学者安心論 福沢諭吉 Guide 扉 本文 目 次 学者安心論    学者安心論  店子いわく、向長屋の家主は大量なれども、我が大家の如きは古今無類の不通ものなりと。区長いわく、隣村の小前はいずれも従順なれども、我が区内の者はとかくに心得方よろしからず、と。主人は以前の婢僕を誉め、婢僕は先の旦那を慕う。ただに主僕の間のみならず、後妻をめとりて先妻を想うの例もあり。親愛尽きはてたる夫婦の間も、遠ざかればまた相想うの情を起すにいたるものならん。されば今、店子と家主と、区長と小前と、その間にさまざまの苦情あれども、その苦情は決して真の情実を写し出したるものに非ず。この店子をして他の家主の支配を受けしめ、この区長を転じて隣村の区長たらしめなば、必ずこれに満足せずして旧を慕うことあるべし。  而してその旧、必ずしも良なるに非ず、その新、必ずしも悪しきに非ず。ただいたずらに目下の私に煩悶するのみ。けだしそのゆえは何ぞや。直接のために眼光をおおわれて、地位の利害に眩すればなり。今、世の人心として、人々ただちに相接すれば、必ず他の短を見て、その長を見ず、己れに求むること軽くして人に求むること多きを常とす。すなわちこれ心情の偏重なるものにして、いかなる英明の士といえども、よくこの弊を免かるる者ははなはだ稀なり。  あるいは一人と一人との私交なれば、近く接して交情をまっとうするの例もなきに非ざれども、その人、相集まりて種族を成し、この種族と、かの種族と相交わるにいたりては、此彼遠く離れて精神を局外に置き遠方より視察するに非ざれば、他の真情を判断して交際を保つこと能わざるべし。たとえば、遠方より望み見れば円き山にても、その山に登れば円き処を見ず、はるかに眺むれば曲りたる野路も、親しくその路を践めば曲るところを覚えざるが如し。直接をもって真の判断を誤るものというべし。かかる弊害は、近日我が邦の政談上においてもおおいに流行するが如し。左にその次第を述べん。  嘉永年中、開国の以来、我が日本はあたかも国を創造せしものなれば、もとより政府をも創造せざるべからず。ゆえに旧政府を廃して新政府をつくりたり。自然の勢、もとより怪しむに足らず。その後、廃藩置県、法律改定、学校設立、新聞発行、商売工業の変化より廃刀・断髪等の件々にいたるまで、その趣を見れば、我が日本を評してこれを新造の一国と云わざるをえず。人あるいはこの諸件の変革を見て、その原因を王政維新の一挙に帰し、政府をもって人事百般の源となし、その心事の目的を政府の一方に定めて、他をかえりみざる者多しといえども、余輩の考には政府もまた、ただ人事の一部分にして、その旧政府を改めて新政府をつくりたるも、原因のあるところを求むれば、かの廃藩置県以下の諸件とともに、そのよって来るところをともにし、ひっきょう、天下衆心の変化したるものと思うなり。ゆえにいわく、政府は人事変革の原因に非ずして人心変革の結果なり。  天下の人心すでに改進に赴きたりといえども、億兆の人民とみに旧套を脱すべきに非ず。改進は上流にはじまりて下流に及ぼすものなれば、今の日本国内において改進を悦ぶ者は上流の一方にありて、下流の一方は未だこれに達すること能わず。すなわち廃藩置県を悦ばざる者なり、法律改定を好まざる者なり、新聞の発行を嫌う者なり、商売工業の変化を悪む者なり、廃刀を怒るものなり、断髪を悲しむ者なり。あるいはこの諸件を擯斥するに非ず、口にこれを称し、事にこれを行うといえども、その心事の模範、旧物を脱却すること能わざる者なり。  これを方今、我が国内にある上下二流の党派という。一は改進の党なり、一は守旧の党なり。余輩ここに上下の字を用ゆといえども、敢てその人の品行を評してこれを上下するに非ず。改進家流にも賤しむべき者あらん、守旧家流にも貴ぶべき人物あらん。これを評論するは本編の旨に非ず。ただ、国勢変革の前後をもって、かりに上下の名を下したるのみ。  かくの如く、天下の人心を二流に分ち、今の政府はそのいずれの方にあるものなりやと尋ぬれば、口を放ちてこれを上流といわざるをえず。