菊あわせ 泉鏡花 Guide 扉 本文 目 次 菊あわせ 「蟹です、あのすくすくと刺のある。……あれは、東京では、まだ珍らしいのですが、魚市をあるいていて、鮒、鰡など、潟魚をぴちゃぴちゃ刎ねさせながら売っているのと、おし合って……その茨蟹が薄暮方の焚火のように目についたものですから、つれの婦ども、家内と、もう一人、親類の娘をつれております。──ご挨拶をさせますのですが。」  画工、穂坂一車氏は、軽く膝の上に手をおいた。巻莨を火鉢にさして、 「帰りがけの些細な土産ものやなにか、一寸用達しに出掛けておりますので、失礼を。その娘の如きは、景色より、見物より、蟹を啖わんがために、遠路くッついて参りましたようなもので。」 「仕合せな蟹でありますな。」  五十六七にもなろう、人品のいい、もの柔かな、出家容の一客が、火鉢に手を重ねながら、髯のない口許に、ニコリとした。 「食われて蟹が嬉しがりそうな別嬪ではありませんが、何しろ、毎日のように、昼ばたごから──この旅宿の料理番に直接談判で蟹を食ります。いつも脚のすっとした、ご存じの楚蟹の方ですから、何でも茨を買って帰って──時々話して聞かせます──一寸幅の、ブツ切で、雪間の紅梅という身どころを噛ろうと、家内と徒党をして買ったのですが、年長者に対する礼だか、離すまいという喰心坊だか、分りません。自分で、赤鬼の面という……甲羅を引からげたのを、コオトですか、羽織ですか、とに角紫色の袖にぶら下げた形は──三日月、いや、あれは寒い時雨の降ったり留んだりの日暮方だから、蛇の目とか、宵闇の……とか、渾名のつきそうな容子で。しかし、もみじや、山茶花の枝を故と持って、悪く気取って歩行くよりはましだ、と私が思うより、売ってくれた阿媽の……栄螺を拳で割りそうなのが見兼ねましてね、(笊一枚散財さっせい、二銭か、三銭だ、目の粗いのでよかんべい。)……いきなり、人混みと、ぬかるみを、こね分けて、草鞋で飛出して、(さあさあ山媽々が抱いて来てやったぞ)と、其処らの荒物屋からでしょう、目笊を一つ。おどけて頭へも被らず、汚れた襟のはだかった、胸へ、両手で抱いて来ましたのは、形はどうでも、女ごころは優しいものだと思った事です。」  客僧は、言うも、聞くも、奇特と思ったように頷いた。 「値をききました始めから、山媽々が、品は受合うぞの、山媽々が、今朝しらしらあけに、背戸の大釜でうで上げたの、山媽々が、たった今、お前さんたちのような、東京ものだろう、旅の男に、土産にするで三疋売ったなどと、猛烈に饒舌るのです。──背戸で、蟹をうでるなら、浜の媽々でありそうな処を、おかしい、と婦どもも話したのですが。──山だの──浜だの、あれは市の場所割の称えだそうで、従って、浜の娘が松茸、占地茸を売る事になりますのですね。」 「さようで。」  と云って、客僧は、丁寧にまたうなずいた。 「すぐ電車で帰りましょうと、大通……辻へ出ますと、電車は十文字に往来する。自動車、自転車。──人の往来は織るようで、申しては如何ですが、唯表側だけでしょうけれど、以前は遠く視められました、城の森の、石垣のかわりに、目の前に大百貨店の電燈が、紅い羽、翠の鏃の千の矢のように晃々と雨道を射ています。魚市の鯛、蝶、烏賊蛸を眼下に見て、薄暗い雫に──人の影を泳がせた処は、喜見城出現と云った趣もありますが。  また雨になりました。  電燈のついたばかりの、町店が、一軒、檐下のごく端近で、大蜃の吹出したような、湯気をむらむらと立てると、蒸籠から簀の子へぶちまけました、うまそうな、饅頭と、真黄色な?……」 「いが餅じゃ、ほうと、……暖い、大福を糯米でまぶしたあんばい、黄色う染めた形ゆえ、菊見餅とも申しますが。」 「ああ、いが餅……菊見餅……」 「黒餡の安菓子……子供だまし。……詩歌にお客分の、黄菊白菊に対しては、聊か僭上かも知れぬのでありますな。」  と骨ばった、しかし細い指を、口にあてて、客僧は軽く咳いた。 「──一別以来、さて余りにもお久しい。やがて四十年ぶり、初めてのあなたに、……ただ心ばかり、手づくりの手遊品を、七つ八つごろのお友だち、子供にかえった心持で持参しました。これをば、菊細工、菊人形と、今しがた差出て名告りはしましたものの、……お話につけてもお恥かしい。中味は安餡の駄菓子、まぶしものの、いが細工、餅人形とも称えますのが適当なのでありましたよ。」  寛いだ状に袖を開いて、胸を斜に見返った。卓子台の上に、一尺四五寸まわり白木の箱を、清らかな奉書包、水引を装って、一羽、紫の裏白蝶を折った形の、珍らしい熨斗を添えたのが、塵も置かず、据えてある。  穂坂は一度取って量を知った、両手にすっと軽く、しかし恭しく、また押戴いて据直した。 「飛でもないお言葉です。──何よりの品と申して、まだ拝見をいたしません。──頂戴をしますと、そのまた、玉手箱以上、あけて見たいのは山々でございました。が、この熨斗、この水引、余りお見事に遊ばした。どうにか絵の具は扱いますが、障子もはれない不器用な手で、しかもせっかちのせき心、引き毮りでもしましては余りに惜い。蟹を噛るのは難ですが、優しい娘ですから、今にも帰りますと、せめて若いものの手で扱わせようと存じまして、やっとがまんをしましたほどです。」  ──話に機かけをつけるのではない。ごめん遊ばせと、年増の女中が、ここへ朱塗の吸物膳に、胡桃と、鶇、蒲鉾のつまみもので。……何の好みだか、金いりの青九谷の銚子と、おなじ部厚な猪口を伏せて出た。飲みてによって、器に説はあろうけれども、水引に並べては、絵の秋草もふさわしい。