棣棠の心 岸田國士 Guide 扉 本文 目 次 棣棠の心  ファルギエール通りの貸本屋で、「マリイへの御告」を借りて来て、それをモンパルナスの墓地で読んだ──クロオデルを初めて知つたのはその時である。  ボオドレエルの死像の前に菫の花束などが置いてあつた。  なるほど、これは違つた世界だ──さう思つた。  やがて、喪服を着た若い女の、つゝましい瞬きに心を惹かれた。  ──然し、その女は「天刑病者の接吻を受けた女」に似てゐた。  アール・エ・アクシヨンのスチュヂオで、ララ夫人の「正午の分配」を聴いた。  それは一つの啓示であつた。  ──そこに、劇詩人としての「非凡な息」を感じた。  俳優の「人間臭さ」は、しばしば、その扮する人物を「人間らしさ」から遠ける。  クロオデルの戯曲中に現れる人物は、極めて「人間臭からざる人間」である。  それが、最も「人間らしき人間」だと、どうして云へないだらう。  ──その証拠に、彼等はわれわれの如く生きてゐる。  少くとも、その時から、わたくしの心に生きてゐる。  〔──Seigneur, que nous e'tions jeunes alors......le monde n'e'tait pas assez grand pour nous──〕  彼は予言者であるよりも詩人だ。  ──それでいゝではないか。  わたくしは嘗て「芝居を書くと云ふことのうちには、芝居を観る楽しみも大方含まれてゐる」と云つた。  クロオデルの戯曲を読んで、「クロオデルが観つゝある芝居」のユニックな魅力を感じないものがあらうか。 「我等の偉大なるクロオデル」とフランス人の或るものは云ふ。 「君等の偉大なるクロオデル」とわたくしは云ふことができる──お世辞でなく、皮肉でなく、まして見栄からでなく。  クロオデルが日本に来た。仏国大使として日本に来た。  ──諸君、彼に先づ瞑想の時間を与へよう。 底本:「岸田國士全集19」岩波書店    1989(平成元)年12月8日発行 底本の親本:「言葉言葉言葉」改造社    1926(大正15)年6月20日発行 初出:「ゆかり」改造社    1924(大正13)年12月25日発行 入力:tatsuki 校正:Juki 2009年1月13日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。