安吾巷談 野坂中尉と中西伍長 坂口安吾 Guide 扉 本文 目 次 安吾巷談 野坂中尉と中西伍長  一人の部隊長があって、作戦を立て、号令をかけていた。ところが、この部隊長は、小隊長、中尉ぐらいのところで、これが日本共産党というものであった。その上にコミンフォルムという大部隊長がいて、中尉の作戦を批判して叱りつけたから、中尉は驚いて、ちょっと弁解しかけてみたが、三日もたつと全面的に降参して、大部隊長にあやまってしまったのである。  これは新日本イソップ物語というようなものの一節には適している。この教訓としては小隊長の上には大隊長がいるし、その又上に何隊長がいるか分らん。軍人生活は味気ないものだ、という感傷的な受けとり方もあるだろうし、ライオンだって鉄砲に射たれるぞ、という素朴な受けとり方もあろう。各人各様、いろいろと教訓のある中で、教訓をうけつけないのが、当事者、つまり日本共産党だけ。これはイソップ物語というものの暗示する悲しい宿命だ。  私はあらゆる思想を弾圧すべからず、と考えていた。現に、そう考えているのである。無政府主義だろうと、共産主義だろうと、自由に流行させるにかぎる。なぜなら、それを選び、批判し、審判するのは、国民の自由だからである。  ところが、現在の日本共産党は、そういうわけにいかない。  徳田中尉、野坂中尉という指導者が上にあって、だいぶ下の下になるが、除名された中西伍長という参議院議員など、さらに末端の兵卒に至るまで順序よく配列されているわけだ。  中西伍長が綿々と述べたてるところによると(週刊朝日一月二十九日号)党中央というものを党員が批判することができない。批判すると、反動だということになる。たまたま中西伍長が独自の見解をのべて、それを党中央のオエラ方に批判してもらおうと思ったら、徳田中尉はカンカン怒って、伍長が二三分喋り得たのに対し、中尉は二三十分喋りまくって吹きとばしてしまったそうだ。又、野坂中尉は白い目をギラリと光らせて一睨みくれただけであったが、それは、若造め、生意気云うな、という意味らしかった由である。  中西伍長の独自の見解は、オエラ方にきいてもらえないばかりでなく、アカハタも前衛も彼の論文をボイコットして載せなくなったので、やむをえず党外の雑誌へ発表すると、反動通信網とケッタクした、というレッテルをはられてしまった。  以上は中西伍長の一方的な打明け話であるから、そのまま信用するわけにはいかない。  けれども、党中央というものを党員が批判することができないことは、中西伍長の打明け話をきかなくともハッキリしている。かりに批判ができたにしても、そんな批判が何のタシにもならないことがハッキリしているのである。  なぜなら、本当に党中央を批判し審判しうるのはコミンフォルムだからだ。もしくは、その又奥の大元帥だけだからだ。  日本共産党がどんなに巧妙な言辞を弄して、自分はコミンフォルムに隷属しているワケではないなどと国民を説得しようと計画したところで、どうにもならない。  一喝にあうや、負け犬のように尻ッポを垂れて、降参したではないか。下部の批判に白い目をむく者のみのもつ上部に対する弱さ、無力をバクロしているだけだ。自己主張はどこにもない。そして言い方が面白い。自己批判した結果、コミンフォルムの批判が正しいことを知った、とくる。すでに自己批判の上、清算していた、とくる。  結局、日本共産党というものは、コミンフォルムの批判をうけると、ただちに自己批判して、降参せざるを得ないのである。独自の見解を主張すれば、彼らが中西伍長を除名したように、今度は自分がコミンフォルムから除名されるだけのことだ。あげくの果は、武力侵略の好餌となるだけだ。  日本共産党は、民族独立とか、植民地化を防げ、などゝ唄っているが、コミンフォルムの一喝にシッポを垂れるものに、民族独立があるものではない。彼らの性格はハッキリしている。コミンフォルムの植民地だ。  この植民地には自主がない。