教育の事 福沢諭吉 Guide 扉 本文 目 次 教育の事  一人の教育と一国の教育とは自ずから区別なかるべからず。一人の教育とは、親たる者が我が子を教うることなり。一国の教育とは、有志有力にして世の中の事を心配する人物が、世間一般の有様を察して教育の大意方向を定め、以て普く後進の少年を導くことなり。  父母の職分は、子を生んでこれに衣食を与うるのみにては、未だその半ばをも尽したるものにあらず。これを生み、これを養い、これを教えて一人前の男女となし、二代目の世において世間有用の人物たるべき用意をなし、老少交代してこそ、始めて人の父母たるの名義に恥ずることなきを得べきなり。  故に子を教うるがためには労を憚るべからず、財を愛しむべからず。よくその子の性質を察して、これを教えこれを導き、人力の及ぶ所だけは心身の発生を助けて、その天稟に備えたる働きの頂上に達せしめざるべからず。概していえば父母の子を教育するの目的は、その子をして天下第一流の人物、第一流の学者たらしめんとするにあるべきなり。  ある人云く、父母の至情、誰かその子の上達を好まざる者あらんや、その人物たらんを欲し、その学者たらんを願い、終に事実において然らざるは、父母のこれを欲せざるにあらず、他に千種万状の事情ありて、これに妨げらるればなり、故に子を教育するの一事については、只管父母の無情を咎むべからずと。この説あるいは然らん。禽獣なおその子を愛す、いわんや人類においてをや。天下の父母は必ずその子を愛してその上達を願うの至情あるべしといえども、今日世上一般の事跡に顕われたる実際を見れば、子を取扱うの無情なること鬼の如く蛇の如く、これを鬼父蛇母と称するも妨げなき者甚だ多し。あるいはその鬼たり蛇たるの際にも、自ずから父母の至情を存するといわんか、有情を以て無情の事を行えば、余輩は結局その情のある所を知らざるなり。  教うるよりも習いという諺あり。けだし習慣の力は教授の力よりも強大なるものなりとの趣意ならん。子生まれて家にあり、その日夜見習う所のものは、父母の行状と一般の家風よりほかならず。一家の風は父母の心を以て成るものなれば、子供の習慣は全く父母の一心に依頼するものというて可なり。故に一家は習慣の学校なり、父母は習慣の教師なり。而してこの習慣の学校は、教授の学校よりも更に有力にして、実効を奏すること極めて切実なるものなり。今この教師たる父母が、子供と共に一家内に眠食して、果たして恥ずるものなきか。余輩これを保証すること能わず。前夜の酒宴、深更に及びて、今朝の眠り、八時を過ぎ、床の内より子供を呼び起こして学校に行くを促すも、子供はその深切に感ずることなかるべし。妓楼酒店の帰りにいささかの土産を携えて子供を悦ばしめんとするも、子供はその至情に感ずるよりも、かえって土産の出処を内心に穿鑿することあるべし。この他なお細かに吟味せば、蓄妾淫奔・遊冶放蕩、口にいい紙に記すに忍びざるの事情あらん。この一家の醜体を現に子供に示して、明らかにこれに傚えと口に唱えざるも、その実は無辜の小児を勧めて醜体に導くものなり。これを譬えば、毒物を以て直にこれを口に喰らわしめずして、その毒を瓦斯に製し空気に混じて吸入せしむるが如し。これを無情といわざるを得んや。鬼蛇の名称差支なかるべし。  また一種の主人あり。これを公務家と名づく。甚だしき遊蕩の沙汰は聞かれざれども、とかく物事の美大を悦び、衣服を美にし、器什を飾り、出るに車馬あり、居るに美宅あり。世間の交際を重んずるの名を以て、附合の機に乗ずれば一擲千金もまた愛しまず。官用にもせよ商用にもせよ、すべて戸外公共の事に忙しくして家内を顧みるに遑あらず。外には活溌にして内には懶惰、台所の有様を知らず、玄関の事情を知らず、子供の何を喰らい何を着るを知らず、家族召使の何を楽しみ何を苦しむを知らず。