卓子台の上は冬の花野で、欄間越の小春日も、朗かに青く明るい。──客僧の墨染よ。 「一献頂戴の口ではいかがですか、そこで、件の、いが餅は?」  一車は急しく一つ手酌して、 「子供のうち大好きで、……いやお話がどうも、子供になります。胎毒ですか、また案じられた種痘の頃でしたか、卯辰山の下、あの鶯谷の、中でも奥の寺へ、祖母に手を引れては参詣をしました処、山門前の坂道が、両方森々とした樹立でしょう。昼間も、あの枝、こっちの枝にも、頭の上で梟が鳴くんです。……可恐い。それに歩行かせられるのに弱って、駄々をこねますのを(七日まいり、いが餅七つ。)と、すかされるので、(七日まいり、いが餅七つ。)と、唄に唄って、道草に、椎や、団栗で数とりをした覚えがあります。それなんですから。……  ほかほかと時雨の中へ──餅よりは黄菊の香で、兎が粟を搗いたようにおもしろい。あれはうまい、と言いますと、電車を待って雨宿りをしていたのが、傘をざらりと開けて、あの四辻を饅頭屋へ突切ったんです。──家内という奴が、食意地にかけては、娘にまけない難物で、ラジオででも覚えたんでしょう。球も鞠も分らない癖に、ご馳走を取込むせつは相競って、両選手、両選手というんですから。いが餅、饅頭の大づつみを、山媽々の籠の如くに抱いて戻ると、来合わせた電車──これが人の瀬の汐時で、波を揉合っていますのに、晩飯前で腹はすく、寒し……大急ぎで乗ったのです。処が、並んで真中へ立ちました。近くに居ると、頬辺がほてるくらい、つれの持った、いが、饅頭が、ほかりと暖い。暖いどころか、あつつ、と息を吹く次第で。……一方が切符を買うのに、傘は私が預り、娘が餅の手がわりとなる、とどうでしょう。薄ゴオトで澄ましたはいいが、裙をからげて、長襦袢の紅入を、何と、引さばいたように、赤うでの大蟹が、籠の目を睨んで、爪を突張る……襟もとからは、湯上りの乳ほどに、ふかしたての餅の湯気が、むくむくと立昇る。……いやアたなびく、天津風、雲の通路、といったのがある。蟹に乗ってら、曲馬の人魚だ、といううちに、その喜見城を離れて行く筈の電車が、もう一度、真下の雨に漾って、出て来た魚市の方へ馳るのです。方角が、方角が違ったぞ、と慌てる処へ、おっぱいが飲みたい、とあびせたのがあります。耳まで真赤になる処を、娘の顔が白澄んで青味が出て来た。狐につままれたか知ら、車掌さん済みませんが乗りかえを、と家内のやつが。人のいい車掌でした。……黙って切ってくれて、ふふふんと笑うと、それまで堪えていたらしい乗客が一斉に哄と吹出したじゃありませんか。次の停車場へ着くが早いか、真暗三宝です。飛降同然。──処が肝心の道案内の私に、何処だか町が分りません。どうやら東西だけは分っているようですけれども、急に暗くなった処へ、ひどい道です。息休めの煙草の火と、暗い町の燈が、うろつく湯気に、ふわふわ消えかかる狐火で、心細く、何処か、自動車、俥宿はあるまいかと、また降出した中を、沼を拾う鷺の次第──古外套は鷭ですか。──ええ電車、電車飛でもない、いまのふかし立ての饅頭の一件ですもの。やっと、自動車で宿へ帰って──この、あなた、隣の室で、いきなり、いが餅にくいつくと、あ熱、……舌をやけどしたほどですよ。で、その自動車が、町の角家で見つかりました時、夜目に横町をすかしますと、真向うに石の鳥居が見えるんです。呆れもしない、何の事です。……あなたと、ご一所、私ども、氏神様の社なんじゃありませんか。三羽、羽掻をすくめてまごついた処は、うまれた家の表通りだったのですから……笑事じゃありません。些と変です。変に、気味が悪い。尤も、当地へ着きますと、直ぐ翌日、さいわい、誂えたような好天気で、歩行くのに、ぼっと汗ばみますくらい、雛が巣に返りました、お鳥居さきから、帽も外套も脱いでお参りをしたのです。が、拝殿の、階の、あの擬宝珠の裂けた穴も昔のままで、この欄干を抱いて、四五尺、辷ったり、攀登ったか、と思うと、同じ七つ八つでも、四谷あたりの高い石段に渡した八九間の丸太を辷って、上り下りをする東京は、広いものです。それだけ世渡りに骨が折れます訳だと思います。いや、……その時参詣をしていましたから、気安めにはなりましたものの、実は、ふかし立ての餅菓子と茨蟹で電車などは、些と不謹慎だったのですから。」 「それも旅の一興。」  と、客僧は、忍辱の手をさしのべて、年下の画工を、撫でるように言ったのである。 「が、しかし、故郷に対して、礼を失したかも知れません。ですから、氏神、本殿の、名剣宮は、氏子の、こんな小僧など、何を刎ねようと、蜻蛉が飛んでるともお心にはお掛けなさいますまい。けれども、境内のお末社には、皆が存じた、大分、悪戯ずきなのがおいでになります。……奥の院の、横手を、川端へ抜けます、あのくらがり坂へ曲る処……」 「はあ、稲荷堂。──」 「すぐ裏が、あいもかわらず、崩れ壁の古い土塀──今度見ました時も、落葉が堆く、樹の茂りに日も暗し、冷い風が吹きました。幅なら二尺、潜り抜け二間ばかりの処ですが、御堂裏と、あの塀の間は、いかなるわんぱくと雖も、もぐる事は措き、抜けも、くぐりも絶対に出来なかった。……思出しても気味の悪い処ですから、耳は、尖り、目は、たてに裂けたり、というのが、じろりと視て、穂坂の矮小僧、些と怯かして遣ろう、でもって、魚市の辻から、ぐるりと引戻されたろうと、……ですね、ひどく怯えなければならない処でした。何しろ、昔から有名な、お化稲荷。