閑天地 石川啄木 Guide 扉 本文 目 次 閑天地 (一) (二) 落人ごゝろ (三) 落人ごゝろ (つゞき) (四) 落人ごゝろ (つゞき) (五) 世の教育者よ (六) 信念の巌 (七) 権威は勝利者の手にあり (八) 権威は勝利者の手にあり (続) (九) 権威は勝利者の手にあり (続) (十) 我が四畳半 (一の上) (十一) 我が四畳半 (二) (十二) 我が四畳半 (三) (十三) 我が四畳半 (四) (十四) 我が四畳半 (五) (十五) 我が四畳半 (六) (十六) 我が四畳半 (七) (十七) 我が四畳半 (八) (十八) 霊ある者は霊に感応す (十九) 病と貧と (二十) 病と貧と (続) (二十一) 十一夜会の記 (一) (「閑天地」は実に閑天地なり。野鵰の㯙雲に舞ひ、黄牛の草に眠るが如し。又春光野に流れて鳥初めて歌ひ、暮風清蔭に湧いて蜩の声を作すが如し。未だ許さず、生きんが為めにのみ生き、行かんがためにのみ行くが如き人の、この悠々の世界に入るを。啄木、永く都塵に埋もれて、旦暮身世の怱忙に追はれ、意ならずして故郷の風色にそむくうちに、身は塵臭に染み、吟心また労をおぼえぬ。乃ち茲に暫らく閑天地を求めて、心頭に雲を放ち、胸底に清風を蔵し、高眠安臥、興を暮天の鐘にさぐり、思を緑蔭の流光に托し、風鈴に和して吟じ、雨声を友として語り、この夏中百日を暢心静居の界に遊ばんとす。我がなつかしき故山の読者よ、卿等若し胸に一点の閑境地ありて、忙中なほ且つ花を花と見、鳥を鳥と聴くの心あらば、来つてこの埒もなき閑天地に我みちのくの流人と語るの風流をいなむ勿れ。記してこの漫録百題のはしがきとす。) (二) 落人ごゝろ  このたびの我が旅故郷の閑古鳥聴かんがためとも人に云ひぬ。塵ばみたる都の若葉忙しさ限りもなき陋巷の住居に倦み果てゝとも云ひぬ。何はともあれ、素袷さむき暁の風に送られて鉄車一路の旅、云ひがたき思を載せたるまゝに、小雨ふる仙台につきたるは五月廿日の黄昏時なりしが、たゞフラ〳〵と都門を出で来し身の、もとより心さへ身さへ定まらぬみちのくの放浪児、古への宮城野の跡の、目もはるなる眺め仲々に捨てがたく、若葉衣の袖かろく心もすが〳〵なるに、たへがたき思ひする身も聊かはなぐさみて、さつき晴なる折々は広瀬川の畔にもさまよひ青野の涯に海を見る天主台、むかひ山などにものぼりぬ。尻上りのそこの語もきゝなれては、さまでに耳に悪しからず、晩翠湖畔花郷臥城など、親しうする友達の情にほだされて、つひうか〳〵と十日許りを旅館に打ち過ごしたり。兎角うする間に、一人居の物淋しき暇々、沈み行く心いかにか引きかへさめと、足弱机ひきよせて旅硯呑みさしの茶に磨り、料紙の小半紙皺のべて、心ともなく筆を染めける小詩の二つ三つ、初夏の落人が詩心たゞ何となきそゞろぎのすさびなれば、心たかうして人に示すものにはあらねど、また来ん夏の思出に、忍草の若芽うらめしきまで見すぼらしきもかへりて興あらめと、五城楼下の記念、かき認めてこゝに『おちうどごゝろ』とは題しつ。   夏は来ぬ 海こえて夏は来ぬ── 三千里波を御す 白駒の青きいぶきに 世は今樹々も若いばえ さなりその、青の国 山こえて夏は来ぬ── さくら色うすべにや 羅の裾の『春』の跡追ふ 若武士の太刀姿 さなりその、息もゆる 野をこえて夏は来ぬ── 生々し黒瞳の 二人なりかろき足並 まばゆき生命もとむるや さなりその、恋の国 森こえて夏は来ぬ── 八寸の星形に さきほこる百合の国より 海経てきぬる微風の さなりその、香は甘し 空こえて夏は来ぬ── 銀の光さす 白日のつばさを負ひて 高天がける青竜や さなりその、強光 南より我は来ぬ── 夏の日を讃ぜむに わが心絃はほそしと 秀歌の都のがれきて さなりその、落人や 一百里我はきぬ── 夜の鳥の声遠き 静夜の揺るゝ灯影に ひとり泣かむとみちのくへ さなりその、一百里 ゆめ心我は来ぬ── いにしへの宮城野の さすらひや(あゝ淀の水) よどむ暫しの岸の宿 さなりその、川青し にげ心我は来ぬ── 息きれてのぼりける 天主閣──流をも見たり 遠野も見たり──夏は来ぬ さなりその、夏は来ぬ 天地に夏はきぬ── 打ちいたみ来て眠れば たびやかたこの落人に 似たりしば啼くほととぎす さなり、その夜の鳥 (三) 落人ごゝろ (つゞき)  維新回天の時漸く迫れるの頃、長刀短袴の青年にして、文天祥が正気之歌を知らざる者なかりしが如く、今の世、杖を学林に曳くものにして、未だ『天地有情』を知らざるものはあらじ。広瀬河畔の晩翠を知らむと欲せば、必ずしも之を詩を知る者に聞くを要せざる也。僻陬の村夫子猶且つ彼が名を記して幸福なる詩人と云ふ。  二千余年の長夜の暗漸やく明けて、この国に新らしき生命の光もゆるや、彼も亦単身孤塁、吟杖を揮つて赤門校裡の書窓より新声を絶叫したるの一人なりき。み空の花なる星、この世の星なる花、黙々として千古語らざれども、夜々綢繆の思ひ絶えざる彷彿一味の調は、やがて絶海の孤島に謫死したる大英雄を歌ふの壮調となり五丈原頭凄惨の秋を奏でゝは人をして啾々の鬼哭に泣かしめ、時に鏗爾たる暮天の鐘に和して、劫風ともにたえざる深沈の声を作し。長城万里に亘り荒蕪落日に乱るゝの所、悵たる征驂をとゞめて遊子天地に俯仰すれば、ために万巻の史書泣動し、満天の白雲凝つて大地を圧するの思あり。若し夫れ、銅絃鉄撥、劈雲の調に激して黒竜江畔にひゞけば、大水忽ちに止まつて血涙の色をなせりき。我は今こゝに彼が詩をあげつらふを好まずと雖ども、我が詩壇の暁鐘として又、壮大の詩風を独占したる観あるに於て彼が名や少なくとも永く日本詩史の上に伝らざるべからざる也。我幼にして嘗て初めて彼が詩巻を友に借り、深夜孤燈の下、去吟来興にたへずして、案を打つて高唱したりし時の事、今猶胸に刻まれて記憶に新たなるを覚ゆ。京に入りてより、嘲風氏に聞き、竹風君と話して彼が性行の一端を覗がひ、逢ふて詩談を交へんとするの情あり。我仙台に入るや、招かれて一夜大町の居にこの幸福なる詩人を訪ふ。(未完) (四) 落人ごゝろ (つゞき)  燈光燦として眩ゆき所、地中海の汐風に吹かれ来しこの友の美髯、如何に栄々しくも嬉しげに輝やきしか、我は実になつかしき詩人なりと思ひぬ。又、現代の詩人にして此人程何等の臭味なき詩人はあらじと思ひぬ。共にラフアエルの画集をひもどきて我、これらの画にある背景の人酔はしむる趣こそ北伊太利あたりの景色を彼が神筆に写し取りたるものとか聞く。その美しき国にしたしく遊びたりし時の君の想ひは如何なりしか、と云へば、美髯を一捻して主人の静かに答ふらく、然りアルノの河の畔など、伊太利の風光もさる事乍ら、然も我にはかの瑞西の楽天地、アルペン山の又なき神々しさを拝みたる許り嬉しき時はなかりき。勇みに勇める我が心も、かのアルペンを仰ぎ見たる時は、小蜘蛛の如く小さくなりて、渾身の血も凍るかと許り、口は開きたるまゝに言葉も得出でざりき。如何なる霊筆を持てるものも、誰かは彼の様なる自然の大威力に圧せられてはその腕戦のかざるべき、と。かくて更らに幾葉の写真など取り出して、これこそはアルペンぞ、こなたの丘の上は我は半日あまりも立ちつくしたる事なり、など、云ひ〳〵てその美しき国の事遽かに恋しくやなりけむ、暫し目を瞑ぢて、レナウが歌とおぼゆるを口吟み居たりき。話頭詩に転ずるや、彼曰く、我は如何なる人の作たるを問はず、一特長ある詩ならば日夕愛誦に資するに躊躇せずと。