生活力の強化 ──北陸地方文化協議会講演── 岸田國士 Guide 扉 本文 目 次 生活力の強化 ──北陸地方文化協議会講演──  大政翼賛運動の発足以来、全国に自発的に起つてきた運動の一つに文化運動がありますが、この運動の中には、翼賛運動の本来の性格に未だ副はぬものも可なりあるやうであります。従つて翼賛会としましては、この自主的に盛上つた力を十分生かし、且つ翼賛運動の一翼としてその効果を十分挙げられるやう、凡ゆる機会を捉へて連絡努力してきました。しかしこの自主的文化運動は、謂はゞ、今日まで文化といふ言葉と非常に親しみのある分野だけに限られ、非常に妙な言ひ方でありますが、更に内容的には、主として芸術部門だけに限られたと言つてもよかつたのであります。  芸術部門が特に文化運動の先頭に立つたといふ現象に対して、私は個人としては一応の理由は分りますが、更に広い観点から見ますと、文化運動即ち文学運動であり芸術運動であるといふ誤つた印象を与へたやうであります。ここに文化運動に対する一種の批判が起り、われわれ翼賛会の当事者としては、文化運動の新性格を明瞭りさせなければならぬことを痛感し、夫々の団体に注意を促すと同時に「地方文化建設の根本理念とその方策」といふ刷物を発表しました。地方文化運動の根本理念はこれに大体尽きてをり、こゝで私が申上げる必要もないと思ひますが、文化運動の展開につれ、現在の時局並に社会状勢に応じ、種々の問題がこれに挺身してゐられる方々の間から提出されたのであります。これについて私はこの機会に、翼賛会として考へてをりますことを、皆様に申上げておきたいと思ひます。  最初に文化とは何かといふことが、考方によつて当然の疑問となつて起るのであります。これは言葉の概念の問題と思ひますので、軽々に定義づけることは、翼賛会の立場から私としては出来ませんが、しかし既に政府では、政治・経済・文化といふやうに「文化」を法的に使つてゐますし、翼賛会文化部といふ一部門も公に作られてゐます。初代総裁近衛公も、政治・文化・経済の新体制といふ言葉を使つてをられました。このやうに文化といふ言葉が使はれながら、何故概念として尚一般に明瞭りした輪郭を持ち得なかつたかについて、私はこの言葉が日本語として未だ非常にナマな言葉であり、新しい言葉であり、更に他の新造語と同様、非常に乱雑に使はれてゐる結果であらうと思ひます。「文化」を翻訳語として考へれば、その語源である外国語に引戻して考へねばなりませんが、今日は既にその必要はないと思ひます。又、乱雑な使用によつて概念が曖昧にされてゐることは、われわれの努力により、これを是正することが出来ると思ひます。  さて、種々の言葉が広義と狭義の意味を持つやうに、文化も亦自然広狭二義に使ひ分けなければなりません。広義においては、少くとも国民の理想を追究する過程において、作り出して行く生活の表現であると言つてよいかと思ひます。従つてこの国民の精神的能力が文化の基礎になり、国家活動の原動力も国民の文化能力にあると云へるのであります。その意味においては、政治・経済・軍事・外交・産業等凡ての基礎に国民の文化能力が考へられねばなりません。狭義においては、翼賛会で文化部といふ一部門を持ち、又政治経済と並べて文化の新体制が言はれてゐるやうに、職域或は社会機構としての文化部門が考へられますが、それはこの「地方文化新建設根本理念」の中にも挙げてありますやうに、学術・宗教・教育・文学・芸術・新聞・雑誌・放送・出版・体育・娯楽かゝる職域を文化部門と考へて宜しいかと思ひます。  文化を広狭二つの意味に使ひ分けねば、文化運動を進める上に種々の不便がありますが、更にそれだけでは解決のつかぬ問題があります。それは、今日国家としての重大問題の中に所謂文化問題が含まれてをり、翼賛会は、翼賛運動・国民運動として採り上げらるべき文化問題、例へば国語の問題、少国民の問題、婦人問題、或は更に国民生活の問題、対外文化事業の問題と重点的に掲げてをりますが、これらは何れも広義の文化の上に立ち、同時に狭義における職域の文化部門に関係もあり、更に国民全体がこれに協力すべき分野なのであります。  又、文化といふ言葉が今日までは主として国境を越えた人類の理想といふやうな目標を掲げてゐたために、日本の近代文化が甚だしく民族性乃至国民性から遊離してゐた事実があります。