……」  と、言いかけると、清く頬のやせた客僧が、掌を上げて、またニコリとしながら、頭を一つ、つるりと撫でた。 「われは化けたと思えども、でござろうかな。……彼処を、礼さん。」──  急に親しく、画工を、幼名に呼びかけて、 「はて、彼処をさように魔所あつかい、おばけあつかいにされましてはじゃ、この似非坊主、白蔵主ではなけれども、尻尾が出そうで、擽っとうてならんですわ。……口上で申通じたばかり、世外のものゆえ、名刺の用意もしませず──住所もまだ申さなんだが、実は、あの稲荷の裏店にな、堂裏の崩塀の中に住居をします。」  という、顔の色が、思いなしでも何でもない、白樺の皮に似て、由緒深げに、うそ寂しい。  が、いよいよ柔和に、温容で、 「じゃが、ご心配ないようにな、暗い冷い処ではありません──ほんの掘立の草の屋根、秋の虫の庵ではありますが、日向に小菊も盛です。」  と云って、墨染の袖を、ゆったりと合わせた。──さて聞けば、堂裏のそのくずれ塀の穴から、前日、穂坂が、くらがり坂を抜けたのを見たのだという。時に、日あたりの障子の白さが、その客僧の頬に影を積んで、むくむくと白い髯さえ生えたように見える。官吏もした、銀行に勤めもした──海外の貿易に富を積んだ覚えもある。派手にも暮らし、寂しくも住み、有為転変の世をすごすこと四十余年、兄弟とも、子とも申さず、唯血族一統の中に、一人、海軍の中将を出したのを、一生の思出に、出離隠遁の身となんぬ。世には隠れたれども、土地、故郷の旧顔ゆえ、いずれ旅店にも懇意がある。それぞれへ聞合わせて、あまりの懐しさに、魚市の人ごみにも、電車通りの雑沓にも、すぎこしかたの思出や、おのが姿を、化けた尻尾の如く、うしろ姿に顧み、顧み、この宿を訪ねたというのである。  一車は七日逗留した。──今夜立って帰京する……既に寝台車も調えた。荷造りも昨夜かたづけた。ゆっくりと朝餉を済まして、もう一度、水の姿、山の容を見に出よう。さかり場を抜けながら。で、婦は、もう座敷を出かかった時であった。  女中が来て、お目にかかりたいお人がある……香山の宗参──と伝えて、と申されました、という。……宗さん──余りの思掛けなさに、一車は真昼に碧い星を見る思がしたそうである。いや、若じにをされて、はやくわかれた、母親の声を、うつくしく、かすかな、雲間から聞く思いがした、と言うのである。玉の緒の糸絶えておよそ幾十年の声であろう。香山の宗さん──自分で宗さんと名のるのも、おかしいといえばおかしい……あとで知れた、僧名、宗参との事であるが、この名は、しかも、幼い時の記憶のほか、それ以来の環境、生活、と共に、他人に呼び、自分に語る機会と云っては実に一度もなかった。だから、なき母からすぐに呼続がれたと同じに思った。香山の宗さん。宗さんと、母親の慈愛の手から、学校にも、あそびにも、すぐにその年上の友だちの手にゆだねられるのがならいだったからである。念のために容子を聞くと、年紀は六十近い、被布を着ておらるるが、出家のようで、すらりと痩せた、人品の好い法体だという。騎馬の将軍というより、毛皮の外套の紳士というより、遠く消息の断えた人には、その僧形が尚お可懐い。「ああ、これは──小学校へ通いはじめに、私の手を曳いてつれてってくれた、町内の兄哥だ。」と、じとじとと声がしめると、立がけの廊下から振返って、「おばさんと手をひかれるのとどっち?」「……」と呆れた顔して、「おばさんに聞いてごらん。」「じゃあ、私と、どっち。」どうも、そういう外道は、速かに疎遠して、僧形の餓鬼大将を迎えるに限る。……。  女どもを出掛けさせ、慌しく一枚ありあわせの紋のついた羽織を引掛け、胸の紐を結びもあえず、恰も空いていたので、隣の上段へ招じたのであった。 「──特に、あの御堂は、昔から神体がわかりません。……第一何と申すか、神名がおありなさらないのでありましてな、唯至って古い、一面の額に、稲荷明神──これは誰が見ても名書であります。惜い事に、雨露、霜雪に曝され、蝕もあり、その額の裏に、彩色した一叢の野菊の絵がほのかに見えて、その一本の根に(きく)という仮名があります。これが願主でありますか──或は……いや実は仔細あって、右の額は、私が小庵に預ってありましてな、内々で、因縁いわれを、朧気ながら存ぜぬでもありませぬじゃが、日短と申し、今夕はおたちと言う、かく慌しい折には、なかなか申尽されますまい。……と申す下から……これはまた種々お心づかいで、第一、鯛ひらめの白いにもいたせ、刺身を頬張った口からは、些と如何かと存じますので──また折もありましょうと存じますが、ともかく、祭られましたは、端麗な女体じゃ、と申します。秘密の儀で。……  さて、随縁と申すは、妙なもので、あなたはその頃、鬼ごっこ、かくれん坊──勿論、堂裏へだけはお入りなさらなかったであろうが、軍ごっこ。棕櫚箒の朽ちたのに、溝泥を掻廻して……また下水の悪い町内でしたからな……そいつを振廻わすのが、お流儀でしたな。」 「いや、どうも……」 「ははは、いやどうも、あの車がかりの一術には、織田、武田。……子供どころか、町中が大辟易。いつも取鎮め役が、五つ、たしか五つと思います、年上の私でしてな。かれこれ、お覚えはあるまいけれども、町内の娘たちが、よく朝晩、あのお堂へ参詣をしたものです。その女体にあやかったのと、また、直接に申すのも如何じゃけれど、あなたのお母さんが、ご所有だった──参勤交代の屋敷方は格別、町屋には珍らしい、豊国、国貞の浮世絵──美人画。