国民は選ぶことも、批判することも、審判することもできないのである。党中央に対してコミンフォルムの批判と命令が絶対であるように、国民は党中央にたゞ服従する以外には手段がない。  共産党はマルクス・レーニン主義が絶対であり、他の主義思想を許さない。現に日本共産党はその議会主義的な傾向を批判され、シッポを垂れているのだ。  国民が自分の思想を自由に選び、政党を批判し、審判することを許さぬような暴力的な主義というものは、自由人と共存しうるものではない。我々の軍部がそうであったように、彼らもファッシズムであり、配給はあるが、自由は許さない。批判も許されない。  共産党ぐらい矛盾したことを平然と述べたてる偽善者はいないだろう。彼らは人間の解放だとか個人の自由を説いているのだから笑わせる。日本共産党自体が、コミンフォルムに対して、すでに自己の自由を失っているのではないか。独自の見解を立てれば、マルクス・レーニン主義の原則によって批判され、除名され、アゲクは、武力的に原則に従わしめられるのがオチだ。私が彼らを軍人になぞらえたのは至当だろう。軍人も、命令を批判することは許されない。それがマチガイと知っても、服従の義務あるのみであった。  ソビエットは知性の低い国だ。それはナホトカから帰還してくる人々への彼らの教育の仕方を見れば一目瞭然だ。  私は、しかし、まるで敵前上陸するような憎悪をもって祖国へ帰還する人々を罵ろうとは思わない。彼らは悲運であっただけだ。  彼らは元々平和な庶民として育った人で、戦争などが好きな筈はなかったろうが、農村や工場や学校から否応なしに戦野へかりだされて、国民儀礼だの、服従、忠誠などを、ビンタの伴奏で仕込まれた人たちだろう。  国民儀礼の代りにインターナショナルの合唱を、天皇の代りにスターリンを、皇祖や中興の祖の代りにマルクス・レーニンをすり替えただけで、このすり替えは簡単だった筈だ。その素地は、日本の軍部がつくってくれたのである。  すくなくとも、軍人指導下の日本よりも、ソビエトの方がマシなのは明かだろう。働く者には給与がある。それは軍部指導下の日本も同じことで、かえって人手が足りなくて困ったほどだが、戦備に多忙なソビエトに人手が欲しいのは当然だ。  盆踊りに毛の生えたような踊りや、農村でも見ることのできる映画館や、その程度のものにも彼らが日本以上の文化を感じたのは自然であろう。  彼らが反動を吊しあげるのも、根は日本の軍部が仕込んだ業だ。  私は先日、今日出海の「私は比島の浮浪者だった」を読んで、彼のなめた辛酸の大きさに痛ましい思いをさせられたが、彼がようやく比島を脱出して台湾へ辿りつき、新聞記者団に比島敗戦の惨状を告げたら、敗戦思想だと云ってブン殴られたそうである。自分の見、又、自ら経験した真実を語ってもいけないのだ。しかも、殴ったのは、新聞記者だ。私も同じような経験をした。私は日映というところの嘱託をしていたが、そこの人たちは、軍人よりも好戦的で、八紘一宇的だとしか思われなかった。ところが、敗戦と同時に、サッと共産党的に塗り変ったハシリの一つがこの会社だから、笑わせるのである。  今日出海を殴った新聞記者も、案外、今ごろは共産党かも知れないが、それはそれでいいだろうと私は思う。我々庶民が時流に動くのは自然で、いつまでも八紘一宇の方がどうかしている。  八紘一宇というバカげた神話にくらべれば、マルクス・レーニン主義がズッと理にかなっているのは当然で、こういう素朴な転向の素地も軍部がつくっておいたようなものだ。シベリヤで、八紘一宇のバカ話から、マルクス・レーニン主義へすり替った彼らは、むしろ素直だと云っていゝだろう。  こういう素朴な人たちにくらべれば、牢舎で今も国民儀礼をやっているという大官連は滑稽千万であるし、将校連がマルクス・レーニン主義に白い目をむけ、スターリンへの感謝を拒んで英雄的に帰還するのも、見上げたフルマイだとは思われない。  