私は、日本的性格に近代的特質を十分調和させて行くことが大事であり、重要な点だと思ひます。即ち文化運動は大政翼賛運動である意味に於て日本的性格を十分持つてゐなければならない、同時に明日の世界を創造する普遍性を持たせる意味に於て近代的生活をやつて行かねばならない。そこに今日の国民文化運動の目標が自から明瞭りすると思ひますが、これを更に具体的に考へると、大体三つの目標が考へられます。これは今日までの日本の所謂近代文化の領域に於て最も欠けてゐる部分なのであります。  第一は文化部門の政治への教育、即ち政治の文化性であります。これは今日までたゞ批判として述べられてゐましたが、最早批判の時代ではありません。少くもわれわれ国民全体が大政を翼賛し奉るといふ意味に於て、日本の政治をよくするも悪くするも国民の責任であります。かゝる意味で文化部門の者がそれぞれその智嚢を傾けて政治への教育をすることが必要であると考へます。  第二には、狭義の文化部門が各職能人の専門的孤立に陥らず、十分の連絡交流を図ることであります。  第三はこの文化部門が国民生活に十分に根を下すやうなものにならねばならぬことでありまして、今日までは動もすれば文化が生活から遊離し、文化部門が国民大衆と無縁のものであるかの如き印象を与へてゐたことを、十分反省せねばならぬと思ひます。かくしてこそ真の意味での大衆の文化部門における向上が期せられることを確信するのであります。  文化各専門部門が相互に連絡交流し、しかも一般国民生活に根を下すこと、この二つが第一の文化の政治性を取戻すことかと思ひます。  以上は全国的文化運動の課題でありますが、地方文化運動はこれを基礎としつゝ更に地方的特色をもつて行かなければならぬと思ひます。その為には地方文化が中央の文化に比較して水準が低いといふ誤つた考へ方を一掃しなければなりません。これは、文化は中央に於て形づくられ、それが地方に分布されるといふ考へ方によるものでありますが、一国の文化は決して中央都市でのみ作り出されるものではないことは申すまでもなく、特に地方生活、産業に結びついた伝統の強味は一国の文化を形成する上に最も重要な要素であります。謂はゞ地方においては文化の骨組と肉付きは既に出来てゐると思ひます。そして、もし地方文化に悪いものがあるとすれば、これはその地方の現在における文化の在り方が一種の動脈硬化乃至貧血の症状を呈してゐる所があるからだと思ひます。更に言葉を換へれば、この力強い伝統と密接不離になりがちな、断ち切り難い因襲があるからであります。伝統の形に於ては非常に見事なものが因襲といふ形になりこれが一種の病根になるのであります。この病根は地方文化振興の際に特に重要な問題として考へなければならぬものであります。  さて、かくの如く根本的な基礎があれば、国民的理想を更に夫々の地方としての理想に還元し、郷土を中心とする一つの将来への希望に移して行かねばなりません。即ち郷土の理想化といふことが新日本を築く一つの基礎になることを明瞭りさせなければなりません。  文化は元来特定の指導者によつて建設されるものでなく、国民の自主的創造力が特に重要であります。従つて地方文化運動もその地方における特殊の性格が一つの力となり、新しい方向に結び付いて行く、これが文化運動の一項目だと思ひます。新しい郷土の理想化は、一面において夢であり、同時に現実に繋がるものであります。この夢は如何に美しく大きく描かれても描きすぎることはありません。そして現実と夢を結び付ける力は、私は文化部門の職域となる人々にあると思ひます。即ち最も精神的な問題に対し深い関心と見識を持たれる人々によつて地方生活の問題が十分に検討され、建設的意見が出て来ねばならぬと思ひます。  地方文化運動の具体的目標は、私は所謂「生活力の強化」の一点に帰著すると思ひます。生活力の強化が生活文化水準の向上に一致するといふ確信をもつて進むべきであります。文化水準の向上はともすると経済的にばかり考へられてゐたのでありますが、これは文化を誤つて考へたもので、かゝる考への誤りを具体的に示すことも文化運動として非常に大事なことゝ思ひます。  生活力の強化と生活に於ける文化水準の向上が全く一致することを、理論的にも実践的にも示し得るのは、所謂道徳・科学・芸術の面であります。