重右衛門の最後 田山花袋 Guide 扉 本文 目 次 重右衛門の最後      一  五六人集つたある席上で、何ういふ拍子か、ふと、魯西亜の小説家イ、エス、ツルゲネーフの作品に話が移つて、ルウヂンの末路や、バザロフの性格などに、いろ〳〵興味の多い批評が出た事があつたが、其時なにがしといふ男が急に席を進めて、「ツルゲネーフで思ひ出したが、僕は一度猟夫手記の中にでもありさうな人物に田舎で邂逅して、非常に心を動かした事があつた。それは本当に、我々がツルゲネーフの作品に見る魯西亜の農夫そのまゝで、自然の力と自然の姿とをあの位明かに見たことは、僕の貧しい経験には殆ど絶無と言つて好い。よく観察すれば、日本にも随分アントニイ、コルソフや、ニチルトッフ、ハーノブのやうな人間はあるのだ」と言つて話し出した。      二  まアずつと初めから話さう。自分が十六の時始めて東京に遊学に来た頃の事だから、もう余程古い話だが、其頃麹町の中六番町に速成学館といふ小さな私立学校があつた。英学、独逸学、数学、漢学、国学、何でも御座れの荒物屋で、重に陸軍士官学校、幼年学校の試験応募者の為めに必須の課目を授くるといふ、今でも好く神田、本郷辺の中通に見るまことにつまらぬ学校で、自分等が知つてから二年ばかり経つて、其学校は潰れて了ひ、跡には大審院の判事か何かが、その家を大修繕して、裕かに生活して居るのを見た。けれど其古風な門は依然たる昔の儘で、自分は小倉の古袴の短いのを着、肩を怒して、得々として其門に入つて行つたと思ふと、言ふに言はれぬ懐かしい心地がして、其時分のことが簇々と思ひ出されるのが例だ。で、何うして自分が其学校に通ふ事に為つたかと言ふと、夫は自分が陸軍志願であつたからで自分の兄は非常な不平家の処から、規則正しい学校などに入つて、二年も三年も懸つて修業するのなら誰にでも出来る、貴様は少くともそんな意気地の無い真似を為てはならぬ。何でも早く勉強して、来年にも幼年学校に入るやうにしなければ、一体男児の本分が立ぬではないか。と言つた風に油を懸けられたので、それで当時規則正しい、陸軍志願の学生には唯一の良校と言はれた市谷の成城学校にも入らずに、態々速成といふ名に惚れて、そのつまらぬ学校の生徒と為つたのであつた。今から思ふと、随分愚かな話ではあるが、自分はいくらか兄の東洋豪傑流の不平に感化されて居つたから、それを好い事と深く信じ、来年は必ず幼年学校に入らなければならぬと頻りに学問を励んで居た。  忘れもせぬ、自分の其学校に行つて、頬に痣のある数学の教師に代数の初歩を学び始めて、まだ幾日も経ぬ頃に、新に入学して来た二人の学生があつた。一人は髪の毛の長い、色の白い、薄痘痕のある、背の高い男で、風采は何所となく田舎臭いところがあるが、其の柔和な眼色の中には何所となく人を引付ける不思議の力が籠つて居て、一見して、僕は少なからず気に入つた。一人はそれとは正反対に、背の低い、色の浅黒い痩こけた体格で、其顔には極く単純な思想が顕はれて居るばかり、低頭勝なる眼には如何なる空想の影をも宿して居るやうには受取れなかつた。二人とも綿の交つた黒の毛糸の無意気な襟巻を首に巻付けて、旧い旧い流行後れの黒の中高帽を冠つて(学生で中高帽などを冠つて居るものは今でも少い)それで、傍で聞いては、何とも了解らぬやうな太甚しい田舎訛で、互に何事をか声高く語り合ふので、他の学生等はいづれも腹を抱へて笑はぬものは無い。 「イット、エズ、エ、デック」  とナショナルの読本の発音が何うしても満足に出来ぬので、二人はしたゝか苦しんで居たが、ある日、教師から指名されて、「ズー、ケット、ラン」と読方を初めると……、生徒は一同どつと笑つた。  漢学の素読の仕方がまた非常に可笑しかつた、文章軌範の韓退之の宰相に上るの書を其時分我々は読んで居つたが、それを一種可笑しい、調子を附けずには何うしても読めぬので、それが始まるといつも教場を賑はすの種とならぬ事は無かつたのである。  ある日、自分が課業を終つて、あたふたとその学校の門を出て行くと、自分より先にその田舎の二人が丸で兄弟でもあるかの様に、肩と肩とを摩合せて、頻りに何事をか話しながら歩いて行く。  声を懸けようと思つたけれど、黙つて自分は先へ行つて了つた。  次の日も二人睦しさうに並んで行く。  矢張声を懸けなかつた。  次の日も……  又其次の日も矢張同じやうに肩を摩り合せて、同じやうにさも睦しさうに話し合つて行くので、彼等は一体何所に行くのか知らん、自分等の帰る方角に帰つて行くのか知らんと思ひながら、ふと、 「君達は何処です」  と突然尋ねた。  急に答は為ずに丁寧に会釈してから、 「私等ですか、私等は四谷の塩町に居るんでがすア」  と背の高い方がおづ〳〵答へた。 「僕も四谷の方に行くんだ!」  と自分も言つた。其頃自分は牛込の富久町に住んで居たので、其処に帰るには是非四谷の塩町は通らなければならぬ。否、四谷の大通には夜などよく散歩に出懸る事がある身の、塩町附近の光景には一方ならず熟して居る。玩弄屋の隣に可愛い娘の居る砂糖屋、その向ふに松風亭といふ菓子屋、鍛冶屋、酒屋、其前に新築の立派な郵便電信局……。  二三歩歩いてから、 「塩町つて、……僕はよく知つてるが、塩町の何処です、君達の居る家は……」 「塩町の……湯屋の二階に来て居るんでさア」 「湯屋つて言へば、あの角に柳のある?」 「左様でがさア」 「それぢや僕も入つた事がある湯屋だ。彼処には背の低い、にこ〳〵した妻君が居る筈だ」 「好く知つて居やすナア」  と驚いた様子。 「それぢや、いつでも僕が帰る道だから、これから一所に帰らうぢやありませんか」 「さう願へりや、はア結構だす……」  と背の低い方が答へた。  又二三歩黙つて歩いた。 「それで君達の国は一体何処です?」 「私等の国ですか、私等の国は信州でがすが……」 「信州の何処?」 「信州は長野の在でがすア」 「何時東京に来たのです」 「去年の十二月、来たんですが、山中から、はア出て来たもんだで、為体が分らないでえら困りやした」 「塩町の湯屋は親類ですか」 「親類ぢやありやしねえが、村の者で、昔村で貧乏した時分、私等の親が大層世話をした事がある男でさア。十年前に国元ア夜逃げする様にして逃げて来たゞが、今ぢやえら身代のう拵へて、彼地処でア、まア好い方だつて言ふたが、人の運て言ふものは解らねえものだす」  自分はこの時からこの二人に親しく為つたので、段々話を為て見ると、言ふに言はれぬ性質の好い処があつて、背の高い方は田舎者に似合はぬ才をも有つて居るし、又背の低い方は自分と同じく漢詩を作る事を知つて居るので、一月もその同じ道を伴立つて帰る中には、十年も交つた親友のやうに親しくなつて、互の将来の思想も語り合へば、互の将来の目的も語り合つて、時間の都合で一所に帰られぬ時は非常に寂しく感ずるといふ程の交情になつて了つた。自分は四谷御門の塵埃の間を歩きながら、幾度二人に向つて、陸軍志願を勧めたであらうか。幾度二人に漢学の修養の必要を説いたであらうか。自分は其頃兄に教はつて居た白文の八家文の難解の処を読み下し、又は即席に七絶を賦して、大いに二人を驚かした。ことに背の低い山県行三郎といふのは、自分の漢詩に巧であることを知つて、喜んでその自作の漢詩を示し、好くその故郷の雪の景色を説明して自分に聞かせた。自分の若い空想に富んだ心は何んなにその二人の故郷の雪景色なるものを想像したであらうか。二人は言ふのである。自分の故郷は長野から五里、山又山の奥で其の景色の美しさは、とても都会の人の想像などでは解りこは無えだアと。否、そればかりではない、背の低い山県は学問の時間の間に、その古い手帳をひろげて、其処に描かれたる拙い一枚の写生図を示し、これが私の家、これが杉山君の家、こゝにこんもりと茂つて居るのは村の鎮守、それから少し右に寄つて同じ木立のあるのは安養寺といふ村の寺、私等の逃げて来たのは(かれ等は親の許さぬのに、青雲の志に堪へかねて脱走して来たのである)十二月の十三日の夜で、地上には雪が四五尺も積つて、それの堅く氷つてる上に、月が寒く美しく照り渡つて、何とも言へない光景だつた。私は杉山君と昼間約束して置いたから、鎮守の向ふに行つて待つて居ると、やがて杉山君は遣つて来る。二人連れ立つて歩み出す。追手のかゝらぬやうに為るには何でも夜の中に長野に行つて、明日の一番の汽車に乗らなければならぬ。と言ふので、一生懸命に歩いたが、村が見えなくなつた時は流石に胸が少し迫つて、親達は嘸驚く事であらう。こんな無理な事を為ないでも、打明けて頼んだなら、公然東京に出して呉れるであらうと思つた……などといふ事を自分に話した。自分はいよ〳〵空想を逞うして、其村、その静かな山の中の村に一度は是非行つて見度いと、其頃から自分の胸はその山中の一村落に向つて波打つゝあつたので……。猶詳しく聞くと、その村には尾谷川といふ清い渓流もあるといふ。その岸には水車が幾個となく懸つて居て、春は躑躅、夏は卯の花、秋は薄とその風情に富んで居ることは画にも見ぬところである相な。又その村の山の畠には一面雪ならぬ蕎麦の花が咲き揃つて、秋風のさびしく其上を吹き渡る具合など君でも行つたなら、何んなに立派な詩が出来るか知れぬとの事。あゝ本当にその仙境はどんな処であらうか。山と山とが重り合つて、其処に清い水が流れて、朴訥な人間が鋤を荷つて夕日の影にてく〳〵と家路をさして帰つてゆく光景。それを想像すると、空想は空想に枝葉を添へて、何だか自分の眼の前には西洋の読本の中の仙女の故郷がちらついて何うも為らぬ。      三  二人の寄寓して居る塩町の湯屋の二階、其処に間もなく自分は行くやうになつた、二階は十二畳敷二間で、階段を上つたところの一間の右の一隅には、欅の眩々した長火鉢が据ゑられてあつて、鉄の五徳に南部の錆びた鉄瓶が二箇懸つて、その後にしつかりした錠前の附いた総桐の箪笥がさも物々しく置かれてある。総じて室の一体の装飾が、極く野暮な商人らしい好みで、その火鉢の前にはいつもでつぷりと肥つた、大きい頭の、痘痕面の、大縞の褞袍を着た五十ばかりの中老漢が趺坐をかいて坐つて居るので、それが又自分が訪ねると、いつも笑ひながら丁寧に会釈を為るのが常であつた。この主人公が即ち二人の山の中から出身した昔の無頼漢なるもので、二十年前には村の中にも其五尺の身を置く事が出来なかつたのであるが、人間の運といふものは解らぬ者で、二十九歳の時に夜逃を為て、この東京に遣つて来て、蕎麦屋の坦夫、質屋の手伝、湯屋の三助とそれからそれへと辛抱して、今では兎に角一軒の湯屋の主人と成り済して、財産の二三千も出来たといふ、まア感心すべき部類に入れても差支ない人間であつた。であるから自分の村の者と言へば、随分一肌抜いで、力にもなつて遣るので、その山の中から来た失意の人間は、多くはこれを便つて来て、三助から段々湯屋の主人に立身しようとして居る人間も随分あるといふ事だ。全体信濃のその二人の故郷といふのは、越後の方に其境を接して居るから、出稼といふ一種の冒険心には此上もなく富んで居るので、また現在その冒険に成功して、錦を故郷に飾つた例はいくらも眼の前に転つて居るから、志を故郷に得ぬものや、貧窶の境に沈淪して何うにも彼うにもならぬ者や、自暴自棄に陥つた者や、乃至は青雲の志の烈しいものなどは、恰も渓流の大海に向つて流れ出づるが如く、日夜都会に向つて身を投ずるのを躊躇しないのであつた。あゝこの山中の民の冒険心。  で、自分は愈その山中の二人の青年と親しくなつて、果ては殆ど毎日のやうにその二階を訪問した。春はやゝ過ぎて、夕の散歩の好時節になると、自分はよく四谷の大通を散歩して、帰りには必ずその柳のある湯屋に寄つてみる。すると、二階の上から田舎の太神楽に合せる横笛の声がれろれろ、ひーひやらりと面白く聞えて、月がその物干台の上に水の如く照り渡つて、その背の低い山県の姿が、明かな夜の色の中に黒くくつきりと際立つて見える。 「おい、山県君!」  と下から声を懸ける。  と……笛の音がばつたり止む。 「誰だか」  と続いて田舎訛の声。 「僕、僕、富山!」 「富山君か、上んなはれ」  その物干台! その月の照り渡つた物干台の上で、自分等は何んなにその美しい夜を語り合つたであらうか。今頃は私等の故郷でもあの月が三峯の上に出て、鎮守の社の広場には、若い男や若い女がその光を浴びながら何の彼のと言つて遊び戯れて居るであらう。斑尾山の影が黒くなつて、村の家々より漏るゝ微かな燈火の光! あゝ帰りたい、帰りたいと山県は懐郷の情に堪へないやうに幾度もいふ。自分も何んなにその静かな山中の村を想像したであらうか。  半年程立つた頃、自分は又その同じ村の青年の脱走者を二人から紹介された。顔の丸い、髪の前額を蔽つた二十一二の青年で、これは村でも有数の富豪の息子であるといふ事であつた。