政談十二社 泉鏡花 Guide 扉 本文 目 次 政談十二社        一  東京もはやここは多摩の里、郡の部に属する内藤新宿の町端に、近頃新開で土の色赤く、日当のいい冠木門から、目のふちほんのりと酔を帯びて、杖を小脇に、つかつかと出た一名の瀟洒たる人物がある。  黒の洋服で雪のような胸、手首、勿論靴で、どういう好みか目庇のつッと出た、鉄道の局員が被るような形なのを、前さがりに頂いた。これにてらてらと小春の日の光を遮って、やや蔭になった頬骨のちっと出た、目の大きい、鼻の隆い、背のすっくりした、人品に威厳のある年齢三十ばかりなるが、引緊った口に葉巻を啣えたままで、今門を出て、刈取ったあとの蕎麦畠に面した。  この畠を前にして、門前の径を右へ行けば通へ出て、停車場へは五町に足りない。左は、田舎道で、まず近いのが十二社、堀ノ内、角筈、目黒などへ行くのである。  見れば青物を市へ積出した荷車が絶えては続き、街道を在所の方へ曳いて帰る。午後三時を過ぎて秋の日は暮れるに間もあるまいに、停車場の道には向わないで、かえって十二社の方へ靴の尖を廻らして、衝と杖を突出した。  しかもこの人は牛込南町辺に住居する法官である。去年まず検事補に叙せられたのが、今年になって夏のはじめ、新に大審院の判事に任ぜられると直ぐに暑中休暇になったが、暑さが厳しい年であったため、痩せるまでの煩いをしたために、院が開けてからも二月ばかり病気びきをして、静に療養をしたので、このごろではすっかり全快、そこで届を出してやがて出勤をしようという。  ちょうど日曜で、久しぶりの郊外散策、足固めかたがた新宿から歩行いて、十二社あたりまで行こうという途中、この新開に住んでいる給水工場の重役人に知合があって立寄ったのであった。  これから、名を由之助という小山判事は、埃も立たない秋の空は水のように澄渡って、あちらこちら蕎麦の茎の西日の色、真赤な蕃椒が一団々々ある中へ、口にしたその葉巻の紫の煙を軽く吹き乱しながら、田圃道を楽しそう。  その胸の中もまた察すべきものである。小山はもとより医者が厭だから文学を、文学も妙でない、法律を、政治をといった側の少年ではなかった。  されば法官がその望で、就中希った判事に志を得て、新たに、はじめて、その方は……と神聖にして犯すべからざる天下控訴院の椅子にかかろうとする二三日。  足の運びにつれて目に映じて心に往来するものは、土橋でなく、流でなく、遠方の森でなく、工場の煙突でなく、路傍の藪でなく、寺の屋根でもなく、影でなく、日南でなく、土の凸凹でもなく、かえって法廷を進退する公事訴訟人の風采、俤、伏目に我を仰ぎ見る囚人の顔、弁護士の額、原告の鼻、検事の髯、押丁等の服装、傍聴席の光線の工合などが、目を遮り、胸を蔽うて、年少判事はこの大なる責任のために、手も自由ならず、足の運びも重いばかり、光った靴の爪尖と、杖の端の輝く銀とを心すともなく直視めながら、一歩進み二歩行く内、にわかに颯と暗くなって、風が身に染むので心着けば、樹蔭なる崖の腹から二頭の竜の、二条の氷柱を吐く末が百筋に乱れて、どッと池へ灌ぐのは、熊野の野社の千歳経る杉の林を頂いた、十二社の滝の下路である。        二 「何か変ったこともないか。」と滝に臨んだ中二階の小座敷、欄干に凭れながら判事は徒然に茶店の婆さんに話しかける。  十二社あたりへ客の寄るのは、夏も極暑の節一盛で、やがて初冬にもなれば、上の社の森の中で狐が鳴こうという場所柄の、さびれさ加減思うべしで、建廻した茶屋休息所、その節は、ビール聞し召せ枝豆も候だのが、ただ葦簀の屋根と柱のみ、破の見える床の上へ、二ひら三ひら、申訳だけの緋の毛布を敷いてある。その掛茶屋は、松と薄で取廻し、大根畠を小高く見せた周囲五町ばかりの大池の汀になっていて、緋鯉の影、真鯉の姿も小波の立つ中に美しく、こぼれ松葉の一筋二筋辷るように水面を吹かれて渡るのも風情であるから、判事は最初、杖をここに留めて憩ったのであるが、眩いばかり西日が射すので、頭痛持なれば眉を顰め、水底へ深く入った鯉とともにその毛布の席を去って、間に土間一ツ隔てたそれなる母屋の中二階に引越したのであった。  中二階といってもただ段の数二ツ、一段低い処にお幾という婆さんが、塩煎餅の壺と、駄菓子の箱と熟柿の笊を横に控え、角火鉢の大いのに、真鍮の薬罐から湯気を立たせたのを前に置き、煤けた棚の上に古ぼけた麦酒の瓶、心太の皿などを乱雑に並べたのを背後に背負い、柱に安煙草のびらを張り、天井に捨団扇をさして、ここまでさし入る日あたりに、眼鏡を掛けて継物をしている。外に姉さんも何も居ない、盛の頃は本家から、女中料理人を引率して新宿停車場前の池田屋という飲食店が夫婦づれ乗込むので、独身の便ないお幾婆さんは、その縁続きのものとか、留守番を兼ねて後生のほどを行い澄すという趣。  判事に浮世ばなしを促されたのを機にお幾はふと針の手を留めたが、返事より前に逸疾くその眼鏡を外した、進んで何か言いたいことでもあったと見える、別の吸子に沸った湯をさして、盆に乗せるとそれを持って、前垂の糸屑を払いさま、静に壇を上って、客の前に跪いて、 「お茶を入替えて参りました、召上りまし。」といいながら膝近く躙り寄って差置いた。  判事は欄干について頬を支えていた手を膝に取って、 「おお、それは難有う。」  と婆の目には、もの珍しく見ゆるまで、かかる紳士の優しい容子を心ありげに瞻ったが、 「時に旦那様。」 「むむ、」 「まあ可哀そうだと思召しまし、この間お休み遊ばしました時、ちょっと参りましたあの女でございますが、御串戯ではございましょうが、旦那様も佳い女だな、とおっしゃって下さいましたあのことでございますがね、」  と言いかけてちょっと猶予って、聞く人の顔の色を窺ったのは、こういって客がこのことについて注意をするや否やを見ようとしたので。心にもかけないほどの者ならば話し出して退屈をさせるにも及ばぬことと、年寄だけに気が届いたので、案のごとく判事は聴く耳を立てたのである。 「おお、どうかしたか、本当に容子の佳い女だよ。」 「はい、容子の可い女で。旦那様は都でいらっしゃいます、別にお目にも留りますまいが、私どもの目からはまるでもう弁天様か小町かと見えますほどです。それに深切で優しいおとなしい女でございまして、あれで一枚着飾らせますれば、上つ方のお姫様と申しても宜い位。」        三 「ほほほ、賞めまするに税は立たず、これは柳橋も新橋も御存じでいらっしゃいましょう、旦那様のお前で出まかせなことを失礼な。」  小山判事は苦笑をして、 「串戯をいっては不可ん、私は学生だよ。」 「あら、あんなことをおっしゃって、貴方は何ぞの先生様でいらっしゃいますよ。」 「まあその娘がどうしたというのだ。」と小山は胡坐をどっかりと組直した。  落着いて聞いてくれそうな様子を見て取り、婆さんは嬉しそうに、 「何にいたせ、ちっとでもお心に留っておりますなら可哀そうだと思ってやって下さいまし。こうやってお傍でお話をいたしますのは今日がはじめて。私どもへお休み下さいましたのはたった二度なんでございますけれども、他に誰も居りませず、ちょうどあの娘が来合せました時でよくお顔を存じておりますし、それにこう申してはいかがでございますが、旦那様もあの娘を覚えていらっしゃいますように存じます。これも佳い娘だと思いまする年寄の慾目、人ごとながら自惚でございましょう、それで附かぬことをお話し申しますようではございますけれども旦那様、後生でございます、可哀相だと思ってやって下さりまし。」