政ちゃんと赤いりんご 小川未明 Guide 扉 本文 目 次 政ちゃんと赤いりんご  田舎のおばあさんから、送ってきたりんごがもう二つになってしまいました。 「政ちゃんなんか、一日に三つも、四つも食べるんだもの。」 「僕なんか、そんなに食べやしない。勇ちゃんこそ三つも四つもたべたんだい。」  二人は、いい争いました。そして、残った二つのりんごを、どちらが大きいか、めいめいでにらんでいました。  一つは、いくぶんか大きいが、色が青かったのです。一つは、小さいが、赤くて美しく見えました。 「僕、この大きなほうを取ろうや。」と、弟の政ちゃんが、すばしこく手を出して、大きなりんごを握ろうとしました。 「それは、おれのだい。」  兄の勇ちゃんは、政ちゃんの小さな手でつかんだ、りんごを奪ってしまいました。  さあ、たいへんです、二人は、そこでつかみ合いがはじまりました。畢竟、年の少ない政ちゃんは、かないませんでした。 「お母さん、僕のりんごを兄さんが奪ってしまったんですよ。」  泣きながら、政ちゃんは、お母さんのところへ訴えてゆきました。 「うそですよ、お母さん。僕は、大きいから、大きいのを取ったのです。政ちゃんは、小さいから、小さいのを取るのがあたりまえなんですね。」と、勇ちゃんは、つづいて、お母さんのところへやってきました。 「そんなことは、きまっていません。政ちゃんの持っているものを、なんで無理に奪ったりするんですか。」  お母さんは、こういう場合には、小さいものより、兄さんをしかるのがつねでした。  勇ちゃんは、手に、青い大きなりんごをしっかりと握っていました。そして、お母さんの裁判を、不平そうな顔つきをして、うつむいて聞いていました。 「田舎のおばあさんは、僕に、送ってくださったんでしょう。」と、政ちゃんが、いいました。 「いいえ、みんなに送ってくださったのです。」 「それみろ、政ちゃんは、自分ひとりのものだと思っているからいけないんだ。」 「あんな小さいの、やだい。」  政ちゃんは、からだをゆすって、だだをこねました。 「もう一つのを、持っておいで。」と、お母さんは、おっしゃいました。 「僕、あんな小さいのは、やだい。」と、政ちゃんは、いいながら、紅いりんごを持ってきました。 「まあ、きれいなりんごだこと、ちょっとお見せなさい。」  お母さんは、目をみはって、りんごをごらんになりました。 「こんな、きれいなりんごが、どうしていけないの。あんな青いりんごより、よっぽどいいじゃないの。」 「小さいじゃないか。」  政ちゃんも、さっき、小さいが美しいから、どちらを取ろうかと考えていたくらいですから、お母さんにそういわれると、なるほど、青いりんごより、小さくても、このほうがいいように思われてきました。 「これを上手に写生してごらんなさい。」  政ちゃんは、学校で、先生が、こんどなんでも持ってきて、図画の時間に写生してもいいと、おっしゃったことを思い出しました。 「僕、これを学校へ持っていって写生してもいいの。」 「みごとに描けたら、おばあさんに送っておあげなさい。どんなにお喜びなさるかしれませんよ。」  政ちゃんの機嫌は、すっかり直りました。このとき、勇ちゃんは、とっくに大きなりんごを持って出てしまって、いなかったのであります。 「おなかが痛い。」  勇ちゃんは、朝起きると、腹を押さえていいました。 「おなかが痛いの、どうしたんでしょうね。」 「ああ、おなかが痛い。」 「きっと、おなかを冷やしたのでしょう。」  お母さんは、心配して、勇ちゃんのようすを見ていられました。 「ああわかった。お母さん、兄さんは、きのうりんごの皮をむかないで食べたからでしょう。ばちがあたったのだ。」  そばで、政ちゃんが、いいました。 「だまっておれ。」と、勇ちゃんは、怒りました。 「ばちがあたったのだ。」  政ちゃんは、いいました。腹を押さえて、すわっていた勇ちゃんが、飛び上がって、政ちゃんを追いかけました。 「お母さん──。」 「生意気いうからだ。」  政ちゃんの呼ぶ声と、勇ちゃんの、とっちめている声とが、もつれてきこえてきました。 「けんかをする元気があれば、だいじょうぶです。」と、お母さんは、笑っていらっしゃいました。  二人は、お膳の前にすわりました。 「もうおなかがなおった?」と、お母さんは、おききになりました。 「まだ、ちっと痛い。」 「お母さん、学校が休みたいからですよ、休ましてはいけませんよ。」と、政ちゃんがいいました。 「だれが、休むといった。」と、勇ちゃんは、政ちゃんをパチンとたたきました。 「ご飯をたべるときまで、けんかをするのですか。」  お母さんにしかられて、やっと、二人は静かになりました。そして、ご飯をたべて、学校へ出かけました。  政ちゃんは、あの赤い、美しいりんごを紙に包んで、学校へ持ってゆきました。 「きれいなりんごだね。」  図画の時間に、小野がふり向いて、いいました。 「こんなりんごは、めったに見ないね。どこで買ってきたんだい。」と、隣の山田が、ききました。 「田舎のおばあさんから、送ってきたんだ。」と、政ちゃんが、答えました。 「たくさん送ってきたんかい。」 