札幌 石川啄木 Guide 扉 本文 目 次 札幌  半生を放浪の間に送つて来た私には、折にふれてしみ〴〵思出される土地の多い中に、札幌の二週間ほど、慌しい様な懐しい記憶を私の心に残した土地は無い。あの大きい田舎町めいた、道幅の広い、物静かな、木立の多い、洋風擬ひの家屋の離れ〴〵に列んだ──そして甚麽大きい建物も見涯のつかぬ大空に圧しつけられてゐる様な、石狩平原の中央の都の光景は、やゝもすると私の目に浮んで来て、優しい伯母かなんぞの様に心を牽引ける。一年なり、二年なり、何時かは行つて住んで見たい様に思ふ。  私が初めて札幌に行つたのは明治四十年の秋風の立初めた頃である。──それまで私は函館に足を留めてゐたのだが、人も知つてゐるその年八月二十五日の晩の大火に会つて、幸ひ類焼は免れたが、出てゐた新聞社が丸焼になつて、急には立ちさうにもない。何しろ、北海道へ渡つて漸々四ヶ月、内地(と彼地ではいふ。)から家族を呼寄せて家を持つた許りの事で、土地に深い親みは無し、私も困つて了つた。其処へ道庁に勤めてゐる友人の立見君が公用旁々見舞に来て呉れたので、早速履歴書を書いて頼んで遣り、二三度手紙や電報の往復があつて、私は札幌の××新聞に行く事に決つた。条件は余り宜くなかつたが、此際だから腰掛の積りで入つたがよからうと友人からも言つて来た。  私は少し許りの畳建具を他に譲る事にして旅費を調へた。その時は、函館を発つ汽車汽船が便毎に「焼出され」の人々を満載してゐた頃で、其等の者が続々入込んだ為に、札幌にも小樽にも既う一軒の貸家も無いといふ噂もあり、且は又、先方へ行つて直ぐ家を持つだけの余裕も無しするから、家族は私の後から一先づ小樽にゐた姉の許へ引上げる事にした。  九月十何日かであつた。降り続いた火事後の雨が霽ると、伝染病発生の噂と共に底冷のする秋風が立つて、家を失ひ、職を失つた何万の人は、言ひ難き物の哀れを一様に味つてゐた。市街の大半を占めてゐる焼跡には、仮屋建ての鑿の音が急がしく響き合つて、まだ何処となく物の燻る臭気の残つてゐる空気に新らしい木の香が流れてゐた。数少い友人に送られて、私は一人夜汽車に乗つた。  翌暁小樽に着く迄は、腰下す席もない混雑で、私は一夜車室の隅に立ち明した。小樽で下車して、姉の家で朝飯を喫め、三時間許りも仮寝をしてからまた車中の人となつた。車輪を洗ふ許りに涵々と波の寄せてゐる神威古潭の海岸を過ぎると、銭函駅に着く。汽車はそれから真直に石狩の平原に進んだ。  未見の境を旅するといふ感じは、犇々と私の胸に迫つて来た。空は低く曇つてゐた。目を遮ぎる物もない曠野の処々には人家の屋根が見える。名も知らぬ灌木の叢生した箇処がある。沼地がある──其処には蘆荻の風に騒ぐ状が見られた。不図、二町とは離れぬ小溝の縁の畔路を、赤毛の犬を伴れた男が行く。犬が不意に駆け出した。男は膝まづいた。その前に白い煙がパツと立つた──猟夫だ。蘆荻の中から鴫らしい鳥が二羽、横さまに飛んで行くのが見えた。其向ふには、灌木の林の前に茫然と立つて、汽車を眺めてゐる農夫があつた。  恁くして北海道の奥深く入つて行くのだ。恁くして、或者は自然と、或者は人間同志で、内地の人の知らぬ劇しい戦ひを戦つてゐる北海道の生活の、だん〳〵底へと入つて行くのだ──といふ感じが、その時私の心に湧いた。──その時はまだ私の心も単純であつた。既にその劇しい戦ひの中へ割込み、底から底と潜り抜けて、遂々敗けて帰つて来た私の今の心に較べると、実際その時の私は、単純であつた──  小雨が音なく降り出した来た。