どこかで呼ぶような 小川未明 Guide 扉 本文 目 次 どこかで呼ぶような  わたくしが門を出ると、ちょうど、ピイピイ、笛をならしながら、らお屋が、あちらのかどをまがりました。  わたくしは、あの音を聞くと、なんとなく、春さきの感じがします。どこへ遊びにいくという、あてもなかったので、足のむくまま原っぱへきました。知らぬまにとなりのペスが、ついてきました。どうしたのか、きょうは、だれのかげも見えませんでした。  風のない、おだやかな空は、どんよりとうるんで、足もとの枯れ草は、ふかふかとして、日の光にあたたまっていました。その太陽のにおいをなつかしむように、わたくしは、ごろりとからだをなげだしました。ペスも、かたわらへ、前足をのばして、うずくまりました。  しばらくすると、遠くの方から、オートバイの走ってくる音がしました。ペスは、はねおきて、往来のまん中へ出て、ほえたてました。 「ペス! ペス!」と、わたくしは、よびかえそうとしました。しかし、きかぬので、「ばかっ。」と、かけていって、わたくしは、犬を追いはらいました。  オート三輪車には、黒い眼鏡をかけた、おじさんが乗っていました。きゅうに、速力をゆるめると、 「どれ、すこし、休んでいこうか。」と、おじさんは、原っぱの中へ、車をひき入れました。 「ここは、あたたかで、いいところですね。」と、さもしたしげに、わたくしへ話しかけるので、わたくしも、いっしょに、もとの場所へきて、ふたたび草の上にねころびました。ペスは、二人のようすを見ると、きまりわるく思ったか、家へ、さっさとにげていきました。 「きみのうちの犬ですか。」と、おじさんが、聞きました。 「いえ、となりの犬です。」と、わたくしは、答えました。 「猟犬らしいが、いい犬ですね。」 「そう、よく、よそのにわとりや、うさぎをとってこまるんですよ。」 「は、は、は。」と、おじさんは、わらいました。そして、ライターで、たばこの火をつけました。  あおぐと、太陽は、黄色にもえていました。そのあたたかな光を、おしげもなく、草や人間の上にあびせています。このとき、またしても、ドーンという音がしたのです。 「おや、花火かな。」と、眼鏡をかけたおじさんは、耳をすましました。すると、ドーンドーンとつづいて、しずかな空気をやぶる音がしたのでした。それは、たしかに、あちらの森の、もっとさきからきこえたのでした。 「さっきから、するんですよ。」と、わたくしは、いいました。 「あっちの町ですね。いまごろお祭りかしらん。」と、おじさんは、考えていました。  わたくしは、神社のお祭りにしては、すこしはやすぎるように感じたけれど、これから日に日に、その季節にちかづくのを知ると、なんとなく心があかるくなりました。 「なにがあるか、いってみませんか。そんなに遠くはないようだ。」と、おじさんは、すぐにもでかけるようすをみせました。 「また、ここまで、つれてきてくれる?」と、わたくしは、帰りを考えたのです。 「どうせ、この道を通るのですもの、つれてきますとも。それに、きょうの仕事は、もうおわったのだから。」と、おじさんは、ちょっとした探検にも、ひじょうな興味をもっているようでした。  わたくしも、同感でした。それに、おじさんを観察して、信用していいと思ったから、いわれるままに、三輪車のあきばこへ乗りました。石炭のかけらが、はこの四すみに、ちらばっているのを見ると、たぶん、駅あたりから、工場へ石炭をはこんだのでしょう。そう思うと、ふと、すぎ去った日のことが、思いだされました。  それは、一昨年の夏のことでした。わたくしは小さい弟をつれて、つりにいったその帰りです。弟は、足がつかれたといって、とうとう泣きだしてしまいました。すると、そこを通りかけたオート三輪車があって、わざわざ車をとめ、石炭をはこんだあきばこの中へ、二人を入れて、とちゅうまで、送ってくれました。きっと、あのときから、この車は、この道をいったりきたりしていると思ったので、 「いつか、ぼく、これとおなじような三輪車に、弟と二人が、乗せてもらったのですよ。おじさんは、あのわかい人を知らない?」と、わたくしはきゅうになつかしくなって、走りながら、車の上で、聞きました。 「どんなようすをしていたい?」  おじさんは、運転しながらいいました。 「おじさんより、もっとわかい人なんだよ。」 「いつごろのこと?」 「おととしの夏休みだった。」