その明証は、世人誤って人事変革の原因をも政府に帰するに非ずや。この考はもとより誤ならん、政府はひとり変革の原因に非ざるべしといえども、その変革中の一部分たるは論をまたず、政府の精神は改進にあること明白なりというべし。然ばすなわち、いやしくも改進者流をもって自からおる者は、たとい官員にても平人にても、この政府の精神とともに方向をともにし、その改むるところを改め、その進むところに進み、次第に自家の境界を開きて前途に敵なく、ついには、かの守旧家の強きものをも、戦わずして我が境界の内に籠絡するの勢にいたるべきはずなるに、今日の事実において然らざるは何ぞや。その原因は他なし、この改進者流の人々が、おのおのその地位におりて心情の偏重を制すること能わず、些々たる地位の利害に眼をおおわれて事物の判断を誤り、現在の得失に終身の力を用いて、永遠重大の喜憂をかえりみざるによりて然るのみ。  内閣にしばしば大臣の進退あり、諸省府に時々官員の黜陟あり。いずれも皆、その局に限りてやむをえざるの情実に出でたることならん、珍しからぬことなれば、その得失を評するにも及ばず。余輩がとくにここに論ぜざるべからざるものは、かの改進者流の中にても、もっとも喧しき政談家のことなり。この政談家は、政府の内にもあり、また外にもあり。余輩は、その内外を問わず、その人の身分にかかわらず、一般にこれを日本国中一流の人民とみなしてこれを論ぜんと欲するなり。  政談の中に漸進論と急進論なるものあれども、あまり分明なる区別にも非ず。いずれにも進の義は免かれず。ただ、その進の方法を論じたるものならん。これをたとえば、飢たる時に物を喰うは同説なれども、一方は早く喰わんといい、一方は徐々に喰わんというが如し。双方ともに理あり。食物の品柄次第にて、にわかにこれを喰いて腹を痛むることあり、養生法においてもっとも戒むるところなれば用心せざるべからず。あるいは物の性質により、遠慮なく喰いて害をなさざることもあり、喰いて害なくば颯々と喰うもまた可なり。ゆえに漸進急進の別は方法の細目なれば、余輩は、この論者を同一視して、ひとしくこれを改進者流の人物と認めざるをえず。すなわち、今日、我が国にいて民権を主張する学者と名づくべき人なり。  民権論は余輩もはなはだもって同説なり。この国はもとより人民の掛り合いにして、しかも金主の身分たる者なれば、なんとして国の盛衰をよそに見るべけんや、たしかにこれを引請けざるべからず。国の盛衰を引請くるとは、すなわち国政にかかわることなり。人民は国政に関せざるべからざるなり。然りといえども、余輩が今ここにいうところの政の字は、その意味のもっとも広きものにして、ただ政府の官員となり政府の役所に坐して事を商議施行するのみをもって、政にかかわるというに非ず。人民みずから自家の政に従事するの義を旨とするものなり。  たとえば政府にて、学校を立てて生徒を教え、大蔵省を設けて租税を集むるは、政府の政なり。平民が、学塾を開いて生徒を教え、地面を所有して地代小作米を取立つるは、これを何と称すべきや。政府にては学校といい、平民にては塾といい、政府にては大蔵省といい、平民にては帳場といい、その名目は古来の習慣によりて少しく不同あれども、その事の実は毫も異なることなし。すなわち、これを平民の政といいて可なり。  古より家政などいう熟字あり。政の字は政府に限らざることあきらかに知るべし。結局政府に限りて人民の私に行うべからざる政は、裁判の政なり、兵馬の政なり、和戦の政なり、租税(狭き字義にしたがいて)の政なり、この他わずかに数カ条にすぎず。  されば人民たる者が一国にいて公に行うべき事の箇条は、政府の政に比して幾倍なるを知るべからず。外国商売の事あり、内国物産の事あり、開墾の事あり、運送の事あり、大なるは豪商の会社より、小なるは人力車挽の仲間にいたるまで、おのおのその政を施行して自家の政体を尊奉せざる者なし。