と繰返してまた言った。かく可哀相だと思ってやれと、色に憂を帯びて同情を求めること三たびであるから、判事は思わず胸が騒いで幽に肉の動くのを覚えた。  向島のうら枯さえ見に行く人もないのに、秋の末の十二社、それはよし、もの好として差措いても、小山にはまだ令室のないこと、並びに今も来る途中、朋友なる給水工場の重役の宅で一盞すすめられて杯の遣取をする内に、娶るべき女房の身分に就いて、忠告と意見とが折合ず、血気の論とたしなめられながらも、耳朶を赤うするまでに、たといいかなるものでも、社会の階級の何種に属する女でも乃公が気に入ったものをという主張をして、華族でも、士族でも、町家の娘でも、令嬢でもたとい小間使でもと言ったことをここに断っておかねばならぬ。  何かしら絆が搦んでいるらしい、判事は、いずれ不祥のことと胸を──色も変ったよう、 「どうかしたのかい、」と少しせき込んだが、いう言葉に力が入った。 「煩っておりますので、」 「何、煩って、」 「はい、煩っておりますのでございますが。……」 「良い医者にかけなけりゃ不可んよ。どんな病気だ、ここいらは田舎だから、」とつい通の人のただ口さきを合せる一応の挨拶のごときものではない。  婆さんも張合のあることと思入った形で、 「折入って旦那様に聞いてやって頂きたいので、委しく申上げませんと解りません、お可煩くなりましたら、面倒だとおっしゃって下さりまし、直ぐとお茶にいたしてしまいまする。  あの娘は阿米といいましてちょうど十八になりますが、親なしで、昨年の春まで麹町十五丁目辺で、旦那様、榎のお医者といって評判の漢方の先生、それが伯父御に当ります、その邸で世話になって育ちましたそうでございます。  門の屋根を突貫いた榎の大木が、大層名高いのでございますが、お医者はどういたしてかちっとも流行らないのでございましたッて。」        四 「流行りません癖に因果と貴方ね、」と口もやや馴々しゅう、 「お米の容色がまた評判でございまして、別嬪のお医者、榎の先生と、番町辺、津の守坂下あたりまでも皆が言囃しましたけれども、一向にかかります病人がございません。  先生には奥様と男のお児が二人、姪のお米、外見を張るだけに女中も居ようというのですもの、お苦しかろうではございませんか。  そこで、茨城の方の田舎とやらに病院を建てた人が、もっともらしい御容子を取柄に副院長にという話がありましたそうで、早速家中それへ引越すことになりますと、お米さんでございます。  世帯を片づけついでに、古い箪笥の一棹も工面をするからどちらへか片附いたらと、体の可いまあ厄介払に、その話がありましたが、あの娘も全く縁附く気はございませず、親身といっては他になし、山の奥へでも一所にといいたい処を、それは遣繰の様子も知っておりますことなり、まだ嫁入はいたしたくございません、我儘を申しますようで恐入りますけれども、奉公がしとうございますと、まあこういうので。  伯父御の方はどのみち足手まといさえなくなれば可いのでございますよ、売れば五両にもなる箪笥だってお米につけないですむことですから、二ツ返事で呑込みました。  あの容色で家の仇名にさえなった娘を、親身を突放したと思えば薄情でございますが、切ない中を当節柄、かえってお堅い潔白なことではございませんかね、旦那様。  漢方の先生だけに仕込んだ行儀もございます。ちょうど可い口があって住込みましたのが、唯今居りまする、ついこの先のお邸で、お米は小間使をして、それから手が利きますので、お針もしておりますのでございますよ。」 「誰の邸だね。」 「はい、沢井さんといって旦那様は台湾のお役人だそうで、始終あっちへお詰め遊ばす、お留守は奥様、お老人はございませんが、余程の御大身だと申すことで、奉公人も他に大勢、男衆も居ります。お嬢様がお一方、お米さんが附きましてはちょいちょいこの池の緋鯉や目高に麩を遣りにいらっしゃいますが、ここらの者はみんな姫様々々と申しますよ。  奥様のお顔も存じております、私がついお米と馴染になりましたので、お邸の前を通りますれば折節お台所口へ寄りましては顔を見て帰りますが、お米の方でも私どものようなものを、どう間違えたかお婆さんお婆さんと、一体人懐いのにまた格別に慕ってくれますので、どうやら他人とは思えません。」  婆さんはこの時、滝登の懸物、柱かけの生花、月並の発句を書きつけた額などを静に眗したから、判事も釣込まれてなぜとはなくあたりを眺めた。  向直って顔を見合せ、 「この家は旦那様、停車場前に旅籠屋をいたしております、甥のものでも私はまあその厄介でございます。夏この滝の繁昌な時分はかえって貴方、邪魔もので本宅の方へ参っております、秋からはこうやって棄てられたも同然、私も姨捨山に居ります気で巣守をしますのでざいましてね、いいえ、愚痴なことを申上げますのではございませんが、お米もそこを不便だと思ってくれますか、間を見てはちょこちょこと駆けて来て、袂からだの、小風呂敷からだの、好なものを出して養ってくれます深切さ、」としめやかに語って、老の目は早や涙。        五  密と、筒袖になっている襦袢の端で目を拭い、 「それでございますから一日でも顔を見ませんと寂しくってなりません、そういうことになってみますると、役者だって贔屓なのには可い役がさしてみとうございましょう、立派な服装がさせてみとうございましょう。ああ、叶屋の二階で田之助を呼んだ時、その男衆にやった一包の祝儀があったら、あのいじらしい娘に褄の揃ったのが着せられましょうものなぞと、愚痴も出ます。唯今の姿を罰だと思って罪滅しに懺悔ばなしもいいまする。私もこう申してはお恥かしゅうございますが、昔からこうばかりでもございません、それもこれも皆なり行だと断念めましても、断念められませんのはお米の身の上。  二三日顔を見せませんから案じられます、逢いとうはございます、辛抱がし切れませんでちょっと沢井様のお勝手へ伺いますと、何貴方、お米は無事で、奥様も珍しいほど御機嫌のいい処、竹屋の婆さんが来たが、米や、こちらへお通し、とおっしゃると、あの娘もいそいそ、連れられて上りました。このごろ客が立て込んだが、今日は誰も来ず、天気は可し、早咲の菊を見ながらちょうどお八ツ時分と、お茶お菓子を下さいまして、私風情へいろいろと浮世話。  お米も嬉しそうに傍についていてくれますなり、私はまるで貴方、嫁にやった先の姑に里の親が優しくされますような気で、ほくほくものでおりました。  何、米にかねがね聞いている、婆さんお前は心懸の良いものだというから、滅多に人にも話されない事だけれども、見せて上げよう。黄金が肌に着いていると、霧が身のまわり六尺だけは除けるとまでいうのだよ、とおっしゃってね。  貴方五百円。  台湾の旦那から送って来て、ちょうどその朝銀行で請取っておいでなすったという、ズッシリと重いのが百円ずつで都合五枚。  お手箪笥の抽斗から厚紙に包んだのをお出しなすって、私に頂かして下さいました。  両手に据えて拝見をいたしましたが、何と申上げようもございませぬ。ただへいへいと申上げますと、どうだね、近頃出来たばかり、年号も今年のだよ、そういうのは昔だって見た事はあるまい、また見ようたって見せられないのだから、ゆっくり御覧、正直な年寄だというから内証で拝ませるのだよ。米や茶をさしておやり、と莞爾ついておいで遊ばす。