それを間さえあれば見に集る……と、時に、その頃は、世なみがよく、町も穏で、家々が皆相応にくらしていましたから、縞、小紋、友染、錦絵の風俗を、そのまま誂えて、着もし、着せたのでもありました。  江戸絵といった、江戸絵の小路と、他町までも申しましたよ。またよく、いい娘さんが揃っていました。(高松のお藤さん)(長江のお園さん、お光さん)医師の娘が三人揃って、(百合さん)(婦美さん)(皐月さん)歯を染めたのでは、(お妾のお妻さん)(割鹿の子のお京さん)──極彩色の中の一人、(薄墨の絵のお銀さん)──小銀のむかし話を思わせます──継子ではないが、預り娘の掛人居候。あ、あ、根雪の上を、その雪よりも白い素足で、草履ばきで、追立て使いに、使いあるき。それで、なよなよとして、しかも上品でありました。その春の雪のような膚へ──邪慳な叔父叔母に孝行な真心が、うっすりと、薄紅梅の影になって透通る。いや、お話し申すうちにも涙が出ますが、間もなくあわれに消えられました。遠国へな。──お覚えはありませんか、よく、礼さん、あなたを抱いた娘ですよ。」 「済まない事です──墓も知りません。」  一車が、聞くうちに、ふと涙ぐんだのを見ると、宗参は、急に陽気に、 「尤も……人形が持てなかった、そのかわりだと思えば宜しい。」 「果報な、羨しい人形です。」 「……果報な人形は、そればかりではありません。あなたを、なめたり、吸ったり、負ってふりまわしたり──今申したお銀さんは、歌麿の絵のような嫋々とした娘でしたが、──まだ一人、色白で、少しふとり肉で、婀娜な娘。……いや、また不思議に、町内の美しいのが、揃って、背戸、庭でも散らず、名所の水の流をも染めないで、皆他国の土となりました。中にも、その婀娜なのは、また妙齢から、ふと魔に攫われたように行方が知れなくなりましたよ。そういう、この私にしても。」  手で圧えた宗参の胸は、庭の柿の梢が陰翳って暗かった。が、溜息は却って安らかに聞こえつつ。 「八方、諸国、流転の末が、一頃、黒姫山の山家在の荒寺に、堂守坊主で居りました時、千箇寺まいり、一人旅の中年の美麗な婦人──町内の江戸絵の中と……先ず申して宜しい。長旅の煩いを、縁あって、貧寺で保養をさせました。起臥の、徒然に、水引の結び方、熨斗の折り方、押絵など、中にも唯今の菊細工──人形のつくり方を、見真似に覚えもし、教えもされましたのが、……かく持参のこの手遊品で。」  卓上を見遣った謙譲な目に、何となく威が見える。 「ものの、化身の如き、本家の婦人の手すさびとは事かわり、口すぎの為とは申せ、見真似の戯れ仕事。菊細工というが、糸だか寄切れだか……ただ水引を、半輪の菊結び、のしがわりの蝶の羽には、ゆかり香を添えました。いや、しばらく。ごらんを促したようで心苦しい、まずしばらく。  ──処で、名剣神社前の、もとの、私どもの横町の錦絵の中で、今の、それ、婀娜一番、という島田髷を覚えていらっしゃろう。あなたの軒ならび三軒目──さよう、さよう、さよう、それ、前夜、あなたが道を違えて、捜したとお話しのじゃ。唯今の自動車屋が、裏へ突抜けにその娘の家でありますわ。」 「ええ、松村の(おきい)さん。」  といって、何故か、はっと息を引いた。 「いや、あれは……子供が、つい呼びいいので、(おきいさん、おきいさん)で通りました。実は、きく、本字で(奇駒)とよませたのだそうでありましたが、いや何しろ──手綱染に花片の散った帯なにかで、しごきにすずを着けて、チリリン……もの静かな町内を、あの娘があるくと直ぐに鳴った──という育ちだから、お転婆でな──  何を……覚えておいでか知らん、大雪の年で、廂まで積った上を、やがて、五歳になろうという、あなたを、半てんおんぶで振って歩行いた。可厭だい、おりよう、と暴れるのを揉んで廻ると、やがてお家の前へ来たというのが、ちょうど廂、ですわ。大な声で、かあちゃん、と呼ぶものだから、二階の障子が開く。──小菊を一束、寒中の事ゆえ花屋の室のかこいですな──仏壇へお供えなさるのを、片手に、半身で立ちなすった、浅葱の半襟で、横顔が、伏目は、特にお優しい。  私は拝借の分をお返ししながら、草双紙の、あれは、白縫でありましたか、釈迦八相でありましたか。……続きをお借り申そうと、行きかかった処でありました。転婆娘が、(あの、白菊と、私の黄ぎくと、どっちがいい、ええ坊や。)──礼さん、あなたが、乗上って、二階の欄干へ、もろ手を上げて、身もだえをしたとお思いなさい。(坊主になって極楽へおいで、)と云った。はて──それが私だと、お誂えでありましたよ。」  一寸言を切った。 「……いうが早いか、何と、串戯にも、脱けかかった脊筋から振上げるように一振り振ったはずみですわ!……いいかげん揉抜いた負い紐が弛んだ処へ、飛上ろうとする勢で、どん、と肩を抜けると、ひっくりかえった。あなたが落ちた。(あら、地獄)と何と思ったか、お奇駒さんが茫然と立ちましたっけが、女の身にすれば、この方が地獄同様。胸を半分、膚が辷って、その肩、乳まで、光った雪よりも白かった。  雪の上じゃ、些とも怪我はありませんけれども、あなた、礼坊は、二階の欄干をかけて、もんどりを打って落ちたに違わぬ。  吃驚して落しなすった、お母さんの手の仏の菊が、枕になって、ああ、ありがたい、その子の頭に敷きましたよ。」  慄然と、肩をすくめると、 「宗さん、宗さん。」  続けて呼んだが、舌が硬ばり、息つぎの、つぎざましに、猪口の手がわなわなふるえた。 「ゆ、ゆめだか、現だかわかり兼ねます。礼吉が、いいかげん、五十近いこの年でありませんと、いきなり、ひっくりかえって、立処に身体が消えたかも分りません。