又曰く、林外の夏花少女は驚嘆すべし、我は彼を以て泣菫君と兄たりがたく弟たりがたしと思ふと。又曰く、我は国詩の格調に於て七五調本位を以て正道なりと思惟すと。我は不幸にしてこの詩人の詩論に賛ずる能はざりき。然れども我は少なくとも彼を解しえたりと思ひぬ。時は移つて夢の如く談は流れて水の如し。杜鵑もいくたびか聴きぬ。夜更けての後なり、ふとしたる事より、はしなく談音楽の上に移るや、伯林よりの土産とか云ふ秘蔵の蓄音機を取り出して、特に我がために数番の曲を撰んで聞かせられたり。南欧近代の楽聖と云はるゝヰルヂーが『トロバヅウル』の曲もありき。ワグネルが『タンホイゼル』の第三齣、『フアウスト』歌劇中のローマンマーチ、さてはかの名高き『ウヰルヘルム・テル』の管絃楽『ローヘングリン』の花嫁の進行曲もありき。ロンドンの流行唄、雷鳴の曲もありき。生命なき一ヶの機械にすぎざれど、さすがにかの欧米の天に雷の如く響きわたりたる此等楽聖が深潭の胸をしぼりし天籟の遺韻をつたへて、耳まづしき我らにはこの一小機械子の声さへ、猶あたゝかき天苑の余光の如くにおぼえぬ。  夜も一時をすぎつる頃なり。辻車も見あたらねば、ひとりトボ〳〵と淋しき大路を宿にかへるに、常には似ぬ安けさの我胸に流れ、旅心恍として一味の慰楽をむさぼり得たり。あくる日、匇々筆を取つて一首のソネツトを得、使を走せて晩翠君に送りぬ。      ○ 初日は上りぬ、あな〳〵この国には、 光の使の鳥さへえ鳴かぬや、と、 うつけし声々亜細亜を領ず時し、 聞いたり、──東の花苑花を踏みて、 崇さ、雄々しさ、王者のほこり見する、 雞ほがらに鳴きぬる其初声──、 あかつき残れる夜影の雲もつひて、 あゝ其声よりこの国朝と成りぬ。 見よ今、歌苑に花降る朝ぼらけを、 覚めずや、いざ、とぞ促す御宣ありと、 稚き心の夢の瞳ひらきぬれば、 貴なり、大苑生花啄みつつ、 歌ふて立ちぬるくだかけ──其冠に、 天の日燃えたり──我たゞ眺め入りぬ。(此項をはり) (五) 世の教育者よ  一友あり、嘗て我に語るらく、余の都門に入りてより茲に五年、其間宿を変ふる事十数回に及びぬ。或時は黄塵煙の如き陋巷に籠り、或時は故郷を忍ぶたつきありと物静かなる郊外に住みつる事もありき。然もかの駒込の奥深き一植木屋の離亭借りたる時許り、やさしくも親しき待遇享けし事はあらず、と。我しづかに思へらく、然るか、然るか、あゝ夫れ実に然らむ也。  人よ、これを単に他愛もなき坐談の一節なりとて、軽々に看過する勿れ。尊とむべき教訓は、豈かの厳たる白堊校堂裡、鹿爪らしき八字髯の下よりのみ出づる者ならむや。日常瑣々の事、猶且つ味はひ来れば無限の趣味あり、無限の秘密あり、無限の教訓ありて、我等をして思はず忸怩として無謀の行動を敢てせざらしむる者也。  植木屋の離亭を借りて親切なる待遇を得たりとのみ云はゞ、誰かその偶然なる一事に、しかく深奥の教訓ありと思ふものあらむや。然も世に真に偶然なるの事はなし。たとへ人の偶然事のみとして雲煙看過するの事件も、仔細に観来れば奥底必ず不動の磐坐のあるありて、未だかの長汀波上の蜃気楼台の如からず。宇宙万般の事万般を貫くの理法ありて、洩さず、乱れず、発しては乃ち不可不の因を成し、収まつては乃ち不許不の果を作る。  我をして先づ想はしめよ、見せしめよ、聞かしめよ、而して教へられしめよ、彼植木屋は何ぞ。彼はこれ一箇市井の老爺、木を作り、花を作り、以て鬻いで生計を立つる者のみ。等しく生計を立つるが為めなりと雖ども、然も彼の業は、かの算珠盤上に心転々し、没索たる生活に日夕を埋めて、四時の発落さへも知らぬが如き非興のものに非ず。早春風やはらいで嫩芽地上に萌ゆるより、晩冬の寒雪に草根の害はれむを憂ふるまで、旦暮三百六十日、生計の為めにすなる勤行は、やがて彼が心をして何日しか自然の心に近かしめ、凭らしめ、親しましめ、相抱かしめ、一茎の草花、一片の新葉に対するも、猶彼が其子女に対するが如き懸念と熱心と愛情とを起すに至らしめたるにはあらざるか。かくして自然は彼の心に住し、彼の心は一茎の草花にも洽ねき恵みと美との自然の大慈悲心に融合するに至り、茲に微妙なる心情の変化は、遂に彼をして其厭ふべき没人情の都塵の中にあり乍ら、猶且つ枯れざるの花を胸に咲かせ、凋まざる温雅の情操を持して、利害の打算に維れ余念なき現時の市中に、其高く優しき行為を成すに至らしめしにはあらざるか。吾人を以て殊更に詭弁を弄するものとなす勿れ。吾人は実に斯く考へ来つて、かの一友が逢会したりし偶然事、其永久に彼をして感謝せしむる清き記憶の中に、この注目すべき不可不の因を見、更にこの因のもたらす尊とき不許不の果の、我等に教ふる事こよなくも深きを感ぜずんばあらず。  翻つて問ふ。世の教育者、特に小学教育者諸子よ。諸子はこゝまで読み至つて何の感慨をか得たる。諸子既に人を教ふるの賢明あり、以てかの無学なる植木屋の老爺に比すべからず。剰さへ諸子の花苑には、宇宙の尤も霊妙なる産物たる清浄無垢の美花あり。その花、開いては天に参し、地を掩ふの姿にも匂ひぬべく、もとより微々たる一茎一枝の草樹に比すべからず。然れども諸子よ、ひるがへつて乞ひ問はむ、諸子が其霊妙純聖の花を育てながら、よく彼の一老爺が草花より得たると同じ美しき心をば各々の胸に匂はせつゝありや。諸子は其多数が比々として表白しつゝある不浄と敗亡と乱倫とを如何せんとするや。あゝ我は多く云はじ、たゞ一言を記して、世の聖人たらざるべからずして、然も未だ成れるを聞かざる小学教育者諸子に呈す、諸子先づ三尺の地を割いて一茎の花を植ゑよ。朝に水をかひ、夕に虫をはらふて、而して、一年なれ、二年なれ、しかる後に静かに其花前に跼いて、思へよ、恥ぢよ、悔いよ。かくて初めて汝の双肩にかゝれる崇高絶大の天職も、意義あり、力あり、生命あり、光あるに至らむ也。(六月十二日夜) (六) 信念の巌  世に、最も恐るべき、最も偉大なる、最も堅牢なる、而して何物の力と雖ども動かし能はざるものあり。乃ち人の信念也。ソクラテス、雅典の子弟を迷はすの故を以て法廷に引かるゝや、曰く、我は雅典の光なり、罪すべくんば罪せよと。又再び物言はず。かくて遂に死せりき。日蓮が首の座に据ゑらるゝや又同じ。基督の方伯の前に立てる時も又同じ。彼等は何事をも自らのために弁ぜざりき。然も其緘黙は蓋しこの世に於ける最大の雄弁たりし也。信念の巌は死もこれを動かす能はず、況んや区々たる地上の権力をや。大哲スピノザ、少壮にして猶太神学校にあるや、侃々の弁を揮つて教条を議し、何の憚る所なし。教官怒つて彼を放逐したれども、スピノザは遂にスピノザなりき。ユーゴーがナポレオン三世のために追放せられたるも同じ。詩人シエレーが『無神論の必要』を著はして牛津大学を追はれたるも同じ。信念の一字は実にこの世界の最も堅牢なる城廓にてある也。  仏国羅曼的文学の先鋒にスタヱル夫人あり。彼女は実に一箇巾幗の身を以て、深窓宮裡花陰の夢に耽るべき人乍ら、雄健の筆に堂々の議論を上下し、仏蘭西全国の民を叱咤する事、猶猛虎の野に嘯くが如くなりき。かるが故に大奈翁を以てしても遂に彼の一婦人を如何ともする能はず。全欧洲を席捲したる巨人のために恐るゝ所となりき。彼女常に曰く、偉大なる人物を見んがためには妾は、千里万里の路をも遠しとせずして行かん也と。意気の壮なる、実に斯くの如し。人は往々彼女を以て婦人の力のよく男子に遜らざるの例とすれども、静かに思へ、人の信念の力や実にかくの如し。