早朝に家を出て夜に入らざれば帰らず。あるいは夜分に外出することあり、不意に旅行することあり。主人は客の如く、家は旅宿の如く、かつて家族団欒の楽しみを共にしたることなし。用向きの繁劇なるがために、三日父子の間に言葉を交えざるは珍しきことにあらず。たまたまその言を聞けば、遽に子供の挙動を皮相してこれを叱咤するに過ぎず。然るに主人の口吻は常に家内安全を主とし質素正直を旨とし、その説教を聞けばすこぶる愚ならずして味あるが如くなれども、最大有力の御用向きかまたは用向きなるものに逢えば、平生の説教も忽ち勢力を失い、銭を費やすも勤めなり、車馬に乗るも勤めなり、家内に病人あるも勤めの身なればこれを捨てて出勤せざるを得ず、終日の来客も随分家内の煩雑なれども、勤めの家なれば止むことを得ず、酒を飲むも勤めの身、不養生も勤めの身、なお甚だしきは、偽を行い虚を言うも勤めの箇条に入ることあり。この家の趣を概していえば、戸外の公務に最大の権力を占められて、家内の事務はその力を伸ぶるを得ず。外を以て内を制し、公を以て私を束縛するものというべし。  この悪風の弊害は、決して一家の内に止まるものにあらず。その波及する所、最も広くしてかつ大なり。ここにその一を述べん。かの政談家の常に患える所は、結局民権退縮・専制流行の一箇条にあり。いかにも人間社会の一大悪事にして、これを救わんとするの議論は誠に貴ぶべしといえども、未だよくこの悪事の原因を求め尽したる者にあらざるが如し。そもそも一国の政府にもせよ、また会社にもせよ、その処置に専制の行わるるは何ぞや。必ずしも一人の君主または頭取が独り暴威を逞しうして、悉皆他の人民を窘しむるがためにあらず。衆庶の力を集めてこれを政府となしまたは会社と名づけ、その集まりたる勢力を以て各個人の権を束縛し、以てその自由を妨ぐるものなり。この勢力を名づけて政府の御威光または会社の力といい、この勢力を以て行う所の事を名づけて政府の事務または会社の事務という。即ち公務なり。この公務を取扱う人を名づけて政府の官員または会社の役員といい、この官員の理不尽に威張るものを名づけて暴政府といい、役員の理不尽に威張るものを暴会社という。即ち民権の退縮して専制の流行することなり。  今前条に示したる家内に返りてこれを論ぜん。この家内の有様は外を以て内を制し、公を以て私を束縛するものなり。主人の常言に家内安全を主とし質素正直を旨とするはすこぶる有力なる教えにして、然もこの教えは、世間道徳の門においても常に喋々して人心に浸潤したるものなれば、これを一般の国教というも妨げあることなし。然るに今この家においては斯る盛大なる国教もその力を伸ぶること能わずして、戸外の公務なるものに逢えば忽ちその鋒を挫き、質素倹約も顧みるに遑あらず、飲酒不養生も論ずるに余地なく、一家内の安全は挙げてこれを公務に捧げ、遂には人間最大一の心得たる真実正直の旨をも欠くことなきにあらず。この家の内に養われてこの事情を目撃する子供にして、果たして何らの習慣を成すべきや。家内安全を保護する道徳の教えも、貴重は則ち貴重なれども、更に貴重なる公務には叶わぬものなりとて、既に公務に対して卑屈の習慣を養成し、次いで年齢に及びて人間社会の一人となり、戸外公共の事務を取扱うの身分となれば、生来の習慣忽ち活動し、公は以て私を束縛すべきものなりとて憚る所なきは必然の勢いならずや。  今の政談家は今日世間に専制の流行するを察し、その原因を今日に求めて今日にこれを救わんと欲するが如くなれども、けだしその眼力よく外に達してかえって内を見ざるものというべし。人間社会は家内の集まりたるものなり、その悪事の元素は早く家内にありて存するものなり。