経験派 織田作之助 Guide 扉 本文 目 次 経験派  彼は小説家だった。下手な小説家だった。その証拠に実感を尊重しすぎた。  彼は掏摸の小説を構想した。が、どうも不安なので、掏摸の顔を見たさに、町へ出た。  ところが、一人も掏摸らしい男に出会わなかった。すごすご帰りの電車に乗って、ふと気がつくと、財布がない。掏られていたのだ。彼は悲しむまえに喜んだ。 「これで掏摸の小説が書ける」  彼は飛ぶように家へ帰った。そして机の前に坐ると、掏られたはずの財布がちゃんと、のっている。持って出るのをうっかり忘れていたのだ。  彼は原稿用紙の第一行に書かれている「掏摸の話」という題を消して、おもむろに、 「あわて者」  という題を書いた。そして、あわて者を主人公にした小説を書き出した。 底本:「定本織田作之助全集 第六巻」文泉堂出版    1976(昭和51)年4月25日発行    1995(平成7)年3月20日第3版発行 入力:桃沢まり 校正:小林繁雄 2009年8月22日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。