化鳥 泉鏡花 Guide 扉 本文 目 次 化鳥 第一 第二 第三 第四 第五 第六 第七 第八 第九 第十 第十一 第十二 第一 愉快いな、愉快いな、お天気が悪くつて外へ出て遊べなくつても可や、笠を着て蓑を着て、雨の降るなかをびしよ〴〵濡れながら、橋の上を渡つて行くのは猪だ。 菅笠を目深に冠つて潵に濡れまいと思つて向風に俯向いてるから顔も見えない、着て居る蓑の裾が引摺つて長いから脚も見えないで歩行いて行く、背の高さは五尺ばかりあらうかな、猪子しては大なものよ、大方猪ン中の王様が彼様三角形の冠を被て、市へ出て来て、而して、私の母様の橋の上を通るのであらう。 トかう思つて見て居ると愉快い、愉快い、愉快い。 寒い日の朝、雨の降つてる時、私の小さな時分、何日でしたつけ、窓から顔を出して見て居ました。 「母様、愉快いものが歩行いて行くよ。」 爾時母様は私の手袋を拵えて居て下すつて、 「さうかい、何が通りました。」 「あのウ猪。」 「さう。」といつて笑つて居らしやる。 「ありや猪だねえ、猪の王様だねえ。 母様。だつて、大いんだもの、そして三角形の冠を被て居ました。さうだけれども、王様だけれども、雨が降るからねえ、びしよぬれになつて、可哀想だつたよ。」 母様は顔をあげて、此方をお向きで、 「吹込みますから、お前も此方へおいで、そんなにして居ると衣服が濡れますよ。」 「戸を閉めやう、母様、ね、こゝん処の。」 「いゝえ、さうしてあけて置かないと、お客様が通つても橋銭を置いて行つてくれません。づるいからね、引籠つて誰も見て居ないと、そゝくさ通抜けてしまひますもの。」 私は其時分は何にも知らないで居たけれども、母様と二人ぐらしは、この橋銭で立つて行つたので、一人前幾于宛取つて渡しました。 橋のあつたのは、市を少し離れた処で、堤防に松の木が並むで植はつて居て、橋の袂に榎の樹が一本、時雨榎とかいふのであつた。 此榎の下に箱のやうな、小さな、番小屋を建てゝ、其処に母様と二人で住んで居たので、橋は粗造な、宛然、間に合はせといつたやうな拵え方、杭の上へ板を渡して竹を欄干にしたばかりのもので、それでも五人や十人ぐらゐ一時に渡つたからツて、少し揺れはしやうけれど、折れて落つるやうな憂慮はないのであつた。 ちやうど市の場末に住むでる日傭取、土方、人足、それから、三味線を弾いたり、太鼓を鳴らして飴を売つたりする者、越後獅子やら、猿廻やら、附木を売る者だの、唄を謡ふものだの、元結よりだの、早附木の箱を内職にするものなんぞが、目貫の市へ出て行く往帰りには、是非母様の橋を通らなければならないので、百人と二百人づゝ朝晩賑な人通りがある。 それからまた向ふから渡つて来てこの橋を越して場末の穢い町を通り過ぎると、野原へ出る。そこン処は梅林で上の山が桜の名所で、其下に桃谷といふのがあつて、谷間の小流には、菖浦、燕子花が一杯咲く。頬白、山雀、雲雀などが、ばら〳〵になつて唄つて居るから、綺麗な着物を着た問屋の女だの、金満家の隠居だの、瓢を腰へ提げたり、花の枝をかついだりして千鳥足で通るのがある、それは春のことで。夏になると納涼だといつて人が出る、秋は茸狩に出懸けて来る、遊山をするのが、皆内の橋を通らねばならない。 この間も誰かと二三人づれで、学校のお師匠さんが、内の前を通つて、私の顔を見たから、丁寧にお辞義をすると、おや、といつたきりで、橋銭を置かないで行つてしまつた。 「ねえ、母様、先生もづるい人なんかねえ。」 と窓から顔を引込ませた。 第二 「お心易立なんでしやう、でもづるいんだよ。余程さういはうかと思つたけれど、先生だといふから、また、そんなことで悪く取つて、お前が憎まれでもしちやなるまいと思つて黙つて居ました。」 といひ〳〵母様は縫つて居らつしやる。 お膝の前に落ちて居た、一ツの方の手袋の格恰が出来たのを、私は手に取つて、掌にあてゝ見たり、甲の上へ乗ツけて見たり、 「母様、先生はね、それでなくつても僕のことを可愛がつちやあ下さらないの。」 と訴へるやうにいひました。 かういつた時に、学校で何だか知らないけれど、私がものをいつても、快く返事をおしでなかつたり、拗ねたやうな、けんどんなやうな、おもしろくない言をおかけであるのを、いつでも情いと思ひ〳〵して居たのを考へ出して、少し欝いで来て俯向いた。 「何故さ。」 何、さういふ様子の見えるのは、つひ四五日前からで、其前には些少もこんなことはありはしなかつた。帰つて母様にさういつて、何故だか聞いて見やうと思つたんだ。 けれど、番小屋へ入ると直飛出して遊んであるいて、帰ると、御飯を食べて、そしちやあ横になつて、母様の気高い美しい、頼母しい、温当な、そして少し痩せておいでの、髪を束ねてしつとりして居らつしやる顔を見て、何か談話をしい〳〵、ぱつちりと眼をあいてるつもりなのが、いつか其まんまで寝てしまつて、眼がさめると、また直支度を済まして、学校へ行くんだもの。そんなこといつてる隙がなかつたのが、雨で閉籠つて淋しいので思ひ出した序だから聞いたので、 「何故だつて、何なの、此間ねえ、先生が修身のお談話をしてね、人は何だから、世の中に一番えらいものだつて、さういつたの。母様違つてるわねえ。」 「むゝ。」 「ねツ違つてるワ、母様。」 と揉くちやにしたので、吃驚して、ぴつたり手をついて畳の上で、手袋をのした。