彼らは戦争中は特権階級で、国民や兵隊の犠牲に於て、下部の批判を絶した世界で、傲然と服従を要求し、飽食し、自由を享楽していた。こういう特権階級から見て、シベリヤの生活が不自由であり、不服であるのは当然でもある。彼らが敗戦の責任を感ぜずに、毅然たる捕虜の態度を保つことによって、国威を宣揚していると考えているとしたら、呆れた話である。敗戦というこの事実に混乱しない将校がいたら、人間ではなくて、木偶だ。まだ優越を夢みているとしたら、阿呆である。  私は八紘一宇をマルクス・レーニンにすり替えて祖国へ敵前上陸する人々に対しては、腹を立てる気持になれない。  イヤらしいと思うのは、そんな教育の仕方をするソビエトの知性の低さであり、好戦的な暴力主義である。日本の軍部が占領地で八紘一宇を押しつけたと同じ知性の低さである。  どんな思想も、どんな政党も発生にまかせ、国民がそれを自由に批判し、選び、審判さえできれば、国家が不健全になるはずはない。しかし、国民の批判や審判を拒否する政党というものの存在を容したら、もうオシマイだ。           ★  ナホトカ組の敵前上陸や、コミンフォルムの批判と対抗するように、天皇一家が新聞雑誌の主役になりだしてきたのは慶賀すべきことではない。  将来何になりたいか、という質問に「私は天皇になる」と答えたという皇太子は、その教育者の貧困さが思いやられて哀れである。これはナホトカ組が祖国への敵前上陸を教育されているのと揆を一にする絶対主義の教育であり、神がかりの教育でもある。教育された皇太子の罪ではない。この敗戦にこりもせず、まだこんな教育をする連中の度しがたい知性の低さが問題だ。  日本の今日の悲劇は、いわば天皇制のもたらした罪であるが、しかし、天皇制には罪があっても、天皇には罪がない。天皇制は彼が選んだものではなく、ただそのような偶像に教育されただけであった。  しかし、彼はともかく無条件降伏の断を下した。朕の身はどのようになろうとも、と彼は叫んでいるではないか。そこに溢れている善意は尊い。天皇ほどではないにしても、偶像的に育てられた旧家の子供はたくさんいる。しかし、たとえ我が身はどうなろうとも、という善意をもって没落のシメククリをつけうる善良な人間がタクサンいるとは思われない。  恐らくヒロヒト天皇という偶像が、天皇の名に於て自分の意志を通したのは、この時が一度であったかも知れないが、これをもっと早い時期に主張するだけの決断と勇気があれば、彼は善良な人間であると同時に、さらに聡明な、と附け加えうる人間であったであろう。  彼は人間を宣言したし、その側近のバカモノが性こりもなく造りだした天皇服という珍な制服も、近ごろは着ることがないようである。しかしながら、津々浦々を大行列でねり歩いているところなどは性こりもない話で、これを迎える群集も狂気の沙汰だ。  こういう国民の狂気の沙汰は、国民も内省すべきであるが、しかし、それ以上に天皇自身が内省しなくてはならない。天皇の名に於て、数百万の人々が戦歿しているではないか。彼が偶像に仕立てられた狂気の沙汰が、それをもたらしたのである。  降伏に当って大いなる善意を示し、人間を宣言した彼は、まずかかる国民の狂気の沙汰を悲しみ、抵抗するところから出発するのが当然だ。 「私は天皇になる」などゝ、敗戦の悲劇もさとらず、身の毛のよだつようなことを云う皇太子に、拙かりし過去のわが身、天皇の虚名を考えて、誰よりも多く身の毛をよだててくれるのが、父親たる天皇自身でなければならないだろう。  巷間伝うるところによれば、天皇は聡明であり、軍部に対しても、釘をさしたというが、最後の断を除いては、釘をさした効果らしいものは全然見当らないではないか。去年だかの旅行先で、どこかの社長が社の理想を長々と述べたに対して、どうぞ、その通りにやって下さい、と答えたそうだが、その程度の有りふれたアイロニイは劣等生でも言えることだ。  