へへ、」と婆さんは薄笑をした。  判事は眉を顰めたのである、片腹痛さもかくのごときは沢山あるまい。  婆さんは額の皺を手で擦り、 「はや実にお情深い、もっとも赤十字とやらのお顔利と申すこと、丸顔で、小造に、肥っておいで遊ばす、血の気の多い方、髪をいつも西洋風にお結びなすって、貴方、その時なんぞは銀行からお帰り匇々と見えまして、白襟で小紋のお召を二枚も襲ねていらっしゃいまして、早口で弁舌の爽な、ちょこまかにあれこれあれこれ、始終小刻に体を動かし通し、気の働のあらっしゃるのは格別でございます、旦那様。」と上目づかい。  判事は黙ってうなずいた。  婆さんは唾をのんで、 「お米はいつもお情ない方だとばかり申しますが、それは貴方、女中達の箸の上げおろしにも、いやああだのこうだのとおっしゃるのも、欲いだけ食べて胃袋を悪くしないようにという御深切でございましょうけれども、私は胃袋へ入ることよりは、腑に落ちぬことがあるでございますよ。」        六 「昨年のことで、妙にまたいとこはとこが搦みますが、これから新宿の汽車や大久保、板橋を越しまして、赤羽へ参ります、赤羽の停車場から四人詰ばかりの小さい馬車が往復しまする。岩淵の渡場手前に、姉の忰が、女房持で水呑百姓をいたしておりまして、しがない身上ではありまするけれど、気立の可い深切ものでございますから、私も当にはしないで心頼りと思うております。それへ久しぶりで不沙汰見舞に参りますと、狭い処へ一晩泊めてくれまして、翌日おひる過ぎ帰りがけに、貴方、納屋のわきにございます、柿を取って、土産を持って行きました風呂敷にそれを包んで、おばさん、詰らねえものを重くッても、持って行ッとくんなせえ。そのかわり私が志で、ここへわざと端銭をこう勘定して置きます、これでどうぞ腰の痛くねえ汽車の中等へ乗って、と割って出しましただけに心持が嬉しゅうございましょう。勿体ないがそれでは乗ろうよ。ああ、おばさん御機嫌ようと、女房も深切な。  二人とも野良へ出がけ、それではお見送はしませんからと、跣足のまま並んで門へ立って見ております。岩淵から引返して停車場へ来ますと、やがて新宿行のを売出します、それからこの服装で気恥かしくもなく、切符を買ったのでございますが、一等二等は売出す口も違いますね、旦那様。  人ごみの処をおしもおされもせず、これも夫婦の深切と、嬉しいにつけて気が勇みますので、臆面もなく別の待合へ入りましたが、誰も居りません、あすこはまた一倍立派でございますね、西洋の緞子みたような綾で張詰めました、腰をかけますとふわりと沈んで、爪尖がポンとこう、」  婆さんは手を揃えて横の方で軽く払き、 「刎上りますようなのに控え込んで、どうまた度胸が据りましたものか澄しております処へ、ばらばらと貴方、四五人入っておいでなすったのが、その沢井様の奥様の御同勢でございまして。  いきなり卓子の上へショオルだの、信玄袋だのがどさどさと並びますと、連の若い男の方が鉄砲をどしりとお乗せなすった。銃口が私の胸の処へ向きましたものでございますから、飛上って旦那様、目もくらみながらお辞儀をいたしますると、奥様のお声で、  おやお婆さん、ここは上等の待合室なんだよ、とどうでしょう……こうでございます。  人の胃袋の加減や腹工合はどうであろうと、私が腑に落ちないと申しますのはここなんでございますが、その時はただもう冷汗びッしょり、穴へでも入りたい気になりまして、しおしお片隅の氷のような腰掛へ下りました。  後馳せにつかつかと小走に入りましたのが、やっぱりお供の中だったと見えまする、あのお米で。  卓子を取巻きまして御一家がずらりと、お米が姫様と向う正面にあいている自分の坐る処へ坐らないで、おや、あなたあいておりますよ、もし、こちらへお懸けなさいましな、冷えますから、と旦那様。」  婆さんはまた涙含んで、 「袂から出した手巾を、何とそのまあ結構な椅子に掴りながら、人込の塵埃もあろうと払いてくれましたろうではございませんか、私が、あの娘に知己になりましたのはその時でございました。」  待て、判事がお米を見たのもまたそれがはじめてであった。        七  婆さんは過日己が茶店にこの紳士の休んだ折、不意にお米が来合せたことばかりを知っているが──知らずやその時、同一赤羽の停車場に、沢井の一行が卓子を輪に囲んだのを、遠く離れ、帽子を目深に、外套の襟を立てて、件の紫の煙を吹きながら、目ばかり出したその清い目で、一場の光景を屹と瞻っていたことを。──されば婆さんは今その事について何にも言わなかったが、実はこの媼、お米に椅子を払って招じられると、帯の間からぬいと青切符をわざとらしく抜出して手に持ちながら、勿体ない私風情がといいいい貴夫人の一行をじろりと眗し、躙り寄って、お米が背後に立った前の処、すなわち旧の椅子に直って、そして手を合せて小間使を拝んだので、一行が白け渡ったのまで見て知っている位であるから、この間のこの茶店における会合は、娘と婆さんとには不意に顔の合っただけであるけれども、判事に取っては蓋し不思議のめぐりあいであった。  かく停車場にお幾が演じた喜劇を知っている判事には、婆さんの昔の栄華も、俳優を茶屋の二階へ呼びなどしたことのある様子も、この寂寞の境に堪え得て一人で秋冬を送るのも、全体を通じて思い合さるる事ばかりであるが、可し、それもこれも判事がお米に対する心の秘密とともに胸に秘めて何事も謂わず、ただ憂慮わしいのは女の身の上、聞きたいのは婆が金貨を頂かせられて、── 「それから、お前がその金子を見せてもらうと、」  促して尋ねると、意外千万、 「そのお金が五百円、その晩お手箪笥の抽斗から出してお使いなさろうとするとすっかり紛失をしていたのでございます、」と句切って、判事の顔を見て婆さんは溜息を吐いたが、小山も驚いたのである。  赤羽停車場の婆さんの挙動と金貨を頂かせた奥方の所為とは不言不語の内に線を引いてそれがお米の身に結ばれるというような事でもあるだろうと、聞きながら推したに、五百円が失せたというのは思いがけない極であった。 「ええ、すっかり紛失?」と判事も屹と目を瞠ったが、この人々はその意気において、五という数が、百となって、円とあるのに慌てるような風ではない。 「まあどうしたというのでございますか、抽斗にお了いなすったのは私もその時見ておりましたのに、こりゃ聞いてさえ吃驚いたしますものお邸では大騒ぎ。女などは髪切の化物が飛び込んだように上を下、くるくる舞うやらぶつかるやら、お米なども蒼くなって飛んで参って、私にその話をして行きましたっけ。  さあ二日経っても三日経っても解りますまい、貴夫人とも謂われるものが、内からも外からも自分の家のことに就いて罪人は出したくないとおっしゃって、表沙汰にはなりませんが、とにかく、不取締でございますから、旦那に申訳がないとのことで大層御心配、お見舞に伺いまする出入のものに、纔ばかりだけれども纔ばかりだけれどもと念をお入れなすっちゃあ、その御吹聴で。  そういたしますとね、日頃お出入の大八百屋の亭主で佐助と申しまして、平生は奉公人大勢に荷を担がせて廻らせて、自分は帳場に坐っていて四ツ谷切って手広く行っておりまするのが、わざわざお邸へ出て参りまして、奥様に勧めました。さあこれが旦那様、目黒、堀ノ内、渋谷、大久保、この目黒辺をかけて徘徊をいたします、真夜中には誰とも知らず空のものと談話をしますという、鼻の大きな、爺の化精でございまして。」        