・果、これをさらに詳しく言えば、原因になるものと、援助するものと、この二つが協力、和合してはじめて、結果を生じます。世の中にありとあらゆるもの何一つとして、この理に外れたものはありません。そしてこの三つのもののどれか一つ欠けても他の二つはバラバラになります。私のテーブルの上の電気スタンドの場合にしますと、もしスタンドに、停電かなんかで、因の電気が来ていなければ、私がいくら骨折って縁にスイッチを捻りましても灯が点るという結果が出て来ません。また、いくら因の電気が溢れるほどスタンドの口元まで来ていましても、私が知らん顔をして縁のスイッチを捻らなければ、永久に灯は点りません。また、結果の方から見て、電気スタンドに灯が点ってこそ、スイッチを捻り電気を通じている骨折り甲斐もあるのですが、灯が絶対に点らないと判ったら、誰が電気を導き、またスイッチを捻りましょう。すなわち果がなければ、はじめから因も縁もないということが判ります。  世の中に在るなにものについても、この程度の簡単な因果の道理の見究め方は誰にでも出来ます。そして利用の方法も見付かります。  よく因果の道理の説明に、「稲」の話が持ち出されて来ますから、一応説明してみますと、まず稲には、因として籾がある。これが田に蒔かれて、日光の直射や農夫の手入れの助縁を受け、そして秋一粒千倍の実りの結果が得られる。すなわち米は因果の道理で出来たものであります。  なるほど、これは確かに真理であります。米の出来るのは、この道理に洩れるものではありません。しかし、今度は逆に考えて、その理を知った以上、誰でも米を作れるかと言うと、そうはゆきません。私たち筆を執る職のものに、籾と土地と肥料とを与えられて、作って見ろと言われても、とても専門の農業家のように作れるものではありません。これはどういうわけでしょう。  今まで述べて来ました因果と道理の例は、最も話を判りやすくするため、一番大掴みにした、ごく荒筋だけを説明したのでありました。事実、世の中に存在する物事は、みな因果の道理に当てはまってはいますものの、もっとずっとこまかく、また十重八十重に入り混り、また時間的にも無限の昔から無限の未来に連絡しているのであります。  一反の稲を作るのさえ、その籾の選定からしていろいろの知識経験が必要であります。この知識経験ということは、自分がやってみたか、または他人がやってみたかした因果の道理の結晶であります。その籾がどういう地質に合うか合わないか、嘗てそれを実際に試してみて、すなわち因果の理法を実行した結果の成績を記憶にとどめて置きます。それが知識経験でありまして、これを参考にして次の農作をやるのです。その籾によっての収穫の利益予想も、みな因果の理に支配されます。  その籾を苗に育てます。苗田の水が多かったり少かったりします。もし水が足らなかったら水を注ぎ入れる。その場合、水車を使えば、その水車にもう因果の理が附け加わっています。水車の水を低所より高所に掬い上げる機能が因であります。足で水車を踏む縁によって、水は苗をひたひたと浸し成長の果を生じさせます。  夏の田草取り。秋の鳥追い。雀が饑餓という因により、羽翼の羽ばたきという縁によって稲田のところへ飛んで来て、稲穂を啄もうとするのが果であります。すると、こちらの農夫も、鳴子という因を田の上に釣り下げ、縄をひくという縁によって、からんからんと鳴らせて雀を追払わんとするのが果であります。雀と農夫とが、因果の道理の使い競べによる正面衝突です。この場合、雀には生れつき性質に臆病という因があり、それに鳴子の音という縁が加わるので、驚いて急いで逃げるという果を生じます。  秋の収穫が済みます。これは稲作全部からいえば、果でありますけれども、収穫それ自身が因にもなります。これが売られる縁によって、多少生計が潤うとか、蝗がわいたので都会の子供が蝗取りに来るとか、本年米作の成績表の一部に数え入れられて、農林大臣の考えの資料になるとか──とても数え切れません。つまり、たった一つのものの上にも、因果の道理は無数に関係して行われ、その一つのものが自身で因ともなり、縁ともなり、また果ともなっております。まして、無数のものが存在しているこの世の中の物事について、その互いの因果関係を調べたなら、それこそ限りない骨折りをしなくてはならないでしょう。  世の中のどんなつまらぬ小さいものでも、必ずこの因果関係によって天地間のあらゆるものに有形、無形の繋がりを持っています。そこで責任感も生じ、意義も認められて来ます。それはちょうど、縦横十文字、四方八方に拡がっている網のようなものだ。私たち箇々の存在は、その網の一つ一つの網の目である。それは小さなものではあるが、網を拵え上げている上からは大事な一つの網目であります。ここの呼吸を説明しているのが華厳経という経の主旨で、この宇宙一杯に拡がる網を帝釈網(諸法重々無尽なること帝釈天の天宮に掲げられたる宝網のごとし)と言います。  そしてこの因果の諸現象を学び知るのが「智」であります。つまり世間上の知識経験であります。これを仏教では「俗諦」(世俗生活の肝腎かなめということ)と言います。  ところで、ここに考えねばならないのは、この俗諦の勉強は、無論人間が生きて行く上に是非必要な勉強ではありますが、前に述べたとおり、無限の広さ、長さを持っておることであります。また時代時代によって変ることであります。  今日、いろいろ実地の科学も進みまして、昔と較べて生活上に便利なことは雲泥の相違であります。これは俗諦の進歩であります。すなわち文化の恩沢でありまして誠に結構なことであります。しかし、これで知識経験は充分かと言うと、なかなかそうは言い切れません。地震や風水害のようなこともありまして、その予防や避害に、もっともっと知識の進歩や設備の完全を望まねばならぬことが多々あります。病気でもワクチンや血清の発明によってチブスとかジフテリヤとか、昔絶望だったものが今日では手当さえ早ければもう危険な病気ではありません。しかしまだ癌とか癩病とかコレラとかは相変らず医術の力の外であります。  社会的施設の知識についても、警察制度の発達や、交通機関の発達のため、追剥ぎ、辻斬り、水盃をして旅立ち等の悲惨事は絶無になりましたが、他方に失業問題や、階級闘争問題が起りまして、文化の余弊と言われております。今日自殺者の多いこと、これなどもその原因を全部突き止めて絶無に予防するところまでには、なかなか行っておりません。  科学的真理の随一と言われる物理学の法則などは、永遠不滅のものかと思えばそうでなく、林檎の落ちるのは地球の引力だというニュートンの説は破られ、空間の歪みに因るのだというアインシュタイン説が出現して来ます。時間も空間も一定不変なものかと思えば、計量り方によって、そのときそのところで違って来るという、これもアインシュタイン説が主張されて来ました。  大体の上において、俗諦の知識は発達して来ましたようなものの、その知識を以て向い合う現象なるものが、前に述べましたような因果関係から成り立っている以上、その因果関係の組み合され方でどう変るか知れません。物によってはその変り方も無数であります。従ってこれに応ずる知識も無限でなければなりません。  因果歴然たる道理を知って、これを自信を持って善用して行けば、良き結果は得られると判っていながら、実際の上では必ずしも良結果を収めていません。「これほど人のために骨折ってやるのに悪口を言われて、割に合わない」とか、「これほど努力してるのに一向認められない」とかいう不平が、こういうときに出て来るのであります。  これは因果の道理は正直に行われているのですが、その因果関係は、前に述べました複雑な網の目のようになっているので、気急な単純な「智」では充分、その原因、結果を突き止めかねるのであります。  さればと言って、これをいちいち詳細に調べていたら、時間も脳力もその方に奪られて、すぐ眼の前の役に立ちません。それでは、これを不明のままで、不可抗力の運命として、諦めてしまうのは余りに意気地なしであります。まして人間生れつきの性質上、生命の躍進、進展は本能であります。そこで、一方「智」の価値は充分認めながら、しかもその欠陥の不足を他のもので補って行きたい。この複雑変化の多い因果関係の世の中に、因果に左右されない一定不変の法則を見出して行きたい。そのしっかりした根本方針を握って浮沈の多い世の中に処して行きたい。その日暮しの生活知識の奥に、永遠に利息が産み出せる定期預金のような知識を積みたい。これが、自分の中に「慧」を発見して、この慧によって世の中の現象の底にある一定不変の本体、本性すなわち実在を見出して行こうとする努力、欲望なのであります。この学識を「真諦」(一定不変の真理性のこと)と言います。 第六五課 唯物と唯心  みごとな柿の一籠を地方の未知の人から送って来ました。形のよく整った御所柿です。  好意があればこそ柿の贈物がある。これ唯心的の見方であります。柿の贈物があるので人の好意も現し得られる。これ唯物的の見方であります。  事実は両方を兼ねているでしょう。私たちは贈り手の好意を懐うことなしにこの柿を手に執ることは出来ず、さればといって掌に載っているものは山野の秋に熟した自然の柿であります。  道理の筋道を探るために、世の中の物事の精神的な方面ばかりを採り集めて考え、あるいは物質的な方面ばかり採り集めて考えるのは、その方が便利なことも、あるいは、ありましょう。けれども、それは研究のためであります。その事、直ちに天地間の実相には当て嵌りますまい。なぜならば天地間の実相は、そのどちらにも偏らず、両方を含んで存在しているものですから。実をいえば実相それ自身は精神とか、物質とかそんな区別さえ知らずに出来て動いている一つの生ける姿ですから。ただ人間が便利上そういう区別をつけて、おのおのの方面に見分けたまでです。  