かえりみて学者の領分を見れば、学校教授の事あり、読書著述の事あり、新聞紙の事あり、弁論演説の事あり。これらの諸件、よく功を奏して一般の繁盛をいたせば、これを名づけて文明の進歩と称す。  一国の文明は、政府の政と人民の政と両ながらその宜を得てたがいに相助くるに非ざれば、進むべからざるものなり。就中、人民の政は思いのほかに有力なるものにして、ややもすれば政府の政をもってこれを制すること能わざるもの多し。たとえば今の人力車の如し。その創業わずかに五、六年に過ぎざれども、すでにその通用の政体をなせば、たとい政府の力をもって前の四ツ手駕籠に復古せんとするも、決してよくすべからず。  また今の学者を見るに、維新以来の官費生徒はこれを別にし、天保年間より、漢学にても洋学にても学問に志して、今日国の用をなす者は、たいがい皆私費をもって私塾に入り、人民の学制によって成業したる者多し。今日においても官学校の生徒と私学校の生徒とを比較すれば、その学芸の進歩、一得一失、未だ優劣を決すべからず。あるいは学校費用の一点について官私を比較すれば、私立の方に幾倍の便利あること明らかに保証すべし。されば人民の政は、ただ多端なるのみに非ず、また盛大有力なりといわざるべからず。  右の次第をもって考うれば、人民の世界に事務なきを患るに足らず。実はその繁多にしてこれに従事するの智力に乏しきこそ患うべけれ。これを勤めて怠らざれば、その事務よくあがりて功を奏したるの例も少なからず。一事に功を奏すれば、したがってまた一事に着手し、次第に進みてやむことなくば、政府の政は日に簡易に赴き、人民の政は月に繁盛をいたし、はじめて民権の確乎たるものをも定立するを得べきなり。余輩、つねに民権を主張し、人民の国政にかかわるべき議論を悦ばざるに非ずといえども、その趣意はただちに政府の内に突入して官員の事務を妨ぐるか、または官員に代りて事をなさんとするの義に非ず。人民は人民の地位にいて、自家の領分内に沢山なる事務に力をつくさんことを欲するのみ。  すなわち、これ広き字義にしたがいて国政にかかわるものというべし。ただちに政府に接せずして、間接にその政に参与するものというべし。間接の勢は直接の力よりもかえって強きものなり。学者これを思わざるべからず。今の人民の世界にいて事を企つるは、なお、蝦夷地に行きて開拓するが如し。事の足らざるは患に非ず、力足らざるを患うべきなり。  然るに、今の学者はその思想を一方に偏し、ひたすら政府の政に向って心を労するのみにして、自家の領分には毫も余地を見出さざるものの如し。たとえば世に、商売工業の議論あり、物産製作の議論あり、華士族処分の議論あり、家産相続法の議論あり、宗旨の得失を論ずる者あり、教育の是非を議する者あり、学校設立の説を述る者あり、文字改革の議を発する者あり。  いずれも皆、国の文明のために重大なる事件にして、学者のこれに着眼するは祝すべきことなれども、学者はただこれに眼を着し、これを議論に唱うるのみにして、その施行の一段にいたりては、ことごとくこれを政府の政に托し、政府はこの法をかくの如くしてこの事をかくの如くなすべしといい、この事の行われざることあらば、この法をもってこれを禁ずべしといい、これを禁じこれを勧め、一切万事、政府の道具仕掛けをもって天下の事を料理すべきものと思い、はなはだしきは己れ自から政府の地位に進み、自からその事を試んとする者なきに非ず。これすなわち上書建白の多くして、官府に反故のうずたかきゆえんなり。  かりにその上書建白をして御採用の栄を得せしめ、今一歩を進めて本人も御抜擢の命を拝することあらん。而してその素志果して行われたるか、案に相違の失望なるべし。人事の失望は十に八、九、弟は兄の勝手に外出するを羨み、兄は親爺の勝手に物を買うを羨み、親爺はまた隣翁の富貴自在なるを羨むといえども、この弟が兄の年齢となり、兄が父となり、親爺が隣家の富を得るも、決して自由自在なるに非ず、案に相違の不都合あるべきのみ。