引かれていく牛 小川未明 Guide 扉 本文 目 次 引かれていく牛  もうじきに春がくるので、日がだんだんながくなりました。晩方、子供たちが、往来で遊んでいました。孝ちゃんと、勇ちゃんと、年ちゃんは、石けりをしていたし、みつ子さんとよし子さんは、なわとびをしていました。  うす緑色の空に、頭をならべている木々のこずえは、いくらか色づいているように見えました。いろいろの木の芽が、もう出ようとしているのです。  ちょうど、このとき、あちらから黒いものが、こちらへ、のそり、のそりと歩いてきました。 「あれ、お牛よ。」と、いちばん先にみつけたよし子さんがいいました。 「どうしたんだろうね。」と、年ちゃんが、いいました。  子供たちの目は、みんなその方へそそがれました。そして、遊ぶのを忘れて、道ばたによって、通りかかる牛を見送っていたのでありました。  牛は、年をとっているように思われました。なぜなら、毛なみがうすくなって、若い時分のようにつやがなかったからです。それに、この牛は長いこと、田や、畠で働いていたか、それとも重い荷をつけた車を引いていたので、かたのあたりの毛はなくなって、皮が出ていました。これを見た子供たちは、いいあわせたように、 「かわいそうに。」と、心に思ったのです。  子供たちが、自分に同情してくれることも知らずに、牛は、のそり、のそりと歩いていきました。そして、いかにも、歩くのがいやそうに見えました。牛を引く男は、日が暮れてしまうのが気にかかるので牛を急がせようと、なわのはしで、ピシリと牛のしりをたたきました。すると、牛は、はっとして、そのときは歩みを早めたが、またいつのまにか、のそり、のそりとなるのでした。 「歩いていくのがいやなんだね。」と、勇ちゃんが、いいました。 「そうよ、きっと殺す場所へ引れていかれるのを知っているのよ。」と、よし子さんが、いいました。 「そうじゃないだろう。」と、孝ちゃんが強くうちけしました。 「いえ、いつか、ああして牛が連れていかれるのを見たとき、兄さんが、そういったわ。」と、よし子さんがいいました。 「かわいそうだな。」と、勇ちゃんと年ちゃんが、大きな声で、いっしょにさけびました。  いつしか牛の姿は、だんだん遠くなってしまいました。みんなは、牛が見えなくなるまで、その方を見送っていましたが、二度とたのしく遊ぶ気にはなれませんでした。 「ほんとうに、牛は知っているんだね。」 「それはわかるさ。そして、逃げられないということも知っているのだ。」 「明日のいまごろは、もうお肉になって、町へ出るのだな。」 「わたし、お肉たべないわ。」 「私も。」  みつ子さんとよし子さんが、そういうと、 「そんなら、くつもはけないよ。」と、勇ちゃんがいったので、みんな笑ってしまいました。  空に星が光って、人の顔が、はっきりわからなくなったので、みんなは、てんでに明るいお家へかえりました、孝ちゃんのお母さんは、赤ちゃんをおぶって、おしごとをしていられました。二、三日前から、赤ちゃんは、気分がわるいので、お母さんは、もういく夜もろくろくねられませんでした。 「坊や、どうなの。」と、孝ちゃんがききました。 「今日は、いくらかいいようです。」と、お母さんは、おっしゃいました。  孝ちゃんは勉強がすむと、いつものように、先に床へはいりました。そして、しばらく目をあけて、 「あの牛は、どうしたろう。」と、思っていました。  ほかの子供たちも、たぶん家にかえってからも、牛のことを思っていたでしょう。  翌日、学校のつづり方の時間に、孝ちゃんは、昨日の晩方、引かれていった牛のことを書いて、 「はたらいた末に殺される牛は、なんというかわいそうなんだろう。」と、つけくわえました。  ほんとうに感じたことをあらわしたので、たいへんによくできたと先生はおほめになりました。そして、このつづり方を、先生は、みんなに読んできかされてから、 「だれでも、大きくなって、もし親不孝をするならば、お母さんをこの牛のようなめにあわせるものだ。」といわれました。  孝ちゃんは、なるほどと、先生のいわれたことを深く心に感じたのであります。 底本:「定本小川未明童話全集 13」講談社    1977(昭和52)年11月10日第1刷発行    1983(昭和58)年1月19日第5刷発行 底本の親本:「僕はこれからだ」フタバ書院成光館    1942(昭和17)年11月 初出:「こくみん三年生」    1941(昭和16)年3月 ※表題は底本では、「引かれていく牛」となっています。 ※初出時の表題は「引かれて行く牛」です。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2018年10月24日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。