鳥鳴く朝のちい子ちゃん 小川未明 Guide 扉 本文 目 次 鳥鳴く朝のちい子ちゃん  ちい子ちゃんは、床の中で目をさましました。うぐいすの鳴き声が、きこえてきました。 「おや、ラジオかしら。」  このごろ、いつもお休み日の朝には、小鳥の鳴き声が放送されたからです。しかし、その声は、お隣の庭の方からきこえてくるような気がしました。あちらには、梅林があるし、木立もたくさんしげっていますから、どこからかうぐいすが飛んできて鳴いているのでないかとも、思われました。 「お母さん、あれラジオのうぐいすなの。」と、ちい子ちゃんは、聞きました。  とっくに起きて、家の中で働いていらした、お母さんは、 「ほんとうのうぐいすですよ。花が咲いているから、飛んできたのです。さあ、あんたも早く起きて、お顔を洗いなさい。いいお天気ですよ。」と、おっしゃいました。 「ああ、そうだ。日曜学校へいって、先生からお話を聞いて、それから、とみ子さんや、まさ子さんといっしょに遊ぶ、お約束がしてあったのだ。」と、思い出すと、ちい子ちゃんは、すぐに床から出ました。  空は、緑色にすみわたっていました。朝日がさして、木々の葉はいきいきとかがやいて、いい気持ちであります。  ちい子ちゃんは、ご飯をいただいてから、お机の前でまごまごしていました。お母さんに髪を結ってもらって、時計を見ると、じき八時になります。 「あら、おくれたらたいへん。」といって、お玄関で、げた箱からくつを出してはいて、お家を出ました。  さっきのうぐいすでしょう、こんどは、どこか遠くの方で鳴いている声が、きこえてきました。垣根のそばを歩いていくと、赤いつばきの花の咲いた家があります。ご門のところに、ぼけの花のいっぱいに咲いている家もありました。またお庭に白い花の咲いた、高いこぶしの木のある家もありました。そして、ちい子ちゃんが、広い通りへ出ようとしたとき、一軒のご門の前に、一人のおばさんが、ふろしき包みをかかえて、紙片を持って、門札をながめながら、ぼんやり立っているのを見ました。ちい子ちゃんが近づくと、 「お嬢ちゃん、川上さんという家をごぞんじありませんか。」と、おばさんは、聞きました。 「川上さん? 私、知らないわ。」 「番地を書いてもらってきたのですけれど、この番地が見つからないのですよ。」  おばさんは、家政婦さんか、女中さんでありました。雇われるお家がわからなくて、困っているのです。ちい子ちゃんは、白い新しいたびをはいているおばさんが、なんとなく気の毒になりました。 「おばさん、待っていらっしゃい。」  ちい子ちゃんは、あちらの角にあった、たばこ屋へ飛んでいきました。そして、川上という家をたずねたのです。 「ああ、川上さんですか。このごろ、越してきた方でしょう。こちらの路地を入って、つき当たりの家です。」と、たばこ屋で教えてくれました。  ちい子ちゃんは、あちらに立っていた、おばさんのところへ飛んでいって、知らせてやりました。 「お嬢ちゃん、どうもありがとうございました。」と、おばさんは、喜んで、いくたびも頭を下げました。  ちい子ちゃんも、うれしかったのです。往来へ出ると、人がたくさん通っていました。草花屋が、手車の上へ、いろいろの草花の鉢をのせて、「草花や、草花。」といいながら、引いていきました。  どこを見ても、もう、すっかり春の景色です。教会堂のとがった屋根が見えていました。 神さまは 軒の こすずめまで おやさしく いつも 愛したもう  ちい子ちゃんは、うたいながら、教会堂まで走っていくと、はや、お説教が、はじまっていました。みんなが、静かにしていますので、ちい子ちゃんは、お説教の終わるまで、外に待っていようと思いました。  ドアの外には、子供たちのげたが、ちらばっています。ちい子ちゃんは、それを一つ、一つ、きちんとならべました。また、げたばこの下に投げ出してあったスリッパを、箱の中へ収めていました。  ちい子ちゃんは、お説教のあとで、子供たちが、幾組かに分かれて、先生から聞くお話をたのしみにしていました。 「まさ子さんや、とみ子さんは、どこにいらっしゃるだろう。」と、ドアのすきまから、内をのぞいたのです。けれども、みんながあちらを向いて、同じ頭をしているので、よくわかりませんでした。高窓の色ガラスから流れる、黄や紫や、青の光線は、不思議な夢の国を思わせました。壁にかかっている、いつもにこやかなお顔のマリアさまは、手をさしのべて、みんなの頭をなでていてくださいました。ちい子ちゃんは、びっくりしました。 「おばあちゃん、おんも……よう。」と、このとき、坊やが、わめいたからです。