現に側近のバカモノが戦前に劣らぬ偶像崇拝的お祭り騒ぎにとりかかり、彼がそれに殆ど抵抗を示していないところを見れば、彼の聡明さや軍部への抵抗は、側近のつくりごとで、彼は善良な人間ではあるが、聡明の人ではないと判断してもよかろうと思う。  再び、集団的な国民発狂が近づいているのである。一方にナホトカから祖国へ敵前上陸する集団発狂者があり、コミンフォルムの批判にシッポを垂れて色を失う集団発狂者がある。この集団発狂は、彼の力では、どうにもならない。  しかし一方に、彼を再び偶像に仕立てて、国民儀礼や八紘一宇の再生産にのりだしそうな集団発狂が津々浦々に発生しかけているのである。この集団発狂は、彼個人の意志によって、未然に防ぎうる性質のものだ。すべて病気の治療というものは、初期のうちに行わなければ手おくれとなる。日本の都会があらかた焼野原になり、原子バクダンが落されてからでは、その善意は尊重すべきであるにしても、手おくれの難はまぬがれない。今のうちなら右翼ファッショの再興を、彼個人の意志によって防ぎうるのだ。彼がよりつつましく人間になりきることによって。それを為しとげる気配もないから、彼は明かに聡明ではない。むしろ側近の計るがままに、かかる危険を助成している有様であるから、なさけない。忠勇な国民を多く殺して、自分のからだが張りさける思いである、という、あの文章は人が作ってくれたものであるにしても、あれを読み、あれを叫んだ時の彼の涙は、彼の本心であり、善意そのものであったはずだ。彼はすでに、それを忘れたのであろうか。  私は祖国を愛していた。だから、祖国の敗戦を見るのは切なかったが、しかし、祖国が敗れずに軍部の勢威がつづき、国民儀礼や八紘一宇に縛られては、これ又、やりきれるものではない。私はこの戦争の最後の戦場で、たぶん死ぬだろうと覚悟をきめていたから、諦めのよい弥次馬であり、徹底的な戦争見物人にすぎなかったが、正直なところ、日本が負けて軍人と、国民儀礼と、八紘一宇が消えてなくなる方が、拙者の死んだあとの日本は、かえって良くなると信じていました。もっと正直に云えば、日本の軍人に勝たれては助からないと思っていました。国民儀礼と八紘一宇が世界を征服するなんて、そんな茶番が実現されては、人間そのものが助からない。私の中の人間が、八紘一宇や国民儀礼の蒙昧、狂信、無礼に対して、憤るのは自然であったろう。  私の希望がフシギに実現して、軍人と八紘一宇と国民儀礼が日本から消え失せてしまったが、人間が復活、イヤ、誕生してくれるかと思うと、どっこい、そうは問屋が卸さない。  国民儀礼の代りに赤旗をふってインターナショナルを合唱し、八紘一宇の代りにマルクス・レーニン主義を唱えて、論理の代りに、自己批判という言葉や、然り、賛成、反動、という叫び方だけを覚えてきた学者犬が敵前上陸してきた。  天皇は人間を宣言したが、一向に人間になりそうもなく、神格天皇を狂信する群集の熱度も増すばかりである。  どっちへ転んでも再び人間が締め出しを食うよりほかに仕方がないという断崖へ追いつめられそうになってきた。  米ソの対立とか米ソ戦ということについては、私にはとても見当がつかない。なぜなら、原子バクダンという前代未聞の怪物が介在して、在来の通念をさえぎっているからである。  けれども、二大国の対立が不発のままで続くことによって、その周辺の小国は、続々内乱化の危険があるようだ。  コミンフォルムの日本共産党批判はその方向への一歩前進を暗示しているし、それに対して右翼も益々組織され尖鋭化する形勢にあるようだ。  日本から占領軍が撤退すると、内乱的な対立はたちどころに激化しそうだ。  私は内乱など好ましいとは思わないが、その犠牲で、未来の希望がもてるなら、まだしも救いはあろう。しかし、左右両翼、どっちの天下になったところで、ファシズムの急坂をころがり落ちて行くだけのことだ。  狭小な耕地面積と乏しい天然資源、おまけに人口は八千万を越して、避妊薬の流行にもかかわらず、一億を越すに長い年月を要せずという盛大な繁殖率を示している。  