花より雨に 永井荷風 Guide 扉 本文 目 次 花より雨に  しづかな山の手の古庭に、春の花は支那の詩人が春風二十四番と数へたやう、梅、連翹、桃、木蘭、藤、山吹、牡丹、芍薬と順々に咲いては散つて行つた。  明い日の光の中に燃えては消えて行くさま〴〵な色彩の変転は、黙つて淋しく打眺める自分の胸に悲しい恋物語の極めて美しい一章々々を読み行くやうな軟かい悲哀を伝へる。  われの悲しむは過ぎ行く今年の春の為めではない、又来べき翌年の春の為めと歌つたのは誰れであつたか忘れてしまつたが、春はわが身に取つて異る秋に等しいと云つたのは、南国の人の常として殊更に秋を好むジヤン・モレアスである。  空は日毎に青く澄んで、よく花見帰りの午後から突然暴風になるやうな気候の激変は全くなくなつた。日の光は次第に強くなつて赤味の多い柚色の夕日はもう黄昏も過ぎ去る頃かと思ふ時分まで、案外長く何時までも高い樫の梢の半面や、又は低く突出た楓の枝先などに残つて居る。或は何処から差込んで来るものとも知れず、植込の奥深い土の上にばら〳〵な斑点を描いて居る事もあつた。かゝる夕方に空を仰ぐと冬には決して見られない薄鼠色の鱗雲が名残の夕日に染められたまゝ動かず空一面に浮いてゐて、草の葉をも戦がせない程な軽い風が食後に散歩する人をばいつか星の冴えそめる頃まで遠く郊外の方へと連れて行く。  何処を見ても若葉の緑は洪水のやうに漲り溢れて日の光に照される緑の色の強さは閉めた座敷の障子にまで反映するほどである。されば午後の縁先なぞに向ひ合つて話をする若い女の白い顔が電灯の光に舞ふ舞姫のやうに染め出される事がある。どんより曇つた日には緑の色は却て鮮かに澄渡つて、沈思につかれた人の神経には、軟い木の葉の緑の色からは一種云ひがたい優しい音響が発するやうな心持をさせる事さへあつた。  わが家の古庭は非常に暗く狭くなつた。  繁つた木立は其枝を蔽ふ木の葉の重さに堪へぬやうな苦し気な悩しげな様子を見せるばかりか、圧迫の苦悩は目に見えぬ空気の中に漲りはじめる。西からとも東からとも殆ど方向の定まらぬ風が突然吹き下りて突然消えると、こんもりした暗い樹木は蛇の鱗を動すやうな気味悪い波動をば俯向いた木の葉の茂りから茂りへと伝へる。折々雨が降つて来ても、庭の地面は冬のやうに直様濡れはせぬ。濡れると却て土地の熱気を吐き出すやうに一体の気候を厭に蒸暑くさせる。伸び切つた若葉の尖つた葉末から滴りもせずに留つて居る雨の雫が、曇りながらも何処か知らパツと明い空の光で宝石のやうに麗しく輝く。石に蒸す青苔にも樹の根元の雑草にも小さな花が咲いて、植込の蔭には雨を避ける蚊の群が雨の糸と同じやうに細かく動く。  雲が流れて強い日光が照り初めると直ぐに苺が熟した。枇杷の実が次第に色付いて、無花果の葉裏にはもう鳩の卵ほどの実がなつて居た。日当の悪い木立の奥に青白い紫陽花が気味わるく咲きかけるばかりで、最早や庭中何処を見ても花と云ふものは一つもない。青かつた木葉の今は恐しく黒ずんで来たのが不快に見えてならぬ。古庭はます〳〵暗くなつて行くばかりである。  或日の夕方近所の子供が裏庭の垣根を破して、長い竹竿で梅の実を叩き落して逃げて行つた。別に小消化なものを食べたと云ふのでもないのに、突然夜中に腹痛を覚え自分はふいと眼をさました事がある。其の時戸外には余程前から雨が降つてゐたと見えて、点滴の響のみか、夜風が屋根の上にと梢から払ひ落すまばらな雫の音をも耳にした。梅雨はこんな風に何時から降出したともなく降り出して何時止むとも知らず引き続く……  家中の障子を悉く明け放し空の青さと木葉の緑を眺めながら午後の暑さに草苺や桜の実を貪つた頃には、風に動く木の葉の乾いた響が殊更に晴れた夏といふ快い感じを起させたが、今降りつゞく雨の日は深夜の如く沈み返つて木の葉一枚動かず、平素は朝から聞えるさま〴〵な街の物音、物売りの声も全く杜絶えてゐる。午前の十時頃が丁度夕方のやうに薄暗い時いつもは他の物音に遮ぎられて聞えない遠い寺の時の鐘が音波の進みを目に見せるやうに響いて来る。すると、此の寺の鐘は冬の午後に能く聞馴れた響なので、自分の胸には冬に感ずる冬の悲しみが時ならず呼起され、世の中には歓楽も色彩も何にもないやうな気がして、取返しのつかない後悔が倦怠の世界に独で跋扈するのである。  筆の軸は心地悪くねばつて詩集の表紙は黴びてしまつた。壁と押入から湿気の臭が湧出し手箱の底に秘蔵した昔の恋人の手紙をば虫が蝕ふ。