一度其赫灼たる霊光の人の胸中に宿るや嬋妍たる柳眉玉頬の佳人をして、猶且つ這般天馬空を行くの壮事あらしむる也。夫れ信念は霊界の巨樹也。地上の風に其一葉をだもふるひ落さるゝ事なし。又、坤軸に根ざすの巌なり。地殻層上の力、其杆如何に強しと雖ども、又動かすに由なし、人生最大の権威、一にこの信念の巌上に建てらる。  人よ、汝若し一念心に信ずる所あらば、外界の紛紜に迷ふ事勿れ。躊躇する事勿れ。顧慮する勿れ。敵たるを敵とせよ。我が最強の味方は我なりと知れ。心眼をひらいて自家胸中の宇宙を仔細に観よ。そこに永劫に枯れざるの花あり、これ汝の尤も美しき恋人にあらずや。そこに永劫に絶えざるの清風吹く、これ汝の尤も親しき友にあらずや。兄弟にあらずや。そこに永劫に暮るゝ事なき日輪ありて輝けり、これ汝の尤も尊とき父にあらずや。母にあらずや。一字不滅の『信』あり。汝須らく汝の自負に傲慢なれ、不遜なれ、大水の声をあげて汝みづからの為に讃美し、謳歌して可也。 正誤「閑天地」四の終り、土井晩翠君に与ふる詩の七行目、「夜影の雲もつひて」は「夜影の雲もつひえ」の誤植也、茲に正誤す。 (七) 権威は勝利者の手にあり  一昨年の夏なりきと覚ゆ。我猶籠りて岩手山麓の白鹿詩堂にあり。一日郷校に村人の会するあるや、壇に上つて『文明史上より見たる日露関係』の一題を口演し、新時代の世界文明は東西の文化を融合して我が極東帝国の上に聚り、桜花爛漫として旭光に匂ふが如き青史未載の黄金時代を作るべきを論じて、狂暴なる露人の東方政策は明らかにこの吾人に下れる最大の自覚に対する魔軍の妨害、また世界悠久の進運に対する不祥の禍根なりとし、吾人と共に斯の如き大自覚を有する者は、正に天帝の告敕の下に剣戟を手にすべきの時期に臨めるを痛説する所ありき。越えて昨年に入り、早春二月の初めより、羽檄四方に飛び、急電到る事頻々、遂に仁川旅順の勝報伝はるに及んで、天下惨として感激の声に充ち、日露国際の関係は断絶せられたり。我は猶記憶す、当時嘲風博士に寄せし書中に記せし語を。曰く『民衆は皆肩を聳かし、眉をあげて、北天を望めり。見よ、七星の光肥えて炬の如からずや。村巷を辿れば、かしこに此処に群童の幾集団ありて、竹杖を剣に擬し日章の旗を振り声を合せて「万歳」を連呼せり。室に入れば野人斗酒を酌んで樽を撃ち、皿を割り、四壁に轟く濁声をあげて叫んで曰く、ザールの首を肴にせむと。この声を聞かずや、無限の感激は迸しつて迅雷の如く四大を響動せんとす。あゝ願くは詩人啄木をしてたゞ一箇の愛国の赤子たらしめよ。裸々の愛国児として、硯を擲ち、筆を折り、以て彼等感激せる民衆と共に樽をうち、皿を割るの狂態を敢てするを許せ。我は如何にしてこの興奮せる心情を発表すべきかを知らず。若しわが手に五大洲を描けるの地図あらば、焼いて粉にして民と共に、万石の酒に呑まむかな』と。  爾後世界の歴史は匇々兵馬の声を載せて其鉄筆に五百有余頁を記し了んぬ。長くも亦短かゝりし一歳半の日子よ。海に戦へば海に、陸に闘へば陸に、皇軍の向ふ所常に勝てり。かの虚心なる国民──表面の結果のみを示す公報を読むの外又他意なき国民の多数が夢想する如く、勝利はしかく易々たるものに非ざりき。戦ふ毎に悪戦ならざるはなく、勝つ毎に甚大の犠牲を払はざるはなかりき。然も国民的自覚の大意力は凝つて百錬の氷鉄の如く、発して焦天の大火焔の如く、旗裂けて怯まず、馬倒れて屈せず、剣折れて撓まず、砲弾と共に躍進して遂に随所に凱歌を奏し得たり。あゝ驚くべき此の回天動地の大成功や。此の成功は世界に於ける最も恐るべき大破壊なり。而して又最も恐るべき大建設なり。破壊されたるものは世界国勢の衡器なり、否、世界三千年を司配したる歴史神の道路なり。(未完) (八) 権威は勝利者の手にあり (続)  而して今茲に有生十五億を眩目せしむるの巨光、而して又、世界第二の文明を経営すべき参天の巨柱は建設せられたる也。読者よ、今暫らく詩人が空想の霊台に来りて彼が心に負へる無象の白翼を借り、高く吾人の民族的理想の頂上より一円の地球を下瞰せずや。彼方はるかに白浪の咆ゆる所、檣折れ舷砕けたる廃船の二つ三つ漂へるはバルチツクの海ぞ、そこの岸辺に近く、嘗て実弾の祝砲を見舞はれたる弾痕の壁の下、薄暗き深宮に潜々乎として其妻と共に落涙又落涙、悲しげなる声をあげて祈り、祈りては又泣く一箇蒼顔痩躯の人を見ずや。彼こそは実に一時の不覚より終生を暗き涙の谷に埋むるに至りし露国皇帝其人なれ。又見よ、かの中央亜弗利加の黒奴がすなる如く、吾人の足に接吻しては礼拝幾度か低頭し、ひたすらに吾人の愛顧の衰へざらむことを憂ふるものは英吉利にあらずや。かの巴里新流行とか云ふ淡緑の衣着けたる一美人を左手にかばひつゝ、ライン河の南岸に立ちて、大空に驕る巨鵬の翼の己が頭上を掠めざらむ事を維れ恐るゝ状をなすものは仏蘭西にあらずや。又其北岸城砦の上一葉の地図を前にひらいて世界の色の看す〳〵東方の桜光に染まり行くを諦視し、左に持ちたる『膠洲湾』の盃の毒酒にや酔ひけむ、顔色段々青くなり、眼光のみ物すごきまで燃え来りて、遂に狂へる如く其地図を靴底に蹂躙し、右手に握れる彼の宝典『世界政策』の一冊をさへ寸裂して河中に投ずるに至り、逆八の字の髯を掻きむしつて悶々する者は、かの所謂新興国独逸にあらずや。更に目を転ぜば、遠く米国ありて、あたらぬ神に障りなしとお世辞タラ〳〵、嫣然として我等をさしまねくあり。これ等は実に一瞬間に吾人の眼に映じ来る世界演劇の大舞台の光景也。この宏壮限りもなき活劇詩の主人公や誰。乃ち我等日本民族にあらずや。躍る心を推し鎮めて今暫し五大洲上を見渡せ。無数の蠢々たる生物ありて我等の胸間より発する燦爛の光に仰ぎ入れるあらむ。諸君よ、諸君は彼等の口の余りに大なるを以て無数の蛙群なりと誤る勿れ。彼等は乃ち口をあいて茫然自失せる十五億の蒼生にてある也。  あゝ驚くべきかな、この新光景や。これ実に愕心瞠目すべき大変転也。歴史の女神は嘗て常に欧洲の天を往来して、未だ殆んど東洋の地に人間あるを知らざりき。今や彼女は俄かに其五彩の鳳輦を進めて、鵬程万里の極、我が日出の宝土に来らざるべからずなれり。世界外交の中心は既に欧洲より動き去れり。数十年の前まで、一葉の扁舟さへ見難かりし太平洋は、今や万国商業の湊合する一港湾となり、横浜の埠頭と桑港の金門を繋ぐ一線は、実に世界の公路となれり。世界が日本を中心として新時代の文明を経営すべき未曽有の時期は正に迫らむとす。吾人の民族的理想は満翼風を孕んで高く九皐の天に飛揚せんとする也。(未完) (九) 権威は勝利者の手にあり (続)  斯くの如きは、吾人が一歳有半の間、上下一致、民族的和協の実をあげて遂行したる猛烈の健闘によりて、漸やく贏得するに至れる帝国現下の状勢也。吾人は非常の驚喜と傲慢とを以て這の事実を自認す。  然れども人の最大なる得意の時代は、やがてまた最大の失意を胚胎し来るの時代たるなからむや。物は圧せられざれば乃ち膨脹す。膨脹は稀薄となり、稀薄は弛怠となり無力となる。吾人は今少なくとも有史以来の『得意』の舞台に大踏歩しつゝあり、と共に又未だ嘗て知らざる大恐怖の暗雲を孕み来りつゝあり。この恐怖は、必ずしも天才的民族の神経過敏より来るにあらずして、実に殆んど無限なる吾人の自負の、賢明なる内省より生れ出でたるの結果也。吾人の自負は未だ舞台の広大なるに眩目する程に小心ならざる也。既に斯くの如し。故にこの恐怖の吾人に要求する所は、躊躇にあらず、顧慮に非ず、因循に非ず、退嬰に非ず、自失の予感に非ず、小成の満足に非ずして、実に完全なる努力の充実を促がすの戒心なり。