お姉ちゃんといわれて 小川未明 Guide 扉 本文 目 次 お姉ちゃんといわれて  光子さんが、学校へいこうとすると、近所のおばあさんが、赤ちゃんをおぶって、日の当たる道の上に立っていました。 「お姉ちゃん、いまいらっしゃるの。」と、おばあさんは、声をかけました。  光子さんは、にっこりとしたが、そのまま下を向いて、だまっていってしまいました。 「わたし、お姉ちゃんでないわ。」と、光子さんは、つぶやきました。  あんなにたのんでも、赤ちゃんを、だっこさしてくれないのに、なんでお姉ちゃんと、いうのだろう。私は、お姉ちゃんといわれても、ちっともうれしいことはないわと、光子さんは、道を歩きながら、思いました。  そして、おばあさんが、いじわるのような気がして、ていねいにあいさつする気にもなれなかったけれども、赤ちゃんは、かわいらしくて、ほんとうに、あのほおずきのような、ほおをぷっと吹いてやりたくなったのでした。 「どうして、私に、赤ちゃんをだっこさしてくれないのでしょう。」  ある日、おばあさんは、光子さんのお母さんに向かって、 「このごろ、お光ちゃんは、なにかお気にさわったことがあるとみえて、怒っていらっしゃるのですよ。いくら考えても、なにがお気にさわったかわかりませんが、どうかお母さんから、きいてみてくださいませんか。」と、たのみました。  こういわれたので、お母さんは、びっくりして、 「まあ、そんなことがあったのですか、それは、なにかおばあさんの、お考えちがいで、ありませんか。しかし、あんなおてんばですから、もし失礼をしましたら、どうぞごめんくださいまし。」と、おわびなさいました。 「いえ、そんなつもりで、いったのでないのですよ。私に気がつきませんから、なにを怒っていらっしゃるのか、お光ちゃんに、おききしてもらいたいのです。こないだも、お姉ちゃんと声をかけますと、下を向いて、にげていって、おしまいなさるのです。きっとなにか怒っていらっしゃるに、ちがいありません。」と、子供の心がわからぬまま、おばあさんは、母親にきいてもらうよう、笑いながらたのんだのでした。 「まあ、そんなまねを、光子がしたのでございますか。」と、お母さんは、顔を赤くして、おばあさんに、きまりのわるい思いをなさいました。 「いいえ、けっして、お光ちゃんをしからんでください。自分に、わけが思い出せないから、おききしたのです。」と、おばあさんも、とがめるつもりで、いったのでないと、恐縮しました。  お母さんと、おばあさんの、二人は、たがいに心がわかると、へだてなく、笑いながら、世間の話などして、別れたのでした。  お母さんは、家へ帰って、さっそく、光子さんを自分のそばへ呼びました。そして、おばあさんに対して、どうして、そんな失礼な態度をしたのかと、おききになりました。  光子さんは、しばらく下を向いて、だまっていましたが、 「早く、おいいなさい。」と、お母さんに、うながされると、あのときのことを思い出して、つい悲しくなり、目から涙を落としながら、 「私、お姉ちゃんでないんですもの。」と、答えました。 「赤ちゃんから見れば、あなたは、やはりお姉さんでしょう。」と、お母さんは、これにはなにか理由があると、察せられて、やさしく、いわれました。 「わたし、お姉ちゃんなら、すこしばかり赤ちゃんを、だっこさしてくれたっていいでしょう。それなのに、いくらおばあさんに、おねがいしても、赤ちゃんを抱かしてくれないのですもの。」と、さもうらめしそうに、泣きながら、母親に、訴えたのでした。  お母さんは、光子さんが、赤ちゃんをだっこしたいばかりに、じれているのだとさとると、むしろ、その子供らしい、やさしい心をば、いじらしく思いました。 「ああ、そうだったの。ほんとうに、おまえさんも、赤ちゃんなのね。」と、いって、笑われました。  その後、このことを、お母さんは、おばあさんに話されたのであります。すると、おばあさんも、急に明るい顔つきとなって、 「ああ、そうでしたか、私が、わるかったのです。ただあぶないと思って、いくたびも光ちゃんが、抱かしてくれとおっしゃったのをだかさなくて、わるいことをしました。それで、よくわかりました。こんど、おんぶしてもらいましょうね。」と、いって、おばあさんも目がしらに、涙をためていられました。  その翌日でした。おばあさんは、外で遊んでいた光子さんを呼んで、 「さあ、赤ちゃんをおんぶしてくださいね。なかなか重いから、だっこは無理です。いま、ひもをかけますから、おんぶしてくださいよ。」と、いって、光子さんの、小さな背中へ、赤ちゃんをおんぶさしてくださいました。  はじめて、赤ちゃんをおぶって、光子さんは大喜びでした。  日かげにいては、赤ちゃんが、寒いので、日のよくあたる往来へ出ると、赤ちゃんはうれしがって、おくん、おくんといって、おどり上がりました。そのたびに、力があまって、光子さんは、ころびそうになるのを、危うくこらえました。 「まあ、なんて元気のいい、強い赤ちゃんでしょう。」と、光子さんは、うれしかったのでした。そして、もし、おばあさんが、ひもでおぶわしてくれなかったら、落としてしまったかもしれぬと思い、そんなことに気のつかなかった、自分のわがままを、はじめて、わるかったと、さとったのでした。 底本:「定本小川未明童話全集 14」講談社    1977(昭和52)年12月10日第1刷発行    1983(昭和58)年1月19日第5刷発行 底本の親本:「太陽と星の下」あかね書房    1952(昭和27)年1月 初出:「博愛 737号」    1951(昭和26)年1月 ※表題は底本では、「お姉ちゃんといわれて」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2018年5月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。