雪の降った日 小川未明 Guide 扉 本文 目 次 雪の降った日  雪が降りそうな寒い空合いでした。日も射さなければ、風も吹かずに、灰色の雲が、林の上にじっとしていました。葉のついていないけやきの細い枝が煙って見えるので、雲と木の区別がちょっとわからないのでありました。 「泣き出しそうな空ね。」と、かよ子ちゃんがいいました。 「ほんとうだわ。私、こんな日がきらいよ。」と、ふところ手をした竹子さんも、いいました。男の子たちとはなれて、二人は、並んで空をながめていました。 「もっとなにか持っておいでよ。火がなくなってしまうじゃないか。」  重ちゃんの兄さんが、棒の先で、たき火をつついていました。青い煙が自分の方へ流れるので、顔をしかめています。  年ちゃんは、走っていって、どこからか米俵の空いたのを下げてきました。原に捨ててあったとみえて、俵は霜でぬれていました。 「待った、待った。そんなのを入れると、すぐ火が消えてしまう。よくここで、乾かしてからでないとな。」と、ブリキ屋のおじいさんがいいました。おじいさんは、自分で木くずを拾ってきました。このあいだまで大工たちが、ここで他所へ建てる家の材木を切り込んでいたのでした。ここは、町裏の原っぱであります。  まだ、お正月なので、子供たちは、ここへきて、たこを上げたり、羽根をついたりして遊んでいました。 「ごらんよ、女があんなことをしている。乞食なんだね。」と、先に気のついた年ちゃんが、いったので、たき火にあたっているものが、みんなその方を向きました。一人の女が、長いはしのようなもので、ごみ捨て場をかき返して、落ちている菜っ葉や、新聞紙のようなものを地の上へひろげて、撰り分けていました。 「ああ、乞食だね。」と、義ちゃんが、いいました。 「いや、乞食じゃない。あちらに車が置いてある。」と、おじいさんが、いいました。なるほど、手車が置いてあって、その車の上にかごが乗っていました。 「なんなの、おじいさん。」 「そうだな。あれは、貧乏のくず屋さんだ。」  年ちゃんは、車のそばに五つか六つの男の子が、ぼんやりと立っているのを見ました。その子供は、くつ下もはかずに、ぼろぐつをはいていました。そして、母親のところへはいこうとせずに、空に舞っていたとびを見ているようであります。 「なにをさがしているんだろうか。」 「あれは、紙や、金くずや、こわれたびんのようなものを撰り分けているのさ。」 「あんな菜っ葉も、持っていくのかしらん。」 「きっと、家へ持っていって食べるんだよ。」 「汚いなあ。」 「おじいさん、あんなごみなんかお金になるの。」と、年ちゃんが、ききました。 「いま、鉄くずでも、紙くずでも、値になるのだよ。あの紙は、またすき直して、おまえたちの使っているような鼻紙や、もっとりっぱな紙になるのだし、鉄くずは、溶かして、またいい鉄になるのだ。」と、おじいさんは、答えました。  重ちゃんは、石を拾って、女の方へ向かって投げようとしたのを、兄さんが、 「およしよ。そんなことをして、あぶないじゃないか。」といって、しかりました。 「ねえ、おじいさん、あんなくず屋が、くつなんかをかっぱらうのだろう。人が見ていないとねえ。」と、重ちゃんがいいました。 「そういうことをする悪いものもいるが、そんなことをしない、いい人もたくさんある。」と、おじいさんは、さっきのぬれた俵が、もう燃えそうになったので、お話よりもそのほうに気を取られていました。俵が燃えはじめると、おじいさんは脊中をあたためたり、前の方をあぶったり、体をぐるぐるといろいろにまわして、すこしでもよく暖まろうとしていました。 「あんな菜っ葉をみんなかごの中へ入れてしまったよ。きっと、家へいって洗って食べるのだね。」  年ちゃんは、そんな生活をするものをさげすむようにいいました。小さな子供は、母親が、車のところへもどってきたので、喜んで飛び上がっていました。年ちゃんは、きっと子供が、おまえはここに待っておいでといわれたので、母親のそばへいけずに長い間、車のあるところに立たされていたのだと思いました。 「そうすると、かわいそうだな。」と、心の中で、思っていると、 「おまえたちは、みんな、まだ困った人のことは、わからないだろうからな。」と、おじいさんが、いいました。 「雪や、こんこん、あられや、こんこん、降っておくれ。」 「雪が降ってきたわ。」  