かけはしの記 正岡子規 Guide 扉 本文 目 次 かけはしの記  浮世の病ひ頭に上りては哲学の研究も惑病同源の理を示さず。行脚雲水の望みに心空になりては俗界の草根木皮、画にかいた白雲青山ほどにきかぬもあさまし。腰を屈めての辛苦艱難も世を逃れての自由気儘も固より同じ煩悩の意馬心猿と知らぬが仏の御力を杖にたのみていろ〳〵と病の足もと覚束なく草鞋の緒も結びあへでいそぎ都を立ちいでぬ。 五月雨に菅の笠ぬぐ別れ哉  知己の諸子はなむけの詩文たまはる。 ほととぎすみ山にこもる声きゝて木曾のかけはしうちわたるらん   伽羅生 卯の花を雪と見てこよ木曾の旅   古白 山路をり〳〵悲しかるへき五月哉  同  又碧梧桐子の文に 日と雨を菅笠の一重に担ひ山と川を竹杖の一端にひつさげ木賃を宿とし馬子を友とし浮世の塵をはなれて仙人の二の舞をまねられ単身岐蘇路を過ぎて焦れ恋ふ故郷へ旅立ちさるゝよし嬉しきやうにてうれしからず悲しきやうにて悲しからず。願はくは足を強くし顔を焦して昔の我君にはあらざりけりと故郷人にいはれ給はん事を。山ものいはず川語らず。こゝに贐の文を奉りて御首途を送りまゐらす。 五月雨や木曾は一段の碓氷嶽   碧梧桐  上野より汽車にて横川に行く。馬車笛吹嶺を渉る。鳥の声耳元に落ちて見あぐれば千仭の絶壁、百尺の老樹、聳え〳〵て天も高からず。樵夫の歌、足もとに起つて見下せば蔦かづらを伝ひて渡るべき谷間に腥き風颯と吹きどよめきて万山自ら震動す。遙かにこしかたを見かへるに山又山峩々として路いづくにかある。寸馬豆人のみぞ、かれかと許り疑はれて、 つゝら折幾重の峯をわたりきて雲間にひくき山もとの里  日もやゝ暮れかゝれば四方濛々として山とも知らず海とも知らず。かけ上る駒の蹄に踏み散らす雲霧のあはひを見れば一歩の外己に削りたてたる嶮崖の底もかすかなることおそろし。登れども登れども極まる処を知らず。山ます〳〵高く雲いよ〳〵低し。 見あぐれば信濃につゞく若葉哉  軽井沢はさすがに夏猶寒く透間もる浅間おろしに一重の旅衣、見はてぬ夢を護るに難かり。例ならず疾く起きいでゝ窓を開けば幾重の山嶺屏風を遶らして草のみ生ひ茂りたれば其の色染めたらんよりも麗はし。 山々は萌黄浅葱やほとゝぎす  浅間は雲に隠れて煙もいづこに立ち迷ふらんと思はる。汽車を駆りて善光寺に詣づ。いつかの大火に寺院はおろかあたりの家居まで扨も焼けたりや焼けたり、千歳の松も限りあればや昔の縁乍ち消えうせて木も枝もやけこがれさも物うげに立てるあはひに本堂のみ屹然として聊かも傷はざるは浪花堀江の御難をも逃れ給ひし御仏の力、末世の今に至るまで変らぬためしぞかしこしや。 あれ家や茨花さく臼の上  又川中嶋を過ぎて篠井まで立戻る。古戦場はいづくの程とも知らねど山と川とに囲まれて犀河の廻るあたりにやあらん。河の水いたく痩せてほとりの麦畠空しく赤らみたり。  稲荷山といふ処にて雨ふりいでたれば、 日はくれぬ雨はふりきぬ旅衣袂かたしきいづくにか寝ん  つぐの日雨晴る。路々立てたる芭蕉塚に興を催して辿り行けば行くてはるかに山重なれり。野の狭うとがりて次第々々にはひる山路けはしく弱足にのぼる馬場嶺、さても苦しやと休む足もとに誰がうゑしか珊瑚なす覆盆子、旅人も取らねばやこぼるゝばかりなり。少し上りてとある樹陰の葭簀茶屋に憩へば主婦のもてなしぶり谷水を四五町のふもとに汲みてもてくる汗のしたゝり、情を汲む一口に浮世の腸は洗はれたり。一樹の陰一河の流れとや。ひじりの教も時にあふてこそありがたけれ。  行くてを仰ぎては苦しみ越方を見下しては慰む。目じるしの大木やう〳〵近づけばこゝにも一軒の茶屋。山の嶺をしめて池に臨めり。遠近の眺望一目にあつまりて苦あればこそこの面白さ。迚もの事山に栖みたし。 