気が付くと、同車の人々は手廻りの物などを片付けてゐる。小娘に帯を締直して遣つてゐる母親もあつた。既う札幌に着くのかと思つて、時計を見ると一時を五分過ぎてゐた。窓から顔を出すと、行手に方つて蓊乎とした木立が見え、大きい白ペンキ塗の建物も見えた。間もなく其建物の前を過ぎて、汽車は札幌駅に着いた。  乗客の大半は此処で降りた。私も小形の鞄一つを下げて乗降庭に立つと、二歳になる女の児を抱いた、背の高い立見君の姿が直ぐ目についた。も一人の友人も迎へに来て呉れた。 『君の家は近いね?』 『近い。どうして知つてるね?』 『子供を抱いて来てるぢやないか。』  改札口から広場に出ると、私は一寸立停つて見たい様に思つた。道幅の莫迦に広い停車場通りの、両側のアカシヤの街樾は、蕭条たる秋の雨に遠く〳〵煙つてゐる。其下を往来する人の歩みは皆静かだ。男も女もしめやかな恋を抱いて歩いてる様に見える。蛇目の傘をさした若い女の紫の袴が、その周匝の風物としつくり調和してゐた。傘をさす程の雨でもなかつた。 『この逵は僕等がアカシヤ街と呼ぶのだ。彼処に大きい煉瓦造りが見える。あれは五号館といふのだ。……奈何だ、気に入らないかね?』 『好い! 何時までも住んでゐたい──』  実際私は然う思つた。  立見君の宿は北七条の西○丁目かにあつた。古い洋風擬ひの建物の、素人下宿を営んでゐる林といふ寡婦の家に室借りをしてゐた。立見君は其室を「猫箱」と呼んでゐた。台所の後の、以前は物置だつたらしい四畳半で、屋根の傾斜なりに斜めに張られた天井は黒く、隅の方は頭が閊へて立てなかつた。其狭い室の中に机もあれば、夜具もある、行李もある。林務課の事業手といふ安腰弁の立見君は、細君と女児と三人で其麽室にゐ乍ら、時々藤村調の新体詩などを作つてゐた。机の上には英吉利人の古い詩集が二三冊、旧新約全書、それから、今は忘れて読めなくなつたと言ふ独逸文の宗教史──これらは皆、何かしら立見君の一生に忘れ難い紀念があるのだらう──などが載つてゐた。  私もその家に下宿する事になつた。尤も明間は無かつたから、停車場に迎へに来て呉れたも一人の方の友人──目形君──と同室する事にしたのだ。  宿の内儀は既う四十位の、亡夫は道庁で可也な役を勤めた人といふだけに、品のある、気の確乎した、言葉に西国の訛りのある人であつた。娘が二人、妹の方はまだ十三で、背のヒヨロ高い、愛嬌のない寂しい顔をしてゐる癖に、思ふ事は何でも言ふといつた様な淡白な質で、時々間違つた事を喋つては衆に笑はれて、ケロリとしてゐる児であつた。  姉は真佐子と言つた。その年の春、さる外国人の建てゝゐる女学校を卒業したとかで、体はまだ充分発育してゐない様に見えた。妹とは肖ても肖つかぬ丸顔の、色の白い、何処と言つて美しい点はないが、少し藪睨みの気味なのと片笑靨のあるのとに人好きのする表情があつた。女学校出とは思はれぬ様な温雅かな娘で、絶え〴〵な声を出して讃美歌を歌つてゐる事などがあつた。学校では大分宗教的な教育を享けたらしい。母親は、妹の方をば時々お転婆だ〳〵と言つてゐたが、姉には一言も小言を言はなかつた。  その外に遠い親戚だという眇目な男がゐた。警察の小使をした事があるとかで、夜分などは「現行警察法」といふ古い本を繙いてゐる事があつた。その男が内儀の片腕になつて家事万端立働いてゐて、娘の真佐子はチヨイ〳〵手伝ふ位に過ぎなかつた。