八 「旦那様、この辺をお通り遊ばしたことがございますなら、田舎道などでお見懸けなさりはしませんか。もし、御覧じましたら、ただ鼻とこう申せば、お分りになりますでございましょう。」  判事はちょっと口を挟んで、 「鼻、何鼻の大きい老人、」 「御覧じゃりましたかね。」 「むむ、過日来る時奇代な人間が居ると思ったが、それか。」 「それでございますとも。」 「お待ち、ちょうどあすこだ、」と判事は胸を斜めに振返って、欄干に肱を懸けると、滝の下道が三ツばかり畝って葉の蔭に入る一叢の藪を指した。 「あの藪を出て、少し行った路傍の日当の可い処に植木屋の木戸とも思うのがある。」 「はい、植吉でございます。」 「そうか、その木戸の前に、どこか四ツ谷辺の縁日へでも持出すと見えて、女郎花だの、桔梗、竜胆だの、何、大したものはない、ほんの草物ばかり、それはそれは綺麗に咲いたのを積んだまま置いてあった。  私はこう下を向いて来かかったが、目の前をちょろちょろと小蛇が一条、彼岸過だったに、ぽかぽか暖かったせいか、植木屋の生垣の下から道を横に切って畠の草の中へ入った。大嫌だから身震をして立留ったが、また歩行き出そうとして見ると、蛇よりもっとお前心持の悪いものが居たろうではないか。  それが爺よ。  綿を厚く入れた薄汚れた棒縞の広袖を着て、日に向けて背を円くしていたが、なりの低い事。草色の股引を穿いて藁草履で立っている、顔が荷車の上あたり、顔といえば顔だが、成程鼻といえば鼻が。」 「でございましょうね、旦那様。」 「高いんじゃあないな、あれは希代だ。一体馬面で顔も胴位あろう、白い髯が針を刻んでなすりつけたように生えている、頤といったら臍の下に届いて、その腮の処まで垂下って、口へ押冠さった鼻の尖はぜんまいのように巻いているじゃあないか。薄紅く色がついてその癖筋が通っちゃあいないな。目はしょぼしょぼして眉が薄い、腰が曲って大儀そうに、船頭が持つ櫂のような握太な、短い杖をな、唇へあてて手をその上へ重ねて、あれじゃあ持重りがするだろう、鼻を乗せて、気だるそうな、退屈らしい、呼吸づかいも切なそうで、病後り見たような、およそ何だ、身体中の精分が不残集って熟したような鼻ッつきだ。そして背を屈めて立った処は、鴻の鳥が寝ているとしか思われぬ。」 「ええ、もう傘のお化がとんぼを切った形なんでございますよ。」 「芬とえた村へ入ったような臭がする、その爺、余り日南ぼッこを仕過ぎて逆上せたと思われる、大きな真鍮の耳掻を持って、片手で鼻に杖をついたなり、馬面を据えておいて、耳の穴を掻きはじめた。」 「あれは癖でございまして、どんな時でも耳掻を放しましたことはないのでございます。」 「余り希代だから、はてな、これは植木屋の荷じゃあなくッて、どこへか小屋がけをする飾につかう鉢物で、この爺は見世物の種かしらん、といやな香を手でおさえて見ていると、爺がな、クックックッといい出した。  恐しい鼻呼吸じゃあないか、荷車に積んだ植木鉢の中に突込むようにして桔梗を嗅ぐのよ。  風流気はないが秋草が可哀そうで見ていられない。私は見返もしないで、さっさとこっちへ通抜けて来たんだが、何だあれは。」といいながらも判事は眉根を寄せたのである。 「お聞きなさいまし旦那様、その爺のためにお米が飛んだことになりました。」        九 「まずあれは易者なんで、佐助めが奥様に勧めましたのでございます、鼻は卜をいたします。」 「卜を。」 「はい、卜をいたしますが、旦那様、あの筮竹を読んで算木を並べます、ああいうのではございません。二三度何とかいう新聞にも大騒ぎを遣って書きました。耶蘇の方でむずかしい、予言者とか何とか申しますとのこと、やっぱり活如来様が千年のあとまでお見通しで、あれはああ、これはこうと御存じでいらっしゃるといったようなものでございますとさ。」  真顔で言うのを聞きながら、判事は二ツばかり握拳を横にして火鉢の縁を軽く圧えて、確めるがごとく、 「あの鼻が、活如来?」 「いいえ、その新聞には予言者、どういうことか私には解りませんが、そう申して出しましたそうで。何しろ貴方、先の二十七年八年の日清戦争の時なんざ、はじめからしまいまで、昨日はどこそこの城が取れた、今日は可恐しい軍艦を沈めた、明日は雪の中で大戦がある、もっともこっちがたが勝じゃ喜びなさい、いや、あと二三ヶ月で鎮るが、やがて台湾が日本のものになるなどと、一々申す事がみんな中りまして、号外より前に整然と心得ているくらいは愚な事。ああ今頃は清軍の地雷火を犬が嗅ぎつけて前足で掘出しているわの、あれ、見さい、軍艦の帆柱へ鷹が留った、めでたいと、何とその戦に支那へ行っておいでなさるお方々の、親子でも奥様でも夢にも解らぬことを手に取るように知っていたという吹聴ではございませんか。  それも道理、その老人は、年紀十八九の時分から一時、この世の中から行方が知れなくなって、今までの間、甲州の山続き白雲という峰に閉籠って、人足の絶えた処で、行い澄して、影も形もないものと自由自在に談が出来るようになった、実に希代な予言者だと、その山の形容などというものはまるで大薩摩のように書きました。  その鼻があの爺なんでございましてね。  はい、いえ、さようでございます、旦那様も新聞で御存じでも、あの爺のこととは思召しますまいよ。ちっとも鼻の大きなことは書いてないのだそうでございますから。  もっとも鐘馗様がお笑い遊ばしちゃあ、鬼が恐がりはいたしますまい、私どもが申せば活如来、新聞屋さんがおっしゃればその予言者、活如来様や予言者殿の、その鼻ッつきがああだとあっては、根ッから難有味がございませんもの、売ものに咲いた花でございましょう。  その癖雲霧が立籠めて、昼も真暗だといいました、甲州街道のその峰と申しますのが、今でも爺さんが時々お籠をするという庵がございますって。そこは貴方、府中の鎮守様の裏手でございまして、手が届きそうな小さな丘なんでございますよ。もっとも何千年の昔から人足の絶えた処には違いございません、何蕨でも生えてりゃ小児が取りに入りましょうけれども、御覧じゃりまし、お茶の水の向うの崖だって仙台様お堀割の昔から誰も足踏をした者はございませんや。日蔭はどこだって朝から暗うございまする、どうせあんな萌の糸瓜のような大きな鼻の生えます処でございますもの、うっかり入ろうものなら、蚯蚓の天上するのに出ッくわして、目をまわしませんければなりますまいではございませんか。」と、何か激したことのあるらしく婆さんはまくしかけた。        十  一息つき言葉をつぎ、 「第一、その日清戦争のことを見透して、何か自分が山の祠の扉を開けて、神様のお馬の轡を取って、跣足で宙を駈出して、旅順口にわたりゃあお手伝でもして来たように申しますが、ちっとも戦のあった最中に、そんなことが解ったのではございません。ようよう一昨年から去年あたりへかけて騒ぎ出したのでございますもの、疑ってみました日には、当になりはいたしません。しかしまあ何でございますね、前触が皆勝つことばかりでそれが事実なんですから結構で、私などもその話を聞きました当座は、もうもう貴方。」  と黙って聞いていた判事に強請るがごとく、 「お可煩くはいらっしゃいませんか、」 「悉しく聞こうよ。」  判事は倦める色もあらず、お幾はいそいそして、 「ええどうぞ。条を申しませんと解りません。