天鵞絨 石川啄木 Guide 扉 本文 目 次 天鵞絨 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 十一 一  理髪師の源助さんが四年振で来たといふ噂が、何か重大な事件でも起つた様に、口から口に伝へられて、其午後のうちに村中に響き渡つた。  村といつても狭いもの。盛岡から青森へ、北上川に縺れて逶迤と北に走つた。坦々たる其一等道路(と村人が呼ぶ)の、五六町並木の松が断絶えて、両側から傾き合つた茅葺勝の家並の数が、唯九十何戸しか無いのである。村役場と駐在所が中央程に向合つてゐて、役場の隣が作右衛門店、万荒物から酢醤油石油莨、罎詰の酒もあれば、前掛半襟にする布帛もある。箸で断れぬ程堅い豆腐も売る。其隣の郵便局には、此村に唯一つの軒燈がついてるけれども、毎晩点火る訳ではない。  お定がまだ少かつた頃は、此村に理髪店といふものが無かつた。村の人達が其頃、頭の始末を奈何してゐたものか、今になつて考へると、随分不便な思をしたものであらう。それが、九歳か十歳の時、大地主の白井様が盛岡から理髪師を一人お呼びなさるといふ噂が、恰も今度源助さんが四年振で来たといふ噂の如く、異様な驚愕を以て村中に伝つた。間もなく、とある空地に梨箱の様な小さい家が一軒建てられて、其家が漸々壁塗を済ませた許りの処へ、三十恰好の、背の低い、色の黒い理髪師が遣つて来た。頗るの淡白者で、上方弁の滑かな、話巧者の、何日見てもお愛想が好いところから、間もなく村中の人の気に入つて了つた。それが乃ち源助さんであつた。  源助さんには、お内儀さんもあれば子息もあるといふ事であつたが、来たのは自分一人。愈々開業となつてからは、其店の大きい姿見が、村中の子供等の好奇心を刺戟したもので、お定もよく同年輩の遊び仲間と一緒に行つて、見た事もない白い瀬戸の把手を上に捻り下に捻り、辛と少許入口の扉を開けては、種々な道具の整然と列べられた室の中を覗いたものだ。少許開けた扉が、誰の力ともなく、何時の間にか身体の通るだけ開くと、田舎の子供といふものは因循なもので、盗みでもする様に怖な怯り、二寸三寸と物も言はず中に入つて行つて、交代に其姿見を覗く。訝な事には、少許離れて写すと、顔が長くなつたり、扁くなつたり、目も鼻も歪んで見えるのであつたが、お定は幼心に、これは鏡が余り大き過ぎるからだと考へてゐたものだ。  月に三度の一の日を除いては、(此日には源助さんが白井様へ上つて、お家中の人の髪を刈つたり顔を剃つたりするので、)大抵村の人が三人四人、源助さんの許で莨を喫しながら世間話をしてゐぬ事はなかつた。一年程経つてから、白井様の番頭を勤めてゐた人の息子で、薄野呂なところからノロ勘と綽名された、十六の勘之助といふのが、源助さんに弟子入をした。それからといふものは、今迄近き兼ねてゐた子供等まで、理髪店の店を遊場にして、暇な時にはよく太閤記や義経や、蒸汽船や加藤清正の譚を聞かして貰つたものだ。源助さんが居ない時には、ノロ勘が銭函から銅貨を盗み出して、子供等に饀麺麭を振舞ふ事もあつた。振舞ふといつても、其実半分以上はノロ勘自身の口に入るので。  源助さんは村中での面白い人として、衆人に調法がられたものである。春秋の彼岸には、お寺よりも此人の家の方が、餅を沢山貰ふといふ事で、其代り又、何処の婚礼にも葬式にも、此人の招ばれて行かぬ事はなかつた。源助さんは、啻に話巧者で愛想が好い許りでなく、葬式に行けば青や赤や金の紙で花を拵へて呉れるし、婚礼の時は村の人の誰も知らぬ「高砂」の謡をやる。加之何事にも器用な人で、割烹の心得もあれば、植木弄りも好き、義太夫と接木が巧者で、或時は白井様の子供衆のために、大奉八枚張の大紙鳶を拵へた事もあつた。其処此処の夫婦喧嘩や親子喧嘩に仲裁を怠らなかつたは無論の事。  左う右うしてるうちに、お定は小学校も尋常科だけ卒へて、子守をしてる間に赤い袖口が好きになり、髪の油に汚れた手拭を独自に洗つて冠る様になつた。土土用が過ぎて、肥料つけの馬の手綱を執る様になると、もう自づと男羞しい少女心が萌して来て、盆の踊に夜を明すのが何よりも楽しい。随つて、ノロ勘の朋輩の若衆が、無駄口を戦はしてゐる理髪師の店にも、おのづと見舞ふ事が稀になつたが、其頃の事、源助さんの息子さんだといふ、親に似ぬ色白の、背のすらりとした若い男が、三月許りも来てゐた事があつた。  お定が十五(?)の年、も少許で盆が来るといふ暑気盛りの、踊に着る浴衣やら何やらの心構へで、娘共にとつては一時も気の落着く暇がない頃であつた。源助さんは、郷里(と言つても、唯上方と許りしか知らなかつたが、)にゐる父親が死んだとかで、俄かに荷造をして、それでも暇乞だけは家毎にして、家毎から御餞別を貰つて、飼馴した籠の鳥でも逃げるかの様に村中から惜まれて、自分でも甚く残惜しさうにして、二三日の中にフイと立つて了つた。立つ時は、お定も人々と共に、一里許りのステイシヨンまで見送つたのであつたが、其帰途、とある路傍の田に、稲の穂が五六本出初めてゐたのを見て、せめて初米の餅でも搗くまで居れば可いのにと、誰やらが呟いた事を、今でも夢の様に記憶えて居る。  何しろ極く狭い田舎なので、それに足下から鳥が飛立つ様な別れ方であつたから、源助一人の立つた後は、祭礼の翌日か、男許りの田植の様で、何としても物足らぬ。閑人の誰彼は、所在無げな顔をして、呆然と門口に立つてゐた。一月許りは、寄ると触ると行つた人の話で、立つ時は白井様で二十円呉れたさうだし、村中からの御餞別を合せると、五十円位集つたらうと、羨ましさうに計算する者もあつた。それ許りぢやない、源助さんは此五六年に、百八十両もおツ貯めたげなと、知つたか振をする爺もあつた。が、此源助が、白井様の分家の、四六時中リユウマチで臥てゐる奥様に、或る特別の慇懃を通じて居た事は、誰一人知る者がなかつた。  二十日許りも過ぎてからだつたらうか、源助の礼状の葉書が、三十枚も一度に此村に舞込んだ。それが又、それ相応に一々文句が違つてると云ふので、人々は今更の様に事々しく、渠の万事に才が廻つて、器用であつた事を語り合つた。其後も、月に一度、三月に二度と、一年半程の間は、誰へとも限らず、源助の音信があつたものだ。  理髪店の店は、其頃兎や角一人前になつたノロ勘が譲られたので、唯一軒しか無い僥倖には、其間が抜けた無駄口に華客を減らす事もなく、かの凸凹の大きな姿見が、今猶人の顔を長く見せたり、扁く見せたりしてゐる。  其源助さんが四年振で、突然遣つて来たといふのだから、もう殆ど忘れて了つてゐた村の人達が、男といはず女といはず、腰の曲つた老人や子供等まで、異様に驚いて目を睜つたのも無理はない。 二  それは盆が過ぎて二十日と経たぬ頃の事であつた。午中三時間許りの間は、夏の最中にも劣らぬ暑気で、澄みきつた空からは習との風も吹いて来ず、素足の娘共は、日に焼けた礫の熱いのを避けて、軒下の土の湿りを歩くのであるが、裏畑の梨の樹の下に落ちて死ぬ蝉の数と共に、秋の香が段々深くなつて行く。日出前の水汲に素袷の襟元寒く、夜は村を埋めて了ふ程の虫の声。田といふ田には稲の穂が、琥珀色に寄せつ返しつ波打つてゐたが、然し、今年は例年よりも作が遙と劣つてゐると人々が呟しあつてゐた。  春から、夏から、待ちに待つた陰暦の盂蘭盆が来ると、村は若い男と若い女の村になる。三晩続けて徹夜に踊つても、猶踊り足らなくて、雨でも降れば格別、大抵二十日盆が過ぎるまでは、太鼓の音に村中の老人達が寝つかれぬと口説く。それが済めば、苟くも病人不具者でない限り、男といふ男は一同泊掛で東嶽に萩刈に行くので、娘共の心が訳もなくがつかりして、一年中の無聊を感ずるのは此時である。それも例年ならば、収穫後の嫁取婿取の噂に、嫉妬交りの話の種は尽きぬのであるけれども、今年の様に作が悪くては、田畑が生命の百姓村の悲さに、これぞと気の立つ話もない。其処へ源助さんが来た。  突然四年振で来たといふ噂に驚いた人達は、更に其源助さんの服装の立派なのに二度驚かされて了つた。万の知識の単純な人達には何色とも呼びかねる、茶がかつた灰色の中折帽は、此村で村長様とお医者様と、白井の若旦那の外冠る人がない。絵甲斐絹の裏をつけた羽織も、袷も、縞ではあるが絹布物で、角帯も立派、時計も立派。中にもお定の目を聳たしめたのは、づつしりと重い総革の旅行鞄であつた。  宿にしたのは、以前一番懇意にした大工の兼さんの家であつたが、其夜は誰彼の区別なく其家を見舞つたので、奥の六畳間に三分心の洋燈は暗かつたが、入交り立交りする人の数は少くなく、潮の様な虫の音も聞えぬ程、賑かな話声が、十一時過ぐるまでも戸外に洩れた。娘共は流石に、中には入りかねて、三四人店先に腰掛けてゐたが、其家の総領娘のお八重といふのが、座敷から時々出て来て、源助さんの話を低声に取次した。  源助さんは、もう四十位になつてゐるし、それに服装の立派なのが一際品格を上げて、挙動から話振から、昔よりは遙かに容体づいてゐた。随つて、其昔「お前」とか「其方」とか呼び慣してゐた村の人達も、期せずして皆「お前様」と呼んだ。其夜の話では、源助は今度函館にゐる伯父が死んだのへ行つて来たので、汽車の帰途の路すがら、奈何しても通抜が出来なかつたから、突然ではあつたが、なつかしい此村を訪問したと云ふ事、今では東京に理髪店を開いてゐて、熟練な職人を四人も使つてるが、それでも手が足りぬ程急がしいといふ事であつた。  此話が又、響を打つて直ぐに村中に伝はつた。  理髪師といへば、余り上等な職業でない事は村の人達でも知つてゐる。然し東京の理髪師と云へば、怎やら少し意味が別なので、銀座通りの写真でも見た事のある人は、早速源助さんの家の立派な事を想像した。  翌日は、各々自分の家に訪ねて来るものと思つて、気早の老人などは、花茣蓙を押入から出して炉辺に布いて、渋茶を一掴み隣家から貰つて来た。が、源助さんは其日朝から白井様へ上つて、夕方まで出て来なかつた。  其晩から、かの立派な鞄から出した、手拭やら半襟やらを持つて、源助さんは殆んど家毎に訪ねて歩いた。  お定の家へ来たのは、三日目の晩で、昼には野良に出て皆留守だらうと思つたから、態々後廻しにして夜に訪ねたとの事であつた。