またあなたが、忽ち光明赫燿として雲にお乗りになるのを視たかも知れません。また、もし氏神の、奥境内の、稲荷堂うらの塀の崩れからお出でになったというのが事実だとすると……忽ちこの天井。」  息を詰めて、高く見据えた目に、何の幻を視たろう。 「……この天井から落葉がふって、座敷が真暗になると同時に、あなたの顔……が狐……」 「穏かならず、は、は、は。穏でありませんな。」 「いいえ、いや。……と思うほど、立処に、私は気が狂ったかも知れないと申すのです。」 「また、何故にな。」 「さ、そ、それというのがです。……いうのがです。」 「まま一献まいれ。狐坊主、昆布と山椒で、へたの茶の真似はしまするが、お酌の方は一向なものじゃが、お一つ。」 「……気つけと心得、頂戴します。──承りました事は、はじめてで、まる切り記憶にはないのですけれども、なるほど伺えば、人間生涯のうちに、不思議な星に、再び、出逢う事がありそうに思われます、宗さん……  ──お聞き下さいまし──  落着いて申します。勿論、要点だけですが、あなたは国産の代理店を、昔、東京でなすっておいでだったと承りますし……そんな事は、私よりお悉しいと存じますが、浅草の観世音に、旧、九月九日、大抵十月の中旬過ぎになりますが、その重陽の節、菊の日に、菊供養というのがあります。仲見世、奥山、一帯に売ります。黄菊、白菊、みな小菊を、買っていらっしゃい、買っていらっしゃい、お花は五銭──あの、些と騒々しい呼声さえ、花の香を伝えるほどです。あたりを静に、圧えるばかり菊の薫で、これを手ン手に持って参って、本堂に備えますと、かわりの花を授って帰りますね。のちに蔭干にしたのを、菊枕、枕の中へ入れますと、諸病を払うというのです。  二階の欄干へ飛ぼうとして、宙に、もんどりを打って落ちて、小菊が枕になったという。……頭から悚然としました。──近頃、信心気……ただ恭敬、礼拝の念の、薄くなりはしないかと危ぶまれます、私の身で、もし、一度、仲見世の敷石で仰向けに卒倒しましたら、頭の下に、観世音の菊も、誰の手の葉も枝もなく、行倒れになったでしょう。  いえ、転んだのではないのです、危く、怪しく美しい人を見て、茫然となったのです。大震災の翌年奥山のある料理店に一寸した会合がありまして、それへ参りましたのが、ちょうどその日、菊の日に逢いました。もう仲見世へ向いますと、袖と裾と襟と、まだ日本髷が多いのです。あの辺、八分まで女たちで、行くのも、来るのも、残らず、菊の花を手にしている。折からでした、染模様になるよう、颯と、むら雨が降りました。紅梅焼と思うのが、ちらちらと、もみじの散るようで、通りかかった誰かの割鹿の子の黄金の平打に、白露がかかる景気の──その紅梅焼の店の前へ、お参の帰りみち、通りがかりに、浅葱の蛇目傘を、白い手で、菊を持添えながら、すっと穿めて、顔を上げた、ぞっとするような美人があります。珍らしい、面長な、それは歌麿の絵、といっていい媚めかしい中に、うっとりと上品な。……すぼめた傘は、雨が晴れたのではありません。群集で傘と傘が渋も紺も累り合ったために、その細い肩にさえ、あがきが要ったらしいので。……いずれも盛装した中に、無雑作な櫛巻で、黒繻子の半襟が、くっきりと白い頸脚に水際が立つのです。藍色がかった、おぶい半纏に、朱鷺色の、おぶい紐を、大きく結えた、ほんの不断着と云った姿。で、いま、傘をすぼめると、やりちがえに、白い手の菊を、背中の子供へさしあげました。横に刎ねて、ずり下る子供の重みで、するりと半纏の襟が辷ると、肩から着くずれがして、緋を一文字に衝と引いた、絖のような肌が。」 「ははあ──それは、大宇宙の間に、おなじ小さな花が二輪咲いたと思えば宜しい。」  と、いう、宗参の眉が緊った。 「鬢のはずれの頸脚から、すっと片乳の上、雪の腕のつけもとかけて、大きな花びら、ハアト形の白雪を見たんです。  ──お話につけて思うんです。──何故、その、それだけの姿が、もの狂おしいまで私の心を乱したんでしょうか。──大宇宙に咲く小さな花を、芥子粒ほどの、この人間、私だけが見たからでしょうな。」 「いや些と大きな、坊主でも、それは見たい。」  と、宗参は微笑んだ。  障子の日影は、桟をやや低く算え、欄間の下に、たとえば雪の積ったようである。  鳥影が、さして、消えた。 「しかし、その時の子供は、お奇駒さんの肌からのように落ちはしません。が、やがて、そのために──絵か、恋か、命か、狂気か、自殺か。弱輩な申分ですが、頭を掻毟るようになりまして、──時節柄、この不景気に、親の墓も今はありません、この土地へ、栄耀がましく遊びに参りましたのも、多日、煩らいました……保養のためなのでした。」 「大慈大悲、観世音。おなくなりの母ぎみも、あなたにお疎しかろうとは存ぜぬ。が、その砌、何ぞ怪我でもなさったか。」 「否、その時は、しかも子供に菊を見せながら、艶に莞爾したその面影ばかりをなごりに、人ごみに押隔てられまして、さながら、むかし、菊見にいでたった、いずれか御簾中の行列、前後の腰元の中へ、椋鳥がまぐれたように、ふらふらと分れたんです。  それ切ですが、続けて、二年、三年、五年、ざっと七年目に当ります、一昨年のおなじ菊の日──三度に二度、あの供養は、しぐれ時で、よく降ります。当日は、びしょびしょ降。誰も、雨支度で出ましたが、ゆき来の菊も、花の露より、葉の雫で、気も、しっとりと落着いていました。  