いちじゅくの木 小川未明 Guide 扉 本文 目 次 いちじゅくの木  年郎くんと、吉雄くんは、ある日、学校の帰りにお友だちのところへ遊びにゆきました。そのお家には、一本の大きないちじゅくの木があって、その木の枝を差して造った苗木が、幾本もありました。 「この木を持ってゆかない? 二、三年もたつと実がたくさんなるよ。」と、友だちはいいました。 「ほんとう? そんなに早く、実がなるの。」と、二人は、おどろきました。 「ほんとうさ、このいちじゅくは、とても大きくて、うまいんだよ。」と、友だちは、自慢したのであります。 「そうかい、もらっていって、植えるから。」と、二人は同じくらいの苗木を一本ずつ、ぶらさげて、お家へ帰ったのでした。  年郎くんは、その小さい木をどこに植えようかと考えました。 「圃にうえようかな、土がいいから、きっと早く大きくなるだろう。」といって、圃に植えたのでした。  吉雄くんも、その木をどこに植えたらいいかなと考えました。 「庭のすみに植えてやろう。そう早く大きくなりはしないだろうから、邪魔になりはしない。」といって、庭のすみに植えました。  圃に植えた年郎くんのいちじゅくは、日当たりがよくまた風もよく通ったから、ぐんぐんと伸びてゆきました。翌年には、もう枝ができて、大きな葉が、地の上に黒い蔭をつくりました。すると、小鳥がきて止まりました。また頭の上を高く、白い雲が悠々と見下ろしながら、過ぎてゆきました。  丹精して、野菜を作っていられたお祖父さんは、 「おどろいたなあ。」と、おっしゃったけれど、木は、そんなことに関係なく、ぐんぐんと大きくなりました。そして、三年目からは、ほんとうに、実がたくさんなりました。  吉雄くんの植えたいちじゅくは、庭のすみで、ほかの木の下になって、日がよく当たらなかったので、いつまでたっても実がなりませんでした。 「私を、こんなところに植えたんだもの。」と、木は、不平をいいつづけていました。  ある夏のこと、ちょうど休暇が終わりかけるころから、年郎くんの家のいちじゅくは、たくさん実を結んで、それは紫色に熟して、見るからにおいしそうだったのです。  ちょうど遊びにきた吉雄くんは、これを見て、びっくりしました。 「これは、いつか、もらってきた木かい?」 「ああ、そうだ。」と、年郎くんは、誇らしげに答えました。 「こんなに、大きくなったのかなあ、そしてこんなにたくさん実を結んだのかなあ。」 「君の家のは?」 「僕のうちのは、まだ一つも実がならないよ。」と、吉雄くんは、いいました。 「きっと、場所がいけないのだよ。」 「場所が?」 「これは、土がよくて、日がよく当たるから、早く大きくなったのだと、お祖父さんがいっていらしたよ。」と、年郎くんは、いいました。これをきいて、吉雄くんは、はじめて、自分の植え場所の悪かったのを悟ったのでした。 「果物は、日のよく当たるところでなければ、よく育たないとお父さんもおっしゃったよ。」 「じゃ、僕も、こんど日当たりのいいところへ植えかえてやろう。」といって、吉雄くんは、自分のうちのいちじゅくが、くらべものにならぬほど、成長のおそいのをかわいそうに感じたのでした。  吉雄くんは、お家へ帰って、さっそく、庭の片すみにあったいちじゅくの木を、圃へ移してやりました。 「僕がわるかったのだ。さあ、早く大きくなって、兄弟に、負けてはならない。」と、いちじゅくの木に向かって、いいました。  吉雄くんは、それからは、よく木に注意して、肥料をやったりしました。  すると、吉雄くんのいちじゅくの木も、ぐんぐん大きくなってゆきました。そして、早くも、明くる年には、みごとな実が幾つもついたのであります。  これを見て、吉雄くんは、思いました。  みんな同じような頭を持って、生まれてきながら、よくできる人になり、また、そうでない人となるのは、やはり、この二本のいちじゅくの木のように、どこかに故障があったにちがいなかろう? 自分の力でできることは、よく反省して、注意を怠ってはならない──。  ほんとうに、あのとき、吉雄くんが、自分の木はだめだといって、そのままにしておいたり、もしくは、捨ててしまったら、どうでしたでしょう。かわいそうに、その木は、ついに、一つの実すら結ばずにしまったにちがいありません。 底本:「定本小川未明童話全集 10」講談社    1977(昭和52)年8月10日第1刷発行    1983(昭和58)年1月19日第6刷発行 ※表題は底本では、「いちじゅくの木」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:仙酔ゑびす 2012年7月16日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。