四百年前に渡来したザビエルが、すでに日本人の勤勉さと、国土の貧しさ、食生活の貧しさに驚いているのだ。戦国時代のせいだけではない。徳川時代の農民一揆の場合などでも、武士がゼイタクしていたという例は珍しく、江戸大坂に若干の繁栄があったほかは、国土の貧しさと人口の多さによって、支配階級の武士すらも、もっぱら質実剛健を旨とせざるを得なかったのである。  台湾、朝鮮、カラフトと明治以後の日本は領地をかせぎ、大軍備を誇って世界三大強国などゝ言っていたが、その生活水準の低さというものは論外で、フィリッピン以上のものではなかった。  これは驚くべき事実であるが、日本の歴代の内閣が、国民の生活水準を高める、ということを政策にかかげたことがない。ヒットラーでも、労働者に鉄筋コンクリートの住宅を、自動車を、と約束したが、日本の為政家は耐乏、勤倹、質実剛健、を説教することをもって国民への任務と考えていたようである。  食うものも食わずに戦備をととのえて、目的がどこにあるのか見当もつかないけれども、こういう指導理念の混乱は、日本共産党にもある。正しいプロレタリヤであるには、貧乏な生活をしなければならぬ。一昔前のプロレタリヤ理念は明確にそうであり、貧乏を誇りにさえしていた。生活水準を高めるよりも、低めるために努力しているようでさえあった。そして高度の娯楽はブルジョア的であるとし、工場や農村の窮乏や、娯楽も文化もない方向へ、人々をひきむけることを目的としていたようであった。  これは今日では払拭されたようであるが、洗煉されたものよりも粗野の方へ、デリケートなものよりも無神経の方へ生活形態の方向を推し進めようとしていることは争えない。  それは軍部が言論同様、芸術にも統制を加えて、彼らに理解しうる限度をもって文化の水準とし、彼らに理解し得ない高さのものを欧米的だとしたことゝ全く同一である。  野坂中尉は一月二十五日の質問演説に於て、自衛権の裏に軍事協定があること、外国資本による日本経済の買辨化を暴露して出たが、コミンフォルムの野坂批判によって示されたその歴史の大きさを見れば、共産党が日本の政権を握った場合に生じるものが、吉田内閣に於ける軍事協定や買辨化の比ではないことが分る。  なぜなら、日本共産党はコミンフォルムの完全なカイライ、手先にすぎないからで、その圧力を拒否する場合に起るものは、武力侵略であり、いずれにせよ、コミンフォルムの意のままに自己批判せざるを得ない宿命にあるからである。  日本の軍部のように、八紘一宇と国民儀礼のような神話時代の文化しか持ち合せがなく、自分の貧乏やマイナスを占領地帯へ分ち与えるようなヤリ方では、占領された人たちが大迷惑であるが、ソビエトの場合が、又、そうである。  ともかく欧米諸国に於ては、植民地を独立させる方向へ傾きつつある。彼らにとっては侵略戦争史というものが長い歴史を終って、別の方向へ向こうとしている。それは文化と野性の長い争いの結果到達した結論でもあるのである。  ところが、ソビエトの場合はアベコベだ。日本と同じように、領土をひろげる必要があるのである。日本と同じように彼も亦貧乏であり、自分の国だけでは食物も不足、開発の設備も不足、工場も不足だからだ。  同じ占領されるにしても、こういう国に占領されるのは慶賀すべきことではない。困ったことにはジンギスカンや金のように、文化の低い国が戦争では強いようなことが大いに有りうるからガッカリする。ロシヤも原子バクダンは造ったが、文化や知性や生活の水準は日本と変りのない国だ。ヨーロッパの田舎であり、農奴から労働者へ一ケタ上ったばかりの国である。  日本人の生活水準の向上ということは、いかなる独裁政党が勝利を占め、議会政治を否定し、特権階級を亡し、民族独立して強力な独裁政治をほどこしても、どうにもならないものだ。