蛞蝓の匐ふ縁側に悲しい淋しい蟇の声が聞える暮方近く、室の障子は湿つて寒いので一枚も開けたくはないけれど、余りの薄暗さに堪兼ね縁先に出て佇んで見ると、雨の糸は高い空から庭中の樹木を蜘蛛の巣のやうに根気よく包んで居る。音も響も何にもない陰気ないやな雨である。 Il pleure dans mon cœur Comme il pleut sur la ville...... 巷に雨の降る如く わが心にも雨ぞ降る とヴェルレーヌが歌つたやうな音楽的な雨ではない。この詩は響のつよい秋の時雨を思はせるが、これに反して現代に最も悲しい詩人と云はれた白耳義のロオダンバツクが、 Comme les pleurs muets des choses disparues, Comme les pleurs tombant de ĺœil ferme des morts. 滅びしものゝ声なき涙の如く 死せし人の閉されし眼より落つる涙の如く と色も音もない彼の国の冬の雨を歌つた詞が今最も適切に自分の記憶に呼返された。 Notre âme, elle n'est qu'un hallon sans couleurs, Comme un drapeau mouillé qui contre sa hampe. 人の心は旗竿より濡れて下りし 其の旗の色とてもなき襤褸なりけり と唱はれたやうに動きもせぬ、閃きもせぬ。人の心は唯々腐つて行くばかりである。  然し其等近世の詩人に取つては、悲愁苦悩は屡何物にも換へがたい一種の快感を齎す事がある。自分は梅雨の時節に於て他の時節に見られない特別の恍惚を見出す。それは絶望した心が美しい物の代りに恐しく醜いものを要求し、自分から自分の感情に復讐を企てやうとする時で、晴れた日には行く事のない場末の貧しい町や露路裏や遊廓なぞに却て散歩の足を向ける。そして雨に濡れた汚い人家の灯火を眺めると、何処かに酒呑の亭主に撲られて泣く女房の声や、継母に苛まれる孤児の悲鳴でも聞えはせぬかと一心に耳を聳てる。或夜非常に晩く、自分は重たい唐傘を肩にして真暗な山の手の横町を帰つて来た時、捨てられた犬の子の哀れに鼻を鳴して人の後に尾いて来るのを見たが他分其の犬であらう。自分は家へ這入つて寝床に就てからも夜中遠くの方で鳴いては止み、止んでは又鳴く小犬の声をば、これも夜中絶えては続く雨滴の音の中に聞いた……  雨は折々降り止む。すると空は無論隙間なく曇りきつて居ながら、日が照るのかと思ふ程に明くなつて、庭中の樹木は茂りの軽重に従つて陰影の濃淡を鮮かにし、凡ての物の色が黄昏の時のやうに浮き立つて来るので、感じ易い心は直様秋の黄昏に我れ知らず耽けるやうな果しのない夢想に引き入れられる。薄曇りの空の光に日頃は黒い緑の木葉が一帯に秋の如く薄く黄ばんで了つて、庭のかなたこなたに池のやうに溜つた雨水の面は眩しいばかり澄渡り、もう大分紫の色も濃くなつた紫陽花の反映して居るのが如何にも美しい。少しの風もないのに扇骨木の生垣からは赤くなつた去年の古葉が雨の雫と共に頻と落ちる。  雀の声が俄にかしましく聞え出す。するとこれが雨の晴れ間に生返る生活の音楽のプレリユウドで、此の季節に新しく聞く苗売りの長く節をつけて歌ふ声。続いて魯西亜のパン売り。其の売声を珍しさうに真似する子供の叫びが此方から彼方へと移つて行くので、パン売りは横町を遠くへと曲つて行つた事が能くわかる。冬にも春にも日頃いつでも聞く街の声は一時に近く遠く聞え出したが、する程もなく、再び耳元近くブリキの樋に屋根から伝はつて落る雨滴れの響が起る。自分は始めて目には見えない糠雨が空の晴れさうに明くなつて居るのにも係らず、いつの間にかまた降出してゐたのに心付くのであつた。  枇杷の実は熟しきつて地に落ちて腐つた。厠に行く縁先に南天の木がある。其の花はいかなる暗い雨の日にも雪のやうに白く咲いて房のやうに下つてゐる。自分は幼少い時この花の散りつくすまで雨は決して晴れないと語つた乳母の話を思ひ出した……… 底本:「日本の名随筆43 雨」作品社    1986(昭和61)年5月25日第1刷発行    1997(平成9)年5月20日第15刷発行 底本の親本:「荷風随筆 第一巻」岩波書店    1981(昭和56)年11月 入力:門田裕志 校正:noriko saito 2009年12月4日作成 2019年1月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。