吹雪物語 ──夢と知性── 坂口安吾 Guide 扉 本文 目 次 吹雪物語 ──夢と知性── 一 二 三 四 五 六 七 八 一  一九三×年のことである。新潟も変つた。雪国の気候の暗さは、真夏の明るい空の下でも、道路や、建築や、行き交ふ人々の表情の中に、なにがなし疲れの翳を澱ませて、ひそんでゐる。さういふ特殊な気候の暗さや、疲れの翳が、もはや殆んど街の表情に見られないのだ。まづ第一に鋪装道路。表通りの商店街は、どの都市にもそつくり見かけるあたりまへの商店建築が立ちならび、壁面よりも硝子の多い軽快な洋風商店、ビルディング、ネオンサイン、酒場、同じことだ。築港の完成。満洲国との新航路開通といふこの市の特殊な事情もあるけれども、変つたのは、あながちこの市の話だけではないらしい。欧洲で言へば、世界大戦を境にして、と言ふところだが、日本では、恐らく関東大震災を境にして、と言ふのであらう。日本中の都会の顔が、例外なしに変つたらしい。  青木卓一は久々に故郷へ戻りついた夜、叔父の田巻左門と大寺老人に案内されて、食事がてら街を歩いた。遠来の客をもてなすためといふよりは、老来益々出不精で、夜街の賑ひを忘れてゐる左門叔父の好奇心が強かつた。三人はダンスホールへもぐりこんだ。これも亦東京と同じことだ。廻転する光の色が踊りにつれて変化する。違つてゐるのは踊りての数が少いだけのことである。と、踊りに来合せてゐた幼馴染の一婦人が、卓一を認めて呼びかけた。その顔は卓一の記憶の底をつきまくり、ひつくりかへしても、雲をつきまはすと同じやうに、手掛りのないものだつた。え、俺の幼馴染といへば仔豚か鴉のやうな薄汚い餓鬼ばかりぢやないか。誰がいつたいこんなバタ臭い麗人に変つたのだらう? 卓一は呆れかへつて女の顔を視凝めつづけた。 「私の顔、思ひだせないでせう」女は笑つた。「あしたの今頃この場所でまた会ひませうね。お待ちしてますわ」  女はくるりと振向いて行つてしまつた。 「私はかういふ艶つぽい場所が好きだ。芝居、ダンス、活動、待合。総じて人だまりと女のゐる場所はみんないいね。一晩に一場所づつ、粋な場所で遊んでくらして、それからゆつくり寝るのさ。ほかに娯しみもないのでね」  と大寺老人は卓一にささやいた。さうして二十数貫の巨躯をゆすぶり、笑ひだした。左門も大寺老人ももはや七十を越えてゐた。左門は痩せ衰へてゐたが、珍奇な国の魅力のために、眼は生き生きと輝き、軽い上気がやつれた顔を若返らせてゐるやうだつた。 「え、誰だ。さつきの婦人は。あれも踊り子のひとりかね?」と左門がきいた。 「僕も見当がつかないのです。幼馴染だといふのですが……」  卓一は久々に故郷へ帰つた思ひよりも、見知らぬ土地へ突きはなされた旅人のむせるやうな異国情趣をむしろ感じた。 「まるで変つたものでせうが……」と大寺老人が左門に言つた。 「まるで変つたね。然し、変るのがあたりまへだ」と左門は自分の老齢を蔑むやうな苦笑をうかべた。「卓一お前も踊つたらどうだ」 「生憎踊りを知らないのです。ダンスホールへ這入つたのが、生れてこのかたこれが始めての経験なんです」 「東京で何をして暮してきたのだ。お前もやつぱり穴熊の一族か」  左門の眼は踊る人々を飽くこともなく追ひつづけた。少年の好奇心に燃えた眼だ。なんて新鮮な眼付だらう、と卓一は思つた。東京へ脱ぎすててきた耽溺の日々もただ退屈でしかなかつた。旅も、旅愁も、退屈つづきの重苦しさの底にあつた。故郷も、然し新鮮ではない。俺にはもはや少年がないのだ。  ──この老人にこんな新鮮な少年の眼がどうして残つてゐたのだらう……  それが再び彼に異国の思ひを強めた。 「大寺老」と左門はよんだ。「あなたは時々ここへ遊びにきて、踊つた例はないのかね?」 「さて、そこだね。長生きの恥かきとはここの理窟だ。いつぺんだけ踊つてみたことがありましたがね(と老人は急に当時を思ひだして、暫くは笑ひがだらしなく止まらなかつた)年寄りのくせに、豚のやうに太つてしまふと、赤んぼの足つきと同じやうにヨチヨチして、器用なうごきはできないものだ。女の子が怒つたね。あはは。私はかうして見てゐるだけで、なんと言つたね。卓一さん。その、ホルモンといつたかね。そのたしになりますからな」  その翌日から卓一は越後新報へ出社した。卓一はこの新聞の編輯長に招かれたのだ。前編輯長の野々宮が事務を教えるために、出社してゐた。 「僕は始め人並みの抱負をもつてゐたのです。然し一年。恐らく一ヶ月といふ方が、むしろ正しいかも知れません。抱負は、すでに、なかつたのですね」野々宮は笑つた。卓一と同じ年齢のころ、彼も招かれてきたのであつた。「それからは、ニュースを編輯するだけの仕事でした。地方新聞は、青年の野望と抱負を傾けても、歯の立ちがたい種類のものです。抱負のうすれた毎日に、この土地の長い冬の暗らさほど、憂鬱なものはありません。毎日低い灰色の空に押しつけられてゐると、気違ひにならないことが、不思議な気すら起るのですね。この薄暗らい編輯室に一日坐つてゐるだけで、何か微塵に破壊したくなるやうな、苛立ちを覚えずにはゐられなくなつてくるのです」  野々宮は、やつれてゐた。肉体も虚弱であつたが、神経衰弱の気味ださうな。東京に彼の赴任を待つてゐる新らたな仕事があるのだが、恋のために、動けなかつた。彼の妻君は、刃物を揮ひさうだつた。 「むしろ抱負が、この土地では、無役な障碍にしかすぎないのです。地方新聞が、地方的な啓蒙の役割をもつてゐたのは、明治中年の頃のことで、今日では、地方のニュースを伝えるだけが、精一杯の仕事ですね。そのほかの大きな仕事は、東京の大新聞が、するのです。東京の大新聞が地方に販路をひらいて以来、どれだけ仕事をしてみても、すでに、信用がないのです。むしろ抱負が、誤解の理由になるだけでせう。この仕事で生きるためには、自分を殺すことですね。それだけが、自分を生かすことなのです」  野々宮の悲観的な述懐も、卓一の心を殆んど悲しませはしなかつた。この仕事は、彼にとつて、もともと息ぬきの心算でしかなかつたのだ。この仕事が、ずるずるべつたり、一生のものになるにしても、ままよ、一生が息ぬきだ。 「僕に抱負はないのです。生活が、ひとつの旅行にすぎないのですね。生活の変化。環境の変化。それを一途に考へてゐたのです。環境を変えさえすれば、すでに道がひらけてゐる理窟なのだ、と今も信じてゐるのです。そして、流れてきたのです。思ひ通りに仕事を運んだり、変化させやうといふのではなく、仕事の通りに自分を変え、順応しようといふのですね。阿呆のやうに暮らすつもりにほかなりません」  と、卓一は笑つて言つた。  然し希望の裏打ちのない若者の行為があり得ようか。むろん有り得る筈はない。そして卓一にも、やつぱり希望はあるのであらう。然し絶望に変形しがちな、疲れきつた希望に就いて語ることは、人性と謎に就いて語ることにほかならないのだ。この解きがたい人性に就いて。自信の壊滅。野望。そして成功のあこがれ。必死。けれども安らかな時間。第二の希望。等々。それはもう人性に訊ねるがいい。個人の知つたことではないのだ。卓一は心に叫ばずにゐられなかつた。息ぬきだ。もはや俺の一生が。  然し卓一を故郷へ呼び寄せた心のひとつに、女の面影を消し去ることができなかつた。彼はそれを意識したが、意識がそれにふれることを、余り好んでゐなかつた。  田巻左門に一男と三女があつた。三女はそれぞれ他家へかたづき、一男は、結婚まもなく夭折した。子供はなかつた。嫁の文子は、まだ若かつた。恐らく三女のひとりから、養子をもらうべきだらう。そして文子は実家へ帰へすべきだつた。然し左門は文子を手離す勇気がなかつた。俺は、いよいよ、ひとりになる。……まるで棄てられてしまふやうな、切ない思ひがするのであつた。そして文子の人柄に、手離しがたい愛着を覚えざるを得ないのだ。むしろ文子に聟を探さう、左門は思つた。そして甥の卓一をその候補者に選んだのだ。それは左門の胸にかくした計画だつた。卓一と文子はまつたく知らないことだつた。  折から越後新報が野々宮の後任を物色中のことを知ると、彼にゆかりの新聞のこととて、難なく甥を後釜にすえることができたのだ。そして卓一は帰郷した。文子のことは知らないのだ。これだけで、ひとつは済んだ。次は自然にまかせることだ、と左門は肚に思つてゐた。もし卓一が文子を好いたら、そして文子が卓一を好いたら、彼を養子に迎へよう。万事は自然のなりゆき次第だ。然し文子の温順な性質や、容貌の美しさを思ふにつけて、自然にまかせてをくことが、いつとなく二人を結ぶ同じ希望になることだと左門は思つた。きつと自然にさうなるだらう。さういふ安堵がわかるのである。とくにひどく落付いた、まるで落胆であるかのやうな、安堵を感じる思ひがする。俺が口をだすことはない。誰が口をだしてもならぬ。自然が二人を結んでくれるに相違ないと思ふのだつた。いはば左門の胸底に、左門も知らない小さな嫉妬がかくされてゐるせゐかも知れない。さうしてやりたい反面に、さうさせたくない悲しい思ひが、ひそかに燃えてゐることを想像してもいいのであつた。 「え。卓一さん」三人が夜の散歩にでかけるとき、大寺老人が卓一に言つた。「あの若い後家さん綺麗だと思はないかね。え。つやつぽいね。水々しいといふ奴だ。俺が三十年若かつたら。いや。男子一生の大後悔さ。さて、そこだ。ここは一番、あんたひとつ口説くところだ。誰に遠慮がゐるものか」  卓一は文子を見るのがその日はじめてのことだつた。そして文子を見てゐるうちに、左門が自分を故郷へよんだ魂胆が、分りかけてきたのであつた。この女と、やがて一緒になるだらう。無気力な、ぬきさしならね予感のために暗らかつた。  然し女。卓一を故郷へよんだ面影は。それは文子ではなかつたのだ。  四年前のことだつた。  卓一は古川澄江と知りあつた。澄江も新潟をふるさとに持ち、ピアノの修業に没頭してゐた。人々は、二人の結婚を、信じてゐた。二人のひたむきな情熱によつて、結婚だけが、当然のことに思はれたのだ。  卓一は、然し自然に澄江から離れていつた。まるで澄江に裏切られ、棄てられたやうな、深い嘆きに沈むのだつた。然し澄江から離れて行くのは、卓一なのだ。澄江は愛しつづけてゐた。卓一もそれを知つてゐた。然し卓一の胸底を、常に裏切られた切なさが、去らなかつた。その切なさを、どうすることもできないのだ。次第に澄江から遠退くことに焦りだし、心は自然に荒みを深かめて、自暴自棄に落ちてゐた。  スタンダアルは、メチルドに寄せる愛に就いて語ることを、かなり好んでゐたらしい。二人に肉体の関係はなかつた。彼がメチルドに会つたのは、その生涯の極めてわづかな時間のことだ。特に深く立ち入つて、愛の告白を語り合つた仲でもない。然し彼は失意のとき、また、そぞろ歩きのひととき、この恋を知りそめてのちの多くの時間は、メチルドの思ひ出によつて豊かになり、救はれもしたと言ふのであつた。その恋は、人の世にいれられないが、神の前に許るされるであらう、と好みの誇大な表現で告白する。この愛すべき恋愛道の大家は、それゆえ甚だ常識的でもあるのである。彼は酔ふことが好きなのだ。そして時代の精神が、恋の酔ひをさまさせるほど、苛酷でなかつた。  まことの愛は、怖れのなかに、あるのだらうか。これも奇矯だ。然し愛情は甘くないのだ。また愛情は、肉体を超えて、有りうるだらうか。むしろまことの愛情は、肉体を怖れることがないだらうか。これはどうも理解のできない節がある。我々の精神内容には、あらゆる葛藤の歴史を賭けた複雑なからくりが隠されてゐるのだ。精神は肉体を裏切り、肉体はまたその精神を裏切つて、今更その源へ還ることは困難らしい。然しとかく人間は、聖母の姿を胸に秘めてゐやすいのだ。愛の対象に、ひとつの神格を与えたくなつてしまふらしい。これは純粋な恋ではない。すくなくとも、肉体のもとめる恋ではないのである。いはば人生観的な、思想活動と結びついた、極めて理知的な工作でもあらう。 「あのひとは、多情な女だ」  卓一は、人に向つて、ときに浩嘆を洩らしたことがあつたのである。然しその浩嘆ほど、彼の激しい切なさもなかつたのだが、またそのことほど彼の信じえぬ事柄もなかつた。  なるほど澄江に、かつて愛人があつた。澄江に限つたことではない。卓一だつて、くされ縁の女があつた。どつちにしても、二人以前の、すでに過去の話であつた。澄江の心は、一途に卓一のものだつた。卓一はそれを知つてゐたが、自ら最も信じがたい事柄を掴んで、浩嘆せずにゐられないのだ。言はざるを得ないのだ。嘆かざるを得ないのだつた。  澄江の眼光に甘さはなかつた。彼等は愛情のさなかに於てすら、貪婪に裸かの心を探りあひ、己れの理知のうるささに、むしろ当惑するのであつた。そんな恋の中にゐると、まるで試験台にねせられて、手術を受けてゐるやうな恐怖が去らないこともない。澄江も亦、同じ思ひがするであらうと彼は思つた。今に、いつと怖ろしいことが、きさうだ。……  卓一は、ぬきさしのならない力にせめられて、次第に澄江から離れながら、澄江を蔑む多くの時間を、日々の友にするのであつた。一途に憎む思ひばかりが、自然であつた。  恐らく澄江も、愛しつかれ、憎みつかれたに相違なかつた。そして澄江は故郷へ帰つた。卓一は、風の便りに、それを知つた。もはや四年の歳月が流れてゐた。二人はむろん音信を交したこともないのであつた。 「野々宮さんも、若いですね」と、木村重吉といふ編輯部員が、新編輯長に親しみを見せたいために笑ひながら、言つた。「まるで、はたちの青年のやうに、恋にあつあつなんです。げつそりやつれてしまつたのです。複雑な事情は知りませんが、僕達は、これを野々宮さんの深刻なる恋愛と称んでゐるのです。あいにく事が奥さんにばれて、その方のもつれ方も、一通りではないさうですね」  仕事中の一人の編輯記者が、筆を握つた手を休めずに、鼻唄のやうな呟きを洩らした。 「若いよ。とにかく、小説中の人物さ」  その野々宮は、窓際に茫然立つて、外を見てゐた。野々宮は三十八だつた。そして卓一は三十だつた。野々宮の後姿を眺めてすら、その衰えと、不健康のみ知り得ずにゐられなかつた。人生を鼻唄に換えて流れてきたのに、着任匆々恋にやつれた人物にめぐりあふとは。すでに心が重かつた。卓一は筆を措いて立ち上り、彼も亦窓に凭れて外を眺めた。下をこの市のメーンストリートが走つてゐる。人も自動車も動いてゐるが、東京の生き生きとした賑ひには、たうてい比ぶべくもない凋落の白さがみちてゐた。雪国の長い冬が、訪れようとしてゐた。街に一冬の灰色の空が、すでに低くしきつめてゐた。青空は、もうこの土地を立ち去つたのだ。  来ない方が、よかつたようだな。と卓一は思つた。俺が新潟へ流れてきたのは、自分を抛棄したつもりであつた。そのくせ、やつぱり恋心もあつたのだ。さう言はれても、たしかに仕方がないではないか。恋が俺を休める筈は有り得ないのに。俺にとつて必要なのは、恋のあこがれだけなのだ。あこがれの中に生きるものは、現実では、死ななければならないものだ。それを知りすぎてゐながら、俺はすこし、現実に甘えすぎてゐたようだ。ほんとの現実に生きるためには、あこがれのもつ現実性を、抛棄しなければならないだらう。俺の一生が、浪費なのだ。そして現実を殺すにまさる浪費はない。その貪婪が、せめて俺の生き甲斐であるらしい。  その朝、道を歩いてゐると、向ふに見えた女の姿が、咄嗟に澄江のやうな気がした。それに類した軽い不安は、この町の停車場へ降りてこのかた、道行く彼につきまとふてもゐたのである。彼は路上へ釘づけになつた。然し次の瞬間に、彼はすでに振向いて、細い道へまがつてゐた。彼は自然に走つてゐたのだ。彼の意識は、然し同時に、かなり冷静な批判もあつた。逃げる動作が不快であつた。然しすでに仕方がないのだ。彼は寺町の墓地の中へ、来てしまつてゐた。彼は思はず心に曠野を見るのであつた。一途の悲しさが胸を流れた。孤独であつた。その安らかさが、唯一の分ることだつた。それでいいのだ。彼は静かに呟いてゐた。ぬれた墓が雑然とならんでゐる。小さくて、うすぎたなくて、みぢめで、冷めたさうだつた。各々の石の表情は、各々冷めたい孤立であつた。それが卓一の心を安らかにしたと思はせる。その聯想と安らかさは、ぎごちなかつた。まるで幼児達の不手際な組立遊戯のやうに。然し彼は自分の安手な感傷に腹立つ気にもならないほど、張合ひのない落胆のなかへ落ちこむのだつた。彼は墓に腰を下して、あたりの静寂にしばらく浸る甘さを愛した。  要するに、俺に必要なのは、澄江その人ではないらしい。卓一は思はずにゐられなかつた。澄江はきつと、俺の心に仕掛けられた魔法の玩具のひとつなのだらう。俺の一生の退屈は、この玩具なしに生きられないのだ。そして俺に必要なのは、不可能な現実と、あこがれだけであるらしい。  そしてまた、この物思ひが、俺の一生の子守唄かと彼は思つた。 「数年前のことですが、三遊亭喜楽といふ落語家が、この町へ興行にきたのです。社へ挨拶にきて、僕とこの部屋で会つたのですが」野々宮が卓一の旁に歩み寄つて、話しかけた。「僕の顔を視凝めながら、突然大きな声で、あなたは三十五歳でせうと訊ねるのですね。さうです。三十五歳になるですけど、どうしてそれがあなたにお分かりですかと訊き返したのです。あの人は、高座の姿を見ただけでは予想もつかないことですが、非常に内気な人なのですね。ふだんは、いくらか顔を伏せるやうにして、吃りがちにしか、喋ることができないやうな人なのです。僕の反問にあふと、見るも気の毒なほど悄気返つたのですね。然しやがて語りはじめたのです。私も実は三十五歳になるのです。この歳になつてから、自然に気持が滅入りこんで、四方暗らさでふさがれたやうな自分の心に、ふと気付いてしまつたのです。理由といつて、これと思ひ当る何物もなく、ただ心の重さだけがのつぴきならないものですから、これはもう年のせゐだと思ひこまずにゐられなかつたのです。なにか宿命のやうなものを、毎秒感じさせられてゐるやうな、重い跫音がきこえてならない思ひなのです、と言ふのですね。僕の顔をひとめ見ると、かねがね怯えてゐる翳があつたので、この人も三十五歳だといふ確信が、閃く同時に叫んでしまつてゐたのです、と気の毒なほど悲しさうに言ふのでした。新潟に興行のあひだ、毎晩僕を訪ねてきて、頻りに二人だけの時間を持ちたがる風でしたが、その友情は今もつづいてゐるのです。旅興行でこの町の近くまで来たときは無論ですが、東京の本興行のひまをぬすんで、わざわざ新潟まで、僕を訪ねずにゐられなくなるときが、あるらしいのですね。あの人は酒の飲めない人ですから、番茶を飲みながら、夜の明ける頃まで、ひとりで喋つているのです」  三遊亭喜楽の落語は、卓一も数回きいた覚えがあつた。芸の本質を遠く逃した邪道の人と信じてゐたので、その名前には、ただ軽蔑がついて廻るにすぎなかつた。 「あの人が、女と心中のつもりで、佐渡へ渡らうとしたことがあつたのです。僕に会はず、新潟を素通りして行くつもりだつたさうですが、新潟へ着いた日があいにくひどい吹雪の日で、船がでないのですね。宿をとつて、くすぶつてゐるうちに、僕に会ふ気になつたのだと言つてゐました。さて、僕に会ふ気になつてみたら、娑婆気が出たといふわけか、心中もひとつの心なら、生きることもひとつの心で(彼はさういふ表現を用ひたのです)心中も、その日の汽船と同じやうに諦らめる方が自然らしい。そのうへ女と別れる方が、なほ自然だと思つたさうです。この土地で、この日なら、別れられると思はずにゐられなかつたさうですね。そこで一思ひに別れ話を切りだしてみると、女も存外落付いてゐて、素直に同意したのが、夢のやうに不思議でならないと言つてゐました。別れる場所を探すために、心中にでかけたやうなものさ、と喜楽は笑つてゐたのです。女を乗せた上野行きの急行列車を見送ると、早速ここへ駈けつけてきたのですが、僕を認めると、憑かれたやうにとりとめもなく喋りだして、ヘラヘラ笑ひだしたりする様子が、あの商売の人ですから、巧まなくとも芝居がかつた不自然な誇張が目立つのですね。そのくせ何か際どい危なさが、チラチラ洩れて、薄い刃物の刃ざはりのやうな無気味な感じもあるのです。そのうち、いくらか落付いてきて、とりとめてきた心中の話を、ポツポツ語りはじめてゐたのでした。ひどい吹雪の日なのです。あのときの風の唸りを、今も歴々耳にきくことができるほどです」  卓一は、ききたくなかつた。欠伸がしたくなるのであつた。出社匆々、辻占の悪い数々だつた。暗らさは、あまり、退屈だ。……  夜がきた。約束のダンス・ホールへ彼は行つた。心はひどく浮いてゐた。ポケットに小銭の音をヂャラ〳〵鳴らし、口笛を吹きながら、酒場の扉を肩先でぐいと押し開けて這入つて行く活動写真の人物のやうだ。  女はゐた。踊り子と踊つてゐたが、彼を認めて、眼で笑つた。曲が終ると、彼の前へ歩いてきた。その顔が近づけば近づくほど、夢の中にゐるやうな、遠い気持が激しくなるのだ。夢にのみ知りうるところの、現実を鵜呑みにしてゐる多彩な心が、彼に生れてゐるのであつた。この現実と狎れ合つた気易さばかりが、すべてであつた。予想通り新鮮な心の誕生を見出して、彼は自分を有頂天にするために益々拍車をかけてゐるのだ。 「踊りませう」と女が言つた。 「踊つたことがないのです」と彼は答えた。 「意地の悪いこと、仰言るものぢやありませんわ。田舎のホールが、おいやですの」 「踊りたいと思つてゐます。然し、ダンスホールをのぞいたことすら、一度もなかつた始末です。昨日のここが、はじめての経験ですから」  女の眼に半信半疑の色が浮かんだ。そんなこと有り得ない、とその眼が言はふとしてゐるのだ。然し女は当惑して、やがて笑ひだしてゐた。 「それぢや、私」と女は突然言ひかけて、噴きだしさうになるのであつた。 「え?」 「ここを出ませう」女はすでに歩いてゐた。  卓一の素朴な挙動が、いくらか執拗すぎるほど、中断した女の言葉をうながしてゐた。それぢや、私。……どうしたのです? 卓一は、びつくりしてゐるわけでもなかつた。踊りを知らないといふたかがそれだけのものにすぎない彼の返事が、女に与えた新鮮な動きに就いて、彼は考えてゐるのであつた。好色のみを尺度にして。魔性の心にひめられた妖しい幼なさのひとつであらうか。とにかく、然し、新鮮だ。女に寄せる好奇心が、決定的なものにならうとしかかるのだつた。そしてもはや抑へがたい愛着が、いくらか野暮に見受けられるほど執拗な挙動となつて、中断した女の返事をうながしてゐるのであつた。  要するに女は──と、卓一は自分の心に言ひきかすことが大切だつた。この新鮮な情感だけで沢山なのだ。俺にとつて、それが女のすべてなのである。むしろそれ以上のどのやうな宝も女にもとめてはいけないのだつた。然しもとめすぎてゐた! 結局それらの高貴なものは、女に具はるものではないのだ。自己の所有に属するところの何物かの投影にしかすぎず、結局自分に恋をしかけてゐるやうなものだ。それゆえに、孤独と自殺を恋の中にもとめてゐるにすぎないやうなものでもあらう、と。 「雪国の冬に、生気なんか、ありませんわ」歩きながら、女は冷めたく言ふのであつた。ひとりごとであつたなら、その冷めたさに、親しさを嗅ぎ出すこともできたであらう。卓一に話しかけた言葉なのだつた。それゆえ、冷めたさが、卓一を殺す言葉のやうだつた。中断した女の言葉をうながしてゐる卓一の素朴な挙動と、執拗すぎる野暮な心を、とりつく島もないやうに、遠く突き放してゐるのであつた。女は、なほも、冷淡に言葉をつづけた。「東京からお帰りでしたら、墓の下のやうでせう」  卓一は然し殆んど平気なのだ。卓一の有頂天に、衰えの気配が見えなかつた。  女の返事は彼に不要なものなのだ。彼はただ、返事をもとめる挙動によつて、その愛着を示すことしか、知らないのだつた。勝手な返事をするがいいさ。冷めたくとも、温かくとも。どうせ言葉といふ奴は、装身具のひとつにしては、いくらかナンセンスな存在だ、と卓一は肚に呟いてゐた。それにしても、これも亦、たしかにひとつの新鮮ではないか。色情を拒絶した冷めたさ。それも情慾の秘密なのだつた。女の幼なさの表れであれ、偽装の下手な狡るさの表れであれ。人とその情慾は、いつもその悲しい相剋の故に、美しい。そこまで蓋をわつてみれば、これも厭味で、月並でないこともなからう。然しその月並だけで、沢山だつた。そのほかに、月並でないどんな神秘があるといふのだ。そのいはゆる神秘といふ奴が、俺にはよつぽど退屈で、鼻持ちのならない月並加減といふものだ。──そして卓一は、突然女のいとしさを身近かに感じる思ひがして、その情慾の危なさに驚くのだつた。と、有頂天の不自然さに、いくらか興ざめてしまふのだ。  踊り場の階下にも酒場はあつたが、二人は古町通りへでた。古町通りは、新潟の銀座だ。然し冬の訪れの近い古町通りは、人も灯も、もとより多い筈はない。寒々とした闇と気候が、もはやすべてのものだつた。  ──あつちを向きなさいと言へば、素直にあつちを向くのね。こつちを向きなさいと言へば、素直にこつちを向くだけのことだ。誠実はないのだ。反対の手数が、うるさいだけのことでせう。怖ろしいほど、冷めたい。こんなに突き放されてゐて、どうしたらいいのだらう。あなたの心を、はつきり言ひなさいよ。男らしく。  半年ほど前だつた。そのころ卓一は、ひとりの女と、憂鬱な一年あまりの生活ののち、その近づいた破綻の重さに苦しんでゐた。そのころ聞きあいた言葉のひとつだ。  自分の心を言ひなさいよ。男らしく。と言はれながら、彼はたうとう殆んど語りはしなかつた。未練がましい女の言葉の相手になつて「それなら別れよう」と答える甘さも不快であつた。黙つてゐても、別れることはできるのだ。すでに心は別れてゐた。言ふべき言葉は、もはやない。路旁の心。それが俺の生涯の心なのだ、と彼は自分に教えるのだつた。家の心は、つくりものにすぎないのだ。家の心が、路旁の心と同じ物であり得ぬとすれば。冷めたさ。まづそのほかに頼れるものはないではないか。すべてはそれから後のことだ、と。  そんな一日のことだつた。二人は横浜の海岸通りを歩いてゐた。 「死んでしまふ」と女が言つた。「いま。一緒に死んでくれなんて、今更いやがらせじみたことは、言はないわ。あなたは幸福に生きなさい。さうなのだ。ああ。たまらない未練なのだ。ひと思ひに。急がずにゐられない。未練に殺されてしまふのだもの」  海の方へ振向いた女の肩を、彼は無心に抑えてゐた。女はその手を振りきつて、彼を睨んだ。怒りのために、牙をむいてゐるやうに見えた。 「死んでしまへばいいと思つてゐるくせに。かかりあひになるのが、怖ろしいのでせう」女は泣いた。「蛇のやうな手。卑怯な心。誠実は、微塵もないのだ」  冷酷といふ誠実が分からなければ、すでに仕方がないだらう。卓一は黙つて静かに振向いてゐた。すでに彼は歩いてゐた。うしろに水音がきこえるがいい。振り向きもしまい。言ひ訳けもしまい。俺もとにかく俺の誠実をやりねくほかに仕方がないのだ。  女は彼にとびついてゐた。彼の胸に顔を押し当てて、泣きぬれた。 「行つちや、いや。お願ひだから。最後の。可愛がつてくれなくとも、いいの。どんなに冷めたくとも、好きなのだ。もう一生、はなさない……」 「昔から、芝居や、小説にあることだ。とつくに終つてゐなければならないことだと思はないかね。同じ悲劇を、再び繰返す愚を、したくないのだ。すでに喜劇の領分だから」  卓一は、もしできるなら、慟哭したくなるのであつた。どうして人は、このやうに愚かでなければならないのだらう。欲するものも知り得なければ、知り得ても、為し得ないのだ。この愚かさでは堪えられぬ思ひのために、せつないのだつた。  眼を閉ぢ、そして耳をふさげば、それですむことも、惨めなのだ。それだけで、すでに安らかで有り得ることが、せつないのだ。それはあまりにも生き易い場所だ。だから、まるで死のやうだつた。  逃げるやうに女と別れてしまつたのは、それからまもないことだつた。この憂鬱を繰返すこと、そのことほど、欲せぬものも尠かつた。  新潟港も四五千噸の貨物船が埠頭へ横づけになるやうになり、紅毛碧眼のマドロスが、むしろ暗らさを訝しげに、古町通りを歩いたりする。二人は、古町のとある明るい店で、休んだ。  卓一は、明るい店内へ這入ることを、幾分怖れたほどだつた。なぜなら、女の足どりは、そして笑顔は、かなり溌剌としてゐたが、また明らかに、淡い当惑に悩みはじめてゐることが分かつてゐた。せつかくの夢の開花が、もういちはやく、萎もうとしかけてゐるのだ。そして明るい店内では、忽ち夢がさめはてるやうな思ひがしたから。 「私ユーランバに住んでゐた嘉村由子といふ者ですの。あなたが中学校の一二年生のころ、私まだ小学校の三年生か四年生ぐらゐでしたもの。お忘れでせうね」  ユーランバ。それは懐しい場所だつた。卓一の少年の日が、すべてそこに、つつまれてゐた。嘉村由子。卓一は思ひだした。記憶の中のその人は、十才前後の少女であつた。  ユーランバ。どういふ漢字を当てるのだらう。卓一は、それを知らずに過したのだつた。新潟には、これに類した曖昧な地名が、ほかに二三あるやうだ。ダッポン小路といふのがある。卓一は、少年の頃、その空想で、考へてゐた。その昔このあたりに賊でも住んでゐたのだらう。捕吏に追はれ、この小路を脱走したので、脱奔小路と言ふのであらう、と。然し一般の言ひ伝ひでは、この小路に沿ふて流れる堀があり、舟の通るにつけ、水の音がダッポン〳〵ときこえるといふ。そこから起きた名ださうな。ダッポンといふ擬音語は、新潟市民の忘れられない、親しみのこもつた方言だつた。恐らく最も素朴な泳法のひとつであらう。手で水を掻き、足はむやみに水面を上下に打つて、むしろ進むためではなく、しぶきをあげるにすぎないやうな原始的な泳ぎがある。新潟では、これをその水音から命名して、ダッポンコといふのである。いつたいに、擬音語の豊富な土地だつた。  ユーランバは、遊覧場とあてるのかも知れない。然し卓一の知るころは、戸数十四五戸の極めて小さな住宅地だつた。その南方は異人池。東は天主教会堂。北はキナレ亭の廃屋の崖にとざされ、西は海へでるポプラの繁つた砂丘であつた。さういへば、異人池もポプラの繁みを映すためにあるやうな池であつたし、天主教会堂も、ポプラの林の中にあつた。そしてキナレ亭の廃屋も、一面ポプラと雑草の中に隠れてゐたことが忘れられない。ユーランバは、ポプラに囲まれた千坪ほどの極めて小さな住宅地だつた。昔はこのあたり一帯が異人池々畔の草原で、自然の公園の体をなし、市民達の遊覧場であつたかも知れない。異人池は、卓一の子供のころの最も親しい遊び場だつた。卓一は、この一劃の砂丘の上に、生れたのである。 「新潟へいらつしやること、野々宮さんからうかがつて、知つてましたの。田巻さん(左門)と御一緒でしたから、分つたのですわ。(卓一の訝しげな面持に答えて、言葉をつづけた)私の住居は、野々宮さんの隣りです。それに、私のお友達は、野々宮さんの愛人なんです」  あの深刻なる恋愛の片割れが、彼女の友達だと言ふのであつた。  そのころ、新潟に、「候鳥」といふ倶楽部があつた。元来この市の最高学府は、新潟医科大学だつた。従而、そこの教授は、この土地の最高の知識人と目されてゐる。彼等の生活は、雪国の因循な市民達を瞠目させるに充分な洋臭と華やかさを持ち、異常な質素と忍耐のみに馴れてきた陰鬱な市民達には、直ちに他質の優秀人種を感じさせるほどだつた。  候鳥倶楽部の前身は、これらの教授や、その夫人や、金廻りのいい開業医達のあひだにできた小さな登山倶楽部であつた。その名称も、ワンダーフォーゲルからきたものらしい。当時越後新報の編輯長だつた野々宮が、彼等の一人に旅行記の執筆を依頼したことから始まつて、野々宮もその会員のひとりとなつた。  野々宮は、自惚や感傷に汚されない叡智と眼の所有者だつた。汚れを知らない彼の眼が、彼自らを傷ける刃物であつた。そして彼の才能を萎縮させてしまふのだ。かういふ悲劇は、かなりたくさん見受けることだ。そして詩人の魂をもつた、ひとりのディレッタントができるのである。野々宮は、旅の趣味をもつてゐた。その旅は、精神の放浪につながる暗さと孤独の相がきびしかつた。一生を旅愁に托した衰弱が、激しいのだつた。肉体の虚弱のせゐもあるのであらう。彼は岩山を愛さなかつた。また必ずしも高山を愛さなかつた。峠を愛し、高原を愛し、沼沢を愛し、渓谷を愛し、路を愛した。棄てられた村落や、その落日を愛すのだつた。野々宮の低山趣味が、やがて「候鳥」の趣味となり、彼の意志ではなかつたのに、倶楽部は彼を中心に、自然に活気づいてきた。  やがて彼等の機関誌ができ、サロン風の例会が毎週欠かさず行はれて、まつたく自然の推移のうちに、会員達の有志によつて、候鳥アンサンブルや合唱団が組織された。白髪の老博士が娘と一緒にコーラスを唸り、それが高い趣味のものだと思ひこんで、疑ふ者がなかつたのである。野々宮は、発言することがすくなかつた。然し彼のつつましやかな眼光をめぐつて、会は自然に針路を定めがちだつた。そのくせ会の華やかな波は、最も屡々野々宮を除け者にする風があつたと言ふことができる。いはば会の欠くべからざる壁の花のやうだつた。  野々宮は、いつも片隅に坐つてゐた。それが部屋の中央ですら、彼の坐席は、常に片隅にすぎないのだつた。彼は弱々しい微笑を浮かべ、一見つつしみ深い静かさで、坐つてゐるのが普通であつた。その様は、孤独を愛す多くの人々の外形が概ねさうであるやうな、いかつい沈黙や無粋な孤独で人を威すものではなく、あなた達は喋りなさい、歌ひなさい、私はそれをききませうと常に語つてゐるやうな、柔和な心を浸ませてゐた。そして人々は各々語り、各々歌ひ、雰囲気に酔ひ、この慇懃な孤独者を無視することが、最も自然の状態だつた。否。屡々彼は席上で歌ふことがあつたのである。声量は乏しかつたが、なかなか渋いテノールを持つてゐたのだ。彼はピアノを叩きながら、時々巧みに低唱した。そして会衆の喝采を浴びた。それにも拘らず、その個性は、低唱の瞬間に於てすら、また喝采の瞬間に於てすら、忘れられ、無視されてゐる趣があつた。いはば会員のひとりとしての彼の特質を一言にして語るなら、最も目立たぬこと、或ひは、人々を豊かにするために己れの姿を消し去ること、そのやうなものであつたらしい。何ごとを人に押しつける気配もなかつた。人々は彼をめぐつて饒舌や笑ひに疲れ、いつも彼を忘れてゐるのが自然の状態であつたのである。  嘉村由子も、その会員のひとりであつた。そして野々宮の愛人も、その会員のひとりださうな。  ある日のこと、それは初秋の真昼であつたが、野々宮とその愛人が、砂丘の松原を散歩してゐた。日本海の海風は荒い。その海風に吹き集められた砂丘は、大の男も登るのにうんざりするほど高いのだ。防風と防砂の目的で砂丘に植えられた松林は、この町の最も静かな自然であつた。二人は松原の砂をふみ、松籟の澱みの中を歩いてゐた。突然野々宮が歌ひだした。夜会では甚だ目立たぬ低唱だつたが、そして松籟の渡るたびにその歌声は消えがちだつたが、自然の深い静寂の中では、彼の個性がはつきりしてゐた。その歌は「帰れソレントへ」といふ伊太利の民謡であつたさうな。室内で歌はれる音楽には、生活の剰余とも言ふべきところの感傷があるものである。このとき、それがなかつた。生活自体の暗らさばかりが、すべてであつた。 「私達の恋愛は絶望だ」その夜、野々宮の愛人は、嘉村由子に語つたといふことである。「どうすることもできないといふ感じだつた。歌をきくと直感だけが、分かつたのだもの。然し悲しいことではなかつた。仕方がないといふ諦らめの気持であつた」  そして野々宮の愛人は、彼の低唱がすでに語つてゐるかに見える恋愛の、かつまた人生自体の悲劇性に反撥し、殆んど激越な怒りをもつて、野々宮の存在を呪ふ思ひに落ちたといふ。つきつめて生きることは、確かに暗らい。つきつめた恋も暗らいであらう。その暗らさでは、生ききれないのだ。 「絶望的な暗らさを一途の生き甲斐に生きぬけなんて、女にはできない。私が我儘で浮気つぽいのかも知れないけれど、明るさや、莫迦さや、子供つぽい悪戯だつて、必要だ。私だけぢやない。野々宮だつて、必要なのだ。野々宮の低唱は、私達の生き生きとした明るさを、暴力で奪ひ取つてしまふやうな残酷なものに見えたのだもの。あんまり不当だと怒鳴りたくなつたくらゐだつた」  野々宮の愛人は嘉村由子に語つたといふ。それを由子は卓一に語つた。 「女は誰しも、さうですわ」嘉村由子は卓一に言つた。「暗いのは、いやですわ。暗さだけでは。恋愛が悲しい歌と同じものでしかないやうな余裕のない現実の中では、女は反逆なしに生きられないのです。愛し合ひながら、自殺できるほど、女はロマンチストではないのですもの。女は弱いのです。子供つぽくて、馬鹿ですわ。陽気な、遊ぶことが、好きなのです」 「だから、あなたも」と、由子は突然卓一を視凝めて、笑ひだしてゐた。「歌つちや、だめ。男と女のあひだには、エレヂイなんか、ない方がいいのですもの。だから、ダンスを、習ひなさい」  卓一は、由子の笑ひと言葉とを、閃くやうなまぶしさで、受取つてゐた。そしてむしろそれを不当な好色で受取つたために、突然狼狽するのであつた。その狼狽を隠すために、彼は顔をあからめずにゐられなかつた。そして無役な返答にすぎないことを知りながら、「さうですね。僕も踊りを覚えたいと思つてゐるのです」と、益々気持をくさらせながら、鹿爪らしく答えてゐる始末であつた。 「でも、私ぢや、ダンスの御相手、却つて御迷惑でせう」と、由子の視線は柔らかく、静かで、親しみが籠つてゐたが「古川さんにお会ひになりまして?」と言つた。  卓一には理解しかねる言葉に見えた。 「古川澄江さんに、ですわ」  すでに卓一は落付いてゐた。然し落付にも拘らず、身体は硬直せずにゐられなかつた。呼吸の苦しい一瞬間を意識せずにゐられないのだ。冷静にそれを測る理知はあつたが、肉体の狼狽を防ぐことがむつかしい。その名は怖るべきひとつの概念であるらしい。理知をもつて打ち勝ちがたい怪獣だつた。 「会ひません」  落付きにも拘らず、彼の言葉に、ぶつきらぼうな荒々しさが、ぬけなかつた。すると由子の瞳に、信じることができないわと語るやうな、かなり低俗な揶揄に類した明るさが表れたので、むしろ卓一は、はじめてゆとりに返ることができたのだ。由子の月並な応接ぶりに、むしろ不自由を見出したから。 「あの人のことを、どうして知つてゐるのですか?」と卓一は訊いた。 「古川さんも候鳥の会員です。お二人のこと、私達のあひだでは、知らない人がないのです。きつと結婚のために、お帰りなんでせうよつて、噂してゐるほどですもの」 「人は何ごとによつて名を得るか分からないものですね」と卓一は、笑つた。すべてを知られてゐることが分かつたので、他人の噂をきくやうに、すでに心は気楽であつた。  なるほど卓一の周囲にも、それと同類の噂はあつた。彼等二人の結婚を、本人達が信じるよりも、友人達がむしろ信じてゐたのである。愛情の極点が、二人の結婚を不可能にする。友人達も、それを知らないわけではなかつた。手数をかけてゐるのだな、と、友人達は笑ふのである。結婚を不可能にする愛情だつて、要するに、結婚のための愛情ぢやないか。所詮要するに愛情なのだ。まごついてゐるのは、本人同志だけのことさ、と。  然し愛情の極点は、愛人に就いて、すべてのことを考へさせてしまふものだ。そして二人の前途に就いても。そこには可能なあらゆる計量が費やされる。妥協も、中途半端な誤魔化しも、この冷酷な計量を防ぐことができないのだ。  卓一は、次の事実に当面すると、苦笑せずにゐられなかつた。そして心の脆弱とたよりなさに驚くのだつた。卓一は屡々思はずにゐられないのだ。なにゆえ澄江が、特殊なひとりの女であらうか。澄江のどこに、忘れられない女の資格があるのであらう、と。  美貌であらうか。否。澄江にまさる多くの美貌を彼は屡々見慣れてきた。そして心は。性格は。教養は。そのいづれにも、特殊な魅力を指摘することは不可能だつた。こんな分らない話はない。そのくせ澄江といふ意職のたびに、肉体すらも不自由にするこの衝動を思ふがいい。苦笑を覚えずにゐられないのは、仕方がなかつた。  昔は明確な個性の魅力があつたのかも知れない。長い観察と玩味のうちに、その鋭角がすべて殺がれて、もはや女一般の平凡なひとつと化し、没し去つてしまつたのだ。はじめの激しい印象は、もはや表面にその片鱗もとどめてゐないが、心底深く潜在して、意外な作用を起すのか。それにしても、すべてはすでに、過ぎてゐた。すでに女一般の平凡なひとつと化した今となつて、単に素朴な衝撃にこだはることが可笑しいのだ。恐らく、それが間違つてゐた。 「一人の異性に、永遠にかはらぬ愛を捧げることは、不可能でせう」卓一は由子に言つた。「なるほど人は、とかく永遠を希はずに、生きることができないのかも知れません。然し人の脆弱な心は、また肉体は、永遠を誓ひうるほど、牢固たるものではありません。たまたま一瞬の情熱のみが、永遠を誓つてもなほ足りないほど、過大にすぎるのですね。数々の恋の悲劇が、また家庭のもつ不運な暗らさが、概して永遠を誓ふことの不当から発してゐるとすれば、愚かな話ではありませんか。元来、愛情の出発に当つて、永遠といふ過大な言葉を用ひることが、いけないのでせう。それにも拘らず、とかく殆んど本能的に、永遠であれかしと希ひたがるのですね。沁みるやうな切なさで。すでに僕が、さうなのです。そのことが、理知に対する本能のまぬかれがたい裏切りのひとつであるなら、愛情の悲劇性も、またまぬかれがたいものであるかも知れません。然し理知を信じるほかに、仕方がないではありませんか。僕にとつて、所詮恋愛は遊戯なのです。あの人を忘れる筈はありません。昔遊んだ砂丘の松原やポプラの並木と同じやうに、忘れがたい追憶が一生つづいてゐるだけです」 「ポプラの並木へ行きませうか」と由子が言つた。  もとより卓一には解せない言葉だ。「ユーランバのことですか」と彼はきいた。 「いいえ。古川さんのゐる所へ」卓一は閃くやうな由子の瞳に、もつとも月並なひとりの女を読みとつてゐた。夢が、かうして消えるのだ。心は暗らさに堪えがたかつた。「もう一軒のダンスホールへ行くのです。古川さんは、そこの御常連のひとりですから」  卓一は、さめはてた夢の後味の悪さ、虚しさ、重苦しさに、ついて行けなくなつてゐた。欠伸がしたくなるのであつた。むしろもはや夜道をひとり歩きたかつた。安らかな孤独のみが欲しかつた。 「遊戯ですら、興がなければ、浸ることができないものです」卓一は退屈しきつて由子に答えた。  その翌日のことだつた。  越後新報へ出勤した卓一は、木村重吉に訊ねた。この若い編輯記者は、なにか一種動物的な近親感をみなぎらせながら、異様に内気な方法で、執拗な厚意を卓一に向けはじめてゐた。 「野々宮さんの住居は、どこです」卓一はきいた。 「水道町です」木村重吉は答えた。「砂丘の松林を新らしく切りひらいてできた町ですから、御存知ないかも知れません。測候所を下つて、水道の貯水池へ行くあの松原のあとなのです。今は立派な住宅地です」 「野々宮さんの隣家に住む二十五六の女のひとを知りませんか」 「ちよつと分りかねますが」と木村重吉はだしぬけの問ひにまごつきながら答えた。「なんでしたら、訊ねてみませう」 「嘉村由子といふ幼馴染の人なのです」  木村重苦は怯えたやうな眼付をした。呆気にとられた風でもあつた。卓一の顔を疑ぐるやうに視凝めてゐたが 「だつて、その人が、野々宮さんの隣家に住む筈が、あり得ないのですが」と彼は臆病らしく答えた。 「どうして?」 「だつて。然し、編輯長は、ほんとに、知らないのですか」 「なぜ」  木村重吉の顔に、間の悪るさうな深い笑皺が刻まれた。そしてむしろ悲しいまでにその皺が黝むのだつた。 「つまり嘉村由子といふ人が」彼は吃つた。「その人が、例の、野々宮さんの愛人ぢやないのですか。だつて、さうぢやないですか。編輯長は、ほんとに、御存知ぢやないのですか」 「…………」  卓一は呆然として木村重吉の顔をみつめた。あらゆる言葉が、忘却の淵へさらひとられてゐたのである。とりのこされた自分の空虚が、はつきり分つた。お世辞にも苦笑を浮かべる余裕はなかつた。  昨夜の逐一の言動を、もう一度並べなほして、吟味しなほす必要がある。さういふ希求はむろんあつたし、それに相応した努力もした。からかはれてゐるのだらうか。──然しすべては、卓一に都合よくしか分からなかつた。結局あらゆる考へは空転に終り、自分に都合のよい記憶の断片だけが意識に映つた。結局妖艶な女の心と肉体が、その食慾をそそるやうに、彼の身体をけだるくするのみ。妖艶な女の前に、すすんで盲ひやうとする自分の意志が、ただひとつ分かりかけてくるのであつた。  悲しい歌が恋であつてはいけないと言ふのであつた。それはまるで自殺のやうだと言ふのであつた。その思想が、由子の実生活にどれほどの根をもつものか疑問であるが、それがまた卓一の思想であるのは疑ひ得ない事実であつた。然し思想の思想としての姿よりも、その傀儡であることがむしろ望ましいものに見える由子の姿が肉体が、卓一の眼、やがてそれぞれの感官をさらひ去る。思想の空虚はそこになかつた。在るものは、現実のひとりの女の姿であつた。甘美と夢想が、すべてのものになりかけてゐた。  ──俺が新潟くんだりへ逃げのびて、生活の根を下さうとしたのは、こんな現実をもとめてゐたためではなかつたらしい。卓一は思はず苦笑がわくのであつた。俺は何も求めてはゐなかつた。古川澄江のことにしても、それをもとめてゐる俺と、この土地へ自分を棄てさせた俺の間には違ひがある。俺はもう、物をもとめる根気がないほど、荒れてゐたのだ。俺がこの土地へ流れてきたのは、むしろ俺自身を放棄したからにほかならない。拒絶と禁止が、快い状態だつたからである。左の頬つぺたを殴られたら、右の頬つぺたを出してやらう。まちがつても自分のことを考へるな。俺は木像や、屍だと自分に教えてゐたのである。──その第一日が、そして、もはやこれだつた。  実人生の矛盾と変化が、ああこれほども退屈なものか。