この不都合をもかえりみず、この失望にも懲りず、なおも奇計妙策をめぐらして、名は三千余方の兄弟にはかるといい、その内実の極意は、暗に政府を促して己が妙計を用いしめんと欲するにすぎず。区々たる政府の政に熱中奔走して、自家の領分はこれを放却して忘れたるが如し。内を外にするというべきか、外を内にするというべきか、いずれにも本気の沙汰とは認め難し。政の字の広き意味にしたがえば、人民の政事には際限あるべからず。これを放却して誰に託せんと欲するか、思わざるのはなはだしきものというべし。この人民の政を捨てて政府の政にのみ心を労し、再三の失望にも懲りずして無益の談論に日を送る者は、余輩これを政談家といわずして、新奇に役談家の名を下すもまた不可なきが如く思うなり。  今の如く役談家の繁昌する時節において、国のために利害をはかれば、政府をしてその議論を用いしむるも害あり、用いしめざるもまた害あり。これを用いんか、奇計妙策、たちまち実際に行われて、この法を作り、かの律を製し、この条をけずり、かの目を加え、したがって出だせばしたがって改め、無辜の人民は身の進退を貸して他の草紙に供するが如きことあらん。国のために大なる害なり。あるいはこれを捨てて用いざらんか、怨望満野、建白の門は市の如く、新聞紙の面は裏店の井戸端の如く、その煩わしきや衝くが如く、その面倒なるや刺すが如く、あたかも無数の小姑が一人の家嫂を窘るに異ならず。いかなる政府も、これに堪ゆること能わざるにいたらん。これに堪えずして手を出だせば、ついに双方の気配を損じ、国内に不和を生ずることあらん。また国のために害ありというべし。左にその一例をしめさん。  今の民権論者は、しきりに政府に向いて不平を訴うるが如くなるは何ぞや。政府は、果して論者と思想の元素を殊にして、その方向まったく相反するものか。政府は、前にいえる廃藩置県以下の諸件を慊とせずして、論者の持張する改進の旨とまったく相戻るものか。あるいはかりに政府をして改進を悦ばざるものとするも、この事物の変革、人心の騒乱に際して、政府のみひとりその方向を別にするを得べきか。余輩決してこれを信ぜず。論者といえどもまた然らん。政府は人事変革の原因に非ずして人心変革の結果なりとのことは、前すでにこれを述べて、論者もこれに同意したることならん。  然らばすなわち論者が不平を訴うるところは、事の元素にあらずしてその枝葉にあり、政府の精神にあらずしてその外形にあること、明らかに知るべし。この枝葉・外形の事よりして双方の間に不和を生じ、改進の一元素中に意外の変を起すは、国のためにもっとも悲しむべき事ならずや。すなわち、編首にいわゆる直接のために眼光を掩われて地位の利害に眩するものなり。  たとえば新聞記者の禁獄の如し。その罰の当否はしばらく擱き、とにかくに日本国において、学者と名づくる人物が獄屋に入りたるという事柄は、決して美談に非ず。窃盗博徒といえども、これを捕縛してもらさざるは、法律上において称すべき事なれども、その囚徒が獄内に充満するは、祝すべきに非ず。窃盗博徒、なおかつ然り、いわんや字を知る文人学者においてをや。国のためにもっとも悲しむべき事なり。この一段にいたりては、政府の人においても、学者の仲間においても、いやしくも愛国の念あらん者なれば、私情をさりてこれを考え、心の底にこれを愉快なりと思う者はなかるべし。  なおこれよりも禍の大なるものあり。前すでにいえる如く、我が国内の人心は守旧と改進との二流に分れ、政府は学者とともに改進の一方におり、二流の分界判然として、あたかも敵対の如くなりしかども、改進の人は進みて退かず、難を凌ぎ危を冒し、あえて寸鉄に衂らずしてもって今日の場合にいたりたるは、ただに強勇というべきのみに非ず、これを評して智と称せざるべからず。然るに今些々たる枝葉よりして、改進一流の内にあたかも内乱を起し、自家の戦争に忙わしくして外患をかえりみず、ついにはかの判然たる二流の分界も、さらに混同するのおそれなきに非ず。