そして、二時間許りも麦煎餅を噛りながら、東京の繁華な話を聞かせて行つた。銀座通りの賑ひ、浅草の水族館、日比谷の公園、西郷の銅像、電車、自動車、宮様のお葬式、話は皆想像もつかぬ事許りなので、聞く人は唯もう目を睜つて、夜も昼もなく渦巻く火炎に包まれた様な、凄じい程な華やかさを漠然と頭脳に描いて見るに過ぎなかつたが、浅草の観音様に鳩がゐると聞いた時、お定は其麽所にも鳥なぞがゐるか知らと、異様に感じた。そして、其麽所から此人はまあ、怎して此処まで来たのだらうと、源助さんの得意気な顔を打瞶つたのだ。それから源助さんは、東京は男にや職業が一寸見付り悪いけれど、女なら幾何でも口がある。女中奉公しても月に賄付で四円貰へるから、お定さんも一二年行つて見ないかと言つたが、お定は唯俯いて微笑んだのみであつた。怎して私などが東京へ行かれよう、と胸の中で呟やいたのである。そして、今日隣家の松太郎と云ふ若者が、源助さんと一緒に東京に行きたいと言つた事を思出して、男ならばだけれども、と考へてゐた。 三  翌日は、例の様に水を汲んで来てから、朝草刈に行かうとしてると、秋の雨がしと〳〵降り出して来た。廐には未だ二日分許り秣があつたので、隣家の松太郎の姉に誘はれたけれども、父爺が行かなくても可いと言つた。仕様事なさに、一日門口へ立つて見たり、中へ入つて見たりしてゐたが、蛇の目傘をさした源助さんの姿が、時々彼方此方に見えた。禿頭の忠太爺と共に、お定の家の前を通つた事もあつた。其時、お定は何故といふ事もなく家の中へ隠れた。  一日降つた蕭かな雨が、夕方近くなつて霽つた。と穢らしい子供等が家々から出て来て、馬糞交りの泥濘を、素足で捏ね返して、学校で習つた唱歌やら流行歌やらを歌ひ乍ら、他愛もなく騒いでゐる。  お定は呆然と門口に立つて、見るともなく其を見てゐると、大工の家のお八重の小さな妹が駆けて来て、一寸来て呉れといふ姉の伝言を伝へた。  また曩日の様に、今夜何処かに酒宴でもあるのかと考へて、お定は慎しやかに水潦を避けながら、大工の家へ行つた。お八重は欣々と迎へたが、何か四辺を憚る様子で、密と裏口へ伴れて出た。 『何処さ行げや?』と大工の妻は炉辺から声をかけたが、お八重は後も振向かずに、 『裏さ。』と答へた儘。戸を開けると、鶏が三羽、こツこツといひながら中に入つた。  二人は、裏畑の中の材木小屋に入つて、積み重ねた角材に凭れ乍ら、雨に湿つた新しい木の香を嗅いで、小一時間許りも密々語つてゐた。  お八重の話は、お定にとつて少しも思設けぬ事であつた。 『お定さん。お前も聞いたべす、源助さんから昨夜、東京の話を。』 『聞いたす。』と穏かに言つて、お八重の顔を打瞶つたが、何故か「東京」の語一つだけで、胸が遽かに動悸がして来る様な気がした。  稍あつて、お八重は、源助さんと一緒に東京に行かぬかと言ひ出した。お定にとつては、無論思設けぬ相談ではあつたが、然し、盆過のがつかりした心に源助を見た娘には、必ずしも全然縁のない話でもない。切りなしに騒ぎ出す胸に、両手を重ねながら、お定は大きい目を睜つて、言葉少なにお八重の言ふ所を聞いた。  お八重は、もう自分一人は確然と決心してる様な口吻で、声は低いが、眼が若々しくも輝く。親に言へば無論容易に許さるべき事でないから、黙つて行くと言ふ事で、請売の東京の話を長々とした後、怎せ生れたからには恁麽田舎に許り居た所で詰らぬから、一度は東京も見ようぢやないか。「若い時ア二度無い」といふ流行唄の文句まで引いて、熱心にお定の決心を促すのであつた。  で、其方法も別に面倒な事は無い。立つ前に密り衣服などを取纒めて、幸ひ此村から盛岡の停車場に行つて駅夫をしてる千太郎といふ人があるから、馬車追の権作老爺に頼んで、予じめ其千太郎の宅まで届けて置く。そして、源助さんの立つ前日に、一晩泊で盛岡に行つて来ると言つて出て行つて、源助さんと盛岡から一緒に乗つて行く。汽車賃は三円五十銭許りなさうだが、自分は郵便局へ十八円許りも貯金してるから、それを引出せば何も心配がない。若し都合が悪いなら、お定の汽車賃も出すと言ふ。然しお定も、二三年前から田の畔に植ゑる豆を自分の私得に貰つてるので、それを売つたのやら何やらで、矢張九円近くも貯めてゐた。  東京に行けば、言ふまでもなく女中奉公をする考へなので、それが奈何に辛くとも野良稼ぎに比べたら、朝飯前の事ぢやないかとお八重が言つた。日本一の東京を見て、食はして貰つた上に月四円。此村あたりの娘には、これ程好い話はない。二人は、白粉やら油やら元結やら、月々の入費を勘定して見たが、それは奈何に諸式の高い所にしても、月一円とは要らなかつた。毎月三円宛残して年に三十六円、三年辛抱するとすれば百円の余にもなる。帰りに半分だけ衣服や土産を買つて来ても、五十円の正金が持つて帰られる。 『末蔵が家でや、唯四十円で家屋敷白井様に取上げられたでねえすか。』とお八重が言つた。 『雖然なす、お八重さん、源助さん真に伴れてつて呉えべすか?』とお定は心配相に訊く。 『伴れて行くともす。今朝誰も居ねえ時聞いて見たば、伴れてつても可えつて居たもの。』 『雖然、あの人だつて、お前達の親達さ、申訳なくなるべす。』 『それでなす、先方ア着いてから、一緒に行つた様でなく、後から追駆けて来たで、当分東京さ置ぐからつて手紙寄越す筈にしたものす。』 『あの人だばさ。真に世話して呉える人にや人だども。』  此時、懐手してぶらりと裏口から出て来た源助の姿が、小屋の入口から見えたので、お八重は手招ぎしてそれを呼び入れた。源助はニタリ〳〵相好を崩して笑ひ乍ら、入口に立ち塞つたが、 『まだ、日が暮れねえのに情夫の話ぢや、天井の鼠が笑ひますぜ。』  お八重は手を挙げて其高声を制した。『あの、源助さん、今朝の話ア真実でごあんすよ。』源助は一寸真面目な顔をしたが、また直ぐに笑ひを含んで、『呍、好し〳〵、此老爺さんが引受けたら間違ツこはねえが、何だな、お定さんも謀叛の一味に加はつたな?』 『謀叛だど、まあ!』とお定は目を大きくした。 『だがねえお八重さん、お定さんもだ、まあ熟く考へて見る事たね。俺は奈何でも構はねえが、彼方へ行つてから後悔でもする様ぢや、貴女方自分の事たからね。汽車の中で乳飲みたくなつたと言つて、泣出されでもしちや、大変な事になるから喃。』 『誰ア其麽に……。』とお八重は肩を聳かした。 『まあさ。然う直ぐ怒らねえでも可いさ。』と源助はまたしても笑つて、『一度東京へ行きや、もう恁麽所にや一生帰つて来る気になりませんぜ。』  お八重は「帰つて来なくつても可い。」と思つた。お定は、「帰つて来られぬ事があるものか。」と思つた。  程なく四辺がもう薄暗くなつて行くのに気が付いて、二人は其処を出た。此時まではお定は、まだ行くとも行かぬとも言はなかつたが、兎も角も明日決然した返事をすると言つて置いて、も一人お末といふ娘にも勧めようかと言ふお八重の言葉には、お末の家が寡人だから勧めぬ方が可いと言ひ、此話は二人限の事にすると堅く約束して別れた。そして、表道を歩くのが怎やら気が咎める様で、裏路伝ひに家へ帰つた。明日返事するとは言つたものの、お定はもう心の底では確然と行く事に決つてゐたので。  家に帰ると、母は勝手に手ランプを点けて、夕餉の準備に急はしく立働いてゐた。お定は馬に乾秣を刻つて塩水に掻廻して与つて、一担ぎ水を汲んで来てから夕餉の膳に坐つたが、無暗に気がそは〳〵してゐて、麦八分の飯を二膳とは喰べなかつた。  お定の家は、村でも兎に角食ふに困らぬ程の農家で、借財と云つては一文もなく、多くはないが田も畑も自分の所有、馬も青と栗毛と二頭飼つてゐた。両親はまだ四十前の働者、母は真の好人物で、吾児にさへも強い語一つ掛けぬといふ性、父は又父で、村には珍らしく酒も左程嗜まず、定次郎の実直といへば白井様でも大事の用には特に選り上げて使ふ位で、力自慢に若者を怒らせるだけが悪い癖だと、老人達が言つてゐた。祖父も祖母も四五年前に死んで、お定を頭に男児二人、家族といつては其丈で、長男の定吉は、年こそまだ十七であるけれども、身体から働振から、もう立派に一人前の若者である。  お定は今年十九であつた。七八年も前までは、十九にもなつて独身でゐると、余され者だと言つて人に笑はれたものであるが、此頃では此村でも十五十六の嫁といふものは滅多になく、大抵は十八十九、隣家の松太郎の姉などは二十一になつて未だ何処にも縁づかずにゐる。お定は、打見には一歳も二歳も若く見える方で、背恰好の婷乎としたさまは、農家の娘に珍らしい位、丸顔に黒味勝の眼が大きく、鼻は高くないが、笑窪が深い。美しい顔立ではないけれど、愛嬌に富んで、色が白く、漆の様な髪の生際の揃つた具合に、得も言へぬ艶かしさが見える。稚い時から極く穏しい性質で、人に抗ふといふ事が一度もなく、口惜い時には物蔭に隠れて泣くぐらゐなもの、年頃になつてからは、村で一番老人達の気に入つてるのが此お定で、「お定ツ子は穏しくて可え喃。」と言はれる度、今も昔も顔を染めては、「俺知らねえす。」と人の後に隠れる。  小学校での成績は、同じ級のお八重などよりは遙と劣つてゐたさうだが、唯一つ得意なのは唱歌で、其為に女教員からは一番可愛がられた。お八重は此反対に、今は他に縁づいた異腹の姉と一緒に育つた所為か、負嫌ひの、我の強い児で、娘盛りになつてからは、手もつけられぬ阿婆摺になつた。顔も亦、評判娘のお澄といふのが一昨年赤痢で亡くなつてから、村で右に出る者がないので、目尻に少許険しい皺があるけれど、面長のキリヽとした輪廓が田舎に惜しい。此反対な二人の莫迦に親密なのは、他の娘共から常に怪まれてゐた位で、また半分は嫉妬気味から、「那麽阿婆摺と一緒にならねえ方が可えす。」と、態々お定に忠告する者もあつた。  お定が其夜枕についてから、一つには今日何にも働かなかつた為か、怎しても眠れなくて、三時間許りも物思ひに耽つた。真黒に煤けた板戸一枚の彼方から、安々と眠つた母の寝息を聞いては、此母、此家を捨てゝ、何として東京などへ行かれようと、すぐ涙が流れる。と、其涙の乾かぬうちに、東京へ行つたら源助さんに書いて貰つて、手紙だけは怠らず寄越す事にしようと考へる。