日本芸能の話 折口信夫 Guide 扉 本文 目 次 日本芸能の話 一 芸能といふことばの発生 二 二つの使ひ方について 三 吾々の目的とするもの 四 外国のてまに囚はれない態度 五 日本芸能の本質の究明へ 一 芸能といふことばの発生 お互ひにおめでたうございます。どうぞこの上とも皆さんのお力をもちまして、この会の目的が達成せられますやうに、また努めて行きますうちに、だん〳〵新しいよい目的を発見して、展開して行く、それもだん〳〵遂げて行きますには、皆さんのお力をお借りしたいと申す外はございません。 芸能といふことにつきましては、皆さんにいろ〳〵なお考へもおありでせうが、大体に於て、シナで使つて居りました芸能といふ意味と、日本で使つて居ります芸能といふ意味とは、非常に違つて居りますので、只今文部省なんかで使ひ初めました芸能といふのは、全くシナの意味の芸能といふ用語例に沿うてゐるものです。日本の芸能といふ語は恐らく平安朝の末頃から慥かに現れて来るのだと思ひます。それもとび〳〵に現れて参ります。御存じのことでせうが、能といふのは下に心といふ字がついた態といふ字の略字が能といふ字になりまして、それが終ひには、発音までのうといふやうになつて来たのです。もとは芸態といふ風に書いてをるのであります。その態、即能といふのは物真似といふ意味です。即、芸と態とを併せて芸能といふのですから、非常にいろ〳〵なものを道々含んで来まして、吉野朝時代に出ました下学集を見ますと、態芸門といふやうな部類が出来てゐます。 尤、その態芸門つまり芸能門には初めは芸能といふ語が使用されてをりますが、分類が不正確でございまして、皇室に関することだとか、政治家に関することなども、この態芸門に這入つて来るやうな雑然とした分類の為方なのですが、大体田楽だとか、簓だとか、猿楽などといふやうな語が這入つてをるので、吾々の考へてゐる芸能と同じものだと考へてもよいと思ひます。 この芸能といふものは芸術として扱はれる範囲のものでない、まう少し違つた位置にある、吾々がいま芸能と言うてゐるものゝ部類に当るのだと思ひます。つまり、音楽だとか、演劇だとか、歌謡だとか、さういふものを引括めて、まう少し大衆が見て楽しむことの出来るやうなものを芸能と言うてゐるやうであります。 二 二つの使ひ方について 吾々は今ではこの芸能といふことを少し高い意味にも使つて居りますやうで、昔の意味よりは自然範囲も拡つてゐるやうに思ひますけれども、もとは右のやうになつてゐるのでありますから、さういふ意味で芸能といふ語を使つて行つてもよからうと思ひます。これは全く芸能といふ語が自然に口から口へずつと生きて来たのではなくて、或時代には芸能といふ語が消えてしまつて居りますが、近年になつてまた芸能といふ語が復活して参りました。 これについて文部省風の芸能科などといふ芸能といふ語も出来て来ました。そこでここに意味のちがつた芸能が二つある訣になるのです。情報局あたりでは吾々の考へ方に沿うて、「芸能」といふ語を使つてゐられるやうであります。 結局、吾々の学会で申します芸能といふ意味が、今では教育界の芸能といふものを何か、蹴散したやうな形になつて居りますが、それが本道だと思ひます。 どのみち一つの語が、非常に違つた意味を、──使ひ方を二つ持つてゐるといふことは非常に不自由なことですから、どつちかに偏つた方が結構なことだと思ひます。 その意味でも吾々の働きといふことは大事だと思ひます。 三 吾々の目的とするもの それでわたくしども、といふと口はゞつたい話になりますが、皆さんと共にこれから一緒に進んで参りたいと思ひますが、結局われ〳〵の学会の目的はどういふことにおいたらよからうかといふことになります。先に申しましたやうに、吾々が小さい山に登りますと、初めは一つの山しかないと思うてゐるけれども、その山を登つて行くと更にまう一つ上がある。その山を登つて行くと更にまう一つ上がある。恰度一幕物と幕数の多い戯曲と同じ関係だと思ひます。一つ上つて行つたらそれで一幕物になつてゐますが、一幕物が完成すると更にまう一つ山がある。まう一つ進んで行くとまた山があるといふ風にして、幕数の多い戯曲といふものが出来て来るのだと思ひます。こゝには近代劇に関係の深いお方もをられますから、そんなことをいふと演劇に対して随分理会がないといはれることでせうが、まあわたくしども素人はさういふ風に考へてゐるのです。 吾々の目的も、或点まで進めばまたきつと新しい目的を考へて来ると思ひます。学術の会としての一番の興味はそこにあるのだと思ひます。初めから目的が固定してゐるのならば簡単なことです。 しかし吾々が最初に持つてゐる目的といふものは、確かに言へるのは一つございます。 四 外国のてまに囚はれない態度 それは御存じの通り日本の芸能の上に起つたことですが、外国から芸能といふのには勿体ないやうな芸術が昔渡来して来ました。即、シナから、朝鮮から、西域から参つて、そのため、日本の在来の芸能が消えてしまつたことがあります。これは非常に残念なことですが、つまり、それに抵抗する程のものを持つてゐなかつたといふことになりませう。 しかしそれは芸能すべてがさうではありません。極めて組織の複雑な大きな芸能といふものに対しては、日本の芸能はどうも抵抗力がなくて消えてしまつた悔があるのであります。けれども、今後もしさういふことになつて行つたら、日本人にとつて非常に不幸なことであります。 もし芸能の上に於て昔の日本人が、大陸から渡つて来た大きな組織のある芸能芸術に負けないだけのものを持つてをつたなら、日本人の生活は、今よりももつと幸福だつたでせう。