河伯令嬢 泉鏡花 Guide 扉 本文 目 次 河伯令嬢 ─心中見た見た、並木の下で 一 二 三 四 五 六 七 八 九 ──心中見た見た、並木の下で      しかも皓歯と前髪で── 一  北国金沢は、元禄に北枝、牧童などがあって、俳諧に縁が浅くない。──つい近頃覧たのが、文政三年の春。……春とは云っても、あのあたりは冬籠の雪の中で、可心──という俳人が手づくろいに古屏風の張替をしようとして──(北枝編──卯辰集)──が、屏風の下張りに残っていたのを発見して、……およそ百歳の古をなつかしむままに、と序して、丁寧に書きとった写本がある。  卯辰は、いまも山よりの町の名で、北枝が住んでいた処らしい。  可心の写本によると、奥の細道に、そんな記事は見えないが、 翁にぞ蚊帳つり草を習ひける   北枝  野田山のふもとを翁にともないて、と前がきしたのが見える。北方の逸士は、芭蕉を案内して、その金沢の郊外を歩行いたのである。また……  丸岡にて翁にわかれ侍りし時扇に書いて給はる。 もの書いて扇子へぎ分くる別哉   芭蕉  本人が「給わる」とその集に記したのだから間違いはあるまい。奥の細道では、 もの書て扇子引さくなごり哉 である。引裂くなどという景気は旅費の懐都合もあり、元来、翁の本領ではないらしい……それから、 石山の石より白し秋の霜   芭蕉  那谷寺におけるこの句が、 石山の石より白し秋の風  となっている。そうして、同じ那谷に同行した山中温泉の少年粂之助、新に弟子になって、桃妖と称したのに対しての吟らしい。 湯のわかれ今宵は肌の寒からむ   芭蕉  おなじく桃妖に与えたものである。芭蕉さん……性的に少し怪しい。…… 山中や菊は手折らじ湯の匂ひ  この句は、芭蕉がしたためたのを見た、と北枝が記しているから、 山中や菊は手折らぬ湯の匂ひ  世に知られたのは、後に推敲訂正したものであろう、あるいは猿簑を編む頃か。  その猿簑に、 凧きれて白嶺ヶ嶽を行方かな   桃妖  温泉の美少年の句は──北枝の集だと、 糸切れて凧は白嶺を行方かな  になっている。そのいずれか是なるを知らない。が、白山を白嶺と云う……白嶺ヶ嶽と云わないのは事実である。  これは、ただ、その地方に、由来、俳諧の道にたずさわったものの少くない事を言いたいのに過ぎない。……ところが、思いがけず、前記の可心が、この編に顔を出す事になった。  私は──小山夏吉さん。(以下、「さん」を失礼する。俳人ではない。人となりは後に言おうと思う。)と炬燵に一酌して相対した。 「──昨年、能登の外浦を、奥へ入ろうと歩行きました時、まだほんの入口ですが、羽咋郡の大笹の宿で、──可心という金沢の俳人の(能登路の記)というのを偶然読みました。  寝床の枕頭、袋戸棚にあったのです。色紙短冊などもあるからちと見るように、と宿の亭主が云ったものですから──」  小山夏吉が話したのである。 「……宿へ着いたのは、まだ日のたかい中だったのです。下座敷の十畳、次に六畳の離れづくりで、広い縁は、滑るくらい拭込んでありました。庭前には、枝ぶりのいい、大な松の樹が一本、で、ちっとも、もの欲しそうに拵えた処がありません。飛々に石を置いた向うは、四ツ目に組んだ竹垣で、垣に青薄が生添って、葉の間から蚕豆の花が客を珍らしそうに覗く。……ずッと一面の耕地水田で、その遠くにも、近くにも、取りまわした山々の末かけて、海と思うあたりまで、一ずつ蛙が鳴きますばかり、時々この二階から吹くように、峰をおろす風が、庭前の松の梢に、颯と鳴って渡るのです。  ──今でも覚えていますが、日の暮にも夜分にも、ほとんど人声が聞こえません。足音一つ響かないくらい、それは静なものでした。それで、これが温泉宿……いや鉱泉宿です。一時世の中がラジウムばやりだった頃、憑ものがしたように賑ったのだそうですが、汽車に遠い山入りの辺鄙で、特に和倉の有名なのがある国です。近ごろでは、まあ精々在方の人たちの遊び場所、しかも田植時にかかって、がらんとしていると聞いて、かえって望む処と、わざと外浜の海づたいから、二里ばかりも山へ入込んで泊ったのです。別に目立った景色もありません、一筋道の里で、川が、米町川が、村の中を、すぐ宿の前を流れますが、谿河ながら玉を切るの、水晶を刻むのと、黒い石、青い巌を削り添えて形容するような流ではありません。長さ五間ばかり、こう透すと、渡る裏へ橋げたまで草の生乱れた土橋から、宿の玄関へ立ったのでしたっけ。──(さあ、どうぞ。)が、小手さきの早業で、例のスリッパを、ちょいと突直すんじゃない、うちの女房が、襷をはずしながら、土間にある下駄を穿いて、こちらへ──と前庭を一まわり、地境に茱萸の樹の赤くぽつぽつ色づいた下を。それでも小砂利を敷いた壺の広い中に、縞笹がきれいらしく、すいすいと藺が伸びて、その真青な蔭に、昼見る蛍の朱の映るのは紅羅の花の蕾です。本屋続きの濡縁に添って、小さな杜若の咲いた姿が、白く光る雲の下に、明く、しっとりと露を切る。……木戸の釘は錆びついて、抜くと、蝶番が、がったり外れる。一つ撓直して、扉を開けるのですから、出会がしらに、水鶏でもお辞儀をしそうな、この奥庭に、松風で。……ですから、私は嬉しくなって、どこを見物しないでも、翌日も一日、ゆっくり逗留の事と思ったのです。  それに、とにかく、大笹鉱泉と看板を上げただけに、湯は透通ります。西の縁づたいに、竹に石燈籠をあしらった、本屋の土蔵の裏を、ずッと段を下りて行くのですが、人懐い可愛い雀が、ばらばら飛んだり踊ったり、横に人の顔を見たり、その影が、湯の中まで、竹の葉と一所に映るのでした。  ──夜、寝床に入りますまで、二階屋の上下、客は私一人、あまり閑静過ぎて寝られませんから、枕頭へ手を伸ばして……亭主の云った、袋戸棚を。で、さぞ埃だろうと思うのが、きちんとしている。上包して一束、色紙、短冊。……俳句、歌よりも、一体、何と言いますか、冠づけ、沓づけ、狂歌のようなのが多い、その中に──(能登路の記)──があったのです。大分古びがついていた。仮綴の表紙を開けると、題に並べて、(大笹村、川裳明神縁起。)としてあります。  川裳明神……  わたしはハッと思いました。」 二 「──川裳明神縁起。──この紀行中では、人が呼んで、御坊々々と言いますし、可心は坊さんかと、読みながら思いましたが、そうではない。いかにも、気がつくとその頃の俳諧の修行者は、年紀にかかわらず頭を丸めていたのです──道理こそ、可心が、大木の松の幽寂に二本、すっくり立った処で、岐路の左右に迷って、人少な一軒屋で、孫を抱いた六十余の婆さんに途を聞くと、いきなり奥へ入って、一銭もって出た……(いやとよ、老女)と、最明寺で書いていますが、報謝に預るのではない、ただ路を聞くのだ、と云うと、魂消た気の毒な顔をして、くどくど詫をいいながら、そのまま、跣足で、雨の中を、びたびた、二町ばかりも道案内をしてくれた。この老女の志、(現世に利益、未来に冥福あれ、)と手にした数珠を揉んで、別れて帰るその後影を拝んだという……宗匠と、行脚の坊さんと、容子がそっくりだった事も分りますし、跣足で路しるべをしたお婆さんの志、その後姿も、尊いほどに偲ばれます。──折からのざんざ降で、一人旅の山道に、雨宿りをする蔭もない。……ただ松の下で、行李を解いて、雨合羽を引絡ううちも、袖を絞ったというのですが。──これは、可心法師が、末森の古戦場──今浜から、所口(七尾)を目的に、高畑をさして行く途中です。  何でもその頃は、芭蕉の流れを汲むものが、奥の細道を辿るのは、エルサレムの宮殿、近代の学者たちの洋行で、奥州めぐりを済まさないと、一人前の宗匠とは言われない。加賀近国では、よし、それまでになくても、内外能登の浦づたいをしないと、幅が利かなかったらしいのです。今からだと夢のようです。  はじめ、河北潟を渡って──可心は、あの湖を舟で渡った。──高松で一夜宿、国境になりますな。それから末松の方へ、能登浦、第一歩の草鞋を踏むと、すぐその浜に、北海へ灌ぐ川尻が三筋あって、渡船がない。橋はもとよりで、土地のものは瀬に馴れて、勘で渉るから埒が明く。勿論、深くはない、が底に夥多しく藻が茂って、これに足を搦まれて時々旅人が溺れるので。──可心は馬を雇って、びくびくもので渉ったが、その第三の川は、最も海に近いだけに、ゆるい流も、押し寄せる荒海の波と相争って、煽られ、揉まるる水草は、たちまち、馬腹に怪しき雲の湧くありさま。幾万条ともなき、青い炎、黒い蛇が、旧暦五月、白い日の、川波に倒に映って、鞍も人も呑もうとする。笠被た馬士が轡頭をしっかと取って、(やあ、黒よ、観音様念じるだ。しっかりよ。)と云うのを聞いて、雲を漕ぐ櫂かと危む竹杖を宙に取って、真俯伏になって、思わずお題目をとなえたと書いています。  旅行は、どうして、楽なものではなかったのです。可心にとって、能登路のこの第一歩の危懼さが、……──実は讖をなす事になるんです。」  と言って、小山夏吉は一息した。 「やがて道端の茶店へ休むと──薄曇りの雲を浴びて背戸の映山紅が真紅だった。つい一句を認めて、もの優しい茶屋の女房に差出すと、渋茶をくんで飲んでいる馬士が、俺がにも是非一枚。で、……その短冊をやたらに幾度も頂いた。(おかし。)と云って、宗匠ちょっと得意ですよ。──道中がちと前後しました。──可心法師は、それから徒歩で、二本松で雨に悩み、途に迷い、情あるお婆さんに導かれて後、とぼとぼと高畑まで辿り着く。その夜、旅のお侍と俳談をする処があります。翌日は快晴。しかし昨日、道に迷った難儀に懲りて、宿から、すぐ馬を雇って出ると、曳出した時は、五十四五の親仁が手綱を取って、十二三の小僧が鞍傍についていた。寂しい道だし、一人でも連は難有いと喜んだのに、宿はずれの並木へ掛ると、奴が綱に代って、親仁は啣煙管で、うしろ手を組んで、てくりてくりと澄まして帰る。……前後に人脚はまるでなし。……(これ、兄や、こなた馬は曳けるかの、大丈夫じゃろうかの。私は初旅じゃ。その上馬に乗るも今度がはじめてじゃ。それにの、耳はよう聞えずの。……頼んだぞ。)いかにも心細そうです。読んでいて段々分りましたが、筆談でないと通じないほどでもないが、余程耳が疎いらしい。