ラムプの夜 ──学芸会のための一幕劇 新美南吉 Guide 扉 本文 目 次 ラムプの夜 ──学芸会のための一幕劇 人 姉 妹 旅人 法螺吹きの泥棒 少年 所 森の近くの一軒家。姉妹に あてがはれた小さい勉強室 時 春になつたばかりの風の夜 (机を向ひあはせて姉と妹が、一つのスタンドの光で勉強してゐる。机上には桜草の鉢がおいてある。) (風の音) 妹  ひどい風ね。 (汽車の音) 妹  九時の上りかしら。 姉  さうぢやないわ、八時十分の下りよ。 妹  ああ、早くお父さん達帰つていらつしやらないかなあ。 (スタンド消える) 妹  あら、停電よ。 姉  電球がきれたんぢやないか知ら。 (スイツチをひねつて見る) 妹  停電だわ。いやんなつちまふ。 姉  ぢき点くからぢつとしてらつしやい。 (間) 妹  つきやしないわ。風で電線が切れたのよ、きつと。 姉  さうか知ら。 妹  あら、何かあそこに光つてるわ青白く。 姉  どこ? 妹  ほら、窓の向かう。 姉  沼よ、あれは。月の光を反射してるのよ。いいなあ。すつてき。詩が出来さう。 妹  ちえつ。文学少女はこれだからいやだ。姉さん、お父さんのラムプつけませう。 姉  油まだあつたか知ら。 妹  きつとまだあるわ。 (姉、立つて手探りで壁伝ひにゆく。退場。) 妹  (「春が来た」を口づさむ。) (姉、ラムプを持つて帰つて来る。) 妹  ごくらう〳〵。すぐわかつた? 姉  椅子にあがつてもたらなかつたからテーブルの上にあがつちやつた。もうちよつとでお父さんの大事なユキ坊の写真を蹴とばしちまふとこだった。内緒よ。 (その間にラムプをつける) 妹  こんな古ぼけたラムプ、いつもは何にもならないと思つてゐても、こんなときには間にあふわね。やつぱり昔のものはいい味があるわ。フランス製だつたけね。 姉  えさう。お父さんが始めての航海でマルセーユにいつたとき、そこの裏町の古道具屋で見つけたんですつて。ルヰ十四世時代のものらしいつていつてらしたわ。 (間) 姉  いつかもかうして、このラムプつけたつけね。 妹  うん、さうそ。あん時蛙が鳴いてたこと憶へてる。 姉  春の終り時分だつたのね。窓から蝶々がはいつて来てラムプのまはりとんだわ。 妹  えさう。ひらひらするもんだから、本が読めなくてわたし腹を立てたわ。そいで私が下敷で叩きおとしたら姉さんくやしがつたわね。 姉  何故あんなひどいことするのよ。あんたはああいふことがいけないのよ。バラの花だつて一ひら散るともう駄目だつてむしつてしまつたり、ラヂオでシヨパンをやつてると、いまから勉強するんだつて、プチンと切つてしまつたりするんですもの。 妹  姉さんはロマンチスト。わたしは現実家ね。わたしきつとお金ためるやうになるわ。 姉  何いつてんの馬鹿々々しい。あ、憶ひ出した。この前ラムプをつけるとき、まだユキ坊ちやんが生きてて、僕にマツチをすらしてくれつてせがんだわ。 妹  うん、さうだ。ユキ坊、あんとき尋常二年だつたわ。マツチをすることを覚えたばかりで、びくびくしながら端つこの方を持つてすつたつけ。 姉  はじめやりそくなつてマツチをすてたわね。机かけの上に落ちて少しこげたけどあのあとまだあるか知ら。(探す)これ違ふか知ら。 妹  それよ、きつと。もう二年にもなるのね、ユキ坊が死んぢまつてから。はやいもんだなあ。 姉  あ、それから、ほら、みんなであれをしたぢやないの。 妹  何? あれつて。 姉  ほら、影絵。影絵を壁にうつしたぢやないの。 妹  うん、さうそ。 姉  もう一ぺんやつて見ようか知ら。もう出来ないか知ら。(手をくみあはせて見る)ちよつとその紙で三角の帽子を折つて、のせて頂だい。(妹さうする)ああ、これでいいわ。どつかの、さびしい広野を一人でゆく旅人。 旅人よ、旅人よ 路を急げと 海べをくれば波の音 野末をゆけば蝉の声…… 妹  わたしはあんとき泥棒をうまくつくつたわね。 