何でも母親の心にしては、末の手頼にしてゐる娘を下宿屋の娘らしくは育てたくなかつたのであらう。素人屋によくある例で、我々も食事の時は一同茶の間に出て、食卓を囲んで食ふことになつてゐたが、内儀はその時も成るべく娘には用をさせなかつた。  或朝、私が何か捜す物があつて鞄の中を調べてゐると、まだ使はない絵葉書が一枚出た。青草の中に罌粟らしい花の沢山咲き乱れてゐる、油絵まがひの絵であつた。不図、其処へ妹娘の民子が入つて来て、 『マア、綺麗な……』 と言つて覗き込む、 『上げませうか?』 『可くつて?』  手にとつて嬉しさうにして見てゐたが、 『これ、何の花?』 『罌粟。』 『恁麽花、いつか姉ちやんも画いた事あつてよ。』  すると、其日の昼飯の時だ。私は例の如く茶の間に行つて同宿の人と一緒に飯を食つてゐると、風邪の気味だといつて学校を休んで、咽喉に真綿を捲いてゐる民子が窓側で幅の広い橄欖色の飾紐を弄つてゐる。それを見付けた母親は、 『民イちやん、貴女何ですそれ、また姉さんの飾紐を。』 『貰つたの。』とケロリとしてゐる。 『嘘ですよウ。其麽色はまだ貴女に似合ひませんもの、何で姉さんが上げるものですか?」 『真箇。ホラ、今朝島田さんから戴いた綺麗な絵葉書ね、姉ちやんがあれを取上げて奈何しても返さないから、代りに此を貰つたの。』 『そんなら可いけれど、此間も真佐アちやんの絵具を那麽にして了うたぢやありませんか?」  私は列んでゐた農科大学生と話をし出した。  それから、飯を済まして便所に行つて来ると、真佐子は例の場所に坐つて、(其処は私の室の前、玄関から続きの八畳間で、家中の人の始終通る室だが、真佐子は外に室がないので、其処の隅ツコに机や本箱を置いてゐた。)編物に倦きたといふ態で、片肘を机に突き、編物の針で小さい硝子の罎に揷した花を突ついてゐた。豌豆の花の少し大きい様な花であつた。 『何です、その花?』と私は何気なく言つた。 『スヰイトビインです。』  よく聞えなかつたので聞直すと、 『あの、遊蝶花とか言ふさうで御座います。』 『さうですか。これですかスヰイトビインと言ふのは。』 『お好きで被入いますか?』 『さう! 可愛らしい花ですね。』  見ると、耳の根を仄のり紅くしてゐる。私は其儘室に入らうとすると、何時の間にか民子が来て立つてゐて、 『島田さん、もう那麽絵葉書無くつて?』 『有りません。その内にまた好いのを上げませう。』 『マア、お客様に其麽事言ふと、母さんに叱られますよ。』 と、姉が妹を譴める。 『ハハヽヽ。』と軽く笑つて、私は室に入つて了つた。 『だつて、切角戴いたのは姉ちやんが取上げたんだもの……』と、民子が不平顔をして言つてる様子。  真佐子は、口を抑へる様にして何か言つて慰めてゐた。  私は毎日午後一時頃から社に行つて、暗くなる頃に帰つて来る。その日は帰途に雨に会つて来て、食事に茶の間に行くと、外の人は既う済んで私一人限だ。内儀は私に少し濡れた羽織を脱がせて、真佐子に切炉の火で乾させ乍ら、自分は私に飯を装つて呉れてゐた。火に翳した羽織からは湯気が立つてゐる。思つたよりは濡れてゐると見えて却々乾せない。好い事にして私は三十分の余も内儀相手にお喋舌をしてゐた。  その翌日、私の妻が来た。既う函館からは引上げて小樽に来てゐるのであるが、さう何時までも姉の家に厄介になつても居られないので、それやこれやの打合せに来たのだ。私の子供は生れてやつと九ヶ月にしかならなかつたが、来ると直ぐ忘れないでゐて私に手を延べた。  