霊界通信 小桜姫物語 浅野和三郎 Guide 扉 本文 目 次 霊界通信 小桜姫物語 舌代 序 解説 一、その生立 二、その頃の生活 三、輿入れ 四、落城から死 五、臨終 六、幽界の指導者 七、祖父の訪れ 八、岩窟 九、神鏡 十、親子の恩愛 十一、守刀 十二、愛馬との再会 十三、母の臨終 十四、守護霊との対面 十五、生みの親魂の親 十六、守護霊との問答 十七、第二の修行場 十八、竜神の話 十九、竜神の祠 二十、竜宮へ鹿島立 二十一、竜宮街道 二十二、唐風の御殿 二十三、豐玉姫と玉依姫 二十四、なさけの言葉 二十五、竜宮雑話 二十六、良人との再会 二十七、会合の場所 二十八、昔語り 二十九、身上話 三十、永遠の愛 三十一、香織女 三十二、無理な願 三十三、自殺した美女 三十四、破れた恋 三十五、辛い修行 三十六、弟橘姫 三十七、初対面 三十八、姫の生立 三十九、見合い 四十、相摸の小野 四十一、海神の怒り 四十二、天狗界探検 四十三、天狗の力業 四十四、天狗の性来 四十五、竜神の修行場 四十六、竜神の生活 四十七、竜神の受持 四十八、妖精の世界 四十九、梅の精 五十、銀杏の精 五十一、第三の修行場 五十二、瀑布の白竜 五十三、雨の竜神 五十四、雷雨問答 五十五、母の訪れ 五十六、つきせぬ物語り 五十七、有難い親心 五十八、可憐な少女 五十九、水さかずき 六十、母性愛 六十一、海の修行場 六十二、現世のお浚 六十三、昔の忠僕 六十四、主従三人 六十五、小桜神社の由来 六十六、三浦を襲った大海嘯 六十七、神と人との仲介 六十八、幽界の神社 六十九、鎮座祭 七十、現界の祝詞 七十一、神馬 七十二、神社のその日その日 七十三、参拝者の種類 七十四、命乞い 七十五、入水者の救助 七十六、生木を裂れた男女 七十七、神の申子 七十八、神々の受持 舌代  本物語は謂わば家庭的に行われたる霊界通信の一にして、そこには些の誇張も夾雑物もないものである。が、其の性質上記の如きところより、之を発表せんとするに当りては、亡弟も可なり慎重な態度を採り。霊告による祠の所在地、並に其の修行場などを実地に踏査する等、いよいよ其の架空的にあらざる事を確かめたる後、始めて之を雑誌に掲載せるものである。  霊界通信なるものは、純真なる媒者の犠牲的行為によってのみ信を措くに足るものが得らるるのであって、媒者が家庭的であるか否かには、大なる関係がなさそうである。否、家庭的なものの方が寧ろ不純物の夾雑する憂なく、却って委曲を尽し得べしとさえ考えらるるのである。  それは兎に角として、また内容価値の如何も之を別として、亡弟が心を籠めて遣せる一産物たるには相違ないのである。今や製本成り、紀念として之を座右に謹呈するに当たり、この由来の一端を記すこと爾り。 昭和十二年三月 淺野正恭 序  霊界通信──即ち霊媒の口を通じ或は手を通じて霊界居住者が現界の我々に寄せる通信、例を挙ぐれば Gerldine Cummins の Beyond Human Personality は所謂「自動書記」の所産である。此書中に含まるる論文は故フレデリク・マイヤーズ──詩人として令名があるが、特に心霊科学に多大の努力貢献をした人──が霊界よりカムミンスの手を仮りて書いたものと信ずる旨をオリバ・ロッヂ卿、ローレンス・ヂョンス卿が証言した。(昨年十二月十八日の〟The Two Words〝所掲)  カムミンスの他の自動書記は是迄四五種ある。其文体は各々相違して居る。又彼の自著小説があるが、是は全く右数種の自動書記と相違している。心霊科学に何等の実験がなく、潜在意識の所産などなどと説く懐疑者の迷を醒ますに足ると思う。  小櫻姫物語は解説によれば鎌倉時代の一女性がT夫人の口を借り数年に亘って話たるものを淺野和三郎先生が筆記したのである。但し『T夫人の意識は奥の方に微かに残っている』から私の愚見に因れば多少の Fiction は或はあり得ぬとは保障し難い。  しかしこれらを斟酌しても本書は日本に於いては破天荒の著書である。是を完成し終った後、先生は二月一日突然発病し僅々三十五時間で逝いた。二十余年に亘り、斯学の為めに心血を灑ぎ、あまりの奮闘に精力を竭尽して斃れた先生は斯学における最大の偉勲者であることは曰う迄もない。  私は昨年三月二十二日、先生と先生の令兄淺野正恭中将と岡田熊次郎氏とにお伴して駿河台の主婦の友社来賓室に於て九條武子夫人と語る霊界の座談会に列した。主婦の友五月号に其の筆記が載せられた。  日本でこの方面の研究は日がまだ浅い、この研究に従事した福来友吉博士が無知の東京帝大理学部の排斥により同大学を追われたのは二十余年前である。英国理学の大家、エレクトロン首先研究者、クルクス管の発明者、ローヤル・ソサィティ会長の故クルックス、ソルボン大学教授リシエ博士(ノーベル勲章受領者)、同じくローヤル・ソサィティ会長オリバ・ロッヂ卿……これら諸大家の足許にも及ばぬ者が掛かる偉大な先進の努力と研究とのあるを全く知らず、先入が主となるので、井底の蛙の如き陋見から心霊現象を或は無視し或は冷笑するのは気の毒千万である。淺野先生が二十余年に亘る研究の結果の数種の著述心霊講座、神霊主義と共に本書は日本に於ける斯学にとりて重大な貢献である。 仙台に於いて 土井晩翠 解説 ──本書を繙かるる人達の為に── 淺野和三郎  本篇を集成したるものは私でありますが、私自身をその著者というのは当らない。私はただ入神中のT女の口から発せらるる言葉を側で筆録し、そして後で整理したというに過ぎません。  それなら本篇は寧ろT女の創作かというに、これも亦事実に当てはまっていない。入神中のT女の意識は奥の方に微かに残ってはいるが、それは全然受身の状態に置かれ、そして彼女とは全然別個の存在──小櫻姫と名告る他の人格が彼女の体躯を司配して、任意に口を動かし、又任意に物を視せるのであります。従ってこの物語の第一の責任者はむしろ右の小櫻姫かも知れないのであります。  つまるところ、本書は小櫻姫が通信者、T女が受信者、そして私が筆録者、総計三人がかりで出来上った、一種特異の作品、所謂霊界通信なのであります。現在欧米の出版界には、斯う言った作品が無数に現われて居りますが、本邦では、翻訳書以外にはあまり類例がありません。  T女に斯うした能力が初めて起ったのは、実に大正五年の春の事で、数えて見ればモー二十年の昔になります。最初彼女に起った現象は主として霊視で、それは殆んど申分なきまでに的確明瞭、よく顕幽を突破し、又遠近を突破しました。越えて昭和四年の春に至り、彼女は或る一つの動機から霊視の他に更に霊言現象を起すことになり、本人とは異った他の人格がその口頭機関を占領して自由自在に言語を発するようになりました。『これで漸くトーキーができ上がった……』私達はそんな事を言って歓んだものであります。『小櫻姫の通信』はそれから以後の産物であります。  それにしても右の所謂『小櫻姫』とは何人か? 本文をお読みになれば判る通り、この女性こそは相州三浦新井城主の嫡男荒次郎義光の奥方として相当世に知られている人なのであります。その頃三浦一族は小田原の北條氏と確執をつづけていましたが、武運拙く、籠城三年の後、荒次郎をはじめ一族の殆んど全部が城を枕に打死を遂げたことはあまりにも名高き史的事蹟であります。その際小櫻姫がいかなる行動に出たかは、歴史や口碑の上ではあまり明らかでないが、彼女自身の通信によれば、落城後間もなく病にかかり、油壺の南岸、浜磯の仮寓でさびしく帰幽したらしいのであります。それかあらぬか、同地の神明社内には現に小桜神社(通称若宮様)という小社が遺って居り、今尚お里人の尊崇の標的になって居ります。  次に当然問題になるのは小櫻姫とT女との関係でありますが、小櫻姫の告ぐる所によれば彼女はT女の守護霊、言わばその霊的指導者で、両者の間柄は切っても切れぬ、堅き因縁の羈絆で縛られているというのであります。それに就きては本邦並に欧米の名ある霊媒によりて調査をすすめた結果、ドーも事実として之を肯定しなければならないようであります。  尚お面白いのは、T女の父が、海軍将校であった為めに、はしなくも彼女の出生地がその守護霊と関係深き三浦半島の一角、横須賀であったことであります。更に彼女はその生涯の最も重要なる時期、十七歳から三十三歳までを三浦半島で暮らし、四百年前彼女の守護霊が親める山河に自分も親しんだのでありました。これは単なる偶然か、それとも幽冥の世界からのとりなしか、神ならぬ身には容易に判断し得る限りではありません。  最後に一言して置きたいのは筆録の責任者としての私の態度であります。小櫻姫の通信は昭和四年春から現在に至るまで足掛八年に跨がりて現われ、その分量は相当沢山で、すでに数冊のノートを埋めて居ります。又その内容も古今に亘り、顕幽に跨り、又或る部分は一般的、又或る部分は個人的と言った具合に、随分まちまちに入り乱れて居ります。従ってその全部を公開することは到底不可能で、私としては、ただその中から、心霊的に観て参考になりそうな個所だけを、成るべく秩序を立てて拾い出して見たに過ぎません。で、材料の取捨選択の責は当然私が引受けなければなりませんが、しかし通信の内容は全然原文のままで、私意を加へて歪曲せしめたような個所はただの一箇所もありません。その点は特に御留意を願いたいと存じます。 (十一、十、五) 一、その生立  修行も未熟、思慮も足りない一人の昔の女性がおこがましくもここにまかり出る幕でないことはよく存じて居りまするが、斯うも再々お呼び出しに預かり、是非くわしい通信をと、つづけざまにお催促を受けましては、ツイその熱心にほだされて、無下におことわりもできなくなって了ったのでございます。それに又神さまからも『折角であるから通信したがよい』との思召でございますので、今回いよいよ思い切ってお言葉に従うことにいたしました。私としてはせいぜい古い記憶を辿り、自分の知っていること、又自分の感じたままを、作らず、飾らず、素直に申述べることにいたします。それがいささかなりとも、現世の方々の研究の資料ともなればと念じて居ります。何卒あまり過分の期待をかけず、お心安くおきき取りくださいますように……。  ただ私として、前以てここに一つお断りして置きたいことがございます。それは私の現世生活の模様をあまり根掘り葉掘りお訊ねになられぬことでございます。私にはそれが何よりつらく、今更何の取得もなき、昔の身上などを露ほども物語りたくはございませぬ。こちらの世界へ引移ってからの私どもの第一の修行は、成るべく早く醜い地上の執着から離れ、成るべく速かに役にも立たぬ現世の記憶から遠ざかることでございます。私どもはこれでもいろいろと工夫の結果、やっとそれができて参ったのでございます。で、私どもに向って身上噺をせいと仰ッしゃるのは、言わば辛うじて治りかけた心の古疵を再び抉り出すような、随分惨たらしい仕打なのでございます。幽明の交通を試みらるる人達は常にこの事を念頭に置いて戴きとう存じます。そんな訳で、私の通信は、主に私がこちらの世界へ引移ってからの経験……つまり幽界の生活、修行、見聞、感想と言ったような事柄に力を入れて見たいのでございます。又それがこの道にたずさわる方々の私に期待されるところかと存じます。むろん精神を統一して凝乎と深く考え込めば、どんな昔の事柄でもはっきり想い出すことができないではありませぬ。しかもその当時の光景までがそっくりそのまま形態を造ってありありと眼の前に浮び出てまいります。つまり私どもの境涯には殆んど過去、現在、未来の差別はないのでございまして。……でも無理にそんな真似をして、足利時代の絵巻物をくりひろげてお目にかけて見たところで、大した価値はございますまい。現在の私としては到底そんな気分にはなりかねるのでございます。  と申しまして、私が今いきなり死んでからの物語を始めたのでは、何やらあまり唐突……現世と来世との連絡が少しも判らないので、取りつくしまがないように思われる方があろうかと感ぜられますので、甚だ不本意ながら、私の現世の経歴のホンの荒筋丈をかいつまんで申上げることに致しましょう。乗りかけた船とやら、これも現世と通信を試みる者の免れ難き運命──業かも知れませぬ……。  私は──実は相州荒井の城主三浦道寸の息、荒次郎義光と申す者の妻だったものにございます。現世の呼名は小櫻姫──時代は足利時代の末期──今から約四百余年の昔でございます。もちろんこちらの世界には昼夜の区別も、歳月のけじめもありませぬから、私はただ神さまから伺って、成るほどそうかと思う丈のことに過ぎませぬ。四百年といえば現世では相当長い星霜でございますが、不思議なものでこちらではさほどにも感じませぬ。多分それは凝乎と精神を鎮めて、無我の状態をつづけて居る期間が多い故でございましょう。  私の生家でございますか──生家は鎌倉にありました。父の名は大江廣信──代々鎌倉の幕府に仕へた家柄で、父も矢張りそこにつとめて居りました。母の名は袈裟代、これは加納家から嫁いでまいりました。両親の間には男の児はなく、たった一粒種の女の児があったのみで、それが私なのでございます。従って私は小供の時から随分大切に育てられました。別に美しい程でもありませぬが、体躯は先ず大柄な方で、それに至って健康でございましたから、私の処女時代は、全く苦労知らずの、丁度春の小禽そのまま、楽しいのんびりした空気に浸っていたのでございます。私の幼い時分には祖父も祖母もまだ存命で、それはそれは眼にも入れたいほど私を寵愛してくれました。好い日和の折などには私はよく二三の腰元どもに傅れて、長谷の大仏、江の島の弁天などにお詣りしたものでございます。寄せてはかえす七里ヶ浜の浪打際の貝拾いも私の何より好きな遊びの一つでございました。その時分の鎌倉は武家の住居の建ち並んだ、物静かな、そして何やら無骨な市街で、商家と言っても、品物は皆奥深く仕舞い込んでありました。そうそう私はツイ近頃不図した機会に、こちらの世界から一度鎌倉を覗いて見ましたが、赤瓦や青瓦で葺いた小さな家屋のぎっしり建て込んだ、あのけばけばしさには、つくづく呆れて了いました。 『あれが私の生れた同じ鎌倉かしら……。』私はひとりそうつぶやいたような次第で……。  その頃の生活状態をもっと詳しく物語れと仰っしゃいますか──致方がございませぬ、お喋りの序でに、少しばかり想い出して見ることにいたしましょう。もちろん、順序などは少しも立って居りませぬから何卒そのおつもりで……。 二、その頃の生活  先ずその頃の私達の受けた教育につきて申上げてみましょうか──時代が時代ゆえ、教育はもう至って簡単なもので、学問は読書、習字、又歌道一と通り、すべて家庭で修めました。武芸は主に薙刀の稽古、母がよく薙刀を使いましたので、私も小供の時分からそれを仕込まれました。その頃は女でも武芸一と通りは稽古したものでございます。処女時代に受けた私の教育というのは大体そんなもので、馬術は後に三浦家へ嫁入りしてから習いました。最初私は馬に乗るのが厭でございましたが、良人から『女子でもそれ位の事は要る』と言われ、それから教えてもらいました。実地に行って見ると馬は至って穏和しいもので、私は大へん乗馬が好きになりました。乗馬袴を穿いて、すっかり服装がかわり、白鉢巻をするのです。主に城内の馬場で稽古したのですが、後には乗馬で鎌倉へ実家帰りをしたこともございます。従者も男子のみでは困りますので、一人の腰元にも乗馬の稽古を致させました。その頃ちょっと外出するにも、少くとも四五人の従者は必らずついたもので……。  今度はその時分の物見遊山のお話なりといたしましょうか。物見遊山と申してもそれは至って単純なもので、普通はお花見、汐干狩、神社仏閣詣で……そんな事は只今と大した相違もないでしょうが、ただ当時の男子にとりて何よりの娯楽は猪狩り兎狩り等の遊びでございました。何れも手に手に弓矢を携え、馬に跨って、大へんな騒ぎで出掛けたものでございます。父は武人ではないのですが、それでも山狩りが何よりの道楽なのでした。まして筋骨の逞ましい、武家育ちの私の良人などは、三度の食事を一度にしてもよい位の熱心さでございました。『明日は大楠山の巻狩りじゃ』などと布達が出ると、乗馬の手入れ、兵糧の準備、狩子の勢揃い、まるで戦争のような大騒ぎでございました。  そうそう風流な、優さしい遊びも少しはありました。それは主として能狂言、猿楽などで、家来達の中にそれぞれその道の巧者なのが居りまして、私達も時々見物したものでございます。けれども自分でそれをやった覚えはございませぬ。京とは異って東国は大体武張った遊び事が流行ったものでございますから……。  衣服調度類でございますか──鎌倉にもそうした品物を売り捌く商人の店があるにはありましたが、さきほども申した通り、別に人目を引くように、品物を店頭に陳列するような事はあまりないようでございました。呉服物なども、良い品物は皆特別に織らせたもので、機織がなかなか盛んでございました。尤もごく高価の品は鎌倉では間に合わず、矢張りはるばる京に誂えたように記憶して居ります。  それから食物……これは只今の世の中よりずっと簡単なように見受けられます。こちらの世界へ来てからの私達は全然飲食をいたしませぬので、従ってこまかいことは判りませぬが、ただ私の守護しているこの女(T夫人)の平生の様子から考えて見ますと、今の世の調理法が大へん手数のかかるものであることはうすうす想像されるのでございます。あの大そう甘い、白い粉……砂糖とやら申すものは、もちろん私達の時代にはなかったもので、その頃のお菓子というのは、主に米の粉を固めた打菓子でございました。それでも薄っすりと舌に甘く感じたように覚えて居ります。又物の調味には、あの甘草という薬草の粉末を少し加えましたが、ただそれは上流の人達の調理に限られ、一般に使用するものではなかったように記憶して居ります。むろん酒もございました……濁っては居りませぬが、しかしそう透明ったものでもなかったように覚えて居ります。それから飲料としては桜の花漬、それを湯呑みに入れて白湯をさして客などにすすめました。  斯う言ったお話は、あまりつまらな過ぎますので、何卒これ位で切り上げさせて戴きましょう。私のようなあの世の住人が食物や衣類などにつきて遠い遠い昔の思い出語りをいたすのは何やらお門違いをしているようで、何分にも興味が乗らないで困ってしまいます……。 三、輿入れ  やがて私の娘時代にも終りを告ぐべき時節がまいりました。女の一生の大事はいうまでもなく結婚でございまして、それが幸不幸、運不運の大きな岐路となるのでございますが、私とてもその型から外れる訳にはまいりませんでした。私の三浦へ嫁ぎましたのは丁度二十歳の春で山桜が真盛りの時分でございました。それから荒井城内の十幾年の武家生活……随分楽しかった思い出の種子もないではございませぬが、何を申してもその頃は殺伐な空気の漲った戦国時代、北條某とやら申す老獪い成上り者から戦闘を挑まれ、幾度かのはげしい合戦の挙句の果が、あの三年越しの長の籠城、とうとう武運拙く三浦の一族は、良人をはじめとして殆んど全部城を枕に打死して了いました。その時分の不安、焦燥、無念、痛心……今でこそすっかり精神の平静を取り戻し、別にくやしいとも、悲しいとも思わなくなりましたが、当時の私どもの胸には正に修羅の業火が炎々と燃えて居りました。恥かしながら私は一時は神様も怨みました……人を呪いもいたしました……何卒その頃の物語り丈は差控えさせて戴きます……。  大江家の一人娘が何故他家へ嫁いだか、と仰せでございますか……あなたの誘い出しのお上手なのにはほんとうに困って了います……。ではホンの話の筋道だけつけて了うことに致しましょう。現世の人間としては矢張り現世の話に興味を有たるるか存じませぬが、私どもの境涯からは、そう言った地上の事柄はもう別に面白くも、おかしくも何ともないのでございます……。  私が三浦家への嫁入りにつきましては別に深い仔細はございませぬ。良人は私の父が見込んだのでございます。『たのもしい人物じゃ。あれより外にそちが良人と冊くべきものはない……』ただそれっきりの事柄で、私はおとなしく父の仰せに服従したまででございます。現代の人達から頭脳が古いと思われるか存じませぬが、古いにも、新らしいにも、それがその時代の女の道だったのでございます。そして父のつもりでは、私達夫婦の間に男児が生れたら、その一人を大江家の相続者に貰い受ける下心だったらしいのでございます。  見合いでございますか……それは矢張り見合いもいたしました。良人の方から実家へ訪ねてまいったように記憶して居ります。今も昔も同じこと、私は両親から召ばれて挨拶に出たのでございます。その頃良人はまだ若うございました。たしか二十五歳、横縦揃った、筋骨の逞ましい大柄の男子で、色は余り白い方ではありません。目鼻立尋常、髭はなく、どちらかといえば面長で、眼尻の釣った、きりっとした容貌の人でした。ナニ歴史に八十人力の荒武者と記してある……ホホホホ良人はそんな怪物ではございません。弓馬の道に身を入れる、武張った人ではございましたが、八十人力などというのは嘘でございます。気立ても存外優さしかった人で……。  見合の時の良人の服装でございますか──服装はたしか狩衣に袴を穿いて、お定まりの大小二腰、そして手には中啓を持って居りました……。  婚礼の式のことは、それは何卒おきき下さらないで……格別変ったこともございません。調度類は前以て先方へ送り届けて置いて、後から駕籠にのせられて、大きな行列を作って乗り込んだまでの話で……式はもちろん夜分に挙げたのでございます。すべては皆夢のようで、今更その当時を想い出して見たところで何の興味も起りません。こちらの世界へ引越して了へば、めいめい向きが異って、ただ自分の歩むべき途を一心不乱に歩む丈、従って親子も、兄弟も、夫婦も、こちらではめったにつきあいをしているものではございません。あなた方もいずれはこちらの世界へ引移って来られるでしょうが、その時になれば私どもの現在の心持がだんだんお判りになります。『そんな時代もあったかナ……』遠い遠い現世の出来事などは、ただ一片の幻影と化して了います。現世の話は大概これで宜しいでしょう。早くこちらの世界の物語に移りたいと思いますが……。  ナニ私が死ぬる前後の事情を物語れと仰っしゃるか……。それではごく手短かにそれだけ申上げることに致しましょう。今度こそ、いよいよそれっきりでおしまいでございます……。 四、落城から死  足掛三年に跨る籠城……月に幾度となく繰り返される夜打、朝駆、矢合わせ、切り合い……どっと起る喊の声、空を焦す狼火……そして最後に武運いよいよ尽きてのあの落城……四百年後の今日思い出してみる丈でも気が滅入るように感じます。  戦闘が始まってから、女子供はむろん皆城内から出されて居りました。私の隠れていた所は油壺の狭い入江を隔てた南岸の森の蔭、そこにホンの形ばかりの仮家を建てて、一族の安否を気づかいながら侘ずまいをして居りました。只今私が祀られているあの小桜神社の所在地──少し地形は異いましたが、大体あの辺だったのでございます。私はそこで対岸のお城に最後の火の手の挙るのを眺めたのでございます。 『お城もとうとう落ちてしまった……最早良人もこの世の人ではない……憎ッくき敵……女ながらもこの怨みは……。』  その時の一念は深く深く私の胸に喰い込んで、現世に生きている時はもとよりのこと、死んでから後も容易に私の魂から離れなかったのでございます。私がどうやらその後人並みの修行ができて神心が湧いてまいりましたのは、偏に神様のおさとしと、それから私の為めに和やかな思念を送ってくだされた、親しい人達の祈願の賜なのでございます。さもなければ私などはまだなかなか済われる女性ではなかったかも知れませぬ……。  兎にも角にも、落城後の私は女ながらも再挙を図るつもりで、僅ばかりの忠義な従者に護られて、あちこちに身を潜めて居りました。領地内の人民も大へん私に対して親切にかばってくれました。──が、何を申しましても女の細腕、力と頼む一族郎党の数もよくよく残り少なになって了ったのを見ましては、再挙の計劃の到底無益であることが次第次第に判ってまいりました。積もる苦労、重なる失望、ひしひしと骨身にしみる寂しさ……私の躯はだんだん衰弱してまいりました。  幾月かを過す中に、敵の監視もだんだん薄らぎましたので、私は三崎の港から遠くもない、諸磯と申す漁村の方に出てまいりましたが、モーその頃の私には世の中が何やら味気なく感じられて仕ょうがないのでした。  実家の両親は大へんに私の身の上を案じてくれまして、しのびやかに私の仮宅を訪れ、鎌倉へ帰れとすすめてくださるのでした。『良人もなければ、家もなく、又跡をつぐべき子供とてもない、よくよくの独り身、兎も角も鎌倉へ戻って、心静かに余生を送るのがよいと思うが……。』いろいろ言葉を尽してすすめられたのでありますが、私としては今更親元へもどる気持ちにはドーあってもなれないのでした。私はきっぱりと断りました。── 『思召はまことに有難うございまするが、一たん三浦家へ嫁ぎました身であれば、再びこの地を離れたくは思いませぬ。私はどこまでも三崎に留まり、亡き良人をはじめ、一族の後を弔いたいのでございます……。』  私の決心の飽まで固いのを見て、両親も無下に帰家をすすめることもできず、そのまま空しく引取って了われました。そして間もなく、私の住宅として、海から二三丁引込んだ、小高い丘に、土塀をめぐらした、ささやかな隠宅を建ててくださいました。私はそこで忠実な家来や腰元を相手に余生を送り、そしてそこでさびしくこの世の気息を引き取ったのでございます。  落城後それが何年になるかと仰ッしゃるか──それは漸く一年余り私が三十四歳の時でございました。まことに短命な、つまらない一生涯でありました。  でも、今から考えれば、私にはこれでも生前から幾らか霊覚のようなものが恵まれていたらしいのでございます。落城後間もなく、城跡の一部に三浦一族の墓が築かれましたので、私は自分の住居からちょいちょい墓参をいたしましたが、墓の前で眼を瞑って拝んで居りますと、良人の姿がいつもありありと眼に現われるのでございます。当時の私は別に深くは考えず、墓に詣れば誰にも見えるものであろう位に思っていました。私が三浦の土地を離れる気がしなかったのも、つまりはこの事があった為めでございました。当時の私に取りましては、死んだ良人に逢うのがこの世に於ける、殆んど唯一の慰安、殆んど唯一の希望だったのでございます。『何としても爰から離れたくない……』私は一図にそう思い込んで居りました。私は別に婦道が何うの、義理が斯うのと言って、六ヶしい理窟から割り出して、三浦に踏みとどまった訳でも何でもございませぬ。ただそうしたいからそうしたまでの話に過ぎなかったのでございます。  でも、私が死ぬるまで三浦家の墳墓の地を離れなかったという事は、その領地の人民の心によほど深い感動を与えたようでございました。『小櫻姫は貞女の亀鑑である』などと、申しまして、私の死後に祠堂を立て神に祀ってくれました。それが現今も残っている、あの小桜神社でございます。でも右申上げたとおり、私は別に貞女の亀鑑でも何でもございませぬ。私はただどこまでも自分の勝手を通した、一本気の女性だったに過ぎないのでございます。 五、臨終  気のすすまぬ現世時代の話も一と通り片づいて、私は何やら身が軽くなったように感じます。そちらから御覧になったら私達の住む世界は甚だたよりのないように見えるかも知れませぬが、こちらから現世を振りかえると、それは暗い、せせこましい、空虚な世界──何う思い直して見ても、今更それを物語ろうという気分にはなり兼ねます。とりわけ私の生涯などは、どなたのよりも一層つまらない一生だったのでございますから……。  え、まだ私の臨終の前後の事情がはっきりしていないと仰っしゃるか……そういえばホンにそうでございます。では致方がございません、これから大急ぎで、一と通りそれを申上げて了うことに致しましょう。  前にも述べたとおり、私の躯はだんだん衰弱して来たのでございます。床についてもさっぱり安眠ができない……箸を執っても一向食物が喉に通らない……心の中はただむしゃくしゃ……、口惜しい、怨めしい、味気ない、さびしい、なさけない……何が何やら自分にもけじめのない、さまざまの妄念妄想が、暴風雨のように私の衰えた躰の内をかけめぐって居るのです。それにお恥かしいことには、持って生れた負けずぎらいの気性、内実は弱いくせに、無理にも意地を通そうとして居るのでございますから、つまりは自分で自分の身を削るようなもの、新しい住居に移ってから一年とも経たない中に、私はせめてもの心遣りなる、あのお墓参りさえもできないまでに、よくよく憔悴けて了いました。一と口に申したらその時分の私は、消えかかった青松葉の火が、プスプスと白い煙を立て燻っているような塩梅だったのでございます。  私が重い枕に就いて、起居も不自由になったと聞いた時に、第一に馳せつけて、なにくれと介抱に手をつくしてくれましたのは矢張り鎌倉の両親でございました。『斯うかけ離れて住んで居ては、看護に手が届かんで困るのじゃが……。』めっきり小鬢に白いものが混るようになった父は、そんな事を申して何やら深い思案に暮れるのでした。大方内心では私の事を今からでも鎌倉に連れ戻りたかったのでございましたろう。気性の勝った母は、口に出しては別に何とも申しませんでしたが、それでも女は矢張り女、小蔭へまわってそっと泪を拭いて長太息を漏らしているのでございました。 『いつまでも老いたる両親に苦労をかけて、自分は何んという親不孝者であろう。いっそのことすべてをあきらめて、おとなしく鎌倉へ戻って専心養生につとめようかしら……。』そんな素直な考えも心のどこかに囁かないでもなかったのですが、次ぎの瞬間には例の負けぎらいが私の全身を包んで了うのでした。『良人は自分の眼の前で打死したではないか……憎いのはあの北條……縦令何事があろうとも、今更おめおめと親許などに……。』  鬼の心になり切った私は、両親の好意に背き、同時に又天をも人をも怨みつづけて、生甲斐のない日子を算えていましたが、それもそう長いことではなく、いよいよ私にとりて地上生活の最後の日が到着いたしました。  現世の人達から観れば、死というものは何やら薄気味のわるい、何やら縁起でもないものに思われるでございましょうが、私どもから観れば、それは一疋の蛾が繭を破って脱け出るのにも類した、格別不思議とも無気味とも思われない、自然の現象に過ぎませぬ。従って私としては割合に平気な気持で自分の臨終の模様をお話しすることができるのでございます。  四百年も以前のことで、大変記憶は薄らぎましたが、ざっと私のその時の実感を述べますると──何よりも先ず目立って感じられるのは、気がだんだん遠くなって行くことで、それは丁度、あのうたた寝の気持──正気のあるような、又無いような、何んとも言えぬうつらうつらした気分なのでございます。傍からのぞけば、顔が痙攣たり、冷たい脂汗が滲み出たり、死ぬる人の姿は決して見よいものではございませぬが、実際自分が死んで見ると、それは思いの外に楽な仕事でございます。痛いも、痒いも、口惜しいも、悲しいも、それは魂がまだしっかりと躯の内部に根を張っている時のこと、臨終が近づいて、魂が肉のお宮を出たり、入ったり、うろうろするようになりましては、それ等の一切はいつとはなしに、何所かえ消える、というよりか、寧ろ遠のいて了います。誰かが枕辺で泣いたり、叫んだりする時にはちょっと意識が戻りかけますが、それとてホンの一瞬の間で、やがて何も彼も少しも判らない、深い深い無意識の雲霧の中へとくぐり込んで了うのです。私の場合には、この無意識の期間が二三日つづいたと、後で神さまから教えられましたが、どちらかといえば二三日というのは先ず短い部類で、中には幾年幾十年と長い長い睡眠をつづけているものも稀にはあるのでございます。長いにせよ、又短かいにせよ、兎に角この無意識から眼をさました時が、私たちの世界の生活の始まりで、舞台がすっかりかわるのでございます。 六、幽界の指導者  いよいよこれから、こちらの世界のお話になりますが、最初はまだ半分足を現世にかけているようなもので、矢張り娑婆臭い、おきき苦しい事実ばかり申上げることになりそうでございます。──ナニその方が人間味があって却って面白いと仰っしゃるか……。御冗談でございましょう。話すものの身になれば、こんな辛い、恥かしいことはないのです……。  これは後で神様からきかされた事でございますが、私は矢張り、自力で自然に眼を覚ましたというよりか、神さまのお力で眼を覚まして戴いたのだそうでございます。その神さまというのは、大国主神様のお指図を受けて、新らしい帰幽者の世話をして下さる方なのでございます。これにつきては後で詳しく申上げますが、兎に角新たに幽界に入ったもので、斯う言った神の神使、西洋で申す天使のお世話に預からないものは一人もございませんので……。  幽界で眼を覚ました瞬間の気分でございますか──それはうっとりと夢でも見ているような気持、そのくせ、何やら心の奥の方で『自分の居る世界はモー異っている……。』と言った、微かな自覚があるのです。四辺は夕暮の色につつまれた、いかにも森閑とした、丁度山寺にでも臥て居るような感じでございます。  そうする中に私の意識は少しづつ回復してまいりました。 『自分はとうとう死んで了ったのか……。』  死の自覚が頭脳の内部ではっきりすると同時に、私は次第に激しい昂奮の暴風雨の中にまき込まれて行きました。私が先ず何よりつらく感じたのは、後に残した、老いたる両親のことでした。散々苦労ばかりかけて、何んの報ゆるところもなく、若い身上で、先立ってこちらへ引越して了った親不孝の罪、こればかりは全く身を切られるような思いがするのでした。『済みませぬ済みませぬ、どうぞどうぞお許しくださいませ……』何回私はそれを繰り返して血の涙に咽んだことでしょう!  そうする中にも私の心は更に他のさまざまの暗い考えに掻き乱されました。『親にさえ背いて折角三浦の土地に踏みとどまりながら、自分は遂に何の仕出かしたこともなかった! 何んという腑甲斐なさ……何んという不運の身の上……口惜しい……悲しい……情けない……。』何が何やら、頭脳の中はただごちゃごちゃするのみでした。  そうかと思えば、次ぎの瞬間には、私はこれから先きの未知の世界の心細さに慄い戦いているのでした。『誰人も迎えに来てくれるものはないのかしら……。』私はまるで真暗闇の底無しの井戸の内部へでも突き落されたように感ずるのでした。  ほとんど気でも狂うかと思われました時に、ひょくりと私の枕辺に一人の老人が姿を現しました。身には平袖の白衣を着て、帯を前で結び、何やら絵で見覚えの天人らしい姿、そして何んともいえぬ威厳と温情との兼ね具った、神々しい表情で凝乎と私を見つめて居られます。『一体これは何誰かしら……』心は千々に乱れながらも、私は多少の好奇心を催さずに居られませんでした。  このお方こそ、前に私がちょっと申上げた大国主神様からのお神使なのでございます。私はこのお方の一と方ならぬ導きによりて、辛くも心の闇から救い上げられ、尚おその上に天眼通その他の能力を仕込まれて、ドーやらこちらの世界で一人立ちができるようになったのでございます。これは前にものべた通り、決して私にのみ限ったことではなく、どなたでも皆神様のお世話になるのでございますが、ただ身魂の因縁とでも申しましょうか、めいめいの踏むべき道筋は異います。私などは随分きびしい、険しい道を踏まねばならなかった一人で、苦労も一しお多かったかわりに、幾分か他の方より早く明るい世界に抜け出ることにもなりました。ここで念の為めに申上げて置きますが、私を指導してくだすった神様は、お姿は普通の老人の姿を執って居られますが、実は人間ではございませぬ。つまり最初から生き通しの神、あなた方の自然霊というものなのです。斯う言った方のほうが、新らしい帰幽者を指導するのに、まつわる何の情実もなくて、人霊よりもよほど具合が宜しいと申すことでございます。 七、祖父の訪れ  私がお神使の神様から真先きに言いきかされたお言葉は、今ではあまりよく覚えても居りませぬが、大体こんなような意味のものでございました。── 『そなたはしきりに先刻から現世の事を思い出して、悲嘆の涙にくれているが、何事がありても再び現世に戻ることだけは協わぬのじゃ。そんなことばかり考えていると、良い境涯へはとても進めぬぞ! これからは俺がそなたの指導役、何事もよくききわけて、尊い神さまの裔孫としての御名を汚さぬよう、一時も早く役にもたたぬ現世の執着から離れるよう、しっかりと修行をして貰いますぞ! 執着が残っている限り何事もだめじゃ……。』  が、その場合の私には、斯うした神様のお言葉などは殆んど耳にも入りませんでした。私はいろいろの難題を持ち出してさんざん神様を困らせました。お恥かしいことながら、罪滅ぼしのつもりで一つ二つここで懺悔いたして置きます。  私が持ちかけた難題の一つは、早く良人に逢いたいという註文でございました。『現世で怨みが晴らせなかったから、良人と二人力を合わせて怨霊となり、せめて仇敵を取り殺してやりたい……。』──これが神さまに向ってのお願いなのでございますから、神さまもさぞ呆れ返って了われたことでしょう。もちろん、神様はそんな註文に応じてくださる筈はございませぬ。『他人を怨むことは何より罪深い仕業であるから許すことはできぬ。又良人には現世の執着が除れた時に、機会を見て逢わせてつかわす……。』いとも穏かに大体そんな意味のことを諭されました。もう一つ私が神様にお願いしたのは、自分の遺骸を見せて呉れとの註文でございました。当時の私には、せめて一度でも眼前に自分の遺骸を見なければ、何やら夢でも見て居るような気持で、あきらめがつかなくて仕方がないのでした。神さまはしばし考えていられたが、とうとう私の願いを容れて、あの諸磯の隠宅の一と間に横たわったままの、私の遺骸をまざまざと見せてくださいました。あの痩せた、蒼白い、まるで幽霊のような醜くい自分の姿──私は一と目見てぞっとして了いました。『モー結構でございます。』覚えずそう言って御免を蒙って了いましたが、この事は大へん私の心を落つかせるのに効能があったようでございました。  まだ外にもいろいろありますが、あまりにも愚かしい事のみでございますので、一と先ずこれで切り上げさせて戴きます。現在の私とて、まだまだ一向駄眼でございますが、帰幽当座の私などはまるで醜くい執着の凝塊、只今想い出しても顔が赭らんで了います……。  兎に角神様も斯んなききわけのない私の処置にはほとほとお手を焼かれたらしく、いろいろと手をかえ、品をかえて御指導の労を執ってくださいましたが、やがて私の祖父……私より十年ほど前に歿りました祖父を連れて来て、私の説諭を仰せつけられました。何にしろとても逢われないものと思い込んでいた肉親の祖父が、元の通りの慈愛に溢れた温容で、泣き悶えている私の枕辺にひょっくりとその姿を現わしたのですから、その時の私のうれしさ、心強さ! 『まあお爺さまでございますか!』私は覚えず跳び起きて、祖父の肩に取り縋って了いました。帰幽後私の暗い暗い心胸に一点の光明が射したのは実にこの時が最初でございました。  祖父はさまざまに私をいたわり、且つ励ましてくれました。── 『そなたも若いのに歿なって、まことに気の毒なことであるが、世の中はすべて老少不定、寿命ばかりは何んとも致方がない。これから先きはこの祖父も神さまのお手伝として、そなたの手引きをして、是非ともそなたを立派なものに仕上げて見せるから、こちらへ来たとて決して決して心細いことも、又心配なこともない。請合って、他の人達よりも幸福なものにしてあげる……。』  祖父の言葉には格別これと取り立てていうほどのこともないのですが、場合が場合なので、それは丁度しとしとと降る春雨の乾いた地面に浸みるように、私の荒んだ胸に融け込んで行きました。お蔭で私はそれから幾分心の落付きを取り戻し、神さまの仰せにもだんだん従うようになりました。人を見て法を説けとやら、こんな場合には矢張り段違いの神様よりも、お馴染みの祖父の方が、却って都合のよいこともあるものと見えます。私の祖父の年齢でございますか──たしか祖父は七十余りで歿りました。白哲で細面の、小柄の老人で、歯は一本なしに抜けて居ました。生前は薄い頭髪を茶筌に結っていましたが、幽界で私の許に訪れた時は、意外にもすっかり頭顱を丸めて居りました。私と異って祖父は熱心な仏教の信仰者だった為めでございましょう……。 八、岩窟  話が少し後に戻りますが、この辺で一つ取りまとめて私の最初の修行場、つまり、私がこちらの世界で真先きに置かれました境涯につきて、一と通り申述べて置くことに致したいと存じます。