さういふ後悔をば吾々の後の子孫が繰り返すやうなことがあれば、吾々の不面目といふよりも、吾々が子孫に対して、誠に不忠実であつたといふことになるのです。それに現実に於ても或点ではさういふ傾向がないとは申されません。つまり音楽とか、舞踊とか、劇とかばかりではないのです。 大抵の芸術といふものは、その諒承して行く方面の外に気分に関係した方面が多いもので、つまり、その気分に関係した方が吾々に働き掛け、吾々の実生活を支配して行きますと、一つの大きなてまを吾々に愬へて、吾々を引張つて行きますゆゑ、その点が吾々にとつても最問題であります。 つまり、いゝかげんな移り気や浮気な心で、吾々は当期々々の外国の相当な芸能を喜んで迎へてをりますが、それがちやんと納まるべき所に納まり、吾々の持つてゐるものとどのくらゐの調和が出来るかといふ批判もなしに、そのまゝ外国のてまに吾々が囚はれて流れて行くやうなことがあつたら、ゆゝしいことだと思ひます。 吾々が申さなくても、そのことはあなた方は既にお思ひ当りになつてゐる方が沢山あると思ひます。だから根本に外国流の生活に吾々がなる一歩手前に於て、世の中がかういふ風に改つて来たことは、吾々のためには非常に幸福であります。非常にせつぱ詰つた幸福ですけれども、ともかく、体から血が滲み出るやうな非常な痛切な幸福を、今吾々が味うてゐるのです。この時こそ、吾々はこの問題を是非とも解決しなければなりません。もし未解決のまゝであつたら、吾々の後々の人は、吾々が正しい措置を誤つたために、精神上に於て外国文化のために外国から征服せられた形を受け継ぐことになります。つまり、吾々はこゝでどうしても、正しくない外国文化のために征服せられてはならないのです。 而も、芸術といふものは国際性を持つたものですゆゑ、国際的即人道的なのだから、それがいゝぢやないかと思つてゐる傾きがあります。 だから世の中は自然、人道的な国際的な、国籍のはつきりしないやうなものになつて行きます。これは芸術・芸能の持つてゐる或恐しい力だと思ひます。 五 日本芸能の本質の究明へ こゝで吾々がまう一度努力を新しくして、日本芸能といふものゝ本質に突き当つて見、更に外国の芸術・芸能についてもまう一度深く考へて見る時に、恰度いま、行き当つてゐる訣です。さうしますれば、こゝで吾々の大体の態度が決つて来るのです。 つまりさういふ外国の芸能文化を排斥するといふやうな簡単な生温い意味でなしに、もつと吾々の根本の生活力を築き上げるために、それを讃へるために、いまの日本式な芸能についての研究を深める。さうすることによつて、自ら外国から這入つて来る芸能文化に対する取捨選択が正しく行はれるのです。そこに吾々がかういふ芸能学会といふものを始めた意味もございますし、あなた方が御賛成下さつたのも、この会の目的をそこに感じて下さつたからだと信じてゐるのです。 実際の芸能家・芸術家もゐられるが、併し、吾々は学者なのですから、根本的に学者としての立ち場から吾々の国の芸術・芸能に対して思ひを深めて見る。さうすればそこに自ら吾々の芸能に対する学問も出来て来る。さうすれば、解決つけるべきものは自ら解決がついて来ると確信致してをります。だから、もう焦眉の急ではありますが、学問といふものは、もう吾々の頭上に飛行機がやつて来たといふやうなものではないけれど、早晩大きな飛行機が吾々の頭の上にやつて来るのです。 そこで、吾々は、今こそ、それに対して大きな大砲を用意して置かなければなりません。この大砲はそれを撃ち退けるための大砲でなく、つまり吾々の学問をば日本の国民に──日本の国民といふものは、存外取捨選択を適当にしてゐない歴史がありますが、たゞ国民の生活力によつて、取捨選択を誤つたものでも醇化して、それに負けずに進んで来てゐるのですから、その点今までは非常に幸福でしたけれども、これから先そんな幸福な状態が続くか、続くものと決めてゐるのが間違ひですから、吾々の国民生活に対して、大きな大砲を用意しておく必要があるのです。 わたくしの話は大へん拙いので、応用方面ばかり、或は、いまの世の中に処する途ばかり説いたやうに見えるかも知れません。併し、わたくしどもはわたくしどもとして芸能に関するすべての方面の学問を磨き上げておく、さうすることが自らいろ〳〵な多方面のことを解決する、さういふ安心に立つて吾々は研究を進めて行きたいと存じます。その意味に於てどうぞ今後もお互ひに勉強さして戴きたいものだと思ひます。だから一部分にさういふ実行力を持つた人を、吾々の会の中に包含して行くのもいゝことだと思ひます。その実行力といふものは、つまり実際に芸能を演ずる人、それから日本芸能の本質をつきとめて、それを以て世間に呼び掛ける人、さういふものが吾々の一部分にあつてもいゝ実行家だといふことになると思ひます。 大変雑駁な話でございましたが、芸能学会の出発に当り、吾々の意思のある所の一部を申し上げた次第であります。 底本:「折口信夫全集 21」中央公論社    1996(平成8)年11月10日初版発行 底本の親本:「折口信夫全集 第十七卷」中央公論社    1967(昭和42)年3月25日発行 初出:「芸能 第九巻第六号」    1943(昭和18)年6月発行 ※底本の題名の下に書かれている「昭和十八年六月「芸能」第九巻第六号」はファイル末の「初出」欄に移しました。 ※初出時の表題は「日本芸能について」です。 入力:門田裕志 校正:植松健伍 2020年1月24日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。