この戒心は刻一刻吾人を鞭撻して吾人の偉大性を発揚せしめつゝあり。かくて吾人は今、新らしき舞台の変化を迎へて、最も真面目にこの内省の戒心に聞くべきの時期に遭遇せり。何ぞや、曰く、世界の驚嘆と嫉視の焦点に於ける外交時期の一転舵なり。吾人の尊敬する偉人ルーズベルトが、両国交戦国に与へたる平和談判開始の警告也。  吾人は初めより惟へらく、この日露両国を主人公とする大活劇は、旅順の陥落に第一幕を終り、波羅的艦隊の全滅に第二幕を終らむと。この予想は過去一歳有半の長舞台に於て遺憾なく実現せられたり。而して其第二幕が玄海洋上の大立廻りに幕となるや、看客の拍手の声未だ収まらざるに、第三次の幕は突如として開かれたり、舞台は急転したり。銃砲の響遥かに聞え、剣戟の光又遠く見ゆ。背景は誰が名匠の筆ぞ。左は浪高く狂へる中に檣砕け甲板死屍を積める二三の廃艦を浮べたる露国最後の運命の海にして、右には、落日大旗を照し、壮士惨として驕らざる北満洲の天地を描き出せる也。両主人公は今兀として左右よりこの舞台に上り来れり。彼等は何を語らむとするか。如何なる新色彩を脚色の上に施さむとするか、看客は汗手して二人の一挙一動に凝視せり。  吾人はこの第三幕が、単に中間の一揷画たりや、はた大詰の幕たるやを知らず。また今にして早くそを知らむとする程小成の満足に齷齪たるものに非ざる也。蓋しこの運命は恐らくは優人自身と雖ども予知せざる所。吾人何んぞ今にして其前途のために小心なる妄想を逞くせんや。然れどもこの新光景が今後の舞台に重大の変化を与ふるの動機たるは何人と雖ども拒み難き所、吾人が甚大の戒心を要すと云ふは乃ち此の点にありて存す。  変現出没譎詐縦横を以て外交の能事了れりとなすの時代は既に去れり。否、斯くの如きは少くとも大自覚の磐上に理想の玉殿を建設せむとする者の採用すべき路にあらず。吾人は、何人が大使として今回の談判を開くに至るやを精密に知る所なし。桂首相よし、伊藤老侯よし、小村外相よし、果た又無名の一野老なるもよし。たゞ其任にある者、よくこの日東民族の大自覚に内省して、今回の事たる、たゞに東洋の平和のためのみならず、たゞに自家の利権保護のためのみならず、世界悠久の文明の進運の為めに、吾人が負へる民族的使命の下に健闘しつゝあるの一事を忘却するなく、最も大胆に、最も赤裸々に、最も荘厳に、吾人の要求を告白するの人たれば足る。顧慮する勿れ、因循なる勿れ、姑息なる勿れ。夫れ権威は勝利者の手中にあり。この権威は使命と共に来る。使命を自覚したる者は権威の体現者なり。吾人は完全なる努力の充実を全うせんがために、吾人の民族的理想の基礎を牢固ならしめむがために、勝てる者の天与の権威を、大胆に、赤裸々に、充分に発揮せしめざるべからず。吾人は今度の新舞台を以て人生最大の荘厳なる舞台たらしめむ事を期す。吾人の期望にして成らずんば、手に三尺の利剣あり、一揮豈難んずる所ならむや。(了) (十) 我が四畳半 (一の上)  我が室は四畳半なりと聞かば、読者は、『閑天地』の余りに狭きに驚きやすらむ。昔者カーライル、弊衣を着、破帽をいたゞいて、一日馬車を竜動街頭に駆る。一市民見て声をあげて笑ふて曰く、かの乞丐の如くして傲然車上にあるは誰ぞ、と。傍人慌てゝ彼をとゞめて曰く、君よ口を慎しめ、かの破れたる帽子の下に宇宙は包まれてありと。この口吻を借りて云へば、我が閑天地がむさくるしき四畳半の中にありと云ふも何の驚く所かあらむや。夫れ人、内に一の心あり、我が宇宙は畢竟ずるに我が心のみ。若し我相場師とならば、喧囂雑踏極まりもなき牡蠣殻町の塵埃の中にも、我が閑天地を見出し得ん。若し又暇をえて狐森の煉瓦塀内に客とならば、その陰暗たる方三尺の監房にも心雲悠々たる閑天地を発見するに難からじ。  四畳半とし云へば、何やら茶人めいたる清淡雅致の一室を聯想すべけれど、我が居室は幸にして然る平凡なるものにあらず。と云へば又、何か大仕掛のカラクリにてもある様なれど、さにもあらず。有体に自白すれば、我が四畳半は、蓋し天下の尤も雑然、尤もむさくるしき室の一ならむ。而して又、尤も暢気、尤も幸福なるものゝ一ならむ。一間半の古格子附いたる窓は、雨雲色に燻ぶりたる紙障四枚を立てゝ、中の二枚に硝子嵌まり、日夕庭の青葉の影を宿して曇らず。西向なれば、明々と旭日に照らさるゝ事なくて、我は安心して朝寝の楽を貪り得る也。午前十時頃に起きて、朝餐と昼餐を同時に喰ふは趣味多き事なれど、この頃は大抵九時頃に起床を余儀なくせらる。枕の上にて新聞を読み、五六行読みては天井を眺め、又読みては又眺むる許り面白き事はあらじ。かくて三十分位は夢の名残のあたゝかき臥床の中に過す也。我が四畳半を蓋へる紙天井も亦こよなく趣味深き珍らしきものなり。二坪と四分一の面積の中に、長方形の貼紙したる箇所新旧凡そ二十許り、裂けたるまゝにまだ紙貼らぬ所も二つ三つ、天井界の住人黒皮忠兵衛殿が一夜潜かに領内巡察の砌り、あやまつて大道に放尿したる違警罪の罪跡が、歴然として雲形に五六の斑点を印し、総体が濃淡の染分に煤びわたりて、若しこれを枕上より睡眼朧ろに仰ぎあぐれば、さながら世界滅尽の日の大空も斯くやと疑はる。 (十一) 我が四畳半 (二)  大抵の家の畳は青波静かなる海の色なるものなれど、我が室のは薄き焦茶色なり。この色、年頃なる女の浴衣の染などに用ゐては至つてハデに好きものなれど、畳の色にしては好まぬ人多し。されど数多の美しき人の真白き足に擦れて斯くなりたりと思へば、さまで悪しきものにてもあらじ。窓の下に方一尺五寸に切りたる炉あり、一日に一度位は豆大の火種もなくなりて、煙草を吸ひつけるに燐寸を擦る事はあれど、大方は昼も夜も、五合入りの古鉄瓶に嘈々として断続調を成す松風の楽を聴く、この古鉄瓶も又興こそあれ。これ我が老いたる慈親が初めて世帯もちたる時、伯父にあたる北山あたりの老僧に貰へる物とか、されば我が家の物となりてよりも、既に少なくとも四十年一万四千六百日の間、一日の障りなしに断へず楽しき団欒の室に白湯の香を漲らせ、清閑の韻をひゞかせたる永き歴史を有するなり。この室に起居を同うする者三人あり。一人は我なり、二人は女なり、その内の一人は妹なり。従つて三脚の机あり。一脚は左の隅の窓の下にありて、日影門あたりの女学校の教科書と新旧の女の雑誌二三と『歌の栞』など埒もなく本挟に立てられ、『水汲むギリシヤ少女』と云ふ名画の写真や一重芍薬の艶なるを掴み揷しにしたる水瓶など筆立や墨汁壺に隣りて無雑作に列べらる。右の隅の一脚には、数冊の詩集、音楽の友、明星、楽譜帖などが花形役者にて、小説もあり、堅くるしき本もあり。日本大辞林が就中威張つて見ゆれども、著者のひが目には『あこがれ』尤も目につく。これらの堆かき中に、クミチンキと貼札したる薬瓶あり。知らぬ人は、私は大食をして胃病に相成り候ふと広告するが如しとも見るならん。秘蔵のヴアイオリン時として此等の上に投げ出されてある事あり。奥ゆかしきは小瓶にさしたる淡紅の野茨の花、風吹けば香ひ散つて其主のほつれ髪をそよがすに、更に〳〵奥ゆかしきは一封の、披かば二十間もやありぬらむ、切手五枚も貼りたる厚き古手紙也。発信人は誰なりしや、何事が封じ込まれてあるにや。我は知らず。知れども知らず。流石の我もこの天機だけは洩らしかぬる也。 (十二) 我が四畳半 (三)  室の中央、机に添ふて一閑張の一脚あり。これこそは、此処の主人が毎日「閑天地」を草する舞台にて、室は共有なれども、この机のみは我が独占也。