ですから、物事はあまり一方へ偏り過ぎると妙なものになります。たとえば前の柿の例にしても、贈って来た人の好意は全然引離して考えに入れず、柿よりも米、味噌、醤油の方が生活必需品としてより価値的だといった議論をしたり、また、贈り主の意だけ認め過ぎて、送ってくれるなら古草鞋片足でもよいのだという議論は、只今の柿の贈物の実相には当て嵌りません。この場合は地方の人の好意としてはふさわしい柿の贈物であり、柿のみごとさにその好意の価値も一致するところに柿の贈物の実相の妙諦がうなずけるのであります。  しかし、世の中の現象は、まま、片寄ることがあります。そういうときはどちらか一方の不足の方面が補いに出て来ます。この過不及のない補い方は全く実相の理に明るい達識の人に望まれます。  仏教中の密教においては、物質界を分けて五つの種類にしております。地大、水大、火大、風大、空大、これであります。総称して五大(地大は堅固の性あり、水大は洗浄の性あり、火大は成熟の性あり、風大は破壊の性あり、空大は自由性あり)といっております。大とは物質の母性的要素というほどの意味です。そしてこのものは取りも直さず天地万有の生命の組織者であり、いちいち智的な働きを持つものとしております。故に五大は五智であると認めます。すなわち物質と精神と不可分なるを示します。これを人格化し五智如来といいます。大日、阿閦、宝生、無量寿、不空成就如来等です。 第六六課 現実と理想  世間では、仏教以外のある宗教や、ある哲学や、ある思想および道徳などは、理想と現実とを一緒に致しません。理想とは抽象的のもの、現実を超越したものだとして、理想を必ず現実から引き離して、高く上にかかっているとかあるいは将来その理想が遂げられるだろうという期待だけして、今直ぐ手が届かんと決めてかかっております。  これに反して、仏教では、私たちの平常の生活が取りも直さず理想であって、この現在の生活の上に無上の幸福、絶大な理想があるのに早く気付けと教え勧めております。  何故仏教はそんな事を大胆に断言するのでしょう。それは、仏教が物事を深くかつ正確に考え、本当の真理を知っているからであります。仏教が、私たちの日常の生活を視るのに、通り一ぺんの表面の現実とか、あるいは現世の支離滅裂な乱脈の方面ばかりを現実だとするような、そんな安っぽい見方をしないのです。  現実として日常私たちが見聞するものは、ただ表面に現れた仮りの姿で、実はその根源があって、しかもその根源は、私たちの通俗な知識ではちょっと感付けないのです。それはちょうど、氷山のようなもので、海上に一部分頭を出しているが、その氷山の本体は海水中に隠れていて、しかも何十倍、何百倍も大きいのです。  仏教は、この隠れていても実は私達の日常見聞する現実のあらゆるものをあやつっている根本をも、一緒にくっつけて現実を見詰めるのですから、表面だけの変化や矛盾撞着に瞞着されません。根本になる実体に充分注意しておりますので、それから出て来た現実の動き方や現れ方は、根本の命令どおりに秩序整然と条道が立っているのがよく解ります。私たちもその現実の中の仲間ですから、根本によって理想的にあやつられているのです。その真理を信じ、しっかり知った上で、私たちの毎日の生活を眺めると、生活そのものが理想であり、理想が実は私たち毎日の生活そのものであるということが解ります。  簡単で解りやすい例を以て説明しますと、いま、私が立っていて、無意識に何の気もなしに歩き出したとします。その歩くことは現実で、仮りの相でありますが、その歩き出したのに、本人が知らなくとも実は大変な意味があるのです。私をして歩き出さしめた根本があるのです。それは、大自然の万物を哺み、かばい、育てて行く力が私を歩かせたのです。私がじっと同じ場所に同じ姿勢で立ち続けるよりも、歩いて体を運動させた方が余計に私の体をうまく調節させて健かになれるので、無意識ではあれ、自然と歩き出したのです。それを反射運動とか、本能とかの言葉で片付けるなら、その反射運動こそ、またその本能も理想的のものだとして置きましょう。それは大自然の大理想の一部分が現れたのです。この場合私の歩き出した現実が取りも直さず心身にとって理想的のことです。私たちは毎日、知らないで大自然の要求、勧告する理想的のことを行っているのです。もしそうでなかったら、とっくの昔に病気になり、死んでしまっていたでしょう。しかし人間にはこの理想的の発展を妨げる欲望や馬鹿な性質がありますから、これらの妨害物を上手に処分しないと現実の生活が理想生活になりません。  誠に現実生活の中には立派に理想が含まれているのですから、たとい不平、不幸、残酷にさえ見える私たちの毎日の生活に対しても、決して恐れず逃避せず、その根本理由を見究め、まっしぐらにこれに割って入り、本当に価値のある理想を刻々に取り出すのです。そうすることによって、悲しかったことも自分を喜ばせることであったことが解り、不満であったことも自分を進歩させるもとであったことが解りましょう。そこに仏教のいわゆる「安心立命」(悟り)があります。  この現実と理想との考え方は、釈尊はじめ後代無数の名僧知識たちが、現実生活のあらゆる辛酸を嘗め尽し、あらゆる困難を克服した強い意志や体験から見つけ出した真理であり、積極的な処世法であります。これは現代のように人類の文化が進んで、いろいろの欲望煩悶の多い時代には持って来いの処世法です。皆さんこの考え方、このやり方は本当にしっかりしたものと思いませんか。また、何と勇ましい態度ではありませんか。 第六七課 光明中のハイキング  米国の詩人ホイットマンが、動物を詠んだものの中にこういうのがあります。 「全大地において、一疋も体裁よき彼らはあらず。また不幸のものもあらず」  何となく、ほほ笑まれる詩句であります。いかにも動物を明るく扱った詩句であります。仏天の加護を信じ、この世の中を光明裡に過す人も、何から何まで有難ずくめ、結構ずくめで暮せるというわけではありません。寧ろ一方に理想の光をかかげているだけに、却って現実の生活の痛々しさは眼につき、身に強く感ずるのであります。中にも自分の性格の弱さなどは、その第一に数え入れられるのであります。  けれどもそれが不幸というわけではないのであります。それは曇りがちな心の空であるにしても、どこかに陽が射しているのであります。曇り空でも洩れる陽射しが、温かくて明るさを運んでくれるのであります。  ひょっとして、霹靂一声、俄雨が来たあとは、たちまち晴れて、冴え冴えした月影が心の空に磨き出るのであります。 「嬉しきにつけ、悲しきにつけ」と、信仰を教うる聖者は体験を以て教えられます。「仏名を唱えよ。そは遮られぬ光なればなり」  嬉しきときばかり親しまれる光ならば、それは祭りの提燈の灯であります。悲しき場合には点されません。悲しきときばかり懐かしめる光ならば、それは獄屋の庇に洩れる燈盞であります。健康な社会の部屋の照らしにはなりません。いつ、いかなる場合に唱えても、晴れみ、曇りみに拘らず、心に染むる光の影です。それ故にこそ遮られぬ光なのであります。 「光明、十方世界を照らす」「光明、河砂のごとく遍し」「光明、日月を勝過す」等の言葉があります。  教えられてみれば、なるほど、遮られぬ光はもとよりこの天地に在るところの光であります。急に点したり、どこに据え付けたりした光ではないのであります。それゆえ、無量光、無辺光、無対光、不断光、難思光、清浄光などあらゆる形容の言葉を使っているのであります。それでいて、なかなか表し切れない絶対の光であります。それほどの光ですから、私たちの安易な考え慣れた光明とはかなり勝手が違うのであります。従って、そんなに在ることは判然していながら、判然在るようには感じられないのであります。ただ、信ずる一念が明るみを心に染み亘らせます。  この頃、ハイキングが流行ります。なるべく質素、素朴に足で歩く旅です。欧州ではクラブが出来ていて、クラブ会員同志は、家庭へ迎え合い、泊めたりし合います。  私たちは誰でも、光明のハイキング倶楽部の会員であります。会員資格のマークは仏名であります。このマークを帯びていれば、天地到るところが好意を持って泊めてくれる宿であります。到るところの生活が、光り輝く山河であります。たとえこちらの眼が曇っていて、直ぐにはその好風景は味わえなくとも。  歌人西行も、この倶楽部の会員でありました。そしてその好風景をうたった歌に、 道のべの清水流るる柳かげ   しばしとてこそたちとまりつれ  同じく会員で、あまりにこの光明の殊妙なのに歓喜禁めあえず、躍り上り躍り上り仏名を唱えつつ当時の日本国内六十万人を目標に「光明」の文字を書いた賦算を配って歩いた時宗の開祖一遍上人(延応元年に生れ正応二年に歿す)があります。上人の歌に、 とも跳ねよかくても踊れこころ駒   弥陀のみのりときくぞうれしき  いかに遮られぬ光に悦び充ち足りたか覗うことが出来ます。  以上は、ちょっと思いついた特色ある二人を挙げただけでありますが、実はこの事実を信ずる人も信じない人も、みな光明中のハイキングをなしつつあるのであります。あなたも、あなたも、誰も、彼も、です。  さて、冒頭に書いたホイットマンの詩句でありますが、「動物は無意識に単純に、天地間の無量光、無辺光、無対光、不断光、難思光、清浄光の裡に暮している。たとえ見た姿は体裁よからずとも、彼らは兎に角、光明裡に在る。ほのぼのとした光を感じつつ逞しく生きている」と、彼らの生存を光明的に見た詩句であります。これに反して、心を腐らし、自分から宇宙に遍満する光明方面を遮って暮している人間は、一見体裁よくとも、生命の底の幸福や逞しさに欠けている惨めな救われ難い存在であるというのです。 第六八課 差別と平等  仏像には大概、両脇に菩薩の像が附いております。これを脇士と言います。