実は私自身も、初めてこちらの世界に眼を覚ました当座は、只一図に口惜しいやら、悲しいやらで胸が一ぱいで、自分の居る場所がどんな所かというような事に、注意するだけの心の余裕とてもなかったのでございます。それに四辺が妙に薄暗くて気が滅入るようで、誰しもあんな境遇に置かれたら、恐らくあまり朗かな気分にはなれそうもないかと考えられるのでございます。  が、その中、あの最初の精神の暴風雨が次第に収まるにつれて、私の傷けられた頭脳にも少しづつ人心地が出てまいりました。うとうとしながらも私は考えました。── 『私は今斯うして、たった一人法師で寝ているが、一たいここは何んな所かしら……。私が死んだものとすれば、ここは矢張り冥途とやらに相違ないであろうが、しかし私は三途の川らしいものを渡った覚えはない……閻魔様らしいものに逢った様子もない……何が何やらさっぱり腑に落ちない。モー少し光明が射してくれると良いのだが……。』  私は少し枕から頭部を擡げて、覚束ない眼つきをして、あちこち見𢌞したのでございます。最初は、何やら濛気でもかかっているようで、物のけじめも判りかねましたが、その中不図何所からともなしに、一条の光明が射し込んで来ると同時に、自分の置かれている所が、一つの大きな洞穴──岩屋の内部であることに気づきました。私は、少なからずびっくりしました。── 『オヤオヤ! 私は不思議な所に居る……私は夢を見ているのかしら……それとも爰は私の墓場かしら……。』  私は全く途方に暮れ、泣くにも泣かれないような気持で、ひしと枕に噛りつくより外に詮術もないのでした。  その時不意に私の枕辺近くお姿を現わして、いろいろと難有い慰めのお言葉をかけ、又何くれと詳しい説明をしてくだされたのは、例の私の指導役の神様でした。痒い所へ手が届くと申しましょうか、神様の方では、いつもチャーンとこちらの胸の中を見すかしていて、時と場合にぴったり当てはまった事を説ききかせてくださるのでございますから、どんなに判りの悪い者でも最後にはおとなしく耳を傾けることになって了います。私などは随分我執の強い方でございますが、それでもだんだん感化されて、肉身のお祖父様のようにお慕い申上げ、勿体ないとは知りつつも、私はいつしかこの神様を『お爺さま』とお呼び申上げるようになって了いました。前にも申上げたとおり私のような者がドーやら一人前のものになることができましたのは、偏にお爺さまのお仕込みの賜でございます。全く世の中に神様ほど難有いものはございませぬ。善きにつけ、悪しきにつけ、影身に添いて、人知れず何彼とお世話を焼いてくださるのでございます。それがよく判らないばかりに、兎角人間はわが侭が出たり、慢心が出たりして、飛んだ過失をしでかすことにもなりますので……。これはこちらの世界に引越して見ると、だんだん判ってまいります。  うっかりつまらぬ事を申上げてお手間を取らせました。私は急いで、あの時、神様が幽界の修行の事、その他に就いて私に言いきかせて下されたお話の要点を申上げることに致しましょう。それは大体斯うでございました。── 『そなたは今岩屋の内部に居ることに気づいて、いろいろ思い惑って居るらしいが、この岩屋は神界に於いて、そなたの修行の為めに特にこしらえてくだされた、難有い道場であるから、当分比所でみっしり修行を積み、早く上の境涯へ進む工夫をせねばならぬ。勿論ここは墓場ではない。墓は現界のもので、こちらの世界に墓はない……。現在そなたの眼にはこの岩屋が薄暗く感ずるであろうが、これは修行が積むにつれて自然に明るくなる。幽界では、暗いも、明るいもすべてその人の器量次第、心の明るいものは何所に居ても明るく、心の暗いものは、何所へ行っても暗い……。先刻そなたは三途の川や、閻魔様の事を考えていたらしいが、あれは仏者の方便である。嘘でもないが又事実でもない。あのようなものを見せるのはいと容易いがただ我国の神の道として、一切方便は使わぬことにしてある……。そなたはただ一人この道場に住むことを心細いと思うてはならぬ。入口には注連縄が張ってあるので、悪魔外道の類は絶対に入ることはできぬ。又たとえ何事が起っても、神の眼はいつも見張っているから、少しも不安を感ずるには及ばぬ……。すべて修行場は人によりてめいめい異う。家屋の内部に置かるるものもあれば、山の中に置かるる者もある。親子夫婦の間柄でも、一所には決して住むものでない。その天分なり、行状なりが各自異うからである。但し逢おうと思えば差支ない限りいつでも逢える……。』  一応お話が終った時に、神様はやおら私の手を執って、扶け起こしてくださいました。『そなたも一つ元気を出して、歩るいて見るがよい。病気は肉体のもので、魂に病気はない。これから岩屋の模様を見せてつかわす……。』  私はついふらふらと起き上りましたが、不思議にそれっきり病人らしい気持が失せて了い、同時に今迄敷いてあった寝具類も烟のように消えて了いました。私はその瞬間から現在に至るまで、ただの一度も寝床の上に臥たいと思った覚えはございませぬ。  それから私は神様に導かれて、あちこち歩いて見て、すっかり岩屋の内外の模様を知ることができました。岩屋は可なり巨きなもので、高さと幅さは凡そ三四間、奥行は十間余りもございましょうか。そして中央の所がちょっと折れ曲って、斜めに外に出るようになって居ります。岩屋の所在地は、相当に高い、岩山の麓で、山の裾をくり抜いて造ったものでございました。入口に立って四辺を見ると、見渡す限り山ばかりで、海も川も一つも見えません。現界の景色と比べて別に格段の相違もありませぬが、ただこちらの景色の方がどことなく浄らかで、そして奥深い感じが致しました。  岩屋の入口には、神様の言われましたとおり、果たして新しい注連縄が一筋張ってありました。 九、神鏡  一と通り見物が済むと、私達は再び岩屋の内部へ戻って来ました。すると神様は私に向い、早速修行のことにつきて、噛んでくくめるようにいろいろと説きさとしてくださるのでした。 『これからのそなたの生活は、現世のそれとはすっかり趣が変るから一時も早くそのつもりになってもらわねばならぬ。現世の生活にありては、主なるものが衣食住の苦労、大概の人間はただそれっきりの事にあくせくして一生を過して了うのであるが、こちらでは衣食住の心配は全然ない。大体肉体あっての衣食住で、肉体を棄てた幽界の住人は、できる丈早くそうした地上の考えを頭脳の中から払いのける工夫をせなければならぬ。それからこちらの住人として何より慎まねばならぬは、怨み、そねみ、又もろもろの欲望……そう言ったものに心を奪われるが最後、つまりは幽界の亡者として、いつまで経っても浮ぶ瀬はないことになる。で、こちらの世界で、何よりも大切な修行というのは精神の統一で、精神統一以外には殆んど何物もないといえる。つまりこれは一心不乱に神様を念じ、神様と自分とを一体にまとめて了って、他の一切の雑念妄想を払いのける工夫なのであるが、実地に行って見ると、これは思いの外に六ヶしい仕事で、少しの油断があれば、姿はいかに殊勝らしく神様の前に坐っていても、心はいつしか悪魔の胸に通っている。内容よりも外形を尚ぶ現世の人の眼は、それで結構くらませることができても、こちらの世界ではそのごまかしはきかぬ。すべては皆神の眼に映り、又或る程度お互の眼にも映る……。で、これからそなたも早速この精神統一の修行にかからねばならぬが、もちろん最初から完全を望むのは無理で、従って或る程度の過失は見逃しもするが、眼にあまる所はその都度きびしく注意を与えるから、そなたもその覚悟で居てもらいたい。又何ぞ望みがあるなら、今の中に遠慮なく申出るがよい。無理のないことであるならすべて許すつもりであるから……。』  漸く寝床を離れたと思えば、モーすぐこのようなきびしい修行のお催促で、その時の私は随分辛いことだ、と思いました。その後こちらで様子を窺って居りますと、人によりては随分寛やかな取扱いを受け、まるで夢のような、呑気らしい生活を送っているものも沢山見受けられますが、これはドーいう訳か私にもよく判りませぬ。私などはとりわけ、きびしい修行を仰せつけられた一人のようで、自分ながら不思議でなりませぬ。矢張りこれも身魂の因縁とやら申すものでございましょうか……。  それは兎も角も、私は神様から何ぞ望みのものを言えと言われ、いろいろと考え抜いた末にたった一つだけ註文を出しました。 『お爺さま、何うぞ私に一つの御神鏡を授けて戴き度う存じます。私はそれを御神体としてその前で精神統一の修行を致そうと思います。何かの目標がないと、私にはとても神様を拝むような気分になれそうもございませぬ……。』 『それは至極尤もな願いじゃ、直ちにそれを戴いてつかわす。』  お爺さまは快く私の願いを入れ、ちょっとあちらを向いて黙祷されましたが、モー次ぎの瞬間には、白木の台座の附いた、一体の御鏡がお爺さまの掌に載っていました。右の御鏡は早速岩屋の奥の、程よき高さの壁の凹所に据えられ、私の礼拝の最も神聖な目標となりました。それからモー四百余年、私の境涯はその間に幾度も幾度も変りましたが、しかし私は今も尚おその時戴いた御鏡の前で静座黙祷をつづけて居るのでございます。 十、親子の恩愛  参考の為めに少し幽界の修行の模様をききたいと仰っしゃいますか……。宜しうございます。私の存じていることは何なりとお話し致しますが、しかし現界で行るのと格別の相違もございますまい。私達とて矢張り御神前に静座して、心に天照大御神様の御名を唱え、又八百万の神々にお願いして、できる丈きたない考えを払いのける事に精神を打ち込むのでございます。もとより肉体はないのですから、現世で行るような、斎戒沐浴は致しませぬ。ただ斎戒沐浴をしたと同一の浄らかな気持になればよいのでございまして……。  それで、本当に深い深い統一状態に入ったとなりますと、私どもの姿はただ一つの球になります。ここが現世の修行と幽界の修行との一ばん目立った相違点かも知れませぬ。人間ではどんなに深い統一に入っても、躯が残ります。いかに御本人が心で無と観じましても、側から観れば、その姿はチャーンと其所に見えて居ります。しかるに、こちらでは、真実の精神統一に入れば、人間らしい姿は消え失せて、側からのぞいても、たった一つの白っぽい球の形しか見えませぬ。人間らしい姿が残って居るようでは、まだ修行が積んでいない何よりの証拠なのでございます。『そなたの、その醜るしい姿は何じゃ! まだ執着が強過ぎるぞ……。』私は何度醜るしい姿をお爺様に見つけられてお叱言を頂戴したか知れませぬ。自分でも、こんな事では駄目であると思い返して、一生懸命神様を念じて、飽まで浄らかな気分を続けようとあせるのでございますが、あせればあせるほど、チラリチラリと暗い影が射して来て統一を妨げて了います。私の岩屋の修行というのは、つまり斯うした失敗とお叱言の繰りかえしで、自分ながらほとほと愛想が尽きる位でございました。私というものはよくよく執着の強い、罪の深い、女性だったのでございましょう。──この生活が何年位続いたかとのお訊ねでございますか……。自分では一切夢中で、さほどに永いとも覚えませんでしたが、後でお爺さまから伺いますと、私の岩屋の修行は現世の年数にして、ざっと二十年余りだったとの事でございます。  現世的執着の中で、私にとりて、何よりも断ち切るのに骨が折れましたのは、前申すとおり矢張り、血を分けた両親に対する恩愛でございました。現世で何一つ孝行らしい事もせず、ただ一人先立ってこちらの世界に引越して了ったのかと考えますと、何ともいえずつらく、悲しく、残り惜しく、相済まなく、坐ても立っても居られないように感ぜられるのでございました。人間何がつらいと申しても、親と子とが順序をかえて死ぬるほど、つらいことはないように思われます。無論私には良人に対する執着もございました。しかし良人は私よりも先きに歿なって居り、それに又神さまが、時節が来れば逢わしてもやると申されましたので、そちらの方の断念は割合早くつきました。ただ現世に残した父母の事はどうあせりましてもあきらめ兼ねて悩み抜きました。そんな場合には、神様も、精神統一も、まるきりあったものではございませぬ。私はよく間近の岩へ齧りついて、悶え泣きに泣き入りました。そんな真似をしたところで、一たん死んだ者が、とても現世へ戻れるものでない事は充分承知しているのですが、それで矢張り止めることができないのでございます。  しかも何より困るのは、現世に残っている父母の悲嘆が、ひしひしと幽界まで通じて来ることでございました。両親は怠らず、私の墓へ詣でて花や水を手向け、又十日祭とか、五十日祭とか申す日には、その都度神職を招いて鄭重なお祭祀をしてくださるのでした。修行未熟の、その時分の私には、現界の光景こそ見えませんでしたが、しかし両親の心に思っていられることは、はっきりとこちらに感じて参るばかりか、『姫や姫や!』と呼びながら、絶え入るばかりに泣き悲しむ母の音声までも響いて来るのでございます。あの時分のことは今想い出しても自ずと涙がこぼれます……。  斯う言った親子の情愛などと申すものは、いつまで経ってもなかなか消えて無くなるものではないようで、私は現在でも矢張り父は父としてなつかしく、母は母として慕わしく感じます。が、不思議なもので、だんだん修行が積むにつれて、ドーやら情念の発作を打消して行くのが上手になるようでございます。それがつまり向上なのでございましょうかしら……。 十一、守刀  躯がなくなって、こちらの世界に引移って来ても、現世の執着が容易に除れるものでない事は、すでに申上げましたが、序でにモー少しここで自分の罪過を申上げて置くことに致しましょう。口頭ですっかり悟ったようなことを申すのは何でもありませぬが、実地に当って見ると思いの外に心の垢の多いのが人間の常でございます。私も時々こちらの世界で、現世生活中に大へん名高かった方々にお逢いすることがございますが、そうきれいに魂が磨かれた方ばかりも見当りませぬ。『あんな名僧知識と謳われた方がまだこんな薄暗い境涯に居るのかしら……。』時々意外に感ずるような場合もあるのでございます。  さてお約束の懺悔でございますが、私にとりて、何より身にしみているのを一つお話し致しましょう。それは私の守刀の物語でございます。忘れもしませぬ、それは私が三浦家へ嫁入りする折のことでございました、母は一振りの懐剣を私に手渡し、 『これは由緒ある御方から母が拝領の懐剣であるが、そなたの一生の慶事の紀念に、守刀としてお譲りします。肌身離さず大切に所持してもらいます……。』  両眼に涙を一ぱい溜めて、赤心こめて渡された紀念の懐剣──それは刀身といい、又装具といい、まことに申分のない、立派なものでございましたが、しかし私に取りましては、懐剣そのものよりも、それがなつかしい母の形見であることが、他の何物にもかえられぬほど大切なのでございました。私は一生涯その懐剣を自分の魂と思って肌身に附けて居たのでした。  いよいよ私の病勢が重って、もうとても難しいと思われました時に、私は枕辺に坐って居られる母に向かって頼みました。『私の懐剣は何卒このまま私と一緒に棺の中に納めて戴きとうございますが……。』すると母は即座に私の願を容れて、『その通りにしてあげますから安心するように……。』と、私の耳元に口を寄せて力強く囁いてくださいました。  私がこちらの世界に眼を覚ました時に、私は不図右の事柄を想い出しました。『母はあんなに固く請合ってくだされたが、果して懐剣が遺骸と一緒に墓に収めてあるかしら……。』そう思うと私はどうしてもそれが気懸りで気懸りで耐らなくなりました。とうとう私はある日指導役のお爺様に一伍一什を物語り、『若しもあの懐剣が、私の墓に収めてあるものなら、どうぞこちらに取寄せて戴きたい。生前と同様あれを守刀に致し度うございます……。』とお依みしました。今の世の方々には守刀などと申しても、或は頭に力強く響かぬかも存じませぬが、私どもの時代には、守刀はつまり女の魂、自分の生命から二番目の大切な品物だったのでございます。  神様もこの私の願を無理からぬ事と思召めされたか、快くお引受けしてくださいました。そして例のとおり、ちょっと精神の統一をして私の墓を透視されましたが、すぐにお判りになったものと見え『フムその懐剣なら確かに彼所に見えている。宜しい神界のお許しを願って、取寄せてつかわす……。』  そう言われたかと見ると、次ぎの瞬間には、お爺さまの手の中に、私の世にも懐かしい懐剣が握られて居りました。無論それは言わば刀の精だけで、現世の刀ではないのでございましょうが、しかしいかに査べて見ても、金粉を散らした、濃い朱塗りの装具といい、又それを包んだ真紅の錦襴の袋といい、生前現世で手慣れたものに寸分の相違もないのでした。私は心からうれしくお爺様に厚くお礼を申上げました。  私は右の懐剣を現在とても大切に所持して居ります。そして修行の時にはいつも之を御鏡の前へ備えることにして居るのでございます。  これなどは、一段も二段も上の方から御覧になれば、やはり一種の執着と言わるるかも存じませぬが、私どもの境涯では、どうしてもまだ斯うした執着からは離れ切れないのでございます。 十二、愛馬との再会  岩屋の修行中に、モー一つちょっと面白い話がございますから、序でに申上げることに致しましょう。それは私が、こちらで自分の愛馬に再会したお話でございます。  前にもお話し致しましたが、私は三浦家へ嫁入りしてから初めて馬術の稽古をいたしました。最初は馬に乗るのが何やら薄気味悪いように思われましたが、行って居ります内にだんだんと乗馬が好きになったと言うよりも、寧ろ馬が可愛くなって来たのでございます。乗り馴らした馬というものは、それはモー不思議なほど可愛くなるもので、事によると経験のないお方には、その真実の味いはお判りにならぬかも知れません。  私の愛馬と申しますのは、良人がいろいろと捜した上に、最後に、これならば、と見立ててくれたほどのことがございまして、それはそれは優さしい、美事な牡馬でございました。背材はそう高くはございませぬが、総体の地色は白で、それに所々に黒の斑点の混った美しい毛並は今更自慢するではございませぬが、全く素晴らしいもので、私がそれに乗って外出をした時には、道行く者も足を停めて感心して見惚れる位でございました。ナニ乗者に見惚れたのではないかと仰っしゃるか……。御冗談ばかり、そんな酔狂な者は只の一人だってございません。私の馬に見惚れたのでございます……。  そうそうこの馬の命名につきましては、良人と私との間に、なかなかの悶着がございました。私は優さしい名前がよいと思いまして、さんざん考え抜いた末にやっと『鈴懸』という名を思いついたのでございます。すると良人は私と意見が違いまして、それは余り面白くない、是非『若月』にせよと言い張って、何と申しても肯き入れないのです。私は内心不服でたまりませんでしたが、もともと良人が見立ててくれた馬ではあるし、とうとう『若月』と呼ぶことになって了いました。『今度は私が負けて置きます。しかしこの次ぎに良い馬が手に入った時はそれは是非鈴懸と呼ばせていただきます……。』私はそんなことを良人に申したのを覚えて居ります。しかしそれから間もなく、あの北條との戦闘が起ったので、私の望みはとうとう遂げられずに終りました。  とに角名前につきては最初斯んないきさつがありましたものの、私は若月が好きで好きで耐らないのでした。馬の方でも亦私によく馴染んで、私の姿が見えようものなら、さもうれしいと言った表情をして、あの巨きな躯をすり附けて来るのでした。  落城後私があちこち流浪をした時にも、若月はいつも私に附添って、散々苦労をしてくれました。で、私の臨終が近づきました時には、私は若月を庭前へ召んで貰って、この世の訣別を告げました。『汝にもいろいろ世話になりました……。』心の中でそう思った丈でしたが、それは必らず馬にも通じたことであろうと考えられます。これほど可愛がった故でもございましょう、私が岩屋の内部で精神統一の修行をしている時に、ある時思いも寄らず、若月の姿が私の眼にはっきりと映ったのでございます。 『事によると若月は最う死んだのかも知れぬ……。』  そう感じましたので、お爺さまにお訊ねして見ますと、果してこちらの世界に引越して居るとの事に、私は是非一と目昔の愛馬に逢って見たくて耐らなくなりました。 『甚だ勝手なお願いながら、一度若月の許へ連れて行ってくださる訳にはまいりますまいか……。』 『それはいと易いことじゃ。』と例の通りお爺さまは親切に答へてくださいました。『馬の方でもひどくそなたを慕っているから一度は逢って置くがよい。これから一緒に連れて行って上げる……。』  幽界では、何所をドー通って行くのか、途中のことは殆んど判りませぬ。そこが幽界の旅と現世の旅との大した相違点でございますが、兎も角も私達は、瞬く間に途中を通り抜けて、或る一つの馬の世界へまいりました。そこには見渡す限り馬ばかりで、他の動物は一つも居りません。しかし不思議なことには、どの馬もどの馬も皆逞ましい駿馬ばかりで、毛並みのもじゃもじゃした、イヤに脚ばかり太い駄馬などは何処にも見かけないのでした。 『私の若月も爰に居るのかしら……。』  そう思い乍ら、不図向うの野原を眺めますと、一頭の白馬が群れを離れて、飛ぶが如くに私達の方へ馳け寄ってまいりました。それはいうまでもなく、私の懐かしい、愛馬でございました。 『まァ若月……汝、よく来てくれた……。』  私は心から嬉しく、しきりに自分にまつわり附く愛馬の鼻を、いつまでもいつまでも軽く撫でてやりました。その時の若月のうれしげな面持……私は覚えず泪ぐんで了ったのでございました。  しばらく馬と一緒に遊んで、私は大へん軽い気持になって戻って来ましたが、その後二度と行って見る気にもなれませんでした。人間と動物との間の愛情にはいくらかあっさりしたところがあるものと見えます……。 十三、母の臨終  岩屋の修行中に誰かの臨終に出会ったことがあるか、とのお訊ねでございますか。──それは何度も何度もあります。私の父も、母も、それから私の手元に召使っていた、忠実な一人の老僕なども、私が岩屋に居る時に前後して歿しまして、その都度私はこちらから、見舞に参ったのでございます。何れあなたとしては、幽界から観た臨終の光景を知りたいと仰ッしゃるのでございましょう。宜しうございます。では、標本のつもりで、私の母の歿った折の模様を、ありのままにお話し致しましょう。わざわざ査べるのが目的で、行った仕事ではないのですから、むろんいろいろ見落しはございましょう。その点は充分お含みを願って置きます。機会がありましたら、誰かの臨終の実況を査べに出掛て見ても宜しうございます。ここに申上げるのはホンの当時の私が観たまま感じたままのお話でございます。  それは私が歿ってから、最うよほど経った時……かれこれ二十年近くも過ぎた時でございましょうか、ある日私が例の通り御神前で修行して居りますと、突然母の危篤の報知が胸に感じて参ったのでございます。斯うした場合には必らず何等かの方法で報知がありますもので、それは死ぬる人の思念が伝わる場合もあれば、又神様から特に知らせて戴く場合もあります。その他にもまだいろいろありましょう。母の臨終の際には、私は自力でそれを知ったのでございました。  私はびっくりして早速鎌倉の、あの懐かしい実家へと飛んで行きましたが、モーその時はよくよく臨終が迫って居りまして、母の霊魂はその肉体から半分出たり、入ったりしている最中でございました。人間の眼には、人の臨終というものは、ただ衰弱した一つの肉体に起る、あの悲惨な光景しか映りませぬが、私にはその外にまだいろいろの光景が見えるのでございます。就中一番目立つのは肉体の外に霊魂──つまりあなた方の仰っしゃる幽体が見えますことで……。  御承知でもございましょうが、人間の霊魂というものは、全然肉体と同じような形態をして肉体から離れるのでございます。それは白っぽい、幾分ふわふわしたもので、そして普通は裸体でございます。それが肉体の真上の空中に、同じ姿勢で横臥している光景は、決してあまり見よいものではございませぬ。その頃の私は、もう幾度も経験がありますので、さほどにも思いませんでしたが、初めて人間の臨終に出会た時は、何とまァ変怪なものかしらんと驚いて了いました。  最う一つおかしいのは肉体と幽体との間に紐がついて居ることで、一番太いのが腹と腹とを繋ぐ白い紐で、それは丁度小指位の太さでございます。頭部の方にもモー一本見えますが、それは通例前のよりもよほど細いようで……。無論斯うして紐で繋がれているのは、まだ絶息し切らない時で、最後の紐が切れた時が、それがいよいよその人の死んだ時でございます。  前申すとおり、私が母の枕辺に参りましたのは、その紐が切れる少し前でございました。母はその頃モー七十位、私が最後にお目にかかった時とは大変な相違で、見る影もなく、老いさらぼいて居りました。私はすぐ耳元に近づいて、『私でございます……』と申しましたが、人間同志で、枕元で呼びかわすのとは異い、何やらそこに一重隔てがあるようで、果してこちらの意思が病床の母に通じたか何うかと不安に感じられました。──尤もこれは地上の母に就いて申上げることで、肉体を棄てて了ってからの母の霊魂とは、むろん自由自在に通じたのでございます。母は帰幽後間もなく意識を取りもどし、私とは幾度も幾度も逢って、いろいろ越し方の物語に耽りました。母は、死ぬる前に、父や私の夢を見たと言って居りましたが、もちろんそれはただの夢ではないのです。つまり私達の意思が夢の形式で、病床の母に通じたものでございましょう……。  それは兎に角、あの時私は母の断末魔の苦悶の様を見るに見兼ねて、一生懸命母の躯を撫でてやったのを覚えています。これは只の慰めの言葉よりも幾分かききめがあったようで、母はそれからめっきりと楽になって、間もなく気息を引きとったのでございました。すべて何事も赤心をこめて一心にやれば、必らずそれ丈の事はあるもののようでございます。  母の臨終の光景について、モー一つ言い残してならないのは、私の眼に、現世の人達と同時に、こちらの世界の見舞者の姿が映ったことでございます。母の枕辺には人間は約十人余り、何れも眼を泣きはらして、永の別れを惜んでいましたが、それ等の人達の中で私が生前存じて居りましたのはたった二人ほどで、他は見覚えのない人達ばかりでした。それからこちらの世界からの見舞者は、第一が、母よりも先きへ歿った父、つづいて祖父、祖母、肉身の親類縁者、親しいお友達、それから母の守護霊、司配霊、産土の御神使、……一々数えたらよほどの数に上ったでございましょう。兎に角現世の見舞者よりはずっと賑かでございました。第一、双方の気分がすっかり異います。一方は自分達の仲間から親しい人を失うのでございますから、沈み切って居りますのに、他方は自分達の仲間に親しき人を一人迎えるのでございますから、寧ろ勇んでいるような、陽気な面持をしているのでございます。こんな事は、私の現世生活中には全く思いも寄らぬ事柄でございまして……。  他にも気づいた点がまだないではありませぬが、拙な言葉でとても言い尽せぬように思われますので、母の臨終の物語は、一と先ずこれ位にして置きましょう。 十四、守護霊との対面  第一期の修行中に経験した、重なる事柄につきては、以上で大体申上げたつもりでございますが、ただもう一つここで是非とも言い添えて置かねばならないと思いますのは私の守護霊の事でございます。誰にも一人の守護霊が附いて居ることは、心霊に志す方々の御承知の通りでございますが、私にも勿論一人の守護霊が附いて居り、そしてその守護霊との関係はただ現世のみに限らず、肉体の死後も引きつづいて、切っても切れぬ因縁の絆で結ばれて居るのでございます。もっとも、そうした事柄がはっきり判りましたのはよほど後の事で、帰幽当時の私などは、自分に守護霊などと申すものが有るか、無いかさえも全然知らなかったのでございます。で、私がこちらの世界で初めて自分の守護霊にお目にかかった時は、少なからず意外に感じまして、従ってその時の印象は今でもはっきりと頭脳に刻まれて居ります。  ある日私が御神前で、例の通り深い精神統一の状態に入って居た時でございます、意外にも一人の小柄の女性がすぐ眼の前に現われ、いかにも優さしく、私を見てにっこりと微笑まれるのです。打見る所、年齢は二十歳余り、顔は丸顔の方で、緻致はさしてよいとも言われませぬが、何所となく品位が備わり、雪なす富士額にくっきりと黛が描かれて居ります。服装は私の時代よりはやや古く、太い紐でかがった、広袖の白衣を纏い、そして下に緋の袴を穿いて居るところは、何う見ても御所に宮仕えして居る方のように窺われました。  意外なのは、この時初めてお目に懸ったばかりの、全然未知のお方なのにも係らず、私の胸に何ともいえぬ親しみの念がむくむくと湧いて出たことで……。それにその表情、物ごしがいかにも不思議……先方は丸顔、私は細面、先方は小柄、私は大柄、外形はさまで共通の個所がないにも係らず、何所とも知れず二人の間に大変似たところがあるのです。つまりは外面はあまり似ないくせに、底の方でよく似て居ると言った、よほど不思議な似方なのでございます。 『あの、どなた様でございますか……。』  漸く心を落つけて私の方から訊ねました。すると先方は不相変にこやかに── 『あなたは何も知らずに居られたでしょうが、実は自分はあなたの守護霊……あなたの一身上の事柄は何も彼も良う存じて居るものなのです。時節が来ぬ為めに、これまで蔭に控えて居ましたが、これからは何事も話相手になって上げます。』  私は嬉しいやら、恋しいやら、又不思議やら、何が何やらよくは判らぬ複雑な感情でその時初めて自分の魂の親の前に自身を投げ出したのでした。それは丁度、幼い時から別れ別れになっていた母と子が、不図どこかでめぐり合った場合に似通ったところがあるかも知れませぬ。何れにしてもこの一事は私にとりてまことに意外な、又まことに意義のある貴い経験でございました。  激しい昂奮から冷めた私は、もちろん私の守護霊に向っていろいろと質問の矢を放ち、それでも尚お腑に落ちぬ個所があれば、指導役のお爺様にも根掘り葉掘り問いつめました。お蔭で私の守護霊の素性はもとより、人間と守護霊の関係、その他に就きて大凡の事が漸く会得されるようになりました。──あの、それを残らず爰で物語れと仰っしゃるか……宜しうございます。何も御道の為めとあれば、私の存じて居る限りは逐一申上げて了いましょう。話が少し堅うございまして、何やら青表紙臭くなるかも存じませぬが、それは何卒大目に見逃がして戴きます。又私の申上げることにどんな誤謬があるかも計りかねますので、そこはくれぐれもただ一つの参考にとどめて戴きたいのでございます。私はただ神様やら守護霊様からきかされたところをお取次ぎするのですから、これが誤謬のないものだとは決して言い張るつもりはございませぬ……。 十五、生みの親魂の親  成るべく話の筋道が通るよう、これからすべてを一と纏めにして、私が長い年月の間にやっとまとめ上げた、守護霊に関するお話を順序よく申上げて見たいと存じます。それにつきては、少し奥の方まで溯って、神様と人間との関係から申上げねばなりませぬ。  昔の諺に『人は祖に基き、祖は神に基く』とやら申して居りますが、私はこちらの世界へ来て見て、その諺の正しいことに気づいたのでございます。神と申しますのは、人間がまだ地上に生れなかった時代からの元の生神、つまりあなた方の仰っしゃる『自我の本体』又は高級の『自然霊』なのでございます。畏れ多くはございますが、我国の御守護神であらせられる邇々藝命様を始め奉り、邇々藝命様に随って降臨された天児屋根命、天太玉命などと申す方々も、何れも皆そうした生神様で、今も尚お昔と同じく地の神界にお働き遊ばしてお出でになられます。その本来のお姿は白く光った球の形でございますが、余ほど真剣な気持で深い統一状態に入らなければ、私どもにもそのお姿を拝することはできませぬ。まして人間の肉眼などに映る気づかいはございませぬ。尤もこの球の形は、凝とお鎮まり遊ばした時の本来のお姿でございまして、一たんお働きかけ遊ばしました瞬間には、それぞれ異なった、世にも神々しい御姿にお変り遊ばします。更に又何かの場合に神々がはげしい御力を発揮される場合には荘厳と言おうか、雄大と申そうか、とても筆紙に尽されぬ、あの怖ろしい竜姿をお現わしになられます。一つの姿から他の姿に移り変ることの迅さは、到底造り附けの肉体で包まれた、地上の人間の想像の限りではございませぬ。  無論これ等の元の生神様からは、沢山の御分霊……つまり御子様がお生れになり、その御分霊から更に又御分霊が生れ、神界から霊界、霊界から幽界へと順々に階段がついて居ります。つまりすべてに亘りて連絡はとれて居り乍ら、しかしそのお受持がそれぞれ異うのでございます。こちらの世界をたった一つの、無差別の世界と考えることは大変な間違いで、例えば邇々藝命様に於かれましても、一番奥の神界に於てお指図遊ばされる丈で、その御命令はそれぞれの世界の代表者、つまりその御分霊の神々に伝わるのでございます。おこがましい申分かは存じませぬが、その点の御理解が充分でないと、地上に人類の発生した径路がよくお判りにならぬと存じます。稀薄で、清浄で、殆んど有るか無きかの、光の凝塊と申上げてよいようなお形態をお有ち遊ばされた高い神様が、一足跳びに濃く鈍い物質の世界へ、その御分霊を植え附けることは到底できませぬ。神界から霊界、霊界から幽界へと、だんだんにそのお形態を物質に近づけてあったればこそ、ここに初めて地上に人類の発生すべき段取に進み得たのであると申すことでございます。そんな面倒な手続を踏んであってさえも、幽から顕に、肉体のないものから肉体のあるものに、移り変るには、実に容易ならざる御苦心と、又殆んど数えることのできない歳月を閲したということでございます。一番困るのは物質というものの兎角崩れ易いことで、いろいろ工夫して造って見ても、皆半途で流れて了い、立派に魂の宿になるような、完全な人体は容易に出来上らなかったそうでございます。その順序、方法、又発生の年代等に就きても、或る程度まで神様から伺って居りますが、只今それを申上げている遑はございませぬ。いずれ改めて別の機会に申上げることに致しましょう。  兎に角、現在の人間と申すものが、最初神の御分霊を受けて地上に生れたものであることは確かでございます。もっとくわしくいうと、男女両柱の神々がそれぞれ御分霊を出し、その二つが結合して、ここに一つの独立した身魂が造られたのでございます。その際何うして男性女性の区別が生ずるかと申すことは、世にも重大なる神界の秘事でございますが、要するにそれは男女何れかが身魂の中枢を受持つかできまる事だそうで、よく気をつけて、天地の二神誓約の段に示された、古典の記録を御覧になれば大体の要領はつかめるとのことでございます。  さて最初地上に生れ出でた一人の幼児──無論それは力も弱く、智慧もとぼしく、そのままで無事に生長し得る筈はございませぬ。誰かが傍から世話をしてくれなければとても三日とは生きて居られる筈はございませぬ。そのお世話掛がつまり守護霊と申すもので、蔭から幼児の保護に当るのでございます。もちろん最初は父母の霊、殊に母の霊の熱心なお手伝もありますが、だんだん生長すると共に、ますます守護霊の働きが加わり、最後には父母から離れて立派に一本立ちの身となって了います。ですから生れた子供の性質や容貌は、或る程度両親に似て居ると同時に、又大変に守護霊の感化を受け、時とすれば殆んど守護霊の再来と申しても差支ない位のものも少くないのでございます。古事記の神代の巻に、豐玉姫からお生れになられたお子様を、妹の玉依姫が養育されたとあるのは、つまりそう言った秘事を暗示されたものだと承ります。  申すまでもなく子供の守護霊になられるものは、その子供の肉親と深い因縁の方……つまり同一系統の方でございまして、男子には男性の守護霊、女子には女性の守護霊が附くのでございます。人類が地上に発生した当初は、専ら自然霊が守護霊の役目を引き受けたと申すことでございますが、時代が過ぎて、次第に人霊の数が加わると共に、守護霊はそれ等の中から選ばれるようになりました。むろん例外はありましょうが、現在では数百年前乃至千年二千年前に帰幽した人霊が、守護霊として主に働いているように見受けられます。私などは帰幽後四百年余りで、さして新らしい方でも、又さして古い方でもございませぬ。  こんな複雑った事柄を、私の拙い言葉でできる丈簡単にかいつまんで申上げましたので、さぞお判りにくい事であろうかと恐縮して居る次第でございますが、わたくしの言葉の足りないところは、何卒あなた方の方でよきようにお察しくださるようお願い致します。 十六、守護霊との問答  岩屋の修行中に私が自分の守護霊と初めて逢ったお話を申上げたばかりに、ツイ斯んな長談議を致して了いました。斯んな拙い話が幾分たりともあなた方の御参考になればこの上もなき僥倖でございます。  序に、その際私と私の守護霊との間に行われた問答の一部を一応お話し致して置きましょう。格別面白くもございませぬが、私にとりましてはこれでも忘れ難い想い出の種子なのでございます。 問『あなたが私の守護霊であると仰っしゃるなら、何故もっと早くお出ましにならなかったのでございますか? 今迄私はお爺様ばかりを杖とも柱とも依りにして、心細い日を送って居りましたが、若しもあなたのような優さしい御方が最初からお世話をして下さったら、どんなにか心強いことであったでございましたろう……。』 答『それは一応尤もなる怨言であれど、神界には神界の掟というものがあるのです。あのお爺様は昔から産土神のお神使として、新たに帰幽した者を取扱うことにかけてはこの上もなくお上手で、とても私などの足元にも及ぶことではありませぬ。私などは修行も未熟、それに人情味と言ったようなものが、まだまだ大へんに強過ぎて、思い切ってきびしい躾を施す勇気のないのが何よりの欠点なのです。あなたの帰幽当時の、あの烈しい狂乱と執着……とても私などの手に負えたものではありませぬ。うっかりしたら、お守役の私までが、あの昂奮の渦の中に引き込まれて、徒らに泣いたり、怨んだりすることになったかも知れませぬ。かたがた私としては態とさし控えて蔭から見守って居る丈にとどめました。結局そうした方があなたの身の為めになったのです……。』 問『では今までただお姿を見せないという丈で、あなた様は私の狂乱の状態を蔭からすっかり御覧になっては居られましたので……。』 答『それはもちろんのことでございます。あなたの一身上の事柄は、現世に居った時のことも、又こちらの世界に移ってからの事も、一切知り抜いて居ります。それが守護霊というものの役目で、あなたの生活は同時に又大体私の生活でもあったのです。私の修行が未熟なばかりに、随分あなたにも苦労をさせました……。』 問『まあ勿体ないお言葉、そんなに仰せられますと私は穴へも入りたい思いがいたします……。それにしてもあなた様は何と仰っしゃる御方で、そしていつ頃の時代に現世にお生れ遊されましたか……。』 答『改めて名告るほどのものではないのですが、斯うした深い因縁の絆で結ばれている上からは、一と通り自分の素性を申上げて置くことに致しましょう。私はもと京の生れ、父は粟屋左兵衞と申して禁裡に仕えたものでございます。私の名は佐和子、二十五歳で現世を去りました。私の地上に居った頃は朝廷が南と北との二つに岐れ、一方には新田、楠木などが控え、他方には足利その他東国の武士どもが附き随い、殆んど連日戦闘のない日とてもない有様でした……。私の父は旗色の悪い南朝方のもので、従って私どもは生前に随分数々の苦労辛酸を嘗めました……。』 問『まあそれはお気の毒なお身の上……私の身に引きくらべて、心からお察し致します……。それにしても二十五歳で歿なられたとの事でございますが、それまでずっとお独身で……。』 答『独身で居りましたが、それには深い理由があるのです……。実は……今更物語るのもつらいのですが、私には幼い時から許嫁の人がありました。そして近い内に黄道吉日を択んで、婚礼の式を挙げようとしていた際に、不図起りましたのがあの戦乱、間もなく良人となるべき人は戦場の露と消え、私の若き日の楽しい夢は無残にも一朝にして吹き散らされて了いました……。それからの私はただ一個の魂の脱けた生きた骸……丁度蝕まれた花の蕾のしぼむように、次第に元気を失って、二十五の春に、さびしくポタリと地面に落ちて了ったのです。あなたの生涯も随分つらい一生ではありましたが、それでも私のにくらぶれば、まだ遥かに花も実もあって、どれ丈幸福だったか知れませぬ。上を見れば限りもないが、下を見ればまだ際限もないのです。何事も皆深い深い因縁の結果とあきらめて、お互に無益の愚痴などはこぼさぬことに致しましょう。お爺様の御指導のお蔭で近頃のあなたはよほど立派にはなりましたが、まだまだあきらめが足りないように思います。これからは私もちょいちょい見まわりにまいり、ともども向上を図りましょう……。』  