「ああ、たくさん送ってきたんだ。」 「いいなあ。」 「だけど、みんな食べてしまって、もうこれきりないんだ。」 「なあんだ、それじゃつまんないな。」  このときです、先生が、大きな声で、 「横を見たり、話をしたりせんで、上手におかきなさい。」と、おっしゃいました。  政ちゃんは、うまく描けて、いいお点をもらったら、おばあさんのところへ送ってあげて、見せようと思ったので、一所懸命で描きはじめました。  つぎは、算術の時間でした。ベルが鳴って、みんな教室にはいったときです。 「僕に、りんごをおくれよ。」と、山田がいいました。 「僕が、もらう約束をしたんだい。」と、小野がいいました。  政ちゃんは、二人が、ほしいというので困ってしまいました。 「ジャンケンおやりよ。」  政ちゃんの机の上にのっていたりんごを、ふいに小野が取ってしまいました。 「ずるいやい。」と、叫んで、山田が、それを奪い返そうとしました。ちょうど、昨日、政ちゃんが、兄の勇ちゃんに向かってやったと同じことです。  そのとき、もう先生は、教室においでになって、じっと二人が、りんごを奪い合っているのを見ていられました。二人は、大騒ぎをしていました。知らなかった政ちゃんが、気がつくと、 「先生が。」と、注意しました。  二人は、びっくりして、争うのをやめたけれど、遅かったのです。 「小野も、山田も、こっちへくるんだ。」と、先生は、おそろしい顔つきをなさいました。 「さあ、女の組へいって勉強せい。」  みんなは、女の組へやられるのが、罰の中でもいちばん苦しかったのです。山田は真っ赤な顔をして、先生に引きずられるようにして、連れてゆかれたけれど、小野は柱につかまって、動きませんでした。先生は、小野のわきの下をこそぐりました。  それでも、我慢をして、はなれまいと柱にしがみついたのです。お席から、くすくす笑う声が起こりました。 「よし、そこに、いつまでもそうやっておれ。」と、山田一人をつれてゆかれました。 「小野、この間に、逃げっちまえよ。」 「逃げたら、後で、よけいにしかられるぞ。」  政ちゃんは、この赤いりんごから、たいへんなことが起こったものだと、りんごを拾って、かばんの中に入れてしまいました。  小野が、教壇の上に立たされて、頭をかいていると、女の尾沢先生が、山田をつれて教室にはいってこられました。 「これから気をつけて、騒がないといいますから、どうぞ、こんどだけは、許してあげてくださいまし。」と、あやまってくださいました。 「もう、きっと気をつけるね。じや、尾沢先生に、お礼を申しなさい。」と、先生は、山田にいわれました。  山田は、顔を赤くして、頭を下げました。そして、山田だけは、お席にはいって、みんなといっしょに勉強することを許されたけれど、小野は、先生のいうことをきかなかったばかりで、時間の終わるまで、そこに立たされていました。 「勇ちゃん、りんごをあげようか。」  学校から帰ると、政ちゃんはいいました。 「りんご?」といって、勇ちゃんは、かけてきました。 「きのうのりんごじゃないか。政ちゃんは、どうして食べないのだい。」 「どうしても、僕たべたくないのだ。」 「おかしいな。」  お母さんも、赤いりんごをごらんになって、 「ほんとうに、くいしんぼうの政ちゃんが、どうしてたべなかったの。」と、おっしゃいました。  政ちゃんは、このりんごを学校で小野と山田が奪い合って、先生に立たされたことを思い出しました。それを考えると、家に帰って、かばんからとり出したけれど、どうしても食べる気が起こらなかったのです。田舎のおばあさんから送っていただいただけに、捨てることもできなかったのでした。  そのお話をすると、勇ちゃんは、 「僕、そんなりんごをたべるのはいやだ。」といって、あちらへいってしまいました。 「まあ、よくけんかの起こるりんごですね。このことを田舎のおばあさんにいってあげようかしらん。おばあさんは、きっと兄弟げんかをするようなら、もうこれから送らないとおっしゃるでしょう。」 「もう、けんかをしないから、そんなことをいってやっちゃ、いやだよ。」  お母さんは、笑って、おうなずきになりました。  このとき、ドン、ドン、と、外の方で太鼓の音がしました。 「政ちゃん、りんごをさるにおやりよ。」と、勇ちゃんが、入り口から、のぞいて、いいました。政ちゃんは、赤いりんごを持って、かけ出してゆきました。政ちゃんは、赤いりんごをさるにやりました。  さるは、りんごをもらって、よろこんで、さるまわしの背中におぶさりながら、コスモスの咲く、垣根に添って、あちらの方へと見えなくなったのであります。 底本:「定本小川未明童話全集 10」講談社    1977(昭和52)年8月10日第1刷発行    1983(昭和58)年1月19日第6刷発行 ※表題は底本では、「政ちゃんと赤いりんご」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:仙酔ゑびす 2011年12月1日作成 2012年9月28日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。