脇士に対して中央にある仏像は本尊です。  釈迦如来を本尊とする仏像の脇士は、左に文殊菩薩、右に普賢菩薩であります。これにはいろいろの意味がありますが、もし文殊が平等を現す場合には、普賢は差別を現すことになっております。真理というものは、一方に平等、一方に差別を控えて、ちょうど、車の両輪のように自分を運ばせて行きます。本尊の釈迦如来は、その平衡の取れた円満な真理を現しております。  だが、差別と平等の基本の存在は、その二つが別々になって存在しているのではありません。融け合い、通じ合って行われているものです。たとえば隅田川、淀川、信濃川、めいめい違った相、形の特色を持っております。ここに差別があります。しかし、どの川といえども水の流れてない川はない。この共通性から言えば平等です。そして隅田川すなわち水の流れたものであり、水の流れも隅田堤へ、流れて来ねば隅田川とは呼ばれません。この関係から、ほぼ差別性と平等性とは、即かず離れぬ関係にあることが判るのであります。  それならば物事すべて、そのままが真理かというと、そうはゆかないのであります。自然の勢いの赴くところ、必ずどちらかへ傾き過ぎるものであります。よって、時と場合と、事情を考えて、どちらかへ補修しなければならないことがあります。  例えば、水はなるべく流す方がいいといって洪水の勢いを、そのままにして、滔々満々浸すに任せて置いたら、両岸の人家まで迷惑して害となります。この場合には、水を排かせるなり、両岸を高く築き固めるなりして害を除きます。  またこれと反対に隅田川をいよいよ隅田川らしい好風景にしようと思って、沢山桜の出崎を拵えてみたり、川を浅くして菖蒲を植えて見たり、都鳥の飼場を設けたりして、水の流れは、ただ風致を助けるためとばかり気取って曲りくねらせるとする。それでは、折角の帝都の舟筏の便が妨げられるのであります。こういうときには、その弊害を矯めて舟筏の便の通ずるだけ河筋を通さねばなりません。これこそ平等と差別の使い分けであります。この場合、特に差別を愛し、平等を憎み、あるいは平等を愛し、差別を憎んでそうするのではありません。差別にも平等にも、自ずからそれ相当の価値と限度があって、病に対する対症療法のようなものです。物事、道に中って行われるようになれば、差別も平等も自ずと退いて淡々如々たる位置を守らしめるだけであります。もし一方に偏して、これを万病薬のように固執するならば、腫物が癒ってなお膏薬を貼っているようなものであります。そうかといって初めから薬を無視し、病を見送っているように自然の成行きのままに任せ最後はどちらかへ極端に走らせるのも愚かしいことです。  差別の相から言えば、人々、素質が違い、教養が違い、趣味が違い、体格能力が違い、因縁果の違いがあります。  平等の体から言えば、人々、同じ人間であり、同じく本能を持ち、同じく生命を養い生活を享受し子孫を遺そうとしております。  その他、あらゆる物事に、差別と平等が時に結び時に離れて、紛然雑然として起滅を繰返しております。  私たちは、この間に処し、自分自身に対してさえ、当然なるものはこれを許し、不当なるものはこれを斥け、円満調和の中道を守って行くには、深く現実の知識経験を養い、その上に篤く仏智の照明を仰いで慎重に事を行わねばなりません。しかし、理としては、必ずや通ずる道は備わっておるのでありますから、気持ちとしては決して萎靡消沈せず、一歩一歩希望を以て踏み出して行くべきであります。  差別と平等の理については、洞山大師(洞山悟本大師は支那禅宗、曹洞宗の開祖です。唐の大中年の頃の人)の正偏五位というのがありますから左に御紹介しましょう。    正偏五位  正というのは平等方面のことであります。偏というのは差別方面のことであります。事々物々の上に、平等と差別が、こういうふうに入り混り融合している。その理を以下五項に分って説明してあります。 (一)正中偏 平等方面を中心にして、差別方面を眺めた形であります。例えば一軒の家庭に在っては、主人が正月、家族一同に屠蘇の盃を与える場合であります。妻子、召使いめいめい差別はあるが、この場合には同じようにみな家族員として年賀を交し、盃を与えます。吾が子は身内だからとて、五杯、十杯も与え、書生さんは他人だからとて半杯ということはありません。 (二)偏中正 今度は差別方面から平等方面を眺めた形であります。例えば、主人夫妻が銀婚式をすることになりました。家族一同が心々の祝いものを贈る場合とします。もう学校を卒業して月給も取れている長男夫婦は銀の置時計ぐらい奮発しましょうし、女学校へ行っている娘は手芸を丹精して贈りましょうし、幼稚園へ通っている末の子は富士山の貼紙細工でもして贈りましょう。また書生さんは郷里から産物でも取り寄せて贈るかも知れません。これはおのおの身分資力に応じて差別があるところに、祝いの真心が表れるので、差別あるこそ主人夫妻には平等な祝意が家族一同より感じられるのであります。もしこれを平等にして家族いずれも銀時計としたならば主人夫妻はよほど妙な感じが致しましょう。 (三)正中来 次は平等方面のみを眺むる場合であります。例えば一家にあっては、目上も目下も大人も小人も、みな一人ずつの人間として扱われて、頭数で数えられるような場合です。人口調査係りに家族の数を申出るのに、主人は肥って大きいから三人分にし、赤ん坊は小さいから人数のうちから省いてくれというようなもので、それは調査係りの承知しないところです。やはり平等にすべきです。 (四)偏中至 これは前のものとは反対に差別方面のみを眺めた場合です。家族一同業務に就くときは、主人は背広服を着て事務所へ、主婦は茶の間で家事の采配、子供は学校、書生さんは取次ぎかたがた勉強、めいめい平等方面を引込まして差別方面だけ働かす場合です。もしこの場合平等性もいいといって一同茶の間へ集って家事の采配を揮ったら一家は立ち行かなくなるでしょう。 (五)兼中到 これは、以上のような差別を行っても差別に捉われず、平等を行っても平等に捉われず、しかもいつでも適切にどちらでも使える用意のある当体。いわゆる中道の真理であります。一家に在っては家族一同が無意識のうちに協力一致している親和力に当りましょう。  もちろん、右は大体の原理で、実際の現実というものは、もっとデリケートな使い分けをしなくてはならないものでありましょう。ですから、それだけ余計に心の鏡は物事の真相の微影だも洩さぬよう、常に拭き清めて置く必要があります。  平等の文殊と、差別の普賢を脇士に控えた中道真理の釈迦如来の仏像。それは現実そのものの相であると同時に、またなかなか味わい切れぬ意味の深いものがあるのであります。 第六九課 都会と田舎  都会と田舎を、言葉を換えて言えば、文化生活と自然生活と言えます。  文化生活は、人智の発達複雑化に伴って、自然生活から変化して来たものであります。それは人間の福祉幸福を望んで造りなされたために、もちろん便利、迅速、知識的でありますが、しかしその内部には、人間の欲望、煩悩、愚痴等が働きかけて、禍福相半ばするものであります。そこに都会の持つ俗人への魅力もあるわけです。多くの犯罪、悪徳、不健康も含有されがちです。誘惑、堕落、精神的過労が附きものです。  これに反して田舎の生活は、健康的であり、平和、悠暢であるべきはずです。それと同時に反面、時代後れや、不活溌、平凡、退屈があり、筋肉労働があるのです。  両者を人体に譬うれば、田舎は胴体であり、都会は頭部であります。胴体のしっかりした上に載っかってこそ頭部は充分に働けるのです。また胴体だけでは反射的に、習慣的にいろいろのことをなし得るのでありますが、頭部によりいろいろ判断、支配されるものですから、頭部が駄目なら胴体も乱雑になりがちです。  どんな大都会でも、はじめは片田舎であったのが、いろいろの因縁によって、人家が密集し来って、出来上ったものです。自然生活をなしつつあった人々がその飽くことなき人間の欲望を遂げんとして、知識に、経験に、感情に、感覚に、その威力を振って都会を築き上げて来たのであります。故に、そこには素晴しい文化があるかわりに、その内面には人間の醜い半面が集合していることになります。余りに世間欲や、知識にばかり夢中になって、自然の持つ恩恵や真理から遠ざかっている点もあります。そして欲望は募り募って、今では、その惰性に成行きを委すのみとなっている傾向が覗えます。東京で三代続いた家には肺病があるとさえ言われるように、不健康になっています。もちろん肺病ばかりでなく、精神病や、神経病も随分多いことと思います。  世界に無類の高層建築を誇るニューヨーク市では、エンパイヤビルディング、クライスラービルディング、ウォーズウォースなど五十階以上のビルディングをはじめとして無数の高層建築は比較的狭き道路の両側に建ち並び、道路は宛然、谷底のごとく、太陽の直射は一日ほんの僅かな瞬間だけ恵まれるのみであります。退社時刻には、一建築の中に通勤する数万の人達が、先を争って帰途を切り開かんと、物凄い労力と苦心が行われます。もちろん、彼らの多くは自家用の自動車や、地下十六階に及ぶほどの多数の地下鉄を利用するのですが、一度に押し寄せてはなかなか整理がつかないのです。四時に退けて郊外の自宅にたどりつくのが大抵八時になるとさえ言われます。その間三、四時間の人の波に押されもまれる不健康さを思うとき、人生の便利、幸福を望んで発達し来ったはずの都会生活も、今では却って人間を滅ぼしつつあるとさえ思われます。ここにも、人間の心の三毒(貪・瞋・痴)が露れているのを見ます。もちろん、周囲の事情、国内的、国際的関係によって(それも全部、三毒から起った事情関係です)、勢いそんな不健康な設備をしなければならなかったであろうが、これも何とかして三毒の善用によって活路が開かれることと思います。  