釣 アルテンベルヒ Peter Altenberg 森鴎外訳 Guide 扉 本文 目 次 釣 「釣なんというものはさぞ退屈なものだろうと、わたしは思うよ。」こう云ったのはお嬢さんである。大抵お嬢さんなんというものは、釣のことなんぞは余り知らない。このお嬢さんもその数には漏れないのである。 「退屈なら、わたししはしないわ。」こう云ったのは褐色を帯びた、ブロンドな髪を振り捌いて、鹿の足のような足で立っている小娘である。  小娘は釣をする人の持前の、大いなる、動かすべからざる真面目の態度を以て、屹然として立っている。そして魚を鉤から脱して、地に投げる。  魚は死ぬる。  湖水は日の光を浴びて、きらきらと輝いて、横わっている。柳の匀、日に蒸されて腐る水草の匀がする。ホテルからは、ナイフやフォオクや皿の音が聞える。投げられた魚は、地の上で短い、特色のある踊をおどる。未開人民の踊のような踊である。そして死ぬる。  小娘は釣っている。大いなる、動かすべからざる真面目の態度を以て釣っている。  直き傍に腰を掛けている貴夫人がこう云った。 「ジュ ヌ ペルメットレエ ジャメエ ク マ フィイユ サドンナアタ ユヌ オキュパシヨン シイ クリュエル」 〝Je ne permettrais jamaiş que ma fille śadonnât à une occupation si cruelle.〟 「宅の娘なんぞは、どんなことがあっても、あんな無慈悲なことをさせようとは思いません」と云ったのである。  小娘はまた魚を鉤から脱して、地に投げる。今度は貴夫人の傍へ投げる。  魚は死ぬる。  ぴんと跳ね上がって、ばたりと落ちて死ぬる。  単純な、平穏な死である。踊ることをも忘れて、ついと行ってしまうのである。 「おやまあ」と貴夫人が云った。  それでも褐色を帯びた、ブロンドな髪の、残酷な小娘の顔には深い美と未来の霊とがある。  慈悲深い貴夫人の顔は、それとは違って、風雨に晒された跡のように荒れていて、色が蒼い。  貴夫人はもう誰にも光と温とを授けることは出来ないだろう。  それで魚に同情を寄せるのである。  なんであの魚はまだ生を有していながら、死なねばならないのだろう。  それなのにぴんと跳ね上がって、ばたりと落ちて死ぬるのである。単純な、平穏な死である。  小娘はやはり釣っている。釣をする人の持前の、大いなる、動かすべからざる真面目の態度を以て釣っている。大きな目を睜って、褐色を帯びた、ブロンドの髪を振り捌いて、鹿の足のような足で立っているのがなんともいえないほど美しい。  事によったらこの小娘も、いつか魚に同情を寄せてこんな事を言うようになるだろう。 「宅の娘なんぞは、どんな事があっても、あんな無慈悲なことをさせようとは思いません」などと云うだろう。  しかしそんな優しい霊の動きは、壊された、あらゆる夢、殺された、あらゆる望の墓の上に咲く花である。  それだから、好い子、お前は釣をしておいで。  お前は無意識に美しい権利を自覚しているのであるから。  魚を殺せ。そして釣れ。 (明治四十三年一月) 底本:「於母影 冬の王 森鴎外全集12」ちくま文庫、筑摩書房    1996(平成8)年3月21日第1刷発行 入力:門田裕志 校正:米田 2010年8月5日作成 2011年4月23日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。