卵塔場の天女 泉鏡花 Guide 扉 本文 目 次 卵塔場の天女 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 十一 一  時雨に真青なのは蒼鬣魚の鰭である。形は小さいが、三十枚ばかりずつ幾山にも並べた、あの暗灰色の菱形の魚を、三角形に積んで、下積になったのは、軒下の石に藍を流して、上の方は、浜の砂をざらざらとそのままだから、海の底のピラミッドを影で覗く鮮さがある。この深秘らしい謎の魚を、事ともしない、魚屋は偉い。 「そら、持ってけ、持ってけ。賭博場のまじないだ。みを食えば暖か暖かだ。」  と雨垂に笠も被らないで、一山ずつ十銭の附木札にして、喚いている。  やっぱり綺麗なのは小鯛である。数は少いが、これも一山ずつにして、どの店にも夥多しい。二十銭というのを、はじめは一尾の値だろうと思うと、十ウあるいは十五だから、なりは小形でもお話になる。同じ勢をつけても、鯛の方はどうやら蒼鬣魚より売手が上品に見えるのも可笑い。どの店のも声を揃えて、 「活きとるぞ、活きとるぞウ。」  この魚市場に近い、本願寺別院─末寺と称える大道場へ、山から、里から、泊りがけに参詣する爺婆が、また土産にも買って帰るらしい。 「鯛だぞ、鯛だぞ、活きとるぞ、魚は塩とは限らんわい。醤油で、ほっかりと煮て喰わっせえ、頬ぺたが落こちる。──一ウ一ウ、二ア二アそら二十よ。」  何と生魚を、いきなり古新聞に引包んだのを、爺様は汚れた風呂敷に捲いて、茣蓙の上へ、首に掛けて、てくりてくりと行く。  甘鯛、いとより鯛、魴鮄の濡れて艶々したのに、青い魚が入交って、鱚も飴色が黄に目立つ。  大釜に湯気を濛々と、狭い巷に漲らせて、逞しい漢が向顱巻で踏はだかり、青竹の割箸の逞しいやつを使って、押立ちながら、二尺に余る大蟹の真赤に茹る処をほかほかと引上げ引上げ、畳一畳ほどの筵の台へ、見る間に堆く積む光景は、油地獄で、むかしキリシタンをゆでころばしたようには見えないで、黒奴が珊瑚畑に花を培う趣がある。──ここは雪国だ、あれへ、ちらちらと雪が掛ったら、真珠が降るように見えるだろう。 「七分じゃー八分じゃー一貫じゃー、そら、お篝じゃ、お祭じゃ、家も蔵も、持ってけ、背負ってけ。」  などと喚く。赫燿たる大蟹を篝火は分ったが、七分八分は値段ではない、肉の多少で、一貫はすなわち十分の意味だそうである。  菅笠脚絆で、笊に積んで、女の売るのは、小形のしおらしい蟹で、市の居つきが荷を張ったのではない。……浜から取立てを茹上げて持出すのだそうで、女護島の針刺といった形。 「こうばく蟹いらんかねえ、こうばく蟹買っとくなあ。」  こう言うのを、爪は白し紅白か。聞けば、その脚の細さ、みどころと云ってはいくらもない、腹に真紫の粒々の子が満ちて、甲を剥がすと、朱色の瑪瑙のごとき子がある。それが美味なのだという。(子をば食う蟹)か、と考えた。……女が売るだけにこれは不躾だった。香箱蟹だそうである。ことりと甲で蓋をしていかにも似ている。名の優しい香箱を売る姉さんだが、悪く値切ろうものなら泡のごとく毒を噴く。  びしゃびしゃ、茣蓙を着て並んで、砂つきの小鰯のぴかりと光るのを売る姉えも同じで、 「おほほだ、そんな値なら私が食う。」  と、横啣えにペロリと舐める。 「活きものだ。活きものだ。」  どこも魚市は気が強い。──私は見ていたが──妙なもので、ここで鯨を売ればといっても、山車に載せて裃で曳きもしまいし、あの、おいらんと渾名のある海豚を売ればといって、身を切って客に抱かせもしないであろうが、飯蛸なぞもそうである……栄螺、黄螺、生の馬刀貝などというと、張出した軒並を引込んで、異に薄暗い軒下の穴から、こう覗く。客も覗く。……  つま屋と名づくるのが、また不思議に貝蛸の小店に並んでいて、防風芹、生海苔、松露、菊の花弁。……この雨に樺色の合羽占地茸、一本占地茸。雨は次第に、大分寒い、山から小僧の千本占地茸、にょきりと大松茸は面白い。  私が傘を軒とすれすれに翳して彳んだ処は──こう言出すと、この真剣な話に、背後へ松茸を背負っているようで、巫山戯たらしく見えるから、念のために申して置くが、売もののそれ等は、市の中を──右へ左へ、肩擦れ、足の踏交る、狭い中を縫って歩行いた間に見たので、ちょうど立ったのは、乾物屋の軒下で、四辻をちょっと入った処だった。辻には──ふかし芋も売るから、その湯気と、烏賊を丸焼に醤油の芬々とした香を立てるのと、二条の煙が濃淡あい縺れて雨に靡く中を抜けて来た。 「御免なさいよ。──連が買ものをしてるのを待ってるんですから。」  私と袖を合わせて立った、橘八郎が、ついその番傘の下になる……蜆の剥身の茹ったのを笊に盛って踞っている親仁に言った。──どうも狭いので、傘の雫がほたほたと剥身に落ちて、親仁が苦い顔をして睨み上げたからである。  八郎はこの土地うまれで、十四五年久振りで、勤めのために帰郷する──私の方は京都へ行く用があった。そこで自然誘われて、雪国の都を見物のため、東京から信越線を掛けて大廻りをしたのであった。  当国へは昨夜ついた。  八郎の勤めというのも、その身の上も、私が説明をするより宿帳を見れば簡単に直ぐ分る。旅店で……どちらもはじめてだが、とにかく嚮導だから……女中が宿帳を持参すると、八郎はその職業という処へ──「能職。」と認めた。渠は能役者である。  戸籍の届出は、音曲教師だというから、その通りなり、何とか記しようがありそうな処を、ぶっきらぼうに、「能職。」──これに対して、私も一工夫したいようにも思ったが、年の割に頭も禿げているし、露出に──学校教授、槙村と名刺で済ました。  霜月、もみじの好季節に、年一回の催能、当流第一人のお役者が本舞台からの乗込みである。ここにいささかなりとも、その出迎えの模様、対手方と挨拶の一順はあるべきだけれど、実は記すべき事がない。──仔細は別にあるとして、私の連立った橘八郎は、能楽家、音曲教師、役者などというよりも、実に「能職」の方が相応しい。  紋着、羽織、儀式一通りは旅店のトランクに心得たろうが、先生、細い藍弁慶の着ものに、紺の無地博多を腰さがり、まさか三尺ではないが、縞唐桟の羽織を着て、色の浅黒い空脛を端折って──途中から降られたのだから仕方がない──好みではないが、薩摩下駄をびしゃびしゃと引摺って、番傘の雫を、剥身屋の親仁にあやまった処は、まったく、「家。」や、「師。」ではない、「職。」であろう。  東京では細君と二人ぐらしで──(私は謡や能で知己なのではない。)どうやらごく小人数の活計には困らないから、旅行をするのに一着外套を心得ていない事はない。  あの、ぼっと霧雨に包まれた山を背後に、向って、この辻へ入る時だ。…… 「魚市へ入るのに、外套で、ぞろりは変だ。」  と往来で釦をはずすと──(いま買ものをするのを待つと云った)──この男の従姉だという、雪国の雪で育った、色の抜けるほど白い、すっきりとした世話女房、町で老舗の紅屋の内儀……お悦という御新姐が、 「段々降って来るのに──勝手になさい。」  留めるのかと思うと、脱がして、ざっと折って、黒地の縞お召の袖に引掛けて取った。 「先生──」  ついでだから言うが、学校の教師だから、私を先生と──云う、私も時々、先生と云う。同じ事で……その紅屋のを、八郎が、「姉さん」と云うと、「兄さん。」と云う。「お悦さん。」と云うと「八さん。」と云う。従って、年も同じだと聞く。 「先生は土地のお客人だ。着ていらっしゃい。同じに脱ぐなんて串戯です、いや串戯じゃない。」  どうも、剥身屋の荷をかばうと、その唐桟の袖が雨垂に濡れる。私は外套で入交って、傘をたたんだ。 二  時に、辻を向うに、泥脚と脛の、びしょびしょ雨の細流に杭の乱るるがごとき中へ、刎も上げない褄をきれいに、しっとりした友染を、東京下りの吾妻下駄の素足に捌いたのが、ちらちらと交るを見ると、人を別けた傘を斜めに、撫肩で、櫛巻の凜とした細面の見えたのは、紅屋の内儀で。年は八郎とおなじだが、五つ六つ若く見える処へ、女の一生に、四五度、うつくしい盛があるという、あの透通るような顔に、左の眉から額にかけて、影のようだが疵のあとが幽にある。  この婦人を、私は八さんに囁いて、密に「三傘夫人。」と称えた。別儀ではない。──今朝、旅籠屋で、朝酒を一銚子で、ちと勢のついた処へ、内儀が速に訪ねて来て、土地子の立役者はありながら、遠来の客をもてなしのそのお悦の案内で、町の最も高台だという公園へ、錦葉を観に出掛けた。北国の習であろう、大池の橋を渡って、真紅に色を染めた桜の葉の中に、細滝を見て通る頃から、ぽつりと雨が掛った。すぐに晴れようと、ロハ台に腰を掛けた、が、その上に蔽い掛った紅楓の大木の美しさ。色は面を染めて、影が袖に透る……霽れるどころか、次第に冷い雨脚から、三人を包んで、雫も落さない。そこで小学校の生徒たちの二列を造って、弁当を持扱いながら坂を下りに帰るのを視たが、今日は、思掛けない雨だったものと見える。その他、遊びの人たちも、慌しくはないが散り散りの中へ交って……御休所と油障子に大きく書いたのを、背中へ背負って、緋めれんすの蹴出しで島田髷の娘が、すたすたと、向うの吹上げの池を廻る処を、お悦が小走りに衝と追って、四阿屋がかりの茶屋の軒下に立つと、しばらくして蛇の目を一本。「もうけ損って不機嫌な処だから、少し手間が取れました。」この外交家だから、二本目は、公園の坂の出口を行越した町で、煙草を買って借りたなどはものの数でもない。三本目に至って、私たちを驚かした。それは十町ばかりも邸町を歩行いて出た大川端の、寂しいしもた家だったが、「私、私は、私は(何とか)町の、竹谷の姪の娘が嫁に来たうちの、縁者の甥に当るものの母親です。」談ずるのが、戸外に待っている私たちに強く響いて、ひそかに冷汗になっていた処──「むふん。」と笑いながら出て来て、ばりばりと油の乾いた蛇目傘を開いた。トンと轆轤を切って、外套両名、相合傘でいた私に寄越して「ちょっと骨が折れました、遠い引掛りなんですがね……聾で中風症のお婆さんが一人留守をしているんだもの、驚きましたわ。」「驚いた。」と八さんが言うから、私も「驚きましたなあ。」「だってね、ようやっと談判が調った処で、お婆さん、腰が立たないんでしょう。私が納屋へ入って掻まわして持って来たんですのさ。」「肩がきがつくぜ、まるで昼鳶だ。」と八さんが言うと、つんと横を向いたが、たちまち白い手で袖下を掬って、「ウシ、ウシ、ウシウシ。」もののたとえにさえ云う……枯柳の川端を、のそのそと来た野良犬を、何と、佐川田喜六の蛙以上に可恐しがる、能職三十九歳の男に「ウシ、ウシ」と嗾掛けると、「不可い姉さん。」と云う下から、田舎の犬は正直で、ウウと吠掛ったから、八さんは、ワッと云って遁げ出すと、追掛けようとする野良を傘でばッさり留めて、橋袂の榎に打つかりそうな八さんを、「馬鹿だわねえ。……大きな態をして。……先生、おつきあい遊ばすのに、貴方、さぞお骨が折れましょう。」その凜とした眉が、雨に霞むように優しかった……  いまその三傘夫人の姿が見えると、すぐ後へ引添って、袂をすれすれに大鮒が一匹、脊筋を飜して、腹にきらきらと黄金の波を打って泳ぐのが見えた。見事な鮒よ、ぴちぴちと躍って、宙に雨脚を刎ねるようである。それは腰蓑で、笠を被った、草鞋穿きの大年増が、笊に上げたのを提げて、追縋った──実は、今しがた……そこに一群、鰻、鯰、鰌、穴子などの店のごちゃごちゃした中に、鮒を活かした盤台の前へ立停まって、三傘夫人が、その大きいのを、と指さすと、ばちゃんと刎上るのを、大年増が掌に掬った時は、尾が二の腕に余って、私は鯉だとばかり思った。 「こんなのは珍らしゅうござんすぞね、奥さん、乳の出る事は鯉のようなものではのうてね、これ第一や。今夜から、流れて走るぞね。」 「質屋が駆落をしやしまいし。」  大潟で漁る名物だ、と八郎が私に云った。 「幾干なの。」 「さあ、掛値は言わんぞね。これで……さあ──」  この掛値がまた名物だ──と八郎は話しながら、鮒は重なって泳いでいても、人ごみに傘の雨が灌ぐから、値の押合の間を、しばらく乾物屋の軒へ引込んだのであった。が、よくは分らないけれども、俳人凡兆の句の──呼返す鮒売見えぬ霰かな──の風情がある。  が、これは時雨で……買う人の姿も水際立って、そうして、反対に──一旦、値がかけ違って、内儀が足を抜いたあとを、鮒売の方が呼返して追って来たらしい。  お悦は目ばやく私たちを見て、莞爾して、軽く手で招いた。  値が出来たのである。 「お邪魔をしました。」  八郎が剥身屋の親仁に軽く会釈をしたが、その語気は、故郷人に対する親みぶりか、かえって他人がましい行儀だてだか、分らないうちに、庇を離れて、辻で人ごみを出る内儀と一所になった。手に提げた籠の笹の葉の中から金光が閃めいた。 「姉さん、黄螺を買って下さい、黄螺を。」と八郎が云った。 「何にするの?」 「まさか独楽にしやしない、食べるんだね。やあ久いもんだなあ。」  旅店を出がけに西洋剃刀を当てた頬を掌で中てた。 「東京にはこいつが少いかして、めったにお目に掛らないんです。いつか絵本を見るとね、灯を点した栄螺だの、兜を着た鯛だの、少し猥せつな蛸だのが居る中に、黄螺の女房といってね、くるくると巻いた裾を貝から長々と曳いて、青い衣服で脱出した円髷が乱れかかって、その癖、色白で、ふっくりとした中年増が描いてあったが、さも旨そうに見えたのさ。」 「可厭な兄さん。」 「いや、お客様に御馳走するのだよ。」 「御馳走ですな。」 「ちょっと……そのだらしのない年増の別嬪を十ウばかりお出しなさい。」  売手は希有な顔をした。が、言戦い無用なりと商売に勉強で、すぐ古新聞に、ごとごとと包んで出した。……この中に、だらしのない別嬪が居るのだそうである。  姿が好いからといって、糸より鯛。──東京の(若衆)に当る、土地では(小桜)……と云うらしいが浅葱桜で、萌黄に薄藍を流した鰤の若旦那。こう面白ずくに嵩にかかると、娘の目に友染切で、見るものが欲しくなる。  私も自分で値をつけて、大蟹に湯気を搦めて提げた。  占地茸を一籠、吸口の柚まで調えて……この轆轤を窄めた状の市の中を出ると、たちまち仰向けに傘を投げたように四辻が拡がって、往来の人々は骨の数ほど八方へ雨とともに流れ出す。目貫の町の電車の停留場がある。  ──ここは八郎と連立って、昨夜一度来て見覚えがあった、それは紅屋を訪ねたので。──訪ねてさて帰りには、お悦がちょうどこの辻まで送って来て、勝手働きのままだったから、玄関も廊下も晴がましい旅籠まで送り返すのを猶予って、ただ一夜──今日また直ぐ逢う──それさえ名残惜そうに、元気な婦に似ず、半纏の袖を、懐手で刎ねながら、姿は寂しく見送ったのであったが。──察しられる。……ところで、その昨夜の事について、ここで言いたい事が少しある。 三  例の「能職」を宿帳に名のると直ぐだった。 「先生……」  私に対して、八郎はその親しい呼び方をして、 「もう晩の九時です。すぐに一風呂浴びて、お膳で一銚子という、旅では肝心な処ですがね、少々御無理を願いたい事があるんです。──もうお互に年を取っているんですから、いささかたりとも御心配はありませんが、ここに私を待っていてくれる婦があるんです。──時々──貴方だからお話をした事がありますね、従姉なんですがね。……」  隔てない中だから、かねて、美人のその婦のために、魂に火を点じて、幽に生命を消さなかったと云うのを聞いた。真の性質は霜夜の幽霊のように沈んで寂しいのかも知れないのに、行為は極めて蓮葉で、真夏のごときは「おお暑い。」と云うと我が家に限らぬ、他家でもぐるぐる帯を解く。「暑い、暑い。」と腰紐を取る。「暑いんだもの。」とすらりと脱ぐ。その皓さは、雪よりもひき緊って、玉のようであった。お侠で、凜としているから、いささかも猥りがましい処がない。但しその白身で、八郎の古家で、薄暗い二階から、銀杏返で、肩で、脊筋で、半身で、白昼の町の人通りを覗きながら、心太や寒天を呼んだのはまだしも、その素裸で、屋根の物干へ立って、遥に公園で打揚げる昼花火を視ながら、八が心ばかりの七夕の竹に、短冊を結んだのには驚いた。その頃年紀わずかに十七八で、しかも既に二人の子の母であったのだという。  私は、早くその人を見たいと思った。誰も、この霜月の寒さに裸体になるものはない──見たいというのにいささかも遠慮はあるまい。 「御存じの不性ものだから、時々のたよりをするでもなし、先方も同然です。今度こちらへ来たのだって、前もって知らせてはないんですから、構いはしないようなものの、血は遠くってもたった一人の身寄だし……家は多人数で、他のものはどう思おうとも、従姉だけは、故郷へ帰れば、きっとその家で草鞋を脱ぐものと信じていてくれるんです。  そこで、御飯前にちょっと顔を見せて来たいんです、が、このまま寛いで少しの間待っていて下されば結構だし、御一所に願えればなお結構、第一汽車で国境の峠を抜けた時、これからが故郷ですと云うと、先生は何と言いました。あの大潟と海とが空に浮いて、目一杯に田畑の展けた果に、人家十万余のあるのを視て、(これは驚いた……かねて山また山の中と聞いたから、崖にごつごつと石を載せた屋根が累なっているのかと思ったら、割合に広い。……)とどうです。割合に広いは情ない。私は国自慢をした覚えはなし、自慢どころか一体嫌いなんだけれど、石屋根の家が崖にごつごつは酷いや。そいつを話して従姉から先生を怨ませたい。」  ──思出しても可笑い。 「望む処ですよ。」  そこで、黒い外套で、黒い中折帽で二人揃って、夜の町へ出たとなると、忍びで乗込んだようで、私には目新しい事も多いのであるが、旅さきの見聞を記すのがこの篇の目当ではない。  件の傘に開けた辻で──昨夕、その時電車を下りて、賑かな、町筋を歩行く。規模は小さくっても、電燈も店飾も、さすがに地方での都会であったが、ちょっと曲角が真暗で、灯一つ置かない夜店に、大な炭団のような梨の実と、火が少しおこり掛けたという柿を積んだ、脊の低い影のごとき媼さんが、ちょうど通りかかった時、生欠伸を一つして、「おお寒、寒、寒やの。……ありがとうござります。なまいだなまいだ。」と呟くのを聞いた。が、少なからず北国の十夜の霜と、親鸞の故跡の近さを思わせた。 「あれが、本願寺……」  と雲の低い、大な棟を指さしながら、 「御苦労様──この小路をちょっと曲るです。」  と言うかと思うと八郎が、 「おや……」  と立留まった、 「ここに、あの菓子屋、こっちが下駄屋と、あれが瀬戸物屋、茣蓙屋、合羽屋と、間違いッこはないんだがな、はてな、違ったかな。」  と少しばかり狼狽える。…… 「違いはしません、──紅屋はあすこですよ。」  と私が笑った。 「ですがね。」 「大丈夫……間違いはありません。紅屋です。」 「先生は、紅屋の鑑定家なのかなあ。まるで違ってる。これは細露地を一つ取違えた……」 「ははは、大丈夫。いらっしゃい。──あすこに紅屋の息子さんが坐っているから確なものです。」  読者も思掛けなかっただろうと思う……はじめての私が、八郎の故郷のしかも親類の家を認めたのは──およそ紅屋というものを、かつて京大阪の家造で心得ていたためではない。その息子というのが、一度上京して、八郎の家に居た処へ、私がちょっと行合わせて顔を知っていたからである。  八郎は肩を揺った。 「ああ、串戯じゃない──店ざらしの福助の置物という処が、硝子箱の菊慈童と早がわりをしているんだ。……これは驚いた。半蔀の枢戸が総硝子になって、土間に黄菊と白菊か。……大輪なのが獅子咲、くるい咲と、牡丹のように鉢植で。成程、あの菊の中から、本家、紅屋の軒看板が見えています、串戯じゃない。  第一、この角の黒渋赤渋の合羽屋が、雑貨店にかわって、京焼の糶売とは、何事です。さあ二貫、二貫、一貫五百は何事です。」  とそこに人立の前では、極りの悪いほどの高声で、 「さあ、おいでなさい、何にしろ驚いた。」 「……唯今、お迎いに出ます処で。……どうもね、小路の入口に、妙なお上りさんがお二人と思いましたよ。」  と前垂がけのその息子が莞爾々々する。店の人たちも三人一斉に礼をしたが、十鉢ばかり、その見事な菊を並べた、ほとんど菊の中に彳んで、ほたりと笑いながら同じく一礼した、十徳を着そうな、隠居頭の柔和な老人が見えた。これが主人である。内儀は家つきの一人娘で、その十四の時、年の三十ばかり違うのに添った、婿養子で、当時は店の御支配人だったそうである。 「変った、変った。」  と、八郎は見廻して、 「可恐しくハイカラになったなあ、ここはどこなんだろう。」 「小父さん、正に御親類の紅屋です、ははは。」 「いいえさ、この菊のある処だよ、土間が広くなってさっぱり分らないね、見当が。」 「菊のありますね、その下は台所の井戸ですよ。吃驚して、ははは。大丈夫、危険はありません。父が手造りでしてね、屋根で育てたんですが、少々得意でしてね、その枝の撓った、糸咲の大輪なんぞは、大分御自慢でしてね、人様に見せたいんだが、置どころが外にありませんから。」  老人はまたほたりと微笑んだ。息子に、今年の春、嫁が出来て、すっぱりと店を譲ったので、隠居仕事の気楽さに、永年の望みだったのを、今年はじめて苗から育てた、と言うのである。 「お楽みですな。」 「何の……あんた。」 「姉さんは?」  八郎は息子を見返った。 「……ええ、台所に──お、ちょっと。」 「いらっしゃいまし。」  すっと、そこへ、友染模様が浮出たと見ると、店口の敷居へ、結綿島田が突伏した。 「やあ、これは、これはどうも、……何分どうぞ、唯今、はじめまして、おめでとう。お正月のようだ。」  と八郎は一人で照れて、 「いずれ更めて御挨拶を──何は、……姉さんは、お母さんは、……お悦さんは?」  と、やや忙込んだように云った。私は、はじめからその心を察し得た。留守ではないか、私もちょっとさみしかった。そうして、店の隅なる釣棚の高い処に、出額で下睨みをしながら、きょとりと円い目をして、くすりと笑う……大な、古い、張子の福助を見た。色は兀げたが、活きているようで、──(先には店頭にあったのだと後で聞いた)──息子は好男子なのに、……八郎の言った福助の意味も分ったが、どこに居ても、真夜中には、ふッと抜けて、屋の棟へちょんと乗って、ここの一家を守りでもしそうで、且つ何となく、不気味だった。  その時である。 「こっち、こっち、ほほほ。」  と派手な声が、嫁さんの花簪の上を飛んで来た。  すぐに分った、店口を入る、茶の室と正面の階子壇の下に、炭火の赫と起った台十能を片手に、立っていたのがすなわち内儀で。……と見ると艶々したその櫛巻、古天井の薄暗さにも一点の煤を留めぬ色白さ。惜い事に裸身ではないが、不断着で着膨れていながら、頸脚が長くすらりとしていた。 「勝手が違ったね、……それでもここが可懐いや。」  と、八郎がすぐに長火鉢の前へ膝を支くと、 「そこは混雑するからさ──唯今御挨拶を──」  と私には言いながら、八の脱いだ外套と帽子を、置戸棚の傍へ押束ねざまに、片手業に火鉢にかかった湯気を噴く鉄瓶を提げて、すいと二階へ上って行く。  間早な事は、二階にもう鉄の火鉢に、郡内の座蒲団が二枚直してあった。 「ははあ、お火鉢の方は、先祖代々だけれど、──この蒲団は新規だな。床に和合神の掛ものと。」 「その菊は──お手製の、ただ匁と……」  と、眦の切れた目をちょっと細うして莞爾しながら、敷居際で町家風の行儀正しく、私が面喰ったほど、慇懃な挨拶。 「おお、障子が新しくなって、襖が替った、畳も入かわって──いや、天井の隙間まで紙が貼れました。あすこから、風が吹込んで、障子の破れから霰が飛込む、畳のけばが、枯尾花のように吹かれるのがお定りだったがな、まるで他家へ行ったようだ。」 「それでもやっぱり、私の内さ、兄さん……」  と颯と寂しい影がさしたが、 「兄さんが大好きで、そっちの物置の窓から、よく足をぶら下げて屋根を覗いた、石菖鉢の緋目高ね……」  と、唇か、瞼か。──手絡にも襟にも微塵もその色のない、ちらりと緋目高のような紅が、夜の霜に山茶花が一片溢れたようにその姿を掠めた。 「親代々、まだ続いて達者でいます。余りかわったかわったと云うんなら、あれを一つ御馳走してあげましょうか。娘の時、私の額の疵を、緋目高だと云ったお礼を兼ねてね。」 「串戯じゃあない……」  そこで旅籠屋に膳立の出来ている事を言って今夜の馳走を断った。 「ではそうなさい。近々に兄さんの来なさるッて事が此地の新聞に二三度続けて出ていましたからね、……五日ほど前に潟の鮒を取っておいたの。お汁の熱いのをと思ってさ。いれものが小さかったか、今朝はもう腹を見せたから、実は晩に皆で頂いてしまったの。……私は二人前、誰かの分とも。──嫁が笑いましたよ。」  と軽く、乳のあたりをたたきながら、 「……明後日が舞台ですってね。……じゃあ打合せやなにかで、宿で大勢待ってるんでしょうね。」 「大丈夫……」  と、なぜか八郎はぶっきら棒に、 「そんな事更になしだ。……宿の方は他人交ぜず……姉さん一所においでなさい。この槙村先生と二人きりです。勿論、幹事の方から宿も指して寄越したし、……これでも、こんな土地……違った……」  と胡坐を整然と直して、ここで十万軒が崖にごつごつをぶち開けたが、「そうでござんすとも、東京からいらしったんでは。」ために勢が挫けたそうで、また胡坐で、 「これでも人寄せの看板になるんですから、出迎やなんか、その支度もあったんだろうが、……そのくらいなら、先生を誘っちゃあ来ないんですよ。宿だって知らせやしません。──生意気を言うようだけれど、何のかのって、煩いから。……明後日──時間前にさえ楽屋へ行けば可いんです。──若干金か、旅費を出して、東京から私を呼ぶったって……この土地の人は、土地流の、土地能の、土地節の、土地謡の方が大した自慢でね、時々九段や、猿楽町……震災で焼けたけれど、本舞台へ来て見物したって、ふん、雁鴨の不忍池に、何が帆を掛けてじゃい、こっちは鯨の泳ぐ大潟の万石船じゃい──何のッて言う口です。今度だって、珍らしい処を見世ものの気で呼んだんだからね。……ただ遊びじゃあ旅銭旅籠銭の余裕はなし、久ぶりで姉さんの顔は見たし、いい幸に来たんだから、どうせ見世ものなら一人でも多く珍らしがらせに、真新しい処で、鏡の間から顔を出して、緋目高で泳いでれば可いんです。」  八郎は熱い茶を立続けに煽って言った。不思議に面に颯爽たる血が動いた。 「でもね、槙村さん、大諸侯の持もの御秘蔵というのが出るんですから、衣裳には立派なのがあります。──第一天人の面は、私どもの方でも有名なのだし、玉の簪、鬘、女飾髻、鬘帯、摺箔縫箔、後で着けます長絹なんぞも、私が小児のうち、一度博物館で陳列した事がありますがね、今でも目に着いています。全く三保の浦から松の枝ぐるみ霞に靉靆いて来たようでしたよ。……すぐわきの築山の池に、鶴が居たっけ、なあ……姉さん。……運動場で売っていた、ふかしたての饅頭が、うまそうで堪らなかったが、買えなかった。天人の前に、餓鬼が居りゃ世話はない。」  と云って苦笑しつつ、ほろりとした。  橘八郎は、故郷の初の舞台において、羽衣の一曲を勤めんとするのである。  話頭が転じた。──  何の機掛もなかったのに、お悦が、ふと…… 「……おひささん……」  とこう言い出したのが、私の耳を打った。 「……お久さんから便りがあったのでしょう、兄さん。」  私たちが、もう立構をした時で。  火鉢に中腰を浮かした膝が揺れて、八郎の顔がちょっと暗く見えた。沈んだ声で、 「……ありました、ありましたがね。」 「いいえね、……この春ごろでしたよ、ふいと店へ見えてね、兄さんの所番地はッて聞いたんですの。何でも十何年ぶりとかで、この土地へ帰って来ましたってね……永い間、北海道も、何とかッて、ずッと奥の炭坑の方に居たんですってさ。」 「僕は返事を出しません。」  と、やや白けて言う。 「そうですか。」 「で、どんな様子をして……いや、聞くまい、薄情らしくって、姉さんに恥かしい。」 「私は何とも思いはしません。」 「畑下ッてどんな処です。村かしら。」 「いいえ、町ですよ、ずッとはずれの方ですけれど、……じゃあ逢いませんか。」 「さあ、どうしようかと思って──槙村さん、聞かない振で居て下さいよ。」 「ちょっと、失礼しようかね。」  私は言った。 「飛んでもない、いずれ先生には更めてお話ししますがね──そこでだ、姉さん。」 「兄さん、構わないじゃありませんか、どっちだって、逢ったって……逢わなくッたって……」 「さあ、そのどっちだってで実は弱った。」  額をうつむけに手をあてた。 