筆を生命の我が事業は凡てこの一脚を土台にして建設せらる。何日も見て居乍ら、何時見ても目さむる様の心地せらるゝは、朝顔形に瑠璃色の模様したる鉢に植ゑし大輪の白薔薇なり。花一つ、蕾一つ、高薫氤氳、発して我が面をうち、乱れて一室の浮塵を鎮め去る。これはお向の孝さんの家からの借物なれど、我が愛は初めて姉に女の児の生れたりし時よりも増れる也。其下に去月仙台にて湖畔、花郷二兄と共に写し来れる一葉の小照を立てかけたり。本が有りさうで無いのは君の室なりと誰やら友の云へる事ありし。一度読んだものを忘れるやうでは一人前の仕事が出来るものにあらず。そんな人は一生復習許りして、辞書に成つて墓穴に這入るにや、など呑気な考へを以て居れば、手にしたものは皆何処かに失くしてしまへど、さりとて新らしい本を切々買ひ込むなどゝ云ふ余裕のある読書家にあらず。この机の上を見ても知らるべし、物茂卿の跋ある唐詩選と襤褸になりたる三体詩一巻、これは何れも百年以上の長寿を保ちたる前世紀の遺物なり。今より六代の前、報恩寺に住持たりし偉運僧正が浄書したりと云ふ西行法師の山家集、これは我が財産中、おのれの詩稿と共に可成盗まれたくなしと思ふ者なり。外にモウパツサンが心理小説の好作『ピール・エンド・ジエン』をクラヽ・ベルが英訳したる一書あり。我が十二三歳の頃愛読したりし漫録集にして永く雲隠れしたりしものを、数日前はしなく父の古本函より発見したる、南城上野雄図馬が『人物と文学』あり。今の人南城を知れる者なし。我も亦この一書によつて彼の名を記憶するに止まれども、彼の才あつて然も杳として天下に知られざるは心惜しき思せらる。今既に死せりや。猶生きてありや。彼の文は蘇峰の筆に学び得たりと思はるゝ節なきにあらねど、一種の独創あり、趣味あり、観察あり、感慨あり、教訓あり、仙骨あり。我之を繙どきてさながら永年相見ざりし骨肉の兄に逢ひたる様の心地したり。この書を読みて俄かに往時の恋しさ堪へがたく、漸やく探し出したる少年時代の歌稿文稿またこの机上に堆かく積まる。書と云ふものこの外になし。新作の詩数篇、我ならでは読まれぬ様に書き散らしたるが、その儘浄書もせずにあり。硯は赤間石のチヨイとしたるのなれど、墨は丁子墨なり。渋民の小学校にありし頃よく用ひし事あり、丁子と云ふ名はよけれど、之を硯に擦るに、恰も軽石に踵の垢を磨く時の如き異様の音す。筆を取らむとする毎に感じよからぬはこれ也。 (十三) 我が四畳半 (四)  壁は蒼茫たる暮靄の色をなし、幾十の年光に侵蝕せられて、所々危うげなる所なきにあらず。我常に之に対して思ふ。今の学者何か新発見をして博士号を得んと汲々たれども、発見とはさまでむづかしき事にあらず。たとへば顕微鏡を持ち来つてこの壁を仔細に検視せよ、恐らくは人を代ふるも数ふる能はざる程の無数のバチルスありて、刻々生々滅々しつゝあらむ。これらのうちには未だ人の知らざる種類も亦なしと云ふ事あらざらむ。バチルスを発見すると否とはさまで吾人の人生に関与する所なしと雖ども、要するに、問題と秘密とは、図書館の中にあらず、浩蕩の天際に存せずして、却つて吾人の日常生活の間に畳々として現在せり。我嘗て、夕ぐれ野路を辿りて黄に咲ける小花を摘み、涙せきあへざりし感懐を叙したるの詩あり。結句に曰く、 あゝこの花の心を解くあらば 我が心また解きうべし。 心の花しひらきなば また開くべし見えざる園の門。  と、蓋しこれ也。問題と秘密とは、微々たる一茎の草花にも宿り、瑣々たる一小事にも籠る。然るを何者の偏視眼者流ぞ、徒らに学風を煩瑣にし、究理と云ひ、探求と称して、貴とき生命を空しく無用の努力に費やし去る。斯くして彼等の齎し来る所謂新学説とは何ぞ、曰く無意義、然らずんば無用、たゞこれのみ。あゝたゞ之れのみ。我等は我等の生涯をして生ける論理学たらしめむ事を願ふ能はず。又冷灰枯木の如き倫理学的生活、法律学的生活を渇仰する能はず。我は実に不幸にして今の学者先生を我が眼中に置くの光栄を有せざる也。読者よ許せ、我が面壁独語ははしなくも余岐にわたりぬ。然れどもこれこそは実に我が四畳半の活光景たる也。ひと度我を訪はむものは、先づ斯くの如き冗語を忍びきくの覚悟を有せざるべからず。  この惨憺たる壁際には、幾著の衣類、袴など、黙然として力なく吊り下れり。其状たとへば、廃寺の残壁の下、怨みを負へる亡霊の其処此処とさまよふなる黄昏の断末魔の如し。若し沙翁の『ハムレツト』を読んで、其第一幕のうち、ハムレツトが父王の亡霊と語るあたりの、戦慄を禁ぜざる光景を真に味はむと欲する者あらば、来つて我が四畳半に入れ。蓋しこの壁際の恐るべき有様に対しつゝそを読まば、ロンドンの宮廷劇場にアービングが演ずる神技を見んよりも、一層其凄寥の趣を知るに近からむなり。袖口の擦りきれたる羽織あり。裾より幾条の糸条を垂れたる袴あり。縫はれて五年になん〳〵とする単衣あり。これらは、よしや真の亡霊に似ずとするも、誰かその少なくとも衣服の亡霊たるの事実を否定し得んや。然れども、時に之等に伍して、紅絹裏などのついたる晴やかの女着の衣裳の懸けらるゝ事なきにあらず。恰も現世の人の路を踏み誤つて陰府に迷ひ入れるが如し。かゝる時の亡霊共の迷惑思ひやらる。何となれば、彼等も亦我が如く、自己の世界に他人と肩を並ぶるを嫌ふ事、狂人の親が狂人の話を嫌ふよりも甚しければ也。 (十四) 我が四畳半 (五)  我が絳泥色の帽子も亦、この壁上にあり。この帽子の我が頭にいたゞかるゝに至りてより満二年四ヶ月の歴史は、曠量我の如くして猶且つ何人と雖ども侮辱するを許さゞる所。試みに思へ、世界何処にか最初より古物たるものあらむ。之れも初めて神田小川町の、とある洋物店より我が撰目に入りて購ひ取られたる時は、目も鮮やかなるコゲ茶色の仲々に目ざましき一物なりき。我は時としてこの帽子或は我が運命を司どるにあらずやと思ふ事あり。何となれば、一昨年早春、病骨を運んで故山に隠れし時を始めとして、爾来この帽子の行く所、必ず随所に我も亦寒木の如き痩躯を運び行けば也。嘗て美しかりしコゲ茶色は、今何故に斯くも黯然たる絳泥色に変色したりや。其理由は足掛三年間の我が運命の多端なりし如く、又実に多端なり。先づ初めに東都の街塵に染みぬ。次は上野駅より好摩駅まで沿道三百六十余哩の間の空気に染みぬ。或は当時同車したりし熊の如き髯武者、巡査、田舎婆、芸者らしき女、などの交々吐き出したる炭酸瓦斯も猶幾分か残り居るべし。次は岩手山下の二十ヶ月なり。渋民の村の平和なる大気最も多く沁みたるべし。そこの禅房の一室なりける我が書斎の茶煙や煙草の煙に燻りたるも少なからじ。詩堂とお医者様の玄関及び郷校のオルガンある室との間を最も繁く往来したりければ、薬の香り、楽声の余韻なども沁みこみてありと知るべし。時々は盛岡の朝風暮色をも吸はせぬ。雨降れる行春の夜、誰やら黒髪長き人と蛇の目傘さして公園を通り、満地泥ににじめる落花を踏むを心惜しと思ひし事もありしが、その時の雨の匂ひなど猶残りてあらば、世にも床しき想出の種なりかし。禅房の一室夜いたくも更け渡りて孤燈沈々たる時、我ひとり冷えたる苦茗を啜つて、苦吟又苦吟、額に汗を覚ゆる惨憺の有様を、最も同情ある顔付して柱の上より見守りたるもこの帽子なり。鶴飼橋畔の夜景に低廻して、『わが詩の驕りのまのあたりに、象徴り成りぬる栄のさまか』と中天の明月に浩歌したりし時、我と共に名残なくその月色を吸ひたるもこれ也。