卓一の口べりに、仕方なしの苦笑がからまり、冷めたくかたまつてしまはずにゐない。俺はもう、右の頬つぺたを殴られたらしいな。なるほど。さうして俺は、すでに左の頬つぺたを素直に出したといふらしいな。これは立派なでくのぼうだ、と彼は嘲りを意識してゐた。荒涼たる曠野の姿を心のうちに見出さずにゐられなかつた。 二  西掘に沿ふて流れる寺町も新聞社には目と鼻のところに、大念寺といふ寺がある。昔は子沢山であつたとみえ、そのころ子供のために建て増したといふ離れがあつた。離れとはいへ独立した一棟で、六畳と八畳の二間つづき、もう荒廃した建物であるが、墓地の一隅にあるのである。卓一は左門の家をひきあげて、そこへ移つた。ねるための広さと囲ひで沢山といふ卓一には、むしろ広すぎる住居である。  この引越に、左門は不服を言はなかつたが、内心は不満であつた。彼はもう文子が卓一に棄てられたやうな悲痛な哀れを感じてゐた。己れの老齢をすら無理強ひに意識せしめられ、のつぴきならぬ老ひの孤独を暴力的におしつけられたかのやうな、まるでかよはい一市民が王者の横暴を憤るに似た切ない呪ひを感じたのである。然し卓一にしてみれば、意味はまるで違ふのである。田巻左門も問題ではない。田巻文子も嘉村由子も問題ではなかつた。そもそもの始まりから、孤独をもとめてこの土地へきたのだ。その気持のどうにもならない自然の持続が、彼を孤独の一室へ誘つてしまつたまでであつた。ほかに意味はないのである。いはば流れ者の生活であつた。己れすら放棄したい荒れ果てた心に、家庭的なあたたかさはむしろ堪えられぬ刑罰である。 「老人がゐては何かと邪魔になるのだらうが、なにせ若者の自由は羨しい。孤独が怖ろしくないのだから」と、左門は大寺老人に述懐した。 「もつたいないことをする人だな。卓一さんは。これだけの別嬪がひとつ家にゐるのに。若いうちは慾がないのか、深かすぎるのか分らないが、俺のやうなもうろくに、もう夢のやうな勇気のあることをやるものだね。俺も然し若い頃は。あはは」  大寺他巳吉老人は、文子に色目をくれながら、得意の色ざんげをやりはじめる。  左門の心は然し怏々として晴れなかつた。文子があまりにいぢらしく、痛々しくみえてならないのである。無残にも卓一に棄てられたやうな、哀れの感が深いのである。然しそれも奇妙な話だ。なぜといつて、文子を卓一にめあはせやうといふ意志は、ひとり左門の胸底にのみ秘められてゐる話であつて、卓一も知らなければ、まして文子も気付かない。卓一が文子に無関心であつたことが棄てた意味にはならないやうに、文子も卓一に無関心であつたであらう。そして棄てられた意味になる筈はなかつた。ひとり哀れを催すのは左門のみの特殊な襞にまつはりついた感慨であつて、その正体は実在しないものだつた。然し左門の文子によせる憐愍はせつないまでに激しかつた。 「あんたも家にばかりくすぶつてゐないで、ひとつモダンにやつてはどうだ。若いうちは若いやうな暮しかたをする方がいい。ひとつダンスを覚えなさい。あれは却々いいものだ」と左門は文子に言ふのであつた。  左門の網膜に焼きついた邪神の像がひとつある。彼の眼前にダンスホールの新奇な絵巻がひらかれた初夜、卓一に話しかけた新鮮な若い女の像であつた。その女を憎んでゐるのではないのである。卓一を奪ひとつた女だといふ意識もなかつた。左門の心は老成し、磊落だつた。すべて世間に有りうることは、悪であれ醜であれ、彼に一応はあるがままに容るされてゐた。然し文子を哀れに思ふ一面に、あの新鮮な女の像が、なぜか対照して現れてくる。古い昔の記憶のやうな淡い姿で、然し多彩な色どりにみち、額縁の中の絵のやうに意識の底にはまつてゐるのである。  ──俺もやがて死ぬだらう。俺が死んだら……文子が何より気の毒だ。左門はひそかに呟きを洩らす。卓一も去つた! いよいよ文子を実家へ帰してやる時がきたのだらうか。万策つきたといふ感が、洋々たる大河の流れに彷彿とした緩やかさで、流れぬこともないのである。文子が気の毒であるよりも、文子を手離す彼の身が、もつと気の毒な筈であつた。然し文子を手離す不安は、直接殆んど彼の意識を汚さない。彼は諦めてゐるのである。彼の心は静かであつた。そして文子を手離す不安は彼自らを憐れむ嘆きになるよりも、文子をいたはる深い憂ひに変形してゐた。然し左門は己れの心のそのカラクリも意識してはゐなかつたのだ。左門の憂ひは純粋だつた。孤独と老ひの跫音が、ただひたむきに悲痛な嘆きをこめてゐる。然し静かな諦らめが、大河のやうに、すべてをさらつてゐるのである。  左門の家の北隣りには、彼の貸家が三棟あつた。そのどん底の一軒に銀行の小使夫婦が住んでゐたが、娘の一人が市のホールの踊り子だつた。恐らく舞踏場へ行つてから夜会服に着代えるのだらう。普断着のまま家をでて仕事に行くが、断髪やメーキァップや角度の鋭い動作などで、左門の眼にも普通の娘といくらか違つたものに見えるその姿を、ときたま見かけてゐたのである。  初冬にしてはなまあたたかい午下りのことであつた。左門が門前に彳んでゐると、踊り子が通りかかつた。 「ほう。お仕事におでかけかな」と左門は娘に声をかけた。軽く会釈を返しながら行きすぎやうとする娘に、左門は突然あふれるやうな近親感に憑かれてゐた。左門は女を呼びとめておいて、追ひついた。肩を並べて歩きだしたが、踊り子の足並にあはせることが甚だ無理な危なさだつた。然し顔は生き生きと輝いて、爽やかな生気が漲つてゐた。 「あなたはエスパニヤ軒の舞踏場へおつとめかね」と左門は娘に話しかけた。 「いいえ。金鶏舞踏場です」娘は答えた。 「私も年が若かつたら、きつと踊つてゐるだらう……(左門は愉しげに笑ひだしたが、恐らく娘は、その簡単な言葉の意味が、分かりかねたに相違なかつた)うちの娘が、ダンスを習ひたいと言ふてるのだが、あのやうな踊りにも、特別な先生があるのかね」 「教習所があるんです。ひと通り覚えるだけのことでしたら、私が教えてあげますけど」踊子は訝しげに左門をみつめた。「文子さんとおつしやる若奥様のことでせう。ダンス習つて、どうなさるの」 「退屈は、私のやうな老人だけの友達だ」左門は再び明るく笑つた。「私もかねて、ジャズ音楽が好きだつた。趣味に溺れる張りもないので、強ひてレコードを買ふほどの気持になつたこともないが、われから墓へ急ぐために、老ひこもうとしてゐるたぐひにすぎないのだね。私は若者の世界が好きなのだ。そして、あなたたちが、羨しいのだ。あなたも時々遊びにきて、うちの娘に、踊りのてほどきをしてやつて下さい」  その一日が待ち遠い子供ぢみた気持すら、左門は感じた。その翌日踊り子の家へ使ひをやつて、無理に遊びにきてもらつた。その日から、文子は踊りを習ひはじめた。夢の中にゐるやうな話であつた。自分の意志ではなかつたのである。せきたてられて、つひうかうかと歩きこんでしまつた場所が、思ひがけない花園なのだ。人の指金であるために、その花園をかねて欲してゐたことも、思ひだせないほどだつた。ただ無理強ひに追ひこまれでもしたやうな、自分の意志があまりになかつた思ひのために、心細くなるのみである。然しそれらの困惑の裏に、心は異常に緊張してゐた。どんな事を待ち受ける用意もできてゐるやうな、冷めたい張りを感じるのだ。生きることの魅力だらうか。未知の世界の期待のために、子供の胸には、いつも妖しいふくらみが用意されてゐるものだ。その忘れられた緊張が文子の心に蘇返つてゐた。いはば文子は意志のない行為の中に、自分の意志をむしろ激しく生かしてゐるのに気付かないのだ。知らない意志の充足のために、文子の顔や挙動には、新らたな生気が、輝きはじめてゐたのである。いちはやく左門はそれに気付いてゐた。 「あなたも物好きなことをしなさる」と大寺他巳吉老人は呆れながら左門に言つた。「後家の貞淑は当にならないものだ。所詮女の身体には、魔性といふものが、隠されてゐますがね。息を殺してゐる奴だ。猫に鰹節といふことを、しなさる人だ。魔性に手頃の出口を見せては、百日の説法も屁ひとつだね。俺が二十年若い時なら、ここはひとつ、魔性退治に、俺が乗りだしてくるところだ。魔性の奴と、一騎打ちだね。捩ぢふせられて、忽ち、首級をあげられてしまふ奴だね」  と、他巳吉は四角な話が苦手なので、笑ひにまぎらしてしまふのだつた。  他巳吉は、夜毎必ず左門を訪ねてくるのであつた。数年来の習慣だつた。碁敵といふ名目はとにかく、その訪れが左門のひとつの生き甲斐であるのを、むしろ他巳吉が知つてゐた。  他巳吉は貧家に生れた。丁稚から身を起して、小金を握ると、片手間に金貸しをはじめ、やがてそれを本業にして、粒々辛苦の数万の富をたくはえたのである。  他巳吉に実子がなかつた。養子夫婦はいづれも赤の他人だつた。養子もすでに五十歳、市の銀行に立派な地位を占めてゐた。  そのころ人々の笑ひ話の種になつた噂があつた。それは他巳吉が、屡々時ならぬ深夜に、死ぬ真似をするといふ話であつた。  他巳吉の吝嗇は評判だつた。酒も煙草ものまなかつた。他巳吉の好色癖も名高いもののひとつであつた。他巳吉の日々の行状といへば、まづ昼は昔馴染のお邸めぐりか活動見物、夜は左門を訪れて、その帰りにはダンスホールをめぐつたり、昔馴染の老妓を訪ねて話しこんだりするのである。昔馴染のお邸めぐりといふのは、元来貧困から身を起した他巳吉は若い頃から権門富家の生活にあこがれを懐いてゐた。この土地の権門富家は概ね地主達だつた。そして他巳吉の一生の夢は、彼等の仲間に加はることにあつたのだ。然し実際の生活では、彼等の邸宅に出入りして、寵愛を受け、その生活の雰囲気の一員になることだけで充分だつた。彼は多くの名門旧家に出入りして、その各々に奴隷のやうな忠実さで仕へることを喜んだ。やがて数万の富を築き、一方出入りの旧家達はいはゆる地主の没落時世で、財力がむしろ逆な事情になつても、他巳吉のもつて生れた幇間根性に変りはなく、彼は自らへりくだつて、落魄の気位高い人々と下僕のやうに話し込むことを厭はなかつた。 「俺はな……」と他巳吉は公言した。「方々のお邸へ出入りをするが、もつて生れた助平根性は、齢のせゐでも、どうにもならないものだ。別嬪のゐないお邸へは足の向かない性分さ。お前達町人共が、うちの娘が美人だの女房が別嬪だのと鼻の下を長くしても、旦那方の奥座敷で、箱入娘がまきちらす色つぽさといふものは、これはまた、我慢のできないものだ」  左門も没落の旦那であつた。そして文子は、他巳吉のいはゆる奥座敷の別嬪の一人であるらしい。然し左門を訪れることは、お邸めぐりと異つてゐた。いはば同一の精神族を、見出しあつてゐたのであつた。  他巳吉は夜毎に左門を訪れる口実のために、左門に就いて囲碁を習つた。然し囲碁は他巳吉の性に合はなかつた。井目風鈴で勝てる見込みがつかなかつたし、勝ちたい情熱も起きなかつた。  あるとき他巳吉は、懐中に花牌を忍ばせて、左門を訪ねた。そして左門を籠絡して、八々の手ほどきをした。五局の碁を、他巳吉は否応なしに、三局だけで切上げようとするのである。その三局も、やがて一局で切上げようと努力した。あとは花牌を引くのであつた。 「俺は、どうも、黒と白だけでは、もの足らない性分だ。ほれ、花加留多といふものは、色つぽいものでせうが。花牌の坊主は、坊主にしても、かつぽれを踊る粋な坊主だ。どうも、碁盤を睨んでゐると、身体がしなびるような気がして」  やがて他巳吉の策謀は、零細ながら金を賭けて花牌をひくところまで進んだのである。左門は興もすくなかつたが、別段厭なことでもなかつた。  他巳吉は眠る時間を除く一日、常に我が家にゐなかつた。そして街々へ落してくる饒舌の何分の一は、養子夫婦の悪口だつた。 「肚の黒い奴は富山の烏賊と、俺のうちの養子の野郎だ」と、彼は人々に吹聴して歩いた。「黒づくりにもならないだけ、物の役に立たない野郎だ。俺の死ぬのを、待ちかねてゐるね。死神を飼つてゐるやうなものだ。そこで毎日怒鳴つてやるね。うぬらには鐚一文やらないぞ、とさ。俺の金は瓶に入れて、土の中へかくしてあるのだ。人が見たら蛙になれ。蛇になれ。芋虫になれ。いやはや、根気のいい夫婦だね。いやがらせの種がそろそろ尽きてきたが、蛙の顔に小便だ。そこで俺は、真夜中に、断末魔の呻きをたてて、死ぬまねをするね」  と、他巳吉は腹をかかえて、笑ひだすのだ。  養子夫婦の善良さも、町のひとつの評判だつた。他巳吉のやうな因業親爺につかへるのは、並たいていの苦業ではない。それは他巳吉も知つてゐた。世人以上にその善良さは認めてゐたのだ。然し彼等の善良さや孝養ぶりを見るにつけて、粒々辛苦の数万円を、かうして手もなく持つてゆかれてしまふのだ。さう思はずにゐられなかつたのであらう。酒ものまず、女遊びもめつたにやらず、粒々辛苦の数万円であつたのである。いはれもなく、そして手もなく持つてゆかれてしまふのだ。まるで盗まれてしまふやうに。無味無色でありすぎたその失はれた青春をまた一生を劬はるためにも、養子夫婦をいぢめぬくことに偏執せずにゐられなかつたのであらう。  他巳吉は屡々深夜に死ぬ真似をした。まるで首をしめられたやうな断末魔の苦悶のふりをするのである。それが狂言であることは、すでに度々の経験によつて、養子夫婦は知りぬいてゐた。然し勿論介抱せねばならないのである。水もとりに走らなければならないし、薬もとりに走らなければならないのだ。わかりきつたその介抱が、かうして手もなく盗まれてしまふ粒々辛苦の富のために、又失はれた一生のために、益々せつない憤りに変形せざるを得ないらしい。他巳吉は突然苦悶の真似をやめる。そして怒鳴らずにゐられないのだ。 「うぬ等は、俺の金が、そんなに欲しいか!」と。  そして彼の大きな身体は突然笑ひに憑かれてしまふ。のたうちまはつてしまふのだつた。  この話は他巳吉自身が公言するので、この町の笑ひ話の種になつてゐたのである。  ある日のこと、他巳吉が越後新報社へひよつこり卓一を訪ねてきた。思ひがけない訪れだつた。卓一はそのとき始めて文子がダンスを習ひだしてゐることを知つたのである。卓一はそのころ暫く叔父を訪ねてゐなかつたのだ。 「それがあんた」と他巳吉は、卓一を冷やかすやうな笑ひを浮かべて喋りだすのだ。「これも長命の余徳かね。娘にダンスをすすめる親父は、金を出しても、見られないとさ。ところで、あんた。ここは、ひとつ、性根をすえて聞いてもらひたいところだね。文子さんの髪の毛が、昨日から、断髪さ。ほれ、玉蜀黍の毛のやうな奴だ。これもまた、色気があつて、いいものかね。あんた、怪しからん顔付をしてゐるね。いやはや、田巻さんも満足な顔付さ。そこで、あんた。ゆうべは、三人そろつてダンスホールへのしだしたのだ。いやはや年寄の冷水さ。そもそも、これは、どういふ話だ。え。卓一さん」  然し他巳吉の鬱憤は、断髪とダンスだけが原因ではなかつたらしい。  数日前のことであつた。のつぴきならない金だといふ左門の頼みで、他巳吉は五百円の融通をした。貸してしまつた金だから、どう使はれても文句の言へないことだつたが、のつぴきならない入費だといふ五百円が、思ひがけない方面へ消費されてゐることを知つて、他巳吉は内心不服をもつたのである。それは文子の衣裳であつた。踊りのための装身具や、化粧品のたぐひであつた。そのうへ文子は断髪した。それはもう金銭上の感情だけではなかつたのである。文子はまるで変つてしまつた。断髪や、華美な衣裳や、踊り。そのやうな外形の問題だけではなかつたのだ。心の構えが、まるで変つた。これを他巳吉の表現で言へば、魔性の心が、すでにうごめいてゐるのであつた。 「女は色つぽいほどいいものだが」と、他巳吉は、左門の前で呟いてゐた。「芸者の色気と、素人の色気は、違ふところが値打のものだ。口説けば落ちさうな堅気の娘は、これは目の毒。いやらしいね」と。  他巳吉の心には、不安ともいふべきものが、漂ひはじめて離れなかつた。無性に苛々するばかりで、これといふ理窟で言へないことではあつたが、だいいち貸した五百円といふものをそつくり丸損したやうな、苛立たしさが消えないのだ。畜生め。とんだ大損をしてしまつたぞと、他巳吉は朝の目覚めに思はず怒鳴つてゐたのであつた。病みあがりの蟷螂のやうなあの痩せこけた老耄親父にうまうま騙られてしまつたぞと、親友を侮辱したのも偽りのない事実であつた。 「まるで間男させやうと企んでゐるやうなものだ。さうではないかね。え。卓一さん。ひとさまの娘だ。俺の知つたことではないが、あの人の心のうちは観音様の胸算用と同じやうに、俺にはてんで分らないといふ奴さ」と他巳吉は言つた。  然し他巳吉の断定にも、いくらか間違ひはあつたのである。断髪までが左門の意志ではなかつたのだ。  左門は迷ひだしてゐた。文子に踊りの快楽を与へてやりたい激しい希ひのあつたことは分るのだ。然しそのさきの事になると、彼自らもかいもく見当がつかなかつた。心の堕落といふものがある。さうしてやがて婬楽がある。──自分の意向が自らも気付かぬうちに、そこまで許してゐたのだらうか。そこまで許した覚えはなかつた。自分に都合よく言へば、そこまでは気付かなかつたと言ひたいやうな気持であつた。世間にはダンス自体がすでに悪徳であるかのやうに言ふ人もある。左門はそれを信じなかつたが、悪徳に導く機縁のひとつとしては、それも挙げうると思つてはゐた。否一般に常識的なこの考察を、彼も敢て否定はしないといふだけだつた。誰しも当然懐いてゐるこの考へに気付かぬといふ言訳を、左門は己れに納得させることもできない。然し文子に踊りを与えた左門の心は堕落の憂ひに汚れたものではなかつた筈だ。恐らく左門は信じきつてゐたのであらう。文子に限つてその心配はいらないことだ、と。疑ぐるまでもなかつたのだ。左門にとつては、文子だけがこの世にひとりの違つた女であつたから。  断髪は左門の意志ではなかつたのである。言ひだしたのは文子であつた。そして、もはや単なる断髪の問題だけではなかつたのだ。それは「心」の問題であつた。左門の予想もしなかつたひとつの心が、かうして現れはじめたのだ。他巳吉の言ふ魔性のきざしを見たのであつた。彼は裏切りを受けたやうな、寂寥に沈む心を感じてゐた。然し左門を裏切るものは、恐らく文子ではなかつた筈だ。裏切るやうな機縁を与へた左門の迂闊が、いはば左門自らを裏切つたのだ。文子を責めてはならなかつた。左門は自分にさう言ひきかしてゐたのである。 「私はまるで若さといふものを何も知らずに、うかうか老耄れたやうなものだね。悔やんでも悔やみ足りない気持もするし、諦らめのつく思ひもする。老人共は、若者の若さを妬いてはならないのだね。私どもの孤独感や、追憶の味気なさを思ふたら、老婆心といふものも、あんまり信用しては困るらしい」  と左門は他巳吉に言つた。それも確かに偽りのない左門のひとつの心であつた。 「見なさい大寺老」と左門は踊る文子の姿や、踊る人々を見渡しながら、舞踏場で他巳吉に言つた。「私は踊る人達が羨しいね。私もあのやうでありたいと思ふのだ。所詮は男と女の世界ではないか。人間が幸福であつていけない理窟はないのだね。私は諦らめることの静かさや安らかさしか知らなかつた。私が怖れてゐたことは、実は私のあこがれてゐたことでもあつたが……」  かうして左門は、まるで他巳吉に訴へるやうな切なさで、文子を弁護してゐるわけではなかつたのだ。偽りのない左門の気持のひとつであつた。そして踊る文子の姿がいぢらしく、せつないまでにいとしいものに思はれてしまふ。けれども、文子に見棄てられ、裏切られたやうな寂寥が、老ひと孤独のあの諦らめの跫音で、いつしか帰滅へ急ぐやうに彼の心をさらつてゐた。その侘びしさをどうすることもできないのである。 「理窟といふ奴は俺の苦手だ」と他巳吉は卓一に鬱憤をもらした。「俺のへそくりの五百円であつたら別嬪が人手に渡つてしまふがね。これが黙つてゐられるかね。え。あんた。殺生なことをするものだ。今更あんた、俺が力んでみたところで、七十二の二枚目はないものだ。だからさ。え。卓一さん。ここはひとつ、あんた、どうだね。男の見せどころといふ奴だ。ここは一番、あんたが乗りだして行くところさ」  他巳吉は重なる鬱憤にたまりかねて、卓一を訪ねてきたに相違なかつた。  他巳吉の訪れてきた前日は、同じやうな刻限に、野々宮の思ひがけない訪れがあつた。そのころ由子は、野々宮の愛人であるよりも、すでに卓一の愛人だつた。  卓一は由子のすすめで、社交ダンスの教習所へ、暫くのうち通つてゐた。然し踊りは退屈だつた。由子と踊りたいといふ明白な目標にも拘らず。  卓一にとつて、踊りは単に、好色の道具にすぎない筈だつた。由子と共に語り、由子と共にお茶をのむことは、退屈だつた。踊りは言葉の代りであり、お茶の代りのつもりであつた。然し習ひはじめてみると、言葉とお茶が、むしろ踊りの退屈さに、勝ることを見出さずにはゐられなかつた。  ジャズは踊りのステップを規定するばかりでなく、踊る人達の精神を規定しようとするのであつた。踊る二人の相互的な関心が、音楽の意味の甘さについて行けないものであつたら、踊りはその退屈さで人を苦しめるばかりでなく、音楽の鼻持ちならぬ饒舌によつて、人を疲らせてしまふのである。  卓一は踊りたいのだ。痴呆のやうに。卓一はすでに自分を放棄してゐた。この土地へ流れてきたのは、そのためだ。そしてそれにふさはしい女友達がゐるではないか。しかも酔へない自分に、うんざりせずにゐられなかつた。 「踊りなんか、よしませう」と由子が言つた。卓一の惨憺たる努力が、由子にひびいてしまふのだつた。「私も、踊り、退屈。自然な生き方をしませう」と。  由子は酒に強かつた。酔つても乱れることがなかつた。  結局二人は、会へば酒をのむことが、習慣のやうになつてゐた。酒に酔ふことは、できるのだ。然し恋に酔ふことが、もとよりできる筈がない。  ある日二人は酔つてゐた。酒店をでて、寒い夜道を歩きつづけた。  行くてに神域の杜があつた。昼はむしろ俗悪な地域であつたが、夜の深さが、それゆえ二重の空虚な闇をつつんでゐた。二人の足は自然そこへ這入つてゐた。  卓一はかつて神に祈つたことがなかつた。神殿にぬかづき、頭を垂れたこともなかつた。  彼は神殿にぬかづきたかつた。棄てうるならば、自分ほど棄てたいものはない気がした。たかが知れたものであつた。底は知れきつてゐるのであつた。これほど頼りない何物があらうか。自分を導く何物かが、すでに自分に知られてゐるのが、惨めではないか。  彼は神殿に頭を垂れた。未知のもののみが、すべてであつた。この現実の低さでは生きて行けない嘆きのみが、高かつた。  神域をでると、信濃川の堤へでた。 「そんな風にして、安心したいの?」由子が、いたはるやうに言つた。  河風がきびしかつた。身体ごと持つて行かれてしまふやうだ。その河風のきびしさがなかつたら、卓一は自分の惨めさを、あまり切なく知らなければならなかつたに相違ない。然し河風の激しさを、彼は怒りの激しさのやうに感じることができるのだつた。 「おお寒い」河風の冷めたさに、由子は思はず振向いてゐた。「甘い奴だと思はれたくないのでせう。もつと気楽に、どうして神様にお辞儀しないの。窮屈な、しやつちよこばつたお辞儀をして。神様に、あいつ、甘くない奴だと思はせたつて、ふきだしたくなるばかりぢやないの」  卓一はすでに絶望するのであつた。このやうに傷心を絡ますやうな、男と女が、惨めなのだつた。不羈独立の魂を、そこでは狎れ合ひで踏みにじり、低めてゐるのだ。むしろ卓一は踊りたかつた。痴呆のやうな狂躁が、唯一の欲しいものなのだ。それのみが、清潔なものに見えるのに。欲するものに酔へないことが、不思議なのだつた。  一方野々宮と由子の愛が、そのころ破綻しかけてゐた。  こんな出来事があつた。野々宮の友人に大谷といふ弁護士がある。この弁護士はかねて野々宮の相談を受け、結局離婚といふことが、由子との愛の成立はとにかくとして、行きづまつた生活からも結局唯一の策だといふ考へ方に、同意を示してゐたのである。野々宮の生活は行きづまつてゐた。結婚生活も行きづまり、また恋愛も行きづまつてゐたが、恐らく同時に、ディレッタントの厭世観が、ひとつの自壊点へさしかかつてゐたのであらう。大谷はちやうど仕事の用向きで上京することになつたので、野々宮の妻君の実家へ寄り、最後の話をきりだしてみる手筈であつた。妻君の実家は東京にあつた。  野々宮は大谷を停車場へ送つていつたが、己れの当面の問題にも拘らず、離婚の成立に身を入れてもゐなかつたし、期待もいだいてゐなかつた。せつかく離婚してみても、破綻しかけた由子の愛が取り戻せるとも思へない。然し彼の気乗りうすさは、そのせゐばかりではなかつたのである。生存そのものの悲劇性にどうやらうんざりしかけてゐた。ひと思ひに、自殺してもいいではないかと思ひはじめてゐたのである。生きることに、すでに気乗りが、うすかつたのだ。然し大谷のもたらした報らせによれば、離婚は案外簡単に進みさうな話であつた。それを野々宮は由子に語つた。 「あなたが結婚に乗気でないのは知つてゐます。また僕も、必ずしも離婚にすら、乗気ではないのです」と。それは結婚に気乗りのしない由子への皮肉の言葉ではなかつたつもりだ。むしろ独白の感じなのだと彼は信じてゐたのであつた。「当然の帰結をそらしたがる人もありますけれど、無用な帰結をもとめたがる人もあります。恐らく、趣味の問題にすぎないのですね。別居の必要はあるにしても、離婚の必要はなかつたのです。いはば無役な業ですが、趣味として、僕にとつて確かに必要だつたかも知れません。帰結をもとめずに、ゐられなかつたのでせう。あなたを強迫するために、離婚を道具にするのではありませんよ」と、彼は笑つた。 「愛されてゐるから、同棲をつづけなければならないといふ、ひけめはないでせう。屡々、夫婦の場合ほど、その愛情が、不純な場合はありません。愛情が負担にすぎない生活の重苦しさを考へてごらんなさい。非常に野蛮な暴力ですね。夫婦関係のこの不自然な愛情の圧迫は。二人だけの世界なのです。すでに二人に限定された世界が、そして二人だけといふことが、不自然だとは思ひませんか。打開をもとめるとすれば、二人の結びつきを破壊する以外に、まつたく手段はないのです。それをあなたは、悪いことだと思ひますか。僕は疲れてゐるのです。あれも疲れてゐるでせう。そして疲れてゐないのは、僕達を疲れさせてゐるこれらの無法な観念だけだと思ひたいほど、疲れ方が不自然なのです。時々は、部屋の窓も、開けてみたくなるでせう。破壊。離婚。要するに、僕の為しうることは、たかだか部屋の窓を開ける程度の弱い動きにすぎないのですね」 「奥さんのところへ、お帰りなさい」と、由子は答えた。「窓のない部屋に住む人もあるでせう。女は、そのやうに諦らめならされてゐるのですもの」 「建築の相違は、仕方がないでせう」と野々宮は退屈しきつて答えた。快い虚しさ以外に、なにものもなかつた。離婚も良し、また愛情の破綻もよろし。そして、死も。  ──奥さんのところへも、あなたのところへも、帰らないさ。僕はとにかく、やがて、死ぬことになるばかりだらう。  野々宮は肚に呟いてゐた。そのことのみが、すでに確定されてゐる安らかさだつた。その厳しさが、彼の唯一の心であつた。それゆえ、語る言葉もなかつた。  やがて解決されるだらう。すべてが。そして、自分すら。否。行くべきところへ、行きつかされてしまふだらう。なぜなら、それは、自分の意志でもないのだから。……それは恰かも、死自体のもつ意志のやうに思はれた。まげがたく、また甘えがたい冷めたさだつた。それゆえむしろ、その冷めたさに凭れることが、彼を休息させるのだつた。  すでに自然の落着を、待つばかりだつた。  野々宮は、由子に言つた。 「数日、静かな山へ、旅行にでかけませんか。尾瀬か、野尻。すこし寒むすぎるかも知れないが、まだ雪は降らないでせう」と。 「今からすぐにも」由子は叫んだ。「冷めたい山の朽葉を踏んで、歩いてみたい」 「歩くには、寒むすぎるかも知れません。この季節では、明日にも大雪が降りかねないので、期待のやうな旅行になるとは限りませんが」  然し山々の静寂は、野々宮の身に沁むやうに思はれた。湖面を走る風の冷めたさが、すでに心に沁みるのだ。沼は暗らく、静かであらう。山々が、いつも、ぬれてゐる。恐らく空が、ないだらう。高原に、そして裸木と裸木のあひだに、はりつめてゐる冷めたさが、空と同じ虚しさだから。  そのころ、野々宮は、雑貨屋の二階を借りて、身を隠してゐた。その部屋は、大谷と由子のほかに、知る者がなかつた。ところが旅行の約束を結んだ翌日のことであつたが、野々宮の妻君が、雑貨屋の二階へ、あばれこんできた。彼女に隠れ家を教えたものは、一枚の葉書であつたが、差出人は、由子の署名になつてゐた。疑ひもなく由子の手蹟であることを、野々宮は知つた。  野々宮は、唖然たらざるを得なかつた。この葉書を書いたとすれば、山へ行く約束のあとに相違なかつた。そして、あの約束を思ひだしてみるがいい。今から、すぐにも! 由子は叫んでゐたのであつた。そのとき由子の瞳には、一途に山をあこがれる情熱のみが凝つてゐた。そのほかの隠れた心を読み出すことはできないのだつた。その思ひ出が、あまり鮮明であるために、むしろ由子の冷めたい心が、厳しく迫まるのみだつた。裏切りが、心のすべてであるやうな。悪自体が、心のすべてであるやうな。怒る手段もないやうな、突き放された冷めたさを、凝視せずにゐられなかつた。  二人の恋は、もう終つたと、葉書に語らせてゐるのであらうか。由子の恋は、すでに、さめかけてゐるであらう。とはいへ、これほど破壊的な手段によつて心を語らねばならないやうな、溝の深い間柄ではない筈である。何事を由子に強制したであらうか。愛情すらも! 野々宮は思はずにゐられなかつた。  むしろ愛情の逆な表現ではないのかと、疑ぐる思ひにもなるほどだつた。人々の心には、生活の波といふものがある。自ら心の充ちる時期もあり、自ら心のさめる時期もあるのだ。そして心がさめる時期には、人がもしそのとき恋をしてゐたら、愛情自体がさめたやうに思はなければならなくなつてしまふであらう。由子のやうな女には、その波立ちが激しい筈だと野々宮は思つた。由子の心に退潮の時期が、きてゐたのではあるまいか。そして心の凋落のために、激しい愛を懐いてゐながら、愛の衰微を信じたのではあるまいか。かうして、不当に抹殺された愛情が、やがて由子に復讐する。逆上的な愛の破壊を企てさせてしまふのである。さういふこともありうると、野々宮は思つた。  由子の心に新らたな男が宿りはじめてゐることを、野々宮はまだ知らなかつた。 「奥さんに隠れたりすること、よしなさい。考へるだけで退屈だ」由子は冷然と野々宮の詰問に答えた。「私かくれたくないんです。退屈だから。隠れたり、怯えたりするにしては、規模があまり小さすぎて堪えられないから」  然し由子は叫んだ。 「早く山へ連れてつてよ。出来れば地上にゐたくないのよ。ほら。私がかうして眼をつぶつてゐるうちに、そつと連れだしてしまつてよ。ああもう山も見える。沼も見える。林も見える。私に時間はいらないのだ。遠さが欲しい」  由子は閉ぢられた瞳をひらいた。そして言つた。 「遠さが欲しいのよ。だきしめてゐたいのだ。遠さを」 「もう一度僕の問ひに答へなさい。あなたはこの葉書を書いてゐるとき(野々宮はそのとき葉書を手にしてゐた)その前後の時間に、やつぱり僕と山へ行くことを考へてゐたのですか」  そして野々宮は突き刺すやうに由子をみた。瞳にこめられた憎しみを見ると、由子は思はず慄然とした。  このやうな眼を見たことも、かつてなかつた。然しこのやうな無残な言葉も、かつてこの人からきいたことはなかつた、と由子は思つた。心が一時に、さめはててゐた。この眼、そしてこの言葉ほど、然しこの人の心を表はしたものはないであらう。冷めたい心。残酷な心。  二人の恋は、ここに終つた。由子は思はずにゐられなかつた。その眼、そしてその言葉が、恋の最後のしるしであるのを、然しこの人は知らないであらう。由子は、笑ひたくなるのであつた。 「早く山へ連れて行つて」由子は再びくり返した。媚が全身に流れるのだつた。「ほら。私が、眼をつぶつてゐるうちに」  この女は何物に追はれてゐるのだらう。そして何物にあこがれてゐるのだらう。然し野々宮に分かるのだ。二人の国の新らたな距離が。そして侘しくなるのであつた。所詮──野々宮は思つた。この女のあこがれが、何物であらうとも、現実の手に握りうる何物かであるに違ひない。否、握らねばならぬところの何物かであらう。……この女は追はれてもゐる、憑かれてもゐる、夢もいだいてゐるだらう。そして顔色は蒼ざめ、心に絶望も感じ、憑かれた言葉を口走りもすれば、見えない決意にせきたてられもするのである。けれども、この女は生きた世界の中、そして現実の中に、いつも棲んでゐる人なのだ。この人のあこがれが、よし何物であるにしても、現実に握りしめねばすまぬところの生々しい可能の世界に限られてゐるのだ。すでに血族が違ふのだつた。 「時代の表情が虚無的でなかつたなら、この人の心は恐らく苦悩に縁がなかつたに相違ない」と野々宮は心の裡に呟いた。「たまたま時代の表情が、自虐的であり、絶望的であるために、この人は、ただ無我夢中に、追はれもし、憑かれもし、そして足掻きもするのであらう。ガラス製の時代の容器であるらしい。豚の思想が時代の心であつたなら、この人には豚がすべてのものなのだ。この人の心は、常に時代の表情の借り物であるが、然し突きつめてみると、実はあの肉体のものなのだ。所詮肉体の所有にすぎない精神だつた。その絶望も、その虚無も、ただナンセンスな装身具にすぎないのだ」と。  野々宮は肉体を思ひ浮かべた瞬間に、嘔吐を感じる思ひであつた。 「俺はやがて死ぬだらう」野々宮は冷めたく心に呟いた。そして心に冷笑を覚えた。「この人は、それに気付くことがない。俺も亦、ただ一言も、そのことを、由子に語りはしないであらう」  この人は、語られもしないといふこの辛辣な皮肉にも、気付く時がないのである。そしてこの人の肉体は、そのナンセンスな装身具をひけらかして、生きつづけるがよからう。すでに、たくまざる喜劇であつた。死。所詮然し死といふ奴は、語るべきものではないらしい。野々宮は、思つた。まつたくの話が、死といふ言葉は、実感をもつて語られても不思議に空虚なものであるし、まして戯れに語られては、ただ〳〵興ざめた思ひのみを深かめるらしい。 「人間同志はいつのときでもバラ〳〵だ。もとより恋人同志ですら。あなたがそれを知らないだけさ」と、野々宮は由子に向つて心に冷めたく言つてゐた。  もはや十年むかしのことである。野々宮はこんな物語をつくつたことがあつた。それは友達の編輯する小さな婦人雑誌にのせられたものであるが、童話のやうなものであつた。  柑橘類の咲きみのる南方の山国であつた。千年あまり遠い昔の物語である。豪族の息子に才智すぐれた若者があつた。かねての思ひがかなつて、うるはしい乙女をむかへて妻とした。世にこれほどの幸福はないと彼自らが思つた。富も名誉も一握の土くれのやうに無意味なものに見えたのである。妻の心と肉体があれば、それだけで、もう何もいらない、と彼は思つた。幸福はながく続かない。それが正当な情熱であつても、由来情熱は永続しないものであるのを彼は知らないのであつた。愛撫をもとめる可憐の妻がいくらかうるさいものになる。人生のはらむ虚無や、矛盾や、悲哀に就て、彼は何事も知らなかつた。自分の心に悪魔が棲んでしまつたと彼は考へてみるのである。そして彼は悲しくなる。そして詫びたくなるのであつた。けれども妻を離れる心は、どうすることもできないのである。夕方雲をみつめてゐると、雲となつて山の向ふへ流れたくなり、鳥となつて空高く飛びたくなつた。  すると突然のやまひのために、妻は黄泉の客となつた。  彼ははじめて悲しかつた。せつなかつた。そして泣いた。唯ひとりのいとしい者が立ち去つた。私はすでに取り残されてしまつたと心に叫んだ。長い慟哭がとまらなかつた。けれども重荷のおりたやうな、安堵の思ひをどうすることもできなかつた。それが彼には憎らしい悪魔の安堵のやうに思へた。ずた〳〵に裂きたい安堵であつたのである。せつなく腹が立つのであつた。  柑橘類のみのる下を葬列が通る。白い径はいちめんの陽射しで、影がくつきりしてゐた。葬列は林の中の草原へはいつた。突然棺の中で異様な物音がする。たちまち棺は下へ置かれる。人々はたちすくむ。さうして一様に飛び退くと、ひとつのかたまりとなつて逃げだした。彼もまた、逃げかけてゐた。けれども彼はたちどまつた。もはや彼はひとりであつた。彼は棺に近づいた。蓋をあけた。ああ妻がよみがへり夢からのやうに起きあがらうとしてゐる。 「どうして私ここにゐるの?」と死者は訝しげに良人に訊ねた。「ここは、どこ?」 「お前は死んでしまつたのだ」 「怖ろしい言葉を仰有るものではありません」妻はふるへた。「私は生きてゐます。あなたを残して、どうしてひとり死ねませう。あなたから離れる日を、考へることすらできないのに」 「おお。おまへは、ほんとに生きかへつたのか」  彼は喜びのために叫び、そして、笑ほうとする。然し絶望と疲労の翳が、瞳の底を掠めて走るのみだつた。彼は妻を視凝めるよりも、思はず蒼空を見あげ、そしてひときれの淡い小さな断雲をみつめてしまふ。 「さあ私達は帰りませう」と妻が言つた。 「私達は帰へらう」と彼も答へた。  彼は妻の肩をだいた。だきしめた。いとしかつた。まるで宿命のせつなさのやうに。そして熱い涙があふれた。妻の肩をだきしめながら、彼は静かな足どりを一足毎にふみしめて、歩きだした。父母の住む部落とは反対の、落日の沈む山へ向つて歩いていつた。二人はいくつかの山々を越え、人の訪れを見たことのない草原の一隅に小屋をつくつて住んだ。そして二人は子供を生んだ。……  野々宮はこの小話に「悲しみの村の歴史」といふ題をつけてゐた。この話は即ち「悲しみの村の歴史」第一話の要約に当るのである。いはば村の宿命的な誕生を語るところの第一の挿話であつた。かうして開らかれた悲しみの村にやがていくつかの挿話がつづき、時は流れて、現代に及び、現実の彼の悲哀につながるといふ野々宮の腹案だつた。然し「悲しみの村の歴史」は、現代はおろか、わづかに三つの挿話だけで中絶してゐた。それはもう十年前の話である。恐らく彼はあとを続ける意志を忘れてゐるのであらう。然し愛着はもつてゐた。  往々作家は無意識のうちに己れの宿命を作品の中に予言しがちなものである。野々宮の場合もその例のひとつであつたと言へるであらう。  雲を見れば雲となつて流れたくなる現実へのつめたい拒絶と疲労の深さは、いふまでもなく野々宮のものだ。愛しながら愛しきれない切なさは、きたるべき彼の恋への予言のやうなものだつた。これはもうどうにもならないものらしい。この行路は──と野々宮は思つた。自殺によつてこの饒舌を断ちきるほかに、恐らく仕方がないだらう。いづれにしてもこの現実は退屈だ。いくらか侘しすぎる感もあるが、それも仕方がないだらう。……  ちやうどその頃のことであつた。野々宮は一夕卓一を食事に招いた。由子もゐた。三人は料理店の別室で食卓を囲んだのである。霙のふる夜であつた。この土地では、暗澹たる雪空の日は、一日の思想がもはや理知に属してゐないと言ふことができる。その雪空に属してゐるのだ。気候の呻吟がすべてなのだつた。この招待は卓一にとつて心のすすまぬものだつた。なんといふ無意味であらう。そして腐蝕した暗涙のやうなこの霙だ。退屈な人。退屈な時間。そして退屈きはまる関係。この町のタクシーは常に車庫の中にある。街を流す車はないのだ。卓一は街を歩きながら、もしも由子がゐない席なら決して行きはしないであらうと幾度も思つた。  その一夜、由子は野々宮の最愛の小鳥のやうに振舞つた。かはいらしい小鳥。食卓のまはりをとび、皿の中からとびたち、花の上にとまる。喋り、笑ひ、いちめん花園の中だつた。──それほどのことはないのである。卓一は退屈しきつてゐたのであつた。そして由子を一皿の珍味のやうに味ふことがせめて許るされた心であつた。それゆえ由子は小鳥であつた。そして食卓は花園だつた。小鳥は野々宮の最愛のもののやうに振舞ひ、そして卓一を友達のやうにもてなした。それゆえ由子は卓一の眼にいつさう小鳥のやうに見えた。とりわけお喋りのわけではなかつた。動きまはりもしなかつた。然し多彩で、動きにみちて、さうしてひどく可愛らしい。多忙で、そして華やかだ。皿の中からとびたつ。花びらの上へとぴおりる。歌ふ。笑ひ、そしてさざめき、いちめん花園の中であつた。花々にまぎれ、そして花陰にかくれてしまふ。  由子があまり野々宮の愛人のやうに振舞ふので、卓一ははじめのうちはいくらか吃驚したのであつた。やがて彼はむしろ至極の満足を味ひはじめてゐた。これは新奇だ、と彼は心に叫ぶのだつた。ちかごろの趣向の足りない見世物にしては却々奇抜だ。然し心は一方にそれらの饒舌を押しのけて、安らかなものになるのであつた。それは寛容な心であつた。むしろあたたかな静かさだつた。まるでだらしなく滑りこんで行くやうに、ひとつの安らかな思ひのなかへずり落ちてしまふことが、必ずしも彼を不快にしなかつた。 「数日のうちに小さな旅行にでるつもりです。この季節の山々の凋落が忘れ得ぬものとなつたのです」野々宮は卓一に語つた。「疲れたときほど自然が友達になるときはありません。逃避ではないのです。同属といふ感じなのですね。山に棲む人達はその山々といくらも違つてゐないものです。谷に似てゐる人もあります。木陰に似てゐる人もゐます。然し山嶺の眺望や、流れる雲に似てゐる人は却々ゐないものですね。それらのものに似るためにはまづ人間に疲れることが必要なのかも知れません」  卓一は二人に別れて、霙にぬれた夜の道を、ひとり大念寺へ歩いてかへつた。安らかな孤独。ぬれた道、しめつた空気、そして冷めたい闇の中に、安らかな孤独の息づきがわかつてゐた。実の夜道へでた瞬間に、今まで一組の愛人達を眺めてゐたあのほほえましさ、安らかさ、そしてあの甘い流れは、恰も遠い夢のやうにあとかたもなく消えうせてゐた。そして花束の中に埋もれたやうな甘美なそしてゆるやかな安息の入れ換りに、まつたく種類を異にした安らかさ、鋭くそして冷めたい孤独の充実が、みちみちてゐた。それはちやうど今が今まで不思議な夢のなかにゐた、さういふ思ひがするのであつた。そしてやうやく自分の国へもどつてきたといふやうな、血肉に沁む親しさだつた。安らかな孤独! 花束の陰に埋もれたあの安らかな空虚ではなかつた。霙にぬれた肉体の刺されるやうな痛みに富んだ冷めたさのやうに、身にしみる呻吟をこめた安らかさだつた。きびしかつた。然しまた静かであつた。ピシ〳〵と土をたたく霙の音が、その跫音であるやうに、心の中へ落ちてゐた。  ──なんといふ安らかさだらう。……卓一は慟哭したい思ひがした。  数日の後、由子と野々宮は旅にでた。  卓一は由子も旅行にでかけたことを知らなかつた。由子の訪れが杜絶えたために、焦焼を感じる自分を見出してゐた。電話のベルが由子の期待をいだかせるのだ。どの土地へきても同じことになるのだと卓一は苦笑をもらした。どのみち玩具に用のある俺ではあるが──胸のわくわくする思ひにもやつぱり陳腐な悪臭があつた。さめない夢はもはやない。  彼がまだ東京にゐた頃だつた。友達の若い哲学者と卓一が、ある酒場の同じ女に、同時に軽い好色を燃したことがあつた。その女が嘉村由子と同族の女であつた。神を裏切る意志を隠した尼僧のやうな感じがあつた。冷めたい犯罪のにほひがした。 「あの女もどうもいささか愚劣だな」と哲学者がなかば己れに倦みながら卓一に言つた。「堕ちてゐるから、つまらないのだ」  その女は淫売婦ではなかつたが、その精神は娼婦的な底のところへ行きついてゐる堅さがあつた。抽象的な世界といふものがないのであつた。すでにその余地がないといふ感じであつた。  あるときこの哲学者がそのアテナイ人の精神によつて、市井に行はれた賞讃すべきひとつの美談を、多分に天翔ける論理をもつて語つてゐた。きいてゐる女の論理は、まさしく地底を這ふほかの何物でもなかつたのである。 「俗人俗語はきくに堪えないお顔ですね」とアテナイ人は突然女を冷やかした。「あなたが冷酷な真実のみのお友達であることはとくに了解してゐます」 「それから美しい男の方のお友達です。お忘れのないやうに」と女はものうげに呟いて行つてしまつた。卓一はそんな情景を思ひだすことができた。  おふくろが死んでも泣きませんと言ひたがつてゐやがるぜ、あいつの顔は、と哲学者が言つた。死ぬのは仕方がないし、泣いたつて始まらないのは分りきつた話さ。あの女は心と身体のすべてを賭けて冷然とさう言ひきつてゐるやうだ。それは贋物や鍍金ではなかつた。むしろ余りにほんものすぎるくらゐであつた。牢固として微動もしない感じであつた。それだからやりきれないのだと哲学者は言つた。そこに至つた抽象的過程を空想する余地もないからである。 「堕ちてゐるから、といふ意味はつまりそのことだよ」と哲学者は卓一の問ひに答えた。「抽象的過程や抽象的な震幅なしに本物になりすぎてゐるといふことだ。あの女の心の言葉は、同時に肉体の言葉だといふ堅牢さだね。娼婦の世界が概ねさうだ。単純に牢固としすぎてフレキシビリティが全然ないのだ。ああいふほんものの感じは、往来に落ちてゐる馬糞の真実感と同じやうなものさ。君は額縁の中へ往来に落ちた馬糞の絵を入れて眺める気になるかね」 「さういふ風に言へるのは君が堕ちてゐないからだ」と卓一は言つた。娼婦の世界に、彼は憩ひを感じる風が、あつたのである。「君は甚だ外形上の貴族だね。精神貴族といふ奴がある。こいつは堕ちたところから始まるべき種類のものだ。堕ちない世界は少年少女の世界ぢやないか。羞ぢらつたり顔を赧らめたりすることが純粋だといふ種類だらう。そのやうな着物を着てゐる純粋さは客間の壁を飾るだらうが、俺は裸体画が好きなのだ。堕ちた女はとにかく空腹の足しにはなるね」 「それから自慰の足しになるさ。堕ちたところから精神貴族がはじまるといふ君の言葉には賛成するが」哲学者は笑ひを浮かべた。「精神貴族はたしかに堕ちたところからはじまるだらうが、堕ちた奴は例外なしに精神貴族とは限らないさ。むしろ僕は確信するね。