横に皺が寄つたから、引張つて、 「だから僕、さういつたんだ、いゝえ、あの、先生、さうではないの。人も、猫も、犬も、それから熊も皆おんなじ動物だつて。」 「何とおつしやつたね。」 「馬鹿なことをおつしやいつて。」 「さうでしやう。それから、」 「それから、⦅だつて、犬や猫が、口を利きますか、ものをいひますか⦆ツて、さういふの。いひます。雀だつてチツチツチツチツて、母様と父様と、児と朋達と皆で、お談話をしてるじやあありませんか。僕眠い時、うつとりしてる時なんぞは、耳ン処に来て、チツチツチて、何かいつて聞かせますのツてさういふとね、⦅詰らない、そりや囀るんです。ものをいふのぢやあなくツて、囀るの、だから何をいふんだか分りますまい⦆ツて聞いたよ。僕ね、あのウだつてもね、先生、人だつて、大勢で、皆が体操場で、てんでに何かいつてるのを遠くン処で聞いて居ると、何をいつてるのか些少も分らないで、ざあ〳〵ツて流れてる川の音とおんなしで僕分りませんもの。それから僕の内の橋の下を、あのウ舟漕いで行くのが何だか唄つて行くけれど、何をいふんだかやつぱり鳥が声を大きくして長く引ぱつて鳴いてるのと違ひませんもの。ずツと川下の方でほう〳〵ツて呼んでるのは、あれは、あの、人なんか、犬なんか、分りませんもの。雀だつて、四十雀だつて、軒だの、榎だのに留まつてないで、僕と一所に坐つて話したら皆分るんだけれど、離れてるから聞こえませんの。だつてソツとそばへ行つて、僕、お談話しやうと思ふと、皆立つていつてしまひますもの、でも、いまに大人になると、遠くで居ても分りますツて、小さい耳だから、沢山いろんな声が入らないのだつて、母様が僕、あかさんであつた時分からいひました。犬も猫も人間もおんなじだつて。ねえ、母様、だねえ母様、いまに皆分るんだね。」 第三 母様は莞爾なすつて、 「あゝ、それで何かい、先生が腹をお立ちのかい。」 そればかりではなかつた。私が児心にも、アレ先生が嫌な顔をしたなト斯う思つて取つたのは、まだモ少し種々なことをいひあつてからそれから後の事で。 はじめは先生も笑ひながら、ま、あなたが左様思つて居るのなら、しばらくさうして置きましやう。けれども人間には智恵といふものがあつて、これには他の鳥だの、獣だのといふ動物が企て及ばない、といふことを、私が川岸に住まつて居るからつて、例をあげておさとしであつた。 釣をする、網を打つ、鳥をさす、皆人の智恵で、何にも知らない、分らないから、つられて、刺されて、たべられてしまふのだトかういふことだった。 そんなことは私聞かないで知つて居る、朝晩見て居るもの。 橋を挟んで、川を溯つたり、流れたりして、流網をかけて魚を取るのが、川ン中に手拱かいて、ぶる〳〵ふるへて突立つてるうちは顔のある人間だけれど、そらといつて水に潜ると、逆になつて、水潜をしい〳〵五分間ばかりも泳いで居る、足ばかりが見える。其足の恰好の悪さといつたらない。うつくしい、金魚の泳いでる尾鰭の姿や、ぴら〳〵と水銀色を輝かして刎ねてあがる鮎なんぞの立派さには全然くらべものになるのぢやあない。さうしてあんな、水浸になつて、大川の中から足を出してる、そんな人間がありますものか。で、人間だと思ふとをかしいけれど、川ン中から足が生へたのだと、さう思つて見て居るとおもしろくツて、ちつとも嫌なことはないので、つまらない観世物を見に行くより、ずつとましなのだつて、母様がさうお謂ひだから私はさう思つて居ますもの。 それから、釣をしてますのは、ね、先生、とまた其時先生にさういひました。 あれは人間ぢやあない、簟なんで、御覧なさい。片手懐つて、ぬうと立つて、笠を冠つてる姿といふものは、堤坊の上に一本占治茸が生へたのに違ひません。 夕方になつて、ひよろ長い影がさして、薄暗い鼠色の立姿にでもなると、ます〳〵占治茸で、づゝと遠い〳〵処まで一ならびに、十人も三十人も、小さいのだの、大きいのだの、短いのだの、長いのだの、一番橋手前のを頭にして、さかり時は毎日五六十本も出来るので、また彼処此処に五六人づゝも一団になつてるのは、千本しめぢツて、くさ〳〵に生へて居る、それは小さいのだ。木だの、草だのだと、風が吹くと動くんだけれど、茸だから、あの、茸だからゆつさりとしもしませぬ。これが智恵があつて釣をする人間で、些少も動かない。其間に魚は皆で優々と泳いでてあるいて居ますわ。 また智恵があるつて口を利かれないから鳥とくらべツこすりや、五分五分のがある、それは鳥さしで。 過日見たことがありました。 他所のおぢさんの鳥さしが来て、私ン処の橋の詰で、榎の下で立留まつて、六本めの枝のさきに可愛い頬白が居たのを、棹でもつてねらつたから、あら〳〵ツてさういつたら、叱ツ、黙つて、黙つてツて恐い顔をして私を睨めたから、あとじさりをして、そツと見て居ると、呼吸もしないで、じつとして、石のやうに黙つてしまつて、かう据身になつて、中空を貫くやうに、じりツと棹をのばして、覗つてるのに、頬白は何にも知らないで、チ、チ、チツチツてツて、おもしろさうに、何かいつてしやべつて居ました。 其をとう〳〵突いてさして取ると、棹のさきで、くる〳〵と舞つて、まだ烈しく声を出して啼いてるのに、智恵のあるおぢさんの鳥さしは、黙つて、鰌掴にして、腰の袋ン中へ捻り込むで、それでもまだ黙つて、ものもいはないので、のつそりいつちまつたことがあつたんで。 