古いてさげかご 小川未明 Guide 扉 本文 目 次 古いてさげかご  ずっと前には、ちょっと旅行するのにも、バスケットを下げてゆくというふうで、流行したものです。年ちゃんのお家に、その時分、お父さんや、お母さんが、お使いになった古いバスケットがありました。  年ちゃんが、ある年の夏、お母さんにつれられて田舎へいったときには、このバスケットにりんごや、お菓子を入れて持ってゆきました。そして、帰りには、お土産のほかに、海岸で拾った石ころや、貝がらなどを中へいれて、汽車に乗ると、このバスケットを網だなの上に載せておきました。  年ちゃんは、お母さんや、妹のたつ子さんと汽車の窓から、青々とした外の景色をながめていますと、遠い白雲の中で、ぽかぽかと電がしていました。そのとき、汽車は、全速力を出して走っていたので、頭の上の網だながギイギイと音をたてていました。そのたびに、バスケットも揺れています。年ちゃんは、 「あのかごに、青い石や、赤い貝がらが入っているのだな。」と、なんとなく楽しかったのでした。  お家へ帰ると、バスケットに入っていたものは、みんな出されてしまいました。 「もう、このかごは、使いませんね。」と、いって、お母さんは、バスケットを日に当てておしまいになりました。  その後のことでした。写真の入っている紙の箱が、写真を出したり、入れたりするうちにこわれたので、お母さんは、写真をこのバスケットの中へお移しになりました。写真入れとなったバスケットは、茶の間のたなの上に置かれたのでした。平常は、だれも、それに気をつけるものもなかったのです。  バスケットは、そこでほこりがかかり、だんだん古いうえにも古くなって、金具もさびてゆきました。  あるとき、お母さんは、たなの上をそうじなさってバスケットをお下ろしになりました。 「この中へ、なにが入っているでしょう?」と、お母さんは、写真が入っているのをお忘れになったのです。 「古い写真が入っているのよ。」と、お姉さんが、いいました。 「あ、そうだったね。」と、お母さんは、思い出しになりました。 「どれ、見ようか。」と、兄さんは、いって、バスケットをあちらへ持ってゆきました。  年ちゃんも、そのそばへゆきました。かわいそうに、バスケットの金具がとれかかっています。 「あ、かぎをかけるところが、こわれているよ。」と、年ちゃんが、いいました。 「いいよ、もう使わないのだから。」と、兄さんは、それを問題にしませんでした。  年ちゃんは、一昨年の夏、田舎へいったときのことを思い出しました。 「あのときは、まだバスケットは、こんなでなかったのになあ。」と、思うと、なんだか悲しくなりました。 「このはかまをはいているのが、お母さんなの?」と、お姉さんは、一枚の古い写真を取り上げていいました。 「そう、お母さんだ、お母さんにも、こんな時代があったのかなあ。」と、兄さんは、笑いながら、見つめていました。 「僕にも、昔のお母さんを見せてよ。」と、年ちゃんは、その写真を奪うようにしてながめました。それは、お母さんが、髪をお下げにした、女学生の時分の写真でした。その他、お母さんの、その時代のお友だちの写真や、叔母さんのや、また年ちゃんの赤ん坊のときの写真などが、いろいろと出てきました。 「さあ、見たら、そこへちらかしておかずにバスケットの中へ入れておいてくださいね。」と、お母さんは、注意なさいました。みんなは、お母さんのいいつけを守って、取り出した写真をバスケットの中へ入れて、もとのところへ載せておきました。  バスケットは、たなの上で独り言をしたのです。 「やれ、やれ、私も、長い間、よく働いたものだ。若いときは旅行もしたし、また重いものも入れて運んだりした。そして、つらいこともおもしろいこともあった。いまは、こんなに年をとって、写真入れにされてしまったが、いよいよこれが終わりかなあ。」と、ため息をついていました。  バスケットが、そう思ったのも無理がありません。ところが、ある日、年ちゃんのお家でねずみが出るので、知ったお家から、ねこの子をもらうことになりました。  その家は、遠方なので、電車とバスに乗らなければなりませんでした。 「さあ、どうして連れてこよう?」と、みんなが、考えていますと、 「ああわかった、あのバスケットへ入れてくればいいだろう。」と、年ちゃんが、いいました。 「なるほど、あの中へ入れてくればいいわ、そして、あのかごをねこのかごにするといいのね。」と、お姉さんは、いわれました。  そのねこの子を、年ちゃんとお姉さんの二人でもらいにゆくことになりました。  いよいよその日になると、バスケットは、たなの上から下ろされて、写真は、用だんすのひきだしの中へ場所換えをしました。 「きょうから、私は、かわいらしいねことお友だちになれるのだ。」と、バスケットは、喜びました。  しかし、ねこを入れてくるのには、バスケットは、具合がよかったけれど、ねこのかごにはなりませんでした。それで、年ちゃんの学校でお点をつけていただいた、綴り方や、書き方の答案などを入れておくものにされました。  考えると、一つのバスケットにも、一代にはいろいろのことがあるものです。 底本:「定本小川未明童話全集 11」講談社    1977(昭和52)年9月10日第1刷発行    1983(昭和58)年1月19日第5刷発行 底本の親本:「ドラネコと烏」岡村商店    1936(昭和11)年12月 ※表題は底本では、「古いてさげかご」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2016年6月10日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。