同じアメリカでも、キネマ、トーキーの都、ホーリーウッドを擁するロスアンゼルス市では、早くも都会の密集せる人口と、それにともなう多数の自家用自動車、および高層建築に朝夕呑吐する、無数の従業員などによる交通不便と不健康とを慮かって、新しく建てる商店、銀行、会社などの高層建築は、人里離れた山の中腹や、物淋しき郊外の草原に孤立させ、広大な自動車預り所を設けて、市中より乗りつけるお客を待つのであります。都会生活がそのままそっくり、自然生活へ転換されたのであります。この考案設備は、自利、利他の効果を挙げる点より言えば、菩薩行に相当するものです。  日本の都市は、地震の危険のため、外国の大都市と違って、高層建築と言われるほどのものはありませんから、その方面の弊害は少いのですが、それ以外に気候に乾湿の差が烈しく、吹きまくる烈風は砂塵を上げ、職業戦線は狂わんばかりの競争が行われ、鬱屈する気分は刹那的、末梢的の快楽を追い、外国より直輸入された一過性の思想は昨今殊に目まぐるしく崩れ行きて、しかも東洋思想の優れたるものあるを覚らずして、いずれに頼るべき中心思想なく、迷いわずらい、頽廃の兆さえ歴然と見えるようであります。反省すべき都会生活です。  田舎の生活について述べますと、田舎は天然自然を相手に暮すのですから、本当は気楽で、健康的であるはずです。しかし、近頃の田舎の生活ぶりを見聞すると、却って都会より不安、不況、餓死せんばかりの地方がかなり沢山あるようです。これは何によってそうなったのでしょう。天災地変に因るのは別として、大抵は都会生活の行きづまりが倍加して田舎生活に響いたのではないでしょうか。頭部に相当する都会の状態が胴体たる田舎に悪影響を与えたからだと言えないでしょうか。世界のいずれの国でも、地方はその産物を都会に売って経済を保持して行くのですから、都会におけるその産物の需要如何によって、田舎は富みもし、また不況にもなるわけです。この点、国家、政府として余程物産の売り捌きを活溌ならしめ、物価の調節を計らぬと田舎の経済状態は危険に瀕するのであります。欧州のある国家では、自国内の農村を救わんために、その植民地や属国の農民を犠牲にすることさえあります。すなわち、国内で農作が豊年の時は、農作物の値段が下落することを恐れて、植民地や属国から輸入される農作物をその年だけ全部現地で焼き捨てたり、没収したり、安価で買い占めて隠してしまったり、高い輸入税を課してなるだけ国外から入り込まないように努めます。そして国内で収穫れたものだけを売り捌かせますので、その国内だけでは、豊作、凶作に拘らず、農作物の値段は適当に保たれます。しかし犠牲に供せられる植民地や属国の農民達こそいい面の皮です。私はこんな政策を不当と思います。それよりも、もっと良心的な、本格的な、確実な田舎生活の安定法があると思います。農村問題、漁村問題などを専門に研究していらっしゃる方々も随分沢山ありますし、また、実際地方の人々がその問題について実地に苦心、復興を計っておられますから、私などが何も申し上げることはありませんが、唯、私がフランスの田舎にいた時、見聞した農夫の生活ぶりを参考までにお伝えして置きたいと思います。  フランスの農夫は言いました──もちろん政府の保護政策を期待してはおりますが、しかし、その保護なくとも自分達は、立派に暮しだけ立てて行かれる準備をしている──と。彼らは、きまって自分の家の周りに、一番手近かに飲食料の貯蔵所、家畜、野菜畑、果樹園を置き、次に穀物畑、葡萄畑、次に牧場、最後に小さな灌木の密林(野鳥獣を棲息させて、時折りこれを捕ったり、家具を作る木材を得る)という順に置いて、一幅の風景画のように、各家庭が散在しております。そして十数個から数十個の家庭が団結して一部落をなし、お互いに才能に応じていろいろの仕事を分担して専門的に行わせます。耕作の上手な人々は一団となって順番に全部落の家庭の耕作事業を片付けて行く。裁縫の上手な娘は、前の担任者の後を享け継いでその部落全部の裁縫を引き受けて、家事の閑にあかして仕上げて行く、たとい嫁入りしてもその女は一生専門に村有のミシン機械を使用して裁縫をし続けます。バターを造るのも村の専門家、決してその素人専門家の悪口や失敗をなじることや、横取りすることはありません。依頼するのに物々交換ですから、少しも金は要りません。自給自足ですから殆んど都会から格別な品物を金で買い入れぬことにしております。そして過剰の収穫物は村の組合でまとめて都会へ売り、組合で最新式の耕作具や穀物の刈り取り機械を購入して、その機械を得意な人々数人に保管させたり、各家庭の収入金の三分の一を貯金し、三分の一を金貨にして床下の甕に蓄え、残りの約三分の一で税金や組合費に当てます。一見原始的であります。世界の流行の中心と言われる巴里を持つフランスが、その田舎においてかかる祖先伝来の原始的な生活方法を奨励しかつ誇っているのに私は一驚しましたが、しかし使用する機械だけは部落全体の醵金によって、最も能率のあげられる精鋭なものに次から次へと買い換えて、部落の専門家に充分の働きをさせるところなどは、なかなか利口なやり方だと感心しました。  最近、日本の田舎の村々が自力更生、自給自足を叫んで盛んに組合制度を利用されるのは、やはり不自然な文化の弊害に負けまいとして、自然生活の根本の中へ最新文化を消化し入れた英断であって、その智慧は、仏智にも達するものであります。 第七〇課 知られざる傑作  フランス十九世紀の文豪、バルザック(西暦一七九九年に生れ、一八五〇年に歿す)の有名な作品の中の一つに、「知られざる傑作」というのがあります。 「一人の独身の絵画の老大家が巴里に住んでいました。十年近くもかかって大作を描き上げているという評判が巴里の画に関係する人々の間に弘がっていました。しかし老大家は、彼の新工夫の描き方を、仲間に盗まれるのを惧れて、絶対に人に見せませんでした。老大家の描こうと企てているのは、この世の中で最も美しい女性、それを生きたもの同様な溌剌さで画布の上に現そうとするのでした。  絵に熱心な若い画家がありました。どうかして老大家の作を見たくて堪りません。しかしその望みは全く絶望でした。老大家は相変らず頑固に画室の扉を押えて、中へ入れないのでした。若い画家に、世にも美しい一人の恋人がありました。彼女は若い画家の天分を認めもし、またその人物をも愛していました。ふと、その画家の恋人に老大家が眼をつけます。モデルに欲しいというのです。それもただのモデルではなく、自分の描きつつある女の像と、その娘と、どっちが美しいか見較べようという下心があるのでした。  娘は、若い画家のため老大家のモデルになることを承知しました。有頂天になった老画家は、思わず娘と一緒に若い画家を画室の中へ連れ込みます。若い画家の悦びはどれほどであったでしょう。しかし、彼には自分の恋人の犠牲を察して暗い顔つきのところもありました。  それほど苦心して近寄った老大家の傑作は、どうでありましたろうか。若い画家の眼の前に立てられてある一大画布には、ただ絵の具の厚い重なりがあるばかりで、これが女の像とはもちろん受け取れないばかりでなく、却って、空漠たる画面が寒さを襲うばかりでありました。しかし老大家は得意の絶頂です。その画面を指しながら、恍惚として言います。 『君たちは、まさかこれほどの完成とは思わなかったろう。見給え、若い娘の形そのものじゃないか。この胸、ぴくぴく肉が動いている……』  若い画家は自分の眼を疑って、自分の見方が悪いのではないかと思いました。そこで、斜から眺めたり、距離を工夫してみたりしましたが、やはり何物も掴めませんでした」  以上、この小説に含まれている思想は、いろいろに取れます。これについて種々な芸術論もあります。しかし、帰するところは仏教も同じであります。  私たちが、一つの物事を突き詰め、分析して考えて行くと、一度は必ず「空」(執着せぬ、こだわらぬ、あるいは自由さということです。常に因、縁、果によって変化し行く自由性を言います)の世界に行き当ります。それは因、縁、果、で出来たものに過ぎませんから、本体は「空」であります。若い、みずみずしい女の肉体とて同じことであります。そして、その行き当った「空」の世界は、その自由さ、その豊饒さ、創造力ある人間にとっては無限に肥えふとった宝田であります。いかなる種子も蒔けば生え、いかなる根も卸せば育つのであります。働く人の働き如何によって、真、善、美の理想は、思いのままに取出せる無尽蔵の庫であります。しかし、創造せず、働かぬ人にとっては、ただ一色の「空」の世界であります。  老大家の画家は、十年、女の肉体を凝視、分析し続けて行って、いま、その「空」の世界に突き当ったのであります。厚く積み重なった絵の具の層は、その凝視分析の研究の跡であります。女の肉体の現象を、因、縁、果と描き分け、観分けた筆の痕であります。ここまででも粒々辛苦のあとは兎に角、察せられるのであります。  老大家は、ひとたび「空」の世界に行き当って、その自由さ、豊饒さに酔ってしまったのでありました。そして此地を以て美の理想の究極だと思い取ったのであります。なんぞ図らん、それは美の畑だけであり、田だけであります。如何に田畑は肥えているにしろ、種子も蒔かぬ、根も卸さぬ田畑は、実際の収穫には縁遠いものであります。それはちょうど、農夫がただ肥えふとった田畑を見て、独りで楽しんでいる気持ちであります。  老大家は、農夫の肥田を見付けたときと同程度の心の段階で楽しんでいるのでした。そして、それを以て、もう黄金浪打つ秋の実りにさえも思い取るのでした。「空」の世界は自由であります。女の美しさを思い浮ばせようとすれば、まざまざそれが、そこに浮び上り、肉体のみずみずしさを見ようとすれば、直ちにそうも見えるのであります。しかし「空」の世界を体験しない、また創造の播種の種子を持たない他人には、全く何もないとよりしか受取れないのであります。