問題は一億ちかい人口が狭小な耕作面積と乏しい天然資源しか持ち合せないという特殊な国情にあって、誰がやっても外国貿易に活路を見出す以外には仕方がない。  吉田首相をアッサリ保守反動ときめつけるけれども、彼の直截簡明な判断には見るべきところがあり、正月ごろ発表した談話に、官吏を減らせば国民の負担が軽減する。まず官吏を減らすのが第一だ、というのは、共産党が天下をとったにしても、日本の国情としては、そうせざるを得ないのが当り前だ。軍人だの官公吏というもの、又事務系統を減らして、生産面の各部門を拡充し、それも主として貿易の生産面にふりむける以外に生活水準を高める実質的な方法はあり得ないはずだ。  それとも共産党の場合には、彼らが天下をとったアカツキ、共産諸国の協力や援助をうけうるものだと予定しているとしたら、甘いというか、悲劇的な頭の悪さであろう。人のフンドシで相撲をとるのは日本古来の特技でもあった。戦国時代の興亡は主として人のフンドシを当にして行われ、昭和の軍部はドイツのフンドシを当にして失敗してしまった。  今日、右翼再興の気運も、概ね人のフンドシを当にしての算用から割りだされた狡猾で頭の悪い田吾作論理の発展のようであるが、こういう手合いの軽率で虫のよすぎる胸算用は蒙昧きわまり、悲劇そのものでもあろう。  要するに、左右いずれの天下となっても、我々に押しつけられるものは彼らの無智蒙昧な誤算だけで、しかもそれを糊塗するに、言論や批判の自由を断圧して、身勝手な割当てを強要するだけのことであろう。           ★  私は敗戦後の日本に、二つの優秀なことがあったと思う。一つは農地の解放で、一つは戦争抛棄という新憲法の一項目だ。  農地解放という無血大革命にも拘らず、日本の農民は全然その受けとり方を過ってしまった。組織的、計画的な受けとり方を忘れて、単に利己的に、銘々勝手な処分にでて、あれほどの大革命を無意味なものにしてしまったのである。ここには明かに共産党や無産政党の頭の悪さがバクロされており、人の与えた稀有なものを有効に摂取するだけの能力が欠けていたのだ。  戦争抛棄という世界最初の新憲法をつくりながら、ちかごろは自衛権をとなえ、これもあやしいものになってきた。  吉田首相は官吏の減少を国民負担の第一条件と断定しながら、軍備を予定しているとしたらツジツマの合わぬこと夥しいではないか。  軍人一人と官吏一人では、国民の負担の大きさが違う。軍人一人には装備という大変な重荷がついている。原子バクダン時代に鉄砲一つの兵隊なら、ない方がよろしい。戦車でも、おかしい。要するに、ない方がよろしい。  無抵抗主義というものは、決して貧乏人のやむを得ぬ方法のみとは限らないものだ。戦争中に反戦論を唱えなかったのは自分の慙愧するところだなどゝ自己反省する文化人が相当いるが、あんなときに反戦論を唱えたって、どうにもなりやしない。自主的に無抵抗を選ぶ方が、却って高度の知性と余裕を示しているものだ。  ガンジーの無抵抗主義も私は好きだし、中国の自然的な無抵抗主義も面白い。中国人は黄河の洪水と同じように侵略者をうけいれて、無関心に自分の生活をいとなんでいるだけのことだ。彼らは蒙古人や満洲人の暴力にアッサリ負けて、その統治下に属しても、結局統治者の方が被統治者の文化に同化させられているのである。  こういう無関心と無抵抗を国民の知性と文化によって掴みだすことは、決して弱者のヤリクリ算段というものではない。侵略したがる連中よりも、はるかに高級な賞揚さるべき事業である。こういう例は日本にもあった。徳川時代の江戸大坂の町人がそうだ。彼らは支配者には無抵抗に、自分の生活をたのしみ、支配者よりも数等上の文化生活を送っていた。そして、支配者の方が町人文化に同化させられていたのである。  戦争などゝいうものは、勝っても、負けても、つまらない。徒らに人命と物量の消耗にすぎないだけだ。腕力的に負けることなどは、恥でも何でもない。それでお気に召すなら、何度でも負けてあげるだけさ。