やんま 小川未明 Guide 扉 本文 目 次 やんま  正ちゃんは、やんまを捕りました。そして、やんまの羽についた、もちを取っていると、ぶるっとやんまは、羽を鳴らして、手から逃げてしまいました。 「あっ。」と、いって、その逃げた方を見送ると、よく飛べないとみえて、歩いてゆくおばあさんの背中にとまったのです。  正ちゃんは、胸がどきどきしました。どうしたら、うまく捕らえることができるだろうと思ったからです。  正ちゃんは、気づかれないように、おばあさんの後を追いかけました。いくらおばあさんでも、動いていると、知られぬように、うまく捕らえられるものでありません。正ちゃんは、ため息をつきました。しかし、勇気を出して、おばあさんのうしろへいって、手を伸ばしました。  下を向いて、おばあさんは、なにか考えながら歩いていると、だれか、たもとにさわったような気がしたので、うしろを振り向くと、どこかのかわいらしい子が、後からついてきたのです。 「へへへへ、人違いでございますよ。」と、おばあさんは、笑って、そのままゆきかけたのでした。 「だめだなあ、あんなところに、うまくとまっているんだもの。」と、正ちゃんはうらめしそうに、やんまを見つめていましたが、もう一度捕らえられるものか、やってみようと、また足音をたてぬようにして、おばあさんの後を追ったのであります。  おばあさんは、また、だれかたもとのあたりにさわったので、はっとして振り向いてみると、先刻の子供が、しつこく自分の後を追ってきたのでした。  これは、人違いでないと思いました。そして、顔に似合わぬ、なんという、いやな子だろうと思いましたから、おばあさんは、怖ろしい目つきをして、にらんだのでした。子供は、おばあさんにしかられると、そのままあちらへ駈け出していってしまったのであります。  おばあさんは、お家へ帰りました。家の人たちが、 「おばあさん、お帰んなさい。」と、いって、出迎えました。それから、「お疲れでしょう。」と、いって、羽織をぬがしてあげにかかると、やんまが、背中にとまっていましたので、 「まあ、おばあさん、こんな大きなやんまが、お背中にとまっていましたよ」と、いって、捕らえてみせました。このとき、おばあさんは、 「やんまが?」と、いって、はじめて、さっき、男の子が、自分の後を追ってきたわけがわかったのでした。 「ああ、それなら、あんな顔をして、にらむのでなかった。」と、おばあさんは、思いました。  けれども、お彼岸のおまいりにいった帰りなので、やんまを助けてやったと思うと、いいことをしたとも考えたのでした。 「どれ、どれ、私が、木の枝にとまらせてやりましょう。」と、いって、おばあさんは、やんまを庭の縁側に近い、南天の木にとまらせておきました。 「もう、逃げていったろう。」と、晩方、おばあさんが、縁側へ出てみると、そこには、やんまの羽だけが散らばっていました。小ねこのたまが食べたのです。おばあさんは、これを見ると、驚いて、たいそう立腹しました。 「今夜は、家へ入れない。」と、いって、たまをしかって、外へ出してしまいました。小ねこは、ニャアニャアと鳴いていたが、そのうち、どこへかいってしまいました。 「かわいそうに、どこへいったでしょう。」と、家の人たちが、いっていました。 「いえ、こらしめてやらなければ。」と、おばあさんは、いつまでも立腹していました。  そのとき、そこへお隣の光子さんが、たまを抱いて入ってきました。 「おばあさん、たまが、うちのお台所へきて鳴いていましたから、つれてきたのよ。」と、いいました。  おばあさんは、たまが、やんまを食べたからしかったと、お話をしました。すると、光子さんは、おばあさんの顔を見て、 「だって、たまは、やんまを食べて、わるいということを知らないのですもの。」と、いいました。  この子供の、やさしい言葉は、おばあさんに、さっき、自分もそれと知らないばかりに、どこかの、かわいらしい男の子をにらんで、わるいことをしたことを思い出させました。 「この年になっても、おばあさんは、ばかだね。光子ちゃん、こちらへおいで。」と、いって、おばあさんは、光子さんの頭をなでてやりながら、自分にも、こんなような女の子か、先刻の、男の子のような、かわいらしい孫があったら、どんなに、楽しかろうと思いました。  たまは、いつのまにかおばあさんのひざの上にのって、まるくなっていました。 底本:「定本小川未明童話全集 11」講談社    1977(昭和52)年9月10日第1刷発行    1983(昭和58)年1月19日第5刷発行 底本の親本:「ドラネコと烏」岡村商店    1936(昭和11)年12月 初出:「教育・国語教育 5巻10号」    1935(昭和10)年10月 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2016年6月10日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。