が、心がけては居たつたが、空家、せめて二間位の空間と思つても、それすら有りさうになかつた。困つて了つて宿の内儀に話をすると、 『然うですねえ。それでは恁うなすつちや如何でせう、貴方のお室は八畳ですから、お家の見付かるまで当分此処で我慢をなさる事になすつては? さうなれば目形さんには別の室に移つて頂くことに致しますから。何で御座いませう、貴方方もお三人限……?』 『まだ年老つた母があります。外にもあるんですが、それは今直ぐ来なくても可いんです。』 『マア然うですか、阿母さんも御一緒に! ……それにしても立見さんの方よりは窮屈でない訳ですわねえ、当分の事ですから。』  話はそれに決つて、妻は二三日中に家財を纏めて来ることになつた。女同志は重宝なもので、妻は既う内儀と種々生計向の話などをしてゐる。  真佐子は、妻の来るとから私の子供を抱いて、のべつに頬擦りをし乍ら、家の中を歩いたり、外へ行つたりしてゐた。泣き出しさうにならなければ妻の許に伴れて来ない。 『小便しては可けませんから。』と妻が言つても、 『否、構ひませんから、も少し借して下さい。』と言つて却々放さない。母親は笑つてゐた。  二人限になつた時、妻は何かの序に恁麽事を言つた。 『真佐子さんは少し藪睨みですね。穏しい方でせう。』  軈て出社の時刻になつた。玄関を出ると、其処からは見えない生垣の内側に、私の子を抱いた真佐子が立つてゐた。私を見ると、 『あれ、父様ですよ、父様ですよ。』と言つて子供に教へる。 『重くありませんか、其麽に抱いてゐて?』 『否、嬢ちやん、サア、お土産を買つて来て下さいツて。マア何とも仰しやらない!』 と言ひながら、耐らないと言つた態に頬擦りをする。赤児を可愛がる処女には男の心を擽る様な点がある。私は二三歩真佐子に近づいたが、気がつくと玄関にはまだ妻が立つてるので、其儘門外へ出て了つた。  帰つて来た時は、小樽へ帰る私の妻を停車場まで見送りに行つた真佐子も、今し方帰つた許りといふところであつた。その晩は、立見君は牧師の家に出かけて行つたので、私は室にゐて手紙などを書いた。茶の間からは女達の話声が聞える。真佐子は私の子供の可愛かつた事を頻りに数へ立てゝゐる、立見君の細君もそれに同じてはゐたが、何となく気の乗らぬ声であつた。  翌日は社に出てから初めての日曜日、休みではないが、明くる朝の新聞は四頁なので四時少し前に締切になつた。後藤君はその日欠勤した。帰つて来て寝ころんでゐると、後藤君が相変らずの要領を得ない顔をして入つて来て、 『少し相談があるから、今夜七時半に僕の下宿へ来給へ。僕は他を廻つてそれ迄に帰つてるから。』 と言つて出て行つた。直ぐ戻つて来て私を玄関に呼出すから、何かと思ふと、 『君、秘密な話だから、一人で来てくれ給へ。』 『好し。一体何だね? 何か事件が起つたのかね?』 『君、声が高いよ。大に起つた事があるさ。吾党の大事だ。』と、黄色い歯を出しかけたが、直ぐムニヤ〳〵と口を動かして、『兎に角来給へ。成るべく僕の処へ来るのを誰にも知らせない方が好いな。』  そして、右の肩を揚げ、薄い下駄を引擦る様にして出て行つて了つた。「よく秘密にしたがる男だ!」と私は思つた。  私はその晩の事が忘られない。  夕飯が済むと、立見君と目形君は教会に行くと言つて、私にも同行を勧めた。私は社長の宅へ行く用があると言つて断つた。そして約束の時間に後藤君の下宿へ行つた。  