私どもは以前、ただ戦争のことにつきましてあれが御祈祷をしたり、お籠、断食などをしたという事を聞きました時は、難有い人だと思いまして、あんな鼻附でも何となく尊いもののように存じましたけれども、今度のお米のことで、すっかり敵対になりまして、憎らしくッて、癪に障ってならないのでございます。  あんなもののいうことが当になんぞなりますものか。卜もくだらないもあったもんじゃあございません。  でございますが、難有味はなくッても信仰はしませんでも、厭な奴は厭な奴で、私がこう悪口を申しますのを、形は見えませんでもどこかで聞いていて、仇をしやしまいかと思いますほど、気味の悪い爺なんでございまして、」  といいながら日暮際のぱっと明い、艶のないぼやけた下なる納戸に、自分が座の、人なき薄汚れた座蒲団のあたりを見て、婆さんは後見らるる風情であったが、声を低うし、 「全体あの爺は甲州街道で、小商人、煮売屋ともつかず、茶屋ともつかず、駄菓子だの、柿だの饅頭だのを商いまする内の隠居でございまして、私ども子供の内から親どもの話に聞いておりましたが、何でも十六七の小僧の時分、神隠しか、攫われたか、行方知れずになったんですって。見えなくなった日を命日にしている位でございましたそうですが、七年ばかり経ちましてから、ふいと内の者に姿を見せたと申しますよ。  それもね、旦那様、まともに帰って来たのではありません。破風を開けて顔ばかり出しましたとさ、厭じゃありませんか、正丑の刻だったと申します、」と婆さんは肩をすぼめ、 「しかも降続きました五月雨のことで、攫われて参りましたと同一夜だと申しますが、皺枯れた声をして、 (家中無事か、)といったそうでございますよ。見ると、真暗な破風の間から、ぼやけた鼻が覗いていましょうではございませんか。  皆、手も足も縮んでしまいましたろう、縛りつけられたようになりましたそうでございますが、まだその親が居りました時分、魔道へ入った児でも鼻を嘗めたいほど可愛かったと申しまする。 (忰、まあ、)と父親が寄ろうとしますと、変な声を出して、  寄らっしゃるな、しばらく人間とは交らぬ、と払い退けるようにしてそれから一式の恩返しだといって、その時、饅頭の餡の製し方を教えて、屋根からまた行方が解らなくなったと申しますが、それからはその島屋の饅頭といって街道名代の名物でございます。」        十一 「在り来りの皮は、麁末な麦の香のする田舎饅頭なんですが、その餡の工合がまた格別、何とも申されません旨さ加減、それに幾日置きましても干からびず、味は変りませんのが評判で、売れますこと売れますこと。  近在は申すまでもなく、府中八王子辺までもお土産折詰になりますわ。三鷹村深大寺、桜井、駒返し、結構お茶うけはこれに限る、と東京のお客様にも自慢をするようになりましたでしょう。  三年と五年の中にはめきめきと身上を仕出しまして、家は建て増します、座敷は拵えます、通庭の両方には入込でお客が一杯という勢、とうとう蔵の二戸前も拵えて、初はほんのもう屋台店で渋茶を汲出しておりましたのが俄分限。  七年目に一度顔を見せましてから毎年五月雨のその晩には、きっと一度ずつ破風から覗きまして、 (家中無事か。)おお、厭だ!」と寂しげに笑ってお幾婆さんは身顫をした。 「その中親が亡なって代がかわりました。三人の兄弟で、仁右衛門と申しますあの鼻は、一番の惣領、二番目があとを取ります筈の処、これは厭じゃと家出をして坊さんになりました。  そこで三蔵と申しまする、末が家へ坐りましたが、街道一の家繁昌、どういたして早やただの三蔵じゃあございません、寄合にも上席で、三蔵旦那でございまする。  誰のお庇だ、これも兄者人の御守護のせい何ぞ恩返しを、と神様あつかい、伏拝みましてね、」  と婆さんは掌を合せて見せ、 「一年、やっぱりその五月雨の晩に破風から鼻を出した処で、(何ぞお望のものを)と申上げますと、(ただ据えておけば可い、女房を一人、)とそういったそうでございます。」 「ふむ、」 「まあ、お聞き遊ばせ、こうなんでございますよ。  それから何事を差置いても探しますと、ございました。来るものも一生奉公の気なら、島屋でも飼殺しのつもり、それが年寄でも不具でもございません。 (色の白い、美しいのがいいいい。)  と異な声で、破風口から食好みを遊ばすので、十八になるのを伴れて参りました、一番目の嫁様は来た晩から呻いて、泣煩うて貴方、三月日には痩衰えて死んでしまいました。  その次のも時々悲鳴を上げましたそうですが、二年経ってやっぱり骨と皮になって、可哀そうにこれもいけません。  さあ来るものも来るものも、一年たつか二年持つか、五年とこたえたものは居りませんで、九人までなくなったのでございます。  あるに任して金子も出したではございましょうが、よくまあ、世間は広くッて八人の九人のと目鼻のある、手足のある、胴のある、髪の黒い、色の白い女があったものだと思いますのでございますよ。十人目に十三年生きていたという評判の婦人が一人、それは私もあの辺に参りました時、饅頭を買いに寄りましてちょっと見ましたっけ。  大柄な婦人で、鼻筋の通った、佳い容色、少し凄いような風ッつき、乱髪に浅葱の顱巻を〆めまして病人と見えましたが、奥の炉のふちに立膝をしてだらしなく、こう額に長煙管をついて、骨が抜けたように、がっくり俯向いておりましたが。」        十二 「百姓家の納戸の薄暗い中に、毛筋の乱れました頸脚なんざ、雪のようで、それがあの、客だと見て真蒼な顔でこっちを向きましたのを、今でも私は忘れません。可哀そうにそれから二年目にとうとう亡なりましたが、これは府中に居た女郎上りを買って来て置いたのだと申します。  もうその以前から評判が立っておりましたので、山と積まれてからが金子で生命までは売りませんや、誰も島屋の隠居には片づき人がなかったので、どういうものでございますか、その癖、そうやって、嫁が極りましても女房が居ましても、家へ顔を出しますのはやっぱり破風から毎年その月のその日の夜中、ちょうど入梅の真中だと申します、入梅から勘定して隠居が来たあとをちょうど同一ように指を折ると、大抵梅雨あけだと噂があったのでございまして。  実際、おかみさんが出来るようになりましてからも参るのは確に年に一度でございましたが、それとも日に三度ずつも来ましたか、そこどこはたしかなことは解りません。  何にいたしましても、来るものも娶るものも亡くなりましたのは、こりゃ葬式が出ましたから事実なんで。  さあ、どんづまりのその女郎が殺されましてからは、怪我にもゆき人がございません、これはまた無いはずでございましょう。  そうすると一年、二年、三年と、段々店が寂れまして、家も蔵も旧のようではなくなりました。一時は買込んだ田地なども売物に出たとかいう評判でございました。  そうこういたします内に、さよう、一昨年でございましたよ、島屋の隠居が家へ帰ったということを聞きましたのは。それから戦争の祈祷の評判、ひとしきりは女房一件で、饅頭の餡でさえ胸を悪くしたものも、そのお国のために断食をした、お籠をした、千里のさき三年のあとのあとまで見通しだと、人気といっちゃあおかしく聞えますが、また隠居殿の曲った鼻が素直になりまして、新聞にまで出まする騒ぎ。予言者だ、と旦那様、活如来の扱でございましょう。  