独り合点に終るのであります。よく「無弦の琴」とか、「無声の韻」とかいう言葉がありますが、これはその心境を解したもの同志の間で言うことであって、これを生のまま人に理解を押し付けるといわゆる「野狐禅」とか「生悟り」とかいうものになりまして、却って仏教が世間から誹を招く基になるのであります。  この肥えた土地を発見した老大家は、それへ創造工夫の種子を蒔いて、折角掴んだ理想美を誰にも解りやすく摘み取れるよう、成長開花せしむべきでありました。それをしないで肥えた土地、すなわち実りと、早合点してしまいました。模糊の絵を見て不審がっている若い画家の顔を見て、老大家は自信を裏切られたように感じました。一度は自信を取り戻そうと努めましたが、うまく行かなかったか、翌日自殺してしまいました。  ひとたび、この「空」の世界の宝田を見付け、それから、これによき種子を蒔き、よき実りを得さしめて、それを人々に与えようとする修業を、悟後の修業とも、百尺竿頭一歩を進むとも言いまして、人生これからが大いに他人のために働くべきときであります。釈尊が菩提樹下で正覚後四十五年の説法、それに次いで代々の宗祖、高僧がたの利生方便はみなこれであります。  話があまり専門的に亘ったようですが、私たち普通人にも独り合点、早合点はよくあることです。すべての物事は誰にも判るよう、誰とも話し合えるようにすることで初めて物の役に立つのであります。それまでは、いくらいいものでも、種子蒔かぬ、根ざさぬ肥えた田であります。これによっても解るように、私たちは、世の中には上にも上の修業があって、行き止まりがないということを知るのであります。  ちなみに、ここに引用したバルザックの作品は小説であります。芸術品は芸術品として別に味わう方面があり、これだけの解釈のために使っては気の毒でありますが、悟後の修業の例として大変便利なので持って来ました。読者はこれを承知して頂きたい。 第七一課 モダン極楽・モダン地獄  地獄、極楽とは一応、私たちの心の状態を指します。心の経験する苦の世界、これが地獄であります。その反対なのが極楽であります。  現代の人々が嘗める地獄苦で、昔の人と同じものもありましょうが、また昔の人の知らなかった新しいものもあります。  焦燥地獄、何となくいらいらして落付けぬ地獄です。虚無地獄、人生の何物にも張合いが持てなくなり虚無的な気持ちばかりに襲われる地獄であります。神経衰弱地獄、神経過敏地獄、脱力して馬鹿のようになってしまったり些細なことを針小棒大に感じて不安がちだったりする地獄であります。思想地獄、あまりに去来の速かな思想群に疲れる地獄であります。刺激地獄、次に次にと刺激を求めて行って飽くことを知らぬ地獄であります。流行地獄、流行を追って血眼の地獄であります。その他、生活問題、社会問題に関して世人が頭を悩ましている地獄はあまりに人が知り過ぎているものであります。  一方、モダン極楽もないことはありません。便利極楽、器械文明が安価に普及されて便利になったことであります。例えば交通機関とかラジオのような。また、雑誌、新聞、書物等の出版が多くなり知識の需要を容易く充たされるようなこと。家庭愛極楽、家庭というものが認められて来て、そこを中心に安楽境を作ろうとする傾向が多くなって来ました。設備極楽、いろいろの設備でだいぶ公衆慰安の目的のものが増えて来ました。生命安全極楽、昔から見ればどのくらい人の生命が保護されて来ているか判りません。一体、安楽というものは意識に上りにくく、苦痛の方は意識されやすいもので、極楽の方は拾い出しにくいのであります。故に古来、文学上の名篇も地獄的の心境を書く方に傑作が多く、極楽的のものは少いとされております。  現代人の実感上、地獄感が多いか極楽感が多いかと言うと、勿論地獄感の方が多いと言う人が多いでありましょう。釈尊在世と同じく現実の条件として、致し方のないことであります。  しかし、仏教では現実上の極楽必ずしも絶対のものでなく、地獄もまた絶対のものでないと説くのであります。因縁果の理法によって出来たものとすれば、その因と縁を突き止め、その善きを加え継ぐことによって極楽はいよいよ続き、地獄はその性を失う。もし、悪きを加え続けばその反対となると説くのであります。その根本の性を無性と説き、その上に現るる因果の法は歴然であると説くのであります。この理法を信じ望を失わず、善を積み、悪を斥けて、一歩一歩に努力の満足を得つつ行く、これが真の意味の極楽浄土であります。渋い落付いた味の極楽であります。 第七二課 さとり 「さとり」ということは、無限の宇宙生命と、有限の私たち個人の生命と、全く一つのものであることを、はっきり認識したその意識を指すので、禅家の方殊に臨済宗の方で、やかましく言う修業上の心境の段階を指します。さとった人は、この有限で生き死にする私たち個人の精神肉体が、取りも直さず永劫不滅なるものの現れと知って、もはや人生上に煩悶するものもなく安心立命のその日その日を送れるというのであります。そこで、さとったところを「一生参学の大事畢れり」(生涯の修業の大目的が達せられたということ)とか、「桶底打破」(迷いの桶の底を抜くということ)とか言って、ひとまず人生の疑問が片付いた形容をいたします。  ところが、このさとりについてはいろいろと議論があります。さとりは、その人の生涯に一度あるだけだとするのと、度々あるものだとするのと、それから、さとりは不必要だとするのとであります。  一度あるだけだとする側の主張は、兎に角今まで私たち有限的な個人の建前で生きて来たものを、無限的な存在の現れとして改めて自覚し直すのだから、人生の歩みとして全然方向転換である。廻れ右ほどにも方向を変えたのだ。だから真のさとりは、一度だけだというのであります。日本曹洞禅の開祖道元禅師が支那の天童山に修業しておられたとき、師僧の如浄禅師が、「参禅は身心脱落なり」(禅の修業の目的は精神肉体の捉われから解き放たれることだとの意)と言われた言葉を聞いて、さとられたのを、たった一度の大悟と言って、よく例に引いて来ます。  さとりは度々あるものとする側の主張は、元来人間の有限的な認識の力が無限的なものを認識して行くのだから一度で済むはずはない。何遍でもあるはずだ。それはちょうど、竹の節を抜いて行くようなもので、節の一抜き一抜きに人生観は広げられて行くと説くのであります。この例としては、徳川時代の臨済禅の傑僧白隠禅師がよく引合いに出されます。禅師は信州飯山で正受老人の指導によってさとられた以外、大悟小悟その数を知らずと自記されております。  さとりは全然不必要だと主張するのは、鎌倉時代に起った新興仏教の法然、親鸞、日蓮等の諸宗祖の見解で、これを述べる前に、曹洞禅の中のあるものの説くさとり不必要論を紹介しますと、さとれるようなさとりは小さなものだ。無限の生命をさとるのは、ただ黙ってそれに従って行くところにある。今さらそれを認識するとか、しないとか言うのは小さな問題だ。私たちは修業さえしていれば、さとろうと、さとるまいと、修業そのものが無限の生命上の歩みだ。こういうのであります。これは道元禅師の言われた修証不二(修業とさとりとは一つのものという意)の一種の解釈であります。  ところで平安末期に起った法然上人の浄土宗、鎌倉期の日蓮宗の日蓮聖人、浄土真宗の親鸞聖人、いずれもさとり不必要論者であります。不必要ではないが、かく世の中が忙しくなって人間の心が刺激に攪き擾される時代に、さとろうとする修業なんかしている暇がないのだというのであります。その代りに信仰によってさとりと同価値の安心立命を得るがよいというのであります。ずっと前の平安朝時代から伝統が続いて来ている伝教大師の天台宗、弘法大師の真言密教は、さとりの修業と信仰の安心立命と兼用であります。  ざっと、こんなふうな具合で、修業によってさとろうとする側と、信仰によって安心立命を得ようとする側と二派あります──もっともさとり主義の宗派でも信仰をおろそかにするというわけではありません──それで、人々の好みに従っていずれの道を選ぶとも自由ですが、大体の上から言いますと、すでに私たちが宇宙生命の一つの現れであり、その自覚に立ち得る素質が私たちの精神肉体の中に、生れながらに封じ込められてある。そしてその種子は折に触れ、時に乗じて天地からも哺み育てられ、自らも発芽成長しようと努めている。この原理に立たない大乗仏教はないのであります。それから私たち現実上の日常生活が、いちいちこの上もない修業であると説かない大乗仏教もないのであります。故に、この生命弘通の大本を信じ、それからこの世の生活の道場の中で、現実を相手に、実地のさとりを開いて行く。実地のさとりとは、私たちが宇宙の生命の働きのごとく、何物にも自由に応じられ、何事にもみごとに処理して行ける完全無欠の人格者になることを目指して刻々に経験を積んで行くことであります。誠に意義のある楽しい信行(信仰と修業)であります。  もし、各宗各派の教義に殉うとしても、この基礎知識の了解があれば、大変楽であろうと思います。 第七三課 仏陀  宇宙には自ずから真理が備わっております。この真理は、始めもなく終りもなく、行き亘らぬ隈もなく、歴々堂々として万物を支え、万物を活かし、万物をそのものであらしめておる当体であります。空を見れば日月星群は時を間違えず天体が運行し、地を見れば山河草木、いちいちその趣を尽しております。そういう大きなものばかりかと言うと、蟋蟀の髭の尖に生命用心の機能を揮わしめ、苔の花一つに種の繁殖の仕組みを籠めさしてあります。それは自然力だというかも知れません。しかし自然力は、もう真理が形に現れた一部に過ぎません。真理当体というものは、もっともっと奥に在って宇宙活機の根元を掴み、不生不滅、不増不減、霊々昭々として湛えております。