第四 頬白は智恵のある鳥さしにとられたけれど、囀つてましたもの。ものをいつて居ましたもの。おぢさんは黙りで、傍に見て居た私までものをいふことが出来なかつたんだもの、何もくらべこして、どつちがえらいとも分りはしないつて。 何でもそんなことをいつたんで、ほんとうに私さう思つて居ましたから。 でも其を先生が怒つたんではなかつたらしい。 で、まだ〳〵いろんなことをいつて、人間が、鳥や獣よりえらいものだとさういつておさとしであつたけれど、海ン中だの、山奥だの、私の知らない、分らない処のことばかり譬に引いていふんだから、口答は出来なかつたけれど、ちつともなるほどと思はれるやうなことはなかつた。 だつて、私母様のおつしやること、虚言だと思ひませんもの。私の母様がうそをいつて聞かせますものか。 先生は同一組の小児達を三十人も四十人も一人で可愛がらうとするんだし、母様は私一人可愛いんだから、何うして、先生のいふことは私を欺すんでも、母様がいつてお聞かせのは、決して違つたことではない、トさう思つてるのに、先生のは、まるで母様のと違つたこといふんだから心服はされないぢやありませんか。 私が頷かないので、先生がまた、それでは、皆あなたの思つている通りにして置きましやう。けれども木だの、草だのよりも、人間が立優つた、立派なものであるといふことは、いかな、あなたにでも分りましやう、先づそれを基礎にして、お談話をしやうからつて、聞きました。 分らない。私さうは思はなかつた。 「あのウ母様、だつて、先生、先生より花の方がうつくしうございますツてさう謂つたの。僕、ほんとうにさう思つたの、お庭にね、ちやうど菊の花が咲いてるのが見えたから。」 先生は束髪に結つた、色の黒い、なりの低い頑丈な、でく〳〵肥つた婦人の方で、私がさういふと顔を赤うした。それから急にツヽケンドンなものいひおしだから、大方其が腹をお立ちの源因であらうと思ふ。 「母様、それで怒つたの、さうなの。」 母様は合点々々をなすつて、 「おゝ、そんなことを坊や、お前いひましたか。そりや御道理だ。」 といつて笑顔をなすつたが、これは私の悪戯をして、母様のおつしやること肯かない時、ちつとも叱らないで、恐い顔しないで、莞爾笑つてお見せの、其とかはらなかつた。 さうだ。先生の怒つたのはそれに違ひない。 「だつて、虚言をいつちやあなりませんつて、さういつでも先生はいふ癖になあ、ほんとうに僕、花の方がきれいだと思ふもの。ね、母様、あのお邸の坊ちんの青だの、紫だの交つた、着物より、花の方がうつくしいつて、さういふのね。だもの、先生なんざ。」 「あれ、だつてもね、そんなこと人の前でいふのではありません。お前と、母様のほかには、こんないゝこと知つてるものはないのだから、分らない人にそんなこといふと、怒られますよ。唯、ねえ、さう思つて、居れば、可のだから、いつてはなりませんよ。可かい。そして先生が腹を立つてお憎みだつて、さういふけれど、何そんなことがありますものか。其は皆お前がさう思ふからで、あの、雀だつて餌を与つて、拾つてるのを見て、嬉しさうだと思へば嬉しさうだし、頬白がおぢさんにさゝれた時悲しい声だと思つて見れば、ひい〳〵いつて鳴いたやうに聞こえたぢやないか。 それでも先生が恐い顔をしておいでなら、そんなものは見て居ないで、今お前がいつた、其うつくしい菊の花を見て居たら可でしやう。ね、そして何かい、学校のお庭に咲いてるのかい。」 「あゝ沢山。」 「ぢやあ其菊を見やうと思つて学校へおいで。花にはね、ものをいはないから耳に聞こえないでも、其かはり眼にはうつくしいよ。」 モひとつ不平なのはお天気の悪いことで、戸外にはなか〳〵雨がやみさうにもない。 第五 また顔を出して窓から川を見た。さつきは雨脚が繁くつて、宛然、薄墨で刷いたやう、堤防だの、石垣だの、蛇籠だの、中洲に草の生へた処だのが、点々、彼方此方に黒ずんで居て、それで湿つぽくツて、暗かつたから見えなかつたが、少し晴れて来たからものゝ濡れたのが皆見える。 遠くの方に堤防の下の石垣の中ほどに、置物のやうになつて、畏つて、猿が居る。 この猿は、誰が持主といふのでもない、細引の麻繩で棒杭に結えつけてあるので、あの、占治茸が、腰弁当の握飯を半分与つたり、坊ちやんだの、乳母だのが袂の菓子を分けて与つたり、赤い着物を着て居る、みいちやんの紅雀だの、青い羽織を着て居る吉公の目白だの、それからお邸のかなりやの姫様なんぞが、皆で、からかいに行つては、花を持たせる、手拭を被せる、水鉄砲を浴びせるといふ、好きな玩弄物にして、其代何でもたべるものを分けてやるので、誰といつて、きまつて、世話をする、飼主はないのだけれど、猿の餓ゑることはありはしなかつた。 時々悪戯をして、其紅雀の天窓の毛を挘つたり、かなりやを引掻いたりすることがあるので、あの猿松が居ては、うつかり可愛らしい小鳥を手放にして戸外へ出しては置けない、誰か見張つてでも居ないと、危険だからつて、ちよい〳〵繩を解いて放して遣つたことが幾度もあつた。 放すが疾いか、猿は方々を駆ずり廻つて勝手放題な道楽をする、夜中に月が明い時寺の門を叩いたこともあつたさうだし、人の庖厨へ忍び込んで、鍋の大いのと飯櫃を大屋根へ持つてあがつて、手掴で食べたこともあつたさうだし、ひら〳〵と青いなかから紅い切のこぼれて居る、うつくしい鳥の袂を引張つて、遙かに見える山を指して気絶さしたこともあつたさうなり、私の覚えてからも一度誰かが、繩を切つてやつたことがあつた。