その日の問答は大体斯んなところで終りましたが、斯うした一人のやさしい指導者が見つかったことは、私にとりて、どれ丈の心強さであったか知れませぬ。その後私の守護霊は約束のとおり、しばしば私の許に訪れて、いろいろと有難い援助を与えてくださいました。私は心から私のやさしい守護霊に感謝して居るものでございます。 十七、第二の修行場  私の最初の修行場──岩屋の中での物語は一と先ずこの辺でくぎりをつけまして、これから第二の山の修行場の方に移ることに致しましょう。修行場の変更などと申しますと、現世式に考えれば、随分億劫な、何やらどさくさした、うるさい仕事のように思われましょうが、こちらの世界の引越しは至極あっさりしたものでございます。それは場所の変更と申すよりは、むしろ境涯の変更、又は気分の変更と申すものかも知れませぬ。現にあの岩屋にしても、最初は何やら薄暗い陰鬱な処のように感ぜられましたが、それがいつとはなしにだんだん明るくなって、最後には全然普通の明るさ、些しも穴の内部という感じがしなくなり、それに連れて私自身の気持もずっと晴れやかになり、戸外へ出掛けて漫歩でもして見たいというような風になりました。たしかにこちらでは気分と境涯とがぴッたり一致しているもののように感ぜられます。  ある日私がいつになく統一の修行に倦きて、岩屋の入口まで何とはなしに歩み出た時のことでございました。ひょっくりそこへ現われたのが例の指導役のお爺さんでした。── 『そなたは戸外へ出たがっているようじゃナ。』  図星をさされて私は少しきまりが悪く感じました。 『お爺さま、何ういうものか今日は気が落付かないで困るのでございます……。私はどこかへ遊びに出掛けたくなりました。』 『遊びに出たい時には出ればよいのじゃ。俺がよい場所へ案内してあげる……。』  お爺さんまでが今日はいつもよりも晴々しい面持で誘って下さいますので、私も大へんうれしい気分になって、お爺さんの後について出掛けました。  岩屋から少し参りますと、モーそこはすぐ爪先上りになって、右も左も、杉や松や、その他の常盤木のしんしんと茂った、相当険しい山でございます。あの、現界の景色と同一かと仰ッしゃるか……左様でございます。格別異っても居りませぬが、ただ現界の山よりは何やら奥深く、神さびて、ものすごくはないかと感じられる位のものでございます。私達の辿る小路のすぐ下は薄暗い谿谷になって居て、樹叢の中をくぐる水音が、かすかにさらさらと響いていましたが、気の故か、その水音までが何となく沈んで聞えました。 『モー少し行った所に大へんに良い山の修行場がある。』とお爺さんは道々私に話しかけます。 『多分そちの気に入るであろうと思うが、兎も角も一応現場へ行って見るとしようか……。』 『何卒お願い致します……。』  私はただちょっと見物する位のつもりで軽く御返答をしたのでした。  間もなく一つの険しい坂を登りつめると、其処はやや平坦な崖地になっていました。そして四辺にはとても枝ぶりのよい、見上げるような杉の大木がぎッしりと立ち並んで居りましたが、その中の一番大きい老木には注連縄が張ってあり、そしてその傍に白木造りの、小さい建物がありました。四方を板囲いにして、僅かに正面の入口のみを残し、内部は三坪ばかりの板敷、屋根は丸味のついたこけら葺き、どこにも装飾らしいものはないのですが、ただすべてがいかにも神さびて、屋根にも、柱にも、古い苔が厚く蒸して居り、それが塵一つなき、飽まで浄らかな環境としっくり融け合って居りますので、実に何ともいえぬ落付きがありました。私は覚えず叫びました。 『まァ何という結構な所でございましょう! 私、こんなところで暮しとうございます……。』  するとお爺さんは満足らしい微笑を老顔に湛へて、徐ろに言われました。── 『実はここがそちの修行場なのじゃ。モー別に下の岩屋に帰るにも及ばぬ。早速内部へ入って見るがよい。何も彼も一切取り揃えてあるから……。』  私はうれしくもあれば、また意外でもあり、言わるるままに急いで建物の内部へ入って見ますと、中央正面の白木の机の上には果して日頃信仰の目標である、例の御神鏡がいつの間にか据えられて居り、そしてその側には、私の母の形見の、あのなつかしい懐剣までもきちんと載せられてありました。  私はわれを忘れて御神前に拝跪して心から感謝の言葉を述べたことでございました。  大体これが岩屋の修行場から山の修行場へ引越した時の実況でございます。現世の方から見れば一片の夢物語のように聴えるでございましょうが、そこが現世と幽界との相違なのだから何とも致方がございませぬ。私どもとても、幽界に入ったばかりの当座は、何やらすべてがたよりなく、又飽気なく思われて仕方がなかったもので……。しかしだんだん慣れて来ると矢張りこちらの生活の方が結構に感じられて来ました。僅か半里か一里の隣りの村に行くのにさえ、やれ従者だ、輿物だ、御召換だ……、半日もかかって大騒ぎをせねばならぬような、あんな面倒臭い現世の生活を送りながら、よくも格別の不平も言わずに暮らせたものである……。私はだんだんそんな風に感ずるようになったのでございます。何れ、あなた方にも、その味がやがてお判りになる時が参ります……。 十八、竜神の話  山の修行場へ移ってからの私は、何とはなしに気分がよほど晴れやかになったらしいのが自分にも感ぜられました。主なる仕事は矢張り御神前に静座して精神統一をやるのでございますが、ただ合間合間に私はよく室外へ出て、四辺の景色を眺めたり、鳥の声に耳をすませたりするようになりました。  前にも申上げた通り、私の修行場の所在地は山の中腹の平坦地で、崖の上に立って眺めますと、立木の隙間からずっと遠方が眼に入り、なかなかの絶景でございます。どこにも平野らしい所はなく、見渡すかぎり山又山、高いのも低いのも、又色の濃いのも淡いのも、いろいろありますが、どれも皆樹木の茂った山ばかり、尖った岩山などはただの一つも見えません。それ等が十重二十重に重なり合って絵巻物をくり拡げているところは、全く素晴らしい眺めで、ツイうっとりと見とれて、時の経つのも忘れて了う位でございます。  それから又あちこちの木々の茂みの中に、何ともいえぬ美しい鳥の音が聴えます。それは、昔鎌倉の奥山でよくきき慣れた時鳥の声に幾分似たところもありますが、しかしそれよりはもッと冴えて、賑かで、そして複雑った音色でございます。ただ一人の話相手とてもない私はどれ丈この鳥の音に慰められたか知れませぬ。どんな種類の鳥かしらと、或る時念の為めにお爺さんに伺って見ましたら、それはこちらの世界でもよほど珍らしい鳥で、現界には全然棲んでいないと申すことでございました。尤も音色が美しい割に毛並は案外つまらない鳥で、ある時不図近くの枝にとまっているところを見ると、大さは鳩位、幾分現界の鷹に似て、頚部に長い毛が生えていました。幽界の鳥でも矢張り声と毛並とは揃わぬものかしらと感心したことでございました。  もう一つ爰の景色の中で特に私の眼を惹いたものは、向って右手の山の中腹に、青葉がくれにちらちら見える一つの丹塗のお宮でございました。それはホンの三尺四方位の小さい社なのですが、見渡す限りただ緑の一色しかない中に、そのお宮丈がくッきりと朱く冴えているので大へんに目立つのでございます。私の心は次第に、そのお宮にひきつけられるようになりました。  で、ある日お爺さんが見舞われた時私は訊ねました。── 『お爺さま、あそこに大そう美しい、丹塗のお宮が見えますが、あれはどなた様をお祀りしてあるのでございますか。』 『あれは竜神様のお宮じゃ。これからは俺にばかり依らず、直接に竜神様にもお依みするがよい……。』 『竜神様でございますか?』私は大へん意外に感じまして、 『一体それは何ういう神様でございますか?』 『そろそろそちも竜神との深い関係を知って置かねばなるまい。よほど奥深い事柄であるから、とても一度で腑には落ちまいが、その中だんだん判って来る……。』  お爺さんはあたかも寺子屋のお師匠さんと言った面持で、いろいろ講釈をしてくださいました。お爺さまは斯んな風に説き出されました。── 『竜神というのは一と口に言えば元の活神、つまり人間が現世に現われる前から、こちらの世界で働いている神々じゃ。時として竜の姿を現わすから竜神には相違ないが、しかしいつもあんな恐ろしい姿で居るのではない。時と場合でやさしい神の姿にもなれば、又一つの丸い球にもなる。現に俺なども竜神の一人であるが、そちの指導役として現われる時は、いつも斯のような、老人の姿になっている……。ところで、この竜神と人間との関係であるが、人間の方では、何も知らずに、最初から自分一つの力で生れたもののように思って居るが、実は人間は竜神の分霊、つまりその子孫なのじゃ。ただ竜神はどこまでもこちらの世界の者、人間は地の世界の者であるから、幽から顕への移りかわりの仕事はまことに困難で、長い長い歳月を経て漸くのことでモノになったのじゃ。詳しいことは後で追々話すとして、兎に角人間は竜神の子孫、汝とても元へ溯れば、矢張りさる尊い竜神様の御末裔なのじゃ。これからはよくその事を弁えて、あの竜神様のお宮へお詣りせねばならぬ。又機会を見て竜宮界へも案内し、乙姫様にお目通りをさしてもあげる。』  お爺さんのお話は、何やらまわりくどいようで、なかなか当時の私の腑に落ち兼ねたことは申すまでもありますまい。殊におかしかったのが、竜宮界だの、乙姫様だのと申すことで、私は思わず笑い出して了いました。── 『まァ竜宮などと申すものが実際この世にあるのでございますか。──あれは人間の仮構事ではないでしょうか……。』 『決してそうではない。』とお爺さんは飽まで真面目に、『人間界に伝わる、あの竜宮の物語は実際こちらの世界で起った事実が、幾分尾鰭をつけて面白おかしくなっているまでじゃ。そもそも竜宮と申すのは、あれは神々のおくつろぎ遊ばす所……言わば人間界の家庭の如きものじゃ。前にものべた通り、こちらの世界は造りつけの現界とは異り、場所も、家屋も、又姿も、皆意思のままにどのようにもかえられる。で、竜宮界のみを竜神の世界と思うのは大きな間違で、竜神の働く世界は、他に限りもなく存在するのである。が、しかし神々にとりて何よりもうれしいのは矢張りあの竜宮界である。竜宮界は主に乙姫様のお指図で出来上った、家庭的の理想境なのじゃ。』 『乙姫様と仰ッしゃると……。』 『それは竜宮界で一番上の姫神様で、日本の昔の物語に豐玉姫とあるのがつまりその御方じゃ。神々のお好みがあるので、他にもさまざまの世界があちこちに出来てはいるが、それ等の中で、何と申しても一番立ち優っているのは矢張りこの竜宮界じゃ。すべてがいかにも清らかで、優雅で、そして華美な中に何ともいえぬ神々しいところがある。とても俺の口で述べ尽せるものではない。そちも成るべく早く修行を積んで、実地に竜宮界へ行って、乙姫様にもお目通りを願うがよい……。』 『私のようなものにもそれが協いましょうか……。』 『それは勿論協う……イヤ協わねばならぬ深い因縁がある。何を隠そう汝はもともと乙姫様の系統を引いているので、そちの竜宮行は言わば一種の里帰りのようなものじゃ……。』  お爺さんの述べる所はまだしッくり私の胸にはまりませんでしたが、しかしそれが一ト方ならず私の好奇心をそそったのは事実でございました。それからの私は絶えず竜宮界の事、乙姫様の事ばかり考え込むようになり、私の幽界生活に一の大切なる転換期となりました。  が、私の竜宮行きはそれからしばらく過ぎてからの事でございました。 十九、竜神の祠  順序として、これからポツポツ竜宮界のお話を致さねばならなくなりましたが、もともと口の拙ない私が、私よりももっと口の拙ない女の口を使って通信を致すのでございますから、さぞすべてがつまらなく、一向に多愛のない夢物語になって了いそうで、それが何より気がかりでございます。と申して、この話を省いて了えば私の幽界生活の記録に大きな孔が開くことになって筋道が立たなくなるおそれがございます。まあ致方がございませぬ、せいぜい気をつけて、私の実地に観たまま、感じたままをそっくり申上げることに致しましょう。  ここでちょっと申添えて置きたいのは、私の修行場の右手の山の半腹に在る、あの小さい竜神の祠のことでございます。私は竜宮行をする前に、所中そのお祠へ参拝したのでございますが、それがつまり私に取りて竜宮行の準備だったのでございました。私はそこで乙姫様からいろいろと有難い教訓やら、お指図やら、又おやさしい慰めのお言葉やらを戴きました。お蔭で私は自分でも気がつくほどめきめきと元気が出てまいりました。『その様子なら汝も近い内に乙姫様のお目通りができそうじゃ……。』指導役のお爺さんもそんなことを言って私を励ましてくださいました。  ここで私が竜神様のお祠へ行って、いろいろお指図を受けたなどと申しますと、現世の方々の中には何やら異様にお考えになられる者がないとも限りませぬが、それは現世の方々が、まだ神社というものの性質をよく御存じない為めかと存じます。お宮というものは、あれはただお賽銭を上げて、拍手を打って、首を下げて引きさがる為めに出来ている飾物ではないようでございます。赤心籠めて一生懸命に祈願をすれば、それが直ちに神様の御胸に通じ、同時に神様からもこれに対するお応答が降り、時とすればありありとそのお姿までも拝ませて戴けるのでございます……。つまり、すべては魂と魂の交通を狙ったもので、こればかりは実に何ともいえぬほど巧い仕組になって居るのでございます。私が山の修行場に居りながら、何うやら竜宮界の模様が少しづつ判りかけたのも、全くこの難有い神社参拝の賜でございました。もちろん地上の人間は肉体という厄介なものに包まれて居りますから、いかに神社の前で精神の統一をなされても、そう容易に神様との交通はできますまいが、私どものように、肉体を棄ててこちらの世界へ引越したものになりますと、殆んどすべての仕事はこの仕掛のみによりて行われるのでございます。ナニ人間の世界にも近頃電話だの、ラヂオだのという、重宝な機械が発明されたと仰っしゃるか……それは大へん結構なことでございます。しかしそれなら尚更私の申上げる事がよくお判りの筈で、神社の装置もラジオとやらの装置も、理窟は大体似たものかも知れぬ……。  まあ大へんつまらぬ事を申上げて了いました。では早速これから竜宮行の模様をお話しさせて戴きます……。 二十、竜宮へ鹿島立  こちらの世界の仕事は、何をするにも至極あっさりしていまして、すべてが手取り早く運ばれるのでございますが、それでもいよいよこれから竜宮行と決った時には、そこに相当の準備の必要がありました。何より肝要なのは斎戒沐浴……つまり心身を浄める仕事でございます。もちろん私どもには肉体はないのでございますから、人間のように実地に水などをかぶりは致しませぬ。ただ水をかぶったような清浄な気分になればそれで宜しいので、そうすると、いつの間にか服装までも、自然に白衣に変って居るのでございます。心と姿とがいつもぴったり一致するのが、こちらの世界の掟で、人間界のように心と姿とを別々に使い分けることばかりはとてもできないのでございます。  兎も角も私は白衣姿で、先ず御神前に端坐祈願し、それからあの竜神様のお祠へ詣でて、これから竜宮界へ参らせて戴きますと御報告申上げました。先方から何とか返答があったかと仰っしゃるか……それは無論ありました。『歓んであなたのお出でをお待ちして居ります……。』とそれはそれは鄭重な御挨拶でございました。  竜神様のお祠から自分の修行場へ戻って見ると、もう指導役のお爺さんが、そこでお待ちになって居られました。 『準備ができたらすぐに出掛けると致そう。俺が竜宮の入口まで送ってあげる。それから先きは汝一人で行くのじゃ。何も修行の為めである。あまり俺に依る気になっては面白うない……。』  そう言われた時に、私は何やら少し心細く感じましたが、それでもすぐに気を取り直して旅仕度を整えました。私のその時の旅姿でございますか……。それは現世の旅姿そのまま、言わばその写しでございます。かねて竜宮界は世にも奇麗な、華美なところと伺って居りますので、私もそのつもりになり、白衣の上に、私の生前一番好きな色模様の衣裳を重ねました。それは綿の入った、裾の厚いものでございますので、道中は腰の所で紐で結えるのでございます。それからもう一つ道中姿に無くてはならないのが被衣……私は生前の好みで、白の被衣をつけることにしました。履物は厚い草履でございます。  お爺さんは私の姿を見て、にこにこしながら『なかなか念の入った道中姿じゃナ。乙姫様もこれを御覧なされたらさぞお歓びになられるであろう。俺などはいつも一張羅じゃ……。』  そんな軽口をきかれて、御自身はいつもと同一の白衣に白の頭巾をかぶり、そして長い長い一本の杖を持ち、素足に白鼻緒の藁草履を穿いて私の先きに立たれたのでした。序でにお爺さんの人相書をもう少しくわしく申上げますなら、年齢の頃は凡そ八十位、頭髪は真白、鼻下から顎にかけてのお髭も真白、それから睫毛も矢張り雪のように真白……すべて白づくめでございます。そしてどちらかと云へば面長で、眼鼻立のよく整った、上品な面差の方でございます。私はまだ仙人というものをよく存じませぬが、若し本当に仙人があるとしたら、それは私の指導役のお爺さんのような方ではなかろうかと考えるのでございます。あの方ばかりはどこからどこまで、きれいに枯れ切って、すっかりあくぬけがして居られます。  山の修行場を後にした私達は、随分長い間険しい山道をば、下へ下へ下へと降ってまいりました。道はお爺さんが先きに立て案内して下さるので、少しも心配なことはありませぬが、それでもところどころ危つかしい難所だと思ったこともございました。又道中どこへ参りましても例の甲高い霊鳥の鳴声が前後左右の樹間から雨の降るように聴えました。お爺さんはこの鳥の声がよほどお好きと見えて、『こればかりは現界ではきかれぬ声じゃ。』と御自慢をして居られました。  漸く山を降り切ったと思うと、たちまちそこに一つの大きな湖水が現われました。よほど深いものと見えまして、湛えた水は藍を流したように蒼味を帯び、水面には対岸の鬱蒼たる森林の影が、くろぐろと映って居ました。岸はどこもかしこも皆割ったような巌で、それに松、杉その他の老木が、大蛇のように垂れ下っているところは、風情が良いというよりか、寧ろもの凄く感ぜられました。 『どうじゃ、この湖水の景色は……汝は些と気に入らんであろうが……。』 『私はこんな陰気くさい所は厭でございます。でもここは何ぞ縁由 のある所でございますか?』 『ここはまだ若い、下級の竜神達の修行の場所なのじゃ。俺は時々見𢌞わりに来るので、善うこの池の勝手を知っている。何も修行じゃ、汝もここでちょっと統一をして見るがよい。沢山の竜神達の姿が見えるであろう……。』  あまり良い気持は致しませんでしたが、修行とあれば辞むこともできず、私はとある巌の上に坐って統一状態に入って見ますと、果して湖水の中は肌の色の黒っぽい、あまり品の良くない竜神さんでぎっしり填っていました。角のあるもの、無いもの、大きなもの、小さなもの、眠っているもの、暴れているもの……。初めてそんな無気味な光景に接した私は、覚えずびっくりして眼を開けて叫びました。── 『お爺さま、もう沢山でございます。何うぞもっと晴れやかな所へお連れ下さいませ……。』 二十一、竜宮街道  しばらく湖水の畔を伝って歩るいて居る中に、山がだんだん低くなり、やがて湖水が尽きると共に山も尽きて、広々とした、少しうねりのある、明るい野原にさしかかりました。私達はその野原を貫く細道をどこまでもどこまでも先きへ急ぎました。  やがて前面に、やや小高い砂丘の斜面が現われ、道はその頂辺の所に登って行きます。『何やら由井ヶ浜らしい景色である……。』私はそんなことを考えながら、格別険しくもないその砂丘を登りつめましたが、さてそこから前面を見渡した時に、私はあまりの絶景に覚えずはっと気息づまりました。砂丘のすぐ真下が、えも言われぬ美しい一ツの入江になっているのではありませぬか!  刷毛で刷いたような弓なりになった広い浜……のたりのたりと音もなく岸辺に寄せる真青な海の水……薄絹を拡げたような、はてしもなくつづく浅霞……水と空との融け合うあたりにほのぼのと浮く遠山の影……それはさながら一幅の絵巻物をくりひろげたような、実に何とも言えぬ絶景でございました。  明けても暮れても、眼に入るものはただ山ばかり、ひたすら修行三昧に永い歳月を送った私でございますから、尚更この海の景色が気に入ったのでございましょう、しばらくの間私は全くすべてを打忘れて、砂丘の上に立ち尽して、つくづくと見惚れて了ったのでございました。 『どうじゃ、なかなかの良い眺めであろうが……。』  そう言われて私はやっと自分に戻りました。 『お爺さま、わたくし、こんななごやかな、良い景色は、まだ一度も見たためしがございませぬ……。ここは何と申すところでございますか?』 『これが竜宮界の入口なのじゃ。ここから竜宮はそう遠くない……。』 『竜宮は矢張り海の底にあるのでございますか?』 『イヤイヤあれは例によりて人間どもの勝手な仮構事じゃ。乙姫様は決して魚族の親戚でもなければ又人魚の叔母様でもない……。が、もともと竜宮は理想の別世界なのであるから、造ろうと思えば海の底にでも、又その他の何処にでも造れる。そこが現世の造りつけの世界と大へんに異う点じゃ……。』 『左様でございますか……。』  何やらよくは腑に落ち兼ねましたが、私はそう御返答するより外に致方がないのでした。 『さて』とお爺さんは、しばらく経ってから、いと真面目な面持で語り出でました。『俺の役目はここまで汝を案内すればそれで済んだので、これから先きは汝一人で行くのじゃ。あれ、あの入江のほとりから、少し左に外れたところに見ゆる真平な街道、あれをどこまでもどこまでも辿って行けば、その突き当りがつまり竜宮で、道を間違えるような心配は少しもない……。又竜宮へ行ってからは、どなたにお目にかかるか知れぬが、何れにしても、ただ先方のお話を伺う丈では面白うない。気のついたこと、腑に落ちぬことは、少しの遠慮もなく、どしどしお訊ねせんければ駄目であるぞ。すべて神界の掟として、こちらの求める丈しか教えられぬものじゃ。で、何事も油断なく、よくよく心の眼を開けて、乙姫様から愛想をつかされることのないよう心懸けてもらいたい……。では俺はこれで帰りますぞ……。』  そう言って、つと立ち上ったかと思うと、もうお爺さんの姿はどこにも見えませんでした。  例によりてその飽気なさ加減と言ったらありません。私はちょっと心さびしく感じましたが、それはほんの一瞬間のことでございました。私は斯んな場合にいつも肌から離さぬ、例の母の紀念の懐剣を、しっかりと帯の間にさし直して、急いで砂丘を降りて、お爺さんから教えられた通り、あの竜宮街道を真直に進んだのでした。  その後も私は幾度となくこの竜宮街道を通りましたが、何度通って見ても心地のよいのはこの街道なのでございます。それは天然の白砂をば何かで程よく固めたと言ったような、踏み心地で、足触りの良さと申したら比類がありませぬ。そして何所に一点の塵とてもなく、又道の両側に程よく配合った大小さまざまの植込も、実に何とも申上げかねるほど奇麗に出来て居り、とても現世ではこんな素晴らしい道路は見られませぬ。その街道が何の位続いているかとお訊ねですか……さァどれ位の道程かは、ちょっと見当がつきかねますが、よほど遠いこと丈は確かでございます。街道の入口の辺から前方を眺めても、霞が一帯にかかっていて、何も眼に入りませぬが、しばらく過ぎると有るか無きかのように、薄っすりと山の影らしいものが現われ、それから又しばらく過ぎると、何やらほんのりと丹塗りの門らしいものが眼に映ります。その辺からでも竜宮の御殿まではまだ半里位はたっぷりあるのでございます……。何分絵心も何も持ち合わせない私の力では、何のとりとめたお話もできないのが、大へんに残念でございます。あの美しい道中の眺めの、せめて十分の一なりとも皆様にお伝えしたいのでございますが……。 二十二、唐風の御殿  しばらくしてから私はとうとう竜宮界の御門の前に立っていましたが、それにしても私は四辺の光景があまりにも現実的なのをむしろ意外に思ったのでございました。お爺さんの御話から考えて見ましても、竜宮はドウやら一の蜃気楼、乙姫様の思召でかりそめに造り上げられる一の理想の世界らしく思われますのに、実地に当って見ますと、それはどこにあぶなげのない、いかにもがッしりとした、正真正銘の現実の世界なのでございます。『若しもこれが蜃気楼なら世の中に蜃気楼でないものは一つもありはしない……。』私は心の中でそう考えたのでございました。  竜宮界の大体の見た感じでございますが──さァ一と口に申したら、それはお社と言うよりかも、寧ろ一つの大きな御殿と言った感じ、つまり人間味が、たっぷりしているのでございます。そして何処やらに唐風なところがあります。先ずその御門でございますが、屋根は両端が上方にしゃくれて、大そう光沢のある、大型の立派な瓦で葺いてあります。門柱その他はすべて丹塗り、別に扉はなく、その丸味のついた入口からは自由に門内の模様が窺われます。あたりには別に門衛らしいものも見掛けませんでした。  で、私は思い切ってその門をくぐって行きましたが、門内は見事な石畳みの舗道になって居り、あたりに塵一つ落ちて居りませぬ。そして両側の広々としたお庭には、形の良い松その他が程よく植え込みになって居り、奥はどこまであるか、ちょっと見当がつかぬ位でございます。大体は地上の庭園とさしたる相違もございませぬが、ただあんなにも冴えた草木の色、あんなにも香ばしい土の匂いは、地上の何所にも見受けることはできませぬ。こればかりは実地に行って見るより外に、描くべき筆も、語るべき言葉もあるまいと考えられます。  御門から御殿まではどの位ありましょうか、よほど遠かったように思われます。御殿の玄関は黒塗りの大きな式台造り、そして上方の庇、柱、長押などは皆眼のさめるような丹塗り、又壁は白塗りでございますから、すべての配合がいかにも華美で、明朗で、眼がさめるように感じられました。  私はそこですっかり身づくろいを直しました。むろん心でただそう思いさえすればそれで宜しいので、そうすると今までの旅装束がその場できちんとした謁見の服装に変るのでございます。そんな事でもできなければ、たッた一人で、腰元も連れずに、竜宮の乙姫さまをお訪ねすることはできはしませぬ。 『御免くださいませ……。』  私は思い切ってそう案内を乞いました。すると、年の頃十五位に見える、一人の可愛らしい小娘がそこへ現われました。服装は筒袖式の桃色の衣服、頭髪を左右に分けて、背部の方でくるくるとまるめて居るところは、何う見ても御国風よりは唐風に近いもので、私はそれが却って妙に御殿の構造にしっくりと当てはまって、大へん美しいように感ぜられました。 『私は小櫻と申すものでございますが、こちらの奥方にお目通りをいたし度く、わざわざお訪ねいたしました……。』  乙姫様とお呼び申すのも何やらおかしく、さりとて神様の御名を申上ぐるのも、何やら改まり過ぎるように感じられ、ツイうっかり奥方と申上げて了いました。こちらへ来ても矢張り私には現世時代の呼び癖がついてまわって居たものと見えます。それでも取次ぎの小娘には私の言葉がよく通じたらしく、『承知致しました。少々お待ちくださいませ。』と言って、踵をかえして急いで奥へ入って行きました。 『乙姫様に首尾よくお目通りが叶うかしら……。』  私は多少の不安を感じながら玄関前に佇みました。 二十三、豐玉姫と玉依姫  間もなく以前の小娘が再び現われました。 『何うぞおあがりくださいませ……。』  言われるままに私は小娘に導かれて、御殿の長い長い廊下を幾曲り、ずっと奥まれる一と間に案内されました。室は十畳許りの青畳を敷きつめた日本間でございましたが、さりとて日本風の白木造りでもありませぬ。障子、欄間、床柱などは黒塗り、又縁の欄干、庇、その他造作の一部は丹塗り、と言った具合に、とてもその色彩が複雑で、そして濃艶なのでございます。又お床の間には一幅の女神様の掛軸がかかって居り、その前には陶器製の竜神の置物が据えてありました。その竜神が素晴らしい勢で、かっと大きな口を開けて居たのが今も眼の前に残って居ります。  開け放った障子の隙間からはお庭もよく見えましたが、それが又手数の込んだ大そう立派な庭園で、樹草泉石のえも言われぬ配合は、とても筆紙につくせませぬ。京の銀閣寺、金閣寺の庭園も数奇の限りを尽した、大そう贅沢なものとかねてきき及んで居りますので、或る時私はこちらからのぞいて見たことがございますが、竜宮界のお庭に比べるとあれなどはとても段違いのように見受けられました。いかに意匠をこらしても、矢張り現世は現世だけの事しかできないものと見えます……。  ナニそのお室で乙姫様にお目にかかったか、と仰ッしゃるか──ホホホ大そうお待ち兼ねでございますこと……。ではお庭の話などはこれで切り上げて、早速乙姫様にお目通りをしたお話に移りましょう。──尤も私がその時お目にかかりましたのは、玉依姫様の方で、豐玉姫様ではございませぬ。申すまでもなく竜宮界で第一の乙姫様と仰ッしゃるのが豐玉姫様、第二の乙姫様が玉依姫様、つまりこの両方は御姉妹の間柄ということになって居るのでございますが、何分にも竜宮界の事はあまりにも奥が深く、私にもまだ御両方の関係がよく判って居りませぬ。お二人が果して本当に御姉妹の間柄なのか、それとも豐玉姫の御分霊が玉依姫でおありになるのか、何うもその辺がまだ充分私の腑に落ちないのでございます。ただしそれが何うあろうとも、この御二方が切っても切れぬ、深い因縁の姫神であらせられることは確かでございます。私は其の後幾度も竜宮界に参り、そして幾度も御両方にお目にかかって居りますので、幾分その辺の事情には通じて居るつもりでございます。  この豐玉姫様と言われる御方は、第一の乙姫様として竜宮界を代表遊ばされる、尊い御方だけに、矢張りどことなく貫禄がございます。何となく、竜宮界の女王様と言った御様子が自然にお躯に備わって居られます。お年齢は二十七八又は三十位にお見受けしますが、もちろん神様に実際のお年齢はありませぬ。ただ私達の眼にそれ位に拝まれるというだけで……。それからお顔は、どちらかといえば下ぶくれの面長、眼鼻立ちの中で何所かが特に取り立てて良いと申すのではなしに、どこもかしこもよく整った、まことに品位の備わった、立派な御標致、そしてその御物越しは至ってしとやか、私どもがどんな無躾な事柄を申上げましても、決してイヤな色一つお見せにならず、どこまでも親切に、いろいろと訓えてくださいます。その御同情の深いこと、又その御気性の素直なことは、どこの世界を捜しても、あれ以上の御方が又とあろうとは思われませぬ。それでいて、奥の方には凛とした、大そうお強いところも自ずと備わっているのでございます。  第二の乙姫様の方は、豐玉姫様に比べて、お年齢もずっとお若く、やっと二十一か二か位に思われます。お顔はどちらかといえば円顔、見るからに大そうお陽気で、お召物などはいつも思い切った華美造り、丁度桜の花が一時にぱっと咲き出でたというような趣がございます。私が初めてお目にかかった時のお服装は、上衣が白の薄物で、それに幾枚かの色物の下着を襲ね、帯は前で結んでダラリと垂れ、その外に幾条かの、ひらひらした長いものを捲きつけて居られました。これまで私どもの知っている服装の中では、一番弁天様のお服装に似て居るように思われました。  兎に角この両方は竜宮界切っての花形であらせられ、お顔もお気性も、何所やら共通の所があるのでございますが、しかし引きつづいて、幾代かに亘りて御分霊を出して居られる中には、御性質の相違が次第次第に強まって行き、末の人間界の方では、豐玉姫系と玉依姫系との区別が可なりはっきりつくようになって居ります。概して豐玉姫の系統を引いたものは、あまりはしゃいだところがなく、どちらかといえばしとやかで、引込思案でございます。これに反して玉依姫系統の方は至って陽気で、進んで人中にも出かけてまいります。ただ人並みすぐれて情義深いことは、お両方に共通の美点で、矢張り御姉妹の血筋は争われないように見受けられます……。  あれ、又しても話が側路へそれて先走って了いました。これから後へ戻って、私が初めて玉依姫様にお目にかかった時の概況を申上げることに致しましょう。 二十四、なさけの言葉  先刻も申上げたとおり、私は小娘に導かれて、あの華麗な日本間に通され、そして薄絹製の白の座布団を与えられて、それへ坐ったのでございますが、不図自分の前面のところを見ると、そこには別に一枚の花模様の厚い座布団が敷いてあるのに気づきました。『きっと乙姫様がここへお坐りなさるのであろう。』──私はそう思いながら、乙姫様に何と御挨拶を申上げてよいか、いろいろと考え込んで居りました。  と、何やら人の気配を感じましたので頭をあげて見ますと、天から降ったか、地から湧いたか、モーいつの間にやら一人の眩いほど美しいお姫様がキチンと設けの座布団の上にお坐りになられて、にこやかに私の事を見守ってお出でなさるのです。私はこの時ほどびっくりしたことはめったにございませぬ。私は急いで座布団を外して、両手をついて叩頭をしたまま、しばらくは何と御挨拶の言葉も口から出ないのでした。  しかし、玉依姫様の方では何所までも打解けた御様子で、尊い神様と申上げるよりはむしろ高貴の若奥方と言ったお物越しで、いろいろと優しいお言葉をかけくださるのでした。── 『あなたが竜宮へお出でなさることは、かねてからお通信がありましたので、こちらでもそれを楽しみに大へんお待ちしていました。今日はわたくしが代ってお逢いしますが、この次ぎは姉君様が是非お目にかかるとの仰せでございます。何事もすべてお心易く、一切の遠慮を棄てて、訊くべきことは訊き、語るべきことは語ってもらいます。あなた方が地の世界に降り、いろいろと現界の苦労をされるのも、つまりは深き神界のお仕組で、それがわたくし達にも又となき良い学問となるのです。きけばドウやらあなたの現世の生活も、なかなか楽なものではなかったようで……。』  いかにもしんみりと、溢るるばかりの同情を以て、何くれと話しかけてくださいますので、いつの間にやら私の方でも心の遠慮が除り去られ、丁度現世で親しい方と膝を交えて、打解けた気分でよもやまの物語に耽ると言ったようなことになりました。帰幽以来何十年かになりますが、私が斯んな打寛いだ、なごやかな気持を味わったのは実にこの時が最初でございました。  それから私は問われるままに、鎌倉の実家のこと、嫁入りした三浦家のこと、北條との戦闘のこと、落城後の侘住居のことなど、有りのままにお話ししました。玉依姫様は一々首肯きながら私の物語に熱心に耳を傾けてくだされ、最後に私が独りさびしく無念の涙に暮れながら若くて歿ったことを申上げますと、あの美しいお顔をばいとど曇らせて涙さえ浮べられました。── 『それはまァお気毒な……あなたも随分つらい修行をなさいました……。』  たッた一と言ではございますが、私はそれをきいて心から難有いと思いました。私の胸に積り積れる多年の鬱憤もドウやらその御一言できれいに洗い去られたように思いました。 『斯んなお優しい神様にお逢いすることができて、自分は何と幸福な身の上であろう。自分はこれから修行を積んで、斯んな立派な神様のお相手をしてもあまり恥かしくないように、一時も早く心の垢を洗い浄めねばならない……。』  私は心の底で固くそう決心したのでした。 二十五、竜宮雑話  一と通り私の身上噺が済んだ時に、今度は私の方から玉依姫様にいろいろの事をお訊ねしました。何しろ竜宮界の初上り、何一つ弁えてもいない不束者のことでございますから、随分つまらぬ事も申上げ、あちらではさぞ笑止に思召されたことでございましたろう。何をお訊ねしたか、今ではもう大分忘れて了いましたが、標本のつもりで一つ二つ想い出して見ることに致しましょう。  真先きに私がお訊ねしたのは浦島太郎の昔噺のことでございました。── 『人間の世界には、浦島太郎という人が竜宮へ行って乙姫さまのお婿様になったという名高いお伽噺がございますが、あれは実際あった事柄なのでございましょうか……。』  すると玉依姫様はほほとお笑い遊ばしながら、斯う訓えてくださいました。── 『あの昔噺が事実そのままでないことは申すまでもなけれど、さりとて全く跡方もないというのではありませぬ。つまり天津日継の皇子彦火々出見命様が、姉君の御婿君にならせられた事実を現世の人達が漏れきいて、あんな不思議な浦島太郎のお伽噺に作り上げたのでございましょう。最後に出て来る玉手箱の話、あれも事実ではありませぬ。別にこの竜宮に開ければ紫の煙が立ちのぼる、玉手箱と申すようなものはありませぬ。あなたもよく知るとおり、神の世界はいつまで経っても、露かわりのない永遠の世界、彦火々出見命様と豐玉姫様は、今も昔と同じく立派な御夫婦の御間柄でございます。ただ命様には天津日継の大切な御用がおありになるので、めったに御夫婦揃ってこの竜宮界にお寛ぎ遊ばすことはありませぬ。現に只今も命様には何かの御用を帯びて御出ましになられ、乙姫様は、ひとりさびしくお不在を預かって居られます。そんなところが、あのお伽噺のつらい夫婦の別離という趣向になったのでございましょう……。』  そう言って玉依姫には心持ちお顔を赧く染められました。  それから私は斯んな事もお訊きしました。── 『斯うして拝見致しますと竜宮は、いかにもきれいで、のんきらしく結構に思われますが、矢張り神様にもいろいろつらい御苦労がおありなさるのでございましょう?』 『よい所へお気がついてくれました。』と玉依姫様は大そうお歓びになってくださいました。 『寛いで他にお逢いする時には、斯んな奇麗な所に住んで、斯んな奇麗な姿を見せて居れど、わたくし達とていつも斯うしてのみはいないのです。人間の修行もなかなか辛くはあろうが、竜神の修行とて、それにまさるとも劣るものではありませぬ。現世には現世の執着があり、霊界には霊界の苦労があります。わたくしなどは今が修行の真最中、寸時もうかうかと遊んでは居りませぬ。あなたは今斯うしている私の姿を見て、ただ一人のやさしい女性と思うであろうが、実はこれは人間のお客様を迎える時の特別の姿、いつか機会があったら、私の本当の姿をお見せすることもありましょう。兎に角私達の世界にはなかなか人間に知られない、大きな苦労があることをよく覚えていてもらいます。それがだんだん判ってくれば、現世の人間もあまり我侭を申さぬようになりましょう……。』  こんな真面目なお話をなさる時には、玉依姫様のあの美しいお顔がきりりと引きしまって、まともに拝むことができないほど神々しく見えるのでした。  私がその日玉依姫様から伺ったことはまだまだ沢山ございますが、それはいつか別の機会にお話しすることにして、ただ爰で是非附け加えて置きたいことが一つございます。それは玉依姫の霊統を受けた多くの女性の中に弟橘姫が居られることでございます。『あの人はわたくしの分霊を受けて生まれたものであるが、あれが一ばん名高くなって居ります……。』そう言われた時には大そうお得意の御模様が見えていました。  一と通りおききしたいことをおききしてから、お暇乞いをいたしますと『又是非何うぞ近い中に……。』という有難いお言葉を賜わりました。私は心から朗かな気分になって、再び例の小娘に導かれて玄関に立ち出で、そこからはただ一気に途中を通過して、無事に自分の山の修行場に戻りました。 二十六、良人との再会  前回の竜宮行のお話は何となく自分にも気乗りがいたしましたが、今度はドーも億劫で、気おくれがして、成ろうことなら御免を蒙りたいように感じられてなりませぬ。帰幽後生前の良人との初対面の物語……婦女の身にとりて、これほどの難題はめったにありませぬ。さればとて、それが話の順序であれば、無理に省いて仕舞う訳にもまいりませず、本当に困って居るのでございまして……。ナニ成るべく詳しく有りのままを話せと仰っしゃるか。そんなことを申されると、尚更談話がし難くなって了います。修行未熟な、若い夫婦の幽界に於ける初めての会合──とても他人さまに吹聴するほど立派なものでないに決って居ります。おきき苦しい点は成るべく発表なさらぬようくれぐれもお依みして置きます……。  いつかも申上げた通り、私がこちらの世界へ参りましたのは、良人よりも一年余り遅れて居りました。後で伺いますと、私が死んだことはすぐ良人の許に通知があったそうでございますが、何分当時良人はきびしい修行の真最中なので、自分の妻が死んだとて、とてもすぐ逢いに行くというような、そんな女々しい気分にはなれなかったそうでございます。私は又私で、何より案じられるのは現世に残して置いた両親のことばかり、それに心を奪われて、自分よりも先へ死んで了っている良人のことなどはそれほど気にかからないのでした。