「今度来るにも、ずッと途中から気になっているんですよ。──新聞なんか見ようって柄じゃあないから、今度の事も知りやしますまい。湯屋、髪結所のうわさにだって、桜が咲いた歌舞伎の方と違って、能じゃあ松風の音ぐらいなものですからね。それとも聞き知って、いまここへ訪ねて来たって、居ないと言えば、それまでだし、……職業が職業だから、そこへ掛けては他人数で隔てが出来ます。楽屋口で断るのも仔細ないけれど、そうかって、実はね、逢いたくないことはないんですよ。」 「じゃお逢いなさいな、どうしてさ。」 「ところが眷属大人数です。第一亭主がありましょう。亭主から、亭主の兄弟、その甥だ、その姪だ、またその兄だ、娘だ、兄の児だ、弟の嫁だッて、うじゃうじゃしている……こっちが何ものだか職業も氏素性も分らなけりゃ、先方様も同然なんだから、何しろ、人の女房で見りゃ、その亭主に御承知を願わなけりゃならない……」 「それは、兄さん、仔細はないじゃありませんか。」 「さあ、ところがね、義理にも、お目に掛ろうなぞと来た日には──」  細君が何か言うと、 「可厭、可厭、可厭なんだよ、そんな奴に、」  とだだを捏ねるような語調と態度で、 「博徒でも破戸漢でも、喧嘩に対手は択ばないけれど、親類附合は大嫌いだ。」 「ああだもの。」 「いささか過激になったがね。……手紙の様子じゃあ、総領の娘というのが、此地で縁着いたそうだから、その新婦か、またその新郎なんのッてのが、悪く新聞でも読んでいて──(お風説はかねて)なぞと出て来られた日にゃ大変だ。」 「じゃあ、兄さんの、好きになさい。」  が、すこしも投出した様子はない。 「お久さんだけ、一人だけよ、一人だけなら逢っても可いんでしょう、どう?」 「さあ、そう、うまく行くか知らん。……内証で呼出したりなんかして、どんな三百代言が引搦まろうも知れないからね、此地は人気が悪いんだから。」 「分りました。」  ふきこぼれる鉄瓶をトンと下ろして、 「私に任せておおきなさい。」  翌朝──今朝は細君が、八時に旅店へ訪ねて来た。畳んだ風呂敷を持ったまま、 「兄さん、お久さんは家へ来ます。時間は極めておかないけれど。……」 「早業だなあ、町はずれだというのに、もう行って来たんですか、迅いこと、まるで女天狗だ。」  と口では言いつつ、八郎は自からその深切に頭を下げた。 「一人だけ……」  その黙って頷くのを視て、 「で、亭主は居なかったかね。」 「居ましたとも、居たって構やあしない。……逢いたくないものは逢いたくないんだから。」 「遣附けましたな、いや外交家だ。辣腕辣腕。」  と痩せた肩を突張りながら、 「他には、誰も……」 「その縁着いた娘さんが帰っていますよ。トラホームで弱ってるんですって。」  八郎はまた颯と眉を曇らせた。もっとも外へ出ると、もう、小川添の錦葉で晴れたが。  やがて公園の時雨となったのであった──  ところで……紅き、青き、また黄なる魚貝を手に手に、海豚が三頭、渋柿をぶら提げたような恰好で、傘の辻から紅屋の店へ入ったが、私は法然頭の老主人をはじめ、店に居る人たちの外に、別に、「いや、昨夜は──」とその店仕きりの暖簾を潜る時、隅の棚の、あの福助に思わず声を掛けようとしたのには、あとで自分でも妙な気がした。なぜというに、目をきょろりと出額の下から、扇子構で、会釈をしたように思ったからである。 「やあ、雪代さんか、」  と、八郎が声を掛けた優婉な婦が居て、菊の奥を台所口から入ったお悦の手から魚籠を受取った。……品のいい、おとなしづくりの束髪で、ほっそりした胸に紅い背負上がちらりと見えて、そのほかは羽織も小袖も、ただ夜の梅に雪がすらすらと掛ったような姿であった。──あとでも思ったが、その繕わない無雑作な起居の嫋々さもそうだが、歩行く時の腰の柔かに、こうまでなよなよと且つすんなりするのを、上手の踊のほかは余り見掛けない。引しまった、温かい、すっと長い白い脚が、そのまま霞を渡りつつ揺れるかと見える。同じくらいの若さの時、お悦の方は颯と脱いで雪が露われたのだし、これは衣を透通るのであろう。「雪代さん」聞いただけで、昨夜から八郎も言わなければ、あえて私も聞こうとはしなかった。その「お久さん。」とかいうのでない事は直ぐに知れた。雪代はお悦の娘で──主人は折から旅行中の、ある陸軍中佐の夫人だという。 「小父さん、いらっしゃい。」  八郎はずかずかと、 「よく、来たね。」 「ええ、私今日は、接待員よ、御珍客様の。」 「うむ、沢山あの先生にお酌をしてあげておくれ。──これで安心したよ。……やくざな小父さんなんぞと違って、先生だからね。学校出の令夫人だ、第一義理がある。何しろ、故郷は美人系だッてんで、無理に誘って来たんだけれど、まだ一向別嬪にお目にかからないので、申訳のなかった処なんだよ。お前さんの顔を見て、ほんとうに安心した。──いかがです、槙村先生。」 「串戯じゃあない、串戯ですよ。いやまったくです。」  そこで私は雪代さんの礼を受けた。  八郎は、すぐ前の台所へ出て、流に立ったお悦の背後から、肩越しに覗込んでいたが、 「来て御覧なさい槙村さん──この鮒は見ものですから。」  私はまだ馳走に呼ばれて台所を紹介された事がない。が、そんな心安だてより、鮒の見事だったのより、ちょっと話したいのは三傘夫人の効々しさで。……俎の上に目の下およそ一尺の鮮鱗、ばちばち飜るのに、襷も掛けない。……羽織を着たまま左の袖口に巻込んで、矢蔵の艸という形で、右に出刃を構えたが、清い目で凝と視ると、庖丁の峯を返してとんと魚頭を当てた、猿の一打、急所があるものと見える。片手おろしに鱗を両面にそいで、はじめて袖口から白い手を出して、腮を圧えて、ぎりりと腹を。 「雪代、雪代。」  その人も覗いて立った。 「水、水。」 「ほッ。」  と言う……姿に似ない掛声で、雪代は、ギイ、ギイ、キクン、カッタンと、古井戸に、白梅のちりかかる風情で、すんなりした、その肩も腰も靡かせる。 「ははあ、床下の鉄管で引いたんだね。」  もくもくもくと湧出す水で、真赤な血を洗いながら、 「嫁さん、嫁さん。」 「はい。」  と二竈の大鍋の下を焚つけていた、姉さんかぶりの結綿の花嫁が返事をすると、 「その大皿と、丼を──それ、嫁さん、そっちの戸棚。」  この可憐なのと、窈窕たると、二人を左右に従えて、血ぬった出刃の尖を垂直に落して、切身の目分量をした姉御は、腕まくりさえしないのに、当時の素裸の若い女を現実した。 「槙村さん、──そこに柿の樹がありましょう。」  八郎は流の窓から指して、 「あの一番上の枝に草鞋が一足ぶら下っていたんですよ。いつか私が来た時に、五月ですね。土地子だが気がつかなかった。どうしたんだって聞くと、裏の家へ背戸口から入った炭屋の穿かえたのが、雪が解けて、引掛ったんじゃあない……乗ってるんだって──」 「お目に掛けたいようですわ。」  と私に、雪代が言った。 「しかし、この土地も開けたよ。何しろ、お母さんが、嫁さんを呼ぶのに、姉さん姉さんは難有いよ。」  店で息子の声がして、姉さんかぶりをちょっとはずしながら出て行く、結綿の後姿を見ながら八郎が言うと、 「……お恒──じゃ兄さんのお気に入るまいと思ってね、いえ、不断も、もうずッと奉っています。……でも、時々……お恒──とやる事。……」  庖丁を一つ当って、 「何てったっけね、堅くさ、勿体らしくさ。」  雪代が微笑みながら、 「……なきにしもあらず……沢山よ、ほほほ。」 四 「さあさあ、追立を食わないうちに、君子は庖廚を遠ざかろう。お客様はそちらへ──ちょっとぼくは、ここの仏間というのへ御挨拶。」──  蔵前の違棚の前に、二人の唐縮緬友染の蒲団が設けてあったが、私と肩を別つようにして、八郎が階子段下の小間へ入った。大方そこで一拝に及んだのであろう。雪代の手から、私が茶を受け取った時であった。  仲仕切の暖簾に、人影が、そぼ降る雨に陰気に映すと、そこへ、額の抜上った、見上皺を深く刻んだ、頬のげっそりこけた、ばさばさ乾干びた、色の悪い婦の、それでも油でかためた銀杏返をちょきんと結んだのが尖って、鬱金木綿の筒袖の袖口を綿銘仙の下から覗かせた、炭を引掴んだような手を、突出した胸で拝むように組んで、肩を窄めながら、萌黄の綿てんの足袋で、畳を捜るように出て来た。その中仕切──本格子の板戸を隔てて立った首が、ちょうど棚の福助どのと合った時、失礼だが、私はその女房が化けたかと思った。  仏間の敷居へ、もっそりと膝を支くと、 「あんさん、」  と、べろりと赤爛れに充血した瞼で、凝と視上げた、その目がぽろりぽろりと、見る見る涙に塞がった。 「うむ、お久さんか。」  八郎の顔は、いま私からは見えなかったのである。 「お達者でねえ……」 「いや、一向どうも。」  掠れ声して、 「もう、いつか、いつかから、ほんに逢いたい逢いたいと思うて、どれだけ、何年になる事やら。」  と、言葉尻が泣声で切れて、ひょいと刎ねるように両袖で顔を隠した。何だか滑けたように見えつつも、私はひしと胸を打たれる。 「さあ、お当り。」  お悦がその中へ箱火鉢をどさんと置いて、 「ずっと中へお入んなさい。──ああ、ええ、分ってます。」  どうやら半分は、私に対して八郎が心づかいをしたのを呑込んだらしい口振だ、と思うと果せるかな、盆に、一銚子、で、雪代が絵姿のように、薄面影を暗い茶の間から、ほんのりと顕われて、 「先生、あの、ちょっとお一口。」 「これはどうも、」 「お酌は拙ですよ。旦那が気が利かないから、下戸の処へ、おまけにただ匁の妓なんですから。」  と、お悦は直ぐまた台所へ。  お久という人は、やっとその火鉢の縁へ、鬱金の袖口を引張って、 「……思ったより、あんさんは若いこと。」 「うむ、何、いやどうも何だ、さっぱりだ。」 「一度お逢いした時から、もう二十四年か五年になりますね。」 「そうかなあ。……何しろ、何が何だか分が解らないんだからな、お互に。」 「いつも、ほんに、おたよりをしたいしたいと思っても、私は自分では手紙がかけず、震災のあった時なんかも、遠い北海道の果に居て、どれほどお案じした事やら、それでも、まあ、御無事でねえ。」 「わずかに命のあるばかりさ。」 「それでも、まあお互に息災で居れば、こうやって顔を見られますぞね。ほんとうに逢いとうてねえ、何年も何年も毎晩夢に見ぬ事はないのです。その夢にかって、はっきりした顔は分らんほど遠々しゅうて、……この春も、やっとお処が知れて、たよりをしたけれど……」  と、くいしばったような涙になる。 「いや、御不沙汰をしたよ、」  また顔にあてた袂をはずして、 「それはお忙しい事は知れているけれど。」 「大して忙しい事もないんだがね。名も顔も知らない御亭主のある細君の許へは、うっかり返事は出せないよ。誰も別に悪戯をするとも思わないけれど、第一代筆だろう。きみだか何だか分りやしない。何人に断って、俺の妻と手紙の遣取をする。一応主人たるべきものに挨拶をしろ! 遣兼ねやしない……地方は煩いからな。」 「煩いぐらいで……こんなに私が思うているものを、それに、そんな、そんな内の人ではないのです。」 「そりゃ何より結構だ。……そうかい、いやに曲けてもいず、きみに邪慳でもないのだね。」 「ただ……困ってはいるけれどね、──何にしたかて、兄妹ですもの。」  私は酌をうけながら、ふと雪代の顔を見た。美しい人は頷くように一重瞼を寂しく伏せた。 「何だか、縁づいた総領の娘が、病気で帰っているんだって……」 「ええ、縁があって、一昨年十七で遣りましたがね、厄かねえ、秋のはじめから目を煩ろうて、ちょっと治らんもんですから、診てもらうと、トラホームやッて、……それでねえ。──あんさん煙管を貸してたあせ……今朝から御飯も欲しゅうない、気がせいてね、忘れて来た。」 「喫みたまえ。……そうだ、煙草を喫るんだっけな。」 「女だてらやけれど、工場で覚えました……十四の時から稼ぎに遣られてねえ。」 「その時分だっけな、一度ちょっと夢のように逢ったのは──」 「いんね、十七でいまの家へ一度縁づいたけれど、姑さんが余り非道で、厳しゅうて、身体に生疵が絶えんほどでね、とても辛抱がならいで、また糸繰の方へ遁げていた時でしたわ。」 「ああ、じゃあ、それからまた縒が戻った次第だな。」 「お腹に嬰児が居たもんでねえ、いろいろ考えては見たけれど、またお姑に苛められに……」 「で、子供たちは幾人だい。」 「えへ。」  と罅裂れたように、口許で寂しく笑って、 「十一人や。」 「産みやがったなあ! その身体で……」 「仕方がないもの。」 「御亭主は幾つだ。」 「六十五や。」 「恐るべく壮だなあ。」 「それでね、六人とられてしもうて、いま五人だけですがね、ほんにね、お産の苦みと、十月の悩みと、死んで行くものの介抱と、お葬式の涙ばかりで暮すぞね。……ほんにね、北海道に十六年居る間でも、一人を負ぶして、二人の手を曳いて、一人を前に歩行かせて、雪や氷の川端へ何度行った事やらね。因果と業や。私みたいに不幸なものはないぞね、藁の上から他人の手にかかって、それでもう八歳というのに、村の地主へ守児の奉公や。柿の樹の下や、廐の蔭で、日に何度泣いたやら。──それでもね、十ウの時、はじめて両親はあかの他人じゃ、赤子の時に村へ貰われて来た、と聞かされた時ほど、悲しかった事はなかったぞね。実の親の家に居れば、何が何でも、この兄さんの……妹や。」 「恐縮だよ。」 「実のねえ、両親の顔も声も知らんのやけれど、自分で児を持って覚えがあるぞね、たとえ、どんな辛い思をしようと、食べるものは食べいでも、どんなに嬉しいか、楽しいか。」 「恐縮だよ。」 「ほんに、他人に育てられてみん事には、その辛さは分らんぞね。」 「恐縮だよ。」 「それを、それを、まだ碌に目もあかん藁の上から、……町の結構な畳の上から、百姓の土間へ転がされて……」 「少しお待ち! 恐縮はするがね、お母さんは大病だった──きみのお産をして亡くなったんだ──が、きみを他所へ遣ったお父さんやお祖母さんのために、言訳ッて事もないが話がある。私も九つぐらいな時だ、よくは覚えていないけれど、七夜には取揚婆が、味噌漬で茶漬を食う時分だ。まくりや、米の粉は心得たろうが、しらしら明でも夜中でも酒精で牛乳を暖めて、嬰児の口へ護謨の管で含ませようという世の中じゃあなかった。何しろ横に転がして使う壜なぞ見た事もないんだからね。