もとよりこの二流は、はじめより元素を殊にするものなれば、とうてい親和抱合すべからざるものと思わるれども、人事紛紜の際には思のほかなる異像を現出するものなり。近くその一例を示さん。  旧幕府の末年に、天下有志の士と唱うる人物の内には、真に攘夷家もあり、また真に開国家もあり。この開攘の二家ははじめより元素を殊にする者なれば、理において決して抱合すべきに非ざれども、当時の事情紛紜に際し、幕府に敵するの目的をもって、暫時の間、異種の二元素、たがいに相投じたることあり。これを思えば、今の民権論者が不平を鳴らすその間に、識らず知らずしてその分界を踏出し、あるいは他より来りてその界を犯し、不平の一点において、かの守旧家と一時の抱合をなすのおそれなしというべからず。理をもって論ずれば、万々心配なきが如くなれども、通常の人は、さまで深謀遠慮なきものなり。  民権論者とて悉皆老成人に非ず。あるいは白面の書生もあらん、あるいは血気の少年もあらん。その成行決して安心すべからず。万々一もこの二流抱合の萌を現わすことあらば、文明の却歩は識者をまたずして知るべし。これすなわち禍の大なるものなり。国の文明を進めんとしてかえってこれを妨ぐるは、愛国者の不面目これよりはなはだしきはなかるべし。  論者つねにいわずや、一国の政府は人民の反射なりと。この言、まことに是なり。瓜の蔓に茄子は実のるべからず。政府は人民の蔓に生じたる実なり。英の人民にして英の政府あり、仏の人民にして仏の政府あり。然らばすなわち今の日本人民にして今の政府あるは、瓜の蔓に瓜の実のりたるのみ。怪しむに足らざるなり。  ここに明鏡あらん。美人を写せば美人を反射し、阿多福を写せば阿多福を反射せん。その醜美は鏡によりて生ずるに非ず、実物の持前なり。人民もし反射の阿多福を見てその厭うべきを知らば、自から装うて美人たらんことを勉むべし。無智の人民を集めて盛大なる政府を立つるは、子供に着するに大人の衣服をもってするが如し。手足寛にしてかえって不自由、自から裾を踏みて倒るることあらん。あるいは身幅の適したるものにても、田舎の百姓に手織木綿の綿入れを脱がしめ、これに代るに羽二重の小袖をもってすれば、たちまち風を引て噴嚔することあらん。  一国の政治は、いかにもその人民の智愚に適するのみならず、またその性質にも適せざるべからず。然るに論者は性急にして、鏡に対して反射の醜なるを咎め、瓜に向いて茄子たらざるを怒り、その議論の極意を尋ぬれば、実物にかかわらずして反射の影を美ならしめ、瓜の蔓にも茄子を生ぜしむるの策ありと、公にこれを口に唱えざれば暗に自からこれを心の底に許すものの如し。余輩の考にては、この妙策に感服するを得ざるなり。  然りといえども、また一方より論ずれば、人民の智力発達するにしたがいてその権力を増すもまた当然の理なり。而してその智力は権衡もって量るべきものに非ざれば、その増減を察すること、はなはだ難し。家厳が力をつくして育し得たる令息は、篤実一偏、ただ命これしたがう、この子は未だ鳥目の勘定だも知らずなどと、陽に憂てその実は得意話の最中に、若旦那のお払いとて貸座敷より書附の到来したる例は、世間に珍しからず。  人の智恵は、善悪にかかわらず、思のほかに成長するものなり。油断大敵、用心せざるべからず。ゆえにかの瓜の蔓も、いつの間にかは変性して、やや茄子の木の形をなしたるに、瓜はいぜんとして瓜たることもあらん。あるいは阿多福が思をこらして容を装うたるに、有心の鏡はその装を写さずして、旧の醜容を反射することあらば、阿多福もまた不平ならざるをえず。また、政府は人民の反射なりというといえども、その反射は必ずしも今日の実物を今日に反射するに非ず。人心変動の沿革にしたがいて、その大勢の真形を反射せざるべからず。あるいはまた、その反射するにあたりて、実物のこの一方に対しては真形を写すべけれども、かの一方の真をば写すべからざることもあらん。然るときは、その二物の軽重緩急を察して、まず重大にして急なるものを写さざるべからず。  