ああ、やれやれ、家へ帰ってもあの年紀で毎晩々々機織の透見をしたり、糸取場を覗いたり、のそりのそり這うようにして歩行いちゃ、五宿の宿場女郎の張店を両側ね、糸をかがりますように一軒々々格子戸の中へ鼻を突込んじゃあクンクン嗅いで歩行くのを御存じないか、と内々私はちっと聞いたことがございますので、そう思っておりましたが、善くは思いませんばかりでも、お肚のことを嗅ぎつけられて、変な杖でのろわれたら、どんな目に逢おうも知れぬと、薄気味の悪い爺なんでございます。  それが貴方、以前からお米を貴方。」  と少し言渋りながら、 「跟けつ廻しつしているのでございます。」と思切った風でいったのである。 「何、お米を、あれが、」と判事は口早にいって、膝を立てた。 「いいえ、あの、これと定ったこともございません、ございませんようなものの、ふらふら堀ノ内様の近辺、五宿あたり、夜更でも行きあたりばったりにうろついて、この辺へはめったに寄りつきませなんだのが、沢井様へお米が参りまして、ここでもまた、容色が評判になりました時分から、藪からでも垣からでも、ひょいと出ちゃああの女の行くさきを跟けるのでございます。薄ぼんやりどこにかあの爺が立ってるのを見つけましたものが、もしその歩き出しますのを待っておりますれば、きっとお米の姿が道に見えると申したようなわけでございまして。」        十三 「おなじ奉公人どもが、たださえ口の悪い処へ、大事出来のように言い囃して、からかい半分、お米さんは神様のお気に入った、いまに緋の袴をお穿きだよ、なんてね。  まさかに気があろうなどとは、怪我にも思うのじゃございますまいが、串戯をいわれるばかりでも、癩病の呼吸を吹懸けられますように、あの女も弱り切っておりましたそうですが。  つい事の起ります少し前でございました、沢井様の裏庭に夕顔の花が咲いた時分だと申しますから、まだ浴衣を着ておりますほどのこと。  急ぎの仕立物がございましたかして、お米が裏庭に向きました部屋で針仕事をしていたのでございます。  まだ明も点けません、晩方、直きその夕顔の咲いております垣根のわきがあらい格子。手許が暗くなりましたので、袖が触りますばかりに、格子の処へ寄って、縫物をしておりますと、外は見通しの畠、畦道を馬も百姓も、往ったり、来たりします処、どこで見当をつけましたものか、あの爺のそのそ嗅ぎつけて参りましてね、蚊遣の煙がどことなく立ち渡ります中を、段々近くへ寄って来て、格子へつかまって例の通り、鼻の下へつッかい棒の杖をついて休みながら、ぬっとあのふやけた色づいて薄赤い、てらてらする鼻の尖を突き出して、お米の横顔の処を嗅ぎ出したのでございますと。  もうもう五宿の女郎の、油、白粉、襟垢の香まで嗅いで嗅いで嗅ぎためて、ものの匂で重量がついているのでございますもの、夢中だって気勢が知れます。  それが貴方、明前へ、突立ってるのじゃあございません、脊伸をしてからが大概人の蹲みます位なんで、高慢な、澄した今産れて来て、娑婆の風に吹かれたという顔色で、黙って、噯をしちゃあ、クンクン、クンクン小さな法螺の貝ほどには鳴したのでございます。  麹室の中へ縛られたような何ともいわれぬ厭な気持で、しばらくは我慢をもしましたそうな。  お米が気の弱い臆病ものの癖に、ちょっと癇持で、気に障ると直きつむりが疼み出すという風なんですから堪りませんや。  それでもあの爺の、むかしむかしを存じておりますれば、劫経た私どもでさえ、向面へ廻しちゃあ気味の悪い、人間には籍のないような爺、目を塞いで逃げますまでも、強いことなんぞ謂われたものではございませんが、そこはあの女は近頃こちらへ参りましたなり、破風口から、=無事か=の一件なんざ、夢にも知りませず、また沢井様などでも誰もそんなことは存じません。  串戯にも、つけまわしている様子を、そんな事でも聞かせましたら、夜が寝られぬほど心持を悪くするだろうと思いますから、私もうっかりしゃべりませんでございますから、あの女はただ汚い変な乞食、親仁、あてにならぬ卜者を、愚痴無智の者が獣を拝む位な信心をしているとばかり承知をいたしておりましたので、 (不可ませんよ、不可ませんよ、)といっても、ぬッとしてクンクン。 (お前はうるさいね、)と手にしていた針の尖、指環に耳を突立てながら、ちょいと鼻頭を突いたそうでございます、はい。」  といって婆さんは更まった。        十四 「洋犬の妾になるだろうと謂われるほど、その緋の袴でなぶられるのを汚わしがっていた、処女気で、思切ったことをしたもので、それで胸がすっきりしたといつか私に話しましたっけ。  気味を悪がらせまいとは申しませんでしたが、ああこの女は飛んだことをおしだ、外のものとは違ってあのけたい親仁。  蝮の首を焼火箸で突いたほどの祟はあるだろう、と腹じゃあ慄然いたしまして、爺はどうしたと聞きましたら、 (いいえ、やっぱりむずむずしてどこかへ行ってしまいました、それッきり、さっぱり見かけないんですよ。)と手柄顔に、お米は胸がすいたように申しましたが。  なるほど、その後はしばらくこの辺へは立廻りません様子。しばらく影を見ませんから、それじゃあそれなりになったかしら。帳消しにはなるまいと思いながら、一日ましに私もちっとは気がかりも薄らぎました。  そういたしますと今度の事、飛んでもない、旦那様、五百円紛失の一件で、前申しました沢井様へ出入の大八百屋が、あるじ自分で罷出ましてさ、お金子の行方を、一番、是非、だまされたと思って仁右衛門にみておもらいなさいまし、とたって、勧めたのでございますよ。  どうして礼なんぞ遣っては腹を立って祟をします、ただ人助けに仕りますることで、好でお籠をして影も形もない者から聞いて来るのでございます、と悪気のない男ですが、とかく世話好の、何でも四文とのみ込んで差出たがる親仁なんで、まめだって申上げたものですから、仕事はなし、新聞は五種も見ていらっしゃる沢井の奥様。  内々その予言者だとかいうことを御存じなり、外に当はつかず、旁々それでは、と早速爺をお頼み遊ばすことになりました。  府中の白雲山の庵室へ、佐助がお使者に立ったとやら。一日措いて沢井様へ参りましたそうでございます。そしてこれはお米から聞いた話ではございません、爺をお招きになりましたことなんぞ、私はちっとも存じないでおりますと、ちょうどその卜を立てた日の晩方でございます。  旦那様、貴下が桔梗の花を嗅いでる処を御覧じゃりましたという、吉さんという植木屋の女房でございます。小体な暮しで共稼ぎ、使歩行やら草取やらに雇われて参るのが、稼の帰と見えまして、手甲脚絆で、貴方、鎌を提げましたなり、ちょこちょこと寄りまして、 (お婆さん今日は不思議なことがありました。沢井様の草刈に頼まれて朝疾くからあちらへ上って働いておりますと、五百円のありかを卜うのだといって、仁右衛門爺さんが、八時頃に遣って来て、お金子が紛失したというお居室へ入って、それから御祈祷がはじまるということ、手を休めてお庭からその一室の方を見ておりました。何をしたか分りません、障子襖は閉切ってございましたっけ、ものの小半時経ったと思うと、見ていた私は吃驚して、地震だ地震だ、と極の悪い大声を立てましたわ、何の事はない、お居間の瓦屋根が、波を打って揺れましたもの、それがまた目まぐるしく大揺れに揺れて、そのままひッそり静まりましたから、縁側の処へ駆けつけて、ちょうど出て参りましたお勢さんという女中に、酷い地震でございましたね、と謂いますとね、けげんな顔をして、へい、と謂ったッきり、気もないことなんで、奇代で奇代で。)とこう申すんでございましょう。」        