……可かい。それに活計むきに余裕があるとなれば、またどうにもなる。いま、きみは結構な町の畳からと言ったけれど、母親の寝ていた奥の四畳は破障子の穴だらけだ。しかも雪の中の十二月だ、情ない事には熱くて口の渇く母親に、小さく堅めて雪を口へ入れたんだけれど、降たての雪はばさばさして歯に軋むばかりで、呼吸を湿らせるほどの雫にならない。氷がないんだよ。甘露とも法雨とも、雪の雫が生命の露だって、お母さんが、頂戴々々というもんだから、若い可愛い嫁の、しかも東京で育ったのが、暗い国へ来て、さぞ、どんなにか情なかろうと最惜がって、祖母さんがね、大屋根の雪は辷る、それは危いもんだから、母親の寝ていた下屋の屋根を這って、真中は積って高い、廂の処まで這って出で、上の雪を掻いて、下の氷柱は毒だし、板に附着いたのは汚し、中の八分めぐらいな雪の、六方石のように氷っているのを掻いて取って、病人に含ませるんだが、部屋の中はさすがに鉄瓶の湯気や炬燵のぬくもりで溶けるだろう。階子段を上り下りするように、日に幾度屋根へ出入りをしたか知れないとさ。観音様に見えますと云って、凝と優しい姑の顔を見ながら、莟の枯れる口を開けた、お母さんのおもいも、察するが可いよ。きみ、花を飾った駕籠に乗って江戸芝居を見た娘がそれだもの、何も時節だ。……冷いようだが、いや、寒いようだが、いや薄情だと言えばそれまでだが、農家で育って、子守をして、工女から北海道へ落ちたって、それほど情ながったり、怨めしがったりする事はなかろうと思う。  が、どうだい。  何しろ、そんな中だもの、うまれたての嬰児が育てられるものか。あの時、もしも縁のあった田舎へ養女に遣らなかったら、きみは多分育たなかったろうよ、死んじまったかも知れないんだ。」 「それですから、それですから、私はいっそ死んだ方がと、昨日も、今日も……」 「まあ、待ちなよ。……亭主が出来て、十一人か、児を拵えているじゃあないか。贅沢な事を云って、親を怨むな、世間を呪うな!……とは言うが、きみの身の上は気の毒だと思う。けれども考えて見るが可い、……きみは北海道の川端か、身投げをしようとするのに、小児を負ったり抱いたりしたろう。親子もろともならある意味で本望だ。  母さんはそうじゃあない、もう助からない覚悟をして、うまれたばかり、一度か二度か、乳を頬辺に当てたばかりの嬰児を、見ず知らずの他人の手に渡すんだぜ。  私は、悲しい草双紙の絵を、一枚引ちぎったように、その時の様子を目に刻んで知っている。  夜だ──きみの父親になった男は、表の間にでも待っていたろう。母親になるのが──私も猿の人真似で、涙でも出ていたのか洋燈の灯が茫となった中に、大きな長刀酸漿のふやけたような嬰児を抱いて、(哀別に、さあ、一目。)という形で、括り枕の上へ、こう鉄漿の口を開けて持出すと、もう寝返りも出来ないで、壁の方に片寝でいたお母さんがね、麻の顱巻へ掛った黒髪がこぼれて横顔で振向いた。──目は今……私の目にも見えない。」  言が途切れた。 「──鼻筋が透徹るように通って、ほんのりと歯と唇が見えた……それなりがっくりと髪も重そうに壁を向いた処へ、もう一度、きみの母親がのしかかって嬰児を差出すと、今度は少し仰向けになったと思うと、お母さんの白い指が、雪の降止もうとするように、ちらちらと動いた、──自棄に鉄漿の口が臭くってそいつを振払った、と今の私なら言うんだが、もうこの身で泣くのにも堪えられない、思切らせておくれ、と仕方をしたんだろう。──あとは知らない。しばらくすると、戸外を草鞋の音がびしゃびしゃと遠のいた。」  聞く方は泣じゃくって、 「もう、怨みもどうもしませんぞね。よそで聞けば、十四五まで着られる柔かい着もの一葛籠、お金子もそれぞれ私につけて下さったそうながね、私は一度かって袖を通した事もないのです。父親はそうでもなかったけれど、草鞋の音の、その鉄漿の口は蛇体や、鬼でしたぞね。それは邪慳な慾張りや。……少しは人情らしいもののあった養父の方が──やっぱりどこまでも私の不幸や──早く死んでからというものは、子守で泣かせたあげくが工場へ遣られて、それが三日おき四日おきに、五銭十銭と取りに来る……月末の工賃はね、嫁入支度に預るいうて洗いざらい持って行って、──さあ、否でも応でも今の亭主へ嫁るというと、それこそ、ほんに、抱えるほどな、風呂敷づつみもくれんぞね。どれほど肩身が狭かったやら……その裸が、またお姑の気に入らんのですがね。  どこまで因果が続く事か。……また今度、あの娘の婿は、年紀も少し。」 「幾歳だい。」 「二十一や。」 「迅い奴だな、商売は。」 「蒔絵の方ぞね。」 「結構じゃあないか。」 「それや処がね。まだ見習いで、十分にのうてねえ、くらしはお姑さんが、おもに取仕切ってやもんですから、あんさん、それは酷いぞね──半月おきには、下駄の歯入れや、使いまわしも激しいし……それさえ内へ強請りに来るがね。(母さん十日お湯へ入りません、お湯銭たあせ、)と内証で来る。湯の具までもねえ、すれ切や、(母さん、……洗いがえ買うてたあせ、)とソッと来るし……」 「情ねえ事を云う。」  私も雪代と思わず顔を見合わせた。 「情ないどころではないのですぞ。そのあげくがトラホームや、療治は長びくし、うち中へうつるいうて、今度返されて来たですがね、病院へ遣ろうにも、それでのうてさえ、内も楽どころではない処へ。」 「もん句は亭主に言えよ、亭主に。」  八郎の声はやや苛立った。 「それを言うたかてねえ、出来るようなら可いのですけれどもねえ。」 「きみの亭主にだよ、娘の事だ。──いや婿にだよ、誰がそんな事を知るもんか。」 「そう、もぎどうに言わいでも。」  お久という人はまた袖を顔に当てた。 「私にかて、私にかて──生れてから、まだただ一日も、一日どころか一度でも、親身の優い言葉ひとつ聞いた事のない私に──こんなに思いに思うて、やっと逢ったのに、」 「抱いたって擦ったって何にもならない──現金でなくっちゃあ、きみたちは駄目なんじゃあないか。」 「あれ、あんなまたもぎどうな。」 「さあさあ、茶碗の一つぐらい引くり覆ったって構わない。威勢よく、威勢よく!……さあよ。」  と結綿のに片端舁がせて、皿小鉢、大皿まで、お悦が食卓を舁出した。上には知らぬ間の大鯛が尾を刎ねて、二人の抜出した台所に、芬と酢の香の、暖い陽炎のむくむく立って靡くのは、早鮨の仕込みらしい。 「兄さん──さあ、お久さん……こちらへ。……」 「それでねえ、──金銭をどうと云うではないけれどね、亭主をはじめてに、娘のその婿もね、そりゃ謡が好きなのですぞ。……息子もねえ、一人は鉄葉屋の方を、一人は建具屋の弟子になっているのですが、どっちも謡が大すきや。二人ともねえ、好きやぐらいか、あんさんのお弟子にもなりたいとねえ……血統は争われぬもんじゃぞね。」  お悦が膳の上を按排しながら、これを聞くと、眉を顰めた。八郎の顔色が思い遣られる。 「婿も……やっぱり、自然と繋がる縁やよって、あんさんにお逢いして、謡やら、舞とかいうものやら。」 「べらぼうめ、」  猛然として八郎が、尖った銀杏返に、膝を更わして敷居を出た。 「そういう了簡だから。……チョッ、さあ、御馳走だ。お食べと云ったら、鱈ふく食うんだ、遠慮をしないで、食うものはさっさと食えよ。謡どころか、お互にすき腹がぐうぐう言ってら。」 五 「──伯父、甥が何だ。……姪の婿がどうしたっていうんだ。他人様の大切な娘を……妙齢十七八だって。(お月様いくつ)のほかに、年紀ばかりで唄になるのはその頃の娘なんだ。謡をうたう隙に拝んでるが可い。私なんざ、二十二三の中年増に、お酌を頂いたばかりで……この通り。」  八郎は雪代の酌を受けて、恭しく頂いた──その癖酌を受けたのは今ばかりではない、もういい加減酔っている。実は私も陶然としていた。 「これ、土手で売る馬肉じゃあないが、蹴転の女郎の切売を買ったって、当節では大銭だろう。女房は無銭で貰うんだ──娘に……箪笥、長持から、下駄、傘、枕に熨斗が附いてるんだぜ。きみの許は風呂敷にもしろ、よしんば中が空だって、結びめを蝶々にしたろう。裸体でそいつを引背負ったって、羽の生えた処は、天津風雲の通路じゃないか。勿体なくも、朝暗いうちから廊下敷居を俯向けに這わせて、拭掃除だ。鍋釜の下を焚かせる、水をくませる、味噌漉で豆府を買うのも、丼で剥身を買うのも皆女房の役だ。つかいはや間の隙にはお取次、茶の給仕か。おやつの時を聞けば、もうそろそろ晩のお総菜拵えにかかって、米を磨ぐ。……皿小鉢を洗うだけでも、いい加減な水行の処へ持って来て、亭主の肌襦袢から、安達ヶ原で血を舐めた婆々の鼻拭の洗濯までさせられる。暗いあかりで足袋の継ぎはぎをして、皸あかぎれの手を、けちで炭もよくおこさないから……息で暖める隙もなしに、鬼婆の肩腰を、擦るわ、揉むわ、で、そのあげくが床の上下し、坊主枕の蔽いまで取りかえて、旦那様、御寝なれだ。  野郎一生の運が向いて、懐を払いた、芸妓、女郎に惚れられたってそうは行かない。処を好き自由に抱こに及んで、夜の明けるまで名代なしだ。竜宮から小槌を貰ったって、振っても敲いても媽々は出ねえ。本来なら龕に納めて、高い処に奉って、三度三度、お供物を取換えて、日に一度だけ扉を開いて拝んでいなけりゃ罰が当ら。……  処を……ありがたい神仏の広大なお慈悲の思召しで、それには及ばず、世間のならい、好き自由にして摺り切れるまで使っておいて、何を、褌も買ってやらない、里の母親の処へ、湯銭の無心、下駄の歯入まで強請らせるとは何事です。女房は何がたのみだ。せめて病煩いの時、優しい言も掛けられて、苦い薬でも飲ましてもらおうと思えば、何だ、トラホームは伝染るから実家へ帰れ! 馬鹿野郎、盲目になってボコボコ琴でも弾きやがれ。何だ、妹の娘で、姪の婿のよしみをもって俺に謡を聞かせろ──まいを舞え。わるく、この酒でちらッかな目の前五六尺が処へ面を出して見ろ、芸は未熟でも張扇で敲き込んでるから腕は利くぞ。横外頬を打撲わせるぜ。  またその鉄葉屋と建具屋の弟子だってそうだ、血統は争われぬ、縁に繋って能役者が望みだ、気障な奴だな。役者になる隙があったら、──お久。……」  と口を曲めて横ざまに視た。 「お前のその蝦蛄の乾もののようになった、両手の指を、交る交る這って舐めろと言え。……いずれ剣劇や活動写真が好きだろう。能役者になる前に、なぜ、鉄鎚や鑿を持って斬込んで、姉を苛めるその姑婆を打のめさないんだい。──必ず御無用だよ。そういうかたがたを御紹介とか、何とか、に相成るのは。」 「あんさんは酔ってですね。」  と涙も忘れて、胸も、空洞に、ぽかんとして、首を真直に据えながら潟の鮒の碗を冷して、箸をきちんと、膝に手を置いた状は可哀である。こっちには、蟹の甲羅──あの何の禁厭だか、軒に鬼の面のごとく掛ったのを読者は折々見られたであろうと思う──針を植えた赫と赤いのが、烈々たる炭火に掛って、魔界の甘酒のごとく、脳味噌と酒とぶつぶつと煮えているのに。── 「お悦さん──姉さん──私の言う事は間違ってるだろうか。」 「槙村先生にお聞きなさい。」  私は、……いまふと妙な形容をしたのに対して、言憎いが、甲羅酒を掬ってただ笑った。 「邪慳かしら、薄情か知らん、たとえば、甲羅酒のように聞こえますか。それとも雪代さんの顔……」 「可厭だ、小父さん。」 「いや、天人だよ、大したものです。茨蟹のようか、それとも、舞台で……明日着ける……羽衣の面のようか、と云うんだよ。」 「どっちでも可いから、何しろ、まあお食んなさいよ。」 「名言だなあ。」  八郎は肩をのめらした手で膝を敲いた。 「何事もこれ食うためだ。が、どっちでも可いたって、憚りながら雪代さんの顔は舐めさせもしますまい。食うとなりゃ、蟹の面だ。ぐつぐつぶくぶくと煮えて、ふう、ああ、旨しそうだ。」  と被さるように鼻を持って行ったと思うと、 「ニャーゴ!」  ああ、そこへ猫が出たかと思う、私さえ吃驚した。いわんや、台所から盆を運んで、階子段の下まで来かかった結綿は、袖を刎ね、褄をはらりと乱して台所へ振向いた。 「あれえ、お勝手へ、野良猫が。」  谺を返したと見える。  雪代がちょっと襟を合わせながら、 「お母さんなのよ。──困るわね。」 「真に迫りましたよ。」  と私も言った。 「だって、兄さんが嗅ぐんだもの。」 「天人からはじまって、地獄、餓鬼、畜生だ。──浅間しさも浅間しい、が、人間何よりも餌食だね。私も餌食さえふんだんなら、何も畜生が歯を剥くように、建具屋の甥や、妹の娘の婿か、その蒔絵屋なんか罵しりやしない。謡も舞も、内に転がしといて見せも聞かせもしようがね。」  坐り直って、なぜか、八郎は憮然とした。 「──姉さん、ここに居る、この人が、」  八郎は片頬で妹を斜にさして、 「無心を云う警戒でもするようで浅間しいが、聞いて下さい。私たちは職業として、主要な収入高と言えば、その全体と言わないまでも八九分までは謡の弟子だよ。弟子を取るんだよ。客さきさえ良けりゃ、盆暮の附届けだけでも──云うことは下等だがね──一年はくらせよう。……はずんで、電話を呈しよう、稽古所を承ろう。家を一軒──なぞというのは、皆謡の弟子なんです。  槙村さんも御存じの通り、……処を、私は弟子を取りません。私は舞台で能は演るが、謡の師匠じゃあないと言うんです。お聞きの通り、近頃は建具屋の弟子小僧まで、伯父の内弟子になって楽をして食おうという不了簡を起すほど、この職業も、盛と云えば盛だけれど、腹のくちい連中が運動がわりに声を出すんで、能を見ようッて気はちっともない。──また、素人にゃ面白くないからね。芝居や活動写真のようには行かないんです。だから御覧なさい。──明日の催しだって同じ事さ。……手ン手が手本を控えて、節づけと目張りッこで、謡ばかり聞いている。夢中で浮かれ出すと、ウウウと頭を掉って、羅宇の中を脂が通るような声を出すんだから堪りゃしません。死ぬ苦みで修業をした、舞台の、その時々のシテなんざ、まるで御連中の眼中にゃないんだから。──そうかって先方はお客だ、業も未熟だし、決してもんくは言やしない、言わないかわりに、一人だって紳士方の腹こなしや、貴婦人とかいう媽々天下の反返りだの、華族の後家の退屈凌ぎなんか弟子には取らない。また取れようもないわけなんだ。能役者が謡の弟子を取るのは、歌舞伎俳優が台辞の仮声を教えると同じだからね。