無関心、無抵抗は、仕方なしの最後的方法だと思うのがマチガイのもとで、これを自主的に、知的に掴みだすという高級な事業は、どこの国もまだやったことがない。  蒙古の大侵略の如きものが新しくやってきたにしても、何も神風などを当にする必要はないのである。知らん顔をして来たるにまかせておくに限る。婦女子が犯されてアイノコが何十万人生れても、無関心。育つ子供はみんな育ててやる。日本に生れたからには、みんな歴とした日本人さ。無抵抗主義の知的に確立される限り、ジャガタラ文の悲劇などは有る筈もないし、負けるが勝の論理もなく、小ちゃなアイロニイも、ひねくれた優越感も必要がない。要するに、無関心、無抵抗、暴力に対する唯一の知的な方法はこれ以外にはない。  小ッポケな自衛権など、全然無用の長物だ。与えられた戦争抛棄を意識的に活用するのが、他のいかなる方法よりも利口だ。  しかし、好んで侵略される必要はない。左右両翼の対立などは、どっちが政権をとってもバカげたことになるだけのことで、我々の努力によって避けうるものは避けた方がよいにきまっている。  しかし我々に防ぎようもない暴力的な侵略がはじまったら、これはもう無抵抗、無関心、お気に召すまま、知らぬ顔の半兵衛にかぎる。  戦争などゝいうことが、つまらぬものであることはすでに利巧な人たちはみんな知っている筈であるし、やがてあらゆる指導者がそれを納得するのも遠いことではないだろう。  かりに、世界中を征服してみたまえ。征服しただけ損したことが分ってくる。結局全部の面倒を見るか、手をひく以外に仕方がなかろう。その時になって光を放つのが、無抵抗、無関心ということだ。  しかし、意識的な無抵抗主義に欠くべからざる一つのことは、国民全部が生活水準を高めるという唯一の目的を見失ってはいけないということだ。  衣食住の水準のみでなく、文化水準を高めること、その唯一の目的のためにのみ我々の総力を集結するという課題さえ忘れなければ、どこの国が侵略してきて、婦人が強姦されて、男がいじめられ、こき使われても、我関せず、無抵抗。戦争にくらべてどれぐらい健全な方法だか知れない。  我々の文化に、生活の方法に、独自な、そして高雅なものがあれば、いずれは先方が同化して、一つのものになるだろう。我々はそれを待つ必要もないし、期待する必要もない。  我々は無関心、無抵抗に、与えられた現実の中で、自分自身の生活を常に最もたのしむことだけ心がけていればいゝのである。  結局、人生というものは、それだけではないか。社会人としては、相互に生活水準を高める目的のために義務を果し、又、自分自身の生活をたのしむことだ。  セッカチな理想主義が、何より害毒を流すのである。国家百年の大計などゝいうものを仮定してムリなことをやるのがマチガイのもとだ。人のやる分まで、セッカチにやろうというのが、もっての外で、自分のことを一年ずつやればタクサンだ。  銘々がその職域で、少しでも人の役に立つことをしてあげたいと心がけていれば、マルクス・レーニン主義の実践などより、どれくらい立派だか知れやしない。人の能は仕方がないから、心がけても、人になんにもしてあげられなくても、かまわんのさ。  そしてその次に、自分だけのたのしい生活を、人の邪魔にならないように、最も効果的にたのしむことを生れてきたための日課だと心得ることだ。  負けて、手足をもぎとられて、仕方がないから、無抵抗主義を唱えるワケではありません。 底本:「坂口安吾全集 08」筑摩書房    1998(平成10)年9月20日初版第1刷発行 底本の親本:「文藝春秋 第二八巻第三号」    1950(昭和25)年3月1日発行 初出:「文藝春秋 第二八巻第三号」    1950(昭和25)年3月1日発行 入力:tatsuki 校正:宮元淳一 2006年1月10日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。