朝 田山花袋 Guide 扉 本文 目 次 朝      一  家の中二階は川に臨んで居た。其処にこれから発たうとする一家族が船の準備の出来る間を集つて待つて居た。七月の暑い日影は岸の竹藪に偏つて流るゝ碧い瀬にキラキラと照つた。  涼しい樹陰に五六艘の和船が集つて碇泊して居るさまが絵のやうに下に見えた。帆を舟一杯にひろげて干して居るものもあれば、陸から一生懸命に荷物を積んで居るものもある。此処等で出来る瓦や木材や米や麦や──それ等は総て此川を上下する便船で都に運び出されることになつて居た。その向こうには、某町から某町に通ずる県道の舟橋がかゝつてゐて、駄馬や荷車の通る処に、橋の板の鳴る音が静かな午前の空気に轟いて聞えた。  橋のすぐ下では、船頭が五六人、せつせと竹の筏を組んで居た。 『婆様、小用が出ないか。船に乗つて了うと面倒だからな』  七十近い禿頭の老爺が傍に小さく坐つて居る六十五六の目のひたと盲ひた老婆にかう言ふと、 『それぢや、面倒でも今一度連れて行つて貰うかな』  やがて婆さんは爺さんに手を曳かれて静に長い縁側を厠の方に行つた。 『よくそれでも世話を見なさるな』  これを見て居た六十五六の今一人の老爺は、傍に居た五十二三の主婦に話しかけた。  主婦は老人や子供の世話に忙殺されて居た。荷積の指図もしなければならなかつた。送つて来て呉れた人々の相手にもならなければならなかつた。長い間住んだ土地を別れて来るに就いてのいろ〳〵の追懐や覊絆もあつた。 『中々あの真似は出来ませんよ』  かう言つたが、丁度其時今歳十一になる弟の方が縁の方に駈けて下りて行くを見付けて、 『正や、川の方に行くと危ぶないぞ!』  白絣を着てメリンスの帯を緊めた子は、それにも頓着せず、急いで川の下の方に下りて行つた。其処にはもう十六になる兄が先に行つて居た。岸に繋がれた一艘の船には、長い間田舎家の茶の間に据ゑられた長火鉢だの、茶箪笥だのがそのまゝ積まれてあつた。 『それ、あの船だぜ!』  兄はかう弟に言つた。 『どれや、どの船?』 『それ、火鉢があるぢやないか』  其船の船頭は目腐れの中年の男で、今一人の若い方の船頭は頻りに荷物を運んで居た。髪を束ねた上さんは苫やら帆布やらをせつせと片付けて居た。  一家族は此処から一里ほど離れた昔の城下の士族町から来た。老人夫婦に取つても、主婦に取つても、長年住み馴れた土地や親しい人々に別れて来るのは辛かつた。東京に行つて、知らぬ土地の土になるのは厭だ! かう目の盲ひた婆さんは言つた。長年苦労した種に芽が生えて、十分ではなくても、兎に角子息が月給取になつて、呼んで呉れるのは嬉しいが、東京といふ処は石の上の住居、一晩でも家賃といふものを出さずには寝られない。それよりはどんなにあばら屋でも、自分の家で足を長くして寝て居る方が好い。主婦もいざとなつてからかう言ひ出した。しかし月給取になつた子息を一人都に離して置くのも気がかりであつた。それに修業盛の弟達の為めもあつた。  親類や知人などは一月も前から、お別れだと言つては、饂飩を打つたり肴を買つたりして、老夫婦や主婦を呼んで御馳走をした。  一人の娘は去年さる機屋に望まれて嫁にやつた。今年の四月頃から懐妊の気味で、其の前から出るの入るのと言つて居たが、愈々上京の話が決ると、『私ばかり置いて行くのかえ、母さん』と言つて泣きに来た。母親は、『まア、何うにでもするから、兎に角体が二つになるまで辛抱してお出で』かう宥めたり賺したりしたが、今朝発つて来る時にも、町の外れまで送つて来て、大きな腹をして、垣の処に寄りかゝつて泣いて居た。  