『時節が来たら何れ良人にも逢えるであろう……。』そんな風にあっさり考えていたのでした。  右のような次第で、帰幽後随分永い間、私達夫婦は分れ分れになったきりでございました。むろん、これがすべての男女に共通のことなのか何うかは存じませぬ。これはただ私達がそうであったと申す丈のことで……。  そうする中に私は岩屋の修行場から、山の修行場に進み、やがて竜宮界の訪問も済んだ頃になりますと、私のような執着の強い婦女にも、幾分安心ができて来たらしいのが自覚されるようになりました。すると、こちらからは別に何ともお願いした訳でも何でもないのに、ある日突然神様から良人に逢わせてやると仰せられたのでございます。『そろそろ逢ってもよいであろう。汝の良人は汝よりもモー少し心の落付きができて来たようじゃ……。』指導役のお爺さんが、いとどまじめくさってそんなことを言われるので、私は気まりが悪くて仕方がなく、覚えず顔を真紅に染めて、一たんはお断りしました。── 『そんなことはいつでも宜しうございます。修行の後戻りがすると大変でございますから……。』 『イヤイヤ一度は逢わせることに、先方の指導霊とも手筈をきめて置いてある。良人と逢った位のことで、すぐ後戻りするような修行なら、まだとても本物とは言われぬ。斯んなことをするのも、矢張り修行の一つじゃ。神として無理にはすすめぬから、有りのままに答えるがよい。何うじゃ逢って見る気はないか?』 『それでは、宜しきようにお願いいたしまする……。』  とうとう私はお爺さんにそう御返答をして了いました。 二十七、会合の場所  私の修行場を少し下へ降りた山の半腹に、小ぢんまりとした一つの平地がございます。周囲には程よく樹木が生えて、丁度置石のように自然石があちこちにあしらってあり、そして一面にふさふさした青苔がぎっしり敷きつめられて居るのです。そこが私達夫婦の会合の場所と決められました。  あなたも御承知の通り、こちらの世界では、何をやるにも、手間暇間は要りません。思い立ったが吉日で、すぐに実行に移されて行きます。 『話が決った上は、これからすぐに出掛けるとしよう……。』  お爺さんは眉一つ動かされず、済まし切って先きに立たれますので、私も黙ってその後について出掛けましたが、しかし私の胸の裡は千々に砕けて、足の運びが自然遅れ勝ちでございました。  申すまでもなく、十幾年の間現世で仲よく連れ添った良人と、久しぶりで再会するというのでございますから、私の胸には、夫婦の間ならでは味われぬ、あの一種特別のうれしさが急にこみ上げて来たのは事実でございます。すべて人間というものは死んだからと言って、別にこの夫婦の愛情に何の変りがあるものではございませぬ。変っているのはただ肉体の有無だけ、そして愛情は肉体の受持ではないらしいのでございます。  が、一方にかくうれしさがこみあぐると同時に、他方には何やら空恐ろしいような感じが強く胸を打つのでした。何にしろここは幽界、自分は今修行の第一歩をすませて、現世の執着が漸くのことで少しばかり薄らいだというまでのよくよくの未熟者、これが幾十年ぶりかで現世の良人に逢った時に、果して心の平静が保てるであろうか、果して昔の、あの醜しい愚痴やら未練やらが首を擡げぬであろうか……何う考えて見ても自分ながら危ッかしく感じられてならないのでした。  そうかと思うと、私の胸のどこやらには、何やら気まりがわるくてしょうのないところもあるのでした。久し振りで良人と顔を合わせるのも気まりがわるいが、それよりも一層恥かしいのは神さまの手前でした。あんな素知らぬ顔をして居られても、一から十まで人の心の中を洞察かるる神様、『この女はまだ大分娑婆の臭みが残っているナ……。』そう思っていられはせぬかと考えると、私は全く穴へでも入りたいほど恥かしくてならないのでした。  それでも予定の場所に着く頃までには、少しは私の肚が据ってまいりました。『縦令何事ありとも涙は出すまい。』──私は固くそう決心しました。  先方へついて見ると、良人はまだ来て居りませんでした。 『まあよかった……。』その時私はそう思いました。いよいよとなると、矢張りまだ気おくれがして、少しでも時刻を延ばしたいのでした。  お爺さんはと見れば何所に風が吹くと言った面持で、ただ黙々として、あちらを向いて景色などを眺めていられました。 二十八、昔語り  良人がいよいよ来着したのは、それからしばしの後で、私が不図側見をした瞬間に、五十余りと見ゆる一人の神様に附添われて、忽然として私のすぐ前面に、ありし日の姿を現わしたのでした。 『あッ矢張り元の良人だ……。』  私は今更ながら生死の境を越えて、少しも変っていない良人の姿に驚嘆の眼を見張らずにはいられませんでした。服装までも昔ながらの好みで、鼠色の衣裳に大紋打った黒の羽織、これに袴をつけて、腰にはお定まりの大小二本、大へんにきちんと改った扮装なのでした。  これが現世での出来事だったら、その時何をしたか知れませぬが、さすがに神様の手前、今更取り乱したところを見られるのが恥かしうございますから、私は一生懸命になって、平気な素振をしていました。良人の方でも少しも弱味を見せず、落付払った様子をしていました。  しばし沈黙がつづいた後で、私から言葉をかけました。── 『お別れしてから随分長い歳月を経ましたが、図らずも今ここでお目にかかることができまして、心から嬉しうございます。』 『全く今日は思い懸けない面会であった。』と良人もやがて武人らしい、重い口を開きました。 『あの折は思いの外の乱軍、訣別の言葉一つかわす隙もなく、あんな事になって了い、そなたも定めし本意ないことであったであろう……。それにしてもそなたが、斯うも早くこちらの世界へ来るとは思わなかった。いつまでも安泰に生き長らえて居てくれるよう、自分としては蔭ながら祈願していたのであったが、しかし過ぎ去ったことは今更何とも致方がない。すべては運命とあきらめてくれるよう……。』  飾気のない良人の言葉を私は心からうれしいと思いました。 『昔の事はモー何とも仰っしゃってくださいますな。あたにお別れしてからの私は、お墓参りが何よりの楽しみでございましたが、矢張り寿命と見えて、直にお後を慕うことになりました。一時の間こそ随分くやしいとも、悲しいとも思いましたが、近頃は、ドーやらあきらめがつきました。そして思いがけない今日のお目通り、こんなうれしい事はございませぬ……。』  かれこれと語り合っている中にも、お互の心は次第次第に融け合って、さながらあの思出多き三浦の館で、主人と呼び、妻と呼ばれて、楽しく起居を偕にした時代の現世らしい気分が復活して来たのでした。 『いつまで立話しでもなかろう。その辺に腰でもかけるとしようか。』 『ほんにそうでございました。丁度ここに手頃の腰掛けがございます。』  私達は三尺ほど隔てて、右と左に並んでいる、木の切株に腰をおろしました。そこは監督の神様達もお気をきかせて、あちらを向いて、素知らぬ顔をして居られました。  対話はそれからそれへとだんだん滑かになりました。 『あなたは生前と少しもお変りがないばかりか、却って少しお若くなりはしませぬか。』 『まさかそうでもあるまいが、しかしこちらへ来てから何年経っても年齢を取らないというところが不思議じゃ。』と良人は打笑い、『それにしてもそなたは些と老けたように思うが……。』 『あなたとお別れしてから、いろいろ苦労をしましたので、自然窶が出たのでございましょう。』 『それは大へん気の毒なことであった。が、斯うなっては最早苦労のしようもないから、その中自然元気が出て来るであろう。早くそうなってもらいたい。』 『承知致しました。みっちり修行を積んで、昔よりも若々しくなってお目にかけます……。』  さして取りとめのない事柄でも、斯うして親しく語り合って居りますと、私達の間には言うに言われぬ楽しさがこみ上げて来るのでした。 二十九、身上話  ここで一つ変っているのは、私達が殆んど少しも現世時代の思い出話をしなかったことで、若しひょっとそれを行ろうとすると、何やら口が填って了うように感じられるのでした。  で、自然私達の対話は死んでから後の事柄に限られることになりました。私が真先きに訊いたのは良人の死後の自覚の模様でした。── 『あなたがこちらでお気がつかれた時はどんな塩梅でございましたか?』 『俺は実はそなたの声で眼を覚ましたのじゃ。』と良人はじっと私を見守り乍らポツリポツリ語り出しました。『そなたも知る通り、俺は自尽して果てたのじゃが、この自殺ということは神界の掟としてはあまりほめたことではないらしく、自殺者は大抵皆一たんは暗い所へ置かれるものらしい。俺も矢張りその仲間で、死んでからしばらくの間何事も知らずに無我夢中で日を過した。尤も俺のは、敵の手にかからない為めの、言わば武士の作法に協った自殺であるから、罪は至って軽かったようで、従って無自覚の期間もそう長くはなかったらしい。そうする中にある日不図そなたの声で名を呼ばれるように感じて眼を覚ましたのじゃ。後で神様から伺えば、これはそなたの一心不乱の祈願が、首尾よく俺の胸に通じたものじゃそうで、それと知った時の俺のうれしさはどんなであったか……。が、それは別の話、あの時は何をいうにも四辺が真暗でどうすることもできず、しばらく腕を拱いてぼんやり考え込んでいるより外に道がなかった。が、その中うっすりと光明がさして来て、今日送って来てくだされた、あのお爺さんの姿が眼に映った。ドーじゃ、眼が覚めたか?──そう言葉をかけられた時のうれしさ! 俺はてっきり自分を救ってくれた恩人であろうと思って、お名前は? と訊ねると、お爺さんはにっこりして、汝は最早現世の人間ではない。これから俺の申すところをきいて、十分に修行を積まねばならぬ。俺は産土の神から遣わされた汝の指導者である、と申しきかされた。その時俺ははっとして、これは最う愚図愚図していられないと思った。それから何年になるか知れぬが、今では少し幽界の修行も積み、明るい所に一軒の家屋を構えて住わして貰っている……。』  私は良人の素朴な物語を大へんな興味を以てききました。殊に私の生存中の心ばかりの祈願が、首尾よく幽明の境を越えて良人の自覚のよすがとなったというのが、世にもうれしい事の限りでした。  入れ代って今度は良人の方で、私の経歴をききたいということになりました。で、私は今丁度あなたに申上げるように、帰幽後のあらましを物語りました。私が生きている時から霊視がきくようになり、今では坐ったままで何でも見えると申しますと、『そなたは何と便利なものを神様から授っているであろう!』と良人は大へんに驚きました。又私がこちらで愛馬に逢った話をすると、『あの時は、そなたの希望を容れないで、勝手な名前をつけさせて大へんに済まなかった。』と良人は丁寧に詫びました。その外さまざまの事がありますが、就中良人が非常に驚きましたのは私の竜宮行の物語でした。『それは飛んでもない面白い話じゃ。ドーもそなたの方が俺よりも資格がずっと上らしいぞ。俺の方が一向ぼんやりしているのに、そなたはいろいろ不思議なことをしている……。』と言って、大そう私を羨ましがりました。私も少し気の毒気味になり、『すべては霊魂の関係から役目が異うだけのもので、別に上下の差がある訳ではないでしょう。』と慰めて置きました。  私達はあまり対話に身が入って、すっかり時刻の経つのも忘れていましたが、不図気がついて見ると何処へ行かれたか、二人の神さん達の姿はその辺に見当らないのでした。  私達は期せずして互に眼と眼を見合わせました。 三十、永遠の愛  思い切って私はここに懺悔しますが、四辺に神さん達の眼が見張っていないと感付いた時に、私の心が急にむらむらとあらぬ方向へ引きづられて行ったことは事実でございます。 『久しぶりでめぐり合った夫婦の仲だもの、せめて手の先尖位は触れても見たい……。』  私の胸はそうした考えで、一ぱいに張りつめられて了いました。  物堅い良人の方でも、うわべはしきりに耐え耐えて居りながら、頭脳の内部は矢張りありし昔の幻影で充ち充ちているのがよく判るのでした。  とうとう堪えきれなくなって、私はいつしか切株から離れ、あたかも磁石に引かれる鉄片のように、一歩良人の方へと近づいたのでございます……。  が、その瞬間、私は急に立ち止って了いました。それは今まではっきりと眼に映っていた良人の姿が、急にスーッと消えかかったのに驚かされたからでございます。 『この眼がどうかしたのかしら……。』  そう思って、一歩退いて見直しますと、良人は矢張り元の通りはっきりした姿で、切株に腰かけて居るのです。  が、再び一歩前へ進むと、又もやすぐに朦朧と消えかかる……。  二度、三度、五度、幾度くりかえしても同じことなのです。  いよいよ駄目と悟った時に、私はわれを忘れてその場に泣き伏して了いました……。         ×      ×      ×      × 『何うじゃ少しは悟れたであろうが……。』  私の肩に手をかけて、そう言われる者があるので、びっくりして涙の顔をあげて振り返って見ますと、いつの間に戻られたやら、それは私の指導役のお爺さんなのでした。私はその時穴があったら入りたいように感じました。 『最初から申しきかせた通り、一度逢った位ですぐ後戻りする修行はまだ本物とは言われない。』とお爺さんは私達夫婦に向って諄々と説ききかせて下さるのでした。『汝達には、姿はあれど、しかしそれは元の肉体とはまるっきり異ったものじゃ。強いて手と手を触れて見たところで、何やらかさかさとした、丁度張子細工のような感じがするばかり、そこに現世で味わったような甘味も面白味もあったものではない。尚お汝は先刻、良人の後について行って、昔ながらの夫婦生活でも営みたいように思ったであろうが……イヤ隠しても駄目じゃ、神の眼はどんなことでも見抜いているから……しかしそんな考えは早くすてねばならぬ。もともと二人の住むべき境涯が異っているのであるから、無理にそうした真似をしても、それは丁度鳥と魚とが一緒に住おうとするようなもので、ただお互に苦しみを増すばかりじゃ。そち達は矢張り離れて住むに限る。──が、俺が斯う申すのは、決して夫婦間の清い愛情までも棄てよというのではないから、その点は取り違いをせぬように……。陰陽の結びは宇宙万有の切っても切れぬ貴い御法則、いかに高い神々とてもこの約束からは免れない。ただその愛情はどこまでも浄められて行かねばならぬ。現世の夫婦なら愛と欲との二筋で結ばれるのも止むを得ぬが、一たん肉体を離れた上は、すっかり欲からは離れて了わねばならぬ。そち達は今正にその修行の真最中、少し位のことは大目に見逃がしてもやるが、あまりにそれに走ったが最後、結局幽界の落伍者として、亡者扱いを受け、幾百年、幾千年の逆戻りをせねばならぬ。俺達が受持っている以上、そち達に断じてそんな見苦しい真似わさせられぬ。これからそち達はどこまでも愛し合ってくれ。が、そち達はどこまでも浄い関係をつづけてくれ……。』         ×      ×      ×      ×  それから少時の後、私達はまるで生れ変ったような、世にもうれしい、朗かな気分になって、右と左とに袂を別ったことでございました。  ついでながら、私と私の生前の良人との関係は今も尚お依然として続いて居り、しかもそれはこのまま永遠に残るのではないかと思われます。が、むろんそれが互に許し合った魂と魂との浄き関係であることは、改めて申上げるまでもないと存じます。 三十一、香織女  良人との再会の模様を物語りました序に、同じ頃私がこちらで面会を遂げた二三の人達のお話をつづけることに致しましょう。縁もゆかりもない今の世の人達には、さして興味もあるまいと思いますが、私自身には、なかなか忘れられない事柄だったのでございます。  その一つは私がまだ実家に居た頃、腰元のようにして可愛がって居た、香織という一人の女性との会合の物語でございます。香織は私よりは年齢が二つ三つ若く、顔立はあまり良くもありませぬが、眼元の愛くるしい、なかなか悧溌な児でございました。身元は長谷部某と呼ぶ出入りの徒士の、たしか二番目の娘だったかと覚えて居ります。  私が三浦へ縁づいた時に、香織は親元へ戻りましたが、それでも所中鎌倉からはるばる私の所へ訪ねてまいり、そして何年経っても私の事を『姫さま姫さま』と呼んで居りました。その中香織も縁あって、鎌倉に住んでいる、一人の侍の許に嫁ぎ、夫婦仲も大そう円満で、その間に二人の男の児が生れました。気質のやさしい香織は大へんその子供達を可愛がって、三浦へまいる時は、一緒に伴て来たことも幾度かありました。  そんな事はまるで夢のようで、詳しい事はすっかり忘れましたが、ただ私が現世を離れる前に、香織から心からの厚い看護を受けた事丈は、今でも深く深く頭脳の底に刻みつけられて居ります。彼女は私の母と一緒に、例の海岸の私の隠れ家に詰め切って、それはそれは親身になってよく尽してくれ、私の病気が早く治るようにと、氏神様へ日参までしてくれるのでした。  ある日などは病床で香織から頭髪を解いて貰ったこともございました。私の頭髪は大へんに沢山で、日頃母の自慢の種でございましたが、その頃はモー床に就き切りなので、見る影もなくもつれて居ました。香織は櫛で解かしながらも、『折角こうしてきれいにしてあげても、このままつくねて置くのが惜しい。』と言ってさんざんに泣きました。傍で見ていた母も、『モー一度治って、晴衣を着せて見たい……。』と言って、泣き伏して了いました。斯んな話をしていると、私の眼には今でもその場の光景が、まざまざと映ってまいります……。  いよいよ最う駄目と観念しました時に、私は自分が日頃一ばん大切にしていた一襲の小袖を、形見として香織にくれました。香織はそれを両手にささげ、『たとえお別れしても、いつまでもいつまでも姫さまの紀念に大切に保存いたします……。』と言いながら、声も惜まず泣き崩れました。が、私の心は、モーその時分には、思いの外に落付いて了って、現世に別れるのがそう悲しくもなく、黙って眼を瞑ると、却って死んだ良人の顔がスーッと眼前に現われて来るのでした。  兎に角こんなにまで深い因縁のあった女性でございますから、こちらの世界へ来ても矢張り私のことを忘れない筈でございます。ある日私が御神前で統一の修行をして居りますと、急に躯がぶるぶると慓えるように感じました。何気なく背後を振り返って見ると、年の頃やや五十許と見ゆる一人の女性が坐って居りました。それが香織だったのでございます。 三十二、無理な願 『何やら昔の香織らしい面影が残って居れど、それにしては随分老け過ぎている……。』私が、そう考えて躊躇して居りますと、先方では、さも待ち切れないと言った様子で、膝をすり寄せてまいりました。── 『姫さまわたくしをお忘れでございますか……香織でございます……。』 『矢張りそうであったか。──私はそなたがまだ息災で現世に暮して居るものとばかり思っていました。一たいいつ歿ったのじゃ……。』 『もう、かれこれ十年位にもなるでございましょう。私のようなつまらぬものは、とてもこちらで姫さまにお目にかかれまいとあきらめて居りましたが、今日図らずも念願がかない、こんなうれしいことはございませぬ。よくまァ御無事で……些ッとも姫さまは往時とお変りがございませぬ。お懐かしう存じます……。』現世らしい挨拶をのべながら、香織はとうとう私の躯にしがみついて、泣き入りました。私もそうされて見れば、そこは矢張り人情で、つい一緒になって泣いて了いました。  心の昂奮が一応鎮まってから、私達の間には四方八方の物語が一しきりはずみました。── 『そなたは一たい、何処が悪くて歿ったのじゃ?』 『腹部の病気でございました。針で刺されるようにキリキリと毎日悩みつづけた末に、とうとうこんなことになりまして……。』 『それは気の毒であったが、何うしてそなたの死ぬことが、私の方へ通じなかったのであろう……。普通なら臨終の思念が感じて来ない筈はないと思うが……。』 『それは皆わたくしの不心得の為めでございます。』と香織は面目なげに語るのでした。『日頃わたくしは、死ねば姫さまの形見の小袖を着せてもらって、すぐお側に行ってお仕えするのだなどと、口癖のように申していたのでございますが、いざとなってさッぱりそれを忘れて了ったのでございます。どこまでも執着の強い私は、自分の家族のこと、とりわけ二人の子供のことが気にかかり、なかなか死切れなかったのでございます。こんな心懸の良くない女子の臨終の通報が、どうして姫さまのお許にとどく筈がございましょう。何も彼も皆私が悪かった為めでございます。』  正直者の香織は、涙ながらに、臨終に際して、自分の心懸の悪かったことをさんざん詫びるのでした。しばらくして彼女は言葉をつづけました。── 『それでもこちらへ来て、いろいろと神様からおさとしを受けたお蔭で、わたくしの現世の執着も次第に薄らぎ、今では修行も少し積みました。が、それにつれて、日ましに募って来るのは姫さまをお慕い申す心で、こればかりは何うしても我慢がしきれなくなり、幾度神様に、逢わせていただきたいとお依みしたか知れませぬ。でも神さまは、まだ早い早いと仰せられ、なかなかお許しが出ないのでございます。わたくしはあまりのもどかしさに、よくないことと知りながらもツイ神様に喰ってかかり、さんざん悪口を吐いたことがございました。それでも神様の方では、格別お怒りにもならず、内々姫さまのところをお調べになって居られたものと見えまして、今度いよいよ時節が来たとなりますと、御自身で私を案内して、連れて来て下すったのでございます。──姫さま、お願いでございます、これからは、どうぞお側にわたくしを置いてくださいませ。わたくしは、昔のとおり姫さまのお身のまわりのお世話をして上げたいのでございます……。』  そう言って香織は又もや私に縋りつくのでした。  これには私もほとほと持ちあつかいました。 『神界の掟としてそればかりは許されないのであるが……。』 『それは又何ういう訳でございますか? わたくしは是非こちらへ置いて戴きたいのでございます。』 『それは現世ですることで、こちらの世界では、そなたも知る通り、衣服の着がえにも、頭髪の手入にも、少しも人手は要らぬではないか。それに何とも致方のないのはそれぞれの霊魂の因縁、めいめいきちんと割り当てられた境涯があるので、たとえ親子夫婦の間柄でも、自分勝手に同棲することはできませぬ。そなたの芳志はうれしく思いますが、こればかりはあきらめてたもれ。逢おうと思えばいつでも逢える世界であるから何処に住まなければならぬということはない筈じゃ。それほど私のことを思ってくれるのなら、そんな我侭を言うかわりに、みっしり身相応の修行をしてくれるがよい。そして思い出したらちょいちょい私の許に遊びに来てたもれ……。』  最初の間、香織はなかなか腑に落ちぬらしい様子をしていましたが、それでも漸くききわけて、尚おしばらく語り合った上で、その日は暇を告げて自分の所へ戻って行きました。  今でも香織とは絶えず通信も致しまするし、又たまには逢いも致します。香織はもうすっかり明るい境涯に入り、顔なども若返って、自分にふさわしい神様の御用にいそしんで居ります。 三十三、自殺した美女  今度は入れ代って、或る事情の為めに自殺を遂げた一人の女性との会見のお話を致しましょう。少々陰気くさい話で、おききになるに、あまり良いお気持はしないでございましょうが、斯う言った物語も現世の方々に、多少の御参考にはなろうかと存じます。  その方は生前私と大へんに仲の良かったお友達の一人で、名前は敦子……あの敦盛の敦という字を書くのでございます。生家は畠山と言って、大そう由緒ある家柄でございます。その畠山家の主人と私の父とが日頃別懇にしていた関係から、私と敦子さまとの間も自然親しかったのでございます。お年齢は敦子さまの方が二つばかり下でございました。  お母さまが大へんお美しい方であった為め、お母さま似の敦子さまも眼の覚めるような御縹緻で、殊にその生際などは、慄えつくほどお綺麗でございました。『あんなにお美しい御縹緻に生れて敦子さまは本当に仕合せだ……。』そう言ってみんなが羨ましがったものでございますが、後で考えると、この御縹緻が却ってお身の仇となったらしく、矢張り女は、あまり醜いのも困りますが、又あまり美しいのもどうかと考えられるのでございます。  敦子さまの悩みは早くも十七八の娘盛りから始まりました。諸方から雨の降るようにかかって来る縁談、中には随分これはというのもあったそうでございますが、敦子さまは一つなしに皆断って了うのでした。これにはむろん訳があったのでございます。親戚の、幼馴染の一人の若人……世間によくあることでございますが、敦子さまは早くから右の若人と思い思われる仲になり、末は夫婦と、内々二人の間に堅い約束ができていたのでございました。これが望みどおり円満に収まれば何の世話はないのでございますが、月に浮雲、花に風とやら、何か両家の間に事情があって、二人は何うあっても一緒になることができないのでした。  こんな事で、敦子さまの婚期は年一年と遅れて行きました。敦子さまは後にはすっかり棄鉢気味になって、自分は生涯嫁には行かないなどと言い張って、ひどく御両親を困らせました。ある日敦子さまが私の許へ訪れましたので、私からいろいろ言いきかせてあげたことがございました。『御自分同志が良いのは結構であるが、斯ういうことは、矢張り御両親のお許諾を得た方がよい……。』どうせ私の申すことはこんな堅苦しい話に決って居ります。これをきいて敦子さまは別に反対もしませんでしたが、さりとて又成る程と思いかえしてくれる模様も見えないのでした。  それでも、その後幾年か経って、男の方があきらめて、何所からか妻を迎えた時に、敦子さまの方でも我が折れたらしく、とうとう両親の勧めに任せて、幕府へ出仕している、ある歴々の武士の許へ嫁ぐことになりました。それは敦子さまがたしか二十四歳の時でございました。  縁談がすっかり整った時に、敦子さまは遥るばる三浦まで御挨拶に来られました。その時私の良人もお目にかかりましたが、後で、『あんな美人を妻に持つ男子はどんなに仕合わせなことであろう……。』などと申した位に、それはそれは美しい花嫁姿でございました。しかし委細の事情を知って居る私には、あの美しいお顔の何所やらに潜む、一種の寂しさ……新婚を歓ぶというよりか、寧しろつらい運命に、仕方なしに服従していると言ったような、やるせなさがどことなく感じられるのでした。  兎も角こんな具合で、敦子さまは人妻となり、やがて一人の男の児が生れて、少くとも表面には大そう幸福らしい生活を送っていました。落城後私があの諸磯の海辺に佗住居をして居た時分などは、何度も何度も訪れて来て、何かと私に力をつけてくれました。一度は、敦子さまと連れ立ちて、城跡の、あの良人の墓に詣でたことがございましたが、その道すがら敦子さまが言われたことは今も私の記憶に残って居ります。── 『一たい恋しい人と別れるのに、生別れと死別れとではどちらがつらいものでしょうか……。事によると生別れの方がつらくはないでしょうか……。あなたの現在のお身上もお察し致しますが、少しは私の身の上も察してくださいませ。私は一つの生きた屍、ただ一人の可愛い子供があるばかりに、やっとこの世に生きていられるのです。若しもあの子供がなかったら、私などは夙の昔に……。』  現世に於ける私と敦子さまとの関係は大体こんなところでお判りかと存じます。 三十四、破れた恋  それから程経て、敦子さまが死んだこと丈は何かの機会に私に判りました。が、その時はそう深くも心にとめず、いつか逢えるであろう位に軽く考えていたのでした。それより又何年経ちましたか、或る日私が統一の修行を終えて、戸外に出て、四辺の景色を眺めて居りますと、私の守護霊……この時は指導役のお爺さんでなく、私の守護霊から、私に通信がありました。『ある一人の女性が今あなたを訪ねてまいります。年の頃は四十余りの、大そう美しい方でございます。』私は誰かしらと思いましたが、『ではお目にかかりましょう。』とお答えしますと、程なく一人のお爺さんの指導霊に連れられて、よく見覚えのある、あの美しい敦子さまがそこへひょっくりと現われました。 『まァお久しいことでございました。とうとうあなたと、こちらでお会いすることになりましたか……。』  私が近づいて、そう言葉をかけましたが、敦子さまは、ただ会釈をしたのみで、黙って下方を向いた切り、顔の色なども何所やら暗いように見えました。私はちょっと手持無沙汰に感じました。  すると案内のお爺さんが代って簡単に挨拶してくれました。── 『この人は、まだ御身に引き合わせるのには少し早過ぎるかとは思われたが、ただ本人が是非御身に逢いたい、一度逢わせてもらえば、気持が落ついて、修行も早く進むと申すので、御身の守護霊にも依んで、今日わざわざ連れてまいったような次第……御身とは生前又となく親しい間柄のように聞き及んでいるから、いろいろとよく言いきかせて貰いたい……。』  そう言ってお爺さんは、そのままプイと帰って了いました。私はこれには、何ぞ深い仔細があるに相違ないと思いましたので、敦子さまの肩に手をかけてやさしく申しました。── 『あなたと私とは幼い時代からの親しい間柄……殊にあなたが何回も私の佗住居を訪れていろいろと慰めてくだされた、あの心尽しは今もうれしい思い出の一つとなって居ります。その御恩がえしというのでもありませぬが、こちらの世界で私の力に及ぶ限りのことは何なりとしてあげます。何うぞすべてを打明けて、あなたの相談相手にしていただきます。兎も角もこちらへお入りくださいませ。ここが私の修行場でございます……。』  敦子さまは最初はただ泣き入るばかり、とても話をするどころではなかったのですが、それでも修行場の内部へ入って、そこの森とした、浄らかな空気に浸っている中に、次第に心が落ついて来て、ポツリポツリと言葉を切るようになりました。 『あなたは、こんな神聖な境地で立派な御修行、私などはとても段違いで、あなたの足元にも寄りつけはしませぬ……。』  こんな言葉をきっかけに、敦子さまは案外すらすらと打明話をすることになりましたが、最初想像したとおり、果して敦子さまの身の上には、私の知っている以上に、いろいろこみ入った事情があり、そして結局飛んでもない死方──自殺を遂げて了ったのでした。敦子さまは、斯んな風に語り出でました。── 『生前あなたにも、あるところまでお漏らししたとおり、私達夫婦の仲というものは、うわべとは大へんに異い、それはそれは暗い、冷たいものでございました。最初の恋に破れた私には、もともと他所へ縁づく気持などは少しもなかったのでございましたが、ただ老いた両親に苦労をかけては済まないと思ったばかりに、死ぬるつもりで躯だけは良人にささげましたものの、しかし心は少しも良人のものではないのでした。愛情の伴わぬ冷たい夫婦の間柄……他人さまのことは存じませぬが、私にとりて、それは、世にも浅ましい、つまらないものでございました……。嫁入りしてから、私は幾度自害しようとしたか知れませぬ。わたくしが、それもえせずに、どうやら生き永らえて居りましたのは、間もなく私が身重になった為めで、つまり私というものは、ただ子供の母として、惜くもないその日その日を送っていたのでございました。』 『こんな冷たい妻の心が、何でいつまで良人の胸にひびかぬ筈がございましょう。ヤケ気味になった良人はいつしか一人の側室を置くことになりました。それからの私達の間には前にもまして、一層大きな溝ができて了い、夫婦とはただ名ばかり、心と心とは千里もかけ離れて居るのでした。そうする中にポックリと、天にも地にもかけ換のない、一粒種の愛児に先立たれ、そのまま私はフラフラと気がふれたようになって、何の前後の考もなく、懐剣で喉を突いて、一図に小供の後を追ったのでございました……。』  敦子さまの談話をきいて居りますと、私までが気が変になりそうに感ぜられました。そして私には敦子さまのなされたことが、一応尤もなところもあるが、さて何やら、しっくり腑に落ちないところもあるように考えられて仕方がないのでした。 三十五、辛い修行  それから引きつづいて敦子さまは、こちらの世界に目覚めてからの一伍一什を私に物語ってくれましたが、それは私達のような、月並な婦女の通った路とは大へんに趣が異いまして、随分苦労も多く、又変化にも富んで居るものでございました。私は今ここでその全部をお漏しする訳にもまいりませんが、せめて現世の方に多少参考になりそうなところだけは、成るべく漏れなくお伝えしたいと存じます。  敦子さまが、こちらで最初置かれた境涯は随分みじめなもののようでございました。これが敦子さま御自身の言葉でございます。── 『死後私はしばらくは何事も知らずに無自覚で暮しました。従ってその期間がどれ位つづいたか、むろん判る筈もございませぬ。その中不図誰かに自分の名を呼ばれたように感じて眼を開きましたが、四辺は見渡すかぎり真暗闇、何が何やらさっぱり判らないのでした。それでも私はすぐに、自分はモー死んでいるな、と思いました。もともと死ぬる覚悟で居ったのでございますから、死ということは私には何でもないものでございましたが、ただ四辺の暗いのにはほとほと弱って了いました。しかもそれがただの暗さとは何となく異うのでございます。例えば深い深い穴蔵の奥と言ったような具合で、空気がしっとりと肌に冷たく感じられ、そして暗い中に、何やらうようよ動いているものが見えるのです。それは丁度悪夢に襲われているような感じで、その無気味さと申したら、全くお話しになりませぬ。そしてよくよく見つめると、その動いて居るものが、何れも皆異様の人間なのでございます。──頭髪を振り乱しているもの、身に一糸を纏わない裸体のもの、血みどろに傷いて居るもの……ただの一人として満足の姿をしたものは居りませぬ。殊に気味の悪かったのは私のすぐ傍に居る、一人の若い男で、太い荒縄で、裸身をグルグルと捲かれ、ちっとも身動きができなくされて居ります。すると、そこへ瞋の眥を釣り上げた、一人の若い女が現われて、口惜しい口惜しいとわめきつづけながら、件の男にとびかかって、頭髪を毮ったり、顔面を引っかいたり、足で蹴ったり、踏んだり、とても乱暴な真似をいたします。私はその時、きっとこの女はこの男の手にかかって死んだのであろうと思いましたが、兎に角こんな苛責の光景を見るにつけても、自分の現世で犯した罪悪がだんだん怖くなってどうにも仕方なくなりました。私のような強情なものが、ドーやら熱心に神様にお縋りする気持になりかけたのは、偏にこの暗闇の内部の、世にもものすごい懲戒の賜でございました……。』  敦子さまの物語はまだいろいろありましたが、だんだんきいて見ると、あの方が何より神様からお叱りを受けたのは、自殺そのものよりも、むしろそのあまりに強情な性質……一たん斯うと思えば飽までそれを押し通そうとする、我侭な気性の為めであったように思われました。敦子さまはこんな事も言いました。── 『私は生前何事も皆気随気侭に押しとおし、自分の思いが協わなければこの世に生甲斐がないように考えて居りました。一生の間に私が自分の胸の中を或る程度まで打明けたのは、あなたお一人位のもので、両親はもとよりその他の何人にも相談一つしたことはございませぬ。これが私の身の破滅の基だったのでございます。その性質はこちらの世界へ来てもなかなか脱けず、御指導の神様に対してさえ、すべてを隠そう隠そうと致しました。すると或時神様は、汝の胸に懐いていること位は、何も彼もくわしく判っているぞ、と仰せられて、私が今まで極秘にして居った、ある一つの事柄……大概お察しでございましょうが、それをすつぱりと言い当てられました。これにはさすがの私も我慢の角を折り、とうとう一切を懺悔してお恕しを願いました。その為めに私は割合に早くあの地獄のような境地から脱け出ることができました。尤も私の先祖の中に立派な善行のものが居ったお蔭で、私の罪までがよほど軽くされたと申すことで……。何れにしても私のような強情な者は、現世に居っては人に憎まれ、幽界へ来ては地獄に落され、大へんに損でございます。これにつけて、私は一つ是非あなたに折入ってお詫びしなければならぬことがございます。実はこのお詫をしたいばかりに、今日わざわざ神様にお依みして、つれて来て戴きましたような次第で……。』  敦子さまはそう言って、私に膝をすり寄せました。私は何事かしらと、襟を正しましたが、案外それはつまらないことでございました。── 『あなたの方で御記憶があるかドーかは存じませぬが、ある日私がお訪ねして、胸の思いを打ちあけた時、あなたは私に向い、自分同志が良いのも結構だが、斯ういうことは矢張り両親の許諾を得る方がよい、と仰っしゃいました。何を隠しましょう、私はその時、この人には、恋する人の、本当の気持は判らないと、心の中で大へんにあなたを軽視したのでございます。 ──しかし、こちらの世界へ来て、だんだん裏面から、人間の生活を眺めることが、できるようになって見ると、自分の間違っていたことがよく判るようになりました。私は矢張り悪魔に魅れて居たのでございました。──私は改めてここでお詫びを致します。何うぞ私の罪をお恕し遊ばして、元のとおりこの不束な女を可愛がって、行末かけてお導きくださいますよう……。』         ×      ×      ×      ×  この人の一生には随分過失もあったようで、従って帰幽後の修行には随分つらいところもありましたが、しかしもともとしっかりした、負けぬ気性の方だけに、一歩一歩と首尾よく難局を切り抜けて行きまして、今ではすっかり明るい境涯に達して居ります。それでも、どこまでも自分の過去をお忘れなく、『自分は他人さまのように立派な所へは出られない。』と仰っしゃって、神様にお願いして、わざと小さな岩窟のような所に籠って、修行にいそしんで居られます。これなどは、むしろ私どもの良い亀鑑かと存じます。 三十六、弟橘姫  あまりに平凡な人達の噂ばかりつづきましたから、その埋合せという訳ではございませぬが、今度はわが国の歴史にお名前が立派に残っている、一人の女性にお目にかかったお話を致しましょう。外でもない、それは大和武尊様のお妃の弟橘姫様でございます……。  私達の間をつなぐ霊的因縁は別と致しましても、不思議に在世中から私は弟橘姫様と浅からぬ関係を有って居りました。御存じの通り姫のお祠は相模の走水と申すところにあるのですが、あそこは私の縁づいた三浦家の領地内なのでございます。で、三浦家ではいつも社殿の修理その他に心をくばり、又お祭でも催される場合には、必ず使者を立てて幣帛を献げました。何にしろ婦女の亀鑑として世に知られた御方の霊場なので、三浦家でも代々あそこを大切に取扱って居たらしいのでございます。そして私自身もたしか在世中に何回か走水のお祠に参拝致しました……。  ナニその時分の記憶を物語れと仰っしゃるか……随分遠い遠い昔のことで、まるきり夢のような感じがするばかり、とてもまとまったことは想い出せそうもありませぬ。たしか走水という所は浦賀の入江からさまで遠くもない、海と山との迫り合った狭い漁村で、そして姫のお祠は、その村の小高い崖の半腹に建って居り、石段の上からは海を越えて上総房州が一と目に見渡されたように覚えて居ります。  そうそういつか私がお詣りしたのは丁度春の半ばで、あちこちの山や森には山桜が満開でございました。走水は新井の城から三四里ばかりも隔った地点なので、私はよく騎馬で参ったのでした。馬はもちろん例の若月で、従者は一人の腰元の外に、二三人の家来が附いて行ったのでございます。道は三浦の東海岸に沿った街道で、たしか武山とか申す、可成り高い一つの山の裾をめぐって行くのですが、その日は折よく空が晴れ上っていましたので、馬上から眺むる海と山との景色は、まるで絵巻物をくり拡げたように美しかったことを今でも記憶して居ります。全くあの三浦の土地は、海の中に突き出た半島だけに、景色にかけては何処にもひけは取りませぬようで……。尤もそれは現世での話でございます。こちらの世界には竜宮界のようなきれいな所がありまして、三浦半島の景色がいかに良いと申しても、とてもくらべものにはなりませぬ。  領主の奥方が御通過というので百姓などは土下座でもしたか、と仰っしゃるか……ホホまさかそんなことはございませぬ。すれ違う時にちょっと道端に避けて首をさげる丈でございます。それすら私には気づまりに感じられ、ツイ外へ出るのが億劫で仕方がないのでした。幸いこちらの世界へ参ってから、その点の気苦労がすっかりなくなったのは嬉しうございますが、しかしこちらの旅はあまり、あっけなくて、現世でしたように、ゆるゆると道中の景色を味わうような面白味はさっぱりありませぬ……。  こんな夢物語をいつまで続けたとて致方がございませぬから、良い加減に切り上げますが、兎に角弟橘姫様に対する敬慕の念は在世中から深く深く私の胸に宿って居たことは事実でございました。