十五 「いかにも私だって地震があったとは思いません、その朝は、」  と婆さんは振返って、やや日脚の遠退いた座を立って、程過ぎて秋の暮方の冷たそうな座蒲団を見遣りながら、 「ねえ、旦那様、あすこに坐っておりましたが、風立ちもいたしませず、障子に音もございません、穏かな日なんですもの。 (変じゃあないか、女房さん、それはまたどうした訳だろう、) (それが御祈祷をした仁右衛門爺さんの奇特でございます。沢井様でも誰も地震などと思った方はないのでして、ただ草を刈っておりました私の目にばかりお居間の揺れるのが見えたのでございます。大方神様がお寄んなすった験なんでございましょうよ。案の定、お前さん、ちょうど祈祷の最中、思い合してみますれば、瓦が揺れたのを見ましたのとおなじ時、次のお座敷で、そのお勢というのに手伝って、床の間の柱に、友染の襷がけで艶雑巾をかけていたお米という小間使が、ふっと掛花活の下で手を留めて、活けてありました秋草をじっと見ながら、顔を紅のようにしたということですよ。何か打合せがあって、密と目をつけていたものでもあると見えます。お米はそのまんま、手が震えて、足がふらついて、わなわなして、急に熱でも出たように、部屋へ下って臥りましたそうな。お昼過からは早や、お邸中寄ると触ると、ひそひそ話。  高い声では謂われぬことだが、お金子の行先はちゃんと分った。しかし手証を見ぬことだから、膝下へ呼び出して、長煙草で打擲いて、吐させる数ではなし、もともと念晴しだけのこと、縄着は邸内から出すまいという奥様の思召し、また爺さんの方でも、神業で、当人が分ってからが、表沙汰にはしてもらいたくないと、約束をしてかかった祈なんだそうだから僥倖さ。しかし太い了簡だ、あの細い胴中を、鎖で繋がれる様が見たいと、女中達がいっておりました。ほんとうに女形が鬘をつけて出たような顔色をしていながら、お米と謂うのは大変なものじゃあございませんか、悪党でもずっと四天で出る方だね、私どもは聞いてさえ五百円!)とその植木屋の女房が饒舌りました饒舌りました。  旦那様もし貴方、何とお聞き遊ばして下さいますえ。」  判事は右手のさきで、左の腕を洋服の袖の上からしっかとおさえて、屹とお幾の顔を見た。 「どう思召して下さいます、私は口が利けません、いいわけをするのさえ残念で堪りませんから碌に返事もしないでおりますと、灯をつけるとって、植吉の女房はあたふた帰ってしまいました。何も悪気のある人ではなし、私とお米との仲を知ってるわけもないのでございますから、驚かして慰むにも当りません、お米は何にも知らないにしましても、いっただけのことはその日ありましたに違いないのでございますもの。  私は寝られはいたしません。  帰命頂来! お米が盗んだとしますれば、私はその五百円が紛失したといいまする日に、耳を揃えて頂かされたのでございます。  どんな顔をされまいものでもないと、口惜さは口惜し、憎らしさは憎らし、もうもう掴みついて引挘ってやりたいような沢井の家の人の顔を見て、お米に逢いたいと申して出ました。」        十六 「それも、行こうか行くまいかと、気を揉んで揉抜いた揚句、どうも堪らなくなりまして思切って伺いましたので。  心からでございましょう、誰の挨拶もけんもほろろに聞えましたけれども、それはもうお米に疑がかかったなんぞとは、噯にも出しませんで、逢って帰れ! と部屋へ通されましてございます。  それでも生命はあったか、と世を隔てたものにでも逢いますような心持。いきなり縋り寄って、寝ている夜具の袖へ手をかけますと、密と目をあいて私の顔を見ましたっけ、三日四日が間にめっきりやつれてしまいました、顔を見ますと二人とも声よりは前へ涙なんでございます。  物もいわないで、あの女が前髪のこわれた額際まで、天鵞絨の襟を引かぶったきり、ふるえて泣いてるのでございましょう。  ようよう口を利かせますまでには、大概骨が折れた事じゃアありません。  口説いたり、すかしたり、怨んでみたり、叱ったり、いろいろにいたして訳を聞きますると、申訳をするまでもない、お金子に手もつけはしませんが、験のある祈をされて、居ても立ってもいられなくなったことがある。  それは⁈  やっぱりお金子の事で、私は飛んだ心得違いをいたしました、もうどうしましょう。もとよりお金子は数さえ存じません位ですが、心では誠に済まないことをしましたので、神様、仏様にはどんな御罰を蒙るか知れません。  憎らしい鼻の爺は、それはそれは空恐ろしいほど、私の心の内を見抜いていて、日に幾たびとなく枕許へ参っては、 (女、罪のないことは私がよう知っている、じゃが、心に済まぬ事があろう、私を頼め、助けてやる、)と、つけつまわしつ謂うのだそうで。  お米は舌を食い切っても爺の膝を抱くのは、厭と冠をふり廻すと申すこと。それは私も同一だけれども、罪のないものが何を恐がって、煩うということがあるものか。済まないというのは一体どんな事と、すかしても、口説いても、それは問わないで下さいましと、強いていえば震えます、頼むようにすりゃ泣きますね、調子もかわって目の色も穏でないようでございましたが、仕方がございません。で、しおしおその日は帰りまして、一杯になる胸を掻破りたいほど、私が案ずるよりあの女の容体は一倍で、とうとう貴方、前後が分らず、厭なことを口走りまして、時々、それ巡査さんが捕まえる、きゃっといって刎起きたり、目を見据えましては、うっとりしていて、ああ、真暗だこと、牢へ入れられたと申しちゃあ泣くようになりました。そんな容子で、一日々々、このごろでは目もあてられませんように弱りまして、ろくろく湯水も通しません。  何か、いろんな恐しいものが寄って集って苛みますような塩梅、爺にさえ縋って頼めば、またお日様が拝まれようと、自分の口からも気の確な時は申しながら、それは殺されても厭だといいまする。  神でも仏でも、尊い手をお延ばし下すって、早く引上げてやって頂かねば、見る中にも砂一粒ずつ地の下へ崩れてお米は貴方、旦那様。  奈落の底までも落ちて参りますような様子なのでございます。その上意地悪く、鼻めが沢井様へ入り込みますこと、毎日のよう。奥様はその祈の時からすっかり御信心をなすったそうで、畳の上へも一件の杖をおつかせなさいますお扱い、それでお米の枕許をことことと叩いちゃあ、 (気分はどうじゃ、)といいますそうな。」        十七  お幾は年紀の功だけに、身を震わさないばかりであったが、 「いえ、もう下らないこと、くどくど申上げまして、よくお聞き遊ばして下さいました。昔ものの口不調法、随分御退屈をなすったでございましょう。他に相談相手といってはなし、交番へ届けまして助けて頂きますわけのものではなし、また親類のものでも知己でも、私が話を聞いてくれそうなものには謂いました処で思遣にも何にもなるものじゃあございません、旦那様が聞いて下さいましたので、私は半分だけ、荷を下しましたように存じます。その御深切だけで、もう沢山なのでございますが、欲には旦那様何とか御判断下さいますわけには参りませんか。  こんな事を申しましてお聞上げ……どころか、もしお気に障りましては恐入りますけれども、一度旦那様をお見上げ申しましてからの、お米の心は私がよく存じております。囈言にも今度のその何か済まないことやらも、旦那様に対してお恥かしいことのようでもございますが、仂ない事を。  飛んだことをいう奴だと思し召しますなら、私だけをお叱り下さいまして、何にも知りませんお米をおさげすみ下さいますなえ。  