すると、すぐ又三年後の事が頭に浮ぶ。立派な服装をして、絹張の傘を持つて、金を五十円も貯めて来たら、両親だつて喜ばぬ筈がない。嗚呼其時になつたら、お八重さんは甚麽に美しく見えるだらうと思ふと、其お八重の、今日目を輝かして熱心に語つた美しい顔が、怎やら嫉ましくもなる。此夜のお定の胸に、最も深く刻まれてるのは、実に其お八重の顔であつた。怎してお八重一人だけ東京にやられよう!  それからお定は、小学校に宿直してゐた藤田といふ若い教員の事を思出すと、何日になく激しく情が動いて、私が之程思つてるのにと思ふと、熱かい涙が又しても枕を濡らした。これはお定の片思ひなので、否、実際はまだ思ふといふ程思つてるでもなく、藤田が四月に転任して来て以来、唯途で逢つて叩頭するのが嬉しかつた位で、遂十日許り前、朝草刈の帰りに、背負うた千草の中に、桔梗や女郎花が交つてゐたのを、村端で散歩してゐた藤田に二三本呉れぬかと言はれた、その時初めて言葉を交したに過ぎぬ。その翌朝からは、毎朝咲残りの秋の花を一束宛、別に手に持つて来るけれども、藤田に逢ふ機会がなかつた。あの先生さへ優しくして呉れたら、何も私は東京などへ行きもしないのに、と考へても見たが、又、今の身分ぢや兎ても先生のお細君さんなどに成れぬから、矢張三年行つて来るが第一だとも考へる。  四晩に一度は屹度忍んで寝に来る丑之助──兼大工の弟子で、男振りもよく、年こそまだ二十三だが、若者中で一番幅の利く──の事も、無論考へられた。恁る田舎の習慣で、若い男は、忍んで行く女の数の多いのを誇りにし、娘共も亦、口に出していふ事は無いけれ共、通つて来る男の多きを喜ぶ。さればお定は、丑之助がお八重を初め三人も四人も情婦を持つてる事は熟く知つてゐるので、或晩の如きは、男自身の口から其情婦共の名を言はして擽つて遣つた位。二人の間は別に思合つた訳でなく、末の約束など真面目にした事も無いが、怎かして寝つかれぬ夜などは、今頃丑さんが誰と寝てゐるかと、嫉いて見た事のないでもない。私とお八重さんが居なくなつたら、丑さんは屹度お作の所に許りゆくだらうと考へると、何かしら妬ましい様な気もした。  胸に浮ぶ思の数々は、それからそれと果しも無い。お定は幾度か一人で泣き、幾度か一人で微笑んだ。そして、遂うと〳〵となりかゝつた時、勝手の方に寝てゐる末の弟が、何やら声高に寝言を言つたので、はツと眼が覚め、嗚呼あの弟は淋しがるだらうなと考へて、睡気交りに涙ぐんだが、少女心の他愛なさに、二人の弟が貰ふべき嫁を、誰彼となく心で選んでるうちに、何時しか眠つて了つた。 四  目を覚ますと、弟のお清書を横に逆まに貼つた、枕の上の煤けた櫺子が、僅かに水の如く仄めいてゐた。誰もまだ起きてゐない。遠近で二番鶏が勇ましく時をつくる。けたたましい羽搏きの音がする。  お定はすぐ起きて、寝室にしてゐる四畳半許りの板敷を出た。手探りに草裏を突かけて、表裏の入口を開けると、厩では乾秣を欲しがる馬の、羽目板を蹴る音がゴト〳〵と鳴る。大桶を二つ担いで、お定は村端の樋の口といふ水汲場に行つた。  例になく早いので、まだ誰も来てゐなかつた。漣一つ立たぬ水槽の底には、消えかゝる星を四つ五つ鏤めた黎明の空が深く沈んでゐた。清洌な秋の暁の気が、いと冷かに襟元から総身に沁む。叢にはまだ夢の様に虫の音がしてゐる。  お定は暫時水を汲むでもなく、水鏡に写つた我が顔を瞶めながら、呆然と昨夜の事を思出してゐた。東京といふ所は、ずつと〳〵遠い所になつて了つて、自分が怎して其麽所まで行く気になつたらうと怪まれる。矢張自分は此村に生れたのだから、此村で一生暮らす方が本当だ。恁うして毎朝水汲に来るのが何より楽しい。話の様な繁華な所だつたら、屹度恁ういふ澄んだ美しい水などが見られぬだらうなどゝ考へた。と、後に人の足音がするので、振向くと、それはお八重であつた。矢張り桶をぶら〳〵担いで来るが、寝くたれ髪のしどけなさ、起きた許りで脹ぼつたくなつてゐる瞼さへ、殊更艶かしく見える。あの人が行くのだもの、といふ考へが、呆然した頭をハツと明るくした。 『お八重さん、早えなツす。』 『お前こそ早えなツす。』と言つて、桶を地面に下した。 『あゝ、まだ虫ア啼いてる!』と、お八重は少し顔を歪めて、後毛を掻上げる。遠く近くで戸を開ける音が聞える。 『決めたす、お八重さん。』 『決めたすか?』と言つたお八重の眼は、急に晴々しく輝いた。『若しもお前行かなかつたら、俺一人奈何すべと思つてだつけす。』 『だつてお前怎しても行くべえす?』 『お前も決めたら、一緒に行くのす。』と言つて、お八重は軽く笑つたが、『そだつけ、大変だお定さん、急がねえばならねえす。』 『怎してす?』 『怎してつて、昨晩聞いたら、源助さん明後日立つで、早く準備せツてゐたす。』 『明後日?』と、お定は目を睜つた。 『明後日!』と、お八重も目を睜つた。  二人は暫し互みの顔を打瞶つてゐたが、『でヤ、明日盛岡さ行がねばならねえな。』と、お定が先づ我に帰つた。 『然うだす。そして今夜のうちに、衣服だの何包んで、権作老爺さ頼まねばならねえす。』 『だらハア、今夜すか?』と、お定は再目を睜つた。  左う右うしてるうちに、一人二人と他の水汲が集つて来たので、二人はまだ何か密々語り合つてゐたが、軈て満々と水を汲んで担ぎ上げた。そして、すぐ二三軒先の権作が家へ行つて、 『老爺ア起きたすか?』と、表から声をかけた。 『何時まで寝てるべえせア。』と、中から胴間声がする。  二人は目を見合して、ニツコリ笑つたが、桶を下して入つて行つた。馬車追の老爺は丁度厩の前で乾秣を刻むところであつた。 『明日盛岡さ行ぐすか?』 『明日がえ? 行ぐどもせア。権作ア此老年になるだが、馬車曳つぱらねえでヤ、腹減つて斃死るだあよ。』 『だら、少許持つてつて貰ひてえ物が有るがな。』 『何程でも可えだ。明日ア帰り荷だで、行ぐ時ア空馬車曳つぱつて行ぐのだもの。』 『其麽に沢山でも無えす。俺等も明日盛岡さ行ぐども、手さ持つてげば邪魔だです。』 『そんだら、ハア、お前達も馬車さ乗つてつたら可がべせア。』  二人は又目を見合して、二言三言諜し合つてゐたが、 『でア老爺な、俺等も乗せでつて貰ふす。』 『然うして御座え。唯、巣子の掛茶屋さ行つたら、盛切酒一杯買ふだアぜ。』 『買ふともす。』と、お八重は晴やかに笑つた。 『お定ツ子も行ぐのがえ?』  お定は一寸狼狽へてお八重の顔を見た。お八重は再笑つて『一人だば淋しだで、お定さんにも行つて貰ふべがと思つてす。』 『ハア、俺ア老人だで可えが、黒馬の奴ア怠屈しねえで喜ぶでヤ。だら、明日ア早く来て御座え。』  此日は、二人にとつて此上もない急がしい日であつた。お定は、水汲から帰ると直ぐ朝草刈に平田野へ行つたが、莫迦に気がそは〳〵して、朝露に濡れた利鎌が、兎角休み勝になる。離れ〴〵の松の樹が、山の端に登つた許りの朝日に、長い影を草の上に投げて、葉毎に珠を綴つた無数の露の美しさ。秋草の香が初蕈の香を交へて、深くも胸の底に沁みる。利鎌の動く毎に、サツサツと音して臥る草には、萎枯れた桔梗の花もあつた。お定は胸に往来する取留もなき思ひに、黒味勝の眼が曇つたり晴れたり、一背負だけ刈るに、例より余程長くかゝつた。  朝草を刈つて来てから、馬の手入を済ませて、朝餉を了へたが、十坪許り刈り残してある山手の畑へ、父と弟と三人で粟刈に行つた。それも午前には刈り了へて、弟と共に黒馬と栗毛の二頭で家の裏へ運んで了つた。  母は裏の物置の側に荒蓆を布いて、日向ぼツこをしながら、打残しの麻糸を砧つてゐる。三時頃には父も田廻りから帰つて来て、厩の前の乾秣場で、鼻唄ながらに鉈や鎌を研ぎ始めた。お定は唯もう気がそは〳〵して、別に東京の事を思ふでもなく、明日の別れを悲むでもない、唯何といふ事なくそは〳〵してゐた。裁縫も手につかず、坐つても居られず、立つても居られぬ。  大工の家へ裏伝ひにゆくと、恰度お八重一人ゐた所であつたが、もう風呂敷包が二つ出来上つて、押入れの隅に隠してあつた。其処へ源助が来て、明後日の夕方までに盛岡の停車場前の、松本といふ宿屋に着くから、其処へ訪ねて一緒になるといふ事に話をきめた。  それからお八重と二人家へ帰ると、父はもう鉈鎌を研ぎ上げたと見えて、薄暗い炉端に一人踏込んで、莨を吹かしてゐる。 『父爺や。』とお定は呼んだ。 『何しや?』 『明日盛岡さ行つても可えが?』 『お八重ツ子どがえ?』 『然うしや。』 『八幡様のお祭礼にや、まだ十日もあるべえどら。』 『八幡様までにや、稲刈が始るべえな。』 『何しに行ぐだあ?』 『お八重さんが千太郎さま宅さ用あつて行くで、俺も伴れてぐ言ふでせア。』 『可がべす、老爺な。』とお八重も喙を容れた。 『小遣銭があるがえ?』 『少許だばあるども、呉えらば呉えで御座え。』 『またお八重ツ子がら、御馳走になるべな。』  と言つて、定次郎は腹掛から五十銭銀貨一枚出して、上框に腰かけてゐるお定へ投げてよこした。  お八重はチラとお定の顔を見て、首尾よしと許り笑つたが、お定は父の露疑はぬ様を見て、穏しい娘だけに胸が迫つた。さしぐんで来る涙を見せまいと、ツイと立つて裏口へ行つた。 五  夕方、一寸でも他所ながら暇乞に、学校の藤田を訪ねようと思つたが、其暇もなく、農家の常とて夕餉は日が暮れてから済ましたが、お定は明日着て行く衣服を畳み直して置くと云つて、手ランプを持つた儘、寝室にしてゐる四畳半許りの板敷に入つた。間もなくお八重が訪ねて来て、さり気ない顔をして入つたが、 『明日着て行ぐ衣服すか?』と、態と大きい声で言つた。 『然うす。明日着て行くで、畳み直してるす。』と、お定も態と高く答へて、二人目を見合せて笑つた。  お八重は、もう全然準備が出来たといふ事で、今其風呂敷包は三つとも持出して来たが、此家の入口の暗い土間に隠して置いて入つたと言ふ事であつた。で、お定も急がしく萌黄の大風呂敷を拡げて、手廻りの物を集め出したが、衣服といつても唯六七枚、帯も二筋、娘心には色々と不満があつて、この袷は少し老けてゐるとか、此袖口が余り開き過ぎてゐるとか、密々話に小一時間もかゝつて、漸々準備が出来た。  