『尊のお身代りとして入水された時の姫のお心持ちはどんなであったろう……。』祠前に額いて昔を偲ぶ時に、私の両眼からは熱い涙がとめどなく流れ落ちるのでした。  ところがいつか竜宮界を訪れた時に、この弟橘姫様が玉依姫様の末裔──御分霊を受けた御方であると伺いましたので、私の姫をお慕い申す心は一層強まってまいりました。『是非とも、一度お目にかかって、いろいろお話を承り、又お力添を願わねばならぬ……。』──そう考えると矢も楯もたまらぬようになり、とうとうその旨を竜宮界にお願いすると、竜宮界でも大そう歓ばれ、すぐその手続きをしてくださいました。  私がこちらで弟橘姫様にお目通りすることになったのはこんな事情からでございます。 三十七、初対面  竜宮界からかねて詳しい指図を受けて居りましたので、その時の私は思い切ってたった一人で出掛けました。初対面のこと故、服装なども失礼にならぬよう、日頃好みの礼装に、例の被衣を羽織ました。  ヅーッと何処までもつづく山路……大へん高い峠にかかったかと思うと、今度は降り坂になり、右に左にくねくねとつづらに折れて、時に樹木の間から蒼い海原がのぞきます。やがて行きついた所はそそり立つ大きな巌と巌との間を刳りとったような狭い峡路で、その奥が深い深い洞窟になって居ります。そこが弟橘姫様の日頃お好みの御修行場で、洞窟の入口にはチャーンと注連縄が張られて居りました。むろん橘姫様はいつもここばかりに引籠って居られるのではないのです。現世に立派なお祠があるとおり、こちらの世界にも矢張りそう言ったものがあり、御用があればすぐそちらへお出ましになられるそうで……。 『御免遊ばしませ……。』  口にこそ出しませんが、私は心でそう思って、会釈して洞窟の内部へ歩み入りますと、早くもそれと察して奥の方からお出ましになられたのは、私が年来お慕い申していた弟橘姫様でございました。打ち見るところお年齢はやっと二十四五、小柄で細面の、大そう美しい御縹緻でございますが、どちらかといえば少し沈んだ方で、きりりとやや釣り気味の眼元には、すぐれた御気性がよく伺われました。御召物は、これは又私どもの服装とはよほど異いまして、上衣はやや広い筒袖で、色合いは紫がかって居りました、下衣は白地で、上衣より二三寸下に延び、それには袴のように襞が取ってありました。頭髪は頭の頂辺で輪を造ったもので、ここにも古代らしい匂が充分に漂って居りました。又お履物は黒塗りの靴見いなものですが、それは木の皮か何ぞで編んだものらしく、そう重そうには見えませんでした……。 『私は斯ういうものでございますが、現世に居りました時から深くあなた様をお慕い申し、殊に先日乙姫さまから委細を承りましてから、一層お懐かしく、是非一度お目通りを願わずには居られなくなりました、一向何事も弁えぬ不束者でございますが、これからは末長くお教えを受けさせて戴きとう存じまする……。』 『かねて乙姫様からのお言葉により、あなたのお出でを心待ちにお待ち申して居りました。』とあちら様でも大そう歓んで私を迎えてくださいました。『自分とて、ただ少し早くこちらの世界へ引移ったという丈、これからはともどもに手を引き合って、修行することに致しましょう。何うぞこちらへ……。』  その口数の少ない、控え目な物ごしが、私には何より有難く思われました。『矢張り歴史に名高い御方だけのことがある。』私は心の中で独りそう感心しながら、誘わるるままに岩屋の奥深く進み入りました。  私自身も山の修行場へ移るまでは、矢張り岩屋住いをいたしましたが、しかし、ここはずっと大がかりに出来た岩屋で、両側も天井ももの凄いほどギザギザした荒削りの巌になって居ました。しかし外面から見たのとは違って、内部はちっとも暗いことはなく、ほんのりといかにも落付いた光りが、室全体に漲って居りました。『これなら精神統一がうまくできるに相違ない。』餅屋は餅屋と申しますか、私は矢張りそんなことを考えるのでした。  ものの二丁ばかりも進んだ所が姫の御修行の場所で、床一面に何やらふわっとした、柔かい敷物が敷きつめられて居り、そして正面の棚見たいにできた凹所が神床で、一つの円い御神鏡がキチンと据えられて居るばかり、他には何一つ装飾らしいものは見当りませんでした。  私達は神床の前面に、左と右に向き合って座を占めました。その頃の私は最う大分幽界の生活に慣れて来ていましたものの、兎に角自分より千年あまりも以前に帰幽せられた、史上に名高い御方と斯うして膝を交えて親しく物語るのかと思うと、何やら夢でも見て居るように感じられて仕方がないのでした。 三十八、姫の生立  私達の間には、それからそれへと、物語がとめどなくはずみました。霊の因縁と申すものはまことに不思議な力を有っているものらしく、これが初対面であり乍ら、相互の間の隔ての籬はきれいに除り去られ、さながら血を分けた姉妹のように、何も彼もすっかり心の底を打ち明けたのでございました。  私というものは御覧の通り何の取柄もない、短かい生涯を送ったものでございますが、それでも弟橘姫様は私の現世時代の浮沈に対して心からの同情を寄せて、親身になってきいてくださいました。『あなたも随分苦労をなさいました……。』そう言って、私の手を執って涙を流された時は、私は忝いやら、難有いやらで胸が一ぱいになり、われを忘れて姫の御膝に縋りついて了いました。  が、そんな話はただ私だけのことで、あなた方には格別面白くも、又おかしくもございますまいが、ただ其折弟橘姫様御自身の口づから漏された遠き昔の思い出話──これはせめてその一端なりとここでお伝えして置きたいと存じます。何にしろ日本の歴史を飾る第一の花形といえば、女性では弟橘姫様、又男性では大和武尊様でございます。このお二人にからまる事蹟が少しでも現世の人達に伝わることになれば、私の拙き通信にも初めて幾らかの意義が加わる訳でごさいます。私にとりてこんな冥加至極なことはございませぬ。尤も私の申上ぐるところが果して日本の古い書物に載せてあることと合っているか、いないか、それは私にはさっぱり判りませぬ。私はただ自分が伺いましたままをお伝えする丈でございますから、その点はよくよくお含みの上で取拾して戴き度う存じます。  それからもう一つ爰でくれぐれもお断りして置きたいのは、私がお取次ぎすることが、決して姫御自身のお言葉そのままでなく、ただ意味だけを伝えることでございます。当時の言語は含蓄が深いと申しますか、そのままではとても私どもの腑に落ちかぬるところがあり、私としては、不躾と知りつつも、何度も何度も問いかえして、やっとここまで取りまとめたのでございます。で、多少は私のきき損ね、思い違いがないとも限りませぬから、その点も何卒充分にお含み下さいますよう……。 『あなた様の御生立を伺わして戴き度う存じまするが……。』  機会を見て私はそう切り出しました。すると姫はしばらく凝乎と考え込まれ、それから漸く唇を開かれたのでございました。── 『いかにも遠い昔のこと、所の名も人の名も、急には胸に浮びませぬ。──私の生れたところは安芸の国府、父は安藝淵眞佐臣……代々この国の司を承って居りました。尤も父は時の帝から召し出され、いつもお側に仕える身とて、一年の大部は不在勝ち、国元にはただ女小供が残って居るばかりでございました……。』 『御きょうだいもおありでございましたか。』 『自分は三人のきょうだいの中の頭、他は皆男子でございました。』 『いつもお国元のみにお暮らしでございましたか?』 『そうのみとも限りませぬ。偶には父のお伴をして大和にのぼり、帝のお目通りをいたしたこともございます……。』 『アノ大和武尊様とも矢張り大和の方でお目にかかられたのでございまするか?』 『そうではありませぬ……。国元の館で初めてお目にかかりました……。』  山間の湖水のように澄み切った、気高い姫のお顔にも、さすがにこの時は情思の動きが薄い紅葉となって散りました。私は構わず問いつづけました。── 『何卒その時の御模様をもう少しくわしく伺わせていただく訳にはまいりますまいか? あれほどまでに深い深い夫婦の御縁が、ただかりそめの事で結ばれる筈はないと存じますが……。』 『さァ……何所から話の糸口を手繰り出してよいやら……。』  姫はしばらくさし俯いて考え込んで居られましたが、その中次第にその堅い唇が少しづつ綻びてまいりました。お話の前後をつづり合わせると、大体それは次ぎのような次第でございました……。 三十九、見合い  それはたしかに、ある年の夏の初、館の森に蝉時雨が早瀬を走る水のように、喧しく聞えている、暑い真昼過ぎのことであったと申します──館の内部は降って湧いたような不時の来客に、午睡する人達もあわててとび起き、上を下への大騒ぎを演じたのも道理、その来客と申すのは、誰あろう、時の帝の珍の皇子、当時筑紫路から出雲路にかけて御巡遊中の小碓命様なのでございました。御随行の人数は凡そ五六十人、いずれも命の直属の屈強の武人ばかりでございました。序でにちょっと附け加えて置きますが、その頃命の直属の部下と申しますのは、いつもこれ位の小人数でしかなかったそうで、いざ戦闘となれば、何れの土地に居られましても、附近の武人どもが、後から後から馳せ参じて忽ち大軍になったと申します。『わざわざ遠方からあまたの軍兵を率いて御出征になられるようなことはありませぬ……。』橘姫はそう仰っしゃって居られました。何所へまいるにもいつも命の御随伴をした橘姫がそう申されることでございますから、よもやこれに間違はあるまいと存じます。  それは兎に角、不意の来客としては五六十人はなかなかの大人数でございます。ましてそれが日本国中にただ一人あって、二人とはない、軍の神様の御同勢とありましては大へんでございます。恐らく森の蝉時雨だって、ぴったり鳴き止んだことでございましょう。ただその際何より好都合であったのは、姫の父君が珍らしく国元へ帰って居られたことで、御自身采配を振って家人を指図し、心限りの歓待をされた為めに、少しの手落もなかったそうでございます。それについて姫は少しくお言葉を濁して居られましたが、何うやら小碓命様のその日の御立寄は必らずしも不意打ではなく、かねて時の帝から御内命があり、言わば橘姫様とお見合の為めに、それとなくお越しになられたらしいのでございます。  何れにしても姫はその夕、両親に促がされ、盛装してお側にまかり出で、御接待に当られたのでした。『何分にも年若き娘のこととて恥かしさが先立ち、格別のお取持もできなかった……。』姫はあっさりと、ただそれっきりしかお口には出されませんでしたが、何やらお二人の間を維いだ、切っても切れぬ固い縁の糸は、その時に結ばれたらしいのでございます。実際又何れの時代をさがしても、この御二人ほどお似合の配偶はめったにありそうにもございませぬ。申すもかしこけれど、お婿様は百代に一人と言われる、すぐれた御器量の日の御子、又お妃は、しとやかなお姿の中に凛々しい御気性をつつまれた絶世の佳人、このお二人が一と目見てお互にお気に召さぬようなことがあったら、それこそ不思議でございます。お年輩も、たしか命はその時御二十四、姫は御十七、どちらも人生の花盛りなのでございました。  これは余談でございますが、私がこちらの世界で大和武尊様に御目通りした時の感じを、ここでちょっと申上げて置きたいと存じます。あんな武勇絶倫の御方でございますから、お目にかからぬ中は、どんなにも怖い御方かと存じて居りましたが、実際はそれはそれはお優さしい御風貌なのでございます。むろん御筋骨はすぐれて逞しうございますが、御顔は色白の、至ってお奇麗な細面、そして少し釣気味のお目元にも、又きりりと引きしまったお口元にも、殆んど女性らしい優さしみを湛えて居られるのでございます。『成るほどこの方なら少女姿に仮装られてもさして不思議はない筈……。』失礼とは存じながら私はその時心の中でそう感じたことでございました。  それはさて置き、命はその際は二晩ほどお泊りになって、そのままお帰りになられましたが、やがて帝のお裁可を仰ぎて再び安芸の国にお降り遊ばされ、その時いよいよ正式に御婚儀を挙げられたのでございました。尤も軍務多端の際とて、その式は至って簡単なもので、ただ内輪でお杯事をされただけ、間もなく新婚の花嫁様をお連れになって征途に上られたとのことでございました。『斯ういう場合であるから何所へまいるにも、そちを連れる。』命はそう仰せられたそうで、又姫の方でも、いとしき御方と苦労艱難を共にするのが女の勤めと、固く固く覚悟されたのでした。 四十、相摸の小野  幾年かに跨る賊徒征伐の軍の旅路に、さながら影の形に伴う如く、ただの一日として脊の君のお側を離れなかった弟橘姫の涙ぐましい犠牲の生活は、実にその時を境界として始められたのでした。或る年の冬は雪沓を穿いて、吉備国から出雲国への、国境の険路を踏み越える。又或る年の夏には焼くような日光を浴びつつ阿蘇山の奥深くくぐり入りて賊の巣窟をさぐる。その外言葉につくせぬ数々の難儀なこと、危険なことに遇われましたそうで、歳月の経つと共に、そのくわしい記憶は次第に薄れては行っても、その時胸にしみ込んだ、感じのみは今も魂の底から離れずに居るとの仰せでございました。  こんな苦しい道中のことでございますから、御服装などもそれはそれは質素なもので、足には藁沓、身には筒袖、さして男子の旅装束と相違していないのでした。なれども、姫は最初から心に固く覚悟して居られることとて、ただの一度も愚痴めきたことはお口に出されず、それにお体も、かぼそいながら至って御丈夫であった為め、一行の足手纏いになられるようなことは決してなかったと申すことでございます。  かかる艱苦の旅路の裡にありて、姫の心を支うる何よりの誇りは、御自分一人がいつも命のお伴と決って居ることのようでした。『日本一の日の御子から又なきものに愛しまれる……。』そう思う時に、姫の心からは一切の不満、一切の苦労が煙のように消えて了うのでした。当時の習慣でございますから、むろん命の御身辺には夥多の妃達がとりまいて居られました。それ等の中には橘姫よりも遥かに家柄の高いお方もあり、又縹緻自慢の、それはそれは艶麗な美女も居ないのではないのでした。が、それ等は言わば深窓を飾る手活の花、命のお寛ぎになられた折の軽いお相手にはなり得ても、いざ生命懸けの外のお仕事にかかられる時には、きまり切って橘姫にお声がかかる。これでは『仮令死んでも……。』という考が橘姫の胸の奥深く刻み込まれた筈でございましょう。  だんだん伺って見ると、数限りもない御一代中で、最大の御危難といえば、矢張り、あの相摸国での焼打だったと申すことでございます。姫はその時の模様丈は割合にくわしく物語られました。── 『あの時ばかりは、いかに武運に恵まれた御方でも、今日が御最後かと危まれました。自分は命のお指図で、二人ばかりの従者にまもられて、とある丘の頂辺に避けて、命の御身の上を案じわびて居りましたが、その中四方から急にめらめらと燃え拡がる野火、やがて見渡す限りはただ一面の火の海となって了いました。折から猛しい疾風さえ吹き募って、命のくぐり入られた草叢の方へと、飛ぶが如くに押し寄せて行きます。その背後は一帯の深い沼沢で、何所へも退路はありませぬ。もうほんの一と煽りですべては身の終り……。そう思うと私はわれを忘れて、丘の上から駆け降りようとしましたが、その瞬間、忽ちゴーッと耳もつぶれるような鳴動と共に、今までとは異って、西から東へと向きをかえた一陣の烈風、あなやと思う間もなく、猛火は賊の隠れた反対の草叢へ移ってまいりました……。その時たちまち、右手に高く、御秘蔵の御神剣を打り翳し、漆の黒髪を風に靡かせながら、部下の軍兵どもよりも十歩も先んじて、草原の内部から打って出でられた命の猛き御姿、あの時ばかりは、女子の身でありながら覚えず両手を空にさしあげて、声を限りにわあッと叫んで了いました……。後で御伺いすると、あの場合、命が御難儀を脱れ得たのは、矢張りあの御神剣のお蔭だったそうで、燃ゆる火の中で命がその御鞘を払われると同時に、風向きが急に変ったのだと申すことでございます。右の御神剣と申すのは、あれは前年わざわざ伊勢へ参られた時に、姨君から授けられた世にも尊い御神宝で、命はいつもそれを錦の袋に納めて、御自身の肌身につけて居られました。私などもただ一度しか拝まして戴いたことはございませぬ……。』  これが大体姫のお物語りでございます。その際命には、火焔の中に立ちながらも、しきりに姫の身の上を案じわびられたそうで、その忝ない御情意はよほど深く姫の胸にしみ込んで居るらしく、こちらの世界に引移って、最う千年にも余るというのに、今でも当時を想い出せば、自ずと涙がこぼれると言って居られました。  かくまで深いお二人の間でありながら、お児様としては、若建王と呼ばれる御方がただ一人──それも旅から旅へといつも御不在勝ちであった為めに、御自分の御手で御養育はできなかったと申すことでございました。つまり橘姫の御一生はすべてを脊の君に捧げつくした、世にも若々しい花の一生なのでございました。 四十一、海神の怒り  私が伺った橘姫のお物語の中には、まだいろいろお伝えしたいことがございますが、とても一度に語りつくすことはできませぬ。何れ又良い機会がありましたら改めてお漏しすることとして、ただあの走水の海で御入水遊ばされたお話だけは、何うあっても省く訳にはまいりますまい。あれこそはひとりこの御夫婦の御一代を飾る、尤も美しい事蹟であるばかりでなく、又日本の歴史の中での飛び切りの美談と存じます。私は成るべく姫のお言葉そのままをお取次ぎすることに致します。 『わたくし達が海辺に降り立ったのはまだ朝の間のことでございました。風は少し吹いて居りましたが、空には一点の雲もなく、五六里もあろうかと思わるる広い内海の彼方には、総の国の低い山々が絵のようにぽっかりと浮んで居りました。その時の私達の人数はいつもよりも小勢で、かれこれ四五十名も居ったでございましょうか。仕立てた船は二艘、どちらも堅牢な新船でございました。 『一同が今日の良き船出を寿ぎ合ったのもほんの束の間、やや一里ばかりも陸を離れたと覚しき頃から、天候が俄かに不穏の模様に変って了いました。西北の空からどっと吹き寄せる疾風、見る見る船はグルリと向きをかえ、人々は滝なす飛沫を一ぱいに浴びました。それにあの時の空模様の怪しさ、赭黒い雲の峰が、右からも左からも、もくもくと群がり出でて満天に折り重なり、四辺はさながら真夜中のような暗さに鎖されたと思う間もなく、白刃を植えたような稲妻が断間なく雲間に閃き、それにつれてどっと降りしきる大粒の雨は、さながら礫のように人々の面を打ちました。わが君をはじめ、一同はしきりに舟子達を励まして、暴れ狂う風浪と闘いましたが、やがて両三人は浪に呑まれ、残余は力つきて船底に倒れ、船はいつ覆るか判らなくなりました。すべてはものの半刻と経たぬ、ほんの僅かの間のことでございました。 『かかる場合にのぞみて、人間の依むところはただ神業ばかり……。私は一心不乱に、神様にお祈祷をかけました。船のはげしき動揺につれて、幾度となく投げ出さるる私の躯──それでも私はその都度起き上りて、手を合せて、熱心に祈りつづけました。と、忽ち私の耳にはっきりとした一つの囁き、『これは海神の怒り……今日限り命の生命を奪る……。』覚えずはっとして現実にかえれば、耳に入るはただすさまじき浪の音、風の叫び──が、精神を鎮めると又もや右の怪しき囁きがはっきりと耳に聞えてまいります……。 『二度、三度、五度……幾度くりかえしてもこれに間違のないことが判った時に、私はすべてを命に打ち明けました。命は日頃の、あの雄々しい御気性とて「何んの愚かなこと!」とただ一言に打ち消して了われましたが、ただいかにしても打ち消し得ないのは、いつまでも私の耳にきこゆるあの不思議の囁きでございました。私はとうとう一存で、神様にお縋りしました。「命は御国にとりてかけがえのない、大切の御身の上……何卒この数ならぬ女の生命を以て命の御生命にかえさせ玉え……。」二度、三度この祈りを繰りかえして居る内に、私の胸には年来の命の御情思がこみあげて、私の両眼からは涙が滝のように溢れました。一首の歌が自ずと私の口を突いて出たのもその時でございます。真嶺刺し、相摸の小野に、燃ゆる火の、火中に立ちて、問いし君はも……。 『右の歌を歌い終ると共に、いつしか私の躯は荒れ狂う波間に跳って居りました、その時ちらと拝したわが君のはっと愕かれた御面影──それが現世での見納めでございました。』         ×      ×      ×      ×  橘姫の御物語は一と先ずこれにて打ち切りといたしますが、ただ私として、ちょっとここで申添えて置きたいと思いますのは、海神の怒りの件でございます。大和武尊さまのような、あんな御立派なお方が、何故なれば海神の怒りを買われたか?──これは恐らくどなたも御不審の点かと存じまするが、実は私もこれにつきて、指導役のお爺さんにその訳を伺ったことがあるのでございます。その時お爺さんは斯う答えられました。── 『それは斯ういう次第じゃ。すべて物には表と裏とがある。命が日本国にとりて並びなき大恩人であることはいうまでもなけれど、しかし殺された賊徒の身になって見れば、命ほど、世にも憎いものはない。命の手にかかって滅ぼされた賊徒の数は何万とも知れぬ。で、それ等が一団の怨霊となって隙を窺い、たまたま心よからぬ海神の援けを獲て、あんな稀有の暴風雨をまき起したのじゃ。あれは人霊のみでできる仕業でなく、又海神のみであったら、よもやあれほどのいたずらはせなかったであろう。たまたま斯うした二つの力が合致したればこそ、あのような災難が急に降って湧いたのじゃ。当時の橘姫にはもとよりそうした詳しい事情の判ろう筈もない。姫があれをただ海神の怒りとのみ感じたのはいささか間違って居るが、それはそうとして、あの場合の姫の心胸にはまことに涙ぐましい真剣さが宿っていた。あれほどの真心が何ですぐ神々の御胸に通ぜぬことがあろう。それが通じたればこそ大和武尊には無事に、あの災難を切りぬけることが出来たのじゃ。橘姫は矢張り稀に見るすぐれた御方じゃ。』  私はこの説明が果してすべてを尽しているか否かは存じませぬ。ただ皆さまの御参考までに、私の伺ったところを附け加えて置くだけでございます。 四十二、天狗界探検  あまり面会談ばかりつづいたようでございますから、今度は少し模様をかえて、その頃修行の為めに私がこちらで探検に参りました、珍らしい境地のお話をすることにいたしましょう。こちらの世界には、現世とは全く異った、それはそれは変ったものが住んで居るところがあるのでございます。それがあまりにも飛び離れ過ぎていますので、あなた方は事によると半信半疑、よもやとお考えになられるか存じませぬが、これが事実であって見れば、自分の考で勝手に手加減を加える訳にもまいりませぬ。あなた方がそれを受け入れるか、入れないかは全く別として、兎も角も私の眼に映じたままを率直に述べて見ることに致します。 『今日は天狗の修行場に連れて行く……。』  ある日例の指導役のお爺さんが私にそう言われます。私には天狗などというものを別に見たいという考もないのでございましたが、それが修行の為めとあればお断りするのもドーかと思い、浮かぬ気分で、黙ってお爺さんの後について、山の修行場を出掛けました。  いつもとは異なり、その日は修行場の裏山から、奥へ奥へ奥へとどこまでも険阻な山路を分け入りました。こちらの世界では、どんな山坂を登り降りしても格別疲労は感じませぬが、しかし何やらシーンと底冷えのする空気に、私は覚えず総毛立って、躯がすくむように感じました。 『お爺さま、ここはよほどの深山なのでございましょう……私はぞくぞくしてまいりました……。』 『寒く感ずるのは山が深いからではない。ここはもうそろそろ天狗界に近いので、一帯の空気が自ずと異って来たのじゃ。大体天狗界は女人禁制の場所であるから汝にはあまり気持が宜しくあるまい……。』 『よもや天狗さんが怒って私を浚って行くようなことはございますまい……。』 『その心配は要らぬ。今日は神界からのお指図を受けて尋ねるのであるから、立派なお客様扱いを受けるであろう。二度と斯うした所に来ることもあるまいから、よくよく気をつけて天狗界の状況をさぐり、又不審の点があったら遠慮なく天狗の頭目に訊ねて置くがよいであろう……。』  やがて古い古い杉木立がぎっしりと全山を蔽いつくして、昼尚お暗い、とてもものすごい所へさしかかりました。私はますます全身に寒気を感じ、心の中では逃げて帰りたい位に思いましたが、それでもお爺さんが一向平気でズンズン足を運びますので、漸との思いでついて参りますと、いつしか一軒の家屋の前へ出ました。それは丸太を切り組んで出来た、やっと雨露を凌ぐだけの、極めてざっとした破屋で、広さは畳ならば二十畳は敷ける位でございましょう。が、もちろん畳は敷いてなく、ただ荒削りの厚板張りになって居りました。 『ここが天狗の道場じゃ。人間の世界の剣術道場によく似て居るであろうが……。』  そんなことを言ってお爺さんは私を促して右の道場へ歩み入りました。  と見ると、室内には白衣を着た五十余歳と思わるる一人の修験者らしい人物が居て、鄭重に腰をかがめて私達を迎えました。 『良うこそ……。かねてのお達しで、あなた方のお出でをお待ち受けして居りました。』  私は直ちにこれが天狗さんの頭目であるな、と悟りましたが、かねて想像して居たのとは異って、格別鼻が高い訳でもなく、ただ体格が普通人より少し大きく、又眼の色が人を射るように強い位の相違で、そしてその総髪にした頭の上には例の兜巾がチョコンと載って居りました。 『女人禁制の土地柄、格別のおもてなしとてでき申さぬ。ただいささか人間離れのした、一風変っているところがこの世界の御馳走で……。』  案外にさばけた挨拶をして、笑顔を見せてくれましたので、私も大へんに心が落つき、天狗さんというものは割合にやさしい所もあるものだと悟りました。 『今日はとんだお邪魔を致しまする。では御免遊ばしませ……。』  私は履物を脱いで、とうとう天狗さんの道場に上り込んで了いました。 四十三、天狗の力業  斯んな風に物語ると、すべてがいかにも人間界の出来事のように見えて、をかしなものでございますが、もちろんこの天狗さんは、私達に見せる為めに、態と人間の姿に化けて、そして人間らしい挨拶をして居たのでございます。道場だって同じこと、天狗さんに有形の道場は要らない筈でございますが、種がなくては掴まえどころがなさ過ぎますから、人間界の剣術の道場のようなものを仮りに造り上げて私達に見せたのでございましょう。すべて天狗に限らず、幽界の住人は化るのが上手でございますから、あなた方も何卒そのおつもりで、私の物語をきいて戴き度う存じます。さもないと、すべてが一篇のお伽噺のように見えて、さっぱり値打がないものになりそうでございます。  それはそうと、私達がその時面会した天狗さんの頭目というのは、仲間でもなかなか力のある傑物だそうでございまして、お爺さんが何か一つ不思議な事を見せてくれと依みますと、早速二つ返事で承諾してくれました。 『われわれの芸と申すは先ずざっと斯んなもので……。』  言うより早く天狗さんは電光のように道場から飛び出したと思う間もなく、忽ちするすると庭前に聳えている、一本の杉の大木に駆け上りました。それは丁度人間が平地を駆けると同じく、指端一つ触れずに、大木の幹をば蹴って、空へ向けて駆け上るのでございますが、その迅さ、見事さ、とても筆や言葉につくせる訳のものではありませぬ。私は覚えず坐席から立ち上って、呆れて上方を見上げましたが、その時はモー天狗さんの姿が頂辺の枝の茂みの中に隠れて了って、どこに居るやら判らなくなって居ました。  と、やがて梢の方で、バリバリという高い音が致します。 『木の枝を折っているナ……。』  お爺さんがそう言われている中に、天狗さんは直径一尺もありそうな、長い大きな杉の枝を片手にして、二三十丈の虚空から、ヒラリと身を躍らして私の見ている、すぐ眼の前に降り立ちました。 『いかがでござる……人間よりも些と腕ぶしが強いでござろうが……。』  いとど得意な面持で天狗さんはそう言って、つづいて手にせる枝をば、あたかもそれが芋殻でもあるかのように、片端からいき毮っては棄て、引き毮っては棄て、すっかり粉々にして了いました。  が、私としては天狗さんの力量に驚くよりも、寧しろその飽くまで天真爛漫な無邪気さに感服して了いました。 『あんな鹿爪らしい顔をしているくせに、その心の中は何という可愛いものであろう! これなら神様のお使者としてお役に立つ筈じゃ……。』  私は心の裡でそんなことを考えました。私が天狗さんを好きになったのは全くこの時からでございます。尤も天狗と申しましても、それには矢張り沢山の階段があり、質のよくない、修行未熟の野天狗などになると、神様の御用どころか、つまらぬ人間を玩具にして、どんなに悪戯をするか知れませぬ。そんなのは私としても勿論大嫌いで、皆様も成るべくそんな悪性の天狗にはかかり合われぬことを心からお願い致します。が、困ったことに、私どもがこちらから人間の世界を覗きますと、つまらぬ野天狗の捕虜になっている方々が随分沢山居られますようで……。大きなお世話かは存じませぬが、私は蔭ながら皆様の為めに心を痛めて居るのでございます。くれぐれも天狗とお交際になるなら、できるだけ強い、正しい、立派な天狗をお選びなさいませ。まごころから神様にお願いすれば、きっとすぐれたのをお世話して下さるものと存じます……。 四十四、天狗の性来  さてこの天狗と申すものの性来──これはどこまで行っても私どもには一つの大きな謎で、査べれば査べるほど腑に落ちなくなるようなところがございます。兎も角、私があの時、天狗の頭目に就いて問いただしたところに基き、ざっとそのお話しを致して見ることにしましょう。  先ず天狗の姿から申し上げましょう。前にものべた通り、天狗は時と場合で、人間その他いろいろなものの姿に上手に化けます。かく申す私なども最初はうっかりその手に乗せられましたもので……。しかし近頃ではもうそんな拙な真似はいたしません。天狗がどんな立派な姿に化けていても、すぐその正体を看破して了います。大体に於て申しますと、天狗の正体は人間よりは少し大きく、そして人間よりは寧ろ獣に似て居り、普通全身が毛だらけでございます。天狗の中のごくごく上等のもののみが人間に近い姿をして居りますようで……。  但しこれは姿のある天狗に就いて申したのでございます。天狗の中には姿を有たないのもございます。それは青味がかった丸い魂で、直径は三寸位でございましょうか。現に私どもが天狗界の修行場に居った時にも、三つ四つ樹の枝にひっついて光って居りました。 『あれはモーすっかり修行が積んで、姿を棄てた天狗達でござる……。』  天狗の頭目はそう私に説明してくれました。  天狗の姿も不思議でございますが、その生立は一層不思議でございます。天狗には別に両親というものがなく、人間が地上に発生した、遠い遠い原始時代に、斯ういうものも必要であろうという神様の思召で言わば一種の副産物として生れたものだと申すことでございます。天狗の頭目も『自分達は人間になり切れなかった魂でござる……。』と、あっさり告白して居りました。私はそれをきいた時に、何やら天狗さんに対して気の毒に感じられたのでございました。  兎も角も斯んな手続きで生れたのでございますから、天狗というものは全部中性……つまり男性でも、又女性でもないのでございます。これでは天狗の気持が容易に人間にのみ込めない筈でございます。人間の世界は、主従、親子、夫婦、兄弟、姉妹等の複雑った関係で、色とりどりの綾模様を織り出して居りますが、天狗の世界はそれに引きかえて、どんなにも一本調子、又どんなにも殺風景なことでございましょう。天狗の生活に比べたら、女人禁制の禅寺、男子禁制の尼寺の生活でも、まだどんなにも人情味たっぷりなものがありましょう。『全く不思議な世界があればあるもの……。』私はつくづくそう感じたのでございました。  斯く天狗は本来中性ではありますが、しかし性質からいえば、非常に男らしく武張ったのと、又非常に女らしく優さしいのとの区別があり、化る姿もそれに準じて、或は男になったり、或は女になったりするとのことでございます。日本と申す国は古来尚武の気性に富んだお国柄である為め、武芸、偵察、戦争の駈引等にすぐれた、つまり男性的の天狗さんは殆んど全部この国に集って了い、いざとなれば目覚ましい働きをしてくれますので、その点大そう結構でございますが、ただ愛とか、慈悲とか言ったような、優さしい女性式の天狗は、あまりこの国には現われず、大部分外国の方へ行って了っているようでございます。西洋の人が申す天使──あれにはいろいろ等差があり、偶には高級の自然霊を指している場合もありますが、しかしちょいちょい病床に現われたとか、画家の眼に映ったとかいうのは、大てい女性化した天狗さんのようでございます。  大体天狗の働きはそう大きいものではないらしく、普通は人間に憑って小手先きの仕事をするのが何より得意だと申すことでございます。偶には局部的の風位は起せても、大きな自然現象は大抵皆竜神さんの受持にかかり、とても天狗にはその真似ができないと申すことでございます。  最後に私があの時天狗さんの頭目からきかされた、人浚いの秘伝をお伝えして置きましょう。 『人を浚うということが本当にできるものでございますか?』  そう私が訊ねますと、天狗の頭目はいとど得意の面持で、斯んな風に説明してくれたのでした。── 『あれは本当といえば本当、ゴマカシといえばゴマカシでござる。われわれは肉体ぐるみ人間を遠方へ連れて行くことはめったにござらぬ。肉体は通例附近の森蔭や神社の床下などに隠し置き、ただ引き抽いた魂のみを遠方に連れ出すものでござる。人間というものは案外感じの鈍いもので、自分の魂が体から出たり、入ったりすることに気づかず、魂のみで経験したことを、宛かも肉体ぐるみ実地に見聞したように勘違いして、得意になって居るもので……。側でそれを見るのはよほど滑稽な感じがするものでござる……。』 四十五、竜神の修行場  天狗界の探検に引きつづいて、私は指導役のお爺さんから、竜神の修行場の探検を命ぜられました。── 『いつかは竜宮界への道すがら、ちょっと竜神の修行場をのぞかしたこともあるが、あれではあまりにあっけなかった。もう一度汝を彼所へ連れて行くとしょう。あの修行場には一人の老練な監督者が居るから、不審の点は何なりとそれに訊ねるがよい。』 『そのお方も矢張り竜神さんでございますか……。』 『無論そうじゃ。が、俺と同様、人間と面会する時は人間の姿に化けて居る……。』  一度行ったことのある境地でございますから、道中の見物は一切ヌキにして、私達は一と思いに、あのものすごい竜神の湖水の辺へ出て了いました。こちらの世界では遅く歩くも、速く歩くも、すべて自分の勝手で、そこはまことに便利でございます。  と見ると、水辺の、とある巨大な巌の上には六十前後と見ゆる、一人の老人が、佇んで私達の来るのを待って居りました。服装その他大体は私の案内役のお爺さんに似たり寄ったり、ただいくらか肉附きがよく、年輩も二つ三つ若いように見えました。それが監督の竜神さんであることはここに断るまでもありますまい。  一応簡単な挨拶を済ませてから、私は早速右の監督のお爺さんに話かけました。── 『修行場の模様はいつか拝見させて戴きましたので、今日はむしろ竜神さんの生活につきて、いろいろ腑に落ちかねる点を伺いたいのでございますが……。』 『何なりと訊ねて貰います。研究の為めとあれば、俺の方でもそのつもりで、差支なき限り何も彼も打ち明けて話すことにしましょう。竜神の世界は人間界とは大分に勝手が異うから、訊く方でも成るべくまごつかぬように……。』  あっさりとさばけた態度で、そう言われましたので、私の方でもすっかり安心して、思い浮ぶまま無遠慮にいろいろな事をおききしました、その時の問答の全部をここでお伝えする訳にもまいり兼ねますが、ただあなた方の御参考になりそうな個所は、成るべく洩なく拾い出しましょう。 問『竜神の子供は現在でも矢張り生れているのでございますか?』 答『人間の世界で子供が生れるように、こちらでもズンズン殖えます……。』 問『生れたての若い竜神の躯はどんな躯でございますか?』 答『別に変った躯でもないが、しかし人間からいえばつまり一の幽体、もちろん肉眼で見ることはできぬ。大さは普通三尺もあろうか……しかし伸縮は自由自在であるから、言わば大さが有って無いようなものじゃ……。』 問『蛇とは何う異いますか?』 答『蛇はもともと地上の下級動物、形も、性質も、資格も竜神とは全く別物じゃ。蛇がいかに功労経たところで竜神になれる訳のものでない……。』 問『竜神さんは矢張り人間の御先祖なのでございますか?』 答『左様、先祖といえば先祖であるが、寧ろ人間の遠祖、人間の創造者と言ったがよいであろう。つまり竜神がそのまま人間に変化したのではない。竜神がその分霊を地上に降して、ここに人類という、一つの新らしい生物を造り出したのじゃ。』 問『只今でも竜神さんはそう言ったお仕事をなさいますか?』 答『イヤこれは最初人類を創造り出す時の、ごく遠い大古の神業であって、今日では最早その必要はなくなった。そなたも知るとおり人間の男女は立派に人間の子を生んで居るであろうが……。』  そう言ってお爺さんはにっこりともせず、正面から私に鋭い一瞥を与えられました。 四十六、竜神の生活  私はひるまず質問をつづけました。── 問『竜神にも人間のように死ぬことがございますか?』 答『人間界にて考えているような、所謂死というものはもちろんない。あれは物質の世界のみに起る、一つのうるさい手続なのじゃ。──が、竜神の躯にも一つの変化が起るのは事実である。そなたも知る蛇の脱殻──丁度あれに似た薄い薄い皮が、竜神の躯から脱けて落ちるのじゃ。竜神は通例しッとりした沼地のような所でその皮を脱ぎすてる……。』 問『竜神さんの分霊が人体に宿ることは、今日では絶対に無いのでございますか?』 答『竜神の分霊が直接人体に宿って、人間として生れるということは絶対にないと言ってよい……。が、一人の幼児が母胎に宿った時に、同一系統の竜神がその幼児の守護霊又は司配霊として働くことは決して珍らしいことでもない。それが竜神として大切な修業の一つでもあるのじゃ……。』 問『竜神にも成年期がございますか。』 答『それはある。竜神とて修行を積まねば一人前にはなれない……。』 問『大体成年期は何歳位でございますか?』 答『これはいかにも無理な質問じゃ。本来こちらの世界に年齢はないのじゃから……。が、人間の年齢に直して見たら、はっきりとは判らぬが、凡そ五六百年位のところであろうか……。』 問『矢張り人間のように婚礼の式などもございますもので……。』 答『人間界の儀式とは異うが、矢張り夫婦になる時には定まった礼儀があり、そして上の竜神様からのお指図を受ける……。』 問『矢張り一夫一婦が規則でございますか?』 答『無論それが規則じゃ。修行の積んだ、高い竜神となれば、決してこの規律に背くようなことはせぬ。しかし乍ら霊格の低い竜神の間にはそうのみも言われぬ節がある……。』 問『生れるのは矢張り一体づつでございますか?』 答『一体が普通じゃ、双生児などはめったにない……。』 問『お産ということもありますもので……。』 答『妊娠する以上お産もある。その際、女性の竜神は大抵どこかに姿を隠すもので……。』 問『一対の夫婦の間に生れる子供の数はどれ位でございましょうか?』 答『それは判らぬ。通例よほど沢山で、幾人と勘定はしかねるのじゃ。』 問『年齢を取れば矢張り子供を生まぬようになるものでございますか?』 答『年齢を取るからではない、浄化するから子供を生まぬようになるのじゃ……。』 問『浄化したのと、浄化しないのとの区別は、何うして見分けられますか? 矢張り色でございますか?』 答『左様、色で一番よく判る。最初生れたての竜神は皆茶ッぽい色をして居る。その次ぎは黒、その黒味が次第に薄れて消炭色になり、そして蒼味が加わって来る。そなたも知る通り、多く見受ける竜神は大てい蒼黒い色をして居るであろうが……。それが一段向上すると浅黄色になり、更に又向上すると、あらゆる色が薄らいで了って、何ともいえぬ神々しい純白色になって来る。白竜になるのには大へんな修行、大へんな年代を重ねねばならぬ……。』 問『夫婦になるのは大ていどの辺の色でございますか?』 答『色には拠らぬ。黒は黒同志で夫婦になり、そしていつまで経っても黒が脱けないのも少くない……。』 問『男女の区別は主に何処で判りますか?』 答『角が一番の目標じゃ。角のあるのは男、角のないのは女……。』 問『夫婦の竜神は矢張り同棲するものでございますか?』 答『竜神にとりて、一緒に棲む、棲まぬは問題でない。