けれど自分は杉山からその新脱走者の家の経歴を聞いたばかり、別段二人ほど懇意にはならなかつた。杉山の言ふ所によると、その根本(青年の名は根本行輔と言ふので)の家柄は村では左程重きを置かれて居ないので、今でこそ村第一の富豪などと威張つて居るが、親父の代までは人が碌々交際も為ない程の貧しい身分で、その親父は現に村の鎮守の賽銭を盗んだ事があつて、その二十七八の頃には三之助(親父の名)は村の為めに不利な事ばかり企らんでならぬ故いつそ筵に巻いて千曲川に流して了はうではないかと故老の間に相談されたほどの悪漢であつたといふ事である。それがある時、其頃の村の俄分限の山田といふ老人に、貴様も好い年齢をして、いつまで村の衆に厄介を懸けて居るといふ事もあるまい。もう貴様も到底村では一旗挙げる事は難しい身分だから、一つ奮発して、江戸へ行つて皆の衆を見返つて遣らうといふ気は無いか。私などを見なされ、一度は随分村の衆に馬鹿にされて、口惜しい〳〵と思つたが、今では何うやらかういふ身になつて、人にも立てられる様になつた。三之助、貴様は本当に一つ奮発して見る気は無いか。と懇々説諭されて、鬼の眼に涙を拭き〳〵、餞別に貰つた金を路銀にして、それで江戸へ出て来たが、二十年の間に、何う転んで、何う起きたか、五千といふ金を攫んで帰つて来て、田地を買ふ、養蚕を為る、金貸を始める、瞬く間に一万の富豪! だから、村では根本の家をあまり好くは言はぬので、その賽銭箱の切取つた処には今でも根本三之助窃盗と小さく書いてあつて、金を二百円出すから、何うかそれを造り更へて呉れろと頼んでも、村の故老は断乎としてそれに応じようともせぬとの事である。その長男がまた新しい青雲を望んで、ひそかに国を脱走するといふのは……何と面白い話では無いか。  けれど自分がこの三人と交際したのは纔か二年に過ぎなかつた。山県は家が余り富んで居ない為め、学資が続かないで失望して帰つて了ふし、根本は家から迎ひの者が来て無理往生に連れて行つて了ふし、唯一人杉山ばかり自分と一緒に其志を固く執つて、翌年の四月陸軍幼年学校の試験に応じたが自分は体格で不合格、杉山は亦学科で失敗して、それからといふものは自分等の間にもいつか交通が疎くなり、遂には全く手紙の交際になつて了つた。杉山は猶暫く東京に滞つて居た様子であつたが、耳にするその近状はいづれも面白からぬ事ばかりで、やれ吉原通を始めたの、筆屋の娘を何うかしたの、日本授産館の山師に騙されて財産を半分程失くしたのと全く自暴自棄に陥つたやうな話であつた。それから一年程経つて失敗に失敗を重ねて、茫然田舎に帰つて行つた相だが、間もなく徴兵の鬮が当つて高崎の兵営に入つたといふ噂を聞いた。      四  五年は夢の如く過ぎ去つた。  其の五年目の夏のある静かな日の事であつた。自分は小山から小山の間へと縫ふやうに通じて居る路を喘ぎ〳〵伝つて行くので、前には僧侶の趺坐したやうな山が藍を溶したやうな空に巍然として聳えて居て、小山を開墾した畑には蕎麦の花がもうそろ〳〵その白い美しい光景を呈し始めようとして居た。空気は此上も無く澄んで、四面の山の涼しい風が何処から吹いて来るとも無く、自分の汗になつた肌を折々襲つて行くその心地好さ! これは山でなければ得られぬ賜と、自分はそれを真袖に受けて、思ふさま山の清い〓(「冫+影」)気を吸つた。十年都会の塵にまみれて、些の清い空気をだに得ることの出来なかつた自分は、長野の先の牟礼の停車場で下りた時、その下を流るゝ鳥居川の清渓と四辺を囲む青山の姿とに、既に一方ならず心を奪はれて、世にもかゝる自然の風景もあることかと坐ろに心を動かしたのであるが、渓橋を渡り、山嶺をめぐり、進めば進むほど、行けば行くだけ、自然の大景は丁度尽きざる絵巻物を広げるが如く、自分の眼前に現はれて来るので、自分は益々興を感じて、成程これでは友が誇つたのも無理ではないと心から思つた。  小山と小山との間に一道の渓流、それを渡り終つて、猶其前に聳えて居る小さい嶺を登つて行くと、段々四面の眺望がひろくなつて、今迄越えて来た山と山との間の路が地図でも見るやうに分明指点せらるゝと共に、この小嶺に塞がれて見得なかつた前面の風景も、俄かにパノラマにでも向つたやうにはつと自分の眼前に広げられた。  上州境の連山が丁度屏風を立廻したやうに一帯に連り渡つて、それが藍でも無ければ紫でも無い一種の色に彩られて、ふは〳〵とした羊の毛のやうな白い雲が其絶巓からいくらも離れぬあたりに極めて美しく靡いて居る工合、何とも言ヘぬ。そして自分のすぐ前の山の、又その向ふの山を越えて、遙かに帯を曳いたやうな銀の色のきらめき、あれは恐らく千曲の流れで、その又向ふに続々と黒い人家の見えるのは、大方中野の町であらう。と思つて、ふと少し右に眼を移すと、千曲川の沿岸とも覚しきあたりに、絶大なる奇山の姿!  何と言ふ山か知らん……と自分は少時その好景に見惚れて居た。  ふと背負籠を負つた中老漢が向ふから上つて来たので、 「あの山は?」  と指して尋ねた。 「あれでがすか、あれははア、飯山の向ふの高社山と申しやすだア」  あれが高社山! よく友の口から聞いたと思ふと、其時の事が簇々と思ひ出されて今更其頃が懐かしい。其頃は其仙境を何時尋ねて行かれるであらうか、或は一生尋ねて行く事が出来ぬかも知れぬなどと思つて居たが、五年後の今日かうして尋ねて行くとは、如何に縁の深い事であらう。 「塩山村へはまだ余程あるかね」 「塩山へかね」と背負籠を傍の石の上に下して、腰を伸しながら、「塩山へは此処からまだ二里と言ひやすだ。あの向ふの大い山の下に小い山が幾箇となく御座らつせう。その山中だアに……」 「塩山に根本といふ家はあるかね」  と自分は更に尋ねた。 「根本………御座らしやるとも、根本ていのア、塩山では一等の丸持大尽でごわすア」と答へて、更に、「で貴郎ア、根本さア処の御客様かね」 「其処に行輔といふ子息が有るだらう?」 「御座らつしやる」と言つて吸ひ懸けた烟草の烟を不細工な獅子鼻からすうと出し、「大尽どこの子息に似合ねえ堅い子息でごわすア、何でも東京へ行かしつた時にア、それでも四五百も遣つたといふ噂だが、それから堅くなつて、今ぢや村でも評判ものでごわす」 「一体汝は何処だね? 塩山かね」 「いんにや、塩山ではごへん、その一つ前の村の倉沢でごわす」 「もう根本は女房を持つたらう」 「嚊さまでごわすか、持ちましたとも、……えいと……あれは確か三年前で、芋子村の大尽の娘さアだ」 「子供は?」 「まだごわしねえ、もう出来さうな者だつて此間も父様えらく心配のう為で御座らしやつたけ」 「それでは山県といふのも知つてるだらう」 「山県──はア学校の先生様だア、私等が餓児も先生様の御蔭にはえらくなつてるだア。好い優しい人で、はア」 「それでは杉山は何うしてるね」 「えらく、貴郎ア、塩山の人の名前知つて御座らつしやるだア。貴郎ア、若い者等が東京に出た時懇意に為すつて居た先生だかね……」  言懸けてじろ〳〵と自分の顔を見て、 「……杉山の子息……あれア、今は徴集されて戦争(日清戦争)に行つてるだ。あの山師にや、村ではもう懲々して居るだア。長野に興業館といふ東京の山師の出店見ていなものを押立てて、薬材で染物のう御始めるつて言つて、何も知らねえ村の者を騙くらかして、何でもはア五六千円も集めただア。それを皆な妾を置いたり、芸妓を家に引摺込んだり、遊廓に毎晩のやうに行つたり、二月ばかりの中に滅茶〳〵にして仕舞つたゞア。……恐ろしい虚言家でナ、私等も既の事欺騙かされる処でごわした」 「家は今何うしてるね」 「家でごすか、余程あれの為めに金のう打遣つたでがすが爺様まだ確乎して御座らつしやるし、廿年前までは村一番の大尽だつたで、まだえらく落魄ねえで暮して御座るだ」  と言つたが、ふと思出した様に、 「塩山つていふ村は、昔からえらく変り者を出す所でナア、それが為めに身代を拵へる者は無えではねいだが、困つた人間も随分出るだア」 「今でも困つた人間が居るかね」  中老漢は岩の上に卸した背負籠を担つて、其儘歩き出さうとして居たが、自分に尋ねられて、 「つい、今もそれで大騒ぎをして居るだア」  と言つた。  そして、その大騒の何を意味して居るかを語らずに、其儘急いで向ふへと下りて行つて了つた。自分は猶少時其処に立つて、六年前の友が何んな生活を為て居るであらうかといふ事、其妻は如何なる人で、其家は如何なる家で、その家庭は何んな具合であるかといふ事などを思ふと、種々なる感想が自分の胸に潮のやうに集つて来て、其山中の村が何だか自分と深い宿縁を有つて居るやうな気が為て、何うも為らぬ。  一時間後には、自分はもう其懐かしい村近く歩いて居た。成程山又山と友の言つたのも理と思はるゝばかりで、渓流はその重り合つた山の根を根気よく曲り曲つて流れて居るが、或ところには風情ある柴の組橋、或るところには竜の住みさうな深い青淵、或は激湍沫を吹いて盛夏猶寒しといふ白玉の渓、或は白簾虹を掛けて全山皆動くがごとき飛瀑の響、自分は幾度足を留めて、幾度激賞の声を挙げたか知れぬ。で、その曲り曲つた渓流に添つて、涼しい水の調に耳を洗ひながら、猶三十分程も進んで行くと、前面が思ひも懸けず俄かに開けて、小山の丘陵のごとく起伏して居る間に、黄稲の実れる田、蕎麦の花の白き畑、欝蒼と茂れる鎮守の森、ところどころに碁石を並べたやうに、散在して居る茅茸の人家。  手帳の画がすぐ思出された。  あゝこの静かな村! この村に向つて、自分の空想勝なる胸は何んなに烈しく波打つたであらうか。六年間、思ひに思つて、さて今のこの一瞥。  殊に、自分は世の塵の深きに泥れ、久しく自然の美しさに焦れた身、それが今思ふさまその自然の美を占める事が出来る身となつたではないか。この静かな村には世に疲れた自分をやさしく慰めて呉れる友二人まであるではないか。  顧ると、夕日は既に低くなつて、後の山の影は速くその鎮守の森に及んで居る。壁はいよ〳〵深碧の色を加へて、野中の大杉の影はくつきりと線を引いたやうに、その午後の晴やかな空に聳えて居る。山県の家は何でもその大杉の陰と聞いて居たので、自分は眼を放つてじつと其方を打見やつた。  静かな村!      五  と思つた途端、ふと自分の眼に入つたものがある。大杉の陰に簇々と十軒ばかりの人家が黒く連つて居て、その向ふの一段高い処に小学校らしい大きな建物があるが、その広場とも覚しきあたりから、二道の白い水が、碧なる大空に向つて、丁度大きな噴水器を仕掛たごとく、盛に真直に迸出して居る。  そしてその末が美しく夕日の光にかゞやき渡つて見える。 「あれは何だね」  折から子供を背負つた十歳ばかりの洟垂しの頑童が傍に来たので、怪んで自分は尋ねた。 「あれア、喞筒だい」  と言つたが、見知らぬ自分の姿に其儘走つて行つて了つた。  成程喞筒に相違ない。けれどこの静かな山中の村にあのやうな喞筒! 火事などは何十年有らうとも思はれぬこの山中に、あのやうな喞筒の練習! 自分は何だか不思議なやうな気が為て仕方が無かつたが、これは只何の意味も無い練習に止まるのであらうと解釈して、其儘其村へと入つて行つた。先最初に小さい風情ある渓橋、その畔に終日動いて居る水車、婆様の繰車を回しながら片手間に商売をして居る駄菓子屋、養蚕の板籠を山のごとく積み重ねた間口の広い家、娘の唄を歌ひながら一心に機を織て居る小屋など、一つ〳〵顕はれるのを段々先へ先へと歩いて行くと、高低定らざる石の多い路の凹処には、水が丸で洪水の退いた跡でもあるかのやうに満ち渡つて、家々の屋根は雨あがりの後のごとく全く湿ひ尽して居る。  否、そればかりではない、それから大凡十間ばかり離れたところには、新しい一箇の赤塗の大きな喞筒が据ゑられてあつて、それから出て居る一箇のヅックの管は後の尾谷の渓流に通じ、二箇の径五寸ばかりの管は大空に向つて烈しい音を立てながら、盛んに迸出して居るのを認めた。  其周囲には村の若者が頬かぶりに尻はしよりといふ体で、その数大凡三十人許り、全く一群に為つて、頻りにそれを練習して居る様子である。喞筒の水を汲み上げるもの、ヅックの管を荷ふもの、管の尖を持つて頻りに度合を計つて居るもの、やれ今少し力を入れろの、やれ管が少し横に曲るの、やれ洩るの、やれ冷いのと、それは一方ならぬ大騒で、世話人らしい印半纏を着た五十格好の中老漢が頻りにそれを指図して居るにも拘はらず、一同はまだ好く喞筒の遣ひ方に慣れぬと覚しく、管から迸出する水を思ふ所に遣らうとするには、まだ余程困難らしい有様が明かに見える。一同は今水を学校の屋根に濺がうとして居るので、頻りに二箇の管を其方向に向けつゝあるが、一度はそれが屋根の上を越えて、遠く向ふに落ち、一度は見当違ひに一軒先の茅葺屋根を荒し、三度目には学校の下の雨戸へしたゝか打ち付けた。 