父も母もまだ炉辺に起きてるので、も少許待つてから持出さうと、お八重は言ひ出したが、お定は些と躊躇してから、立つと明とりの煤けた櫺子に手をかけると、端の方三本許り、格子が何の事もなく取れた。それを見たお八重は、お定の肩を叩いて、 『この人アまあ、可え工夫してること。』と笑つた。お定も心持顔を赧くして笑つたが、風呂敷包は、難なく其処から戸外へ吊り下された。格子は元の通りに直された。  二人はそれから権作老爺の許へ行つて、二人前の風呂敷包を預けたが、戸外の冷かな夜風が、耳を聾する許りな虫の声を漂はせて、今夜限り此生れ故郷を逃げ出すべき二人の娘にいう許りなき心悲しい感情を起させた。所々降つて来さうな秋の星、八日許りの片割月が浮雲の端に澄み切つて、村は家並の屋根が黒く、中央程の郵便局の軒燈のみ淋しく遠く光つてゐる。二人は、何といふ事もなく、もう湿声になつて、断々に語りながら、他所ながら家々に別れを告げようと、五六町しかない村を、南から北へ、北から南へ、幾度となく手を取合つて吟行うた。路で逢ふ人には、何日になく忸々しく此方から優しい声を懸けた。作右衛門店にも寄つて、お八重は帉帨を二枚買つて、一枚はお定に呉れた。何処ともない笑声、子供の泣く声もする。とある居酒屋の入口からは、火光が眩く洩れて、街路を横さまに白い線を引いてゐたが、虫の音も憚からぬ酔うた濁声が、時々けたゝましい其店の嬶の笑声を伴つて、喧嘩でもあるかの様に一町先までも聞える。二人は其騒々しい声すらも、なつかしさうに立止つて聞いてゐた。  それでも、二時間も歩いてるうちには、気の紛れる話もあつて、お八重に別れてスタ〳〵と家路に帰るお定の眼には、もう涙が滲んでゐず、胸の中では、東京に着いてから手紙を寄越すべき人を彼是と数へてゐた。此村から東京へ百四十五里、其麽事は知らぬ。東京は仙台といふ所より遠いか近いか、それも知らぬ。唯明日は東京にゆくのだと許り考へてゐる。  枕に就くと、今日位身体も心も急がしかつた事がない様な気がして、それでも、何となく物足らぬ様な、心悲しい様な、恍乎とした疲心地で、すぐうと〳〵と眠つて了つた。  ふと目が覚めると、消すのを忘れて眠つた枕辺の手ランプの影に、何処から入つて来たか、蟋蟀が二疋、可憐な羽を顫はして啼いてゐる。遠くで若者が吹く笛の音のする所から見れば、まだ左程夜が更けてもゐぬらしい。  と櫺子の外にコツコツと格子を叩く音がする。あ之で目が覚めたのだなと思つて、お定は直ぐ起き上つて、密りと格子を脱した。丑之助が身軽に入つて了つた。  手ランプを消した。  一時間許り経つと、丑之助がもう帰準備をするので、これも今夜限だと思ふと、お定は急に愛惜の情が喉に塞つて来て、熱い涙が滝の如く溢れた。別に丑之助に未練を残すでも何でもないが、唯もう悲しさが一時に胸を充たしたので、お定は矢庭に両手で力の限り男を抱擁めた。男は暗の中にも、遂ぞ無い事なので吃驚して、目を円くしてゐたが、やがてお定は忍音に歔欷し始めた。  丑之助は何の事とも解りかねた。或は此お定ツ子が自分に惚れたのぢやないかとも思つたが、何しろ余り突然なので、唯目を円くするのみだ。 『怎したけな?』と囁いてみたが返事がなくて一層歔欷く。と、平常から此女の穏しく優しかつたのが、俄かに可憐くなつて来て、丑之助は再、 『怎したけな、真に?』と繰返した。『俺ア何か悪い事でもしたげえ?』  お定は男の胸に密接と顔を推着けた儘で、強く頭を振つた。男はもう無性にお定が可憐くなつて、 『だら怎したゞよ? 俺ア此頃少許急しくて四日許り来ねえでたのを、汝ア憤つたのげえ?』 『嘘だ!』とお定は囁く。 『嘘でねえでヤ。俺ア真実に、汝アせえ承知して呉えれば、夫婦になりてえど思つてるのに。』 『嘘だ!』とお定はまた繰返して、一層強く男の胸に顔を埋めた。  暫しは女の歔欷く声のみ聞えてゐたが、丑之助は、其漸く間断々々になるのを待つて、 『汝ア頬片、何時来ても天鵞絨みてえだな。十四五の娘子と寝る様だ。』と言つた。これは此若者が、殆んど来る毎にお定に言つてゆく讃辞なので。 『十四五の娘子供とも寝てるだべせア。』とお定は鼻をつまらせ乍ら言つた。男は、女の機嫌の稍直つたのを見て、 『嘘だあでヤ。俺ア、酒でも飲んだ時ア他の女子さも行ぐども、其麽に浮気ばしてねえでヤ。』  お定は、胸の中で、此丑之助にだけは東京行の話をしても可からうと思つて見たが、それではお八重に済まぬ。といつて、此儘何も言はずに別れるのも残惜しい。さて怎したものだらうと頻りに先刻から考へてゐるのだが、これぞといふ決断もつかぬ。 『丑さん。』と稍あつてから囁いた。 『何しや?』 『俺ア明日……』 『明日? 明日の晩も来るせえ。』 『そでねえだ。』 『だら何しや?』 『明日俺ア、盛岡さ行つて来るす。』 『何しにせヤ?』 『お八重さんが千太郎さん許さ行くで、一緒に行つて来るす。』 『然うが、八重ツ子ア今夜、何とも言はながつけえな。』 『だらお前、今夜もお八重さんさ行つて来たな?』 『然うだねえでヤ。』と言つたが、男は少許狼狽へた。 『だら何時逢つたす?』 『何時ツて、八時頃にせえ。ホラ、あのお芳ツ子許の店でせえ。』 『嘘だす、此人ア。』 『怎してせえ?』と益々狼狽へる。 『怎しても恁うしても、今夜日ヤ暮れツとがら、俺アお八重さんと許り歩いてだもの』 『だつて。』と言つて、男はクスクス笑ひ出した。 『ホレ見らせえ!』と女は稍声高く言つたが、別に怒つたでもない。 『明日汽車で行くだか?』 『権作老爺の荷馬車行くで。』 『だら、朝早かべせえ。』と言つたが、『小遣銭呉えべかな? ドラ、手ランプ点けろでヤ。』  お定が黙つてゐたので、丑之助は自分で手探りに燐寸を擦つて手ランプに移すと、其処に脱捨てゝある襯衣の衣嚢から財布を出して、一円紙幣を一枚女の枕の下に入れた。女は手ランプを消して、 『余計だす。』 『余計な事ア無えせア。もつと有るものせえ。』  お定は、平常ならば恁麽事を余り快く思はぬのだが、常々添寝した男から東京行の餞別を貰つたと思ふと、何となく嬉しい。お八重には恁麽事が無からうなどゝ考へた。  先刻の蟋蟀が、まだ何処か室の隅ツこに居て、時々思出した様に、哀れな音を立てゝゐた。此夜お定は、怎しても男を抱擁めた手を弛めず、夜明近い鶏の頻りに啼立てるまで、厩の馬の鬣を振ふ音や、ゴト〳〵破目板を蹴る音を聞きながら、これといふ話もなかつたけれど、丑之助を帰してやらなかつた。 六  其翌朝は、グツスリと寝込んでゐる所をお八重に起されて、眠い眼を擦り〳〵、麦八分の冷飯に水を打懸けて、形許り飯を済まし、起きたばかりの父母や弟に簡単な挨拶をして、村端れ近い権作の家の前へ来ると、方々から一人二人水汲の女共が、何れも眠相な顔をして出て来た。荷馬車はもう準備が出来てゐて、権作は嬶に何やら口小言を言ひながら、脚の太い黒馬を曳き出して来て馬車に繋いでゐた。 『何処へ』と問ふ水汲共には『盛岡へ』と答へた。二人は荷馬車に布いた茣蓙の上に、後向になつて行儀よく坐つた。傍には風呂敷包。馬車の上で髪を結つて行くといふので、お八重は別に櫛やら油やら懐中鏡やらの小さい包みを持つて来た。二人共木綿物ではあるが、新しい八丈擬ひの縞の袷を着てゐた。  軈て権作は、ピシヤリと黒馬の尻を叩いて、『ハイ〳〵』と言ひながら、自分も馬車に飛乗つた。馬は白い息を吐きながら、南を向けて歩き出した。  二人は、まだ頭脳の中が全然覚めきらぬ様で、呆然として、段々後方に遠ざかる村の方を見てゐたが、道路の両側はまだ左程古くない松並木、暁の冷さが爽かな松風に流れて、叢の虫の音は細い。一町許り来た時、村端れの水汲場の前に、白手拭を下げた男の姿が見えた。それは、毎朝其処に顔洗ひに来る藤田であつた。お定は膝の上に握つてゐた新しい帉帨を取るより早く、少し伸び上つてそれを振つた。藤田は立止つて凝然と此方を見てゐる様だつたが、下げてゐた手拭を上げたと思ふ間に、道路は少し曲つて、並木の松に隠れた。と、お定は今の素振を、お八重が何と見たかと気がついて、心羞かしさと落胆した心地でお八重の顔を見ると、其美しい眼には涙が浮かんでゐた。それを見ると、お定の眼にも遽かに涙が湧いて来た。  盛岡へ五里を古い新しい松並木、何本あるか数へた人はない。二人が髪を結つて了ふまでに二里過ぎた。あとの三里は権作の無駄口と、二人が稚い時の追憶談。  理髪師の源助さんは、四年振で突然村に来て、七日の間到る所に驩待された。そして七日の間東京の繁華な話を繰返した。村の人達は異様な印象を享けて一同多少づゝ羨望の情を起した。もう四五日も居たなら、お八重お定と同じ志願を起す者が、三人も五人も出たかも知れぬ。源助さんは満腹の得意を以て、東京見物に来たら必ず自分の家に寄れといふ言葉を人毎に残して、七日目の午後に此村を辞した。好摩のステイシヨンから四十分、盛岡に着くと、約の如く松本といふ宿屋に投じた。  不取敢湯に入つてると、お八重お定が訪ねて来た。一緒に晩餐を了へて、明日の朝は一番汽車だからといふので、其晩二人も其宿屋に泊る事にした。  源助は、唯一本の銚子に一時間も費りながら、東京へ行つてからの事──言葉を可成早く改めねばならぬとか、二人がまだ見た事のない電車への乗方とか、掏摸に気を付けねばならぬとか、種々な事を詳く喋つて聞かして、九時頃に寝る事になつた。八畳間に寝具が三つ、二人は何れへ寝たものかと立つてゐると、源助は中央の床へ潜り込んで了つた。仕方がないので、二人は右と左に離れて寝たが、夜中になつてお定が一寸目を覚ました時は、細めて置いた筈の、自分の枕辺の洋燈が消えてゐて、源助の高い鼾が、怎やら畳三畳許り彼方に聞えてゐた。  翌朝は二人共源助に呼起されて、髪を結ふも朝飯を食ふも匇卒に、五時発の上り一番汽車に乗つた。 七  途中で機関車に故障があつた為、三人を載せた汽車が上野に着いた時は、其日の夜の七時過であつた。長い長いプラツトフオーム、潮の様な人、お八重もお定も唯小さくなつて源助の両袂に縋つた儘、漸々の思で改札口から吐出されると、何百輛とも数知れず列んだ腕車、広場の彼方は昼を欺く満街の燈火、お定はもう之だけで気を失ふ位おツ魂消て了つた。  腕車が三輛、源助にお定にお八重といふ順で駆け出した。