それにつけ彼につけましても時ならぬこの辺へ、旦那様のお立寄遊ばしたのを、私はお引合せと思いますが、飛んだ因縁だとおあきらめ下さいまして、どうぞ一番一言でも何とか力になりますよう、おっしゃっては下さいませんか。何しろ煩っておりますので、片時でもほッという呼吸をつかせてやりたく存じますが、こうでございます、旦那様お見かけ申して拝みまする。」と言も切に声も迫って、両眼に浮べた涙とともに真は面にあふれたのである。  行懸り、言の端、察するに頼母しき紳士と思い、且つ小山を婆が目からその風采を推して、名のある医士であるとしたらしい。  正に大審院に、高き天を頂いて、国家の法を裁すべき判事は、よく堪えてお幾の物語の、一部始終を聞き果てたが、渠は実際、事の本末を、冷かに判ずるよりも、お米が身に関する故をもって、むしろ情において激せざるを得なかったから、言下に打出して事理を決する答をば、与え得ないで、 「都を少しでも放れると、怪しからん話があるな、婆さん。」とばかり吐息とともにいったのであるが、言外おのずからその明眸の届くべき大審院の椅子の周囲、西北三里以内に、かかる不平を差置くに忍びざる意気があって露れた。 「どうぞまあ、何は措きましてともかくもう一服遊ばして下さいまし、お茶も冷えてしまいました。決してあの、唯今のことにつきましておねだり申しますのではございません、これからは茶店を預ります商売冥利、精一杯の御馳走、きざ柿でも剥いて差上げましょう。生の栗がございますが、お米が達者でいて今日も遊びに参りましたら、灰に埋んで、あの器用な手で綺麗にこしらえさして上げましょうものを。……どうぞ、唯今お熱いお湯を。旦那様お寒くなりはしませんか。」  今は物思いに沈んで、一秒の間に、婆が長物語りを三たび四たび、つむじ風のごとく疾く、颯と繰返して、うっかりしていた判事は、心着けられて、フト身に沁む外の方を、欄干越に打見遣った。  黄昏や、早や黄昏は森の中からその色を浴びせかけて、滝を蔽える下道を、黒白に紛るる女の姿、縁の糸に引寄せられけむ、裾も袂も鬢の毛も、夕の風に漂う風情。        十八 「おお、あれは。」 「お米でございますよ、あれ、旦那様、お米さん、」と判事にいうやら、女を呼ぶやら。お幾は段を踏辷らすようにしてずるりと下りて店さきへ駆け出すと、欄干の下を駆け抜けて壁について今、婆さんの前へ衝と来たお米、素足のままで、細帯ばかり、空色の袷に襟のかかった寝衣の形で、寝床を脱出した窶れた姿、追かけられて逃げる風で、あわただしく越そうとする敷居に爪先を取られて、うつむけさまに倒れかかって、横に流れて蹌踉く処を、 「あッ、」といって、手を取った。婆さんは背を支えて、どッさり尻をついて膝を折りざまに、お米を内へ抱え込むと、ばったり諸共に畳の上。  この煽りに、婆さんが座右の火鉢の火の、先刻からじょうに成果てたのが、真白にぱっと散って、女の黒髪にも婆さんの袖にもちらちらと懸ったが、直ぐに色も分かず日は暮れたのである。 「お米さん、まあ、」と抱いたまま、はッはッいうと、絶ゆげな呼吸づかい、疲果てた身を悶えて、 「厭よう、つかまえられるよう。」 「誰に、誰につかまえられるんだよ。」 「厭ですよ、あれ、巡査さん。」 「何、巡査さんが、」と驚いたが、抱く手の濡れるほど哀れ冷汗びっしょりで、身を揉んで逃げようとするので、さては私だという見境ももうなくなったと、気がついて悲しくなった。 「しっかりしておくれ、お米さん、しっかりしておくれよ、ねえ。」  お米はただ切なそうに、ああああというばかりであったが、急にまた堪え得ぬばかり、 「堪忍よう、あれ、」と叫んだ。 「堪忍をするから謝罪れの。どこをどう狂い廻っても、私が目から隠れる穴はないぞの。無くなった金子は今日出たが、汝が罪は消えぬのじゃ。女、さあ、私を頼め、足を頂け、こりゃこの杖に縋れ。」と蚊の呻くようなる声して、ぶつぶついうその音調は、一たび口を出でて、唇を垂れ蔽える鼻に入ってやがて他の耳に来るならずや。異様なる持主は、その鼻を真俯向けに、長やかなる顔を薄暗がりの中に据え、一道の臭気を放って、いつか土間に立ってかの杖で土をことことと鳴していた。 「あれ。」打てば響くがごとくお米が身内はわなないた。  堪りかねて婆さんは、鼻に向って屹と居直ったが、爺がクンクンと鳴して左右に蠢めかしたのを一目見ると、しりごみをして固くお米を抱きながら竦んだ。 「杖に縋って早や助かれ。女やい、女、金子は盗まいでも、自分の心が汝が身を責殺すのじゃわ、たわけ奴めが、フン。我を頼め、膝を抱け、杖に縋れ、これ、生命が無いぞの。」と洞穴の奥から幽に、呼ぶよう、人間の耳に聞えて、この淫魔ほざきながら、したたかの狼藉かな。杖を逆に取って、うつぶしになって上口に倒れている、お米の衣の裾をハタと打って、また打った。 「厭よ、厭よ、厭よう。」と今はと見ゆる悲鳴である。 「この、たわけ奴の。」  段の上にすッくと立って、名家の彫像のごとく、目まじろきもしないで、一場の光景を見詰めていた黒き衣、白き面、清癯鶴に似たる判事は、衝と下りて、ずッと寄って、お米の枕頭に座を占めた。  威厳犯すべからざるものある小山の姿を、しょぼけた目でじっと見ると、予言者の鼻は居所をかえて一足退った、鼻と共に進退して、その杖の引込んだことはいうまでもなかろう。  目もくれず判事は静にお米の肩に手を載せた。  軽くおさえて、しばらくして、 「謂うことが分るか、姉さん、分るかい、お前さんはね、紛失したというその五百円を盗みも、見もしないが、欲しいと思ったんだろうね。可し、欲しいと思った。それは深切なこの婆さんが、金子を頂かされたのを見て、あの金子が自分のものなら、老人のものにしたいと、……そうだ。そこを見込まれたのだ。何、妙なものに出会して気を痛めたに違いなかろう。むむ、思ったばかり罪はないよ、たとい、不思議なものの咎があっても、私が申請けよう。さあ、しっかりとつかまれ。私が楯になって怪いものの目から隠してやろう。ずっと寄れ、さあこの身体につかまってその動悸を鎮めるが可い。放すな。」と爽かにいった言につれ、声につれ、お米は震いつくばかり、人目に消えよと取縋った。 「婆さん、明を。」  飛上るようにして、やがてお幾が捧げ出した灯の影に、と見れば、予言者はくるりと背後向になって、耳を傾けて、真鍮の耳掻を悠々とつかいながら、判事の言を聞澄しているかのごとくであった。 「安心しな、姉さん、心に罪があっても大事はない。私が許す、小山由之助だ、大審院の判事が許して、その証拠に、盗をしたいと思ったお前と一所になろう。婆さん、媒妁人は頼んだよ。」  迷信の深い小山夫人は、その後永く鳥獣の肉と茶断をして、判事の無事を祈っている。蓋し当時、夫婦を呪詛するという捨台辞を残して、我言かくのごとく違わじと、杖をもって土を打つこと三たびにして、薄月の十日の宵の、十二社の池の周囲を弓なりに、飛ぶかとばかり走り去った、予言者の鼻の行方がいまだに分らないからのことである。 明治三十四(一九〇一)年一月 底本:「泉鏡花集成2」ちくま文庫、筑摩書房    1996(平成8)年4月24日第1刷発行 底本の親本:「鏡花全集 第六卷」岩波書店    1941(昭和16)年11月10日発行 入力:門田裕志 校正:土屋隆 2007年2月18日作成 青空文庫作成ファイル: 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