元来女といふ奴は、堕ちたところで、精神貴族になれない奴だ。所詮女は造花のひとつさ。彼女等のオリヂナリティは僕の問題にならないね。造花の造花たるところを失ひさへしなければ、女は精神貴族ではないにしても、とにかく男の唯一の友さ。造花には加工と加変と玩弄の余地がある。さういふ女とチョコレートの話。薔薇の話。活動の話。高遠な思想の話。なんでもいいさ。やつてみたまへ。斬新なものだ。この種の慇懃な精神を幇間的精神とか漁色家の精神と解してはいけないのだね。要するに騎士的精神もこれだけのものだし、エピキュロスの精神だつてこれだけさ」 「それも退屈だね」 「いや。これだけが退屈でない!」と哲学者は叫んだ。「これだけが恐らく地上に退屈ならぬ唯一のものだ。唯一の!」  それもひとつの真実であらうと卓一は思つた。低俗な好色癖をその日常性のゆえ貶しめてはならない。造花的趣味が概ね日々の心であり、折にふれて去来しやすく浅薄であらうとも、根ざすところは虚無の深さと同じものでありうるであらう。不羈独立の魂の第七日の休養は青鞜女優や閨秀作家によつては医され得ないものだ。ひとり売春婦によつてのみこれを医しうるといふ詩人の言葉があるが、この言葉の激しい真実はただちに卓一のものであるにも拘らず、日常低俗な好色癖は然しこの真実の激しさをもつてしても医しがたいものなのである。そこには各々の真実があるのだ。ひとつの真実のみに固執するとき、他の真実が刃物となつて彼に向けられてしまふ筈だ。  堕ちた女だ。由子も。──卓一は時々思つた。むしろ堕ちきれない女だらうか。  卓一は由子の身体に固執することが殆んどなかつた。肉体のもつ感傷に倦みもしたし、怖れもしてゐたのであつた。人の心が肉体に寄せる多彩な期待にくらぶれば、肉体は余りに秘密をもたないものだ。そして退屈なものである。  卓一は然し女の肉体を愛した。食慾のやうに衒気なく色慾をみたすことをむしろ愛した。それらのものは人々の生活にのつぴきならない意味をもつてゐるのである。とかく人は酒をのみ、踊り、女を漁ることが恰も生存の息抜きであるかのやうに思ひがちだが、それは然し、と卓一は思はずにゐられなかつた。むしろあべこべのやうである。酒をのみ、踊り、女を漁ることが生活なのだ。それらのもつのつぴきならない一面をどうすることもできない筈だ。そして時に肉体的でないことが、精神的であることが、むしろ生存のぬきさしならね息抜きなのである。その息抜きが必要であるほど肉体は退屈千万でもあるらしい。  また卓一は肉体のつながりがもつ腐れ縁も恐れてゐた。その計算を忘れることもできなかつた。  あるとき卓一が夜更けに大念寺へ帰つてくると、雑然たる墓石の林立のなかに人影があつた。由子が深夜の墓石の上に腰を降してゐた。 「長いこと待つてゐたの?」 「化石するほど。ほら。お墓を台にした塑像のやうに、もう動けない。手をかして」  卓一は由子の姿勢をくづさせたくない思ひにうたれ、しばし凝視をつづけずにはゐられなかつた。その美しさに打たれたのだつた。 「冷めたくないかね」 「さう思つたら起してくれればいいぢやないの。返事もしないで視凝めてゐないで」  この美しさで沢山なのだと卓一は思はずにゐられなかつた。東京へ残してきたくされ縁の二三の女。卓一にうらみを懐いてゐるであらう女達。同じ姿がその人々のものであつたら、幽霊のもつあくどい凄味があるのみだらうと彼は思つた。原始の形態はとにかく不快だ。とにかく加工が必要なのだ。それも亦よしんば退屈であるにしても。  オスカア・ワイルドに「カンダヴィルの幽霊」といふ物語がある。幽霊の現れる古城をアメリカの娘が買ふ。幽霊が秘術をこらして威しにでるが面白がるばかりなので、幽霊の方が悩んでしまふといふ物語である。日本の落語にも同巧異曲のものがある。怖るべき幽霊たちを、人々の友達に改造しなほす必要がある。我々のわづかしかない安息のために。然し落語の作者達もワイルドも、幽霊の本質的な姿を逸してゐるのである。幽霊の外形自体は怖ろしくない。怖るべき唯一のものは、死んで恨みをはらさうといふこの憎むべき原始的な思想なのである。この怖るべき思想自体を人の親友に加工したひとりの人はゴーゴリだつた。外套の幽霊がそれである。卓一はさやうな加工を愛してゐた。それのみが新らたな生活といふものだ。そして努力を強ひうる値打のあるものである。彼はアメリカ精神にさういふきざしを見るのであつた。  由子は旅行から戻つてきた。そして卓一を訪ねた。 「山の匂ひがしない? 停車場からまつすぐここへ来たのですもの」  山の宿で、野々宮の神経衰弱がひどくなつた。野々宮の疲れきつた神経が突然由子にもつれはじめたのであつた。明確に思ひ当る原因があつた。それを卓一に語ることが娯しみのやうな、また馬鹿らしいことのやうな思ひもした。  とにかく由子は野々宮と別れることにはつきり肚がきまつたのだ。  旅行の前からすでに心はきまつてゐた。由子は思はずにゐられなかつた。なんのために旅にでる気になつたのだらう。卓一といふ新らたな人がゐるといふのに。その心を強めるために役立つた旅行であつたが、そのために出掛けたわけではなかつたのである。山が由子をよんでゐたのだ。そして高原をおふた涯のない冬が。それもただ退屈でしかなかつたけれども。 「停車場のある里まできたら自分のみすぼらしさに気がついたわ。山にゐるうちは忘れてゐたのに」由子は言つた。「自然てちつとも人を威しはしないものね。思ひだすと身体に沁みてくるやうだ。山には棲めない。みすぼらしさがいとしいから。汽車の中でそのことを思ひつづけてきたのだもの」  然し旅の毎日は憂鬱でしかなかつたのだ。野々宮の神経が堪えがたい負担であつた。野々宮は殆んど終日黙りこくつてゐるのみだつた。電気をふくんだ針金のやうな神経のみが、由子にからんでくるのであつた。なんといふ腹立たしさであつたらう! 沈黙の底に彼の憎しみが化石してゐた。それが由子の胸を刺した。気違ひ。なんと卑劣な男だらうと由子は思ひつづけてゐた。卑劣な。  旅は終つた。すべての終りであることが二人にわかりかけてゐた。汽車が新潟へ近づくと、野々宮は、もう一度山へ戻りたくなつたと言ひだした。 「まるで山へ忘れ物をしてきたやうだ。忘れてはならないものを。たつたひとつの──」野々宮は言つた。「どうしても、戻らなければならない気がする……」  由子は沈黙をまもつてゐた。すると由子の沈黙に応えて、彼のあらゆる神経が、皮膚の上へいらつきだしてゐた。自らの神経に、追ひつめられてゐるやうだつた。やがて、言つた。 「僕は山へ戻らなければならないのです。仕方がないから」 「ぢや、戻りなさい」由子は突き放すやうに言つた。そして冷めたく、つけたした。「私は、いや」 「さう」野々宮は頷いた。子供のやうな素直な動きに見えたのである。そして言つた。「ひとりの方がいいのです」  然し、野々宮の皮膚にいらついてゐた神経が、すべて、ひとつの憎悪に変つた。野々宮の白皙の顔は、すでに、やつれきつてゐた。年齢に関係のない疲労の小皺が、顔全体に刻みこまれてゐるのである。瞳はいつも濁つてゐた。瞳の底に、恰かも生き物であるかのやうな憎しみが、突然宿つてゐるのであつた。すでに死の澱みをたたえた疲労の顔が、その惨忍な憎しみによつて、蘇へり、めざましく息づきはじめた厭やらしさだつた。 「なんといふ眼付であらう」由子は戦慄と怒りを覚えた。  殺しても、なお憎み足りないといふ眼付であつた。このやうな惨忍な眼は、向けられたことも始めてなら、見ることすら始めてだつた。否。想像すらなし得なかつたものだと思つた。鬼畜にかかはりはあるにしても、人にかかはりのない眼付なのだ。否。憎しみのこめられた眼付自体が、特殊な一匹の生き物だつた。 「なんといふ卑劣な心の人だらう……」怒りに盲ひて、由子は心に叫ばずにゐられなかつた。すでにその肉体は衰え、むしろ息絶えてゐるのに、憎しみのみが生きてゐるいやらしさだつた。屍体に宿つた虫の意志を見るやうな不潔さだつた。わななく手。ふるへる唇。なんて執拗な、自分勝手な心なのだらう。そして卑劣な執拗さであらう。怒りと蔑みのために、由子は顔をそむけたかつた。 「山へ戻るなら、早く戻る方がいいわね」と、由子はさらに冷めたく言つた。「おそくなると、日が暮れてしまふわ。なんて短い日脚でせう。こんどの停車場で引返しなさい」  野々宮は頷いた。そして長い時間の後に、言つた。 「思ひがけない旅行になつたものですね」これもまた、ひとつの不思議な生き物のやうな冷めたい笑ひが、彼の唇にからみついてしまつてゐた。それも亦、屍肉に宿つた虫だつた。「ひとり帰ること。この旅行には、思ひがけない結果でしたが、もひとつの旅行には、人生も旅行ですね。それのみが、定められた約束でせうね。誰しも、ひとり帰るのです。ただ、もひとつの旅行が、むしろほんものの旅行であるのに、ひとり帰ること、同じことが、これほど世智辛く迫らないのが、むしろ滑稽なのです」  常に見る野々宮の弱々しさが戻つてゐたが、もはや由子は、その底に、不燃性のふてぶてしさを読むのみだつた。その執拗さと、冷めたさを憎まずにゐられなかつた。すでに血潮を失ひながら、しかも生きつづける、執拗な冷めたい意志のいやらしさだつた。  自殺のことを意味してゐるなら、自殺するがいいでせう。由子は顔をそむけて、心に呟やかずにゐられなかつた。自殺。まるでそれと同じやうに、この男は弱々しい。けれども、それと同じやうに、ふてぶてしい。自殺もまた形を変えた他殺だと言ふ話であるが、この男こそ、自殺の中に、無数の人々を殺すであらう。自らの流す血潮によつて人々を殺し、すでに血潮を失ひながら、執拗な彼の意志のみ生き、そして呪ふのだつた。このなまぐさい不燃性の暗らさに向つて、正視に堪える心はないのだ。惨めな男。すでに見返る心の片影もなかつたゆえ、憐れむ思ひにもなるのであつた。  かくて、終りぬ。──急速に、堅い決意が由子のからだのすべてを占め、なほも速やかに終りを急ぐ跫音のみが、きこえてゐた。  次の停車場で、野々宮は降りた。もう新潟に近かつた。由子はプラットフォームへ降りて、野々宮の手を握りしめた。「おからだに気をつけて」由子はやさしく言つた。「心を休めていらつしやい。強くなつて、お帰りなさい」  野々宮の濁つた瞳に、弱い笑ひの翳がさした。その口べりにも、やがて笑ひは、面のやうに凝結した。彼は素直に頷いた。恰かも檻の熊のやうに、幾度となく同じ頷きをくりかへし、幾度となく無言のお辞儀をくりかへしてのち、行つてしまつた。  汽車が動きだしてゐた。由子ははじめて窓外の景色に気付く思ひがした。蒲原平野の寒々とした水田だつた。暗らい冬空を映した水が、ただ満々とはりつめてゐるのみ。まれに畦道のはんの木が、その枯れ枝を、冬空の中にまいてゐるにすぎないのだ。と、やがてうしろに、音もなく人の立つ気配がした。ふりむいてみると、野々宮であつた。濁つた眼は、悲しさのために、暗らさを増してゐるようだつた。彼はまた、際限もなく会釈した。そして、無言に、坐席についた。その口べりには、別れたときの薄い笑皺が、かたまりついてしまつてゐた。心はどこにあるのだらう。恐らくすでに、失はれてゐるのであらう。その肉体の生気のやうに。そのやうにしか思へなかつた。口べりに結びついた笑皺のみが、唯一の執拗な心のやうに思はれたのだ。 「どつちへ行つても、忘れ物をしてゐるやうだ」と、野々宮は呟きながら笑つた。  階段の途中で、夢中のうちに引返すと、すでに汽車が動きかけてゐたので、咄嗟に手近かな箱の中へ乗りこんだのだ。暫く知らない人々のあひだに、ぼんやり彳んでゐる自分すら、他人のやうな思ひがしてゐた。掌に、消えた煙草と切符とを、一緒くたに握りしめてゐることすら、長いあひだ気付かなかつた。 「汽車に飛び乗れて、良かつたわね」と、由子は放心しながら、言つた。「山はつめたい。突然雪がつもつたら、帰るにも、帰れなくなつてしまふでせう。二週間も、三週間も、とぢこめられてごらんなさい。侘しさに、痩せずにゐられないわ」  野々宮は再びきりもなく頷いた。童児がその母に応えるやうに。その母の嘆きにみちた苛立ちに応えるやうに。  野々宮はいちど汽車から降りたとき、改札へ渡すつもりで切符を衣嚢からとりだしてゐた。再び汽車へ戻つてきて、もとの座席へ坐つても、切符を片手に握りしめてゐたのである。片手の中で、切符はもはや皺だらけだつた。野々宮は、それを両手の指先で、のばしはじめた。皺を丁寧に折返して、それから一々の皺のあとを、指先で、たひらにこすつてゐるのである。字が消えて読めないやうに汚れても、もはや知らないらしかつた。やがて切符の隅の方から、その爪先につまみうる最小限の細かさに、毟りとつて、すてはじめた。パン屑を毟りすててゐるやうだつた。心はそこになかつたのだ。口べりの薄い笑ひが、すでに汚れた古い面のやうだつた。面の心が彼のすべての心のやうに思はれたのだ。由子は千切られる切符に気付いてゐたが、素知らぬ風をするほかに仕方がなかつた。あはれな男。顔をそむけて窓外の景色のみ眺めながら、景色すらすでにまつたくさめはてた別の感じに変らしめられてゐることを見出さずにはゐられなかつた。その空隙に堪えがたい思ひのみした。ああ景色すらさめはてたものに変らしめるこの男。なんて執拗な、そして冷めたい奴なのだらう。むしろ由子は嘆息を知つた。  切符はすでに細かく毟りつくされてゐた。野々宮の膝の上から足もとへ、いちめん埃りのやうな白い屑が、つもつてゐた。 「おやおや。切符をちぎつたかしら」と、野々宮は、程経て、小さな叫びをもらした。そして当惑の笑ひを浮かべた。ちぎつたことを信じることができないのだつた。彼は衣嚢を探す風をしかけたが、やがて諦らめてしまつてゐた。  然し汽車が新潟へ着くと、野々宮の困惑は蘇つた。どうしたら、いいかしら。彼は弱々しく由子に尋ねた。お金払へば、なんでもないわ。由子は答えた。どこで? 彼はさらに追求した。だつて、駅員に、どういふ風に、言ひ訳する? 僕の弁明を信用してくれなかつたら? だつて、あの人達、僕の言葉を疑ぐることができるでせう。乗車駅すら。さうでせう? それすら、僕には、証明の仕方がないのだもの。──困惑のあげくのものであつたけれども、まるで由子をなじるやうに見えるのだつた。その執拗さを、由子は再び激しく憎んだ。野々宮の顔は、困惑によつて、むしろ空虚な明るさを宿すのだつた。わづかばかりの窮した暗らさが、まぢつてゐるにすぎないのだ。  改札口へ近づくと、流れて行く人波の列から、突然彼はひらひらと、落ちるやうにはみだしてゐた。まるで自分の神経によつて、列の外へはじきだされたやうであつた。再び彼の全身が、ひとつのもつれた神経だつた。彼の身体が、無数のよぢれた糸のやうな、暗いうねりに見えたのである。  野々宮は精算室へはいつたが、当然な返答すら、自由にできない様子であつた。駅員の問ひに対して、ええ、とか、いいえ、と答へることが、可能のすべてであつたやうだ。物腰のみは極めて慇懃であつた。そしてそこでも、駅員の一々の言葉に対して、各々際限もなく、お辞儀に似た動きをくりかへしてゐた。──かうして旅行は終つたのである。たうとう終つてしまつたのだ。ある男へのつながりが。 「旅行つて、おかしいものね。旅行の前後のつながりが切られたやうな、白々したものを残すのだもの」と由子は卓一に言つた。「帰つてみると、旅行の前まで親しかつた筈のものが、うそざむいほど空々しく私を迎へてゐるやうだもの。万代橋も、信濃川も。──そして街も空も人も、みんなひどく貧弱に見えたわ。道々とても欠伸がしたくなるほどだつた……」  野々宮の事情にからまる感情のせゐもあるだらう。とにかく然しそれはすでに終つたのだ。新らたなもの。それがこれほど虚しくていいのだらうか。 「野々宮の神経がからみだした原因、わかる?」由子はたうとうそれを言つた。「あなたの話、うつかり喋つてしまつたのだもの。うつかりでもなかつたのだわ。喋る用意ができてゐたのね。自然のなりゆきなんでせう」  卓一を愛してゐるといふことを、あからさまに言つたわけではないのである。にほはす気持すら殆んどなかつた筈だつた。単純なお友達の噂話にすぎない筈であつたのである。  野々宮は二人の愛の破綻には、すでに倦みもし、また諦らめてもゐた筈だつた。然し彼は破綻の根に第三者の介在を夢想し得たことはなかつた。否。夢想し得ても、信じ得たことはなかつた。  新らたな疑惑は、彼の平静な諦らめを、微塵に砕いてしまつたのである。化粧とべールなしには自ら意識することすらできなかつた未練の真実の激しさを、それが恰も肉体自体の言葉のやうな生々しさに、知らしめられずにはゐられなかつた。 「思ひがけない恨みを買つてしまつたものね。迷惑でせう」由子の情感の溢れる瞳が卓一を刺した。むしろ不当な期待のために彼はすばやく狼狽せずにゐられなかつた。「私達にゆるされたことは、たかが知れてゐるのね。どうせ貧弱なことなのだ」と由子は己れを憐れむやうに呟いてゐた。  接吻をもとめる時がきてゐるのかと卓一は思ふのだつた。まさしくそれは貧弱だと彼は思はずにゐられなかつた。その花車なうなじに、唇に、彼自らの体臭を予想してみることすらも、自然であつた。二つの胸がふれたなら、各々のさめはてた心を冷めたく感じあふほかに、恐らく仕方がないだらう。そして各々の永遠のやうな退屈を。やりきれない侘しさだと卓一は思つた。涯もなく暗いものの静かなきざしを、凝視せずにゐられなかつた。 「旅の退屈は仕方がないさ。旅をもとめる愁ひの方が、然しよつぽど退屈だ」と卓一は由子に向つて呟いてゐた。「山径を歩くくらゐなら、毎朝ラヂオ体操でもする方がいいぜ。くだらない饒舌がなくて、清潔だね」  失はれた少年を嘆くことはいらないのだ。卓一は思はずにゐられなかつた。そして恋のまねごともいらない。まして愁ひのまねごとも。流れるだけでいいぢやないか。それで腹が立たなかつたら。  それから数日ののちだつた。野々宮が突然卓一を訪ねてきたのは。卓一は、すでに重さに倦みながら、迎へ入れずにゐられなかつた。──それが前日の出来事なのだ。その翌日は、また他巳吉の甚だ唐突な訪れであつた。もはや師走にはいつてゐた。 「お仕事に興味がもてましたか」と野々宮は卓一を見ると親しみのこもつた微笑をうかべてまづ訊ねた。ちやうど街に湿気の深い冬の夕闇が落ちかけてゐて、街燈のともりはじめる時刻であつた。田舎の新聞はのどかなものだ。朝刊の編輯も、大概夕方の六時頃には終つてしまふ。あとは当番の者を残して、みんな引あげてしまふのだ。夕方の最も多忙な時刻ですら、たつたひとつの記事をにらんで、欠伸をしつづける男があつた。東京の新聞社風景を見馴れた眼には、まるで銀行にでもゐるやうな、緩るやかな流ればかりが印象される風景だつた。 「特に興味もありませんが、いやなこともありませんね」と卓一は答えた。「無意味な疲れかたを感じることが多いのです。それにくらべて仕事をしたといふ充足感を覚えたことは殆んどありませんね。その方が結局好都合だといふ考へ方をしてゐるのです。自分の問題の急所にはふれてくるものがないからです。日々是好日といふ奴でせう。僕の昨今はそれで沢山といふ考へが離れません」  編輯の仕事は低調きはまるものであつた。ひとつの思想を主張するとか、思想によつて紙面を統一することは勿論ここでは夢の話だ。恐らく記事の不足はあつても、選択すらもありえなかつた。卓一の仕事は、然し直接編輯に関係のない部面の方に、むしろ重要なものがあつた。地方新聞の例に洩れず、卓一の新聞も政党の機関紙であるが、田舎政治家や土地の名士と、新聞を通じた政治上の関係に於て会談するのが、主要な仕事であつたのである。そのための訪問もしなければならないのだ。そのための旅行もしなければならなかつた。さういふ仕事の愚劣さに、然し恰も卓一は、不感症であるかのやうな悠々さで、悔ひも嘲りも感ぜずに浸りきつてゐたのであつた。  二人は食事に街へでた。弁護士の大谷に呼びだしの電話をかけて、三人は酒場に落合つて酒をのんだが、野々宮はいくらも飲まないうちに、泥酔の時とは調子の違つた嘔吐を催して苦しんだ。酒を好まない野々宮でもあつたが、衰弱が激しい様子で、胃が酒を受けつけないらしかつた。  旅行から戻つて以来、野々宮は、孤独の夜をむかえることができなかつた。毎日は霙でなければ雨の夜が多かつた。降るもののない日ですら、まるで水中にゐるやうな湿気の深さ、暗さなのだ。野々宮はたそがれの近づく気配を知ると、街に大谷を探しだして、深夜まで離れることを好まなかつた。昼夜の別が、このやうな異る心を人に余儀なくせしめることを、彼ははじめて知る思ひがした。夜の気配が近づくたびに、あらゆる不安と絶望の蘇らないものがなかつた。しかもそれらをつつんでゐる涯の知れない虚しさなのだ。浮びでる想念の数々は、色さめはて、現実感に乏しく、死の国の絵巻物をひろげるやうな無力さだつたが、それをつつむ焦慮と不安の激しさのみは、あらゆる絶叫をもつてしてもなほ達しがたいこの現実の頂点の相を示してゐた。  雑貨屋の二階を妻君にかぎだされてこのかた、彼は旅館の一室に寝泊りしたが、彼の境遇にうつてつけの仕事があつて、昼はそれに追はれてゐた。ある素封家の依頼によつて、物故した土地の名士の伝記をまとめてゐたのである。ちやうど時を同うして、二つの伝記を引受けてゐたが、ひとつは平凡な政治家であり、ひとつは明治新潟の草分けをした医師であつた。調べてみると、彼等の残した業績は、とりたてて語るべきほどのものでもないが、人間としての性格や行為の方が、面白く、親しめもする人達だつた。野々宮は、たしかに仕事に没頭した。仕事に興を覚えてゐるとも思はなかつたが、ふと気がつくと、己れを忘れて仕事に没頭してゐた自分を、見出すのだつた。そして二人の伝記の主へ、その親しさを肉体的なものにまで、深かめてゐる自分を知つた。  時々彼がふと手を休めて我にかへると、伝記の主が、彼のうしろに立膝をして、両側の肩の上から首を差しのべ、彼の仕事を読んでゐた。さういふ感じは、かなり屡々経験したが、幻覚とよぶべきほどの明確な質量感を有するものではなかつたのだ。したがつて、野々宮は筆をとめ、この唐突な不安によつて、一気に冷めたい現実へ呼びさまされた思ひがしたが、やがて理知が、彼をふだんの落付へ戻してしまつてゐるのであつた。両側から差しのべられた死者の頬が、彼の頬にまざ〳〵ふれた冷めたい悪感を、むしろ次第に鮮明に蘇らせてゐるのであつたが、また省れば、必ずしも実感あるものではなかつたのである。  午後四時といふ時間がくると、突然仕事が、空虚なものになるのであつた。もはや筆を投げ出さずにはゐられなかつた。そして、目当ない不安が、はじまるのだ。ちやうど絶望の暗夜が、近づきかけてゐるのである。そして彼は、街へ追はれた。  野々宮が卓一に親しむ思ひは、不可抗的なものだつた。もとより彼は、自分の嫉妬を知らないわけはなかつたので、卓一が自分の味方でないことは、理解してゐた。然し味方であるやうに思ふことが、不自然ではない心の状態でもあつたのである。野々宮の嫉妬は、主として、単なる混乱が、意識されるすべてであつた。対象の意識は、稀薄なのである。そして表面の感情をどのやうに分析しても、卓一への憎しみが、纏つた姿では、浮きあがつてこなかつた。あべこべに、卓一へ寄せる親愛の流れを、くひとめることができないのだ。秘密な心のからくりが時に不快なものであつたが、そして苦笑もしてみたが、その親しさの自然の流れは、始末のつかないものでもあつた。流れをくひとめもできないし、まして憎しみを煽ることが、できさうなもので、できないのだ。  すでに愛は心になくとも、未練は心にありうるのだ、と野々宮は思つた。そして未練すら心になくとも、嫉妬のみは、ありうるらしい。憎しみすら、有り得ないのに、尚嫉妬のみ、有り得るのだらう。身に沁むやうな遥かな思ひ。この親しさ。ゆたかな気配につつまれたこのあたたかい友情を、どうすることもできないのだつた。  野々宮が卓一を訪れたのは、その親しさの自然の結果であつたのである。ほかに心はなかつたのだ。 「君の奥さんは、海の浜温泉にゐるらしいね」と、遅れて這入つてきた大谷は、野々宮の顔をみると、坐らぬうちに話しかけた。この多忙な事務家は、でつぷりした、血色のいい男であつた。ひとつ場所に三十分とゐたたまらない風だつた。「ああ。畜生。人の心配も知らないで、それぞれ、のんびりしてゐやがるぜ。へ。温泉とは、しやれたものさ。この俺は、生れてこのかた、温泉の匂ひも、かいだことがないのだぜ」  野々宮の妻君は、せつかく突きとめた雑貨屋の二階から、再び良人が姿をくらましたことを知ると、彼女も子供をつれて新潟を立ち去つてゐた。実家に帰つてもゐなかつたのだ。大谷は行方を探してゐたのである。 「けさ手紙をもらつたのさ。女といふ奴、世馴れた文章を書きやがる。達者なものさ。ああ。畜生。俺の方が死にたいくらゐだ。俺は多忙で行けないが、あした誰かしつかりした奴に湯の浜温泉へ行つてもらつて、実家まで付添つて行かせよう。人間といふ奴は諦らめの悪い動物さ。石に噛りついても生きたいのだ。俺に失恋させてみろ。ビフテキ三十枚たひらげるぜ」  野々宮は卓一に言つた。 「孤独すら味方でなくなつたとき、みぢめですね。人は。夢すらゆるされないのです。夜の道を歩いてゐますね。目的もなく歩くことができるとき、人の心にまだ健康が宿つてゐます。目的なしには歩くことすら出来なくなるときがあります。居ることすら出来ないときが」  そして漸く弁護士に向つて答えた。 「あなたの健康は羨しいですね。支那の物語に、大酒家が身体の酒虫を追ひだしたら家運もまもなく没落し、健康も衰えて死んだといふ話があるさうですね。その教訓を僕も信じてゐるのです。その人の魂が好きなものの中にあるとすると、僕の好きなものは、休息だけですから……」  卓一はいくらか呆気にとられながら、野々宮のやつれた顔から一度も消えたことのない慇懃な苦笑を見つめつづけてゐた。なんて贅沢な男だらう。卓一は思つた。自分を語ることだけがすべてなのだ。弁護士のもたらした妻君の話にはまだ一言も答えてゐない。そして自分のことばかりである。何よりも慇懃な苦笑ばかりがやりきれなかつた。  この男はいつも客間にゐる男だ。路傍に放りだされても、ほかの手段はもてない男であるらしい。思想も感情も客間の礼儀内でしか運用できない人のやうな思ひすらした。食慾をみたすために山海の珍味をあつめる贅沢を知らない。その代り魚肉の片身に箸をつけて、裏側を食べることを知らないやうな、てんで食慾と脈絡のない肉感の稀薄な贅沢は骨身に沁みてゐるやうだ。箱庭の中に住む別世界の人のやうな感じもした。そしてただ心の冷めたさのみが、この世の最も激しい力で、卓一の胸を刺してゐた。  ──俺ですら、と卓一は思つた。この男ほど冷めたくはないやうだ。第一あの慇懃な苦笑が……それはただ一途に残酷なものを感じさせた。 「三遊亭喜楽が佐渡心中を思ひとどまつたときの話ですが、ちやうど僕も閑でしたので、佐渡行きの代りに、二人で旅行にでかけたのです。湯の浜温泉へ行つたのです。僕もはじめての土地でしたが──」  野々宮は語りはじめた。大谷は整理のすまない仕事があるからと、食事の途中に立ち去つてゐた。  野々宮は語りながら珈琲茶碗へ頻りに砂糖を入れつづけた。眼は明らかに茶碗の場所を視凝めてゐるにも拘らず、右手は同じ律動をくりかへして、砂糖壺と茶碗の間を往復してゐた。珈琲はすでに皿にも溢れてゐた。気付かないのであらうか。知りながら、遊んでゐるのであらうか。 「湯の浜を御存知ですか。山形県にあるのです。鶴岡に近い海岸の温泉ですが、うしろに山をひかえた地形なんですね。伊豆あたりでは月並のことですが、このあたりでは珍らしい地形なのです。山形県とは言ひながら、県境に近いせゐもあつて、新潟の人達が自分達の温泉のやうに遊びに行きます。ちやうど初冬の、この季節のことでしたが、雪の多い年で、この土地も、湯の浜も、毎日降りつづけてゐたのですね」 「湯の浜へ着いた晩のことですが、真夜中になつて、喜楽が一風呂浴びてくるといつて立ち上つたのです。あの人は痩せてゐますが丈の高い人ですから、宿の浴衣が短かすぎて滑稽な形なのですね。タオルをぶらさげて廊下をとんとん消えてゆく跫音がしてゐたのです。客のすくない季節のところへ、雪の降る深夜ですから、あたりの物音は死んでゐるのです。すると喜楽が蒼い顔でたちまち戻つてきたのですが、跫音を殺すやうな歩き方をしてきたくせに、息を切らしてゐるのです。動悸まで、きこえるのですね。どうしたのですかと訊ねてみますと、湯槽の底に死んだ男がねてゐると言ふのです。気味がわるいので早速戻りかけると、廊下を曲つて消えて行つた風のやうな白いものを見てしまつたと言ふのですね。それからは廊下がずるずる無限に延びる感じで歩いても歩いても自分の部屋へ辿りつけない思ひであつたと言ひます。勿論みんな神経だらうとは思ふが、このまま放つとくと魘されて眠れないから、一緒に浴室へ行つてみてくれと言ふのです。勿論湯槽の底に死人が沈んでゐることはなかつたのです。物音の死にきつた深夜で、ガランとした浴室では、神経の太い人でも変な気持になるでせうから、まして疲れた喜楽のことで、その晩は気にもとめてゐなかつたのです。すると翌る朝になつて、新聞を読んでゐると、喜楽の様子が変なんですね。今読んだ裏面の方を読むつもりでせうね。新聞紙を折り返してゐるのですが、折目が気になるものとみえて、元の通りにもどすのです。それから又念を入れて折りなほさうとするのですね。どういふところが気になるのか見てゐる僕に分らないのですが、再三再四くりかえしても満足できないばかりか、益々気にさはる一方と見え、たうとう指で紙を押へてみたり、折目の間へ指を入れて上から入念に押しつぶすやうにしてみたり、急に荒々しく元へもどして折目をごし〳〵こすつたり、見てゐるうちに呼吸がだんだん荒くなつてくるのです。それで漸う前日のことに気がついたのですが、さういへば、湯の浜へくる汽車の中で新聞を読んだときも、やつぱり折目の折り方を気にして、これほどではなかつたのですが、何度もやりなほしてゐたことを思ひだしたのです。その日の夕方になつて、夕刊を読む時になつても、折目の折り方を気にすることは、やつぱり同じことなのです。折目の間へ指を入れて、目で精密に測りながら、上から少しつつ押しつぶしてくる様子が、まるで生きてゐる新聞紙と血みどろの格闘してゐる様子なのです。普通でないことが分るのですね。新聞以外のことではそれほどのこともないので、暫くぶら〳〵してゐるうちに自然に落付くのだらうと、わりと楽観はしてゐたのですが、新聞を読むときばかりは、見てゐる僕がやせるほどやりきれなくなるのです。それで、宿の者に頼んで、喜楽の読む新聞紙ははじめから鋏で二つにちよん切つておいてもらつたのです。この計画が図に当つて楽に新聞が読めるやうになつたのですが、まもなく東京へ帰つた喜楽から手紙がきて、新聞紙を二つにちよん切る手段を教へてもらつたので、神経衰弱が快癒しかけてゐる、だから旅にはでるものだと書いてあつたのです。不思議な強迫観念ですが、短い浴衣をきたあの人が新聞紙と格闘してゐる様子は滑稽なものでしたけど、やりきれない感じのものでもあつたのです」  野々宮の話は退屈きはまるものであつた。お茶をのみ、このやうな話をして、そしてこの人は心がみちてゐるのだらうか。話は際限もなくつづくのである。三遊亭喜楽は卓一の知人ではなかつた。この人はそれすら気付かぬのだらうか。喜楽の落語は卓一にむしろ愚劣なものだつた。高座から想像しうる喜楽の性格も厭味であるし、人柄も臭い。ましてその人生観は、魅力も興味もないばかりか軽蔑したくなるばかりである。その男の数年昔の強迫観念の話、悲恋の話、心中の話。ああ。このときほど神護の咒文が口をついて走るにふさはしい時はない。怪談を単に素朴な恐怖心の角度から深刻めかして語られても、むしろ反撥するばかり、聞くにたえぬと同様に、人生の悲劇性を素朴な思ひいれで深刻らしく語られることも、甚だきくに堪えがたいものである。卓一は苛立たずにゐられなかつた。この男には人の退屈がわからないのであらうか。さうして自分自身がまづ退屈ではないのか。考へてみよ。聞きてに何等の関係もなく、興味もない喜楽の話を、それからそれへ綿々と際限もなく語ることの無意味さが、そして聞く人の気まづさが、わからないほど教養のない野々宮ではあり得ないのだ。社交なれない同胞達に欠けてゐるその教養が、むしろ有りすぎる野々宮であるのに。しかもその教養の片影も想ひみる余地がないばかりか、話しぶりのあくどさがひどすぎる。その執拗さが病的にすら思はれた。話がとぎれる。今度は話題も変るだらうと予期してゐると、またしても喜楽の話である。そして、又しても。ああ。喜楽の話。喜楽の話。喜楽の話。ああ。ああ。ほかの話に誘つてみても、話は自然に喜楽のことに戻るのである。  卓一はもはや露骨に退屈な表情をあらはしはじめてゐた。その退屈な表情には、おやまた喜楽ですかねといふ嘲りの翳が底意地わるく刻みこまれてゐた筈だつた。野々宮はそれに気付いてゐる筈なのである。なぜならば、一二度は卓一の顔を見た筈だから。そして卓一の顔を一目見たなら分る筈であつたから。否。顔を見なくですら、そして卓一の姿に全然眼をふさいでゐてすら、すでに気配が分らずにはゐられないほど、彼の退屈の有様はにくたらしく、あくどく、野暮なものであつたのである。しかも野々宮の話しぶりは、益々喜楽一方の憑かれた根強さになるばかりだつた。抑々卓一と会つた第一日、越後新報の編輯室で交した話が、だしぬけに喜楽なのである。それが心の軌道をつくつてゐるのであらうか。それにしても、卓一の退屈を知りながら(さうとしか思へないではないか)一途にひとつ話に憑かれてくるその執拗さを憎まずにゐられない。しかもなほ慇懃な苦笑。ああ!  卓一はつひに立上つた。もはや十二時に近かつた。夜更しの飲み屋へもぐりこんで酔つてやらうと彼は思つた。然し野々宮は卓一と肩を並べて歩いてゐた。 「お送りしませう。僕は歩きたいのです。然しひとりでなしに」と野々宮は言つた。  卓一は怒りを覚えてしまふのだつた。この人は見かけとまつたく反対に無神経なのだらうか。いかほど孤独を怖れるにしても、孤独の苦痛が、この退屈の苦しさにまさるものとは思へないのに。卓一のあくどすぎる厭味な様子が、なほ孤独より堪えやすいのであらうか。二人はまつたく喋らなかつた。  大念寺の門前へ差しかかつたとき、野々宮はためらひながら、立止つた。そして卓一に言つた。 「もうちよつと歩いていただけませんか。一緒に歩いていただくだけで、結構なのです」  卓一は絶望的な怒りを感じた。然し野々宮の懇願は弱々しかつた。それをふりきつて、ふりむくことは可能であつたが、彼の足は然し野々宮の欲する方へもはや歩きだしてゐた。ええとすら返事もせずに。そして頷きすら与えずに。恰も野々宮を蔑むやうに、むしろ野々宮に無関心な足取りでその蔑みを表はすやうに、卓一は先頭に立つて歩いてゐた。それが昨夜の出来事なのだ。  二人は白山公園へ行き、再び大念寺の門前へ戻つて別れた。三十分。まつたく喋りもしなかつたのだ。 「え。卓一さん」他巳吉が言つた。「あんたダンスできるだらう」 「できないのです」と卓一は嘘をついた。もはやいくらか踊れたのである。 「さて、そこだ」と他巳吉は膝をのりだした。「ここは一番あんたがダンスを覚えるところだ。あんなもの、六十前の若い者なら三十分でお茶のこさ。義を見てせざるは勇なきなりだ。さうだらう。え。卓一さん。ここはあんた、とにかくあんたが乗りだすところさ。とにかく勿体ない話だからな」 「まちがひのない踊りの相手を紹介することにしませう」と、卓一は突然思ひついて他巳吉に答えた。「僕の前の編輯長の野々宮さんを御存知ですね。あの人は踊りが好きなのです。頼めば文子さんの相手になつてくれるでせう」 「年寄をぢらすのは罪といふものだ。え。卓一さん。はぢらひも時によりけりだ。ここはあんたのはまり役さ。え。きいただけでも嫉けるね。もう二十年若けりや、俺が出陣するところさ。畜生め。蝱蜂とらずの丸損役が俺様だ」 「僕は踊りがきらひなのです」  他巳吉は暫く無言であつた。彼の顔にいくらかきまり羞かしさうな笑ひが漂つてゐた。 「やつぱりあんたは惚れてゐなさる」  他巳吉は突然哄笑しはじめた。笑ひは却々とまらなかつた。他巳吉の様々な、芸をつくした制動にも拘らず。 「誰にです」 「顔に書いてあるね。頭隠して尻隠さずとはこのことだ(と他巳吉は腹を抱えた)え。ほれ。あのお嬢さんさ。ほら。弁護士の。わかるぢやないか。いよいよ旧悪露顕したね」  他巳吉は脾腹を抱えて、むしろ笑ひに苦しみながら、悦に入るばかりであつた。  越後新報の応接室は西堀に面してゐた。窓の下に西堀の水が澱み、両岸の古柳が水面に垂れた枝を風に騒がせてゐる。堀の向ふに、明治年間の洋風建築の見本のやうな、貧弱な市役所があつたのである。卓一の記憶の中にその建物は生きてゐるのに、彼が赴任してきたときは、火事に焼けたあとだつた。その焼跡は広場になつて、うちすてられてゐるのである。また雨もよひの低く垂れた空だつた。もうたそがれて、各々の窓に燈りが点りだしてゐた。 「なんといつたつけな。あの弁護士は。古川さんだね。それそれ。音のでる黒塗りの四角の箱だ。ペアノかね。あの音は、どうも、俺の苦手だ。ペアノをたたくお嬢さんさ。いよいよ先生穴にもぐるばかりだね。悪事千里を走るとはこのことだ」 「与力大寺他巳吉の地獄耳ですかね。どこで仕入れてきたのです」 「ほれ。気になる。気になる。先生消えてなくなりたいね。いい気味だ。うちの孫娘が、なんとか倶楽部といつて、やつぱりその口さ。そのお嬢さんと、つまりおんなじ会員さ。あんたも却々粋な男だ。私はあなたにほの字にれの字。あははは。これは天下の大評判だ」  またしても候鳥倶楽部であつた。──澄江。その人はすでにこの世の人ではない。現実は常に亡びるものである。そして人の夢の中に生ある人は、この現実に亡びざるを得ないのだ。それゆえにまた、亡ぼさざるを得ないであらう。 「あんた、こつそり、やつてゐるね」と他巳吉は益々悦に入りながら卓一の顔をのぞきこんだ。「いや、その道の古狸も大不覚だ。餌をやつても食ひつかぬところに怪しい節々があると睨んではゐたが、油断大敵さ。今に臍をぬかれるね。いやはや、どうも、敵ながら天晴な武芸者だ。あんたはたしかに忍びの術の心得があるね」  そのとき木村重吉が扉を細目にあけながら、をづ〳〵首をつきだした。 「編輯長。野々宮さんが見えられたのですけど……」  ああ。またも喜楽の亡霊が。──木村重吉の背をすりぬけるやうにして、然し野々宮はすでにその慇懃な苦笑を貼りつけた蒼白な顔を見せてゐた。 「昨夜は失礼しました。御迷惑ではなかつたのですか」 「野々宮さん」卓一は突然大きな声で叫んだ。まだ挨拶すらしないうちに。喜悦を顔にみなぎらせながら。まるで待ちかねてゐたやうな、生き〳〵とした声だつた。「あなたはダンスなさいますね」  はしやぎすぎたガサツさだつた。はづみすぎた毬のやうな調子の外れた不快感もともなつてゐた。人に物をおしつけてくる高圧的なあくどさが目に見えてゐた。喜楽の話の世にたえがたい退屈さ。そして執拗な野々宮への隠しきれない嫌悪。それを野々宮に見せないためには、突然はしやぐことだけが可能であつたかも知れない。それにしてもいくらかガサツでありすぎた。ちやうど野々宮のために特別の用意された話題のひとつを持ち合はしてゐる強味が、とつぜん卓一を有頂天にしたらしい。あいにく話題はむしろ野々宮にとつて迷惑なものでないとは限らない。その内省すら卓一になかつた。田夫野人のあくどさで、笠にかかつて話してゐる自分を見出してゐるのみだつた。 「むかしは踊りましたけど……」と、然し野々宮はいささかの呆気にとられた風も見せず、ただ慇懃な物腰で、静かに答えた。 「踊つてやつていただきたい婦人があるのです。せつかく踊りを覚えたといふのに、あいにく踊りの相手がないといふのですね。大寺老人が一役買つてでたいところださうですけど、若い者に花をもたせる覚悟をきめたのださうです。老人の推輓によると、水もしたたる麗人ださうで──」  卓一は酔漢のやうに喋るのだつた。文子の名すら言ひ忘れて。──女の名前も、女の身分も、どうでもいいのだ。あなたはもうその人と踊ることにきまつてゐるのだと言ふやうだつた。そしてひどく愉しげだ。まるで勝ち誇つてゐるかのやうに。喜楽の執拗な話しぶりにくらべて、卓一の高圧的な話しぶりがもつと無礼であることに、気付きもしない様子であつた。 「あなたにお願ひすることに話をきめたところなのです」  と、酔漢は、あなたの返事はもはやきくまでもないのです、といふやうに話を結んだ。そして酔漢の談儀のあひだ、野々宮は慇懃に小腰をかがめて、会釈しつづけてゐたのであつた。談儀が終ると野々宮は更に慇懃に「どうぞ」と言つた。 「惚れた男は風変りだね」と他巳吉が笑ひながら野々宮に言つた。卓一の調子の狂つたガサツさに、彼はあてられてゐたのである。 「仙人も雲から落ちるといふことだ。裏長屋の八公はシャッポのつもりで下駄をかぶるね。いやはや、どうも。卓一さんが別嬪に惚れたとさ。わははははは」  その夜左門と他巳吉はもはやホールへ行かなかつた。彼等は花札をひきはじめた。  卓一は、野々宮と文子の二人に、どの場所で、どのやうな機会をつかんで別れやうかとそのことのみ思ひつづけてゐた。舞踏場までひきづりあげられて、踊りをぼんやり見せられるなんて、やりきれない。貧乏籤のひき役だとこぼしつづけてゐるのであつた。由子の語つたところによると、澄江は金雞舞踏場の常連だといふ話であつた。文子にダンスの手ほどきをした踊り子は金雞舞踏場へでてゐるから、きのふ文子がでかけたところも金雞舞踏場であつたのだ。それもひとつの厭味であつた。舞踏場までついて行くのは単に無意味であるばかりでなく、別の厭味があるのである。今更澄江に会ひたくはなかつた。卓一は舞踏場の前まで行つたら、きつぱり別れてしまほうと心をきめてゐたのである。ところが文子と野々宮はエスパニヤ軒の舞踏場へでかけることに話をきめた。金雞舞踏場に比べれば、エスパニヤ軒の舞踏場は品格が一段高いと言はれてゐる。さういふ通り相場になつてゐるのだ。もともとエスパニヤ軒は西洋料理店である。明治初年のことであるが、この港が裏日本唯一の貿易港として開港され各国領事が住みはじめたころ、牛乳をしぼることさへ誰も知らない状態だつた。そのころ外国のサーカスがこの町へきた。サーカスの一座に働いてゐたミオラといふ異国人が、一軒のレストランすらない当時の必要に応じて、この土地に居を定め、料理店をひらいたのである。明治六年のことだといふ。ミオラは母国の名をとつて店名とした。エスパニヤ軒がそれである。新潟港は信濃川の河口にあつた。大河津分水工事や港内の浚渫・護岸・突堤等の諸工事がまだ行はれない明治初年の新潟港は、時節によつては深さわづかに二三尺の惨めさで、吃水四五尺の船が港外一里の沖に船繋をする状態だつた。おまけに屈託のない信濃川は土砂を運ぶ一方で、港内は浅瀬のひろがるばかりであるし、火輪船の船体は日増しにふとる一方である。貿易港は空名で、明治十一年が訪れた時には、一番諦らめの悪い領事さへもはやこの土地を引上げてゐた。ひところ萌えだした異国文化も影をひそめて、再び因循な厭世港市に還つたのである。ひとりエスパニヤ軒は、残り、続き、そして栄えた。もはや単純な料理店であるよりも、この土地の最高級の社交機関のひとつであり、倶楽部であつた。宴会室のほかに、倶楽部室もあり、酒場もあり、舞踏場も附属してゐる大建築だが、所詮東都の亜流であつて、特異の情趣があるわけではない。  エスパニヤ軒の舞踏場へ行くときまると、古川澄江を避ける心の激しさが一段落をつげただけでも、卓一は二人に別れるキッカケを見失つた感じになつてしまふのである。彼はひどく当惑しながら、然したうとうひきづられて、一応は舞踏室へあがるほかにはどうにもならない成行きであつた。舞踏室の肱掛椅子に埋もれて、一曲だけはどうにか我慢してゐたが、二曲目の踊りがはじまると、もはや一瞬もゐたたまらない物憂さを堪えることができないのだ。肱掛椅子にばらばらと四五人の男が散つてゐた。踊る人々も十組はない閑散さだ。卓一はそッと立ち上り、廊下をまがると、逃げ去るやうに階段を降りた。彼は酒場の扉をあけた。然しやがて踊りつかれて二人も酒場へ降りるであらう。それを思ふと、そこも追はれる思ひなのである。野々宮に文子を押しつけてをいて、自分ひとり逃げるのも無礼なことだと思ひはしたが、退屈さ、このやみがたい憂鬱は、礼節によつては割りきれない。卓一はエスパニヤ軒の酒場をでて、暗闇の街へ走りでてゐた。孤独。新鮮なほど、それがなつかしく思はれた。……卓一は己れの気分に酔ふことによつて、心の弱い失意の人に、暴力的な専横さで、希はぬことを押しつけてきた残酷さを忘れきつてゐるのであつたが、置き残された野々宮の心事はいたましすぎるものだつた。  野々宮は、そのときはじめて、卓一に直接の怒りをいだいたのだつた。卓一が舞踏場から消えたことに気付いたときも、酒場に待つてゐることは信じてゐたのだ。秋風落莫たる野々宮の心に、踊りは葬列の虚しい歩行と同じものにすぎなかつた。舞踏室に坐るに堪えない卓一にむしろ劣らぬ迷惑を感じてゐたのだ。十回あまり踊つてから休憩したが、それから再び十回あまり踊るだけの思ひやりと礼節を、然し野々宮は忘れなかつた。やうやく厄を逃れた思ひで酒場へ降りると、卓一はとつくに帰つたあとだつた。 「すこし踊りすぎたので、青木さんは待ちきれなかつたのでせう」  と、野々宮は笑ひながら文子に言つた。然し内心の激動は堪えがたいものがあつたのだ。  野々宮は疑ひはじめたのであつた。卓一は由子とあひびきするために、いちはやく消えたのではあるまいか、と。さうとしか考へられなくなつてゐた。それ以外に帰る理由をさがす気持の余裕すらなかつたのである。あまりに陋劣な仕業だと野々宮は思つた。  ──いまどこで由子と語らつてゐるのだらうか。恐らく温かい炉端で。悪意のこもつた彼の噂もするであらう。笑ひ声がすでに耳に響くのである。