お定は生れて初めて腕車に乗つた。まだ見た事のない夢を見てゐる様な心地で、東京もなければ村もない、自分といふものも何処へ行つたやら、在るものは前の腕車に源助の後姿許り、唯懵乎として了つて、別に街々の賑ひを仔細に見るでもなかつた。燦爛たる火光、千万の物音を合せた様な轟々たる都の響。其火光がお定を溶かして了ひさうだ。其響がお定を押潰して了ひさうだ。お定は唯もう膝の上に載せた萌黄の風呂敷包を、生命よりも大事に抱いて、胸の動悸を聴いてゐた。周囲を数限りなき美しい人立派な人が通る様だ。高い〳〵家もあつた様た。  少し暗い所へ来て、ホツと息を吐いた時は、腕車が恰度本郷四丁目から左に曲つて、菊坂町に入つた所であつた。お定は一寸振返つてお八重を見た。  軈て腕車が止つて、『山田理髪店』と看板を出した明るい家の前。源助に促されて硝子戸の中に入ると、目が眩く程明るくて、壁に列んだ幾面の大鏡、洋燈が幾つも幾つもあつて、白い物を着た職人が幾人も幾人もゐる。何れが実際の人で何れが鏡の中の人なやら、見分もつかぬうちに、また源助に促されて、其店の片隅から畳を布いた所に上つた。  上つたは可いが、何処に坐れば可いのか一寸周章て了つて、二人は暫し其所に立つてゐた。源助は、 『東京は流石に暑い。腕車の上で汗が出たから喃。』と言つて、突然羽織を脱いで投げようとすると、三十六七の小作りな内儀さんらしい人がそれを受取つた。 『怎だ、俺の留守中何も変りはなかつたかえ?』 『別に。』  源助は、長火鉢の彼方へドツカと胡坐をかいて、 『さあ〳〵、お前さん達もお坐んなさい。さあ、ずつと此方へ。』 『さあ何卒。』と内儀さんも言つて、不思議相に二人を見た。二人は人形の様に其処に坐つた。お八重が叩頭をしたので、お定も遅れじと真似した。源助は、 『お吉や、この娘さん達はな、そら俺がよく話した南部の村の、以前非常い事世話になつた家の娘さん達でな。今度是非東京へ出て一二年奉公して見たいといふので、一緒に出て来た次第だがね。これは俺の嬶ですよ。』と二人を見る。 『まあ然うですか。些とお手紙にも其麽事があつたつて、新太郎が言つてましたがね。お前さん達、まあ遠い所をよくお出になつたことねえ。真に。』 『何卒ハア……』と、二人は血を吐く思で漸く言つて、穏しく頭を下げた。 『それにな、今度七日遊んでるうち、此方の此お八重さんといふ人の家に厄介になつて来たんだよ。』 『おや然う。まあ甚麽にか宅ぢや御世話様になりましたか。真に遠い所をよく入来つた。まあ〳〵お二人共自分の家へ来た積りで、緩り見物でもなさいましよ。』  お定は此時、些とも気が付かずに何もお土産を持つて来なかつたことを思つて、一人胸を痛めた。  お吉は小作りなキリリとした顔立の女で、二人の田舎娘には見た事もない程立居振舞が敏捷い。黒繻子の半襟をかけた唐桟の袷を着てゐた。  二人は、それから名前や年齢やをお吉に訊かれたが、大抵源助が引取つて返事をして呉れた。負けぬ気のお八重さへも、何か喉に塞つた様で、一言も口へ出ぬ。況してお定は、以後先、怎して那麽滑かな言葉を習つたもんだらうと、心細くなつて、お吉の顔が自分等の方に向くと、また何か問はれる事と気が気でない。 『阿父様、お帰んなさい。』と言つて、源助の一人息子の新太郎も入つて来た。二人にも挨拶して、六年許り前に一度お定らの村に行つた事があるところから、色々と話を出す。二人は再之の応答に困らせられた。新太郎は六年前の面影が殆ど無く、今はもう二十四五の立派な男、父に似ず背が高くて、キリリと角帯を結んだ恰好の好さ、髪は綺麗に分けてゐて、鼻が高く、色だけは昔ながらに白い。  一体、源助は以前静岡在の生れであるが、新太郎が二歳の年に飄然と家出して、東京から仙台盛岡、其盛岡に居た時、恰も白井家の親類な酒造家の隣家の理髪店にゐたものだから、世話する人あつてお定らの村に行つてゐたので、父親に死なれて郷里に帰ると間もなく、目の見えぬ母とお吉と新太郎を連れて、些少の家屋敷を売払ひ、東京に出たのであつた。其母親は去年の暮に死んで了つたので。  お茶も出された。二人が見た事もないお菓子も出された。  源助とお吉との会話が、今度死んだ函館の伯父の事、其葬式の事、後に残つた家族共の事に移ると、石の様に堅くなつてるので、お定が足に麻痺がきれて来て、膝頭が疼く。泣きたくなるのを漸く辛抱して、凝と畳の目を見てゐる辛さ。九時半頃になつて、漸々「疲れてゐるだらうから。」と、裏二階の六畳へ連れて行かれた。立つ時は足に感覚がなくなつてゐて、危く前に仆らうとしたのを、これもフラフラしたお八重に抱きついて、互ひに辛さうな笑ひを洩らした。  風呂敷包を持つて裏二階に上ると、お吉は二人前の蒲団を運んで来て、手早く延べて呉れた。そして狭い床の間に些と腰掛けて、三言四言お愛想を言つて降りて行つた。  二人限になると、何れも吻と息を吐いて、今し方お吉の腰掛けた床の間に膝をすれ〳〵に腰掛けた。かくて十分許りの間、田舎言葉で密々話し合つた。お土産を持つて来なかつた失策は、お八重も矢張気がついてゐた。二人の話は、源助さんも親切だが、お吉も亦、気の隔けぬ親切な人だといふ事に一致した。郷里の事は二人共何にも言はなかつた。  訝しい事には、此時お定の方が多く語つた事で、阿婆摺と謂はれた程のお八重は、始終受身に許りなつて口寡にのみ応答してゐた。枕についたが、二人とも仲々眠られぬ。さればといつて、別に話すでもなく、細めた洋燈の光に、互に顔を見ては穏しく微笑を交換してゐた。 八  翌朝は、枕辺の障子が白み初めた許りの時に、お定が先づ目を覚ました。嗚呼東京に来たのだつけ、と思ふと、昨晩の足の麻痺が思出される。で、膝頭を伸ばしたり曲めたりして見たが、もう何ともない。階下ではまだ起きた気色がない。世の中が森と沈まり返つてゐて、腕車の上から見た雑踏が、何処かへ消えて了つた様な気もする。不図、もう水汲に行かねばならぬと考へたが、否、此処は東京だつたと思つて幽かに笑つた。それから二三分の間は、東京ぢや怎して水を汲むだらうと云ふ様な事を考へてゐたが、お八重が寝返りをして此方へ顔を向けた。何夢を見てゐるのか、眉と眉の間に皺を寄せて苦し相に息をする。お定はそれを見ると直ぐ起き出して、声低くお八重を呼び起した。  お八重は、深く息を吸つて、パツチリと目を開けて、お定の顔を怪訝相に見てゐたが、 『ア、家に居だのでヤなかつたけな。』と言つて、ムクリと身を起した。それでもまだ得心がいかぬといつた様に周囲を見廻してゐたが、 『お定さん、俺ア今夢見て居だつけおんす。』と甘える様な口調。 『家の方のすか?』 『家の方のす。ああ、可怖がつた。』とお定の膝に投げる様に身を恁せて、片手を肩にかけた。  其夢といふのは恁うで。──村で誰か死んだ。誰が死んだのか解らぬが、何でも老人だつた様だ。そして其葬式が村役場から出た。男も女も、村中の人が皆野送の列に加つたが、巡査が剣の束に手をかけながら、『物を言ふな、物を言ふな』と言つてゐた。北の村端から東に折れると、一町半の寺道、其半ば位まで行つた時には、野送の人が男許り、然も皆洋服を着たり紋付を着たりして、立派な帽子を冠つた髯の生えた人達許りで、其中に自分だけが腕車の上に縛られてゆくのであつたが、甚麽人が其腕車を曳いたのか解らぬ。杉の木の下を通つて、寺の庭で三遍廻つて、本堂に入ると、棺桶の中から何ともいへぬ綺麗な服装をした、美しいお姫様の様な人が出て中央に坐つた。自分も男達と共に坐ると、『お前は女だから。』と言つて、ずつと前の方へ出された。見た事もない小僧達が奥の方から沢山出て来て、鐃や太鼓を鳴らし初めた。それは喇叭節の節であつた。と、例の和尚様が払子を持つて出て来て、綺麗なお姫様の前へ行つて叩頭をしたと思ふと、自分の方へ歩いて来た。高い足駄を穿いてゐる。そして自分の前に突立つて、『お八重、お前はあのお姫様の代りにお墓に入るのだぞ。』と言つた。すると何時の間にか源助さんが側に来てゐて、自分の耳に口をあてて『厭だと言へ、厭だと言へ。』と教へて呉れた。で、『厭だす。』と言つて横を向くと、(此時寝返りしたのだらう。)和尚様が廻つて来て、髭の無い顎に手をやつて、丁度髯を撫で下げる様な具合にすると、赤い〳〵血の様な髭が、延びた〳〵、臍のあたりまで延びた。そして、眼を皿の様に大きくして、『これでもか?』と、怒鳴つた。其時目が覚めた。  お八重がこれを語り了つてから、二人は何だか気味が悪くなつて来て、暫時意味あり気に目と目を見合せてゐたが、何方でも胸に思ふ事は口に出さなかつた。左う右うしてるうちに、階下では源助が大きな噯をする声がして、軈てお吉が何か言ふ。五分許り過ぎて誰やら起きた様な気色がしたので、二人も立つて帯を締めた。で、蒲団を畳まうとしたが、お八重は、 『お定さん、昨晩持つて来た時、此蒲団どア表出して畳まさつてらけすか、裏出して畳まさつてらけすか?』と言ひ出した。 『さあ、何方だたべす。』 『何方だたべな。』 『困つたなア。』 『困つたなす。』と、二人は暫時、呆然立つて目を見合せてゐたが、 『表な樣だつけな。』とお八重。 『表だつたべすか。』 『そだつけぜ。』 『そだたべすか。』  恁くて二人は蒲団を畳んで、室の隅に積み重ねたが、恁麽に早く階下に行つて可いものか怎か解らぬ。怎しようと相談した結果、兎も角も少許待つてみる事にして、室の中央に立つた儘周囲を見廻した。 『お定さん、細え柱だなす。』と大工の娘。奈何様、太い材木を不体裁に組立てた南部の田舎の家に育つた者の目には、東京の家は地震でも揺れたら危い位、柱でも鴨居でも細く見える。 『真にせえ。』とお定も言つた。  で、昨晩見た階下の様子を思出して見ても、此室の畳の古い事、壁紙の所々裂けた事、天井が手の届く程低い事などを考へ合せて見ても、源助の家は、二人及び村の大抵の人の想像した如く、左程立派でなかつた。二人はまた其事を語つてゐたが、お八重が不図、五尺の床の間にかけてある、縁日物の七福神の掛物を指して、 『あれア何だか知だすか?』 『恵比須大黒だべす。』  二人は床の間に腰掛けたが、 『お定さん、これア何だす?』と図中の人を指さす。 『槌持つてるもの、大黒様だべアすか。』 