或時は村内の愛弟愛妹幾人となく引きつれて、夏の半ばの風和き夜な〳〵、舟綱橋あたりに螢狩りしては、団扇の代理つとめさせられて数知れぬ流螢を生擒したる功労もこれにあり。野路を辿りて、我れ草花の香を嗅げば、この帽子も亦、共にその香に酔ひたる日もありき。価安かりけれど、よく風流を解したる奴なり。彼の忠勤は夜を徹するも仲々かき尽し難き程ある中に、茲に特筆すべきは、我由来傘を嫌ふ事、立小便の癖ある人が巡査を嫌ふよりも甚しく、強からぬ雨の日には家人の目を盗んで傘なしに外出し、若し又途中より降り出らるゝ事あるも、心小さき人々の如く尻端折りて下駄を脱ぎ、鳥羽絵にある様の可笑しき姿して駈け出すなどの事、生れてより未だ一度もあらねば、この一ヶの帽子我が脳天を保護すれば足るだけの帽子ながら、常に雨に打たれて傘の代用までも勤めたる事あり。また一年の前なり、その村の祝勝提灯行列の夜、幾百の村民が手に手に紅燈を打ふりて、さながら大火竜の練り行くが如く、静けき村路に開闢以来の大声をあげて歓呼しつゝ家国の光栄を祝したる事あり。黄雲の如き土塵をものともせず、我も亦躍然として人々と共に一群の先鋒に銅羅声をあげたりき、これこの古帽先生が其満腔の愛国心を発表しえたる唯一の機会なりし也。 (十五) 我が四畳半 (六)  昨年の秋となりぬ。九月の末、遽かに思ひ立ちて、吟心愁を蔵して一人北海に遊びぬ。途すがら、下河原沼の暁風、野辺地の浦の汐風、浜茄子の香など、皆この古帽に沁みて名残をとゞめぬ。陸奥丸甲板上の五時間半、青森より函館まで、秋濤おだやかなりし津軽海峡を渡りて、我も帽子も初めて大海を吹きまはる千古の劫風を胸の奥まで吸ひぬ。あくる日、函館より乗りたる独逸船ヘレーン号の二十時間、小樽の埠頭までの航路こそ思出づるさへ興多かり。この帽子と羊羹色になりたる紋付羽織とのために、同船の一商人をして我を天理教の伝道師と見誤らしめき。又、むさくるしき三等船室の中に、漲ぎりわたる一種名状すべからざる異様の臭気を吸ふて、遂に眩暈を感じ、逃ぐるが如く甲板に駈け上りたるも我とこの帽子也。波は神威崎の沖合あたりもいと静かなりき。上甲板の欄干に凭りて秋天一碧のあなた、遠く日本海の西の波に沈まむとする落日を眺めつゝ、悵然たる愁懐を蓬々一陣の天風に吹かせ、飄々何所似、天地一沙鴎と杜甫が句を誦し且つ誦したる時、その船の機関長とか云ふ赭髯緑眼の男来つて、キヤン、ユウ、スペーク、エングリツシ?、我答へて曰く、然り、然れども悪英語のみ、と。これより我と其独人との間に破格なる会話は初められぬ。談漸やく進み、我問ふて曰く、この船の船員は皆急はしげに働きつゝあるに、君一人は何故しかく閑ある如く見ゆるや、と。彼得意気に鼻をうごめかして答ふらく、余はこの船の機関長なり、船長の次なり、と。我は潜かに冷笑一番を禁ぜざりき。あゝ名誉ある一商船の機関長閣下よ。彼、君は学生なりや、若しくは如何なる職業に従事するや。我、我は詩人なり、と云ひて笑ひぬ。更に語をついで云ふ、日本人は凡て皆詩人ならざるなし、日本の国土が既に最美の詩篇たるなりと。彼異様なる感情をその顔面に動かしつゝ、君はゲーテの名を知るや。我、我は独逸話を知らざれど、英訳によりて彼の作物の幾分は朧ろげ乍ら味はひたる事あり。彼更に曰く、君はハイネの作を読めりや、欧羅巴の年若き男女にしてハイネの恋の詩を知らざるはなし、彼等は単に我が祖国の光栄たるのみならず、また実に世界の詩人なり、と。我、悪謔一番して曰く、然り、彼等は少なくとも今の独逸人よりは偉大なり。彼は苦笑しぬ。我は哄笑しぬ。この時、我が帽子も亦我と共にこの名誉なる一商船の機関長閣下をも憚らず、傲然として笑へるが如くなりき。その夜、マストにかゝる亥中の月の、淋しくも凍れるが如き光にも我と共に浴びぬ。あくる日、小樽港に入りて浮艇に乗り移れる時、ヘレーン号と其機関長とに別意を告げて打ふりたるもこの帽子なり。滞樽二週の間、或時は満天煙の如く潮曇りして、重々しき風と共に窓硝子うつ落葉の二片三片もうら悲しく、旅心漫に寂寥を極めて孤座紙に対するに堪へず、杖を携へて愁歩蹌踉、岸うつ秋濤の響きに胸かき乱され、たどり〳〵て防波堤上の冷たき石に伏し、千古一色の暮風、濛々として波と共に迫る所、荒ぶる波に漂ひてこなたに寄せくる一隻の漁船の、舷歌はなはだ悲涼、 忍路高島およびもないが せめて歌棄磯谷まで。  と、寂びたる櫓の音に和し、陰惨たる海風に散じ、忡々たる憂心を誘ふて犇々として我が頭上に圧し来るや、郷情欝として迢遞悲腸ために寸断せらるゝを覚えて、惨々たる血涙せきもあへず、あはれ暮風一曲の古調に、心絃挽歌寥々として起るが如く、一身ために愁殺され了んぬるの時、堤上に石と伏して幾度か狂瀾の飛沫を浴びたるも、我と此古帽なりき。 (十六) 我が四畳半 (七)  帰りには、函樽鉄道開通三日目と云ふに函館まで二等車に乗りて、列車ボーイの慇懃なる手に取られ、刷毛に塵を払はれたる事もあり。二度目の津軽海峡は、波高く風すさび、白鴎絹を裂くが如く悲鳴して、行きし時には似ぬシケ模様に、船は一上一下さながら白楊の葉の風にひるがへるが如く、船室は忽ちに嘔吐の声氛氳として満ち、到底読書の興に安んじがたく、乃ちこの古帽と共に甲板に出れば、細雨蕭条として横さまに痩頬を打ち、心頭凛として景物皆悲壮、船首に立ち、帆綱を握つて身を支へ、眦を決して顧睥するに、万畳の波丘突如として無間の淵谷と成り、船幽界に入らむとして又忽ちに雲濤に乗ぜんとす。右に日本海左に太平洋、一望劫風の極まる所、満目たゞ之れ白浪の戦叫充ち、暗潮の矢の如きを見る。洪濛たる海気三寸の胸に入りて、一心見る〳〵四劫に溢れ、溢れて無限の戦の海を包まんとすれば、舷に砕くるの巨濤迸しつて急霰の如く我と古帽とに凛烈の気を浴びせかけたる事もありき。三週の北遊終つて、秋を兼ぬるの別意涙に故山の樹葉を染め、更に飄として金風一路南へ都門に入りぬ。古帽故郷に入つて喜びしや否や。弥生ヶ岡の一週、駿河台の三週、牛門の六閲月、我が一身の怱忙を極めたる如く、この古帽も亦旦暮街塵に馳駆して、我病める日の外には殆んど一日も休らふ事能はざりき。その多端なりし生活は今遽かに書き尽すべくもあらず。蓋しこの古帽先生も亦、得意と失意との聯鎖の上に一歩一歩を進めて、内に満懐の不平と野心と、思郷病と、屈しがたき傲慢とを包んで、而して外は人並に戯れもし、笑ひもしつゝ、或時は陋巷月を踏んで惆悵として咨嗟し、或時は高楼酒を呼んで家国の老雄と縦談横議し、又時に詩室塵を払ふて清興茶話、夜の明けなむとするをも忘れ、而して又、四時生活の条件と苦闘して、匇々半余歳、塵臭漸やく脱し難からむとするに至つて、乃ち突如として帰去来を賦しぬ。飄々たる天地の一沙鴎かくて双翼思を孕んで一路北に飛び、広瀬河畔に吟行する十日、神威犯しがたき故苑の山河に見えんがために先づ宮城野の青嵐に埃痕を吹き掃はせて、かくて、嵐の海をたゞよひ来し破船の見覚えある岸の陸に入るが如く、我見の櫂を折り、虚栄の帆を下して、何はともあれ、心のほほゑみ秘めもあへず、静かにこの四畳半に入りて閑天地を求め得ぬ。我は古き畳の上に、忠勤なる古帽は煤びし壁の上に、各々かくて人生の怱忙を暫しのがれて、胸の波さへ穏やかなる安心の蓮台に休らふを得るに至れる也。我は今静かに彼を壁上に仰いで、実に廻燈籠の如き無限の感慨にうたれざるをえず。世の人若し来つて、我等は理想の妻として如何なるものか撰むべき、と問ふものあらば、我立所に答へて云はむ、其標準たるべきもの此四畳半に二あり、一は乃ちこの古帽なり。