「やあ!」  と後で喝采した。  見ると、路の傍、家の窓、屋根の上、樹の梢などに老若男女殆ど全村の人を尽したかと思はるゝばかりの人数が、この山中に珍らしい喞筒の練習を見物する為めに驚くばかり集つて居るので、旨く行つたとては、喝采し、拙く行つたとては、喝采し、やれ管が何うしたの、やれ誰さんがずぶ濡れになつたのと頻りに批評を加へるのであつた。  余り面白いので、自分は思はず立留つてそれを見た。この多い若者の中に自分の友が交つて居はせぬかとも思はぬではなかつたが、さりとて別段それを気にも留めずに、只余念なく見惚れて居た。自分の前には川に浸けてある方の管が蛇ののたくつたやうに蟠つて、其中を今しも水が烈しい力で通つて行くと覚しく、針のやうな隙間から、しう〳〵と音して烈しく余流が迸出して居る。で、一同はやつとの思ひで、其目的の学校の屋根に涼しい一雨を降らせたが、ふと其群の一人──古い手拭を被つて縞の単衣を裾短かに端折つた──が何か用が出来たと見えて、急いで自分の方へ下りて来た……と……思ふと、二人は顔を見合せた。 「おや、君ぢや無いか」  と自分は言つた。 「やア富山……さん!」  と根本行輔は驚いて叫んだ。  丸きり六年逢はぬのだが、その風貌といひ、その態度といひ、更に昔に変らぬので、これを見ても、山中の平和が、直ぐ自分の脳に浮んだ。  渠は限りなき喜悦の色を其穏かな顔に呈して、頻りに自分の顔を見て居たが、不図傍に立つて居る其家の家童らしい十四五の少年を呼び近づけて、それに、この御客様を丁寧に家に案内せよといふ事を命じ、さて自分に向つては、 「失礼だすが、村の若い者でこんな事を遣り懸けて居ますだで……一足先に家に行つて休んで居て下され。もうすぐ済むだで、跡から直きに参じますだに」  自分は小童に導かれて、其儘根本行輔の家へと行つた。一方稲の穂の豊年らしく垂れてゐる田、一方甜瓜の旨さうに熟して居る畠の間の細い路を爪先上りにだら〳〵とのぼつて行くと、丘と丘との重り合つた処の、やゝ低く凹んだ一帯の地に、一棟の茅葺屋根と一つの小さい白壁造の土蔵とがあつて、其後には欅の十年ほど経つた疎らな林、その周囲には、蕎麦や、胡瓜や唐瓜や、玉蜀黍などを植ゑた畠、猶近づくと、路の傍に田舎には何処にも見懸ける不潔な肥料溜があつて、それから薪を積み重ねた小屋、雑草の井桁の間に満遍なく生えて居る古い井、高く夕日の影に懸つて見える桔橰、猶その前に、鍬や鋤を洗ふ為めに一間四方ばかり水溜が穿たれてあるが、これはこの地方に特有で、この地方ではこれを田池と称へて、その深さは殆ど人の肩を没するばかり、鯉、鮒の魚類をも其中に養つて、時には四五尺の大きさまで育てる事もあるといふ話。周囲には萱やら、薄やらの雑草が次第もなく生ひ茂つて水際には河骨、撫子などが、やゝ濁つた水にあたらその美しい影をうつして、居るといふ光景であつた。山県の話に、自分が十五六の悪戯盛には相棒の杉山とよくこの田池の鯉を荒して、一夜に何十尾といふ数を盗んで、殆ど仕末に困つた事があつたとの事を聞いて居つたが、その所謂田池がこんな小さな汚穢い者とは夢にも思つて居らなかつた。否、其友の家──村一番の大尽の家をもこんな低い小さいものとは?  ふと見ると、その田池に臨んで、白い手拭を被つた一人の女が、頻りに草刈鎌を磨いで居る。 「神さまア、旦那様に吩咐かつて、東京の御客様ア伴れて来たゞア」  と小童は突如に怒鳴つた。  女は驚いて顔を上げた。何処と言つて非難すべきところは無いが、色の黒い、感覚の乏しい、黒々と鉄漿を附けた、割合に老けた顔で、これが友の妻とすぐ感附いた自分は、友の姿の小さく若々しいのに比べて、いかにこの妻の丈高く、体格の大きいかといふ事に思ひ及んだ。これは大方東京で余り「老いたる夫と若い妻」との一行を見馴れた故であらう。  自分はその妻の手に由つて、直ちに友の父なる人に紹介された。父なる人は折しも鋸や、鎌や、唐瓜や、糸屑などの無茶苦茶に散ばつて居る縁側に後向に坐つて、頻りに野菜の種を選分けて居るが、自分を見るや、兼ねて子息から噂に聞いて居つた身の、さも馴々しく、 「これは〳〵東京の先生──好う、まア、この山中に」  といふ調子で挨拶された。  流石は若い頃江戸に出て苦労したといふ程あつて、その人を外さぬ話し振、その莞爾と満面に笑を含んだ顔色など、一見して自分はその尋常ならざる性質を知つた。輪廓の丸い、眼の鋭い、鼻の尖つた顔のつくりで、体格は丸で相撲取でもあるかのやうに、でつぷりと肥つて、体重は二十貫目以上もあらうかと思はれるばかりであつた。これが当年の無頼漢、当年の空想家、当年の冒険家で、一度はこの平和な村の人々に持余されて、菰に包んで千曲川に投込まれようとまで相談された人かと思ふと、自分は悠遠なる人生の不可思議を胸に覚えずには居られぬので。  此時、奴僕らしい三十前後の顔の汚い男が駆けて遣つて来て、 「大旦那さア、がいに暑いんで、馬が疲れて、寝そべつて、起きねえが、はア何う為べい」  と叫んだ。 「また寝そべつたか、困るだなア、汝、余り劇く虐使ふでねえか」 「虐使ふどころか、此間も寝反つただから、四俵つけるところを三俵にして来ただアが」 「何処へ寝反つてるだ」 「孫右衛門どんの垣の処の阪で、寝反つたまゝ何うしても起きねえだ。己あ何うかして起すべい思つて、孫右衛門さん許へ頼みに行つただが、少い娘つ子ばかりで、何うする事も為得ねえだ」 「仕方の無え奴等だ」  と罵倒したが、傍に立つて居る子息の妻に向つて、 「ぢや御客様にはえらい失礼だが、私あ馬を起しに行つて来るだあから、お前は御客様を奥に通して、行輔が帰つて来る迄、緩り御休ませ申して置け」  自分に向つては、 「それぢや、先生様失礼しやす!」  自分の挨拶をも聞かず、 「一所に歩べ……おい、作公、何を愚図〳〵してやがるんだ?」  と怒鳴りながら走つて行つた。  同時に自分は奥の一室へと案内される。奥の一室──成程此処は少しは整頓して居る。床の間には何んな素人が見ても贋と解り切つた文晁の山水が懸つて居て、長押には孰れ飯山あたりの零落士族から買つたと思はれる槍が二本、さも不遇を嘆じたやうに黒く燻つて懸つて居る。けれど都とは違つて、造作は確乎として居るし、天井は高く造られてあるから風の流通もおのづから好く、只、馬小屋の蝿さへ此処まで押寄せて来なければ、中々居心の好い静かな室であるのだが……  やがて妻君は茶器を運んで来たが、おづ〳〵と自分の前に坐つて、そして古くなつた九谷焼の急須から、三十目くらゐの茶を汲んで出した。 「田舎は静かで好いですナア」  と自分はそれとなく言ふと、 「いゝえ、静かどころでは、……此頃は、はア、えらく物騒で……」 「何うしてゞす」  と自分は怪んで尋ねた。 「此頃は、はア、えらく火事があるんで、夜もゆつくり寝ては居られないで、はア」 「何うしてゞす?」 「何うしてといふ訳も無えだすが……」  と躊躇ふのを、 「放火なのですか」 「はア」 「誰か悪い者でもあるんですか」 「はア、悪い者があつて、どうも困り切りますだア」  暫時沈黙。 「はア」と自分は緩い茶を一杯啜つてから、「それでですナア、今喞筒を稽古して居るのは?」 「貴郎さアも見て御座らしやつたゞか、火事が、はア、毎晩のやうにあつて、物騒で、仕方が無えものだで、村で、割前で金のう集めて、漸く東京から昨日喞筒が出来て来ただア」 「東京から喞筒?」 「はア、昨日出来て来たばかしで……村にやもう何十年と火事なんぞは無いだで、喞筒なんぞは有りませんだつたが、今度は、はア仕方が無えのでごわす。そして、今夜にも火事が打始らねえ者でも無えといふので、若い者が午から学校へ寄り集つて、喞筒の稽古を為て居るんでごわす。……」と少時途絶えて、「でも、……大方水は撒いたやうだで、もう直き帰つて来るでごわしやう」  と言つたが、更に気を更へて、 「まア、御疲れだせうに、緩くり横にでも成つて休まつしやれ。牟礼には三里には遠いだすから」  と古い黒塗の枕を出して、そして挨拶して次の室へ下つた。  見ると、中々好い眺望である。地位が高いので、村の全景がすつかり手に取るやうに見えて、尾谷川の閃々と夕日にかゞやく激湍や、三ツ峯の牛の臥たやうに低く長く連つて居る翠微や、猶少し遠く上州境の山が深紫の色になつて連り亘つて居る有様や、ことに、高社山の卓れた姿が、此処から見ると、一層魁偉の趣を呈して居るので、その雲煙の変化が少なからず、自分の心を動かしたのであつた。あゝこの平和な村! あゝこの美しい自然! と思ふとすると、今言つた妻君の言葉がゆくりなく簇々と自分の胸に思ひ出された。この平和な村に喞筒! この美しい村に放火! 殊に何十年とそんな例が無かつたといふこの村に! これは何か意味が無くてはならぬ。これは必ず不自然な事があつたに相違ないと自分は思つた。空想勝なる自分の胸は今しもこの山中にも猶絶えない人生の巴渦の烈しきを想像して転た一種の感に撲れたのであつた。      六 「放火が流行るツて言ふが、一体何うしたんです?」  かう言つて自分は友に訊ねた。これは一時間程前、友はその喞筒の稽古から帰つて来て、いろ〳〵昔の事や、よくこんな山中に来て呉れたといふ事や、余り突然なので吃驚したといふ事や、六年ぶりの何や彼やを殆ど語り尽した後で、自分の前には地酒の不味のながら、二三本の徳利が既に全く倒されてあつて、名物の蕎麦が、椀に山盛に盛られてある。妻君は、田舎流儀の馳走振に、日光塗の盆を控へて、隙が有つたなら、切込まうと立構へて居るので、既に数回の太刀打に一方ならず参つて居る自分は、太くそれを恐れて居るのであつた。友も稍酔つた様子で、漸く戸外の闇くなつて行くのを見送つて居たが、不意に、かう訊ねられて、われに返つたといふ風で、 「本当に因つて了ふですア、夜も碌々寝られないのですから」 「それで、一体、犯罪者が解らんのかね?」 「それア、もう彼奴と極つて、居るんだが……」 「何故、捕縛しないのだね?」 「それが田舎ですア‥…」と友は言葉を意味あり気に長く曳いて、「駐在所に巡査ア、一人来て居る事は居るんだすが、田舎の巡査なんていふ者は、暢気な者だで、嫌疑が懸つたばかりでは、捕縛する事ア出来ん。現行犯でなければ……とかう言つて済まして居りやすだア。一体、巡査先生の方がびく〳〵して居るんで御座すア、だもんだで、彼奴ア、好い気に為つて、始めからでは、もう十五六軒もツン燃やしましたぜ」 「十五六軒!」 「この小さい村、皆な合せても百戸位しか無いこの小さい村に、十五六軒ですだで、村開闢以来の珍事として、大騒を遣つて居りますだア」 「それは左様だらう」  少時経つてから、 「で、一体、その悪漢は何者だね、村の者かね」 「はア、村の者でさア」 「村の者で、それでそんな大胆な事を為るといふのは、其処に何か理由がある事だらうが……」 「何アに、はア御話にも何にもなりやしやせん。放蕩者で、性質が悪くつて、五六年も前から、もう村の者ア、相手に仕なかつたんでごすから」 「まだ若いのかね」 「いや、もう四十二三‥…」 「それぢや分別盛だのに……」  と自分は深く考へた。 「御口にア、合ひますめいけど、何にもがアせんだに、せめて、蕎麦なと上つてお呉れんし」  と妻君は盆を出した。  自分はもう十分であるといふ事を述べて、そして蕎麦の椀を保護すべく後に遺つた。それでは御酒でもと妻君は徳利を取上げたので、それをも辞義してはと、前のを飲干して一杯受けた。 「それにしても……」と自分は口を開いて、 「十何回も放火を為るのに、一度位実行して居るところを見付けさうな者ですがナア」 「それが、彼奴が実行するのなら、無論見付けない事は無いだすが、彼奴の手下に娘つ子が一人居やして、そいつが馬鹿に敏捷くつて、丸で電光か何ぞのやうで、とても村の者の手には乗らねえだ」 「それは奴の本当の娘なんですか」 「否、今年の春頃から、嚊代りに連れて来たんだといふ話で、何でも、はア、芋沢あたりの者だつて言ふ事だす。此奴が仕末におへねえ娘つ子で、稚い頃から、親も兄弟もなく、野原で育つた、丸で獣といくらも変らねえと云ふ話で、何でも重右衛門(嫌疑者の名)が飯綱原で始めて春情を教へたとか言んで、それからは、村へ来て、嚊の代りを勤めて居るが、これが実に手におへねえだ。重右衛門が自身手を下すのでなく、この獣のやうな娘つ子に吩附けて火を放けさせるのだから、重右衛門と言ふ事が解つて居ても、それを捕縛するといふ事は出来ず、さればと言つて、娘つ子は敏捷つて、捕へる事は猶々出来ず、殆ど困つて仕舞つたでがすア」 「年齢は何歳位?」 「まだ漸つと十七位のもんだせう」 「それが捕へる事が出来ないとは! 高が娘つ子一人」 「知らない人はさう思ふのは無理は無いだす。