春の日 小川未明 Guide 扉 本文 目 次 春の日  もう、春です。仲のいい三人は、いっしょに遊んでいました。  徳ちゃんは、なかなかのひょうきんもので、両方の親指を口の中に入れ、二本のくすり指で、あかんべいをして、ひょっとこの面をしたり、はんにゃの似顔をして見せて、よく人を笑わせました。とし子さんは、おこりんぼでちょっとしたことでも、すぐにいぼをつってしまいます。そうすると武ちゃんと、徳ちゃんは、つまらなくなります。二人が、いろいろに機嫌をとっても、とし子さんは、笑いもしなければ、ものもいいません。  そんなときです、徳ちゃんは、いつもする得意の、指を口に入れて、あかんべいをして、とし子さんの顔をのぞきます。さすがに、いぼつりのとし子さんも、これを見ると、くすくすと笑い出して、じきに機嫌を直すのが例でありました。  武ちゃんには、徳ちゃんのように、そんなひょうきんのまねはできませんでしたから、もし、とし子さんと二人のときに、どうかして、とし子さんが、いぼをつれば、 「としこさんのばかやい。」といって、悪口をいうか、なぐりつけるのが関の山で、とし子さんも、 「だれが遊ぶもんか。」と、いって、泣きながら、帰ってしまいます。  しかし、三人は、いつとはなしに仲は直りますが、もし、徳ちゃんがいなかったら、そう容易に打ち解ける糸口が見つからなかったかもしれません。  ある日のことでした。三人は、いっしょに、お濠の方へ歩いてゆきました。雪が消えて、水がなみなみと、午後の日の光に輝いていました。土橋のところへは、よく、あめ屋や、おもちゃ店が出ています。  この日は、珍しく、紙芝居のおじいさんがきていました。 「紙芝居だね。」 「おもしろいな。」  そんなことをいい合って、おじいさんの方へ走ってゆきました。        *   *   *   *   *  おじいさんは、五、六人の子供を前に集めて、お話をしていました。  ──王さまは、戦争からお帰りなさると、その美しいお后をおもらいになりました。三国一の美人ですけれど、まだお笑いになったことがありません。どうしたら、愛するお后が笑ってくれるだろうか? 王さまは、山と宝物をお后の前に積まれました。けれど、やはりお笑いにはなりませんでした。  御殿のお庭に、鐘がつるされていました。 「この鐘を、なんになさるのでございますか。」と、お后が、王さまにお問いになりました。 「この鐘は、私が、忠勇の兵士をここへ呼び集めるときに、鳴らす鐘だ。これを鳴らせば、たちどころに、城下に住む三万の兵士たちは、ここへ集まってくるのじゃ。」 「どうか、この鐘を鳴らしてみせてはくださいませんか。」 「ばかなことをいうものでない。ほかの願いならなんなりときいてやるが、この鐘は大事があったときのほかは、鳴らされないのだ。」 「これほど、お願いしても、おききくださらなければ……。」  王さまは、愛するお后の機嫌を損じたと思し召されて、家来に命じて、鐘をお鳴らしになりました。  すると、「すわ、大事だ!」と、いって、三万の兵士は、取るものもとりあえず、軍の仕度をして、御殿のまわりに集まりました。  これをごらんになった、お后は、はじめて、からからとお笑いなさいました。  何事もなかったとわかると、兵士たちは、そのまま帰ってしまいました。  お后は、鐘を鳴らしただけで、あの先を争って集まった兵士たちのようすを、もう一度見たいと思われました。 「もう一度あの鐘を鳴らしてみせてください。」  王さまは、美しいお后の笑いをごらんになりたいばかしに、また鐘をお鳴らしなさいました。鐘の音をきくと、兵士たちは、取るものもとりあえず、軍の装束に身を堅めて、前と同じように、御殿のまわりに集まってまいりました。これをごらんになったお后は、おもしろがって、からからと、ころげるばかりに、お笑いなさいました。  それから、幾月も間がなかったのであります。やぐらに登って見張りをしていた家来が、あわてて降りてきて、 「たいへんです、夷の軍勢が、押し寄せてまいりました。」と、王さまに、お告げしました。  王さまは、お驚きなされて、さっそく、鐘をお鳴らせになりました。しかし、二度も、だまされた人たちは、またかといって、だれもくるものがありませんでした。それがために王さまとお后は、ついに夷の軍勢のために、浮虜となってしまいました。──  おじいさんのお話は、終わりました。        *   *   *   *   *  三郎は、肩をならべて、お家の方へ帰りました。 「昔、支那にあった、ほんとうの話だってね。」と、武ちゃんが、いいました。 「ばかな、王さまだなあ。」と、徳ちゃんが、考え深そうに、いまの話を思い出しながらいいました。 「私、あんな后きらいよ。」と、とし子さんが、恥ずかしそうにしていいました。  あちらには、春の黄昏方の空が、うす紅く、美しい、夢のように見られたのであります。 底本:「定本小川未明童話全集 11」講談社    1977(昭和52)年9月10日第1刷発行    1983(昭和58)年1月19日第5刷発行 底本の親本:「ドラネコと烏」岡村商店    1936(昭和11)年12月 初出:「教育・国語教育」    1936(昭和11)年3月 ※表題は底本では、「春の日」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2016年3月4日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。