彼は実に他の一の標準とすべきものゝ如く、誠心にして忠実、我と如何なる運命をも共にして毫も倦まず撓まざるの熱愛を有すればなり、と。 (十七) 我が四畳半 (八)  諸君よ、我が四畳半は実に斯くの如くなりき、なりき? 然り、幸か不幸か、我は今この『四畳半』の稿未だ了らざるに、はしなくもなりきと云ふ過去の語を用ゐざるべからざるの運命を有せり。我は昨日、その四畳半を去つて、一家と共にこゝの中津川の水の音涼しくも終夜枕にひびく新居に移りぬ。あゝ夢の如くも楽しく穏かなりしそこの三週日よ。それはた今や、我と我が古帽との歴史に、一ヶの美しき過去として残さるゝに過ぎずなれり。  かの室にて、日毎に心耳を澄まして聞くをえしヴアイオリンは、この新居にても亦聞きえざるにあらず。我が書きたるものに振仮名を附くる事と、日毎の新聞より『閑天地』切り抜くを勤めなりけるその人も、亦今我と共にこゝにあり。老いたる二柱の慈親も小さき一人の妹も、いと健やかにて我と共に移りぬ。剰さへ今迄の住居に比べて、こゝは蚊も少なく、余りに喧しかりし蛙の声もなく、畳も襖も障紙も壁も皆新しくて、庭には二百年も経ぬらしと思はるゝ伽羅の樹あり。薔薇も咲き、紫陽花も咲き、嘈々たる川の音絶えざれば、風さへいと涼けきに、人々も我も居心地こよなく好しと喜び合ひはすれど、しかも我が胸の何処かに猶かくれたる一の心ありて、念々として、かのむさくるしかりし四畳半を追慕しやまず。かしこにて、腹や傷めむと叱らるゝ老母の目を盗んでは、潜かに庭の青梅竿に落して心を洗ふ様なる其味を賞せし事は叶はずなりたれど、わが幸福の増しこそはすれ。心の富の貧しくなりたるにあらぬを、など斯くは我が心かの陋巷の窮居を慕ふや。  蓋し過去は常に人に追慕さる。過去はこの世に於て最も己を知る者也。過去を慕ふの情は、やがて自己──最も親しくして然も其真面目を知る事最も難き自己──の後に曳ける影によつて現在、また未来に繋がるゝ自己の面影を認めむとするの情也。  かくて追懐は、慰藉を生み、教訓を生み、力を生み、生命を生み、遂に吾人の一生を作る向上の努力を生まずんばあらず。『今般帷子小路の四畳半より加賀野川原町四番戸に転居仕候』と云ふ知人への知らせの端書に何の事はなけれど、然もこの表面は何の事もなき変化が、やがて人生と云ふ大走馬燈の一齣々々を成し行くものなるを思へば、我は実に其変化の内容に重大の意義あり、活動あり、目的あるの事実を驚嘆し、顧慮せずんばあらず。人やゝもすれば、人生を夢幻と云ひ、空華と云ふ、一念茲に至れば、空華の根柢に充実せる内容あり、夢幻の遷転影裡猶且つ煢然たる永久の覚醒あり。吾人の心一度この隠れたるの声に触るゝや、乃ち襟を正し、粛然又森然として『歴史の意義』の尊厳に打たる。人はこの刹那に於て、夢幻空華の生活より一躍直ちに真人の力と生命とを孕み来る也。あゝ人生は最大の事実也。醒めたるが上にも醒めしめよ。充実せるが上にも更に其内容を充実せしめよ。年少なる我は今、斯くの如く信じ、斯くの如く勇んで、我が未来の遼遠なるに鼓舞し雀躍す。而して将にこの稿を了らむとするに当り、僅か三週の間なりしとは云へ、我が半生に於ける最大の安慰と幸福とを与へたりしかの陋苦しき四畳半が、この追懐によりて今また重大なる経験と智慧と勇気とを恵んで惜まざるに感謝し、同時に、我が生涯をして停滞せしむる事なく、さながら最良なる教師の如く、常に刺激と興奮の動機を与へて倦まざるの天に謝す。かくて我は、我が家の貧と、我が心の富に於て、独り自ら帝王の如く尊大なる也。(此稿終り) (十八) 霊ある者は霊に感応す 『不思議の事も候ふものかな、小生が大兄の夢に入り候ふ前、一日小生咯血の事あり、今日やう〳〵此筆を執る位に相成候。一種の霊的感応と存候。青葉が中に埋もれ玉へる御境涯を想ひやりては、小生も何となう青嵐に胸吹き払はるゝ心地いたし候。云々』  これ我が杜陵に入りて間もなく、一夜暁近き小枕の夢に、京に病める畏友綱島梁川君と語ると見て覚めける日、心何となく落ちつかぬを覚えて、匇々一葉の端書に病状を問ひたるものに答へたる同氏の美しき墨色の冒頭一節なり。  あゝ、一種の霊的感応乎。読者よ、読者は如何の心を以てかこの一語を読める。世界を挙げて生命なき物質の集団たる今の時、人は蓋しこの語を以て無意義なる妄想幻視の類となさむ。然れども読者よ、我は実に読んでこの一語に至り、何者か一閃氷の如き鋭斧に胸をうたれたる如く、慄然襟を正して暫らく熱祈黙祷に沈まざるを得ざりき。あゝ世には不思議なる事もあるものかな。然もこの不思議や、静かに考へ来れば、遂に不思議にあらず、幻怪にあらず、況んや無意義の妄想幻想をや。我等はこの不思議を不思議とする世の人の心を以て却つて不思議なりと云はむ。読者よ、これ実に我等の生活の最も意義ある現示、この世の隠れたる源の泉より湧き出づる奥秘の声なるぞかし。  夫れ霊あるものは霊に感応す。我嘗て、人性に第一我(物我、肉我)と第二我(神我、霊我、本来我)あるの論を立して、霊肉の抱合もしくは分離争鬩より来る人生の諸有奇蹟を解釈し、一日姉崎博士と会して之を問ふ。博士曰く、第一と云ひ第二と云ふ等級的差別を劃せんよりは、寧ろ如かんや、意識以下の我、及び意識以上の我と呼ぶの、用語に於て妥当なるに、と。然り、第一第二の別はたゞ我が弁説の上に煩なきの故を以てしか称呼したるのみ。人は仮令へば樹木の如し。其幹や枝や、見て以て直ちに意識するを得るものは乃ち意識以下の我也、第一我也、肉我也、物我也、差別我也。吾人の霊性の、飄として捉へがたく、杳として目覩しがたきものは、其樹木の根の如し。根は隠れて見えず、見えざれども在り、何処に在るや、地中にあり。それ地球は一ありて二なし。乃ち唯一の地心は万木の生命の根ざす所、千態万容の世界の樹木は、其姿こそ各々異なれ、皆同一の生命を営なみつゝある也。人間も亦実に然り。其意識以上の我は深く宇宙の中心に根ざせり。神と云ひ、仏と云ひ、根本意識と云ふ者皆之也。人は顔容に於て、思想に於て、性格に於て各々異なれども、一度其霊性の天地に入るや、俄然として茲に無我の境に達す。無我は畢竟超越也、解脱也。小我乃ち物我を没して大我乃ち神我に合一する也。遂に自己の死滅にあらず。あらゆる差別、時間、空間を遊離して、永遠無窮の宇宙大に発展する也。  碧巌録に、泥牛海に入つて消息なし、と云ふもの、乃ちこの境の妙諦を教へて実に遺憾なし。あゝ泥牛海に入つて消息なし、しかも其消息や宇宙に遍満せる也。既に宇宙に遍満す、万人の霊我、神明の懐に入つて何の差別なく距離なく、完たく無量無辺四劫に亘るの天寿を呼吸して合一す。故にその生命や共通也。故に又互に交通し、感孚し、応報す。茲に至つて人生の大音楽はその最高調に上り、思議すべからざるの神秘は明々たる白日の奇蹟として現はる。究理の利剣もその刃脆くも地にこぼれ、科学の斧も其力を揮ふに由なく、たゞ詩と信仰のみ最大の権威を以て天啓の如く世界を司配す。  あゝ霊ある者は霊に感応す。我はこの一語によつて血を吐くの熱考を読者に要求するの権威あり。読者以て如何となすや。 (十九) 病と貧と  ギリシヤの昔、一哲人あり。蓬頭垢面、襤褸を身に包み、妻子なく、家産なく、たゞ一ヶの大桶をコロガシ歩いて、飄遊風の如く、其処の花蔭、此処の樹下と、一夜一夜の宿りも定まらず。覚めて桶の中に坐りて背を日向に曝らし、夕さりくれば又其桶の中に衾もなく安寝し、瞑想幽思、ひとり孤境の閑寂を楽んで何の求むる所なく、烟霞をこそ喰はね、その生活淡々として実に神仙に似たり。