竜神の生活は自由自在、人間のように少しも場所などには縛られない。』 問『生れたばかりの子供は何うして居りまするか?』 答『しばらくは母親の手元に置かれるが、やがて修業場の方で引取るのじゃ。』 問『何ういう訳で池を修行場にしてあるのでございますか?』 答『池は一種の行場じゃ。人間界の御禊と同じく、水で浄められる意味にもなって居るのでナ……。』 四十七、竜神の受持  いかに訊ねても訊ねても、竜神の生活は何やら薄い幕を隔てたようで、シックリとは腑に落ちない個所がございます。相当長い間こちらの世界に住んで居る私達ですらそう感ずるのでございますから、現世の方々としては尚更のことで、容易に竜神の存在が信じられない筈だとお察しすることができます。──と申して竜神さんの物語を握りつぶせば、私として虚欺の通信を送ることになり、それも気がとがめてなりませぬ。で、皆さまの信ずる、信じないはしばらく別として、もう少し私がその時監督のお爺さんからきかされたところを物語らせていただきます。── 問『竜神さんのお仕事というのは大体どんなものでございますか?』 答『竜神の受持はなかなか大きく、広く、そして複雑で、とてもそのすべてを語りつくすことはできぬ。ごく大まかに言ったら、人間の世界で天然現象と称えて居るものは、悉く竜神の受持であると思えばよいであろう。すべて竜神には竜神としての神聖な任務があり、それが直接人間界の利益になろうが、なるまいが、どうあっても遂行せねばならぬことになっている。風雨、寒暑、五穀の豊凶、ありとあらゆる天変地異……それ等の根抵には悉く竜神界の気息がかかって居るのじゃ……。』 問『産土神その他の御祭神は皆竜神様でございますか?』 答『奥の方は何れも竜神で固めてある……。』 問『外国にも産土はあるのでございますか?』 答『無論外国にもある。ただ外国には産土の社がないまでのことじゃ。産土の神があって、生死、疾病、諸種の災難等の守護に当ってくれればこそ、地上の人間は初めてその日その日の生活が営めるのじゃ。』 問『各神社には竜神様の外にもいろいろ眷族があるのでございますか?』 答『むろん沢山の眷族がある。人霊、天狗、動物霊……必要に応じていろいろ揃えてある……。』 問『産土神は皆男の神様でございますか?』 答『産土の主宰神は悉く男性に限るようじゃ。しかし幼児の保姆などにはよく女性の人霊が使われるようで……。』 問『仏教の信者などは死後何うなるのでございますか?』 答『いかなる教を信じても産土の神の司配を受けることに変りはないが、ただ仏の救いを信じ切って居るものは、その迷夢の覚めるまで、しばらく仏教の僧侶などに監督を任せることもある。──イヤしかしそなたの質問は大分俺の領分外の事柄に亘って来た。産土のことなら、俺よりもそなたの指導役の方が詳しいであろう。俺には成るべく竜神の修行場のことだけ訊いてもらいたいのじゃが……。』 問『ツイいろいろの事をお訊ねして相済まぬことでございました。実は平生指導役のお爺様からも、いろいろ承って居るのでございまするが、何やら腑に落ちかねるところもありますので、丁度良い折と考えて念を押して見たような次第で……。』 答『それも悪いとは申さぬが、しかし一升の桝には一升の分量しか入らぬ道理で、そなたの器量が大きくならぬ限り、いかにあせってもすべてが腑に落ちるという訳には参らぬ。今日はしばらくこの辺でとどめて置いては何うじゃナ?』 問『又とないよい機会でございますから、最う一つ二つ訊ねさせていただき度うございます。────あの弁財天と申上げるのは、あれは皆女性の竜神様でございますか?』 答『その通り……。神に祀られている以上、何れも皆立派に修行の積める女神ばかりで、土地の守護もなされば、又人間の願事も、それが正しいことであれば、歓んで協えてくださる……。』 問『水天宮と申すのも矢張り……。』 答『あれは海上を守護される竜神……。』 問『最後にもう一つ伺わせて戴きます。あなた様はどんなお身分の御方で……。』 答『俺か……俺は妻もなく、又子もなく永久に独身の老いたる竜神じゃ……。竜神の中には斯う言った変り者も時としてないではない。現にそなたの指導役の老人なども矢張り俺のお仲間じゃ。──どりャ一応修行場の見𢌞りをすると致そう。今日はこれまで……。』  言いも終らずこの白衣の老人の姿はスーッと湖水の底に幻のように消えて行きました。 四十八、妖精の世界  竜神界、天狗界と、まるきり人間には見当のとれそうもない、別世界のお話を致した序でに、一つ思い切ってもっと見当のとれない或る世界の物語をさせていただきましょう。外でもない、それは妖精の世界のお話でございます。 『研究の為めに汝に見せてやらねばならぬ不思議な世界がまだ残っている。』と、或る日指導役のお爺さんが私に申されました。『人間は草や木をただ草や木とのみ考えるから、矢鱈に花を挘ったり、枝を折ったり、甚だしく心なき真似をするのであるが、実を言うと、草にも木にも皆精……つまり魂があるのじゃ。精があればこそあんなにも生を楽しみ、あんなにも美しい姿態を造りて、限りなく子孫を伝えて行くのじゃ。今日は汝を右の妖精達に引き合わせてやるから、成るべく無邪気な気持で、彼等に逢ってもらいたい。妖精というものは姿も可愛らしく、心も稚く、少しくこちらで敵意でも示すと、皆怖がって何所とも知れず姿を消して了う。人間界で妖精の姿を見る者が、大てい無邪気な小児に限るのもその故じゃ。今日の見物は天狗界や竜神界の大がかりな探検とはよほど勝手が異うぞ……。』  斯んな事を話してくれながら、お爺さんは私を促して山の修行場を出掛けたと思うと、そのまま一気に途中を飛び越して、忽ち一望眼も遥かなる、広い広い野原に出て了いました。見ればそこら中が、きれいな草地で、そして恰好の良いさまざまの樹草……松、梅、竹、その他があちこちに点綴して居るのでした。 『ここは妖精の見物には誂向きの場所じゃ。大ていの種類が揃って居るであろう。よく気をつけて見るがよい。』  そう注意されている中に、もう私の眼には蝶々のような羽翼をつけた、大さはやっと二三寸から三四寸位の、可愛らしい小人の群がちらちら映って来たのでした。 『まあ何という不思議な世界があればあったものでございましょう!』と私はわれを忘れて、夢中になって叫びました。『お爺さま、彼所に見ゆる十五、六歳位の少女は何と品位の良い様子をして居ることでございましょう。衣裳も白、羽根も白、そして白い紐で額に鉢巻をして居ります……。あれは何の精でございますか?』 『あれは梅の精じゃ。若木の梅であるから、その精も矢張り少女の姿をして居る……。』 『木の精でも矢張り年齢をとりまするか?』 『年齢をとるのは妖精も人間も同一じゃ。老木の精は、形は小さくとも、矢張り老人の姿をして居る……。』 『そして矢張り男女の区別がありまするか?』 『無論男女の区別があって、夫婦生活を営むのじゃ……。』  そう言っている中に、件の梅の精は、しばらく私達の方を珍らしそうに眺めて居ましたが、こちらに害意がないと知って安心したものか、やがてスーッと、丁度蜻蛉のように、空を横切って、私の足元に飛び来り、その無邪気な、朗かな顔に笑みを湛えて、下から私を見上げるのでした。  不図気がついて見ると、その小人の躰中から発散する、何ともいえぬ高尚な香気! 私はいつしかうっとりとして了いました。 『もしもし梅の精さん、あなたは何とまあ良い香を立てていなさるのです……。』  そう言いながら、私は成るべく先方を驚かさないように、徐かに徐かに腰を降して、この可愛い少女とさし向いになりました。 四十九、梅の精  梅の精は思いの外わるびれた様子もなく、私の顔をしげしげ凝視て佇って居ります。 『梅の精さん、あなた、お年齢はおいくつでございます?』  生前の癖で、私は真先きにそんな事を訊いて了いました。 『年齢? わたしそんなものは存じませぬ……。』  梅の精は銀の鈴のようなきれいな声で、そう答えてキョトンとしました。  私は自分ながら拙なことを訊いたとすぐ後悔しましたが、しかしこれで妖精とすらすら談話のできることが判って、嬉しくてなりませんでした。私はつづいて、いろいろ話しかけました。── 『ホンに、あなた方に年齢などはない筈でございました……。でもあなた方にも矢張り、両親もあれば兄妹もあるのでしょうね?』 『私のお母ァさまは、それはそれはやさしい、良いお母ァさまでございます……。兄妹は、あんまり沢山で数が分りませぬ……。』 『あなたはよく怖がらずに、私の所へ来てくれましたね。』 『でも姨さまは私を可愛がってくださいますもの……。』 『可愛がってくれる人と、くれない人とが判りますか?』 『はっきり判ります。私達は気の荒らい、惨い人間が大嫌いでございます。そんな人間だと私達は決して姿を見せませぬ。だって、格別用事もないのに、折角私達が咲かした花を枝ごと折ったり、何かするのですもの……。』  そう言って、梅の精はそのきれいな眉に八の字を寄せましたが、私にはそれが却って可愛らしくてなりませんでした。 『でも、人間は、この枝振りが気に入らないなどと言って、時々鋏でチョンチョン枝を摘むことがあるでしょう。そんな時にあなた方は矢張り腹が立ちますか?』 『別に腹が立ちもしませぬ……。枝振りを直す為めに伐るのと、悪戯で伐るのとは、気持がすっかり異います。私達にはその気持がよく判るのです……。』 『では花瓶に活ける為めに枝を伐られても、あなた方はそう気まずくは思わないでしょう?』 『それは思いませぬ……。私達を心から可愛がってくださる人間に枝の一本や二本歓んでさしあげます……。』 『果実を採られる気持も同じですか?』 『私達が丹精して作ったものが、少しでも人間のお役に立つと思えば、却ってうれしうございます……。』 『木によっては、根元から伐り倒される場合もありますが、その時あなた方は何うなさる?』 『そりゃよい気持は致しませぬ。しかし伐られるものを、私達の力で何うすることもできませぬ。すぐあきらめて、木が倒れる瞬間にそこを立ちのいて了います……。』 『あなた方の中にも、人間が好きなものと嫌いなもの、又性質のさびしいものと陽気なものと、いろいろ相違があるでしょうね?』 『それは様々でございます。中には随分ひねくれた、気むつかしい性質のものがあり、どうかすると人間を目の仇に致します……。』  何と申しましても、人間と妖精とでは、距離が大分かけ離れていて、談話がしっくりと腑に落ちないところもございますが、それでも、こうしている中に、幾分か先方の心持が呑み込めたように思われてまいりました。それから私はよきほどに梅の精との対話を切り上げ、他の妖精達の査べにかかりましたが、人間から観れば何れも大同小異の妖しい小人というのみで、一々細かいことは判りかねました。標本として私はそれ等の中で少し毛色の異ったものの人相書を申上げて置くことにいたしましょう。  梅の精の次ぎに私が目をとめたのは、松の精で、男松は男の姿、女松は女の姿、どちらも中年者でございました。梅の精よりかも遥かに威厳があり、何所やらどっしりと、きかぬ気性を具えているようでございました。しかし、その大さは矢張り五寸許、蒼味がかった茶っぽい唐服を着て、そしてきれいな羽根を生やして居るのでした。  松や梅の精に比べると竹の精はずっと痩ぎすで、何やら少し貧相らしく見えましたが、しかし性質はこれが一番穏和しいようでございました。で、若し松竹梅と三つ並べて見たら、強いのと弱いのとの両極端が松と竹とで、梅はその中間に位して居るようでございます。  それから菫、蒲公英、桔梗、女郎花、菊……一年生の草花の精は、何れも皆小供の姿をしたものばかり、形態は小柄で、眼のさめるような色模様の衣裳をつけて居りました。それ等が大きな群を作って、大空狭しと乱れ飛ぶところは、とても地上では見られぬ光景でございます。中でどれが一番きれいかと仰っしゃるか……さあ草花の精の中では矢張り菊の精が一番品位がよく、一番巾をきかしているようでございました……。 五十、銀杏の精  一と通り野原の妖精見物を済ませますと、指導役のお爺さんは、私に向って言われました。── 『この辺に見掛ける妖精達は概して皆年齢の若いものばかり、性質も無邪気で、一向多愛もないが、同じ妖精でも、五百年、千年と功労経たものになると、なかなか思慮分別もあり、うっかりするとヘタな人間は敵わぬことになる。例えばあの鎌倉八幡宮の社頭の大銀杏の精──あれなどはよほど老成なものじゃ……。』 『お爺さま、あの大銀杏ならば私も生前によく存じて居ります。何うぞこれからあそこへお連れ下さいませ……。一度その大銀杏の精と申すのに逢って置き度うございます。』 『承知致した。すぐ出掛けると致そう……。』  どこを何う通過したか、途中は少しも判りませぬが、私達は忽ちあの懐かしい鎌倉八幡宮の社前に着きました。巾の広い石段、丹塗の楼門、群がる鳩の群、それからあの大きな瘤だらけの銀杏の老木……チラとこちらから覗いた光景は、昔とさしたる相違もないように見受けられました。  私達は一応参拝を済ませてから、直ちに目的の銀杏の樹に近寄りますと、早くもそれと気づいたか、白茶色の衣裳をつけた一人の妖精が木蔭から歩み出で、私達に近づきました。身の丈は七八寸、肩には例の透明な羽根をはやして居りましたが、しかしよくよく見れば顔は七十余りの老人の顔で、そして手に一条の杖をついて居りました。私は一と目見て、これが銀杏の精だと感づきました。 『今日はわざわざこれなる女性を連れて来ました。』と指導役のお爺さんは老妖精に挨拶しました。『御手数でも、何かと教えてあげてください……。』 『ようこそ御出でくだされた。』と老妖精は笑顔で私を迎えてくれました。『そなたは気づかなかったであろうが、実はそなたがまだ可愛らしい少女姿でこの八幡宮へ御詣りなされた当時から、俺はようそなたを存じて居る……。人間の世界と申すものは瞬く間に移り変れど、俺などは幾年経っても元のままじゃ……。』  枯れた、落附いた調子でそう言って、老いたる妖精はつくづくと私の顔を打ちまもるのでございました。私も何やら昔馴染の老人にでもめぐり逢ったような気がして、懐かしさが胸にこみ上げて来るのでした。  老妖精は一層しんみりとした調子で、談話をつづけました。 『実を申すと俺はこの八幡宮よりももっと古く、元はここからさして遠くもない、とある山中に住んで居たのじゃ。然るにある年八幡宮がこの鶴岡に勧請されるにつけ、その神木として、俺が数ある銀杏の中から選び出され、ここに移し植えられることになったのじゃ。それから数えてももうずいぶんの星霜が積ったであろう。一たん神木となってからは、勿体なくもこの通り幹の周囲に注連縄が張りまわされ、誰一人手さえ触れようとせぬ。中には八幡宮を拝むと同時に俺に向って手を合わせて拝むものさえもある……。これと申すも皆神様の御加護、お蔭で他所の銀杏とは異なり、何年経てど枝も枯れず、幹も朽ちず、日本国中で無類の神木として、今もこの通り栄えて居るような次第じゃ。』 『長い歳月の間には随分いろいろの事を御覧になられたでございましょう……。』 『それは覧ました……。そなたも知らるる通り、この鎌倉と申すところは、幾度となく激しい合戦の巷となり、時にはこの銀杏の下で、御神前をも憚らぬ一人の無法者が、時の将軍に対して刃傷沙汰に及んだ事もある……。そうした場合、人間というものはさてさて惨いことをするものじゃと、俺はどんなに歎いたことであろう……。』 『でもよくこの銀杏の樹に暴行を加えるものがなかったものでございます……。』 『それは神木である御蔭じゃ。俺の外にこの銀杏には神様の御眷族が多数附いて居られる。若しいささかでもこれに暴行を加えようものなら、立所に神罰が降るであろう。ここで非命に斃れた、かの実朝公なども、今はこの樹に憑って、守護に当って居られる……。イヤ丁度良い機会じゃ。そなたも一応それ等の方々にお目にかかるがよいであろう。何れも爰にお揃いになって居られる……。』  そう言われて驚いて振り返って見ると、甲冑を附けた武将達だの、高級の天狗様だのが、数人樹の下に佇みて、笑顔で私達の様子を見守って居られましたが、中でも強く私の眼を惹いたのは、世にも気高い、若々しい実朝公のお姿でした……。         ×      ×      ×      ×  さなきだに不思議な妖精界の探検に、こんな意外の景物までも添えられ、心から驚き入ることのみ多かった故か、その日の私はいつに無く疲労を覚え、夢見心地でやっと修行場へ引き上げたことでございました。 五十一、第三の修行場  私の山の修行は随分長くつづきましたが、やがて又この修行場にも別れを告ぐべき時節がまいりました。 『汝の修行もここで一段落ついたようじゃ。これから別の修行場へ連れてまいる……。』  或る日指導役のお爺さんからそう言い渡されましたが、実をいうと私の方でも近頃はそろそろ山に倦が来きて、どこぞ別のところへ移って見たいような気分がして居たのでございました。私は二つ返事でお爺さんの言葉に従いました。  引越しは例によって至極お手軽でございました。私が自身で持参したのはただ母の形見の守刀だけで、いざ出発と決った瞬間に、今まで住んで居た小屋も、器具類もすうっと消え失せ、その跡には早くも青々とした蘇苔が隙間なく蒸して居るのでした。何があっけないと申して、斯んなあっけない仕事はめったにあるものでなく、相当幽界の生活に慣れた私でさえ、いささか物足りなさを感じない訳にもまいりませんでした。  が、お爺さんの方では、何処に風が吹くと言った面持で、振り向きもせず、ずんずん先きへ立って歩るき出されましたので、私も黙ってその後に跟いてまいりますと、いつしか道が下り坂になり、くねくねした九十九折をあちらへ繞り、こちらへ𢌞っている中に、何所ともなくすざまじい水音が響いてまいりました。 『お爺さま、あれは瀑布の音でございますか?』 『そうじゃ。今度の修行場はあの瀑布のすぐ傍にあるのじゃ。』 『まあ瀑布の修行場……。どんなに結構なところでございましょう。私も、何所か水のある所で修行したいような気分になって居りました。』 『それだから今度の瀑布の修行場となったのじゃ。汝も知る通り、こちらの世界の掟にはめったに無理なところはない……。』  そう話合っている中に、いつしか私達は飛沫を立てて流るる、二間ばかりの渓流のほとりに立っていました。右も左も削ったような高い崖、そこら中には見上げるような常盤木が茂って居り、いかにもしっとりと気分の落ちついた場所でした。  不図気がついて見ると、下方を流るる渓流の上手は十間余りの懸崕になって居り、そこに巾さが二三間ぐらいの大きな瀑布が、ゴーッとばかりすさまじい音を立てて、木の葉がくれに白布を懸けて居りました。  私はどこに一点の申分なき、四辺の清浄な景色に見惚れて、覚えず感歎の声を放ちましたが、しかしとりわけ私を驚かせたのは、瀑壺から四五間ほど隔てた、とある平坦な崖地の上に、私が先刻まで住んでいた、あの白木造りの小屋がいつの間にか移されて居たことでした。 『まあ斯んなところに……。』  私は呆れてそう叫びましたが、しかしお爺さんは例によってそんな事は当然だと言った風情で、ニコリともせず斯う言われるのでした。── 『これから汝はここでみっしり修行するのじゃ。俺はこれで帰る……。』  言うが早いか、お爺さんの白衣の姿はぷいと烟のように消えて、私はただひとりポッネンと、この閑寂な景色の中に取り残されました。 五十二、瀑布の白竜  たった一人で、そんな山奥の瀑壺の辺に暮すことになって、さびしくはなかったかと仰っしゃるか……。ちっともさびしいだの、気味がわるいだのということはございませぬ。そんな気持に襲われるのは死んでから間のない、何も判らぬ時分のこと、少しこちらで修行がつんでまいりますと、自分の身辺はいつも神様の有難い御力に衛られているような感じがして、何所に行っても安心して居られるのでございます。しかも今度の私の修行場は、山の修行場よりも一段格の高い浄地で、そこには大そうお立派な一体の竜神様が鎮まって居られたのでした。  ある時私が一心に統一の修行をして居りますと、誰か背後の方で私の名を呼ぶものがあるのです。『指導役のお爺さんかしら……。』そう思って不図振りかえて見ると、そこには六十前後と見ゆる、すぐれて品位のよい、凛々しいお顔の、白衣の老人が黒っぽい靴を穿いて佇んでいました。私は一と目見て、これはきっと貴い神さまだとさとり、丁寧に御挨拶を致しました。それがつまりこの瀑布の白竜さまなのでございました。 『俺は古くからこの瀑布を預かっている老人の竜神じゃが、此度縁あって汝を手元に預かることになって甚だ歓ばしい。一度汝に逢って置かうと思って、今日はわざわざ老人の姿に化けて出現てまいった。人間と談話をするのに竜体ではちと対照が悪いのでな……。』  そう言って私の顔を見て微笑れました。私はこんな立派な神様が時々姿を現わして親切に教えてくださるかと思うと、忝ないやら、心強いやら、自ずと涙がにじみ出ました。── 『これからは何卒よしなに御指導くださいますよう……。』 『俺の力量に及ぶことなら何なりと申出るがよい。すでに竜宮界からも、そなたの為めによく取計らえとのお指図じゃ。遠慮なく訊きたいことを訊いてもらいたい。』  親身になっていろいろとやさしく言われますので、私の方でもすっかり安心して、勿体ないとは思いつつも、いつしか懇意な叔父さまとでも対座しているような、打解けた気分になって了いました。 『あの大そう無躾なことを伺いますが、あなた様はよほど永くここにお住居でございますか。』 『さァ人間界の年数に直したら何年位になろうかな……。』と老竜神はにこにこし乍ら『少く見積っても三万年位にはなるであろうかな。』 『三万年!』と私はびっくりして、『その間には随分いろいろの変った事件が起ったでございましょう……。』 『もともとこちらの世界のことであるから、さまで変った事件も起らぬ。最初ここへ参った時に蒼黒かった俺の躯がいつの間にか白く変った位のものじゃ。その中俺の真実の姿を汝に見せて上げるとしょう……。』 『それは何時でございましょうか。只今すぐに拝まして戴きとう存じまするが……。』 『イヤすぐという訳にはまいらぬ。汝の修行がもう少し積んで、これならばと思われる時に見せるとしょう。』  その時はそんな対話をした丈でお分れしましたが、私としては一時も早くこの瀑布の竜神様の本体を拝みたいばかりに、それからというものは、一心不乱に精神統一の修行をつづけました。又場所が場所丈に、近頃の統一状態は以前よりもずっと深く、ずっと混りなくなったように自分にも感じられました。  それからどれ位経った時でございましょうか、ある日俄かに私の眼の前に、一道の光明がさながら洪水のように、どっと押し寄せてまいりました。一たんは、はっと愕きましたが、それが何かのお通報であろうと気がついて心を落ちつけますと、つづいて瀑布の方向に当って、耳がつぶれるばかりの異様の物音がひびきます。  私は直ちに統一を止めて、急いで滝壺の上に走り出て見ますと、果してそこには一体の白竜……爛々と輝く両眼、すっくと突き出された二本の大きな角、銀をあざむく鱗、鋒を植えたような沢山の牙……胴の周囲は二尺位、身長は三間余り……そう言った大きな、神々しいお姿が、どっと落ち来る飛沫を全身に浴びつつ、いかにも悠々たる態度で、巌角を伝わって、上へ上へと攀じ登って行かれる……。  眼のあたり、斯うした荘厳無比の光景に接した私は、感極りて言葉も出でず、覚えず両手を合わせて、その場に立ち尽したことでございました。  私は前にも幾度か竜体を目撃して居りますが、この時ほど間近く見、この時ほど立派なお姿を拝んだことはございませぬ。その時の光景はとても私の拙い言葉で尽すことはできませぬ。何卒然るべくお察しをお願いします……。 五十三、雨の竜神  瀑布の修行場では、私が実際瀑布にかかったかと仰っしゃるか……。かかりは致しませぬ。私はただ瀑布の音に溶け込むようにして、心を鎮めて坐って居たまでで、そうすると何ともいえぬ無我の境に誘れて行き、雑念などは少しもきざしませぬ。肉体のある者には水に打たれるのも或は結構でございましょうが、私どもにはあまりその効能がないようで……。又指導役のお爺さんも『瀑布にはかからんでも、その気分になればそれでよい……。』とのお言葉でございました。  或の日私が統一の修行に疲れて、瀑壺の所へ出てぼんやり水を眺めて居りますと、ここの竜神様が、又もや例の白衣姿で、白木の長い杖をつきながら、ひょっくり私の傍へお現われになりました。 『丁度よい機会であるから、汝を上の山へ連れて行って、一つ大へんに面白いものを見せて上げようと思うが……。』 『面白いものと言ってそれは何でございますか?』 『自分について来れば判る。汝は折角修行の為めにここへ寄越されているのであるから、この際できる丈何彼を見聞して置くがよいであろう……。』  もとより拒むべき筋合のものでございませぬから、私は早速身支度してこの親切な、老いたる竜神さんの後について出掛けることになりました。  瀑布の右手にくねくねと附いている狭い山道、私達はそれをば上へ上へと登って行きました。見るとその辺は老木がぎっしり茂っている、ごくごく淋しい深山で、そして不思議に山彦のよく響く処でございました。漸く山林地帯を出抜けると、そこは最う山の頂辺で、芝草が一面に生えて居り、相当に見晴しのきくところでございました。 『実は今日ここで汝に雨降りの実況を見せるつもりなのじゃ。と申して別に俺が直接にやるのではない。雨には雨の受持がある……。』  そう言って瀑布のお爺さんは、眼を閉じてちょっと黙祷をなさいましたが、間もなくゴーッという音がして、それがあちこちの山々にこだまして、ややしばらく音が止みませんでした。  と見ると、向うに一人の若い男子の姿が現われました。年の頃は三十許、身には丸味がかった袖の浅黄の衣服を着け、そして膝の辺でくくった、矢張り浅黄色の袴を穿き、足は草履に足袋と言った、甚だ身軽な扮装でした。頭髪は茶筌に結っていました。 『これは雨の竜神さんが化けて来たのに相違ない……。』一と目見た時に私はすぐそう感づきました。不思議なもので、いつ覚えたともなく、その頃の私にはそれ位の見わけがつくのでした。  お爺さんは言葉少なに私をこの若者に引き合わせた上で、 『今日は御苦労であるが、俺のところの修行者に一つ雨を降らせる実況を見せて貰いたいのじゃが……。』 『承知致しました。』  若者は快く引き受け、直ちにその準備にかかりました。尤も準備と言っても別にそううるさい手続のあるのでも何でもございませぬ。ただ上の神界に真心こめて祈願する丈で、その祈願が叶えば神界から雨を賜わることのようでございます。つまり自然界の仕事は幾段にも奥があり、いかに係りの竜神さんでも、御自分の力のみで勝手に雨を降らしたり、風を起したりはできないようでございます。  それはさて措き、年の若い雨の竜神さんは、瀑布の竜神さんと一緒になって、口の中で何か唱えごとをしながら、ややしばらく祈願をこめていましたが、それが終ると同時に、ぷいとその姿を消しました。 『あれは今竜体に戻ったのじゃ。』とお爺さんが説明してくれました。『竜体に戻らぬと仕事が出来ぬのでな……。その中直に始まるであろうから、しばらくここで待つがよい。』  そんなことを言っている中にも、何やら通信があるらしく、お爺さんはしきりに首肯いて居られます。 『何か差支でも起きたのでございますか?』 『いやそうではない。実は神界から、雨を降らせるに就いては、同時に雷の方も見せてやれとのお達しが参ったのじゃ。それで今その手筈をしているところで……。』 『まあ雷でございますか……。是非それも見せて戴き度うございます……。』 五十四、雷雨問答  それから間もなく、私は随分と激しい雷雨の実況を見せて戴いたのでございますが、外観からいえばそれは現世で目撃した雷雨の光景とさしたる相違もないのでした。先ず遥か向うの深山でゴロゴロという音がして、同時に眼も眩むばかりの稲妻が光る。その中、空が真暗くなって、あたりの山々が篠突くような猛雨の為めに白く包まれる……ただそれきりのことに過ぎませぬ。  が、内容からいえば、それは現世ではとても思いもよらぬような、不思議な、そして物凄い光景なのでございました。 『雨雲の中をよく見るがよい。眼を離してはならぬ。』  お爺さんからそう注意されるまでもなく、私はもう先刻から一心不乱に深い統一に入って、黒雲の中を睨みつめて居たのですが、たちまち一体の竜神の雄姿がそこに鮮かに見出されました。私は思わず叫びました。── 『あれあれ薄い鼠色の男の竜神さんが、大きな口を開けて、二本の角を振り立てて、雲の中をひどい勢で駆けて行かれる……。』 『それが先刻爰に見えた、あの若者なのじゃ。』 『あれ、向うの峰を掠めて、白い、大きな竜神さんが、眼にもとまらぬ迅さで横に飛んで行かれる……あの凄い眼の色……。』 『それが雷の竜神の一人じゃ。力量はこの方が一段も二段も上じゃ……。』 『あれ、雨の竜神さんが、こちらを向いて、何やら相図をして向うの方に飛んで行かれます……。』 『それは、そろそろ雨を切上げる相図をしているのじゃ。もう間もなく雨も雷も止むであろう……。』  果して間もなく雷雨は、拭うが如く止み、山の上は晴れた、穏かな最初の景色に戻りました。私は夢から覚めたような気分で、しばらくは言葉もきけませんでした。  ややありて私は瀑布の竜神さんに向い、今日見せられた事柄に就いていろいろお訊ねしましたが、いかに訊ねても訊ねても矢張り私の器だけのことしか判る筈もなく、従ってあまり御参考にもならぬかと存じますが、兎も角その時の問答の一部をお伝えして置きます。── 問『雨を降らすのと、雷を起すのとでは、いつもその受持が異うのでございますか?』 答『それは無論そうじゃ。俺達の世界にもそれぞれ受持がある……。』 問『どのような手続きで、あんな雨や雷が起るのでございますか?』 答『さあそれは甚だ六ヶしい……。一と口に言って了へば念力じゃが、むろんただそう言ったのみでは足らぬ。天地の間にはそこに動かすことのできぬ自然の法則があり、竜神でも、人間でも、その法則に背いては何事もできぬ。念力は無論大切で、念力なしには小雨一つ降らせることもできぬが、しかしその念力は、何は措いても自然の法則に協うことが肝要じゃ。先刻雨を降らせるにつきても、俺達が第一に神界のお許しを受けたのはそこじゃ。大きな仕事になればなるほど、ますます奥が深くなる。俺達は言わば神と人との中間の一つの活きた道具じゃ……。』 問『先刻の雨と雷とは、何れもお一人づつで行られたお仕事でございましたか?』 答『雨の方はただ一人の竜神の仕事じゃった。汝一人の為めに降らせたまでの俄雨であるから、従ってその仕掛もごく小さい……。が、雷の方はあれで二人がかりじゃ。こればかりは、いかなる場合にも二人は要る。一方は火竜、他方は水竜──つまり陽と陰との別な働きが加わるから、そこに初めてあの雷鳴だの、稲妻だのが起るので、雨に比べると、この仕事の方が遥かに手数がかかるのじゃ……。』 五十五、母の訪れ  私が滝の修行場へ滞在した期間はさして長くもなかった上に、あそこは言わば精神統一の特別の行場でございましたので、これはと言って特に申上げるほどの面白い出来事もございませぬ。私はあの滝の音をききながら、いつもその音の中に溶けこむような気分で、自分の存在も忘れて、うっとりとしていることが多いのでございました。お蔭様でそうした修行の結果、私の統一は以前にましてずっと深まり、物を視るにも、あれから大へんに楽になったように、自分にも感じられてまいりました。こちらの世界へ来てもすべては修行次第で、呑気に遊んでいたのでは、決して力量がつくものではないようでございます。実をいうと私などは、可なり執着も強く、しかも自分では成るべく呑気に構えていたい方なのですが、魂の因縁と申しましょうか、上の神様からのお指図で、いつも一つの修行から次ぎの修行へと追い立てられてまいりました為めに、やっと人並になれたのでございます。考えて見ると随分お恥かしい次第で……。  それはそうと滝の修行中にも、一つ二つの思い出の種子がない訳でもございませぬ。その一つは私の母がわざわざ訪ねて来てくれたことで、それが帰幽後に於ける母子の最初の対面でございました。  この対面につきては前以て指導役のお爺さんからちょっと前触がありました。『汝の母人も近頃は漸く修行が積んで、外出も自由にできるようになったので、是非一度汝に逢わそうかと思っている。何れ近い内にこちらに見えるであろう……。』──私はそれをきいた時は嬉しさで胸が一ぱいでございました。そして母に逢ったらこれも語ろう、あれも訊きたいと、生前死後にかけての積り積れるさまざまの事件が、丁度嵐のように私の頭脳の中に、一度に押し寄せて来たのでした。  それにつけても私の眼に特に力強く浮び出でたのは、前にも申上げた、母の臨終の光景でした。あの見る影もなく、老いさらばえる面影、あの断末魔のはげしい苦悶、あの肉体と幽体とをつなぐ無気味な二本の白い紐、それからあの臨終の床の辺をとりまいた現幽両界の多くの人達の集り……。私はその当時を憶い出して、覚えず涙に暮れつつも、近く訪れるこちらの世界の母がどんな様子をしていられるかを、あれか、これかと際限もなく想像するのでした。  すると、それから間もなく、森閑と鎮まり返った私の修行場の庭に、何やら人の訪れる気配がしましたので、不図振り向いて見ると、それは一人の指導役の老人に導かれた、私のなつかしい母親なのでした。 『お母さま‼』 『姫‼』  双方から馳せ寄った二人は互に縋りついて了いました。  現在の母の様子は、臨終の時の様子とはびっくりするほど変って了い、顔もすっかり朗かになり、年齢もたしかに十歳ばかり若返って居りました。母の方でも私が諸磯の佗住居にくすぼり返っていた時に比べて、あまりに若々しく、あまりに元気らしいのを見て、自分の事のように心から歓んでくれました。 『これほどあなたが立派な修行を積んでいるとは思わなかった。あなたの体からは丁度神さまのように光明が射します……。』  そんなことを言いながら、右から左からしげしげと私の姿を見まもるのでした。これも生みの母なればこそ、と思えば、自ずと先立つものは泪でございました。  不図気がついて見ると、庭先まで案内の労を執ってくだすった母の指導役のお爺さんは、いつの間にやら姿を消して、すべてを私達母子の為すところに任せられたのでした。 五十六、つきせぬ物語り  逢った上は心行くまましんみりと語り合おうと待ち構えていたのですが、さていよいよ斯うして母と膝を突き合わせて見ると、ひたぶるに胸が迫るばかりで、思って居ることの十が一も言葉に出でず、ともすれば泣きたくなって仕方がないのでした。 『こんなことでは余りにみつともない。今日は面白く語り合わねばならぬ……。』  私は一生懸命、成るべく涙を見せぬように努めましたが、それは母の方でも同様で、そっと涙を拭いては笑顔でかれこれと談話をつづけるのでした。 『あなたはこちらでどんな境地を通って来たのですか?』母は真先きにそう訊ねました。『最初からここではないようにきいて居りますが……。』 『私はこちらで修行場が三度ほどかわりました。最初は岩屋の修行場、そこはなかなか永うございました。その次ぎが山の修行場、その時代に竜宮界その他いろいろの珍らしい所へ連れて行かれ、又良人をはじめ多くの人達にも逢わせていただきました。現在この滝の修行場へ移ってからはまだ幾らにもなりませぬ……。』 『あなたはまあ何という結構な事ばかりして来られたことでしょう‼』と母は心から感心しました。『この母などは岩屋の修行だの、山の修行だのと、そんな変ったことはただの一つもして来はしませぬ。まして竜宮界などと言っては夢にだって見たこともない……。あなたはたしかに特別の御用を有って生れた人に相違ない……。私の指導役の神さまもそんなことを言って居られました……。』 『まさかそうでもございますまいが……。』 『イヤたしかにそうです。いつか時節が来たら、あなたにはきっと何ぞ大事のお仕事が授けられますよ。何うぞそのつもりで、今後もしっかり修行に精を出してください。母などは、他の多くの人達と同じく、こちらに参ってから、産土神様のお手元で、ある一室を宛てがわれ、そこで静かに修行をつづけているだけなのです……。』 『父上とは御一緒ではございませんか。』 『一緒ではありませぬ。現世に居た時分は、夫婦は同じ場所に行かれるものかと考えて居りましたが、こちらへ来て見ると同棲などは思いも寄りませぬ。魂の関係とやらで、良人は良人、妻は妻と、チャーンと区別がついているのです。もっとも私達の境涯でも逢おうと思えばいつでも逢われ、対話をしようと思えばいつでも対話はできますが……。斯んなことをいうとあなたから笑われるか知れませぬが、私は一度指導役の神様に向い、あまり心細いから、せめて良人とだけは一緒に住まわせて戴きたいと、お願いしたことがあるのです。それでも神様は何うあっても私の願いをおきき入れになってくださらないので、その時の私の力落しと云ったらなかったものです。私は今でも時々はいつの時代になったら、夫婦、親子、兄弟が昔のように楽しく同居することができるのかしらと思われてなりませぬ。あなたにはそんなことがないのですか?』 『ないでもございませぬが、近頃統一が深くなった為めか、だんだんそうした考えが薄らいでまいりました。相当に修行が積んだら、一緒に棲むとか、棲まないとか申すことは、さして苦労にならないようになって了うのではないでしょうか。竜宮界の上の神様達の御様子を見ても、いつも夫婦親子が同棲して居られることはないようでございます。それぞれ御用が異うので、平生は別々になってお働きになり、偶にしか御一緒になって、お寛ぎ遊ばすことがないと申します……。』 『神様でも矢張りそうなのでございますかね……。そうして見るとこの母などはまだ現世の執着が多分に残っている訳で、これからはあなたにあやかり、余り愚痴は申さぬことに気をつけましょう。今日は本当によいことを伺いました。あなたがそんなにまで修行が出来たのを見ると、私は心からうれしい……。』  そう言いながらも母の眼には、涙が一つぱい溜って居るのでした。 五十七、有難い親心  それから訊ねらるるままに、私は母に向って、帰幽後こちらの世界で見聞したくさぐさの物語を致しましたが、いつも一室に閉じこもって、単調なその日その日を送って居る母にとりては、一々びっくりすることのみ多いらしいのでした。最後に私が、最近滝の竜神さんの本体を拝ましていただいた話を致しますと、母の愕きは頂点に達しました。 『私はこちらの世界へ来て居りながら、ただの一度もまだ竜神さんの御本体を拝ましていただいたことがない。今日はあなたを訪れた紀念に、是非こちらの竜神さまにお目通りをしたい。あなたから篤とお依みしてくださらぬか……。』  これには私もいささか当惑して了いました。果して滝の竜神さんが快く母の依みを諾いてくださるか何うか、私にもまったく見当がとれないのでした。 『とも角も、私から折入ってお願いして見ることにいたしましょう。しばらくお待ちくださいませ……。』  私は単身瀑壺の側を通って上のお宮に詣で、母の願望をかなえさせてくださるようお依みしました。  滝の竜神さんはいつものように老人の姿でお現われになり、微笑を浮べて斯う言われるのでした。── 『汝達の談話はよう俺にも聴えて居ました。人間の母子の情愛と申すものは、大てい皆ああしたものらしく、俺達の世界のようになかなかあっさりはして居らんな。それで汝の母人は、今日爰へ来た序に俺の本体を見物して、それを土産に持って帰りたいということのようであるが、これは少々困った註文じゃ。俺の方で勿体ぶる訳ではないが、汝の母人の修行の程度では、俺がいかに見せたいと思ってもまだとてもまともに俺の姿を見ることはできぬのじゃ……。が、折角の依みとあって見れば何とか便宜を図って上げずばなるまい。兎も角も母人を瀑壺のところへ連れてまいるがよかろう……。』  私は早速修行場から母を瀑壺の辺に連れ出しました。そして二人で、両手を合せて一心に祈願をこめて居りますと、やがてどっと逆落しに落ち来る滝の飛沫の中に、二間位の白い女性の竜神の優さしい姿が現われて、巌角を伝ってすーッと上方に消え去りました。 『あれは俺の子供の一人じゃが……。』  そう言われて、驚いて振りかえると、滝の竜神さんが、いつもの老人の姿で、にこにこしながら、私達の背後に来て、佇んで居られるのでした。  私は厚く今日のお礼をのべて母を引き合わせました。竜神さんはいとど優さしく、いろいろと母を労わってくださいましたので、母もすっかり安心して、丁度現世でするように私の身の上を懇々とお依みするのでした。 『不束な娘でございますが、何うぞ今後とも宜しうお導きくださいますよう……。さぞ何かとお世話が焼けることでございましょう……。』 『イヤあなたは良いお子さんを有たれて、大へんにお幸福じゃ。』