鮪の茶漬け 北大路魯山人 Guide 扉 本文 目 次 鮪の茶漬け  たい茶漬けは世間に流布され、その看板をかけている料理屋さえ出来てきた。関西ではもちろんのこと、東京でも近来よく見かけるようになった。また、家庭にも侵入して、実際に試みられるようにさえなっている。それなのに、たいより簡単で、美味いまぐろの茶漬けが用いられていないのは、ふしぎな気がする。  たいは関西がよく、まぐろは東京がいい。  その意味からいっても、東京は、たい茶漬けよりまぐろの茶漬けを用いてしかるべきであろう。  東京に、もし京阪のような食道楽が発達していたら、おそらく、今日までまぐろの茶漬けを見逃してはいなかったであろう。そういう私も、まぐろの茶漬けは京都で覚えたもので、東京人から教わったものではなかった。今後の東京人は、たい茶漬けなんて関西の模倣をやらないで、堂々と江戸前のまぐろをもって、たい茶漬けに対すべきである。東京には関西のような、美味なたいがないから、なおさらである。 茶漬けの御飯  御飯の炊き方がやわらかく、ベタベタするようなのは一番いけない。すしの飯の程度がいい。炊きたての御飯ではいけない。生暖かにさめた程度がいい。茶漬けにもよりけりだが、魚の茶漬けには冷飯は絶対にいけない。 お茶の出し方  かける茶は番茶では美味くない。煎茶にかぎる。煎茶の香味と苦味とが入用である。少し濃い目の茶をかけると、調和がとれる。茶が薄くては不味い。だから、粉茶の上等がいいというわけになる。  粉茶のだし方は人も知るように、粉茶専用の小さなざるがある。これはすし屋で使っているものである。それで、すし屋の用いるように、大目ざるに一杯程度入れて水をさす。なぜなら、粉茶は茶の残りを集めたいわば茶のくずであるから、埃などがまじっていよう。これを洗滌する意味で、ざるの中に入れた茶に水をさすと、乳白色に水がよごれてこぼれてくる。これを捨て、ざるの中の粉茶に熱湯を注ぐ。  この場合、熱湯を少しずつ注げば、茶は濃くなり、ざあっと一気にお湯を注げば、茶は薄くなる。熱湯の注ぎ方によって、濃淡自在にお茶は加減できる。  お茶漬けには、熱湯を少しずつ注いだ濃い目のものを用いるのがよい。しかし、抹茶や煎茶にしても、最上のものを用いることが秘訣だ。茶が悪いと、茶漬けの中に、なにが入っていようが駄目である。  要するに、茶がよくなければ茶漬けの意義がない。 茶漬けのまぐろ  さて、茶漬けに用いるまぐろだが、しびまぐろがいい。  しびまぐろは、ふつうすし屋で使っているまぐろのことである。まぐろのトロといって、白っぽい、脂っ濃いところをよろこぶ。脂っ濃いところは、男の四十歳以前の好みである。四十歳以後になると、だんだん脂っ濃いものから嗜好が遠ざかる。  茶漬けに用いるまぐろの材料も、トロ、中トロ、赤身、好みによって選択すればいいわけである。  脂の少ない赤身は赤身で美味いし、脂の多いところはまたトロで美味い。まぐろの質さえ吟味すれば、各人の好みに任せて、材料をととのえるべきである。  しびまぐろのほかに、かじきまぐろだとか、きはだまぐろとかがある。これらを茶漬けに用いても、決して悪いものではない。しかし、きはだとか、かじきは脂肪が少ないから、脂っ濃いものを好む人たちには、ちょっと軽い感じである。老人向き、女人向きなどには、かえってこの方が適していよう。それも実験して、各自の嗜好に任せればよいと思う。 お茶漬けの作り方  茶碗に飯を盛る時、腹の空き加減にもよろうが、ぜいたくものは飯を少なく盛ることである。飯を多く盛ると、茶がたくさん入らぬ。労働者の食べる茶漬けは、飯がたくさんで茶の少ないのが美味い。だから、大き目の茶碗がよい。ぜいたく者の茶漬けは、飯が少なくて茶が多いほうが美味い。飯の多い方の茶漬けは番茶がいいが、飯の少ない方の茶漬けには煎茶を可とする。  飯は茶碗に半分目、もしくはそれ以下に盛って、まぐろの刺身三切れを一枚ずつ平たく並べて載せる。それに醤油を適当にかけて加減する。大根おろしをひとつまみ、まぐろのわきに添えればなおよい。  並べたまぐろの上に、徐々にかたすみから熱湯を、粉茶のざるを通して注ぐ。まぐろの上の方から平均してまんべんなくかけていくと、まぐろの上皮がいくらか白んでくる。そうして、御飯が透明な煎茶におおいかぶさり、上のまぐろが、茶に浸る程度に茶を注ぐ。  次に、まぐろを箸で静かに御飯の中に押し込むようにすると、裏の方のまだ赤い色をしたところまでが白くなってくる。透明な茶は乳白色になり、醤油もまじって茶碗の中にこもってくる。  まぐろを半熟以上に熱しては、美味は失われてしまう。  もっと味を濃くしたい人は、ここで茶碗の蓋をして、しばらく静かに放置し、中に充分に味がこもるのを待って、濃淡好みの茶漬けとした上で、口に掻き込む段取りとなるのである。  どちらかといえば、蓋をしない茶漬けの方が香気も高く、熱く、まぐろも熱し過ぎないので、美味しいのであるが、蓋をする方は、飯がほとびていけない。その上、まぐろが熱し過ぎるというのは野暮である。まぐろの生っ気を好まない人は余儀ないことであるが、前者のやり方の茶漬けに越したことはない。  この茶漬けは、ほかになにひとつ惣菜を用いる必要がなく、最後にひと切れの香のものを添えて、ぜいたくな味を満足させれば足りる。  まぐろ茶漬けのわさびは、お茶を注ぐ前に飯茶碗の中に入れては、辛さが消えてしまう。お茶を注いでおいて、最後に入れてまぜて食べる方が、わさびの効きめがある。 底本:「魯山人の食卓」グルメ文庫、角川春樹事務所    2004(平成16)年10月18日第1刷発行    2008(平成20)年4月18日第5刷発行 底本の親本:「魯山人著作集」五月書房    1993(平成5)年発行 初出:「星岡」    1932(昭和7)年 入力:門田裕志 校正:仙酔ゑびす 2010年1月14日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。