其時はこの時雨榎の枝の両股になつてる処に、仰向に寝転んで居て、烏の脛を捕へた、それから畚に入れてある、あのしめぢ蕈が釣つた、沙魚をぶちまけて、散々悪巫山戯をした揚句が、橋の詰の浮世床のおぢさんに掴まつて、顔の毛を真四角に鋏まれた、それで堪忍をして追放したんださうなのに、夜が明けて見ると、また平時の処に棒杭にちやんと結へてあツた。蛇籠の上の、石垣の中ほどで、上の堤防には柳の切株がある処。 またはじまつた、此通りに猿をつかまへて此処へ縛つとくのは誰だらう〳〵ツて、一しきり騒いだのを私は知つて居る。 で、此猿には出処がある。 其は母様が御存じで、私にお話しなすツた。 八九年前のこと、私がまだ母様のお腹ん中に小さくなつて居た時分なんで、正月、春のはじめのことであつた。 今は唯広い世の中に母様と、やがて、私のものといつたら、此番小屋と仮橋の他にはないが、其時分は此橋ほどのものは、邸の庭の中の一ツの眺望に過ぎないのであつたさうで、今市の人が春、夏、秋、冬、遊山に来る、桜山も、桃谷も、あの梅林も、菖蒲の池も皆父様ので、頬白だの、目白だの、山雀だのが、この窓から堤防の岸や、柳の下や、蛇籠の上に居るのが見える、其身体の色ばかりが其である、小鳥ではない、ほんとうの可愛らしい、うつくしいのがちやうどこんな工合に朱塗の欄干のついた二階の窓から見えたさうで。今日はまだおいひでないが、かういふ雨の降つて淋しい時なぞは、其時分のことをいつでもいつてお聞かせだ。 第六 今ではそんな楽しい、うつくしい、花園がないかはり、前に橋銭を受取る笊の置いてある、この小さな窓から風がはりな猪だの、奇躰な簟だの、不思議な猿だの、まだ其他に人の顔をした鳥だの、獣だのが、いくらでも見えるから、ちつとは思出になるトいつちやあ、アノ笑顔をおしなので、私もさう思つて見る故か、人があるいて行く時、片足をあげた処は一本脚の鳥のやうでおもしろい、人の笑ふのを見ると獣が大きな赤い口をあけたよと思つておもしろい、みいちやんがものをいふと、おや小鳥が囀るかトさう思つてをかしいのだ。で、何でもおもしろくツてをかしくツて吹出さずには居られない。 だけれど今しがたも母様がおいひの通り、こんないゝことを知つてるのは、母様と私ばかりで何うして、みいちやんだの、吉公だの、それから学校の女の先生なんぞに教へたつて分るものか。 人に踏まれたり、蹴られたり、後足で砂をかけられたり、苛められて責まれて、熱湯を飲ませられて、砂を浴せられて、鞭うたれて、朝から晩まで泣通しで、咽喉がかれて、血を吐いて、消えてしまいさうになつてる処を、人に高見で見物されて、おもしろがられて、笑はれて、慰にされて、嬉しがられて、眼が血走つて、髪が動いて、唇が破れた処で、口惜しい、口惜しい、口惜しい、口惜しい、畜生め、獣め、ト始終さう思つて、五年も八年も経たなければ、真個に分ることではない、覚えられることではないんださうで、お亡んなすつた、父様トこの母様とが聞いても身震がするやうな、そういふ酷いめに、苦しい、痛い、苦しい、辛い、惨刻なめに逢つて、さうしてやう〳〵お分りになつたのを、すつかり私に教へて下すつたので。私はたゞ母ちやん〳〵てツて母様の肩をつかまいたり、膝にのつかつたり、針箱の引出を交ぜかへしたり、物さしをまはして見たり、縫裁の衣服を天窓から被つて見たり、叱られて逃げ出したりして居て、それでちやんと教へて頂いて、其をば覚えて分つてから、何でも鳥だの、獣だの、草だの、木だの、虫だの、簟だのに人が見えるのだからこんなおもしろい、結構なことはない。しかし私にかういふいゝことを教へて下すつた母様は、とさう思ふ時は鬱ぎました。これはちつともおもしろくなくつて悲しかつた、勿体ないとさう思つた。 だつて母様がおろそかに聞いてはなりません。私がそれほどの思をしてやう〳〵お前に教へらるゝやうになつたんだから、うかつに聞いて居ては罰があたります。人間も鳥獣も草木も、混虫類も皆形こそ変つて居てもおんなじほどのものだといふことを。 トかうおつしやるんだから。私はいつも手をついて聞きました。 で、はじめの内は何うしても人が鳥や、獣とは思はれないで、優しくされれば嬉しかつた、叱られると恐かつた、泣いてると可哀想だつた、そしていろんなことを思つた。其たびにさういつて母様にきいて見るト何、皆鳥が囀つてるんだの、犬が吠えるんだの、あの、猿が歯を剥くんだの、木が身ぶるいをするんだのとちつとも違つたことはないツて、さうおつしやるけれど、矢張さうばかりは思はれないで、いぢめられて泣いたり、撫でられて嬉しかつたりしい〳〵したのを、其都度母様に教へられて、今じやあモウ何とも思つて居ない。 そしてまだ如彼濡れては寒いだらう、冷たいだらうと、さきのやうに雨に濡れてびしよ〳〵行くのを見ると気の毒だつたり、釣をして居る人がおもしろさうだとさう思つたりなんぞしたのが、此節じやもう唯変な簟だ、妙な猪の王様だと、をかしいばかりである、おもしろいばかりである、つまらないばかりである、見ツともないばかりである、馬鹿々々しいばかりである、それからみいちやんのやうなのは可愛らしいのである、吉公のやうなのはうつくしいのである、けれどもそれは紅雀がうつくしいのと、目白が可愛らしいのと些少も違ひはせぬので、うつくしい、可愛らしい。