高が娘つ子一人、それを捕へる事が出来ぬとは、余り馬鹿〳〵しくつて話にも何にも為らない様だが、それを知つて御覧なされ、それは実に驚いたもので、今其処に居たかと思ふと、もう一里も前に行つて居るといふ有様、若い者などがよく村の中央で邂逅して、石などを投りつけて遣る事が幾度もある相だすが、中々一人や二人では敵はない。反対に眉間に石を叩き付けられて、傷を負つた者は幾人もある。それで此方が五人六人、十人と数が多くなると、屋根でも、樹でも、する〳〵と攀上つて、丸で猫ででもあるかのやうに、森と言はず、田と言はず、川と言はず、直ちに遁げて身を隠して了ふ。それは実に驚くべき者ですア」  此時、ふと、 「やあ!」  と言つて庭から入つて来た者があつた。見ると、それは懐しい山県行三郎君で、自分が来たといふ事を今少し前に知らせて遣つたものだから、万事を差措いて急いで遣つて来たのであつた。夏の夕は既に暮れて、夕暮の海の様に晴れ渡つた大空には、星が降るやうに閃めいて居るが、十六日の月は稍遅く、今しも高社山の真黒な姿の間から、其の最初の光を放たうとして、その先鋒とも称すべき一帯の余光を既に夜露の深い野に山に漲らして居た。四辺はしんとして、しつとりとして、折々何とも形容の出来ない涼しい好い風が、がさ〳〵と前の玉蜀黍の大きな葉を動かすばかり、いつも聞えるといふ虫の声さへ今宵は何うしてか音を絶つた。でも、黙つて、静かに耳を欹てると、遠くでさら〳〵と流れて居る尾谷川の渓流の響が、何だか他界から来るある微妙な音楽でも聞くかのやうに、極めて微かに聞えて居る。  疎らな鎮守の森を透して、閃々する燈火の影が二つ三つ見え出した頃には、月が已にその美しい姿を高社山の黒い偉大なる姿の上に顕はして居て、その流るゝやうな涼しい光は先第一に三峯の絶巓とも覚しきあたりの樹立の上を掠めて、それから山の陰に偏つて流るゝ尾谷の渓流には及ばずに直ちに丘の麓の村を照し、それから鎮守の森の一端を明かに染めて、漸く自分等の前の蕎麦の畑に及んで居る。洋燈をさへ点けなければ、其光は我等の清宴の座に充ちて居るに相違ないのである。  山県が来たので、一座の話に花が咲いて、東京の話、学校の話、英語の話、詩の話、文学の話、それからそれへと更にその興は尽きようともせぬ。果ては、自分は興に堪へかねて、常々暗誦して居る長恨歌を極めて声低く吟じ始めた。 「この良夜を如何んですナア」  と山県はしみ〴〵感じたやうに言つた。  此時鎮守の森の陰あたりから、夜を戒める柝木の音がかち〳〵と聞えて、それが段々向ふヘ〳〵と遠かつて行く。 「今夜の柝木番は誰だえ、君ぢや無かつたか」  と根本は山県に訊ねた。 「私だつたけれど、……富山君が来たと謂ふから、松本君に頼んで、代つて貰つたんです。その代り今夜十時から二時間ばかり忍びの方を勤めさせられるのだ」 「僕も二時から起される訳になつて居るんだが」と言つて、急に言葉を変へて、「それから、先程聞くと、昼間あの娘つ子が喞筒の稽古を見て居たと言ふが、それア、本当かね」 「本当とも……総左衛門どんの家の角の処で、莞爾笑ひながら見てけつかるだ。余り小癪に触るつて言ふんで、何でも五六人許で、撲りに懸つた風なもんだが、巧にその下を潜つて狐のやうに、ひよん〳〵遁げて行つて了つたさうだ。……それから重右衛門も来て見物して居たぢやないか」 「重右衛門も?」 「あの野郎、何処まで太いんだか、見物しながら、駐在所の山田に喧嘩見たやうな事を吹懸けて居たつけ。何んだ、この藤田重右衛門が駐在所の巡査なんか恐れやしねえ、何んだ村の奴等ア、喞筒なんて、騒ぎやがつて、それよりア、この重右衛門に、お酒でも上げた方が余程効能があるんだ。ツて、大きな声で呶して居やがつたつけ。何でも酒を余程飲んで居た風だつた」 「誰が酒を飲ましたのか知らん」 「誰がツて……野郎、又威嚇文句で、又兵衛(酒屋の主人)の許へ行つて、酒の五合も喰つて来たんだ」 「困り者だナア」  と根本は心から独語いた。 「それから、言ふのを忘れたが、……先程此処に来る時、あの森の傍で、がさ〳〵音が為るから、何かと思つて、よく見ると、あの娘つ子め、何かまご〳〵捜して居る。此奴怪しいと思つたから、何を為てるんだ! と態と大い声を懸けて遣つた。すると、猫のやうな眼で、ぎよろツと僕を見て、そしてがさ〳〵と奥の方に身を隠して了つた。丸で獣に些とも違はない……それから、私は、会議所に行つて、これ〳〵だから注意して呉れと言つて来た」  自分は二人の会話を聞きながら、山中の平和といふ事と、人生の巴渦といふ事を取留もなく考へて居た。月は段々高くなつて、水の如き光は既に夜の空に名残なく充ち渡つて、地上に置き余つた露は煌々とさも美しく閃めいて居る。さらぬだに寂寞たる山中の村はいよ〳〵しんとして了つて、虫の音と、風の声と、水の流るゝ調べの外には更に何の物音も為ぬ。  一時間程経つた。  すると、不意に、この音も無くしんとした天地を破つて、銅鑼を叩いたなら、かういふ厭な音が為るであらうと思はれる間の抜けたしかも急な鐘の乱打の響!  二人は愕然とした。 「又遣付けた!」  と忌々しさうに叫んで、根本の父は一散に駆けて行つた。 「粂さんの家だア、粂さんの家だア」  と、誰か向ふの畔を走りながら、叫ぶ者がある。山県はちらと見たが、「あ、僕の家らしい!」と叫んで、そして跣足の儘、慌てて飛出した。  根本も続いて飛出した。  見ると、月の光に黒く出て居る鎮守の森の陰から、やゝ白けた一通の烟が蜃気楼のやうに勢よく立のぼつて、其中から紅い火が長い舌を吐いて、家の燃える音がぱち〳〵と凄じく聞える。山際の寺の鐘も続いて烈しく鳴り始めた。  一散に自分も駆け出した。      七  田の畔を越えて、丘の上を抜けて、谷川の流を横つて、前から、後から、右から、左から、其方向に向つて走り行く人の群、それが丁度大海に集るごとく、鎮守の森の陰の路へと進んで来るので、平生ならば人も滅多に来ない鎮守の森の裏山は全く人の影を以て填められて了つた。自分は駆出す事は駆出したが、今日来たばかりで道の案内も好く知らぬ身の、余り飛出し過ぎて思ひも懸けぬ災難に逢つては為らぬと思つたから、其儘少し離れた、小高いところに身を寄せて、無念ながら、手を束ねて、友の家の焼けるのをじつと見て居た。  眼前に広げられた一場の光景! 今燃えて居るのは丁度鎮守の森の東表に向つた、大きな家で、火は既にその屋に及んで居るけれど、まだすつかり燃え出したといふ程ではなく、半分燃え懸けた窓からは、燻つた黒い色の烟がもく〳〵と凄じく迸り出でて、それがすつかり火に為つたならば、下の二三軒の家屋は勿論、前の白壁の土蔵も危くはありはせぬかと思はれるばかりであつた。けれど消防組はまだ一向見えぬ様子で、昼間盛んに稽古して居たその新調の喞筒も、まだ其現場に駆け付けては居らなかつた。暫時すると、燻つて居た火は恐ろしく凄じい勢でぱつと屋根の上に燃え上る……と……四辺が急に真昼のやうに明くなつて、其処等に立つて居る人の影、辛うじて運び出した二三の家具、其他いろ〳〵の悲惨な光景が、極めて明かに顕はれて見える。火は既に全屋に及んで、その火の子の高く騰るさまの凄じさと言つたら、無い。幸ひに風が無いので、火勢は左程四方には蔓延せぬけれど、下の家の危さは、見て居ても、殆ど冷汗が出るばかりである。 「喞筒!」  と叫ぶ声。 「おい、喞筒は何を為て居るだアーい」  と長く曳いて叫ぶ声。  けれど、本当に何うしたのか、喞筒はまだ遣つて来るやうな様子も見えぬ。屋根の焼落つる度に、美しく火花を散した火の子が高く上つて、やゝ風を得た火勢は、今度は今迄と違つて士蔵の方へと片靡きがして来た。土蔵の上には五六人ばかり人が上つて頻りに拒いで居た様子だつたが、これに面喰つてか、一人〳〵下りて、今は一つの黒い影を止めなくなつて了つた。 「熱つくて堪らねえ」 「まご〳〵して居ると、焼死んで了ふア」 「何うしやがつたんだ。一体、喞筒は? 気が利かねえ奴等でねえか」  と土蔵から下りて来た人の会話らしい声がすぐ自分の脚下に聞える。  と、思ふと、向ふの低い窪地に簇々と十五六人許の人数が顕はれて、其処に辛うじて運んで来たらしいのは昼間見たその新調の喞筒である。  やがて火光に向つて一道の水が烈しく迸出したのを自分は認めた。 「喞筒確かり頼むぞい!」 「確かり遣れ」 「喞筒!」  と彼方此方から声が懸る。  で、その喞筒の水の方向は或は右に、或は左に、多くは正鵠を得なかつたにも拘らず、兎に角、多量の水がその方面に向つて灑がれたのと、幸ひ風があまり無かつたのとで、下なる低い家屋にも、前なる高い土蔵にもその火を移す事なしに、首尾よく鎮火したのである。  それが丁度十時二十分。  疲れたから、帰つて、寝ようかとも思つたが、火事の後の空はいよ〳〵澄んで、山中の月の光の美しさは、此の世のものとは思はれぬばかりであるから、少し渓流の畔でも歩いて見ようと、其儘焼跡をくるりと廻つて、柴の垣の続いて居る細い道を静かに村の方へと出た。  村へ出て見ると、一軒として大騒を遣つて居らぬ家は無く、鎮火と聞いて孰も胸を安めたやうなものの、かう毎晩の様に火事があつては、とても安閑として生活して居られぬといふそは〳〵した不安の情が村一体に満ち渡つて、家々の角には、婦やら、老人やらが、寄つて、集つて、いろ〳〵喧しく語り合つて居る。 「本当にかう毎晩のやうに火事があつては、緩くり寝ても居られねえだ。本当に早く何うか為て貰はねえでは……」 「駐在所ぢや、一体何を為て居るんだか、はア、困つた事だ」  前の老人らしい声で、 「駐在所で、仕末が出来ねえだら、長野へつゝ走つて、何うかして貰ふが好いし、長野でも何うも出来ねえけりや、仕方が無えから、村の顔役が集つて、千曲川へでも投込んで了ふが好いだ」 「本当に左様でも為て貰はねいぢや……」  猶少し行くと、 「まご〳〵してると、己が家もつん燃されて了ふかも知んねえだ。本当にまア、何うしたら好い事だか」 「困つた事だ」  とさも困つたといふやうな調子。  聞流して又少し歩いた。 「重右衛門がこんな騒動を打始めようとは夢にも思ひ懸けなかつたゞ。あれの幼い頃はお互にまだ記憶えて居るだが、そんなに悪い餓鬼でも無かつたゞが……」  かう言つたのは年の頃大凡六十五六の皺くちやの老婆であつた。それに向つて立つて居るのも、これも同じく其年輩らしい老婆の姿で、今しも月の光にさも感に堪へぬといふ顔色を為たが、前の老婆の言葉を受けて、「本当でごすよ。重右衛門は、妾の遠い親類筋だで、それでかう言ふのではごんせぬが、何アに、あれでも旨くさへ育てれや、こんな悪党にや為りや仕ないんだす。一体祖父様が悪かつただす。余り可愛がり過ぎたもんだで……」 「だから、子供を育てるのも、容易には出来ねえだ」  と他の老婆は言葉を合せた。  自分は其前をも行過ぎた。  すると、路の角に居酒屋らしいものがあつて、其処には洋燈が明るく点いて居るが、中には七八人の村の若者が酒を飲んで、頻りに大きい声を立て居る。  立留つて聞くと、 「重右衛門は火事の中何処に行つて居たツて?」 「奴か、奴ア、直き山県さんの下の家に行つて、火事見舞に来たとか、何とか言つて、酒の馳走になつてけつかつた。あの位図太い奴ア無いだ」 「さういふ時、思ふさま、酒喰はして、ぐつと遣つて仕舞へば好いんだ」 「本当にそれが一番早道だア、と我ア、いつでも言ふんだけど、まさか、それも出来ねえと見えて、それを遣つて呉れる人が無えだ」 「忌々しい奴だなア」  と其中の一人が叫んだ。  自分は又歩き出した。路が其処から川の方に曲つて居るので、それについて左に曲り、猶半町ほど辿つて行くと、もう其処は尾谷川の崖で、石に激する水声が、今迄種々な悪声を聞いた自分の耳に、殆ど天上の音楽の如く聞える。月はもう高くなつたので、渓流の半面はその美しい光に明かに輝いて居るが、向ふに偏つた半面には、また容易に其光が到着しさうにも見えぬ。自分は崖に凭つて、そして今夜の出来事を考へた。友の言葉やら、村の評判やらから綜合して見ると、この事件の中心に為つて居る重右衛門といふ男は確かに自暴自棄に陥つて居るに相違ないと自分は思つた。けれど何うして渠はその自暴自棄の暗い境に陥つたのであらうか。先程の老婆の言ふ所によれば、祖父様が悪いのだ、あまり可愛がり過ぎたから、それで彼様な風に為つたのだと言ふけれど、単に愛情の過度といふのみで、それで人間が、己の故郷の家屋を焼くといふ程の烈しい暗黒の境に陥るであらうか。殊に此村には一種の冒険の思想が満ち渡つて居て、もし単に故郷に容れられぬといふばかりならば、根本の父のやうに、又は塩町の湯屋のやうに、憤を発して他郷に出て、それで名誉を恢復した例は幾許もある。であるのに、それを敢て為ようとも為ず、かうして故郷の人に反抗して居るといふのは、其処に何か理由が無くてはならぬ。