目の盲ひたお婆さんは、車に乗ると眼が眩ると言ふので、昔御国替への時乗つて来たやうな軽尻馬をわざわざ仕立てゝ、町の通をほつくり〳〵と遣つて来た。『盲目でも眼が廻るのかねえ』と誰かが言つた。  維新前から船の問屋の爺を知つて居るお爺さんは、朝から禿頭を光らして出かけて行つて居た。      二  船の準備がやがて出来た。  長い踏板が船縁から岸に渡された。一番先に小さい弟が元気よくそれを渡つて、深い船の中に飛んで下りた。其処まで送つて来た婿の機屋が盲目のお婆さんを負つて続いて渡つた。お爺さん、主婦、それから便船を幸ひに東京まで乗せて行つて貰はうといふ隣のお爺さんも乗つた。  船の中はちやんと整理がしてあつた。暑くないやうに、一ところ苫が葺いてあつて、其処に長火鉢や茶箪笥が置いてある。炭取には炭が入れられてある。いつでも茶位入れられるやうになつて居た。  酒好きのお爺さんは、徳利に上酒を一升ほど入れて来たが、子供に引くりかへされぬやうにと、それを茶箪笥の隅に押附けて置いた。 『お貞、それは酒だからな……こぼさぬやうにして呉りやれ』  かう主婦に注意もした。 『これさへありや、まア、退屈も凌げますぢや?』  隣のお爺さんとこんなことを言つて笑ひ合つた。  主婦は舅の酒には苦労を仕抜いて来た。夫の生きて居る間は、酒の上で二人はよく親子喧嘩をした。親類に呼ばれて行く時には、屹度酔つて管を捲いた。夫に別れてからでも、町の居酒屋で泥酔して、使を受けて迎へに行つたことなどもあつた。嫁に来た当座には、何処か酒のない国に行き度いと思つた。母親はよくかう子供等に話して聞かせた。しかし此頃では年を取つてもう大分おとなしくなつた。  盲目のお婆さんは、座が定ると、懐から手拭を出して、それを例のごとく三角にして冠つた。暢気な鼻唄が唸るるやうに聞え出した。 『暢気なものだねえ。もう鼻唄が出たよ』  母親は其処に立つて居る次男に小声で言つた。  岸には送つて来た人々が並んだ。門の前で別れて来た人もあつた。町の入口で別れをつげた人もあつた。町はずれまで来て、さらば! を言つて行つた人もあつた。其川の岸まで来たのは最も親しい人達であつた。  次男を送つて来た一人の青年は、其友達のかうして東京に出て行くのをさも羨ましさうに見送つて居た。  船が動き出した時、盲目のお婆さんを除いては、皆な船縁の処に顔を並べた。岸の人々も別れの言葉を述べた。  船は静かに流を下つた。      三  其頃は汽車が今のやうに便利でなかつた。運賃も高かつた。で、この家族はかうして船で東京に行くことになつた。東京から毎日来る小蒸気は、其頃ペンキ塗の船体を処々の埠頭の夕暮の中に白くくつきりと見せて居た。  老人達に取つては、その経て来た時代の推移ほど急激なものはなかつた。此人達は大小を指して殿様の行列の後に踉いて歩いた。勤王佐幕の喧しい争闘の時には昼夜兼行で浜町の上屋敷に上訴に出かけて行つたこともあつた。維新の際には、若者達の出陣した後を守つて、其処此処の番所を固めた。  侍が士族となり、百姓が平民になつて、世の中は目眩しいほどに変つて行つた。実力を持つた百姓町人が世に出て、扶持を失つた士族が零落して行くあはれなさまをも見た。大名小路の大きな邸が長い年月に段々つぶれて畑になつて行くのをも見た。御殿のあつた城址には徒に草が長じた。  