そして彼等に蔑まれ、憐れまれたひとりの踊る男を思へ。  文子を彼に押しつけたことが、すでに悪意と企らみなのだ。野々宮は思つた。彼に踊りを押しつけたときの鳥類の喚声に似たがさつな勝鬨をきけ。奪へる人が失へる人にひとりの女を与へたのだ。思ひあがつたあくどさに悪感を覚えずにゐられるだらうか。その揶揄の野卑と邪心は醜悪すぎるものだつた。すべてそれらが語つてゐるのだ。お前の女は私のものだ、と。そして二人の恋人達の思ひあがつた憐れみが、哄笑の波を彼の耳底に流すのである。  野々宮は旅行以来、その懊悩にも拘らず、心は由子を諦めてゐた。諦らめのゆえに、嫉妬はむしろ虚無的な絶望感に変形しがちであつたのである。由子を忘れる努力の深さと、絶望が、同じ深さのものであつたと言ひ得ぬこともないのであつた。そして野々宮の懊悩は、その外形に於て、この現実と直接のつながるものを持たないやうな、血と肉の稀薄な相を示してゐた。由子を忘れ、卓一を愛してゐたのだ。  忘れられた血と肉が、あまり激しく一時に目覚めはじめてゐた。ある男の不潔きはまる存在を、曾つてこのやうな根の深さで、いとひ、そして憎んだことがありえたらうか。卓一の一挙手一投足の想像が、彼の意識に瞬時閃めくことすらも、野々宮に狂者の怒りと混乱を与えた。  ──僕は踊りに堪えられぬのです。卓一は彼に言つたのだ。好色すぎるせゐであるかも知れません。と。  悪徳を強ひて肯定してみせる人は、彼の意図がそれによつて己れの悪徳を割引しやうと努めてゐるにも拘らず、屡々むしろ悪徳を強めた印象を与へるものだ。そして恐らくその印象が最も彼にふさはしいのだ。然し卓一の場合に於ては──野々宮は心に叫んだ。彼の肯定するものが、然り、彼のすべてのものに見えるのだ。全てのもの。心も、顔も、手も、指も。すべてに息づく唯一のものが野獣にまさる悪臭を放つところの劣情なのだ。なぜならその肉体によつて許るされたのみでなく、またその理知によつて許るされてゐるから。あくどさのこれにまさるものはなかつた。  他巳吉も野々宮に言つたのだ。卓一さんが女に惚れたとさ、と。それも由子にちがひはなかつた。仙人も雲から落ちるね。わはははは、だと言つたのである。落ちるのは仙人だけだ。あの卓一はただ肉体の愛玩のみを最も冷めたく知るのみだらう。いささかの羞らひも感傷もなく。 「あなたはよく眠れますか」と野々宮はこの平凡なそして温和な婦人に向つて極めてふさはしくない質問を発した。ただ喋らずにゐられないのだ。必要からも、そして彼の礼節からも。「僕は毎日睡眠を意識することができないのです。無論ねむつてはゐるのです。なぜならかうしてとにかく特別の支障なしに生きつづけてゐるのですから。ねむりかけた状態までは分るのですね。ねむるために苦闘し、疲労困憊してゐるひとつの状態だけは、毎晩分つてゐるのです。然し自分の睡眠を意識したことはありませんし、また、疲労の回復を覚えたこともありません。時間的にも、さうなのです。うとうとし、労れきつて目を覚すと、やつぱりいくらも時間はすぎてゐないのです。ねむるためには、数を算えることがいいと言ひますね。然し無限に算えても眠れないことを考へると、無限に算えてゐる僕はいつたいどうなるのでせう。いいえ、算えてゐる僕はどうせ死んだ肉体と同じやうに空虚ですね。生きてゐるのは算えてゐる数だけなのです。無限に算えられてゐる数だけが。──そして無限といふものの落ちさきが結局どこへどういふ風になるだらうと考へると──あなたは莫迦らしいと思ひますか。ひとつの単に発音されつづける無限の算数に就て考へて下さい。僕には笑ふことができないのです。だつて、ねむれると思へませんから。無限に算えて──やりきれませんね。もし眠れるなら算えてみたいと思ふ誘惑はあるのですが、算える気持になつたことはありません。無限に算えつづけても眠れないときの無気味さを思ふと、それだけでやりきれなくなつてしまふのです」  無意味な饒舌。そしてなんたる退屈さだらう。野々宮は倦み疲れてゐるのであつた。然し文子に立去られたら、取残されたひとりをどうなし得やう。自分のほかにもうひとり始末におへない自分がゐた。そいつときたら、この退屈な婦人のやうな生優しい生き物ではなかつた。ただひと色の暗黒な虚空だけが、そいつのすべてのものなのだ。喋りつづけてゐたかつた。夜明けまですら。 「算数といふこと自体がいくらか不気味な生命力を感じさせるものなのですね。あの単調さのせゐであるかも知れません。時計の音がもつやうな。音といふものはあるのですが、そこには意味がありません。意味といふものが音自体であり、あるひは音の間隔の中にあるのでせう。あの単調さは奇妙に不気味な生命力を感じさせるものですね。ポーの小説に時計の音が主題になつたものがあります。皿屋敷の凄味にしても、皿の数を読むことが凄味を加えてゐることは恐らく否めないでせう」  文子は苛立ちはじめてゐた。外出に馴れた女ではなかつた。男と二人対座するのが、すでに異例なことなのだ。どのやうに話すべきかも分らなかつた。左門の家は九時になると、もう寝る時刻だ。そして屋敷は寝静まつてしまふのである。まるで自然死の気配のやうなあの寂寞の中にゐると、ほかの場所には、同じ時刻に、生きた世界があることすら、思ひつくことができないのだ。左門はもはや寝たであらう。帰らなければならないのだ。然し立上る機会がなかつた。野々宮の話は、ただ綿々とつづくのだ。それが無限の算数自体であるかのやうに。帰りたい文子の心を意識してゐる些少の気配も、野々宮からうかがふことができなかつた。そして男に促す気配がなかつたなら、敢てする力に慣れない文子であつた。然したうとう立上つた。もう十一時にちかかつた。 「お帰りですか」野々宮も立上りかけて静かに言つた。「もうちよつと……」そして彼は口籠りながら少年のやうな微笑をうかべた。「いいえ。無理におひきとめするのではないのですけど。およろしかつたら」  羞ぢらひのために、彼は却つて慇懃を失ふ動作になるのであつた。彼はすでに放心して淡い苦笑を刻みながら坐つてゐた。文子もまた坐らざるを得ないのだ。その重心がくづれざるを得ないのである。なんて退屈な男だらう。そして、なんといふ執拗さだらう。それにしても、この時刻に、燦々たる光の国があることを、文子は異様な感をもつて思ひ知らずにゐられなかつた。  文子が家へ帰つたときは、もはや十二時をすぎてゐたのだ。  野々宮は、文子をその家へ送つてから、古町へでた。酔漢の通行すらも、すでに殆んど絶えてゐた。店を閉めて家路を辿る酒場の女が足早にときどき通つて行くばかりである。然しまだ──野々宮は思つた。どこかに起きてゐる店がある筈なのだ。夜明しの酒店もあるといふことを彼はきいてゐた筈だから。酒がのみたいのでもなかつた。酔ひたいのでもなかつたのだ。ただひとりであることを免れさへすれば。夜が明けるまで。──冬の夜の長さだけでも、せつなかつた。  街の奥の暗闇の底に、卓一と由子にからまる不安な気配を、時ならぬときに彼は感じた。恰も彼等が闇の底にゐるかのやうに。時ならぬ想念の応接に彼はまつたく悩むのだつた。ひとつの荒廃した頭脳がある。それはすでにその所有者から独立して存在し、荒れるにまかし、また荒らされるにまかされてゐるやうである。頭はわれさうな痛みを与えた。想念が彼の意志と関係なしに明滅し、出没する。歪み、走り、舞ひ狂ふのだ。それに対する手段はなかつた。  荒れるにまかされた頭脳のほかに、ひとつのなんといふ冷めたい寂しさが凝りついてゐるのであらう。そしてその冷めたいものの言葉をきくと、どうしても死、ただそれだけであるらしい。かうまで冷めたく死の一筋を辿つてゐるひとつの心に、彼は無力な満足を覚える思ひになるのであつた。  自殺。それをはじめて考へてから二十数年が流れてゐる。死にがたい人生ではなかつた。なんといふ生き易い人の世であらう。生きることは怠けることのやうだつた。  ゲラァル・ド・ネルヷルといふ男があつた。彼は今巴里にその名をとどめてゐる街頭で、街路樹に首をくくつて死んだのださうな。人が死ぬ。すると友達が追憶する。あの人は仁侠でした。あの人は吝嗇でした。あの人は天才でした。あの人は残酷でした。人々にはさういふ習慣があるものだ。詩人の世界も同様だつた。ネルヷルの友人達もそれぞれの追憶文で彼の一生を飾つてやつたが、彼等の評語に共通してゐるひとつの言葉は「怠け者」といふことだつた。ネルヷルは誰の眼にも掛値なしの怠け者であつたらしい。  野々宮は雑然たる百行よりも、一行の人生を愛すのだつた。ネルヷルもさうであつたにちがひない。そして、そのことが、すでにひとつの自殺なのだ。ネルヷルも亦生き易くて仕方がなかつたにちがひはなかつた。青史にその名をとどめるほどのこの怠け者の詩人ですら、自殺のために五十年を浪費してゐる。まつたく、自殺のために浪費してゐた五十年にすぎないのだと野々宮は思つた。そして彼は笑ひだしたくなるのであつた。生きることは、ただ、怠けることにほかならないのだ。  自殺とは人が自分を殺してしまふといふことではない。野々宮はさう思はずにゐられなかつた。すくなくとも、ここに純粋自殺とでもいふべきひとつのものがあつて、人が自分を殺すこととは種類が違つてゐるのである。  野々宮の心に常に冷めたいひとつの凝視が断えなかつた。その視凝めてゐるところが自殺ではないのだ。自殺がものを視凝めつづけてゐるのである。  この数年、常に冷めたい自殺の凝視を感じつづけて生きてきたのだ。否。怠けつづけてゐたのであつた。自殺の親愛な監視の下に、やうやく揺籃の中のやうな眠りをもとめることもでき、生き易い日々をむさぼり得たのだ。この冷めたい凝視。  今宵死ぬことも自然であつた。今歩いてゐるこの足で。  とにかく休む店はないかと野々宮は思つた。冷めたい凝視はそれでよかつた。今宵死んでしまふにしても、怠けるにしても。──想念の明滅がやりきれないのだ。砕けさうな頭の始末に困るのだつた。 「え、卓一さん」越後新報の応接室で大寺老人が言つたのである。「あんたも、ダンス習はないかね」  卓一は残つた仕事を片附けてくるからといつて、背延びをしながら立上つたところであつた。 「はははは。どうも退屈だな」  卓一は、肩先で扉をぐいと押すやうにして、姿を消してしまつたのだ。  野々宮にその想念が生々しく蘇つてゐた。堪えがたい不潔なあくどさだつた。「はははは。どうも、退屈だな」と。そして彼はふりむきもせず出て行つたのだ。なんてあくどい生活力の溢れた笑ひであることか。そしてぐいと押して行く肩。大きな股の運び。彼の背に閉ぢられた扉の音。共に生きることを許しがたい獣性の生活力を生々しく圧しつけられた思ひがする。その悪臭に面をそむけずにゐられないのだ。殺しても、あきたりない醜悪な動物力のかたまりだつた。  退屈! 退屈とは。ああ。なんとまあ動物的な生活力の溢れた言葉であることよ。退屈とは。まさしく彼にふさはしい醜怪な言葉ではないか。退屈でない事柄なら、どのやうな野獣の行為も平気であらう。そしてなほ常に体臭芬々たる絶えざる退屈を漂はすのだ。恰もどす黒い生肉のやうな陰惨な臭気を放つ退屈を。野々宮は絶望のために喪失しさうな憎悪にかられた。共に生きることを欲しないせつなさだつた。彼は卓一を殺したかつた。あの動物奴の血を見たい。したたる血を。──気を失つてしまひさうだ。わかるのは頭の鈍痛のみだつた。ひろがりと、太さの涯が知れないやうな鈍痛のみだ。  野々宮は西堀へでた。堀沿ひの柳の下に、屋台のおでん屋を見付けて、はいつた。まもなくそこを追ひだされると、彼の背後に、屋台もすでに燈りを消さうとしてゐるのだつた。  彼は歩いた。時々彼は気がついた。今ゐる場所に。そしてそこまで歩いてきた意識の中断が分るのだつた。もとより酔つてゐるのではなかつた。いくらか酒も呑みはしたが、酔ふほど飲んだ覚えもないし、酔つた覚えもないのである。わかるのはただ想念の明滅と、その底に厚さをもつた涯の知れない鈍痛だつた。とにかく、どこかに、夜明しの飲み屋があるに、相違ないのだ。  野々宮は小さな路へはいつてゐた。軒並に概ね軒燈は消え、両側から黒い形が迫つてゐるが、その各々の家の構えは暗さのために外形の不確かなのが多いのだ。やがて一軒の酒場らしい戸口を見出して、野々宮は軽く扉を押してみた。扉の開く予想をもつてゐなかつたので、押した力は極めて弱いものだつたのだ。と。扉は然し開いたのである。彼の押した方向へ、音もなく、すでに開いてゐるのであつた。待たれたやうな手応えのなさで。  内部の冷めたい暗闇が彼の顔に走りかかつてくるやうだつた。何者か、さらに飛びかかる気配もあつたが、しばらく彳んでゐるうちに、やがて気配も死んでゐた。わかるものは静さだけ。ここはたしかに酒場らしい、と野々宮は思つた。すでに人々はねたのであらうか。奥に小さな物音もなかつた。今に突然燈りがつくにちがひない、と野々宮は自分の心に言ひきかした。部屋いつぱいの皎々たる白い光が。その思ひつきが、野々宮に子供のやうな遥かな心を与えるのだつた。そして突然賑やかなざわめきの中に我に返つてゐるだらう。人もゐる。そして音楽も響いてゐるのだ。皎々たる部屋いつぱいの輝きの下で。  野々宮は扉に近いひとつの椅子に腰を下した。ここはいつたいどこだらう。何よりも、自分は今まで、どこに何事をしてゐたのだらう。たしかに酒も飲んだやうな記憶がある。そこを追はれた記憶もあつた。それはちやうど一年前の古い記憶であるやうな、遠さのみが感じられた。まるで夢の中のやうだ。あるひは夢であるかも知れない。その思ひは彼に笑ひを与えかけたが、笑ひたくない実感も、いくらか流れてくるのであつた。  部屋にはりつめた冷めたい暗さに、苦痛と恐怖が失はれてゐた。否。この部屋の闇の中には、はじめから苦痛も恐怖もなかつたやうな気になるのだつた。その思ひが自然彼を落付かせた。  気がつくと、街燈の淡い光が線の窓掛を透して、幽かに室内へ流れてゐた。街燈はどこにあるともわからない。そして室内へ流れる光は、窓掛の色のために、緑色の光芒に変つてゐた。ちやうど野々宮の横手に鉢植えのかなり大きな樹があつた。降誕祭の祝木に使ふつもりのものらしい。房々と枝葉の垂れた、樅の種類に相違なかつた。緑色の光芒はその中辺の一部分へ流れてゐた。幽かな、そして、やはらかな光であつた。安らかだ。なんといふ切なさだらう。このところ墓なりと光の言葉が語るやうだ。そしてここにねむる人の憩ひの哀れと安息が静かに宿つてゐるやうだ。やはらかな光。そしてこの安らかさ。  野々宮は自然にひとつの呟きを思ひだしてゐた。あはれみたまへ、と。そして野々宮は呟いてみた。なんとふさはしい祈りであらう。この幽かな光芒のためにまさしく用意されてゐた唯一の切ない言葉のやうな思ひがした。恰も彼は揺籃へ帰つたやうな思ひであつた。心はすでに古い国へ帰滅してゐた。そして自然に意識を喪失してしまつてゐた。  扉があいた。そして人が這入つてきた。軽い騒ぎが起きかけやうとしたらしい。一瞬間のことである。そしてすべては事もなく、やがて過ぎてしまつたらしい。一日の仕事を終つて、夜食をもとめに出てゐたらしい数名の女達が帰つてきたのだ。二言三言問答はあつたであらう。然し事もなく。野々宮は思つた。彼はすでに夜の街路を歩いてゐた。事もなく、ひとつのことが終つたらしいな。ひとつの夢の出来事が終つたやうに。……彼は歩いて己れの宿へたどりついた。 三  文子に男のできたことを左門は信じはじめてゐた。杞憂であつてくれればいいがと希ひつづけてみるのであるが、心はしぜん希はぬことを信じるやうになつてしまふ。何を証拠にと言はれても困るが、感じがすべて同じ疑惑を深めてゆくのは、いつそう堪まらぬことでもあつた。  文子が年末の買物にでかけるといふ一日のこと、左門も街の賑はひを見に一緒にでかける気持になつた。もう見おさめだといふ思ひが、なにごとにつけても、一応しぜんに流れるのである。  百貨店で文子が買物をしてゐるあひだ、左門は隣りの売場の陰で、煙草をふかして休んでゐた。三人連れの高等学校生徒が制服にほう歯の下駄といふいでたちで、文子のまはりへ狙ひをつけて集つてきた。お嬢さん買ひ物ですか。その荷物をもつてあげませうか。そつちを僕が持ちませう。僕もなにか一品もたせてもらひたいな。おい番頭さん。これをお買ひあげださうだぜ。わはははは。勿論彼等は連れの左門が隣の売場にゐることに気付かなかつたので、やがて文子が上気して、うはづつた表情をしながら、左門のところへふら〳〵急いで行くのを見ると、驚いて逃げてしまつた。  左門はさびしい思ひがした。どんな人なかでも誇りえた文子であつた。今はもう……さうして、このごろの彼の憂ひがやつぱり杞憂でない思ひがたかまるのだ。男達の最も低いそして下劣な感情につけこまれる隙がある。まるで商売女のやうに。あの断髪がそれである。そして頬紅。そして眉。なによりも然し文子の心の構えが、男の低い感情につけこまれる余地をつくりあげてしまつたのだ。もはや文子は二度と帰らぬものとなつて、飛びさつてゐる。左門はせつなく信じざるを得なかつた。  ──つけこまれるのは是非もないが、と、左門は嘆かずにゐられなかつた。せめて無礼な若者どもの横ッ面をはるぐらゐの気概があつて欲しいのだ。どうにでもなる玩具のやうな、たよりなさがなさけない。そして左門は慨嘆のあまり一途な若々しさに苦笑を覚えてしまふのだつた。 「はて面妖な家へきたぞ」と、他巳吉が夜毎に大声で怒鳴りながら、裏口からやつてくるのだ。「歩きすぎたと思つたが、西洋まで歩いてきたかね。年寄りはいつも留守番。娘はダンスにおでかけだ」  響いてくる他巳吉の声をきくたびに、左門は身を切られる思ひであつた。せめてひそかな不安と嘆きを、他巳吉にだけ打開けたいと欲したが、さて他巳吉の顔をみると、そのことほどむしろ為し難いものはなかつた。むしろ反抗を感じ、揶揄をもつて報ひたい皮肉な思ひにもなるのであつた。 「夕方がくると余念もなくお化粧をはじめるのだが、それは見てゐる私に若者の豊かな生活を考へさせ、枯れ果てた私の物思ひにも、若干の蘇る血を与えるのだね。あなたも年頃の孫娘がおありだから、思ひ当りもあらうと思ふが、老人の衰えをふせぐためにも、身辺に若者の世界があることは、何かと結構であるらしい」  皮肉の言へる左門ではなかつた。心に皮肉も欲してゐたが、述懐は彼の偽らぬ素直な心のひとつであつた。左門は泣きたくなるほどだつた。 「老人の心は無力だね。ただ事勿れと欲してゐる。老人のみではないのだね。人の心が諦らめに馴らされすぎてゐるやうだ。大寺老。あなたはその波瀾のない一生を悔ひる思ひがないだらうか。私にそれが絶えないのだ。私はそして言はなければならないのだね。私は欲してゐたものを常に怖れて老ひてしまつた、と。人は常にそのやうでなければならぬものだらうか。私は時に腹立たしいのだ」  大晦日の夜だつた。老人達の衰えの国に、波瀾がはじめて表面へでた。  大晦日も所によつて様々な特殊な行事があるであらうが、この市では、社の境内に焚火がはじまるくらゐのものだ。注連縄や御礼のたぐひをぶらさげた老若男女が社の鳥居をくぐつて行く。焚火の中へそれらの物を投げこんで戻つて行くのだ。ただそれだけのことである。何事によらず華やかな行事の尠い町だつた。  他巳吉は例年の習慣通りに、この町の目ぼしい社を一巡して、白山神社で打ちとめると、左門のもとへ立寄つた。ちようど卓一も来合してゐたが、文子はこの日も外出だつた。この一年の終りの日にも。  便所へ立つた他巳吉が、突然便所で喚きはじめてゐたのであつた。 「変化の棲家へ迷ひこんでしまつたぞ。さて逃げるのに一苦労だ。お茶もうつかり飲めないぞ。ここの饅頭は馬の糞だ。年越そばは蚯蚓だね。ええ。汚ない。げえ。げえ」  他巳吉は戻つてきたが、茶の間の中へはいらずに、廊下をのしのし歩きはじめた。そして新らたな大声で喚きはじめた。 「かまきり親爺はいつも眼の玉をむいてゐるが、このどんぐり眼は義眼だね。今日は一年の大晦日だ。あしたは一年のはじまりだ。どこかのうちの嫁さんは親爺を残してあひびきだとさ。親爺は平気の平左衛門だね。涼しい顔で、すましてゐるよ。膝小僧のお給仕で年越そばをもしや〳〵食べたね」  他巳吉はふッふッふと笑ひを殺した。彼は廊下を頻りに往復してゐるのである。襖のために彼の姿は見えないが、巨体のために廊下のきしむ跫音は大きかつた。さらに一段と大声で喚きつづけた。 「相手の男は、もぐりの医者だとさ。名題の女たらしだとさ。前科者だとさ。後家といふものはもともと助平のものだとさ。男の口車に乗るものと相場がきまつたものだとさ。かまきり親爺は涼しい顔だとさ」  他巳吉は再び笑ひを噛み殺した。然し次の瞬間に突然彼は狂人のやうに叫んでゐた。破れ鐘のやうな声だつた。 「畜生め! 出て来い! ずべた奴! 貴様の性根を直してくれるぞ。松の木へ逆さに吊して、殴つてくれるぞ!」  他巳吉は廊下を踏み鳴らした。 「貴様の髪の毛も切つてくれるぞ! 踊る足も折つてくれるぞ!」  なにはともあれ友愛が高処に於て変形したやみがたい怒りであつたに相違ない。  他巳吉は襖をあけた。そして襖の間から剽軽な首だけ出して、二人を見た。突然彼は笑ひはじめた。そして襖を開け放すと、部屋の中央へのめるやうに転がりこんだ。彼は脾腹を両手で押へた。伸び、ちぢみ、ころげ、うつむき、あほむいた。笑ひは杜切れ、またつづいた。もはや悲鳴のやうだつた。然し笑ひは呼吸と呼吸の隙間を破つて溢れだしてくるのであつた。そして長い苦闘ののち、彼は最後に死の真似をして見せたのである。かうして、ひとつの年が終つた。  新年がきた。  世捨人さながらの左門であつたが、さすがに春の三ヶ日はいくらか邸内も賑ふのである。来客のひとりに野々宮がゐた。  左門の頭を離れない言葉があつた。他巳吉の喚きなのである。どこかの嫁があひびきにお出かけだとさ。他巳吉はたしかにはつきりさう喚いたのだ。男はもぐりの医者だとさ。名題の女たらしだとさ。と。──かねて左門の心にも、それに類した憂ひの翳はうごいてゐた。まさかに、と、然し左門は打消さずにはゐられなかつた。他巳吉の言葉であるために、彼は一層反抗したいのであつた。  他巳吉は出来た人ではあるが──左門は思つた。そして苦労人ではあるが、幼小からの辛苦のために、いくらか心もねぢくれてゐる。右と言へば左と言ひたい我儘な人だ。そして人をいやがらせるのも好物らしい。子供のやうな人でもあつた。  あの放言は、秘策を凝らしたつくりごとに相違ないと左門は思つた。否。思はずにゐられないのだ。あの放言をどうして信じてゐられよう。余命いくばくもないこの老骨の残りの一滴の血潮にかけても。  然し彼は他巳吉に一応訊きただしてみたいのだつた。そのどこまでが真実であるか、と。然しそれができないのだ。どのやうにしても、できないのだつた。やつぱり不安があるのであつた。一足すべりかけたら、どこへ行くのか分らない。巨大さのゆえに、その実体すら感じかねる不安であつた。然しやみがたい反抗もあつた。  野々宮のやつれた姿を見ると、左門は一途に親しさのみを感じるのだつた。自分の影すら見出すのだ。眼高手低が、あの人の恐らく一生の癌だね、と左門は卓一に語つてゐた。 「春がすぎたら、静かな日、私はあなたと語りたい」左門は野々宮に言つた。春の賑やかな人々の中に、野々宮のみが悄然としてゐた。「平日の静かさが戻つたら、ぜひとも訪ねて欲しいものだね。なにせ老人の無聊は涯のない砂径を歩くやうです。あなたの訪れを待ちかねてゐませう」  七草がやうやく過ぎた。左門の正月はすでに一段落だつた。そして文子は久々に故郷の春へまぢるため、その朝実家へ出発した。  ひとりの午後を迎えると、左門はふと野々宮を訪れる気持になつた。ひとたび野々宮のことを思ふと、百年の知己に寄せるかのやうな親しいものを抑へることができなかつた。野々宮が執筆中の伝記の主は、二人とも生前左門の親しかつた人々で、その出来栄えは彼に一入興深いものでもあつた。眼高手低。それはまた、左門の一生の癌でもあつた。老ひ、衰えたこの身は捨てて悔ひもないが、左門は思はずにゐられなかつた。あの年若い友達の多幸を祈らずにゐられない。然し左門が野々宮に寄せるこのやみがたい友情には、恐らくほかに理由もあつたに違ひない。それは他巳吉の喚きであつた。  諦らめの極まるところに微した左門であつたけれども、他巳吉のあくどい喚きがもたらしたこの大いなる不安を支えて立つためには、ひとりは余りに弱かつた。そして他巳吉の友情も罅のはいつた感じであつた。親しすぎ、また狎れすぎた憾みもあらう。とにかく心はおのづと逆ふばかりであつた。そして不安を分ちあつて支えるためには──むしろ二人の友愛は、不安を深かめ、苛立つために役立つばかりにすぎなかつた。新らたな友をもとめずにゐられなかつたに違ひない。 「わづか四五日のことですが、文子を里へ帰したので」左門は野々宮に言つた。「このやうに諦らめに慣れた老いぼれですら、身辺にひとつの気配が不足すると、ひとつの力を落したやうな思ひになる。幾たびか親しいものを失ふことに慣れてきて、昨今はすでにわが身を失ふことにも諦らめながら、人のみれんはこのやうなものかね」  左門は遂に心を決して、その一週の不安をもらした。 「うちの文子に男の噂があるさうだが」左門は静かに言つた。「もともと私の迂闊であつた。人の心は弱いものだね。別して女は。あやまつことが人の自然の状態なのだ。私は自然をいたはりたいが、人の世に生きるためには、不自然を敢てすることが必要なのだね。自然であつてならないことも人の世の自然なのだから。七十にもなりながら、人の笑ひを招くやうな不明を犯した私がせつない。親の慾目といふものもある。親の屡々陥り易い弱点に迂闊であつた私がなにより悪いわけだが、また人の世の体裁ぶつたまとまりに、腹も立てたい思ひもあるのだ。大寺老人の話によると、文子に男があるとかいふ噂が立つてゐるさうだが、あなたに御気付きのことはないかね。大寺老人の話の前から、同じ不安もあるにはあつたが──私は然し文子をとがめることはできない。弱い心をむしろ劬はる思ひが激しい」  野々宮はその後文子と踊つたことが殆んどなかつた。文子は知りあひの踊子をたよつて金雞舞踏場へでかけるらしい。ただ一回の踊りによつて文子は野々宮を嫌つてゐたし、その反撥が鋭く野々宮にひびいてもゐた。そして文子の平凡さを厭ふ思ひを強めるのだつた。あの女が男にもとめうるものは肉体だけにすぎないだらう。ただそれだけの能力が可能の女にすぎないのだ。機智もなく、その感情に閃く高いものもなく、そして高いあこがれもないのだ。まして愁ひにつながるものは翳もなかつた。低俗な男達の玩弄にしか価しない女であらう。その平凡さと、無気力すぎる素直さの裏に、男の低俗な意志と劣情によつてのみ歪められ育てられうる動物的な危なさが感じられ、野々宮に不潔の感をいだかせた。  文子とはじめて踊つた夜。あれは苦痛な一夜であつたが、夢のやうな一夜でもあつた。そして野々宮はその翌日から殆んど文子を忘れてゐた。彼に新らたな夢の国がひらかれてゐたから。緑の幽かな光をみた深夜の酒場が、翌日の彼の頭に焼きついてゐたのだ。  あのとき、扉を押して暗闇のなかへ這入つてきたのは、確か三人の女達であつたらしい。女達は野々宮を認め、たしか叫びをあげかけたやうだ。そして騒ぎが起きかけやうとしたらしい。然し彼女等は酔漢になれてもゐたし、時ならぬ深夜の酔漢の訪問にもなれてゐた。もともと鍵をかけ忘れて出掛けたことが間違ひだつた。なぢみの一人が酔ひどれて、迷ひこんで、ねたらしいと思つたのだらう。 「誰よ。あんたは」さういふ声にも知り人を予期する心がこもつてゐたのだ。燈りがついた。そして野々宮は落付いてゐた。  野々宮は静かな声で女達に語つた。 「夜明しの酒店を探してゐたのです。ねむることができないから。さういふ店がどこかしらにある筈だと思ひこんでもゐたからです。街といふ街を歩いたやうな気がするのです」 「そんな店がありますかつて!」と、洋装した女のひとりが怒つて叫んだ。三十前後の年配だつた。外套を羽織つてゐたが、腕を袖に通さないので、両袖はだらりと垂れてゆれてゐた。奇妙にそれが歴々と彼の印象に残つてゐたのだ。この女はいつぱし肩を怒らして、胸のあたりに両腕を組んでゐたやうだ。恐らく酒場のマダムであらう。怒気いつぱいの、その単純な腹立ちやうが可笑しいのだつた。 「そんな変挺な店がどこの国にありますかつて!」と女は腹立ちまぎれに、もう一度くり返して叫んだ。「びつくりさせるぢやないの。心臓が破裂したかと思つたわ」 「あるひは僕の方も」野々宮は笑つて答えた。「許しを受けた、静かな安息の場所のひとつに相違ないとうつかり思つてゐたのです。ひどく疲れてゐたのです。頭が痺れて、思念も杜絶えがちなのです。かういふ結果を予想してみた一秒の時間もなかつたのでした。この椅子に腰を下して以来、僕の頭を占めてゐた不思議な空虚は、説明の言葉がありません。ただ安らかであつたことは、言へるのですけど」  そのときは長い夢から目覚めた思ひであつたけれども、翌日の心で思ふと、やつぱり夢の中だつた。不思議な落付きと安らかさは、あのときもまだ続いてゐたに相違ない。二言三言の説明で女達にあの安らかな空虚な憩ひが納得できる筈はない。否。恐らくすべての人達に。自分にすら、すべてが夢のやうなのだから。 「私達が帰らなかつたら、あなたは朝までゐるつもり?」  女も怪訝の面持だつた。然し野々宮の落付きが、危険のなさを女達に伝えることはできたらしい。怒気と敵意は、女達に、もはやなかつた。 「まつすぐ帰つておやすみなさい。起きてる店はもうないから」女はもはやうるささうに言ふのであつた。「夜明しの店なんか、日本中に一軒もないよ」  女の最後の皮肉な言葉を思ひだすと、野々宮は再び可笑しくなるのであつた。単純な、然し生き生きとした魂に、ふれた思ひがするのであつた。  休む店は恐らく地上にないだらう。野々宮に安らかなものが流れてゐた。そして彼は呟いた。地上に休む所はない。恐らく単純な魂の宿る家をほかにしては。──あの酒場を探しださう。そして女に再び会はふ。あの単純な魂の女に。  夜がきた。野々宮は酒場を探しはじめてゐた。そして探しはじめると、意外の困難が分るのだつた。  心覚えの一劃を幾たび往復してみても、昨夜の酒場はないのであつた。心覚えの一劃が、すでに別の場所であらうか。そのとき雪が降りだしてゐた。牡丹雪だ。暮れかけた夜の街へ、ひどくのんびり落ちはじめてゐた。それからすでに四時間ちかく過ぎてゐたが、酒場は皆目見当らなかつた。野々宮は時々ほかの店で休んだ。そして思ひださうとした。昨夜のすべての歩いた道を。──西堀の柳の下の屋台店は、今宵もすでに燈りがはいつてゐるのである。してみれば、あながち夢ではないのであつた。雪がつもつてしまつてゐた。  とにかく緑の窓掛だ。店の構えに心覚えはないのだから。そして窓に近い場所に、右か左か知らないが、とにかくひとつの街燈がなければならない筈だつた。  然し野々宮の捜査の足は自然に小さな一劃へ限定されてしまふのだつた。そのどこに心覚えがあるのかと言はれてみると、分らなくなる。とにかくその一劃を歩いてゐると、前夜たしかに歩いたといふ親しさだけ分るのだつた。そして一劃を出外れると、知らない国へはいつたやうな何か白らける思ひがして、心が冷めたくなるのであつた。よりどころは、ただそれだけにすぎないのである。そして野々宮の捜査の足は、いくたび出発し直しても、結局ここへ戻つてくるのだ。同じ一劃をいくたび歩いてしまつたらう。  その一劃に、漠然としたすべての記憶を綜合して、ここでなければならないといふ地点があつた。まさしくそこに一軒の酒場があるのだ。野々宮はすでに三度そこの客となつてゐた。女給達に昨夜のことを語つてみても、知らない、と言ふのみだつた。  なるほど内部の様子が違ふ。内部こそ、まさしく彼に鮮明な記憶があるのだ。否。内部こそ記憶がなくて、なんとしよう。まづ何よりも植木であつた。そして緑の窓掛である。そして植木の陰にある椅子の位置が忘れられない。そしてこの酒場の内部は、まつたく記憶と異つてゐた。  やつぱり違つてゐるらしい。彼は諦らめて立ち去るのである。然し再び探しあぐねてこの一劃へ戻つてくると、どうしても同じ店へ彼は這入らずにゐられなかつた。どうしても諦らめきれないのであつた。その執拗さが自分にはつきり分るたびに、彼は泣きたくなるほどだつた。同じ酒場へ再び這入つて行く足をとどめることができないのだから。  すでに三たび目になつてゐた。  女給達の呆気にとられた顔をみると、彼は絶望したやうな苦笑と放心を浮かべるのだつた。然し彼は素早く室内の模様をたしかめることを忘れなかつた。幾たびたしかめなほしてみても、結局同じことだつた。まつたく違つてゐるのである。降誕祭が近づいてゐるので、同じやうな植木はあつた。然し位置が違つてゐるし、窓掛が緑色ではないのである。椅子の配置も彼の記憶と違つてゐた。まづ何よりも女達が昨夜の女と違ふのだ。 「この窓掛は今日取変えたのではありませんか」と、野々宮は無駄と知りつつ尚執拗にききたださずにゐられなかつた。残る疑惑はもはやそれだけであつたから。 「そして女達も今日変つたかと言ふのでせう」と、ひとりの女がにこりともせず嘲つた。「よほどの美人とみえますね。ほかをせつせと探しなさい。とにかくここではありませんから」 「おかしいと思ふでせうね」と野々宮は立腹もせず、穏やかに言つた。「然し明日を予定しない人達は、すべてを今日に賭けずにはゐられぬものです」  そして彼は道へでた。もはや雪がつもつてゐた。どうしても探しださう。彼は心に叫んでゐた。たとひ一夜歩きつづけてしまつても。そして朝は、雪のつもつた甃の上に冷めたい屍をさらすにしても。女に会ひたい思ひよりも、女を探す決意の方が、遥かに激しくなるのであつた。あまり悲愴な決意のために、面影すらもさだかではないひとりの女が、せつない祈りで探しもとめる地上の唯一の女に見えた。  けれども酒場はやつぱり実在したのであつた。しかも、やつぱりその一劃に。  野々宮の最も曖昧な記憶であつたが、自ら筋道だけは残つてゐた。そこは横町の筈だつた。広い道ではなかつたのだ。そして酒場をでて横町を曲ると、そこが西堀であつたことを覚えてゐた。してみると、この酒場の所在地は、西堀と古町をむすぶ横町の筈なのである。──これが捜査の鉄則だつたが、また失敗の原因だつた。酒場は袋小路にあつたのである。  野々宮はすでに幾たびか袋小路を素通りしてゐた。広い道ではなかつた筈だが、これほど狭い露路の奥ではあり得ない印象だつた。両側から建物の黒い威圧が頭上にかかつてゐた筈だつたが、それでも道にはゆとりのあつた思ひが絶えない。そして心に問ふまでもなく、袋小路は問題外に置かれてゐたのだ。そこにも酒場はたしかに在つたが。  もはや最後の時間であつた。すでに十二時にちかかつたのだ。野々宮はまつたく期待を懐かずに袋小路へ這入つて行つた。入口の感じも、記憶のものと異つてゐた。彼は諦らめて扉をあけた。一目見た内部の様子も知らない国の感じであつた。眼深にかぶつた帽子をぬぐと、厚味の深い雪がつもつてゐるのである。いふまでもなく外套も、そして首巻も雪だらけだ。顔も一面滴に濡れてゐることに漸く気付くのであつた。然し身体は、長い歩行にむしろほてつてゐるやうだつた。彼は扉の片陰の肱掛椅子に腰を下した。すると思はず立上りかけてゐたのであつた。そこに緑の窓掛があつた。そして植木が──やつぱりさうだ。降誕祭のあの鉢植えが彼の肩にかぶさるやうな枝を垂れてゐることに、はじめて気付いたのであつた。  十七八の若い娘が野々宮の正面に坐つた。そしていくらかためらつてから、言ひにくさうに訊ねた。 「まへに、いつか、いらしたことなかつた?」  なにやら好奇なものの閃めくその眼の色も、野々宮にすべてもはや了解できることだつた。彼は静かに頷いた。 「昨夜。真夜中に」  娘はやにはに立上つた。返事もせずに。突然口を袂で押えた。かたへの長椅子へ走つて行つて、物も言はずばつたり倒れた。笑ひくづれたのであつた。 「やつぱり、さうだわ」喘ぎながら娘は言つた。「やつぱり来たわよ。お姉さん」  娘の狂つた哄笑が部屋いつぱいに籠つてゐたのだ。そして単純な心の女が、やがて彼の眼の前に現れてゐた。  すでに野々宮は落下する思ひであつた。無限に落ちてゐるのである。すでに頭上に青空もなかつた。落下をとめる手掛りもなかつた。無限の落下と無限の暗さが、わかるすべてのものであつた。  落下の意志はひとつだつた。この女に恋する以外に仕方がない。……それが落下の言葉なのだ。たしかに、仕方がなかつたのだ。なんといふ青空のない切ない希望であることか。暗らかつた。そして、やりきれない思ひであつた。すでに定められた一生の予感のために。けれども彼は、この単純な心の女を愛すために、一途に急がねばならないのだつた。  二人の愛が急速に進んだ。  野々宮は、自分の姿が、ただ一匹の蝙蝠にしか見えなかつた。しかもこれは季節外れの、冷めたい真冬の蝙蝠だ。たそがれがくると街へ降りる。寒風に吹きながされて街を辿り、そして長い冬の一夜、暗い酒場の片隅へかたまりついてしまふのだつた。 「危険なことにならないかね」と大谷が野々宮に忠告した。「あの女には正式の良人も子供もあるのだぜ。それとも君の一生を賭けるほどの愛情かね」 「この愛情を背負ふまでもなく、すでに人の十字架のすべてを背負つてしまつたのだから」野々宮は冷めたく笑つて答えた。「ありふれた危険や暗らさは数の中でないほどでせう」  まづ何よりも、やがて死んでしまふ身なのだ。そして女が、野々宮のひそかな意志から独立して、これもむしろ死ぬことを生に代えて悔ひない心を育ててゐた。 「私いつでも死んぢまへるわ」と女は笑つて言ふのであつた。「だからいつも子供のやうに、胸いつぱいに楽しいよ。活動も見たいな。チョコレートもたべたいな。そしてぐつすり睡りたいな。睡い。睡い。睡い……」  野々宮は心に苦笑を洩らさずにゐられなかつた。単純な心の女よ。然し彼が死なうかと言へば、女は常に欣然として、うんと答えるに相違なかつた。女の名はサチ子と言つた。  ある日野々宮は大谷とサチ子等と連立つて、金雞舞踏場へ踊りにでかけた。文子がゐた。彼女は男と踊つてゐた。 「君に挨拶した女、あれが田巻家の未亡人かね」大谷が野々宮にささやいた。「相手の男があの人の友達なら、事態いささか穏当を欠くぜ。あいつは高梨といふもぐりの歯医者だ。つひ先だつてまで、前田医院のへつぽこ助手さ。金歯の細工に浮身をやつしてゐた奴だ。近頃さる後家さんをひつかけて、開業したての悪党だよ。免状も持たないといふ風評の奴だぜ」  前田医師といふ人が素朴愛すべき好人物だが、日頃色情沙汰の絶え間ない中老人で、高梨に弱い尻を握られてゐる節があつた。そのことが何かにつけて高梨ののさばる利益になるらしい。さういふ大谷の話であつた。 「袖すり合ふも多少の縁だ。どれ」大谷は立上つて、暫く踊子と踊つてきた。 「あの後家さん踊子の評判が甚だ悪いぜ。山だしのやうな、すこし足りない感じだね。そのくせどうも、すべて色つぽすぎるぢやないか。即ち猥褻の感じだな。毎日やつぱり彼奴と踊つてゐるのださうだ。悪党め網をはつて、獲物を待つてゐたらしい。ええ、畜生。どうも癪にさわる感じの野郎だ」  さういふ出来事があつたのだつた。  野々宮は歴々と記憶してゐた。高梨と踊る文子の様を。また野々宮に挨拶した文子の様を。そこには最も鈍感な、そして低い内容の媚態のみが感じられた。不潔さのみが頭に宿つてしまふのだつた。 「大寺老人の話によれば男はもぐりの医者だとか、そのやうな話であつたが」左門は静かに言ふのであつた。「私は然しあの人の話を必ずしも信じたいとは思はぬが」 「その人は高梨といふ歯医者でせう」野々宮は左門の言葉を極めて冷めたくさへぎつてゐた。「もしその男が文子さんの踊りの相手でしたら、高梨といふ歯科医の筈です。お二人を僕もお見かけしてゐます」  左門はすでに底知れぬ絶望へおちこんでゐた。あまり一途な絶望のために、野々宮の言葉に含まれた冷めたさにすら気付かなかつた。然し野々宮の冷めたい言葉は、なほ残酷に左門の絶望を追ひかけてきた。 「お宅の若奥さんの踊り相手としては、穏当を欠く人物のやうです。近頃さる後家さんの出資で開業したての歯科医だとの話ですが、実は免状もない人だとか、とかくの風評があるらしい人物ですね」  左門の身体を冷めたくきざんでくるやうな細い静かな声だつた。そして左門の絶望をたのしむやうな冷めたさだつた。むしろ悪意があるやうにすら見えるのだ。文子の与えた不潔さが、これほど冷めたく反撥せずにゐられぬほど、彼に厭はしいのだらうか。然し異常な嗜虐癖がうかがへるほど、その冷めたさは、血の気の通はぬものにも見えた。 「その人はどこに開業してゐるのですね?」と左門は訊ねた。 「存じません」野々宮は答えた。「人にきいた話によれば、せんだつてまで前田医院の助手をしてゐた人ださうです。舞踏場に網をはつてゐる悪党のひとりのやうですね」  左門は野々宮にいとまをつげて外へでた。途方に暮れた思ひであつた。どこへ行き、そして何事をなすべきであらう。  前田歯科医は、左門も歯痛の起きるたびに、世話になつた覚えがあつた。恐らく文子も世話になつてゐる筈だつた。  ──とにかく前田医院へ行つてみやう。  左門の思ひ得た唯一のことは、そのひとつしかなかつたのだ。  せめて今文子が家にゐてくれたら。家へ戻り、そして文子の顔を見て、心もいくらか、やすまるであらう。然し文子はこの朝実家へ帰つたばかりだ。そしてあと一週間もたたなければ帰つてこない。くつたくのない若い女よ。それを思ふと左門は淋しい思ひの中に、心に花の咲くやうな、小さな明るいいぢらしさを感じるのだつた。  前田医師は四十五六の小柄な、そして木訥な人物だつた。羊のやうな柔和な眼が、何物をも正視することができないやうに、始終おど〳〵してゐる。一般に医師はお世辞のいいものだが、この人は世間話もできないのだ。その日の天候の挨拶にも、自然に口ごもつてしまふのだつた。  ちやうど左門が高梨の話をきりだした時であつた。前田夫人が茶菓を運んで這入つてきたが、高梨の名を耳にすると、出しかけた片足が思はず止つて、一瞬時立ち竦んでしまつたのを左門は偶然認めたのだつた。夫人の驚きの表情を見のがすことがなかつたのだ。前田医師は夫人の様子にむしろいくらか狼狽して、素朴な怒りをあらはしかけたが、持つて行き場に困じ果てて、やがてこの好人物は自然にうつむいてしまつてゐた。  左門は暗い予感を受けた。然し夫人が立ち去つてしまふと、前田医師は別段わるびれた様子もなく、問はれるままにポツリ〳〵返事をした。それは要するに結局次のやうなとりとめのない一句につきる内容だつた。 「あの男は、どうも」と、この木訥な人物は同じことをくりかへし言つた。「私のところに一年ちかくをりましたですが、どういふ人物で、どういふ経歴の男か、立ちいつて聞いたこともありませんですので、私はよく存じませんです」  結局どういふ風に訊きただしても、それだけのことなのである。もともと始終おど〳〵と口ごもりがちに話す人で、それは敢て今日に限つたことではない。その話しぶりを聞いてゐると、左門はただ途方に暮れるばかりであつた。  左門は詮方なく前田医師に別れをつげた。もはや卓一に頼むほかには仕方がない。あれは新聞記者であるから、またその道の方法があつて、うまく調べがつくかも知れない。ところが新聞社へ行つてみると、まだ新年のこともあるが、もはや午を過ぎてゐるのに、卓一はまだ出社してゐなかつた。大念寺は新聞社から眼と鼻のところだから、左門はそつちへ廻る気になつたが、彼の老躯はすつかり疲れきつてゐた。然し卓一は大念寺の離れにもゐなかつたのである。  左門は益々途方にくれた。もう仕方がない。せめて他巳吉に会はうと思つた。見栄も意地ももはや捨てねばならなかつた。自分の疑惑をあらひざらひ打ち開けて、彼の助言をきかなければ居たたまらない思ひがした。そこで他巳吉を訪ねていつたが、彼も亦すでに外出したあとであつた。  せめて文子がゐてくれたら。──左門はすつかり疲れ果てて、洞穴の冷めたい空虚をみたしたやうなわが家へ辿りついてゐた。家全体があたかも死滅といふ気配の中へ沈んでゐた。突きはなされてしまつたやうな、手ざはりのない虚しい当惑。坐らうとしても、自然に膝がのびてしまつて、立竦んでしまふほかにはどう仕様もない有様である。  左門は文子の居間へ這入つた。うしろから見えないものが引き止めるやうな、這入つてはならぬ思ひがした。襖をあけ放してみると、然し主のない冷めたさばかりが、ひし〳〵とあらゆる隅から身体をせめてくるばかりである。鏡台があり、そして戸棚があり、人形があり、アルバムがある。それらのものは、持主の身辺に使はれてゐた暖かさを伝へるよりも、持主の不在の冷めたさのみを、むしろ冷酷なまでに反映してゐた。左門は腹のどん底まで、冷え冷えとさめきつて行く思ひがした。  文子の実家は遠い所ではなかつた。白根在である。白根町は新潟から信濃川に沿ふて三里足らず上つたところで、いはば隣りのやうなものだ。  左門は突然心をきめて、白根在へ車を走らせることにした。文子の父金井朝雲は、左門の古い政友であり、詩友であつた。彼も亦今は一介の好老爺にすぎない。名も棄て、慾も棄て、すでに死期を待つばかりの心であらうが、この若々しい寂寥に追はれ、あたふたと駈けつけた老友を、どういふ思ひで迎えるだらう。立場を代えて、左門の方が迎える側に立つたとしたら──結局は慰めらるべき言葉もなく、慰めるべき言葉もない。この老齢、この衰亡の過程のうちに、あらゆる言葉がもはや過ぎてしまつたといふ思ひである。顔見合はせて、恐らく苦笑を禁じ得ないばかりであらう。そのころ左門の生きがひは酒であつた。朝昼夜の食事の都度と寝前に各々二合づつ、一日に都合八合の酒をのむのである。医師に節酒をすすめられたこともあつたが、残された唯一の享楽を断つてまで生きながらへやうとは思はないと左門は答へ、いささか高揚された感動を覚えながら、思はず笑ひだしてしまつたのだつた。  金井朝雲はそのころ写真に凝つてゐた。どんな安物の機械でもいいのである。彼はただ物の実相を撮すだけで充分だつた。