その理由は先天的性質か、それとも又境遇から起つた事か。  種々に空想を逞うしたが、未だ其人をさへ見た事の無い身の、完全にそれを断定することが何うして出来よう。遂に思切つて、そして帰宅すべく家路に就いた。路は昼間小僮に案内して貰つて知つて居るから別段甚しく迷ひもせずに、やがて緑樹の欝蒼と生ひ茂つた、月の光の満足にさし透らぬ、少しく小暗い阪道へとかゝつて来た。村の方ではまだ騒いで居ると見えて、折々人声は聞えるけれど、此の四辺はひつそりと沈まり返つて、木の葉の戦ぐ音すら聞えぬ。自分は月の光の地上に織り出した樹の影を踏みながら、阪の中段に構へられてある一軒の農家の方へと只無意味に近づいて行つた。  すると、その家の垣根の前に小さな人の影があつて、低頭になつて頻りに何か為て居るではないか。勿論家の蔭であるから、それと分明とは解らぬが、その影によつて判断すると、それは確かに大人で無いといふ事がよく解る。自分は立留つた。そして樹の蔭に身を潜めて、暫しその為様を見て居た。  ぱツとマッチを擦る音!  同時に 「誰だ!」  と叫んで自分は走り寄つた。けれどその影の敏捷なる、とても人間業とは思はれぬばかりに、走寄る自分の袖の下をすり抜けて、電光の如く傍の森の中に身を没して了つた。跡には石油を灑いだ材料に火が移つて盛に燃え出した。 「火事だ、火事だア」  と自分は声を限りに叫んだ。      八  藤田重右衛門と言ふのは、昔は村でも中々の家柄で祖父の代までは田の十町も所有して、小作人の七八人も遣つた事のある身分だといふことである。家は丁度尾谷川に臨んだ一帯の平地にあつて、樫の疎らな並樹がぐるりと其の周囲を囲んで居る奥に、一棟の母屋、土蔵、物置と、普請も尋常よりは堅く出来て居て、村に何か事のある時には、その祖父といふ人は必ず総代か世話人に選ばれるといふ程の名望家であつた。現に根本三之助の乱暴を働いた頃にも、その村の相談役で、千曲川に投込んで了へと決議した人の一人であつたといふ。性質の穏かな、言葉数の少ない、慈愛心の深い人で、殊に学問──と謂ふ程でも無いが、御家流の字が村にも匹敵するものが無い程上手で、他村への交渉、飯山藩の武士への文通などは皆この人に頼んで書いて貰ふのが殆ど例になつて居たといふ事である。この人は千曲川の対岸の大俣といふ処から、妻を娶つたが、この妻といふ人も至極好人物で、貧乏者にはよく米を遣つたり、金銭を施したりして、年が老つてからは、寺参りをのみ課業として、全く後生を願ふといふ念より外に他は無かつた。であるのに、僅か一代を隔てて、何うしてこんな不幸がその藤田一家を襲つたのであらうか。何うしてその祖父祖母の孫に今の重右衛門のやうな、乱暴無慚の人間が出たのであらうか。  その優しい正しい祖父祖母の問に、仮令女でも好いから、まことの血統を帯びた子といふ者が有つたなら、決してこんな事は無かつたらうとは、村でも心ある者の常に口に言ふ所であるが、不幸にもその祖父祖母の間には一人の子供も無かつたので、藤田の系統を継がしむる為めに、二人は他の家から養子を為なければならなかつた。今の重右衛門の父と言ふのは、芋沢のさる大尽の次男で、母は村の杉坂正五郎といふものの三女である。何方も左程悪い人間と言ふではないが、否、現に今も子息の事を苦にして、村の者に顔を合せるのも恥しいと山の中に隠れて出て来ぬといふやうな寧ろ正直な人間ではあるが、さりとて、又、祖父祖母のやうな卓れて美しい性質は夫婦とも露ばかりも持つて居らなかつたので、母方の伯父といふ人は人殺をして斬罪に処せられたといふ悪い歴史を持つて居るのであつた。で、この夫婦養子の間に間もなく出来たのが、今の重右衛門。子の無い処の孫であるから、祖父祖母の寵愛は一方ではなく、一にも孫、二にも孫と畳にも置かぬほどにちやほやして、その寵愛する様は、他所目にも可笑しい程であつたといふ。処が、この最愛の孫に一つ悲むべきことがある。それは生れながらにして、腸の一部が睾丸に下りて居る事で、何うかしてこの大睾丸を治して遣る方法は無いかと、長野まで態々出懸けて、いろ〳〵医者にも掛けて見たけれど、まだ其頃は医術も開けて居らぬ時代の事とて、一時は腸に収まつて居ても、又何かの拍子で忽地元に復して了ふので、いくら可愛想に思つても、何う為る事も出来なかつた。  これが又一層不便を増すの料となつて、孫や孫やと、その祖父祖母の寵愛は益太甚しく、四歳五歳、六歳は、夢のやうに掌の中に過ぎて、段々その性質があらはれて来た。けれど、子供の時分には、只非常に意地の強いといふばかりで、別段これと言つて他の童に異つたところも無かつたといふ事だが、それでも今の老人の中には、重右衛門の子供にも似ぬ、一種茫然したやうな、しつかりしたやうな、要領を得ない処があるのを記憶して居て、どうもあの子は昔から変つて居ると思つたと言ふ者もある。が、概して他の童にさしたる相違が無かつたといふのが、一般の評であつた。山県の総領の兄などはその幼い頃の遊び夥伴で、よく一所に蜻蛉を交ませに行つたり、草を摘みに行つたり、山葡萄を採りに行つたり為た事があるといふが、今で、一番記憶に残つて居るのは、鎮守の境内で、鬼事を為る時、重右衛門は睾丸が大いものだから、いつも十分に駆ける事が出来ず、始終中鬼にばかり為つて居たといふ事と、山茱萸を採りに三峯に行つた時、その大睾丸を蜂に食はれて、家に帰るまで泣き続けて居たといふ事と、今一つ、よく大睾丸を材料にして、いろ〳〵渾名を付けたり、悪口を言つたり為るものだから、終にはそれを言ひ始めると、厭な顔をして、折角楽しげに遊んで居たのも直ぐ止めて帰つて了ふやうになつたといふ事位のものであるさうな。けれど其先天的不具がかれの一生の上に非常に悲劇の材料と為つたのは事実で、人間と生れて、これほど不幸福なものは有るまい。それから愛情の過度、これも確かにかれの今日の境遇に陥つた一つの大なる原因で、大きくなる迄、孫や、孫やとやさしい祖父にちやほやされて、一時村の遊び夥伴の中に、重右衛門と名を呼ぶ者はなく、孫や、孫やで通つたなども、かれの悲劇を思ふ人の有力なる材料になるに相違ない。  月日は流るゝ如く過ぎて、早くも渠は十七の若者となつた。其年の春、祖母は老病で死んで了つたが、此年ほど藤田家に取つて運の悪い年は無かつたので、其初夏には、父親が今年こそはと見当を付けて、連年の養蚕の失敗を恢復しようと、非常に手を拡げて養つた蚕が、気候の具合で、すつかり外れて、一時に田地の半分ほども人手に渡して了ふといふ始末。かてて加へて、妻の持病の子宮が再発して、枕も上らず臥せつて居ると、父親は又父親で、失敗の自棄を医さん為め、長野の遊廓にありもせぬ金を工面して、五日も六日も流連して帰らぬので、年を老つた、人の好い七十近い祖父が、独りでそれを心配して、孫や孫やと頻りに重右衛門ばかりを力にして、何うか貴様は、親父のやうに意気地なしには為つて呉れるな、祖父の代の田地を何うか元のやうに恢復して呉れと、殆ど口癖のやうに言つて居た。  御存じでは御座るまいが、村には若者の遊び場所と言ふやうなものがあつて、(自分は根本行輔の口からこの物語を聞いて居るので)昼間の職業を終つて夕飯を済すと、いつも其処に行つて、娘の子の話やら、喧嘩の話やら、賭博の話やら、いろ〳〵くだらぬ話を為て、傍ら物を食つたり、酒を飲んだりする処がある。今では学校が出来て、教育の大切な事が誰の頭脳にも入つて来たから、さういふ下らぬ遊を為るものも少く為つたけれど、まだ私等の頃までは、随分それが盛んで、やれ平右衛門の二番娘は容色が好いの、やれ総助の処の末の娘が段々色気が付いて来たのと下らぬ噂を為ばかりならまだ好いが、若者と若者との間にその娘に就いての鞘当が始まる、口論が始まる、喧嘩が始まる、皿が飛ぶ、徳利が破れるといふ大活劇を演ずることも度々で、それは随分弊が多かつた。殊に其遊び場所の最も悪い弊と言ふのは、その若者の群の中にも自から勢力の有るものと、無いものとの区別があつて、其勢力のある者が、まだ十六七の若い青年を面白半分に悪いところに誘つて行く、これが第一の弊だと思ふ。  私なども経験があるが、散々村の遊び場所で騒ぎ散して、さてそれから其処に集つて居る若者の総ての懐中を改めて、これなれば沢山となると、もう大分夜が更け渡つて居るにも拘らず、其処から三里もある湯田中の遊廓へと押懸けて行く。其一群の中には、屹度今夜が始めて……といふ初陣の者が一人は居るので、それを挑てたり、それを戯つたり、散々飜弄しながら歩いて行くのが何よりも楽みに其頃は思つて居た。そして又、村の若者の親なども、これはもう公然止むを得ざる事と黙許して居て、「家の忰もはア、色気が附いて来ただで、近い中に湯田中に遣らずばなるめい、お前方附いて居て、間違の無いやうに遊ばして呉らつしやれ」とその兄分の若い衆に頼むものさへある。兎に角、村の若い者で、湯田中に遊びに行かぬ者は一人も無く、又初めての翌朝、兄分の者に昨夜の一伍一什を無理に話させられて、顔を赤く為ないものは一人も無い。  重右衛門を始めて湯田中に連れて行つたのは、勝五郎といふ其頃有名な兄分で、今では失敗して行衛知れずになつて居るが、それがよく重右衛門の初陣の夜の事を得意になつて人に話した。 「重右め、不具だもんだで、姫つ子が何うしても承知しねえ、二夜、三夜、五夜ほど続けて行つて、姫つ子を幾人も変へて見たが、何奴も、此奴も厭だアつてぬかして言ふ事を聞かねえだ。朝になつて、あの田中の堤の上を茫然帰つて来ると、重右め、いつも浮かぬ顔をして待つて居る。咋夜は何うだつたつて……聞くと、頭ア振つて駄目だアと言ふ。それが余り幾夜も続くので、私も、はア、終には気の毒になつて、重右だツて、人間だア。不具に生れたのは、自分が悪いのぢやねえ。それだのに、その不具の為めに、女を知る事が出来ねえとあつては、これア気の毒だア。一つ肌を抜いで世話をして遣らうと思つて、それから私の知つて居る女郎屋の嚊様に行つてこれ〳〵だつて話して遣つただ。すると、流石は商売人だで、訳なく承知して呉れて、重右め、其処に行つて泊る事に為つただ。明日の朝、何んな顔をして居るかと思つたら、奴め、莞爾と笑つて居やがる。背中を一つ喰はせて遣ると、いひ〳〵〳〵と笑やがつたが、其笑ひ様つて言つたら、そりや形容にも話にも出来ねえだ。本当に、私あ、随分人を湯田中に連れて行つたが、重右の奴ぐらゐ、手数の懸つたのは無え」  と高く笑つて、 「それにしても、考へると、可笑くつてなんねえだよ。あの大い睾丸を拘へてよ、それで姫ツ子を自由に為ようつて言んだから、こいつは中々骨が折れるあ!」  と言ふのが例だ。  で、其からといふものは、重右衛門は好く湯田中に出懸けて行つたが、金を費ふ割に余りちやほやされないので、つねに悒々として楽しまなかつたといふ事である。  其中には段々家は失敗に失敗を重ねて、祖父が一人真面目に心配して居るけれど、さてそれを何うする事も出来ず田地は益々人手に渡つて、祖父の死んだ時(それは丁度重右衛門が二十二の時であつた)にはもう田畠合せて一町歩位しか無かつたとの話だ。ことに、その祖父の死ぬ時に一つの悲しい話がある。それは、其頃重右衛門は湯田中に深く陥つて居る女があつたとかで、家の衰へて行くのにも頓着せず、米を売つた代価とか、蚕を売つた金とかありさへすれば、五両なり十両なりそれを残らず引攫つて飛出して、四日、五日、その金の有らん限り、流連して更に家に帰らうとも為なかつた。父親と母親とは重右街門とは始めから仲が悪いので、商売を為るとか言つて、其頃長野へ出て居つたから、家には只死に瀕した祖父一人。その祖父は曾て孫を此上なく寵愛して、凡そ祖父の孫に対する愛は、遺憾なく尽して居つたにも拘らず、その死の床には侍つて居るものが一人も無いとは!  二日程前から病に罹つて、老人はその腰の曲つた姿を家の外に顕はさなかつたが、其三日目の晩に、あまり家の中がしんとして居ると言ふので、隣の者が行つて見ると、老人行火に凭り懸つたまゝ、丸くなつて打伏して居る。 「爺様! 何うだね」  と声を懸けても、返事が無い。 「爺様!」  と再び呼んでも、猶返事を為ようとも為ない。これは不思議だと怪んで、急いで傍に行つて見ると、体がぐたりとして水涕を出したまゝ、早既に締が切れて居る。驚いて、これを村の世話役に報告する、湯田中の重右衛門に使を出す、と、重右衛門は遊廓の二階で、大睾丸を抱へて大騒を遣つて居る最中だつたさうで、祖父が死んだといふ悲むべき報知を聞いても、更に涙一つ滴さうでもなく、「死んで了つたものは仕方が無え、明日帰つて、緩り葬礼を出して遣るから、もう帰つて呉れても好い」との無情な言草には、使の者も殆ど呆れ返つたとの事だ。  兎に角重右衛門は此頃からそろ〳〵評判が悪くなつたので、その祖父の孫に対する愛を知つて居る人は、他村の者までも、重右衛門の最後の必ず好くないといふ事を私語き合つたのである。  