自然力は場合によっては起滅盛衰の過程を現します。しかし真理は、それを司りつつ、それに伴うことなく、真、善、美、至極の中道を守って行きます。  これを意志としてみれば、宇宙の大意志です。これを感情としてみれば宇宙の大感情です。いまこれを一つの理法としてみるゆえに真理と呼びました。しかし、いずれも一面の表現に過ぎません。要するに宇宙を一肉体とすれば、その中に籠められていて、宇宙を無限無窮に健かならしめて行く絶対に逞しい魂です。永劫生き抜く生命です。  この理法の天地に行き亘らぬ隈もない様子を、光あまねき太陽に譬えて大日如来と言い、その寿命の無限なところを名に取って、これを無量寿仏などと言いますが、実体の長と大と量とを説明すべくあまりに果なき名であります。しかし人間の言葉としてはこれ以上表現のしようもないので、かの生命をこの種の名で呼び、ひとまず納得することにしてあります。理法として存在する仏陀であるが故に、これを「法身の仏陀」と言います。  私たちが、もし仮りに、この宇宙の生命を全部受け容れて、その生命の持っている智、情、意、を働かすことが出来るとしたならば、どうでありましょう。宇宙にそれ以上のものがないのでありますから、至真、至善、至美に達した人格者でありましょう。知識として宇宙間に通ぜざるものなく、感情として宇宙間に届かないものはなく、意志として宇宙間に徹底しないものはない、こうなったら人格者として最も完全に達したばかりでなく、人間としても至幸至福の境涯でありましょう。また、そういう人が一人でも世間に多くなれば、智慧に溢れ、慈悲に溢れ正義に溢れる世の中になりますから、万人の幸福でもありましょう。これを常寂光土とも極楽とも言います。けれども悲しいかな私たちは、その宇宙生命のほんの一部しか覗けません。一部というのは愚か、針で突いた穴よりの光ぐらいしか覗けません。その理由は私たちの心を覆っている迷妄の雲のためだとしてあります。しかし、全然縁が切れていない証拠は、私たち多少、物事に対して智慧を働かせます。情けを催します。邪悪を嫌います。これこそ、かの生命の光が私たちの胸の窓にさした月影であります。  さて、今から二千五百年の昔、中印度、迦毘羅城に、釈迦族の王子として生れ、現実の悲哀を観じ、二十九歳にして出家せられ、六年苦行、三十五歳にして道を得られ、四十五年間説法の後、八十にして入滅せられた釈尊も、仏陀と称するのであります。  仏陀とは梵語(Buddha)の音を漢字に当てはめたもので、覚者という意味であります。何を覚ったのかと言うと、先程述べましたように、「宇宙には自ずからなる真理が存在していて、それはとてもよいものだ。人間が人世行路の力として仰ぐのは、これに限る」と覚られたのであります。それから、「この真理は天地間に充ち満ちているのだから、誰でも覚られそうなものだが、人間の心中に迷妄の情がある。それが妨げていて覚れないのだ。よし一つ、それを拭き払う方法を教えてやろう。そしてみんなも自分と同じような幸福者にしてやろう」。こうも覚られたのであります。つまり、自分が覚り、人をも覚らせようとする、そこで覚者であります。仏陀という名には是非ともこの二義が籠ります。自覚と覚他──。前に述べました宇宙生命の真理すなわち「法身の仏陀」に、この自覚と覚他のあることは言わずもがなであります。  ところで、釈尊は人間として生れ、人間の寿命を限りに死なれた仏陀ですから、宇宙生命を呼ぶ名の仏陀(詳しくは法身の仏陀)とは、性質が違います。そこで、これを「応身の仏陀」と言います。応身とは、人間に相応して生れ、人々を教化せられる仏陀ということでありまして、人間に相応ずる以上、人間の肉体を持ち、人間の喜怒哀楽を備え、お腹も減り、病気もされる仏陀であります。しかし、外囲の器物はそのように人間どおりでありますが、中身は宇宙生命の真理を湛えられ、永劫不滅の体験に立たれていました。この生き死にする人間の精神肉体が、そのまま永遠不滅の生命を運んで行く一丁場である。こういう覚りに釈尊は立っておられました。こうなって見ると、宇宙の生命と人間釈尊の生命とを二つに離すことは出来ません。法身の仏陀と応身の仏陀とは、一つであることを発見いたします。つまり、人間の仏陀(釈尊)の自覚の上に、宇宙生命の仏陀(法身)の一致を、はじめて私たちに示されたのであります。仏教はここに始まり、釈尊が仏教の開祖であるという意味もここから出るのであります。  経典を読みますと、釈尊が説法せられるのに「仏陀はかく言われる」「仏陀はかく説かれる」といった言葉ぶりが沢山出て来ます。私がもし「かの子はかく言われる」「かの子はかく説かれる」と自分で言ったらおかしなものでありましょう。そのおかしなことを釈尊は平気で言っておられるのであります。これは釈尊が、応身の仏陀の位置から、法身の仏陀の説法を取次がれるところから、こういう第二人称の敬語を用いられるので、自覚された仏陀が、いかに自身とは言え、その自覚を尊ばれ敬重の念を払われたところに何とも言えない奥床しさを感ずるのであります。  さて、世の中には、法身と応身との仏陀があり、自覚した釈尊においては、この二つのものが一つになっていることが判りました。ところで、やや後世になって、いろいろ仏教学者が出まして、釈尊はどうして有限の人間として、かの永遠の生命を捉えられたのだろう。言い換えれば、如何にして応身と法身とを一致させたか。この問題の研究が盛んに起りました。釈尊自身は、そのことについてはあまり説法中に述べておられない。ただ自覚の上より、みんなにやりよさそうな教法だけを述べられまして、それをやりさえすれば自然と両者一致の心境に達するようになるのだとしておられます。あまりに実行的、生活的な教えにくだけ過ぎています。万事に理論的、哲学的になった後の時代の仏教学者は、それでは満足出来ません。そこでいろいろ研究の末、大体こういうことになりました。 「釈尊が、宇宙の生命を捉えた道具は智慧である。だが、智慧によって宇宙の生命の当体を直接に捉えたのではない。宇宙生命の当体というものは、人間有限の脳力で捉えられるような小さなものではない。絶対無限のものである。だが私たち人間には、元来精神肉体中に仏性というものが織り込まれていて、それこそ、宇宙生命と連絡を取っているものである。釈尊は、その智慧によって、自身の中の仏性の口を開かれたのだ。すると、水門口を開けば堀の水と川の水とが自然に連絡するように、法身と応身とは一つになれるのだ。それでは、宇宙の生命なぞという途方もないものを目標にしないで、手近かの智慧というものを研究してみよう。ちょうど研究には手頃のものでもある」  学者達は大体こういう方針を立てまして研究して行きました。  ところが面白いことは、智慧にも幾とおりもありまして、普通世間を渡るような智慧もありますれば、物事を解剖して行って因、縁、果から成り立つ仮りの結びが宇宙万物の姿であり、その実体は「空」(因縁果によって変化し行く自由性)であると見破ったような哲学的の智慧もあります。だが、突き詰めて行って、最後に人間自身内の仏性を開くような智慧になって来ると、もはや、人間自身の智慧とも、宇宙生命から人間を開覚せしめんために四六時中、作用を人間に働きかけている智慧とも、区別がつかなくなります。そして開く智慧も、開かれる仏性も、またそれへ注ぎ込まれんとする宇宙生命も、一つになってしまいます。その境地は少くとも智慧を磨いた効果によって報いられた一つの世界だから、これを報土と言い、人格的に見て報身と言います。  もっともこの報身は、智慧のみでなく、他の修業の力でも到着されることになっていますが、説明が複雑になりますから、智慧の方向からの筋道だけ述べることに致しました。要するに、後世の仏教学者は、「応身の釈尊が法身を得られたのは、報身の仲介によって得られたのだ。そして報身というものは修業の力による」。こういう結論を得ました。  これを譬えで申しますと、ここに大学教授という位置があります。これを法身といたします。Aさんという人があります。これを応身といたします。いま、Aさんは学力によって教授になれました。Aさんが教授に価する学力、それは勉強の力によって得たのですから報身に当ります。  教授の位置、Aさん、Aさんの学力、この三つのものは別々に数え立てれば数え立てられるようなものの、事実は一人のAさんに備わっているのであります。そのごとく、法身、応身、報身の三つは、一釈尊に備わっていたのでした。  釈尊が仏教開教以来、今日まで二千五百年間、その間に数え切れぬほど覚者が出ておられます。いずれも三身を一身に備えた仏陀であります。しかし、開祖の釈尊に対し遠慮して仏陀とは言いません、諸祖と言っております。いわゆる、各宗各派を開宗した名僧知識および、その他散在する諸美徳たちです。おのおの応身として人間の個性を備えながら、修業の力で得た報身、そこに導き取られた法身を備えておられます。いずれも苦心惨憺の結果になる導きの教えを遺されております。  また、釈尊以来、幾多の聖者によって発見された仏菩薩が、この天地間に働いております。眼に見えないからないというわけのものではありません。途中が眼に見えないからないというなら、ラジオの電波は役に立たないはずです。この仏菩薩は、やはりいずれも修業の力によって仏菩薩になられ、人間を救うための特殊の誓願を持っていて、私たちに四六時中働きかけております。  前の諸祖と合せて一口に、諸仏諸祖と言いまして、その修業の功徳も、積んだ智慧も、容易く私たちに遺産としてくれているのであります。  なお、附け加えて言わねばならんことは、しかも一番大事なことは、私たちいずれもが、法報応の三身を備えた仏陀であることです、覚者であることです。もし、そういっては早過ぎると言うのなら、私たちはこれから成る仏陀であります、覚者であります。