竜神さんというよりもむしろ人間らしい挨拶ぶり。『近頃は大分修行も積まれてもう一と息というところじゃ。人間には執着が強いので、それを棄てるのがなかなかの苦労、ここまで来るのには決して生やさしい事ではない……。』 『これから先きは娘は何ういう風になるのでございますか。まだ他にもいろいろ修行があるのでございましょうか?』 『イヤそろそろ修行に一段落つくところじゃ。本人が生前大へんに気に入った海辺があるので、これからそこへ落付かせることになって居る……。』 『左様でございますか。どんなに本人にとりまして満足なことでございましょう。』と母は自分のことよりも、私の前途につきて心を遣ってくれるのでした。『それについては、私があまりたびたび訪ねるのは、却って修行の邪魔になりましょうから、成るべく自分の住所を離れずに、ただ折々の消息をきいて楽しむことに致しましょう。その内折を見てこの娘の良人なりと訪ねさせていただき度うございます。そうすれば修行をするにも何んなに張合いがあることでございましょう……。』 『イヤそれはもうしばらく待ってもらいたい。』と滝の竜神さんはあわて気味に母を制しました。『あの人にはあの人としての仕事があり、めいめい為ることが異います。良人を招ぶのは海辺の修行場へ移ってからのことじゃ……。』 『矢張りそんな訳のものでございますか……。私どもにはこちらの世界のことがまだよくのみ込めないので、ときどき飛んだ失策をいたします。何分神様の方で宜しきように……。』 『その点は何うぞ安心なさるように……。ではこれでお別れします。』  滝の竜神さんがプイと姿を消し、それと入れ代りに母の指導役のお爺さんが早速姿を現わしましたので、母は名残惜しげに、それでも大して泪も見せず、間もなく別れを告げて帰り行きました。 『矢張り生みの母は有難い……。』  見送る私の眼からはこらへこらへた溜涙が一度に滝のように流れました。 五十八、可憐な少女  母に逢ってからの私は、しばらくの間気分が何となく落つかず、統一の修行をやって見ても、ツイふらふらと鎌倉で過した処女時代の光景を眼の中に浮べて見るようなことが多いのでした。『こんなことでは本当の修行にも何にもなりはしない。気晴らしに少し戸外へ出て見ましょう……。』とうとう私は単身で滝の修行場を出かけ、足のまにまに、谷川を伝って、下方へ下方へと降りて行きました。  戸外は矢張り戸外らしく、私は直に何ともいえぬ朗かな気持になりました。それに一歩一歩と川の両岸がのんびりと開けて行き、そこら中にはきれいな野生の花が、所せきまで咲き匂っているのです。『まあ見事な百合の花……。』私は覚えずそう叫んで、巌間から首をさし出していた半開の姫百合を手折り、小娘のように頭髪に挿したりしました。  私がそうした無邪気な乙女心に戻っている最中でした、不図附近に人の気配がするのに気がついて、愕いて振り返って見ますと、一本の満開の山椿の木蔭に、年齢の頃はやっと十歳ばかりの美しい少女が、七十歳位と見ゆる白髪の老人に伴われて佇っていました。 『あれは山椿の精ではないかしら……。』  一たんはそう思いましたが、眼を定めてよくよく見ると、それは妖精でも何でもなく、矢張り人間の小供なのでした。その娘はよほど良い家柄の生れらしく、丸ポチャの愛くるしい顔にはどことなく気品が備わって居り、白練の下衣に薄い薄い肉色の上衣を襲ね、白のへこ帯を前で結んでだらりと垂れた様子と言ったら飛びつきたいほど優美でした。頭髪は項の辺で切って背後に下げ、足には分厚の草履を突かっけ、すべてがいかにも無造作で、どこをさがしても厭味のないのが、むしろ不思議な位でございました。  兎に角日頃ただ一人山の中に閉じこもり、めったに外界と接する機会のない私にとりて、斯うした少女との不意の会合は世にももの珍らしい限りでございました。私は不躾とか、遠慮とか言ったようなことはすっかり忘れて了い、早速近づいて附添のお爺さんに訊ねました。── 『あの、このお児さまは、どこのお方でございますか?』 『これはもと京の生れじゃが、』と老人は一向済ました面持で『ごく幼い時分に父母に訣れ、そしてこちらの世界に来てからかくまで生長したものじゃ……。』 『まあこちらの世界で大きくなられたお方……私、まだ一度もそう言ったお方にお目にかかったことがございませぬ。もしお差支がなければ、これから私の滝の修行場までお出掛けくださいませぬか。ここからそう遠くもございませぬ……。』 『あなたの事はかねて滝の竜神さんから伺って居ります……。ではお言葉に従ってこれからお邪魔を致そうか……。雛子、この姨さまに御挨拶をなさい。』  そう言われると少女はにっこりして丁寧に頭をさげました。  私はいそいそとこの二人の珍客を伴いて、滝の修行場へと向ったのでした。 五十九、水さかずき  お客さまが見えた時に、こちらの世界で何が一ばん物足りないかといえば、それは食物のないことでございます。それも神様のお使者や、大人ならば兎も角も、斯うした小供さんの場合には、いかにも手持無沙汰で甚だ当惑するのでございます。  致方がないから、あの時私は御愛想に滝の水を汲んで二人に薦めたのでした。── 『他に何もさし上げるものとてございませぬ。どうぞこの滝のお水なりと召し上れ……。これならどんなに多量でもございます……。』 『これはこれは何よりのおもてなし……雛子、そなたも御馳走になるがよいであろう。世界中で何が美味いと申しても、結局水に越したものはござらぬ……。』  指導役のお爺さんはそんな御愛想を言いながら、教え子の少女に水をすすめ、又御自分でも、さも甘そうに二三杯飲んでくださいました。私の永い幽界生活中にもお客様と水杯を重ねたのは、たしかこの時限りのようで、想い出すと自分ながら可笑しく感ぜられます。  それはそうとこの少女の身の上は、格別変った来歴と申すほどのものでもございませぬが、その際指導役の老人からきかされたところは、多少は現世の人々の御参考にもなろうかと存じますので、あらましお伝えすることに致しましょう。  老人の物語るところによれば、この少女の名は雛子、生れて六歳のいたいけざかりにこちらの世界に引き移ったものだそうで、その時代は私よりもよほど後れ、帰幽後ざっと八十年位にしかならぬとのことでございました。父親は相当高い地位の大宮人で、名は狭間信之、母親の名はたしか光代、そして雛子は夫婦の仲の一粒種のいとし児だったのでした。  指導役のお爺さんはつづいてかく物語るのでした。── 『御身も知るとおり、こちらの世界では心の純潔な、迷いの少ないものはそのまま側路に入らず、すぐに産土神のお手元に引きとられる。殊に浮世の罪穢に汚されていない小供は例外なしに皆そうで、その為めこの娘なども、帰幽後すぐに俺の手で世話することになったのじゃ。しかるに困ったことにこの娘の両親は、きつい仏教信者であった為め、わが児が早く極楽浄土に行けるようにと、朝に晩にお経を上げてしきりに冥福を祈って居るのじゃ……。この娘自身はすやすやと眠っているから格別差支もないが、この娘の指導役をつとめる俺にはそれが甚だ迷惑、何とか良い工夫はないものかと頭脳を悩ましたことであった。むろん人間には、賢愚、善悪、大小、高下、さまざまの等差があるので、仏教の方便も穴勝悪いものでもなく、迷いの深い者、判りのわるい者には、しばらくこちらで極楽浄土の夢なりと見せて仏式で修行させるのも却ってよいでもあろう。──が、この娘としてはそうした方便の必要は毛頭なく、もともと純潔な小供の修行には、最初から幽界の現実に目覚めさせるに限るのじゃ。で、俺は、この娘がいよいよ眼を覚ますのを待ち、服装などもすぐに御国振りの清らかなものに改めさせ、そしてその姿で地上の両親の夢枕に立たせ、自分は神さまに仕えている身であるから、仏教のお経を上げることは止めてくださるようにと、両親の耳にひびかせてやったのじゃ。最初の間は二人とも半信半疑であったものの、それが三度五度と度重なるに連れて、漸くこれではならぬと気がついて、しばらくすると、現世から清らかな祝詞の声がひびいて来るようになりました……。イヤ一人の小供を満足に仕上げるにはなかなか並大抵の苦心ではござらぬ。幽界に於ても矢張り知識の必要はあるので、現世と同じように書物を読ませたり、又小供には小供の友達もなければならぬので、その取持をしてやったり、精神統一の修行をさせたり、神様のお道を教えたり、又時々はあちこち見学にも連れ出して見たり、心から好きでなければとても小供の世話は勤まる仕事ではござらぬ。が、お蔭でこの娘も近頃はすっかりこちらの世界の生活に慣れ、よく俺の指図をきいてくれるので大へんに助かって居ります。今日なども散歩に連れ出した道すがら図らずもあなたにめぐり逢い、この娘の為めには何よりの修行……あなたからも何とか言葉をかけて見てくだされ……。』  そう言って指導役の老人はあたかも孫にでも対する面持で、自分の教え子を膝元へ引き寄せるのでした。 『雛子さん』と私も早速口を切りました。『あなたはお爺さんと二人切りでさびしくはないのですか?』 『ちっともさびしいことはございません。』といかにもあっさりした返答。 『まァお偉いこと……。しかし時々はお父さまやお母さまにお逢いしたいでしょう。いつかお逢いしましたか?』 『たった一度しか逢いません……。お爺さんが、あまり逢っては良けないと仰っしゃいますから……。わたしそんなに逢いたくもない……。』  何をきかれてもこの娘の答は簡単明瞭、幽界で育った小供には矢張りどこか異ったところがあるのでした。 『これなら修行も案外に楽であろう……。』  私はつくづく肚の中でそう感じたことでした。 六十、母性愛  その日はそれ位のことで別れましたが、後で又ちょいちょいこの二人の来訪を受け、とうとうそれが縁で、私は一度こちらの世界でこの娘の母親とも面会を遂げることになりました。なかなかしとやかな婦人で、しきりに娘のことばかり気にかけて居りました。その際私達の間に交された問答の中には、多少皆様の御参考になるところがあるように思われますので、序にその要点だけここに申し添へて置きましょう。 問『あなた様は御生前に大そう厚い仏教の信者だったそうでございますが……。』 答『私どもは別に平生厚い仏教の信者というのでもなかったのでございますが、可愛い小供を亡った悲歎のあまり、阿弥陀様にお縋りして、あの娘が早く極楽浄土に行けるようにと、一心不乱にお経を上げたのでございました。こちらの世界の事情が少し判って見ると、それがいかに浅墓な、勝手な考であるかがよく判りますが、あの時分の私達夫婦はまるきり迷いの闇にとざされ、それがわが娘の済われるよすがであると、愚かにも思い込んで居たのでした。──あべこべに私ども夫婦はわが娘の手て済われました。夫婦が毎夜夢の中に続けざまに見るあの神々しい娘の姿……私どもの曇った心の鏡にも、だんだんとまことの神の道が朧気ながら映ってまいり、いつとはなしに御神前で祝詞を上げるようになりました。私どもは全く雛子の小さな手に導かれて神様の御許に近づくことができたのでございます。私がこちらの世界へまいる時にも、真先きに迎えに来てくれたのは矢張りあの娘でございました。その折私は飛び立つ思いで、今行きますよ……と申した事はよく覚えて居りますが、修行未熟の身の悲しさ、それから先きのことはさっぱり判らなくなって了いました。後で神さまから伺えば、私はそれから十年近くも眠っていたとのことで、自分ながらわが身の腑甲斐なさに呆れたことでございました……。』 問『いつお娘さまとはお逢いなされましたか……。』 答『自分が気がついた時、私はてっきりあの娘が自分の傍に居てくれるものと思い込み、しきりにその名を呼んだのでございます。──が、いかに呼べど叫べど、あの娘は姿を見せてくれませぬ。そして不図気がついて見ると、見も知らぬ一人の老人が枕辺に佇って、凝乎と私の顔を見つめて居るのでございます。やがて件の老人が徐ろに口を開いて、そなたの子供は今ここに居ないのじゃから、いかに呼んでも駄目じゃ。修行が積んだら逢わせてあげぬでもない……。そんなことを言われたのでございます。その時私は、何という不愛想な老人があればあるものかと心の中で怨みましたが、後で事情が判って見ると、この方がこちらの世界で私を指導してくださる産土神のお使者だったのでございました……。兎も角も、修行次第でわが娘に逢わしてもらえることが判りましたので、それからの私は、不束な身に及ぶ限りは、一生懸命に修行を励みました。そのお蔭で、とうとう日頃の願望の協う時がまいりました。どこをドウ通ったのやら途中のことは少しも判りませぬが、兎も角私は指導役の神さまに連れられて、あの娘の住居へ訪ねて行ったのでございます。あの娘の歿ったのは六歳の時でございましたが、それがこちらの世界で大分に大きく育っていたのには驚きました。稚な顔はそのままながら、どう見ても十歳位には見えるのでございます。私はうれしいやら、悲しいやら、夢中であの娘を両腕にひしとだきかかえたのでございます……。が、それまでが私の嬉しさの絶頂でございました。私は何やら奇妙な感じ……予て考えていたのとはまるきり異った、何やらしみじみとせぬ、何やら物足りない感じに、はっと愕かされたのでございます……。』 問『つまり軽くて温みがなく、手で触ってもカサカサした感じではございませんでしたか……。』 答『全くお言葉の通り……折角抱いてもさっぱり手応えがないのでございます。私にはいかに考えても、こればかりは現世の生活の方がよほど結構なように感じられて致方がございませぬ。神様のお言葉によれば、いつか時節がまいれば、親子、夫婦、兄弟が一緒に暮らすことになるとのことでございますが、あんな工合では、たとえ一緒に暮らしても、現世のように、そう面白いことはないのではございますまいか……。』  二人の問答はまだいろいろありますが、一と先ずこの辺で端折ることにいたしましょう。現世生活にいくらか未練の残っている、つまらぬ女性達の繰り言をいつまで申上げて見たところで、そう興味もございますまいから……。 六十一、海の修行場  前にも申上げた通り、私が滝の修行場に居りました期間は割合に短かく、又これと言って珍らしい話もありませぬ。私は大体彼所でただ統一の修行ばかりやっていたのでございますから……。  滝の修行時代がどれ位つづいたかと仰っしゃるか……。さァ自分にはさっぱりその見当がつきませぬが、指導役のお爺さんのお話では、あれでも現世の三十年位には当るであろうとの事でございました。三十年と申すと現世ではなかなか長い歳月でございますが、こちらでは時を量る標準が無い故か、一向それほどにも感じないのでございまして……。  それはそうと、私の滝の修行場生活もやがて終りを告ぐべき時がめぐってまいりました。ある日私が御神前で深い深い統一に入って居りますと、ひょっくり滝の竜神さんが、例の白衣姿ですぐ間近くお現われになり、斯う仰せられるのでございました。── 『そなたの統一もその辺まで進めば先ず大丈夫、大概の仕事に差支えることもあるまい。従ってそなたがこの上ここに居る必要もなくなった訳……ではこれでお別れじゃ……。』  言いも終らず、プイと姿をお消しになり、そしてそれと入れ代りに私の指導役のお爺さんが、いつの間にやら例の長い杖をついて入口に立って居られました。  私はびっくりして訊ねました。── 『お爺さま、これから何所ぞへお引越でございますか?』 『そうじゃ……今度の修行場はきっと汝の気に入るぞ……。すぐ出掛けるとしよう……。』  不相変あっさりしたものでございます。しかし、私の方でも近頃はいくらかこちらの世界の生活に慣れてまいりましたので、格別驚きも、怪しみもせず、ただ母の紀念の守刀を身につけた丈で、心静かに坐を起ちました。  が、それにつづいて起った局面の急転回には、さすがの私も少し呆れない訳にはまいりませんでした。お暇乞いの為めに私が滝の竜神さんの祠堂に向って合掌瞑目したのはホンの一瞬間、さて眼を開けると、もうそこはすでに滝の修行場でも何でもなく、一望千里の大海原を前にした、素晴らしく見晴らしのよい大きな巌の頂点に、私とお爺さんと並んで立っていたのでした。 『ここが今度の汝の修行場じゃ。何うじゃ気に入ったであろうが……。』  びっくりした私が御返答をしようとする間もあらせず、お爺さんの姿が又々烟のように側から消えて無くなって了いました。  重ね重ねの早業に、私は開いた口が容易に塞がりませんでしたが、漸く気を落ちつけて四辺の景色を見𢌞わした時に、私は三たび驚かされて了いました。何故かと申すに、巌の上から見渡す一帯の景色が、どう見ても昔馴染の三浦の西海岸に何所やら似通って居るのでございますから……。 六十二、現世のお浚  私はうれしいのやら、悲しいのやら、自分にもよくは判らぬ気分でしばらくあたりの景色に見とれて居ましたが、不図自分の住居のことが気になって来ました。 『お爺さんは私の住居について何とも仰っしゃられなかったが、一たいそれはどこにあるのかしら……。』  私は巌の上からあちこち見まわしました。  脚下は一帯の白砂で、そして自分の立っている巌の外にも幾つかの大きな巌があちこちに屹立して居り、それにはひねくれた松その他の常盤木が生えて居ましたが、不図気がついて見ると、中で一ばん大きな彼方の巌山の裾に、一つの洞窟らしいものがあり、これに新らしい注連縄が張りめぐらしてあるのでした。 『きっとあれが私の住居に相違ない……。』  私は急いで巌から降りてそこへ行って見ると、案に違わず巌山の底に八畳敷ほどの洞窟が天然自然に出来て居り、そして其所には御神体をはじめ、私が日頃愛用の小机までがすでにキチンと取り揃えられてありました。  一と目見て私は今度の住居が、心から好きになって了いました。洞窟と言っても、それはよくよく浅いもので明るさは殆んど戸外と変りなく、そして其所から海までの距離がたった五六間、あたりにはきれいな砂が敷きつめられていて、所々に美しい色彩の貝殻や香いの強い海藻やらが散ばっているのです。 『まるきり三浦の海岸そっくり……こんな場所なら、私はいつまでここに住んでもよい……。』  私は室を出たり、入ったり、しばらく坐ることも打忘れて小娘のようにはしゃいだことでした。  今日から振り返って考えると、この海の修行場は私の為めに神界で特に設けて下すったお浚いの場所ともいうべきものなのでございました。境遇は人の心を映すとやら、自分が現世時代に親んだのとそっくりの景色の中に犇と抱かれて、別に為すこともなくたった一人で暮らして居りますと、考はいつとはなしに遠い遠い昔に馳せ、ありとあらゆる、どんな細かい事柄までもはっきりと心の底に甦って来るのでした。紅い色の貝殻一つ、かすかにひびく松風一つが私にとりてどんなにも数多き思い出の種子だったでございましょう! それは丁度絵巻物を繰り拡げるように、物心ついた小娘時代から三十四歳で歿るまでの、私の生涯に起った事柄が細大漏れなく、ここで復習をさせられたのでした。  で、この海の修行場は私にとりて一の涙の棄て場所でもありました。最初四辺の景色が気に入ってはしゃいだのはホンの束の間、後はただ思い出しては泣き、更に思い出しては泣き、よくもあれで涙が涸れなかったと思われるほど泣いたのでございました。元来私は涙もろい女、今でも未だ泣く癖がとまりませぬが、しかしあの時ほど私がつづけざまに泣いたこともなかったように覚えて居ります。  が、思い出す丈思い出し、泣きたい丈泣きつくした時に、後には何ともいえぬしんみりと安らかな気分が私を見舞ってくれました。こんないくじのない者に幾分か心の落つきが出て来たように思われるのは、たしかにあの海の修行場で一生涯のお浚をしたお蔭であると存じます。私は今でもあれが私にとりて何より難有い修行場であったと感謝せずには居られませぬ。尚おここはただ昔の思い出の場所であったばかりでなく、現世時代に関係のあった方々との面会の場所でもあり、私は随分いろいろな人達とここでお逢いしました。標本として私が彼所で実家の忠僕及び良人に逢った話なりと致しましょうか。格別面白いこともございませぬが……。 六十三、昔の忠僕  私がある日海岸で遊んで居りますと、指導役のお爺さんが例の長い杖を突きながら彼方からトボトボと歩いて来られました。何うした風の吹きまわしか、その日は大へん御機嫌がよいらしく、老顔に微笑を湛えて斯う言われるのでした。── 『今日は思い掛けない人を連れて来るが、誰であるか一つ当てて見るがよい……。』 『そんなこと、私にはできはしませぬ……できる筈がございませぬ。』 『コレコレ、汝は何の為めに多年精神統一の修行をしたのじゃ。統一というものは斯うした場合に使うものじゃ……。』 『左様でございますか。ではちょっとお待ち下さいませ……。』  私は立ちながら眼を瞑って見ると、間もなく眼の底に頭髪の真白な、痩せた老人の姿がありありと映って来ました。 『八十歳位の年寄でございますが、私には見覚がありませぬ……。』 『今に判る……。ちょっと待って居るがよい。』  お爺さんはいとも気軽にスーッと巌山をめぐって姿を消して了いました。  しばらくするとお爺さんは私が先刻霊眼で見た一人の老人を連れて再びそこへ現われました。 『何うじゃ実物を視てもまだ判らんかナ。──これは汝のお馴染の爺や……数間の爺やじゃ……。』  そう言われた時の私の頭脳の中には、旧い旧い記憶が電光のように閃きました。── 『まァお前は爺やであったか! そう言えば成るほど昔の面影が残っています。──第一その小鼻の側の黒子……それが何より確かな目標です……。』 『姫さま、俺は今日のようにうれしい事はござりませぬ。』と数間の爺やは砂上に手をついてうれし涙に咽びながら『夙から姫さまに逢わせてもらいたいと神様に御祈願をこめていたのでござりますが、霊界の掟としてなかなかお許しが降りず、とうとう今日までかかって了いましたのじゃ。しかしお目にかかって見ればいつに変らぬお若さ……俺はこれで本望でござりまする……。』  考えて見れば、私達の対面は随分久しぶりの対面でございました。現世で別れた切り、かれこれ二百年近くにもなっているのでございますから……。数間の爺やのことは、ツイうっかりしてまだ一度もお風評を致しませんでしたが、これは、むかし鎌倉の実家に仕えていた老僕なのでございます。私が三浦へ嫁いだ頃は五十歳位でもあったでしょうが、夙に女房に先立たれ、独身で立ち働いている、至って忠実な親爺さんでした。三浦へも所中泊りがけで訪ねてまいり、よく私の愛馬の手入れなどをしてくれたものでございます。そうそう私が現世の見納めに若月を庭前へ曳かせた時、その手綱を執っていたのも、矢張りこの老人なのでございました。  だんだんきいて見ると、爺やが死んだのは、私よりもざっと二十年ばかり後だということでございました。『俺は生涯病気という病気はなく、丁度樹木が自然と立枯れするように、安らかに現世にお暇を告げました。身分こそ賎しいが、後生は至って良かった方でござります……。』そんなことを申して居りました。  こんな善良な人間でございますから、こちらの世界へ移って来てからも至って大平無事、丁度現世でまめまめしく主人に仕えたように、こちらでは後生大事に神様に仕え、そして偶には神様に連れられて、現世で縁故の深かった人達の許へも尋ねて行くとのことでございました。 『この間御両親様にもお目にかからせて戴きましたが、イヤその時は欣んでよいのやら、又は悲しんでよいのやら……現世の気持とは又格別でござりました……。』  爺やの口からはそう言った物語がいくつもいくつも出ました。最後に爺やは斯んなことを言い出しました。 『俺はこちらでまだ三浦の殿様に一度もお目にかかりませぬが、今日は姫さまのお手引きで、早速日頃の望を協えさせて戴く訳にはまいりますまいか。』 『さァ……。』  私がいささか躊躇って居りますと、指導役のお爺さんが直ちに側から引きとって言われました。── 『それはいと易いことじゃが、わざわざこちらから出掛けずとも、先方からこちらへ来て貰うことに致そう。そうすれば爺やも久しぶりで御夫婦お揃いの場面が見られるというものじゃ。まさか夫婦が揃っても、以前のように人間臭い執着を起しもしまいと思うが、どうじゃその点は請合ってくれるかナ?』 『お爺さまモー大丈夫でございますとも……。』  とうとう良人の方からこの海の修行場へ訪ねて来ることになって了いました。 六十四、主従三人  間もなく良人の姿がすーッと浪打際に現われました。服装その他は不相変でございますが、しばらく見ぬ間に幾らか修行が積んだのか、何所となく身に貫禄がついて居りました。 『近頃は大へんに御無沙汰を致しました。いつも御機嫌で何より結構でございます……。』 『お互にこちらでは別に風邪も引かんのでナ、アハハハハハ。そなたも近頃は大そう若返ったようじゃ……。』  二三問答を交して居る中に、数間の爺やもそこへ現われ、私の良人と久しぶりの対面を遂げました。その時の爺やの歓びは又格別、『お二人で斯うしてお揃いの所を見ると、まるで元の現世へ戻ったような気が致しまする……。』そんなこと言って洟をすするのでした。  そうする中にも、何人がどう世話して下すったのやら、砂の上には折畳みの床几が三つほど据えつけられてありました。しかもその中の二つは間近く向き合い、他の一脚は少し下って背後の方へ……。何う見たって私達三人の為めに特別に設けてくれたとしか思えない恰好なのでございます。 『どりァ遠慮なく頂戴致そうか。』良人もひどく気を良くしてその一つに腰を降ろしました。 『こちらへ来てから床几に腰をかけるのはこれが初めてじゃが、なかなか悪るい気持は致さんな……。』  然るべく床几に腰を降ろした主従三人は、それからそれへと際限もなく水入らずの昔語りに耽りましたが、何にしろ現世から幽界へかけての長い歳月の間に、積り積った話の種でございますから、いくら語っても語っても容易に尽きる模様は見えないのでした。その間には随分泣くことも、又笑うこともありましたが、ただ有難いことに、以前良人と会った時のような、あの現世らしい、変な気持だけは、最早殆んど起らないまでに心がきれいになっていました。私は平気で良人の手を握っても見ました。 『随分軽いお手でございますね。』 『イヤ斯うカサカサして居てはさっぱりじゃ。こんな張子細工では今更同棲してもはじまるまい。』  私達夫婦の間にはそんな戯談が口をついて出るところまであっさりした気分が湧いて居ました。爺やの方では一層枯れ切ったもので、ただもううれしくて耐らぬと言った面持で、黙って私達の様子を打ち守っているのでした。  ただ一つ良人にとりての禁物は三崎の話でした。あちらに見ゆる遠景が丁度油壺の附近に似て居りますので、うっかり話頭が籠城時代の事に向いますと、良人の様子が急に沈んで、さも口惜しいと言ったような表情を浮べるのでした。『これは良けない……。』私は急いで話を他に外らしたことでございました。  困ったのは、この時良人も爺やもなかなか帰ろうとしないことで、現世でいうなら二人が二三日私の修行場に滞在するようなことになりました。尤も、それはただ気持だけの話でございます。こちらには昼も夜もないのですから、現世のようにとても幾日とはっきり数える訳には行かないのでございます。その辺がどうも話が大へんにしにくい点でございまして……。         ×      ×      ×      ×  海の修行場の話はこれで切り上げますが、兎に角この修行場は私にとりて最後の仕上げの場所で、そして私はこの時に神様から修行終了の仰せを戴いたのでございます。同時に現世の方ではすでに私の為めに一つの神社が建立されて居り、私は間もなくこの修行場からその神社の方へと引移ることになったのでございます。  それに就きての経緯は何れ改めてこの次ぎに申上げることに致しましょう。 六十五、小桜神社の由来  ツイうっかりお約束をして了いましたので、これから私が小桜神社として祀られた次第を物語らなければならぬ段取になりましたが、実は私としてこんな心苦しいことはないのでございます。御覧のとおり私などは別にこれと申してすぐれた器量の女性でもなく、又修行と言ったところで、多寡が知れて居るのでございます。こんなものがお宮に祀られるというのはたしかに分に過ぎたことで、私自身もそれはよく承知しているのでございます。ただそれが事実である以上、拠なく申上げるようなものの、決して決して私が良い気になって居る訳でも何でもないことを、くれぐれもお含みになって戴きとう存じます。私にとりてこんなしにくい話はめったにないのでございますから……。  だんだん事の次第をしらべますると、話はずっと遠い昔、私がまだ現世に生きて居た時代に遡るのでございます。前にもお話ししたとおり、良人の討死後私は所中そのお墓詣りを致しました。何にしろお墓の前へ行って瞑目すれば、必らず良人のありし日の面影がありありと眼に映るのでございますから、当時の私にとりてそれが何よりの心の慰めで、よほどの雨風でもない限り、めったに墓参を怠るようなことはないのでした。『今日も又お目にかかって来ようかしら……。』私としてはただそれ位のあっさりした心持で出掛けたまでのことでございました。この墓詣りは私が病の床につくまでざっと一年あまりもつづいたでございましょうか……。  ところが意外にもこの墓参が大へんに里人の感激の種子となったのでございます。『小櫻姫は本当に烈女の亀鑑だ。まだうら若い身でありながら再縁しようなどという心は微塵もなく、どこまでも三浦の殿様に操を立て通すとは見上げたものである。』そんな事を言いまして、途中で私とすれ違う時などは、土地の男も女も皆泪ぐんで、いつまでもいつまでも私の後姿を見送るのでございました。  里人からそんなにまで慕ってもらいました私が、やがて病の為めに殪れましたものでございますから、その為めに一層人気が出たとでも申しましょうか、いつしか私のことを世にも類なき烈婦……気性も武芸も人並すぐれた女丈夫ででもあるように囃し立てたらしいのでございます。その事は後で指導役のお爺さんから伺って自分ながらびっくりして了いました。私は決してそんなに偉い女性ではございませぬ。私はただ自分の気が済むように、一と筋に女子として当り前の途を踏んだまでのことなのでございまして……。  尤も、最初は別に私をお宮に祀るまでの話が出た訳ではなく、時々思い出しては、野良への往来に私の墓に香花を手向ける位のことだったそうでございますが、その後不図とした事が動機となり、とうとう神社というところまで話が進んだのでございました、まことに人の身の上というものは何が何やらさっぱり見当がとれませぬ。生きて居る時にはさんざん悪口を言われたものが、死んでから口を極めて讃められたり、又その反対に、生前栄華の夢を見たものが、墓場に入ってからひどい辱しめを受けたりします。そしてそれが少しも御本人には関係のない事柄なのですから、考えて見ればまことに不思議な話で、煎じつむれば、これは矢張り何やら人間以上の奇びな力が人知れず奥の方で働いているのではないでしょうか。少くとも私の場合にはそうらしく感じられてならないのでございます……。 六十六、三浦を襲った大海嘯  さて只今申上げました不図とした動機というのは、或る年三浦の海岸を襲った大海嘯なのでございました。それはめったにない位の大きな時化で、一時は三浦三崎一帯の人家が全滅しそうに思われたそうでございます。  すると、その頃、諸磯の、或る漁師の妻で、平常から私の事を大へんに尊信してくれている一人の婦人がありました。『小櫻姫にお願いすれば、どんな事でも協えて下さる……。』そう思い込んでいたらしいのでございます。で、いよいよ暴風雨が荒れ出しますと、右の婦人が早速私の墓に駆けつけて一心不乱に祈願しました。── 『このままにして置きますと、三浦の土地は皆流れて了います。小櫻姫さま、何うぞあなた様のお力で、この災難を免れさせて戴きます。この土地でお縋りするのはあなた様より外にはござりませぬ。』  丁度その時私は海の修行場で不相変統一の修行三昧に耽って居りましたので、右の婦人の熱誠こめた祈願がいつになくはっきりと私の胸に通じて来ました。これには私も一と方ならず驚きました。── 『これは大へんである。三浦は自分にとりて切っても切れぬ深い因縁の土地、このまま土地の人々を見殺しにはできない。殊にあそこには良人をはじめ、三浦一族の墓もあること……。一つ竜神さんに一生懸命祈願して見ましょう……。正しい願いであるならきっと御神助が降るに相違ない……。』  それから私は未熟な自分にできる限りの熱誠をこめて、三浦の土地が災厄から免れるようにと、竜神界に祈願を籠めますと、間もなくあちらから『願いの趣聴き届ける……。』との難有いお言葉が伝わってまいりました。  果して、さしものに猛り狂った大時化が、間もなく収まり、三浦の土地はさしたる損害もなくして済んだのでしたが、三浦以外の土地、例えば伊豆とか、房州とかは百年来例がないと言われるほどの惨害を蒙ったのでした。  斯うした時には又妙に不思議な現象が重なるものと見えまして、私の姿がその夜右の漁師の妻の夢枕に立ったのだそうでございます。私としては別にそんなことをしようという所思はなく、ただ心にこの正直な婦人をいとしい女性と思った丈のことでしたが、たまたま右の婦人がいくらか霊能らしいものを有っていた為めに、私の思念が先方に伝わり、その結果夢に私の姿までも見ることになったのでございましょう。そうしたことは格別珍らしい事でも何でもないのですが、場合が場合とて、それが飛んでもない大騒ぎになって了いました。── 『小櫻姫はたしかに三浦の土地の守護神様だ。三浦の土地が今度不思議にも助かったのは皆小櫻姫のお蔭だ。現に小櫻姫のお姿が誰某の夢枕に立ったということだ……。難有いことではないか……。』  私とすればただ土地の人達に代って竜神さんに御祈願をこめたまでのことで、私自身に何の働きのあった訳ではないのでございますが、そうした経緯は無邪気な村人に判ろう筈もございません。で、とうとう私を祭神とした小桜神社が村人全体の相談の結果として、建立される段取になって了いました。  右の事情が指導役のお爺さんから伝えられた時に私はびっくりして了いました。私は真紅になって御辞退しました。── 『お爺さま、それは飛んでもないことでございます。私などはまだ修行中の身、力量といい、又行状といい、とてもそんな資格のあろう筈がございませぬ。他の事と異い、こればかりは御辞退申上げます……。』  が、お爺さんはいつかな承知なさらないのでした。── 『そなたが何と言おうと、神界ではすでに人民の願いを容れ、小桜神社を建てさせることに決めた。そなたの器量は神界で何もかも御存じじゃ。そなたはただ誠心誠意で人と神との仲介をすればそれでよい。今更我侭を申したとて何にもならんぞ……。』 『左様な訳のものでございましょうか……。』  私としては内心多大の不安を感じながら、そうお答えするより外に詮術がないのでございました。 六十七、神と人との仲介  以上のべたところで一と通り話の筋道だけはお判りになったことと存じます。神に祀られたといえば、ちょっと大変なことのように思われましょうが、内容は決してそれほどのことではないのでございまして……。  大体日本の言葉が、肉眼に見えないものを悉く神と言って了うから、甚だまぎらわしいのでございます。神という一字の中には飛んでもない階段があるのでございます。諺にも上には上とやら、一つの神界の上には更に一だん高い神界があり、その又上にも一層奥の神界があると言った塩梅に、どこまで行っても際限がないらしいのでございます。現在の私どもの境涯からいえば、最高のところは矢張り昔から教えられて居るとおり、天照大御神様の知しめす高天原の神界──それが事実上の宇宙の神界なのでございます。そこまでは、一心不乱になって統一をやればどうやら私どもにも接近されぬでもありませぬが、それから奥はとても私どもの力量には及びませぬ。指導役のお爺さんに伺って見ましても、あまり要領は獲られませぬ……。つまり無い訳ではないが、限りある器量ではどうにもしょうがないのでございましょう。  高天原の神界から一段降ったところが、取りも直さずわれわれの住む大地の神界で、ここに君臨遊ばすのが、申すまでもなく皇孫命様にあらせられます。ここになるとずっとわれわれとの距離が近いとでも申しましょうか、御祈願をこむれば直接神様からお指図を受けることもでき、又そう骨折らずにお神姿を拝むこともできます──。尤もこれは幾らか修行が積んでからの事で、最初こちらへ参ったばかりの時は、何が何やら腑に落ちぬことばかり、恥かしながら皇孫命様があらゆる神々を統率遊ばす、真の中心の御方であることさえも存じませんでした。『幽明交通の途が杜絶ているせいか、近頃の人間はまるきり駄目じゃ……。昔の人間にはそれ位のことがよく判っていたものじゃが……。』──指導役のお爺さんからそう言ってさんざんお叱りを受けたような次第でございました。私達でさえ、すでにこれなのでございますから、現世の方々が戸惑いをなさるのも或は無理からぬことかも知れませぬ。これは矢張りお爺さんの言われる通り、この際、大いに奮発して霊界との交通を盛んにする必要がございましょう。それさえできれば斯んなことは造作もなく判ることなのでございますから……。  今更申上ぐるまでもなく、皇孫命様をはじめ奉り、直接そのお指図の下にお働き遊ばす方々は何れも活神様……つまり最初からこちらの世界に活き通しの自然霊でございます。産土の神々は申すに及ばず、八幡様でも、住吉様でも、但しは又弁財天様のような方々でも、その御本体は悉くそうでないものはございませぬ。つまるところここまでが、真正の意味の神様なので、私どものように帰幽後神として祀られるのは真正の神ではありませぬ。ただ神界に籍を置いているという丈で……。尤も中には随分修行の積んた、お立派な方々もないではありませぬが、しかし、どんなに優れていても人霊は矢張り人霊だけのことしかできはしませぬ。一つ口に申したら、真正の神様と人間との中間に立ちてお取次ぎの役目をつとめるのが人霊の仕事──。まあそれ位に考えて戴けば、大体宜しいかと存じます。少くとも私のような未熟なものにできますことは、やっとそれだけでございます。神社に祀られたからと申して、矢鱈に六ヶしい問題などを私のところにお持込みになられることは固く御辞退いたします。精一ぱいお取次ぎはいたしますが、私などの力量で何一つできるものでございましょうか……。 六十八、幽界の神社  かれこれする中に、指導役のお爺さんからは、お宮の普請が、最う大分進行して居るとのお通知がありました。── 『後十日も経てばいよいよ鎮座祭の運びになる。形こそ小さいが、普請はなかなか手が込んで居るぞ……。』  そんな風評を耳にする私としては、これまでの修行場の引越しとは異って、何となく気がかり……幾分輿入れ前の花嫁さんの気持、と言ったようなところがあるのでした。つまり、うれしいようで、それで何やら心配なところかあるのでございます。 『お爺さま、鎮座祭とやらの時には、私がそのお宮に入るのでございますか……。』 『イヤそれとも少し異う……。現界にお宮が建つ時には、同時に又こちらの世界にもお宮が建ち、そなたとしてはこちらのお宮の方に入るのじゃ。──が、そなたも知る通り現幽は一致、幽界の事は直ちに現界に映るから、実際はどちらとも区別がつけられないことになる……。』 『現界の方では、どんな個所にお宮を建てて居るのでございますか。』 『彼所は何と呼ぶか……つまり籠城中にそなたが隠れていた海岸の森蔭じゃ。今でも里人達は、遠い昔の事をよく記憶えていて、わざとあの地点を選ぶことに致したらしい……。』 『では油ヶ壺のすぐ南側に当る、高い崖のある所でございましょう、大木のこんもりと茂った……。』 『その通りじゃ。が、そんなことはこの俺に訊くまでもなく、自分で覗いて見たらよいであろう。現界の方はそなたの方が本職じゃ……。』  お爺さんはそんなことを言って、まじめに取合ってくださいませんので、止むを得ずちょっと統一して、のぞいて見ると、果してお宮の所在地は、私の昔の隠家のあったところで、四辺の模様はさしてその時分と変って居ないようでした。普請はもう八分通りも進行して居り、大工やら、屋根職やらが、何れも忙がしそうに立働いているのが見えました。 『お爺さま、矢張り昔の隠家のあった所でございます。大そう立派なお宮で、私には勿体のうございます。』 『現界のお宮もよくできて居るが、こちらのお宮は一層手が込んで居るぞ。もう夙に出来上っているから、入る前に一度そなたを案内して置くと致そうか……。』 『そうしていただけば何より結構でございますが……。』 『ではこれからすぐに出掛ける……。』  不相変お爺さんのなさることは早急でございます。  私達は連れ立ちて海の修行場を後に、波打際のきれいな白砂を踏んで東へ東へと進みました。右手はのたりのたりといかにも長閑な海原、左手はこんもりと樹木の茂った丘つづき、どう見ても三浦の南海岸をもう少しきれいにしたような景色でございます。