隣の老人の家柄は、今移転して行かうとして居る家族よりは、数等すぐれた家柄であつた。昔ならば槍以上と以下とでは、殆ど交際が出来ぬほど階級が違つて居た。隣の老人は二百石の家柄で暢気に謡ひをうたつて暮して来た。それに引かへて、一方の老人は賤い処から武芸や文事を磨いて、人が驚くほど立身して、江戸家老のお気に入りに其人ありと知られるほどの勢力のある生活を送つて来た。  しかしこの二軒は昔しから隣同士に親んで居たのではなかつた。子息の死んだ後の家族を纏めて、家を買つて其処に其の禿頭の老人が移つて来てから、まだ十年と経たなかつた。  孫達の話を老人達は常によく話し合つた。 『常さんがしつかりして居るから、お宅では仕合ぢや』  かう家柄の方の老人は言つた。  家柄の方は家族も矢張息子に早く死なれて、孫に懸らなければならなかつた。総領は娘で、今年二十二になつて居た。田舎にはめづらしいほどの別嬪で、足利に行つて居る間に、鹿児島生れで、其土地の中学校の教師をしてゐた男に見染められて、無理に懇望されて嫁いで行つた。一二度其婿が細君と一緒に、柴垣の奥の古い汚い茅葺家に来て泊つて行つたことなどもあつた。其時近所の評判は大変で、豪い婿さんが出来たなどゝ噂し合つた。婿は綺麗な八字髯を生した立派な男で、丸髷に赤い手絡をした丈の高い細君とはよく似合つた。隣の次男は其婿が朝早く草の生えた井戸端で、真鍮の金盥で、眼鏡を外して、頭をザブザブ洗つて居るのを見たこともあつた。  処が一年後に、懐妊した細君を里に預けて、其婿は東京へ出て行つたきり帰つて来なかつた。約束した仕送は無論寄さなかつた。後には手紙が附箋を附けたまゝ戻つて来た。  東京に出かけて行けば、探す手蔓はいくらもある。中にはその居る所を教へて呉れたものもある。しかし出懸けて行く旅費もないほどその家は困つて居た。その美しい娘はもう五月近い腹をして居りながら、乱れた髪をしてせつせと機を織つて居た。其処に丁度隣りの一家族の上京──で、頼んで無賃で乗せて行つて貰へるのを喜んだ。      四 『常さんがしつかりして居るから、お宅ぢやもう心配なことはない』  隣の老人はかう主婦に言つた。 『何んなもんですか……苦労しに東京に行くやうなものかも知れませんよ。年寄に子供、力になるのは常ばかりですから』主婦は鳥渡考へて、『それも、月給でも沢山取れるものなら好いですけれど……』 『始めからさう旨い訳には行かないぢや……』笑つて見せて、『けれど、正公も成長くなつたし、定公も学問が出来るから、お貞さん、もう安心なもんぢゃ。これからは楽が出来る』 『何んなもんですか』  主婦はかう言つた。しかし永年一人で苦労して来た老人や子供の世話を、東京に行けば、子息と一緒にすることが出来ると思ふと、何となく肩が下りるやうな気がした。子息と住むといふことも嬉しかつた。 『それにしても、お宅のは?……御出になる所は分つて居るのですか』 『大抵は知れて居るのですけれどな……何うも不都合で困るぢやな』 『御心配ですねえ』  かう主婦は同情した。  船頭は竿を弓のやうに張つて、長い船縁を往つたり来たりした。竿を当てる襦袢が処々破れて居た。一竿毎に船は段々と下つて行つた。  此附近には竹藪が多かつた。水量の多い今は巴渦を巻いて流れて居るところもあつた。渡船小屋が芦荻の深い茂みの中から見えて居たり、帆を満面に孕ませた船が二艘も三艘も連つて上つて来るのが見えたりした。