その資格は充分与えられているのであります。私たちに対して諸仏諸祖は先輩であるに過ぎません。そればかりでなく、これらの諸仏諸祖は、私たちが仏陀覚者に成り終らない限り、休むことが出来ないのであります。働きの手を休めるわけには行かないのであります。  宇宙を、種子が仕込んである未製品の仏陀と見て、もしその中の一部分でも、迷妄の分子が残っていたら、宇宙全体の連帯責任上から諸仏諸祖も遺憾なき安心立命は得られないのであります。その意味から早く人格完成を遂げて覚者になることは諸仏諸祖を救けることにもなるのであります。 第七四課 聖徳太子仰讃  聖徳太子さまを仏教徒が尊崇し奉るのは、太子さまが、高貴の御身分の方であらせられたのに、親しく仏教を弘通せられたということばかりでありません。それももちろんありますけれども、なおその上に、太子さまの仏教に対する御理解の深さに対して人々は渇仰するのであります。御理解の深さというよりは独創の御卓見と言った方が当っているのであります。つまり仏教に対する御実力であります。  太子さまは、仏教をただ頭や精神上のことばかりと解釈なさらずに、直ちに現実上、生活上のこととして、その長所を採択なされました。御摂政中の万般の施設、そのいずれとして、この御見解より流出せないものはありません。そして、その御施設のいちいちが、また、ぴたりぴたりと当時の日本国民の実情に当て嵌っているのであります。  かくのごとく、太子さまは、仏教から大乗精神を活捉されましたが、それを応用せらるるに際しましては、何物にも捉われない自由な立場に立たれました。ただ参考としては、当時の国民実情に対する透徹した洞察あるのみであります。これこそ、真の御卓見であります。  憲法十七条を制定せられて、臣民に、政治、道徳の帰趨を知らしめられ、支那大陸文化の輸入を図って産業治生の途を講ぜられ、施薬、療病の諸院を興して貧民を救恤せらるる等、仏教の生活化、理想の現実化に向って力を尽されました。別して造塔、起仏に御熱心にて、自ら七寺(四天王寺、法隆寺、中宮寺、橘寺、蜂丘寺、池後寺、葛城寺)を建立せられた外、諸国にも寺院の配在を奨励せられたのは、国家鎮護の役目とともに、庶民をして和恭の心を発得せしめん御心よりであります。  太子が摂政の任にお就きになった推古朝は、日本に公に仏教が入った欽明朝の時より四十年余りしか経っておりません。しかも、それまでに輸入された宗派は、三論宗などというまだ本当に成熟した大乗仏教ではありません。  成熟した大乗仏教は、ちょうど、この四十年間ほどの間に、支那大陸で、天台大師がしきりに研鑽講述しつつあったときで、日本にはまだあからさまに、その影響はなかったときであります。そういう未開の仏教時代の日本で、単的明確に大乗仏教の真義を把握された太子さまは、天才と申上げていいか、直覚力の鋭いお方と申上げていいか、ただただ驚嘆の外はありません。  太子さまは、万機を摂政せらるるお忙しき中に、経を講ぜられ、また、その註釈を作られましたが、その経は、法華経、勝鬘経、維摩経の三つでありまして、大乗経典中の最も大乗的のものであります。  大乗というのは何かと申しますと、一口に言いますれば、治生産業ことごとく仏法にあらざるなしという大見解に立つ主張でありまして、消極的に隠遁して、独り清く澄し込む小乗仏教とは反対であります。そして法華経はその哲理と実行の勧めを説いた経巻であり、維摩経は維摩居士という俗間の老練な一男性をして、その大乗主義の体験を物語らしめたもの、また勝鬘経は勝鬘夫人という若い美しい女性をしてその教義を述べさしたもの、いずれも、経の目的は現実生活の理想化にあります。人間、無私な態度を以て、慈悲の心を湛えつつ、日常生活に励むところに仏教の全体がある。仏教はそれ以外の何物でもない。国家のため、社会のため、当面の職務に誠意を尽して行く、これ仏教の全修業である。この純一無雑の生活、すなわち仏法を説いたのが法華経はじめ他の二経の精神であります。かかることぐらいは仏教でなくとも判っていると言う人があれば、それはまだ仏教というものを知らない人であります。無私とか、慈悲とか、誠意とか、勇猛心とかいうことは、限りもなく、上に上があるもので、これで行き止まりというところはありません。それで、いろいろの方法でこれを私たちの精神肉体より磨き出して行こうとする。そして磨き出したものを以て刻々に個人生活、社会生活、国家生活の上に、光を照らし添えて行こうとする。ここに仏教の修業の段階があるのであります。  大乗仏教の趣意が、すでに現実上にあるのでありますから、法華経が理を説くかたわら、維摩、勝鬘の二経が在俗の士女によって説かしめられてあるのは大いに意味があるのであります。  太子さまは経の御選択の上にも時代を抽んでた独創の卓見をお示しになったばかりでなく、自ら執筆された経の註釈書すなわち御疏を拝しますと、御趣旨はいよいよ明らかにされて来るのであります。故に御疏は、法華、維摩、勝鬘等の大乗経典を解そうとするものにとって、今日に至るもなお、重要な指針の書となっているのであります。  太子さまは、文治一方のお方かと申しますと、なかなかそうではありません。時によっては勇猛鬼神を怖れしめるお働きもなさったのであります。  それは蘇我馬子とともに、物部守屋を誅伐された時でありました。御齢は十四歳でいられました。束髪にして打もの執って従軍されましたが、敵勢が盛んなるを御覧になって、仏天の加護を得ずんば願成り難しと、白膠木を取りて四天王の像を作り、これを頂髪に籠められて、それから馳せ向われたと、伝えられております。四天王とは、内心慈悲を蓄えながら、方法上、忿怒の姿において人々を信服せしむる慈勇の魂を象徴したものであります。その像を髪に籠められて眦を決して睨み立たれた美しく若き皇子の御勇姿は、真に絵のようであったろうと拝察されます。摂津の四天王寺は、このとき勝利を得られた太子さまが、加護報謝のため、戦の後でお建てなされた寺だと伝えられております。  太子さまの、この現実理想化の大乗精神は、後世、心ある仏教家たちの渇仰するところとなりまして、中にも平安朝の伝教大師は、太子さまの御精神を師教と仰ぎ奉り、御廟前に加護を祈りました。鎌倉時代の親鸞聖人は聖徳奉讃の和讃を作って歎慕の意を表せられております。  聖徳太子さまの大乗仏教的聖旨は、日本の国民性とともに万代不易に継ぎ伝わり、渇仰は永遠に尽きせぬものであります。 第七五課 日本の仏教  印度が仏教の原料産出地とすれば、支那は加工、輸出地であります。そして日本は輸入消費地であります。しかし、ただの輸入消費ではありません。輸入するにも、国土民情に適したものを篩い選り、そしてさらにこれを民族精神で精製し直し、全く日本的の仏教にして消費し来ったのであります。故に日本の仏教は、印度の仏教とは大変な相違があり、支那の仏教ともよほど異なっております。  日本へ輸入した仏教は大乗仏教ばかりであります。奈良朝以前には少しは小乗仏教も入ったようでありますが、土地に適さない種子の萎びてしまうように、積極的、進取的な日本民族の間には、その小乗仏教はたちまちにして萎びてしまいました。平安朝以後は堂々たる大乗仏教の天下であります。この大乗仏教のみ日本に根付いたという理由は、大乗仏教の現実理想化の思想、無私と慈悲を説く思想、個人主義を排斥して社会生活、国家生活に重きを置く思想、光明的進取的の思想等、ことごとく日本の民族精神に共鳴せられるところのものであるからであります。それで、この種の仏教が日本に根付き、民族の文化を啓発すると同時に、仏教そのものもまた、民族より保護発達を遂げしめられました。日本民族の文化と大乗仏教の発達とは、持ちつ持たれつの関係でありました。昔の印度で書き記されたある経論に、東方に大乗経典有縁の国があって、仏教は最後にそこに駐まると予言してあるそうでありますが、この現状から言えば予言は当っております。今日、大乗仏教の行われている国は日本ばかりであります。他の仏教国と言われる国は、多少大乗はあっても名ばかりで、実は小乗が行われているのであります。  さて、その大乗教義が、どのように日本民族の発展に役立って来たかと申しますと、まず第一に国民生活上、和恭勤勉の気風を涵養したことであります。聖徳太子が御自ら法華経、維摩経、勝鬘経の三経を講述、註疏せられ、造仏起塔に努められたのも大乗精神の現実理想化に依られたものであります。法華経は、大乗中にも大乗の経と言われ、主張する思想は「治生産業ことごとく仏法にあらざるなし、この現実生活の上に刻々、真、善、美、の理想を刻み出して行く」という教理と実行とを説いたものであります。維摩、勝鬘の二経は、一は老熟の男性の口を藉り、一は妙齢婦人の言葉を藉りて、勇敢なる生活の理想化を獅子吼さしている経であります。以上三つの経はいずれも仏教を遠きもの、離れたものとせずして、私たち日常生活の上に効果を見出さしむることに重点を置く経であります。  宗教というと、理想を未来の遠方に置き、現実生活の煩わしさを避け、独り行い澄まして法悦に入るもののように思い做されやすくあります。また、そうすることこそ、高尚幽雅な宗教のように取られやすいのであります。が、しかし、それは仏教で言う小乗的の教義であります。かかる宗教は案外容易いのであります。  多少欲を殺し逃避的の性質のあるものには誰でも出来るのであります。これと反対に、紛雑極まりない現実の真直中に分け入り無私と慈悲を行い、和恭勤勉を保って行くという、積極的な現実浄化の仕事こそ、難事中の難事であります。幸いにしてわが民族精神には、生に対する逞しい健康な気力がもとより備わっており、虚を去って実を採る、真実の理想家の風格があるので、進んでこの大乗の真理を歓迎し文化発展の動力に使ったのであります。  強い腕の人にして強い槌は揮えます。