『此方ア?』 『恵比須だす。』 『すたら、これア何だす?』 『布袋様す、腹ア出てるもの。あれ、忠太老爺に似たぜ。』と言ふや、二人は其忠太の恐ろしく肥つた腹を思出して、口に袂をあてた儘、暫しは子供の如く笑ひ続けてゐた。  階下では裏口の戸を開ける音や、鍋の音がしたので、お八重が先に立つて階段を降りた。お吉はそれと見て、 『まあ早いことお前さん達は。まだ〳〵寝んでらつしやれば可いのに。』と、笑顔を作つた。二人は勝手への隔の敷居に両手を突いて、『お早エなつす。』を口の中だけに言つて挨拶をすると、お吉は可笑しさに些と横向いて笑つたが、 『怎もお早う。』と晴やかに言ふ。  よく眠れたかとか、郷里の夢を見なかつたかとか、お吉は昨晩よりもズツト忸々しく種々な事を言つてくれたが、 『お前さん達のお郷里ぢや水道はまだ無いでせう?』  二人は目を見合せた。水道とは何の事やら、其話は源助からも聞いた記憶がない。何と返事をして可いか困つてると、 『何でも一通り東京の事知つてなくちや、御奉公に上つても困るから、私と一緒に入来しやい。教へて上げますから』と、お吉は手桶を持つて下り立つた。『ハ。』と答へて、二人も急いで店から自分達の下駄を持つて来て、裏に出ると、お吉はもう五六間先方へ行つて立つてゐる。  何の事はない、郵便函の小さい様なものが立つてゐて、四辺の土が水に濡れてゐる。 『これが水道ツて言ふんですよ。可ござんすか。それで恁うすると水が幾何でも出て来ます。』と、お吉は笑ひながら栓を捻つた。途端に、水がゴウと出る。 『やあ。』とお八重は思はず驚きに声を出したので、すぐに羞かしくなつて、顔を火の様にした。お定も口にこそ出さなかつたが、同じ『やあ。』が喉元まで出かけたつたので、これも顔を紅くしたが、お吉は其中に一杯になつた桶と空なのと取代へて、 『さあ、何方なり一つ此栓を捻つて御覧なさい。』と、宛然小学校の先生が一年生に教へる様な調子。二人は目と目で互に譲り合つてゐて、仲々手を出さぬので、 『些とも怖い事はないんですよ。』とお吉は笑ふ。で、お八重が思切つて、妙な手つきで栓を力委せに捻ると、特別な仕掛がある訳でないから水が直ぐ出た。お八重は何となく得意になつて、軽く声を出して笑ひながら、お定の顔を見た。  帰りはお吉の辞するも諾かず、二人で桶を一つ宛軽々と持つて、勝手口まで運んだが、背後からお吉が、 『まあお前さん達は力が強い事!』と笑つた。此語の後に潜んだ意味などを、察する程に怜悧いお定ではないので、何だか賞められた様な気がして、密と口元に笑を含んだ。  それから、顔を洗へといはれて、急いで二階から浅黄の手拭やら櫛やらを持つて来たが、鏡は店に大きいのがあるからといはれて、怖る〳〵種々の光る立派な道具を飾り立てた店に行つて、二人は髪を結ひ出した。間もなく、表二階に泊つてる職人が起きて来て、二人を見ると、『お早う。』と声をかけて妙な笑を浮べたが、二人は唯もうきまりが悪くて、顔を赤くして頭を垂れてゐる儘、鏡に写る己が姿を見るさへも羞しく、堅くなつて匇卒に髪を結つてゐたが、それでもお八重の方はチヨイ〳〵横盼を使つて、職人の為る事を見てゐた様であつた。  すべてが恁麽具合で、朝餐も済んだ。其朝餐の時は、同じ食卓に源助夫婦と新さんとお八重お定の五人が向ひ合つたので、二人共三膳とは食へなかつた。此日は、源助が半月に余る旅から帰つたので、それ〴〵手土産を持つて知辺の家を廻らなければならぬから、お吉は家が明けられぬと言つて、見物は明日に決つた。  二人は、不器用な手つきで、食後の始末にも手伝ひ、二人限で水汲にも行つたが、其時お八重はもう、一度経験があるので上級生の様な態度をして、 『流石は東京だでヤなつす!』と言つた。  かくて此日一日は、殆んど裏二階の一室で暮らしたが、お吉は時々やつて来て、何呉となく女中奉公の心得を話してくれるのであつた。お定は、生中礼儀などを守らず、つけ〳〵言つてくれる此女を、もう世の中に唯一人の頼りにして、嘗て自分等の村の役場に、盛岡から来てゐた事のある助役様の内儀さんよりも親切な人だと考へてゐた。  お吉が二人に物言ふさまは、若し傍で見てゐる人があつたなら、甚麽に可笑しかつたか知れぬ。言葉を早く直さねばならぬと言つては、先づ短いのから稽古せよと、『かしこまりました。』とか、『行つてらツしやい。』とか、『お帰んなさい。』とか、『左様でございますか。』とか、繰返し〳〵教へるのであつたが、二人は胸の中でそれを擬ねて見るけれど、仲々お吉の様にはいかぬ。郷里言葉の『然だすか。』と『左様でございますか。』とは、第一長さが違ふ。二人には『で』に許り力が入つて、兎角『さいで、ございますか。』と二つに切れる。 『さあ、一つ口に出して行つて御覧なさいな。』とお吉に言はれると、二人共すぐ顔を染めては、『さあ』『さあ』と互ひに譲り合ふ。  それからお吉はまた、二人が余り穏なしくして許りゐるので、店に行つて見るなり、少許街上を歩いてみるなりしたら怎だと言つて、 『家の前から昨晩腕車で来た方へ少許行くと、本郷の通りへ出ますから、それは〳〵賑かなもんですよ。其処の角には勧工場と云つて何品でも売る所があるし、右へ行くと三丁目の電車、左へ行くと赤門の前──赤門といへば大学の事てすよ、それ、日本一の学校、名前位は聞いた事があるんでせうさ。何に、大丈夫気をつけてさへ歩けば、何処まで行つたつて迷児になんかなりやしませんよ。角の勧工場と家の看板さへ知つてりや。』と言つたが、『それ、家の看板には恁う書いてあつたでせう。』と人差指で畳に「山田」と覚束なく書いて見せた。『やまだと読むんですよ。』  二人は稍得意な笑顔をして頷き合つた。何故なれば、二人共尋常科だけは卒へたのだから、山の字も田の字も知つてゐたからなので。  それでも仲々階下にさへ降り渋つて、二人限になれば何やら密々話合つては、袂を口にあてて声立てずに笑つてゐたが、夕方近くなつてから、お八重の発起で街路へ出て見た。成程大きなペンキ塗の看板には「山田理髪店」と書いてあつて、花の様なお菓子を飾つたお菓子屋と向ひあつてゐる。二人は右視左視して、此家忘れてはなるものかと見廻してると、理髪店の店からは四人の職人が皆二人の方を見て笑つてゐた。二人は交代に振返つては、もう何間歩いたか胸で計算しながら、二町許りで本郷館の前まで来た。  盛岡の肴町位だとお定の思つた菊坂町は、此処へ来て見ると宛然田舎の様だ。あゝ東京の街! 右から左から、刻一刻に満干する人の潮! 三方から電車と人とが崩れて来る三丁目の喧囂は、宛がら今にも戦が始りさうだ。お定はもう一歩も前に進みかねた。  勧工場は、小さいながらも盛岡にもある。お八重は本郷館に入つて見ないかと言出したが、お定は『此次にすべす。』と言つて渋つた。で、お八重は決しかねて立つてゐると、車夫が寄つて来て、頻りに促す。二人は怖ろしくなつて、もと来た路を駆け出した。此時も背後に笑声が聞えた。  第一日は恁くて暮れた。 九  第二日目は、お吉に伴れられて、朝八時頃から見物に出た。  先づ赤門、『恁麽学校にも教師ア居べすか?』とお定は囁やいたが、『居るのす。』と答へたお八重はツンと済してゐた。不忍の池では海の様だと思つた。お定の村には山と川と田と畑としか無かつたので。さて上野の森、話に聞いた銅像よりも、木立の中の大仏の方が立派に見えた。電車といふものに初めて乗せられて、浅草は人の塵溜、玉乗に汗を握り、水族館の地下室では、源助の話を思出して帯の間の財布を上から抑へた。人の数が掏摸に見える。凌雲閣には余り高いのに怖気立つて、遂々上らず。吾妻橋に出ては、東京では川まで大きいと思つた。両国の川開きの話をお吉に聞かされたが、甚麽事をするものやら遂に解らず了ひ。上潮に末広の長い尾を曳く川蒸汽は、仲々異なものであつた。銀座の通り、新橋のステイシヨン、勧工場にも幾度か入つた。二重橋は天子様の御門と聞いて叩頭をした。日比谷の公園では、立派な若い男と女が手をとり合つて歩いてるのに驚いた。  須田町の乗換に方角を忘れて、今来た方へ引返すのだと許り思つてるうちに、本郷三丁目に来て降りるのだといふ。お定はもう日が暮れかかつてるのに、まだ引張り廻されるのかと、気が気でなくなつたが、一町と歩かずに本郷館の横へ曲つた時には、東京の道路は訝しいものだと考へた。  理髪店に帰ると、源助は黒い額に青筋立てて、長火鉢の彼方に怒鳴つてゐた。其前には十七許りの職人が平蜘蛛の如く匍つてゐる。此間から見えなかつた斬髪機が一挺、此職人が何処かに隠し込んで置いたのを見付かつたとかで。お定は二階の風呂敷包が気になつた。  二人はもう、身体も心も綿の如く疲れきつてゐて、昼頃何処やらで蕎麦を一杯宛食つただけなのに、燈火がついて飯になると、唯一膳の飯を辛と喉を通した。頭脳は懵乎としてゐて、これといふ考へも浮ばぬ。話も興がない。耳の底には、まだ轟々たる都の轟きが鳴つてゐる。  幸ひ好い奉公の口があつたが、先づ四五日は緩り遊んだが可からうといふ源助の話を聞いて、二人は夕餐が済むと間もなく二階に上つた。二人共「疲れた。」と許り、べたりと横に坐つて、話もない。何処かしら非常に遠い所へ行つて来た様な心地である。浅草とか日比谷とかいふ語だけは、すぐ近間にある様だけれど、それを口に出すには遠くまで行つて来なけやならぬ様に思へる。一時間前まで見て来た色々の場所、あれも〳〵と心では数へられるけれど、さて其景色は仲々眼に浮ばぬ。目を瞑ると轟々たる響。玉乗や、勧工場の大きな花瓶が、チラリ、チラリと心を掠める。足下から鳩が飛んだりする。  お吉が、『電車ほど便利なものはない。』と言つた。然しお定には、電車程怖ろしいものはなかつた。線路を横切つた時の心地は、思出しても冷汗が流れる。後先を見廻して、一町も向うから電車が来ようものなら、もう足が動かぬ。漸つとそれを遣り過して、十間も行つてから思切つて向側に駆ける。先づ安心と思ふと胸には動悸が高い。況して乗つた時の窮屈さ。洋服着た男とでも肩が擦れ〳〵になると、訳もなく身体が縮んで了つて、些と首を動かすにも頸筋が痛い思ひ。停るかと思へば動き出す。動き出したかと思へば停る。