竹藪の鳥渡途絶えた世離れた静かな好い場所を占領して、長い釣竿を二三本も水に落して、暢気さうに岩魚を釣つて居る鍔の大きい麦稈帽子の人もあつた。  川に臨んで、赤い腰巻を出して、物を洗つて居る女もあつた。  二人の少年は物珍らしいので、下に坐つてなどは居なかつた。紺絣の兄と白絣の弟と二人並んで、じり〳〵と上から照り附ける暑い日影にも頓着せず、余念なく移り変つて行く川を眺めて居た。 『霍乱にでもなると大変だよ』  主婦は下から首を出して、時々声をかけて呼んだ。  兄の少年が手帳を出して、何か書きつけてゐると、其傍に、隣の老人は遣つて来て、 『おい、定公、何か出来るか……』かう言つて聞いて見た。手帳には七言絶句の転結だけが書いてあつた。  道具は大抵菰包にして了つた。膳も大きなのを一箇出してあるばかりであつた。昼飯には皆ながそれを取巻いて食つた。暑い日にも腐らぬやうな乾物だとかから鮭の切身だとかを持つて来て、それを菜にした。 『江戸では、今は松魚の盛ですな』 『在番した時分──、勢の好いあの売声を聞いて、窓から皿を出して買つて食つた時分のことが思はれますな』  少し酒を呑みながら、老人達はこんなことを言つた。  午後には、主婦は連日の疲労につかれ果てたといふやうに、平生使ひ馴れた黒柿の煙草の箱を枕にして、手拭を顔にかけて、スヤスヤと昼寝をして居た。苫の間から河風が涼しく吹いて来た。  老人達も少し酔つてやがて寝て了つた。兄の少年が船から下りて来た時には、盲目の婆さんも、鼻唄をやめて横になつて居た。晴れた日影はキラキラと水に反射して今が暑い盛であつた。襦袢をも脱棄てた二人の船頭は、毛の深い胸のあたりから、ダクダク汗を出しながら、竿を弓のやうに張つて、頭より尻を高くして船縁を伝つて行つた。眼の悪い方の船頭は、眼脂を夥しく出して、顔を真赤にして居た。  涼しい蔭をつくつた竹藪などはもうなかつた。      五  夕立が催して来た。  船頭は慌てゝ苫を葺いた。其下に一家族は夕立の凄じく降つて通る間を輪を描いて集つて居た。銀線のやうな雨が水の上に白い珠を躍らしてゐるのを苫の間から少年達は見て居た。 『これで涼しくなつた』  かう老人達が言つた。  夕立の霽れた時には、もう薄暮の色が広い川の上に蔽ひ懸つて居た。渡良瀬川は思川を入れて、段々大きな利根川の会湊点へと近づいて行つた。風が稍々追手になつたので、船頭は帆を低く張つて、濡れた船尾の処で暢気さうに煙草を吸つて居る。其傍では船頭の上さんが、釜に米を入れたのを出して、川から水を汲んで、せつせとそれを炊いで居たが、やがて其処から細い紫の煙が絵のやうに川に靡いた。夕照が赤く水を染めて居た。  老人達は薄暗い処で酒を飲んでゐた。主婦は酒癖の悪い爺さんが、やがて段々酔つて来て、言はないでも好いことを隣の老人に言ひ懸けてゐるのを聞いた。  隣の老人は何の準備もして来なかつた。酒も飯も黙つて御馳走になつて居た。それも困つて居るからだと主婦は思つて居た。  爺さんもそれを余り虫が好過ぎると思つて居たらしかつた。 『お爺さん、あんなことを言はなけりや好いのに──折角、心地よく連れて来てやつたのに』  隣の老人が舳先の方に行つた跡で、主婦は老爺に小声で言つた。 『何アに、少し位言つてやる方が好い。余り虫が好過ぎる』  かう言つた爺さんは、もうかなり酔つて居た。 『だツて困つて居るんだから』 『困つて居たツて、余りだ、瓢箪の一つ位持つて来たツて誰も悪いツて言はない……何もおれだツて、そんなことを喧しく言ふぢやないけれどな……義理と言ふものがあらア』  其処に下りて来た兄の少年は、またお爺さんの癖が始まつたなと思つた。  