またきより秋風そ吹く山深み尋ねわびてや夏もこなくに  此夜は乱橋といふあやしの小村に足をとどむ。あとより来りし四五人づれの旅客かにかくと談判の末一人十銭のはたごに定めて鄰の間にぞ入りける。晩餐を喰ふに塩辛き昆布の平など口にたまりて咽喉へは通らずまして鄰室のもてなし如何ならんと思ひやるに、たゞうまし〳〵といふ声のみかしがましく聞ゆ。  鄰の雑談に夢さまされてつとめてこゝを立ち出づればはや爪さきあがりの立峠、旅の若衆と見て取りて馬子が馬に乗れとのすゝめは有難や、乗つて見れば旅ほど気楽なものはなし。きのふの馬場峠はなぜに苦みし、路の辺に咲く白き花を何ぞと問へばこれなん卯つ木と申すといふ。いとうれしくて、 むらきえし山の白雪きてみれば駒のあかきにゆらく卯の花  峠にて馬を下る。鶯の時ならぬ音に驚かされて、 鶯や野を見下せば早苗取  松本にて昼餉したゝむ。早く木曾路に入らんことのみ急がれて原新田まで三里の道を馬車に縮めて洗馬までたどりつき饅頭にすき腹をこやして本山の玉木屋にやどる。こゝの主婦我を何とか見けん短冊をもち来りて御笠に書きつけたるやうなものを書きて給はれと請ふ。いかなる都人に教へられてかといとにくし。  本山を山で桜沢を過ぐればこゝぞ木曾の山入り、山のけしき水の有様はや尋常ならぬ粧ひにうつゝをぬかし桃源遠からずと独り勇めば鳥の声も耳にたちてめづらし。途上口占 やさしくもあやめさきけり木曾の山  奈良井の茶屋に息ひて茱萸はなきかと問へば茱萸といふものは知り侍らず。珊瑚実ならば背戸にありといふ、山中の珊瑚さてもいぶかしと裏に廻れば矢張り茱萸なり。二十五六ばかりの都はづかしきあるじの女房親切にそをとりてくれたり。峡中第一の難処といふ鳥居嶺は若葉の風に夢を薫らせて痩せ馬の力に面白う攀ぢ登る。 馬の背や風吹きこぼす椎の花  頂にて馬を下りつく〳〵四方を見下せば古木欝蒼深くして樵夫の小道かすかに隠現す。珍しく晴れ渡りたる空の青嵐を踏へながら山を下れば藪原の驛なり。ある家に立ちよりてお六櫛を求む。誰に贈らんとてか我ながらあやし。此ほとりよりぞ木曾川に沿ふて下るなる。白雲をあやどる山脉はいよいよ迫りてかぶせかゝらん勢ひ恐ろしく奥山の雪を解かして清らかなる水は谷を縫ふて其響凄し。深き淵のたゞ中に大きなる岩の一つ突き出でたる上に年ふりたる松の枝おもしろく竜にやならんと思はれたるなどもをかしく久米駿公の詩に水抱巌洲松孑立雲竜石窟仏孤栖といへるはこゝなんめりと独りつぶやかる。宮の越の村はづれに佇んで待つ事半時、いと古代めきたる翁の釣竿を担ぎたるが画の中よりぞ現れいでたる。笠をぬいで慇懃に徳音寺の道を問ふ。翁のいふ。さてもやさしの若者や。旭将軍のなきあとを弔はんとてこゝまでは来たまへる。こゝに茂れる夏木立は八幡の御社なり。かしこの山の上こそむかしの城の跡なれ。このわたりの畑もつはものどもが住みし夢の名残なるものを今は桑の樹ばかりぞ秀でたると一つ〳〵に指さす。そゞろに古を忍ぶ言ばのはし、この翁謡ならばかき消すやうにうせぬべし。日照山徳音寺に行きて木曾宣公の碑の石摺一枚を求む。この前の淵を山吹が淵巴が淵と名づくとかや。福嶋をこよひの旅枕と定む。木曾第一の繁昌なりとぞ。  翌日朝大雨。待てども晴間なし、傘を購ひ来りて書き流す句に、 折からの木曾の旅路を五月雨  旅亭を出づれば雨をやみになりぬ。此ひまにと急げば雨の脚に追ひつかれ木陰に憩へば又ふりやむ。兎に角と雨になぶられながら行き〳〵て桟橋に著きたり。見る目危き両岸の岩ほ数十丈の高さに劉りなしたるさま一雙の屏風を押し立てたるが如し。神代のむかしより蒸し重なりたる苔のうつくしう青み渡りしあはひ〳〵に何げなく咲きいでたる杜鵑花の麗はしさ狩野派にやあらん土佐画にやあらん。更に一歩を進めて下を覗けば五月雨に水嵩ましたる川の勢ひ渦まく波に雲を流して突きてはわれ、当りては砕くる響大盤石も動く心地してうしろの茶屋に入り床几に腰うちかけて目を瞑ぐに大地の動き暫しはやまず。