姉  さう。でも、ちつとも悪いことの出来さうもない泥棒だつたわ。手ばつかり嫌に大きくつて。 妹  そんなことないわ。凄味があつたわ。もう出来ないか知ら。(やつて見る)ほら出来た。うまくうつつたでしよ。 姉  何だか鶏を見てびつくりするやうな泥棒ぢやないの。ユキ坊ちやんも何かしたわね。 妹  うん。ユキ坊はいくら指でやつても指がちつちやくてちつとも出来ないもんだから、童話の本の絵を切りぬいて来てうつしたわ。あれが一番上出来だつたわ。 姉  さうさう。『家なき児』の絵をね。家なき児のルミーは、お犬やお猿をつれて、肩には竪琴をしよつて、お母さんを探して旅してゐまアす、なんて上手に説明したわね。 (呼鈴がなる) 妹  あら、誰かいらしたわ。 姉  今時分誰か知ら。 (ラムプを持つて退場。すぐ旅人をともなつて登場) (妹、じろじろ旅人を見る) 妹  どなた、姉さん。 姉  あたし、知らないのよ。 旅人 旅のものです。道にまよつてゐたんです。ちようどそこの沼の向かうまで来ましたらこちらに小さい灯が見えましたからやつて参りました。わたしはこんなラムプの灯が好きなのです。ラムプを見るととても懐しいのです。少し休ませて下さい。(姉、壁ぎはから椅子を持つてきてかけさせる) 妹  あなたの帽子、をかしいのね。三角の帽子ね。どつかで見たことがあるやうな気がするわ。 旅人 あ、さういへば私もどうやらあなた方をどこかで見たことがあります。(ぐるぐる部屋を見まはして)どこかぢやない、ここの部屋です。あ、わたしは以前に、一ぺんこの部屋に来たことがあります。さう五六年も前の晩…… 妹  変なことをいふ人ね。 姉  あなたはそれで、お家はどこ? 旅人 うちはありません。私はいつでも旅をしてゐるのです。 妹  ぢや一人ぽつちね。 旅人 え、さうです。でもどこにでも私のお友達はゐます。お母さんをなくした子や、病気の子や夢を見ることの好きな子供が私のお友達です。さういふ子は寂しいもんだからよく、一人で、壁や塀に影絵をうつします。私はそんなときそこへいつてその子供達を慰めてやります。 姉  ぢや、あなたは何処の国へでもゆくのですか。 旅人 さうです。ロシヤへも、ハンガリイへも、デンマークへも、ドイツへも、フランスへも、アラビヤへもゆきました。またこれからいくんです。どこの国にも、かはいさうな子供や、空想の好きな子供はゐます。そしてどこの国にも壁や塀はあるのです。私の友達はほんたうに沢山です。 姉  でも、あなたは悲しい顔色をしてゐますね。 旅人 私はあまり沢山のものを見ました。あまり沢山の事を知つてゐるのです。あまり沢山の事を知ると、人は悲しくなるものです。 姉  疲れてゐるんでせう。 旅人 疲れてゐます。 姉  ここでゆつくりしていらつしやい。今にお母さんが帰つていらつしやいますから、そしたらお茶をさしあげます。 旅人 え、でも、私はゆつくり出来ないのです。私はゆかねばなりません。 妹  何故そんなに急いでゆくの。 旅人 何故か知りません。私の心がゆかねばならないと云ふのです。 姉  何か探していらつしやるの。 旅人 え、さうです。 妹  何を? カナリヤか何か逃したの。 旅人 いいえ。そんなんぢやありません。何だか私自身にもよくわかりません。 妹  自分にわからないものを探してゐるなんて妙ね。 旅人 え、さうです。でもそれが我々の運命です。 妹  我々つて? 旅人 私や、あなた方のことです。すべての人間のことです。 妹  あら私達までも。 旅人 さうだと思ひます。 妹  違ふわよ、わたし達はちやんと家があつて、ここにゐるぢやないの。 旅人 さうでせうか。 妹  さうよ。 旅人 さうでせうか。 妹  いやな人ね。そんな眼であたしを見ないで頂だい。 旅人 ぢやごめんなさい。私はもう行かなきやなりません。 (立上る) 姉  どうぞお大事に。またこんど来て下さい。 