螢が一つ闇の中に流れる頃には、船はもう広い広い利根川に出て居た。星の光に水の流るゝのが暗く綾をなして見えた。艫の音が水を渡つて聞えた。  遠い河岸には、灯が処々に点いて居るのが見えた。  其頃、栗橋の鉄橋が出来たばかりであつた。町からわざわざ其橋を見に行つたものも少くなかつた。其噂は一家族の人々の耳にも聞えた。 『それ見ろよ、あれが栗橋の鉄橋だと』  かう主婦が二人の少年に指して見せた。川を跨いだ大きな鉄橋は暗い夜の闇の中に其輪廓をはつきりと描いて居た。珍らしいものにあくがれて居る兄弟の心は躍らざるを得なかつた。  やがて船は近づいて行つた。橋杭に当る水音は高く聞えた。少年も老爺も主婦も其下を通る時、皆仰向いて、その大きな鉄橋を闇に透して見た。兄弟は手を延してその橋杭を叩いて通つた。      六  兄弟の心は東京に憧れ切つて居た。  中でも兄は、これで多年の志が遂げられたやうな気がした。東京に行きさへすれば、どんな目的でも達せられる。何んな豪い人にでもなれる。馬車に乗るやうな立派な人にもなれる。其処には、かれの為めに、あらゆる好運と幸福とが門を開いて待つて居るやうにすら思はれた。  其処には何んな物がかれ等を待つて居るかを知らなかつた。  川は暗かつた。岸の灯が明るく処々に点いて居た。誰か大な声を立てゝ土手の上を通つて行つた。  艫の音が絶えず響く。  船の中にも蚊が居るので、主婦は準備して来た蚊帳を苫の角に引懸けて低く吊つて、其処に一緒にゴタゴタに頭やら足やらを入れて寝た。棚の上の三分の洋燈は、薄暗く青い蚊帳を照して居た。涼しい河風がをりをり吹いて通つた。  兄の方の少年は、蚊帳の中に入つても、容易に眠られなかつた。眼が冴えて仕方がなかつた。かれは船を漕いで居る船頭の船尾の処に行つて、黙つて暗い水を眺めて立つた。  一人の船頭は、マッチを闇に摺つて、大きな煙管に火をつけて、スパリスパリ遣つて居た。時々苫の中の明るく見える船や、篝のやうに火を焼いて居る船などがあつた。  朝、人々が眼を覚した時には、船はある小さな埠頭に留つて居た。朝霧の晴れ間から、青い蚊帳を吊つた岸の二階屋の一間が見えたり、女が水に臨んで物を洗つて居るのが眺められたりした。其処に泊つて居る船も五六艘はあつた。朝炊の煙が紫に細く騰つた。 『朝の気持は好いなア……何うだ定公』  かう隣の老人は其処に立つて朝の川を眺めて居る兄の方の青年に言つた。  お爺さんは、 『朝酒といふものは旨いものだ』  こんなことを言つて、朝飯の時盃を隣の老人にさした。隣の老人は二三度辞つて見たが、それでも後では四五杯受けて飲んだ。  隣の老人は、財布にいくらの金をも持つて居なかつた。只で乗せて伴れて行つて貰へるからこそ出て来たほどの貧しい身には、世話になるは気の毒だとは思ふが、しかし酒を買ふほどの余裕はなかつた。船に売りに来る大福を買つて、それを弟の少年や盲目のお婆さんに分けて遣る位の義理が関の山であつた。孫達の話が出ても、上京する一家族の希望に満ちた有様とは比ぶべくもなかつた。隣の老人はいつも小さくなつて居た。他人の世話になる辛さをもつくづく感じた。 『常さんがしつかりして居るから、本当に仕合だ』  いつもかう言つて調子を合せた。  汽船で行けば一日で到着するほどの行程だが、和船では中々さう早くは行かなかつた。