ただ海に一艘の漁船もなく、又陸に一軒の人家も見えないのが現世と異っている点で、それが為めに何やら全体の景色に夢幻に近い感じを与えました。  歩いた道程は一里あまりでございましょうか、やがて一つの奥深い入江を𢌞り、二つ三つ松原をくぐりますと、そこは欝葱たる森蔭の小じんまりとせる別天地、どうやら昔私が隠れていた浜磯の景色に似て、更に一層理想化したような趣があるのでした。  不図気がついて見ると、向うの崖を少し削った所に白木造りのお宮が木葉隠れに見えました。大さは約二間四方、屋根は厚い杉皮葺、前面は石の階段、周囲は濡椽になって居りました。 『何うじゃ、立派なお宮であろうが……。これでそなたの身も漸く固った訳じゃ。これからは引越騒ぎもないことになる……。』  そう言われるお爺さんのお顔には、多年手がけた教え児の身の振り方のついたのを心から歓ぶと言った、慈愛と安心の色が湛って居りました。私は勿体ないやら、うれしいやら、それに又遠い地上生活時代の淡い思い出までも打ち混り、今更何と言うべき言葉もなく、ただ泪ぐんでそこに立ち尽したことでございました。 六十九、鎮座祭  そうする中にいよいよ鎮座祭の日がまいりました。 『現界の方では今日はえらいお祭騒ぎじゃ。』と指導役のお爺さんが説ききかせてくださいました。『地元の里はいうまでもなく、三里五里の近郷近在からも大へんな人出で、あの狭い海岸が身動きのできぬ有様じゃ。往来には掛茶屋やら、屋台店やらが大分できて居る……。が、それは地上の人間界のことで、こちらの世界は至って静謐なものじゃ。俺一人でそなたをあのお宮へ案内すればそれで事が済むので……。まァこれまでの修行場の引越しと格別の相違もない……。』  そう言ってお爺さんは一向に取済ましたものでしたが、私としては、それでは何やら少し心細いように感じられてならないのでした。 『あのお爺さま、』私はとうとう切り出しました。『私一人では何やら心許のうございますから、お差支なくば私の守護霊さまに一緒に来て戴きたいのでございますが……。』 『それは差支ない。そなたを爰まで仕上げるのには、守護霊さんの方でも蔭で一と方ならぬ骨折じゃった。──もう追ッつけ現界の方では鎮座祭が始まるから、こちらもすぐにその支度にかかると致そうか……。』  毎々申上げますとおり、私どもの世界では何事も甚だ手取り早く運びます。先ず私の服装が瞬間に変りましたが、今日は平常とは異って、身には白練の装束、手には中啓、足には木の蔓で編んだ一種の草履、頭髪はもちろん垂髪……甚ださッぱりしたものでございました。他に身につけていたものといえばただ母の紀念の守刀──こればかりは女の魂でございますから、いかなる場合にも懐から離すようなことはないのでございます。  私の服装が変った瞬間には、もう私の守護霊さんもいそいそと私の修行場へお見えになりました。お服装は広袖の白衣に袴をつけ、上に何やら白の薄物を羽織って居られました。 『今日は良うこそ私をお召びくださいました。』と守護霊さんはいつもの控え勝ちな態度の中にも心からのうれしさを湛え、『私がこちらの世界へ引移つてから、かれこれ四百年にもなりますが、その永い間に今日ほど肩身が広く感じられることはただの一度もございませぬ。これと申すも偏に御指導役のお爺さまのお骨折、私からも厚くお礼を申上げます。この後とも何分宜しうお依み申しまする……。』 『イヤそう言われると俺はうれしい。』とお爺さんもニコニコ顔、『最初この人を預かった当座は、つまらぬ愚痴を並べて泣かれることのみ多く、さすがの俺もいささか途方に暮れたものじゃが、それにしてはよう爰まで仕上ったものじゃ。これからは、何と言おうが、小桜神社の祭神として押しも押されもせぬ身分じゃ……。早速出掛けると致そう。』  お爺さんはいつもの通りの白衣姿に藁草履、長い杖を突いて先頭に立たれたのでした。  浪打際を歩いたように感じたのはホンの一瞬間、私達はいつしか電光のように途中を飛ばして、例のお宮の社頭に立っていました。  内部に入ってホッと一と息つく間もなく、忽ち産土の神様の御神姿がスーッと神壇の奥深くお現われになりました。その場所は遠いようで近く、又近いようで遠く、まことに不思議な感じが致しました。  恭しく頭を低げている私の耳には、やがて神様の御声が凛々と響いてまいりました。それは大体左のような意味のお訓示でございました。 『今より神として祀らるる上は心して土地の守護に当らねばならぬ。人民からはさまざまの祈願が出るであろうが、その正邪善悪は別として、土地の守護神となった上は一応丁寧に祈願の全部を聴いてやらねばならぬ。取捨は其上の事である。神として最も戒むべきは怠慢の仕打、同時に最も慎むべきは偏頗不正の処置である。怠慢に流るる時はしばしば大事をあやまり、不正に流るる時はややもすれば神律を紊す。よくよく心して、神から托された、この重き職責を果すように……。』  産土の神様のお馴示が終ると、つづいて竜宮界からのお言葉がありましたが、それは勿体ないほどお優さしいもので、ただ『何事も六ヶしい事はこちらに訊くように……。』とのことでございました。  私は今更ながら身にあまる責任の重さを感ずると同時に、限りなき神恩の忝さをしみじみと味わったことでございました。 七十、現界の祝詞  そうする中にも、今日の鎮座祭のことは、早くもこちらの世界の各方面に通じたらしく、私の両親、祖父母、良人をはじめ、その外多くの人達からのお祝いの言葉が、頻々と私の耳にひびいで参りました。それは別にあちらで通信しようとする意思はなくても、自然とそう感じられて来るのでございます。近頃は現界でも、電信とか、電話とか申すものが出来て、斯うした場合によく利用されるそうでございますが、こちらの世界でする仕事も大体それに似たもので、ただもう少し便利なように思われます。『思えば通ずる……。』それがいつも私どものヤリ口なのでございまして……。  さてその際私に感じて来た通信の中では、矢張り良人のが一ばん力強くひびきました。『そなたはいよいよ神として祀られることになり、多年連添った良人として決して仇やおろそかには考えられない。しかもその神社の所在地は、あの油壺の対岸の隠れ家の跡とやら、この上ともしっかりやって貰いますぞ……。』  兎角して居る中に、指導役のお爺さんから御注意がありました。── 『現界ではいよいよ御霊鎮めの儀に取りかかった。そなたはすぐにその準備にかかるように……。』  私の身も心も、その時急に引きしまるように覚えました。 『これから自分はこのお宮に鎮まるのだ……。』  そう思った瞬間に、私の姿はいずくともなく消えて失せて了いました。  後でお爺さんから承るところによると、私というものはその時すっかり御幣の中に入って了ったのだそうで、つまり御幣が自分か、自分が御幣か、その境界が少しも判らなくなったのでございます。  その状態がどれ位つづいたかは自分には少しも判りませぬ。が、不思議なことに、そうして居る間、現世の人達が奏上する祝詞が手に取るようにはっきりと耳に響いて来るのでございます。その後何回斯うした儀式に臨んだか知れませぬが、いつもいつも同じ状態になるのでございまして、それは全く不思議でございます。  不図自分に返って見ると、お爺さんも、又守護霊さんも、先刻の姿勢のままで、並んで神壇の前に立って居られました。 『これで俺も一と安心じゃ……。』  お爺さんはしんみりとした口調で、ただそう仰ッしゃられたのみでした。つづいて守護霊さんも口を開かれました。── 『ここまで来るのには、御本人の苦労も一と通りではありませぬが、蔭になり、日向になって、親切にお導きくだされた神さま方のお骨折りは容易なものではございませぬ。決して決してその御恩をお忘れにならぬよう……。』  その折の私としましては感極りて言葉も出でず、せき来る涙を払えもあえず、竜神さま、氏神さま、その外の方々に心から感謝のまことを捧げたことでございました。 七十一、神馬  鎮座祭が済んでから私は一たん海の修行場に引き上げました。それは小桜神社の祭神として実際の仕事にかかる前にまだ何やら心の準備が要ると考えましたからで……。  で、私は一生懸命深い統一に入り、過去の一切の羈絆を断ち切ることによりて、一層自由自在な神通力を恵まれるよう、心から神様に祈願しました。それは時間にすれば恐らく漸く一刻位の短かい統一であったと思いますが、心が引緊っている故か、私とすれば前後にない位のすぐれて深い統一状態に入ったのでございました。畏れ多くも私として、天照大御神様、又皇孫命様の尊い御神姿を拝し奉ったのは実にその時が最初でございました。他にいろいろ申上げたいこともありますが、それは主に私一人に関係した霊界の秘事に属しますので、しばらく控えさせて戴くことに致しましょう。  ただ一つここで御披露して置きたいと思いますことは、神馬の件で……。つまり不図した動機から小桜神社に神馬が一頭新たに飼われることになったのでございます。その経緯は斯うなのでございます。  私が深い統一から覚めた時に、思いも寄らず最前からそこに控えて待っていたのは、数間の爺やでございました。爺やは今日の鎮座祭の慶びを述べた後で、突然斯んなことを言い出しました。── 『姫さまが今回神社にお入りなされるにつけては、是非神馬が一頭欲しいと思いまするが……。』 『ナニ神馬?』と私はびっくりしまして『そなたは又何うしてそんな事を言い出すのじゃ……。』 『実は姫様が昔お可愛がりになった、あの若月……あれがこちらの世界に来て居るのでござります。私は何回かあの若月に逢って居りますので……。』 『若月なら私も一度こちらで逢いました……。』 『もうお逢いなされましたか……何んとお早いことで……。が、それなら尚更のことでござります。是非あの若月を小桜神社の神馬に出世させておやり下さいませ。若月がどんなに歓ぶか知れませぬ。又苟且にも一つの神社に一頭の神馬もないとあっては何となく引立ちませんでナ……。』 『そんな勝手な事が、できるかしら……。』 『できても、できなくても一応神様に談判して戴きます。これ位の願いが許されないとあっては、俺にも料簡がござります……。』  数間の爺やの権幕と言ったら大へんなものでした。  そこでとうとう私から指導役のお爺さんにお話しすると、意外にも産土の神様の方ではすでにその手筈が整って居り、神社の横手に小屋も立派に出来て居るとの事でございました。それと知った時の数間の爺やの得意さと言ったらありませんでした。 『ソーれお見なされ姫様、他のことにかけては姫様がお偉いか知れぬが、馬の事にかけては矢張りこの爺やの方が一枚役者が上でござる……。』  間もなく私は海の修行場を引き上げて、永久に神社の方に引き移りましたが、それと殆んど同時に馬も数間の爺やに曳かれて、頭を打振り打振り歓び勇んで私の所に現われました。それからずっと今日まで馬は私の手元に元気よく暮して居りますが、ただこちらでは馬がいつも神社の境内につながれて居る訳ではなく、どこに行って居っても、私が呼べばすぐ現て来るだけでございます。さびしい時は私はよく馬を相手に遊びますが、馬の方でもあの大きな舌を持って来て私の顔を舐めたりします。それはまことに可愛らしいものでございまして……。  それから馬の呼名でございますが、私は予ての念願どおり、若月を改めて、こちらでは鈴懸と呼ぶことに致しました。私が神社に落ちついてから、真先きに訪ねてくれたのは父だの、母だの、良人だのでございましたが、私は何は措いても先ずこの鈴懸を紹介しました。その際誰よりも感慨深そうに見えたのは矢張り良人でございました。良人はしきりに馬の鼻面を撫でてやりながら『汝もとうとう出世して鈴懸になったか。イヤ結構結構! 俺はもう呼名について反対はせんぞ……。』そう言って、私の方を顧みて、意味ありげな微笑を漏したことでございました。 七十二、神社のその日その日  前申上げましたように、兎も角も私は小桜神社を預かる身となったのでございますが、それから今日まで引きつづいてざっと二百年、考えて見れば随分永いことでございます。私の任務というのはごく一と筋のもので、従って格別取り立てて吹聴するような珍らしい話の種とてもありませぬが、それでもこの永い星霜の間には何や彼やと後から後からさまざまの事件が湧いてまいり、とてもその全部を御伝えする訳にもまいりませぬ。中には又現世の人達に、今ここで御漏らししてはならないことも少しはあるのでございまして……。  で、いろいろと考えました末、これからあなた方に幾分か御参考になりそうな事柄だけを拾い出して御話しをいたし、そろそろこの拙き通信を切り上げさせて戴こうと存じます。  取り敢えず祭神となってからの生活の変化と言ったような点を簡単に申上げて置こうかと存じます。御承知の通り、私の仕事は大体上の神界と下の人間界との中間に立ちて御取次ぎを致すのでございますが、これでも相当に気骨が折れまして、うっかりして居ればどんな間違をするか知れません。修行時代には指導役の御爺さんが側から一々面倒を見てくださいましたから楽でございましたが、だんだんそうばかりも行かなくなりました。『汝には神様に伺うこともちゃんと教えてあるから、大概の事は自分の力で行らねばならぬぞ……。』そう言われるのでございます。又私としても、いつまでお爺さんにばかりお縋りするのもあまりに意気地がないように感じましたので、よくよくの重大事でもなければ、めったに御相談はせぬことに覚悟をきめました。  で、私として真先きに工夫したことは一日の区画を附けることでございました、本来からいえばこちらの世界に昼夜の区別はないのでございますが、それでは現界の人達と接するのにひどく勝手が悪く、どうにも仕方がございません。何にしろ人間界の方では朝は朝、夜は夜とちゃんと区画をつけて仕事をして居るのでございますから……。  乃で、私の方でもそれに調子を合わせて生活するように致し、丁度現世の人達が朝起きて洗面をすませ、神様を礼拝すると同じように、私も朝になれば斎戒沐浴して、天照大御神様をはじめ奉り、皇孫命様、竜神様、又産土神様を礼拝し、今日一日の任務を無事に勤めさせて下さいますようにと祈願を籠めることにしました。不思議なことにそんな場合には、いつも額いている私の頭の上で、さらっと幣の音が致します。その癖眼を開けて見ても、別に何も見えはしませぬ。恐らく斯うして神界から、人知れず私の躯を浄めて下さるのでございましょう……。  夜は夜で、又神様に御礼を申上げます。『今日一日の仕事を無事に勤めさせて戴きまして、まことに難有うございました……。』その気持は別に現世の時と些しも異りはしませぬ。兎に角これで初めて重荷が降りたように感じ、自分に戻って寛ぎますが、ただ現世と異うのは、それから床を敷いて寝るでもなく、たったひとりで懐かしい昔の思い出に耽って、しんみりした気分に浸る位のものでございます。  兎に角斯うして一日を区画って働くことは指導役のお爺さんからも大へんに褒められました。『よくそれ丈の考えがついた。それでこそ任務が立派に果される……。』そう仰しゃって戴いたのでございます。  ナニ参拝人の話をいたせと仰っしゃるか……宜しうございます。私もそのつもりで居りました。これからポツポツ想い出してその御話をして見ることに致しましょう。 七十三、参拝者の種類  神社の参拝者と申しましても、その種類はなかなか沢山でございます。近年は敬神の念が薄らぎました故か、めっきり参拝者の数が減り、又熱心さも薄らいだように感じられますが、昔は大そう真剣な方が多かったものでございます。時勢の変化はこちらから観て居ると実によく判ります。神霊の有るか、無いかもあやふやな人達から、単に形式的に頭を低げてもらいましても、ドーにも致方がございませぬ。神詣でには矢張り真心一つが資本でございます。たとえ神社へは参詣せずとも、熱心に心で念じてくだされば、ちゃんとこちらへ通ずるのでございますから……。  参拝者の中で一ばんに数も多く、又一ばんに美しいのは、矢張り何の註文もなしに、御礼に来らるる方々でございましょう。『毎日安泰に暮させていただきまして誠に難有うございます。何卒明日も無事息災に過せますよう……。』昔はこんなあっさりしたのが大そう多かったものでございます。殊に私が神に祀られました当座は、海嘯で助けられた御礼詣りの人々で賑いました。無論あの海嘯で相当沢山の人命が亡びたのでございますが、心掛の良い遺族は決して恨みがましいことを申さず、死ぬのも皆寿命であるとあきらめて、心から御礼を述べてくれるのでした。私として見れば、自分の力一つで助けた訳でもないのでございますから、そんな風に御礼を言われると却って気の毒でたまらず、一層身を入れてその人達を守護して上げたい気分になるのでした。  斯う言った御礼詣りに亜いで多いのは病気平癒の祈願、就中小供の病気平癒の祈願でございます。母性愛ばかりはこれは全く別で、あれほど純な、そしてあれほど力強いものはめったに他に見当りませぬ。それは実によく私の方に通じてまいります。──が、いかに依まれましても人間の寿命ばかりは何うにもなりませぬ。随分一心不乱になって神様に御縋りするのでございますが、死ぬものは矢張り死んで了います。そうした場合に平生心懸のよいものは、『これも因縁だから致方がございませぬ……。』と言って、立派にあきらめてくれますが、中には随分性質のよくないのがない訳でもございません。『あんな神様は駄目だ……幾ら依んだって些つとも利きはしない……。』そんな事を言って挨拶にも来ないのです。それが又よくこちらに通じますので……。矢張り人物の善悪は、うまく行った場合よりも拙く行った場合によく判るようでございます。  次ぎに案外多いのは若い男女の祈願……つまり好いた同志が是非添わしてほしいと言ったような祈願でございます。そんなのは篤と産土神様に伺いまして、差支のないものにはできる丈話が纏まるように骨を折ってやりますが、ひょっとすると、妻子のある男と一緒になりたいとか、又人妻と添はしてくれとか、随分道ならぬ、無理な註文もございます。無論私としてはそんな祈願を受附けないばかりか、次第によれば神様に申上げて懲戒を下して戴きもします。もぐりの流行神なら知らぬこと、苟くも正しい神として斯んな祈願に耳を傾けるものは絶対に無いと思えば宜しいかと存じます。  その外には事業成功の祈願、災難除けの祈願等いろいろございます。これは何れの神社でも恐らく同様かと存じます。人間はどんなに偉くても随分と隙間だらけのものであり、又随分と気の弱いものでもあり、平生は大きなことを申して威張って居りましても、まさかの場合には手も足も出はしませぬ。無論神の援助にも限りはありますが、しかし神の援助があるのと無いのとでは、そこに大へんな相違ができます。もともと神霊界ありての人間界なのでございますから、今更人間が旋毛を曲げて神様を無視するにも及びますまい。神様の方ではいつもチャーンとお膳立をして待って居て下さるのでございます。  それからモー一つ申上げて置きたいのは、あの願掛け……つまり念入りの祈願でございまして、これは大てい人の寝鎮まった真夜中のものと限って居ります。そうした場合には、むろん私の方でもよく注意してきいて上げ、夜中であるから良けないなどとは決して申しませぬ。現世でいうなら丁度急病人に呼び起されるお医者様と言ったところでございましょうか……。  まだまだ細かく申したら際限もありませぬが、参拝者の種類はざっと以上のようなところでございましょう、これから二つ三つ私の手にかけた実例をお話して見ることに致しますが、その前にちょっと申上げて置きたいのは、それ等の祈願を聴く場合の私の気持でございます。ただぼんやりしていたのでは聴き漏しがありますので、私は朝になればいつも深い統一状態に入り、そしてそのまま御弊と一緒になって了うのでございます。その方が参拝者達の心がずっとよく判るからでございます。つまり私の二百年間のその日その日はいつも御弊と一体、夜分参拝者が杜絶た時分になって初めて自分に返って御弊から離れると言った塩梅なのでございます。  ではこれからお約束の実例に移ります……。 七十四、命乞い  ここに私が神社に入ってから間もなく手にかけた事件がございますから、あまり珍らしくもありませぬが、それを一つお話しいたして見ましょう。それは水に溺れた五歳位の男の児の生命を助けたお話でございます。  その小供は相当地位のある人……たしか旗本とか申す身分の人の忰でございまして、平生は江戸住いなのですが、お附きの女中と申すのが諸磯の漁師の娘なので、それに伴れられてこちらへ遊びに来ていたらしいのでございます。丁度夏のことでございましたから、小供は殆んど家の内部に居るようなことはなく、海岸へ出て砂いじりをしたり、小魚を捕えたりして遊びに夢中、一二度は女中と一緒に私の許へお詣りに来たこともありました、普通なら一々参拝者を気にとめることもないのですが、右の女中と申すのが珍らしく心掛のよい、信心の熱い娘でございましたから、自然私の方でも目を掛けることになったのでございます。現と幽とに分れて居りましても、人情にかわりはなく、先方で熱心ならこちらでもツイその真心にほだされるのでございます。  すると或る日、この小供の身に飛んでもない災難が降って湧いたのでございます。御承知の方もありましょうが、三崎の西海岸には巌で囲まれた水溜があちこちに沢山ありまして、土地の漁師の小供達はよくそんなところで水泳ぎを致して居ります。真黒く日に焦けた躯を躍り狂わせて水くぐりをしているところはまるで河童のよう、よくあんなにもふざけられたものだと感心される位でございます。江戸から来ている小供はそれが羨しくて耐らなかったものでございましょう、自分では泳げもせぬのに、女中の不在の折に衣服を脱いで、深い水溜の一つに跳び込んだから耐りませぬ。忽ちブクブクと水底に沈んで了いました。しばらく過ぎてからその事が発見されて村中の大騒ぎとなりました。何にしろ附近に医師らしいものは居ない所なので、漁師達が寄ってたかって、水を吐かせたり、焚火で煖めたり、いろいろ手を尽しましたが、相当時刻が経っている為めに何うしても気息を吹き返さないのでした。  いよいよ絶望と決まった時に、私の許へ夢中で駆けつけたのが、例のお附の女中でございました。その娘はまるで半狂乱、頭髪を振り乱して階段の下に伏しまろび、一生懸命泣き乍ら祈願するのでした。── 『小櫻姫様、どうぞ若様の生命を取りとめて下さいませ……。私の過失で大切の若様を死なせて了っては、ドーあってもこの世に生き永らえて居られませぬ。たとえ私の生命を縮めましても若様を生かしていただきます。小供の時分から信心して居る私でございます、今度ばかりは是非私の願いをお聴き入れ下さいませ……。』  私の方でも心から気の毒に思いましたから、時を移さず一生懸命になって神様に命乞いの祈願をかけましたが、何分にも相当手遅れになって居りますので、神界から、一応は駄目であるとのお告でございました。しかし人間の至誠と申すものは、斯うした場合に大した働きをするものらしく、くしびな神の力が私から娘に、娘から小供へと一道の光となって注ぎかけ、とうとう死んだ筈の小供の生命がとりとめられたのでございました。全く人間はまごころ一つが肝要で、一心不乱になりますと、躯の内部から何やら一種の霊気と申すようなものが出て、普通ではとてもできない不思議な仕事をするらしいのでございます。  兎に角死んだ筈の小供が生き返ったのを見た時は私自身も心から嬉しうございました。まして当人はよほど有難かったらしく、早速さまざまのお供物を携えてお礼にまいったばかりでなく、その後も終生私の許へ参拝を欠かさないのでした。こんなのは善良な信者の標本と言っても宜しいのでございましょう。 七十五、入水者の救助  今度は一つ夫婦のいさかいから、危く入水しようとした女のお話を致しましょうか……。大たい夫婦争いにあまり感心したものは少のうございまして、中には側で見ている方が却って心苦しく、覚えず顔を背けたくなる場合もございます。これなども幾分かその類でございまして……。  或る日一人の男が蒼白な顔をして、慌てて社の前に駆けつけました。何事かしらと、じっと見て居りますると、その男はせかせかとはずむ呼吸を鎮めも敢えず、斯んなことを訴えるのでした。── 『神さま、何うぞ私の一生の願いをお聴き届け下さいませ……。私の女房奴が入水すると申して、家出をしたきり皆目行方が判らないのでございます。神様のお力でどうぞその足留めをしてくださいますよう……。実際のところ私はあれに死なれると甚だ困りますので……。私が他所に情婦をつくりましたのは、あれはホンの当座の出来心で、心から可愛いと思っているのは、矢張り永年連れ添って来た自家の女房なのでございます……。ただ彼女が余んまり嫉妬を焼いて仕方がございませんから、ツイ腹立まぎれに二つ三つ頭をどやしつけて、貴様のような奴はくたばって了えと呶鳴りましたが、心の底は決してそうは思っていないのでございます……。あんなことを言ったのは私が重畳悪うございました。これに懲りまして、私は早速情婦と手を切ります……。あの大切な女房に死なれては、私はもうこの世に生きている甲斐がありませぬ……。』  この男は三崎の町人で、年輩は三十四五の分別盛り、それが涙まじりに斯んなことを申すのでございますから、私は可笑しいやら、気の毒やら、全く呆れて了いました。でも折角の依みでございますから、兎も角も家出した女房の行方を探って見ますと、すぐその所在地が判りました。女は油ヶ壺の断崖の上に居りまして、しきりに小石を拾って袂の中に入れて居るのは、矢張り本当に入水するつもりらしいのでございます。そしてしくしく泣きながら、斯んなことを言って居りました。── 『口惜しい口惜しい! 自分の大切な良人をあんな女に寝とられて、何で黙って置けるものか! これから死んで、あの女に憑依いて仇を取ってやるからそう思って居るがよい……。』  平生はちょいちょい私のところへもお詣りに来る、至って温和な、そして顔立もあまり悪くはない女なのでございますのに、嫉妬の為めには斯んなにも精神が狂って、まるきり手がつけられないものになって了うのでございます。  見るに見兼ねて私は産土の神様に、氏子の一人が斯んな事情になって居りますから、何うぞ然るべく……と、お願いしてやりました。寿命のない者は、いかにお願いしてもおきき入れがございませぬが、矢張りこの女にはまだ寿命が残って居たのでございましょう、産土の神様の御眷族が丁度神主のような姿をしてその場に現われ、今しも断崖から飛び込まうとする女房の前に両手を拡げて立ちはだかったのでございます。  不意の出来事に、女房は思わずキャッ! と叫んで、地面に臀餅をついて了いましたが、その頃の人間は現今の人間とは異いまして、少しは神ごころがございますから、この女もすぐさまそれと気がついて、飛んだ心得違いをしたと心から悔悟して、死ぬることを思いとどまったのでございました。  一方私の方ではそれとなく良人の心に働きかけて、油ヶ壺の断崖の上に導いてやりましたので、二人はやがてバッタリと顔と顔を突き合わせました。 『ヤレヤレ生きていてくれたか……何と難有いことであろう……。』 『これというのも皆神様のお蔭……これから仲よく暮しましょう……。』 『俺が悪かった、勘弁してくれ。』 『お前もこれからわたしを可愛がって……。』  二人は涙ながらに、しがみついていつまでもいつまでも離れようとしないのでした。  その後男はすっかり心を入れかえ、村人からも羨まるるほど夫婦仲が良くなりました。現在でもその子孫はたしか彼地に栄えて居る筈でございます……。 七十六、生木を裂れた男女  あまり多愛のないお話ばかりつづきましたので、今度は少しばかり複雑ったお話……一つ願掛けのお話を致して見ましょう。この願掛けにはあまり性質の良いのは少うございます。大ていは男に情婦ができて夫婦仲が悪くなり、嫉妬のあまりその情婦を呪い殺す、と言ったのが多いようで、偶には私の所へもそんなのが持ち込まれることもあります。でも私としては、全然そう言った厭らしい祈願にはかかり合わないことにして居ります。呪咀が利く神は、あれは又別で、正しいものではないのでございます。話の種子としては或はその方が面白いか存じませぬが、生憎私の手許には一つもその持ち合わせがございませぬ。私の存じて居りますのは、ただきれいな願掛けのお話ばかりで、あまり面白くもないと思いますが、一つだけ標本として申上げることに致しましょう……。  それは或る鎌倉の旧家に起りました事件で、主人夫婦は漸く五十になるか、ならぬ位の年輩、そして二人の間にたった一人の娘がありました。母親が大へん縹緻よしなので、娘もそれに似て鄙に稀なる美人、又才気もはじけて居り、婦女の道一と通りは申分なく仕込まれて居りました。此が年頃になったのでございますから、縁談の口は諸方から雨の降るようにかかりましたが、俚諺にも帯に短かし襷に長しとやら、なかなか思う壺にはまったのがないのでございました。  すると或る時、鎌倉のある所に、能狂言の催しがありまして、親子三人連れでその見物に出掛けました折、不図間近の席に人品の賎しからぬ若者を見かけました。『これなら娘の婿として恥かしくない……。』両親の方では早くもそれに目星をつけ、それとなく言葉をかけたりしました。娘の方でも、まんざら悪い気持もしないのでした。  それから早速人を依んで、だんだん先方の身元を査べて見ると、生憎男の方も一人息子で、とても養子には行かれない身分なのでした。これには双方とも大へんに困り抜き、何とか良い工夫はないものかと、いろいろ相談を重ねましたが、もともと男の方でも女が気に入って居り、又女の方でも男が好きだったものでございますので、最後に、『二人の間に子供ができたらそれを与る』という約束が成り立ちまして、とうとう黄道吉日を選んでめでたく婿入りということになったのでした。  夫婦仲は至って円満で、双方の親達も大そう悦こびました。これで間もなく懐胎って、男の児でも生れれば、何のことはないのでございますが、そこがままならぬ浮世の習いで、一年経っても、二年過ぎても、三年が暮れても、ドウしても小供が生れないので、婿の実家の方ではそろそろあせり出しました。『この分で行けば家名は断絶する……。』──そう言って騒ぐのでした。が、三年ではまだ判らないというので、更に二年ほど待つことになりましたが、しかしそれが過ぎても、矢張り懐胎の気配もないので、とうとう実家では我慢がし切れず、止むを得ないから離縁して帰ってもらいたい、ということになって了いました。  二人の仲はとても濃かで、別れる気などは更になかったのでございますが、その頃は何よりも血筋を重んずる時代でございましたから、お婿さんは無理無理、あたかも生木を裂くようにして、実家へ連れ戻されて了ったのでした。今日の方々は随分無理解な仕打と御思いになるか存じませぬが、往時はよくこんな事があったものでございまして……。  兎に角斯うして飽きも飽かれもせぬ仲を割かれた娘の、その後の歎きと言ったら又格別でございました。一と月、二た月と経つ中に、どことはなしに躯がすっかり衰えて行き、やがて頭脳が少しおかしくなって、良人の名を呼びながら、夜中に臥床から起き出してあるきまわるようなことが、二度も三度も重なるようになって了いました。  保養の為めに、この娘が一人の老女に附添われて、三崎の遠い親戚に当るものの離座敷に引越してまいりましたのは、それから間もないことで、ここではしなくも願掛けの話が始まるのでございます。 七十七、神の申子  或る夜社頭の階段の辺に人の気配が致しますので、心を鎮めてこちらから覗いて見ますと、其処には二十五六の若い美しい女が、六十位の老女を連れて立って居りましたが、血走った眼に洗い髪をふり乱して居る様子は、何う見ても只事とは思われないのでした。  女はやがて階段の下に跪いて、こまごまと一伍一什を物語った上で、『何卒神様のお力で子供を一人お授け下さいませ。それが男の子であろうと、女の子であろうと、決して勝手は申しませぬ……。』と一心不乱に祈願を籠めるのでした。  これで一と通り女の事情は判ったのでございますが、男の方を査べなければ何とも判断しかねますので、私はすぐ其場で一層深い精神統一状態に入り、仔細にその心の中まで探って見ました。すると男も至って志繰の確かな、優さしい若者で、他の女などには目もくれず、堅い堅い決心をして居ることがよく判りました。  これで私の方でも真剣に身を入れる気になりましたが、何分にも斯んな祈願は、まだ一度も手掛けたことがないものでございますから、何うすれば子供を授けることができるのか、更に見当がとれませぬ。拠なく私の守護霊に相談をかけて見ましたが、あちらでも矢張りよく判らないのでございました。  そうする中にも、女の方では、雨にも風にもめげないで、初夜頃になると必らず願掛けにまいり、熱誠をこめて、早く子供を授けていただきたいとせがみます。それをきく私は全く気が気でないのでございました。  とうとう思案に余りまして、私は指導役のお爺さんに御相談をかけますと、お爺さんからは、斯んな御返答がまいりました。── 『それは結構なことであるから、是非子供を授けてやるがよい。但しその方法は自分で考えなければならぬ。それがつまり修行じゃ。こちらからは教えることはできない……。』  私としては、これは飛んでもないことになったと思いました。兎に角相手なしに妊娠しないことはよく判って居りますので、不取敢私は念力をこめて、あの若者を三崎の方へ呼び寄せることに致しました……。つまり男にそう思わせるのでございますが、これはなかなか並大ていの仕事ではないのでございまして……。  幸いにも私の念力が届き、男はやがて実家から脱け出して、ちょいちょい三崎の女の許へ近づくようになりました。乃で今度は産土の神様にお願いして、その御計らいで首尾よく妊娠させて戴きましたが、これがつまり神の申子と申すものでございましょう。只その詳しい手続きは私にもよく判りかねますので……。  これで先ず仕事の一段落はつきましたようなものの、ただこの侭に棄て置いては、折角の願掛けが協ったのか、協わないのかが、さっぱり人間の方に判りませんので、何とかしてそれを先方に通じさせる工夫が要るのでございます。これも指導役のお爺さんから教えられて、私は女が眠っている時に、白い珠を神様から授かる夢を見せてやりました。御存じの通り、白い珠はつまり男の児の徴号なのでございまして……。  女はそれからも引きつづいてお宮に日参しました。夢に見た白い玉がよほど気がかりと見えまして、いつもいつも『あれは何ういう訳でございますか?』と訊ねるのでございましたが、幽明交通の途が開けていない為めに、こればかりは教えてやることはできないので甚だ困りました。──が、その中、妊娠ということが次第に判って来たので、夫婦の歓びは一と通りでなく、三崎に居る間は、よく二人で連れ立ちてお礼にまいりました。  やかて月満ちて生れたのは、果して珠のような、きれいな男の児でございました。俗に神の申子は弱いなどと申しますが、決してそのようなものではなく、この児も立派に成人して、父親の実家の後を継ぎました。私のところにまいる信者の中では、この人達などが一番手堅かった方でございまして……。         ×      ×      ×      ×  斯う言った実話は、まだいくらでもございますが、そのおうわさは別の機会に譲り、これからごく簡単に神々のお受持につきて、私の存じて居るところを申し上げて、一と先ずこの通信を打ち切らせていただきとうございます。 七十八、神々の受持  神々のお受持と申しましても、これは私がこちらで実地に見たり、聞いたりしたところを、何の理窟もなしに、ありのまま申上げるのでございますから、何卒そのおつもりできいて戴きます。こんなものでも幾らか皆さまの手がかりになれば何より本望でございます。  現世の方々が、何は措いても第一に心得て置かねばならぬのは、産土の神様でございましょう。これはつまり土地の御守護に当らるる神様でございまして、その御本体は最初から活き通しの自然霊……つまり竜神様でございます。現に私どもの土地の産土様は神明様と申上げて居りますが、矢張り竜神様でございまして……。稀に人霊の場合もあるようにお見受けしますが、その補佐には矢張り竜神様が附いて居られます。ドーもこちらの世界のお仕事は、人霊のみでは何彼につけて不便があるのではないかと存じられます。  さて産土の神様のお任務の中で、何より大切なのは、矢張り人間の生死の問題でございます。現世の役場では、子供が生れてから初めて受附けますが、こちらでは生れるずっと以前からそれがお判りになって居りますようで、何にしましても、一人の人間が現世に生れると申すことは、なかなか重大な事柄でございますから、右の次第は産土の神様から、それぞれ上の神様にお届けがあり、やがて最高の神様のお手許までも達するとの事でございます。申すまでもなく、生れる人間には必らず一人の守護霊が附けられますが、これも皆上の神界からのお指図で決められるように承って居ります。  それから人間が歿なる場合にも、第一に受附けてくださるのが、矢張り産土の神様で、誕生のみが決してそのお受持ではないのでございます。これは氏子として是非心得て置かねばならぬことと存じられます。尤もそのお仕事はただ受附けて下さるだけで、直接帰幽者をお引受け下さいますのは大国主命様でございます。産土神様からお届出がありますと、大国主命様の方では、すぐに死者の行くべき所を見定め、そしてそれぞれ適当な指導役をお附けくださいますので……。指導役は矢張り竜神様でございます。人霊では、ややもすれば人情味があり過ぎて、こちらの世界の躾をするのに、あまり面白くないようでございます。私なども矢張り一人の竜神さんの御指導に預かったことは、かねがね申上げて居ります通りで、これは私に限らず、どなたも皆、その御世話になるのでございます。つまり現世では主として守護霊、又幽界では主として指導霊、のお世話になるものとお思いになれば宜しうございます。  尚お生死以外にも産土の神様のお世話に預かることは数限りもございませぬが、ただ産土の神様は言わば万事の切盛りをなさる総受附のようなもので、実際の仕事には皆それぞれ専門の神様が控えて居られます。つまり病気には病気直しの神様、武芸には武芸専門の神様、その外世界中のありとあらゆる仕事は、それぞれ皆受持の神様があるのでございます。人間と申すものは兎角自分の力一つで何でもできるように考え勝ちでございますが、実は大なり、小なり、皆蔭から神々の御力添えがあるのでございます。  さすがに日本国は神国と申されるだけ、外国とは異って、それぞれ名の附いた、尊い神社が到る所に見出されます。それ等の御本体を査べて見ますると、二た通りあるように存じます。一つはすぐれた人霊を御祭神としたもので、橿原神宮、香椎宮、明治神宮などがそれでございます。又他の一つは活神様を御祭神と致したもので、出雲の大社、鹿島神宮、霧島神宮等がそれでございます。ただし、いかにすぐれた人霊が御本体でありましても、その控えとしては、必らず有力な竜神様がお附き遊ばして居られますようで……。  今更申上ぐるまでもなく、すべての神々の上には皇孫命様がお控えになって居られます。つまりこの御方が大地の神霊界の主宰神に在しますので……。更にそのモー一つ奥には、天照大御神様がお控えになって居られますが、それは高天原……つまり宇宙の主宰神に在しまして、とても私どもから測り知ることのできない、尊い神様なのでございます……。  神界の組織はざっと右申上げたようなところでございます。これ等の神々の外に、この国には観音様とか、不動様とか、その他さまざまのものがございますが、私がこちらで実地に査べたところでは、それはただ途中の相違……つまり幽界の下層に居る眷族が、かれこれ区別を立てているだけのもので、奥の方は皆一つなのでございます。富士山に登りますにも、道はいろいろつけてございます。教えの道も矢張りそうした訳のものではなかろうかと存じられます。では一と先ずこれで……。 (完結) 底本:「霊界通信 小桜姫物語」潮文社    1985(昭和60)年7月31日第1刷発行    1998(平成10)年7月31日第9刷発行 底本の親本:「霊界通信 小櫻姫物語」心霊科学研究会出版部    1937(昭和12)年2月初版発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※横組み中のダブルミニュートには、底本では、JIS X 0213規格票の、縦書き用字形が用いられています。 入力:浅野和三郎・著作保存会(泉美、老神いさお、MUPさくら) 校正:POKEPEEK2011 2012年9月18日作成 2014年6月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。