時の大帝アレキサンドル、この桶中哲人を思慕する事甚だ深く、一日彼を緑したゝる月桂樹の下蔭に訪ふや、暖かき日光を浴びて桶中に胡坐し、彼は正に其襤褸を取りひろげて半風子を指端に捻りつゝありき。大帝其前に立ち、辞を卑うして云ふやう、我が尊敬する哲人よ、君若し何等か欲する所あらば、願くは我に言へよかし。若しこの世界にて叶ふものならば、我は如何なるものと雖ども必ず君のために速かに調へむ、と。哲人暫らくして漸やく懶げに答ふらく、我にたゞ一の願あり。乞ふらくは其処を立ち去りて我に暖かき日光を遮る勿れ、と。茲に於てか、征馬鉄蹄に世界を蹂躪し、大名長く青史を照せる一世の雄傑アレキサンドルも、遂に一語の発すべきなく、静かに跼いて彼の垢づける手を把り、慇懃に其無礼を謝したりと云ふ。この一話、操觚者流の寓意譚にあらず、永く西欧の史籍に載りて人の能く伝唱する所、唯これ一片の逸話に過ぎずと雖ども、然も吾人に誨ふる事甚だ深しとなす。夫れ貧困は現世の不幸の尤なる者也。然もこの不幸や遂に現世の不幸たるに留まる。不幸は不幸なりと雖ども、既に現世を超越せる者に取りては畢竟何の痛痒をも感ずる者にあらざる也。かの桶中の哲人の如きは、蓋しそれこの世界が生みたる最も尊貴なる人間の一人たるなからむや。彼は其一ヶの木桶の外に何物をも有する勿りき。彼の貧困は云ふ迄もなくその極度にありき。然もかれはこの物質上の貧困によつて却つて現世の念慾を絶つを得、瞑思一徹、心に無限の富を得るに至つて、彼や、人の悶々措く能はざる極貧の境涯に淡然として安住するを得るに至れり。かくて彼が世界の大帝王に希求する所は、たゞ其暖かき日光を遮るなからむ事のみなりき。彼は運命を戦へり、戦つて而して運命を超越せり。彼が五尺の痩躯は陋なき木桶の中にあり乍ら、然も彼の心は飄悠として宇宙に高遊せり。貧困は彼に於て最良の、而して又最愛の友なりき。彼はこの最愛者によつて一念悟達するの尊とき所縁を得たる也。 (二十) 病と貧と (続)  噫、貧困は実に天才を護育するの揺籃なりき。敬虔なる真理の帰依者スピノザも亦斯くの如くなりき。彼は眼鏡磨臼をひいて一生を洗ふが如き赤貧のうちに、静かに自由の思索に耽れり。詩人ウオルズウオルスも、亦ライダルの賤が家に愛妹ドロセヤと共に見るかげもなき生活を営みて、然も安らかに己が天職に奮進したりき。シルレル、若うして一友と共に潜かに郷関を脱走するや、途中一片の銅銭もなく一ヶのパンもなく飢と労れに如何ともすることなく人里遠き林中に倒れむとしたり。ゴールドスミスは一管の笛を帯びて、洽ねく天下を放浪したり。我がリヒヤード・ワグネルも亦、愛妻ミンナと愛犬ルツスを率ゐ、飄然として祖国を去つて巴里に入るや、淋しき冷たき陋巷の客舎にありて具さに衣食の為めに労苦を嘗めぬ。而して彼が従来の歌劇を捨て、其の芸術綜合の信念と目的とを表現したる初めての獅子吼『タンホイゼル』は、実にこの惨憺たる悲境に於て、彼の頭脳に胚胎したりし者なる也。例を現代に取るも、人の普く知る如くマキシム・ゴルキーは、露国最下の賤民たる放浪の徒たりき。白耳義のマルビキユーリ、銷麗の文才を抱いて然も一家の生計を支ふる能はず、ひとり片田舎に隠れて其驚異すべき処女作小説を脱稿するや、之を都に残せるその妻に送らむがために、彼は実に郵税先払を以てせざるを得ざりき。米国の一文人嘗て驚嘆して曰く、あゝ我が国の丸木小屋は夫れ大人物を出すの揺籃か、と。然り、彼の英傑ガーフイルドも亦、狼の声さへ聞ゆる林中のさゝやかなる丸木小屋に育ちたりし也。あゝ大人物と丸木小屋乎! 偉人と貧困の親善なる何ぞそれ斯くの如きや。這般の実例をつまびらかに叙せんとせば、我は実にこの『閑天地』を百千回するも猶且つ足らざる者あらむ。(未完) (二十一) 十一夜会の記  陰暦水無月の十一夜、月いと美しき夜なりき。夕方たづね来し花京君の主唱にて、一燈光あざやかなる下、字を結び、興を探りて、互に吟腸を披瀝しぬ。あつまれるは残紅、花京、せつ子、みつ子、啄木の五人。八時頃より初めて、詠出、互撰、評語、終れるは子の刻も過ぎつる頃と覚ゆ。中津川の水嵩減りたる此頃、木の間伝ひの水の声たえ〴〵なれど、程近き水車の響、秋めいたる虫の音を織りまぜて、灯影ほのめく庭の紫陽花の風情の云ひがたきなど、珍らしく心地すぐれたる夜なりき。人界に降ること稀なる歌苑の神も、この夜のみは、いといつくしく我が草堂に宿りつらめ、と。後にて人と語り興じぬ。  字を結んで、五人二題づゝ、あはせて十題を得たり。月の影、川風、思、画堂、青潮、水の音、初夏、中津川、ほたる、杜鵑……これはと思ふ心地よき題もなきに、我まづ聊かひるみたれど、稚なきものも交れる今宵なればと、人々心したりと見ゆ。  筆噛みてあからめもせず燈火うちまもるあり。黙然として団扇の房をまさぐるあり。白扇ばたつかせて、今宵の蚊のせはしさよと呟やくあり。胡栗餅頬ばりて、この方が歌よりうまいと云ふあり。兎角するうちに半紙八つ切りの料の紙、小さく折られたるが雲形塗のお盆の上に堆たかくなりぬ。  人々手をわけて浄書すみぬれば、五つ輪の円座、居ずまひ直して、総数四十幾首より各々好める歌ぶり十首許り撰み入るゝなり。朗唱の役は我、煙草に舌荒れて声思ふやうに出ず。節づけ拙けれど、人々の真面目に聴きいる様は、世の大方の人が、信ぜぬ乍らも己が厄運にかゝはる卜をばいと心こめてきくにも似たり。  読み上ぐる毎に、作者名のり出る規定なり。その咏風に大方は誰と知らるゝが多かれど、時に予想外なるがありて、こは君なりしかとうち驚かる。杜鵑の歌に 鏽斧に樹をきる如きひゞきして人を死ねよと鳴くほとゝぎす(花京) 狂ひ女が万古の暗に高空の悲哀よぶとか啼く杜鵑(残紅)  前の歌の才気めざましきはさもある事乍ら、人を死ねよのわざとらしきは、後の歌の、句様は余り有難からねど、よく杜鵑の意に叶ひたるには兄たる能はずやと云はむ。さはれ我が 舟がゝりほとゝぎす待つ夜の江や帆もつくろひぬ篝の影に  の窮したるには、もとより同列にあげつらふべくもあらじ。月の影の歌に 幽り宮月のかげせしひと夜ゆゑ恋ひつゝわびぬこの年頃を(残紅) 苑古き木の間に立てる石馬の脊とわが肩の月の影かな(啄木)  の二首撰に入りたれど、幽宮の幽趣たとしへもなき調、月光ほのかに心に沁みわたるにも似て、この君ならではと思はるゝ優しさ、桂の枝に背うちまゐらせむのたはぶれも、ゆめねたみ心にはあらずと知り玉へかし。(つゞく) [「岩手日報」明治三十八年六月九、十、十一、十三、十四、十五、十六、十七、二十、二十一、二十二、二十三、二十四、二十五、二十七、二十八、二十九、三十、七月六、七、十八日] 底本:「石川啄木全集 第四巻 評論・感想」筑摩書房    1980(昭和55)年3月10日初版第1刷発行    1982(昭和57)年11月30日初版第3刷発行 初出:「岩手日報」    1905(明治38)年6月9日~11日、13日~17日、20日~25日、27日~30日、7月6日、7日、18日 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※「蹂躙」と「蹂躪」の混在は、底本通りです。 入力:林 幸雄 校正:阿部哲也 2012年10月31日作成 2019年5月13日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。