ここぞと、心も焦つくような、紅梅焼の前を通過ぎて、左側、銀花堂といいましたか、花簪の前あたりで、何心なく振向くと、つい其処、ついうしろに、ああ、あの、その艶麗な。思わず、私は、突きのめされて二三間前へ出ました。──その婦人が立っていたのです。いや、静に歩行いています。おなじ姿で、おぶい半纏で。  唯、背負紐が、お待ち下さい──段々に、迷いは深くなるようですが──紫と水紅色の手綱染です。……はてな、私をおぶった、お奇駒さんの手綱染を、もしその時知っていましたら……」 「それは、些とむずかしい。」 「承った処では、お奇駒さんの、その婀娜なのと、もう一人の、お銀さんの、品よく澄んで寂しいのと、二人を合わせたような美しさで、一時に魅入ったのでしょう。七年めだのに、些とも、年を。  無論、それだけの美人ですから、年を取ろうとは思いません。が、そのおぶってる子が、矢張り……と云って、二度めの子だか、三度目だか、顔も年も覚えていません。  ──まりやの面を見る時は基督を忘却する──とか、西洋でも言うそうです。  右になり、左になり、横ちがいに曲んだり、こちらは人をよけて、雨の傘越しに、幾度も振返る。おなじ筋を、しかし殆ど真直に、すっと、触るもののないように、その、おぶい半纏の手綱染が通りました。  普請中──唯今は仮堂です。菊をかえて下りましたが、仏前では逢いません。この道よりほかにはない、と額下の角柱に立って、銀杏の根をすかしても、矢大臣門を視めても、手水鉢の前を覗いても、もうその姿は見えません。── 仏身円満無背相。 十方来人聞万面。」──  宗参が、 「実に、実に。」  と面を正して言った。 「正面の、左右の聯の偈を……失礼ながら、嬉しい、御籤にして、思の矢の的に、線香のたなびく煙を、中の唯一条、その人の来る道と、じっと、時雨にも濡れず白くほろほろとこぼれるまで待ちましたが、すれ違い押合う女連にも、ただ袖の寒くなりますばかり。その伝法院の前を来るまでは見たのですのに、あれから、弁天山へ入るまでの間で、消えたも同じに思われました。」  宗参の眉が動いた。 「はて、通り魔かな。──或類属の。」 「ええ通り魔……」 「いや、先ず……」 「三度めに。」 「さんど……めに……」 「え。」 「なるほど。」 「また、思いがけず逢いましたのが、それが、昨年、意外とも何とも、あなた!……奥伊豆の山の湯の宿なんです。もう開けていて、山深くも何ともありません、四五度行馴れておりますから、谷も水もかわった趣と云ってはありませんが、秋の末……もみじ頃で、谿河から宿の庭へ引きました大池を、瀬になって、崖づくりを急流で落ちます、大巌の向うの置石に、竹の樋を操って、添水──僧都を一つ掛けました。樋の水がさらさらと木の刳りめへかかって一杯になると、ざアと流へこぼれます、拍子を取って、突尖の杵形が、カーン、何とも言えない、閑かな、寂しい、いい音がするんです。其処へ、ちらちらと真紅な緋葉も散れば、色をかさねて、松杉の影が映します。」 「はあ、添水──珍らしい。山田守る僧都の身こそ……何とやら……秋はてぬれば、とう人もなし、とんと、私の身の上でありますが、案山子同様の鹿おどし、……たしか一度、京都、嵯峨の某寺の奥庭で、いまも鹿がおとずれると申して、仕掛けたのを見ました。──水を計りますから、自から同じ間をもって、カーンと打つ……」 「慰みに、それを仕掛けたのは、次平と云って、山家から出ましたが、娑婆気な風呂番で、唯扁平い石の面を打つだけでは、音が冴えないから、と杵の当ります処へ、手頃な青竹の輪を置いたんですから、響いて、まことに透るのです。反橋の渡り廊下に、椅子に掛けたり、欄干にしゃがんだりで話したのですが、風呂番の村の一つ奥、十五六軒の山家には大いのがある。一昼夜に米を三斗五升搗く、と言います。暗の夜にも、月夜にも、添水番と云って、家々から、交代で世話をする……その谷川の大杵添水。筧の水の小添水は、二十一秒、一つカーンだ、と風呂番が言いますが、私の安づもりで十九秒。……旦那、おらが時計は、日に二回、東京放送局の時報に合わせるから、一厘も間違わねえぞ、と大分大形なのを出して威張る。それを、どうこうと、申すわけではありませんけれども。」 「時に、お時間は。」 「つれのものも皈りません。……まだまだ、ご緩り──ちょうど、お銚子のかわりも参りました──さ、おあつい処を──  ──で、まあ、退屈まぎれに、セコンドを合わせながら、湯宿の二階の、つらつらと長い廻り縁──一方の、廊下一つ隔てた一棟に、私の借りた馴染の座敷が流に向いた処にあるのです──この廻縁の一廓は、広く大々とした宿の、累り合った棟の真中処にありまして、建物が一番古い。三方縁で、明りは十分に取れるのですが、余り広いから、真中、隅々、昼間でも薄暗い。……そうでしょう、置敷居で、間を劃って、道具立ての襖が極まれば、十七室一時に出来ると云いますが、新館、新築で、ここを棄てて置くから、中仕切なんど、いつも取払って、畳数凡そ百五六十畳と云う古御殿です。枕を取って、スポンジボオル、枯れなくていい、万年いけの大松を抜いて、(構えました、)を行る。碁盤、将棋盤を分捕って、ボックスと称えますね。夜具蒲団の足場で、ラグビイの十チイムも捻合おう、と云う学生の団体でもないと、殆ど使った事がない。  行く度に、私は其処が、と云って湿りくさい、百何十畳ではないのです。障子外の縁を何処までも一直線に突当って、直角に折れ曲って、また片側を戻って、廊下通りをまたその縁へ出て一廻り……廻ると云うと円味があります、ゆきあたり、ぎくり、ぎゅうぎゅう、ぐいぐいと行ったり、来たり。