座にはS──新聞の二面記者だといふ男がゐた。後藤君は私を其男に紹介せた。私は、その男が所謂「秘密の相談」に関係があるのか、無いのか、一寸判断に困つた。片目の小さい、始終唇を甜め廻す癖のある、鼻の先に新聞記者がブラ下つてる様な挙動や物言ひをする、可厭な男であつた。  少し経つと、後藤君は私に、 『君は既う先に行つたのかと思つてゐた。よく誘つて呉れたね。』  これで了解めたから、私も可加減にバツを合せた。そして、 『まだ七時頃だらうね?』 『奈何して、奈何して、既う君八時ぢやないか知ら。』 『待ち給へ。』とS──新聞の記者が言つて、帯の間の時計を出して見た。『七時四十分。何処かへ行くのかね?』 『あゝ、七時半までの約束だつたが──』 『然うか。それでは僕の長居が邪魔な訳だね。近頃は方々で邪魔にしやがる。処で行先は何処だ?』 『ハハヽヽ。然う一々他の行先に干渉しなくても可いぢやないか。』 『秘すな! 何有、解つてるよ、確乎と解つてるよ。高が君等の行動が解らん様では、これで君、札幌はいくら狭くつても新聞記者の招牌は出されないからね。』 『凄じいね。ところで今夜はマアそれにして置くから、お慈悲を以てこれで御免を蒙らして頂かうぢやないか?』 『好し、好し。今帰つてやるよ。僕だつて然う没分暁漢ではないからね、先刻御承知の通り。処でと──』と、腕組をして凝乎と考へ込む態をする。 『何を考へるのだ、大先生?』 『マ、マ、一寸待つてくれ。』 『金なら持つてないぜ。』 『畜生奴! ハハヽヽ、先を越しやがつた。何有、好し、好し、まだ二三軒心当りがある。』 『それは結構だ。』 『冷評すない。これでも△△さんでなくては夜も日も明けないツて人が待つてるんだからね。然うだ、金崎の処へ行つて三両許り踏手繰てやるか。──奈何だい、出懸けるなら一緒に出懸けないか?』 『何有、悪い処へは行かないから、安心して先に出て呉れ給へ。』 『莫迦に僕を邪魔にする! が、マア免して置け。その代り儲かつたら割前を寄越さんと承知せんぞ。左様なら。』  そして室を出しなに後を向いて、 『君等ア薄野(遊廓)に行くんぢやないのか?』と狐疑深い目付をした。  その男を送出して室に帰ると、後藤君は落胆した様な顔をして、眉間に深い皺を寄せてゐた。 『遂々追出してやつた、ハハヽヽ。』と笑ひ乍ら坐つたが、張合の抜けた様な笑声であつた。そして、 『あれで君、彼奴はS──社中では敏腕家なんだ。』 『可厭な奴だねえ。』 『君は案外人嫌ひをする様だね。あれでも根は好人物で、訛せるところがある。』 『但し君は人を訛すことの出来ない人だ。』 『然うか……も知れないな。』と言つて、グタリと頤を襟に埋めた。そして、手で頸筋を撫でながら、 『近頃此処が痛くて困る。少し長い物を書いたり、今の様な奴と話をしたりすると、屹度痛くなつて来る。』 『神経痛ぢやないか知ら。』 『然うだらうと思ふ。神経衰弱に罹つてから既う三年許りになるから喃。』 『医者には?』 『かゝらない、外の病気と違つて薬なんかマア利かないからね。』 『でも君、構はずに置くよりア可かないか知ら。』 『第一、医者にかゝるなんて、僕にア其麽暇は無い。』  然う言つて首を擡げたが、 『暇が無いんぢやアない、実は金が無いんだ。ハハヽヽ。有るものは借金と不平ばかり。然うだ、頸の痛いのも近頃は借金で首が廻らなくなつたからかも知れない。』  後藤君は取つてつけた様に寂しい高笑ひをした。