もとより技術も未熟であつたが、芸術的な構図なども、凡そ眼中にないのである。わが手によつて在るがままに再現されるそのことだけで、充分満足を覚えたのだ。あの景色を撮したい。そしてあの人も撮してをきたいと思はぬことはなかつた。そして彼は写真機をぶらさげ、流行にでたいと考へてゐた。然しそれもおつくうだ。考へてみると、あれもこれも撮したい、残してをきたいといふ思ひは実は軽い思ひつきのたぐひであつて、あの時のあの景色を撮してをけばよかつた、またあの人も撮してをけばよかつたといふ追悔ばかりが強いのである。さりとて写真機をぶらさげて、追憶の中へ旅行に出かけるわけにもいかない。結局はどこへ出かける張合ひも持てなくなつてしまふのだつた。雨さへ降らなければ写真機をぶらさげて彼は庭へ降りていつた。庭をひとまはりするうちに、そこにもあいて裏木戸をあけ、村をひとまはりするのである。そこは蒲原平野のどつちを見ても変哲のない水田で、畔道にはんの木の並木がつづいてゐた。土堤へ登ると信濃川だ。要するにそれだけの景色なのである。結局彼は写真機を手にぶらさげてゐるばかりで、何ひとつ撮さぬうちになんなく村を一巡してしまふ。時々農夫や子供の姿にレンズを向けてみたりするが、彼の手つきはこの上もなく不器用で、写真機をいぢくりまはしてゐるうちに、十分ぐらゐの時間がすぎてしまふのである。彼のまはりに集つてきた子供達や農夫達はすつかり退屈してしまふが、何よりてれてしまふのは、撮される当の農夫や子供であつた。それが朝雲の好みによつて、彼等が農夫であればその働いてゐる自然の姿を、また彼等が子供であればその遊んでゐる自然の姿を、彼等に予告することなしに撮すならはしを持つてゐた。写真機をいぢくりまはしてゐる十分間の長い時間に撮される当人達が気付かぬ筈はなかつたし、やがて見物の人達もあつまつてくる。そしてわいわい言ふのである。無意識を装ひながら意識してゐる彼等のつらさはなかつたのだが、朝雲は隠れをはせてゐるつもりか、一途に無念無想のていで、この上もない下手な手つきで延したり縮めたり長々と機械をいぢくつてゐるばかりである。 「俺の写真機が現れると、ちかごろは犬の奴もよけて通る」と、朝雲は笑ひながら言つてゐた。  左門が訪れていつたとき、暮方ちかい曇天の下で、折から朝雲は写真機をぶらさげ、ちやうど散歩から帰つてきたところであつた。 「おう田巻さん」半年ぶりに見るなつかしさよりも、写真の題材が遠路はるばるわざ〳〵やつてきたことが、まづ彼を上機嫌にしたのである。「なにはともあれ、一枚うつしてをかうかね」  迎へる人々のなかに文子の姿はなかつた。家のなかにも文子の気配はなかつたし、家人の言動にも文子がゐるとは思はれない節々があつた。  左門の心は果のない水底の暗闇へ沈む思ひがしたのであつた。もしや男と。もとよりさうでなければならぬ。その時までは、そのことを考へやうともしてみなかつた左門であつた。どうしてそれを思ひ得やうか! 今は然し仕方がなかつた。行くところまで行きついたのだ。憂ひや悲しさ切なさに縁が切れた感じがした。ひたすら心が暗いのだ。文子のことではないのである。彼自らの──恐らく生存のあらゆる愁ひが、もはやどうにも仕方がないと呟いてゐる。日が暮れ、そして生涯の幕がここに降ろされた暗さであつた。底冷えのする暮方ちかい庭に立つて、長々と機械をいぢくる朝雲のレンズの前に立ちながら、左門の思ひ得たひとつのことは、この暮れやうとする曇天のたそがれよりも、彼自身の行路の方が、すでに暮れてしまつたといふ悲しさだつた。 「文子はまだ見えてゐませんかな」と、座敷へ通ると左門は何気なくたづねた。 「文子がね。ほう。ここで落合ふ約束でしたか。まだ見えてはをらぬが」 「いや」と左門は軽くさへぎつた。「あるひは来ないかも知れません。温泉へでかけたのだが、温泉に退屈したら、里へまはつてくるかも知れぬと言つてをつただけのことです。若い者は、何屈託なう遊びまはつて、見るからに羨しい」  左門の胸に慟哭したい嘆きが宿つた。憎むべきものもなかつた。また厭ふべきものもなかつた。ただ日が暮れてしまつたのだ。すでに深く。物音もなく、そして静かに。すでに降りたこの暗夜を、人が、如何になし得よう。 「日毎々々に明日の日はなくもがなと思はぬこともないやうだが」と左門は静かな微笑を浮かべて語りはじめた。「その諦らめが私の心のすべてのものではないのですね。私はすでに遺言も書いてある。身のまはりは、みんな整理もついてゐる。いつなんどきでも死ねる用意ができてゐるが、さて、嘘といへば、これほど嘘のこともないのですね。私は生きながらえてゐたいのです。若々しい希望を失つた身で、生きる目的をきかれても困るが、さりとて死の苦しみが怖ろしいとも考へられぬが、要するに私はただこのままの現実にとりかこまれて、さうして無為に一日もながう生きのびてゐたいのでせう。私が生きながらえると同じやうに、私の身辺の人々も、常に変りなく生きながらえてもらひたい。そして、このさき生きながらえることができたら、これからやつてみたいと思ふ多少の慾もあるのですね。数学を学んでみたい。自然科学を学んでみたい。新らしい法律や経済の理論も知りたい。長生きの予約があるなら、私は明日にもやりだしたいと思ふてゐます。先日のことでしたが、青木普八の末男で、私の甥にあたる卓一といふ若者が、かういふことを訊ねたのです。つまり野心も性慾もなうなつた年寄を生かしてゐる最後の夢は何物だらうといふのですね。さて、何物であらう。私にも分らないが。然しさつきも言ふとほり、長生きの予約がないので多少の慾も持てあましてゐることを思ふと、もはや私に待たれてゐるたつたひとつの最後のものが、結局やつぱり死といふひとつのことであらうか。してみると、死といふものも、もはやこれも、夢のひとつであるかも知れぬ。私は笑つて答えたのです。なるほど私等のやうにもはや衰亡の過程のみが残された年寄にとつては、この面白くもない毎日の持続だけがせめてもの希ひのやうに思はれもするが、さてさうとのみ言へないものがないではない。かうしてあなたに会つてゐると、私の心に呟く声があるのですね。これが恐らく見納めであらう、と。何かにつけて私の心はそのやうに呟きたがつてをるらしい。ことさら悲しい思ひをして、諦らめのせつなさを、むしろその日の友達にしやうとしてゐるのでせうか。それほどまでに手段して、老後の生き甲斐を見付けださうとしてゐるのかも知れません。死にたわむれ、死に甘え、かつもてあそんでゐるらしい。今はもう、やがて死ぬといふことが、これが夢のひとつなのですね……」  その日左門は金井家へ泊つた。 四  左門は翌日新潟へ帰ると、さつそく越後新報社へ電話をかけて、社の退け次第、卓一に来てもらうやうに手筈をした。  もはや左門は徒らに暗愁にふける余裕はなかつた。彼は一途に焦慮にかられた。文子が不愍に思はれてならないのだつた。なるほど文子は軽率であつた。然し軽率を咎めることはもう遅い。  かつて左門は不安であつた。文子にきざしはじめてゐた魔性の心が、彼を裏切るときはないか、と。彼を捨て去るときはないか、と。そしてひとり取り残された悄然たる己れの姿を思ひ見るとき、左門は常にその侘びしさにせつなかつた。すでに行路に堪えぬであらう行暮れた愁ひを想像せずにはゐられなかつた。  然し文子に取り残された今の身に、悲しさはもはや不思議にすくなかつた。いよいよ最後の孤独の時がきたのだといふ実感すら、捨てられはしないかといふ不安のせつなさに比べれば、むしろ不思議に稀薄な感がするのであつた。そしてひとり取り残された絶望に落ちこむことが、我ながら奇妙なほどに尠いのだつた。  彼はただ一途に文子が可哀さうでならなかつた。親を裏切り、親を捨て、その悲しみの苦しさに疲れてゐるであらう文子よ。左門は思つた。人々の口の端に浮気者よと蔑みを受け、恐らくたのむ男にもやがて捨てられてしまふであらう文子。ひとりの味方とてないその行末を考へると、ただ不愍さがこみあげるばかりで、自分ひとりはあれを見捨ててはならないのだと心に誓ひを叫ぶたびに、涙が流れてしまふのだつた。  まづ第一に取計らはねばならないことは、文子の行方をつきとめることであつた。そして慰め、苦しみに傷んだ心を休めてやらねばならなかつた。そして第二に、やがて或ひは素知らぬ風を装ふて実家へ帰ることもありうるであらう文子のために、すでに左門が実家を訪れてゐること、そして文子は温泉へ保養にでかけたと出まかせの嘘を喋つてきたこと、それを伝えて、実父母の前で罪びとのやうな悲しい思ひをさせてはならないことであつた。また実父母に疑惑をいだかせ、ひいては老い先の知れた実父母に嘆きを与えてはならないこと、それもあつた。また露顕に羞ぢて、軽率な行動に走らしめてはならないこと、それを忘れてもならなかつた。左門の焦慮はもはや一刻の猶予もできない。徒らに心は走るのみだつた。  恋をすること、たまたま男が悪者であつたにしても、それは末の話だと左門は思つた。もろびとに有りがちなこの過ちを、咎めることはできない筈だ。不遜にも罪深い己れの心に眼を掩ふ者を除いては。文子に限つたことではなかつた。なんびともその弱点に負ける人こそいぢらしい。そして弱点に負けることの素直さもなければ幼なさもない成人ぶつた人々の手柄顔がにくらしいと左門は思つた。恐らくやがて浮気者よと文子を蔑むであらうところの人々に、左門はすでに沸々とたぎる忿怒を覚えずにゐられなかつた。ふと気がつくと、それはまた、ひとりの他巳吉へふりむけられた狂ほしい怒りに変つてゐることが、わかるのだつた。 「もともと後家といふものは助平だとさ」大晦日の夜、他巳吉は、たしかそのやうに鼻唄を唄つた筈である。「男の口車に乗るものと相場がきまつたものだとさ」と。  あまりあくどい揶揄ではないか。そして他巳吉の鼻唄はつづくのである。「男はもぐりの医者だとさ。名題の女たらしだとさ」と。  知らない昔はそれでもよかつた。厭やがらせにすぎないのだと思へばそれですむことだつた。揶揄の好きな他巳吉なのだ。然し今は、それでは済まない。他巳吉の鼻唄は、単純な厭やがらせではなかつたのだから。  他巳吉の鼻唄は事実であつた。文子に男かできたといふ風聞程度の事実のみではないのである。相手の男がもぐりの医者であることも、名題の色事師であることも。すべてが事実そのままだつた。他巳吉の捏造ではなかつたのだつた。  なんといふ冷めたい心の人であらう。事実を知つてゐたのなら、はやく教へてくれればよいのに。冷笑的な鼻唄にかこつけて、揶揄の道具にするのみとは。その残酷な冷めたさと意地の悪さに、左門はむしろ慄然たる感をいだかずにゐられなかつた。  他巳吉はその幼少から荒い人波にもみまくられ、辛苦を重ねてきた人だつた。それが彼を苦労人にも仕上げてゐるが、僻んだ心も植えつけてゐる。そして我儘な人だつた。その我儘は、むしろ左門が劬はつてやりたい悲しい我儘のたぐひであつた。  この残酷な意地の悪さは。左門は叫ばずにゐられなかつた。これは我儘のたぐひではなかつた。鬼の心にちかかつた。なんといふ無残なことをする人だらう。  どこかのうちの嫁さんは、あひびきにお出かけだとさ。親父は涼しい顔だとさ。他巳吉はその嘲りが言ひたかつたに相違ない。そしてひとりの無垢の女が道を外してしまふことを、悲しみもしない。ふせぎもしない。左門は青空もむしりたかつた。この一生の裏切りを受けた虚しい怒りが、せつないのだ。  ──なによりも、文子を手もとに引きとめてゐた私自身の我儘が、この間違ひのもとではあつた。左門はさうも考へてゐた。我身にすべてを負はずには、この裏切りのせつない苦さが堪えられない。さういふ心もあつたであらう。けれども我身を責める思ひは、流れるやうに自然であつた。  然し──彼は心に叫んだ。それほどまでに、我身ひとりが、苦痛を忍ばねばならないのか。孤独に堪えねばならないのか。文子を手もとにをきたかつたこの老ひぼれのかよはい希ひを、神も亦憎み給ふであらうか。  ──私の我儘も許しがたいに相違ない。然し私の我儘ばかりが、間違ひのもとではないのだ。あの卓一が……左門は思はずにゐられなかつた。そして卓一が憎かつた。  なるほど彼は胸にかくした計劃を卓一に語り忘れてしまつてはゐた。それは左門の落度であつたが、然し。左門は思ふのだ。この家を越してしまつた卓一が憎い。一週間と泊らぬうちに。無断で部屋を探しだして、下宿から下宿へ移るやうに、平然として立ち去つた冷めたい心が憎いのだ。眼に隙間を叩きつけられ、暴力的に捩ぢふせられた苦さであつた。そして孤独を押しつけられてしまつたのだ。卓一は、かうして去つてしまつたのだ。  あの卓一の我儘が憎い。卓一さへ立ち去ることがなかつたら、平穏は破れるときがなかつた筈だ。文子の踊りも、あり得なければ、また断髪も、あり得ないのだ。そして他巳吉の裏切りすら、あり得る理由がなかつたのだ。  左門は焦慮を忘れるときは、忿懣に疲れ果ててしまふのだつた。  卓一はその日社用が輻湊して、七時ごろ、やうやく左門の家へきた。日が暮れると、雪が降りだしてゐた。他巳吉が一足先にやつてきてゐて、老人達は花牌をひいて遊んでゐた。 「このたびのことに就いて、まづあなた方にお願ひしてをかねばならないことは、文子を咎めてやつて下さるな、といふことだね」  左門はそれを言ひ忘れてはならないのだつた。左門はつとめて冷静に、二人の裏切る人々に言つた。 「親にかくした男ができる。男がたまたま狡猾な色事師であつた理由で、かよはい者を咎めることは残酷だね。たまたま男が貴人であつたら、娘は褒めらるべきであらうか。そのやうな奇妙な話はあり得ない。親にかくした男ができる、そのことが、私はすでに咎めることができないのだね。恋は思案の外といふ。大寺老にも覚えはあらうが、そもそも恋といふものは、親にもかくし人目も忍び、おほつぴらにはやりにくいところが身上といふものではないか。親の差金で一々恋文を書いてゐては味もなからう。いきほひ秘密の中へ深入りもすれば、思ひ余つたあげくが、親を裏切ることにもなり易いのだ。その恋が親を裏切り、そして娘が親を裏切つたばかりではなからう。私は思つてゐる。同時にその親が娘を裏切つてもゐるのだ。そして親が恋を裏切つてゐるのだね。恋に咎めがあるとすれば、その親も同じ咎めを受けねばなるまい。現代式といふのであらうか。公然と恋をしかけ、合理的にその恋をさばいてゆく娘達が、かりに実在するものとしても、女子の場合と比較して、その方が立派であると言ふことができるであらうか。恋に迷ふことは恥かね。名誉も富も義理も、すべてを恋にかへるところの盲目の情熱が下品かね。私はむしろ信じてゐる。合理的に恋をさばく人達がこの世にあるとするならば、その人の胸の裡にはむしろ下品な計算がかくされてゐる筈である、と。まことの恋は盲目的なものなのだ。恋人以外のすべてのものを裏切るべき性質のものだ。それが恋のまことの相といふものであらう。子供に恋の時代がきたら、その時は、親が子供に裏切らるべき時が来たのだ。そして世間と、恋の盲目の情熱は、両立することがないのだね。世間は恋を咎めることができるであらうが、もともと恋は世間には咎めらるべき性質のもので、私達まで世間に迎合することは、いささか依怙の沙汰ではないか」  然し左門は、自分の言葉の暗らさに打たれて、苦しくなつてしまふのだつた。子供に恋の時代がきたら、その時は、親が子供に裏切らるべき時が来たのだ。老いたる者は、そのやうに希望のないものであらうか。諦らめのみに急がなければならないのか。あまりの暗らさに、せつなかつた。 「男がたまたま狡猾な色事師であつたにしても、それによつて、文子を咎めてはならないのだね。むしろ文子を救ふために、力をつくすことだけが、私達のつとめなのだ。私の望んでゐることは、まづ第一には、文子の行方をつきとめること。そして第二に、いづれ文子は一応実家へ帰るであらう。その時にまごつかぬよう。そして誰一人暗い思ひに悩む者がないやうに取計らはねばならないこと。第三には、あやまちを羞ぢて、軽はづみな行動に走ることを防ぐこと。私はただ、文子が温泉へ保養にでかけてきたやうな軽い気持で、怖れることなく、羞ぢることなく、堂々と帰つてきてくれることのみ希つてゐる。男を咎めることも、いらない。とりあへず緊要なことは、このたびの文子の行為を、一切の罪悪感から切り離して考へることを学ぶことだね。文子も、その考へに馴らさねばならぬ。私達も、その考へに馴れねばならぬ。そしてまづ一切の罪悪感から切り離した静かな心で、新らたな希望に進まなければならないのだね。文子を男に別れさせるにしても。また添ひとげさせるにしても」  他巳吉は口を噤んで答えなかつた。 「大寺老」と、左門は彼にこんなことも言つたのだ。「あなたは魔性といふことを言ふ。魔性が、然し、人の心のまことの相ではあるまいか。もとよりそれを知らぬあなたではない筈だ。人の心の弱さ、醜くさに気付けばこそ、あなたはそれを怖れてゐたに相違ない。私も亦生涯それを怖れつづけて、生きてきたのだ。そして私の生涯は平穏だつた。そして今は、もはや安らかに死ぬときを待つばかりだね。私はかうして安らかに、まるで殺されるやうな気がする。生涯の私の怖れに。ためらひに。そしてまた因循姑息な心持に。いはば私は平穏な私の生涯を悔ひてゐるのだ。大寺老。同じ思ひを、あなたは持つてゐないであらうか。私達の怖れたことは、私達の最も欲したことだつたのだ。そして私は不思議なのだ。人間は、己れの欲することを、このやうに怖れなければならないのか、と。そのやうな人の姿を思ふとき、私は暗らさに堪えがたいのだ。そのやうであつてはならぬと思ふのだね。もとより感傷にすぎぬであらう。老人の愚痴のたぐひにすぎないのだね。然し私は、人の魔性がいぢらしいのだ」  そのときも、然し他巳吉は答えなかつた。彼は反駁を受けたことに、極めて素朴なてれ方をもつて、無言に応じたのみだつた。そして苦笑を浮かべてゐた。  他巳吉の胸は然し忿懣に燃えてゐたのだ。卓一がいとまを告げて立上ると、つづいで他巳吉も立上つた。それがすでに彼の忿懣の表れだつた。彼の立上る時刻にしては早すぎたのだ。 「悪い奴はひとりもゐないね」  他巳吉は立上りながら鼻唄のやうに呟いた。それも忿懣の表れだつた。その鼻唄は、廊下を歩き、足駄をはいてしまふまで、つづいてゐた。 「悪い奴は、ダンスの奴だね。人はひとりも、悪くはないね。ダンスの奴は悪い奴だ。縛つてしまへ。牢屋へぶちこめ。死刑にしてしまへ。火炙りにしてしまへ」  雪は積りはじめてゐた。  文子の行方を探しだしてと頼まれてみても、皆目手掛りのないものを、どうして探せるわけがあらうと卓一は思つた。唯一の策があるとすれば、とにかく高梨の自宅へ行つてみるだけのことだ。そこに文子がゐればいい。然し、ゐる筈がないではないか。ゐないとすれば、すでに万事休す、である。あひびきの宿を言ひ残して出掛ける男はあり得ないから。結局無駄足にすぎないであらう。然しとにかく、そのほかに施す策は見当らなかつた。 「この雪は積る雪だね」他巳吉が言つた。雪はまだ足駄にはさまるほどではなかつた。然し雪の道でなくとも、他巳吉の足の運びは危いのだ。歩くべきではなかつたが、卓一に別れることが、できないのだつた。そして彼は喋りつづけた。「え。卓一さん。後悔先に立たずとは、ここのことだね。ここはあんた、一世一代の大失敗だね。とにかく勿体ない話さ。天道様の授かり物を、ふいにしたね。憎いのは、もぐりの医者だ。え。卓一さん。とつくり考えてをくところは、ここだ。さうではないかね。今頃あたたかい炬燵のなかで文子さんとうまいことやつてる奴が、あんたであつても不思議のないところだらう。ところが、どうだね。本尊様は雪がふるのに、炬燵の先生を探し歩いてゐるね。よくよく茶道の心得がないと、この面白味は分らないとさ。天罰覿面はここの理窟だ。大慾のなんとか言ふ文句もあるね。いやはや智恵者も顔色なしだ」  他巳吉は満悦のていで、くつくつ笑つた。彼のふたつの耳は毛糸でつくつた耳袋をかぶつてゐた。更らにそのうへ飛行家のかぶるやうな眼だけくりぬいた毛糸の頭巾を、頭から肩の上までかぶつてゐた。卓一の言葉は、どうせ聞える筈はない。彼もまた聞く気はなかつた。ただ喋りつづけてゐることのみが、必要なのだ。 「あの人の話をきいてゐると、いやはや、悪い奴は正直な野郎ばかりだ」と、他巳吉は鬱憤をもらしてゐた。  高梨は不在であつた。卓一の予想通り、まつたく無駄足にすぎなかつた。高梨は大晦日に東京へ出発したまま帰つてこないのだといふ。東京は高梨のどういふ関係の土地であるかと訊ねてみると、どういふ所か知らないが、高梨は東京の人だと言ふ。するとまた、両親は北海道にゐるさうだが、それもよくは分らない、といふやうに、留守をまもる女中の返事は、悪意がなくて、たよりなかつた。帰宅の予定すら分りかねる始末であつた。出発の日時が文子のそれとまつたく違つてゐるために、二人の同行を予想しかねる困惑すら残るのだつた。まして文子の行先に、手掛りの見付かる当りが皆目なかつた。五里霧中の感を深かめたのみだつた。 「炬燵の先生、大智恵者だね」他巳吉は益々満悦のていだつた。「雪の中の先生は、大敗北さ。お気の毒を絵に描くと、それがあんたの恰好だ」  他巳吉は頻りに卓一を待合へ誘つた。この老人が自腹を切つて高価な遊びをもとめる思ひに落ちたことは、その一生に恐らく幾たびもなかつたであらう。  不浄へ立つた他巳吉は、手洗の柄杓をもつて控えてゐる女の頬に、突然その手を押しつけた。その手をすべての女の頬に押しつけるために、逃げる女を追ひまはした。哄笑し、顛倒し、叫び、二十数貫の巨躯によつて発しうるあらゆる音響を披瀝した。しかも他巳吉は酒を飲まずに。  翌日卓一は、木村重吉にあらましの話を伝え、二人の行方をつきとめる名案はないかと尋ねた。そして捜査を一任した。もとより誰に頼んでみても、同じ無効にすぎないだらう。卓一は思つた。然し左門に頼まれた責任だけを果すためには、木村重吉に依頼するのが適当だつた。この男ほど、卓一の信頼に報ひる者はあり得ないから。  木村重吉は卓一の子分のやうに振舞ふことが好きだつた。そして常に卓一が、絶えざる威厳を失はぬことを欲してゐた。彼は卓一の侮りを受け、無視されることを好まなかつたが、それが卓一に威厳を与える一助となるなら、彼は不満を見せなかつた。彼自身も常に気取り、そして威厳を張ることが好きではあつた。然し卓一の子分のやうに振舞ひ、自分自身の威ではなく、卓一の威厳によつて威張ることが、更らに快適な有様に見えるのだつた。編輯長に媚びることの打算気はなく、性格的なものであると、卓一は思つた。  卓一は、そのやうな人間関係に、殆んど好感がもてなかつた。いはば弱小の動物が、強大な動物に寄せるやうな愛情と圧服をもつて近づいてくるのだ。理知の支配が不足してゐた。そのやうな動物的な人間関係は、不快でもあるし、また一面不気味なものだ。精神的なマゾヒズムを感じざるを得ないのだ。そのやうな変態的な厭らしさを否定することもできないのだつた。  あるとき卓一がひとりの編輯部員に対して必要以上に丁重な礼儀をつくしたことがあつた。木村重吉の言ひ方によると、即ち威厳を欠いたのである。ほど経て、木村重吉は、突然インキ瓶を床上に叩きつけて、砕いてゐた。何がさて極度に神経の粗い田舎新聞の記者のことだ。気にかける者はひとりもなかつた。また変物が荒れてゐるなと各々欠伸を洩したり鼻唄を唄ひだしたりするのであつた。卓一のみに理由が分つてゐたのである。  木村重吉は変物の名で通つてゐた。彼は俳諧に凝つてゐたのだ。俳諧のいはゆる「さび」は能の幽玄から流れてきた精神であると言はれてゐる。木村重吉は俳諧の精神を辿つて、そのころ能に凝りだしてゐた。  人々は青木さんと卓一を呼んだ。木村重吉ひとりのみが編輯長と呼びかけた。また人々と卓一に就て語る時には、彼を「うちの大将」と称んだ。  卓一は木村重吉の特殊な親しみを受けることを決して好んでゐないのだつた。苦笑を感じるのみでなく、時にうるささを感じることが多かつた。そして屡々突き放すやうな冷めたい態度をとるのであつた。然し木村重吉は、動物的な執拗さで、その苦しみを堪え忍んだ。然り。苦しみを堪え忍ぶのだ。卓一はその陰惨な獣臭を厭み、蛇に似た執念深さを憎むのだつた。然し木村重吉は執拗にその親しみを寄せつづけた。  卓一はその執拗さに負けるのだつた。木村重吉の親しみに報ひることは尠かつたが、突き放しきつてしまへぬところに、負けたことがわかるのだつた。卓一は思はざるを得ないのである。木村重吉の執拗な好意を厭ふてゐるが、内心はそれを好んでゐるのではないか、と。突き放しきつてしまへないのが、その理由なのだ。否。理由ですらないのである。突き放しきつてしまへないのが、現にその事実なのだ。そして木村重吉の執念につきまとはれてゐることが、現にその事実なのだつた。そして結果は、卓一がその内心を見透かされてゐるのであつた。そしてそのやうな内省自体が、理知の領域に所属せず、すでに一種動物的な感じの世界にあるのである。木村重吉の獣臭にまきこまれたばかりでなく、彼自らが獣臭を放つひとりであることに、否応なく気付かしめられる不潔きはまる時間があつた。  然し神経の絡みを除けば、木村重吉に憎むべきところはなかつた。彼も亦宇宙的な真実を愛し、愛すべき好人物であつたのである。  そのうち木村重吉が、卓一の生活に、殊更深く食ひこんでくる事情が起きた。  由子は旅から帰つてくると、病気になつて、暫くねついた。その深酒や、不規則な生活が原因だつた。そして由子と卓一にめばえはじめた愛情が、わづかばかりの病気の期間に、すでにさめやうとしかけるのだつた。  由子は思つた。この愛情は、感傷の玩具のやうなものであつた、と。人が、まして肉体が、恋をしてゐるのではなかつた。まるで二人の感傷が、その適当な衣裳を見付けたやうだつた。自分にまして、むしろ卓一に、その感が深いであらうと由子は思つた。  否。感傷は卓一のみにあつたのだ。由子はさうも思ふのだつた。卓一の感傷が、由子に同じ感傷を強要したのだ。そして二人の感傷が、それに似合の衣裳を見つけて、恋の真似ごとをはじめたのだつた。まるで感傷の感傷だつた。自分の意志は微塵もなしに、卓一の好みの衣裳をつけるために浮身をやつしてゐたことに、ふと気がついた気持になつてしまふのだ。そして卓一を憎む思ひが時々めばえた。そしてすべてを厭ふ思ひに落ちるのだ。すべて一途に退屈であつた。  もともと恋愛が退屈なのだ。由子は思つた。恋愛は七面倒なポーズなしにできないやうな気がするのだつた。人と人との関係が元来すべてポーズの上の動きなのだ。なんといふうるささだらう。あらゆる人が、うるさいのだ。そして特に愛情が、うるさいポーズを強要する。愛情が人の生活を規定したらどうなるだらう。ポーズが人の生活を縛つてしまふに相違ない。それはひとつの牢獄にしかすぎないのだつた。  恋愛はうるさい。恋愛は超生活的で、そして甚だ非凡なものだ。苛立ちと共に由子は思つた。けれども日常や人生は、元来平凡なものである。そして平凡な人生にとつて、恋愛は非凡のために、無役な悔恨や退屈を生む役割だけしか果すことができないのだ。非凡なる恋愛は、生活の暗い負担であり、むしろ邪魔物のたぐひであつた。  由子はすでに卓一がうるさいのだつた。彼女は病気であることを、卓一に知らさなかつた。然し卓一が見舞ひに来たら、機嫌がなほつてしまふかも知れないと思はなければならない心もあるのであつた。そのやうな心の饒舌もうるさいのだ。 「東京へ引越しませうか」と由子は病床から母に言つた。「そして私働かうかな。ショップガールでも。タイピストでも。平凡な男と、平凡に結婚してもいいと思ふわ」  贅沢さへしなければ、生活に困らない金はあつた。母娘二人の家庭であつた。一人娘への愛と、由子の勝気な性質にひきづられて、由子の欲する多くのものをほぼ許してきた母親であつた。然し由子が踊り狂ひ酒を愛しはじめてから、内輪のくらしを切りつめるために、食事の数を減らすほど、ひそかな苦しみを隠してきた母親だ。そしてすべての苦しみが、いつも諦らめに変つてゐた。暗澹たる冬空の下の忍耐強く諦らめ易いひとりの老母であつたのだ。そのやうな女に当然な考へとして、彼女の欲する最大のことは、変化なく生きること、そしてこのまま変化なく一生を終ることの安らかさだつた。たとひ現実がいかほど苦悩に富むにしても、そして生活の変化によつては多少の光を予期することができるにしても、なほ変化なく生きることの安らかさを捨てる冒険を怖れてゐた。 「知らない土地へ行つてみても仕方がない」と老母は呟くのであつた。それはひとりごとだつた。反駁の言葉ではなく、返事ですらないために、由子も侘びしさに胸をつかれて、言ひはることができなかつた。 「お妾になつてしまほうか」  ある日由子はだしぬけに言つた。  すでに一年の余も過ぎてゐようか。曾てそのやうな話を仲介した人があつたのである。相手は土地の富豪であつた。人口十五万足らずの小さい都会のことだから、踊りや酒場に出入する女は人目に立ちやすい。由子が漁色家の眼にとまつて、妾の狙ひをつけられたのもいはれのないことではなかつた。あの女はパトロンを探してゐるに違ひないと年老いた漁色家達が噂しあつてゐるほどだつた。  妾の話がはじめて持ちこまれたときには、母と娘は思はず笑ひだしてゐた。真面目にとりあひもしなかつたが、然し二人の胸底には語ることを怖れ合ふ不気味な不安が育ちはじめてしまつたのだ。人々は知つてゐる、彼女等の知らぬ彼女等の姿を。いのちとも言ふべきものを、人々に見透かされてゐるかのやうな。  すでにそのとき、妾にもなりうることを、由子は教えられてゐたのだつた。いつそ妾にならうかと、由子はその後ときどき思つた。恋愛はうるさいからだ。真実の生活。偽りのない自己。それもみんな、うるさいからだ。おまけに、その正体すら分りかねる怪物じみた思ひがした。真実の生活なんて、まるで一日一年中他人に監視されながら生きてゐるやうなものではないか。なんて窮屈なことだらう。由子は思つた。偽りのない自己。そんなものにこだはりだすと、却つて自分自身のうちに、ひとりの他人を住ませるやうなものだつた。  嘘をつき、偽りの日々を暮す方が気が楽だ。安らかなのだ。そして嘘の幸福だつて、やつぱり幸福のうちではないか。その機会と思ひがあれば、やがて真実の生活へ乗り換えることは、いつでもできる。偽りの生活のみが真実なのだ。偽りの生活に色彩を与へ、また豊かさを与えるために、真実といふ悲しい虚偽が必要なのだ。 「僕達は自分を投げ出してしまひやすい」あるとき卓一が由子に言つた。「自分を投げ出すことには、何か突きつめた激しさがあるらしいね。僕達は、往々、突きつめた激しさを真実のものと誤解しやすい。我々は神の理想を持ちながら、悪魔の心に走ることが容易なのだ。そして人は持ちこたえてきた理想や自己を投げ棄ててしまふ時ほど、その激しさに酔ひやすい時はすくないだらう。捨てたとき、人は裸であるかも知れない。然し裸が、人の真実への姿でもないらしいね。人は結局衣裳をつけてゐなければならないのだらう。裸のとき、人は自分を裏切るばかりだ」  由子も亦同じ思ひに落ちやすかつた。妾になる。それをきいたら、卓一はきつと笑ふであらう。いよいよ自分を投げすてたのだね、と。すでに笑はれてゐる気がした。卓一といふ奴。最も愚かしくない愚かな奴。最も気障らしくない気障な奴だ。 「新潟なんて、けちだ。だいいち、暗いお天気だけでも、うんざりする」由子は再び病床から母に叫んだ。「東京へ行きませう。喫茶店でも開かうか。それとも平々凡々に、結婚してやらうか」  平凡な結婚。卓一はそれも笑ふであらう。そして彼は冷やかすであらう。自分を棄てるには色々な方法があるものだね、と。あの人は男のやうにしか女を見ることができないのだと由子は思つた。女の心が分らないのだ。女の弱さや、つつましやかな夢や希望を知らないのだ。 「春が訪れるころ、新潟を立ち去らう」病床で由子の心はほぼきまつてゐた。  病気が治ると、由子は越後新報社へ卓一を訪ねて行つた。  恋愛も、恋愛らしいものも、もう終りだ。卓一。まるで五十年前の追憶のやうな気がするのだつた。そして五十年前の愛人に、一目会ひたい思ひのほかに他意はなかつた。ふるさとの山河のひとつを懐しむ思ひのひとつに過ぎないのだ。この街の空も樹も人も、お別れだ。  そして木村重吉が、卓一の生活に首を突き入れはじめたのは、由子が越後新報へ卓一を訪ねて行つた時からだつた。  野々宮の愛人が同時に卓一の幼馴染であることを、木村重吉は当の卓一とまつたく同時に知つたのだ。由子が野々宮の愛人にほかならぬことを、卓一は木村重吉の言葉によつて、知つたのである。  編輯部員の間にも、卓一と由子の友情が、次第に噂になりだしてゐた。すると木村重吉は、そのことはみんな知つてゐるのだと思はせぶりな素振りを見せずにゐられなかつた。由子の素性も彼の口から始めて知つた卓一なのだ。まるで恋のとりもちをした自分のやうに信じたくなる彼だつた。人に伝えてならないやうな打ち開け話もきかされてゐる自分のやうに匂はすことほど、彼の身体を誘惑し易い素振りはなかつた。然し人々と同じやうに、その後の卓一の私事に就いてまつたく与り知らないことが、ひそかに彼を苛々させてゐたのであつた。  卓一はやりかけの仕事を整理して、由子の待つ応接室へでかけて行つた。と、彼の言葉をさらうほど思ひがけない光景に接したことには、すでに木村重吉が、まるでわが家にゐるかのやうな自然な態度で、由子と談笑に耽つてゐた。由子は椅子にかけてゐたが、木村重吉は立つてゐた。手押車を押出すやうに椅子の背に両手をかけ、いくらか前こごみに身体をもたせて、談笑のたびに椅子をぐらぐら揺り動かしてゐるのであつた。すべてに漲る馴れ馴れしさは、わが家に寛ぐ姿であつた。  応接室は常に乱雑で汚なかつた。木村重吉は椅子の埃りを払つたり、紙屑を寄せ集めたり、スチームを調節したり、彼のみが良く気付きうる敏捷な接待ののちに、卓一の現れを待つてゐたのだ。  卓一を見ると、木村重吉は突然冷めたく姿勢を変えて、目礼した。恰かも大臣を迎え入れたその秘書官であるかのやうに、古典的な物々しさが、彼の動きに漲つてゐた。私の役目は済んだのだ。唐突な他人行儀が語つてゐた。もはや私の出る幕ではない、と。それは同時に、彼も亦二人の私事にすでに参加してゐることを最も馴れ馴れしく語るところの無言の言葉であつたのである。  木村重吉は立ち去つたが、忽ち土瓶と茶碗をもつて引返してきた。茶を注ぎ終ると、再び古典的な目礼を残して、無言のうちに漸く姿を消し去つた。 「東京へ引越さうと思ふのよ」と由子は卓一に言つた。「気候の暗らさに負けないほど明るい心をもたない人は、とてもこの町に住みきれない。明るい気候の下へ行つたら、もつと生気を感じることができるでせう。明るい空の下へ行つても、どうせ心は暗いにきまつてゐるなんて、悟りきつたことを言ふのが、もう厭だ。賑やかな、明るい都会へ飛んで行きたい。考へることが尠い町へ」 「毎日暗いのは、やりきれないな」卓一は答えた。「僕達の編輯室は昼も電燈が必要だ。窓の外へ目をやると、水中へ沈んだ街にゐるやうだ」  欠伸を放つことのみを一途に欲してゐるかのやうな、卓一の物憂い様が、突然由子に怒りを与えた。老獪な奴。私を愛してゐるくせに。突然雪が、いりみだれて、降りだしてゐた。 「ああ。また、雪だ。海へ行つてみませうか」由子の胸に冷めたい新鮮な景色が洗れた。「冬の荒々しい日本海を見てをきたい。私の癇癪と同じやうに、海も一冬怒りつづけてゐるのでせう」  海の癇癪を見納めに。新潟に別れを急ぐ冷めたさが、親しかつた。 「いつごろ東京へ越すのかね?」 「冬の終らないうちに」  落付き払つた卓一の様が、再び軽い苛立ちを由子に与えた。突然東京へ越してしまふと言ひだすなんて、まるで卓一を愛し疲れた挙句の果の焦慮のやうに、この老獪な理知人は思ひこんでゐるかも知れない。それもよからう。由子は思つた。そしてもはやそれ以上苛立つ思ひにならないのだつた。その張合ひもないのであつた。恋も、そしで恋らしいものも、もうお終いだ。街も、空も、樹も、人も、お別れだつた。すでに心に決定された冷めたい親しさに比べたなら、愛し疲れた人のやうに思はれるぐらゐ、どうして気掛りになり得よう。一途な激しい安らかさ。多少の未練と感傷は、お互様のことなのだ。  由子の住居は、海に遠い場所ではなかつた。然し真冬の荒海は、たうとう見に行く機会がなかつた。秋の凋落が深かまると、海鳴りのひろい唸りが、日毎に由子の住居へも訪れはじめてくるのであつた。朝々の目覚めに、そして深夜の物思ひに、むしろ数々の愁ひよりも、由子の心を占めることが多かつた遥かな海鳴り。目に見ることはなかつたが、親しかつた冬の海。 「三十分ぐらゐ、つきあつたつていいでせう」由子は執拗に言つた。「サボる必要ないんですもの。自動車で海まで行つてくるだけ。私だつて、まだ病気いけないんだから。海を見たら、うちへ帰る」  ちかごろは海まで自動車が行けるのである。昔は夢想もできなかつた。新潟の砂丘は、太平洋沿岸の砂丘に比べて、高さがよほど違つてゐる。小山のやうなものだつた。砂丘のほかには、ひとつの小さな岩もない単調きはまる海だつた。荒い北風が市街と海の境界に小さな山脈を思はすやうな砂丘のうねりをつくりあげてしまつたのだ。海水浴も快適だが、砂丘を登つて帰る道を考へると、卓一は子供心にうんざりするのが常だつた。この北風にはこの町の為政家達が代々頭を悩ましたものださうだ。北風の激しい時は街にも砂が飛んでくる。そこで砂丘の海に面した斜面には浜茱萸を植え、市街へ流れる斜面には松を植えて砂の飛来を防ぐことにしたのださうだ。明治初年のことらしい。卓一が子供のころ、砂丘から街へ降る斜面には、すでに深い松林が流れてゐて頭上を松籟が渡つてゐたが、防砂林をまもることは新潟をまもることだと、小学校で常々教えられたものだつた。卓一の記憶によると、小学生のときだつた、全校児童が先生に引率されて、手に手に松の苗をたづさえ、砂丘へ植えにでかけたことが数回あつた。してみると、当時も砂の飛来に悩んでゐたのであらう。秋がくると卓一達は小鼠のやうに松林を走り、砂丘の頂上へぬけでると、そこから海へくだつてゆく茱萸藪の中へもぐつてしまふ。荒れはてた秋の海を藪の中から覗きながら、茱萸の実をもいで食べて、やがて便秘を起したものだ。山番に追ひまくられて、茱萸藪の中を逃げる戦慄がたのしいのだつた。なるほど卓一の少年のころ、砂は北風に吹きまくられて防砂林を飛び越え、頻りに街へつもつたことには否みがたい記憶がある。今の新潟高等学校のあるあたりに、そのころ古い墓地があつた。このすてられた墓地の墓は大半倒れたままかへりみる者もないほど荒れ果ててゐたが、倒れた墓は砂にうづまり、たまたま倒れぬ墓もやうやく頭を砂の上へ突きだしてゐるにすぎなかつた。またその地つづきの丘の上に、百軒長屋と町の人々が称ひならはした住宅が当時人々の驚きの中に建て並べられたことがある。北風の激しさのために然し居住者が皆目なかつた。やがて住む人もないうちに、窓は北風のために破れ、羽目板は飛び去り、屋根は崩れ、まもなく家の下半分は砂にうづまる始末であつた。大正中年のことなのである。その場所に今は官舎が並んでゐる。そして松林につづく丘の上、昔は砂が降るばかりで掘立小屋もなかつた砂地へ、今は文化住宅が残す余地なく並んでゐるのだ。寄居浜の砂丘はひらかれ、道をかためて、この節は海まで自動車が行けるのである。  街には数尺の雪がつもるときでも、北風が直接吹きあたる海に面した砂丘の斜面は、降る雪も吹きとばされて、つもることができなかつた。この市に生れ、この市に死ぬ人々のなかで、恐らく然し極めで小数の人達だけが、さういふ事態を知つてゐるにすぎないだらう。海へ降る砂丘の斜面はこの市の最も長いスロープだ。あそこを滑つてやらうといふ子供達が砂丘の頂上へ登つてくる。海寄りの斜面へでると、とつぜん吹き倒されてしまひさうな風の中に立つてゐる。下を見ると皆目雪がないのである。そして全く落胆した小スキーヤー達でなかつたら、この事実を眼で見た人は殆んどないに相違ない。街には風の死んだ日も、海を吹く風は激しいものだ。まして街にも北風が唸りをあげて荒れ狂ふ冬の日、海辺へ行かうといふ者はめつたにある筈がないからである。いつたいに雪国の人々は寒むがりだ。炬燵にまるくあたりながら、一冬を一睡りのやうに暮しがちなものである。  卓一と由子を乗せた自動車が砂丘の上へ登りつめると、荒れ果てた海がとつぜん眼前にひらけてゐた。暗い空が海へ落ち、そして海をひどく小さいものにしてゐた。たとへることもできない暗い海の色である。浅瀬にまき狂ふ激浪は言ふまでもないことであるが、海全体がチラ〳〵と白い無数の牙のなかに喘いでゐた。冬の海。誰しも一応予想のできる風景であるし、由子も予想はしてゐたが、あらゆる予想を忘却させる激しさのみが、冬の海の姿であつた。各々の色の暗らさ。各々の動きの深さ。空も動き、海も動き、それゆえ暗らさが一様に動き、そして単調な砂浜すら亦ひとつの動きのうちの姿であつた。すべてがひとつの巨大な生物にほかならなかつた。  新潟の海にはひとつの岩もないのである。海とそして砂のうねりがあるばかりだ。晴れた夏は海の向ふに佐渡が見え、粟島が見え、弥彦も見える。冬の小さな暗らい海には、揺りうごく水のほかに何もなかつた。一羽の鴎の影もなかつた。海岸へ降りた自動車がたどたどしく旋回するあひだ、卓一も由子も窓に額を押しあてるやうにして、小さな暗い水のうねりをむなしく眺めてゐるばかりであつた。 「降りたら、さむいかしら」  綿屑のやうな小さな雪が横にまつしぐらに走つてゐた。その雪屑は彼等が海を眺めてゐる車の窓へ射抜くやうに突きあたり、しがみついた。 「降りてみるわ」  由子は突然扉をあけて外へでた。一足でると、身体ごとさらふやうな巨大な風だ。着物も一瞬に吹きさらはれ、毛髪も一瞬に吹きさらはれ、その各々がすでに走り去る生き物だつた。海を見るために顔をあげる一瞬間の余裕すら、ないのであつた。由子は一足降りただけで、事の中へ戻つてきた。叫ぶひまもなかつたし、呼吸のひまもなかつたのだ。 「戻りませう」由子は呟いて眼をとぢた。  車が砂丘の上へかかると、由子は海をふりむかずにゐられなかつた。惨めなまでに叩きのめされ、飜弄された卑小さが、花びらのやうな愉しさで、胸に躍りはじめてゐた。せめて飜弄されたことを愉しむほかに挨拶のしようもないではないか。巨大な生物。自分も生きてゐることが、可笑しいやうなものだつた。  卓一が社へ戻つてくると、木村重吉がなつかしさうに近づいてきた。 「あの人が僕に何を話したか知つてゐますか」木村重吉は上機嫌な笑ひを浮かべて卓一に言つた。「寒いですね。ええ。編輯長とは子供のときのお友達ださうですね。ええ。再会の御感想はいかがですか。ええ。あの人は、みんなええだ。お茶をのみに行かれたのですか」 「海を見に」  木村重吉は急にまぢめな顔付になつた。揶揄されたことを怒るやうに。 「心中でもしてやらうかと思つたね」卓一は苦笑を浮かべた。「なんでもない女のひととは、死に易いものだ。女房のある男に恋人ができるね。男は恋人と心中せずに、女房の方と心中するのだ。その方が自然ぢやないか。惚れた女と死ねるものか。海の奴、人間を考へさせないほど巨大な奴だ。ああいふ巨大な生気の前に彳むと、人間の思想も生死も、一粒の砂のものと同じやうに見えてしまふね。間の抜けたほど気楽な気持になるものだ」  それから数日ののちだつた。  木村重吉が再び上機嫌な笑ひを浮かべて、卓一の机へ近づいてきた。 「ほんとに海を見に行つてこられたさうですね。僕は、からかはれてゐるのかと思つたのです」木村重吉は机のふちに両手を突き、卓一の顔をのぞきこむやうに、馴れ馴れしく笑ひかけた。「昨晩街で偶然嘉村さんに逢つたのです。一緒にお茶をのんだのです。今度は、ええ、ええ、ではなかつたのです。編輯長はあの人の手ほどきでダンスを習はれたさうですね。なぜ踊らないのですか。あの人の言葉によると、野々宮さんは踊らない方が大人に見えるが、編輯長は踊る方が大人に見えるのに、といふのです。感想はいかがですか。女といふ奴は、時々ひどいことを言ふ奴だ」  と最後に呟きをもらしながら、卓一の返事もきかずに振向いて立ち去つた。彼は甚だ満悦の様子であつた。  また数日ののちだつた。  再び木村重吉が卓一の机のふちに両手を突き、上機嫌に話しかけた。 「編輯長。今晩、おひまですか」 「なぜ」 「活動を見に行きませんか」  卓一は「行つてもいい」と答えた。卓一はめつたに映画も見なかつたが、アメリカの乱痴気映画にうかがはれる若々しい野蛮な精神が好きだつた。卓一の気のない返事を受取ると、木村重吉は呟きながら振向いた。 「活動ぐらゐ見る方が大人に見えるかも知れませんね。あの人の論法で言ふと」  日が暮れた。木村重吉が卓一の机のふちに両手を突いた。 「編輯長」彼は言つた。「仕事を早目に切上げて、あとを頼んで、でかけませんか」 「まだ、早いぢやないか」 「食事もしなければならないでせう。実は、六時に待つてゐる人があるのです。M屋に。嘉村さんが待つてゐるのです」  卓一は呆気にとられた。 「実は昨晩、嘉村さんの自宅を訪問したのです。青木卓一に就いて論じるだけでも、僕達の話は一晩や二晩では、とてもきりがつかないのです」木村重吉は上機嫌に笑つた。「すると、あの人が言つたのです。三人で活動でも見ませう、と。六時にM屋の二階で待つてゐるからと言ふのです」  なんてうるさく附纏ふ奴だらう。卓一は呪はずにゐられなかつた。  活動ぐらゐ見る方が大人に見えるかも知れませんね。その朝の木村重吉の呟きを思ふと、すべてのことが分るのだつた。  卓一の股肱のやうに気取りながら、卓一と由子の事情に門外漢であることが、かねて木村重吉を苛々させてゐたのであつた。それを知らない卓一ではなかつた。たまたま由子の訪れに好機逸すべからずと応接室へもぐりこんだ早業には、苦笑もしたが、むしろ劬はつてやりたいほどの憐れむ思ひがないこともなかつた。でしやばりたいのは、もともと彼の性質だ。こつちの神経に絡むことのわづらはしささへなければ。