朝掃除のうち、雨のざんざぶり。夜、女中が片づけものして、床を取ってくれる間、いい散歩で、大好きです。また全館のうち、帳場なり、客室なり、湯殿なり、このくらい、辞儀、斟酌のいらない、無人の境はないでしょう。  が、実は、申されたわけではありませんけれども、そんならといって、瀬の音に、夜寝られぬ、苦しい真夜中に其処を廻り得るか、というと、どういたして……東から南へ真直の一縁だって、いい年をしながら、不気味で足が出ないのです。  峰の、寺の、暮六つの鐘が鳴りはじめた黄昏です。樹立を透かした、屋根あかりに、安時計のセコンドを熟と視る……カーン、十九秒。立停まったり、ゆっくり歩行いたり、十九秒、カーン。行ったり、来たり、カーン。添水ばかり。水の音も途絶えました。  欄干に一枚かかった、朱葉も翻らず、目の前の屋根に敷いた、大欅の落葉も、ハラリとも動かぬのに、向う峰の山颪が颯ときこえる、カーンと、添水が幽に鳴ると、スラリと、絹摺れの音がしました。  東の縁の中ごろです。西の角から曲って出たと思う、ほんのりと白く、おもながな……」 「…………」 「艶々とした円髷で、子供を半纏でおぶったから、ややふっくりと見えるが、背のすらりとしたのが、行違いに、通りざまに、(失礼。)と云って、すっとゆき抜けた、この背負紐が、くっきりと手綱染──あなたに承る前に存じていたら──二階から、私は転げたでしょう。そのかわりに、カーン……ガチリと時計が落ちました。  処が──その姿の、うしろ向きに曲る廊下が、しかも、私の座敷の方、尤も三室並んでいるのですが、あと二室に、客は一人も居ない筈、いや全く居ないのです。  変じゃアありませんか、どういうものか、私の部屋へ入ったような気がする、とそれでいて、一寸、足が淀みました。  腕組みをしてずかずかと皈ると、もとより開放したままの壁に、真黒な外套が影法師のようにかかって、や、魂が黒く抜けたかと吃驚しました。  床の間に、雁来紅を活けたのが、暗く見えて、掛軸に白の野菊……蝶が一羽。」  と云いかけて、客僧のおくりものを、見るともなしに、思わず座を正して、手をつくと、宗参も慇懃に褥を辷ったのである。 「──ですが、裏階子の、折曲るのが、部屋の、まん前にあって、穴のように下廊下へ通うのですから、其処を下りた、と思えば、それ切の事なんです。  世にも稀な……と私が見ただけで、子供をおぶった女は、何も、観世音の菊供養、むら雨の中をばかり通るとは限らない。  女中は口が煩い。──内証で、風呂番に聞いて見ました。──折から閑散期……というが不景気の客ずくなで、全館八十ばかりの座敷数の中に、客は三組ばかり、子供づれなどは一人もない、と言います。尤も私がその婦にすれ違った、昨の日は、名古屋から伊豆まわりの、大がかりな呉服屋が、自動車三台で乗込んで、年に一度の取引、湯の町の女たち、この宿の番頭手代、大勢の女房娘連が、挙って階下の広間へ集りましたから、ふとその中の一人かも知れない、……という事で、それは……ありそうな事でした。──  別して、例の縁側散歩は留められません。……一日おいて、また薄暮合、おなじ東の縁の真中の柱に、屋根の落葉と鼻を突合わせて踞んで、カーン、あの添水を聞き澄んでいたのです。カーン、何だか添水の尖った杵の、両方へ目がついて、じろりと此方を見るように思われる。一人で息をしている私の鼻が小鳥の嘴のように落葉をたたくらしく、カーン、奥歯が鳴るような、夕迫るものの気勢がしますと、呼吸で知れる、添水のくり抜きの水が流を打って、いま杵が上って、カーン、と鳴る。尖って狐に似た、その背に乗って、ひらりと屋根へ上って、欄干を跨いだように思われるまで、突然、縁の曲角へ、あの婦がほんのりと見えました。」 「添水に、婦が乗りましたか、ははあ、私が稲荷明神の額裏を背負ったような形に見えます。」  寸時、顔を見合せた。 「……ええ、約束したものに近寄るように、ためらいも何も敢てせず、すらすらと来て、欄干に手をついて向う峰を、前髪に、大欅に、雪のような顔を向けてならんだのです。見馴れた半纏を着ていません。鎧のようなおぶい半纏を脱いだ姿は、羽衣を棄てた天女に似て、一層なよなよと、雪身に、絹糸の影が絡ったばかりの姿。帯も紐も、懐紙一重の隔てもない、柱が一本あるばかり。……判然と私は言を覚えています。  ──坊ちゃん……ああ、いや、お子さんはどうなさいました。──  ──うっちゃって来ました。言うことをきかないから。……子どもに用はないでしょう──  と云って、莞爾としたんです。  宗さん。  ──菩薩と存じます、魔と思います──  いうが早いか、猛然と、さ、どう気が狂ったのか、分りませんが、踊り蒐って、白い頸を抱きました。が、浮いた膝で、使古しの箱火鉢を置き棄てたのを、したたかに蹈んで、向うのめりに手をついた、ばっと立ったのは灰ですが、唇には菊の露を吸いました。もう暗い、落葉が、からからと黒く舞って、美人は居ません。  這うよりは、立った、立つより、よろけて、確に其処へ隠れたろうと思う障子一重、その百何十畳の中を、野原のように、うろつく目に、茫々と草が生えて、方角も分らず。その草の中に、榜示杭に似た一本の柱の根に、禁厭か、供養か、呪詛か、線香が一束、燃えさしの蝋燭が一挺。何故か、その不気味さといってはなかったのです。  部屋へ皈って、仰向けに倒れた耳に、添水がカーンと聞こえました。杵の長い顔が笑うようです。渓流の上に月があって。