祖父が死んだので、父親母親は一先村へ帰つて、少時其家に住んで居た。が、この親子の間柄といふものは、祖父が余り過度に愛した故でもあらうが、それは驚くばかり冷かで、何かと言つては、直き親子で衝突して、撲り合ひを始める。仲裁に入ると、その仲裁に入つた者まで撲り飛ばして、傷を負はせるといふ有様なので、後には誰も相手に為る者が無くなつて了つた。で、この親と子の間に少なからざる活闘が演じられたが、重右衛門は体格が大きく、馬鹿力があつて、其上意地が非常に強く、酒を飲むと、殆ど親子の見さかひも無くなつて了ふものだから、流石の親達も終には呆れ返つてこんな子息の傍には居られぬ、と一年許して、又長野へ出て行つた。  これからが重右衛門の罪悪史である。祖父は歿くなる、親は追出す、もう誰一人その我儘を抑めるものが無くなつたので、初めの中は自分の家の財産を抵当に、彼方此方から金を工面して、猶その放蕩を続けて居た。けれど重右衛門とて、丸きり意識を失つた馬鹿者でも無いから、満更その自分の一生に就いて思慮を費やさぬ事も無いので、時にはいろ〳〵その将来の事を苦にして、自分の家の没落をも何うかして恢復したいと思つた事もあつたらしい。其証拠には、それから、大凡一年ばかり経つと、丸で人間が変つたかと思はれるやうに、もうふつゝりと女郎買をやめて、小作人まかせに荒れて居た田地を耕し、人の為めに馬を曳いて賃金を取り、養蚕の手伝をして日当を稼ぐなど、それは村の人が一時眼を聳だてる程の勤勉なる労働者と為つた  其頃である。稍その信用が恢復しようとした頃である。村に世話好の男があつて、重右衛門も此頃では余程身持も修まつて来たやうだし、あゝ勤勉に労働する処を見ると、将来にも左程希望が無いとも云へぬ。一つ相応な嫁を周旋して、一層身が堅まるやうに為て遣らうではないかといふ者があつたが、それに賛成する者も随分あつて、彼れかこれかといよ〳〵相応の嫁を探して遣る事と為つた。  其候補者には誰が為つたらう。  その頃、村の尽頭に老婆と一緒に駄菓子の見世を出して、子供等を相手に、亀の子焼などを商つて、辛うじて其日の生活を立てて行く女があつた。生れは何でも越後の者だといふ事だが、其処に住んだのは、七八年前の事で、始めはその父親らしい腰の曲つた顔の燻つた汚らしい爺様も居つた相だが、それは間もなく死んで、今では母の老婆と二人暮し。村の若い者などが時々遊びに行く事があつても、不器量で、無愛想で、おまけに口が少し訥ると来て居るから、誰も物好に手を出すものもなく、二十五歳の今日まで、男といふものは猫より外に抱いた事も無かつた。けれど其性質は悪くはない相で、子供などには中々優しくする様子であるから、何うだ、重右衛門、姿色よりも心と言ふ譬もある、あれを貰ふ気は無いかと勧めた。  重右衛門も流石に二の足を踏んだに相違ないが、余りに人から執念く勧めらるゝので、それでは何うか好いやうにして下され、私等は、ハア、どうせ不具者でごすでと言つて承知して、それより一月ならざるに、重右衛門の寂しい家宅にはをり〳〵女の笑ふ声が聞える様になつた。  村の人はこれで重右衛門の身が堅まつたと思つて喜んだのである。けれどそれは少くとも重右衛門のやうな性格と重右衛門のやうな先天的不備なところがある人間には間違つた皮相な観察であつた。一体重右衛門といふ男は負け嫌ひの、横着の、図々しいところがあつて、そして其上に烈しい〳〵熱情を有つて居る。で、この熱情が旨く用ひられると、中々大した事業をも為るし、人の眼を驚かす程の偉功をも建てる事が出来るのだけれど、惜しい事には、この男にはこれを行ふ力が欠けて居る。先天的に欠けて居る。この男には「自分は不具者、自分は普通の人間と肩を並べることが出来ぬ不具もの」といふ考が、小児の中からその頭脳に浸み込んで居て、何かすぐれた事でも為ようと思ふと、直ぐその悲しむべき考が脳を衝いて上つて来る。そしてこの不具者といふ消極的思想が言ふべからざる不快の念をその熱情の唯中に、丁度氷でもあるかのやうに、極めて烈しく打込んで行く。この不快の念、これが起るほど、かれには辛いことはなく、又これが起るほど、かれには忌々しい事はない。何故自分は不具に生れたか、何故自分は他の人と同じ天分を受ける事が出来なかつたか。  親が憎い、己を不具に生み付けた親が憎い。となると、自分の全身には殆ど火焔を帯びた不動尊も啻ならざる、憎悪、怨恨、嫉妬などの徹骨の苦々しい情が、寸時もじつとして居られぬほどに簇つて来て、口惜しくつて〳〵、忌々しくつて〳〵、出来るものならば、この天地を引裂いて、この世の中を闇にして、それで、自分も真逆様にその暗い深い穴の中に落ちて行つたなら、何んなに心地が快いだらうといふやうな浅ましい心が起る。  かういふ時には、譬へ一銭の銅貨を持つて居らないでも、酒を飲まなければ、何うしても腹の中の虫が承知しない。仕方が無いから、居酒屋に飛んで行つて一杯飲む、二杯飲む。あとは一升、二升。  重右衛門の為めには、女房が出来たのは余り好い事では無かつたが、もし二人の間に早く子供が生れたなら、或は重右衛門のこの腹の虫を全く医し得たかも知れぬ。けれど不幸にも一年の間に子をつくることが出来なかつた二人の仲は、次第に殺伐に為り、乱暴に為り、無遠慮になつて、そして、その場句には、泣声、尖声を出しての大立廻。それも度重なつては、犬の喧嘩と振向いて見るものなく、女房の顔には殆ど生傷が絶えぬといふやうな寧ろ浅ましい境遇に陥つて行つた。  その結果として、折角身持が治り懸けた重右衛門が再び遊廓に足を踏み入れるやうに為り、少しく手を下し始めた荒廃した田地の開墾が全く委棄せられて了つたのも、これも余儀ない次第であらう。  倘し、この危機に処して、一家の女房たるものが、少しく怜悧であつたならば、狂瀾を既に倒るゝに翻し、危難を未だ来らざるに拒ぐは、さして難い事では無いのである。が、天は不幸なるこの重右衛門にこの纔かなる恩恵をすら惜んで与へなかつたので、尋常よりも尚数等愚劣なるかれの妻は、この危機に際して、あらう事か、不貞腐にも、夫の留守を幸ひに、山に住む猟師のあらくれ男と密通した。  そして、それの露顕した時、 「だつて、その位は当り前だア。お前さアばか、勝手な真似して、己ら尤められる積はねえだ」  とほざいた。  重右衛門は怒つたの、怒らないのツて、 「何だ、この女!」  と一喝して、いきなり、その髪を執つて、引摺倒し、拳の痛くなるほど、滅茶苦茶に撲つた。そして半死半生になつた女房を尻目にかけて、其儘湯田中へと飛んで行つた。そして、酒……酒……酒。  で、これからと言ふものは、重右衛門は全く身を持崩して了つたので、女郎買を為るばかりではない、悪い山の猟師と墾意に為つて、賭博を打つ、喧嘩を為る、茶屋女を買ふ、瞬く間にその残つて居る田地をも悉く人手に渡して、猶其上に宅地と家屋敷を抵当に、放蕩費を借りようとして居るのだが、誰もあんな無法者に金を貸して、抵当として家屋敷を押へた処が、跡で何んな苦情を持出さぬものでもないと、恐毛振つて相手に為ぬので、そればかりは猶其後少時、かれの所有権ある不動産として残つて居た。  ある時かういふ奇談がある。  かれはその三日前ばかりから、湯田中に流連して、いつもの馴染を買つて居たが、さて帰らうとして、それに払ふべき金が無い。仕方が無いから、苦情やら忌味やらを言はれ〳〵、三里の山道を妓夫を引張つて遣つて来て見ると家の道具はもう大方持出して叩き売つて仕舞つたので、これと言つて金目なものは一つも無い。妓夫は怒るし、仕末に困つて、何うしようと思つて居ると、裏の馬小屋で、主人が居ないので、三日間食はずに、腹を減して居つた、栗毛の三歳が、物音を聞き付けて、一声高く嘶いた。 「やア、まだ馬が居るア」  と言つて、平気でそれを曳出して、飯をも与ヘずに、妓夫に渡した。そして、彼はその馬を売つた残りの金を費ふべく、再び湯田中へと飛び出して行つたのである。  其事が誰言ふとなく村の者に伝つて、孫(祖父の口癖に言つた)が馬を引張つて来て、又馬を引張つて行かれたとよと大評判の種となつた。  それから、三年。かれが到頭家屋敷を抵当に取られて、忌々しさの余に、その家に火を放ち、露顕して長野の監獄に捕へらるゝ迄其間の行為は、多くは暗黒と罪悪とばかりで、少しも改善の面影を顕はさなかつたが、只一度……只一度次のやうな事があつた。  それは何でも其家屋の抵当に入つてから後の事だ相だが、ある日かれは金を借ようと思つて、上塩山の上尾貞七の家を訪ねた事があつた。この上尾貞七と謂ふのは、根本三之助などと同じく、一時は非常に逆境に沈淪して、村には殆ど身を措く事が出来ぬ程に為つた事のある男で、それから憤を発して、江戸へ出て、廿年の間に、何う世の荒波を泳いだか、一万円近くの資産を作つて帰つて来て、今では上塩山第一の富豪と立てられる身分である。重右衛門が訪ねると、快く面会して、その用向の程を聞き、言ふがまゝに十五円ばかりの金を貸し、さて真面目な声で、貞七が、「実はお前さんの事は、兼ねて噂に聞いて知つて居つたが、生れた村といふものは、まことに狭いもので、とても其処に居ては、思ふやうな事は出来ない。私なども……覚えが有るが、村の人々に一度信用せられぬとなると、もう何んなに藻掻いても、とても其村では何うする事も出来なくなる。お前さんも随分村では悪い者のやうに言はれるが、何うだね、一奮発する気は無いか」  重右衛門は黙つて居る。 「私なども……それア、随分酷い眼に逢つた。親には見放される、兄弟には唾を吐き懸けられる、村の人にはてんから相手にされぬといふ始末で、夜逃の様にして村を出て行つたが、其時の悲しかつた事は今でも忘れない。あの倉沢の先の吹上の水の出て居る処があるが、あそこで、石に腰を懸けて、もうこれで村に帰つて来るか何うだかと思つた時は、情なくなつて涙が出て、いつそこゝで死んで了はうかとすら思つた程であつた。けれど……思返して、何うせ死ぬ位なら、江戸に行つて死ぬのも同じだ、死んだ積りで、量見を入れかへて、働いて見よう……とてく〳〵と歩き出したが、それが私の運の開け始めで、それでまア、兎に角今の身分に為つた……」 「私なんざア、駄目でごす…‥」  と重右衛門は言つたが、其顔はおのづから垂れて、眼からは大きな涙がほろ〳〵と膝の上に落ちた。 「駄目な事があるものか。私などもお前さんの様に、其時は駄目だと思つた。けれどその駄目が今日のやうな身分になる始となつたぢやがアせんか。何でも人間は気を大きくしなければ好けない」  答の無いのに再び言葉を続いで、 「村の奴などは何とでも勝手に言はせて置くが好い。世の中は広いのだから、何も村に居なければならねえと言ふのでもねえ、男と生れたからにや、東京にでも出て一旗挙げて来る様で無けりや、話にも何にも為らねえと言ふ者だ……」  重右衛門は殆ど情に堪へないといふ風で潮の如く漲つて来る涙を辛うじて下唇を咬みつゝ押へて居た。 「本当でごいすよ、私は決して自分に覚えの無え事を言ふんぢやねえんだから、……本当に一つ奮発さつしやれ、屹度それや立身するに極つてるから」 「私は駄目でごす……」と涙の込み上げて来るのを押へて、「私ア、とても貴郎の真似は出来ねえでごす。一体、もうこんな体格でごいすだで」 「そんな事はあるものか」と貞七は口では言つたが、成程それで十分に奮発する事も出来ないのかと思ふと、一層同情の念が加はつて、愈慰藉して遣らずには居られなくなつた。 「本当にそんな事は無い。世の中にはお前さんなどよりも数等利かぬ体で、立派な事業を為た人はいくらもある。盲目で学者になつた塙検校と言ふ人も居るし、跛足で大金持に為つた大俣の惣七といふ男もある。お前さんの体位で、そんな弱い事を言つて居ては仕方がない。本当に一つ……遣つて見さつしやる気は無えかね。私ア、東京にも随分知つてる人も居るだて、一生懸命に為る積なら、いくらも世話は為て遣るだが」 「難有い、さう仰つて下さる人は、貴郎ばかり。決して……決して」と重右衛門は言葉を涙につかへさせながら、「決して忘れない、この御厚恩は! けれど私ア、駄目でごす。体格さへかうでなければ、今までこんなにして村にまご〳〵して居るんぢや御座せんが……。私は駄目でごす……」  と又涙をほろ〳〵と落した。  これは貞七の後での話だが実際その時は気の毒に為つて、あんな弱い憐れむべき者を村では何故あのやうに虐待するのであらう。元はと言へば気ばかり有つて、体が自由にならぬから、それで彼様な自暴自棄な真似を為るのであるのに……と心から同情を表さずには居られなかつたといふ事だ。実際、重右衛門だとて、人間だから、今のやうな乱暴を働いても、元はその位のやさしい処があつたかも知れない。