みんなは、だまって、牧師さまのお話を聞いているのに、坊やだけは、わからないから、外へ出たいというのでした。 「おとなしく、じっとしていらっしゃい。」と、大きな声で、おばあさんが、いっています。  急に、この二人の声で、ほかの人たちは、牧師さまの声が、耳に入らないので、困っているようすでした。 「おばあちゃん、おんもよう。」と、坊やは、腰かけから立ち上がって、すねています。 「外へ、いくのかい。」  みんなが、おばあさんの方をふり向きました。しかし、おばあさんは、平気なものです。 「どうぞ、しずかにしてください。」  牧師さまは、たまりかねて、おばあさんに注意なさいました。 「さ、さ、おんもへいきましょう。」と、おばあさんは、孫の手を引いて、ドアの方へやってきました。 「あら、小西のおばあさんだわ。」と、ちい子ちゃんは、目をまるくしました。  小西のおばあさんは、つんぼで、人のいうことが、よくきこえぬのです。だから、自分も、大きな声を出して、なんとも思わなければ、また、みんなに迷惑をかけることもわからないのでした。  おばあさんが、坊やをつれて、ドアの外へ出ましたから、そこに立っていた、ちい子ちゃんは、おじぎをしました。 「だれかと思ったら、ちい子ちゃんですか、あんたは、いまいらしたの。」と、おばあさんは、大きな声でいいました。 「きれいに、だれが髪をゆってくだすったの。」 「お母さん。」と、ちい子ちゃんは、答えました。 「まあ、赤いリボンをつけて。」  おばあさんの声が、よくへやの内へ聞こえるので、みんなが、こちらを向いています。  ちい子ちゃんは、きまりがわるくなりました。 「坊や、おいで。」  ちい子ちゃんは、坊やをつれて、教会堂の横手の方へいきました。そこには、桜の木があって、花が咲いていました。腰かけや、すべり台などがありました。  もう、花が、ちら、ちら散っています。坊やは、それを拾っていました。 「坊や、すわると、おべべが、よごれるよ。」  おばあさんが、大きな声でいいました。ちい子ちゃんは、ここなら、みんなのおじゃまにならぬと思って、安心していました。  ちい子ちゃんが、ベンチに腰かけていると、おばあさんが、そばへきて、 「あんたのおくつは新しいの、いつ買ってもらったの。」と、聞きました。 「こないだ、学校へ上がったときよ。」と、ちい子ちゃんは、答えました。 「いま、おくつは、お高くなったんでしょう。」と、おばあさんは、いろいろのことを話しました。坊やは、拾った花びらを、またまいていました。花びらは、ひらひらと白いちょうちょうのように、風に舞いました。 「ちい子ちゃん、あんた忘れたでしょう。小さいとき、道を歩いていて、前へいくよそのお姉さんを見て、お母さん、あんなくつよ、わたしほしいわといったことを。そのお姉さんのくつは、かかとの高い、さきのとがった、ハイカラのおくつで、ダンサーか、女優さんのはくくつで、あんたが、そういったものだから、通る人がみんな見たのでそのお姉さんは、きまり悪がって気の毒だとお母さんが、おっしゃいました。」と、おばあさんが、いいました。 「おばあさん、ハイヒールでしょう。」 「そう、そう、そのハイヒールとかいうくつです。ちい子ちゃん、くつはあんなのより、やはりこうした、かかとの平らな、すこし大きいくらいのが体のためにいいのですよ。」  おばあさんは、たいくつなもので、だれとでも話したかったのです。 「ちい子ちゃん、そんなこと覚えていますか。」 「わたし、忘れたわ。」 「みんな小さいときのことは、忘れてしまうものかね。」  そのとき、坊やは、ひとりで歩いて、教会堂の門から、外の方へ出ていこうとしていました。これを見つけた、おばあさんは、 「あ、坊や、ひとりでいっては、あぶないよ。」と、もう、ちい子ちゃんのことなど忘れて、坊やの後を追っていきました。 「ほんとうに、私、そんなことがあったかしらん。」  ちい子ちゃんは、いまごろ牧師さまのお説教が終わって、先生のお話がはじまる時分だと思って、ドアの方へ、足音軽く歩いていきました。そして、静かに中へ入っていきました。ちい子ちゃんは、かわいいお嬢ちゃんです。 底本:「定本小川未明童話全集 12」講談社    1977(昭和52)年10月10日第1刷発行    1982(昭和57)年9月10日第5刷発行 底本の親本:「夜の進軍喇叭」アルス    1940(昭和15)年4月 ※表題は底本では、「鳥鳴く朝のちい子ちゃん」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2017年4月3日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。