文化政策展開の方向 岸田國士 Guide 扉 本文 目 次 文化政策展開の方向  文化政策といふ言葉は範囲のたいへん広い言葉である。あらゆる政策は殖民政策でも宗教政策でも、教育政策、科学政策、乃至は経済政策、生産力拡充政策でもそれが国民生活を向上せしめ、民族意慾を暢達せしめる文化的使命をもち、その目標に向つてゐるかぎりそれは文化政策であるといへるのである。  しかし、こゝで文化政策の展開とその方向として要求されてゐるのは、専ら一般に文化といふ言葉で指示されてゐる教育とか、宗教とか、科学とか、技術とか、医療設備とか、あるひは民衆娯楽だとかを意味し、それについて翼賛会の文化部がこれからどんな政策を樹てゝ、どんな活動をするかといふことを指してゐるのである。  この場合文化部のとるべき文化政策の内容がどんなものであり、どんな方向に向つて展開されなければならないかといふことを考へると、私は広狭二つの意味を区別して置くことが必要だと思ふ。広い意味のものは簡単にいへば国家百年の文化政策を樹立することである。  すなはち、我々の子孫の時代迄も考慮に入れて、日本民族が新東亜の指導民族であるといふ立場を深く自覚し、われわれの輝しい伝統を基底として高雅にして雄渾なる新広域文化を創造建設し、これを育成すべき政策を確立することである。このためには、先づいかなる他民族に対しても譲らざる矜持と襟度と、そして教養とをもつ大国民を育成することが第一の眼目でなければならぬ。  しかし、この国家百年の計を樹てることもとより重要な事業であるが、当面わが日本国家が直面してゐるこの非常時局を一億の国民が乗り切り、この難局をわが民族的飛躍の輝かしい契機とするためには、何を措いても先づ現行政治機構を速かに高度国防国家体制に推移せしめねばならぬ。それとともに、国民生活の文化的側面をもこの高度国防国家体制に即応させることが必要である。かくして文化政策当面の課題は次の三つの点に帰着する。  第一は、文化機構の再編成とその指導といふことである。これは民間のいろ〳〵な文化団体の実質的な仕事を、積極的に国家目的に統合するとともに、このために必要ならば諸団体の改組調整を行はせることである。この改組整理に当つては、それぞれの文化団体の自主的精神を十分に尊重することはいふまでもない。  更に、これをどう指導するかは、いままで色々な文化団体がそれぞれ自分の専門領域にばかり閉ぢ籠つてゐて、他の領域のことはさつぱり知らない、もつとひどいのは他を排斥するといふ一種の割拠主義に陥つてゐた。そのために文化の各領域、相互の間に有機的な連絡がないために文化が跛行的にしか発展しなかつたと思ふ。  この弊害を除くために、またこれ等の文化団体を有機的に結合させて、新しい国民文化を形成するための推進的役割を受け持つやうに導かねばならぬ。この割拠主義の一例としては、いはゆる「学閥争ひ」がどんなに日本の学問の進歩を阻害し且つ詰らぬ末梢的な感情的浪費に終始したかを見れば直ぐ分ることである。  また、この機構の運営方法は、速かに政府当局と協力して確固たる文化政策を樹立してその向ふべき方向を明示すると同時に、各部門の健全なる有機的発展を期さねばならぬ。これがために文化諸領域──思想、宗教、教育、科学、技術、文芸、出版、ヂアナリズム、体育、医療施設、娯楽等──における革進的な識者を総動員して建設的な企画を作ることが重要であり、これは目下着々進捗してゐる。  第二は、上述のやうに文化の各領域の根本問題に深い省察の眼を向けながら、これと並行して現在速かにその解決を要望されてゐる重要問題、すなはち国語問題、対外文化事業及び宣伝、児童文化の問題、婦人問題、学生問題等の諸問題については、一方所管官庁の当事者と緊密な連絡を執りながら、同時に他方民間の良心的な識者の意見を十分に徹してこれを綜合統一して可及的にその解決の方向を指示する考へである。  さて、最後に最も緊急な焦眉の大問題は、いま、我々日本民族が直面してゐる非常時局、この偉大な試練期における国民士気昂揚の問題である。この問題の要点は「民衆心理の動向を適確に把握する」といふことである。今までの政治はこの点を軽視し、あるひは全然看過してゐたために、いはゆる政治といふものと国民の心理とがあまりにもかけ離れたものとなつてゐたと思はれる。  国民心理に細心の注意を配つて、その望むところ、その惧れるところ、その感情の起伏消長を適確に捉へて、これを有効に導くことが現在の政治において何よりも大切なことである。事変は国民の物質生活に可成りの貧困をもたらしてゐる。これは国民のいかなる個人も快く忍ぶところである。しかし、それがために国民の精神生活までも貧しくする理由は少しもない。寧ろこんな時にこそ豊かな精神を失はぬものが真の大国民といはれるものである。  文化部は全国の国民生活の隅々にまで亘つて、その生活内部に輝かしい希望と温かい慰安とを与へて、その個々の生活力に不羈な積極性と堅忍不抜な持続精神とを注ぎ込むやうに、文化各領域の献身的な協力を慫慂するものである。 底本:「岸田國士全集25」岩波書店    1991(平成3)年8月8日発行 底本の親本:「信濃毎日新聞」    1941(昭和16)年1月11日、12日 初出:「大陸新聞」    1941(昭和16)年1月1日    「神戸新聞」    1941(昭和16)年1月2日    「信濃毎日新聞」    1941(昭和16)年1月11日、12日 入力:tatsuki 校正:門田裕志 2010年1月20日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。