旅人 え、また来ます。こんどあなた方がラムプをつけたときに。 (姉、旅人を送り出す。) (窓からひよいと大きい手袋をかけた泥棒がはいつて来る) 妹  ああ、びつくりした。誰なの、あんたは。 泥棒 泥棒です。 妹  あら、いやだ、自分で泥棒ですなんて。泥棒にしても随分、間ぬけな泥棒ね。 泥棒 そんなことはない。 姉  あら、そんなことはないなんて。 妹  そんなぶざまな恰好で泥棒が出来るもんですか。大きな軍用手袋なんかして。第一あんたの顔は泥棒にしちや無邪気すぎますよ。泥棒するんならひげのすごいのをつけてなきや人がおそれないわ。 泥棒 おや、ついてませんか。 姉  何もありませんわ。 泥棒 ちえつ、また落しちやつた。しまつたあ。あれ三銭で買つたのに。 妹  つけひげなの? 泥棒 さう、すごいのです。かういふ風になつてゐるんです。(と八の字を鼻の下にかく)山賊ひげつて奴です。あ、あそこに落ちてる。(窓のところへいつて拾ふ)どうだ、凄いだろ。 妹  御愛嬌もんよ。 泥棒 お金を百円出せ。 妹  ないわ。ちつとも恐くなんかないわ。 泥棒 そいぢや九十円出せ。 妹  ないわ。 泥棒 そいぢや五十円出せ。 妹  ないわ。 泥棒 そいぢや十円出せ。 妹  ないわ。 泥棒 そいぢや一円出せ。 妹  ないわ。 泥棒 そいぢや十銭出せ。 妹  ないわ。 泥棒 そいぢや一銭出せ。 妹  ないわ。 泥棒 そいぢやゼロを出せ。 妹  はい、どうぞ。(と指で輪をつくつて出す) 泥棒 (受けとるまねして、ポケツトに入れ)少ないけれど、こんばんのところはこれで我慢してやらう。 姉  をかしい泥棒ね。 妹  間ぬけ泥棒よ。 泥棒 そんなことはない。手下が百人あるのだから。 妹  へえェ、あなたに手下が百人? 姉  どんな人? 泥棒 石川五右エ門。 妹  そいから? 泥棒 鼡小僧次郎吉。 妹  そいから? 泥棒 アルセーヌ・ルパン。ロビンフツド。 妹  そいから? 泥棒 Gメン、アルカポネ、キングコング、のらくろ伍長、江戸ツ子健ちやん、すゝめフクちやん、まだいろいろある。 姉  凄いのね。 泥棒 驚いたらう。そいからピストルだつて持つてゐる。見せようか。 妹  ええ。 泥棒 これだ。(玩具のテツパウをとり出して見せる) 妹  これ玩具ぢやないの。これでうつたことあるの? 泥棒 まだない。ロンドン銀行を襲ふときうつつもりだから。 妹  法螺吹きね、あなたは。 姉  かなしき旅の法螺吹きよ。 泥棒 ぢや、あばよ。また来るよ。(ぷいと窓から出てゆく) 妹  今晩はいろいろな人が来るわね。あの人も、いつか見たことがある様なきがするわ。 姉  さうね。おや、静かにして。 妹  なに? 姉  ドアの向うで咳をしたわ。 妹  誰が。 姉  子供のやうだつたわ。(行つてドアをあける。竪琴をかついで少年がはいつて来る) 妹  あら可愛いいわね。こんどの訪問者は。 少年 (咳をする)コンコン。 姉  こつちいいらつしやい。風邪ひいてるの? 少年 ええ。 姉  寒いから、この火のそばへいらつしやい。 (少年そばにゆく。) 妹  立つてゐないで腰かけなさいよ。 (少年腰かける) 姉  肩にかけてるものおろしなさい。(おろしてやる)これ何なの? 少年 竪琴です。(手袋をぬいで机の上におく) 姉  珍しいものね。わたし始めて見た。 少年 (きよろきよろ見てゐて)あの子がゐない。 姉  あの子つて、誰? 少年 あの子。僕名前知らない。 妹  ユキ坊のことを云つてるのか知ら。 姉  さうかも知れないわ。(少年に)わたし達の弟のことなの? 少年 ええ。 姉  ユキ坊ちやんは死んでしまつたのよ。 少年 死んだの? 姉  ええ。もう二年前のことよ。 少年 どこへ行つたの? 姉  死んぢやつたのよ。 少年 そいでどこへ行つたの? 妹  死ぬつてことを知らないんだわ。 姉  さうね。(少年に)死ぬつてね、もうどこにもゐなくなつてしまふことなの。