兄と魚 小川未明 Guide 扉 本文 目 次 兄と魚  正二は、夏のころ、兄さんと川へいっしょにいって、とってきた小さな魚を、すいれんの入っている、大きな鉢の中へ入れて、飼っていました。  そのうちに、夏も過ぎ、秋も過ぎてしまって、魚は川にいれば、もう暖かな場所を見つけて冬ごもりをする時分なのに、鉢の中では、そんなこともできませんでした。  寒い風が、野の上や、森をふく、ある日のことでありました。 「おや、魚が死んでいる。正ちゃん、早くおいで。」と、庭へ出た兄さんが呼びました。 「かわいそうに。」と、正二はいいながら、走ってそのそばへいきました。  鉢の中には、水がいっぱいあって、すいれんの葉は、いつのまにか枯れて、水の底の方に沈んでいました。 「これは、たなごだね。」 「こいみたいだな。」 「いいや、たなごさ。かわいそうに、こんなにやせてしまって、栄養不良で死んだのだよ。」と、兄は手のひらにのせて、悲しそうに、ながめていました。 「僕、ときどき、ふをやったんだけれど。」と、正二がいいました。 「川にいれば、いろいろのものを食べるから、大きくなるのだけれど、こんないれものの中では、ほかに食べるものがないだろう。正ちゃん、あとの二匹をかわいがってやろうね。」と、兄さんは、底の方にかくれるようにしている魚をのぞきながらいいました。  正二は、自分たちのいった川は、いま冷たい水が、ゴウゴウと音をたてて流れているだろうと思うと、あとの二匹をその川へ逃がす気にもなれなかったのです。 「兄ちゃん、あとのは、かわいがってやろうよ。」 「ほかのいれものに移して、お家の中へおこうね。そうして春になったら、また、ここへ入れることにしよう。」 「ごはんつぶをやろうか。」 「冬は、あまりものを食べないものだ。それより、あたたかにしてやるほうがいいのだよ。」  正二は、兄が手に持っている魚をどうするだろうと思って見ていました。 「正ちゃん、手すきを持っておいで。」と、兄は、いいました。  正二がものおきから、手すきを取り出してくると、兄はつばきの下に穴を掘りました。 「ああ、ここへうめてやるのだな。」と、正二が見ていると、兄は、落ち葉を探してきました。正二は、なにをするのだろうと、黙って見ていると、穴の下へその枯れ葉をしきました。そして、死んだ魚をその葉の上へのせました。それからまた、枯れ葉をその上へしいて、土をかけたのであります。  終わりまで、黙って、これを見ていた正二は、やさしい兄の心持ちがよくわかりました。 「いい兄さんだな。」と、思いました。 「川でとってきてから、こんなに長くいたんだもの、あとの二匹を殺しちゃ、僕たちが悪いのだよ。どうかして、この冬を越すように、かわいがってやろうね。」と、兄さんはいいました。  正二も、そうだと思いました。部屋へおくようになってから、寒い晩は、水をこおらせないようにしました。また、お天気になると、縁側へ出して、日の光に当ててやりました。  ある日、正二は、雑誌にのっているお話を読んでいるうちに、おやと、びっくりしました。なぜなら、それには、こう書いてありました。 「私は死んだ金魚をどぶの中へ捨てる気にはなれませんでした。穴を掘って木の葉をしき、その上へのせて、また葉をかけて土にうめてやりました。」 「うちの兄さんと同じことをしたのだ。なんというふしぎなことだろう?」  正二は兄のところへかけてゆくと、 「兄さん、これを読んでごらんなさい。」と、雑誌を出しました。 「なんだい、童話だね。そんなにおもしろいのかい。」 「ここんところだよ。」と、正二は、書いてあるところを指さしました。  兄は、黙って読んでいました。しばらく、なにもいわずに考えていましたが、そのうちに、 「ははは。」と、大きな声で笑いました。 「兄さんと同じだろう、この人、兄さんのしたことを知っているのかなあ。」と、正二は、頭をかしげました。 「そんなことはないよ。正ちゃん、だれでも人というものは、正直であれば、おんなじことを考えるんだね。僕ばかりかと思ったら、そうでなかった。だからよくお話さえすれば、どの子もみんないいお友だちになれるんだよ。」と、兄はいいました。小さな正二くんも、なるほどなと、うなずくことができたのであります。 底本:「定本小川未明童話全集 13」講談社    1977(昭和52)年11月10日第1刷発行    1983(昭和58)年1月19日第5刷発行 底本の親本:「僕はこれからだ」フタバ書院成光館    1942(昭和17)年11月 初出:「こくみん三年生」    1940(昭和15)年12月 ※表題は底本では、「兄と魚」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井裕二 2018年5月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。