されば今の日本政府も、何等の大勢を写し出すものか、何物の真形を反射するものか、これを反射して真を誤らざるものか、無偏無党の平心をもってこれを察するは至難の事というべし。また、事を施行するにあたりて、その成跡はつねに意外に出で、求むるものを得ずして求めざるものを得ること多し。  数年前英国にて下院を改革し、下等の人民までも議院の事に参与するの法を定めたりしに、その時にあたりて識者の考に、今後議院の権は役夫・職人の手に帰し、あるいは害あるべしといい、あるいは益あるべしといい、議論喋々たりしが、その成跡を見れば、いずれも無益の取越し苦労なり。改革の後も役夫・職人の輩はただちに国事にかかわることなく、議員の種族はいぜんたる旧の議員にして、ただこの改革ありしがために、早くすでに議員に戒心を抱かしめ、期せずしておのずから下等の人民を利したりという。  ゆえに政府たる者が人民の権を認むると否とに際して、その加減の難きは、医師の匕の類に非ず、これを想い、またこれを思い、ただに三思のみならず、三百思もなお足るべからずといえども、その細目の適宜を得んとするは、とうてい人智の及ぶところに非ざれば、大体の定則として政府と人民と相分れ、直接の関係をやめて間接に相交わるの一法あるのみ。  人あるいはこの説を聞き、政府と人民と相遠ざかることあらば、気脈を通ぜずして、必ず不和を生ぜんという者あるべしといえども、ひっきょう、未だ思わざるの論のみ。余輩のいわゆる遠ざかるとは、たがいに遠隔して敵視するをいうに非ず、また敬してこれを遠ざくるの義にも非ず。遠ざかるは近づくの術なり、離るるは合するの方便なり。近くその例を示さん。他人の同居して不和なる者、別宅して相親しむべし。他人のみならず、親子兄弟といえども、二、三の夫婦が一家に眠食して、よくその親愛をまっとうしたるの例は、世間にはなはだ稀なり。  今政府と人民とは他人の間柄なり。未だ遠ざからずして、まず相近づかんとするは、事の順序を誤るものというべし。けだし各種の人がめいめいの地位にいて、その地位の利害におおわれ、ついに事柄の判断を誤るものは、他の地位の有様を詳にすること能わざるがゆえなり。その有様に密接すること、同居人が眠食をともにするが如くなるがゆえなり。その相接すること密に過ぎ、かえって他の全体を見ること能わずして、局処をうかがうに察々たるがゆえなり。なお、かの、山を望み見ずして山に登りて山を見るが如く、とうてい物の真情を知るによしなし。真情相通ぜざれば、双方の交際は、ただ局処の不平と不平と敵対の勢をなすのみ。  ここにおいてか、人を妬み人を悪て、たがいに寸分の余地をのこさず、力ある者は力をつくし、智恵ある者は智恵をたくましゅうし、ただ一片の不平心を慰めんがために孜々として、永遠の利害はこれを放却して忘れたるが如くなるにいたる者、すくなからず。ひっきょう、その本は、たがいに近づくべからざるの有様をもって、強いて相近づかんとし、たがいにその有様を誤解して、かえってますます遠隔敵視の禍を増すものというべし。  今世間の喋々を聞けば、一方の説にいわく、人民無智無法なるがゆえに政府これに権力を附与すべからずと。また一方はいわく、政府はさまざまの事に手を出し、さまざまの法をつくりて人民の働をたくましゅうせしめずと。いわゆる水掛論なり。然りといえども、智愚相対してその間に不和あれば、智者まず他を容れてこれを処置せざるべからず。  ゆえに真の愚民に対しては、政府まずその愚を容れてこの水掛論の処置に任せざるべからずといえども、本編の主として論ずる学者にいたりては、すなわちこれを愚民と同一視すべからず。この流の人は、改進政談家をもって自からおり、肉を裁するをいさぎよしとせずして、天下を裁するの志を抱き、政府に対してこれに感服せざるのみならず、つねに不平を訴うるほどのことなれば、その心志のとどまるところは、かえって政府の上流にありといわざるをえず。  この一事は学者も私に自から許すところならん。