……あるいはそんな事で、世捨人同様に、──俳諧はそのせめてもの心遣りだったのかも知れません。勿論、独身らしいのです。寸人豆馬と言いますが、豆ほどの小僧と、馬に木茸の坊さん一人。これが秋の暮だと、一里塚で消えちまいます、五月の陽炎を乗って行きます。  お婆さんが道祖神の化身なら、この子供には、こんがら童子の憑移ったように、路も馬も渉取り、正午頃には早く所口へ着きました。可心は穴水の大庄屋、林水とか云う俳友を便って行くので。……ここから七里、海上の渡だそうです。  ここの茶店の女房も、(ものやさしく取りはやして)──このやさしくを女扁に、花、婲。──という字があててある。……ちょっと今昔の感がありましょう。──(女ばかりか草さえ菜さえ能登は優や土までも──俗謡の趣はこれなんめり。)と調子が乗って、はやり唄まで記した処は、御坊、ここで一杯きこしめしたかも知れない。……  亭主が、これも、まめまめしく、方々聞合わせてくれたのだけれども、あいにく便船がなく、別仕立の渡船で、御坊一人十匁ならばと云う、その時の相場に、辟易して、一晩泊る事にきめると、居心のいい大きな旅籠を世話しました。(私の大笹の宿という形があります。)その宿に、一人、越中の氷見の若い男の、商用で逗留中、茶の湯の稽古をしているのに、茶をもてなされたと記してあります。商用で逗留中、若い男が茶の湯の稽古──その頃の人気が思われます。しかし、何だかうら寂しい。  翌日は、巳の時ばかりに、乗合六人、石動山のお札くばりの山伏が交って、二人船頭で、帆を立てました。石崎、和倉、奥の原、舟尾、田鶴浜、白浜を左に、能登島を正面に、このあたりの佳景いわむ方なし。で、海上左右十町には足りまいと思う、大蛇と称える処を過ぎると、今度は可恐しく広い海。……能登島の鼻と、長浦の間、今の三ヶ口の瀬戸でしょう。その大海へ出る頃から、(波やや高く、風加わり、忽ち霧しぶき立つと見れば、船頭たち、驚破白山より下すとて、巻落す帆の、軋む音骨を裂く。唯一人おわしたる、いずくの里の女性やらむ、髪高等に結いなして、姿も、いうにやさしきが、いと様子あしく打悩み、白芥子の一重の散らむず風情。……  むかし義経卿をはじめ、十三人の山伏の、鰐の口の安宅をのがれ、倶利伽羅の竜の背を越えて、四十八瀬に日を数えつつ、直江の津のぬしなき舟、朝の嵐に漾って、佐渡の島にも留まらず、白山の嶽の風の激しさに、能登国珠洲ヶ岬へ吹はなされたまいし時、いま一度陸にうけて、ともかくもなさせ給えとて、北の方、紅の袴に、唐のかがみを取添えて、八大竜王に参らせらると、つたえ聞く、その面影も目のあたり。)……とこの趣が書いてあります。  ──佐渡にも留めず、吹放った、それは外海。この紀事の七尾湾も一手の風に潵を飛ばす、霊山の威を思うとともに、いまも吹きしむ思がして、──大笹の夜の宿に、ゾッと寒くなりました。それだのに掻巻を刎ねて、写本を持ったなり、起直ったんです、私は……」  小山夏吉の眉に、陰が翳した。 「……紀行に、前申した、川裳明神縁起とあるのでしょう。可心の無事はもとよりですが、ここでこの船に別条が起って、白芥子の花が散るのではないか。そのゆうなる姿を、明神に祭ったのではないだろうか、とはっとしました。私の聞き知った、川裳明神は女神ですから。……ところで(船中には、一人坊主を忌むとて、出家一人のみ立交る時は、海神の祟ありと聞けば、彼の美女の心、いかばかりか、尚おその上に傷みなむ。坊主には候わず、出家には侍らじ。と、波風のまぎれに声高に申ししが、……船助かりし後にては、婦人の妍きにつけ、あだ心ありて言いけむように、色めかしくも聞えてあたり恥し。)と云うので、木の葉とばかり浮き沈む中で、聾同然の可心が、何慰めの言も聞き得ないで、かえって人の気を安めようと、一人、魚のように口を開けて、張って(坊主でない、坊主でない。)と喚いた様子が可哀に見えます。  穴水の俳友の住居は、千石の邸の構で、大分懇にもてなされた。かこい網の見物に(われは坊主頭に顱巻して)と、大に気競う処もあって──(鰯、鯖、鰺などの幾千ともなく水底を網に飜るありさま、夕陽に紫の波を飜して、銀の大坩炉に溶くるに異ならず。)──人気がよくて魚も沢山だったんでしょう。磯端で、日くれ方、ちょっと釣をすると、はちめ(甘鯛の子)、阿羅魚、鰈が見る見るうちに、……などは羨しい。  七日ばかり居たのです。  これまでは、内浦で、それからは半島の真中を間道越に横切って、──輪島街道。あの外浦を加賀へ帰ろうという段取になると、路が嶮くって馬が立たない。駕籠は……四本竹に板を渡したほどなのがあるにはある、けれども、田植時で舁き手がない。……大庄屋の家の屈強な若いものが、荷物と案内を兼ねて、そこでおかしいのは、(遣りきれなくなったら負さりたまえ。)と云う俳友の深切です。出発の朝、空模様が悪いのを見て、雨が降ったら途中から必ず引返せ、と心づけています。道は余程難儀らしい……」  小山夏吉は、炬燵蒲団を指で辿りつつ言った。 三  読者よ、小山夏吉は続けて言う。 「何、私の大笹どまりの旅行なぞ、七尾行の汽車で、羽咋で下りて、一の宮の気多神社に参詣を済ませましてから、外浦へ出たまでの事ですが、それだって、線路を半道離れますと、車も、馬も、もう思うようには行きません。あれを、柴垣、犱谷、大島、と伝って、高浜で泊るつもりの処を、鉱泉があると聞いて、大笹へ入ったので。はじめから歩行くつもりではありましたが、景色のいい処ほど、道は難渋です。  ついでに……その高浜から海岸を安部屋へ行く間に、川があります。海へ灌ぐ川尻の処は、私はまだ通らなかったうちですが、大笹の宿の前を流れる米町川の末になります。現に寝床へさらさらと音がします。──その川尻を渡って、安部屋から、百浦、志加浦、赤住……この赤住を……可心の紀行には赤垣と誤っています──福浦、生神、七海。それから富来、増穂、剣地、藤浜、黒島──外浜を段々奥へ、次第に、巌は荒く、波はおどろになって、平は奇に、奇は峭くなるのだそうで。……可心はこの黒島へ出たのです、穴水から。間に梨の木坂の絶所を越えて門前村、総持寺(現今、別院)を通って黒島へ、──それから今言いました外浜を逆に辿って、──一の宮へ詣って、もとの河北潟を金沢へ帰ろうとしたのです。黒島へ一晩、富来へ二晩、大笹に近い、高浜へ一晩。……ただ、その朝の暴風雨と、米町川の流の末が、可心のために、──女神の縁起になりました。  まだ、途中の、梨の木坂を越えるあたりから降出したらしいのですが、さすが引返すでもなかった。家数四五軒、佗しい山間の村で、弁当を使った時、雨を凌いで、簀の子の縁に立掛けた板戸に、(この家の裏で鳴いたり時鳥。……)と旅人の楽書があるのを見て、つい矢立を取って、(このあたり四方八方時鳥、可心。)鳴いているらしく思われます。やがて、総持寺に参詣して、(高塔の上やひと声時鳥、可心。)これはちょっとおまけらしい。雨の中に、門前の茶店へ休んで、土地の酒造の豪家に俳友があるのを訪ねようと、様子を聞けば大病だという。式台まで見舞うのもかえって人騒せ、主人に取次もしようなら、遠来の客、ただ一泊だけもと気あつかいをされようと、遠慮して、道案内を返し、一人、しょぼしょぼ、濡れて出て、黒島道へかかろうとする、横筋の小川の畝をつたって来て、横ざまに出会した男がある。……大く、酒、とかいた番傘をさしていると、紀行の中にあるのです──  一杯、頂きましょう。  もう一杯。……もう一杯。  息つぎを、というほどの、私の話振ではありませんけれど、私に取って、これからは少々勢をかりませんと、でないと、お話しにくい事がありますから。……」 四 「羽織は着たが、大番傘のその男、足駄穿の尻端折で、出会頭に、これはと、頬被を取った顔を見ると、したり、可心が金沢で見知越の、いま尋ねようとして、見合わせた酒造家の、これは兄ごで、見舞に行った帰途だというのです。この男の住居が黒島で、そこへその晩泊りますが、心あての俳友は大病、思いがけないその兄の内へともなわれる……何となく人間の離合集散に、不思議な隠約があるように思われて。──私は宿で、床の上で、しばらく俯向いて、庭の松風を聞いていました。──  可恐しい荒海らしい、削立った巌が、すくすく見えて、沖は白波のただ打累る、日本海は暗いようです。黒島を立って、剣地、増穂──富来の、これも俳友の家に着いた。むかし、渤海の船が息をついた港だ、と言います。また格別の景色で。……近い処に増穂のあるのは、貝の名から出たのだそうで、浜の渚は美しい。……  金石の浜では見られません。桜貝、阿古屋貝、撫子貝、貝寄の風が桃の花片とともに吹くなどという事は、竜宮を疑わないものにも、私ども夢のように思われたもので。  可心も讃嘆しています。半日拾いくらした。これが重荷になった──故郷へ土産に、と書いています。  このあたりに、荒城の狭屋と称えて、底の知れない断崖の巌穴があると云って、義経の事がまた出ました。  免れられない……因縁です。」  小山夏吉は、半ば独言いて嘆息して、苦そうに猪口を乾した手がふるえた。  小山夏吉は寂く微笑んだ。 「ははは、泣くより笑で。……富来に、判官どのが詠じたと言伝えて、(義経が身のさび刀とぎに来て荒城のさやに入るぞおかしき。)北の方が、竜王の供料にと、紅の袴を沈めた、白山がだけの風に、すずの岬へ漂った時、狭屋へ籠っての歌だ、というのです。悪い洒落です。それに、弁慶に鮑を取らせたから、鮑は富来の名物だ、と言います。多分七つ道具から思いついたものだろう、と可心もこれには弱っている。……  富来を立つ時、荷かつぎを雇うと、すたすた、せかせか、女の癖に、途方もなく足が早い。おくれまいとすると、駆出すばかりで。浜には、栄螺を起す男も見え、鰯を拾う童も居る。……汐の松の枝ぶり一つにも杖を留めようとする風流人には、此奴あてつけに意地の悪いほど、とっとっと行く。そうでしょう、駄賃を稼ぐための職業婦人が聾の坊さんの杖つきのの字に附合っていられる筈はない。喘ぎ喘ぎ、遣切れなくなって、二里ばかりで、荷かつぎを断りました。御坊が自分で、荷を背負って、これから註文通り景色を賞め賞め歩行き出したは可いが、荷が重い。……弱った、弱った、とまた弱っている。……  福浦のあたりは、浜ひろがりに、石山の下を綺麗な水が流れて、女まじりに里人が能登縮をさらしていて、その間々の竈からは、塩を焼く煙が靡く。小松原には、昼顔の花が一面に咲いて、渚の浪の千種の貝に飜るのが、彩色した胡蝶の群がる風情。何とも言えない、と書いている下から、背負い重りのする荷は一歩ずつ重量が掛る、草臥はする、汗にはなる。荷かつぎに続いて息せいた時分から、もう咽喉の渇きに堪えない。……どこか茶店をと思うのに、本街道は、元来、上の石山を切って通るので、浜際は、もの好が歩行くのだから、仕事をしている、布さらし、塩焼に、一杯無心する便宜はありません。いくら俳諧師だといって、昼顔の露は吸えず、切ない息を吐いて、ぐったりした坊さんが、辛うじて……赤住まで来ると、村は山際にあるのですが、藁葺の小家が一つ。伏屋貝かと浜道へこぼれていて、朽ちて崩れた外流に──見ると、杜若の真の瑠璃色が、濡色に咲いて二三輪。……  可心は、そこを書くための用意だかどうだか、それまでの記事のうちに、一ヶ処も杜若を記していません。  ──その癖、ほんの片浦を見ました。私の目にも。──」  小山夏吉は、炬燵に居直って言うのである。 「湖、沼、池の多い土地ですから、菖蒲杜若が到る処に咲いています。──今この襖へでも、障子へでも、二条ばかり水の形を曳いて、紫の花をあしらえば、何村、どの里……それで様子がよく分るほどに思うのです。──大笹の宿へ入っても、中庭の縁に添って咲いていたと申しましたっけ。  ──杜若の花を小褄に、欠盥で洗濯をしている、束ね髪で、窶々しいが、(その姿のゆうにやさしく、色の清げに美しさは、古井戸を且つ蔽いし卯の花の雪をも欺きぬ。……類なき艶色、前の日七尾の海の渡船にて見参らせし女性にも勝りて)……と云って……(さるにても、この若き女房、心頑に、情冷く、言わむ方なき邪慳にて、)とのっけに遣ッつけたから、読んでいて吃驚すると、(茶を一つ給われかし、御無心)と頼んだのに、 (茶屋はあちらに。)──  と云って断ったのです。耳が聞えないんですから、その女は前途へ指さしでもしたらしい。……(いや、われらは城下のものにて、今度、浦々を見物いたし、またこれよりは滝谷の妙成寺へ、参詣をいたすもの、見受け申せば、我等と同じ日蓮宗の御様子なり。戸のお札をさえ見掛けての御難題、坊主に茶一つ恵み給うも功徳なるべし、わけて、この通り耳も疎し、独旅の辿々しさもあわれまれよ。)と痩法師が杖に縋って、珠数まで揉みながら、ずッと寄ると──ついと退く。……端折った白脛を、卯の花に、はらはらと消し、真白い手を、衝と掉って押退けるようにしたのです。芋を石にする似非大師、むか腹を立って、洗濯もの黒くなれと、真黒に呪詛って出た!…… (ああ、われこそは心頑に、情なく邪慳無道であったずれ。耳うときものの人十倍、心のひがむを、疾なりとて、神にも人にも許さるべしや。)と追つけ、慚愧後悔をするのです。  能登では、産婦のまだ七十五日を過ぎないものを、(あの姉さんは、まだ小屋の中、)と言う習慣のあるくらい、黒島の赤神は赤神様と申して荒神で、厳く不浄を嫌わるる。社まわりでは産小屋を別に立てて、引籠る。それまではなくても、浦浜一体にその荒神を恐れました。また霊験のあらたかさ。可心は、黒島でうけた御符を、道中安全、と頭陀袋にさしていた。  とんでもない。……女が洗っていたのは、色のついた、うつ木の雪の一枚だったと言うのです。  振返って、一睨み。杜若の色も、青い虫ほどに小さくなった、小高い道に、小川が一条流れる。板の橋が掛った石段の上に、廻縁のきれいなのが高く見えた。──橋の上に、兄弟らしい男の子が、二人遊んでいたので、もしやと心頼みに、茶を一つ、そのよし頼むと、すぐに石段を駈上り縁を廻ったと思えば、十歳ばかりの兄の方が、早く薄べりを縁に敷いた。そこへ杖を飛ばしたそうです。七十ぐらいの柔和なお婆さんが煙草盆を出してくれて、すぐに煎茶を振舞い、しかも、嫁が朝の間拵えたと、小豆餡の草団子を馳走した。その風味のよさ、嫁ごというのも、容色も心も奥ゆかしい、と戴いています。が、この嬉しさにつけても思う、前刻の女の邪慳さは、さすがに、離れた土地ではないから、可心も何にも言わなかった。その事が後に分ります。……この一構は、村の庄屋で。……端近へは姿も見えぬ、奥深い床の間と、あの砂浜の井戸端と、花は別れて咲きました。が、いずれ菖蒲、杜若。……二人は邑知潟の汀に、二本のうつくしい姉妹であったんです。  長話はしたが、何にも知らずに……可心は再び杖を曳いて、それから二三町坂を上ると、成程、ちょっとした茶店もあった。……泊を急いで、……高浜の宿へ着きました。  可心はまだ川を渡らない。川を渡る、そこが……すぐ大笹の宿の前を流れて米町川の海に灌ぐ処なんです。百年前の可心は、いまその紀行で、──鉱泉宿の真夜中の松を渡る風にさえ、さらさらと私の寝床に近づきました。」  小山夏吉は杯を取った。 「高浜では、可心に相宿がありました。……七歳ばかりの男の子を連れた、五十近い親仁で、加賀の金石の港から、その日漁船の便で、海上十六七里──当所まで。これさえ可なり冒険で。これからは浪が荒いから、外浜を徒歩で輪島へ行く。この子の姉を尋ねて、と云う。──日曜に、洋服を着た子の手をひいたのでないと、父親の、子をつれた旅は、いずれ遊山ではありません。何となく、貧乏くさい佗しいものです。私なども覚があります。親仁は問わずがたりに、姉娘は、輪島で遊女のつとめをする事。この高浜は、盆前から夏一杯、入船出船で繁昌し、一浦が富貴する。……その頃には、七尾から山越で。輪島からは海の上を、追立てられ、漕流されて、出稼ぎの売色に出る事。中にも船で漂うのは、あわれに悲く、浅ましい……身の丈夫で売盛るものにはない、弱い女が流される。(姉めも、病身じゃによって、)と蜘蛛の巣だらけの煤け行燈にしょんぼりして、突伏して居睡る小児の蚊を追いながら、打語る。……と御坊は縁起で云うのですが。  ──場所と言い、境遇と言い、それがそのまま、私の、恋の、お優さんの──」  小山夏吉は肩を落して、両手を炬燵にさし入れた。 「電燈が暗くなったようです。……目のせいか知れません。何ですか、小さな紫が、電燈のまわりをちらちらします。  大雨大風になりました。  可心が、翌日、朝がけに志す、滝谷の妙成寺は、そこからわずか二里足らずですが、間道にかかるという。例の荷はあり、宵の間に荷かつぎを頼んで置いたが、この暴風雨では出立出来ようかと、寝られない夢に悩んだ。風は、いよいよ強い、しかし雨は小降になって、朝飯の時、もう人足が来て待っていると、宿で言うので。  杖と並んで、草鞋を穿く時、さきへ宿のものの運んだ桐油包の荷を、早く背負って、髪を引きしめた手拭を取って、颯と瞼を染めて、すくむかと思うほど、内端におじぎをした婦を見ると、継はぎの足袋に草鞋ばかり、白々とした脛ばかり、袖に杜若の影もささず、着流した蓑に卯の花の雪はこぼれないが、見紛うものですか。引束ねた黒髪には、雨のまま水も垂りそうな……昨日の邪慳な女です。  御坊は、たちまち、むっとして──突立って、すたすた出ました。  ここが情ない。聾の僻みで、昨日悩まされた、はじめの足疾な女に対するむか腹立も、かれこれ一斉に打撞って、何を……天気は悪し、名所の見どころもないのだから、とっとっ、すたすた、つんつん聾が先へ立って。合羽を吹きなぐりに、大跨に蹈出した。  ──ああ、坊さんの仏頂面が、こっちを向いて歩行いて来ます。」  小山夏吉は串戯らしいが、深く、眉を顰めたのである。 「従って、対手を不機嫌にした、自分を知って、偶然にその人に雇われて賃銭を取る辛さは、蓑もあら蓑の、毛が針となって肉を刺す。……撫肩に重荷に背負って加賀笠を片手に、うなだれて行く細り白い頸脚も、歴然目に見えて、可傷々々しい。  声を掛けて、呼掛けて、しかも聾に、大な声で、婦の口から言訳の出来る事らしくは思われない。……吹降ですから、御坊の頭陀袋に、今朝は、赤神の形像の顕れていなかった事は、無論です。  家並を二町ほど離れて来ると、前に十一二間幅の川が、一天地押包んだ巌山の懐から海へ灌いでいる。…… (翌日、私が川裳明神へ詣ろうとして、大笹の宿の土橋を渡ろうと、渡りかけて、足がすくみました。そこは、おなじ米町川の上流なんですから。──)  その海へ落口が、どっと濁って、流が留まった。一方、海からは荒浪がどんどんと打ッつける。ちょうどその相激する処に、砂山の白いのが築洲のようになって、向う岸へ架ったのです。白砂だから濡れても白い。……鵲の橋とも、白瑪瑙の欄干とも、風の凄じく、真水と潮の戦う中に、夢見たような、──これは可恐い誘惑でした。  暴風雨のために、一夜に出来た砂堤なんです。お断りするまでもありませんが、打って寄せる浪の力で砂を築き上げる、川も増水の勢で、砂を流し流し、浪に堰かれて、相逆ってそこに砂を装上げる。能登には地勢上、これで出来た、大沼小沼が、海岸にはいくらもあります。──河北潟も同一でしょう。がそれは千年! 五百年、五十年、日月の築いた一種の橋立です。  いきなり渡って堪るものですか。  聾ひがみの向腹立が、何おのれで、渡をききも、尋ねもせず、足疾にずかずかと踏掛けて、二三間ひょこひょこ発奮んで伝わったと思うと、左の足が、ずぶずぶと砂に潜った。あッと抜くと、右の方がざくりと潜る。わあと掙きに掙く、檜木笠を、高浪が横なぐりに撲りつけて、ヒイと引く息に潮を浴びせた。  杖は徒に空に震えて、細い塔婆が倒れそうです。白い手がその杖にかかると、川の方へぐいと曳き、痩法師の手首を取った救の情に、足は抜けた。が、御坊はもう腰を切って、踏立てない。……魔の沼へ落込むのに怯えたから、尻を餅について、草鞋をばちゃばちゃと、蠅の脚で刎ねる所へ、浪が、浪が、どぶん── 「お助け。──」  波がどぶん。  目も口も鼻も一時にまた汐を嘗めた。 「お助け──」  濤がどぶーん。 「お助け──」  耳は聾だ。 「助けてくれ──」  川の方へ、引こう引こうとしていた、そのうつくしい女の、優い眉が屹としまると、蓑を入れちがいに砂堤に乗って、海の方から御坊の背中を力一杯どんと圧した。ずるずるずると、可心は川の方へ摺落ちて、丘の中途で留まった。この分なら、川へ落ちたって水を飲むまでで生命には別条はないのに。ああ、入替った、うつくしい人の雪なす足は、たちまち砂へ深く埋ったんです。……  吻と一息つく間もない、吹煽らるる北海の荒浪が、どーん、どーんと、ただ一処のごとく打上げる。……歌麿の絵の蜑でも、かくのごとくんば溺れます。二打ち三打ち、頽るる潮の黒髪を洗うたびに、顔の色が、しだいに蒼白にあせて、いまかえって雲を破った朝日の光に、濡蓑は、颯と朱鷺色に薄く燃えながら──昨日坊さんを払ったように、目口に灌ぐ浪を払い払いする手が、乱れた乳のあたりに萎々となると、ひとつ寝の枕に、つんと拗ねたように、砂の衾に肩をかえて、包みたそうに蓑の片袖を横顔に衝と引いた姿態で、羽衣の翼は折れたんです。  可心は、川の方の砂堤の腹にへばりついて、美しい人の棄てた小笠を頭陀袋の胸に敷き、おのが檜木笠を頸窪にへし潰して、手足を張り縋ったまま、ただあれあれ、あっと云う間だった、と言うのです。  ──三年経って、顔色は憔悴し、形容は脱落した、今度はまったくの墨染の聾坊主が、金沢の町人たちに送られながら、新しい筵の縦に長い、箱包を背負って、高浜へ入って来ました。……川口に船を揃えて出迎えた人数の中には、穴水の大庄屋、林水。黒島の正右衛門。……病気が治って、その弟の正之助。その他、俳友知縁が挙ったのです。可心法師の大願によって、当時、北国の名工が丹精をぬきんでた、それが明神の神像でした。美しい人の面影です。──  村へ、はじめて女神像を据えたのは、あの草団子のまわり縁で。……その家の吉之助というのの女房、すなわち女神の妹は、勿論、姉が遭難の時、真さきに跣足で駈けつけたそうですが、 (あれ、あれ、お祝の口紅を。身がきれいになって。)  と、云って泣いたそうです。  姉が日雇に雇われるとは知らなかった。……中たがいをしたのでも何でもない。選んだ夫の貧しい境遇に、安処して、妹の嫁入さきから所帯の補助は肯じなかった。あの時、──橋で中よく遊んでいた男子たち、かえって、その弟の方が、姉さんの子だったそうです。  この妹が、凜としていた。土地の便宜上、米町川の上流、大笹に地を選んで、とにかく、在家を土蔵ぐるみ、白壁づくりに、仮屋を合せて、女神像をそこへ祭って、可心は一生堂守で身を終る覚悟であった処。…… (お心はお察し申しますが、一つ棟にお住いの事は、姉がどう思うか、分りかねます。御僧をお好き申して助けましたか。可厭で助けましたか。私には分りませんから。)  妹がきっぱり云った。  可心は、ワッと声を上げて泣いたそうです。  そこで、可心一代は、ずッと川下へ庵を結んで、そこから、朝夕、堂に通って、かしずいて果てた、と言います。  この庵のあとはありません。  時に不思議な縁で、その妹の子が、十七の年、川尻で──同じ場所です──釣をしていて、不意に波に浚われました。泳は出来たが、川水の落口で、激浪に揉まれて、まさに溺れようとした時、大な魚に抱かれたと思って、浅瀬へ刎出されて助かった。その時、艶麗、竜女のごとき、おばさんの姿を幻に視たために、大笹の可心寺へ駈込んで出家した。これが二代の堂守です。ところが、さいわい、なお子があったのに、世を譲って、あの妹も、おなじ寺へ籠って、やがて世を捨てました。  川裳明神の像は、浪を開いた大魚に乗った立像だそうです。  寺は日蓮宗です。ですが、女神の供物は精進ではない。その折の蓑にちなんだのが、ばらみの、横みの、鬢みの、髢の類、活毛さえまじって、女が備える、黒髪が取りつつんで凄いようです。船、錨、──纜がそのまま竜の形になったのなど、絵馬が掛かっていて、中にも多いのは、むかしの燈台、大ハイカラな燈明台のも交っています。  ──これは、翌日、大笹の宿で、主人を呼んで、それから聞いた事をある処は補いましたし、……後とはいわず、私が見た事も交りました。」…… 五 「……この女神の信仰は、いつ頃か、北国に大分流布して、……越前の方はどうか知りませんが、加賀越中には、処々法華宗の寺に祭ってあります。いずれも端麗な女体です。  多くは、川裳を、すぐに獺にして、河の神だとも思っていて、──実は、私が、むしろその方だったのです。──恐縮しなければなりません。  魔女だと言う。──実は私の魂のあり所だと思う、……加賀、金石街道の並木にあります叢祠の像なぞは、この女神が、真夏の月夜に、近いあたりの瓜畠──甜瓜のです──露の畠へ、十七ばかりの綺麗な娘で涼みに出なすった。それを、村のあぶれものの悪少狡児六人というのがやにわに瓜番の小屋へ担ぎあげて無礼をした、──三年と経たず六人とも、ばたばたと死んだために、懺悔滅罪抜苦功徳のためとして、小さな石地蔵が六体、……ちょうど、義経の──北国落の時、足弱の卿の君が後れたのを、のびあがりのびあがりここで待ったという──(人待石)の土手下に……」  小山夏吉の顔は暗かった。 「海の方を斜に向いて立っています。私はここで、生死の境の事を言わねばならなくなりました──一杯下さい……」  炬燵は巌のように見えた。  はじめよりして、判官殿の北国の浦づたいの探訪のたびに、色の変るまでだった、夏吉の心が頷かれた。 「──能登路の可心は、僻みで心得違いをしたにしろ、憎いと思った女の、過って生命を失ったのにさえ、半生を香華の料に捧げました。…… (──これは縁起に話しましたが──)  私なんぞ、まったく、この身体を溝石にして、這面へ、一鑿、目鼻も口も、削りかけの地蔵にして、その六地蔵の下座の端へ、もう一個、真桑瓜を横噛りにした処を、曝しものにされて可いのです。──事実、また、瓜を食って渇命をつないでいるのですから。」  と自棄に笑った。が、酔もさめ行く、面の色とともに澄切った瞳すずしく、深く思情を沈めた裡に、高き哲人の風格がある。  ここは渠について言うべき機会らしい。小山夏吉は工人にして、飾職の上手である。金属の彫工、細工人。この業は、絵画、彫刻のごとく、はしけやけき芸術ほど人に知られない。鋳金家、蒔絵師などこそ、且つ世に聞こゆれ。しかも仕事の上では、美術家たちの知らぬはない、小山夏吉は、飾職の名家である。しかも、その細工になる瓜の製作は、ほとんど一種の奇蹟である。  自ら渠が嘲った。 「──瓜を食って生きている──」  いま芸術を論ずる場合ではないのだから、渠の手腕についてはあえて話すまい。が、その作品のうちで、瓜──甜瓜が讃美される。露骨に言えば、しきりに註文され、よく売れる。思うままの地金を使って、実物の大さ、姫瓜、烏瓜ぐらいなのから、小さなのは蚕豆なるまで、品には、床の置もの、香炉、香合、釣香炉、手奩の類。黄金の無垢で、簪の玉を彫んだのもある。地金は多くは銀だが、青銅も、朧銀も、烏金も……真黒な瓜も面白い。皆、甜瓜を二つに割って、印籠づくりの立上り霊妙に、その実と、蓋とが、すっと風を吸って、ぴたりと合って、むくりと一個、瓜が据る。肉取り、平象嵌、毛彫、浮彫、筋彫、石め、鏨は自由だから、蔓も、葉も、あるいは花もこれに添う。玉の露も鏤む。  いずれも打出しもので、中はつぎのないくりぬきを、表の金質に好配して、黄金また銀の薄金を覆輪に取って、しっくりと張るのだが、朱肉入、驕った印章入、宝玉の手奩にも、また巻煙草入にも、使う人の勝手で異議はない。灰皿にも用いよう。が希くば、竜涎、蘆薈、留奇の名香。緑玉、真珠、紅玉を装らせたい。某国──公使の、その一品を贈ものに使ってから、相伝えて、外国の註文が少くない。  ただ、ここに不思議な事がある。一度手に入れた顧客、また持ぬしが、人づてに、あるいは自分に、一度必ず品を返す。──返して、礼を厚うして、蓋と実のいずれか、瓜のうつろの処へ、ただもう一鏨、何ものにても、手が欲いと言うのである。ほかの芸術における美術家の見識は知らない。小山夏吉は快くこれを諾して、情景品に適し、景に応じ、時々の心のままに、水草、藻の花、薄の葉、桔梗の花。鈴虫松虫もちょっと留まろうし、ささ蟹も遊ばせる。あるいは単に署名する。客はいずれも大満足をするのである。  外国へ渡ったのは、仏蘭西からと、伊太利、それから白耳義と西班牙から、公私おのおのその持ぬしから、おなじ事を求めて、一度ずつ瓜を返したのには、小山夏吉も舌をまいて一驚を吃したそうである。妙に白耳義が贔屓で、西班牙が好な男だから、瓜のうつろへ、一つには蛍を、頸の銅に色を凝らして、烏金の烏羽玉の羽を開き、黄金と青金で光の影をぼかした。一つには、銀象嵌の吉丁虫を、と言っていた。  こう陳列すると、一並べ並べただけでも、工賃作料したたかにして、堂々たる玄関構の先生らしいが、そうでない。挙げたのは二十幾年かの間の折にふれた作なのである。第一、一家を構えていない。妻子も何も持たぬ。仕事は子がいから仕込まれた、──これは名だたる師匠の細工場に籠ってして、懐中のある間は諸国旅行ばかりして漂泊い歩行く。  一向に美術家でない。錺屋、錺職をもって安んじているのだから、丼に蝦蟇口を突込んで、印半纏で可さそうな処を、この男にして妙な事には、古背広にゲエトルをしめ、草鞋穿で、鏨、鉄鎚の幾挺か、安革鞄で斜にかけ、どうかするとヘルメット帽などを頂き、繻子の大洋傘をついて山野を渡る。土木の小官吏、山林見廻りの役人か、何省お傭の技師という風采で、お役人あつかいには苦笑するまでも、技師と間違えられると、先生、陰気にひそひそと嬉しがって、茶代を発奮む。曰く、技師と云える職は、端的に数字に斉しい。世をいつわらざるものだ、と信ずるからである、と云うのである。 (──夜話の唯今なども、玄関の方には件のヘルメットと、大洋傘があるかも知れない。)  が、甜瓜は──「瓜を食って活きている。」──渠の言とともに、唐草の炬燵の上に、黄に熟したると、半ば青きと、葉とともに転がった。 六  小山夏吉は更めて言を継いだ。── 「あの、金石街道の、──(人待石)に、私は──その一日、昼と夜と、二度ぐったりとなって、休みました。八月の半ば、暑さの絶頂で、畠には瓜が盛の時だったんです。年は十七です。  昼の時は、まだ私という少年も、その生命も日南で、暑さに苦しい中に、陽気も元気もありました。身の上の事について、金石に他家の部屋借をして、避暑かたがた勉強をしている、小学校から兄弟のように仲よくした年上の友だちに相談をして行ったんですから。あるいは希望が達しられるかも知れないと思ったので。  つまり、友だちが暑中休暇後に上京する──貧乏な大学生で──その旅費の幾分を割いて、一所に連れて出てもらいたかったので。……  ──父のなくなった翌年、祖母と二人、その日の糧にも困んでいた折から。  何、ところが、大学生も、御多分に洩れず、窮迫していて、暑中休暇は、いい間の体裁。東京の下宿に居るより、故郷の海岸で自炊をした方が一夏だけも幾干か蹴出せようという苦しがりで、とても相談の成立ちっこはありません。友だちは自炊をしている……だから、茄子を煮て晩飯を食わしてくれたんですが、いや、下地が黒い処へ、海水で色揚げをしたから、その色といったら茄子のようで、ですから、これだって身の皮を剥いでくれたほどの深切です。何しろ、ひどい空腹の処へ、素的に旨味そうだから、ふうふう蒸気の上る処を、がつがつして、加減なしに、突然頬張ると、アチチも何もない、吐出せばまだ可いのに、渇えているので、ほとんど本能の勢、といった工合で、呑込むと、焼火箸を突込むように、咽喉を貫いて、ぐいぐいと胃壁を刺して下って行く。……打倒れました。息も吐けません。きりきりと腹が疼出して止りません。友だちが、笑いながら、心配して、冷飯を粥に煮てくれました。けれども、それも、もう通らない。……酷い目に逢いました。  横腹を抱えて、しょんぼりと家へ帰るのに、送って来た友だちと別れてから、町はずれで、卵塔場の破垣の竹を拾って、松並木を──少年でも、こうなると、杖に縋らないと歩行けません。きりきり激しく疼みます。松によっかかったり、薄の根へ踞んだり……杖を力にして、その(人待石)の処へ来て、堪らなくなって、どたりと腰を落しました。幹が横に、大く枝を張った、一里塚のような松の古木の下に、いい月夜でしたが、松葉ほどの色艶もない、藁すべ同然になって休みました。ああ、そこいらに落散っている馬の草鞋の方が、余程勢がよく見えます。  道を挟で、入口に清水の湧く、藤棚の架った茶店があって、(六地蔵は、後に直ぐその傍に立ったのですが、)──低く草の蔭に硝子の簾が透いて、二つ三つ藍色の浪を描いた提灯が点れて、賑かなような、陰気なような、化けるような、時々高笑をする村の若衆の声もしていたのが、やがて、寂然として、月ばかり、田畑が薄く光って来ました。  あとまだ一里余、この身体を引摺って帰った処で、井戸の水さえ近頃は濁って悪臭し……七十を越えた祖母さんが、血を吸う蚊の中に蚊帳もなしに倒れて、と思うと、疼む腹から絞るようにひとりでに涙が出て、人影もないから、しくしくと両手を顔にあてて泣いていました。 (どうなすったの。)  花の咲くのに音はしません。……いつの間にか、つい耳許に、若い、やさしい声が聞こえて、 (お腹が疼いんですか。)  少年たち、病気を見舞うのに、別に、ほかに言葉はないので……こう云ってくれたのを、夢か、と顔を上げて見ると、浅葱の切で、結綿に結った、すずしい、色の白い……私とおなじ年紀ごろの、ああ、それも夢のような──この日、午後四時頃のまだ日盛に──往きにここで休んだ時──一足おくれて、金沢の城下の方から、女たち七人ばかりを、頭痛膏を貼った邪慳らしい大年増と、でっくり肥った膏親爺と、軽薄らしい若いものと、誰が見ても、人買が買出した様子なのが、この炎天だから、白鵞も鴨も、豚も羊も、一度水を打って、活をよくし、ここの清水で、息を継がせて、更に港へ追立てた……  ……更に追って行く。その時、金石の海から、河北潟へ、瞬く間に立蔽う、黒漆の屏風一万枚、電光を開いて、風に流す竜巻が馳掛けた、その余波が、松並木へも、大粒な雨と諸ともに、ばらばらと、鮒、沙魚などを降らせました。  竜巻がまだ真暗な、雲の下へ、浴衣の袖、裾、消々に、冥土のように追立てられる女たちの、これはひとり、白鷺の雛かとも見紛うた、世にも美しい娘なんです。」  彫玉の技師は一息した。 「……出稼の娼妓の一群が竜巻の下に松並木を追われて行く。……これだけの事は、今までにも、話した事がありましたから、一度、もう、……貴下の耳に入れたかも知れません。」  君待て、仏国のわけしりが言ったと聞く。 「再びする談話を、快く聞く彼の女には、  汝、愛されたるなり。」  筆者は、別の意味だが、同じ心で聞入った。…… 「朝顔の簪をさしていました。── (──病気じゃないんです。僕はもう駄目なんです、死にたいんです。)  事実、そのやさしい、恍惚した、そして、弱々しい中に、目もとの凜とした顔を見ると、腹の疼いのは忘れましたが。 (まあ。)  娘は熟と顔を見ました。 (私も死にたいの。)  竜巻のために、港を出る汽船に故障が出来た。──(前刻友だちと浜へ出て見た、そういえば、沖合一里ばかりの処に、黒い波に泡沫を立てて、鮫が腹を赤く出していた、小さな汽船がそれなんです。)──日暮方の出帆が出来なくなった。雑用宿の費に、不機嫌な旦那に、按摩をさせられたり、煽がせられたり。濁った生簀の、茶色の蚊帳で揉まれて寝たが、もう一度、うまれた家の影が見たさに、忍んでここまで来たのだ、と言います。  弥生の頃は、金石街道のこの判官石の処から、ここばかりから、ほとんど仙境のように、桃色の雲、一刷け、桜のたなびくのが見えると、土地で言います。──町のその山の手が、娘のうまれた場所なのです。 (私は、うちにお父さんと、お爺さんが。) (僕は祖母さん一人……) (死んで、あの、幽霊になって、お手つだいした方が、……ええ、その方がましだと思ってよ。) (ほんとうです。死んだ方が可い。)  娘は、紅麻の肌襦袢の袖なしで、ほんの手拭で包んだ容子に、雪のような胸をふっくりさして、浴衣の肌を脱いで、袖を緋の扱帯に挟んでいました。急いで来て暑かったんでしょう。破蚊帳から抜出したので、帯もしめない。その緋鹿の子の扱帯が、白鷺に鮮血の流れるようです。 (こんなにして死ぬと……検死の時、まるで裸にされるんですって──) (可厭だなあ。) (手だの足だの、引くりかえされるんですって。……この石の上でしょうか、草の中でしょうか。私、お湯に入るのも極りが悪かった。──でも、そうやって検死されるのを、死ねば……あの、空から、お振袖を着て見ているから可いわ。私お裁縫が少し出来ます、貴方にも、ちゃんと衣服を着せますよ、お袴もはかせましょうね。)  私は一刻も早く、速に死にたくなった。  その扱帯を托って──娘が、一結び輪にしたのを、引絞りながら、松の幹をよじ上った勢のよさといったら。……それでも、往還の路へ向かない、瓜畠の方の太い枝へ、真中へ掛けて、両方へ、幻の袖のような輪を垂らした。つづく下枝の節の処へ、構わない、足が重るまでも一所に踏掛けて、人形の首を、藁苞にさして、打交えた形に、両方から覗いて、咽喉に嵌めて、同時に踏はずして、ぶらんこに釣下ろうという謀反でしてなあ。  用意が出来て、一旦ずり下りて、それから誘って、こう、斜の大な幹ですから、私が先へ、順に上へ這ったのですが、結綿の島田へ、べったりと男の足を継いだようで変です。娘の方も、華奢な、柔い肩を押上げても、それだと、爪さきがまだ、石の上を離れないで、勝手が悪い。  そこで、極めた足場、枝の節へ立てるまで、娘を負う事になりました。  一度、向合った。 (まだ、名を知らない。) (私、ゆう。) (ゆう、勇。) (あら、可哀相に、おてんばじゃありません。亻の。) (……ああ、お優さん。) (はい。) (僕は、夏吉。) (あれ、いいお名──御紋着も、絽が似合うでしょうね。)  お優さんは、肌襦袢を括った細い紐で、腰をしめて、 (汗があってよ、……堪忍ね。)  襟を、合わせたんですが、その時、夕顔の大輪の白い花を、二つうつむけに、ちらちらと月の光が透きました。乳の下を、乳の下を。 (や、大な蟻が。) (あれ、黒子よ。)  月影に、色が桃色の珊瑚になった。  膝を極めて、──起身の娘に肩を貸す、この意気、紺絣も緋縅で、神のごとき名将には、勿体ないようですが、北の方を引抱えた勢は可かった、が、いかに思っても、十七の娘を負って木登りをした経験は、誰方もおありになりますまい。松の上へ……登れたかって?……飛んでもない。ちょっと這って上れそうでも、なかなか腰が伸せません。二度も三度も折重って、摺り落ちて、しまいには、私がどしんと尻餅を搗くと、お優さんは肩に縋った手を萎えたように解いて、色っぽくはだけた褄と、男の空脛が二本、少し離れて、名所の石に挫げました。  溜息吐いてる、草の茂を、ばさり、がさがさと、つい、そこに黒く湧いて、月夜に何だか薄く動く。あ、とお優さんは、媚かしい色を乱して裾を縮めました。おや、鼹鼠か、田鼠か。──透かして見ると、ぴちぴち刎ねるのが尾のようで……とにかく、長くないのだから、安心して、引つかまえると、 (お魚よ、お魚よ。) (鮒のようだ。)  掌には、余るくらいなのが、しかも鰓、鰭、一面に泥まみれで、あの、菖蒲の根が魚になったという話にそっくりです。  これで首くくりは見合わせて、二人とも生きる事になりました。ちょっと、おめでたい。  両方で瞳を寄せるうちに、松の根を草がくれの、並木下の小流から刎出したものではない。昼間、竜巻の時、魚が降った、あの中の一尾で、河北潟から巻落されたに違いない。昼から今に到るまで、雲から落ちながらさえ、魚は生命を保つ。そうしてこの水音をしたって、路の向うから千里百里の思をして、砂を分けて来たのであろう。それまでにして魚さえ活きる。……ここは魚売が浜から城下へ往来をしますから、それが落したのかも分りませんが、思う存分の方へ引きつけて、お優さんも、おなじ意見で。  早速、草を分けて、水へ入れてやりました。が、天から降った、それほどの逸物だから、竜の性を帯びたらしい、非常な勢で水を刎ねると、葉うらに留まった、秋近い蛍の驚いて、はらはらと飛ぶ光に、鱗がきらきらと青く光りました。 (食べれば可かったなあ、彼奴。──ああ、お腹が空いて動くことも出来ない。僕は──) (まあ、可哀相に、あんなに苦労したお魚を……)  その癖、冷い汗が流れるほど、腹が空いて、へとへとだと、お優さんも言うんでしょう。……  父は──同じ錺職だったんですが、盛な時分、二三人居た弟子のうちに、どこか村の夜祭に行って、いい月夜に、広々とした畑を歩行いて、あちらにも茅屋が一つ、こちらにも茅屋が一つ。その屋根に狐が居たとか、遠くで砧が聞えたとか。つまり畑へ入って瓜を盗んで食ううちに、あたり一面の水になって、膝まで来て、胴へついて、素裸になって、衣ものを背負って、どうとか……って、話をするのを、小児の時、うとうと寝ながら聞いて、面白くって堪らない。あの話を──と云って、よくその職人にねだったものです。  ただ悪戯にさえ嬉い処を、うしろに瓜畑があります。──路近い処には一個も生っていませんから、二人して、ずッと畑を奥へ忍ぶと、もこもこと月影を吸って、そこにも、ここにも、銀とも、金とも、紫とも、皆薄青い覆輪して、葉がくれの墨絵もおもしろい。月夜に瓜畑へ入らないではこの形は分りません。いや、お優さんと一所でなくては。──一個、掌にのせました。が夜露で、ひやりとして、玉の沓、珊瑚の枕を据えたようです。雲の形が葉を拡げて、淡く、すいすいと飛ぶ蛍は、瓜の筋に銀象嵌をするのです。この瓜に、朝顔の白い花がぱっと咲いた……結綿を重そうに、娘も膝に袂を折って、その上へ一顆のせました。いきなり歯を当てると、むし歯になると不可いと、私のために簪の柄を刺して、それから、皮を取って、裂目を入れて、両つに分けて、とろとろと唇が触ったか、触らない中に──  いまの鼹鼠、田鼠の形を、およそ三百倍したほどな、黒い影が二つ三つ五つ六つ、瓜畑の中へ、むくむくと湧いて、波を立てて、うねって起きた。 (泥棒。) (どッ、泥棒。)  と喚くや否や、狼のように人立して、引包んで飛かかった。 (あれえ。) (阿魔ちょは、番小屋へかつげ。) (この野郎。) (二才め。)  私は仰向けに撲飛ばされた。 (身もんだえしやがると、棒しばりにして、俺等の小便をしっかけるぞ。) (村のお規則だい。) (堪忍して、堪忍して……)  娘の声は、十二本の足の真黒な可恐い獣の背に、白い手を空にして聞こえました。  瓜番小屋は、ああ、ああ血の池に掛けた、桟敷のように、鉄が煙りながら宙に浮く。……知らなかった。──直き近い処にあったのです。 (きれいな黒子だな、こんな処に、よう。)──  私の目からは血が流れた。瓜は皆真紅になって、葉ごとに黒い浪打つ中を、体は、ただ地を摺って転がった。 心中見た見た、並木の下で、 しかも皓歯と前髪で。…… 心中見た、見た、並木の下で、 しかも皓歯……  番小屋の中から、優しく、細い、澄んだ声で、お優さんの、澄まして唄うのが聞こえました。」  小山夏吉は、声が切って、はらはらと落涙した。 「お聞きになって、どう、お考えなさるでしょう?  私には、その時、三つだけ、する事がありました。……  首をくくる事、第一。すぐ傍の茶店へ放火する、家を焼いて、村のものを驚かす事、第二。第三は飛込んで引縛られて小便を、これだけはどうも不可い……どいつも私に二嵩ぐらい、村角力らしいのも交って、六人居ます。  間に合う、合わないは別として、私は第二の手段を選ぶのが、後に思うと、娘に対する義務ではなかったかと思うのです。わずかに復讐の意義をかねて。──ええ、火の用意は、と言うんですか?……煙草のために燐寸がありました。それでなくても、黒くなった畑の上に、松の枝に、扱帯の緋の輪が、燃えて動いているんです。そればかりでも家は焼けるのに、卑怯な奴で、放火が出来ない。第一の事を、と松に這寄った時、お優さんの唄が聞こえましたのは──発狂したのでしょうのに── (──この通りあきらめました。死なないでお帰りなさい──)  そう言ってくれるのだと、身勝手ばかり考えて、 松の根もとに苺が見える、 お前末代わしゃ一期。…… 一期末代添おうとしたに、 松も苺も、もう見えぬ──  ──とまた唄う。  ええ、その苺という紅い実も、火をつけて、火をつけて、とうつくしい、怜悧な娘が教えたのかも知れないのに……耳を塞ぎ、目を瞑って、転んだか、躓いたか、手足は血だらけになって、夜のしらしらあけに、我が家で、バッタリ倒れたんです。  並木で人の死んだ風説はきかない。……  翌月、不意の補助があって、東京へ出ました。」 (すぐにある技芸学校を出たあとを、あらためて名匠の内弟子に入ったのである。) 「やっと一人だちで故郷へ帰る事が出来て、やがて十年前に、前申したわけで六地蔵があすこへ立ったと聞きました頃には、もう山桜の霞の家も消えている……お優さんの行方は知れません。生命はあったのでしょう。いずれ追手が掛ったのでしょう。おなじように、舁がれて、連れ戻されて、鱗の落ちた魚、毛のあか膚になった鳥は、下積に船に積まれて、北海の浪に漾ったのでしょう。けれども、汽車は、越前の三国、敦賀。能登の富来、輪島。越中の氷見、魚津。佐渡。また越後の糸魚川、能生、直江津──そのどこへ売られたのか、捜しようがなかったのです。  六人が、六条、皆赤い蛇に悩まさるる、熱の譫言を叫んだという、その、渠等に懲罰を給わった姫神を、川裳明神と聞いて、怪しからんことには──前刻も申した事ですが、私も獺だと思って、その化身にされたのを、お優さんのために、大不平だった。松の枝の緋鹿子を、六人して、六条に引裂いて、……畜、畜生めら。腕に巻いたり、首に掛けたり、腹巻はまだしも、股に結んで弄びなぞしていやがった。払って浄めて、あすこの祠に納めたと聞いてさえ、なぜか、扉を開けようとはしませんでした。赤い蛇を恐れたのではないのです。──私は実は、めぐり合って、しめ殺されたい。  殺されて、そうして、彼奴等よりなお醜い瓜かじりの頬かけ地蔵を並べれば可いんです。」  小山夏吉の旅行癖が──諸君によくお分りになったと思う。 「──大笹の宿で、しかも、この、大笹村にある……思いかけず、その姫神の縁起に逢った。私は、直ぐに先祖の系図を見る真剣さと、うまれぬさきの世の履歴を読む好奇心と、いや、それよりも、恋人にめぐり逢う道しるべの地図を見る心の時めきで、読む手が思わず震えました。  川裳明神の縁起──可心、述。……」 七 「大笹の宿のその夜、可心の能登紀行で、川裳明神の本地が釈然としました。跪かなければなりません。私は寝られません。  なぜか、庭の松の樹を、一度見ないでは、どうしても気が済まなくなりました。手ぐりつけられるように。……金石街道でお優さんと死のうとした、並木の松に、形がそっくりに見えて忍耐がならないのです。──  勝手は心得ていましたから、雨戸を開けました。庭の松が、ただ慄然とするほど、その人待石の松と枝振は同じらしい。が、どの枝にも首を縊る扱帯は燃えてはおりません。寝そびれた上に、もうこうなっては、葉がくれに、紅いのがぶら下っていようも知れないと、跣足でも出る処を、庭下駄があったんです。  暗夜だか、月夜だか、覚えていません。が、松の樹はすやすやと息を立てて、寝姿かと思う静さで、何だか、足音を立てるのも気の毒らしい。三度ばかり、こんもりと高い根を廻りましたが何にも見えません。茫然と、腕組をして空を視めて立った、二階の棟はずれを覗いて、梟が大く翼を拡げた形で、またおなじような松が雲の中に見えるんです。心を曳かれて、うっかりして木戸を出ました。土が白い色して、杜若の花、紅羅の莟も、色を朧に美しい。茱萸の樹を出ますと、真夜中の川が流れます。紀行を思うと、渡るのが危っかしい。生えた草もまた白い。土橋の上に、ふと二個向合った白いものが見えました。や、女だ! これは。……いくら田舎娘だって、まだ泳ぐには。──思わず、私が立停まると、向合ったのが両方から寄って、橋の真中へ並んで立ちました。その時莞爾笑ったように見えたんですが、すたすたと橋を向うへ行く。跣足です。よく見ると、まるの裸体……いや、そうでない。あだ白い脚は膝の上、ほとんどつけ根へ露呈なのですが、段々瞳が定まると、真紅な紅羅の花を簪にして、柳条笹のような斑の入った薄い服、──で青いんだの、赤いんだの、茱萸の実が玉のごとく飾ってある。──またしきりに鳴く──蛙の皮の疣々のようでもあります。そうして、一飛ずつ大跨に歩行くのが、何ですか舶来の踊子が、ホテルで戸惑をしたか、銀座の夜中に迷子になった様子で。その癖、髪の色は黒い、ざらざらと捌いたおさげらしい。そのぶら下った毛の中に、両方の、目が光る。……ああ、あとびっしゃりをする。……そうでないと、目が背中へつくわけがない、と吃驚しました。しかし一体、どっちが背だか腹だか、開けた胸も腹も、のっぺらぼうで、人間としての皮の縫目が分りません。  少し上流の方へ伝って行くと、向う左へ切れた、畝道の出口へ、おなじものが、ふらふらと歩行いて来て、三個になった。三個が、手足を突張らかして、箸の折れたように、踊るふりで行くと、ばちゃばちゃと音がして、水からまた一個這上った。またその前途に、道の両側に踞んで待ったらしいのが、ぽんと二個立つと、六個も揃って一列になりました。逆に川下へ飛ぶ、ぴかりぴかりと一つ大な蛍の灯に、皆脊が低い。もっとも、ずッと遠くなったのだから、そのわけかも知れませんが、三尺二尺、五寸ぐらいに、川べりの田舎道遥になると、ざあと雨の音がして、流の片側、真暗な大な竹藪のざわざわと動いて真暗な処で、フッと吸われて消えました。  ほんとうに降って来た。私は、いつか橋を渡っていたのです。──  小雨に、じっとりとなった、と思ったのは、冷い寝汗で。……私はハッと目が覚めました。」 八 「翌朝思のほか寝過ごして、朝湯で少しはっきりして、朝飯を取ります頃は、からりと上天気。もう十時頃で、田舎はのんきですから、しらしら明もおんなじに、清々しく、朗かに雀たちが高囀で遊んでいます。蛙も鳴きます。旅籠の主人に、可心寺の聞きたしをして──(女神は、まったく活きておいでなさる。幽寂とした時、ふと御堂の中で、チリンと、幽な音のするのは、簪が揺れるので、その時は髪を撫でつけなさるのだそうで。)と聞く時分から、テケテケテン、テトドンドンと、村のどこかで……遠い小学校の小児の諸声に交って、静に冴えて、松葉が飛歩行くような太神楽の声が聞えて、それが、谺に響きました。  おお! ここに居る。──流に添って、上の方へ三町ばかり、商家も四五軒、どれも片側の藁葺を見て通ると、一軒荒物屋らしいのの、横縁の端へ、煙草盆を持出して、六十ばかりの親仁が一人。角ぶちの目金で、熟と──別に見るものはなし、人通もほとんどないのですから、すぐ分った、鉢前の大く茂った南天燭の花を──(実はさぞ目覚かろう)──悠然として見ていた。ほかに、目に着いたものはなかったのですが……宿で教えられた寺の入口の竹藪が、ついそこに。……川は斜に曲って、巌が嶮くなり、道も狭く、前途は、もう田畝になります。──その藪の前の日向に、ぼったら焼の荷に廂を掛けたほどな屋台を置いて、おお! ここに居る。太神楽が、黒木綿の五紋の着流しで鳥打帽を被った男と、久留米絣にセルの袴を裾長に穿流した男と、頬杖を突合って休んだのを見ました。端初、夢に見た藪にそっくりだ、と妙な気がした処へ、この太神楽で陽気になった。そのまますれ違って通ったのです。  向って、たらたらと上る坂を、可なり引込んで、どっしりした茅の山門が見えます。一方はその藪畳みで、一方は、ぐっと崖に窪んで、じとじとした一面の茗荷畑。水溜には杜若が咲いていました。上り口をちょっと入った処に、茶の詰襟の服で、護謨のぼろ靴を穿いて、ぐたぐたのパナマを被った男が、撥で掌を敲きながら、用ありそうに立っている。処へ、私が上りかかると出会がしらに、横溝を跨いで、藪からぬっくりと、顕われたのは、でっぷりと肥った坊主頭で、鼠木綿を尻高々と端折って、跣足で鍬をついた。……(これがうつくしい伯母さんのために出家した甥だと、墨染の袖に、その杜若の花ともあるべき処を)茗荷を掴み添えた、真竹の子の長い奴を、五六本ぶら下げていましたが、 (じゃあ、米一升でどうじゃい。)  すぐこう云うと、詰襟が、 (さあ、それですがね。) (銭、五貫より、その方が割じゃぜい──はっはっはっ。稗まじりじゃろうが、白米一升、どないにしても七十銭じゃ。割じゃろがい。はっはっはっ。)  泥足を捏ねながら、肩を揺って、大きに御機嫌。  給金の談判でした。ずんずん通り抜けて、寺内へ入ると、正面がずッと高縁で、障子が閉って、茅葺ですが本堂らしい。左が一段高く、そこの樹林の中を潜ると、並んではいますが棟が別で、落葉のままに甍が見えます。階を上ると、成程、絵馬が沢山に、正面の明神の額の下に、格子にも、桟にも、女の髪の毛が房々と掛っています。紙で巻いたり、水引で結んだり、で引いて見ましたが、扉は錠が下りています。虹の帳、雲の天蓋の暗い奥に、高く壇をついて、仏壇、廚子らしいのが幕を絞って見えますが、すぐに像が拝まれると思ったのは早計でした。第一女神でおいでなさる。まず拝して、絵馬を視て、しばらく居ました。とにかく、廚裡へ案内して、拝見……を願おうと……それにしても、竹の子上人は納所なのかしら、法体した寺男かしら。……  女神の簪の音を、わざとでなく聞こうとして、しばらくうっかりしたものと見えます。なぜというに、いま、樹立の中を出ますと、高縁の突端に薄汚れたが白綸子の大蒲団を敷込んで、柱を背中に、酒やけの胸はだけで、大胡坐を掻いたのは藪の中の大入道。……納所どころか、当山の大和尚。火鉢を引寄せ、脛の前へ、一升徳利を据えて、驚きましたなあ──茶碗酒です。  門内の広庭には、太神楽が、ほかにもう二人。五人と揃って、屋台を取巻いて、立ったり、踞んだり、中には赤手拭をちょっと頭にのせたのも居て、──これは酒じゃない、大土瓶から、茶をがぶがぶ、丼の古沢庵を横噛りで遣ってると、破れかかった廚裡の戸口に、霜げた年とった寺男が手を組んで考えた面で居る処。  けたけたけたと、和尚が化笑を唐突に遣ったから、私は肩をすぼめて、山門を出た。  何と、こんな中へ開扉が頼まれますものですか。  なお驚いたのは、前刻の爺さんが同じ処で、まだ熟と南天燭の枝ぶりを見ていた事です。──一度宿へ帰って出直そうとそこまで引返したのですが、考えました。そちこち午すぎだ、帰れば都合で膳も出そうし、かたがた面倒だ。一曲か二曲か、太神楽の納るまで、とまた寺の方へ。──  テンドンドン、テケレンと、囃子がはじまる。少し坂を上って、こう、透しますと、向う斜にずッと覗込む、生垣と、門の工合で、赤い頭ばかりが鞠のように、ぴょんぴょんと、垣の上へ飛ぶのと──柱を前へ乗出した和尚の肩の処が半分見える。いま和尚の肩と、柱の裏の壁らしく暗い間に、世を忍ぶ風情で、嬝娜と、それも肩から上ぐらい、あとは和尚の身体にかくれた、婦が見えます。  はっと思った。  髪は艶々と黒く、色は白いと思うのが、凄いほど美しい。  が、近づけません、いや、寄って行けない。せめて一人、小児でも、そこらに居てくれれば可いのですが、小学校の声ばかりまた遥に響くんです。私ただ一人……それに食べものが出ている……四十面を下げたものが、そこへ顔が出せますか。  殊に、佳い女、と思うほど、ここにうそうそ居て、この顔が見えよう。覗くのさえ気がさしますから、思切って、村はずれの田畝まで、一息に離れました。  蛙がよく鳴いています。その水田の方へ、畷へ切れて、蛙が、中でも、ことこところころ、よく鳴頻ってる田のへりへ腰を落し、ゆっくり煙草を吹かして、まずあの南天老人を極めました。  ──しばらくして、ここを、二人ばかり人が通る。……屋台を崩して、衣装葛籠らしいのと一所に、荷車に積んで、三人で、それは畷の本道を行きます。太神楽も、なかなか大仕掛なものですな。私の居た畷へ入って来たその二人は、紋着のと、セルの袴で。……田畝の向うに一村藁屋が並んでいる、そこへ捷径をする、……先乗とか云うんでしょう。  私は、笑いながら、 (お寺の、美人はいかがでした。)  対手が道化ものだから、このくらいな事は可い、と思った。 (別嬪? お寺に。)  とセルが言うと、 (弁天様があるのかね。)  と紋着が生真面目です。  私はまごついた。 (いいや、和尚の、かみさんだか、……何ですかね。) (ははは、御串戯もんだ。) (別嬪が居て御覧じろ、米一升のかわりに引攫っちまう。)  と笑いながら、さっさと行きます。  はぐらかすとは思えません。──はてな、それでは、いま見たのは。──何にしても太神楽は、もう済んだのですから、すぐに可心寺へ出向く筈の処を、少々居迷ったのは、前刻から田の上を、ひょいひょいと行る蛙連中が、大小──どうもおかしい。……生りはじめの瓜に似ている。……こんな事はありません。泳ぐ形は、そんなでもないが、ひょんと構えたり、腹を見せて仰向けに反った奴などは、そのままです。瓜の嬰児が踊っている。……それに、私は踏込んで見る気はありませんでしたが、この二三枚を除いたほかは、つづく畠で、気のせいか、一面に瓜が造ってあるようです。蛙どもは、ひょんひょんと飛ぶ。すいすい泳ぐ。ばちゃりと刎ねる。どうもおかしい。そのうちに、隣のじとじとした廃畑から、畝うつりに出て来る蛙を見ると、頭に三筋ばかり長い髪の毛を引掛けて曳いているのです。おや、また来るのも曳いている。五六疋──八九疋。──こっちの田からも飛込んでまた引いて出る。すらすらと長い髪の毛です。熟と視ると、水底に澄ました蛙は、黒いほどに、一束ねにして被いでいます。処々に、まだこんなに、蝌蚪がと思うのは、皆、ほぐれた女の髪で。……  女神の堂に、あんなに、ばらみの、たぼみのが有ったのを見ない前だと、これだけでも薄気味が悪かったでしょうのに。──そんな気はちっともなかった──ただ、畝どなりの廃畑をよく見ると、畳五枚ばかりの真中に、焼棄の灰が、いっぱい湿って、淀んで、竹の燃えさしが半ば朽ちて、ばらばらに倒れたり、埋れたりしています。……流灌頂──虫送り、虫追、風邪の神のおくりあと、どれも気味のいいものではない。いや、野墓、──野三昧、火葬のあと……悚然とすると同時に、昨夕の白い踊子を思い出した。さながらこの蛙に似ている。あっけに取られた時でした。 (やあ──やあ──やあ──)  と山裾の方から、野良声を掛けて、背後の畝を伝って来た、鍬をさげた爺さんが、 (やあ、お前様いけましねえ。いけましねえ。)  慌てて挨拶した。 (どうも済まない。) (やあ、はい、詫びさっしゃる事は何にもねえだがね、そこに久しく立っていると瘧を煩らうだあかンな、取憑かれるでな。) (ええ、どうしてだい。) (何、お前様。)  と、榛の樹から出て来ながら、ひょい、とあとへ飛退った。 (菜売がそこで焼死んだてばよ。) (焼死んだ。)  こっちも退った。 (菜売?……ッて) (おおよ。一昨年ずらい。菜売の年増女さ、身体あ役に立たなくなったちで、そこな瓜番小屋へ夜番に出したわ。──我が身で火をつけて、小屋ぐるみ押焦げたあだ。真夜中での、──そん時は、はい、お月様も赤かったよ。)」  ………………………… 九 「……女神の殿堂の扉の下にやがて跪いた私は、それから廚裡の方へ行こうとしました。  あの──山門を入った正面の高縁の障子が開いたままになっていましたから、廚裡へもまわらないで、すぐに廊下を一つ、女神堂へ参ったのですが、扉はしまっていました。──  この開扉を頼むのと、もう一つ、急に住職の意を得たい事が出来たのです。  唐花の絵天井から、壁、柱へ、綾と錦と、薄暗く輝く裡に、他国ではちょっと知りますまい。以前、あのあたりの寺子屋で、武家も、町家も、妙齢の娘たちが、綺麗な縮緬の細工ものを、神前仏前へ奉献する習慣があって、裁縫の練習なり、それに手習のよく出来る祈願だったと言います。四季の花はもとよりで、人形の着もの、守袋、巾着もありましょう、そんなものを一条の房につないで、柱、天井から掛けるので。祝って、千成百成と言いました。絢爛な薬玉を幾条も聯ねたようです。城主たちの夫人、姫、奥女中などのには金銀珠玉を鏤めたのも少くありません。  女神の前にも、幾条か聯って掛っていた。山の奥の幽なる中に、五色の蔦を見る思があります。ここに、生りもの、栗、蜜柑、柿、柘榴などと、蕪、人参、花を添えた蔓の藤豆、小さな西瓜、紫の茄子。色がいいから紅茸などと、二房一組──色糸の手鞠さえ随分糸の乱れたのに、就中、蒼然と古色を帯びて、しかも精巧目を驚かすのがあって、──中に、可愛い娘の掌ほどの甜瓜が、一顆。  嬉しくなって、私が視入った事は申すまでもありますまい。  黄に薄藍の影がさす、藍田の珠玉とか、柔く刻んで、ほんのりと暖いように見えます、障子越に日が薄く射すんです。  立って手を伸ばすと、届く。密と手で触ると……動く。……動く瓜の中に、ふと、何かあるんです。」 「──中に──」  筆者は思わず問返した。 「中に何だかあるんです。チリン、チリンと真綿に包まった、微妙な鈴のような音がしました。ああ、女神の簪の深秘に響くというのは、これだと想って、私は全身、かッとほてりました。」  ここに聞くものは悚然とした。 「中は空ろで、きれ仕立ですから、瓜の合せ目は直ぐ分りました。が、これは封のあるも同然。神の料のものなんです。参詣人が勝手には窺けません。  ──真先にこれを一つと思ったんです。もう堂の中に居るのですから、不躾に廚裡へ向って、大な声は出せません。本堂には祖師の壇があります。ここで呼立てるのも失礼だと思いますから、入った高縁の処、畳数を向うへ長く縦に見取って、奥の方へ、御免下さい、願います、願います、とやったが一向に通じない。弱った、和尚、あの勢で、寝込みはしないか。廚裡へ行く板戸は閉っていて、ふと、壁についた真向うの障子の外へ、何だか、ちらりと人影が射したようで、それなり消えましたから……あの美しい女が。……  あるいは人に隠れたのかも知れない。しかし帰れません。思切って、ずかずかと立入って、障子を開けますと、百日紅が、ちらちらと咲いている。ここを右へ、折れ曲りになって、七八間、廂はあるが、囲のない、吹抜けの橋廊下が見えます。暗い奥に、庵が一つ。背後は森で、すぐに、そこに、墓が、卒塔婆が、と見る目と一所に、庵の小窓に、少し乱れた円髷の顔が覗いて、白々と、ああ、藤の花が散り澄ますと思う、窓下の葉蘭に沈んで、水の装上った水盤に映ったのは、撫肩の靡いた浴衣の薄い模様です。襟うらに紅いのがちらりと覗いて、よりかかった状に頬杖して半ば睡るようにしていました。ああ、寝着で居る……あの裾の下に、酒くさい大坊主が踏反って。……  私は慇懃に礼をしました。  瞳を上げる、鼻筋が冷く通って、片頬にはらはらとかかる、軽いおくれ毛を撫でながら、静に扉を出ました。水盤の前に、寂しく立つ。黒繻子と打合せらしい帯を緩くして、……しかし寝ていたのではありません。迎えるように、こっちから橋に進んで──象嵌などを職にします──話して、瓜の事を頼みました。  やさしい声で、 (和尚様は留守でございます。けれど、明神様へ……私から。) (是非どうぞ。)  前刻は、あの柱の蔭に、と思って、 (太神楽はいかがでした。) (まあ、違いますよ、私は見はいたしません。) (ええ、それでは。) (明神様の御像を、和尚さんが抱いて出たのでございます。お慰みに、と云って、私は出はいたしません。明神様も、御迷惑だったでしょう。) (貴女は。) (私は可厭ですわ──それに御厄介になっております居候なんですから。)  瓜の中が解ったら、あるいはこの意味も、どうした事か、解るかも知れない。 (これでございますね。)  御廚子の前に、深く蝋燭を点じ、捧げて後、女は紅の総に手を掛けた。燈をうけると、その姿は濃くなった。 (よく出来ていますこと。) (ああ、そうして取れますか。)  自分の顔の蒼くなるまで、女のさしのばした雪白の腕に、やや差寄って言いました。 (畠のだと、貴方の方が取るのがお上手でしょうけれど……)  微笑する。 (ええ。) (これは、この蔓の結びめで解けます。私なぞも、真似をして拵えましたから存じております。──まあ、貴女が。)  と云って、廚子を拝んで、 (お気にめして、時々お持ち遊ばすそうで、ちっとも埃がついていません。──あすこへ……明るい処へ参りましょう。お仕事の事で御覧になりますなら、その方がよく見えます。)  消えるようになって、すらすらと出ました、障子際へ。明けると、荒れたが、庭づくりで、石の崩れた、古い大な池が、すぐこの濡縁に近く、蓮は浮葉を敷き、杜若は葉がくれに咲いている。……御堂の外格子──あの、前刻階から差覗いた処はただ、黒髪の暗い簾だったんですがな。 (どうぞ、貴女が明けて──お見せ下さい。)  さし向った、その膝に近づきました。 (お菓子でしょうか、よく合っておりますこと。)  私へ、斜めに、瓜を重いように、しなやかに取って、据えて、二つに分けると、魚が一尾、きらりと光り、チンチンチンと鱗が鳴ると斉しく、ひらりと池の水へ落ちました。  あ、あ、あ、あの池の向うの、大な松の幹を、結綿の娘と、折重って、絣の単衣の少年が這っている。こっちで、ひしと女に寄ろうとする、私の膝が石のようにしびれたと思うと、対向で松の幹を、少年がずるずると辷って落ちた。  落ちると同時に、その向うの縁に、旅の男が、円髷の麗人と向合っているのが見える。  そこには、瓜が二つに割れて、ここの松の空なる枝には、緋鹿子の輪が掛りました。……御堂も、池も、ぐるぐると廻ったんです。  見る見る野の末に黒雲がかかると、黒髪の影の池の中で、一つ、かたかたと鳴くに連れて、あたりの蛙の一斉に、声を合わせるのが、 松の根本に苺が見える…………  あの当時の唄にそのままです。  飛びついて抱こうとする手が硬ばって動かない。化鳥のごとく飛びかかった、緋の扱帯を空に掴んで、自分の咽喉を縊めようとするのを、じっと押えて留めました。女の袖が肩を抱くと、さし寄せた頬にかかっておくれ毛が、ゆれて、靡いて、そこいらの、みの毛ばら毛、髢も一所に、あたりは真暗になりました。 (連れてって下さい、お優さん、冥途へでもどこへでも。) (お帰りなさい──私が一所に参りますから。)  その時、甘い露に……唇が濡れました。息を返したんです。大笹の宿の亭主が、余り帰りの遅いのを見に来て、花桶の水を灌いだんだそうです。 (……私が一所に参りますから。)  で、──お優さんは、この炬燵の、ここに居ます。」  筆者は炬燵から飛しさった。 「しかし、この頃に、大笹へ参って、骨を拾って帰ろうと思います。  あの時、農家の爺さんが(菜売)の年増女だと、言ったでしょう。瓜番の小屋へ自分で火をつけたのは尋常ごととは思わなかったが。……ただ菜売とだけ存じました。──この頃土地の人に聞くと、それは、夏場だけ、よそから来て、肉を売る女の事だと言います。それだと、お優さんの、骨は、可心寺の無縁ですから。」    附記。  その後、大笹から音信があった──(知人はその行を危んだが、小山夏吉は日を措かず能登へ立った)──錦の影であろう、廚子にはじめて神像を見た時は、薄い桃色に映った、実は胡粉だそうである、等身の女神像は肩に白い蓑を掛けて、それが羽衣に拝まれる。裳を据えた大魚は、やや面が奇怪で、鯉だか、鱒だか、亀だか、蛇だか、人間の顔だか分らない。魚尾は波がしらに刎ねている。黒髪の簪に、小さな黄金の鮒が飾ってある。時に鏘々として響くのはこの音で、女神が梳ると、また更めて、人に聞いた──それに、この像には、起居がある。たとえば扉の帳をとざす、その時、誦経者の手に従うて、像の丈の隠るるに連れて、魚の背に膝が着くというのである。が、小山夏吉の目にも、同じ場合にその気勢を感じた。波を枕に、肱枕をさるるであろう。蓑の白い袖が時として、垂れて錦帳をこぼれなどする。  不思議な発条仕掛があるのではないか、と言う。  実や、文化よりして、慶応の頃まで生存した、加賀大野港に一代の怪人、工匠にして科学者であった。──町人だから姓はない、大野浜の弁吉の作だそうである。  三味線ただ一挺を携えていずこよりともなく浜づたいに流れて来て、大野の浜に留まった。しきりに城下を往来したが、医をよくし、巫術、火術を知り、その頃にして、人に写真を示した。製図に巧に、機械に精しい。醤油のエッセンスにて火を灯し、草と砂糖を調じて鉱山用のドンドロを合せたなどは、ほんの人寄せの前芸に過ぎない。その技工の妙を伝聞して、当時の藩主の命じて刻ましめた、美しき小人の木彫は、坐容立礼、進退を自由にした。余りにその活きたるがごとく、目に微笑をさえ含んで、澄まし返った小憎らしさに、藩主が扇子をもってポンと一つ頭を打つや、颯と立って、据腰に、やにわに小刀に手を掛けて、百万石をのけ反らした。ちょっと弁吉の悪戯だというのである。三聖酢をなむる図を浮彫にした如意がある。見ると、髯も、眉も浮出ているが手を触ると、何にもない、木理滑かなること白膏のごとし。──その理、測るべからず。密に西洋に往来することを知って、渠を憚るものは切支丹だとささやいた。  ──鳶(鶴ではない)を造って乗って、二階から飛んでその行く処を知らない。  好んで、風人と交ったから、──可心は、この怪工に知を得て、女神の像は成ったのである。  また希有なのは、このあたり(大笹)では、蛙が、女神にささげ物の、みの、髢を授けると、小さな河童の形になる。しかしてあるものは妖艶な少女に化ける。裸体に蓑をかけたのが、玉を編んで纏ったようで、人の目には羅に似て透いて肉が甘い。脚は脛のあたりまでほとんどあらわである。月朧に、燈くらき夜など、高浜、あべ屋、福浦のあたりまで、少からず男を悩すというのである。  小山夏吉の手紙は、この意味を── 「おもいの外、瓜吉(渾名をいう)は暢気だぜ。」  皆云っていたが、小山夏吉は帰らない。  なお手紙によると、再び可心寺に詣でた時は、和尚は、あれから直に亡くなって、檀を開くのに、村の人たちが立会った。──無住だった──というから。  お優さんの骨──ばかりでなく、霊に添って、奥の庵を畠に、瓜を造っているのだろう。本懐であろう。  蛙の唄をききながら、その化けた不良性らしい彼の女等を眷属にして。……  あとでも、時々、瓜は市場に出た。が、今は他のものを装る器具でない。瓜はそのまま天来の瓜である。従って名実ともに鏨は冴えた、とその道のものは云った。が惜しいかな──去年の冬、厳寒に身を疼んで、血を咯いて、雪に紅の瓜を刻んだ。 昭和二(一九二七)年五月 底本:「泉鏡花集成8」ちくま文庫、筑摩書房    1996(平成8)年5月23日第1刷発行 底本の親本:「鏡花全集 第二十三卷」岩波書店    1942(昭和17)年6月22日第1刷発行 入力:門田裕志 校正:仙酔ゑびす ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、以下の個所を除いて大振りにつくっています。 「三ヶ口」「一ヶ処」 2011年7月4日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。