舞台へ立っては、早い話が、出来ないまでも、神と現じ仏と顕れ、夜叉、鬼神ともなれば、名将、勇士、天人の舞も姿も見しょうとする。……遊女、白拍子はまだしも、畏多いが歌の住吉明神のお声だって写すんです。謡本と首引きで、朱筆で点を打ったって、真似方も出来るもんか。  第一、五紋の羽織で、お袴で、革鞄をぶら下げて出稽古に歩行くなんぞ、いい図じゃあないよ。いつかもね。」  八郎は呷と煽って、 「省線電車──まあ、その電車に乗ったと思っておくれ。真夏の事でね……五十面をてらてら磨いて、薄い毛を白髪染さ、油と香水で真中からきちんと分けて、──汗ばむから帽子を被りません──化粧でもしたらしい、白赤く脂ぎった大面の頤を突出して、仰向けに薄目を開けた、広い額がてらてらして、べっとりと、眉毛に墨を入れたのが、よく見える。紗の横縞の袴を突張らかして、折革鞄を傍に、きちんと咽喉もとをしめた浅葱の絽の襟を扇で煽ぐと、しゃりしゃりと鳴る薄羽織の五紋が立派さね。──この紋が御見識だ。何と見えます──俳優ともつかず、遊芸の師匠ともつかず、早い話が、山姥の男妾の神ぬしの化けたのだ。……間が離れて向う斜めに、しかも反っていたのを、ちょうど私の傍に居合わせた、これはまた土用中、酷暑の砌を御勉強な、かたぎ装の本場らしい芸妓を連れた、目立たない洋服の男が居て、件の色親仁を視ながら、芸妓と囁いて、何だろう?──(分った、能役者だ。)と──言った。私は慄然として膚粟を生じた。正にそれに相違ないのだから。……流儀は違うが、額も、鼻も、光る先生、一廉のお役者で、評判の後家──いや、未亡人──いや、後室たらしさ。  ──あとで知ったが、その言当てた男は、何とか云う、小説家だったって──餅屋は餅屋だと思ったよ。──  そんな脂切ったのがあるかと思うと、病上りの蒼っしょびれが、頬辺を凹まして、インバネスの下から信玄袋をぶら下げて、ごほごほ咳をしながら、日南を摺足で歩行いて行く。弟子廻りさ。(どうなすった先生。)──(あいかわらず腎臓が不可ませんでな。)なんぞはまた情ない。が、決して悪く言うんじゃない。絞って肥ったのも、吸われて痩せたのも、皆これ、お互に食うためさ。今日の餌食ゆえです。汝一人ならどうにか中くらいにでも食えようが、詮ずる処、妻子眷族、つづいては一類一門のつながりに、稼がないではいられないからだよ。  やっと夫婦で、餌を拾うだけで、済んでるから、どうにか能役者の真似も出来る。……この上児でも出来て御覧、すぐその日から革鞄を提げた謡の師匠だ。勿論謡の師匠なら謡の師匠専門は結構だ。  が、そうなりゃ覚悟をする。……夫として、親として、女房子を食わせるのは義務だからね。私は成るべくは謡の師匠にはなりたくない。ただしそれでも餌の足りない時は、まず女房の前へ手をついて謝まるんだ。他様の大切なお娘ごの玉のごときお身体を自由にいたし申訳はありません。おはぐくみ申す腕がございませんから、重々お詫の上、お身体だけ、お返し申上げます。女にすたりはない。いず方へなりとも御自由にお使い下さいましとね。誰がそんな中で五人七人小児を産ませる、べらぼうがあるもんか。女の方は産まないたってそうは行かねえ。身贔屓をするんじゃあないけれど、第一腕力に掛けたって女は弱い、従わせられる、皆亭主の不心得だ。  悪くそんな奴が蔓ると、たちまち、能職が謡屋を兼るような事が出来する。私がこのままで我を通せば、餓鬼、畜生と言われても、明日の舞台は天人だ。有象無象が現われて、そいつにかかずらうようになると、見た目は天人でも芸は餓鬼だよ。餓鬼も畜生も芸なら好い、が、奈落へ落ちさがるのが可恐いんだ。  私は能役者で、今度だって此地へ来たのさ。謡の師匠なら、さき様の歓迎会や披露どころか。私の方から、顔出しもすりゃ、挨拶にも廻って、魚市で、お悦さんに鮒を強請る隙に、祝儀づつみの十や十五は懐中へ入れて帰って、トラホームの療治代ぐらい、即座に弁ずるんだが、どうだい。」  八郎は胸をしめて妹を見た。 「きみ、分ってくれたかい。」  お久という人は、きょとんとしていた。 「あんさんは、ようものを饒舌ってや。」 (向の山に猿が三匹)の小猿にされて、八郎はぽかんとした。  身勝手な事を……しかも酔っていて饒舌ったのである。実は友だちの私にもよくは分らない。が、その人となりと、境遇との婦人には、私の分らないほども分らなかったろうと察しる。 「どうだい、綺麗な奥さん──いかがです、姉さん、お悦さん。」  遠慮なく、箸をとっていて、二人とも揃って箸を置いたが、お悦さんの方は一口飲み込むと、酒は一滴も喫けない婦の、白く澄ました顔色で、 「ニャーゴ!」 「こいつは不可い。」 「お、小父さんお客様。」  お母さんに肖てこれも敏捷い!……折から、店口の菊花の周囲へ七八人、人立ちのしたのをちらりと透すとともに、雪代が迅くも見てとった。 六  ──先生、先生、橘先生──これはまたどうした事で。……既に電報で再度までも申出ましたものを、御着の時間どころか、東京御出発の御通知も下さらず、幹事一同は大狼狽。勿論、催能は明日に迫りましたものを、御到着にならぬという事は断じてないと信じてはおりますものの、各々気が気ではありませぬ。御歓迎なり、有志の御紹介なり、昨日も三つばかり、そのための会合がお流れと申す始末──  これから、誰彼口々の口上は、読者諸君の想像にまかせた方が可い。  ──当方で御指定いたした旅館へはおいでなくとも、先生が御宿泊なさりそうな四五軒、しかるべき旅館も探したが、お見えにならない。最早今夜に迫っては、いずれにせよ、是が非、御着に相違ないと、町中の旅籠屋という旅籠屋の目ぼしいのを、御覧の通りこの人数で──  提灯が五張、それも弓張、馬乗の定紋つきであった。オーバアの紳士、道行を着た年配者、羽織袴のは、外套を脱いで小脇に挟んでいる。菊花の土間へ以上七人、軒、溝石へ立流れて、なお四人ばかり。  ──で、なお念のために停車場へも多人数が出ているようなわけで、やっと思いも寄らない旅店で、お名前を見つけました。それも今しがたの事で。しかも、しかるに御在宿でない。しかるにしかる処、何が何とあろうとも明日の演能に、今夜までおいでのない法は断じてない、ただ捜せ、捜すと極めて、当地第一の料亭、某楼に、橘八郎先生歓迎の席を設けて、縉紳貴夫人、あまた、かつは主だったる有志はじめ、ワキツレ囃子方まで打揃い、最早着席罷在る次第──開会は五時と申すに、既に八時を過ぎました。幹事連の焦心苦慮偏に御賢察願いたい。辛うじて御当家、お内儀、御新造と連立って、公園から、もみじ見物──  という、そのお悦さんは、世話狂言の町家の女房という風で、暖簾を隔てに、細い格子に立って覗いている。  八郎は、框の冷い板敷に、ひたりと膝をついたが、そのいわゆる……餅屋は餅屋か、どこに用意をしていた知らん、扇子を帯にさしながら出迎えたのを、きちんと前に置いて、酒の勢で脱いでいたから、着流しのそげ腰で、見すぼらしく、土間に乗出すばかり手をついて、お辞儀をしている。  提灯は吹さらす風とともに、しきりに菊の霜に動いた。  ──手繰しめて駆附け、顔を見てまず安心、──が、その安心をさせないで、八郎は──さような晴がましき席へは出つけませぬ、かくの通り食べ酔いまして、この上御酒宴の席へ連りましては、明日の勤のほどが──と誰も頼まない、酔ったのを枷にして、不参、欠席のことわりを言うのである。  思っても知れよう、これをそのままで引取る法があるものか。  推し返す、遣返す──突込む、突放す。引立てる、引手繰る。始末がつかない。  私でさえ、その始末のつかぬのが道理だと思った。  中に髯のある立派な紳士が、一公職の名のりを上げた。 「この中には、藩侯御一門の御老体も見えておられる。私も、武士の血を引いておりますぞ。さ、おいで下さい。」  と云った時は、 「能役者は素町人です、が失礼します。」  と云った、八郎はぶるぶるした。  皆黙った。寂然とした。  店に居た、息子も若い衆も居直ったのである。 「酔覚めだよ。」  とお悦が小さな声で、 「雪代、雪代。」  すっと寄ると、 「あ、内の事はお嫁さんにさせないと気まずいね……姉さん、」  嫁御は、もう台所から半身出ていた。 「広袖を出しておくれ、……二階だよ。」 「まあ、小父さん、お寒そうね。」  と雪代が店へ出ると、紺地に薄お納戸の柳立枠の羽織を、ト、白い手で、踞った八郎の痩せた背中へ、ぞろりと掛けた。帯腰のしなやかさ、着流しはなおなよなよして、目許がほんのりと睫毛濃く、莟める紅梅の唇が、艶々と、静な鬢の蔭にちらりと咲く。 「似合いましたなあ、ははあ、先生。」 「それでは御出席になれますまい。」 「いや、諸君は、何を言う。」  武士の血統は気色ばんで一足出た。 「お聞きなさい──橘さん……いやしくも東京から家元同格の貴下がおいでだと云うで、今夕、申合打合せのために出向いた、地謡、囃子方一同は、念のため、酒席といえども、裃を用意しておるですぞ、何事ですか、この状は。」  八郎は紅の八口を引緊めた。梅が薫って柳が靡く。 「最早、こうなれば八郎討死です。」 「何。」 「そのかわり、明日は羽衣を着て化けて出ます。」 「何だ!」 「ああ、その菊の下は井戸ですよ。」  お悦の高声に、一同は、アッと退いた。  が、たちまち一団になって詰掛ける。  私は思わず、お悦の肩を乗越した。  ここに不思議だったのは、そのお悦の袖の下にあった、円い、白い、法然頭である。この老人は、黒光りのする古茶棚と長火鉢の隅をとって、そこへ、一人で膳を構えて、こつねんと前刻から一人で、一口ずつ飲んで、飲んでは仮睡をするらしかったが、ごッつり布子で、この時である。のこのこと店へ出て、八郎と並んで坐ると、片手を膝について、片手、掌を斜に、その手造りの菊をこう煽ぐように、 「貴客方、ちょこッとその花を見て下さらんけ。……賞めて下さると、何じゃ、白いのを賞めて下されば、取次ぎの白粉じゃ、いろのを賞めて下されば、内の紅じゃ。一包ずつ、お景物をさしあげる事にいたしますぞ。」  ほたりと笑って、 「どやろか。」  と云った。  提灯の灯も黄に白に、菊見の客が帰ったあとで、皆が揃って座敷へ入った時、お久という人は、自分の椀小皿をきれいに食べて、箸を置いて、そうしてうしろ向きで膳の上を拝んでいた。 「御覧なさい……あの通りだ。──嘘も大袈裟も、もの好きにもしろ、お囃子方は宴会の席へ裃を持って出たかも知れないが、いま来た十人が十人、残らず申合わせたように四角な風呂敷づつみと折革鞄を持っていたでしょう。あの中が皆謡本さ、可恐い。……その他一同、十重二十重に取囲んで、ここを一つ、と節を突いて、浮かれて謡出すのさえあるんです。  その癖、明日になって、舞台で見たが可い。誰も、富士も三保の松も視めちゃあいない。気まぐれに、舞を見るものも、ごま点と首ッぴきだから、天人の顔は黒痘痕さ。」  八郎は恥ずるがごとく、雪代の羽織を引被った。  しかり。──十五の年渠を養子にした、当流の元老にして大家だった養父も正に同じ事を歎いたそうである。上京の当時、八郎は舞台近所の或外国語学家の玄関に書生をしていた。祖父、伯叔父、一統いずれも故人だが、揃って能楽師だった母方のその血をうけて、能が好きだから、間を見ては舞台を覗く。馴染になって、元老の娘が、五つばかり年紀上だが優しい婦で、可愛い小僧だから、つい親んで、一日、能会の日、中食の弁当を御馳走して、お茶を入れて二人で食べていた。──処へ、装束を袴に直して、扇子を片手に、渋い顔をして入って来た、六十七の老人である。「うまく遣ってるな、坊主、能はどうだ。」と言った。大切な蒲鉾を頬張りながら、「何だか知らないが、小父さんは化けるね。」「何。」「だって、舞台じゃあ、その色の黒い皺くちゃな手首の処が綺麗で真白だったよ。」天女の扇を持った手である。元老は当日羽衣を勤めた。「そして、(富士の高嶺幽になり、天つ御空の霞にまぎれ、)という処じゃ、小父さんの身体が、橋がかりの松の上へすっと上ったよ。」「生意気な事を言やがる。」お婆さんの御新姐が持って来た冷酒を、硝子盃で、かわりをして、三杯ぐっと飲んだが、しばらく差俯向いて、ニコリとなって、胡坐を直して、トンと袴をたたくと、思出したように、衝と住居から楽屋へ帰った。  おなじような事がまたあった。盲目の景清である。「坊主今日も化けたか。」「化けた……何だか知らない、荒磯の小屋に小父さんが一人居て、──(目こそ闇けれど)……どうとかして──(寄する波も聞ゆるは)……と言うと、舞台中ざあと音がしてね、庵へ波がしらが立つのが見えた……魔法を使ったようだよ。」お婆さんの御新姐の手から冷酒を三杯立つづけて、袴に両手をついて、熟とうつむいた。が、渋苦い顔して、ほろほろと涙ぐんだ。「こいつを聞きたいばっかりに、俺は五十年苦しんだ。媼さん、驕れ、うんと馳走してくれ。皆一所に飲もう。」後日、内弟子に極める時元老が聞いた──「坊主、修業をして、舞台へ浪が出せるかな。」八郎が立処に、「いけなけりゃ、バケツに水を汲んで置いて打撒くよ。」  ──「尋常に手桶とも言わないで、バケツはどうだ。しかし水を打ちまくかわりに、舞台へ雑巾を掛けます。」と、月を経て、嬉しそうに元老が吹聴した。娘の婿に極った時である。  かくて、八郎は橘の家を継いで、家名を恥かしめはしないのである。  人は呼んで、宗家同格と渠を称える。 「分らないな。──まだ世界に一人のあんさんだの、たった一人の妹を言っている! 一人の妹は分ったから、一人の妹になって来い。そのもじゃもじゃと生えた身うちの手足を残らずたたき切ってよ。真ばっかりなら、蝦蛄だって大好きなんだ。六十五歳で十一人うませた親仁だの、その子供だの、またその婿だのを、私が親しいと思えるか、懐しいと思えるか、考えてみるが可い。──何、妹に免じて、逢うだけだって、煩いな!……そんなことに免じなけりゃならないような何だ? 妹だ。……きょうだいは一つ身だと? 御免を蒙る。血肉も骨も筋も一つに溶け合うのは恋しい可愛い人ばっかりだ。何?──きょうだいは五本の指、嘘を吐け。──私には六本指、駢指だよ。」  地方は電力が弱くっても、明るい電燈の下へ持出される言葉ではあるまい。が、燈明ばかり陰々とした、そこの仏間で、八郎の声が聞こえた。  ──座敷では人顔の朦朧とするまで、蟹の脳味噌の再び煮返る中を、いつの間にか、お久という人は、帰りしなに……「ちょっと」……で八郎を呼出して、連込んだものらしい。