草木の暗示から 小川未明 Guide 扉 本文 目 次 草木の暗示から  目の醒めるような新緑が窓の外に迫って、そよ〳〵と風にふるえています。私は、それにじっと見入って考えました。なんという美しい色だ。大地から、ぬっと生えた木が、こうした緑色の若芽をふく、このことばかりは太古からの変りのない現象であって、人がそれに見入って、生の喜びを感ずる心持も、また幾百千年経っても、変りがないと思われました。  なんにも其処には理屈がないのです。たゞ美しいと思えば、それでいゝ、そして人間は、幾何もない生を存分に享楽することが出来れば、それでいゝのであります。  しかし、今の世の中で、この春に遇って、木々の咲く、花を眺め、この若やかな、どんな絵具で描いてみても、この生命の跳る色は出せないような、新緑に見入って、意味深い自然に対して、掬み尽されない慈愛を感ずる人が、幾何ありましょうか。  其れを考える時、私は、また理屈なしに、不幸であるということを感ぜずにはいられないのです。こんなに忙しく、また慌しい生活を送っていたなら、ついに死ぬまでのんびりとして、この自然を楽むことなしに、死んでしまうかも知れない。  こうしたことは、恐らく昔のある時代にはなかったことでしょう。海に、深林に、また野獣に脅かされた、其の当時の人々は、また、同時に自然の慈愛をも充分に受けることが出来たでありましょう。  地上に住む者は、地の匂いを充分に嗅がなければ、其の生活に徹することが出来ない。それに其の地を離れた時には、もはや、自分等の本当の生活というものは、無くなってしまった時であります。地上に住む人間が、最も親しい土や木や、水のほんとうの色を忘れ、匂いを忘れ、特質を忘れたら、彼等は、もはや何処にも、棲家を持たないといっていゝ。なぜなら、彼等は自然に対する、否、地に対する反逆者であるからです。  言い換えれば、地と人間の親しい交渉、それを措いて生活は他にないのであります。愛と美と温かな感情とが、生活に必要なばかりであって、知識というものは本能的の生活には要がないからであります。  私達は、はじめて地から産れた時の喜びと愛と美とを永続し得れば、其れでいゝのです。しかるに私達は、其の喜びも愛も、幸福も永久に忘れてしまった。私達は、其の幸福を取り返さなければならない。其の正義であった生活をもう一度地上に営んで見なければならない。同じような状態は、永久に決して二たび実現するものではないけれど、其れと同じような、また相似た幸福な生活はなされないとは言われないからであります。  知識は、其れがためにのみ必要なのである。また、努力と信念とは其れをなさんがためにのみ必要なのであります。人間の幸福ということを忘れた知識は、何の私達に必要でありましょう。また私達の平和を目的としない信念や、努力は何の価値がありましょう。  其れを、今にも実現し得られるなら、倫理や哲学上の知識は、其の時から、必要ではないのであります。もう、一度昔のある時代に於けるような感激がこの地上に湧き来ったなら、其れで私達は、満足しなければならない。平等で、自由で、親睦で、虚偽というものが、生活の上になかったなら。  理想の社会というものは、決して虚偽の上には建設されない。純情な人間性の上に於てのみ築かれる社会でなければならない。科学がいかに発達をしても、其れだけでは、理想の社会は造られない。知識というものは、時に虚偽を本とする社会をいかに美しく見せるかという場合に必要であろうけれど人間の良心は、知識によって証明もされなければ、また負うところもないのである。そして、純情のみが、私達の求める希望の社会を造るのであります。  知識に権威を感ずる人々は、ある種の虚偽には満足する人々であります。説明や、解釈の仕方でものゝ善悪がいろ〳〵に変る筈がないからだ。よりいゝということはより真実であるということで、より価値あるということは、より人間生活を営むに為めになるということに過ぎないからです。  正直と善良とがあれば、物静かな村の生活でも、虚偽と浮薄が風をなす、物質的文明で飾られた大都会の生活よりは、遙に貴いと確信される如く、悪人がいかに外面に美しく飾っても、畢竟、善い人間とはならないようなものであります。  地上に生れて来た上は、地上の美を心から楽しむことの出来るような生活を営まなければならない。また、そうした生活をすべく努力しなければならない。春になれば春を楽み夏になれば夏を楽しむことの出来るような生活が本当の生活であるのです。  自然は、無限美を包蔵している。其れに対して、さながら盲目のように、私達は、其れを享楽することが出来ない。こゝに於て、現実の生活を疑う心が起るのです。  詩人ばかりが、自然の美を楽むという訳でない。たゞ、みんなが不具者となった自身を省みないからです。知識あることを誇らんとする者があったなら、其の人は、同時に、真理を解するが故に、社会革命家でなければならない。知識があって、もし其の心がなかったなら、其の人は、あまりこの社会に価値のない人間であります。  私は、人間の生活が人間らしく正直に営まれた時に、長い間忘れられていた人間性が取り返されたと信ずるものです。そして、理性がついに戦いに打勝ったと信ずるものです。其時からの文明こそ本当の輝きある文明であって、其の後に来る、進歩した人間の生活がやがてまた望まれるのでありましょう。  良心を失った社会は、いくら努力しても目的には達しない。知識も、また何の役にも立たないばかりか、反対に、ます〳〵生活を虚偽、暗黒に陥らしむばかりである。みんなの頭に、何が正しいか、何が善であるかということが分らないまでは、社会は、ます〳〵堕落するでありましょう。そして、人間のすべてが曾ては持っていた人間性を取り返すまでは決して容易の努力ではないと信ずるのであります。  もし今日の知識階級と名の付く者の中に、社会主義的精神の分らない者があったなら、其者は馬鹿とか利巧とか評される前に恐らく良心がないかを疑われるであろう。正邪、善悪のあまり明かな事実を見ているにかゝわらず、彼の心には、何の感激もないからであります。だから、次のように言うのです。 「まだお前方は働きようが足りないのだ。もっと働いて金を溜てお前方も資本家になるがいゝ」  窓の外で、軟かに、風にふるえつゝ新緑の木々の姿を見て、私は、いろ〳〵の考えに耽っていました。こゝに書いたゞけでは、もとより其の複雑の気持を現わすことが出来ません。 (十年四月二十四日) 底本:「芸術は生動す」国文社    1982(昭和57)年3月30日初版第1刷発行 底本の親本:「生活の火」精華書院    1922(大正11)年7月10日初版 入力:Nana ohbe 校正:仙酔ゑびす 2011年11月30日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。