うつくしい、可愛らしい。 第七 また憎らしいのがある。腹立たしいのも他にあるけれども其も一場合に猿が憎らしかつたり、鳥が腹立たしかつたりするのとかはりは無いので、煎ずれば皆をかしいばかり、矢張噴飯材料なんで、別に取留めたことがありはしなかつた。 で、つまり情を動かされて、悲む、愁うる、楽む、喜ぶなどいふことは、時に因り場合に於ての母様ばかりなので。余所のものは何うであらうと些少も心には懸けないやうに日ましにさうなつて来た。しかしかういふ心になるまでには、私を教へるために毎日、毎晩、見る者、聞くものについて、母様がどんなに苦労をなすつて、丁寧に親切に飽かないで、熱心に、懇に噛むで含めるやうになすつたかも知れはしない。だもの、何うして学校の先生をはじめ、余所のものが少々位のことで、分るものか、誰だつて分りやしません。 処が、母様と私とのほか知らないことをモ一人他に知つてるものがあるさうで、始終母様がいつてお聞かせの、其は彼処に置物のやうに畏つて居る、あの猿─あの猿の旧の飼主であつた─老父さんの猿廻だといひます。 さつき私がいつた、猿に出処があるといふのはこのことで。 まだ私が母様のお腹に居た時分だツて、さういひましたつけ。 初卯の日、母様が腰元を二人連れて、市の卯辰の方の天神様へお参ンなすつて、晩方帰つて居らつしやつた、ちやうど川向ふの、いま猿の居る処で、堤坊の上のあの柳の切株に腰をかけて猿のひかへ綱を握つたなり、俯向いて、小さくなつて、肩で呼吸をして居たのが其猿廻のぢいさんであつた。 大方今の紅雀の其姉さんだの、頬白の其兄さんだのであつたらうと思はれる、男だの、女だの七八人寄つて、たかつて、猿にからかつて、きやあ〳〵いはせて、わあ〳〵笑つて、手を拍つて、喝采して、おもしろがつて、をかしがつて、散々慰むで、そら菓子をやるワ、蜜柑を投げろ、餅をたべさすワツて、皆でどつさり猿に御馳走をして、暗くなるとどや〳〵いつちまつたんだ。で、ぢいさんをいたはつてやつたものは、唯の一人もなかつたといひます。 あはれだとお思ひなすつて、母様がお銭を恵むで、肩掛を着せておやんなすつたら、ぢいさん涙を落して拝むで喜こびましたつて、さうして、 ⦅あゝ、奥様、私は獣になりたうございます。あいら、皆畜生で、この猿めが夥間でござりましやう。それで、手前達の同類にものをくはせながら、人間一疋の私には目を懸けぬのでござります⦆トさういつてあたりを睨むだ、恐らくこのぢいさんなら分るであらう、いや、分るまでもない、人が獣であることをいはないでも知つて居やうとさういつて母様がお聞かせなすつた、 うまいこと知てるな、ぢいさん。ぢいさんと母様と私と三人だ。其時ぢいさんが其まんまで控綱を其処ン処の棒杭に縛りツ放しにして猿をうつちやつて行かうとしたので、供の女中が口を出して、何うするつもりだつて聞いた。母様もまた傍からまあ捨児にしては可哀想でないかツて、お聞きなすつたら、ぢいさんにや〳〵と笑つたさうで、 ⦅はい、いえ、大丈夫でござります。人間をかうやつといたら、餓ゑも凍ゑもしやうけれど、獣でござりますから今に長い目で御覧じまし、此奴はもう決してひもじい目に逢ふことはござりませぬから⦆ トさういつてかさね〴〵恩を謝して分れて何処へか行つちまひましたツて。 果して猿は餓ゑないで居る。もう今では余程の年紀であらう。すりや、猿のぢいさんだ。道理で、功を経た、ものゝ分つたやうな、そして生まじめで、けろりとした、妙な顔をして居るんだ。見える〳〵、雨の中にちよこなんと坐つて居るのが手に取るやうに窓から見えるワ。 第八 朝晩見馴れて珍らしくもない猿だけれど、いまこんなこと考え出していろんなこと思つて見ると、また殊にものなつかしい、あのおかしな顔早くいつて見たいなと、さう思つて、窓に手をついてのびあがつて、づゝと肩まで出すと潵がかゝつて、眼のふちがひやりとして、冷たい風が頬を撫でた。 爾時仮橋ががた〳〵いつて、川面の小糠雨を掬ふやうに吹き乱すと、流が黒くなつて颯と出た。トいつしよに向岸から橋を渡つて来る、洋服を着た男がある。 橋板がまた、がツたりがツたりいつて、次第に近づいて来る、鼠色の洋服で、釦をはづして、胸を開けて、けば〳〵しう襟飾を出した、でつぷり紳士で、胸が小さくツて、下腹の方が図ぬけにはずんでふくれた、脚の短い、靴の大きな、帽子の高い、顔の長い、鼻の赤い、其は寒いからだ。そして大跨に、其逞い靴を片足づゝ、やりちがへにあげちやあ歩行いて来る、靴の裏の赤いのがぽつかり、ぽつかりと一ツづゝ此方から見えるけれど、自分じやあ、其爪さきも分りはしまい。何でもあんなに腹のふくれた人は臍から下、膝から上は見たことがないのだとさういひます。あら! あら! 短服に靴を穿いたものが転がつて来るぜと、思つて、じつと見て居ると、橋のまんなかあたりへ来て鼻眼鏡をはづした、潵がかゝつて曇つたと見える。 で、衣兜から半拭を出して、拭きにかゝつたが、蝙蝠傘を片手に持つて居たから手を空けやうとして咽喉と肩のあひだへ柄を挟んで、うつむいて、珠を拭ひかけた。 これは今までに幾度も私見たことのある人で、何でも小児の時は物見高いから、そら、婆さんが転んだ、花が咲いた、といつて五六人人だかりのすることが眼の及ぶ処にあれば、必ず立つて見るが何処に因らずで場所は限らない、すべて五十人以上の人が集会したなかには必ずこの紳士の立交つて居ないといふことはなかつた。 