しつきりなしの人の乗降、よくも間違が起らぬものと不思議に堪へなかつた。電車に一町乗るよりは、山路を三里素足で歩いた方が杳か優しだ。  大都は其凄まじい轟々たる響きを以て、お定の心を圧した。然しお定は別に郷里に帰りたいとも思はなかつた。それかと言つて、東京が好なのでもない。此処に居ようとも思はねば、居まいとも思はぬ。一刻の前をも忘れ、一刻の後をも忘れて、穏なしいお定は疲れてゐるのだ。たゞ疲れてゐるのだ。  煎餅を盛つた小さい盆を持つて、上つて来たお吉は、明日お湯屋に伴れて行くと言つて、下りて行つた。  九時前に二人は蒲団を延べた。  三日目は雨。  四日目は降りみ降らずみ。九月ももう二十日を過ぎたので、残暑の汗を洗ふ雨の糸を、初秋めいたうそ寒さが白く見せて、蕭々と廂を濡らす音が、山中の村で聞くとは違つて、厭に陰気な心を起させる。二人は徒然として相対した儘、言葉少なに郷里の事を思出してゐた。  午餐が済んで、二人がまだお吉と共に勝手にゐたうちに、二人の奉公口を世話してくれたといふ、源助と職業仲間の男が来て、先様では一日も早くといふから、今日中に遣る事にしたら怎だと言つた。  源助は、二人がまだ何にも東京の事を知らぬからと言ふ様な事を言つてゐたが、お吉は、行つて見なけや何日までだつて慣れぬといふ其男の言葉に賛成した。  遂に行く事に決つた。  で、お吉は先づお八重、次にお定と、髪を銀杏返しに結つてくれたが、お定は、余り前髪を大きく取つたと思つた。帯も締めて貰つた。  三時頃になつて、お八重が先づ一人源助に伴なはれて出て行つた。お定は急に淋しくなつて七福神の床の間に腰かけて、小さい胸を犇と抱いた。眼には大きい涙が。  一時間許りで源助は帰つて来たが、先様の奥様は淡白な人で、お八重を見るや否や、これぢや水道の水を半年もつかふと、大した美人になると言つた事などを語つた。  早目に晩餐を済まして、今度はお定の番。すぐ近い坂の上だといふ事で、風呂敷包を提げた儘、黄昏時の雨の霽間を源助の後に跟いて行つたが、何と挨拶したら可いものかと胸を痛めながら悄然と歩いてゐた。源助は、先方でも真の田舎者な事を御承知なのだから、万事間違のない様に奥様の言ふ事を聞けと繰返し教へて呉れた。  真砂町のトある小路、右側に「小野」と記した軒燈の、点火り初めた許りの所へ行つて、 『此の家だ。』と源助は入口の格子をあけた。お定は遂ぞ覚えぬ不安に打たれた。  源助は三十分許り経つて帰つて行つた。  竹筒台の洋燈が明るい。茶棚やら箪笥やら、時計やら、箪笥の上の立派な鏡台やら、八畳の一室にありとある物は皆、お定に珍らしく立派なもので。黒柿の長火鉢の彼方に、二寸も厚い座蒲団に坐つた奥様の年は二十五六、口が少しへの字になつて鼻先が下に曲つてるけれども、お定には唯立派な奥様に見えた。お定は洋燈の光に小さくなつて、石の如く坐つてゐた。  銀行に出る人と許り聞いて来たのであるが、お定は銀行の何ものなるも知らぬ。其旦那様はまだお帰りにならぬといふ事で、五歳許りの、眼のキヨロ〳〵した男の児が、奥様の傍に横になつて、何やら絵のかいてある雑誌を見つゝ、時々不思議相にお定を見てゐた。  奥様は、源助を送り出すと、其儘手づから洋燈を持つて、家の中の部屋々々をお定に案内して呉れたのであつた。玄関の障子を開けると三畳、横に六畳間、奥が此八畳間、其奥にも一つ六畳間があつて主人夫婦の寝室になつてゐる。台所の横は、お定の室と名指された四畳の細長い室で、二階の八畳は主人の書斎。  さて、奥様は、真白な左の腕を見せて、長火鉢の縁に臂を突き乍ら、お定のために明日からの日課となるべき事を細々と説くのであつた。何処の戸を一番先に開けて、何処の室の掃除は朝飯過で可いか。来客のある時の取次の仕方から、下駄靴の揃へ様、御用聞に来る小僧等への応対の仕方まで、艶のない声に諄々と喋り続けるのであるが、お定には僅かに要領だけ聞きとれたに過ぎぬ。  其処へ旦那様がお帰りになると、奥様は座を譲つて、反対の側の、先刻まで源助の坐つた座蒲団に移つたが、 『貴郎、今日は大層遅かつたぢやございませんか?』 『ああ、今日は重役の鈴木ン許に廻つたもんだからな。(と言つてお定の顔を見てゐたが)これか、今度の女中は?』 『ええ、先刻菊坂の理髪店だつてのが伴れて来ましたの。(お定を向いて)此方が旦那様だから御挨拶しな。』 『ハ。』と口の中で答へたお定は、先刻からもう其挨拶に困つて了つて、肩をすぼめて切ない思ひをしてゐたので、恁ういはれると忽ち火の様に赤くなつた。 『何卒ハ、お頼申します。』と、聞えぬ程に言つて、両手を突く。旦那様は、三十の上を二つ三つ越した、髯の厳しい立派な人であつた。 『名前は?』 といふを冒頭に、年齢も訊かれた、郷里も訊かれた、両親のあるか無いかも訊かれた。学校へ上つたか怎かも訊かれた。お定は言葉に窮つて了つて、一言言はれる毎に穴あらば入りたくなる。足が耐へられぬ程麻痺れて来た。  稍あつてから、『今夜は何もしなくても可いから、先刻教へたアノ洋燈をつけて、四畳に行つてお寝み、蒲団は其処の押入に入つてある筈だし、それから、まだ慣れぬうちは夜中に目をさまして便所にでもゆく時、戸惑ひしては不可から、洋燈は細めて危なくない所に置いたら可いだらう。』と言ふ許可が出て、奥様から燐寸を渡された時、お定は甚麽に嬉しかつたか知れぬ。  言はれた通りに四畳へ行くと、お定は先づ両脚を延ばして、膝頭を軽く拳で叩いて見た。一方に障子二枚の明りとり、昼はさぞ薄暗い事であらう。窓と反対の、奥の方の押入を開けると、蒲団もあれば枕もある。妙な臭気が鼻を打つた。  お定は其処に膝をついて、開けた襖に片手をかけた儘一時間許りも身動きをしなかつた。先づ明日の朝自分の為ねばならぬ事を胸に数へたが、お八重さんが今頃怎してる事かと、友の身が思はれる。郷里を出て以来、片時も離れなかつた友と別れて、源助にもお吉にも離れて、ああ、自分は今初めて一人になつたと思ふと、穏しい娘心はもう涙ぐまれる。東京の女中! 郷里で考へた時は何ともいへぬ華やかな楽しいものであつたに、……然ういへば自分はまだ手紙も一本郷里へ出さぬ。と思ふと、両親の顔や弟共の声、馬の事、友達の事、草刈の事、水汲の事、生れ故郷が詳らかに思出されて、お定は凝と涙の目を押瞑つた儘、『阿母、許してけろ。』と胸の中で繰返した。  左う右うしてるうちにも、神経が鋭くなつてゐて、壁の彼方から聞える主人夫婦の声に、若しや自分の事を言やせぬかと気をつけてゐたが、時計が十時を打つと、皆寝て了つた様だ。お定は、若しも明朝寝坊をしてはと、漸々涙を拭つて蒲団を取出した。  三分心の置洋燈を細めて、枕に就くと、気が少し暢然した。お八重さんももう寝たらうかと、又しても友の上を思出して、手を伸べて掛蒲団を引張ると、何となくフワリとして綿が柔かい。郷里で着て寝たのは、板の様に薄く堅い、荒い木綿の飛白の皮をかけたのであつたが、これは又源助の家で着たのよりも柔かい。そして、前にゐた幾人の女中の汗やら髪の膩やらが浸みてるけれども、お定には初めての、黒い天鵞絨の襟がかけてあつた。お定は不図、丑之助がよく自分の頬片を天鵞絨の様だと言つた事を思出した。  また降り出したと見えて、蕭かな雨の音が枕に伝はつて来た。お定は暫時恍乎として、自分の頬を天鵞絨の襟に擦つて見てゐたが、幽かな微笑を口元に漂はせた儘で、何時しか安らかな眠に入つて了つた。 十  目が覚めると、障子が既に白んで、枕辺の洋燈は昨晩の儘に点いてはゐるけれど、光が鈍く䗹々と幽かな音を立ててゐる。寝過しはしないかと狼狽へて、すぐ寝床から飛起きたが、誰も起きた様子がない。で、昨日まで着てゐた衣服は手早く畳んで、萌黄の風呂敷包から、荒い縞の普通着(郷里では無論普通に着なかつたが)を出して着換へた。帯も紫がかつた繻子ののは畳んで、幅狭い唐縮緬の丸帯を締めた。  奥様が起きて来る気配がしたので、大急ぎに蒲団を押入に入れ、劃の障子をあけると、 『早いね。』と奥様が声をかけた。お定は台所の板の間に膝をついてお叩頭をした。  それからお定は吩咐に随つて、焜炉に炭を入れて、石油を注いで火をおこしたり、縁側の雨戸を繰つたりしたが、 『まだ水を汲んでないぢやないか?』 と言はれて、台所中見廻したけれども、手桶らしいものが無い。すると奥様は、 『それ其処にバケツが有るよ。それ、それ、何処を見てるだらう、此人は。』と言つて、三和土になつた流場の隅を指した。お定は、指された物を自分で指して、叱られたと思つたから顔を赤くしながら、 『これでごあんすか?』と奥様の顔を見た。バケツといふ物は見た事がないので。 『然うとも。それがバケツでなくて何ですかよ。』と稍御機嫌が悪い。  お定は、恁麽物に水を汲むのだもの、俺には解る筈がないと考へた。  此家では、「水道」が流場の隅にあつた。  長火鉢の鉄瓶の水を代へたり、方々雑巾を掛けさせられたりしてから、お定は小路を出て一町程行つた所の八百屋に使ひに遣られた。奥様は葱とキヤベーヂを一個買つて来いといふのであつたが、キヤベーヂとは何の事か解らぬ。で、恐る〳〵聞いて見ると、『それ恁麽ので(と両手で円を作つて)白い葉が堅く重なつてるのさ。お前の郷里にや無いのかえ。』と言はれた。でお定は、 『ハア、玉菜でごあんすか。』と言ふと、 『名は怎でも可いから早く買つて来なよ。』と急き立てられる。お定はまた顔を染めて戸外へ出た。  八百屋の店には、朝市へ買出しに行つた車がまだ帰つて来ないので、昨日の売残りが四種五種列べてあるに過ぎなかつたが、然しお定は、其前に立つと、妙な心地になつた。何とやらいふ菜に茄子が十許り、脹切れさうによく出来た玉菜が五個六個、それだけではあるけれ共、野良育ちのお定には此上なく慕かしい野菜の香が、仄かに胸を爽かにする。お定は、露を帯びた裏畑を頭に描き出した。ああ、あの紫色な茄子の畝! 這ひ蔓つた葉に地面を隠した瓜畑! 水の様な暁の光に風も立たず、一夜さを鳴き細つた虫の声!  萎びた黒繻子の帯を、ダラシなく尻に垂れた内儀に、『入来しやい。』と声をかけられたお定は、もうキヤベーヂといふ語を忘れてゐたので、唯『それを』と指さした。葱は生憎一把もなかつた。  