と、わたくしは、答えました。 「ああ、それでは、知らない。たぶん、人がかわっているだろう。」  そうすれば、わたくしは、あの人にもうあえないのかと、さびしく思いました。  車は遠くに見えた、あの森をいつのまにか、うしろにして、町へ出たのでした。はじめて、あの花火は、こんど、新しく、町を電車が、通ったので、その祝賀会がもよおされるためとわかりました。ほかにも、舞台がつくられて、女の子の手踊りなどあってにぎやかでした。わたくしたちは、人だかりの間をわけてすぎると、東京音頭のレコードがなりはじめて、赤い着物のひらひらするのが、目にはいりました。おじさんは、町にはいる時分から、かけていた、黒い眼鏡を、はずしました。道の右がわや、左がわを見ながら、車は、しばらく、速力をゆるくして、いきました。  ある停留場のそばには、たくさんの露店が出ていました。なかには、まごいと、ひごいの生きたのをたらいに入れて、売っていました。どこから、こんな魚を持ってくるのだろうと、わたくしは、はやく川へいって、釣りのできるころになればいいと思っていました。  こんなことを思っているときでした。  あちらを、鈴木くんが、おかあさんと歩いているのが、目にはいりました。彼は、去年まで、おなじ学校にいて、わたくしと同級生だったのです。なんでも、彼のおとうさんは、まだ帰還しないで、おかあさんと二人が、苦しい生活をしているとかで、彼は、学校へくるまえに、新聞の配達をすますそうです。よく遅刻しても、先生はわけをよく知っているので、だまっていました。運動場の水たまりに、白い雲のかげがうつる秋のころでした。彼の家がひっこすので、転校しなければならぬといって、みんなに別れをつげました。その後、わたくしは、ときどき、鈴木くんのことを思いだしたが、いま、そのすがたを見るのです。彼は新しいぼうしをかぶり、手に、大きな買い物のつつみをかかえていました。そして、なんとなく、幸福そうでした。 「きっと、おとうさんがぶじに帰られたのだろう。」  わたくしは、どうか、そうであってくれればいいと思いました。じき、彼のすがたは、人ごみの中にまぎれて、見えなくなりました。 「おじさんは、戦争へは、いかなかったの。」と、わたくしは、聞きました。 「いかぬことがあるものか、六年近くもいって、やっと、このあいだ帰ってきたのさ。るすに家は焼け、親類にあずけておいた妹は、ゆくえがわからなくなって、かわいそうだよ。」  おじさんの声は、かすれました。 「かわいそうだね、まだ小さかったの。」 「でかけるとき、たしか十一ぐらいにしかならぬから、ぶじでいてくれれば、いま十七になるはずだ。だから、ずいぶん大きくなって、ちょっとあっても、こちらではわかるまいが、おれのほうは、そうかわるまいから、妹が見つければ、わかるにちがいない。」と、おじさんは、いいました。  ああ、それで、町へはいったときに、おじさんは、かけていた、黒い眼鏡をはずしたのだなと、わたくしは、思いました。そして、ほんとに妹の身をあんずる、兄の心持ちがわかるような気がして、まぶたがあつくなりました。 「どれ、おそくなるから、もう、もどるとしようね。」  おじさんはそういって、車をまた、きたときの道へとかえしました。  まだ、あちらへ露店がつづいて、いけば、にぎやかなところがあるような気がしました。そして、うす緑色の空の下、どこか遠くの方で、かなしい、ほそい声がして、わたくしたちをよぶようにもきこえました。  わたくしは、車の走る道すがら、焼けあとを見わたして、あのおそろしかった、空襲の夜を思いおこし、火の海の中を、うろついたであろう、少女のすがたを想像して、どうか、たっしゃであって、このやさしいにいさんと、早くめぐりあうようにと、心で祈ったのでした。 底本:「定本小川未明童話全集 14」講談社    1977(昭和52)年12月10日第1刷発行    1983(昭和58)年1月19日第5刷発行 底本の親本:「みどり色の時計」新子供社    1950(昭和25)年4月 初出:「幼年クラブ」    1949(昭和24)年5月 ※表題は底本では、「どこかで呼ぶような」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2018年12月24日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。