昭和十年度劇界への指針 岸田國士 Guide 扉 本文 目 次 昭和十年度劇界への指針  拝復  別に新しい意見でもありませんが、小生の持論を要約します。  一、歌舞伎劇は旧きが故に、純化されたるが故に善いのであつて、これを現代向きに、或は、通俗的にしてしまつては切角の値打がなくなる。それ故、これを営利事業と結びつけることは歌舞伎劇のために甚だ危険である。若し、現在の観衆が、髷物をよろこぶと云ふなら、よろしく、歌舞伎劇から分離した大衆時代劇(既にこの種のものが所謂歌舞伎俳優によつて演ぜられてゐる)を与へるがよろしい。但し、純粋の歌舞伎俳優は、現代意識を盛つた大衆時代劇は演じ得まいと思はれる。  二、所謂新派劇こそは滅ぶべきである。文化的意義が全然ないからである。但し、新派俳優は滅んではならず、また、文字通り滅びはすまい。即ち、現在の新派俳優中、将来ある人々は、自然、所謂「新派臭」から脱して、現代の新鮮な空気を呼吸するであらう。さうすれば、その時は、もう新派俳優ではなく、現代劇俳優であり、新派劇今日の姿は都会から影を消すであらう。  三、新劇は、近き将来に於て、現代大衆劇(勿論文化的意義をもつ)と先駆的、純芸術的演劇とに分離しなければなるまい。これは勿論程度の問題であるが、一は職業的に大劇場に進出し、一は研究的に小劇場に籠るであらう。今日の新劇の病弊或は危機と称すべきは、研究劇としてしか通用せぬものが、職業的野心をのぞかせてゐることである。最初から現代通俗劇を目指して修業をするものもあつていゝが専門家によらなければ飯が食へぬといふことぐらゐ心得てゐてよからう。更に、先駆的、研究的、純芸術的演劇を目指す仕事も、これは、「素人でも、ある特殊な一面に於て」その意図を示し得るのであつて、決して、玄人になつてはならぬといふ理由はない。素人でもやがては、修業を誤らなければ一人前の専門家になる。その時、彼等の大部分は、時代的に先駆者であり得なくなる。自ら普遍性をもつて来る場合もある(浅薄なお先走りは別として)。更に、研究的な仕事を続けるわけに行かぬ(妻子を養はねばならぬ等)。従つて、純芸術的な立場を守りたいが、さうも行かぬといふ事情が生じる。さういふ人々は、次の時代から押し上げられ、又は次の時代にその席を譲つて、自分は、所謂「職業人」となることに甘んじなければならぬ。そこにも、なほかつ、一つの意義ある仕事が待つてゐるのである。即ち、若し彼等を迎へ入れる商業劇場があれば、それらの舞台を、少しでも、「芸術的に」「新時代的に」刺戟発展させる役割がそれである。  ところで、現在までの新劇は、さういふ当り前の見通しがついてゐなかつた。これは、今日の商業劇場が歌舞伎と新派の伝統で固められてをり、「新時代的にも」を受け容れるに適しないからでもあるが、一方、新劇が、何時までも「素人」であることを余儀なくされ、又は得意としてゐたからである。従つて、今更「先駆的」でなくなつた「新劇」の古参者達が、必要に迫られながら、「職業的」に自活できないと云つて、それは誰の罪でもない。自分自身の罪である。そこで、慌てゝ「新劇」の興行的価値について考へ始めたわけだが、もともと「普遍性」への道を辿らなかつた不具的演劇である新劇が、商品になるわけはない。これを無理に商品にしようとするから「新劇+非演劇的要素」といふインチキものをこしらへたくなる。  われわれは、新劇を今この状態から救ひ出さねばならぬ。恐らく、すべてが、やり直しといふことになるであらう。「家を建てゝから柱をけづらねばならぬ」時代が、とうたう来てしまつた。  若い人々は、どうか、正道を踏みつゝ、純粋に、先駆的な色彩を示してもらひたい。「新劇」の名は諸君に与へられたものである。これは勿論親の臑をかぢる覚悟でやるべし。早く金の欲しい人で、しかもインチキの嫌ひな人々は、すぐに、「本質的現代劇専門家」たる技術の獲得を急いで欲しい。それらの技術修了者が将来協力一致して、新鮮且つ重厚な職業劇団を作る準備をなすべし。以上。  甚だ言ひ足りませんが、端書回答の依頼を無視して特に場所をあけて貰つたのだから、これくらゐで我慢します。 底本:「岸田國士全集28」岩波書店    1992(平成4)年6月17日発行 底本の親本:「新演劇 第三巻第一号」    1935(昭和10)年1月1日発行 初出:「新演劇 第三巻第一号」    1935(昭和10)年1月1日発行 入力:門田裕志 校正:noriko saito 2011年2月8日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。