眺めてゐると、決して皮肉とつながりのない一脈の滑稽味を愉しむこともできるのだつた。  応接室の自己紹介から唐突な由子訪問を急いでゐる木村重吉。焦躁に駆られてゐるのか、相当以上の思慮があるのかまつたく見当のつきかねるやうな、落付払つた慌ただしさを考へても、悪意のない笑ひを覚えずにゐられぬ節もあつたのである。友情にも時間が必要であるとすれば、木村重吉にとつて、時間ほどもどかしいものはなかつたであらう。三人で活動を見ようなんて、そんなことを由子が言ひだす筈がない。卓一は思つた。そこまで執拗なみれんを燃す由子ではなかつた。たとひみれんはあるにしても、それをさらけだす由子ではなかつた。たまたま人にすすめられれば、敢てこだはらぬだけの落付きと、老成と、度胸を具えた由子であつたが。──すべては木村重吉のからくりなのである。それも時間を超躍したい彼の焦慮の表れのみであるならば、苦笑に済ますことも出来よう。  その朝の彼の呟きを思ひだすなら、動機は決してそのひとつのみでないことを、直ちに知り得る筈であつた。活動ぐらゐ見る方が大人に見えるかも知れませんね、と。  野々宮は踊らない方が大人に見え、卓一は踊る方が大人に見えるのに、といふ由子の批評であつたさうな。女といふ奴、ひどいことを言ふ奴だ、と木村重吉は満悦の呟きを洩らしてゐるのだ。してみると、由子の批評は、役のお気に召したのだらう。踊る方が大人に見えるのにといふ由子の批評は、卓一にも分るのだつた。然し踊りと活動では元来意味がまつたく違つてゐるではないか。由子の言葉を、いつたい木村重吉は、どのやうに理解したのであらうか。──それは卓一の大人げない厭味でもあり、皮肉でもあつた。もとより由子の評言を正当に理解し得ない木村重吉ではない筈だつた。活動を見る方が大人に見えるかも知れませんね、といふ言葉を字義通りの意味に解すべきではなかつた。ひとつの洒落と見ることが至当なのだつた。洒落にしては、たしかにへたな洒落ではあつたが。  卓一は思はずにゐられなかつた。要するに洒落にしても、とにかくひとつの彼の心は表してゐるのだ。踊る方が大人に見えるといふことと意味は多少違ふであらう。然しながら、うちの大将もたまには女と活動ぐらゐ見る方がいいのだといふおせつかいな注文を見出さずにはゐられないのだ。屡々あらゆる方法によつて卓一に絡みかけてきたおせつかいな注文のうちの、恐らく最もあくどいもののひとつなのだつた。つひに卓一の恋愛にまで、注文をもちかけ、その期待通りの態度を要求しやうとするのであつた。  当の木村重吉は自らのおせつかいな行動を、どのやうに理解してゐるのであらうか。木村重吉の指金なしでは、恋もできない卓一と思ひこんでゐるのであらうか。さうであるかも知れなかつた。女達は利巧なひとでも、老成した男の心に思ひもよらぬ幼い悦楽を失ふことができないものだ。活動を見たり、お茶をのんだり、お菓子をたべたり、記念の品々を大切にしたり、踊つたりすることが好きなのだ。それらのものが、その一生の友達なのだ。卓一のやうに、ひとつの思想を身辺のすべてのものに反映させずに生ききれない人達に対して、女達はしばらくうはべの歩調だけ合せることができるであらう。然し内面の歩調まで合せきれるものではない。そして女の内面に迎合できない趣味の男は、欲してゐるにも拘らず、ひとりで恋もできないのだ。恐らく木村重吉は、そのやうに思ひこんでゐるかも知れない。恋とは何ぞや。女のひととお茶をのみ、踊り、活動を見物することなのである。心に秘めた思ひだけでは恋にならないものなのだ。心には愛情のほかに思想もあり、理知もあり、すべてを忘却の河へさらう愁ひもあり、そして時間の魔術もあつた。愛する人を愛さぬ人にすることは容易なのだつた。さめない恋をもちながら、さめた心にしてしまふのは容易なのだつた。恋は心の中にはなかつた。恋は形の中にあるのだ。活動を見物し、お茶をのみ、踊り狂ふ中にあるのだ。そして形に溺れきれない卓一は、ひとり歩きの恋もできない人なのである。思ひのひとつに、それを欲してをりながら。  卓一は木村重吉の注文に、痛いところを突かれた思ひも懐かざるを得なかつた。否、卓一の内省はをのづから自己の急所をさぐりあて、恰かもそれを木村重吉に見透かされ、突き当てられた思ひに落ちざるを得ないのだつた。屡々木村重吉の執拗な意志によつて、彼の処世に何かと注文をつけられながら、その注文が一応常に的を外れてゐないことも認めざるを得ないのだ。たかが一応的を外れてゐないだけのことではないか。卓一は苛立たずにゐられなかつた。一応の道理は具えてゐることが、一層鼻持ちならないのだつた。  卓一の心も、由子の思ひと同じやうに、そのころ恋にさめかけてゐた。然しひところの愛情は、それを恋心とよび得たであらうか。とにかくひとつの仇心には相違なかつた。卓一は屡々由子の外貌の美に心を打たれ、目覚める思ひを懐くのだつた。ただそれだけのことではあつたが。  卓一は、由子に絡まる限りに於て、肉慾的な想念に、あまり悩むことがなかつた。肉慾的に魅力のない女であつたとも思はれない。その肉体をもとめ得る枚会もあつたが、それも敢てしなかつた。出来なかつたのではなく、その気になれない思ひの方が、いくらか強すぎたのであつた。いはば屡々心を打たれた由子の外貌の美をもつてしても、一生の負担とするには堪えがたかつた。否。数年の負担とするにも堪えがたい暗愁を放し得ないのであつた。現実の快楽は、きはめることによつて、常に落胆するばかりであつた。単に美貌と肉体なら、金で買える女があるのだ。そして美貌の女の友にもとめるものは、心と姿勢のふたつだけで良かつたのだ。そして頻りに由子を見ることを好んでゐたひところの思ひの中には、その肉体を想ふことが殆んどなかつたのであつた。  然し由子と会はなくなり、をのづと心も冷め果てた今日このごろ、由子に就いて思ふことは、ただ失つた肉体のみれんばかりになつてゐた。曾て屡々心を打たれた由子の姿勢の美しさ。爽やかな、そして静かな、目覚める思ひを懐かずにゐられなかつたあの時々の姿態。あのころその美に打たれた時は、ただそれだけで心の満ちる思ひであつたが、今はただ、肉体の秘密を想ふための手掛りでしかないのであつた。  心は離れてしまつたのだ。もはや由子の訪れを、由子の電話を、待つ心すら影もなかつた。由子の言葉もいらなければ、由子の姿勢もいらないのだつた。日毎に流れる数々の物思ひ。そしてふと由子に就いて思ひだすとき、それはただ、手中のものをみすみす落したその肉体のみれんばかりになつてゐた。  卓一は、それゆえ由子に会ふことを、いくらか怖れはじめてゐた。肉体のみれんばかりが残された女。会ふたびに、心の饒舌にくたびれるのだ。会ひながら、まして思ひも遂げ得なかつたら、後味の悪さが始末のつかないものであらう。雑多な時間もあるうちで、気のきかないこと夥しい時間を背負ひこむばかりなのだ。  卓一は、木村重吉のおせつかいに苛立つ思ひが激しかつたが、然しやがてこだはらず、仕事を早目に切上げて立上つた。失はれた由子の肉体が、やつぱり諦らめきれないのだ。そして由子の待つ場所へ、その立腹の一部分すら洩らし得ずに、歩かざるを得ないのだつた。  案の定退屈な活動写真。然し由子に会つてみると、すでに心に忘れ果てた静かな思ひ、なにがなし爽やかな目覚めの心に、打たれぬこともなかつたのだ。別れると、忽ち忘れ去る爽やかな思ひ。残るものは、つのるのみの肉体のみれんであつた。猥らな想念のみであつた。そして心の饒舌を呪はざるを得ないのだつた。  再び数日ののちだつた。  すでに師走も終らうとしてゐた。新聞社は新年号の編輯で多忙を極めてゐるのである。田舎新聞の新年号は、週刊雑誌の四五冊分はありさうだ。村々の役人から信用組合の人々まで総勢洩らすところなく姓名を連ねた謹賀新年の広告を載せる。と、旅人もめつたにないに極つてゐる辺鄙な町の旅館、料理屋、待合も名を並べ、新年頃は雪の下に埋まつてゐる山奥の温泉宿の芸者まで、負けず劣らず総勢の名前を揃えてゐるのである。まして各市や、著名の町々は言はずもがな。これに一々相応して各市町村内幕秘話。美談佳話。各地芸者評判記。信用組合の活躍記録。等々々。年頭の感は言はずもがな、随筆もあれば、読切小説もあり、落語、講談、漫才あり、漫画、謎々。その他くだらないものは、細大洩らさず取揃えてゐるのであつた。編輯員は甚だ多忙だ。然し手当や賞与のたぐひは、まつたくでない鉄則だつた。尤も抜け道はあるものだ。地方政界のお歴々から編輯記者宛に思はぬ書留郵便が小鳩の羽をはやして飛んできたり、県庁づめの迂闊な記者が欠伸をしながら歩いてゐると、県知事秘書官が理解のできない笑ひを浮かべて歩いてきて、廊下の曲り角を見すまして矢庭に金一封をポケットへねぢこんでくれたりするのである。ここは満洲航路があるから、満洲国何々何々団といふ怖ろしいやうなところから、然し平和以上のものを内に秘めた郵便物が舞ひこむのだつた。そして粗雑な神経をもつた豪傑たちが、かうして一年に一度づつ、本では読んだ覚えすらないアラビヤン・ナイトの香夢を知るのだ。  木村重吉がやつてきて、卓一の机のふちへ両手をついて覗きこんだ。仕事の快い疲労のために、その笑顔は上気してゐた。 「新年が近づきましたね」と木村重吉は話しかけた。「新年の休みは、温泉へでもおでかけですか。野々宮さんは下手くそなスキーが好きでしたが、根気だけはいい人でしたね。スキーツーアがあの人の永年の夢ですが、恐らく一生を賭けて果たす折はなささうですね。編輯長もゲレンデに穴をあける組ですか。僕はスキーと謡曲を一緒に覚えたものですから、滑りながら、悠々と唸ることができるのです」  彼は好機嫌だつた。 「昨晩嘉村さんをお訪ねしたのですが」と木村重吉は語りつづけた。「あの人は病気のあとで、いくらか衰弱がぬけきれないのですね。新年に温泉へ行きたいと言ふのですが、一緒にいかがですか。三人で。あの人がさう言ふのです。雪の底の湯の宿で、二三日のんびり三人で暮しませう、と」  卓一は暫く意識の中断に落込まざるを得ないのだつた。思ふことが余りに多過ぎ、複雑すぎるためだつた。  この男は由子に恋してゐるのだらうか。卓一はそれも思はずにゐられなかつた。然し甚だ気の利かない疑惑であるに相違ない。誰しも美くしい女は好きにきまつてゐるのだ。そして木村重吉も、それ以上ではない筈だつた。  これも亦おせつかいな注文のひとつだらうか。そして執拗な厚意のひとつの表れだらうか。考へてみるまでもないのである。三人で活動ぐらゐ見ようといふのは、まだしも由子が言ひだしたかも知れなかつた。三人で温泉へ行かうといふ由子の発意を想ふことは不可能だつた。  由子の美貌に何か冷めたさがかたまりついてゐるやうに、この人は、めつたに甘さを露出しない女であつた。試みに由子に向つて、多くの女が好みさうな話のいくつかをしてみるがいい。山岳の風景に就いて。海洋の美に就いて。芸術に就いて。愁ひと香気につつまれた挿話に就いて。厭世と自殺に就いて。恐らく由子は冷然として我関せずの顔付を崩さぬであらう。卓一は思つた。この女は常道に反則し、また人の予期をはぐらかすことによつて、自己の美を高めて見せる術にたけてゐるのだ、と。その術は、この人の天性なのだ。その術が、やがてこの人の外貌にまで冷めたさを与えたのだつた。もとよりそれ以上のものではないのだ。常識に反すことも、所詮常識的ではあるが、その天性にからまるところの冷めたさが、あの冷然たる山岳のやうに、一応人に目覚める思ひを与えることもあるのであつた。  その冷めたさがすでに語つてゐるやうに、人の心を反映しやすい人だつた。その天性の感覚によつて、物の虚偽と真実を直感しやすいのであつた。由子は卓一の愛情をもとより知らぬ筈はなかつた。それゆえに由子も卓一に愛情を報ひることができるのだつた。然し卓一の愛情に、まつたく情熱の欠けてゐるのを、見逃してゐる筈はなかつた。むしろ友情とよぶべきものだ。恐らく由子はすでに見ぬいてゐるだらう。そして心に苦笑を浮かべる時もあらう。卓一の友情が、愛情に変つた、と。やうやく肉体をもとめだした、と。その愛情は、私と路にすれちがうすべての男が持つものだ、と。私に対してばかりでなく、あらゆる女の肉体に。  人の心を己れの態度に反映させる由子であつた。卓一のさめはてた心を知りながら、旅行に誘ふ筈はない。まして由子の愛情すら、すでにさめかけてゐるのに。すべては木村重吉の目論見であるに相違なかつた。  木村重吉は何をのぞんでゐるのだらうか。卓一と由子の仲をとりもつつもりでゐるのだらうか。二人の愛が肉体的なものにまで深かまることを希み、それを二人に与えようといふのであらうか。卓一に寄せる好意を思へば、それも有り得ぬことではなかつた。  木村重吉の目論見が、かりにそのことであるにしても、表てにあらはれた意味のままでは受取りかねる思ひもあつた。  木村重吉の心が(あるひは彼自身すら知らない心が)真に欲することは、三人で活動を見、三人で旅行にでかけることではないのだ。その想像は思ひ過しであるかも知れない。然し不可能な想ひではなかつた。木村重吉は由子と二人で活動を見、二人で旅にでることを希んでゐるのだ。然し木村重吉の参加の仕方が、その自由な表出を不可能なものにさせてゐる。卓一を加えなければ、活動を見、旅行にでることができないのだつた。のみならず、卓一と由子の仲をとりもつやうに振舞はざるを得ない場合が多いのだつた。  木村重吉は由子を愛してゐるのであつた。然るに彼の行動はをのづと卓一と由子の仲をとりもつためにしか振舞ひ得ない場合を想像せよ。悲恋とよぶには詩情がなかつた。目をそむけずにゐられない変態的な暗らさが深い。そして不自然な歪みは、醜怪の感を与えるのみだ。卓一にふりあてられた役割を省てすら、同じ醜怪なひとつであるのを、思ひ知らずにゐられなかつた。  この憶測は危険であるが、卓一に動物的な好意を寄せる木村重吉は、卓一の愛するものを愛すことも自然なのだつた。  三人。すでにそれが不自然だつた。たとひ木村重吉の目論見が、由子の肉体を卓一に与えるための厚意からであるにしても。残る一人に暗い翳は必ずある。 「正気の沙汰とは思はれないね」 「正気の沙汰です」木村重吉は慌てながら、あつさり答えた。 「とにかく清潔な旅行ではないらしい」卓一は立上つた。「玩具や人形ぢやないんだぜ。みんな生身の肉体を具えてゐる人間だぜ。とにかく多少の助平根性を起しただけでも、三人といふ数が元来不自然だ。気持の負担だけでも、いやぢやないか」  卓一は背延びを残して、部屋をでた。階段を駈け登り、屋上へあがつた。屋上に、融けはじめた汚い雪が、一面ぐしや〳〵しきつめてゐた。下を見ると、街もまた、一面ぐしやぐしや汚い雪だ。バスがそれをかきまはして、往来してゐる。 「編輯長。誤解です」  木村重吉が卓一のあとを追ふて、屋上へあがつてきた。考へこんだ顔付が、彼の決意を語つてゐた。 「ひどいです」と彼は亢奮して叫んだ。「助平根性を起す人は誰と誰です。僕もそのひとりですか。ひどすぎる誤解です。そんな気持があるなら、三人で温泉へ行かうなんて言ひませんよ。編輯長は勝手に助平根性を起すがいいぢやありませんか。二人は好きなやうにするがいいです。もともと愛し合つてゐる二人ではありませんか。そのことを予想せずに、行を共にする僕ではないのです。僕には僕の世界があります。一組の愛人達と旅行を共にして、劣情の刺戟を受けない人間を、編輯長は考へることができないのですか。僕は一組の愛人達と旅行しながら、それによつて一層深く自然を眺めることができ、一層あたたかく人性を愛すこともできるだらうと信じてゐます。最も微小な嫉妬を予想し得てすら、僕は流行に加はらない筈なのです。恐らく三人の旅行が、自然の親しさを一入増してくれるだらうと予想することができなければ、僕は決して出掛ける筈はないのです」 「僕達が愛人同志だと思つたら、二人のことは二人にまかせてをくがいい。あひびきの指図を受けることは、自主的精神を愛す人の好みに合ひにくいものだ」卓一は言つた。「愛情自体が理知によつて捕捉しがたいものであり、甚だ複雑であるばかりでなく、それに絡まる観念生活がまた甚だ複雑なのだ。愛情に絡まる束縛の強迫だけでも、僕にはすでに負担だね。愛情は単純な肉体関係につきるものではない。実際は抽象的な観念生活に、その大部分があるのだ。簡単に好きな女と旅にでる気にもなれないものだよ」 「無論です。無論、さうでなければならないでせう」木村重吉の語気の激しさは衰えなかつた。「僕は然し、編輯長の恋愛観を、もつとはつきりききたいのです。僕は恋愛の経験もすくない若造ですが、僕なりの恋愛観はあります。観念生活に於ける恋愛。恋愛の観念生活。それは無論必要であり、また人生の重大な何部分かであることは言をまつまでもありません。けれども僕は思ふのです。恋愛は、とにかく、抽象生活だけでは成り立たない、と。具体的な行動が伴はなければならないのです。むしろ僕は信じます。恋愛の具体的な姿、肉体関係、それが先行して然るべきです。抽象生活は然る後それに附随して起るべきです。編輯長は、愛情に絡まるところの束縛の強迫を負担であると言ひます。その負担を怖れ、愛情の肉体的な表現を差控えてしまふといふなら、その観念生活は窮屈です。むしろ不自然であり、不潔です。編輯長はあまり貴族だ。悪く言へば狡猾なのです。編輯長は嘉村さんを愛してゐます。あの人も編輯長が好きなのです。愛してゐるといふ言葉が全的に当てはまらないとするなら、とにかく二人が肉体関係に落ちこむことは不自然でない状態だと言ひ直しませう。僕は断言して憚りません。編輯長は狡猾なのです。恋愛の観念生活などと言ふのは、この場合、あまりに飾られた言葉でありすぎるのです。あとあとのうるささが厭だから、肉体関係にまで深入りすることが色々とまはりくどく、躊躇されるだけなのです。編輯長のその態度は、これを狡猾とよぶならば、凡そ狡猾の最後のものだと言ひたいほど、あくどく、なまぐさく、陰険なのです。然しまた角度を変えた見方からすれば、端麗なほど貴族的な態度であるとも考へてゐます。そして僕は、編輯長のその性格が、ある点までは好きなのです。ギリシャ的です。そして時に絵画的な美しさを覚えることがあるのです。けれども、愛情に絡まるところの束縛が負担だといふ見解は、僕のとりたくないものです。そして行為の先に立つ観念生活に重点を置かなければならないといふ生活態度に、反対なのです。なぜ行為の先ですか。後にきてはいけないのですか。僕は行為のあとにくる観念生活こそ、深くもあれば、正しくもあると思ひます。そして清潔だと思ふのです。高尚です。澄明です。静寂です。よしんば貴族的ではないにしても、そして卑俗であるにしても、それは然し人間的なものであります。さうです。編輯長は、いはば芭蕉の世界にゐるのです。その世界は、貴族的であるけれども、人間的ではないのです。貴族的な静寂を宿してゐるが、人間的に、むしろ極めて騒しいのです。僕は編輯長が貴族的であることも一面たしかに好きなのですが、然し同時に、その人間的でもあることを切望せずにゐられません。編輯長は冷酷な人です。僕は断言して憚りません。村正の刀のやうに冷めたい人だ。時々話をしてゐると、自分の世界があるばかりで人の世界を何も持たない冷酷さに、薄気味悪くなるやうな厭な思ひをすることがあります。突き放されて、とりつく島もないやうな、惨めな思ひをさせられるのです。この世に類ひの尠いほど、薄情な人だ。冷酷な人だ。残忍な人だ。他人を思ひやることのない人だ。他人を踏みにぢつて平然たる人だ。さうです。そしてそれでいいのだと僕は信じでゐるのです。編輯長は、もとより自分の冷めたさに気付いてゐます。つまり人を愛しきることができないゆえ、愛すことが怖しいのだ。深入りするのが怖しいのだ。編輯長は、結局自分の冷めたさを怖れてゐるのです。そして自分の冷めたさを最も正しく知つてゐるのです。編輯長は別れた女の悲しさを思ひやつた気持でゐるかも知れませんが、それは全然余興なのです。ふられた女の悲しさなぞ、いい気になつて考へてゐられるほど、徹頭徹尾冷酷そのものの人なのです。結局自分にまつはりつく後腐れだけが厭なのだ。むしろ僕は思ひます。そして断言します。編輯長は、さらに冷酷な人なのだ、と。後腐れだつて、実はちつとも怖くないのだ。それも余興にすぎないのだ。けれども余興にこだはりすぎてゐるのだ、と。さうなのです。そして僕は信じるのです。編輯長はけちくさい余興なぞにこだはらない方が、もつと立派なのだ、と。冷酷さを怖れることは、僕のとりたくないものです。それは貴族的であるにしても、人間的ではないからです。編輯長の場合には、その冷めたさを、怖れなく、ためらふことなく、徹底的に発輝することが、むしろいかなる態度にもまして見事であると信じるのです。思ひのままに、女も踏みにじりなさい。男も踏みにじりなさい。編輯長は、現に僕など、てんで眼中にないのです。ただ単に、ひとつの道具にすぎないのです。然し僕は、また僕で、至極それで平気なのです。編輯長は踏みにじる人だ。冷酷無残な人だ。そして余興的な内省につまづかず、その冷めたさを徹底的に露出する方が見事であるべき筈の人です。それゆえまづ行動、まづ人間であることを、切望せずにゐられないのです」 「君の青木卓一論は当つてゐるらしい」卓一は答えた。「然し旅行は、青木卓一論と切り離して考へてみよう。はつきり言へば、僕は嘉村由子を愛してゐない。あの人に就いて僕の頭を占めてゐるすべてのものは、肉体と、そして猥らな想念だけだ。即ちあらゆる美女に就いて考へるときと同じやうに。僕はあらゆる美女の肉体が欲しいのだ。嘉村由子は、その何千万分の一にすぎない。所詮僕は一人の嘉村由子を諦らめる前に、すでに何千万人の嘉村由子を余儀なく諦らめてゐるわけだ。同時にまた、何千万人の嘉村由子をさしをいて、ただ一人の嘉村由子にこだはる滑稽に堪えきれないのだ。何千万人の嘉村由子のうちには、容易に、あるひは金によつて、もとめ得る幾人かがある。一人の嘉村由子を忘れることは、追ふことよりも不快ではないのだ。だいいち、いちど気持のさめかけたとき、それを再び駆り立てられることの不自然な煽りにも、僕はいささか堪えることに不愉快なのだ。しかも僕の情慾は、いつに限らず、また対象の何人たるに拘らず、煽られれば、常に再燃しうる状態にあるのだ。僕の肉体は極めて精神を裏切り易い。その弱味へ無遠慮な容喙を受けることは、僕のかなり腹立たしいことなのだ」  木村重吉は一日不機嫌な顔をして、同僚達にも、つつけんどんに応待してゐた。  その翌日のことだつた。  木村重吉が卓一の机の前へやつてきた。彼はいつもの姿のやうに、机のふちへ両手を突くことを忘れてゐた。 「編輯長」彼は両手をだらりとさげて、かなり悄然と呼びかけた。「僕達三人は、やつぱり温泉へ行くべきだと思ふのです。僕は一日考へたのです。そして結論に達したのです。どうしても、我々三人は、温泉へ行くべきである、と」  卓一は思はず両眼を閉ぢてゐた。そして椅子に深くもたれた。この執拗な怪人が立ち去るまで、決して再び眼を開らくまい、と。  然し数分の後に眼をあけると、木村重吉は、いささかも取乱したあとのない悄然たる顔付で、やつぱりそこに立つてゐた。  卓一は、すでに自らの意志もなく、をのづと想はざるを得ないのだつた。湯の宿の一夜の情景に就いて。ひとつの白い肉体に就いて。  その想念を断ちきることは容易であつた。然し想念に籠りはじめた妖しいいのちは、殺しがたいものだつた。  眼の前に立つ執拗な男。その人は決して愚鈍な人ではなかつた。批判精神も確立し、しかも批判の対象と、己れの立場が、微塵も混同されてゐない。これほど明確なひとつの立場をもつ男が、かくも執拗であり得ることが奇怪であつた。  行動のない男女関係は、観念としても贋のものだと言ふのであつた。そして由子の肉体を自由にせよと言ふのであつた。そこまでは話のわからないこともない。甚だ深い好意にみちたひとつの意志がわかるのである。ひとつの意志はわかるけれども、その意志をもつものの肉体は? 卓一は思はずにゐられなかつた。この執拗な意志と好意をもつものの肉体は? 言ふまでもなく木村重吉の肉体だつた。然しまた想へ。手もなく、足もなく、毛もなく、うねうねと屈伸するところのなまぐさい臭気を放つ肉体を。その肉体が、この執拗な意志をもつものの肉体でもあり得るのだ。  湯の宿の一夜の情景に就いて思ふたびに、卓一は、もはや旅行にでかけることがまつたく自然な状態にある自分を見出さずにゐられなかつた。ひとつの白い美女の肉体に就いて想ふがよい。想念に籠りはじめたいのちを見れば、行くと一言答えることが、最も自然な言葉なのだつた。卓一は、然し素直ではあり得なかつた。彼の心が、すでに彼の意志ではなかつた。想念の息苦しさすら、すでに己れの所有ではない不快感を消しがたい。ある執拗な肉体のもつ意志なのだつた。彼はその暗らさを憎み、その醜怪さを憤らずにゐられなかつた。 「行きたくないのだ」と、卓一は冷めたく突き放した。その言葉すら、快かつた。「再びこの話にふれることを止めよう」 「さうですか」木村重吉は、落胆して言つた。「然し、こだはることは、最も無意味だと思ふのですが」 「こだはるのは、君自身だ」 「違ひます!」木村重吉は突然叫んだ。その顔は、突然血色ばんでゐた。「違ひます!」と彼は叫びを繰返した。「こだはるのは、編輯長です!」  叫びと共に、木村重吉は振向いてゐた。そして、「ああ」彼は思はず大きな溜息を洩らしてゐた。同室の豪傑達も、その溜息の物悲しさに、顔をあげたほどだつた。然し木村重吉は、人々の存在にすら気付かなかつた。放心しきつて自席へ戻ると、一日黙りこんでゐた。  翌日。木村重吉は、卓一の机のふちへ両手を突いた。 「昨晩、嘉村さんを訪ねました」彼は冷めたく卓一に言つた。「僕達は温泉へ行かないことにしたと伝えてきたのです。然し、あの人は、一人でも、温泉へ行くさうです」  一息に報告すると、くるりと振向いて、すでに彼は、立ち去る姿になつてゐた。  卓一の心は、然し突然変つてゐた。  卓一は時々執務の手を休め、木村重吉を認めるたびに、思ひつくひとつのことがあるのであつた。彼に向つて、唐突に言ひかけようかと思ふのである。一緒に、温泉へ行かうぢやないか、と。  木村重吉の執拗な意志も、すでに殆んど気掛りの気配がなかつた。そしてそれを唐突に言ひだすことにも、気持の不自由を覚えることが極めて稀薄に思はれ、自由に見えた。ゆとりとそして気楽さが、むしろ最も感じられた。  木村重吉が一応断念したために、卓一はその執拗な意志の負担を軽減されたのであらうか。恐らく然しそれは理由の大きなものではあり得なかつた。湯の宿の一夜の情景に就いて想ふがよい。その想念の息苦しさ、荒々しさ、この現実への再現がすでに不可能の一語に尽きざるを得ないであらう燃える情炎に注意するなら、木村重吉の意志の負担も、もはや妨げにならないことが分るのだつた。執拗なる彼の意志にからまるところの暗らさも、そして醜怪さも、すでに卓一の想念自体がもつところの同じものの荒々しさに比べたなら、直ちに影の薄さのみが分るのだつた。  そして卓一は、木村重吉をふと見るたびに、一緒に旅行にでかけようか、と、突然それを言ひだすことの誘惑にかられてゐるのだ。まるでその誘惑にかられるために、木村重吉を見るかのやうに。  翌日から、社は休みであつた。  元旦のことだつた。大念寺の離れへ、木村重吉が、新年の挨拶にやつてきた。 「道順ですから、嘉村さんのお宅から、こちらへ廻つてきたのです」木村重吉は卓一に言つた。「あの人は、あす、温泉へ出発すると言つてゐました」  卓一は、すでに静かに、答えてゐた。 「僕達も、出掛けよう」と。  その一言を木村重吉に言ふために、数日の内攻があつたことすら、夢だつた。あまりにも、こだはりのなさ。然しそれを自ら不思議に覚えることすらなかつたのだ。すべてがただ、自然であつた。静かであつた。彼は心にひたすら冷めたく思つてゐた。今年は稀れな大雪だ。やがて彼等が訪れるであらう温泉も、すでに雪の下だらう。そして心の視凝めるところに、氷る山々の虚しさが映る。その夜更け、谷川の音も、雪の下に響くであらう。月並な悔恨に心を暗くするためには、それも亦ちようど似合ひの月並みだ。そして卓一の物思ひは、ただ憂鬱のために黝ずみ、すでに心は涯知れず、重さの中に落込まずにはゐられなかつた。  翌日。三人は温泉へ発つた。  木村重吉は、愛人達の表情の、あまりにも変化のなさに、やがて驚くこともなくまきこまれてゐる自分を見て、溜息をもらした。二人のひとから目をそらして、雪の山々を眺めるとき、山々が目覚める思ひを与えるゆえに、彼等もまた、爽やかな思ひの中の人達であつた。  この人達の物憂さが、なぜこのやうに新鮮に映るときがあるのだらう。あの雪の山々を見よ。雪の下に埋もれたあの谷川の音をきけ。朝々の、そして夕べの、物憂げな彼等の姿が、それらの沁みわたる気配の中に、同じ姿を宿してゐるのが不思議であつた。この人達は、すでに各々の心を失つてゐるのであらうか。思ふことはすでになく、言ふべき言葉もないのであらうか。そして山々の、また谷川の、あの爽やかな物憂さを、映してゐるにすぎないのか。と。  ある朝、卓一と由子が、雪の上で話を交してゐた。二人の笑ひも、手にとるやうにわかるのだつた。木村重吉は、それを暫く窓から眺めてゐた。この人の世の普通の姿が──木村重吉は思はずにゐられなかつた。然しなほひとつの路旁の風景にすぎないではないか。  この人達は。木村重吉は思つた。人のやうに振舞ふことを禁止された人達だつた。人々は常に己れのためにひとつの均斉をつくりだすのに、この人達は、まるで各々の均斉のために己れを馴れさせ、変貌させてゐるようだ。生き生きとした血潮の流れを忘れた人達。そして怏々たる石の心を解き得ない人達。彼等のふるさとは、家ではなかつた。血ではなかつた。あるひは風景ですら、ないのだ。あの冬空にこもるところの、多くの言葉の悲しい充満、その虚しさと堅い無言が、恐らく彼等のふるさとであらう。 「ほら。私の掌の温かさが、この雪にだけ伝はらない」ある日雪の上に立つてゐるとき、由子が生き生きと言つた。そして掌に握りしめた雪の玉を、木村重吉の掌に渡した。「人の心ほど冷めたくもないくせに」  その澄みわたる美しさに、木村重吉は驚くのだつた。そしてこのやうな狭まい世界に住む人の悲しさを、憐れまずにはゐられなかつた。  左門が思ひまどつたあげく、大念寺の離れを訪れたころ、卓一は漸く帰る汽車の中にゐたのであつた。  すでに左門の衰えが、目立つてゐた。恐らく死期に近づいたのだ。卓一は思はずにゐられなかつた。やがて左門は、消える燈しびのかぼそさのやうに、死ぬであらう、と。  失はれた左門のいのち。それを探さねばならないのだが。卓一は思つた。たとひいのちを探しだすことができるにしても、肉体はまもなく亡びてしまふだらう。  そのいのちも、然し皆目探す手掛りはないではないか。 「他人の国でだけしか起り得ない出来事が、人生では、常に何の不思議さもなく、自分の国に起きてしまつてゐるのですね」木村重吉が暗然として卓一に答えた。「言葉もない思ひがします。それが僕に可能であつたら、空を駈けても探したいと思ふのです。然し自分の力を思ふと、心細さが先立たずにはゐられぬのですが、とにかく僕の力の限り、努力はしてみるつもりです」  木村重吉は激しく答えた。そして彼は両眼を閉ぢ、暫しその両頬を両手で抑えた。 「善良な人々の家庭にも暗らい出来事が起るとは。時々人生は残酷すぎるものですね」と、やがて木村重吉は溜息を洩らした。  卓一は木村重吉の一途な感動に、むしろ呆気にとられずにゐられなかつた。  卓一の冷酷な魂は、このやうな一途な心を、信ずることもできがたい疑惑のみが深いのだつた。ある人々の心には、このやうに感動しうる魂が、用意されてゐるのであらうか。払へども尽きぬ暗愁の数々を外にして。人生の瑣事に対して、これほども底の底から揺りうごく人が不思議だ。  そして卓一は心に苦笑を覚えずにゐられなかつた。その善良な魂に打たれる思ひもあつたにしても。 「我々の力で探しだせるとも思つてゐないが」卓一は木村重吉に言つた。「かりに探しだせたにしても、神の賞讃を受けるものは、むしろ探された人達であるかも知れない」 「僕もそれを多分認めてゐるでせう」と木村重吉は静かに答えて、自分の席へ戻つていつた。  さて、その夜のことだつた。ここにひとつの異変が生じた。  日が暮れて、卓一が大念寺の離れへ帰ると、とたんに他巳吉老人が、大きな跫音を騒がせながら、やつてきた。他巳吉は、大念寺の墓地を通る用意に、懐中電燈を買ひととのへ、物々しく振りまはしてゐた。 「いよいよ天下の形勢は、風雲急だね」と、他巳吉は挨拶代りに先づ入口で怒鳴つた。「若い男はみんな満洲へ送れ送れ。あとは俺が引受けたぞ。鉄砲でも幽霊でも、さあ出てこい。畜生め。他巳吉様の怪力に怖れて、今晩墓場の幽霊は休業だ。別嬪の幽霊はゐないか。医者と坊主の幽霊は、まつぴらごめんだ」  他巳吉は沓脱から上り框へあがるために、力の衰えた関節と、ふとつた肉体をもてあまして、まづ四つ這ひになるのであつた。それから三段ぐらゐの仕種にわけて、一々掛声をかけながら、這ひ上つてきた。 「今晩は叔父の方へ出勤も休業ですか」と卓一は言つた。 「とにかく、なんだね。天下の形勢は、風雲急だ」と、卓一の言葉をきくと、他巳吉は大いに慌てて、声高に喚いた。そしてにやにや笑ひだした。「ひとつ、今晩も、どうだね。美人と差向ひで、いつぱい」  つまり左門訪問も休業らしい。そのころ日支事変はまだなかつた。然しこの港と朝鮮の羅津をつなぐ航路は、距離としては日満両国の最短にちかいもので、満洲警備の部隊が時折この港から船出してゐた。そして市民達は国境の風雲を想ふことに慣らされてゐたのであつた。然し風雲最も急を告げてゐるのは、他巳吉と左門の国境らしい。すでに国交断絶と言ふべきだつた。わざわざ懐中電燈を買ひととのへてきた用意周到な手筈を見ても、この訪れが一夜の気紛れに終らないことが分るのだ。恐らく河岸を変えたのだらう。長の年月左門を訪ひなれてきた遺恨の時間は、大念寺の離れに於て鬱をまぎらす魂胆らしいと卓一は思つた。 「なんといふ男だつたね。あの歯医者は。猪八戒の野郎さ。だからさ。あんたもひとつ腕の見せ場といふものだね。さうだらう。男やもめに蛆がわくと格言に残してあるのは、ここの理窟だ。敷居をまたげば男に七人の敵ありといふ格言もあるね。男は七人の女に不自由してはならないといふ昔の人の戒めだ。さて、そこだ。どうも、これは、寒い部屋だね。女のをけない部屋といへば牢屋だけさ。別嬪のひとりぐらゐ、ここはあんた、部屋にそなえてをくところだ」  と他巳吉は気焔をあげたが、手を懐中へ差入れて頻りにあちこち探す様子が、どうも甚だ落付きがない。合ひの手に、彼は時々眼の玉を白黒させて見せるのである。 「とにかくお互に男やもめだ」と、やがて彼は坐り直して、にやにやした。「男やもめといふものは、一日に三度鼻の孔をほじくるといふぐらゐ、所在のないものだとさ。お互様に味気ない身の上だ。ところで、そこだね。ここに、ひとつ、男やもめはこれに限るといふ天竺渡来の品物があるね。お釈迦様の説教の昼休みの時がくると、大迦葉やらシャリホツやら阿難尊者やらモクレンケンといふ仏弟子のやもめどもが、菩提樹の下へ車座に集つて、これを用ひたといふ霊験あらたかな品物だね」  と、他巳吉はおもむろに懐中の最も奥深いところから花加留多の箱を二つ執りだして卓一の前へならべた。そして卓一の顔を覗くと、突然うしろへひつくりかへつて、笑ひだした。  その日から、他巳吉は、夜毎同じ刻限に、大念寺の離れへ押しかけてくる慣ひになつた。 「女といふものは、あんた」と、ある日他巳吉は卓一に言つた。「女はみんな魔性のものさ。それはあんた、人間万事が色気のものだね。女に限つたことではないが、さ。お釈迦様はうまいことを言つてゐるね。女と杓子は成仏ができないとさ。お山は女人禁制だ。女だの、杓子だの、たわしなどといふものは、成仏できかねるものだとさ。つまるところ、ここの理窟だね。女といふものは魔性のもので、肚をわると、色慾ばかりさ。そこで女の宝には、慎しみといふものがあるね。このおかげで、女もとにかく人間なみさ。慎しみを忘れた女は、地獄の沙汰さ。淫売を地獄といふのは、ここの理窟だ。まづもつて、慎しみを忘れた女は、猪八戒の御相手を承はるのが、関の山だね。畜生め。畜生々々。それをあんた、そもそも慎しみを忘れるやうに仕向ける親爺といふものは。これはあんた。奇特な御人だ。天罰覿面は仕方がないさ」  他巳吉は左門を責めてゐるのであつた。憤りが憎しみにまで変つてゐた。他巳吉流の古風な文句で言つてみれば、可愛さあまつて憎さが百倍といふのであらう。  他巳吉の夜毎の訪れが絶えたなら、あまりにも寂寥のみの左門の日々の生活であつた。たとひ文子に事故のなかつた時ですら。まして文子が行方不明の折だつた。その寂寥はすでに人を狂死せしめる苦痛を蔵してゐたでもあらう。他巳吉の跫音が杜絶えたなら、最後の生気が杜絶えたやうなものだつた。魂の流謫を受けた左門であつた。手応えもない死の愁ひに、虚しく時間の多くのものを、さいなまれずにゐられなかつたに相違ない。他巳吉は、左門を襲ふに相違ないその絶望を知つてゐた。  卓一の話が左門にふれると、他巳吉は時々慌ててしまふのだ。他巳吉は、不当に左門に押しつけた絶望の深さを知つてゐるのだ。臑に傷もつ思ひが、絶えないしるしであつた。 「世の中は因果応報。驕る平家は亡びるさ」と、他巳吉は言つた。悲しい左門を驕る平家にするのであつた。「年寄は旧弊なものさ。若い者に憎まれ役が年寄りだね。早くくたばれ。このもうろくめ。俺のうちでは、倅も孫も、肚の裡で、みんな、ぬかしてけつかるね。けちんぼぢぢい。早く死ね死ね。いやはや、八方みな敵さ。憎まれ者世にはびこるはここの理窟だ。けちんぼぢぢいが、百万年も生きるとさ。背中に甲羅が生えるとさ。頭に皿ができるとさ。河童になつても、生きてゐるとさ」  他巳吉はひつくりかへつて、笑ひだした。 「いやはや。若い奴の邪魔をするのが娯しみさ。若い者は天下様だ。浮世の娯しみが、みんなあるね。年寄りは、やけくそさ。あれも癪のたね。これも癪のたねだね。見るもの聞くもの、嫉けるばかりだ。ここは、大きに、敵味方だね。若い者に気兼ねをするところはないさ。金もやるな。遊びもさせるな。女房も持たせるな。いやはや。若い奴は、いい面の皮だ。娘にダンスを教える親爺は、孔雀の羽をくつつけた鴉だね。天罰は覿面さ」  左門に思ひ知らせること、その残忍なよろこびを、他巳吉は抑えることができないのだつた。容赦もなく傷めつけ、辱しめ、混乱の底へ突き落し、惨めな末路を、せせら笑つてやりたいのだ。寂寥に堪えかねた左門が、最後の一縷の生きがひを秘めて、やがて他巳吉を訪ねてくる。他巳吉は、その左門すら、門前払ひを食はすのだつた。まるで宿無しの野良猫を追ひだすやうな無情さで。 「こつちへくるな。宿無しのもうろく猫め。臭い。臭い。臭い」他巳吉は卓一と語りながら、ある日突然喚いてゐた。「あつちへ行け。シッ。シッ。シッ。山奥の藪へ行つて、首をくくつて、死んでしまへ」  無限の忿懣と悔恨に疲れきつた他巳吉なのだらう。せめて卓一を訪れるのが、その一日の休息であつたらしい。  然し左門は、鬱憤の晴らしようもないのであつた。心の休む場所もなかつた。  卓一から電話がきたのは翌日のことだつた。心当りの所を調べてみたが、文子の行方は皆目見当がつきかねるといふ話であつた。なほ人に頼んで探してはゐるが、突きとめる見込みは、今のところ自信がないといふ話なのだ。それがただ、それだけの話を伝える電話なのだ。暗闇の奥に、主のわからぬ不吉の声をきかされてしまつたやうに、左門の心は心細さでいつぱいになるばかりであつた。その話をぢかに伝えてくれるために、どうして訪れてくれないのか。会つて直接きく言葉なら、話もそれからそれへのび、そのどこかには希望をつなぐ手がかりもあり、かうまで惨めな心細さに襲はれることはない筈である。否。用件は、むしろ左門に当面の問題ではない思ひであつた。とにかく訪ねてくれさへすれば。……電話でことを済ましてしまふ卓一の冷めたい心が左門をいつさう心細さに落とすのだつた。  文子の行方が分からないとしてみると、この成行きはどういふところで落つくことになるのだらうか。文子が死ぬ。だしぬけにさういふこともないであらうが、やがて文子は実家へ帰るに違ひない。そして左門のところから直接帰郷したやうに語るとすると、文子の嘘が露顕するのは火を見るよりも明らかだ。嘘の露顕といふことになると、事態はやつぱり予測のつかないことになる。恥は善良な人々を最も屡々殺しがちなものだから。悔ひと怖れに怯えても、生き永えて左門のふところへ戻つてくる。その場合はそれで一陽来復だつた。希望の明日がはじまるのだ。すでにすべての暗い予想も不要のわけだが、生憎なことに、万が一にもさういふ場合がありさうには思へないのだ。恥が文子を殺さなければ、文子は恐らく男のふところへ走りこんでしまふだらう。それが当然の筋道のやうな思ひがする。そしてさういふことになると、それから先が予測のしやうもなくなつてしまふ。文子と男は新潟を去り、行方を消してしまふかも知れぬ。噂のやうに男が悪人であつてみると、文子はたのむ男にも捨てられる場合が考へられるが、事態がそこまで行きつまると、文子の死、それはやつぱり架空な不安ではないのである。死ぬといふことはなくとも、とにかく文子が二度と左門のふところへ戻つてこない予感だけは、ひどくはつきりしてゐるやうだ。非常に暗い、なにか濡れた不安であつた。その不安が左門の頭にからみついてゐる様子は、ちやうど台所の片隅に、ぐつしより濡れた古雑巾がグシャリと置かれてゐるやうなものだ。ぬれ雑巾は頭の底にグシャリとへばりついてゐる。押してもついてもグシャグシャと汁をだして凹こむばかりで動きもしない。頭をがくがく振つてみても、要するにぬれ雑巾の重味だけをがくがくゆさぶつてゐるやうなものだ。手ごたえがなかつた。頭の全部の内容が、ひとつのぬれ雑巾にほかならなかつた。左門の不安も、左門の思索も、常にそこが限度であつた。ぬれ雑巾に突き当ると、そこでばつたり行き詰りである。どんな思案も、そこまでくると、同じやうにぐつしより濡れて、それ自体もぬれ雑巾のひとつになり、一緒にグシャグシャつみかさねられてしまふ感じだ。それからあとはもはや無性にせつなさがこみあげてくるばかりである。 「恋は思案の外といふ。大寺老にも覚えがあらうが、もともと恋は人眼を忍んでやるやうにできてゐる。大つぴらにやりにくいところが身上といふものであらう。恋の盲目の情熱は、この世の道理に合はないのが自然なのだね。合理的に恋をさばくといふことは、そのどこやらに無理が隠されてゐるのであらう。こつそりと一人の胸にたたみこんで苦労する。やがて間違ひも起きる道理で、もともと恋はさういふものだね。私はさう思ふてをる。たまたま相手の男が悪者であつたにしても、それは不運なめぐりあはせで、文子を咎める理由にならない」  左門は他巳吉に向つてさう言つたことを覚えてゐた。それは言ひ過ぎであつたらうか。いやいや。そのやうなことが、なぜ有り得よう。なるほど他巳吉に鬱憤はあつた。そしていくらか当てつけ気味の皮肉な語調はあつたのである。然し言葉の内容は正しい筈だ。 「私はただ文子が無事に帰つてくれることだけを希つてゐる。悪事をはたらいてしまつたやうな罪人の卑屈な悔ひに悩むことなく、堂々と帰つてくることを希つてゐる。誰しも恋のまちがひはある。姦通といへども、時にはやむをえないことだね。人間の弱点が犯しがちな過ちを咎める資格のある人はない。自分の醜い心に眼を蔽ふた人だけが、人の弱さを非道に咎めうるだけのことだね」  左門はさうも言つたのである。それはたしかに鬱憤を晴らした言葉に相違ない。あてつけ気味の皮肉な語調は、左門もありありと覚えてゐた。他巳吉はそれを怒つたのであらうか。そして左門を訪ねなくなつてしまつたのであらうか。それは卑怯だ。自分勝手だ。あまりにも図太いやりかたである。  左門の言葉は決して言ひ過ぎてはゐない筈だ。道理の言葉である筈だつた。あてつけ気味の皮肉な語調はあつたにしても、左門の鬱憤に比べたなら、むしろ余りにも控え目でありすぎたのだ。他巳吉は文子をずべたと称んだではないか。裸かにして松の木へ逆さ吊しにしてくれるぞと、廊下をのしのし歩きながら喚いたではないか。その大きな侮辱の数々に比べたなら、左門が他巳吉に言つた程度のあてつけは取るにも足らないことだつた。他巳吉の言葉こそ、直接きびしくたしなめられて然るべき無礼の数々であつた筈だ。それを思へば他巳吉こそ、まづ何よりも自ら省みて悔ゆべき道理で、左門の皮肉に怒りをもやすところはない。それを恰も道理は己れにあるやうな厭味な仕方で、左門を訪ねなくなつたといふのは、あまりに憎いやりかただつた。  まづ何よりも他巳吉のふてぶてしい強情さに腹が立つ。年寄りは頑固なものとは言ひながら、自説をひとつ持ち合して、人の言葉に耳をかさない強情さが憎たらしい。いやらしくもある。あまりあくどくて、生々しさが堪えがたい。 「とにかく、なんだね。売物買物の商売女と、素人の女は、心掛けも風俗も、違はなければならないものだ」と、他巳吉は、なにかと言へば、ひとつごとを繰返すのだ。それは理窟といふものだつた。通念で物を見るのと、ひとつの温かい思ひやりで物を見るのは、自ら違はなければならない筈だ。いはば理窟は死物である。たまたま理窟が実生活に生きてくるのは温かい思ひやりを通した上でのことであるのに、他巳吉はあくまで理窟にこだはつて、親しい一人の弱い女の特殊な事情に思ひやりを差し向けやうとはしないのだ。赤の他人の話と違ふ。親しかつたかよはい女の生涯の浮沈の場合であつた。それはもう年寄りの強情だけのせゐではない。憎むべき太々しさ。そして憎むべき冷酷さ。他人へ報ゆるに残忍無残な冷めたさと、自分勝手があるばかりなのだ。  ──所詮は金貸しの根性だ。……左門はそこまで思はずにゐられなかつた。貧民の生血をすすつて数万円の富を残した血も涙もない根性が、ここにもやつぱり生きてゐるのだ。