家内は社会の学校なり、社会にありて専制を働く者は、この学校の卒業生なり。故に曰く、社会の有様を改革せんと欲せば、先ずその学校を改革すべきなり。  前条に記したる鬼蛇父母なり、また公務家なり、いやしくも上等社会に列して銭に不自由なき人なれば、その子に学問を教えんと欲せざる者なし。而してそのこれを教うるの方法如何を聞けば、学校に寄宿せしめたりとていかにも安心せるものの如し。案ずるにこの輩は、学問は数を学び文字を知ることと心得て、知字はただ学問の一部分たるの旨を忘れたることならん。知らずや、習慣の力は教授の力よりも大なるを。知らずや、子供は家にありて早くその習慣を成すものなるを。知らずや、父母の教えは学校教師の教えよりも深切なるを。余輩断じていわん、家に財あり、父母に才学あらば、十歳前後の子を今の学校に入るるべからず、またこれを他人に託すべからず、仮令いあるいは学校に入れ他人に託するも、全くこれを放ちて父母教育の関係を絶つべからずと。然りといえども実際において人の家には種々様々の事情ありて、必ずしもこの言の如く行わるべきものにあらず。余輩もまた敢えてこれを強いんとするにあらず。ただ今の世に士君子というべき人が、その子を学校に入れたる趣意を述べて口実に設くれども、かつてその趣意の立たざるもの多きを疑うてこれを咎むるのみ。  その口実に云く、内外多用なるが故に子を教うるの暇なしと。内外の用とは何事を指していうか。官の用か、商売の用か。その用の価は子を養教するの用に比較して綿密に軽重を量りたるか。甚だ疑うべし。  また口実に云く、戸外の用も内実は好む所にあらざれども、この用に従事せざれば銭を得ず、銭なければ家を支うるを得ず、子供を棄てて学校に入れたるは止むを得ざるの事情なりと。この言はやや人情に近きが如くなれども、元来その家とはいかなる家か。これを支えんとして求むる所の銭の高は、正しく生活の需用に適して余りなきものか。あるいは千円の歳入を六百円に減じ、質素に家を支えて兼ねて余暇を取り、子を教うるの機会はなきや。この機会を得んとしてかつて試みたることありや。甚だ疑うべし。  また口実に云く、家に余財なきにあらず、身に余暇なきにあらざれども、如何せん、才学を以て人を教うるに足るなし、子を学校に託するは身に才なきがためなりと。この口実も一応もっともなるに聞こゆれども、到底許すべからざるの遁辞のみ。身に覚えたる才学なしというか。けだし多く文字を知らざることならん。されども子供の教育に文字を教うるはただその一部分にして、知字のほかに眠食の教えあり、坐作の教えあり、運動の教えあり、養生の教えあり。これらの教育には、父母を除くほかに更に良き教師を求めんとするも容易に得難きものにして、殊に子供の教育においては、十中の七、八に居るべき大切なる箇条なり。然るに今ただ文字を知らざるの一箇条を以て、他の大切なる箇条をも挙げてこれを他人に託するとは、果たして何の心ぞや。試みに思え、古来一丁字を知らざる母が、よくその子を育して遂に天下の一大家となしたる者あるにあらずや。この母氏の教育の法を知らんと欲せば、歴史を開きて比々見るべきなり。  右の如く口実を設けて遁れんとする者は、なおかつ愛すべし。滔々たる天下、この口実遁辞を用いる者さえもなき世の中なれ、憐れむべきにあらずや。畢竟子を学校に入るる者の内心を探りてその真実を丸出しにすれば、自分にて子供を教育しこれに注意するは面倒なりというに過ぎず。一月七、八円の学費を給し既に学校に入るれば、これを放ちて棄てたるが如く、その子の何を学ぶを知らず、その行状のいかなるを知らず、餅は餅屋、酒は酒屋の例を引き、病気に医者あり、教育に教師ありとて、七、八円の金を以て父母の代人を買入れ、己が荷物を人に負わせて、本人は得々として無上の安楽世界なるが如し。