例へば物資の欠乏が国民の生活力を弱体化せず、寧ろ如何に強化するに役立つかを示し得るのは、経済或は政治方面の専門家指導者ではありません。同時に、生活の簡易化といふことも、経済的立場から無駄を省くといふ宣伝では、国民の希望に副ひ難く、生活の簡易化即ち生活の芸術化であることが明瞭り現象として示されねばならぬと思ひます。  生活力の強化を更に考へてみれば、第一に勤労を含めた生活能率の増進、第二に肉体的精神的健康性の向上、第三に生活を通じて国民の品位を高めることが重点として考へられます。  今日の時局は生産の面のみでなく、消費の面に於ても能率の増進を要求してゐます。更に人口増殖、士気昂揚等、戦争に欠くべからざる条件を充たす為に肉体及び精神の健康性が十分発揮されなければなりません。又、国民の品位といふことが誤られ、今日まで精神的に考へられ得なかつたのではないかと思ひます。教育の立場から多少考へられてゐたとは云へ、曾ての日本人が重んじた程今日の日本人は品位について思ひを致してゐるとは、信じられません。その結果、日本人の大陸発展に際して由々しい問題を惹起してゐることは誰も知つてゐることであります。更に東亜の指導民族を以て任ずるものが、他の民族に対して今日あるやうな生活の品位に止まるならば、憂ふべき状態であります。私はこの品位はわれわれが生活の中で一つの力として養ふ工夫をしなければならぬ、飾りものでない力そのものだと考へてをります。  以上重点をあげた文化運動は、所謂文化職能人の独占すべきものではなく、寧ろそれらの人の自己反省から出発しなければならぬと思ひます。奇矯な或は脆弱な文化意識が少しでも残つてゐる間は、文化運動の先頭に立つことが出来ないのではないか。生活の理想を個人的幸福に置き、或は社会の改造を単に経済的物質的水準の向上に置いた今日までの文化意識は、全く払拭しなければならぬ。それらを環境づけることを文化能力だと思つてゐた誤りを再び繰り返してはなりません。  日本人は元来自然の環境を快適にすることに非常に無関心であつたが、西洋文化の輸入以後、これを一つの文化水準の向上と考へ、かうした脆弱な文化意識が瀰漫しました。本来生活環境に順応し、しかも自らの裡に一つの快適な心を養つて行くことに日本人は特色をもち、またそこに日本文化が光つてゐた。如何なる環境に処しても、胸中一味の涼風を感ずるこの心境は日本人の独擅場でありました。しかしこの傾向は一方に於て、社会をより住みよくする、より合理的にする努力を非常に遅れさせ、寧ろ無関心にさせました。この生活環境に安んずる特性を持ちつゝ、更に一歩を進めて、もつと日本を住みよい国にする、個人の力では立て得ないが、国民全体がその気になれば出来るといふ新しい希望を私は創り出すべきだと思ひます。かくてこそ日本の新文化が世界文化を支配しうると考へるのであります。  今や日本の運命は一躍発展の段階に入り、目指すものは儼として明かであります。東亜の諸民族を指導して世界の平和を樹立するためにわれわれは戦ひつゝあることが非常に明瞭りしてきました。文化も亦戦ひを前提として戦ひを内容として創造されなければなりません。生活力の強化は明日への民族的発展上不可欠の要件であり、精神と技術をこれに集中することが、今日文化職能人に課せられた任務であります。鎌倉武士の生活と文化が今日一種の見本としてわれわれに思ひ泛べられますが、単純で而も厳粛であり非常に深味をもつてゐる生活と文化は一面われわれが求めて已まぬ文化の姿ではないかと思ひます。この日本の武士の生活と文化が築き上げてきた一つの力を、今日如何に活かすかをお互に大いに研究しなければなりません。  まだ種々申し上げたいことがありますが、文化運動の方針について以上申上げて終ります。 底本:「岸田國士全集25」岩波書店    1991(平成3)年8月8日発行 底本の親本:「文学界 第九巻第四号」    1942(昭和17)年4月1日 初出:「文学界 第九巻第四号」    1942(昭和17)年4月1日 ※講演は、1942(昭和17)年2月14日に行われた。 入力:tatsuki 校正:門田裕志 2010年3月1日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。