ゆえに学者の考にしたがえば、今の学者の品格は政府よりも高くしてはるかにその右に出で、政府は愚にして学者は智なりというべし。智愚はまずここに定まりたり。然らばすなわちかの水掛論は如何すべきや。余輩あえて政府に代りて苦情を述べん。政談家はさまざまの事に口を出し、さまざまの理屈を述べて政府の働を逞しゅうせしめずと。学者はなおもこの政府に直接して衝くが如く刺すが如く、かの小姑を学びて家嫂を煩わさんと欲するか。智者の所業にははなはだもって不似合なり。いわゆる智者にして愚を働くものというべし。  ひっきょう、この水掛論は、元素の異同より生じたるものに非ず。その原因は、近く地位の異同より心情の偏重を生ずるによりて来りしものなれども、今日の有様にては、その是非を分つべからず。余輩はただ今後の成行に眼をつけ、そのいずれかまず直接法の不便利を悟りて、前に出したる手を引き、口を引き、理屈を引き、さらに思想を一層の高きに置きて、無益の対陣を解く者ならんと、かたわらより見物して水掛論の落着を待つのみ。  この全編の大略を概していえば、天下の人心、直接すればその交をまっとうすべからず。今の世間に、この流行病あり。開国以来、我が日本の人心は、守旧と改進と二流に分れて、今の政府は改進の方にあるものなり。然るに、改進の学者流と政府との間に不和あるは何ぞや。この流の人は、民権を論ずれども、その眼をただ政府の一方にのみ着して、自家の事務を忘るるがゆえなり。今の如く政談家の多きは国のために祝すべからず。これを用うるも害あり、これを用いざるもまた害あり。民権論者と政府との不和は、あたかも一流中の内乱にして、これがため事情の紛紜をいたし、ついには守旧と改進との分界も分明ならざるの禍を招くべし。  一国の政は正しく人民の智愚に応ずるものなれば、人力をもって容易に料理すべからず。さりとて、政府もまた、よく人智の進歩に着目して油断すべからざるなり。政府と学者と直接に相対すること、今日の如くしては際限あるべからず。ゆえに、たがいに相遠ざかりて、相近づくの法を求めざるべからず。離は合の術なり、遠は近の方便なりとの趣意にして、結局は政府と学者と直接の関係を止め、ともに高尚の域に昇りて永遠重大の喜憂をともにせんとするの旨を述べたるものなり。たとえばここに一軒の家あらん。楼下は陋しき一室にして、楼上には夥多の美室あり。地位職分を殊にする者が、この卑陋なる一室に雑居して苦々しき思をなさんより、高く楼に昇りてその室を分ち、おのおの当務の事を務むるはまた美ならずや。室を異にするも、家を異にするに非ず。居所高ければもって和すべく、居所卑ければ和すべからざるの異あるのみ。  末段にいたり、なお一章を附してこの編を終えん。すべて事物の緩急軽重とは相対したる意味にて、これよりも緩なり彼よりも急なりというまでのことなれば、時の事情によりて、緩といえば緩ならざるはなし、急といえば急ならざるはなし。この緩急軽重の判断にあたりては、もっとも心情の偏重によりて妨げらるるものなり。ゆえに今政府の事務を概して尋ぬれば、大となく小となく悉皆急ならざるはなしといえども、逐一その事の性質を詳にするときは、必ず大いに急ならざるものあらん。また、学者が新聞紙を読みて政を談ずるも、急といえば急なれども、なおこれよりも急にしてさらに重大なる事の箇条は枚挙にいとまあらざるべし。  前章にいえる如く、当世の学者は一心一向にその思想を政府の政に凝らし、すでに過剰にして持てあましたる官員の中に割込み、なおも奇計妙策を政の実地に施さんとする者は、その数ほとんどはかるべからず。ただに今日、熱中奔走する者のみならず、内外に執行する書生にいたるまでも、法律を学ぶ者は司法省をねらい、経済学に志す者は大蔵省を目的とし、工学を勉強するは工部に入らんがためなり。万国公法を明らかにするは外務の官員たらんがためなり。かかる勢にては、この書生輩の行末を察するに、専門には不得手にしていわゆる事務なるものに長じ、私に適せずして官に適し、官に容れざれば野に煩悶し、結局は官私不和の媒となる者、その大半におるべし。