河風 長谷川時雨 Guide 扉 本文 目 次 河風  江東水の江村の、あのおびただしい蓮が、東京灣の潮がさして枯れさうだといふ、お米も枯れてしまつたといふ、葛飾の水郷もさうして、だん〴〵と工場町になるのだらう。龜井戸の後など汽車の窓からみると、紅白の花が可哀さうなほど汚ならしくぎら〴〵した蓮田がある。  隅田川流域──たつた一筋の東京をつらぬく川、むかしは武藏下總のなかを流れた大川筋の、武藏側の、今戸、橋場のさきには潮入村といふ名がある。むろんあの邊一帶に、葭芦しげる入江であつたのだといふし、下總も、眞間の入江と歌にも殘つてゐる通り、鴻の臺下まで海であつたのだから、その點、蓮田に潮の逆入は古い〳〵昔にかへつた──ともいへるが、青い〳〵海原が、青い〳〵水田になり、また青い〳〵波が打寄せるやうになるのではなく、こんどは、青いものなんか何ひとつない、眞黒い煤煙と、コンクリートになつて、以前は青いものを自然が示したが、後には青いのはそこに住む人間の顏といふことにならう。現在でも、千町田を目の前にして、田は赤く枯れ、人の面は憂ひに青ざめてゐるのだ。  夕立や田をみめぐりの神ならば──と俳聖が干天に祈つた三圍神社も、もう香夢洲の名所でもなくなつてしまつた。  だがまた、なんと夢のやうな世の中だつたのだらう、銀の吹きかへの、金の吹きかへのと幕政は押詰つて、江戸の主權は押倒されさうになつてゐる時、江戸人は、香夢を追つて、三百年泰平のくはへ楊子で好い心地に船遊山などしてゐたのだ。もとよりそんな事の出來る少數人だが、隅田川流域文明は、さうした泰平人も籠めて押流されていつてしまつた。いまでも川風に青蚊帳を吹かせたりする家が、この川岸の兩岸にあらうけれど、人情はおなじでも、洗ひあげた江戸情緒とはおよそイミテーシヨンだ。むしろ、もつとモダン化したものに、薄つぺらでも今日の本當の姿をみとめる。  夕汐があげてきた時、向島の寮からぶらりと出て、言問の渡しを待つ間に、渡船の出た向岸の竹屋のあたりから、待乳山にかかる夕陽の薄れに、淺草寺の五重の塔もながめ、富士もながめ、吉原の灯もおもつた人々は、水にゆられてゆく大川との親しみを、日に一度は川を渡らなければといふふうに、多分に持つてゐたのだ。  舟の中といへば、松の門三艸子といふ歌人が、本所松井町の藝者になつてゐた時分、水戸の天狗黨の人々に、船の中で白刀で圍まれた話は、もう傳説になつて作り話化してきた。三艸子は日本橋茅場町の井上文雄といふ國學者の妾となつて、豐かでない臺所仕事をしながら學んだ女だつた。そこにゐる時分は黄八丈の着附できりりとしてゐたといふが、人情本にのこる小三金五郎で有名な、額の小三の名をとつて、小川小三といふ藝名で出た位だから、侠だつたに違ひない。明治四十年ごろ八十からになつてゐたが、足腰がきかなくても艶々した美女だつた。能書で新橋の藝者に多くの門人をもち、ある茶屋の小座敷の腰ばりに彼女の假名書きのあるのが有名だつた。妹のおいろさんも姉さんよりすこし小柄でも、すつとして背も高く、そのころ七十には見えない美人だつた。深川の奧の方で、荻野八重桐といつて踊の師匠をしてゐた。  先代清元延壽太夫の細君名人お葉が、築地からどことかまでの船の中で作曲したのを、すぐに唄つたのが誰だとか、いはゆる粹とかいきとか、風流の道は、大川に流れてゐたが、震災ですべて過去となつてしまつた。兩國から横網にかけて、夏になると出來る水泳練習所もなくなり、お臺場まで遠泳する赤、白、黒の帽子と、ハイヨーといふ掛聲もきこえなくなつた。  私は、この間相生橋にたつた時、洲崎の辨天樣の屋根を見當はづれに遠く探してゐた。すぐ前に沖があつて、上總標などのみほつくしがたつてゐたのに、そんなものもなく埋たて地が連なり、潮にのつて、シユツ〳〵と漕ぎたててくる八丁櫓の押送り船や白帆のかかつた大きな船など見ることも出來ない。石河島と越中島の間──以前は、海と大河との境であつたらうと思ふ邊に、蘆の洲があつて、無縁佛に手向けた菩塔婆が眞新しかつたが、そんなものも見えなくなつてゐた。  新佃島から──明治四十年代から大正震災すこし前まで住んでゐた──宅の門前から永代橋まで渡船をつくらせたことがあつたが、ある宵、あんまりお客が乘りすぎて、ちよきの櫓を船頭がはづしてしまつて、潮が早く、グングン流れかけたら、お念佛をとなへだした者があつた。それが宅へ來たお客だつたので一つ話になつたが、それほど、すぐさきが沖だつたのでもあつた。 ──昭和八年八月・週刊朝日── 底本:「隨筆 きもの」實業之日本社    1939(昭和14)年10月20日発行    1939(昭和14)年11月7日5版 初出:「週刊朝日」    1933(昭和8)年8月 入力:門田裕志 校正:仙酔ゑびす 2009年1月17日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。