── 「な、六本指はあやまるよ、分ったか。」  言い棄てて、酔過ぎたか、覚際か、蒼白い顔をして、つかつかと出て来たが、御飯に添えて小皿の小肴を、(このあたりの習慣である。)手に載せて箸をつけていた、雪代夫人を視ると、どしんと坐って、 「何を食べてる。」 「篠鰈よ。」 「ああ、」  と覗いて、 「東京の柳鰈か──すらりと細い……食ってるものも華奢だなあ。少しおくれ、毮ってだよ。」 「可厭な、先生。」 「何が先生だい、さあ、毮って。」  小指の反った白魚の目は、紅い指環にうつして、消えそうな身を三口ばかり、歯に触りそうにもないのを、あんぐとうけて、むしゃむしゃと噛んだと思うと──どたりとそのすんなりした背に崩込んで、空色地に雪間の花を染模様の帯のお太鼓と、梅が香も床しい細りした襟脚の中へ、やたらに顔を押込んで、ぐたりとなった。 「襟脚の処が三寸ばかり、お前さんに似て美しい。」  と耳許に囁いたと思えば、背中へ倒れ込んで──その時、八郎は泣いたのだそうである。  私は小さな料亭の小座敷で、翌夜、雪代夫人から、対坐で聞いた。  チーン。  すすり泣く声がすると、鈴が鳴った。……お久という人の、めんてんの足袋で帰るのを、立合わせた台所から、お悦が送り出すと、尖った銀杏返を、そそげさして、肩掛もなしに、冷い頸をうつむけて、雨上りの夜道を──凍るか……かたかたかたかたと帰って行く。…… 七  土地に大川通がある。流に添ったのではない。優しい柔かな流に面し、大橋を正面に、峰、山を右に望んで、橋添には遊廓があり、水には蠣船もながめだけに纜ってあって、しかも国道の要路だという、通は賑っている。  この土地へ来て、第三日目──八郎が舞台に立った──その夜九時半頃、……結たての円髷に薄化粧して、質実だが黒の江戸褄の、それしゃにはまた見られない、こうとうな町家の内儀風の、しゃんと調ったお悦と、急き心に肩を揃えて、私は、──瀬戸物屋で──骨董をも合わせて陳列した、山近き町並の冬の夜空にも、沈んだ燦爛のある窓飾の前へ立った。 「……ござんせんね。」 「ありません。」  覗くまでの事はない。中でも目に立った、落着いて花やかな彩色の花瓶が一具、まだ飾直しもしないと見えて、周囲一尺、すぽりと穴のあいたようになっているのだから。  気の早いお悦が、別して一場合だったから、つかつかと店へ入って、 「御免なさい、」 「へい、これは。」  亭主が居合わせた。 「お昼ごろ、連の人と頂きました花瓶なんですがね、可なり大きさのあるこわれものですから、お店で、すぐ荷造りをして頂くか、それとも一旦、宿の方までお受取りしようか、……とにかく、もう一度うかがう事になっていました……」 「はあ、いえ、それでございますがな。まあ、御新造さん、お掛けなすって。旦那もどうぞ。いらっしゃいましたよ、つい今しがた、前刻の旦那が。」 「来ましたって!」  と私の顔を見て、 「一人で?……もっとも一人でしょうけれど、どんな風俗をしていました。」  ぽんと、馬づらが煙管を払いた。 「ええ、それがな、紋着の着流しで、羽織も着ないで、足袋は穿いていなさったようでやすが、赤い鼻緒の草履を突掛けて……あの廊下などを穿きますな……何だか知りませんが、綺麗な大形の扇を帯に打込んで、せかせかおいでなさって、(持って行く。)と突如おっしゃる。勿論、お代済でございますし、しかし、お風呂敷か何か、と云うのに、(直きそこだ、直きそこだ。)と、いかさま……川端の料理屋ででも飲んでおいでなさったという御様子で、直ぐ、お引抱えになりますとな、可なり持ちおもりがするんでやすから、扇をつッ支棒にして。……いやどうも、花瓶も見事でございますが、どっちが綺麗かと思うほど、扇もお見事でございましたがな。」  といいいい、これも、怪訝そうに、じろりじろりと視る。……お悦がその姿で、……ここらでは今でも使う──角樽の、一升入を提げていたからである。 (──時に、ここで乃聞いたのが、綺麗な扇を持った⦅……友だちだから特に讃して言おう⦆白い手とともに舞台から消えた、橘八郎の最初の消息であった──)  私はやや狼狽えていた。  次第を話そうが、三日目のこの朝、再びお悦さんが私たちの旅宿に音訪れた。またどんな事情があって昨日の幹事連が押寄せないとも限らない、早く出よう。支度をするのに、直ぐ能舞台へ出勤するのが道順だから、八郎は紋着を着た。その舞袴を着けるのが実に早い。夜討に早具足だから、本来は、背後へ廻って、支膝で、ちょっと腰板を当てるのが、景情あいともないそうなお悦……(早間に掛けては負けそうもない、四時半から髪結を起したと云う)が、うっかり見ていたから、八郎の袴羽織には初めて接したかも知れないのであった。  途中を電車で、私の見物のために、一度いま話すこの大川通で下りて、橋袂に、梢は高く向う峰のむら錦葉の中に、朱の五重塔を分け、枝は長く青い浅瀬の流に靡いた、「雪女郎」と名のある柳の大樹を見て、それから橋を渡越した。志す処は、いずれも維新の世の波に、江戸を落ちた徳川の流の末の能役者だったという、八郎の母方の祖父伯父また叔父、続いて祖母伯母また叔母などの葬られた、名も寺路町というのの菩提寺であった。──父母の墓は東京にある。──  寺と寺との間に、亡者の住居に石で裏階子を掛けたような、苔に辷る落葉の径、しかも藪の下で、老猫の善良なのがもし化けたら、このほかになりようはなさそうな、べろんと剥けて、くちゃくちゃと目の赤い、髯をそのままの頬の皺で、古手拭を被った、影法師のような、穴の媼さんとかいう店で、もう霜枯だから花野は幻になった、水より日向がたよりらしい、軒に釣した坊さん華に、葉の枯れがれの小菊を交ぜて、ほとけ様は五人と、八郎が云って、五把、線香を買添えた時「あんやと、あんやと。」と唱名のごとく呟いて、景物らしく硫黄の附木を束から剥いでくれたのには、私は髣髴として、生れぬさきの世を思った。  寺の門には、樹立のもみじに、ほかほか真赤に日が射したが、墓所は湿って暗い。線香の煙の、五条、むら生える枯尾花に靡く時、またぽつりぽつりと小雨が掛ると。──当寺の老和尚が、香染の法衣をばさばさと音さして、紫の袈裟を畳んだままで、肱に掛けた、その両手に、太杖を屈づきに、突張って、馴れて烏の鳴く樹の枝下へ立つと、寺男が、背後から番傘をさしかけた。 「大僧正の見識じゃの、ははは。」  と咽喉を掠めて笑って、 「はや、足腰もよう利かんで、さし掛傘も杖の中じゃ。意気地はないの、呂律もよう廻らん、大分に嘘をついたからの、ははは。」  中山派の大行者で、若い時は、名だたる美僧であったと聞く。谷々の寺に谺する、題目の太鼓、幾個寺か。皆この老和尚の門弟子だそうである。 「よう御参詣じゃ──紅屋の御新姐……今ほどはまた廚裡へお心づけ過分にござる。ああ、そのお袴の御仁(八郎を云う)、前にある黒い瓶じゃがの。それは東海道横浜にござった、葛原(八郎の母方の姓)の妹娘の骨を入れて、──仲仙道上田にござる姉娘がの、去年供養に見えた一具じゃが、寺で葬るのに墓を穿った時よ。私が立合うて、思うには、祖父祖母、親子姉妹、海山百里二百里と、ちりちりばらばらになったのが、一つ土に溶け合うのに、瀬戸ものの欠が交っては、さぞ疼かろう。飯に砂利を噛んだようにあろう、と思うたじゃでの、棄てるも勿体なし……誰方ぞ参詣の折には、手向の花を挿れても可いと思うて、石塔の前に据置きましたじゃ。さ、さ、回向をなされ。いずれも久しい馴染じゃな。」  と、ほろりとした。聞くものの袖も時雨れつつ。…… 「──横浜の、ええ、叔母の娘、姉妹でね、……叔母の娘は可笑しいんですが、叔父は私なんぞ顔も覚えないうちに、今の墓に眠ってるんです。妹の方は──来る時、傍を通りました、あの遊廓で芸妓をしていて、この土地で落籍されて、可なりの商人の女房になったんでしたっけ。何か商売上もくろみがあって、地方を了って、横浜へ出て失敗をしましてね。亭主も亡くなって、自分で芸事を教えていました。茶だの、活花だの、それより、小鼓を打ってね、この方が流行ったそうです。四五年前に、神田の私の内へ訪ねて来た時、小鼓まで持参して、(八郎さん一調を。)と云うじゃありませんか。しかも許しものの註文です。(何、私と一調だ、可かろう。さあ素裸になりたまえ、一丁組もう、)と云ったもんだから。──勿論、年増だが、別嬪だから取組んでも可い了簡かも知れません……従妹め、怒ったの怒らないの、それぎり出て来ない。……音信不通同様で──去年急病で亡くなりました。がその節は、私は大阪へ行っていました。  ああ、信州の姉の方ですか。──これも芸妓で方々を流転して、上田の廓で、長唄か何か師匠をしている、この方は無事で、妹の骨を拾ったんです。  横浜の新仏が燐火にもならずに、飛んで来ている──成程、親たちの墓へ入ったんだから、不思議はありませんが、あの、青苔が蒸して、土の黒い、小さな先祖代々の石塔の影に、真新しい白い塔婆で、すっくりと立ってたのにはちょっと面食いました。──(八郎さん相撲……)と、今にも言いやしないか、と思って、ぶるぶるッとしましたよ。あれと取組むのは当分恐れます。」  ──寺の帰途に、八郎が私とお悦にかく話した。──  雪女郎の柳を、欄干から見る、その袖もかかりそうな、大川べりの料亭一柳で、昼飯を済ました。  で、川通りを歩行きながら、ふと八郎の覗込んだのが、前に言った、骨董屋の飾窓だったのである。  その花瓶だが、私は陶器など一向で……質も焼も、彩色も分らない。総地の濃い藍に、桔梗、女郎花、薄は言うまでもなく、一面に秋草を描いた。その葉の透間、花の影に、墨絵の影法師で、ちらちら秋の虫のようなのを、熟と視ると、種々な露店の黒絵具である。また妙に、食ものばかり。土地がらで、鮨屋、おでんはない。飴の湯、かんとう焼、白玉焼、葛饅頭、粟の餅。……鰌を串にしたのだそうだが、蒲焼など、ひとつずつ、ただその小さな看板にだけ、売名呼名をかいて、ほんのりと赤で灯が入っていて、その灯に、草の白露が、ほろほろと浮く。…… 「姉さん、これは夏場、この川通へ出る夜店そっくりだね。」  八郎の家は、すぐこの近所だったそうである。 「たった一度だったが、姉さんと一所に歩行いた──」 「ほんとうね、……夢のようだけれど、植木屋の花の中から見た所かしら、そして月夜のようだよ。」  真中に手がついて、見ると、四角な釣瓶に似て、しかも影燈籠の意匠らしい。 「ちょっと欲いなあ。」 「欲いの?」 「うむ。」 「欲いものはお買いなさいよ。」 「値がどうも。」 「聞いてみましょうか。……私もちっと持っている。」 「串戯じゃあない。まだ給金も受取らないし、手が出せないと極りが悪いや。」 「八さんは、それだから可厭さ、聞くだけ聞くのに、何構うもんですかね。」  八郎はその時十歩ばかり遁げるようにしたのに、お悦はずんずん入った。少し手間取ったが、胸を反らして出て来た。  莞爾している。 「どうでした。」 「幾干らだと思う。──お思いなすって、槙村先生。」 「さあ。」 「分らない。」 「五百円。」 「ええ。」 「……モ、七百円もするんですが、うしろにちょっと疵があります、緋目高一疋ほど。ほほほ、ですから、ただそれだけで──百円という処を……だわね、……もっとも諸侯道具ですって、それをお負け申して……九十円。」 「買おう。」──  言った通り、荷造りを頼むなり、受取るなり──楽屋へは持って行けないから──もう一度来るとして、それから三人で舞台に向った。  楽園と云うのだそうである。諸侯の別業で、一器、六方石の、その光沢水晶にして、天然に簫の形をしたのがある。石燈籠ほどの台に据えて見事である。そのほか篳篥などは、いずれあとから擬えたものであろうが、築山、池をかけて皆揃っている。が、いまその景色を言う場合でない。  表入口を、松原越の南の町並に受けて、小高く、ここに能楽堂がある。八郎は稚い時、よく出入をして知っているので、その六方石を私に教えようとして、弾かれたように指を引いた。直ぐそれから、池の石橋を一つ、楽屋口へ行くと、映山紅、桜の根に、立ったり踞んだり、六七人むくむくと皆動いて出た。真中に、尖った銀杏返で胸を突出しながら、額越に熟とこちらを視たのは、昨日のお久という人で、その両傍から躍り出した二人の少年が、「久の息子です、伯父さん。」「伯父さん僕です。」「橘さん、久の娘の婿ですよ。」と続いて云ったのは、色の白い、にやけた男で、しょたりと裾長に、汚い板草履は可いが、青い友染の襦袢の袖口をぶらりと出している──弱った──これが蒔絵師で。……従って少年たちは、建具屋と鉄葉屋の弟子だから印半纏腹掛ででもいるか、と思うと、兀ちょろけた学生服、徽章無の制帽で。丸顔で色の真黒な、目のきょろりとしたのが、一人はベエスボオルの小手を嵌めた手を振るし、就中一人ロイド縁の大目金を掛けたのが、チュウインガムをニチャニチャと噛みながら、「久の息子です。伯父さん。」「伯父さん僕です。」「ごほん、……はじめまして、はい、久の主人でやして。」大古の黒の中山高帽を脱いで、胡麻塩のちょぼりとした髯を扱きながら、挨拶したのは、べんべらものの被布を着て、煤くすぶりの総の長い中位な瓢箪を提げている。「御先生様。」「はい、大先生様。」と割込んだ媽々衆が二人、二人とも小児を肌おんぶをした処は殊勝だが、その一人は、負った他に、両手に小児の手を引いていた。 「あんさん、縁者の人──こちらは養家さきの兄の家内たちや──見物をさしてたあせ。……ほんに、あんさんのお庇で……今日という今日は、私は肩身が広いぞね。」  特に、婦人にかけては、恐らく世の仁者だ、と称えられる私でさえ、これには辟易したのである。  ふとお悦を見ると、額の疵あとが颯と薄化粧を切って、その色はやや蒼ざめた。  愕然、茫然、唖然として立竦んだ八郎がたちまち恭しくお辞儀をして、 「誰方も御見物は木戸口から願います。」  と言った。 「分りました。──兄さん、私にまかせてね、分りましたよ。あなたは黙っている事……可ござんすか。さあさあ誰方もいらっしゃい。──御案内……ッてらッしゃいッ。」  と冴えた声で手招きをしながら、もう石橋を飜然と越えて、先へ立って駆出すと、柔順な事は、一同ぞろぞろ、ばたすたと続いて行く。  八郎は吻と息して、 「何とも、彼とも、ものに譬えようがありますまい。──無理解とも無面目とも。