冷鬼の心が。  血も涙もない督促をして病人の着物もはいで持ち去つてゆく金貸しは、自分の行為を弁護する理窟をもつてゐるだらう。まるでそれと同じやうに、文子の場合も、他巳吉は理窟をもつてゐるのであつた。身からでた錆。自業自得といふものだ、と。娘にダンスを習はせる馬鹿な親爺がこの世に二人とゐるものか、と。恐らく他巳吉は人に言ひふらしてゐるだらう。そして巨躯をゆすぶりながら、笑ひ痴れてゐるだらう。 「悪い奴はダンスの奴だ。人はひとりも、悪くないね」と、鼻唄を呟くやうに、他巳吉は言つた。言ふまでもなく言葉の裏には、文子に踊りをすすめた左門を嘲罵するあくどい毒が隠されてゐた。それが最後の言葉であつた。その翌日から、他巳吉の訪れは絶えたのだ。その言葉に、他巳吉の毒のすべてが、生々しく語られてゐるではないか。  然し左門の怒りには、怒りによつて充たし得ぬ寂寥が、常について深かまるのだつた。すて残された孤独の思ひが、怒りの裏に休みなく駈けめぐり、無限の落下を感じさせずにゐないのだつた。あの卓一も、憎くかつた。電話をひとつかけただけで、その後は、音沙汰もないのである。若者には生き生きとした希望の国がひらけてゐるから、老人の寂寥を心にかける余地はないかも知れないが、それにしても思ひやりがなさすぎるのだ。尋常一様の場合ではない筈だつた。叔父のたつた一人の娘が、行方が知れない。とり残された叔父は、行方不明の娘のほかに、語るべき家族すらない孤独と老ひの身ではないか。日毎の親しい訪れは、せまりくる死の跫音のほかになかつた。寂寥と不安をまぎらす友が、せまりくる死の跫音でありうるだらうか。卓一のほかに親しい身寄をもたないことを知らない筈はなかつたのだ。それすらも思ひやれない卓一なら、彼の心も他巳吉のやうに、冷鬼の心にほかならない。  他巳吉の訪れが絶えてから数日がすぎた。左門はむしろ一思ひに金井朝雲を訪ねていつて、文子の事情を洗ひざらひ語つてをくのがよくはないかと考へた。然しそれもまだ早い。できれば隠してをきたかつた。文子に傷をつけたくなかつた。そして決断がつかないのだつた。  一日昼食を終えた左門は、寂寥に堪えかねて外へでた。活動もある。図書館もある。古い昔の友達もないことはない。然しそこへ行つたとて、果して心が慰むだらうか。それを思ふと心が重くなるばかりだつた。むしろ彼の寂寥に肖た面影をもつ人、彼は野々宮を訪ねてみやうと思つたのだ。その野々宮が、文子に好感をもたないことが分つてゐたが、不思議に左門はそれが気掛りにならないのだつた。野々宮の愁ひにみちた笑ひ顔を思ひだすと、心がいくらか温たかくなる気持がした。  野々宮は相変らず二つの伝記に没頭してゐた。 「温泉へでもつかりながら、のんびり仕事をしたいのですが、文献の都合があつて、さういふわけにもいかないのです」と彼は笑ひにまぎらして言ふのであつたが、その顔色は黄色と青とつきまぜてそれを黝づませたやうな濁つた色で、眼も濁り、顔一杯に疲労の小皺が眼立つてゐた。催眠薬の過用もあつた。その衰えが歴々分かるのであつた。  野々宮の机の上に、伝記の主の写真が二つ飾られてゐた。 「伝記の仕事をしてゐますと、奇妙になつかしくなるのです。その人の持物など見せられると血のあるものを見たやうな不思議ななつかしさを覚えたりしますね。父の墓参に行く気持すらないくせに、伝記の主のことといふと、進んで墓参にでかけるやうな気持になつたりするのです」  自分も死んだらこの人に伝記を残してもらひたいと左門は思ひつくのであつた。それは然しふと気がつくと滑稽だ。伝記に残して語るほどの業績は何ひとつない自分であつた。まして死滅がもたらすところの人生の虚無を観じ、虚無に帰滅することに一分の安らかさをも感じてゐる自分であつた筈なのだ。もともと伝記を残さうといふ気持に遠い自分であつた。──ただ野々宮の言葉の中に、さういふ思ひを起させるあるなつかしい響きがあつたのであらう。まるで青春の思ひのやうな、若々しいなつかしさを自分は感じてゐたらしいと左門は思ひ、そのことが然し彼に安らかな感傷を与へるやうに感じられた。  左門は文子と高梨のその後の事情を野々宮に語つた。 「高梨が噂のやうな悪者であつたにしても、そのために文子を咎めることはできないと私は思ふてゐるのです。文子の心がほんとうに高梨を愛してゐるものなら、たとひ高梨が噂以上の悪者でも、私はむげに二人の仲をさかうとはせぬ考へでゐるのですね。私は高梨に会うて話をしたい。心を知りたい。文子が愛してゐる男なら、私は一分の取柄のために、九割九分の欠点も忘れてやりたいと思ふてゐるのです。ただ高梨が文子を愛してくれさへすれば……」  左門の眼は不覚に涙を宿さうとした。  野々宮はただ頷いてきいてゐるばかりであつた。然し左門はそれだけでいいのであつた。己れの述懐をかうして語つてゐるだけで、鬱結した胸の愁ひが散るやうな、安らかな思ひがするのである。野々宮は疲れてゐる。野々宮は身体も心もやつれきつてゐるやうだ。そのせつなさを眼に入れながら斯うして語つてゐるだけで、左門の愁ひの悲しさが、開け放たれた静かな窓から安らかな外気に溶けて空の彼方へ流れるやうに思はれる。救はれるやうな遥かな思ひがしてゐるのだ。  野々宮はたしかに疲れきつてゐた。  暗らい夜が落ちてくる。雪がふる。霙が甃をたたいてゐる。雨がふる。そして吹雪の一日もあつた。野々宮は由子の住む砂丘の麓の街の方へ、なんど歩きはじめたか知れなかつた。みれんであつた。然し勿論由子の住む街の方まで歩きはしないのであつた。その近くまで行くといふことすらないのだ。二十歩か多くて百歩も歩きかけたと思ふころには、あきらめと、惨めな放心に追はれながら、ふと振向いてゐるのであつた。  そんなに愛してゐたのだらうか。夢のやうな思ひがする。野々宮は茫然として思ふのだつた。然しもう今となつては、何もかもてんで分かりはしないのだ。昔を思ひだす手掛りすら忘れはてた茫漠たる混乱だけが自分のものだといふ気がする。  そして卓一のことを思ふと、血まみれの苦悶の姿を示す男を頭に描いてしまふのだつた。  野々宮の父は医師であつたといふことだ。西洋に医学をおさめ、帰朝して、この雪国の暗らい港市に開業した。然し野々宮が四歳の時には、彼はもう狂死してゐた。発狂は死の前年のことだつた。それからの一年ちかく一室に監禁されてゐたのださうな。ある黄昏、食事のために家人のたちさはぐ隙をみて座敷牢を脱出し、路傍に食を漁りながら十日あまりさまよつたあげく、とある漁村の砂丘の襞に行き倒れた彼の姿が見出されたときは、もはや瀕死の状態だつた。何物をたべてゐたのであらうか、あるひは病ひの悪臭であらうか、その体臭のなまぐささに、人々は慄然として顔をそむけずにゐられなかつたと伝えられてゐる。  野々宮に父の記憶はなかつた。隆盛だつたと伝えられてゐる病院の記憶もなかつた。彼が物心ついた時には、海へ通ふ砂道沿ひの、ポプラや松の葉陰の深い閑かな家に、母と二人すんでゐた。  野々宮の母はそのかみの尖端的な女性であつた。彼女がちやうど娘のころは、いはゆる鹿鳴館時代であつた。当時新潟に英学を主とした基督教の女塾があつた。英語の教科書はナショナルリーダーを用ひてゐたといふことだから、今日の女学校と変りはないが、教師の多くは英米人で、西洋史、日本史のほかに英米史を特に教えたものださうな。そして洋式の体操を教えた。体操の教師も外人だつた。万国地暦と名付けられた世界地理を習つたといふことだから、まだ洋学の濫觴期で、術語も今日のものではなかつたらしい。野々宮の母はこの学校の生徒であつた。ちやうど彼女がこの学校に学んでゐたとき、成瀬とよぶ女塾の校主は女生徒を率ひ、学校を東都へ移した。こんにちの目白の女子大学が即ちこれだ。我国の女子最高学府の最も初期の卒業生の大多数に、因循怯懦な厭世港市の娘達を見出す謎は、かういふ理由によるのである。  野々宮の母も学校の移転を追ふて東都へ遊学したかつた。彼女は父に懇願した。彼女の父は文明開化を謳歌するそのかみの一通人で、娘に英学と基督教を許しはしたが、東都へ遊学することは許るさなかつた。東京へ行けないための悲しさから毎日を泣きあかしてゐる娘を見て、人生のまことのさちを与えるために、父は娘に男の愛と家庭を与えやうとした。婿の候補者は選定され、話は娘に伝えられた。彼女は結婚をにくんでゐた。彼女の理想は真善美と、童貞マリヤの純潔だつた。絶望のために混乱し、さらに幾夜か泣き明かしたのち、一夜飄然と家をぬけでた。東京へ行くべき金も持たなかつた。親しい友は東京へ去り、訪ねる人はこの町になかつた。憩ふべき部屋すらもない。彼女はやがて冷めたく心をきめてゐた。一生を神にささげて敬虔な祈りの日々を送らう、と。そして日頃教えを受けてゐた老宣教師ブレルスフォードの家を訪ねた。そのころ電燈はまだなかつた。蝋燭のゆらめく光を顔に受けて、はりつめた切ない決意を語るうちに、意識の次第に喪失する妖しい過程を、あたかも幼年の最初のねむりを知るやうな安らかなものに感じ、そして彼女はやがて意識を失つてゐた。  文明開化を謳歌するそのかみの一通人も、感情の機微を知ることに於ては、孔孟の教えを距ること五十歩の百歩であつたらしい。彼は娘の心根を憐れむよりも、犯した行為を憎もうとした。そして娘を勘当した。然し人々の口添えもあり、やがて怒りも和らいで、娘は許るされて我家へ帰り、そして婚約も解消した。当時ブレルスフォードは中大畑町に小さな私塾をひらいてゐた。彼女はやがてそこに通ひ、のち助教師に抜擢されて、その生活は数年つづいた。  たまたま野々宮の父が帰朝して、厭世港市に開業し、彼女を配偶に懇望した。そのとき二十五歳であつた。もはや我儘は通らなかつた。食事も通らぬ日がつづいた。そして泣く泣く結婚した。鹿鳴館の絢爛な夢がちやうど余燼を絶たうとしてゐた。彼女の夢も、終りをつげたのであつた。  マリヤの理想をすてたとき、童女の叡智をすてたのだ。そして彼女は婚家に伝はる仏教に帰依し、さめるがゆえに夢をにくみ、傷つくがゆえに理想を怖れ、諦らめを知り、因循姑息な市井の安危に感動した。野々宮が物心ついたころ、彼女はもはや無気力な土地の宿命を負ふたところの、厭世港市はえぬきの悲しい一人の母であつた。志操遠大なる者の生涯の不平と不幸を怖れるゆえに、つとめて子供に平凡をすすめ、気概をにくみ、その憶病にむしろ劬はりの思ひを寄せた。  野々宮が十歳前後のころだつた。ふだん使はぬ薄暗い部屋のひとつに遊ぶうちに、ふと押入れをあけてみると、見なれない洋書がつまれてゐるのを見つけた。息をかけると濡れたあとのつくやうな革の表紙の本もあり、とりあげるのが重いほど大きな本もまぢつてゐた。顔の近くへもつてくると古風な香気がまつはりつく。ところどころ絵のある本も四五冊あつた。みんな奇怪な感じのする異人の姿だ。そして異国の風景である。そのなかに、ところどころに色刷りの精密な挿画をはさんだ大型の一冊があつた。その絵は色刷りのせゐもあるが、特別妖しい香がただよひ、不思議な夢と秘密のささやきをつつんでゐた。それは決闘の絵であつた。緑の木立にかこまれた小さな草原に二人の異人が向ひあつて立つてゐた。銃身の至つて長い古風なピストルを構えてゐた。二人の異人は痩せ型の端麗な顔付で、野々宮の記憶によると、たしか鼻髭があつたようだ。当然なことではあるが、紅い毛、そして碧い眼が少年に異様な思ひをそそらずにはをかない。空は透きとほる青だ。光りかがやく草原であつた。頁をめくると、次の絵は、異人の一人が草原の上に倒れてゐた。まつしろなシャツに血がにぢみ、友達の腕にいだかれてゐた。然し少年の感動を最もせつなくたかめるものは、さらに次の挿絵であつた。華車な飾りをほどこした椅子の上に、ひとりの美女が身を投げだし、裳裾をひいて、泣き沈んでゐた。射たれた男を介抱したあの友達であらうか。一人の男がうなだれて部屋の片隅に立つてゐた。悲しい報らせを男がもたらしてきたのであらうか。女のせつない心のうちが、少年に生きた悲しさを与えるのだつた。その女は挿絵の殆んど大半に清楚な姿をあらはしてゐた。笑つてゐた。まぢめであつた。憩うてゐた。眼のさめるやうな美くしさ。やさしさ。  すべての挿絵を見終ると、思はずほッとするのであつた。見てはならない秘密の国を見たやうな戦慄が走り、異様な感動が厚みの深い澱みをつくつて静かにのこつてゐる。妖しい夢を見終つたせつない安堵と放心が現実の香気とともに漂ふてゐた。  本の堆積の片隅に、模様の古風なトラムプがあつた。異国の夢を焚くやうな飾りの多い燭台があつた。ナポレオンの首のついた紙切りナイフが現れてきた。そして本のあひだから、西洋の栞が落ちた。  誰の用ひたものだらう。魔法のラムプの仕業のやうなこんな不思議が、陽の光も照らさない陰気な家にどうして隠されてゐるのだらう。この秘密は誰に語つてもならないし、母に訊いてもいけないやうに彼は思つたほどだつた。父の用ひた品々であつたときかされて、彼はびつくりするのであつた。父の本。父のトラムプ。そして父。突然異様な人物が空想のなかに生れてくる。自分の父は決闘で死んでしまつたあの人だ、と。もしや実際異国人ではないのだらうか、と。父はトラムプをしたといふ。そして母も父と一緒にトラムプをして遊んだことがあつたといふ。そんなことがありうるだらうか。少年は疑ひはじめる。そんならどうして、もうトラムプをしないのかしら。父が死んだからであらうか。否。少年は冷めたい罪悪の戦慄を意識しながら心に叫んでしまふのだ。父と一緒に母も死んでしまつたのだ。この母は父と一緒にトラムプをした母ではない。  少年は秘密の夢を育てはじめた。その少年の夢の中では、現実のやつれた暗らい母の姿は死滅して、まことのそして違つた母が生れてゐた。その母はトラムプをし、明るく笑ひ、子供と一緒に曲馬をみ、そして遠い旅行をする。少年は日に一度、薄暗らい秘密の部屋へもぐりこんで、トラムプの匂ひをかぎ、ナポレオンの首のついた紙切りナイフをもてあそび、そしてあの重たい本をくりひろげて、決闘の絵をみるのであつた。泣きくづれてゐる可憐な美女がまことの母のやうだつた。少年は走る戦慄を感じながら、それを母とよぶのであつた。本をだきしめて、泣きたくなつてしまふのだ。このまま死んでしまひたい感動の底に、身を投げだしてゐるのであつた。そして少年の心には、戦慄と秘密にみちた罪悪の妖しい魅力がひらかれてゐた。現実を殺す喜びを知り、そして母を殺したのだつた。  野々宮の少年の夢をつつんでゐる閑かな家は、もうなかつた。ポプラの木陰は、ところどころ残つてゐたが、切りひらかれた立派な道が縦横に通じ、あたりは一面文化住宅がたちならんでゐた。そしてもはや本もなく、母もすでに、死んでゐた。  古い記憶もあらかた死んでしまつてゐる。決闘の絵は、然し記憶の底の方に、まだ生きてゐた。思ひだすと、まばゆいやうな陽射しを受けた緑の杜も生き生きとひらけ、膝の上に恰かも本があるやうに、古風な香気がまつはりついてくるやうだつた。アンデルセンの即興詩人の原本ではなかつたらうか、と、後年野々宮は思つたのである。然し即興詩人としてみると、記憶はだいぶ違ひすぎてゐるやうだ。決闘の場は、草原でなく、酒場でなければならない筈だ。また美女が悲嘆にくれてゐるとすれば、それも亦血闘の場の同じ挿絵である筈だつた。そして美女の胸の中に、血まみれの射たれた人が、抱かれてゐる筈なのである。射つた男が、その旁に彳んで、それを視凝めてゐなければならないのである。その場面こそ、即興詩人のやまのすべてが賭けられてゐるから。──記憶はあまり違ひすぎてゐるやうだ。とはいへ常に少年は、理解のできるやうにしか、記憶することができないのだ。いつとなく、即興詩人であることを、野々宮は信じるやうになつてゐた。  野々宮は、銃身の長い古風なピストルを思ふのである。血まみれな、ひとりの男を思ひださずにゐられなかつた。  伝記の主の二人のうち政治家の生家は長岡市からちよつと離れた片田舎にあつた。その家に泊りこんで伝記の資料を渉猟してゐる一日のことであつたが、土蔵の片隅にもぐりこみ遺品の数々を見てゐるうちに、望遠鏡や、煙草入れや、旅行用の湯呑みや、そのほか雑多なガラクタ類と一緒に、埃まみれの六連発のピストルを見付けた。明治三十七八年の戦役直後、政治団体を代表して戦地を視察にでかけたとき、必要にせまられて携用したといふ古いものだが、それにしても、挿絵の中にみたやうな銃身の長いピストルほど骨董的なものではなかつた。今日の実用品と大同小異で、普通の型に近いのである。携帯用のバンドにつるしたサックからケースにいたるまで、一通り揃つて、埃にまみれてゐたのであつた。  汽車でおよそ二時間である。あのあたりは雪の深いところだから、人力も自動車もきかないが、汽車から降りて遠い路ではないのだ。橇でものの四五十分も走るうちにはなんなく着いてしまふだらう。伝記の資料の見残したのがあるからといつて土蔵の中へ這入つてしまへば、彼が何をしてゐやうと誰も見てゐる者はない。土蔵に用のある人でさへ、仕事の邪魔になるからといふので、野々宮が土蔵に籠つてゐるうちは、出入を差控えるほどなのだ。誰にさとられることもなく、あのピストルを手に入れることができるのである。寒さがいくらかやりきれないが、要するに二三時間の辛抱だ。土蔵の中で漫然と本でも読んで、あとはただ何食はぬ顔をして出てくればいい。誰一人怪しむ者はない筈である。年に一度の虫干しの時でも、あのガラクタの箱の中まで手をふれやうとは思へない。ふれたにしても、雑多なガラクタ類の中から、ピストルの紛失を見分けることは、すでにひとつの奇蹟であらう。よしんば気付かれる恐れがあるにしても、問題は、虫干しの日がくるまでにもはや片付いてゐるだらう。  要するにただ一挺のピストルである。野々宮の頭の中に、その想念が、もはや一匹の生き物だつた。頭がひとつの、ふくらみすぎた気嚢であつた。ひたすら破裂へ急ぐものが、唯一のわかることだつた。あのピストルで、いつたい誰が、死ぬのであらうか。結局自分も、死ぬのであつた。彼は苦笑するのであつた。結局自分が、たつたひとりの死ぬ人かも知れないのだ。ほかに誰一人傷つく者もないやうな予感がしないこともない。ピストルを手に入れるために散々苦労を重ねたあげく、要するに催眠薬ですむ自殺を、まはりくどい手数の後にやりとげてしまふだけが落ではないか。あるときは、それでもいいさ、と思はないこともないのであつた。それほど死にがたい人生であらうか。然し彼の濁つた瞳に、冷めたい憎悪がかたまりついてしまふのも、そのときだつた。彼自身すら、それのみが、唯一の不気味な生き物にほかならないのを、知り得ずにゐられなかつた。その憎しみの視凝めるところに、あのけだもの奴の迸しる血が見えるのだつた。あのけだもの奴の、呻き声も、きこえるのだつた。すでに体温を失つた、ひとつの単なる肉塊が、足もとに横はつてゐるのであつた。しかもなほ、その毒々しさが、目に堪えがたい不愉快だつた。  汽車でたつた二時間だつた。そして土蔵の中へ這入つて、三時間ほどの辛抱である。思ひきつて停車場まで行きさへすれば、心は自然に定まるだらう。要するに、停車場まで出掛けることの物憂さが、ひとつの障碍にすぎないのだつた。  夜が落ちると、彼は街をさまよひはじめる。街へ降りると、行くべき場所が、時折頭に閃くのだつた。然し頭に閃く場所を突きつめてみると、結局ひとつの方角にすぎない程度の、曖昧な気分だけであつたことが分るのだつた。一応方角の示す方へ歩きだしてはみるのであつたが、足は自然に心も知らない方角へ曲つてゐた。そして長い彷徨ののち、サチ子の酒場へ落付くほかに仕方のない暗らい思ひを知るのであつた。むしろ落胆を知るのであつた。新らたな恋の不自然さに、すでに疲れてゐたのであつた。  不思議な夢を見てしまつた。野々宮は思ふのだつた。深夜見たやはらかな緑の光。夢はあれだけで良かつたのだのに。そのあとは蛇足であつた。──燃え残る思ひがあるとすれば、由子のみれんばかりではないか。  サチ子に恋情を覚えたとき、不思議な落下を心に算えてゐたのであつた。時々悪夢の中にみるあの無限の落下であつた。落下のほかの心と言へば、巨大な放心がすべての心であつたのだ。その放心は、サチ子を見るたびに、今も尚つづいてゐた。  落下が恋のすべてであつた。もし放心が、恋でないと言ふのなら。あれはたしかに諦らめといふ魔術使の不思議な安堵であつたらしい。野々宮は思つた。その魔術使も、不出来な仕事を置き残して、もうこの土地から姿をくらましてしまつたようだ。  そのくせ夜毎の彷徨に、どうして最後にこの酒場へ、落付かずにゐられなくなつてしまふのだらう。行くべき場所が、サチ子の酒場のほかにはないと分つたときの、あの落胆は、思ひだしても暗らいのだつた。然しサチ子を見てゐるうちのあの放心は、やつぱりそれが一日になくてはならない時間になつてゐるやうだ。今はもう、あの放心が、せめて安らかなのであらうか。あの落胆の深い暗らさを忍んでまで。 「一年間だけでいいのだ」サチ子は野々宮に言ふのであつた。「ほかの女を考へないで暮してちようだい。そんなに長く生きてゐようと思はないもの。一年が一生だと思ふと、一年に張合ひがあるもの」  この単純な魂の女は、偽りの言葉を知らないのだつた。然しその魂の単純のために、その真実が屡々偽られてしまふことは、これも亦やむを得ないのであらう。  一年間だけでいい。愛してくれといふ。そのやうな真実が有り得ようか。もとより有り得ないであらう。恐らくサチ子にこの偽られた真実を言はしめるものは、野々宮の放心にほかならないのだ。二人の心の結び目の最後のものは、曾て在り得たこともなかつた。野々宮はサチ子の心を突き放してゐるのであつた。  一年間。これは便利な言葉だと、野々宮は時々思ひだすのであつた。誰だつて、一年さきには死ねさうだ。一年さきだからである。  然しサチ子は言ふのであつた。 「一緒に死んでくれるなら、今でも、死んでしまひたい」と。  そして、このやうな言葉が、真実のもので有りうるだらうか。野々宮はその言葉の真実に打たれるのだつた。そのたびごとに、彼は思ひつくのであつた。この言葉が真実らしく見えるのは、自分自身がこの人と死ぬ気がまつたくないからだ、と。  君よりも、僕の方がせつないのだ。野々宮は心に呟やかずにゐられなかつた。君だけが突き放されてゐるのではないのだ。僕自身が、すでに突き放されてゐるではないか。  サチ子が自分に突き放されてゐるのではなかつた。自分がすでに突き放されてゐるのだから。そして突き放されたこの国では、この放心のみ、まことに恋でありうるかも知れないのだつた。それを思ふと、野々宮は、あまり心が暗らくなるのだ。そのやうにまで思はなければならないことが、惨めであつた。  この人と一緒に生きる恋はできない。野々宮は思ふのだつた。然しこの人と、一緒に死ぬことは、不可能ではない。  然しサチ子の死にたいといふ言葉を思ふと、野々宮はいくらか不快になるのであつた。恐らくサチ子の単純な心が、野々宮の複雑な心に堪えがたいのだ。野々宮は思つた。そしてサチ子の死にたいといふ感情の低俗さが、いやなのだらう。然しまた野々宮は思はずにゐられなかつた。死にたいといふサチ子の言葉が不快になるのは、この人と死ねる心が自分のうちにないからだ、と。のみならず、一応は死ねるように思ひこんでゐるからなのだ、と。それゆえ、サチ子の言葉の真実が、野々宮に圧迫を加えるのだらう。  然し野々宮は強ひてこだはる気持はなかつた。言ふまでもないことではないか。自分の自殺に比べたなら、結局サチ子の単純な自殺の方が、よつぽど実行力もあり、現実性も豊富であるに極つてゐるのだ。死をめぐる精神が深くそして複雑なとき、死の国の現実性は豊かであつても、人の世の現実性は稀薄なのだ。生きたい力の欠如のやうに、実行力も欠けてゐるに相違ない。  この女と、一緒に、死ぬことはできないのかも知れない。  然しこの人を、殺すことはできるのだ。この人と、一緒に死なうと言ひさへすれば。サチ子は頷くに相違ない。そして引金を引きさへすれば、それでいいのだ。突き放されたサチ子と、突き放された自分と、生きる恋はできないが、かうして、死ぬ恋はできるであらう。この暗らさ、この落胆が、生きるために必要であるとすれば、この落胆のつきるところ、その安らかさが欲しい。  この女を殺したとき、やつぱり紅血が迸るだらう。サチ子はいくらかもがくかも知れない。そして苦しみを表はすかも知れない。けれども、あのけだもの奴の毒々しさに比べれば、もがくことすら、いぢらしく、美くしいかも知れないのだ。そして彼を恨む筈はないのだつた。むしろサチ子のもがきの中に表はれるものは、愛情と、そして最後の縋りであるに相違ないのだ。その苦しみが激しければ、もう一発、サチ子の喉を狙はなければならないだらう。サチ子はすでに血の海に倒れ、微動もしない屍体になるが、心は然し安らかであつたであらう。彼も亦、その安らかな血の海を、いつまでも、静かな心で眺めてゐることができるであらう。  一緒に死なうと言ひさへすれば、それでいいのだ。サチ子は単に頷くばかりではないかも知れない。いそいそと異常な亢奮をつつんだところの、然し静かな喜びを表はすかも知れないのだ。それもひとつの新鮮であらう。それから二人は旅にでよう。山の底の、スキーヤーも行かないやうな温泉へ行かう。二日三日四日。恐らく月並な享楽のやうに、興ざめるといふ虚しさがなく、高潮に昇りつめる饗宴の夜があるであらう。もしそれすらも彼に退屈を与えなければ、あるひは暫し新鮮に酔ひうるであらう。ある朝、むしろある黄昏、二人はひとつの山を越えよう。そしてあたりに沼があるなら、暗い沼のほとりへでよう。すべての山々は雪だつた。木々は枯れ、緑の杜を見ることはできない。陽射しもなく、また草原もないだらう。ただ白い雪の山々。灰色の空。けれども沼に張りつめた氷はなく、非常に暗らい静かな水が小さく澱んでゐるばかりである。すべてはしづまつてゐるばかりだ。もう一度接吻してとサチ子は言ふであらうか。そのときの亢奮を予想することは、むつかしい。姿に激したものはあるが、心はつめたく、静かであらうか。それもひとつの新鮮であらう。けれどもその突きつめた姿の隙間に、虚勢と恐怖を洩らしはしないだらうか。諦らめをあらはしはしないだらうか。未練をあらはしはしないだらうか。そのときは──殺すことをやめるだけのことである。再び山を越え、サチ子をいたはり、宿屋へ戻るだけのことだ。諦らめも恐怖も見せなかつたら、そして冷めたい静かな心が見えたなら、そのときは引金をひかう。サチ子があほむけに倒れることが、のぞましかつた。もし俯向いて倒れたら、抱き起してあほむけになほしてやらう。顔についた雪屑をきれいに拭ひ落してやらう。そしてサチ子が死にきれず、もがいてゐたら、もう一度喉を狙つてやらねばなるまい。恐らくそれがサチ子に与えた最も高い愛情であらうところの静かな心で、再び引金をひいてやらう。サチ子はもはや微動もしない姿となつて、安らかに横はつてゐるであらう。胸と喉から溢れる血潮が静かであらう。サチ子のまはりの白い雪が赤く染まつてゆくだらう。乱れた着物を直してやり、手や足についた雪屑や、雪屑のとけた水の玉を拭いてやらう。そして二三間離れたところへ腰を下して、サチ子の姿も、暗らい沼も、山々も、灰色の空も、みんな一目にぼんやり眺めてしまふであらう。静かだ。……冷めたくて、然しすべては、安らかであらう。遥かさが、そのときはじめて、無限にいたる思ひであらう。  恐らく涙はでないであらう。野々宮は思つた。そのとき心が胸に残つてゐるとすれば、まことの愛が、恐らく分かる筈だつた。その愛の安らかさこそ、せつないであらう。  汽車でたつた二時間なのだ。停車場まで行きさへすれば、それがすでに、すべてなのだつた。土蔵の中の数時間も、恐らく静かな時間であらう。横に長い土蔵であつた。栗の木が、土蔵のまはりにある筈だつた。野々宮があの家を訪れたのはちやうど栗の実る季節で、栗の毬を踏みながら土蔵へ通つたものであつた。嵐の多い季節であつた。土蔵の中で、嵐の音をきいたのだ。雪の深い所だから、今はもうあの高屋根が殆んど雪の下だらう。  然しあのけだもの奴は。野々宮はそれを思ふと堪らなかつた。奴は笑つてゐるだらう。すでに卓一の哄笑が耳に響くやうだつた。サチ子を殺すとは! そんな横道へそれてまで、殺意を満さねばならない人が惨めではないか、と。憎しみの殺意を、愛の姿で果すとは! そのからくりの犠牲となつた無智な女が哀れではないか、と。  サチ子を殺す。そのことが、すでに卓一の笑ひなのだつた。野々宮は思はずにゐられなかつた。憎む者を殺すことが、それほども出来がたいことであらうか。出来がたいこと、それ自体が、すでに憎むべき奴の企らみのうちにほかならぬやうな思ひすらした。恰かも計られてゐるかのやうに。野々宮は落胆せずにゐられなかつた。その一生が、すべて計られてしまつたのだ、と。  卓一を殺してやりたいのだ。けれども殺せないのであらう。心はすでに諦らめてゐるに相違ないのだ。この憎しみの激しさですら、人を殺し得ぬものであらうか。心は憎しみに狂つてゐるのに。  サチ子の突きつめた姿の隙間に、虚勢と諦らめがのぞいてゐたなら、殺すことはやめようといふのであつた。静かな心がサチ子のすべてであつたなら、その時は引金をひかう。サチ子はすでに血の海に倒れ、然し心は安らかであつたに相違ない。そしてまた静かさが、彼の心のすべてであらうといふのであつた。殺し得ぬ彼の心が、すべてそこに語られてゐた。サチ子を殺す。然しすでに、殺したのではないだらう。殺人の怖れを、巧みに逃げてゐるのだから。  殺したいのは、卓一なのだ。けれども罪悪の恐怖なしに、卓一を殺すことはできないのだつた。  然しサチ子を殺すとき、ただ静かさと安らかさのみが、すべてなのだ。サチ子を殺すことによつて、卓一を殺してやりたい欲望を充たしてゐるに相違ない。野々宮はそれを思はずにゐられなかつた。そしてその殺しがたさが、すでに卓一の企らみのやうな、切なさであつた。口惜しさであつた。飜弄されてゐるのであつた。そして更らに燃え狂ふ憎しみに落ちずにゐられなかつた。  この憎しみの切なさですら、なほ人を殺し得ぬものであらうか。なぜといつて、罰を受ける筈もないのに。なぜなら彼も死ぬ筈だから。自殺を賭けてすら、憎む者を殺し得ぬ怖れが不思議だ。人の理知とは、このやうなものであらうか。野々宮は落胆せずにゐられなかつた。  怖れとは。何ごとを、何ものに向つて、怖れてゐるのか、分らない。 「あなたは、終日、仕事を励んでをられるのかね」と、左門は野々宮に訊ねた。 「朝から夕方までなのです」野々宮は答えた。「疲れた心に、夜と孤独ほど、堪えられぬものはありません。それを怖れるあまり、突然この旅館の女中に向つて結婚を申込むことすら、決して不可能ではない程ですね。その笑談に僕自身すら苦笑を覚えることはできますが、苦笑にこもつたせつなさが、僕の喉を抑えて、放しはしないでせう」  左門は野々宮を活動へ誘つた。そこをでると、夜だつた。野々宮は、サチ子の酒場へ、左門を案内した。  まことに新奇な国であつた。そこに働く女達が、同じ母国の人であるのが、すでに不思議な思ひであつた。室内がすでに夢。そこに語られる言葉も、夢の中の思ひであつた。 「ここにひとつの真心が、夜毎に僕を待つてゐます」野々宮は左門に言つた。「真心はお墓の下へ眠りに行く道連れになることはできても、人間の生き生きとした生活の対象にはなりかねるやうですね。真心とあひびきしても、人は愉しくないのです。人を傷けるものには、むしろ不思議な愛情があります。真心の愛情は、温帯的なものですね。然し人は傷けられ、踏みにぢられたとき、極地の愛情とその温かさを知るやうです。いはば、劬はられるよりも、傷けられることが、ゆたかなのですね。温帯的な愛情は、恐らく墓が、それを象徴してゐるでせう。睡眠と休息が、その愛情のしるしなのですね。生命のみなぎる国で、人が愛とよび得るものは、恐らくそれではあり得ないでせう。悪魔の心が極地の愛をあらはしてゐます。絶巓や、混乱や、慟哭や、呻吟が、その愛情のしるしなのですね。これは奇矯な言葉ではない筈です。現代の人々に、ボードレエルやポオの世界は、むしろ健康なものなのですね。そして真心が、むしろ不健康なものなのです。僕自身にとつてすら。毎晩僕は、真心のそばで、居眠りと放心に耽るために、訪れてくるのです」 「ここへくる男達は」と左門はサチ子に訊ねた。「酒をもとめてくるのだらうか。娯楽をもとめてくるのだらうか。それとも真実のものを探しもとめてくるのだらうか」  この国で語られた言葉が、太陽の下の国では通用すると思へないのに。またこの国で起つたことが、太陽の下の国でも継続するとは思へないのに。すべてが夢の妖しさであつた。ここで語られた数々の言葉。然しこの電燈の妖しい光のない国で、それを継続させることが、すでに甚だ無理ではないか。ここに働く女達が、左門はいぢらしくなるのであつた。この室内のほかの国では、常に裏切りを受けるために、生きてゐる女達。左門は思つた。その無智が、すでに可憐だ。 「この室内で結ばれた愛が、永く続くものであらうか」左門はそれを訊ねずにゐられなかつた。「そしてここに働くやうな婦人達は、やがてそれぞれ各々の平々凡々な家庭生活に満足することができるものかね」 「水商売の女達、わりあひ諦らめがいいのです」左門の一途な質問にびつくりして、サチ子が答えた。「男がひとりでないことを知つてゐるから。本気で恋をする気は、ないのです。そのくせ恋がはじまると、無理にも本気になりたがるのでせう。だから、男を騙しつけてゐるのに、騙され易いのですわ」 「騙されて、わりあひ諦らめ易いのかね」サチ子の言葉が、左門には、知らない国の扉を開くやうだつた。彼は訊ねずにゐられなかつた。「騙されても、嘆くことは尠いのかね。また、死ぬことは」 「諦らめる人も、嘆く人も、人と場合で、色々なんです」そして単純な魂の女は、被告のやうな応答に、すでに退屈しきつてゐた。サチ子の言葉はすでに投げ出すやうだつた。「ほんとに男が好きだつたら、騙されたつて、いいでせう。売り飛ばされても。好きなら諦らめてゐられるほど、女の心は単純だもの」  左門は呆気にとられるのだつた。なんといふことを言ふのであらう。然し左門は気付くのだ。この言葉は、左門もつとに知つてゐる陳腐なものにすぎない筈だ、と。それがこの人によつて語られるとき、はじめて知る新らたな国に見えるのだ。左門は思つた。なるほど語られた言葉の意味はすでに彼も知りきつてゐた。然し今、現にその国に来てゐるのだ、と。 「売り飛ばされて諦らめてゐられるとは」左門は驚きの言葉を発せずにゐられなかつた。「そのやうな真実が私の心に信じられない。なによりも、あなた自身、その真実を信じることができるのかね」 「好きなら、仕方がないでせう」と、サチ子は欠伸のやうに答えた。  左門は、救はれた思ひがするのであつた。それほど思ひつめることができたなら、人の冷罵も物の数ではないだらう。悔ゆべきものすらなかつたその生涯の虚しさに、老いてなほいくばくの嘆きを知る左門であつた。なるほど、傷つき、裏切られ、悲しみ、泣くことが、必ずしも人の不幸ではない筈なのだ。  騙されて悔ひも感じぬ恋なら──文子よ。老父を棄てることを怖れるな。人の冷罵も怖れるな。そして、負けるな。生き生きとお前の道を生きぬくがいい。棄てられた左門の一生のごとき、文子の生き生きとした新らたな国の犠牲としては、むしろ余りに小さすぎるものだらう。文子よ。悔ひ、をののくな。何物をも、汝の足の下に、踏みにぢれ。左門の眼は、涙を宿してしまふのだつた。  可哀さうな女。然しまた、左門は新らたな絶望を、覚えずにゐられなかつた。世間を知らない文子。自分の心すら、恐らく知りかねてゐるであらう文子よ。世間を知り、男を知り、そして己れの立場を知るサチ子の場合と違ふのだつた。荒波に堪え、己れの道を生きぬくことができるとは。むしろひとつの奇蹟であつた。どうして敗れずにゐられよう。踏みにぢられ、傷めつけられ、そして亡びずにゐられよう。 「私のやうな老ひぼれが、時々ここへ遊びにきても、あなたは我慢して下さるかね」と、左門は生き生きとサチ子に言つた。彼にサチ子がいぢらしかつた。娘のやうに、いとしかつた。「人々が怖れ、憎しみを寄せるところに、静かな憩ひがありえたのだね。そのことが、私にわかりかけてきたのだね。私の知らなかつた場所が、今更私に、なにがしの怖ろしさ、いはば悔ひを、与えぬこともないのだ」 「この世界は、不健康な世界なのです」と、野々宮が冷めたく言つた。「すべて娼婦的な世界は、傷けられた肉体と、まごころのほかにないのです。そのどちらも、安価なのですね。然し人々の心に負ふた十字架は、もつと激しく、健全な筈のものです。人の健全な呻吟は、永遠に恐らく医しがたいものでせう。それを一応医させるほどの不健康と安価さを用意した惨めな国が、ここなのですね。絶巓や、混乱や、呻吟や、慟哭や、それらの健全な激しいものは、医しあたはぬ宿命のもとにあるべき筈のものでせうね」  野々宮の語気の冷めたさに、左門は呆気にとられるのだつた。言葉にこもつた憎しみのために、左門の胸が、殆んど刺された冷めたさを受けるのだつた。そんな風に冷めたく言ひきつて、いいのだらうか。このいぢらしい女達を。あまり残酷なことではないか。然しこの人は冷然として、むごたらしさを、微塵も気にしてゐないやうだ。左門は途方に暮れるのだつた。この人すら、もはや左門の通過しがたい扉の彼方にゐるのであらうか。たのむ最後のひとりにも、突き放された当惑だつた。どうしていいか、わからないのだ。所詮自分が、たつたひとり、取り残されてゐるやうだ。慟哭が、突きあげてくる思ひであつた。  左門の焦慮にも拘らず、然し惨めな結末がきたのであつた。惨めすぎるものだつた。描きうる限りのあらゆる不安を想像した左門であつた筈だのに、その結末は描きもらしてゐたほどだつた。  木村重吉の奔走も徒労であつた。そして徒労の幾日が過ぎたある日、薄暗らい編輯室で無心に事務をとつてゐた木村重吉は、思はず顔色を変えて立上つてゐたのであつた。彼はちやうど警察詰めの記者が渡した原稿を読みかけてゐたのであつた。  まだ高梨が前田医院の助手を勤めてゐたころのことである。下宿先の老吏の娘を姙娠させたことがあつた。すでに高梨は小金を握つた未亡人を籠絡して、開業してゐた。老吏の娘は自殺した。それはすでに半年前のことであつた。老吏は世間体を羞ぢて、自殺の原因をほかのことにかこつけたので、高梨の名はあらはれずに済んだのである。然し月日のたつうちに、老吏は口惜しさで我慢のならない気持になつた。そして半年もすぎてから、警察へ訴えたのだ。ところがこれは偶然であるが、老吏が悲しい訴えをした同じ日に、開業の資本をだした未亡人が、高梨の婚約不履行を訴えて、警察へ泣きこんできた。貯えの金はみんなひきだされてしまつたうえ、高梨は女をつくつて遊びまはり、行方も知れない状態だといふのであつた。  話の種がいたつて尠いこの市では、これだけのことでも四五段ぬきの記事になるのだ。卓一の新聞は片隅の穴のやうな目立たぬところへ十行ぐらゐで片付けたが、この市の勢力を二分してゐるもひとつの新聞は、この記事を写真入りでトップに置いた始末であつた。故意に対立したわけではなく、あいにく、めぼしい話の種がなかつたせゐに外ならない。それが高梨でなかつたら、卓一も同じことをした筈だつた。  調べてみると、高梨の被害者は二人だけではなかつた。禁漁区へ釣糸をたれたやうに、小気味よくあらはれてきた。人妻もあれば女学生もあり、踊り子もあれば女給もあつた。高梨が土地に育つた人でなく、他国の人であつたことが、因循姑息な厭世港市の心証をよけい悪化させたのであらう。ひところは高梨の名が色魔の代名詞に用ひられたほど人々の日常の口の端にのぼり、退屈した市民達の炉辺夜話を賑はすのだつた。  警察の手がうごいてから二日の後に、高梨は温泉もない小さな町でとらはれた。いふまでもなく田巻文子が一緒であつた。話も愈々名実ともに大ニュースである。厭世港市の炉辺夜話はわきあがり、益々にぎやかになるのであつた。事件のはじめから偶然記事を大きく扱つた新聞は、思ひがけない金的を射止めた思ひで、鳴物入りで書きたててゐた。左門は彼等の反対党の人でもあつた。一方卓一の新聞は、その金的が始めから分かつてゐたので、逆に記事を小さく殺してゐなければならないやうな、わりの悪い戦争だつた。  高梨は新潟へ護送されるとそのまま留置されてしまひ、文子は一応の取調べがすむと、雪の降りつもる深更に、田巻左門に引き渡された。文子等が護送された朝、左門は人眼もはばからずに、ひとり停車場に立つてゐた。新聞社の写真班が彼の姿を撮影したが、彼は顔色を動かさなかつた。写真を怖れる気配もなかつた。護送の自動車のあとをつけて、左門の自動車も警察へついた。誰がどのやうにすすめてみても、左門はたうとうきかなかつた。警察の片隅のベンチに腰を下して、取調べのすむ深更まで坐りとほしてしまつたのである。警察の方が我を折つて、その夜のうちに文子の取調べを完了しなければならなかつた。  この荒々しい出来事の一方に、卓一をめぐつて、思ひがけない事情が起きた。 五  文子が左門のふところへ戻つてからまもないころの話であつた。  大念寺の離れへ古川澄江が訪ねてきた。吹雪のひどい夜であつた。  吹雪の夜は、闇空を走る北風の悲鳴だけでも、やりきれない。卓一の少年の頃は、吹雪の夜といひさへすれば、きまつたやうに電燈が故障を起して消えたものだ。夜明けまで消えつぱなしてゐたものか、真夜中ごろには故障が直つて点いたのか覚えがないが、卓一は蝋燭のちらくら揺れる光影の下で、いつも眠つてしまつたのである。ひよう〳〵といふ北風の悲鳴が遠い空から泣き狂つてきて、どッと家につきあたる。屋根の横手で舞ひ狂つて、やがて悲鳴は街を走つて去るのであるが、いはば礼拝堂の中へ籠つて蝋燭のかぼそい光影の下にひれふし、神の御名を唱えながら、礼拝堂の周囲を駈け狂ふ妖怪の喚きや罵りをきいてゐるやうな心細い思ひ出である。今時はさうではないが、子供の頃は風の悲鳴が走るたびに、妖怪を感じて、怖しかつたのだつた。ちかごろは吹雪の夜でも、めつたに停電することもなくなつてゐる。  吹雪の日、風に追はれて歩くのはさほどでないが、風に逆らつて歩くときには、大の男もさすがに辟易するものである。まともに息もつけないし、二足歩いて一足さがる状態で、眼もあけられない始末であり、着物はさらつて行かれさうで、うかうかすると何のたわいもなく吹き倒されてしまひさうだ。ちかごろは自動車だから不安はないが、人力車が街の唯一の交通機関であつたころは、吹雪の日には、車を走らすことができない。吹きとばされてしまふのだ。そのころは汽車の不通も吹雪といへば附き物だつたが、汽車はどうにか通じても、市内の交通機関がなくて停車場へ行けないことが頻りにあつた。なにぶん停車場へ行くためには、七町半の万代橋といふやつかいな難所を通らなければならないのである。北風海風川風がのびのびと腕をのばしてつかみかかつてくるのだから、人間は玩具のやうなものだつた。今は橋も立派な鉄橋になつてゐる。  もはや冬もたけなはで、頻りに吹雪の日があつた。吹雪の夜はさすがに出張も差控えがちの他巳吉であつたが、その日は腹にたまりすぎた鬱憤があつたとみえて、大念寺の門前まで自動車をのりつけ、それからふうふう言ひながら、なんども墓にけつまづいて這ひこんできた。そして二人は花牌をひきはじめてゐたのであつた。古川澄江が訪ねてきた。  新潟の生活に馴れてからは、卓一は古川澄江をもはや思ひだすこともないやうな気持がしてゐた。然しこくめいに考へてみると、一日といふ長い時間はいろいろのつまらぬことを思ふ時間で、くさぐさの物思ひのどこかしらには、一日に一度ぐらゐの割合でやつぱり澄江を思ひだすことはあつたらしい。そんな女が同じ土地にゐるのかなと思ふやうな、遠い追憶をくりのべるやうな物憂い心でふと思つたり、俺は愈々ほんとうにあの女を忘れてしまつてゐるらしいな、憎しみも未練も愈々消え失せてしまつたらしいと思つてみたりするのであつた。あの女も愈々死んでしまつたらしいと卓一は思つてゐたのだ。けれども澄江にぶつかりさうな集会には、なるべく行かないことにしてゐた。そのことも特に澄江を意識してのことではない。その心はもつと平々凡々で、見栄も張合も失はれた日々の愁ひと黴にまみれた思ひにほかならなかつた。そして澄江に会ふことが、ただうるさいと思ふばかりのことなのである。 「卓一さん。あの女のひとはどうしたね。ほれ、弁護士のお嬢さんさ。蓋のついた四角の箱をたたく娘さ。なんといつたつけな。年寄りはなんでも忘れてしまふね」  と、他巳吉が時々そんなことを言ふ。「見かけによらず腕がないね。なんとかなりさうなものぢやないかね。え、卓一さん」と言つたりする。卓一は苦笑をもらしてしまふのだが、なんの痛みも心に覚えることはなかつた。すべてはもはや過ぎ去つてゐる。  大念寺の離れは六畳と八畳の二間であつた。戸口をあけてはいつたところは八畳で、ひどく寒々とした部屋だ。安物の卓子と二つの椅子が置いてあるが、これが卓一の仕事部屋で、奥の部屋には万年床が敷いてある。火がなくとも、いくらか感じがあたたかいのだ。他巳吉と卓一は万年床を隅の方へ押しやつて、毛布に膝をくるみながら花牌をひくことになつてゐる。この部屋の主人は火をおこす煩労にも堪えかねるので、炬燵もかかつてゐなかつた。 「寒いわ。ひどい吹雪ね」  澄江はつぶやいた。椅子にかけたものかどうかと部屋を見廻してみたらしいが、火鉢もないし、座蒲団もないので、とにかく椅子に腰を下してしまつたらしいが、かう寒々としてゐては腰かけ具合も落付かないし、なるほど寒いに相違ない。卓一はどうしていいか分からなかつた。炭だけは、あるにはあるのである。他巳吉のゐる六畳へ火のない火鉢をとりに行つて、花合戦をしばらく待つてくれと言ふと、え、ほれ、あれはペアノ弾きの娘かねと他巳吉は悦に入つてにたにたと卓一の顔をのぞきこんだが、卓一は夢の中に置き放されてゐるやうな訝しげな顔付を最もかすかに動かすこともできないやうな有様だつた。  卓一はただ訝しい思ひであつた。