紙を火に入れると燃えるでせう。そして何もなくなつてしまふでせう。あれと同じなの。でもそれから先どうなるかわたし達にもよくわからないわ。 少年 ぢや、もうどつこにもゐないの? 姉  ええ、 少年 隠れん坊で、どつかへ隠れて、いつまでたつても出て来ないのと同じなの? 姉  さう、いつまでたつても。 少年 つまんないなあ。僕遊ばうと思つて来たのに。竪琴をひいたり、犬のカピーや猿の話をしてあげようと思つて来たのに。そいからフランスの田舎を旅した話なんかもどつさりあるんだけど。 姉  わたし達にきかして頂だい。 少年 でも、あの子がゐなきや、つまんないなあ。 妹  そんな悲しい顔をしちやいやだわ。わたし達まで悲しくなるわ。 少年 あの子といつしよに、凧をあげたり、土堤のつくしをとつたりしようと思つて来たんだけどつまんないなあ。 姉妹 ………… 少年 ぶらんこにものつて遊ばうと思つて来たんだけど。 妹  ユキ坊がよくのつたブランコ、まだ裏庭にそのまゝになつてるわ。 少年 松林からひばりがあがつたら、一緒にひばりの歌をうたはうと思つたのになあ。 姉  ほんとに、もう春ね。もう春になつてるんだわ。こんやはまるで冬みたいに寒いけど。 少年 コンコン。僕もういかう。(立ちあがる) 姉  こんな風の中に出てゆかないで、こんやは泊つていらつしやい。 少年 でも僕、フランスにゆくんだから、ゆつくりしてゐられないや。 妹  うちのお父さんの船にのせてつて貰へばいいぢやないの。家のお父さんはベルテ丸の船長よ。 少年 でも僕もう行かなきやならない。 妹  どうして? 少年 もうぢき電燈がつくもん。 妹  電燈がつけば明るくなつていいぢやないの。 (電燈つく) あつ、ついた。ああまばゆい。 少年 さあゆかう(竪琴を肩にする) 姉  ほんたうにもうゆくの? 少年 え、さよなら。 姉  またいらつしやいね。 少年 いいえ、もう来ません。 妹  どうして? さつきの旅人だつて、泥棒だつて、また来るつて言つたわ。 少年 でも、僕はもう来ません。 妹  どうしてそんな悲しいこといふの。 少年 でも、あの子がもうゐないもん。 姉  ユキ坊ちやんが? 少年 ええ。 (姉妹かなしさうにしばらく少年を見てゐる) 妹  この花、あげるから持つていらつしやい。 (桜草をきつて、胸のポケツトにつけてやる) 少年 ありがたう。コンコンコン。 姉  体に気をつけてね。 (姉ドアをあけてやる。少年出てゆく。姉しばらくドアの外を見てゐる。やがてしめて帰つて来る。腰かける) いつちまつたわ。 (間) 妹  風が凪いだのね。 姉  ええ。わたし耳が変だわ。まだあの子の咳が聞えるやうな気がするわ。 妹  わたしにも聞えるのよ。小さい咳。コンコンて。 (間) 妹  あつ、あの子、手袋忘れてつた。 姉  あら、ほんと。追つかけていつたらまだ間にあふわ。 (立ちあがる) 妹  おや、これ、見覚えがあるわ。ユキ坊の手袋よ、たしか。 姉  さうね。ユキ坊ちやんのだわ。ここにユキタと糸でぬひとりしてあるわ。これわたしがしてやつたのよ。 妹  ユキ坊の手袋…… (間) 姉  (腰かける)わかつたわ。 妹  あたしにも。 姉  影絵だつたのね。 妹  さう。一番はじめの旅人が姉さんのつくつた影絵。次の泥棒がわたしのつくつたの。そして今の子はユキ坊の「家なき児」だつたのよ。あたし達、幻を見てゐたのだわ。 姉  さうね。 (自動車の警笛) 妹  おや、お父さん達が帰つていらした。 (二人立ちあがる) 幕 底本:「日本児童文学大系 第二八巻」ほるぷ出版    1978(昭和53)年11月30日初刷発行 初出:「ごんぎつね」筑摩書房    1951(昭和26)年10月 入力:菅野朋子 校正:小林繁雄 2012年10月31日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。