……あれで皆木戸銭の御厄介です。またあの養母というのがね、唾を刎ねてその饒舌る事饒舌る事。追従笑いの大口を開くと歯茎が鼻の上まで開けて、鉄漿の兀げた乱杭歯の間から咽喉が見える。怯えたもんですぜ。私が九ツ十ウくらいの時まで、其奴が伯父伯母の姪の婿の嫁入さきの忰の孫の分家の新屋だというのを、ぞろぞろと引率して、しなくも可い、別院へ信心参りに在方から出掛けて来て、その同勢で、久の実家だと泊り込むんです。草鞋を脱いだばかりで、草臥れて框から膝行込むのがある、他所の嬰児だの、貰われた先方のきょうだい小児が尿を垂れ散らかすのに、……負うと抱くのが面倒だから、久を連れて来ない事があります。養父の方が可愛がって片時も離さないとこういう言種でね。……父も祖母も、あれに中られると思うから、相当に待遇するでしょう。いい事にして、同勢がのめずり込む、臭いの汚いの、煩いのって──近頃まで私は、煩って寝る時というと、その夢を見たんです。」  いや、何とも申しようのない処を、木戸口をまわりに、半身で、向うからお悦が、松を小楯においでおいでを合図した。  勿論、八郎を呼ぶのではない。 「おいでなさい。──御退屈でしょうが、お席が出来たようです。あの人の事だから、今の連中と一所には決してしません。」 「そんな事なぞ。……私は楽みにしている。今日の天人の手は白いでしょう。」  不意を打たれたように、この名誉の能職は、ふと黙った。外套から、やがて両手を、片手でその手首を、さもいたわりそうに取って、据えると、扇子持つ手の甲を熟と重たげに観て、俯向いて言った。 「未熟ながら、天人が雲に背伸びはしますまいが、この手首は白いどころか──六つ指に見えなければ可いと思うんです──」  と、もの寂しそうに首垂れた。 「いずれ後程。」  楽屋口の板廊下には、松の蔭に、松の蔭に、羽織、袴が、おお、麻上下も立交る。  舞台では間狂言の高声が、見物の笑いとともに板に響いた。 八  私は、ここに橘八郎の舞台については徒に記事を費すまい。草の花に露店の絵の花瓶を写した、陶器に対すると同じ知識の程度では、専門の能職に対して気の毒だと思う。  ただ、幸い、……いや推量のごとく、お久という人たちとは席が離れていた。もっともほとんど満員である。お悦と取ったのも、四人席を他と半ば分けて、歩板に附着いた出入に近い処であった。  橋がかりに近い、二の松の蔭あたりに、雪代の見えたのが、単に天降る天人を待つ間の人間の花かと思う。 ──のうその衣は此方のにて候、何しに召され候ぞ──  幕は揚った。揚幕の霞を出づる、玉に綾なす姿とともに、天人が見はるかす、松にかかった舞台の羽衣の錦には、脈打つ血が通って、おお空の富士の雪に照栄えた。  八郎のその化け方も不思議だが、気をつけて見ると、成程、もうその時からして専念に舞台を見ているものは数うるほどしかない。もっとも謡本を手にしないものも、稀である。 ──涙の露の玉かづら、かざしの花もしおしおと──  という頃は、低声であとをつけるのが、ぶつぶつぶつ、ぼうぼうと鳴いて、羽の生えたものは、蚊も、蜂も、天人であるかのごとくに聞こえた。 ──迦陵嚬伽の馴れ馴れし、声今更に僅かなる、雁の帰り行く。天路を聞けばなつかしや、千鳥鴎の沖つ波、行くか帰るか、春風の──  そのあたりからは、見物の声が章句も聞こえて、中には目金の上へ謡本を突上げるのがあり、身動きして膝を敲くのがある。ああ、しかも聞け──お久という人の息子が一人、あとをつけて謡ったのを。 ──シテ「いや疑は人間にあり、天に偽りなきものを──  気のせいか、チョッと舌打をしたように思ったが、それは僻耳であったろう、やっと静々と、羽衣を着澄して、立直ったのを視て、昨夜紅屋の霜に跪いて、羽織を着せられた形に較べて、ひそかに芸道の品と芸人の威を想った……時である。お久という人が、席でヌッと立って、尖った銀杏返で胸を突出して正面に向合った、途端であった。立籠む霧が艶なる小紋を描いたような影が、私の袖から歩板へ衝と立って、立つと思うと、つかつかと舞台へ上った。その、そのお悦の姿が、くっきりとやや小さく見えた時と、重り合って、羽衣の袖が扇子とともに床に落ちて、天人のハタと折敷く、その背を、お悦が三つ四つ平手で打った……と私は見たが。…… 「急病だ。」 「早打肩(脳貧血)だ。」 「恋の怨みだ。」 「薄情の報だ。」  と急遽囁き合う声があちこちして、天井まで湧返る筈を、かえって、瞬間、寂然とする。  もうその時、天人は、転んだ踊子が、お母さんに抱かれるように、お悦に背を支えられて、しかし静に、橋がかりを引いて行く。……一の松、二の松、三の松に、天人の幻が刻まれて、その影が板羽目に錦を映しつつ、藻抜けて消えたようなシテの手に、も一度肩を敲いて、お悦が拾って来た扇を渡したのが幕際であった。  幕は消して取った。  同時に、少し横なぐれになるまで、身に振を加れて、今度は、友染の褄を蹴て、白足袋で飛ぶように取って返すと、お悦が、私の手を取るが迅いか、引出すのに、真暗になって、木戸口へついて出た。その早い事、私が第一に目についたのは、青いような駒下駄の鼻緒で、お悦はもう自分のを、自分で抜いて取って、私の下駄をポンと並べた。  それよりして松林のたらたら下りを一散に駆出した。 「御免なさい、先生。──八郎さんに逢うまでは何にも聞かずに下さいましよ。」 「?……他国ものです、方角が分りませんから、何事も貴女次第です。」  町もこの辺は場末らしい。松を透いて、小高く能楽堂の電燈が映すから、あのまま、潰れたのでも崩れたのでもない。が、雷か、地震か、爆発の前一秒を封じた魔の殿堂の趣して、楽園の石も且つ霜柱のごとく俤に立つのを後に、しばらくして、賑な通へ出た。 「少しここに隠れていましょう。」  落人の体である。その饂飩屋へ入った時は、さすがにお悦が「お水を、お水を。」と云った。そうして、立続けに煽って、はじめて酔ったように、……ぼっと血の色が顔に上ったのである。 「何にも言わないかわり、私は飲みますよ。」 「沢山めしあがれ、……あとで、また御馳走を。」  ──電話で、旅宿を──それから呼出しだったが紅屋へ掛けた。八郎は勿論帰っていない。楽屋に居る筈はなかろう。居てもそこを訪ねる数ではないから。……再びお悦の導くままに。──  かくて、川通りの骨董屋へ来たのである。  果して八郎はここへ顕われたのであった。  微妙な霊感と云ってもいい。……ここへ見当を着けたお悦が、まだ驚いた事には、──紅屋で振舞った昨夜の酒を、八郎が地酒だ、と冷評したのを口惜がって、──地酒のしかも「剣」と銘のある芳醇なのを、途中で買って、それを角樽で下げていたのであるから。  掛けたか、掛けないように、お悦は、骨董店の倚子に腰を摺らして、 「そんな服装で、花瓶を持って、一体どっちの方へ行ったでしょうね。」 「ええ、大橋の方へ、するするとな。はあ……」  お悦が莞爾して、 「この人通りじゃ身投でもありませんね。」  亭主の顔を見よ。その驚いたのへ引被せて、 「湯呑を一つ貸して下さい、お茶碗でも。」 「はあはあ。」  芬々薫る処を、波々と、樽から酌いでくれたから、私はごくごくと傾けた。実に美酒の鋭さは、剣である。 「お楽みでございますな、貴女様もお一ついかがで。えへへへ。」  と、自棄に、口惜しそうに、もう一つ出した茶碗へ、また充満に樽の口をつけた。 「お酒だけは一滴も不可ません。──旦那めしあがれ。……御馳走様。ほほほほほ。」 九  橋手前、辻の角の、古ぼけたが、店並一番の老舗らしい菓子屋へ入って、売台へ立ちながら、 「ちょっと……ああ、番頭さん、お店の方もお聞きなさい。私ね、この頃人に聞いたんですがね。お店の仕来りで、あの饅頭だの、羊羹だの、餅菓子だのを組合せて、婚礼や、お産の祝儀事に註文さきへお配りなさいます。」 「へい、へい。」 「あの、能の葛桶のような形で、青貝じらしの蒔絵で、三巴の定紋附の古い組重が沢山ありますね。私たちが豆府や剥身を買うように、なんでもなく使っていらっしゃるようだけれど、塗といい、蒔絵といい、形といい、大した美術品とやらなんですとさ。」 「へーい、成程。」 「仏蘭西のパリイの何とかって貴族の邸の応接室で、ヴァイオリンですか、楽器をのせる台になっているんですって。」 「へーい、成程。」 「提灯を一つ貸して下さいな。」 「へーい、成程。」 「そこの道具屋さんで借りれば可かったのに、ついうっかりしたもんだから。」 「へへい、成程。──どちら様で。」 「別院傍の紅屋の家内ですがね、どちらだって構わないじゃありませんか。」  お悦は澄まして、その定紋つきの提灯を下げて前へ立つと、一柳亭の傍を、川へ、石段づたいに、ぐいと下りた。大橋の橋杭が昼見た山の塔の高さほどに下から仰がれる、橋袂の窪地で、柳の名、雪女郎の根の処である。 「ここが暗いんですからね。──ちょっと見たい事があるんです。」  片側川端の窓の燈は、お悦の鼈甲の中指をちらりと映しては、円髷を飛越して、川水に冷い不知火を散らす。が、屈んで、差出した提灯の灯で見ると、ああ、その柳の根に、叩きつけたようになって、秋草の花瓶ががらがらと壊れていた。石に化した羽衣を、打砕いたようである。その断片の処々、女郎花を、桔梗を、萩を、流が颯と、脈を打って、蒼白い。 「御覧なさい。こんなことだろうと思ったんです。小児の時、あの人は、この美しい柳に魅入られたんですか、何ですかね、ふらふらとして、幾たびもここで死のうとしたんですから──いいえ……」  と優しい声して、 「大丈夫、かえって身がわりになったでしょうよ。この花瓶がですよ。でも、あの人の無事のお祈りのために、放生会をして行きましょう。昨日は大きな鮒を料理りましたから。」  持てとも言わず、角樽を柳の枝に預けると、小褄をぐい、と取った緊った足の白いこと。──姿も婀娜に、流へ張出しの板を踏むと、大川の水に箱造りの生簀がある。 「や、それを放すんですか。」 「ええ、一柳亭のですがね、する事は先へして、あとで掛け合った方が捗取りますから。」  伸上って、覗いたが、綱で結えたまま、錠を下してない。  踞んで、提灯を翳したと思うと、 「あ、可厭な。」  と云った。 「大な鰻が居ますか、居ますか、鯰。」 「お退き、お退き──」  と生簀を見詰め、頭を掉って、 「いいえ、私が何かしようとすると、時々目の前へ出て来るんです。……裃を着た、頭の大きな、おかしな侏儒ですがね。」  私は思わず後へ退った。葉は落ちつつも、柳の茂りで、滝に巻込まれる心持がした。気の迷と思ったが、実はお悦が八郎を引ぱたいた瞬間にも、舞台の端をちょこちょこと古い福助が駈けて通った。 「可厭だったら。何だい出額助。」  声とともに、颯ともつれた鬢を払って、横に提灯の柄を口に啣えると、まくり手に二つ三つ生簀を揺って、どぶんと水に浸した。鯉の刎ねる隙もない。魔のごとき大きな黒い橋杭が、揃って、並んで、どぶんどぶん、どぶんと谺を返した。 「さあ、参りましょう、お待遠様。八さんの居所は、大抵もう知れました。」…… 十 「……居る、居る、居ますよ。」  提灯をフッと消す。……蝋燭の香を吸って消える、紅い唇を、そのままに、私の耳に囁いた。  八郎の菩提寺の潜門を入った、釣鐘堂の横手を、墓所へ入る破木戸で、生垣の前である。 「ほら、扉も少し開いていますわ。──先生ね、あなたね、少し離れた処で、密と様子を見ていて下さい。……後生ですから。」 「お指図通り。」  私もここは声を密めよう。 「兄さん、兄さん──」 「うーむ。」 「あんまりつい通りな返事だことね、うーむなんて。」 「うむ、だって。」 「もうちっと驚かなくっちゃあ。……いきなり、お能の舞台から墓所じゃアありませんか。そこへ私が暗中に出たんだもの。」 「何だか来そうな気がしていた処だからね。」 「ええ、私もここに兄さんが居そうな気がしたんですよ。兄さん、御堪忍ね。あれ、煙草を喫んでるんですね。」 「墓を手探りで、こう冷い青苔を捜したらね、燐寸があったよ。──今朝忘れたものらしい。それに附木まであるんだ。ああ、何より、先生はどうした、槙村さんは。」  私は約束で息を呑んだ。 「先生はね、とにかく、雪代がおともをして、おもてなしをしています。」  嘘を吐け。── 「どこで。」 「一柳亭で。」 「また一柳かい。いや、それにしても可羨しいな。魂を入かえたいくらいなもんだ。──もっとも、魂はどこへ飛んだか、当分解らないから、第一その在処を探してかからなけりゃならないけれどね。」 「だから、お墓所へ来ているじゃありませんか。」 「まあ、そんなものか。──ああ、それにしても羨しい。」 「串戯はよして、ほんとうに兄さん、堪忍してね。」 「何をさ。」 「だって、あんな処で、兄さんを打ったりなんか。」 「いや、その事なら、かえって礼をいう。……当然のことのようだ。何だか、妹の事なり、何なり、誰かに引撲かれそうな気がしてならなかったからね。──一体、女形の面裡からものが見えるッて事はないのに、駢指が真向うへ立ったんだ。」 「さあ、その事ですよ。(余計な身寄は駢指のようなものだ。血も肉も一つ身体になって溶け合うのは、可愛い恋しい人ばかりだ。)ッて。……あら、煙草を喫んでるから、ちらちら顔が見えて、いくら私でも極りが悪い。」 「何、構うもんか、全くそれに違いないんだ。」 「兄さん、きっとそう。」 「確かだ。」 「そんなら、なぜ、お久さんが真向うへ立ったって、なぜ、打たれそうな気がしたりなんかするんです。──それはきっと世間体で、妹や、その親類の、有象無象に冷くっては人に済まない、と思うからでしょう。」 「世間なんかどうでも可い。人間同志だからね。しかし舞台じゃ天人になってるから。」 「天人なら、餓鬼……亡者を見ても、畜生……犬を見ても、皆な簪の花の一つだと思わなければならないかも知れませんね。そんなら、なぜ、人間そのままの時、楽屋口で、お久さんの娘の婿が、浅葱の袖口をびらつかせた時、その、たたき込んだ張扇とかで、人の大切な娘をただで水仕事をさせ、抱きまでして、姑に苛めさせた上、トラホームが伝染るから実家へ帰した、横ぞっぽうを撲挫かないんです。私は撲挫けば可いと思った。撲挫いて欲しかったよ。兄さん、私はね、弱い優しいおとなしい兄さんしか知っていません。──十四で亭主を持たせられた時分だって、ああ、兄さんがもう少し強かったら、乱暴だったら、悪たれだったら、と思わない事はなかったんです。