けれどその体の先天的不備がその根本の悪の幾分を形造つたと共に、その性質も亦その罪悪の上に大なる影響を与へたに相違ないと、自分は友の話を聞きながら、つくづく心の中に思つた。        *     *     *  此後の重右衛門の歴史は只々驚くべき罪悪ばかり、抵当に取られた自分の家が残念だとて、火を放けて、獄に投ぜられ、六年経つて出て来たが、村の人の幾らか好くなつたらうと望を属して居たのにも拘らず、相変らず無頼で、放蕩で後悔を為るどころか一層大胆に悪事を行つて、殆ど傍若無人といふ有様であつた。其翌年、賭博現行犯で長野へ引かれ、一年ほどまた臭い飯を食ふ事になつたが、二度目に帰つて来た時は、もう村でも何うする事も出来ない程の悪漢に成り済して、家も無いものだから今の堤下に乞食の住むやうな小屋を造つて、其処に気の合つた悪党ばかり寄せ集め、米が無くなると、何処の家にでもお構ひなしに、一升米を貸して呉れ、二升米を貸して呉れと、平気な面して貰ひに行く。そして、少しでも厭な素振を見せると、それなら考があるから呉れなくても好いと威嚇すのが習。村方では又火でも放けられては……と思ふから、仕方なしに、言ふまゝに呉れて遣る。すると好気に為つて、幅で、大風呂敷を携へて貰つて歩くといふ始末。殆ど村でも持余した。それがまだ其中は好かつたが、ある時ふと其感情を損ねてからと言ふものは、重右衛門大童になつて怒つて、「何だ、この重右衛門一人、村で養つて行けぬと謂ふのか。そんな吝くさい村だら、片端から焼払つて了へ」  と酔客の如く大声で怒鳴つて歩いた。  で、今回の放火騒動。      九  山県の家の全焼したあくる日は、益々警戒に警戒を加へて、重右衛門の行為は勿論、その娘ツ子の一挙一動、何処に行つた、彼処に行つたといふ事まで少しも注意を怠らなかつた。否、消防の人数を加へ、夜番の若者を増して、十五分毎には柝木と忍びとが代る〴〵必ず廻つて歩くといふ、これならば何んな天魔でも容易に手を下す事が出来まいと思はれる許の警戒を加へて居て、それは中々一通の警戒ではないのであつた。であるのに、その厳しい防禦線の間を何う巧に潜つてか、其夜の十時少し過ぎと云ふに、何か変な臭ひがすると思ふ間もなく、ふす〳〵と怪しい音がするので、まだ今寝たばかりの雨戸を繰つて見ると、これはそも驚くまじき事か、火の粉が降るやうに満面に吹き附けて、すぐ下の家屋の窓からは、黒く黄い烟と赤い長い火の影とが…… 「火事だア、火事だア」  とこの世も終りと云はぬばかりの絶望の叫喚が凄じく聞えた。  自分は慌てて、跣足で庭に飛び出した。下の家とは僅か十間位しか離れて居らぬので、母屋では既に大騒を遣つて居る様子で、やれ水を運べの桶を持つて来いのと老主人が声を限りに指揮する気勢が分明と手に取るやうに聞える。自分もこの危急の場合に際して、何か手助になる事もと思つて、兎に角母屋の方に廻つて見たが、元より不知案内の身の、何う為る事も出来ぬので、寧ろ足手纏ひに為らぬ方が得策と、其儘土蔵の前の明地に引返して、只々その成行を傍観して居た。  昨夜と均しく、月は水の如く、大空に漂つて、山の影はくつきりと黒く、五六歩前の叢にはまだ虫の鳴く音が我は顔に聞えて居る。その寂かな村落にもく〳〵と黒く黄い烟が立昇つて、ばち〳〵と木材の燃え出す音! 続いて、寺の鐘、半鐘の乱打、人の叫ぶ声、人の走る足音!  村はやがて鼎の沸くやうに騒ぎ出した。      十  母屋の大広間で恐しく鋭い尖声が為たと思ふと、 「何だと……何と吐かした? この藤田重右衛門に……」  と叫んだ者がある。  自分の傍に来て居た友は、 「重右衛門が来て居る! 自分で火を点けて置いて、それで知らん顔で、手伝酒を食つてるとは図太いにも程がある」  と言つた。  火は幸にも根本の母屋には移らずに下の小い家屋一軒で、兎に角首尾よく鎮火したので、手伝ひに来て呉れた村の人々、喞筒の水にずぶ濡れになつた村の若者、それから遠くから聞き付けて見舞に来て呉れた縁者などを引留めて、村に慣例の手伝酒を振舞つて居るところであるが、その十五畳の大広間には順序次第もなく、荒くれた男がずらりと並んで、親椀で酒を蒙つて居るものもあれば、茶碗でぐび〳〵遺つて居る者もある。さうかと思ふと、さも〳〵腹が空いて仕方が無いと言はぬばかりに一生懸命に飯を茶漬にして掻込んで居るもの、胡坐を掻いて烟草をすぱり〳〵遣つて御座るもの、自分は今少し前、一寸其席を覗いて見たが、それは〳〵何とも形容する事の出来ぬばかりの殺風景で、何だか鬼共の集り合つた席では無いかと疑はれるのであつた。いづれも火の母屋に移らぬ事を祝しては居るが、連夜の騒動に、夜は大分眠らぬ疲労と、烈しく激昂した一種の殺気とが加はつて、何の顔を見ても、不穏な落付かぬ凄い色を帯びて居らぬものは、一人も無かつた。  それが、自分が覗いてから、大方一時間にもなるのであるから、酒も次第にその一座に廻つたと覚しく、恐ろしく騒ぐ気勢が其次の間に満ち渡つた。 「来てるのかね?」  と自分は友の言葉を聞いて、すぐ訊ねた。 「来てるですとも……奴ア、これが楽みで、この手伝酒を飲むのが半分目的で火をつけるのですア」  暫くすると、 「何だと、この重右衛門が何うしたと……この重右衛門が……」  といふ恐ろしく尖つた叫声が、その次の大広間から聞える。 「先生……また酔つたナ」  と友は言つた。  次の間で争ふ声! 「何に、貴様が火を放けると言つたんぢやねえ。貴様が火を放けようと、放けまいと、それにやちやんと、政府といふものがある。貴様も一度は、これで政府の厄介に為つた事が有るぢやねえか」  かう言つたのは錆びのある太い声である。 「何だと、……己が政府の厄介に為らうが為るまいが、何も奴等の知つた事つちや無えだ。何が……この村の奴等……(少時途絶えて)この藤田重右衛門に手向ひするものは一人もあるめい。かう見えても、この藤田重右衛門は……」  と腕でも捲つたらしい。 「何も貴様が豪くねえと言ひやしねえだア、貴様のやうな豪い奴が、この村に居るから困るつて言ふんだ」 「何が困る……困るのは当り前だ。己がナ、この藤田重右衛門がナ、態々困るやうにして遣るんだ」  非常に酔つて居るものと見える。 「酔客を相手にしたつて、仕方が無えから、よさつせい」  と留める声がする。  暫時沈黙。 「だが、重右衛門ナア、貴様も此村で生れた人間ぢや無えか、それだアに、此様に皆々に爪弾されて……悪い事べい為て居て、それで寝覚が好いだか」  と言つたのは、前のとは違つた、稍老人らしい口吻。 「勝手に爪弾しやアがれ、この重右衛門様はナ、奴等のやうなものに相手に為れねえでも……ねつから困らねえだア……べら棒め、根本三之助などと威張りやアがつて元ア、賽銭箱から一文二文盗みやがつたぢやねえだか」 「撲つて了へ」  と傍から憤怒に堪へぬといふやうな血気の若者の叫喚が聞えた。 「撲れ! 撲れ!」 「取占めて了へ」  と彼方此方から声が懸る。 「何だ、撲れ? と。こいつは面白れえだ。この重右衛門を撲るものがあるなら撲つて見ろ!」  と言ふと、ばら〳〵と人が撲ちに蒐つた様な気勢が為たので、自分は友の留めるのをも振り解いて、急いで次の間の、少し戸の明いて居る処へ行つて、そつと覗いた。いづれも其方にのみ気を取られて居るから、自分の其処に行つたのに誰も気の付く者は無い。自分の眼には先烟の籠つた、厭に蒸熱い空気を透して、薄暗い古風な大洋燈の下に、一場の凄じい光景が幻影の如く映つたので、中央の柱の傍に座を占めて居る一人の中老漢に、今しも三人の若者が眼を瞋らし、拳を固めて、勢猛に打つて蒐らうとして居るのを、傍の老人が頻りにこれを遮つて居るところであつた。この中老漢、身には殆ど断々になつた白地の浴衣を着、髪を蓬のやうに振乱し、恐しい毛臑を頓着せずに露はして居るが、これが則ち自分の始めて見た藤田重右衛門で、その眼を瞋らした赤い顔には、まことに凄じい罪悪と自暴自棄との影が宿つて、其半生の悲惨なる歴史の跡が一々その陰険な皺の中に織り込まれて居るやうに思はれる。自分は平生誰でも顔の中に其人の生涯が顕れて見えると信じて居る一人で、悲惨な歴史の織り込まれた顔を見る程心を動かす事は無いのであるが、自分はこの重右衛門の顔ほど悲惨極まる顔を見た事は無いとすぐ思つた。稍老いた顔の肉は太く落ちて、鋭い眼の光の中に無限の悲しい影を宿しながら、じつと今打ちに蒐らうとした若者の顔を睨んだ形状は、丸で餓ゑた獣の人に飛蒐らうと気構へて居るのと少しも変つた所は無い。 「酔客を相手にしたつて仕方が無えだ! 廃さつせい、廃さつせい!」  と老人は若者を抑へた。 「撲るとは、面白いだ、この藤田重右衛門を撲れるなら、撲つて見ろ、奴等のやうな青二才とは」  と果して腕を捲つて、体をくるりと其方へ回した。 「管はんで置くと、好い気に為るだア。此奴の為めに、村中大騒を遣つて、夜も碌々寝られねえに、酒を食はせて、勝手な事を言はせて置くつて言ふ法は無えだ。駐在所で意気地が無くつて、何うする事も出来ねえけりや、村で成敗するより仕方が無えだ。爺さん退かつせい、放さつせい」と二十一二の体の肥つた、血気の若者は、取られた袂を振放つて、いきなり、重右衛門の横面を烈しく撲つた。 「此奴!」  と言つて、重右衛門は立上つたが、其儘その若者に武者振り付いた。若者は何のと金剛力を出したが、流石は若者の元気に忽地重右衛門は組伏せられ、火のごとき鉄拳は霰とばかりその面上頭上に落下するのであつた。  見兼ねて、老人が五六人寄つて来て、兎に角この組討は引分けられたが、重右衛門は鉄拳を食ひし身の、いつかなこの仲裁を承知せず、よろ〳〵と身体をよろめかしながら、猶其相手に喰つて蒐らうとするので、相手の若者は一先其儘次の間へと追遣られた。 「おい、人を撲らせて、相手を引込ませるつて言ふ法は何所にあるだ。おい、こら、相手を出せ、出さねえだか」  と重右衛門は烈しく咆哮した。  今出すから、まア一先坐んなさいと和められて、兎に角再び席に就いたが、前の酒を一息に仰つて、 「おい、出さねいだか」  と又叫んだ。  相手に為るものが無いので、少時頭を低れて黙つて居たが、ふと思出したやうに、 「おい出さんか。根本三之助! 三之助は居ないか」  と云つて、更に又、 「酒だ! 酒だ! 酒を出せ」  と大声で怒鳴つた。  云ふが儘に、酒が運んで来られたので、今撲ぐられた憤怒は殆ど全く忘れたやうに、余念なく酒を湯呑茶椀で仰り始めた。かうなつて、構はずに置いては、始末にいけぬと誰も知つて居るので、世話役の一人が立上つて、 「重右衛門! もう沢山だから帰らうではねえか、余り飲んでは体に毒だアで……」  と其傍に行つた。 「体に毒だと……」首をぐたりとして、「体に毒だアでと、あんでも好いだ。帰るなら奴等帰れ。この藤田重右衛門は、これから、根本三之助と」  舌ももう廻らぬ様子。 「まア、話ア話で、後で沢山云ふが好いだ。こんなに意気地なく酔つて居ながら、帰らねえとは、余り押が強過ぎるぢやねえだか」  と世話役は、其儘両手を引張つて、強ひてこの酔漢を立上らせようとした。けれど大磐石の如く腰を据ゑた儘、更に体を動かさうとも為ないので、仕方がなく、傍の二三人に助勢させて、無理遣りに其席から引摺上げた。 「何為やがる」  と重右衛門は引摺られながら、後の男を蹴らうと為た。が、夥しく酔つて居るので、足の力に緊りが無く、却つて自分が膳や椀の上に地響して摚と倒れた。 「おい、確りしろ」  と世話役は叫んで、倒れたまゝ愈起きまじとする重右衛門を殆ど五人掛りにて辛くも抱上げ、猶ぐづ〳〵に埋窟を云ひ懸くるにも頓着せずに、Xの字にその大広間をよろめきながら、遂に戸外へと伴れ出した。  一室は俄かに水を打つたやうに静かになつた。今しも其一座の人の頭脳には、云ひ合さねど、いづれも同じ念が往来して居るので、あの重右衛門、あの乱暴な重右衛門さへ居なければ、村はとこしへに平和に、財産、家屋も安全であるのに、あの重右衝門が居るばかりで、この村始まつて無いほどの今度の騒動。  いつそ……  と誰も皆思つたと覚しく、一座の人々は皆意味有り気に眼を見合せた。  あゝこの一瞬!  自分はこの沈黙の一座の中に明かに恐るべく忌むべく悲しむべき一種の暗潮の極めて急速に走りつゝあるのを感じたのである。  一座は再び眼を見合せた。 「それ!」  と大黒柱を後に坐つて居た世話役の一人が、急に顎で命令したと思ふと、大戸に近く座を占めた四五人の若者が、何事か非常なる事件でも起つたやうに、ばら〳〵と戸外へ一散に飛び出した。        *     *     *  二十分後の光景。  自分は殆ど想像するに堪へぬのである。  諸君は御存じであらう。自分が始めてこの根本家を尋ねた時、妻君が頻りに、鋤、鍬等を洗つて居た田池──其周囲には河骨、撫子などが美しくその婉らしい影を涵して居た纔か三尺四方に過ぎぬ田池の有つた事を。