世の中には、いろいろの宗教や哲学や思想がありまして、随分紆余曲折していますが、結局最後は、現実そのものを理想化するというところに落付かねばならぬものでしょう。わが日本民族は、とうの昔からこの現実の理想化を徹見し、着々生活上に運用を図って来ました。これを以て観るに日本民族は、よほど明敏にして実力に自信ある国民であることが判ります。  こういう優秀な素質を有する民族ではありますが、その素質を磨かせ、長所を発達せしめた道程は、幾多の先覚者の指導啓発に拠るのであります。特に仏教における先覚者の指導啓発ぶりは、全く仏教をわが民族性に適切妥当ならしめ、その滋養分吸収を容易ならしめたるのみならず、仏教を以て、民族の偉大なる成長発展に正しき歩幅を与えて来たのであります。そこに日本民族の創造した日本仏教があるのであります。そこに他国の仏教との相違点があるのであります。  聖徳太子の大陸仏教に捉われない独特の御卓見は、上述の三経の註釈書すなわち御疏の中にも拝せられるのでありますが、太子御摂政中の施設において、より多く歴々として現れておるのであります。憲法十七条の御制定といい、支那文化の輸入といい、貧民救恤の設備といい、その他、時代に応じ民情に応じて、与えられたる万般の御処置は、専ら国民生活向上の手段でありまして、まさしく現実上に理想を開顕する大乗至極の極則に違いありませんが、かくも明晰に、かくも実際的な仏教の生活化は、太子の御達識にしてはじめて可能となるものでありまして、以後歴代の仏教家が、太子の御事蹟を以て日本仏教の師教と仰ぎ奉るのであります。  民族精神の暢達、国民生活の向上、現実の理想化、自利と利他の一致、この四点は全く日本仏教独特の眼目でありまして、時代を代え、形式は更めても、日本に生れ行われる仏教ならばこの眼目を失うことはないのであります。以下、実例に就いてすこし述べてみましょう。  奈良の大仏が建立された聖武朝を中心にするいわゆる奈良朝時代であります。この時代に行われた仏教宗派は、主に華厳宗、律宗であります。 青丹よし寧楽の都は咲く花の   にほふがごとくいま盛りなり 奈良七重七堂伽藍八重ざくら  前の和歌は当時を詠んだ古歌であります。後の俳句は徳川時代の俳人芭蕉の詩眼に映じた奈良の面影であります。どちらにしても、当時仏教文化の絢爛成熟した有様が覗われます。そしてこの絢爛さは、また華厳教義の華やかさでもありました。  しかし、その華やかな文化の中にも、宮廷はじめ朝臣たちは、仁王経、金光明経、薬師経等を諸僧に講誦せしめ、また諸国にその普及を努められております。  一体、これらの経は、直接個人の幸福に関係するというよりは、むしろ天下国家の安寧福利に関係ある経であります。非常に教義の範囲の大きい経であります。それらを講誦せしめ、また諸国へ普及せしめられたということは、やはり仏教をして国民生活の現実全体に資するところあらしめようとした日本仏教の精神からであります。国の禍福は国民の禍福、国民の禍福は国の禍福、この現実の理を明らかに知れるところの精神の発露であります。仏教を飾り物にして置かない証拠であります。  次に平安朝に興った二大新仏教は、伝教大師の日本天台、弘法大師の真言密教であります。いずれもまた、日本民族創造の大乗精神に立つものであります。  伝教大師が支那へ留学して持ち帰られた仏教は、支那天台宗の外に禅宗、密教、律宗もありました。これらの四宗の長所を摂り、比叡山を開いて日本天台を創められたのですが、大師の独創として日本天台の宗義の中心となるものは、大乗円頓戒というものであります。人々は無私な心と、慈悲の情と、不撓の志とを持って日々の現実生活を営んで行く、それが仏教である。但し、それらの心構えは覚悟はしていても、人間とかく忘れがちである。そこで一つの印象的な形式すなわち大乗円頓戒の儀式というものを作り、その形式を踏ましめることによって、永く忘れないようにさせられたのであります。ちょうど私たち学校の入学式のとき、あの厳かな儀式を受け、子供ごころにその学校の生徒である光栄と責任とを感じ出すように、大師は比叡山その他にこの大乗円頓戒の儀式場を設けられ、感銘に価するような人格のある聖僧等をして儀式を司らしめ、人々に永く無私、慈悲、不撓の三徳を心に持ち伝えるよう、仏陀の名において訓戒を与え、再び人々を現実生活へ送り帰すのであります。かくして再び日々の営みに就くという現実浄化の妙案であります。これは治生産業をそのまま仏教の修業とする法華経思想を、時代に応じて安易に体得しやすくしたものであります。また聖徳太子の御趣旨の敷衍に外なりません。そして伝教大師は、この戒壇には日本国民残らず全部を登壇授戒せしめて、一挙に民族精神の作興を企図されたのですが、南都の旧套仏教家の妨害に遭って、生前にはその官許を得られませんでしたが、死後、比叡山にこの授戒は行われたのであります。これによっても大師の国民道徳に心血を注がれた日本仏教家としての特色およびスケールの大きさは充分覗うことが出来ると思います。  伝教大師と対立的に時代の仏教を開創せられた弘法大師も、国民の現実生活に留意せられたことは同じであります。伝教大師の円頓戒に当るものは、弘法大師に在っては灌頂でありまして、この儀式を通して人々に人格完成の希望を喚起せしめ、かつ自覚に便利な宗教的な合言葉を与えて口に唱えしめ、以て現実生活に就かしめるのであります。しかし弘法大師における灌頂は、伝教大師における戒壇ほど主力なものではなくて、弘法大師の得意とするところは、あらゆる真、善、美、の形式をまず人々に与えて、理想の匂いを感覚より浸み込ませ、現実に含める理想の価値をところを換えず即座に見出させようとする教法であります。このために、あらゆる善美な宗教的儀式軌則はもとより、芸術をも採用されたのであります。これ最も高遠なる理想を最も現世的のものに見出す大師一流の仏教哲学の帰結の方法であります。  大師が四通八達の文化的の智才を以て庶民生活の実地の便利を図られたことは、俗に弘法温泉とか、弘法薯とか言われるものの名に残っていることによっても徴されます。その名のものが、事実、大師に関係がなかったとしても他に沢山、大師が庶民の生活に工夫を与えられたことの反響として考えられるのであります。  平安末期より鎌倉時代にかけて法然、親鸞、日蓮、道元の諸宗祖によって、新興仏教が時代に応じて興りました。  日蓮上人の宗教が、法華経をいよいよ時代化し、人々題目を口に唱えつつ現実生活に営むところに全仏教精神は活きるとしましたその簡易化、民衆化、生活化は、誰もよく知るところであります。しかし、浄土教系統の法然上人、親鸞聖人の宗教、および山中独棲の道元禅師の宗教にもこの民族精神の暢達、現実生活の理想化という大乗精神が強く含まれているのであります。  親鸞聖人の教義は、まず安心立命を得るのであります。そして、あとは私たち民族それ自体の持つ逞しき現実の生活力に任せて、自由に発達を遂げさせて行くのであります。この際、迷いの心ぐらい現実の生活力をくさらせるものはありません。そこで、この迷いを取り去るために、宇宙の人生が備えている人間発覚の力を信亨するのであります。 「能く一念喜愛の心を発すれば、  煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり」  とあります。  また道元禅師が、越前の山中、永平寺に籠られた目的は、いわゆる一個半個の道人を打得して(一人半人の理想的人格者を作り上げて)、将来、国民に呼びかけさす手段のためでありまして、それ故にこそ、自分は手を洗う一杓の水も半杓しか使わず、半杓は元へ帰してその功徳を後嗣者に譲り与えるというような譬喩を以て用意のほどを示されております。しかも永平寺で道元禅師が授けられた教育方針および書き遺された主張によりますと、「人間は真理に対する眼を明らかにするのみならず、必ずこれを生活上に実現して以て理想を具体化しなければいけない」と説いておられます。この点で禅師の宗風は、生活の正しさに極力注意を払い、「生活即仏法」を要諦としておられます。またそれによって日本民族生活の浄化向上を望まれたのであります。  以上、述べましたように、日本の仏教は必ず民族精神の暢達を図り、現実生活を価値化するところに重心があります。誠に日本仏教は、生に対して逞しく健康な心力を有する日本民族にとって、如何にも相応しい心使いを持つ宗教であります。 跋  宗教で最後のものは体験であります。「信」の中身──そこに自ずから開かれる智慧の光を湛えつつ──は人に伝えるべく、あまりに微妙幽邃を極めております。光の中に泳ぐ光とでも申しましょうか。実は眼に障える何物もないのであります。骨の中の髄漿と申しましょうか、明瑩々、玲瓏そのものであります。  けれども、いざとなると驚くべき威力を揮います。私たち電気風呂に入ったとき、中に居るときは何ともありませんが、出しな入りしなにはぴりぴり感じます。そのように、もし「信」の力に触れたものは、驚天動地の働きを演じます。紫外線、X光線、随分強い電気があります。「信」の力の電気はそんなものではありません。  めいめいその体験を味われるまでが仏教の説明によって導かれます。それならば仏教の説明は中身のない殻であるか。そんなことはありません。一人の「信」を持った人間のする説明は全部、「信」の力の現れであります。仏陀の電気の火花であります。私は、この火花によってあらゆる説明の仕方をして見ました。 底本:「仏教人生読本」中公文庫、中央公論新社    2001(平成13)年7月25日初版発行 底本の親本:「佛教讀本」大東出版社    1934(昭和9)年11月25日発行 入力:門田裕志 校正:仙酔ゑびす 2013年11月5日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。