暑いと言つては休み、眠らなければならないと言つては碇泊し、荷の積替をすると言つては、岸の小さい埠頭に綱を繋いだ。荷の種類に由つては、二時間近くも其岸を離れることが出来ないこともあつた。  其時は『かう手間を取つては仕方がない、これではとても今日東京には入れない。此方はまア、船の中で、一晩位余計に寝るのは好いとしても、常が遅いツて待つてゐるだらう』かう主婦もお爺さんも一方ならず気を揉んだ。お爺さんは、わざと声を猫撫声にして、『船頭さん、もう出しても好い時分だね』などゝ声をかけた。  ある浅瀬では、余り暑いので、船頭が裸で水の中を泳いで居ると、船縁で見て居た弟の方の少年は、堪らなくなつたというやうに着物を脱いで、ザンブと水の中に飛び込んだ。『大丈夫ですよ、私等がついて居るから』船頭はかう言つて心配する主婦の方を見て言つた。  連日の快晴で、水の浅くなつた処などもをり〳〵あつた。上りの小蒸汽が白いペンキ塗の船体を暑い日影にキラキラさせて、浅瀬につかへて居る傍をも通つて行つた。汽船では乗客を皆な別の船に移して、荷を軽くして船員総がゝりで、長い竿棹を五本も六本も浅い州に突張つて居た。しかも汽船は容易に動かなかつた。煙突からは白い薄い煙が徒らに立つて居た。  其日も暑い日であつた。それに風がなかつた。上りも下りも帆を揚げて居る船は一隻もなかつた。一人の船頭の胸からは油汗が流れ、一人の船頭の眼からは眼脂が流れた。人々は岸の人家や土手の樹木の移つて行くことの遅いのに段々倦んで来た。それにヂリヂリと上から照り附けられる苫の中も暑かつた。盲目の婆さんは、襦袢一つになつて、濡して絞つて貰つた手拭を、皺の深い胸の処に当てゝ居た。  川に臨んで白堊造の土蔵の見える処に来たのは、其日の午後であつた。此処には有名な白味淋の問屋があつた。酒も灘酒に匹敵するやうなのが出来た。もう持つて来た酒を大抵飲み尽した爺さんは、『船頭さん、其処に行つたら鳥渡寄せて下さいよ』余程前からかう言つて其岸に来るのを待つて居た。 『此処の白味淋はそれや旨いな』  船頭達もかう語り合つた。 『買つて来て上げやしやうか』と一人の船頭が言ふのを、『何に、私が買つて来る、他に用もある』かう言つて断つた爺さんは、途中で船頭に飲まれるのをひそかに恐れて居た。爺さんは徳利を下げて、禿頭を日に光らせながら踏板を伝つて行つた。      七  徒歩で行けば其処から東京まで三里位しかないという河岸に来て、船頭はまた船を繋いだ。とても今日は東京に入ることは出来ないから、暑い中を此処で休んで涼しくなつてから出懸けやうといふ船頭の腹であつた。  船に飽きた人々は皆な不平を言つたが、しかし真夜半に東京に着いても仕方がなかつた。止むなく此処で待つことにした。  と、隣の老人は、 『甚だ失礼ぢやが……まだ日が高いし、それに今日東京に入つて置くと、都合が好いから私は此処で失礼して歩いて行かうと思ふんぢやが……』  かう言ひ出した。世話になるのも気に懸れば、爺さんから酔つてチクチク言はれるも辛かつた。  誰も引留めはしなかつたが、しかし余り好い心地もしなかつた。 『定公、また東京で逢はうな』  持つて来た風呂敷包を背負つて、古びた蝙蝠傘を持つて、すり減した朴歯の下駄を穿いて、しよぼたれた風をして、隣の老人は暇を告て行つた。土手の上には枝を張つた大きな栃の樹があつて、其傍の葭簀張には、午後四時過ぎの日影が照つて居た。兄の少年は其の隣の老人がとぼ〳〵と土手に登つて行くのを見えなくなるまで見送つて居た。 