蕉翁の石碑を拝みてさゝやかなる橋の虹の如き上を渡るに我身も空中に浮ぶかと疑はれ足のうらひやひやと覚えて強くも得踏まず通り、こし方を見渡せばこゝぞ桟のあとゝ思しきも今は石を積みかためれば固より往き来の煩ひもなく只蔦かつらの力がましく這ひ纒はれるばかりぞ古の俤なるべき。  俳句 かけはしやあぶない処に山つゝじ 桟や水へとゞかず五月雨  歌 むかしたれ雲のゆきゝのあとつけてわたしそめけん木曾のかけはし  上松を過ぐれば程もなく寝覚の里なり。寺に到りて案内を乞へば小僧絶壁のきりきはに立ち遙かの下を指してこゝは浦嶋太郎が竜宮より帰りて後に釣を垂れし跡なり。川のたゞ中に松の生ひたる大岩を寝覚の床岩、其上の祠を浦嶋堂とは申すなり。其傍に押し立てたる岩を屏風岩、畳みあげたるを畳岩といふ。 象岩は其の鼻長く獅子岩は其の口広し、此外こしかけ岩俎板岩釜岩硯岩烏帽子岩抔申なりといと殊勝げにぞしやべりける。誠やこゝは天然の庭園にて松青く水清くいづこの工匠が削り成せる岩石は峨々として高く低く或は凹みて渦をなし或は逼りて滝をなす。いか様仙人の住処とも覚えてたふとし。  此日は朝より道々覆盆子桑の実に腹を肥したれば昼餉もせず。やう〳〵五六里を行きて須原に宿る。名物なればと強ひられて花漬二箱を購ふ。余りのうつくしさにあすの山路に肩の痛さを増さんことを忘れたるもおぞまし。 寝ぬ夜半をいかにあかさん山里は月出づるほどの空だにもなし  あくる朝又小雨を侵して須原を立ち出づ。このあたりは木曾川の幅稍々広く草木緑に茂りたる洲など見らる。野尻も過ぎて真昼頃三留野に著く。松屋といふにて午飯をしたゝむ、今は雨も全く晴れて心よき日影山々の若葉に照りそふけしきのうるはしければ雨傘は用なしとて松屋の女房に与ふ。女房いと気の毒がりてもぢ〳〵せしが戸棚かい探り何やら紙に包みて我前にさし出し折からの御もてなしも候はず。都の人にお恥かしながらとかすかに言ふ声いとらうたし。何かと聞けば栗なり。礼をのべてそこを出て路々打ち喰ふに石よりも堅し。よも人間の種にはあらずと思ふにもし便あらば都の人に送りたし。 はらわたもひやつく木曾の清水かな  妻籠通り過ぐれば三日の間寸時も離れず馴れむつびし岐蘇河に別れ行く。何となく名残惜まれて若し水の色だに見えやせんと木の間〳〵を覗きつゝ辿れば馬籠峠の麓に来る。馬を尋ぬれども居らず。詮方なければ草鞋はき直して下り来る人に里数を聞きながら上りつめたり。此山を越ゆれば木曾三十里の峡中を出づるとなん聞くにしばしは越し方のみ見かへりてなつかしき心地す。 白雲や青葉若葉の三十里  山を下れば驟雨颯然とふりしきりて一重の菅笠に凌ぎかね終に馬籠駅の一旅亭にかけこむ。夜に入れば風雨いよ〳〵烈しく屋根も破れ床も漂ふが如く覚えて航海の夢しば〳〵破らる。  朝晏く起き出でたれど雨猶已まず。旅亭の小娘に命じて合羽を買ひ来らしむ。馬籠下れば山間の田野稍々開きて麦の穂已に黄なり。岐岨の峡中は寸地の隙あればこゝに桑を植ゑ一軒の家あれば必ず蚕を飼ふを常とせしかば今こゝに至りては世界を別にするの感あり。 桑の実の木曾路出づれば穂麦かな  けふより美濃路に入る。余戸村に宿る。  つぐの日天気は晴れたり。暫くは小山に沿ふて歩めば山つつじ小松のもとに咲きまじりて細き谷川の水さら〳〵と心よく流る。そゞろにうかれ出たる鶉の足音聞きつけて葎より葎へ逃げ迷ふさまも興あり。道にて、 撫子や人には見えぬ笠のうら  御嵩を行き越えて松繩手に出づれば数日の旅の労れ発して歩行もものうげに覚ゆ。肩の荷を卸して枕とししばし木の下にやすらひて松をあるじと頼めば心地たゞうと〳〵となりて行人征馬の響もかすかに聞ゆる頃一しきりの夕立松をもれて顔を打つにあへなく夢を驚かされて荒物担ぎながら一散にかけ去りける。