見る時にいつも傍の人を誰か知らつかまへて、尻上りの、すました調子で、何かものをいつて居なかつたことは殆んど無い、それに人から聞いて居たことは曾てないので、いつでも自分で聞かせて居る、が、聞くものがなければ独で、むゝ、ふむ、といつたやうな、承知したやうなことを独言のやうでなく、聞かせるやうにいつてる人で、母様も御存じで、彼は博士ぶりといふのであるとおつしやつた。 けれども鰤ではたしかにない、あの腹のふくれた様子といつたら、宛然、鮟鱇に肖て居るので、私は蔭じやあ鮟鱇博士とさういひますワ。此間も学校へ参観に来たことがある。其時も今被つて居る、高い帽子を持つて居たが、何だつてまたあんな度はづれの帽子を着たがるんだらう。 だつて、眼鏡を拭かうとして、蝙蝠傘を頤で押へて、うつむいたと思ふと、ほら〳〵、帽子が傾いて、重量で沈み出して、見てるうちにすつぼり、赤い鼻の上へ被さるんだもの。眼鏡をはづした上で帽子がかぶさつて、眼が見えなくなつたんだから驚いた、顔中帽子、唯口ばかりが、其口を赤くあけて、あはてゝ、顔をふりあげて、帽子を揺りあげやうとしたから蝙蝠傘がばツたり落ちた。落こちると勢よく三ツばかりくる〳〵とまつた間に、鮟鱇博士は五ツばかりおまはりをして、手をのばすと、ひよいと横なぐれに風を受けて、斜めに飛んで、遙か川下の方へ憎らしく落着いた風でゆつたりしてふわりと落ちるト忽ち矢の如くに流れ出した。 博士は片手で眼鏡を持つて、片手を帽子にかけたまゝ烈しく、急に、殆んど数へる遑がないほど靴のうらで虚空を踏むだ、橋ががた〳〵と動いて鳴つた。 「母様、母様、母様」 と私は足ぶみをした。 「あい。」としづかに、おいひなすつたのが背後に聞こえる。 窓から見たまゝ振向きもしないで、急込んで、 「あら〳〵流れるよ。」 「鳥かい、獣かい。」と極めて平気でいらつしやる。 「蝙蝠なの、傘なの、あら、もう見えなくなつたい、ほら、ね、流れツちまひました。」 「蝙蝠ですと。」 「あゝ、落ツことしたの、可哀想に。」 と思はず嘆息をして呟いた。 母様は笑を含むだお声でもつて、 「廉や、それはね、雨が晴れるしらせなんだよ。」 此時猿が動いた。 第九 一廻くるりと環にまはつて前足をついて、棒杭の上へ乗つて、お天気を見るのであらう、仰向いて空を見た。晴れるといまに行くよ。 母様は嘘をおつしやらない。 博士は頻に指しをして居たが、口が利けないらしかつた、で、一散に駆けて、来て黙つて小屋の前を通らうとする。 「おぢさん〳〵。」 と厳しく呼んでやつた。追懸けて、 「橋銭を置いて去らつしやい、おぢさん。」 とさういつた。 「何だ!」 一通の声ではない、さつきから口が利けないで、あのふくれた腹に一杯固くなるほど詰め込み〳〵して置いた声を、紙鉄砲ぶつやうにはぢきだしたものらしい。 で、赤い鼻をうつむけて、額越に睨みつけた。 「何か」と今度は応揚である。 私は返事をしませんかつた。それは驚いたわけではない、恐かつたわけではない。鮟鱇にしては少し顔がそぐはないから何にしやう、何に肖て居るだらう、この赤い鼻の高いのに、さきの方が少し垂れさがつて、上唇におつかぶさつてる工合といつたらない、魚より獣より寧ろ鳥の嘴によく肖て居る、雀か、山雀か、さうでもない。それでもないト考えて七面鳥に思ひあたつた時、なまぬるい音調で、 「馬鹿め。」 といひすてにして沈んで来る帽子をゆりあげて行かうとする。 「あなた。」とおつかさんが屹とした声でおつしやつて、お膝の上の糸屑を細い、白い、指のさきで二ツ三ツはじき落して、すつと出て窓の処へお立ちなすつた。 「渡をお置きなさらんではいけません。」 「え、え、え。」 といつたがぢれつたさうに、 「僕は何じやが、うゝ知らんのか。」 「誰です、あなたは。」と冷で。私こんなのをきくとすつきりする、眼のさきに見える気にくわないものに、水をぶつかけて、天窓から洗つておやんなさるので、いつでもかうだ、極めていゝ。 鮟鱇は腹をぶく〳〵さして、肩をゆすつたが、衣兜から名刺を出して、笊のなかへまつすぐに恭しく置いて、 「かういふものじや、これじや、僕じや。」 といつて肩書の処を指した、恐ろしくみぢかい指で、黄金の指輪の太いのをはめて居る。 手にも取らないで、口のなかに低声におよみなすつたのが、市内衛生会委員、教育談話会幹事、生命保険会社々員、一六会々長、美術奨励会理事、大日本赤十字社社員、天野喜太郎。 「この方ですか。」 「うゝ。」といつた時ふつくりした鼻のさきがふら〳〵して、手で、胸にかけた赤十字の徽章をはぢいたあとで、 「分つたかね。」 こんどはやさしい声でさういつたまゝまた行きさうにする。 「いけません。お払でなきやアあとへお帰ンなさい。」とおつしやつた。先生妙な顔をしてぼんやり立つてたが少しむきになつて、 「えゝ、こ、細いのがないんじやから。」 「おつりを差上げましやう。」 おつかさんは帯のあひだへ手をお入れ遊ばした。 第十 母様はうそをおつしやらない、博士が橋銭をおいてにげて行くと、しばらくして雨が晴れた。橋も蛇籠も皆雨にぬれて、黒くなつて、あかるい日中へ出た。榎の枝からは時々はら〳〵と雫が落ちる、中流へ太陽がさして、みつめて居るとまばゆいばかり。 「母様遊びに行かうや。」 此時鋏をお取んなすつて、 「あゝ。」 「ねイ、出かけたつて可の、晴れたんだもの。」 