風呂敷に包んだ玉菜一個を、お定は大事相に胸に抱いて、仍且郷里の事を思ひながら主家に帰つた。勝手口から入ると、奥様が見えぬ。お定は密りと玉菜を出して、膝の上に載せた儘、暫時は飽かずも其香を嗅いでゐた。 『何してるだらう、お定は?』と、直ぐ背後から声をかけられた時の不愍さ!  朝餐後の始末を兎に角に終つて、旦那様のお出懸に知らぬ振をして出て来なかつたと奥様に小言を言はれたお定は、午前十時頃、何を考へるでもなく呆然と、台所の中央に立つてゐた。  と、他所行の衣服を着たお吉が勝手口から入つて来たので、お定は懐かしさに我を忘れて、『やあ』と声を出した。お吉は些と笑顔を作つたが、 『まあ大変な事になつたよ、お定さん。』 『怎したべす?』 『怎したも恁うしたも、お郷里からお前さん達の迎へが来たよ。』 『迎へがすか?』と驚いたお定の顔には、お吉の想像して来たと反対に、何ともいへぬ嬉しさが輝いた。  お吉は暫時呆れた様にお定の顔を見てゐたが、 『奥様は被居しやるだらう、お定さん。』  お定は頷いて障子の彼方を指した。 『奥様にお話して、これから直ぐお前さんを伴れてかなけやならないのさ。』  お吉は、お定に取次を頼むも面倒といつた様に、自分で障子に手をかけて、『御免下さいまし。』と言つた儘、中に入つて行つた。お定は台所に立つたなり、右手を胸にあてて奥様とお吉の話を洩れ聞いてゐた。  お吉の言ふ所では、迎への人が今朝着いたといふ事で、昨日上げた許りなのに誠に申訳がないけれど、これから直ぐお定を帰してやつて呉れと、言葉滑らかに願つてゐた。 『それはもう、然ういふ事情なれば、此方で置きたいと言つたつて仕様がない事だし、伴れて帰つても構ひませんけど、』と奥様は言つて『だけどね、漸つと昨晩来た許りで、まだ一昼夜にも成らないぢやないかねえ。』 『其処ン所は何ともお申訳がございませんのですが、何分手前共でも迎への人が来ようなどとは、些とも思懸けませんでしたので。』 『それはまあ仕方がありませんさ。だが、郷里といつても随分遠い所でせう?』 『ええ、ええ、それはもう遙と遠方で、南部の鉄瓶を拵へる所よりも、まだ余程田舎なさうでございます。』 『其麽処からまあ、よくねえ。』と言つて、『お定や、お定や。』  お定は、怎やら奥様に済まぬ様な気がするので、怖る〳〵行つて坐ると、お前も聞いた様な事情だから、まだ一昼夜にも成らぬのにお前も本意ないだらうけれども、この内儀さんと一緒に帰つたが可からうと言ふ奥様の話で、お定は唯顔を赤くして堅くなつて聞いてゐたが、軈てお吉に促されて、言葉寡に礼を述べて其家を出た。  戸外へ出ると、お定は直ぐ、 『甚麽人だべ、お内儀さん?』と訊いた。 『いけ好かない奥様だね。』と言つたが、『迎への人かえ? 何とか言つたつけ、それ、忠吉さんとか忠次郎さんとかいふ、禿頭の腹の大かい人だよ。』 『忠太ツて言ふべす、そだら。』 『然う〳〵、其忠太さんさ。面白い語な人だねえ。』と言つたが、『来なくても可いのに、お前さん達許り詰らないやね、態々出て来て直ぐ伴れて帰られるなんか。』 『真に然うでごあんす。』と、お定は口を噤んで了つた。  稍あつてから再、『お八重さんは怎したべす?』と訊いた。 『お八重さんには新太郎が迎ひに行つたのさ。』  源助の家へ帰ると、お八重はまだ帰つてゐなかつたが、腰までしか無い短い羽織を着た、布袋の様に肥つた忠太老爺が、長火鉢に源助と向合つてゐて、お定を見るや否や、突然、 『七日八日見ねえでる間に、お定ツ子ア遙と美え女子になつた喃。』と、四辺構はず高い声で笑つた。  お定は路々、郷里から迎ひが来たといふのが嬉しい様な、また、其人が自分の嫌ひな忠太と聞いて不満な様な心地もしてゐたのであるが、生れてから十九の今まで毎日々々聞き慣れた郷里言葉を其儘に聞くと、もう胸の底には不満も何も消えて了つた。  で、忠太は先づ、二人が東京へ逃げたと知れた時に、村では両親初め甚麽に驚かされたかを語つて、源助さんの世話になつてるなれば心配はない様なものの、親心といふものは又別なもの、自分も今は急がしい盛りだけれど、強ての頼みを辞み難く、態々迎ひに来たと語るのであつたが、然し一言もお定に対して小言がましい事は言はなかつた。何故なれば忠太は其実、矢張り源助の話を聞いて以来、死ぬまでには是非共一度は東京見物に行きたいものと、家には働手が多勢ゐて自分は閑人なところから、毎日考へてゐた所へ、幸ひと二人の問題が起つたので、構はずにや置かれぬから何なら自分が行つて呉れても可いと、不取敢気の小さい兼大工を説き落し、兼と二人でお定の家へ行つて、同じ事を遠廻しに詳々と喋り立てたのであるが、母親は流石に涙顔をしてゐたけれども、定次郎は別に娘の行末を悲観してはゐなかつた。それを漸々納得させて、二人の帰りの汽車賃と、自分のは片道だけで可いといふので、兼から七円に定次郎から五円、先づ体の可い官費旅行の東京見物を企てたのであつた。  軈てお八重も新太郎に伴れられて帰つて来たが、坐るや否や先づ険しい眼尻を一層険しくして、凝と忠太の顔を睨むのであつた。忠太は、お定に言つたと同じ様な事を、繰返してお八重にも語つたが、お八重は返事も碌々せず、脹れた顔をしてゐた。  源助の忠太に対する驩待振は、二人が驚く許り奢つたものであつた。無論これは、村の人達に伝へて貰ひたい許りに、少許は無理な事までして外見を飾つたのであるが。  其夜は、裏二階の六畳に忠太とお八重お定の三人枕を並べて寝せられたが、三人限になると、お八重は直ぐ忠太の膝をつねりながら、 『何しや来たす此人ア。』と言つて、執念くも自分等の新運命を頓挫させた罪を詰るのであつたが、晩酌に陶然とした忠太は、間もなく高い鼾をかいて、太平の眠に入つて了つた。するとお八重は、お定の穏しくしてるのを捉まへて、自分の行つた横山様が、何とかいふ学校の先生をして、四十円も月給をとる学士様な事や、其奥様の着てゐた衣服の事、自分を大層可愛がつてくれた事、それからそれと仰々しく述べ立てて、今度は仕方がないから帰るけれど、必ず再自分だけは東京に来ると語つた。そしてお八重は、其奥様のお好みで結はせられたと言つて、生れて初めての廂髪に結つてゐて、奥様から拝領の、少し油染みた、焦橄欖のリボンを大事相に揷してゐた。  お八重は又、自分を迎ひに来て呉れた時の新太郎の事を語つて『那麽親切な人ア家の方にや無えす。』と讃めた。  お定はお八重の言ふが儘に、唯穏しく返事してゐた。  その後二三日は、新太郎の案内で、忠太の東京見物に費された。お八重お定の二人も、もう仲々来られぬだらうから、よく見て行けと言ふので、毎日其随伴をした。  二人は又、お吉に伴れられて行つて、本郷館で些少な土産物をも買ひ整へた。 十一  お八重お定の二人が、郷里を出て十二日目の夕、忠太に伴れられて、上野のステイシヨンから帰郷の途に就いた。  貫通車の三等室、東京以北の諸有国々の訛を語る人々を、ぎつしりと詰めた中に、二人は相並んで、布袋の様な腹をした忠太と向合つてゐた。長い〳〵プラツトフオームに数限りなき掲燈が昼の如く輝き初めた時、三人を乗せた列車が緩やかに動ぎ出して、秋の夜の暗を北に一路、刻一刻東京を遠ざかつて行く。  お八重はいはずもがな、お定さへも此時は妙に淋しく名残惜しくなつて、密々と其事を語り合つてゐた。此日は二人共廂髪に結つてゐたが、お定の頭にはリボンが無かつた。忠太は、棚の上の荷物を気にして、時々其を見上げ〳〵しながら、物珍らし相に乗合の人々を、しげ〳〵見比べてゐたが、一時間許り経つと、少し身体を曲めて、 『尻ア痛くなつて来た。』と呟いた。『汝ア痛くねえが?』 『痛くねえす。』とお定は囁いたが、それでも忠太がまだ何か話欲しさうに曲んでるので、 『家の方でヤ玉菜だの何ア大きくなつたべなす。』 『大きくなつたどもせえ。』と言つた忠太の声が大きかつたので、周囲の人は皆此方を見る。 『汝ア共ア逃げでがら、まだ二十日にも成んめえな。』  お定は顔を赤くしてチラと周囲を見たが、その儘返事もせず俯いて了つた。お八重は顔を蹙めて厭々し気に忠太を横目で見てゐた。  十時頃になると、車中の人は大抵こくり〳〵と居睡を始めた。忠太は思ふ様腹を前に出して、グツと背後に凭れながら、口を開けて、時々鼾をかいてゐる。お八重は身体を捻つて背中合せに腰掛けた商人体の若い男と、頭を押接けた儘、眠つたのか眠らぬのか、凝としてゐる。  窓の外は、機関車に悪い石炭を焚くので、雨の様な火の子が横様に、暗を縫うて後方に飛ぶ。懐手をして、円い頤を襟に埋めて俯いてゐるお定は、郷里を逃げ出して以来の事をそれからそれと胸に数へてゐた。お定の胸に刻みつけられた東京は、源助の家と、本郷館の前の人波と、八百屋の店と、への字口の鼻先が下向いた奥様とである。この四つが、目眩ろしき火光と轟々たる物音に、遠くから包まれて、ハツと明るい。お定が一生の間、東京といふ言葉を聞く毎に、一人胸の中に思出す景色は、恐らく此四つに過ぎぬであらう。  軈てお定は、懐手した左の指を少し許り襟から現して、柔かい己が頬を密と撫でて見た。小野の家で着て寝た蒲団の、天鵞絨の襟を思出したので。  瞬く間、窓の外が明るくなつたと思ふと、汽車は、トある森の中の小さい駅を通過した。お定は此時、丑之助の右の耳朶の、大きい黒子を思出したのである。  新太郎と共に、三人を上野まで送つて呉れたお吉は、さぞ今頃、此間中は詰らぬ物入をしたと、寝物語に源助にこぼしてゐる事であらう。 (了) 〔生前未発表・明治四十一年五月~六月稿〕 底本:「石川啄木全集 第三巻 小説」筑摩書房    1978(昭和53)年10月25日初版第1刷発行    1993(平成5年)年5月20日初版第7刷発行 ※生前未発表、1908(明治41)年5~6月執筆のこの作品の本文を、底本は、土岐善麿氏所蔵啄木自筆原稿によっています。 ※「欖の14かく目の「一」が「丶」」は「デザイン差」と見て「欖」で入力します。 入力:Nana ohbe 校正:川山隆 2008年10月28日作成 2012年9月17日修正 青空文庫作成ファイル: 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