然るに其田池の前には、今一群の人が黒く影をあつめて居て、その傍には根本家と記した高張提燈が、月が冴々しく満面に照り渡つて居るにも拘はらず、極めて朧げに立てられてあるが、自分はそれと聞いて、驚いて、其傍に駆付けて、その悲惨なる光景を見た時は、果して何んな感に撲たれたであらうか。諸君、其三尺四方の溝のやうな田池の中には、先刻大酔して人に扶けられて戸外へ出たかの藤田重右衛門が、殆ど池の広さ一杯に、髪を乱だし、顔を打伏して、丸で、犬でも死んだやうになつて溺れて居るではないか。 「一体何うしたんです」  自分は激して訊ねた。 「何アに、先生、えら酔殺たもんだで、遂ひ、陥り込んだだア」  と其中の一人が答へた。 「何故揚げて遣らなかつた!」  と再び自分は問うた。  誰も答へるものが無い。  けれどこれは訊ねる必要があるか。と自分は直ぐ思つたので、其儘押黙つて、そつとその憐れな死骸に見入つた。月は明らかに其田池を照して、溺れた人の髪の散乱せるあたりには、微かな漣が、きら〳〵と美しく其光に燦めいて居る。一間と離れた後の草叢には、鈴虫やら、松虫やらが、この良夜に、言ひ知らず楽しげなる好音を奏でてゐる。人の世にはこんな悲惨な事があるとは、夢にも知らぬらしい山の黒い影! 「あゝ、これが、この重右衛門の最後か」  と再び思つた自分の胸には、何故か形容せられぬ悲しい同情の涙が鎧に立つ矢の蝟毛の如く簇々と烈しく強く集つて来た。  で、自分は猶少時其池の畔を去らなかつた。      十一 「人間は完全に自然を発展すれば、必ずその最後は悲劇に終る。則ち自然その者は到底現世の義理人情に触着せずには終らぬ。さすれば自然その者は、遂にこの世に於て不自然と化したのか」  と自分は独語した。 「六千年来の歴史、習慣。これが第二の自然を作るに於て、非常に有力である。社会はこの歴史を有するが為めに、時によく自然を屈服し、よく自然を潤色する。けれど自然は果して六千年の歴史の前に永久に降伏し終るであらうか」 「或は謂ふかも知れぬ。これ自然の屈伏にあらず、これ自然の改良であると。けれど人間は浅薄なる智と、薄弱なる意とを以て、如何なるところにまで自然を改良し得たりとするか」 「神あり、理想あり、然れどもこれ皆自然より小なり。主義あり、空想あり、然れども皆自然より大ならず。何を以てかくいふと問ふ者には、自分は箇人の先天的解剖をすゝめようと思ふ」  少時考へて後、 「重右衛門の最期もつまりはこれに帰するのではあるまいか。かれは自分の思ふ儘、自分の欲する儘、則ち性能の命令通りに一生を渡つて来た。もしかれが、先天的に自我一方の性質を持つて生れて来ず、又先天的にその不具の体格を持つて生れて来なかつたならば、それこそ好く長い間の人生の歴史と習慣とを守り得て、放恣なる自然の発展を人に示さなくつても済むだのであらうが、悲む可し、かれはこの世に生れながら、この世の歴史習慣と相容るゝ能はざる性格と体とを有つて居た」 「殊に、かれは自然の発展の最も多かるべき筈にして、しかも歴史習慣を太甚しく重んずる山中の村──この故郷を離るゝ事が出来ぬ運命を有して居た」  と思ふと、自分が東京に居て、山中の村の平和を思ひ、山中の境の自然を慕つたその愚かさが分明自分の脳に顕はれて来て、山は依然として太古、水は依然として不朽、それに対して、人間は僅か六千年の短き間にいかにその自然の面影を失ひつゝあるかをつく〴〵嘆ぜずには居られなかつた。 「けれど‥‥‥」  と少時して、 「けれど重右衛門に対する村人の最後の手段、これとて人間の所謂不正、不徳、進んでは罪悪と称すべきものの中に加へられぬ心地するは、果して何故であらう。自然……これも村人の心底から露骨にあらはれた自然の発展だからではあるまいか」  此時ゆくりなく自分の眼前に、その沈黙した意味深い一座の光景が電光の如く顕れて消えた。続いて夜の光景、暁の光景、ことに、それと聞いて飛んで来た娘つ子の驚愕。 「爺様、嘸ぞ無念だつたべい。この仇ア、己ア、屹度取つて遣るだアから」  と怪しげなる声を放つて、其死体に取附いて泣いた一場の悲劇!  其鋭い声が今も猶耳に聞える。  午後になつて、漸く長野から判事、検事、などが、警察官と一緒に遺つて来て臨検したが、その溺死した田池がいかにも狭く小さいので、いかに酔つたからとて、こんな所で独りで溺れるといふ訳は無い。これには何か原因があるであらうと、中々事情が難かしくなつて、其時傍に居た二三人は、事に寄ると長野まで出なければならぬかも知れぬといふ有様。それにも拘らず溺死者の死体は外に怪しい箇処も無いので、其儘受取人として名告つて出たかの娘つ子に下渡された。  半日水中に浸けてあつたので、顔は水膨れに気味悪くふくれ、眼は凄じく一所を見つめ、鼻洟は半開いた口に垂れ込み、だらりと大いなる睾丸をぶら下げたるその容体、自分は思はず両手に顔を掩つたのであつた。 「それにしても、娘つ子はあの死骸を何うしたであらう。村では、あの娘つ子の手に其死骸のある中は、寺には決して葬らせぬと言つて居つたが……」  かう思つて自分は戸外を見た。昨夜の月に似もやらぬ、今日は朝より曇り勝にて、今降り出すか降り出すかと危んで居たが、見ると既に雨になつて、打渡す深緑は悉く湿ひ、灰色の雲は低く向ひの山の半腹までかゝつて、夏の雨には似つかぬ、しよぼ〳〵と烟るがごとき糠雨の侘しさは譬へやうが無い。  其処へ根本が不意に入つて来た。  検死事件で一寸手離されず、彼方此方へと駈走つて居たが、漸く何うにかなりさうになつたので、一先体を休めに帰つて来たとの事であつた。 「何うだね?」  と聞くと、 「何アに、其様に心配した程の事は無えでごす。警官も奴の悪党の事は知つて居るだアで、内々は道理だと承知してるでごすが、其処は職掌で、さう手軽く済ませる訳にも行かぬと見えて、それで彼様な事を言つたんですア」 「それで死骸は何うしたね」 「重右衛門のかね。あの娘つ子が引取つて行つたけれど、村では誰も構ひ手が無し、遠い親類筋のものは少しはあるが、皆な村を憚つて、世話を為ようと言ふものが無えので、娘つ子非常に困つて居たといふ事です……。けれど、今途中で聞くと、娘つ子奴、一人で、その死骸を背負つて、其小屋の裏山にのぼくつて、小屋の根太やら、扉やらを打破して、火葬にしてるといふ事だが……此処から烟位見えるかも知れねえ」  と言つて向ふを見渡した。  注意されて見ると、成程、三峯の下の小高い丘の深緑の上には、糠雨のおぼつかなき髣髴の中に、一道の薄い烟が極めて絶え〴〵に靡いて居て、それが東から吹く風に西へ西へと吹寄せられて、忽地雲に交つて了ふ。 「あれが、左様です」  と平気で友は教へた。  それが村で持余された重右衛門の亡骸を焼く烟かと思ふと、自分は無限の悲感に打れて、殆ど涙も零つるばかりに同情を濺がずには居られなかつた。「死はいかなる敵をも和睦させると言ふではないか。であるのに、死んだ後までも猶その死骸を葬るのを拒むとは、何たる情ない心であらう。そのあはれなる自然児をして、小屋の扉を破り、小屋の根太を壊して、その夫の死骸を焼く材料を作らせるとは、何たる悲しい何たる情ない事であらう」  自分の眼の前には、その獣の如き自然児が、涙を揮つて、その死骸を焼いて居る光景が分明見える。下には村、かれ等二人が敵として戦つた村が横つて居るが、かの娘は果して何んな感を抱いてこの村を見下して居るであらうか。 「けれど重右衛門の身に取つては、寧ろこの少女の手──宇宙に唯一人の同情者なるこの自然児の手に親しく火葬せらるゝのが何んなに本意であるか知れぬ。否、これに増る導師は恐らく求めても他に在るまい」 「村の人々、無情なる村の人々、死しても猶和睦する事を敢てせぬ程の冷かなる村の人々の心! この冷かなる心に向つて、重右衛門の霊は何うして和睦せられよう。さればその永久に和睦せられざる村人の寺に穏かに葬られて眠らんよりは、寧ろそのやさしき自然の儘なる少女の手に──」  暗涙が胸も狭しと集つて来た。 「自然児は到底この濁つた世には容られぬのである。生れながらにして自然の形を完全に備へ、自然の心を完全に有せる者は禍なるかな、けれど、この自然児は人間界に生れて、果して何の音もなく、何の業もなく、徒らに敗績して死んで了ふであらうか」 「否、否、否、──」 「敗績して死ぬ! これは自然児の悲しい運命であるかも知れぬ。けれどこの敗績は恰も武士の戦場に死するが如く、無限の生命を有しては居るまいか、無限の悲壮を顕はしては居るまいか、この人生に無限の反省を請求しては居るまいか」  自分は深く思ひ入つた。  少時してから、 「けれど、この自然児! このあはれむべき自然児の一生も、大いなるものの眼から見れば、皆なその必要を以て生れ、皆なその職分を有して立ち、皆なその必要と職分との為めに尽して居るのだ! 葬る人も無く、獣のやうに死んで了つても、それでも重右衛門の一生は徒爾ではない!」  と心に叫んだ。  何時去つたか、傍には既に友は居らぬ。  戸外の雨はいよ〳〵侘しく、雲霧は愁の影の如くさびしくこの天地に充ち渡つた。丘の上の悲しい煙は、殆ど消ゆるかと思はるゝばかりに微かに、微かに靡いて居るが、村ではこれに対して一人も同情する者が無いと思ふと、自分は又簇々と涙を催した。  あゝその雨中の煙! 自分は何うしてこの光景を忘るゝ事が出来よう。      十二  否──  諸君、自分は其夜更に驚くべく忘るべからざる光景に接したのである。自分は自然の力、自然の意のかほどまで強く凄じいものであらうとは夢にも思ひ懸けなかつた。其夜自分は早くから臥床に入つたが、放火の主犯者が死んで了つたといふ考へと、連夜眠らなかつた疲労とは苦もなく自分を華胥に誘つて、自分は殆ど魂魄を失ふばかりに熟睡して了つた。熟睡、熟睡、今少し自分が眼覚めずに居つたなら自分は恐らく全く黒焼に成つたであらう。自分の眼覚めた時には、既に炎々たる火が全室に満ち渡つて、黒煙が一寸先も見えぬ程に這つて居た。自分は驚いて、慌てて、寝衣の儘、前の雨戸を烈しく蹴つたが、幸にも閾の溝が浅い田舎家の戸は忽地外れて、自分は一簇の黒煙と共に戸外へと押し出された。  押出されて、更に驚いた。  夢では無いかと思つた。  何うです、諸君。全村が丸で火!!! 鎮守の森の蔭に一つ。すぐ前の低いところの一隅に一つ。後に一つ。右に一つ。殆ど五六ヶ所から、凄じい火の手が上つて、それが灰色の雨雲に映つて、寝惚けた眼で見ると、天も地も悉く火に包まれて了つたやうに思はれる。雨は歇んだ代りに、風が少し出て、その黒烟とその火とが恐ろしい勢で、次第に其領分をひろめて行く。寺の鐘、半鐘、叫喚、大叫喚!!!  自分は後の低い山に登つて、種々なる思想に撲れながら一人その悲惨なる光景を眺めて居た。  実際自分はさま〴〵の経験を為たけれど、この夜の光景ほど悲壮に、この夜の光景ほど荘厳に自分の心を動かしたことは一度も無かつた。火の風に伴れて家から家に移つて行く勢、人のそれを防ぎ難ねて折々発する絶望の叫喚、自分はあの刹邪こそ確かに自然の姿に接したと思つた。  諸君! これでこの話は終結である。けれど猶一言、諸君に聞いて貰はなければならぬ事がある。それは、その翌日、殆ど全村を焼き尽したその灰燼の中に半焼けた少女の死屍を発見した事で、少女は顔を手に当てたまゝ打伏に為つて焼け死んで居た。かれは人に捕へられて、憎悪の余、その火の中に投ぜられたのであらうか、それとも又、独り微笑んで身をその中に投じたのであらうか。それは恐らく誰も知るまい。  自分は其翌日万感を抱いてこの修羅の巷を去つた。  それからもう七年になる。  其村の人々には自分は今も猶交際して居るが、つい、此間も其村の冒険者の一人が脱走して自分の家を尋ねて来たから、あの後は村は平和かと聞くと、「いや、もうあんな事は有りはしねえだ。あんな事が度々有つた日には、村は立つて行かねえだ。御方便な事には、あれからはいつも豊年で、今でア、村ア、あの時分より富貴に為つただ」と言つた。そして重右衛門とその少女との墓が今は寺に建てられて、村の者がをり〳〵香花を手向けるといふ事を自分に話した。  諸君、自然は竟に自然に帰つた! (明治三十五年五月) 底本:「筑摩現代文学大系 6 国木田独歩 田山花袋集」筑摩書房    1978(昭和53)年11月25日初版第1刷発行    1980(昭和55)年2月20日初版第2刷発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力者:kompass 校正:伊藤時也 2004年8月16日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。