「可けれど、廉や、お前またあんまりお猿にからかつてはなりませんよ。さう、可塩梅にうつくしい羽の生へた姉さんが何時でもいるんぢやあありません。また落つこちやうもんなら。」 ちよいと見向いて、清い眼で御覧なすつて莞爾してお俯向きで、せつせと縫つて居らつしやる。 さう、さう! さうであつた。ほら、あの、いま頬つぺたを掻いてむく〳〵濡れた毛からいきりをたてゝ日向ぼつこをして居る、憎らしいツたらない。 いまじやあもう半年も経つたらう、暑さの取着の晩方頃で、いつものやうに遊びに行つて、人が天窓を撫でゝやつたものを、業畜、悪巫山戯をして、キツ〳〵と歯を剥いて、引掻きさうな権幕をするから、吃驚して飛退かうとすると、前足でつかまへた、放さないから力を入れて引張り合つた奮みであつた。左の袂がびり〳〵と裂てちぎれて取たはづみをくつて、踏占めた足がちやうど雨上りだつたから、堪りはしない、石の上を辷つて、ずる〳〵と川へ落ちた。わつといつた顔へ一波かぶつて、呼吸をひいて仰向けに沈むだから、面くらつて立たうとするとまた倒れて眼がくらむで、アツとまたいきをひいて、苦しいので手をもがいて身躰を動かすと唯どぶん〳〵と沈むで行く、情ないと思つたら、内に母様の坐つて居らつしやる姿が見えたので、また勢ついたけれど、やつぱりどぶむ〳〵と沈むから、何うするのかなと落着いて考へたやうに思ふ。それから何のことだらうと考えたやうにも思はれる、今に眼が覚めるのであらうと思つたやうでもある、何だか茫乎したが俄に水ン中だと思つて叫ばうとすると水をのんだ。もう駄目だ。 もういかんとあきらめるトタンに胸が痛かつた、それから悠々と水を吸つた、するとうつとりして何だか分らなくなつたと思ふと溌と糸のやうな真赤な光線がさして、一巾あかるくなつたなかにこの身躰が包まれたので、ほつといきをつくと、山の端が遠く見えて私のからだは地を放れて其頂より上の処に冷いものに抱へられて居たやうで、大きなうつくしい眼が、濡髪をかぶつて私の頬ん処へくつゝいたから、唯縋り着いてじつと眼を眠つた[「眠つた」に「ママ」の注記]覚がある。夢ではない。 やつぱり片袖なかつたもの、そして川へ落こちて溺れさうだつたのを救はれたんだつて、母様のお膝に抱かれて居て、其晩聞いたんだもの。だから夢ではない。 一躰助けて呉れたのは誰ですッて、母様に問ふた。私がものを聞いて、返事に躊躇をなすつたのは此時ばかりで、また、それは猪だとか、狼だとか、狐だとか、頬白だとか、山雀だとか、鮟鱇だとか鯖だとか、蛆だとか、毛虫だとか、草だとか、竹だとか、松茸だとか、しめぢだとかおいひでなかつたのも此時ばかりで、そして顔の色をおかへなすつたのも此時ばかりで、それに小さな声でおつしやつたのも此時ばかりだ。 そして母様はかうおいひであつた。 (廉や、それはね、大きな五色の翼があつて天上に遊んで居るうつくしい姉さんだよ) 第十一 (鳥なの、母様)とさういつて其時私が聴いた。 此にも母様は少し口籠つておいでゝあつたが、 (鳥ぢやないよ、翼の生へた美しい姉さんだよ) 何うしても分らんかつた。うるさくいつたらしまひにやお前には分らない、とさうおいひであつた、また推返して聴いたら、やつぱり、 (翼の生へたうつくしい姉さんだつてば) それで仕方がないからきくのはよして、見やうと思つた、其うつくしい翼のはへたもの見たくなつて、何処に居ます〳〵ツて、せつツいても知らないと、さういつてばかりおいでゝあつたが、毎日〳〵あまりしつこかつたもんだから、とう〳〵余儀なさゝうなお顔色で、 (鳥屋の前にでもいつて見て来るが可) そんならわけはない。 小屋を出て二町ばかり行くと直坂があつて、坂の下口に一軒鳥屋があるので、樹蔭も何にもない、お天気のいゝ時あかるい〳〵小さな店で、町家の軒ならびにあつた。鸚鵡なんざ、くるツとした露のたりさうな、小さな眼で、あれで瞳が動きますね。毎日々々行つちやあ立つて居たので、しまひにやあ見知顔で私の顔を見て頷くやうでしたつけ、でもそれぢやあない。 駒はね、丈の高い、籠ん中を下から上へ飛んで、すがつて、ひよいと逆に腹を見せて熟柿の落こちるやうにぽたりとおりて餌をつゝいて、私をばかまひつけない、ちつとも気に懸けてくれやうとはしないであつた、それでもない。皆違つとる。翼の生へたうつくしい姉さんは居ないのッて、一所に立つた人をつかまへちやあ、聞いたけれど、笑ふものやら、嘲けるものやら、聞かないふりをするものやら、つまらないとけなすものやら、馬鹿だといふものやら、番小屋の媽々に似て此奴も何うかして居らあ、といふものやら、皆獣だ。 (翼の生へたうつくしい姉さんは居ないの)ツて聞いた時、莞爾笑つて両方から左右の手でおうやうに私の天窓を撫でゝ行つた、それは一様に緋羅紗のづぼんを穿いた二人の騎兵で──聞いた時──莞爾笑つて、両方から左右の手で、おうやうに私の天窓をなでゝ、そして手を引あつて黙つて坂をのぼつて行つた、長靴の音がぼつくりして、銀の剣の長いのがまつすぐに二ツならんで輝いて見えた。そればかりで、あとは皆馬鹿にした。 五日ばかり学校から帰つちやあ其足で鳥屋の店へ行つてじつと立つて奥の方の暗い棚ん中で、コト〳〵と音をさして居る其鳥まで見覚えたけれど、翼の生へた姉さんは居ないのでぼんやりして、ぼツとして、ほんとうに少し馬鹿になつたやうな気がしい〳〵、日が暮れると帰り帰りした。