政府のためを謀れば、はなはだ不便利なり、当人のためを謀れば、はなはだ不了簡なり。今の学者は政府の政談の外に、なお急にして重大なるものなしと思うか。  手近くここにその一、二を示さん。学者はかの公私に雇われたる外国人を見ずや。この外国人は莫大なる月給を取りて何事をなすか。余輩、未だ英国に日本人の雇われて年に数千の給料を取る者あるを聞かず。而して独り我が日本国にて外人を雇うは何ぞや。他なし、内国にその人物なきがゆえなり。学者に乏しきがゆえなり。学者の頭数はあれども、役に立つべき学者なきがゆえなり。今の学者が今より勉強して幾年を過ぎなば、この雇の外国人をやめてこれに交代すべきや。新聞紙の政談に志すも、この交代の日は容易に来ることなかるべし。  また、一昨年一二月八日に金星の日食ありて、諸外国の天文家は日本に来て測量したり。この時において、学者は何の観をなしたるか。金の魚虎は墺国の博覧会に舁つぎ出したれども、自国の金星の日食に、一人の天文学者なしとは不外聞ならずや。  また、外国の交際においても、字義を広くしてこれを論ずれば、霞が関の外務省のみをもって交際の場所と思うべからず。ひとたび国を開きてより以来、我が日本と諸外国との間には、貿易商売の交際あり、学芸工業の交際あり、これを概すれば、双方の間に智力の交際を始めたるものというべし。この交際はいずれも皆人民の身の上に引受け、人々その責に任ずべきものにして、政府はあたかも人民の交際に調印して請人に立ちたる者の如し。  ゆえに、貿易に不正あれば、商人の恥辱なり、これによりて利を失えば、その愚なり。学芸の上達せざるは、学者の不外聞なり、工業の拙なるは、職人の不調法なり。智力発達せずして品行の賤しきは、士君子の罪というべし。昔日鎖国の世なれば、これらの諸件に欠点あるも、ただ一国内に止まり、天に対し同国人に対しての罪なりしもの、今日にありては、天に対し同国人に対し、かねてまた外国人に対して体面を失し、その結局は我が本国の品価を低くして、全国の兄弟ともにその禍を蒙るのみならず、二千余年の独立を保ちし先人をも辱しむるにいたるべし。これを重大といわずして何物を重大といわん。  また試みに見よ、今の西洋諸国は果して至文至明の徳化にあまねくして、その人民は皇々如として王者の民の如くなるか。我が人民の智力学芸に欠点あるも、よくこれを容れてその釁に切込むことなく、永く対立の交際をなして、これに甘んずる者か。余輩断じてその然らざるを証す。結局双方の智力たがいに相頡頏するに非ざれば、その交際の権利もまた頡頏すべからざるなり。交際の難きものというべし。而してその難きとは、何事に比すれば難く、何物に比すれば易きや。今の日本の有様にては、これを至難にして比すべきものなしといわざるをえず。然らばすなわち、国の独立は重大なり、外国の交際は至難なり。学者はこの重大至難なる責に当るも、なおかつこれをかえりみず、区々たる政府に迫りてただちに不平を訴え、ますますその拙陋を示さんと欲するか。事物の難易軽重を弁ぜざる者というべし。  ゆえにいわく、今の時にあたりては、学者は区々たる政府の政を度外に置き、政府は瑣々たる学者の議論を度外に置き、たがいに余地を許してその働をたくましゅうせしめ、遠く喜憂の目的をともにして間接に相助くることあらば、民権も求めずして起り、政体も期せずして成り、識らず知らず改進の元素を発達して、双方ともに注文通りの目的に達すべきなり。 底本:「福沢諭吉教育論集」岩波文庫、岩波書店    1991(平成3)年3月18日第1刷発行 底本の親本:「福沢諭吉選集 第3巻」岩波書店    1980(昭和55)年12月18日第1刷発行 初出:「学者安心論」    1876(明治9)年4月発行 入力:田中哲郎 校正:noriko saito 2008年3月24日作成 青空文庫作成ファイル: 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