そして、冷え切つた茶碗を口元まで持つて行つたが、不図気が付いた様に、それを机の上に置いて、 『ヤア失敬、失敬。君にはまだ茶を出さなかつた。』 『茶なんか奈何でも可いが、それより君、話ツてな何です?』 『マア、マア、男は其麽に急ぐもんぢやない。まだ八時前だもの。』  然う言つて、薬罐の蓋をとつて見ると、湯はある。出からしになつた急須の茶滓を茶碗の一つに空けて、机の下から小さい葉鉄の茶壺を取出したが、その手付がいかにも懶さ相で、私の様な気の早い者が見ると、もどかしくなる位緩々してゐる。  ギシ〳〵する茶壺の蓋を取つて、中蓋の取手に手を掛けると、其儘後藤君は凝乎と考へ込んで了つた。左の眉の根がピクリ、ピクリと神経的に痙攣けてゐる。  やゝあつてから、 『君、』と言つて中蓋を取つたが、その儘茶壺を机の端に載せて、 『僕等も出掛けようぢやないか? 少し寒いけれど。』 『何処へ?』 『何処へでも可い。歩きながら話すんだ。此室には、(と声を落して、目で壁隣りの室を指し乍ら、)君、S──新聞の主筆の従弟といふ奴が居るんだ。恁麽処で一時間も二時間も密談してると人にも怪まれるし、第一此方も気が塞る。歩き乍らの方が可い。』 『何をしてるね、隣の奴は?』 『其麽声で言ふと聞えるよ。何有、道庁の学務課へ出てゐる小役人だがね。昔から壁に耳ありで、其麽処から計画が破れるか知れないから喃。』 『一体マア何の話だらう? 大層勿体をつけるぢやないか? 蓋許り沢山あつて、中には甚麽美味い饅頭が入つてるんか、一向アテが付かない。』 『ハハヽヽ。マア出懸けようぢやないか?』  で、二人は戸外に出た。後藤君は既う蓋を取つた茶壺の事は忘れて了つた様であつた。私は、この煮え切らぬ顔をした三十男が、物事を恁うまで秘密にする心根に触れて、そして、見悄らしい鳥打帽を冠り、右の肩を揚げてズシリ〳〵と先に立つて階段を降りる姿を見下し乍ら、異様な寒さを感じた。出かけない主義が、何も為出かさぬ間に活力を消耗して了つた立見君の半生を語る如く、後藤君の常に計画し常に秘密にしてゐるのが、矢張またその半生の戦ひの勝敗を語つてゐた。  札幌の秋の夜はしめやかであつた。其辺は既う場末の、通り少なき広い街路は森閑として、空には黒雲が斑らに流れ、その間から覗いてゐる十八九日許りの月影に、街路に生えた丈低い芝草に露が光り、虫が鳴いてゐた。家々の窓の火光だけが人懐かしく見えた。 『あゝ、月がある!』然う言つて私は空を見上げたが、後藤君は黙つて首を低れて歩いた。痛むのだらう。吹くともない風に肌が緊つた。  その儘少し歩いて行くと、区立の大きい病院の背後に出た。月が雲間に隠れて四辺が蔭つた。 『やアれ、やれやれやれ──』といふ異様の女の叫声が病院の構内から聞えた。 『何だらう?』と私は言つた。 『狂人さ。それ、其処にあるのが(と構内の建物の一つを指して、)精神病患者の隔離室なんだ。夜更になると僕の下宿まで那の声が聞える事がある。』  その狂人共が暴れてるのだらう、ドン〳〵と板を敲く音がする。ハチ切れた様な甲高い笑声がする。 『畳たゝいて此方の人──これ、此方の人、此方の人ツたら、ホホヽヽヽヽ。』  それは鋭い女の声であつた。私は足を緩めた。 『狂人の多くなつた丈、我々の文明が進んだのだ。ハハヽヽ。』と後藤君は言出した。『君はまだ那麽声を聞かうとするだけ若い。僕なんかは其麽暇はない。聞えても成るべく聞かぬ様にしてる。他の事よりア此方の事だもの。』  