雪消え近く 小川未明 Guide 扉 本文 目 次 雪消え近く  早く雪が消えて、かわいた土の上で遊びたくなりました。雪の下にかくれている土の色がなつかしいのであります。吉郎は、自分の家の前だけでも早く雪をなくそうと思いました。それで朝から外に出て木鋤で、雪をわってはそれを力いっぱい遠く畠の方へとなげていました。  日がほかほかと当たってきました。しじゅうからが、林へ来て鳴いています。空は、うす青く晴れて、なんとなく気持ちの伸び伸びとするいいお天気でした。 「吉郎さん、雪をわっているの。」と、隣のとめ子さんが赤いえり巻きの中へ半分顔を埋ずめながら、そばへきていいました。 「はやく、雪がなくなるといいね。そうすれば、いろんなことをして遊べるだろう。」と、吉郎は、手を休めて、答えました。額ぎわには、働いたので、あせがにじんでいました。 「おまりをついたり、鬼ごっこをしたりして遊べるわね。」 「だから、早く、僕、雪を消そうと思っているのさ。」 「私も、おてつだいをしましょうか。」 「とめ子さんは、自分の家の前の雪を消せばいいだろう。」 「じゃ、そうするわ。」  とめ子さんは、お家へ帰っていきました。するとまもなく、とめ子さんは、兄の年雄さんと二人で、支度をしてきました。年雄さんは堅い雪をわるのに、鉄のシャベルを持ち、とめ子さんは、小さな木鋤を持っていました。 「やはり、吉郎さんのお家のほうからやっていきましょうよ。吉郎さんのお家のほうがすんだら、私の家のほうをして、飛んで遊べるようにしましょうよ。」と、とめ子さんが、いいました。 「吉郎くん、それがいいだろう。」と、年雄さんが、いいました。 「ああ、そうしよう。三人でやれば、今日じゅうに、ここだけはできるからね。」  三人は、雪をわって、それをなげるのに夢中でありました。はやく春がきて、土の上で遊べる楽しみを考えるからです。  昼過ぎになると、空がすこし曇りました。そして、風が寒くなって、さらさらと雪が落ちてきました。 「あっ、また降ってきたよ。」と、年雄が空を見上げました。 「せっかく、雪をなくしたのに、つまらないわ。」 「年ちゃん、じきに晴れるよ。あっちの方が明るいだろう。」  吉郎は、南から、西へかけて、雲切れのしている空を指しました。 「だって、北の方は、黒いじゃないか。」  そこへ近所のおじさんが、ふところ手をして通りかかりました。 「おじさん、また降るだろうか。」と、吉郎がききました。 「もう降ってもたいしたことはない。南が明るいから南風が出そうだ。そうすれば、どんどん消えてしまうからな。」と、おじさんは、いいました。三人は、顔を見合って、にっこり笑いました。おじさんの去った後です。 「さあ、みんなよく働いてくれましたね。おいしいおしるこができたから、入ってお食べなさい。」と、吉郎くんのお母さんが、戸口へ出てきて三人をお呼びになりました。 「うれしいな、早くいって食べよう。」  三人は、シャベルも、木鋤も、雪の上へほうり出してお家へ入りました。三人は、おしるこもうまかったが、それよりか大きなみかんが、なによりうれしかったのです。 「大きなみかんね。」 「こんな大きいみかんのなっているところへいってみたいな。」 「私、ご本で、みかんのなっているお山を見たわ。」 「絵なんか、つまらないよ。」  とめ子さんは、みかんを自分のほおに押しあてて、なかなか食べようとしませんでした。  そのうち、日の光がぱっと窓へ射しました。へやの中が急に明るくなりました。三人は、すぐに外へ飛び出していきました。  かげろうが、軒下で、輪を造って、おどっていました。すぎの木の枝に当たる風が急になまあたたかく感ぜられたのです。そして南の空から、西の空へかけて山々の頂のあたりが、いっそううす明るくオレンジ色になっていました。 「おじさんのいったように、晩に南風が出るんだぜ。」と、年雄さんが、いいました。 「そうすれば、春がくるのだ。」  このとき、盲目の母親の手を引きながら、十五、六の娘が、雪道を歩いていきました。母親は三味線を抱えていました。旅芸人です。 「暗くなったらどこへ泊まるんでしょう。」と、とめ子さんが、いいました。 「どこへ泊まるんだろうな。」と、吉郎くんも、見送っていました。 底本:「定本小川未明童話全集 12」講談社    1977(昭和52)年10月10日第1刷発行    1982(昭和57)年9月10日第5刷発行 底本の親本:「小学四年生」    1939(昭和14)年3月号 初出:「小学四年生」    1939(昭和14)年3月号 ※表題は底本では、「雪消え近く」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2017年1月12日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。