──  また変に……それまでは、二方に五十六枚ずつか──添水に向いた縁は少し狭い──障子が一枚なり、二枚なり、いつも開いていたのが、翌日から、ぴたりと閉りました。めったに客は入れないでも、外見上、其処は体裁で、貼りかえない処も、切張がちゃんとしてある。私は人目を憚りながら、ゆきかえり、長々とした四角なお百度をはじめるようになったんです。  ──お百度、百万遍、丑の時参……ま、何とも、カーン、添水の音を数取りに、真夜中でした。長い縁は三方ともに真の暗やみです。何里歩行いたとも分らぬ気がして、一まわり、足を摺って、手探りに遥々と渡って来ますと、一歩上へ浮いてつく、その、その蹈心地。足が、障子の合せ目に揃えて脱いだ上草履にかかった……当ったのです。その蹈心地。ほんのりと人肌のぬくみがある。申すも憚られますが、女と一つ衾でも、この時くらい、人肌のしっとりとした暖さを感じた覚えがありません。全身湯を浴びて、香ばしい汗になった。ふるえたか、萎えたか、よろよろになった腰を据えて、障子の隙間へ目をあてて、熟と、くらやみの大広間を覗きますと、影のように、ああ、女の形が、ものの四五十人もあって、ふわふわと、畳を離れて、天井の宙に浮いている。帯、袖、ふらりと下った裾を、幾重、何枚にも越した奥に、蝋燭と思う、小さな火が、鉛の沼のような畳に見える。それで、幽に、朦朧と、ものの黒白がわかるのです。これに不思議はありません。柱から柱へ幾条ともなく綱を渡して、三十人以上居る、宿の女中たちの衣類が掛けてあったんです。帯も、扱帯も、長襦袢、羽織はもとより……そういえば、昼間時々声が交って、がやがやと女中たちが出入りをしました。買込んだ呉服の嬉しさ次手に、箪笥を払った、隙ふさげの、土用干の真似なんでしょう。  活花の稽古の真似もするのがあって、水際、山懐にいくらもある、山菊、野菊の花も葉も、そこここに乱れていました。  どの袖、どの袂から、抜けた女の手ですか、いくつも、何人も、その菊をもって、影のようにゆききをし出した、と思う中に、ふっと浮いて、鼻筋も、目も、眉も、あでやかに、おぶい半纏も、手綱染も、水際の立ったのは、婀娜に美しい、その人です。  どうでしょう、傘まで天井に干した、その下で、熟と、此方を、私を見たと思うと、撫肩をくねって、媚かしく、小菊の枝で一寸あやしながら、  ──坊や──(背に子供が居ました。)いやなおじさんが……あれ、覗く、覗く、覗くよう──  と、いう、肩ずれに雪の膚が見えると、負われて出た子供の顔が、無精髯を生した、まずい、おやじの私の面です。莞爾とその時、女が笑った唇が、縹色に真青に見えて、目の前へ──あの近頃の友染向にはありましょう、雁来紅を肩から染めた──釣り下げた長襦袢の、宙にふらふらとかかった、その真中へ、ぬっと、障子一杯の大きな顔になって、私の胸へ、雪の釣鐘ほどの重さが柔々と、ずしん! とかかった。  東京から人を呼びます騒ぎ、仰向けに倒れた、再び、火鉢で頸窪を打ったのです。」 「また、お煩らいになるといかん。四十年来のおくりもの、故と持参しましたが、この菊細工の人形は、お話の様子によって、しばらくお目に掛けますまい。」  引抱えて立った、小脇の奉書包は、重いもののように見えた。宗参の脊が、すっくと伸びると、熨斗の紫の蝶が、急いで包んだ風呂敷のほぐれめに、霧を吸って高く翻ったのである。  階子段の下で、廊下を皈る、紫のコオトと、濃いお納戸にすれ違ったが、菊人形に、気も心も奪われて、言をかける隙もない。  玄関で見送って、尚おねだりがましく、慕って出ると、前の小川に橋がある。門の柳の散る中に、つないだ駒はなかったが、細流を織る木の葉は、手綱の影を浮かして行く……流に添った片側の長い土塀を、向うに隔たる、宗参法師は、間近ながら遥々と、駅路を過ぐる趣して、古鼠の帽子の日向が、白髪を捌いたようである。真白な遠山の頂は、黒髪を捌いたような横雲の見えがくれに、雪の駒の如く駈けた。  名剣神社の拝殿には、紅の袴の、お巫子が二人、かよいをして、歌の会があった。  社務所で、神職たちが、三人、口を揃えて、 「大先生。」──  この同音は、一車を瞠若たらしめた。 「大先生は、急に思立ったとありまして……ええ、黒姫山へ──もみじを見に。」── 「あら、おじさん。」  娘の手が、もう届く。……外套の袖を振切って、いか凧が切れたように、穂坂は、すとんと深更の停車場に下りた。急行列車が、その黒姫山の麓の古駅について、まさに発車しようとした時である。  その手が、燗をつけてくれた魔法瓶、さかなにとて、膳のをへずった女房の胡桃にも、且つ心を取られた、一所にたべようと、今しがた買った姫上川の鮎の熟鮓にも、恥ずべし、涙ぐましい思をしつつ、その谿谷をもみじの中へ入って行く、残ンの桔梗と、うら寂しい刈萱のような、二人の姿の、窓あかりに、暗くせまったのを見つつ、乗放して下りた、おなじ処に、しばらく、とぼんと踞んでいた。  しかし、峰を攀じ、谷を越えて、大宗参の菊細工を見ることが出来たら、或は、絵のよい題材を得ようも知れない。 底本:「文豪怪談傑作選 泉鏡花集 黒壁」ちくま文庫、筑摩書房    2006(平成18)年10月10日第1刷発行 底本の親本:「鏡花全集 第二十三卷」岩波書店    1942(昭和17)年6月22日第1刷発行 初出:「文藝春秋」    1932(昭和7)年1月号 入力:門田裕志 校正:坂本真一 2015年10月17日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。