かよ子ちゃんと、竹子さんが、かけ出しました。 「さあ、お家へ入ろう。」と、おじいさんが、まずたき火のそばからはなれると、重ちゃんの兄さんが、つづいて去り、みんながばらばらになって、お家の方へ走り出しました。はや、原っぱの上は白くなっていました。  年ちゃんは、晩に、お母さんや、お姉さんと、かるたをとっていました。 「きよがいると、おもしろいのだがなあ。」と、思いました。女中のきよは、母親が病気で田舎へ帰ったのです。 「お母さん、きよは、いつくるの?」 「母親がよくならなければわかりませんね。あの子も、かわいそうです。いろいろ心配して。」と、お母さんは、おっしゃいました。  このあいだは、弟に、送ってやる為替を手紙といっしょに落としたのです。その後、母親が病気という知らせがきたので、きよは、驚いて田舎へたったのでした。  しかし、こちらへきてから二年の間に、自分の力でこしらえた着物や、羽織をきて、きちんとして帰っていくときのようすは、はじめて田舎から、行李を負ってきたときの姿とは、まったく別人のようでありましたので、 「どこのお嬢さんかと思われますよ。」と、お母さんが、からかいなさると、きよは、さすがに顔を赤くしましたが、それでも、うれしそうでありました。 「お母さん、おめかしをしては、いけませんねえ。」と、そのとき、年ちゃんは、いったのです。すると、お母さんは、 「いいえ、きよは、よく勤めて、お父さんにも、お金を送っていますし、なかなか感心な子ですよ。自分の力でみなりをつくることは、わるいことではありません。」  また、きよに向かっては、 「よく、おっかさんの看病をしておあげなさい。」と、おっしゃいました。  夜行でたった、きよからは、着くとすぐに手紙がまいりました。 「母の病気は、たいしたことがありませんからご安心ください。早く帰りたいと思っています。そのときは、坊ちゃんに、弟が秋のころ、山で拾ったしばぐりをもってまいります。」と、書いてありました。  かるたの後で、お母さんは、おしるこをこしらえてくださいました。 「きよが帰るころには、もうおもちが、なくなってしまいますね。」と、お姉さんが、いいました。 「きよに、おしるこを食べさせてやりたいな。」と、年ちゃんがいいました。  これをおききなさると、お母さんは、二人の子供が、ほかの人にもやさしいのを、さもお喜びなされるように、子供らの顔を見ていらっしゃいましたが、 「きよは、田舎で、おもちをたくさん食べてきますよ。」と、おっしゃいました。  その翌日のことです。年ちゃんが、学校から帰ってくると、汚らしいふうをした女の人が、お母さんと話をしていました。年ちゃんは、見たことのある人のような気がしたが、思い出せませんでした。 「どうして、こんな人が、お母さんとお話をしているのだろう。」と、年ちゃんは、不思議に考えました。女の人は、お母さんの方を見て、 「私にも、今年十四になる男の子があります。学校を出ると、すぐに奉公をさせたのですが、手紙のたびに、弟はどうしているかと、いってきます。」と、いっていました。  お母さんは、いちいちうなずきなされて、 「ほんとうに、感心ですね。それもあなたが、そうしたりっぱなお心がけだからです。きっといい子におなりですよ。」と、おっしゃいました。 「ただ、子供の大きくなるのを楽しみにしています。」 「そうですとも。」と、お母さんは、頭をば、こくりとなさった。 「おじゃまいたしました。」 「女中が帰りましたら、どんなに喜ぶことでしょうか。すぐにお礼に上がらせますから。」と、お母さんが、おっしゃると、 「いいえ、お礼なんかいるもんですか。」と、女は、そうそうにして、帰っていきました。 「お母さん、いまの人だれなの?」と、年ちゃんが聞きました。 「あの人ですか、くず屋さんです。」 「なにしにきたの。」 「このあいだ、きよが、弟に送る為替のはいった手紙を落としたといっていたでしょう。あの人がごみ捨て場にあったのを拾って、とどけてくださったのですよ。なんと正直なくず屋さんではありませんか。」と、お母さんは、いわれました。 「そうだったか。」と、年ちゃんは、思い当たると、ため息をつきました。いつか、原っぱのごみ捨て場で、紙くずや、菜っ葉を拾っていた女の人だ。あのとき、自分は、乞食かと思ったが、そんなに正直な感心な人であったのかと、さげすんだことが、かえって恥ずかしくなりました。  