浮世の旅路是非もなきことなり。 草枕むすぶまもなきうたゝねのゆめおどろかす野路の夕立  此夜伏見に足をとゞむ。  朝まだほの暗き頃より舟場に至りて下り舟を待つ。つどひ来る諸国の旅人七八人あり。 すげ笠の生国名のれほとゝきす  小舟をしたてゝこゝを出づ。両岸広く開きて河原の上に遊ぶ子供の親を慕ふて船頭を呼びかくるさまなど画の如し。川上には高山巍々として雲を出没すれども川下を見渡せば藍より青き流れ一すぢ白沙に映じて渚の草木涼しげに生ひ茂りけり。如何に見るともこれこそ数日前に別れたる岐蘇川の下流とは思ひ難けれ。筒井づつのむかしふりわけ髪を風に吹かせて竹馬などに打ち乗り山を攀ぢ石に上りわめき叫んで遊びくらせし故郷の友どちを十年あまりの後にあひ見れば顔かたちよりなりふりまで尽くおとなびてとみには其人と思ひ得難き心地ぞする。舟は矢を射るが如く移り行く両岸の景色に興を催す折柄木曾河第一の難所にかゝりたり。渦巻く波忽然と舟の横腹を打ちて動揺するにまづ肝潰れてあなやと見れば舟は全く横ざまに向き直り船頭親子は舟の両端にありて櫓をあやつる。やう〳〵にここを過ぐれば河流直角に曲るに舟は向ふの岸に突き当らんず勢なり。そを曲げて舟を転ずればまたかなたの岸辺に屹立する大岩石正面に来れり。岩の上に小さきほこらあるは此下にて死する人多きが為なりといふ。如何になるらんと心をなやます内に舟は逆巻く奔流を押しきつて稍々河幅濶くなれば一群の人河原に立ちてがや〳〵と騒ぐさまなり。船頭舟を寄せて何ぞと問へばきのふも上の瀬にて何其の舟覆りあへなく死したるが死骸今に知れず。若し川下に心あたりありたらば告げ知らせてよ。何がしに逢ひなば此話言づて給へなど云ふに舟に乗りたるもの皆顔を青くして身ぶるひしけり。再び纜を解けば舟は自ら流れに従ふて止まる所を知らず。猶折々は河の真中に岩の現はれて白波打ち寄するなど恐ろしげなるに船頭は横ふりむきて知らぬ顔すれば舟は心得顔にやす〳〵とそをよけてぞ流れける。やう〳〵に心落ち居て見渡せば一方は絶壁天を支へて古松いろ〳〵に青み渡り木陰岩間には咲き残れるつつじの色どりたるけしきまたなく面白し。 下り舟岩に松ありつゝじあり  或は千仭の山峰雲間に突出して翠鬟鏡影に映じ或は一道の飛流銀漢より瀉ぎて白竜樹間に躍る。川一曲景一変舟の動くを覚えず。犬山城の下を過ぐれば両岸遠く離れて白沙涯なく帆々相追ふて廻灘を下るを見るのみ。舟を鉄橋の下にとどめそこより木曾停車場に至り茶店に午餐を喫す。鞋を解き足を洗ひ楼上に臥し晴間をも待たで早乙女の早苗取る手わざなど見やる折柄はした女あわただしく来りて汽車はや来れりいそぎ下り給へと云ふ。いふがまゝに下り立ちて草鞋などつけんとするにいかでさるひまのあるべき早く〳〵と叫びながら下婢は我荷物草鞋杖笠など両手にかゝへてさきに走る。我は裾を褰げあへず停車場まで駈けつけしは宛然として一幅の鳥羽絵、此旅竟に膝栗毛の極意を以て終れり。 信濃なる木曾の旅路を人問はゞたゞ白雲のたつとこたへよ 底本:「現代日本紀行文学全集 中部日本編」ほるぷ出版    1976(昭和51)年8月1日発行 底本の親本:「子規全集 第十卷」改造社    1929(昭和4)年10月 初出:「日本」日本新聞社    1892(明治25)年5月27日~6月 ※「ほとゝぎす」と「ほとゝきす」と「ほととぎす」、「蔦かづら」と「蔦かつら」の混在は、底本通りです。 ※初出時の署名は「螺子」です。 ※底本は新字旧仮名づかいです。なお旧字の混在は、底本通りです。 入力:林 幸雄 校正:浅原庸子 2003年5月27日作成 2014年10月4日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。