で、とても鳥屋には居ないものとあきらめたが、何うしても見たくツてならないので、また母様にねだつて聞いた。何処に居るの、翼の生へたうつくしい人は何処に居るのツて。何とおいひでも肯分けないものだから母様が、 (それでは林へでも、裏の田畝へでも行つて見ておいで。何故ツて天上に遊んで居るんだから籠の中に居ないのかも知れないよ) それから私、あの、梅林のある処に参りました。 あの桜山と、桃谷と、菖蒲の池とある処で。 しかし其は唯青葉ばかりで菖蒲の短いのがむらがつてゝ、水の色の黒い時分、此処へも二日、三日続けて行きましたつけ、小鳥は見つからなかつた。烏が沢山居た。あれが、かあ〳〵鳴いて一しきりして静まると其姿の見えなくなるのは、大方其翼で、日の光をかくしてしまふのでしやう、大きな翼だ、まことに大い翼だ、けれどもそれではない。 第十二 日が暮れかゝると彼方に一ならび、此方に一ならび縦横になつて、梅の樹が飛々に暗くなる。枝々のなかの水田の水がどむよりして淀むで居るのに際立つて真白に見えるのは鷺だつた、二羽一処にト三羽一処にト居てそして一羽が六尺ばかり空へ斜に足から糸のやうに水を引いて立つてあがつたが音がなかつた、それでもない。 蛙が一斉に鳴きはじめる。森が暗くなつて、山が見えなくなつた。 宵月の頃だつたのに曇てたので、星も見えないで、陰々として一面にものゝ色が灰のやうにうるんであつた、蛙がしきりになく。 仰いで高い処に朱の欄干のついた窓があつて、そこが母様のうちだつたと聞く、仰いで高い処に朱の欄干のついた窓があつてそこから顔を出す、其顔が自分の顔であつたんだらうにトさう思ひながら破れた垣の穴ん処に腰をかけてぼんやりして居た。 いつでもあの翼の生へたうつくしい人をたづねあぐむ、其昼のうち精神の疲労ないうちは可んだけれど、度が過ぎて、そんなに晩くなると、いつもかう滅入つてしまつて、何だか、人に離れたやうな世間に遠ざかつたやうな気がするので、心細くもあり、裏悲しくもあり、覚束ないやうでもあり、恐ろしいやうでもある、嫌な心持だ、嫌な心持だ。 早く帰らうとしたけれど気が重くなつて其癖神経は鋭くなつて、それで居てひとりでにあくびが出た。あれ! 赤い口をあいたんだなと、自分でさうおもつて、吃驚した。 ぼんやりした梅の枝が手をのばして立つてるやうだ。あたりを眴すと真くらで、遠くの方で、ほう、ほうツて、呼ぶのは何だらう。冴えた通る声で野末を押ひろげるやうに、啼く、トントントントンと谺にあたるやうな響きが遠くから来るやうに聞こえる鳥の声は、梟であつた。 一ツでない。 二ツも三ツも。私に何を談すのだらう、私に何を談すのだらう、鳥がものをいふと慄然として身の毛が慄立つた。 ほんとうに其晩ほど恐かつたことはない。 蛙の声がます〳〵高くなる、これはまた仰山な、何百、何うして幾千と居て鳴いてるので、幾千の蛙が一ツ一ツ眼があつて、口があつて、足があつて、身躰があつて、水ン中に居て、そして声を出すのだ。一ツ一ツトわなゝいた。寒くなつた。風が少し出て樹がゆつさり動いた。 蛙の声がます〳〵高くなる、居ても立つても居られなくツて、そつと動き出した、身躰が何うにかなつてるやうで、すつと立ち切れないで蹲つた、裾が足にくるまつて、帯が少し弛むで、胸があいて、うつむいたまゝ天窓がすはつた。ものがぼんやり見える。 見えるのは眼だトまたふるえた。 ふるえながら、そつと、大事に、内証で、手首をすくめて、自分の身躰を見やうと思つて、左右へ袖をひらいた時もう思はずキヤツと叫んだ。だつて私が鳥のやうに見えたんですもの。何んなに恐かつたらう。 此時背後から母様がしつかり抱いて下さらなかつたら、私何うしたんだか知れません。其はおそくなつたから見に来て下すつたんで泣くことさへ出来なかつたのが、 「母様!」といつて離れまいと思つて、しつかり、しつかり、しつかり襟ん処へかぢりついて仰向いてお顔を見た時、フツト気が着いた。 何うもさうらしい、翼の生へたうつくしい人は何うも母様であるらしい。もう鳥屋には、行くまい、わけてもこの恐い処へと、其後ふつゝり。 しかし何うしても何う見ても母様にうつくしい五色の翼が生へちやあ居ないから、またさうではなく、他にそんな人が居るのかも知れない、何うしても判然しないで疑はれる。 雨も晴れたり、ちやうど石原も辷るだらう。母様はあゝおつしやるけれど、故とあの猿にぶつかつて、また川へ落ちて見やうか不知。さうすりやまた引上げて下さるだらう。見たいな! 翼の生へたうつくしい姉さん。だけれども、まあ、可、母様が居らつしやるから、母様が居らつしやつたから。(完) (「新著月刊」第一号 明治30年4月) 底本:「短篇小説名作選」岡保生・榎本隆司 編、現代企画室    1982(昭和57)年4月15日第1刷発行    1984(昭和59)年3月15日第2刷 ※文字づかい・仮名づかいの誤用・不統一、促音「っ」「ッ」の小書きの混在は底本のままとしました。 ※「猪子して」は、底本では、「猪子して」となっていますが、初収録単行本「柳筥」では「猪子にして」となっているため、上記のように改めました。 入力:土屋隆 校正:門田裕志 2003年4月10日作成 2013年2月1日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。