きよが、田舎から帰ると、お母さんは、くず屋さんがとどけてくれた手紙をお渡しになりました。きよは、驚いて、 「まあ、どこにございましたか。」と、きよは、目をまるくしたのです。そして、土に汚れた自分の手紙をいただいて、封筒を開けると、中からしわくちゃになった為替券が出てまいりました。 「女のくず屋さんが、とどけてくれたのです。きっと、おまえが、紙くずや、すえぶろの灰を原っぱへ捨てるときに、いっしょにまちがって捨てたのです。話をきくと、そのくず屋さんは、夫に死なれてから、二人の子供を育ててきたのだそうです。貧乏していても、正直で、感心じゃありませんか。」と、お母さんは、おっしゃいました。きよも、ほんとうに、そう感じたし、またありがたく思いました。 「お礼にいっていらっしゃい。」 「はい、いってまいります。」  お母さんが、くず屋さんのお家をきいておいてくださったので、きよは、お礼にいくのに、そう捜して歩かなくともよかったのです。  きよは、電車を降りてから、小さな家のごちゃごちゃとたてこんだ、路次を入っていきました。すると、くず屋さんの家はじきわかったが、表の戸が閉まっていました。 「おや、働きに出かけて、お留守なんだろうか。」と、思ったが、ふと、わきについている、小さな窓を見ると、その内で、コトッ、コトッ、コトッと、なにかおもちゃの動くような音が、きこえました。やはり、いるのかしら、と考えて、 「ごめんください。」と、きよは、いいました。しかし、返事がありません。もう一度、 「ごめんください。」といいました。  すると、子供の声で、 「お母さんは、いない。」と、答えました。  きよは、お礼に持っていった、品物だけなりと置いていこうと思って、 「もし、もし、ちょっと、ここをあけてくださいな。」といいました。けれど、子供は、窓を開けるようすがありませんでした。  きよは、困ってしまいました。障子の破れからのぞくと、子供は、病気とみえて、床について、ねていました。そのまくらもとには、片方の車のとれたタンクが、ころがっていました。さっき、これがびっこを引きながら、動いていたのでありましょう。  きよは、しかたなく、自分で障子を開けたのです。 「お母さんは、おかせぎにいらしたの?」と聞くと、子供は、だまって、上を向きながら、うなずきました。 「ひとりで、おるすい?」 「僕、かぜをひいたので、ついていかなかったの。」と、子供は、答えました。  さびしい家のようすを見ると、火の気もない三畳の間に、子供は、独りでねているのでした。きよは、かわいそうになりました。 「こんどくるときに、いいおもちゃを持ってきてあげますよ。」というと、子供は、このまったく知らぬお姉さんの顔を、不思議そうにながめていました。それでも、やさしくいわれたので、なつかしく感じたのか、さびしく笑っていました。 「奥さま、ただいま。」と、きよは、お家へ帰ると、お母さんの前で頭を下げました。そして、自分の見たことを、話したのでありました。そばでこの話をきいた年ちゃんには、──いつか、雪の降った日に、くつ下をはかずに、破れたくつをはいて、車のそばに立っていた、子供の姿が、目に、ありありと浮かんだのであります。そして、寒いのに、くつ下もはかずにいたので、かぜをひいたのだろうと思われました。 「お母さん、あのくず屋さんがきたら、僕のいらないおもちゃと、絵本をやってね。」と、年ちゃんがいいました。 「ええ、ねている子供さんに持っていってもらいますよ。そんなに不自由をしていても、まちがったことをしない、ほんとうに感心な人ですものね。」と、お母さんは、しみじみとおっしゃいました。 底本:「定本小川未明童話全集 12」講談社    1977(昭和52)年10月10日第1刷発行    1982(昭和57)年9月10日第5刷発行 底本の親本:「日本の子供」文昭社    1938(昭和13)年12月 初出:「お話の木」    1938(昭和13)年2月 ※表題は底本では、「雪の降った日」となっています。 ※初出時の表題は「雪の降つた日」です。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2016年11月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。