──  芸事で気が強くなったんでしょうね。──  昨夜は別れてから十何年ぶりかだし、それだし、昨夜くらい、善知識とも、名僧とも、ありがたいお説教、神仏のおつげと言っては勿体ないかも知れません。夜叉、悪魔の御託でも構わない、あんな嬉しい話を聞いた事は生れてからはじめてです。だって、余計なものは肉親も駢指でしょう、(血と肉と一つに溶けるのは、可愛い恋しい人ばかりだ。)というんでしょう……」 「私は信じるよ。」 「信じますね、……確かですね──そうすりゃ、私かって、内の亭主は駢指です。」  私は舌を掉った。 「お待ち、お待ち。──それは芸の上の話だよ。うぞう、むぞうに集られると、能役者じゃいられない、謡の師匠で、出稽古に信玄袋を持って廻らなけりゃならないというんだよ。」 「舞台だけの役者だって、私は、兄さんの羽衣とかの天人の顔を見ているより、青めりんすを引撲くか、駢指の講釈を聞く方がどんなに嬉しいか知れやしない。あすこで、あの羽衣の姿で、面で、雲から降りたそのままで、何千かの見物に、あの講釈をしたら、どんなにかいい心持だろうのに──だのに、青めりんすは引撲かないし、じれったくって、自烈たくって堪らない処へ、また余り姿容が天人になっておいでだから、これなり、ふッとどこかへ行ってしまいはしないだろうかと、夢中で血迷って、留めようとして、ハッと思うと、舞台の邪魔をした私だから、私まで、駢指だと兄さんが言いそうで、かっと口惜くもなるし、癪にも障ったし、したもんだから、つい打ったりなんかして。」 「いや、もっともだ。芸に達して、天人になり澄ましていれば、羽衣さえ取返せば、人間なんぞにかかわりはないのだけれど、まだどうも未熟でね、雑念が交るから、正面を切って伎の上でもきっぱりと行り切れないんだ。第一、はじめ、私は不意にお母さんが出て来たかと思ったよ。お久に対する処置ぶりが間違ってでもいるために。──ちょうど桟敷のあの辺で、お母さんに抱かれて能を見た事を覚えているから。はっと思ってそれが姉さんと気がついた時は、私は、斬られるかと思った……すぱっと出刃庖丁でさ。……舞台へ倒れた時は、鮒になったと思ったよ。鮒より金魚だ。赤地の錦で、鏡板の松を藻に泳ぐ。……いや、もっと小さい。緋丁斑魚だ。緋丁斑魚結構。──おお、肴は出来た。姉さん、姉さん、いいものを持っているんだね。」 「どこでも構わず、息つぎに、逢った処で、飲ませようと思ってさ。」 「頂こう──茶碗がない。」 「まさか、廚裏へも、ね。」 「飛んでもない、いまは落人だ。──ああ、好いものがある。別嬪の従妹の骨瓶です。かりに小鼓と名づけるか。この烏胴で遣つけよう、不可いかな。」 「ああ、好きになさい。思った事をしないでどうするもんですか、毒になったって留めやしない。」 「その勢で──と燗はどうだろう、落葉を集めて。」 「すぐに間に合いますよ。」 「さきへ、一口遣つけてと。……ふーッ、さて、こう度胸の据った処で、一分別遣ッつけよう。私のこんな了簡じゃ、舞台に立てば引撲かれるし、謡の出稽古はしたくなし、……実は、みっしり考えようと思ってね、この墓所へ逃込んだんだが。」 「よく、楽屋で騒ぎませんでしたね。」 「騒ぐ間がありゃしない。また騒いだ処で、玄人の連中は、いずれ東京へ出れば世話になろうと思うから、そっとして置いたのさ。そこは流儀の御威光です。」 「何がまた口惜くって、あの花瓶を打欠いたんです。」 「もう見て来たのか、迅いなあ、天眼通だ。……あれはね、何、買う時から打壊すつもりだったんだよ。あの絵に、秋草の中に、食ものばかりの露店の並んだのを見て、ふらふらとなった。──川通りの夏の夜店へ遊びに出ては、一軒々々指を啣えて欲しい欲しいと餓鬼みたいさ。買えないだろう。あの粟餅のふかし立だの、白玉焼の餡子のはみ出した処なんざ、今思出しても、唾が垂れる。小僧、立つな立つな見ていて腹は満くならない、と言われた事さえあるんだから。  その腹癒と、自分のさもしい根性を一所に敲き破ったのだよ、──一度姉さんと歩行いた時、何か買って食べさしたいと思ったが、一銭あった。……ざまあ見やがれ亡びたがね、大橋のあの柳の傍に、その頃水菓子屋があって、茹豌豆を売っていた。」 「覚えていますよ。」 「袋で持つと、プンと臭い。蒸臭てる、と言ったら、洗って食えと言った。癪に障って、打ちまけたら、お前さん、食べたより嬉しいと言ったぜ。」 「ええ、覚えていますよ。」 「場所が場所だし、念ばらしに一斉に打まけたんだよ。」 「その事ですよ。何だって思うままにするが可いんです。」 「難有い、うむそこで、分別も燗もつきそうだが、墓の前で、これは火燗だ。徳利を灰に突込むのさえ、三昧燗というものを、骨瓶の酒は何だろう、まだちっとも通らないが、ああ、旨い。」 「少し強く焚くと、灰が立って入るもの。」 「婦だなあ、お悦さんも。この場合に、灰が飛込むなんぞどうするものか。しかしお志は頂戴する、婦は優しいな。」  扇子を開いて蓋をした。紺青にきらきらと金が散る、苔に火影の舞扇、……極彩色の幻は、あの、花瓶よりも美しい。  内証の焚火は、骨瓶の下伏せに、左右へ這った、が、硫黄も燃したのであろう。青く潜って、ちらちらと婦の褄をなぶり、赤く立って男の黒小袖の膝を弄んだ。 「ふーッ、いい酒だ。これで暮すも一生だ。車力は出来ず、屑は買えず、──姉さん、死人焼の人足の口はあるまいか、死骸を焼く。」 「ありますよ。」 「…………?」 「市営なんのって贅沢なのは間に合わないけれどね、村へ行くと谷内谷内という処の尼寺の尼さんが懇意ですがね。その谷戸の野三昧なら今からでも。──小屋に爺さんが一人だから。兄さんが火箸を突込めば私が火吹竹を吹く。……二人で吹きおこしたって構わない。」  と透し見ると、鬢の毛が木の葉にこぼれて、頬を地ずりに、瓶の下を吹いた。が、いつかくるりと裾を端折った、長襦袢は、土にこぼれて、火とともに乱れたのである。(註。二人して火を吹くは焼場なりという俗信あり。) 「ちっとも構やしない、火葬場ですもの。……寝酒ぐらいはいつでも飲ませる。」 「面白い。いや、真剣だ。──天人にはまだ修業が足りない。地獄、餓鬼、畜生、三途が相当だ。早い処が、舞台で、伯竜の手から、羽衣を返された時、博覧会の饅頭の香気がした……地獄、餓鬼、畜生、お悦さん。」 「ええ、そうして、強くなって、他が羽衣を奪ろうとしたら、めそめそ泣かないで、引ぱたかなくっちゃあ……」 「二人は雌雄の鬼だが……可いかい。」 「大好き。」 「家は?」 「駢指を切るんです。」 「世間は?」 「青めりんすを打撲くんです。」 「──姉さん、尼さんは懇意かね。」 「小屋の爺さんとも。」 「行こう。」 「行きましょう。」 「槙村の知らないうちに──何しろ、さしあたり行く処は、──どこにもない。」 「あれ。」 「え。」 「来た、来た、来た、また来た、煩い、煩いッてば、チョッ福助。」  婦が、這搦まるか、白脛高く裾を払い、立って縋るか、はらはらと両袖を振った煽に、ばっと舞扇に火が移ると、真暗な裏山から、颯と木の葉おろしするとともに、火を搦めたまま、羽搏いて扇が飛んだ。 「あれえ、火事。」 「飛べ、獅子。」  と言うとともに、手錬は見えた、八郎の手は扇子を追って、六尺ばかり足が浮いたと思うと、宙で留めた。墓石台に高く立って、端然と胸を正したのである。扇子は炎をからめて、真中が金色の銀杏の葉のように小さく残った。  墓所の暗夜── 「お悦さん……」 「…………」 「……火の羽衣を舞おう。もう一度舞台に立って、人間界に降りた天人を、地獄、餓鬼、畜生、三途まで奈落へ堕して、……といって、自殺をするほどの覚悟も出来ない卑怯ものだから、冥途へ捷径の焼場人足、死人焼になって、胆を鍛えよう。それからだ、その上で…… ──(愛鷹山や富士の高嶺かすかになりて、天つ御空の霞に)──  羽衣が三保の浦に靉靆くか、どうかを見るんだ、しかし、お悦さん、……」 「兄さん、口で云う事はほんとうに行らなくっては可厭ですよ。」 「勿論──しかしお悦さん……酒はこぼれやしまいね。」 十一  私というものは、──ここで恥を云うが──(崇拝をしているから、先生と言う。)紅葉先生の作新色懺悔の口絵に、墓参の婦人を、背後の墓に外套の肱をついて凭掛って、熟と視ている人物がある。先生の肖顔だという風説があって、男振がいかにもいい。  ──男振は論じない。私のこの場合がちょっとその趣に似ていた。困った了簡方の男で、そこでいい心地になって、石塔に肱をついて、塔婆の陰から覗いたうちに、真暗になったから、ハッと思うと、誰も居ない。──とろりとして夢を見たのであろうか。  寺の屋根も、この墓場も、ほとんどものの黒白を分たない。が、門の方の峰の森から、釣鐘堂の屋根に、霧を辷って来たような落葉の褥を敷いた、青い光明は、半輪の月である。  枯葎を手探りで、墓から迷って出たように、なお夢心地で、潜門を──何となく気咎めがして──密と出ると、覚えた路はただ一筋、穴の婆さんのあたりに提灯が一つある。  ──来る時、この裏の藪を潜っても、同じ墓所へ行く、とお悦が言った。──ははあ搦手から出たかと思う、その提灯がほんのりと、半身の裾を映す……褄は彼の人よりも若く、しっとりと、霧に蔦もみじした紅の、内端に細さよ。  雪代であった。夢ではない。 「ああ、先生、母から自働電話で……(大急ぎでこっちへお迎いに。)……と云うものですから──すぐ自動車が間に合いましたの。」  母──そのお悦は、しかし、電話を掛け棄てにして、八郎とともに行くべき処へ去ったのである。  一柳亭の奥座敷で、雪代がしめやかに話した。 「……ほんとうにこまった人ですの。申訳はありません。時々、魔が魅したようになりますんです。でも、悪魔ばかりではないと見えましてね……今日なぞは、舞台で、母があの狂気を行らないと、小父さんは、壮士のような人たち大勢に打たれる処だったらしいんですよ。──橋がかりの際の、私の居まわりにも、羽織袴だの、洋服だので、合図をかわしていました。気がついて、はっと思いました時が、母のあの騒ぎなんです。──帰りがけにね、大勢ぞろぞろと歩行きます人中に、私も交っているとはお知んなさらないものですから、……(へなちょこ伯父が何だい、あんな節のない謡なんか、ただ口を利いてるようだ。東京の謡は場違いだな、こっちから縁を切る。)と、お久さんの息子さんたちが言っていましたよ。お久さんは、しくしく泣いていなすったようでしたけれども。……  八郎さんの奥さんに──いいえ、先生、それは大丈夫でしょうと思います……昔から、あの、店の、紅屋の福助の人形に邪魔をされますから。  電話でも、(あの張子を、密とうしろ向きにするか、針で目を潰して出ておくれ、今度こそは、きっと頼んだよ。母さんの頼みだよ。)と言いました。けれども、私は決してそれはしませんでした。  ですから、谷内谷内──ええ、おんなじ字を重ねますんです。谷内谷内の野三昧で、兄さんと死骸を焼くんでしょう。それはほんとうで、そうして、それだけだろうと思います。  親類うちに、お産なぞありますとね、気が向くと、京都、岡山まででも飛出して、二月三月帰らない事が度々ありました。お産の世話なんかするのも、死人焼をするのも、そんなに違いやしませんでしょう。」……  死人を焼くのと、産の世話と、そんなに違いはしないと言う……この母にしてこの娘である。……雪の下を流るる血は、人知らぬ篝に燃ゆる。たとえば白魚に緋桜のこぼるるごとく。──  これは蒼鬣魚を見て、海底の砂漠の影を想ったような空なものではない。  聞く処に従うと、紅屋の内儀の貞操は、かかって、おでこの古福助の煤の頭にある。心細い道徳だが、ないよりは可かろう。八郎に取っても、お久という人の一類と交渉を持たなくてはならないのなら、むしろ野三昧の人足の方が増かも知れない。いわんや、亡者を焼く烈々たる炎には、あの雪の膚が脂を煮ようものを。朱唇に煉炭を吹こうものを。──  私にしても仮にこの雪代夫人と…… 「でも、小父さんは気が弱いんですね、──あの、お久さんの頸の下が三寸ばかり、きれいで……似ているって、」  耳朶をほんのり染めつつ、 「私のここへ──倒れて泣いたんです。涙がね、先生、随分泣いて、まだ、しっとりとしていますわ。情の迫った涙ですもの、着換えるのが惜いんです。」  私は危くその背に手を当てようとした。  翌日、朝、汽車で立つ時、雪代さんが、ひとり衣紋を正して送った。  もう一人、中学の、くちゃくちゃの制帽と服で、鍵裂だらけで、素足に高足駄を穿いた勇壮な少年がある。酒の席などでは閑却されたが雪代夫人の弟である。 「……先生、学校でも、教師も生徒も知ってるんですよ、先生の来た事を。僕、お話をききたかったんだけれど、この姉なんぞが邪魔にしおって……」 「邪魔にはしませんよ。」 「何いってやんでえ! おかめ。」 「ああ、もう出ます──先生、くれぐれも八郎さんが言ってでした。……ほかにお見せ申すものはありませんが、是非、白山を見て下さいって。」 「先生、一番近いんじゃあ、布村って駅を出て、約千五百メエトルばかり行くと、はじめて真白な巓が見えますから。──いえ、谷内谷内は方角が違うんです。」  私は学生に手を伸べた。 「君、握手しよう──姉さんは、よその奥さんだから。」 「まあ、可厭ですこと……」  学生に講義する私の学問は、学校の名誉のために黙っておこう。  白山は、藍色の雲間に、雪身の竜に玉の翼を放って翔けた。悪く触れんとするものには、その羽毛が一枚ずつ白銀の征矢になって飛ぼう。  が、その暗く雲に包まれた麓の底に、一ヶ所、野三昧の小屋があって、二人が火を焚いていそうでならない。  八郎はまだ帰京せぬ。  ──細君は煩っているのである。 昭和二(一九二七)年四月 底本:「泉鏡花集成8」ちくま文庫、筑摩書房    1996(平成8)年5月23日第1刷発行 底本の親本:「鏡花全集 第二十三卷」岩波書店    1942(昭和17)年6月22日第1刷発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:門田裕志 校正:仙酔ゑびす 2011年5月7日作成 青空文庫作成ファイル: 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