四五ニズム述懐 原民喜 Guide 扉 本文 目 次 四五ニズム述懐  四五ニズムも今では想ひ出になってしまったが、ああ云ったものは何時の時代にも何処かで存在してゐるのではないかと僕には思はれる。それで四五ニズムに就いて少し改めてメモを作ってみる。  まづ四五ニズムの語義から明かにすべきだが、これは四五人のグループに於いて自づから相互間に発生した風習又は雰囲気とでも呼ぶべきものだらう。ただし、四五ニズムと云ふ言葉が出来た頃は既に四五ニズムは衰微しかけてゐた。四五ニズムの語源は勿論、四五人会と云ふ言葉から出た。ところで、四五人会と云ふのは四人だか五人だかはっきりしないグループで、時折、四五人会雑誌と称する勝手な回覧雑誌を発行してゐた。その雑誌も第十何号か続いたのだが、今は全部散佚し、紛失してしまって、僕は知らない。  何しろ当時はみんな二十三四の学生で、胎蕩たるものがあった。例をあげるとかう云ふ事がある。僕は三田の下宿でスウェデンボルグを読みかかった。或る夜夢のなかで天馬の呼び声がしたので目が覚めると、枕辺には彼の幻影が遠のいて行くのだ。それ故、僕は天馬と逢ふと早速云った、「君の大恋愛も大変なことになったね、君の霊魂は昨夜夜なかに巣鴨を抜け出して、横浜の女学校の方へ赴いた形跡があるよ。そしてどうも君は帰りに田町駅で途中下車して僕のところへ来たらしい。僕が夢から覚めた時、全く君は悄然とした姿で消えて行ったからね。」この話は早速天馬から月狂へ、月狂から吉士へ伝はって、吉士は僕の荒唐無稽さを鬼の首を獲った如く欣び勇んだ。  吉士、月狂、天馬と僕との四人が集まって句会でもやる時にはきまって誰か一人が遅れるか欠席した。すると、そいつの悪口が絶えず話題にのぼった。句会がはねて、喫茶店でお茶でも飲んで、その次はさてどうするかと云ふことになると、皆で二三十分も迷った。即ち催眠術にかかってしまふのであった。  吉士と僕とはよく四国町の小路をぐるぐる歩いた。「君は肺病になるぞ。」「君こそ今に喀血するよ。」「ぢゃあ三十までに血を吐いた方が百円出すことにしようか。」「しかし妙なものだね、僕は割に死なないよ、第一頭が余計な心配しなくたって、身体は疲れたら睡るし、だるけりゃ動かないし、自然にうまく調節してくれるので、つい感心してしまふ。」さう云ひながら二人は四つ角に来て、どちらへ行くべきか立留ったが、差当りいい智慧もなかった。そこで眼の前の看板の文字を数へてみて、奇数だったら左へ、偶数だったら右へ折れることにした。  月狂は酔ぱらって神楽坂の乞食に煙草の輪を吹きかけて、衆目を集めると、諸君、人間は無限に生きる必要はないのであります、と、「マクロホウロス家の秘法」の科白のうろ憶えを一くさり演説した後、やあ諸君、と嬉々として袂別するのであった。  蛾眉は田舎の方から時々消息文を送って来たが、蓄膿症はつらいとか、徽宗皇帝の絵がいいとか、美人に愛されたいとか、浮世の愚痴を織り混ぜてゐた。  一夜、僕は睡れないので、警句のつもりで作ったのをまだ少し憶えてゐる。「絶望はアジア大陸よりも大きい。」「大きな船に乗ったつもりで疑へ。」「意識的に睡れるか。」「不眠症のときの涙はいたい。」  吉士もよく不眠症になったとみえて、闇のなかで寝返りをすると骨がポキリと鳴る音や、窓の外の犬が首環の金具を揺らがす音を聴いて、何とまあ現身はかなしいものであるわいと云ふやうな文章を雑誌に掲げたことがある。  天馬はいろいろ説を為したがった。有学説──つまり人は学問が大切だと云ふ論旨だった。万葉調美人──焼き滅ぼさん何とか、と云ふ情熱を持った肥った女のことらしい。大恋愛──ゲエテの恋がそれである。宇宙的苦悩──人麿の歌にはそれが漲ってゐると云ふのだ。僕が宇宙的趣味ぢゃないかと云ったら、君は不真面目で語るに足らないと云はれた。  月狂は人間はつまり壁によりかかると云ふことをよく言った。喫茶店へ入っても大概の奴が無意識に壁の方へくっつくのがそれで、結局人間は何か安定感を絶えず求めてゐるのださうだ。又、彼はアルツイバーセフの小説に、蟹が死んだ人間の脳髄を鋏で捩取っては喰ってゐる描写を、無性に痛快がったりした。  四五人の間で頻繁に流通した言葉が可也あった。モモンガ、富士山のバカ。老境。女童。オルガニイズム。なまけ道具。Vitality──別にこれらは重要でないから註は省く。  四五ニズムによる表現法とは凡そ次の如きものを謂ふのである。  ○人間は牛や魚を食べて、難しさうな顔をしてゐるからをかしい。  ○亀は馬鹿さ、嘘だと思ふのなら芝公園の池で日向ぼっこしてゐるから見て来給へ。  ○ベートーヴェンよ、ボオドレエルよ、李太白よ、ニーチェよ、釈迦牟尼よ、マリアテレサよ、(と偉い人の名前をやたらに並べ)君は光だ、君は力だ、君は命だ、翼だ、軍艦だ、鯨だ。(などと結ぶ。)  四五ニズムと云ふのも矢張りもやもやっとした一つの壁だったのかも知れない。お互が顔を逢せば、忽ち暗黙裡にいろんなことを了解し合ったので、時々僕達こそ選ばれたる種族ではないかと自惚れた。そしてお互の対比と配合が見れどもあかぬ趣きを持ってゐたので、ほのぼのとしてそこの空気に浸ってゐることは誠に湯加減がよかった。  では何故、この四五ニズムが僕達の間から衰微して消滅したかと云ふに、それには種々の錯綜した事情もあったが、(ここで再び四五ニズムの表現を用ふれば。)つまり友情のマンネリズムに厭が来て、皆が恋愛に走り出したためである。そして今ではお互はちりぢりばらばらになって、おのがじし女房のかたはらで暮してゐるのである。 (追加)四五ニズムに季があるかと考へてみたら、どうも初冬の部に属するものらしい。下宿屋の四畳半で火鉢を囲んで四五人が鯛焼をかぢりながら猥雑なことを喋ったり、興じたり、嘆じてゐる光景は今にも初冬になると想ひ浮んで来る。吉士の句に、 四五人の話杜絶えし火鉢かな 底本:「普及版 原民喜全集第一巻」芳賀書店    1966(昭和41)年2月15日初版発行 入力:蒋龍 校正:伊藤時也 2013年2月4日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。