たまたま他人の知らせによってその子の不身持などの様子を聞けば、これを手元に呼びて厳しく叱るの一法あるのみ。この趣を見れば、学校はあたかも不用の子供を投棄する場所の如し。あるいは口調をよくして「学校はいらぬ子供のすてどころ」といわばなお面白からん。斯る有様にては、仮令いその子を天下第一流の人物、第一流の学者たらしめんと欲するの至情あるも、人にいわれぬ至情にして、おそらくは事実には行われ難からん。枯木に花を求むるとはこの事なり。  そもそも前にもいえる如く、余輩の所見とて必ずしも天下の父母をして悉皆自らその子を教えしめんとするにあらず。ただ企望する所は、仮令いその子を学校に入るるにもせよ、あるいは自宅にて教うるにもせよ、家の都合次第、今時の勢いにては才学に欠点なき父母も少なからん、あるいは家に教師を雇うべき財ある者も少なからんことなれば、やはり一時の姑息にて、よき学校を撰びてこれに入るるよりほかに名案もなかるべしといえども、いずれにも今少しく父母の心身を労し、今少しく家庭の教育を貴きものと思うてこれに注意し、教育なるものの地位を高めて、人事の最大箇条中にあらしめんと欲するのみ。  今その不注意なる証を見んとならば、世間の事実において明らかに知るべきものあり。世の士君子、あるいは官途に就く者あり、あるいは商売に従事する者あり、あるいは旅行するものあり、あるいは転宅するものあり。その際に当たり、何らの箇条を枚挙して進退を決するや。世間よく子を教うるの余暇を得んがためにとて、月給の高き官を辞したる者あるを聞かず。商売の景気を探らんために奔走する者は多けれども、子を育するの良法を求めんためにとて、百里の路を往来し、十円の金を費やしたる者あるを聞かず。旅費の多き旅行なれば、千里の路も即日の支度にて出立すれども、子を育するに不便利なりとて、一夕の思案を費やして進退を考えたる者あるを聞かず。家を移すに豆腐屋と酒屋の遠近をば念を入れて吟味し、あるいは近来の流行にて空気の良否など少しく詮索する様子なれども、肺に呼吸する空気を論ずるを知りて、子供の心に呼吸する風俗の空気を論ずる者あるを聞かず。世の中には宗旨を信心して未来を祈る者あり。その目的は死後に極楽に往生していわゆる「パラダイス」の幸福を享けんとの趣意ならん。深謀遠慮というべし。されども不良の子に窘しめらるるの苦痛は、地獄の呵嘖よりも苦しくして、然も生前現在の身を以てこの呵嘖に当たらざるを得ず。余輩敢えて人の信心を妨ぐるにはあらざれども、それ程にまで深謀遠慮あらば、今少しくその謀を浅くしその慮を近くして、目前の子供を教育し、先ず現世の地獄を遁れて、然る後に未来の極楽をも狙いたきものと思うなり。  右は一人の教育を論じたるものなり。即ち上等社会、銭に不自由なき良家の子供を学者仕立てに教育するの心得なれども、広き日本国中に子を教育するために余財を貯え余暇を有する者は幾人もあるべからず。この輩のためを謀れば、教育の法も上に記すものとは全くその趣を異にせざるを得ず。即ち編首にいえる如く、一人の教育と一国の教育と区別ある所以なり。ただし一国教育の事については他日論ずる所あるべし。 底本:「福沢諭吉家族論集」岩波文庫、岩波書店    1999(平成11)年6月16日第1刷発行 底本の親本:「福澤諭吉全集 第四巻」岩波書店    1959(昭和34)年6月1日初版発行    1970(昭和45)年1月13日再版発行 初出:「福澤文集 巻之一」松口榮造蔵版    1878(明治11)年1月刊 入力:田中哲郎 校正:noriko saito 2011年1月29日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。