然うしてズシリ〳〵と下駄を引擦り乍ら先に立つて歩く。 『実際だ。』と私も言つたが、狂人の声が妙に心を動かした。普通の人間と狂人との距離が其時ズツと接近して来てる様な気がした。『後藤君も苦しいんだ!』其麽事を考へ乍ら、私は足元に眼を落して黙つて歩いた。 『ところで君、徐々話を初めようぢやないか?』と後藤君は言出した。 『初めよう。僕は先刻から待つてる。』と言つたが、その実私は既う大した話でも無い様に思つてゐた。 『実はね、マア好い方の話なんだが、然し余程考へなくちや決行されない点もある──』  然う言つて後藤君の話した話は次の様なことであつた。──今度小樽に新らしい新聞が出来る。出資者はY──氏といふ名の有る事業家で、創業費は二万円、維持費の三万円を年に一万宛注込んで、三年後に独立経済にする計画である。そして、社長には前代議士で道会に幅を利かしてゐるS──氏がなるといふので。 『主筆も定つてる。』と友は言葉を亜いだ。『先にH──新聞にゐた山岡といふ人で、僕も二三度面識がある。その人が今編輯局編成の任を帯びて札幌に来てゐる。実は僕にも間接に話があつたので、今日行つて打突つて見て来たのだ。』 『成程。段々面白くなつて来たぞ。』 『無論その時君の話もした。』と、熱心な調子で言つた。暗い町を肩を並べて歩き乍ら、稀なる往来の人に遠慮を為い〳〵、密めた声も時々高くなる。後藤君は暗い中で妙な手振をし乍ら、『僕の事はマア不得要領な挨拶をしたが、君の事は君さへ承知すれば直ぐ決る位に話を進めて来た。無論現在よりは条件も可ささうだ。それに君は家族が小樽に居るんだから都合が可いだらうと思ふんだ。』 『それア先アさうだ。が、無論君も行くんだらう?』 『其処だテ。奈何も其処だテ──』 『何が?』 『主筆は十月一日に第一回編輯会議を開く迄に顔触れを揃へる責任を受負つたんで、大分焦心つてる様だがね。』 『十月一日! あと九日しかない。』 『然うだ。──実はね、』と言つて、後藤君は急に声を高くした。『僕も大いに心を動かしてる。大いに動かしてゐる。』  然うして二度許り右の拳を以て空気を切つた。 『それなら可いぢやないか?』と私も声を高めた。 『奈何せ天下の浪人共だ。何も顧慮する処はない。』 『其処だ。君はまだ若い。僕はも少し深く考へて見たいんだ。』 『奈何考へる?』 『詰りね、単に条件が可いから行くといふだけでなくね──それは無論第一の問題だが──多少君、我々の理想を少しでも実行するに都合が好い──と言つた様な点を見付けたいんだ。』 〔生前未発表・明治四十一年八月稿〕 底本:「石川啄木全集 第三巻 小説」筑摩書房    1978(昭和53)年10月25日初版第1刷発行    1993(平成5年)年5月20日初版第7刷発行 ※底本解説で、小田切秀雄が、1908(明治41)年8月と執筆時期を推測する、生前未発表のこの作品のテキストは、市立函館図書館所蔵啄木自筆原稿「底外三篇」によっています。 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、「漸々四ヶ月」(P.188-上-1)をのぞいて、大振りにつくっています。 ※「欖の14かく目の「一」が「丶」」は「デザイン差」と見て「欖」で入力しました。 入力:Nana ohbe 校正:川山隆 2008年5月24日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。