別に感動といふものもなかつた。  澄江を知り、そして恋心を知つてから、もはや四年すぎてゐる。四年間。その年月の流れるうちに、たつた一人の澄江をめぐつて、どれほど多くの物思ひがあつたであらう。澄江ひとりの姿をめぐつて、思ひうるあらゆることは思ひつくしてきたのである。そしてすでに結論すらもあつたのだ。新らたに附加ふべき何物も、今更あらうとは思はれない。  卓一はあらためて澄江を見た。この女である。そしてたしかに特殊の感動を心に覚えたとも思はなかつたが、然しただ甚だ訝しい思ひだけが頭の入口をはいつた所に舞ひ漂ひ、あらゆる思念がそれから奥へはいることができない感じだ。  四年間澄江をめぐつて思ひ耽つたあらゆる思念が、この瞬間に中断され、暗黒の幕の彼方にさえぎられて、過去の思念の一切を振向くことがもはやできない。あの明確に下された筈の結論すらも、もはや振向く術がない。在るものはこの瞬間に始められたこの現実と、そして過去のあらゆる思念を暗黒の幕の彼方へ見失ひ、この瞬間から誕生した新らたなそして幼稚な心があるばかりである。 「この女なのだ……」卓一は思ふのだつた。この女。なんといふことだらう。すべては実にくだらない偶然の仕業ではないか。もしもこの女に遇はなかつたら……否、遇つてゐてもいいのである。然し澄江に遇ふ以前に女友達がないことはなかつた。そして澄江を一目見たとき心を惹かれたそれ以上に、それらの一人二人には心を惹かれた思ひ出がある。ただ深入りをしなかつたのだ。そして心が絡みあつてしまふほど踏みこむ勇気と偶然がなかつたまでの話なのである。たまたまそれらの女の一人に深入りをして心と心を交えてゐたら……恐らくその人が卓一の心の裡に澄江の位置を占めてゐるに相違ないのだ。その後に澄江を知つたにしても、澄江はもはや彼の心に今の澄江である筈はない。あたかも由子と同じやうな千万人の美女のひとりにすぎない筈だ。すべては偶然の仕業なのである。  この女でなければならない筈はなかつた。然り。この女でなければならぬ筈はない。けれども、ひとたび偶然が終りをつげた今となつては、もはや澄江が唯一人の女でなければならないやうに決定されてしまつたのか。もはや心が宿命を負ふてしまつてゐるのだらうか。ひどく訝しい思ひがする。宿命なぞといふ言葉で、手軽に片附けてはならないやうに思ふのである。もつと深く突きつめて、考へたことがある筈なのだ。四年間の歳月が流れるうちには、同じ問ひを幾度も心のうちに取りあげて、精密な式も答えも出してをいた思ひがする。単にかうではなかつた筈だと思はぬことはないのである。然し考へてみやうとしても、結局やつぱり徒労なのだ。頭の入口をはいつた所に、恰も漠然と雲を敷きつめてゐるやうな訝しい思ひが舞ひ狂ひ、そして頭の入口へふと浮かびでるあらゆる思念が、もはやそれ以上に深入りすることを禁じられ、まとまることを拒まれてゐる様子であつた。 「実に不思議だ。そして奇妙だ。そしてたしかに滑稽らしい」と卓一は思つた。  滑稽らしいと思ひはするが、さういふ意識を突き破つて、彼はもはやこの人となら結婚しても悔ひないといふ確信をいだきはじめてゐるのであつた。  この確信はたしかにあまり唐突だと彼は思つた。澄江を宿命の女のやうに思ひこませ、確信させやうと焦せりぬいてゐるやうな、そわそわと落付きのない自分が見える。卓一は冷めたい火鉢に火をおこさうと頻りに紙を燃しながら、もつと自分を落付かせて、もつと深いほんとの肚を突きとめやうとするのであつた。部屋は煙でいつぱいになる。やがてのことに火の方はどうにかつきかけてきたのだが、頭の方はどうしても思念が奥へはいらないのだ。そのくせ唐突な確信が、もはや自分のすべてのやうな落付きを見せて、無性に悠々とひろがつてくる。  澄江が火鉢へ近づいてきた。 「私がするわ」澄江は火箸を受取つて、火を動かしてゐるのである。澄江も考へにまとまりがなくて、困りはて、ぼんやりしてゐるやうに見える。澄江が火鉢のそばへ来たので、卓一は自然に澄江のそばを離れ、それゆえ火鉢のそばを離れて、立ち上ると、椅子へ腰を下してしまつてゐるのであつた。 「私ね。満洲国へ行くのよ」 「いつ」 「二週間ぐらゐのうちに」 「どうして」 「行つてしまふだけよ」  東京へ行つてしまふわといふ由子の言葉と、同じやうな言葉である。然し卓一は由子の場合と同じやうに、冷めたく聞き流してゐることはできなかつた。自分を愛してゐるといふ一つの表現だと思ひはする。そしてもしも果してさういふ意味だとすれば、澄江だけのことではない。自分だつて……卓一はさう思ふのだ。俺は澄江を愛してゐる。澄江の暗示にひきづられて思ひ当つたわけではなく、澄江が自分を思ふよりも、もつと愛してゐたのだつた。そしてさういふ心のうちを、どういふ言葉で表現したらいいのだらうか。お前が俺を愛すよりも俺はもつとお前を愛してゐたのだといふ心のうちを。──卓一の頭のはたらきから、もはや内省のはたらきが、失はれてゐるわけではなかつた。結局ただあらゆる内省は無視されることによつて圧倒され、そして空転するのみであつた。 「私ね」澄江は火鉢のそばを離れた。そらぞらしく口を噤んで立ち上ると、卓子を差しはさんで、卓一の正面へ腰を下した。「私ね。満洲国へ行つてもう帰つてこないわ。新京に叔父さんのうちがあるの。もしかすると……」 「…………」 「ふふ」澄江は笑つた。「なんでもないのよ。私ね、そんなことを言ふために、ここへきたんぢやないのよ」  卓一は澄江の言葉がとぎれるたびに、今度こそは言ひださうと、たつた一つの同じ言葉にこだはりつづけてゐるのであつた。卓一はそれを言ひきつた。 「僕と結婚してくれないか」と。  その瞬間澄江の瞳に憎しみの冷めたい光が凝結した。そして澄江は突きさすやうに卓一の瞳を見たが、やがてもはや眼をとぢて、椅子の背に軽く頭をもたせかけて、微動もしなくなつてゐた。長い長い時間であつた。  澄江はやがて眼をあけた。憎しみの光はもはやなかつた。諦らめきつてゐるやうな、悲しい冷めたさが浮かんでゐた。 「四年間……」と澄江は小さく呟いた。そして卓一をちらと見て「四年間よ」と繰返すと、澄江はまるで自らを嘲けるやうな冷めたい笑ひを顔に浮かべてしまつたのだ。やがて澄江は椅子を離れた。卓一の方へ背を向けて、火鉢の前へ静かにしやがむと、つめたさのために凍てついてしまつたやうに、微動もしなくなつてゐた。泣いてゐるのではあるまいかと卓一は思つた。  澄江はやがて立上つた。身装のくづれをなほしてから、ふりむいて、椅子にかけた。突然澄江は蒼ざめた顔をあげて、きびしい詰問の口調で卓一に言つた。 「どうしてそれを四年前に言つてくれなかつたの」  そして再び一層激しいヒステリックな詰問の声で、同じ言葉をくりかへした。 「どうして言つてくれなかつたのよ。四年前に」  恨みと怒りと詰問のきびしい表情が、然し突然くづれてしまふ。そして再び諦らめきつた悲しさに変るのだ。弱い声でつぶやいた。 「もうおそいわ。もうおそいのよ。おそすぎる。おそすぎる。四年間だもの」  その悲しさのせつなげな有様をみて、卓一は当惑のあまり、思はず絶望の呟きをもらしてしまふのであつた。 「もうおそすぎたのか」と。卓一の心のはたらきはもはや子供のそれのやうに単純となり、澄江の言葉の通りのものをそれが意味のすべてのやうに意識してしまふばかりで、その幼稚さを憎みながらも、手も足もでない状態だつた。  澄江はやがて、やうやくかすかな笑ひを浮かべた。いいえ、さうではないのよと言ふやうに、首をふつて見せるのだつた。 「それでは結婚できるのか」  澄江はしばらくすぎてから、頷いた。  卓一の感動はその須点に達してゐた。静寂な風景を眺めまた雄大な自然に接することはあつても、一応の美を感じ、そしていくらか愁ひの晴れた思ひはしても、愁ひの発するその根源から根こそぎさらひとられるやうな感動を受けた覚えはもとよりない。もとより風景の美はたかの知れたものである。たまたま水の波紋のやうな、極めて表面的な愁ひの波に適合する程度のもので、深い苦悩の奥にまで達しうる筈はないのだ。まだしも人間関係の世界は、その最も日常的な皮相のものであつてさへ、風景よりはいくらか深くまた複雑に苦悩の襞の奥の方へふれてくる。そしてたまたま人間の愁ひの発する源から根こそぎ揺りうごかしてくるやうな感動の世界があるとすれば、当然それは人間関係の世界以外にありうる筈はないのだ、と常に卓一は信じてゐた。けれども大自然に接するたびに常に殆んど退屈し、慰さむことがなかつたやうに、彼の経てきた人間関係のパノラマも、また常に陳腐で、魅力がなかつた。たのしさもなかつた。感動もなかつた。そして常に退屈だつた。 「なんといふ美しさだらう」卓一は感動のあまり、思はず口にでかかるのだつた。卑小な一人の人間に、この絶対の美しさが秘められてゐることを、かつて信じえたであらうか。否々々。ありうることは予想しても、その実際を信ずることは為し得なかつた筈である。 「なにものが卑小なひとりの人間をこんなに美しくするのだらう」卓一は心に溜息をもらすのだつた。「そして俺は? 澄江の美しさにひきづられて、俺も今はいくらか美しく振舞つてゐるのであらうか。すくなくとも、美しく、そして高貴に、振舞はなければならないといふ責を感じる……」  生れてはじめての経験だと卓一は心に叫んだ。凡そこの世にありうるところの最も美しいものを、はじめて認識したのである。最も美しいもの、最も高貴なもの。すべて絶巓に位するところの唯一にして絶対のものも、我々の頭は極めて容易にそれを予想し、描き、思量することができるのだ。然し我々の長からざる生涯に於て、すべて絶巓に位するところの唯一のものを、その色も香も手ざはりも声も具えた生々しい現実の姿で、掴みうることが、いくたびあらう。否。ひとたび有りえたことが、すでに奇蹟だと卓一は思つた。現に不思議な幸運のなかに坐してゐる歓喜を、彼は現実に意識したのだ。 「俺はたうとう現実に勝つた。そして今俺は怖れげもなく現実の上に君臨してゐるらしい。奇蹟的なひとときである。現実が夢より美しいものだと誰が言ひ得たであらう! 俺は今、億万の人に向つて、現実は夢よりもつと美しいと言ひきることができるのだ」  卓一の眼は歓喜のためにかがやいた。然し美しさへの讃嘆のために、さらに清らかにかがやいてゐた。 「私ね。今日あなたをお訪ねしたほんとの理由は……」と、澄江は言ひかけて、口をつぐんだ。然し顔に安らかな色が浮かんでゐた。「理由があつたの」 「…………」 「私ね。入口のところで、あなたの顔を一目みたら、ひとこと怒鳴つて、そしてさつさと帰へらうと思つてゐたのよ」 「何を怒鳴らうと思つてゐたの」 「愛してゐるのよつて。それだけ」  澄江は自らを憐れむやうな、けれどもまた蔑むやうな、疲れたかすかな笑ひを浮かべた。 「四年間。私あなたのことばかり考へつづけてゐたんだもの。いつもあなたが私のそばにゐるやうな気がしてゐたわ。いたずらをしても一々叱られるやうな気がしたの。夢でだつて、なんべんあなたを呼びつづけたか知れないのだもの」  俺だつて、もとより同じことだつたと卓一は思ふのだつた。ただこの人ほど美しくそして立派な態度ではなかつた。 「僕は」と卓一は感動に盲ひて言つた。「人間の現実は常に低俗をまぬかれないものだと思つてゐた。そして現実から遊離した抽象世界でどうにか低俗な現実を救ふことができるのだと思ひこんでゐたのだつた。そして現実を夢のもつ香気にまで高めやうとしてゐたのだ。見当違ひの話だつたね。怖れを知らない不遜な間違ひを犯してゐたのがやうやくはつきり分かつたのだ。僕は今まで卑小な一個の人間が、君が、こんなに美しくそして高貴なものだとは夢にも思ふことがなかつた。思ひうることすら諦らめてゐたほどだつた」  そして卓一は我を忘れて叫ぶのだつた。 「僕は君と二人なら、絶海の孤島に永住することも怖れない確信がついたやうな思ひがするのだ」  なんといふ無茶な誇張を言ふのだらうと卓一は呆れもした。なるほどそのときの気持だけでは誇張であるとも言ひきれない。その時の気持だけではむしろ確かに自然であつた。然し一時の感動にまかせて、ひとつの不変の永遠を誓ふことは、あまりに無知な仕方である。己れを愚弄するばかりでなく、愛する人をも現に愚弄してゐることではないか。然し卓一はさうではないと思ふのだつた。ためらひや怖れを忘れなければならないところの、最も信頼すべき大現実がここに生れてゐるのだから、と。──この感動をだきしめてまもるだけでも絶海の孤島に住みうる筈だと彼は心に叫んでゐたのだ。  卓一は帰る澄江を送る道で、まき狂ふ吹雪にてもなく飜弄されながら、叫ぶやうに喋つてゐた。 「僕は結婚を軽蔑してゐた。不自然な約束だと思つてゐたのだ。そして自分の一生だけはこの不自然な束縛に苦しませないつもりであつた。ひとりの人を永遠に愛すことができるなんて、それは嘘だ。結果的には愛しえた場合がありうるにしても、永遠を誓ふことはそもそも不遜だ。その不自然な約束のためにアドルフの悲劇があつたし、アンナ・カレニナの悲劇もあつた。もう沢山だ。我々が同じ悲劇を性懲りもなく犯すなら、それはもはや悲劇ではなく、不信の当然な懲罰であり、むしろ己れの生涯を愚弄したにすぎないのだ。永遠を誓ふことは許されない。我々の愛が始まるときには必ず愛情のさめる日を意識しなければならないのだ。その鉄則をこの日まで僕は信じて疑はなかつた。いや、今もなほ疑はない。君に対する愛情すら、やがて衰える日は必ず訪れてくる筈だ。それはもう、分かりきつてゐることだ。この愛情すらやがてさめる時はあるのだ。然しこの愛情すらさめるといふなら、それはもう仕方がないと思ふのだ。僕はもうここまでで精一杯だといふ気がする。とにかく君は僕にとつて理知を超えた唯ひとりの宿命の女だといふ気がするのだから。愛情のさめることを予想しても、今更それを怖れてはゐられないと思ふのだ」  澄江は吹雪に喘えぎながら頷いた。 「きつとさめる日がくるわ。さうよ。だけど、それを怖れてはいけないわ」 「幸福だ」と卓一は叫んだ。けれどもなんと意識した叫びであらうか。それを思ふと、この愛情の悲しい結果が、結局すでにやつぱり分かつてゐるやうに思はなければならないのだつた。ただそれを怖れない猪のやうな一途な進路があるだけだ。それでいいのだと卓一は思つた。  吹雪の丘をやうやく上へ登りつめると、裸のポプラが頭の上に悲鳴をあげてゐるのであつた。澄江の家はもう近かつた。 「今度はいつ会へるかしら。あした?」  澄江はしばらく返事をせずに歩いてゐた。 「あしたはいや」と、突然澄江はきつぱりと言つた。「私達はもつと落付かなければいけないわ。ね。さうでせう」 「ほんとにさうだ。落付くことが必要だ。それでは、三日あと」 「いやいや」澄江は首をふつた。「そんなに長く待つのはいや。私あしただつて会ひたいのよ。今だつて別れたくない。もつともつと歩いてゐたいわ。だけど、落付かなければならないの。ね。私達もつと落付いて、冷静になりませう。私もう、ぼんやりしてしまつてゐるわ。明後日。私あなたをお訪ねするわ」  別れる時に澄江は言つた。 「この日がこんな風にならうとは、夢にも思つてゐなかつた。ぼんやりしてゐるの。そしてひどく疲れてゐるの」  そして澄江は、この一日卓一に残した印象のうちで、最も安らかな笑ひを浮かべ、そして吹雪の幕の彼方へ、やがて見えなくなつてしまつた。  卓一は吹雪の丘にただ一人とりのこされた。空は暗黒であつたが、地上は雪の白さのために明るかつた。けれども雪は暗い空から悲鳴にのつて降り狂ふばかりでなく、風にまかれて地上の積雪が吹き狂ふために、濛々として視界はせまく、のみならず、せまい視界も顔をあげ眼を見開いて直視する方法がない。俯向くことによつて辛うじて眼をあけ、足もとを見定めるのが精一杯の有様であつた。まともに吹雪が突きあたる時は、その眼もとぢて立ちすくまねばならないし、踏みだしかけた足の坐りが悪い時は、よろめきもしなければならぬ。けれども狂暴な大自然の無情さがなんの苦痛にも思はれなかつた。むしろ安らかに見えるのだつた。卓一は歩きつかれて、丘の上の雪のなかへ腰を下した。外套の周囲に敷きつめた雪も吹き狂ふ風にまかれて舞ひ走り、風の悲鳴が耳を掠めて暗闇の奥へ駈け去つてしまふ。卓一の心は安らかだつた。吹雪の丘に坐りとほして冷めたい一夜を明かしても、さめ、そして衰ふるべき何物もなく、心にみちた静寂がひたすら豊かになるばかりに思はれてゐる。雪の上にながながと寝てしまひたい思ひもした。大自然の無情さが、なんとまあ惨めなまでに無力であらうか。いかなる苛酷な無情さも、卓一の安らかな思ひをみだすことはできないのだ。なんと充実した思ひであらう! そしてそれは何物が与へた力であらうか。卓一の安らかな心のなかには、さつき澄江の残していつた安らかな笑ひ顔が静かに息づき、そして憩ふてゐるのであつた。  けれども翌日はあまりに違ふみぢめな心の訪れを知らなければならなかつた。  怖れと不安。そして苦痛。どうすることもできないのだ。歓喜の高さが怖れと不安の同じ高さに、忽ち変つてゐるのである。そしてその怖るべき事実だけを、理窟もなしに押しつけられてゐるばかりだ。なんといふ苦痛にみちた暗闇だらうか。それは失恋の苦しさとまつたく同じものであつた。  苦痛にみちた二週間がかうして流れた。 「どうして君は毎日会はうと言はないのだらう」卓一は苦痛に堪えかねて、言ふのであつた。「君は怖くないのかしら。そして不安ではないのだらうか。若しくはないのだらうか。僕に不安のない時間は、君に会つてゐるときだけだ。別れた瞬間にはもはや苦痛がはじまつてゐる。君に会はない一日は、不安のために当もなく街をさまよはずにゐられないのだ」  卓一は孤独の時間をすごすことが最も大きな苦痛であつた。不安のために狂ひだしてしまふやうな心細さに襲はれる。夕暮れが何よりせつない時間であつた。夜が落ちるといくらか心は落付くのだ。夜が更け、そしてもう澄江に会へる見込みのつきた時間がくると、どうにか気持もおさまるのだつた。その時間が訪れるまでといふものは、ただわけもなく友達の顔が恋しかつた。ただお喋りをしてゐるだけで、いくらか不安がまぎれるのだ。身辺に他人の存在を意識することができるだけでも、とにかく一応二人だけの切迫から解き放された、苦痛のうすらぐ思ひがした。そして他巳吉の来訪が、待ちきれない思ひがするのであつた。 「なんとか巧いことを言つたね。え。卓一さん。ほれ、殺し文句さ。あんたと一緒ならなんとか言つたぢやないかね。たとひ火のなか水のなかさ。お前とならば海山千里といふことがあるね。違ひない。あんたは鬼界ヶ島の燈台守だ。わはははは。いやはや、きかされたね。あんたと一緒なら島流しにもなりたいかね。わはははは。この道ばかりは昔からうまいことを言はせるよ。とんだ濡れ場で眼の毒、耳の毒、木石ならぬ身の大敗北だ。いや、につぽんの燈台も、あんたの眼の玉の黒いうちは燈りの消える心配がなくて、大きに心丈夫といふものだ」  と、他巳吉はひやかすのだつた。然し他巳吉の訪れも、澄江の姿が現れてから、とみに活気づいてゐた。 「いよいよ天下の形勢はおだやかならん雲行だ」と他巳吉は大声はりあげて這入つてくるが、澄江の姿を認めることのできる日は、活気づいて更に大きな声をだしてしまふのだつた。「やあ! 俺のいろをんながゐるぞ」と。  雪が毎日降りつづいてゐた。汽車の不通。ラッセルの運転不能。出水。電信の故障。家屋の崩壊。そして雪崩。雪国の新聞は特殊の報道で忙しくなる。然しニュースもあらゆる運転の故障と一緒に遅延しがちになるのであつた。そのころ議会の形勢は険悪を極めてゐた。そして卓一の毎日の帰宅がおそくなつてしまふのだつた。 「女の子には男の子。男の子には女の子さ。世の中は男と女だ。後にも先にも、つまるところ、それだけのものだね」と、他巳吉は澄江に言つた。「年ごろの男女がつくねんとひとりでゐるほど、この世の中に無駄なことはないものだ。さうだらうがね。この部屋にしたところで、あんた。あんたが現れるまでといふものは、北極さ。俺も、いやはや、動物園の白熊だつたね。所詮世の中は男女の道につきるものだ。ほれ、あれはなんといつたかね。あの四角の箱さ。ペアノかね。あのペアノさ。然しあれは頭痛の起る道具だね。俺の苦手だ。あれもあんた、然し伊達にひくわけはなからう。分つてゐるがね。所詮音曲は色気のものだ。その道の娯しみのためにあるものさ。いやはや、あんたのペアノも、松虫、鈴虫、猫の声とをんなじだね。さて、そこだ。合せものには離れものといふ、ここにひとつの古人の戒めがあるね。ここに最も大切なのが、男女和合の秘訣だ。おや。あんたは早くも考へたことがあるね。ちやんと顔に、でてゐるよ。いやはや、どうも、若い者は、そこのところを狙ひすぎて困るのさ。油断大敵は、そこのところだ。男女の道があまり露骨になつてくると、却つて色気のないものだね。治にゐて乱を忘れずといふ日頃の心得は、このときだ。血気にはやるは、過ちのもと。驕る平家は、とかく、ここの理窟がのみこめないことになつてゐるね。さて、そこだ。ここに浦島太郎の遺愛の品といふものがあるね。玉手箱を開けてみると、煙の立ち去つたそのあとに、不思議や色面白い二つの小箱が現れてきたのさ。乙姫様の心づくしだ。何物だらうと手にとると、浦島太郎が思はず、にやりとしたと言ふね。これが今の世に伝はる男女和合の秘密の品だ。浦島太郎と乙姫様が竜宮に三百年暮らすうち、鮟鱇の踊りも、魴鮄の浪花節も見向きもせず、時を忘れて娯んだといふ、霊顕あらたかな品物で」  他巳吉はやがておもむろに例の二箱の花加留多を懐中からとりだすのだつた。そして卓一の帰宅がおくれる夜があつても、他巳吉と澄江は花碑をひいて遊んでゐた。 「どうしてあんたは毎晩遊びにこないのかね。あんたが遊びにこない日は、あの人の顔が思案にくれた金魚になるがね。どうも何か物足りない間のぬけた顔になるよ。ここのところは、あんた、ひとりの男を人間にするか、金魚にするかといふ大切なところだ。あんたも一人前の女だ。ねえ。大きにさうだらう。親の思惑を気に病むこともないが、毎晩帰りがおそくなつてうちの具合が悪いといふことがあつたら、そこはあんた、俺がひとはだ脱いでやりたいところだが、いやはやどうも、俺はその若い頃から弁護士に喋りかつだけの心得を、そのなんだね。弁護士を舌の先にまるめこんで、ごまかすだけの器量がないと白状するのも面目ないが」  他巳吉は口ほどもない大の憶病者であつた。かつて卓一が文子の行方をつきとめるために高梨の留守宅を訪ねた時のことであるが、他巳吉は旺んに気焔をあげながら、卓一のあとからついてきたのだ。然しそこが高梨の家だと分かるところへくると、もはやばつたり足をとめて、にやにやと笑ひを浮かべ、尻込みをするばかりであつた。「すべてなんだ。この医者のうちといふものは殺された患者の亡魂がたちこめてゐるもので、このあひだもあんた、大学病院へ行つたところが、うつかり吸つた息の中へ亡魂の片足を吸ひこんできて、いやその晩のうなされたことはといふと……」他巳吉は尻込みしながら例の冗談にまぎらしたが、交渉といふやうな肩を張つた人生が、もはや堪えがたいらしかつた。生来の弱気が愈々露骨になつたのか、金貸しのころの虚勢で通した強気の記憶が味気ない思ひを深めて、べつだん気に病む筋のないこんな会談に立ち会ふことすら厭な思ひがするのだらうか。然しもともと他巳吉は他人のことに自ら進んで一肌ぬぐといふやうな勇み肌の親切気は、まつたく持合せがなかつたのである。 「私ね。もうここへ来ることを止さうと思ふのよ。くるたびに、いつも思ふわ。もう来てはいけないのだつて。だけど、やつぱり、くることになつてしまふの」と澄江は他巳吉に言つた。「私ね。もうあの人にあつてはいけないのよ。会ひたくないの」 「おやおや。誰だね。そのあの人といふのは」 「お爺さん。まぢめにきいてよ。私ね。だつて。今がいちばん幸福な時なんだわ。そのくせ幸福ぢやないわ。苦しいのよ。せつないの。不安でそして怖しいわ。ふしあはせな、苦しみの予感だけしか考へることができないのだもの。あの人にすてられる。あの人の愛がさめる。心配や不安や苦痛つて、そんなことではないんだけど。もつと口に言へないやうな、うすぐらくて、そしていつぱい立ちこめてゐて、形のはつきりしないものなの。ね。お爺さん。私だから思ふんだけど、ほんとに愛してゐる人と結婚するといふことが、間違つた考ぢやないかしら。ほんとに愛してゐる人と一緒に暮さうなんて、虫がよすぎる。いつと最後の幸福をほんとに掴んでしまふなんて。私あんまり虫がよすぎたの。それは一生さめることのない夢にして、大切にしまつておかなければいけないことなのよ。お爺さんもさう思ふでせう。思はないかしら。ほんとの幸福になりきらうなんて、間違つた考なの」 「さて、これはこみいつた話になつたが」と他巳吉はへどもどしながら笑ひだした。「とにかくなんだ。好きな男と一緒に暮すほど幸せなことはないがね。そのほか贅沢に考へたら、あとはもうきりがないがね」 「ふうん」澄江は他巳吉を睨んだきりで、答えなかつた。  それにしても、なんといふ不安なのであらうか。異体の知れない思ひである。  澄江は家人や友達に同じことを言はれつけてゐるのであつた。つまり澄江の生活態度の外貌が甚だしく頽廃的であるにも拘はらず、その実際は家庭的な女だといふことであつた。世話女房型の常識的な生活態度が最もふさはしい女だといふ批評なのである。とかく澄江もその批評には屈服されがちで、言はれてみれば思ひ当る節が多く、一度結婚してしまふと、家庭の底へ埃まみれな下積みになつてしまつて、ひろびろとした人生から遠く隔離されさうな、惨めな自分を考へてしまふ。非常に暗らい厭な予感だ。助からないなと思ふのである。  卓一と結婚すると、それがもはや極端に助からないといふ気がした。せつないまでに愛しきつてゐるからだ。しひたげられ、踏みつけられても、浮かびあがらうとする浮力がもはや片鱗すらないやうな、家庭の暗がりに蠢めく一匹の虫とか、家庭の上層部には明るい波があるけれども、その下層部には澱んだ不吉な暗闇があつて、自分の姿はその暗闇をまもるところの醜悪にして貪婪な餓鬼の姿にほかならぬやうな苦痛にみちた思ひがした。  また卓一は、四年前の卓一ではなかつた。澄江の乗ずべき幼稚さをもはや失つた卓一である。精神の頽廃の極地にまで足をおろし、すべてのものを無感動に、感動すら無感動に、眺めなれてきた冷酷な眼の男であつた。  澄江は卓一と嘉村由子の関係を噂にきいて知つてゐた。それを卓一に問ひただしたことがあつた。 「私ね」澄江ははじめ遠まはしに言つた。「あなたはもう結婚してらつしやるのかと思つてゐたわ。そんな噂をきいたことがあつたの」 「結婚をしたことはなかつたけど」──女との関係は全然否定してゐない卓一の態度であつた。常識的な羞らひや、ためらひの片鱗もないのである。要するに今更過去をほじくつても所詮無駄だといふのであらうか。性欲や、精神の交流しない好色夢は所詮さけがたい事だから、言ふだけ無役だと言ふのであらうか。卓一の営々たる理知の工作は結局あげて頽廃のどん底に達し、極地にすえられた感動のない灰色の眼で、一切の甘さや中途半端を冷然と拒んでゐるやうに見えるのである。屁理窟や感傷は無駄だ、そして返屈だ。昔の人の諸々の愚かな生活が、それを証拠立ててゐる。そして昔の悲劇や喜劇でその問題はとつくに終りをつげてゐる。……まるでさう押しつけてくるやうな、冷酷このうえもない極地の肌寒さが、澄江の心をひやすのだ。己れの過去に常識的な悔ひや羞らひを持たないことによつて、むしろ澄江の常識性を冷めたく刺してくるやうな、その柔軟性を失つた石造の理知の苛烈さに、眼を蔽はずにゐられなかつた。反撥を感ぜずにはゐられなかつた。 「嘉村さんとはちかごろお会ひにならないの」と澄江は突然由子の名前を口走つて、そして激しい怒りを覚えた。 「恐らく二度と会はない筈だ。みれんにひきづられてゐれば、きりがないもの」と、卓一は最も退屈な無駄話に貴重な時を消費せしめられてゐるやうな物憂さで、あくまで冷めたく言ひ放つのだつた。 「あの人の場合と君の場合は根本的に違ふのだ。あの人は千万人の美女の一人にすぎないのだし、君は唯一の女なのだから。今更言つても仕方がないよ。もうあの人の話にはふれたくないのだ。心が咎めるからではなく、単に無駄と退屈にしかすぎないから」 「いや。私はあの人の話ばかりがしたいのよ」澄江は苛立つて叫んだ。「過ぎたことであなたを咎めやうとは思はないわ。ただあの人とあなたのことを、みんな知らずにゐられないのよ」そして澄江は弱々しく呟いた。「あなたの口から、みんなきかずにゐられないの……」  けれども卓一は冷然として答えなかつた。 「あの人はあなたを愛してゐて?」 「さて。愛してはゐたらうね」 「あなたに別れて生きて行けるの。死ぬやうなことはないの」 「死ぬやうな人ではないのだ。たとひ死んでも、仕方のないことだからな」  と卓一は恰も無役なくりごとを蔑むやうな厳しさで冷めたく呟いたのであつた。それは澄江の予期した言葉とあまりに違ふものだつた。否むしろ違ふやうに思へたのである。澄江はべつだん予期した答を心にいだいて、待ち構えてゐたわけではないのだ。けれどもまるで予期したこととあまり違つてゐるやうに思はれたほど、それはただ冷めたい厭な言葉であつた。むしろ──と澄江は思ふのだ。あまりにも予期したことを言はれたための反感と、厭な思ひであるかも知れない。こつちの心の動く先を一々冷酷に見定めて、動きのとれない最後の言葉を、狡猾に押しつけてくる不快きはまる冷めたい理知を見た思ひがした。極地の理知に立つといふのは、要するに己れの悪を自らも容し、人にも容さしめるための、狡猾きはまる技術だけにすぎないのだと感じたのだつた。  自分がもしも由子の立場に置き換えられたら。……由子は千万人の美女のひとりにすぎないが、自分は唯一の女だと彼は言ふ。然し由子の同じ立場がやがて自分を訪れないとは言へないのだ。むしろその訪れをすでに卓一が予言してゐる。……  この愛情すらさめないとは言はれないと、あの再会の感動の日に、卓一は叫んでゐるのだ。否この愛情すら必ずさめる時があるだらうと。然しこの愛情すらさめるといふなら、それはもう仕方がないと思ふのだ。ここまでで精一杯だといふ思ひだから、と。その時は澄江も夢中であつた。さうよ、きつと愛情のさめる日がくるわ。だけど私達はそれを怖れてはいけないわと、澄江も必死に叫んでゐたのだ。然しこの愛情が、さめてもいいものであらうか。なるほど所詮愛情は、やがてさめるに相違ない。けれどもそれを卓一ほども明瞭に意識するのがやりきれない。否。同じ意識を押しつけられてしまふのが、やりきれないのだ。所詮さめる愛情にしても、さめさせてはならないものだ。そしてさういふ努力のために、かよはい人間がくりのべる愚かなそして平凡な、かつまた陳腐な人生劇をいとしまなければならないのだ。愛情がさめたといつて突き放され、それでよからう筈はない。  卓一と結婚してはもう浮かぶ瀬がないやうだ。明るい、そしてひろびろとした人生へ、再び浮きでる浮力のすべてを失つてしまひさうに見えるのだ。家庭の暗がりに蠢めくところの一匹の虫になるばかりである。家庭の最下層部に漂ふところの暗闇にひそみ、貪婪な眼を光らすところの醜悪な餓鬼になつてしまふばかりだ。然し澄江の毎日の不安は、明確なさういふ姿の指摘できる不安以上のものだつた。その実体は言葉にだしては言へないのだ。ただもやもやといつぱい立ちこめ、そして激しい苦痛を与え、然し手ざはりがないのである。  毎日会つてゐたいのは卓一ばかりのことではなかつた。毎日どころのことではない。毎時毎秒会つてゐたいと思ふのだ。会つてゐるうちは不安も救はれ、そして苦痛も感じなくてすむのである。つまり心を打ち割つて言へば毎時毎秒一緒にゐたい。そして結婚したいのだ。なんといふ矛盾であらう!  せつないのは卓一ばかりのことではなかつた。 「どうして毎日会はないかつて、だつて私、あなたより、もつともつと苦痛だわ」澄江は苛々して卓一に答えた。「私あなたに会つてゐると、せきたてられる気持になるの。早く別れて帰らなければいけないやうな、せきたてられる気持になるのよ。そして別れてしまふでせう。その瞬間にもう後悔がはじまつてるの。どうして別れたのだらうと、自分を責めたいせつなさで、泣きたいやうに苦しいわ。そして家へ帰るでせう。もう一度引返して会ひに行かうと思ふのよ。そんなとき、まるで気違ひになりさうだわ。そのうち、みんな寝しづまつて、もう歩けない時間がくるの。その時間がくるまでは、ひと思ひに引返して、あなたに会ひに行くことばかり考へて、頭痛でぼんやりしてゐるのよ。ね。私を落付かせてよ! 私こはいわ。幸福がこはいのよ。不安だわ。おねがひよ。私を落付かせて。私もうあなたに会ふのが怖ろしいのよ」  そして澄江はたまりかねて、思はず言つてしまふのだつた。 「私ね。やつぱり新京へ行つてしまふわ。私とても落付けないわ。新潟にゐられないの。ね。行かせてよ。私新京へ行つてもいいでせう」 「そして、いつごろ帰つてくるの」  澄江は蒼ざめた顔をして、やがて静かに首を横にふるのであつた。 「もう、帰つてこないわ」  新京に澄江の叔父が住んでゐた。然し新京に、もう一人の知人がゐるのだ。卓一よりも二つ三つ年上の役人だつた。その男は卓一を知る前からの友達で、そして澄江を愛してゐた。今もなほ愛しつづけてゐるばかりでなく、澄江に結婚の意志があるなら、それがどれほど功利的なものであつても、自分は常に澄江を迎える最大の歓迎を用意してゐると言ひつづけてゐた。ロシヤ人のやうに粗暴きはまる情熱家で、のんだくれで、それゆえ単純な、子供つぽい男であつた。  ひと思ひにその男と結婚してしまほうかしらと思ふのだつた。それは卓一とかういふことになつてからの出来心ではないのである。もう古くから、心の襞のあるひとつに潜みつづけてゐるところの、これもひとつの夢であつた。その男との結婚なら、恐らく家庭のうごめく虫にはならないだらう。  澄江はとかく家庭向きの女であり、常識的な女であると言はれがちだが、卓一はさうは思はなかつた。そして澄江に言つたことがあるのである。 「君は常識的でもないし、家庭向きの女でもないよ。むしろ……」  澄江は頷いた。そして、むしろ何? といふ情熱と危惧の光を瞳に浮かべて、卓一の眼をみつめたのである。然し卓一は答えなかつた。答えることができなかつたのであつた。  澄江が家庭的な女に見え、そして常識的に見えるのは、それは彼女が女らしくないからだつた。理知的だからである。抑制する力が強いからであつた。ただそれだけのことなのである。いはゆる女らしい女のやうに、情熱に負ける弱さがないのだ。ずる〳〵と情熱にひきずられて行くといふ弱さがない。どこかしらで抑へる理知があるのである。それが彼女の生活を、どんな頽廃の最中でも控え目にさせ、そして人々に常識的だと思はせるのだつた。けれども理知の抑制がひとたび破れることがあつたら、澄江は決して常識的な、家庭向きの女ではない。抑制の向ふ側には、大胆な、奔放な、野心的な、そして悪徳と秘密を愛す心が常に休みなく息づいてゐるのだ。最も冷めたく、そして最も熱つい女のひとりであつた。  ──むしろ君は、家庭向きに生れついた一匹の毒蛾のやうなものだね。と卓一は言ひたいところであつたのである。異様な情熱のあたたかさと、男にも稀なほどの冷めたい理知の抑制があつた。情熱によつて魅惑する半面と、理知によつて絶望の冷めたさを覗かせる半面と、その二つの極めて日常的な交錯を人の生活に強ひるだけでも、すでにひとつの毒の作用があるのである。常にその如何なる現実に対しても、千篇一律の反逆と復讐をたくらむものを、暗示してゐるからであつた。まして抑制の向ふ側にひそめてゐる奔放な、野心的な、そして秘密と悪徳を愛すところの秘められた異様な情熱は、ちらくらと無言の炎をみせるところの休火山的な情炎を思はせ、それはもはや如何なる現実もこれを医しあたはぬところの妖しい毒血の温床を思はすのだつた。一見非常に家庭向きな女に見える毒蛾なのである。一見甚だ主婦向きにできた一人の女間諜といふべきやうな陰の深い秘密の匂ひがするのであつた。一般に雪空の下に生育した女達は、多かれ少なかれ、この傾向につきまとはれてゐるかも知れない。  卓一がはじめて澄江を知つたころ、四年前、それは東京の話であるが、そのころ澄江に恋人があつた。澄江は男と別れることを焦つてゐたが、もしも自分に棄てられたら、自殺の惧れがあるからと言ひ、憐れみの心のために別れきれずにゐるのであつた。卓一との愛情がはじまつた後に於ても、その状態がつづいてゐた。 「さういふ意味の憐れみの情はすこしも美徳の要素はないね。それはむしろ非常な悪徳だと思ふのだ。問題はもつと本質的なことだからね。憐れみの愛をかけるなんてどだい僭越な話だが、然しもつと問題なのは、底をわると、君は男を憐れんでゐるわけではなく、実際は自分ひとりいい子にならうとしてゐるだけだといふことだ。それはむしろ非常に卑劣な心のカラクリの一種だね。むしろ冷酷に男を棄ててしまふことが、僕は立派な態度だと思つてゐるのだ」  そのころ彼は澄江に向つて強いことも言へないやうな状態だつた。正当な主張すら、すこし過激にわたるものは控えてしまふ有様であつた。当時の彼の言葉のうちで、最も激しいものと言へば、この時の言葉であつて、このほかには殆んど激しい言葉すら思ひだすことができないほどだ。 「だつて私の愛情を一途の生き甲斐にしてゐるのだもの。それは結局自分がいい子にならうとしてゐるのかも知れないけど、だけど私、可哀さうで言へないわ。あなたのことを知つたら、あの人死んでしまふもの。あの人にだけは私達のことを知らしたくないの」  澄江の懊悩は真剣であつた。それだけに卓一は胸を打たれた。この女には普通と違つた弱い心やさしい心があるのかも知れない。自分一人いい子にならうといふやうな、狡猾な憐愍の念と意味が違つて、ほんとに男の悲しさだけを憐れんでゐるやうに見えた。それほども澄江の懊悩は真剣で、その顔色は血の気が失せ、そしてせつなげなものだつた。卓一はもはや追求ができなかつた。 「これだけは許してよ。あなたへの私の愛情の純粋さとなんの拘りもないことなの。私の愛情、わかつてくださるでせう」  澄江は懇願するのであつた。卓一も澄江の純粋な愛情は分かつてゐた。然し次第に澄江から遠のきはじめた一因には、結局そのこともあつたらしい。時々非常に澄江が不潔に見えるのだつた。  澄江を知るとまつたく同時に、卓一は澄江の恋人を知つてゐた。二人の愛がはじまる前に、卓一は澄江の愛人を知つてゐたのだ。だから澄江も隠しやうがなかつたのである。もしも卓一が知らなかつたら、澄江は永遠にその愛人を隠したであらう。そして卓一の愛人になりながら、その男の不変の女神でもあらうとしたに相違ない。卓一は後になつてさういふ風に思つたのである。一般に女の犯罪者は己れの情熱に負けがちだといふ。カッとして人を殺す情熱はあつても、その犯跡をかくすだけの永続し分裂する感情はなく、頭かくして尻かくさずのへまをやりがちだと言ふのである。恋愛の場合にしても、一途の情熱に負け、あとは野となれ山となれといふ式に愛人のふところへ跳びこみがちで、古い男をすてることには冷酷である。いはば澄江は女らしくないのである。すでに棄てた男にも執拗に女神であらうとするのである。そしてあくまで辻褄をあはしきらうとするのである。合理的で常識的で、結局その女としての生活態度の上に於ては恰も家庭的であるかのやうな外貌を装ひがちになるのであらう。いはば聖母の理想を持ちながら、宿命的に悪徳を姦淫を約束されてゐるやうな女だと思つた。四年の歳月が流れるうちに、卓一はさういふ刻印を澄江の映像に押してゐた。  ──むしろ君は家庭的な毒蛾だな。と、卓一は然し言へないこともなかつたのである。そこには聊かも侮辱の意味はないのだから。毒を憎む意味もなかつた。その毒はいはゆる俗に憎むところのあの毒ではない。もつと悲痛な、さびしいものだ。いはばその一生のあひだ、その如何なる栄光、その如何なる富貴を得ることはあつても、常に充ち足ることを知らないところの、魔にみいられた夢想児の、その夢の悲しさのもつ毒なのである。蒼ざめた魔の皮肉な苦笑にみいられた貪婪なそして悲痛な夢の数々を見るがいい。その夢は、それを持つ人に、宿命の孤独を約束させる。宿命の孤独児は、富貴のなか栄光のなかに住んでも、常にその現実に裏切られてゐるのみである。思ひは夢の中へ通ひ、そして彼の現実は常に孤独のみだつた。夢がたまたま実際の事実となつて現れても、それが現実化したときには、すでに夢の魅力を失ひ、やつぱり現実に裏切られずにはゐられないのだ。そして宿命の孤独児達は、その充ち足ることを知らないところの貪婪な夢の数々のために、如何に人々を傷けることは多くとも、現実の裏切りによつて彼等自らが受けねばならぬ宿命の傷の痛みに比べたなら、比較にならないものであるかも知れなかつた。いはば澄江もひとりの宿命の孤独人だと卓一は思つた。卓一が澄江に心を惹かれたのも、孤独人の宿命のもつ傷ましさに惹かれたのかも知れなかつた。そして澄江が卓一に心を惹かれた最大の魅力も、孤独児のもつ宿命の傷ましさかも知れないのだ。卓一もまた魔にみいられた夢想児のその甚しい一人であつた。  それにしても──と、また然し卓一は思はずにゐられない。毒蛾の魅力を愛すことと、現実に毒蛾の毒に傷つくこととは話がだいぶ違ふやうだ、と。毒蛾を愛す精神は低俗な日常性を離れたところのかなり高度のそれであつた。然し日常の平々凡々な精神は、常にかくの如く高度のものではありえないのだ。そして日常低俗な精神では、毒蛾の毒に傷つくことを娯しむ余裕はないだらう。 「私ね。新京へ行つて、そしてその役人をしてゐる方と結婚しやうと思ふのよ。そして気楽に暮さうと思ふの。あなたと結婚すると、とても気楽になれないわ。あんまり切迫しすぎるもの。苦痛ばかりがあるやうに思へて仕方がないの。だから、私ね。やつぱり新京へ行くわ。そしてその人と結婚してしまふの」  澄江は言つた。ほんとうにその結婚を考へてゐるのだらうか。卓一はむしろ澄江がそれを言明してゐるから、却つて嘘だと思ふのだつた。けれども──と卓一は思つた。語られた表面的な事実の上に嘘はあつても、卓一を逃げる心に嘘はないのだ。そしてそれは卓一を逃げるのでなく、ひとつの束縛を逃げるのだらう。そして自由奔放な夢に追はれてゐるのだらう。この人は四年間の最もせつない夢だつた卓一との恋が実現しても、それが愈々実際の事実となると、恐らくもはやその現実のなかにすら休むことができないのだ。なんといふ怖ろしい貪婪な夢魔にみいられた女であらう。それゆえ──この女の精神は姦淫がすべてなのだ。そして悪徳がすべてなのである。卓一は心に断言した。 「新京へ行つてはいけない。そして僕と結婚しやう」──卓一は必死に叫んだ。それはたしかに必死といふせつない思ひを彼自らに感じさせたのであつた。  たとひ姦淫がすべてであつても、卓一にとつてこの女はもはや仕方がないのだと思はざるを得なかつた。たとひ姦淫がこの女のすべてであつても……然しそのことはまだ問題が軽いのである。だいいち姦淫が澄江の心のすべてかどうかは単に卓一の推量で、たしかなことではないほどだから。問題は、すでにこのやうな冷めたい批判が卓一の心に戻りついたところにあるのだ。彼はすでに現実に、そして澄江との恋愛に、殆んど酔つてゐなかつた。なるほど澄江に会はずにゐると、異様な不安、異様な怖れ、異様な苦痛は、身に堪えがたいものがある。まるで気違ひになりさうだ。そしてその不安苦痛は、いふまでもなく卓一の恋の真実を告白し、たとひ澄江が理知によつて否定されうる女であつても、超理的な面に於ては否定しがたい宿命の唯一の女であることを暗示してゐるやうに見えた。さう思はざるを得ないのである。それゆえ卓一は澄江に向つて「新京へ行つてはいけない。そして僕と結婚しやう」と必死の思ひで叫びもしたのだ。  然し澄江に会はない日の不安と怖れ、そして苦痛は如何やうに激しくとも、そしてそれゆえ恋の真実を否定することはできなくとも、それは恰も感情の燃え残りがからくも余燼をあげてゐるその果敢なさのやうなものだ。彼の理知はすでに冷めたく心に戻り、酔ひはさめ、そして澄江をその王座からひきづり降ろしてゐるのであつた。着衣をはぎ、胸をたち割り、冷酷な批判のメスを加えてゐるのだ。その理知の世界に於ては、澄江はまつたく宿命の唯一の女でありうる筈はないのであつた。むしろ最も悪意にみちた批判によつて、千万人の美女達と最も冷酷に比較され貶しめられてゐるのであつた。そこにはすでに感動が終りをつげてゐるのである。それでもなほ澄江を唯一の女であると言はなければならないのか。不可解な苦痛に負け、宿命を信じ、そしてまつたく意味もなく一人の女を背負ひきらねばならぬのか。卓一は絶望の如く蒼ざめた不安を感じ、みぢめな嘆きを意識せずにゐられなかつた。 「新京へ行つてはいけない。そして僕と結婚しやう」──さう叫ぶにも、彼は必死に蒼ざめた己れの心をかりたてて、せつない感動を仮構しなければならないのだつた。 「いやよ。行つてしまふわ」  澄江は薄い笑ひを浮かべて呟いた。卓一のみぢめな心の葛藤をまるで笑殺するやうに。そして澄江ははつきり言つた。 「だつて。……あなたはもう、私のやうな女を背負ひこむのが苦痛なのよ。さうでせう」  まつたくさうかも知れないのだ。然しさうとも言ひきれない。言ひきれるものなら、こんなに廻りくどい苦しみやうはしないのだと卓一は思つた。 「ごめんなさいね。わからないことばかり言つて。私あんまり我儘だわ。こんなに我儘なことばかり言つて。だから、私もう、あなたに厭がられても仕方がないと思ふわ」 「とにかく毎日会つてゐればなんとかなると思ふのだ。落付くところへ落付くと思ふよ。会はないから、不自然な不安や恐怖や苦痛に悩まされ、そして混乱してしまふのだ。君に会つてをりさへすれば不安も恐怖も苦痛もないのだ。まつたくなんといふ苦痛だらう。君の顔を見てゐないと、僕はひとりではゐられなくなる。酒をのまずにゐられない。そしてこれを誇張して言ふと、酒に酔ひ、そして見境ひもなく女を口説かずにