葛飾砂子 泉鏡花 Guide 扉 本文 目 次 葛飾砂子 縁日 縁日  柳行李  橋ぞろえ  題目船  衣の雫  浅緑 記念ながら      縁日        一  先年尾上家の養子で橘之助といった名題俳優が、年紀二十有五に満たず、肺を煩い、余り胸が痛いから白菊の露が飲みたいという意味の辞世の句を残して儚うなり、贔屓の人々は謂うまでもなく、見巧者をはじめ、芸人の仲間にも、あわれ梨園の眺め唯一の、白百合一つ萎んだりと、声を上げて惜しみ悼まれたほどのことである。  深川富岡門前に待乳屋と謂って三味線屋があり、その一人娘で菊枝という十六になるのが、秋も末方の日が暮れてから、つい近所の不動の縁日に詣るといって出たのが、十時半過ぎ、かれこれ十一時に近く、戸外の人通もまばらになって、まだ帰って来なかった。  別に案ずるまでもない、同町の軒並び二町ばかり洲崎の方へ寄った角に、浅草紙、束藁、懐炉灰、蚊遣香などの荒物、烟草も封印なしの一銭五厘二銭玉、ぱいれっと、ひーろーぐらいな処を商う店がある、真中が抜裏の路地になって合角に格子戸造の仕舞家が一軒。  江崎とみ、と女名前、何でも持って来いという意気造だけれども、この門札は、さる類の者の看板ではない、とみというのは方違いの北の廓、京町とやらのさる楼に、博多の男帯を後から廻して、前で挟んで、ちょこなんと坐って抜衣紋で、客の懐中を上目で見るいわゆる新造なるもので。  三十の時から二階三階を押廻して、五十七の今年二十六年の間、遊女八人の身抜をさしたと大意張の腕だから、家作などはわがものにして、三月ばかり前までは、出稼の留守を勤め上りの囲物、これは洲崎に居た年増に貸してあったが、その婦人は、この夏、弁天町の中通に一軒引手茶屋の売物があって、買ってもらい、商売をはじめたので空家になり、また貸札でも出そうかという処へ娘のお縫。母親の富とは大違いな殊勝な心懸、自分の望みで大学病院で仕上げ、今では町住居の看護婦、身綺麗で、容色も佳くって、ものが出来て、深切で、優しいので、寸暇のない処を、近ごろかの尾上家に頼まれて、橘之助の病蓐に附添って、息を引き取るまで世話をしたが、多分の礼も手に入るる、山そだちは山とか、ちと看病疲も出たので、しばらく保養をすることにして帰って来て、ちょうど留守へ入って独で居る。菊枝は前の囲者が居た時分から、縁あってちょいちょい遊びに行ったが、今のお縫になっても相変らず、……きっとだと、両親が指図で、小僧兼内弟子の弥吉というのを迎に出すことにした。 「菊枝が毎度出ましてお邪魔様でございます、難有う存じます。それから菊枝に、病気揚句だ、夜更しをしては宜くないからお帰りと、こう言うのだ。汝またかりん糖の仮色を使って口上を忘れるな。」  坐睡をしていたのか、寝惚面で承るとむっくと立ち、おっと合点お茶の子で飛出した。  わっしょいわっしょいと謂う内に駆けつけて、 「今晩は。」というと江崎が家の格子戸をがらりと開けて、 「今晩は。」  時に返事をしなかった、上框の障子は一枚左の方へ開けてある。取附が三畳、次の間に灯は点いていた、弥吉は土間の処へ突立って、委細構わず、 「へい毎度出ましてお邪魔様でございます、難有う存じます。ええ、菊枝さん、姉さん。」        二 「菊枝さん、」とまた呼んだが、誰も返事をするものがない。  立続けに、 「遅いからもうお帰りなさいまし、風邪を引くと不可ません。」  弥吉は親方の吩咐に註を入れて、我ながら旨く言ったと思ったが、それでもなお応じないから、土間の薄暗い中をきょろきょろと眗したが、密と、框に手をついて、及腰に、高慢な顔色で内を透し、 「かりん糖でござい、評判のかりん糖!」と節をつけて、 「雨が降ってもかりかりッ、」  どんなものだ、これならば顕れよう、弥吉は菊枝とお縫とが居ない振でかつぐのだと思うから、笑い出すか、噴き出すか、くすくす遣るか、叱るかと、ニヤニヤ独で笑いながら、耳を澄したけれども沙汰がない、時計の音が一分ずつ柱を刻んで、潮の退くように鉄瓶の沸え止む響、心着けば人気勢がしないのである。 「可笑しいな、」と独言をしたが、念晴しにもう一ツ喚いてみた。 「へい、かりん糖でござい。」  それでも寂寞、気のせいか灯も陰気らしく、立ってる土間は暗いから、嚔を仕損なったような変な目色で弥吉は飛込んだ時とは打って変り、ちと悄気た形で格子戸を出たが、後を閉めもせず、そのままには帰らないで、溝伝いにちょうど戸外に向った六畳の出窓の前へ来て、背後向に倚りかかって、前後を眗して、ぼんやりする。  がらがらと通ったのは三台ばかりの威勢の可い腕車、中に合乗が一台。 「ええ、驚かしゃあがるな。」と年紀には肖ない口を利いて、大福餅が食べたそうに懐中に手を入れて、貧乏ゆるぎというのを行る。  処へ入乱れて三四人の跫音、声高にものを言い合いながら、早足で近いて、江崎の前へ来るとちょっと淀み、 「どうもお嬢さん難有うございました。」こういったのは豆腐屋の女房で、 「飛んだお手数でしたね。」 「お蔭様だ。」と留という紺屋の職人が居る、魚勘の親仁が居る、いずれも口々。  中に挟ったのが看護婦のお縫で、 「どういたしまして、誰方も御苦労様、御免なさいまし。」 「さようなら。」 「お休み。」  互に言葉を交したが、連の三人はそれなり分れた。  ちょっと彳んで見送るがごとくにする、お縫は縞物の不断着に帯をお太鼓にちゃんと結んで、白足袋を穿いているさえあるに、髪が夜会結。一体ちょん髷より夏冬の帽子に目を着けるほどの、土地柄に珍しい扮装であるから、新造の娘とは知っていても、称えるにお嬢様をもってする。  お縫は出窓の処に立っている弥吉には目もくれず、踵を返すと何か忙しらしく入ろうとしたが、格子も障子も突抜けに開ッ放し。思わず猶予って振返った。 「お帰んなさい。」 「おや、待乳屋さんの、」と唐突に驚く間もあらせず、 「菊枝さんはどうしました。」 「お帰んなすったんですか。」  いささか見当が違っている。 「病気揚句だしもうお帰んなさいって、へい、迎いに来たんで。」 「どうかなさいましたか。」と深切なものいいで、門口に立って尋ねるのである。  小僧は息をはずませて、 「一所に出懸けたんじゃあないの。」 「いいえ。」      柳行李        三 「へい、おかしいな、だって内にゃあ居ませんぜ。」 「なに居ないことがありますか、かつがれたんでしょう、呼んで見たのかね。」 「呼びました、喚いたんで、かりん糖の仮声まで使ったんだけれど。」  お縫は莞爾して、 「そんな串戯をするから返事をしないんだよ。まあお入んなさい、御苦労様でした。」と落着いて格子戸を潜ったが、土間を透すと緋の天鵝絨の緒の、小町下駄を揃えて脱いであるのに屹と目を着け、 「御覧、履物があるじゃあないか、何を慌ててるんだね。」  弥吉は後について首を突込み、 「や、そいつあ気がつかなかったい。」 「今日はね河岸へ大層着いたそうで、鮪の鮮しいのがあるからお好な赤いのをと思って菊ちゃんを一人ぼっちにして、角の喜の字へ行くとね、帰りがけにお前、」と口早に話しながら、お縫は上框の敷居の処でちょっと屈み、件の履物を揃えて、 「何なんですよ、蘆の湯の前まで来ると大勢立ってるんでしょう、恐しく騒いでるから聞いてみると、銀次さん許の、あの、刺青をしてるお婆さんが湯気に上ったというものですから、世話をしてね、どうもお待遠様でした。」  と、襖を開けてその六畳へ入ると誰も居ない、お縫は少しも怪しむ色なく、 「堪忍して下さい。だもんですから、」ずっと、長火鉢の前を悠々と斜に過ぎ、帯の間へ手を突込むと小さな蝦蟇口を出して、ちゃらちゃらと箪笥の上に置いた。門口の方を透して、 「小僧さん、まあお上り、菊枝さん、きいちゃん。」と言って部屋の内を眗すと、ぼんぼん時計、花瓶の菊、置床の上の雑誌、貸本が二三冊、それから自分の身体が箪笥の前にあるばかり。  はじめて怪訝な顔をした。 「おや、きいちゃん。」 「居やあしねえや。」と弥吉は腹ン這になって、覗いている。 「弥吉どん。本当に居ないですか、菊ちゃん。」とお縫は箪笥に凭懸ったまま、少し身を引いて三寸ばかり開いている襖、寝間にしておく隣の長四畳のその襖に手を懸けたが、ここに見えなければいよいよ菊枝が居ないのに極るのだと思うから、気がさしたと覚しく、猶予って、腰を据えて、筋の緊って来る真顔は淋しく、お縫は大事を取る塩梅に密と押開けると、ただ中古の畳なり。 「あれ、」といいさまつかつかと入ったが、慌しく、小僧を呼んだ。 「おっ、」と答えて弥吉は突然飛込んで、 「どう、どう。」 「お待ちなさいよ、いえね、弥吉どん、お前来る途で逢違いはしないだろうね、履物はあるし、それにしちゃあ、」  呼び上げておきながら取留めたことを尋ねるまでもなく、お縫は半ば独言。蓋のあいた柳行李の前に立膝になり、ちょっと小首を傾けて、向うへ押して、ころりと、仰向けに蓋を取って、右手を差入れて底の方から擡げてみて、その手を返して、畳んだ着物を上から二ツ三ツ圧えてみた。 「お嬢さん、盗賊?」と弥吉は耐りかねて頓興な声を出す。 「待って頂戴。」  お縫は自らおのが身を待たして、蓋を引いたままじっとして勝手許に閉っている一枚の障子を、その情の深い目で瞶めたのである。        四 「弥吉どん。」 「へい、」 「おいで、」と言うや否や、ずいと立って件の台所の隔ての障子。  柱に掴って覗いたから、どこへおいでることやらと、弥吉はうろうろする内に、お縫は裾を打って、ばたばたと例の六畳へ取って返した。  両三度あちらこちら、ものに手を触れて廻ったが、台洋燈を手に取るとやがてまた台所。  その袂に触れ、手に触り、寄ったり、放れたり、筋違に退いたり、背後へ出たり、附いて廻って弥吉は、きょろきょろ、目ばかり煌かして黙然で。  お縫は額さきに洋燈を捧げ、血が騒ぐか細おもての顔を赤うしながら、お太鼓の帯の幅ったげに、後姿で、すっと台所へ入った。  と思うと、湿ッけのする冷い風が、颯と入り、洋燈の炎尖が下伏になって、ちらりと蒼く消えようとする。  はっと袖で囲ってお縫は屋根裏を仰ぐと、引窓が開いていたので、煤で真黒な壁へ二条引いた白い縄を、ぐいと手繰ると、かたり。  引窓の閉まる拍子に、物音もせず、五分ばかりの丸い灯は、口金から根こそぎ殺いで取ったように火屋の外へふッとなくなる。 「厭だ、消しちまった。」  勝手口は見通しで、二十日に近い路地の月夜、どうしたろう、ここの戸は閉っておらず、右に三軒、左に二軒、両側の長屋はもう夜中で、明い屋根あり、暗い軒あり、影は溝板の処々、その家もここも寂寞して、ただ一つ朗かな蚯蚓の声が月でも聞くと思うのか、鳴いている。  この裏を行抜けの正面、霧の綾も遮らず目の届く処に角が立った青いものの散ったのは、一軒飛離れて海苔粗朶の垣を小さく結った小屋で剥く貝の殻で、その剥身屋のうしろに、薄霧のかかった中は、直ちに汽船の通う川である。  ものの景色はこれのみならず、間近な軒のこっちから棹を渡して、看護婦が着る真白な上衣が二枚、しまい忘れたのが夜干になって懸っていた。 「お化。」 「ああ、」とばかり、お縫は胸のあたりへ颯と月を浴びて、さし入る影のきれぎれな板敷の上へ坐ってしまうと、 「灯を消しましたね。」とお化の暢気さ。      橋ぞろえ         五 「さあ、おい、起きないか起きないか、石見橋はもう越した、不動様の前あたりだよ、直に八幡様だ。」と、縞の羽織で鳥打を冠ったのが、胴の間に円くなって寝ている黒の紋着を揺り起す。  一行三人の乗合で端に一人仰向けになって舷に肱を懸けたのが調子低く、 佃々と急いで漕げば、   潮がそこりて艪が立たぬ。  と口吟んだ。  けれども実際この船は佃をさして漕ぐのではない。且つ潮がそこるどころの沙汰ではない。昼過からがらりと晴上って、蛇の目の傘を乾かすような月夜になったが、昨夜から今朝へかけて暴風雨があったので、大川は八分の出水、当深川の川筋は、縦横曲折至る処、潮、満々と湛えている、そして早船乗の頬冠をした船頭は、かかる夜のひっそりした水に声を立てて艪をぎいーぎい。  砂利船、材木船、泥船などをひしひしと纜ってある蛤町の河岸を過ぎて、左手に黒い板囲い、㋚〓(丸大)〓(「重なった「へ」/一」)と大きく胡粉で書いた、中空に見上げるような物置の並んだ前を通って、蓬莱橋というのに懸った。  月影に色ある水は橋杭を巻いてちらちらと、畝って、横堀に浸した数十本の材木が皆動く。 「とっさんここいらで、よく釣ってるが何が釣れる。」  船顎、 「沙魚に鯔子が釣れます。」 「おぼこならば釣れよう。」と縞の羽織が笑うと、舷に肱をついたのが向直って、 「何あてになるものか。」 「遣って御覧じろ。」と橋の下を抜けると、たちまち川幅が広くなり、土手が著しく低くなって、一杯の潮は凸に溢れるよう。左手は洲の岬の蘆原まで一望渺たる広場、船大工の小屋が飛々、離々たる原上の秋の草。風が海手からまともに吹きあてるので、満潮の河心へ乗ってるような船はここにおいて大分揺れる。 「釣れる段か、こんな晩にゃあ鰻が船の上を渡り越すというくらいな川じゃ。」と船頭は意気頗る昂る。 「さあ、心細いぞ。」 「一体この川は何という。」 「名はねえよ。」 「何とかありそうなものだ。」 「石見橋なら石見橋、蓬莱橋なら蓬莱橋、蛤町の河岸なら蛤河岸さ、八幡前、不動前、これが富岡門前の裏になります。」という時、小曲をして平清の植込の下なる暗い処へ入って蔭になった。川面はますます明い、船こそ数多あるけれども動いているのはこの川にこれただ一艘。 「こっちの橋は。」  間近く虹のごとく懸っているのを縞の羽織が聞くと、船頭の答えるまでもなく紋着が、 「汐見橋。」 「寂しいな。」  この処の角にして船が弓なりに曲った。寝息も聞えぬ小家あまた、水に臨んだ岸にひょろひょろとした細くって低い柳があたかも墓へ手向けたもののように果敢なく植わっている。土手は一面の蘆で、折しも風立って来たから颯と靡き、颯と靡き、颯と靡く反対の方へ漕いで漕いで進んだが、白珊瑚の枝に似た貝殻だらけの海苔粗朶が堆く棄ててあるのに、根を隠して、薄ら蒼い一基の石碑が、手の届きそうな処に人の背よりも高い。        六 「おお、気味悪い。」と舷を左へ坐りかわった縞の羽織は大いに悄気る。 「とっさん、何だろう。」 「これかね、寛政子年の津浪に死骸の固っていた処だ。」  正面に、 葛飾郡永代築地  と鐫りつけ、おもてから背後へ草書をまわして、  此処寛政三年波あれの時、家流れ人死するもの少からず、此の後高波の変はかりがたく、溺死の難なしというべからず、是に寄りて西入船町を限り、東吉祥寺前に至るまで凡そ長さ二百八十間余の所、家居取払い空地となし置くものなり。  と記して傍に、寛政六年甲寅十二月 日とある石の記念碑である。 「ほう、水死人の、そうか、謂わば土左衛門塚。」 「おっと船中にてさようなことを、」と鳥打はつむりを縮めて、 「や!」  響くは凄じい水の音、神川橋の下を潜って水門を抜けて矢を射るごとく海に注ぐ流の声なり。 「念入だ、恐しい。」と言いながら、寝返の足で船底を蹴ったばかりで、未だに生死のほども覚束ないほど寝込んでいる連の男をこの際、十万の味方と烈しく揺動かして、 「起きないか起きないか、酷く身に染みて寒くなった。」  やがて平野橋、一本二本蘆の中に交ったのが次第に洲崎のこの辺土手は一面の薄原、穂の中から二十日近くの月を遠く沖合の空に眺めて、潮が高いから、人家の座敷下の手すりとすれずれの処をゆらりと漕いだ、河岸についてるのは川蒸汽で縦に七艘ばかり。 「ここでも人ッ子を見ないわ。」 「それでもちっとは娑婆らしくなった。」 「娑婆といやあ、とっさん、この辺で未通子はどうだ。」と縞の先生活返っていやごとを謂う。 「どうだどころか、もしお前さん方、この加賀屋じゃ水から飛込む魚を食べさせるとって名代だよ。」 「まずそこらで可し、船がぐらぐらと来て鰻の川渡りは御免蒙る。」 「ここでは欄干から這込みます。」 「まさか。」 「いや何ともいえない、青山辺じゃあ三階へ栗が飛込むぜ。」 「大出来!」  船頭も哄と笑い、また、 佃々と急いで漕げば、   潮がそこりて艪が立たぬ。  程なく漕ぎ寄せたのは弁天橋であった、船頭は舳へ乗かえ、棹を引いて横づけにする、水は船底を嘗めるようにさらさらと引いて石垣へだぶり。 「当りますよ。」 「活きてるか、これ、」  二度まで揺られても人心地のないようだった一名は、この時わけもなくむっくと起きて、真先に船から出たのである。 「待て、」といいつつ両人、懐をおさえ、褄を合わせ、羽織の紐を〆めなどして、履物を穿いてばたばたと陸へ上って、一団になると三人言い合せたように、 「寒い。」 「お静に。」といって、船頭は何か取ろうとして胴の間の処へ俯向く。  途端であった。  耳許にドンと一発、船頭も驚いてしゃっきり立つと、目の前へ、火花が糸を引いて𤏋と散って、川面で消えたのが二ツ三ツ、不意に南京花火を揚げたのは寝ていたかの男である。  斉しく左右へ退いて、呆気に取られた連の両人を顧みて、呵々と笑ってものをもいわず、真先に立って、  鞭声粛々!──      題目船        七 「何じゃい。」と打棄ったように忌々しげに呟いて、頬冠を取って苦笑をした、船頭は年紀六十ばかり、痩せて目鼻に廉はあるが、一癖も、二癖も、額、眦、口許の皺に隠れてしおらしい、胡麻塩の兀頭、見るから仏になってるのは佃町のはずれに独住居の、七兵衛という親仁である。  七兵衛──この船頭ばかりは、仕事の了にも早船をここへ繋いで戻りはせぬ。  毎夜、弁天橋へ最後の船を着けると、後へ引返してかの石碑の前を漕いで、蓬莱橋まで行ってその岸の松の木に纜っておいて上るのが例で、風雨の烈しい晩、休む時はさし措き、年月夜ごとにきっとである。  且つ仕舞船を漕ぎ戻すに当っては名代の信者、法華経第十六寿量品の偈、自我得仏来というはじめから、速成就仏身とあるまでを幾度となく繰返す。連夜の川施餓鬼は、善か悪か因縁があろうと、この辺では噂をするが、十年は一昔、二昔も前から七兵衛を知ってるものも別に仔細というほどのことを見出さない。本人も語らず、またかかる善根功徳、人が咎めるどころの沙汰ではない、もとより起居に念仏を唱える者さえある、船で題目を念ずるに仔細は無かろう。  されば今宵も例に依って、船の舳を乗返した。  腰を捻って、艪柄を取って、一ツおすと、岸を放れ、 「ああ、良い月だ、妙法蓮華経如来寿量品第十六自我得仏来、所経諸劫数、無量百千万億載阿僧祇、」と誦しはじめた。風も静に川波の声も聞えず、更け行くにつれて、三押に一度、七押に一度、ともすれば響く艪の音かな。 「常説法教化無数億衆生爾来無量劫。」  法の声は、蘆を渡り、柳に音ずれ、蟋蟀の鳴き細る人の枕に近づくのである。  本所ならば七不思議の一ツに数えよう、月夜の題目船、一人船頭。界隈の人々はそもいかんの感を起す。苫家、伏家に灯の影も漏れない夜はさこそ、朝々の煙も細くかの柳を手向けられた墓のごとき屋根の下には、子なき親、夫なき妻、乳のない嬰児、盲目の媼、継母、寄合身上で女ばかりで暮すなど、哀に果敢ない老若男女が、見る夢も覚めた思いも、大方この日が照る世の中のことではあるまい。  髯ある者、腕車を走らす者、外套を着たものなどを、同一世に住むとは思わず、同胞であることなどは忘れてしまって、憂きことを、憂しと識別することさえ出来ぬまで心身ともに疲れ果てたその家この家に、かくまでに尊い音楽はないのである。 「衆生既信伏質直意柔軟、一心欲見仏、不自惜身命、」と親仁は月下に小船を操る。  諸君が随処、淡路島通う千鳥の恋の辻占というのを聞かるる時、七兵衛の船は石碑のある処へ懸った。  いかなる人がこういう時、この声を聞くのであるか? ここに適例がある、富岡門前町のかのお縫が、世話をしたというから、菊枝のことについて記すのにちっとも縁がないのではない。  幕府の時分旗本であった人の女で、とある楼に身を沈めたのが、この近所に長屋を持たせ廓近くへ引取って、病身な母親と、長煩いで腰の立たぬ父親とを貢いでいるのがあった。        八  少なからぬ借金で差引かれるのが多いのに、稼高の中から渡される小遣は髪結の祝儀にも足りない、ところを、たといおも湯にしろ両親が口を開けてその日その日の仕送を待つのであるから、一月と纏めてわずかばかりの額ではないので、毎々借越にのみなるのであったが、暖簾名の婦人と肩を並べるほど売れるので、内証で悪い顔もしないで無心に応じてはいたけれども、応ずるは売れるからで、売るのには身をもって勤めねばならないとか。  いかに孝女でも悪所において斟酌があろうか、段々身体を衰えさして、年紀はまだ二十二というのに全盛の色もやや褪せて、素顔では、と源平の輩に遠慮をするようになると、二度三度、月の内に枕が上らない日があるようになった。  扱帯の下を氷で冷すばかりの容体を、新造が枕頭に取詰めて、このくらいなことで半日でも客を断るということがありますか、死んだ浮舟なんざ、手拭で汗を拭く度に肉が殺げて目に見えて手足が細くなった、それさえ我儘をさしちゃあおきませなんだ、貴女は御全盛のお庇に、と小刀針で自分が使う新造にまでかかることを言われながら、これにはまた立替えさしたのが、控帳についてるので、悔しい口も返されない。  という中にも、随分気の確な女、むずかしく謂えば意志が強いという質で、泣かないが蒼くなる風だったそうだから、辛抱はするようなものの、手元が詰るに従うて謂うまじき無心の一つもいうようになると、さあ鰌は遁る、鰻は辷る、お玉杓子は吃驚する。  河岸は不漁で、香のある鯛なんざ、廓までは廻らぬから、次第々々に隙にはなる、融通は利かず、寒くはなる、また暑くはなる、年紀は取る、手拭は染めねばならず、夜具の皮は買わねばならず、裏は天地で間に合っても、裲襠の色は変えねばならず、茶は切れる、時計は留る、小間物屋は朝から来る、朋輩は落籍のがある、内証では小児が死ぬ、書記の内へ水がつく、幇間がはな会をやる、相撲が近所で興行する、それ目録だわ、つかいものだ、見舞だと、つきあいの雑用を取るだけでも、痛む腹のいいわけは出来ない仕誼。  随分それまでにもかれこれと年季を増して、二年あまりの地獄の苦がフイになっている上へ、もう切迫と二十円。  盆のことで、両親の小屋へ持って行って、ものをいう前にまず、お水を一口という息切のする女が、とても不可ません、済ないこッてすがせめてお一人だけならばと、張も意気地もなく母親の帯につかまって、別際に忍泣に泣いたのを、寝ていると思った父親が聞き取って、女が帰って明くる日も待たず自殺した。  報知を聞くと斉しく、女は顔の色が変って目が窪んだ、それなりけり。砂利へ寝かされるような蒲団に倒れて、乳房の下に骨が見える煩い方。  肺病のある上へ、驚いたがきっかけとなって心臓を痛めたと、医者が匙を投げてから内証は証文を巻いた、但し身附の衣類諸道具は編笠一蓋と名づけてこれをぶったくり。  手当も出来ないで、ただ川のへりの長屋に、それでも日の目が拝めると、北枕に水の方へ黒髪を乱して倒れている、かかる者の夜更けて船頭の読経を聞くのは、どんなに悲しかろう、果敢なかろう、情なかろう、また嬉しかろう。 「妙法蓮華経如来寿量品第十六自我得仏来所経諸劫数無量百千万億載阿僧祇。」と誦するのが、いうべからざる一種の福音を川面に伝えて渡った、七兵衛の船は七兵衛が乗って漂々然。        九  蓬莱橋は早や見える、折から月に薄雲がかかったので、野も川も、船頭と船とを淡く残して一面に白み渡った、水の色は殊にやや濁を帯びたが、果もなく洋々として大河のごとく、七兵衛はさながら棲息して呼吸するもののない、月世界の海を渡るに斉しい。 「妙法蓮華経如来寿量品。」と繰返したが、聞くものの魂が舷のあたりにさまようような、ものの怪が絡ったか。烏が二声ばかり啼いて通った。七兵衛は空を仰いで、 「曇って来た、雨返しがありそうだな、自我得仏来所経、」となだらかにまた頓着しない、すべてのものを忘れたという音調で誦するのである。  船は水面を横に波状動を起して、急に烈しく揺れた。  読経をはたと留め、 「やあ、やあ、かしが、」と呟きざま艫を左へ漕ぎ開くと、二条糸を引いて斜に描かれたのは電の裾に似たる綾である。  七兵衛は腰を撓めて、突立って、逸疾く一間ばかり遣違えに川下へ流したのを、振返ってじっと瞶め、 「お客様だぜ、待て、妙法蓮華経如来寿量品第十六。」と忙しく張上げて念じながら、舳を輪なりに辷らして中流で逆に戻して、一息ぐいと入れると、小波を打乱す薄月に影あるものが近いて、やがて舷にすれすれになった。  飛下りて、胴の間に膝をついて、白髪天頭を左右に振ったが、突然水中へ手を入れると、朦朧として白く、人の寝姿に水の懸ったのが、一揺静に揺れて、落着いて二三尺離れて流れる、途端に思うさま半身を乗出したので反対の側なる舷へざぶりと一波浴せたが、あわよく手先がかかったから、船は人とともに寄って死骸に密接することになった。  無意識に今掴んだのは、ちょうど折曲げた真白の肱の、鍵形に曲った処だったので、 「しゃっちこばッたな、こいつあ日なしだ。」  とそのまま乱暴に引上げようとすると、少しく水を放れたのが、柔かに伸びそうな手答があった。 「どッこい。」驚いて猿臂を伸し、親仁は仰向いて鼻筋に皺を寄せつつ、首尾よく肩のあたりへ押廻して、手を潜らし、掻い込んで、ずぶずぶと流を切って引上げると、びっしょり舷へ胸をのせて、俯向けになったのは、形も崩れぬ美しい結綿の島田髷。身を投げて程も無いか、花がけにした鹿の子の切も、沙魚の口へ啣え去られないで、解けて頸から頬の処へ、血が流れたようにベッとりとついている。  親仁は流に攫われまいと、両手で、その死体の半はいまだ水に漂っているのをしっかり押えながら、わなわなと震えて早口に経を唱えた。  けれどもこれは恐れたのでも驚いたのでもなかったのである。助かるすべもありそうな、見た処の一枝の花を、いざ船に載せて見て、咽喉を突かれてでも、居はしまいか、鳩尾に斬ったあとでもあるまいか、ふと愛惜の念盛に、望の糸に縋りついたから、危ぶんで、七兵衛は胸が轟いて、慈悲の外何の色をも交えぬ老の眼は塞いだ。  またもや念ずる法華経の偈の一節。  やがて曇った夜の色を浴びながら満水して濁った川は、どんと船を突上げたばかりで、忘れたようにその犠を七兵衛の手に残して、何事もなく流れ流るる。      衣の雫        十  待乳屋の娘菊枝は、不動の縁日にといって内を出た時、沢山ある髪を結綿に結っていた、角絞りの鹿の子の切、浅葱と赤と二筋を花がけにしてこれが昼過ぎに出来たので、衣服は薄お納戸の棒縞糸織の袷、薄紫の裾廻し、唐繻子の襟を掛て、赤地に白菊の半襟、緋鹿の子の腰巻、朱鷺色の扱帯をきりきりと巻いて、萌黄繻子と緋の板じめ縮緬を打合せの帯、結目を小さく、心を入れないで帯上は赤の菊五郎格子、帯留も赤と紫との打交ぜ、素足に小町下駄を穿いてからからと家を。  一体三味線屋で、家業柄出入るものにつけても、両親は派手好なり、殊に贔屓俳優の橘之助の死んだことを聞いてから、始終くよくよして、しばらく煩ってまでいたのが、その日は誕生日で、気分も平日になく好いというので、髪も結って一枚着換えて出たのであった。  小町下駄は、お縫が許の上框の内に脱いだままで居なくなったのであるから、身を投げた時は跣足であった。  履物が無かったばかり、髪も壊れず七兵衛が船に助けられて、夜があけると、その扱帯もその帯留も、お納戸の袷も、萌黄と緋の板締の帯も、荒縄に色を乱して、一つも残らず、七兵衛が台所にずらりと懸って未だ雫も留まらないで、引窓から朝霧の立ち籠む中に、しとしとと落ちて、一面に朽ちた板敷を濡しているのは潮の名残。  可惜、鼓のしらべの緒にでも干す事か、縄をもって一方から引窓の紐にかけ渡したのは無慙であるが、親仁が心は優しかった。  引窓を開けたばかりわざと勝手の戸も開けず、門口も閉めたままで、鍋をかけた七輪の下を煽ぎながら、大入だの、暦だの、姉さんだのを張交ぜにした二枚折の枕屏風の中を横から振向いて覗き込み、 「姉や、気分はどうじゃの、少し何かが解って来たか、」  と的面にこっちを向いて、眉の優しい生際の濃い、鼻筋の通ったのが、何も思わないような、しかも限りなき思を籠めた鈴のような目を瞠って、瓜核形の顔ばかり出して寝ているのを視めて、大口を開いて、 「あはは、あんな顔をして罪のない、まだ夢じゃと思うそうだ。」  菊枝は、硫黄ヶ島の若布のごとき襤褸蒲団にくるまって、抜綿の丸げたのを枕にしている、これさえじかづけであるのに、親仁が水でも吐したせいか、船へ上げられた時よりは髪がひっ潰れて、今もびっしょりで哀である、昨夜はこの雫の垂るる下で、死際の蟋蟀が鳴いていた。  七兵衛はなおしおらしい目から笑を溢して、 「やれやれ綺麗な姉さんが台なしになったぞ。あてこともねえ、どうじゃ、切ないかい、どこぞ痛みはせぬか、お肚は苦しゅうないか。」と自分の胸を頑固な握拳でこツこツと叩いて見せる。  ト可愛らしく、口を結んだまま、ようようこの時頭を振った。 「は、は、痛かあない、宜いな、嬉しいな、可し、可し、そりゃこうじゃて。お前、飛込んだ拍子に突然目でも廻したか、いや、水も少しばかり、丼に一杯吐いたか吐かぬじゃ。大したことはねえての、気さえ確になれば整然と治る。それからの、ここは大事ない処じゃ、婆も猫も犬も居らぬ、私一人じゃから安心をさっしゃい。またどんな仔細がないとも限らぬが、少しも気遣はない、無理に助けられたと思うと気が揉めるわ、自然天然と活返ったとこうするだ。可いか、活返ったら夢と思って、目が覚めたら、」といいかけて、品のある涼しい目をまた凝視め、 「これさ、もう夜があけたから夢ではない。」        十一  しばらくして菊枝が細い声、 「もし」 「や、産声を挙げたわ、さあ、安産、安産。」と嬉しそうに乗出して膝を叩く。しばらくして、 「ここはどこでございますえ。」とほろりと泣く。  七兵衛は笑傾け、 「旨いな、涙が出ればこっちのものだ、姉や、ちっとは落着いたか、気が静まったか。」 「ここはどっちでしょう。」 「むむ、ここはな、むむ、」と独でほくほく。 「散々気を揉んでお前、ようようこっちのものだと思うと、何を言ってもただもうわなわな震えるばっかりで。弱らせ抜いたぜ。そっちから尋ねるようになれば占めたものだ。ここは佃町よ、八幡様の前を素直に蓬莱橋を渡って、広ッ場を越した処だ、可いか、私は早船の船頭で七兵衛と謂うのだ。」 「あの蓬莱橋を渡って、おや、そう、」と考える。 「そうよ、知ってるか、姉やは近所かい。」 「はい。……いいえ、」といってフト口をつぐんだ。船頭は胸で合点して、 「まあ、可いや、お前の許は構わねえ、お前の方にさえ分れば可いわ、佃町を知っているかい。」  ややあって、 「あの、いつか通った時、私くらいな年紀の、綺麗な姉さんが歩行いていなすった、あすこなんでしょう、そうでございますか。」 「待たッせよ、お前くらいな年紀で、と、こうと十六七だな。」 「はあ、」 「十六七の阿魔はいくらも居るが、綺麗な姉さんはあんまりねえぜ。」 「いいえ、いますよ、丸顔のね、髪の沢山ある、そして中形の浴衣を着て、赤い襦袢を着ていました、きっとですよ。」 「待ちねえよ、赤い襦袢と、それじゃあ、お勘が家に居る年明だろう、ありゃお前もう三十くらいだ。」 「いいえ、若いんです。」  七兵衛天窓を掻いて、 「困らせるの、年月も分らず、日も分らず、さっぱり見当が着かねえが、」と頗る弱ったらしかったが、はたと膝を打って、 「ああああ居た居た、居たが何、ありゃ売物よ。」と言ったが、菊枝には分らなかった。けれども記憶を確めて安心をしたものと見え、 「そう、」と謂った声がうるんで、少し枕を動かすと、顔を仰向けにして、目を塞いだがまた涙ぐんだ。我に返れば、さまざまのこと、さまざまのことはただうら悲しきのみ、疑も恐もなくって泣くのであった。  髪も揺めき蒲団も震うばかりであるから、仔細は知らず、七兵衛はさこそとばかり、 「どうした、え、姉やどうした。」  問慰めるとようよう此方を向いて、 「親方。」 「おお、」 「起きましょうか。」 「何、起きる。」 「起きられますよ。」 「占めたな! お前じっとしてる方が可いけれど、ちっとも構わねえけれど、起られるか、遣ってみろ一番、そうすりゃしゃんしゃんだ。気さえ確になりゃ、何お前案じるほどの容体じゃあねえんだぜ。」と、七兵衛は孫をつかまえて歩行は上手の格で力をつける。  蒲団の外へは顔ばかり出していた、裾を少し動かしたが、白い指をちらりと夜具の襟へかけると、顔をかくして、 「私、………」      浅緑        十二 「大事ねえ大事ねえ、水浸しになっていた衣服はお前あの通だ、聞かっせえ。」  時に絶えず音するは静な台所の点滴である。 「あんなものを巻着けておいた日にゃあ、骨まで冷抜いてしまうからよ、私が褞袍を枕許に置いてある、誰も居ねえから起きるならそこで引被けねえ。」  といったが克明な色面に顕れ、 「おお、そして何よ、憂慮をさっしゃるな、どうもしねえ、何ともねえ、俺あ頸子にも手を触りやしねえ、胸を見な、不動様のお守札が乗っけてあら、そらの、ほうら、」  菊枝は嬉しそうに血の気のない顔に淋しい笑を含んだ。 「むむ、」と頷いたがうしろ向になって、七兵衛は口を尖がらかして、鍋の底を下から見る。  屏風の上へ、肩のあたりが露れると、潮たれ髪はなお乾かず、動くに連れて柔かにがっくりと傾くのを、軽く振って、根を圧えて、 「これを着ましょうかねえ。」 「洗濯をしたばかりだ、船虫は居ねえからよ。」  緋鹿子の上へ着たのを見て、 「待っせえ、あいにく襷がねえ、私がこの一張羅の三尺じゃあ間に合うめえ! と、可かろう、合したものの上へ〆めるんだ、濡れていても構うめえ、どッこいしょ。」  七兵衛は螇蚸のような足つきで不行儀に突立つと屏風の前を一跨、直に台所へ出ると、荒縄には秋の草のみだれ咲、小雨が降るかと霧かかって、帯の端衣服の裾をしたしたと落つる雫も、萌黄の露、紫の露かと見えて、慄然とする朝寒。  真中に際立って、袖も襟も萎えたように懸っているのは、斧、琴、菊を中形に染めた、朝顔の秋のあわれ花も白地の浴衣である。  昨夜船で助けた際、菊枝は袷の上へこの浴衣を着て、その上に、菊五郎格子の件の帯上を結んでいたので。  謂は何かこれにこそと、七兵衛はその時から怪んで今も真前に目を着けたが、まさかにこれが死神で、菊枝を水に導いたものとは思わなかったであろう。  実際お縫は葛籠の中を探して驚いたのもこれ、眉を顰めたのもこれがためであった。斧と琴と菊模様の浴衣こそ菊枝をして身を殺さしめた怪しの衣、女が歌舞伎の舞台でしばしば姿を見て寐覚にも俤の忘られぬ、あこがるるばかり贔屓の俳優、尾上橘之助が、白菊の辞世を読んだ時まで、寝返りもままならぬ、病の床に肌につけた記念なのである。  江崎のお縫は芳原の新造の女であるが、心懸がよくッて望んで看護婦になったくらいだけれども、橘之助に附添って嬉しくないことも無いのであった。  しかるに重体の死に瀕した一日、橘之助が一輪ざしに菊の花を活けたのを枕頭に引寄せて、かつてやんごとなき某侯爵夫人から領したという、浅緑と名のある名香を、お縫の手で焚いてもらい、天井から釣した氷嚢を取除けて、空気枕に仰向けに寝た、素顔は舞台のそれよりも美しく、蒲団も掻巻も真白な布をもって蔽える中に、目のふちのやや蒼ざめながら、額にかかる髪の艶、あわれうらわかき神のまぼろしが梨園を消えようとする時の風情。        十三  橘之助は垢の着かない綺麗な手を胸に置いて、香の薫を聞いていたが、一縷の煙は二条に細く分れ、尖がささ波のようにひらひらと、靡いて枕に懸った時、白菊の方に枕を返して横になって、弱々しゅう襟を左右に開いたのを、どうなさいます? とお縫が尋ねると、勿体ないが汗臭いから焚き占めましょう、と病苦の中に謂ったという、香の名残を留めたのが、すなわちここに在る記念の浴衣。  懐しくも床さに、お縫は死骸の身に絡った殊にそれが肺結核の患者であったのを、心得ある看護婦でありながら、記念にと謂って強いて貰い受けて来て葛籠の底深く秘め置いたが、菊枝がかねて橘之助贔屓で、番附に記した名ばかり見ても顔色を変える騒を知ってたので、昨夜、不動様の参詣の帰りがけ、年紀下ながら仲よしの、姉さんお内かい、と寄った折も、何は差置き橘之助の噂、お縫は見たままを手に取るよう。  これこれこう、こういう浴衣と葛籠の底から取出すと、まあ姉さんと進むる膝、灯とともに乗出す膝を、突合した上へ乗せ合って、その時はこういう風、仏におなりの前だから、優しいばかりか、目許口付、品があって気高うてと、お縫が謂えば、ちらちらと、白菊の花、香の煙。  話が嵩じて理に落ちて、身に沁みて涙になると、お縫はさすがに心着いて、鮨を驕りましょうといって戸外へ出たのが、葦の湯の騒ぎをつい見棄てかねて取合って、時をうつしていた間に、過世の深い縁であろう、浅緑の薫のなお失せやらぬ橘之助の浴衣を身につけて、跣足で、亡き人のあとを追った。  菊枝は屏風の中から、ぬれ浴衣を見てうっとりしている。  七兵衛はさりとも知らず、 「どうじゃ〆めるものはこの扱帯が可いかの。」  じっと凝視めたまま、  だんまりなり。 「ぐるぐる巻にすると可い、どうだ。」 「はい取って下さいまし、」とやっといったが、世馴れず、両親には甘やかされたり、大恩人に対し遠慮の無さ。  七兵衛はそれを莞爾やかに、 「そら、こいつあ単衣だ、もう雫の垂るようなことはねえ。」  やがて、つくづくと見て苦笑い、 「ほほう生れかわって娑婆へ出たから、争われねえ、島田の姉さんがむつぎにくるまった形になった、はははは、縫上げをするように腕をこうぐいと遣らかすだ、そう、そうだ、そこで坐った、と、何ともないか。」 「ここが痛うございますよ。」と両手を組違えに二の腕をおさえて、頭が重そうに差俯向く。 「むむ、そうかも知れねえ、昨夜そうやってしっかり胸を抱いて死んでたもの。ちょうど痛むのは手の下になってた処よ。」 「そうでございますか、あの私はこうやって一生懸命に死にましたわ。」 「この女は! 一生懸命に身を投げる奴があるものか、串戯じゃあねえ、そして、どんな心持だった。」 「あの沈みますと、ぼんやりして、すっと浮いたんですわ、その時にこうやって少し足を縮めましたっけ、また沈みました、それからは知りませんよ。」 「やれやれ苦しかったろう。」 「いいえ、泣きとうございました。」      記念ながら        十四  二ツ三ツ話の口が開けると老功の七兵衛ちっとも透さず、 「何しろ娑婆へ帰ってまず目出度、そこで嬰児は名は何と謂う、お花か、お梅か、それとも。」 「ええ、」といいかけて菊枝は急に黙ってしまった。  様子を見て、七兵衛は気を替えて、 「可いや、まあそんなことは。ところで、粥が出来たが一杯どうじゃ、またぐっと力が着くぜ。」 「何にも喰べられやしませんわ。」と膠の無い返事をして、菊枝は何か思出してまた潸然とするのである。 「それも可いよ。はは、何か謂われると気に障って煩いな? 可いや、可いやお前になってみりゃ、盆も正月も一斉じゃ、無理はねえ。  それでは御免蒙って、私は一膳遣附けるぜ。鍋の底はじりじりいう、昨夜から気を揉んで酒の虫は揉殺したが、矢鱈無性に腹が空いた。」と立ったり、居たり、歩行いたり、果は胡坐かいて能代の膳の低いのを、毛脛へ引挟むがごとくにして、紫蘇の実に糖蝦の塩辛、畳み鰯を小皿にならべて菜ッ葉の漬物堆く、白々と立つ粥の湯気の中に、真赤な顔をして、熱いのを、大きな五郎八茶碗でさらさらと掻食って、掻食いつつ菊枝が支えかねたらしく夜具に額をあてながら、時々吐息を深くするのを、茶碗の上から流眄に密と見ぬように見て釣込まれて肩で呼吸。  思出したように急がしく掻込んで、手拭の端でへの字に皺を刻んだ口の端をぐいと拭き、差置いた箸も持直さず、腕を組んで傾いていたが、台所を見れば引窓から、門口を見れば戸の透から、早や九時十時の日ざしである。このあたりこそ気勢もせぬが、広場一ツ越して川端へ出れば、船の行交い、人通り、烟突の煙、木場の景色、遠くは永代、新大橋、隅田川の模様なども、同一時刻の同一頃が、親仁の胸に描かれた。 「姉や、姉や、」と改めて呼びかけて、わずかに身を動かす背に手を置き、 「道理じゃ、善いにしろ、悪いにしろ、死のうとまで思って、一旦水の中で引取ったほどの昨夜の今じゃ、何か話しかけられても、胸へ落着かねえでかえって頭痛でもしちゃあ悪いや、な。だから私あ何にも謂わねえ。  一体昨夜お前を助けた時、直ぐ騒ぎ立てればよ、汐見橋の際には交番もあるし、そうすりゃ助けようと思う念は届くしこっちの手は抜けるというもんだし、それに上を越すことは無かったが、いやいやそうでねえ、川へ落ちたか落されたかそれとも身を投げたか、よく見れば様子で知れらあ、お前は覚悟をしたものだ。  覚悟をするには仔細があろう、幸いことか悲しいことか、そこン処は分らねえが、死のうとまでしたものを、私が騒ぎ立って、江戸中知れ渡って、捕っちゃあならねえものに捕るか、会っちゃあならねえものに会ったりすりゃ、余計な苦患をさせるようなものだ。」七兵衛は口軽に、 「とこう思っての、密と負って来て届かねえ介抱をしてみたが、いや半間な手が届いたのもお前の運よ、こりゃ天道様のお情というもんじゃ、無駄にしては相済まぬ。必ず軽忽なことをすまいぞ、むむ姉や、見りゃ両親も居なさろうと思われら、まあよく考えてみさっせえ。  そこで胸を静めてじっと腹を落着けて考えるに、私が傍に居ては気を取られてよくあるめえ、直ぐにこれから仕事に出て、蝸牛の殻をあけるだ。可しか、桟敷は一日貸切だぜ。」        十五 「起きようと寝ようと勝手次第、お飯を食べるなら、冷飯があるから茶漬にしてやらっせえ、水を一手桶汲んであら、可いか、そしてまあ緩々と思案をするだ。  思案をするじゃが、短気な方へ向くめえよ、後生だから一番方角を暗剣殺に取違えねえようにの、何とか分別をつけさっせえ。  幸福と親御の処へなりまた伯父御叔母御の処へなり、帰るような気になったら、私に辞儀も挨拶もいらねえからさっさと帰りねえ、お前が知ってるという蓬薬橋は、広場を抜けると大きな松の木と柳の木が川ぶちにある、その間から斜向に向うに見えらあ、可いかい。  また居ようと思うなら振方を考えるまで二日でも三日でも居さっせえ、私ン処はちっとも案ずることはねえんだから。  その内に思案して、明して相談をして可いと思ったら、謂って見さっせえ、この皺面あ突出して成ることなら素ッ首は要らねえよ。  私あしみじみ可愛くってならねえわ。  それからの、ここに居る分にゃあうっかり外へ出めえよ、実は、」  と声を密めながら、 「ここいらは廓外で、お物見下のような処だから、いや遣手だわ、新造だわ、その妹だわ、破落戸の兄貴だわ、口入宿だわ、慶庵だわ、中にゃあお前勾引をしかねねえような奴等が出入をすることがあるからの、飛んでもねえ口に乗せられたり、猿轡を嵌められたりすると大変だ。  それだからこうやって、夜夜中開放しの門も閉めておく、分ったかい。家へ帰るならさっさと帰らっせえよ、俺にかけかまいはちっともねえ。じゃあ、俺は出懸けるぜ、手足を伸して、思うさま考えな。」  と返事は強いないので、七兵衛はずいと立って、七輪の前へ来ると、蹲んで、力なげに一服吸って三服目をはたいた、駄六張の真鍮の煙管の雁首をかえして、突いて火を寄せて、二ツ提の煙草入にコツンと指し、手拭と一所にぐいと三尺に挟んで立上り、つかつかと出て、まだ雫の止まぬ、びしょ濡の衣を振返って、憂慮げに土間に下りて、草履を突かけたが、立淀んで、やがて、その手拭を取って頬被。七兵衛は勝手の戸をがらりと開けた、台所は昼になって、ただ見れば、裏手は一面の蘆原、処々に水溜、これには昼の月も映りそうに秋の空は澄切って、赤蜻蛉が一ツ行き二ツ行き、遠方に小さく、釣をする人のうしろに、ちらちらと帆が見えて海から吹通しの風颯と、濡れた衣の色を乱して記念の浴衣は揺めいた。親仁はうしろへ伸上って、そのまま出ようとする海苔粗朶の垣根の許に、一本二本咲きおくれた嫁菜の花、葦も枯れたにこはあわれと、じっと見る時、菊枝は声を上げてわっと泣いた。 「妙法蓮華経如来寿量品第十六自我得仏来所経諸劫数無量百千万億載阿僧祇。」  川下の方から寂として聞えて来る、あたりの人の気勢もなく、家々の灯も漏れず、流は一面、岸の柳の枝を洗ってざぶりざぶりと音する中へ、菊枝は両親に許されて、髪も結い、衣服もわざと同一扮で、お縫が附添い、身を投げたのはここからという蓬莱橋から、記念の浴衣を供養した。七日経ってちょうど橘之助が命日のことであった。 「菊ちゃん、」 「姉さん、」  二人は顔を見合せたが、涙ながらに手を合せて、捧げ持って、 「南無阿弥陀仏、」 「南無阿弥陀仏。」  折から洲崎のどの楼ぞ、二階よりか三階よりか、海へ颯と打込む太鼓。  浴衣は静に流れたのである。  菊枝は活々とした女になったが、以前から身に添えていた、菊五郎格子の帯揚に入れた写真が一枚、それに朋輩の女から、橘之助の病気見舞を紅筆で書いて寄越したふみとは、その名の菊の枝に結んで、今年は二十。 明治三十三(一九〇〇)年十一月 底本:「泉鏡花集成3」ちくま文庫、筑摩書房    1996(平成8)年1月24日第1刷発行 底本の親本:「鏡花全集 第六卷」岩波書店    1941(昭和16)年11月10日第1刷発行 入力:門田裕志 校正:染川隆俊 2009年5月10日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。