『もう歩いて行かれるからツて、此処まで連れて来て貰つて、余り勝手過ぎるのさ──』主婦はかう言つた。 『碌に銭を持たねえで、人の借りた船で、飯も酒も食つたり飲んだりして此処で下りるツて、好く言へたもんだ』爺さんもこんなことを言つた。      八  涼しくなつた頃から、船頭は船を漕ぎ出した。もう海はさして遠くなかつた。岸には芦荻や藻が繁つて、夕日が汀を赤く染めた。  それに幸に追手の夕風が吹いた。船頭は帆を揚げて、楫をギイと鳴らして、暢気に煙草をふかした。誰の心も船のやうに早く東京に向つて馳せて居た。  古戦場だといふ高い崖の下を通る頃には、もう夕暮の薄暗い色が、広い川一面に蔽ひかゝつた。  東京に入つて行く掘割は、それから一里ほど下つた処にあつた。それは川口といふところで、和船で交通をする時分には、随分繁華な船着であつた。かなり聞えた料理屋も二三軒はあつた。其処では田舎にめづらしい海の魚が食へた。赤い帯を締めて戯談を言ふ女も大勢居た。藩の好い家柄の子息で女房子がありながら、此処でさういふ女に溺れて評判に立てられたこともあつた。其頃東京に出る人は、『川口に行けば、むきみ汁が食へる』かう言つて誰も楽しみにして来た。  しかし今ではわざ〳〵寄つて食事をして行くものもなかつた。料理屋も段々つぶれて了つて、一番下等なのが唯一軒残つた。爺さんは此家の爺婆に昔から懇意であつた。一家族の人々は船から上つて、暗いランプのついた狭い汚い間で、兼ねて噂に聞いて居る生魚とむきみ汁とを食つた。  兄の少年の眼には曾て栄えたところとは何うしても見えなかつた。闇の田圃の中に、五六軒茅葺家があつて、其処から灯が唯ちら〳〵見えた。  此処でも、船頭は矢張容易に船を出さなかつた。待ちかねて爺さんが其所在を尋ねに行つた。やがて『酒を飲んで酔ぱらつてゐやがる』かう言つて帰つて来た。  船が出た頃には、遅く出た月がもう高くなつて居た。狭い掘割の両側には種々な樹が繁つて、それが月の光を篩して、美しい閃きを水に投げた。夜はしんとして居た。ところ〴〵にかゝつてゐる船の苫の中からは灯が見えた。犬の吠える声が四辺に響いて高く聞えた。  夏の夜は明易かつた。両側に人家が続いたり、橋が架つたりするあたりに来る頃には、もう全く明放れて居た。  小さい艫を軽く操つて、物を売つて行く舟もあつた。 『そら、見ろよ……あゝやつて、東京では朝早くあさりを売つて歩くんだぞ』  母親は兄の少年に指して見せた。 『もう、此処は東京かえ?』  弟がかう訊くと、 『東京ともよ。深川ツて言ふ処だぞよ』  少年達の眼には見ゆるものが皆なめづらしかつた。白壁の土蔵、ブリキの屋根──河の岸には綺麗な路があつて、其処を人がチラホラ歩いて居た。  たぷたぷとさして来る朝の潮、高く架けられた絵のやうな橋、綺麗な衣服を着て其上を通つて行く女、ぶつつかりはしないかと思はれるほど近く掠めて行く多くの舟、大河の碧に捺したやうに白く見える小さい汽船──漸く起つて来る雑然とした朝の物の響は、二人の少年の前に忙しい都会を展げて見せた。 (「早稲田文学」明治43年7月号) 底本:「短篇小説名作選」岡保生・榎本隆司編、現代企画室    1981(昭和56)年4月15日第1刷発行    1984(昭和59)年3月15日第2刷 入力:土屋隆 校正:林幸雄 2004年6月16日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。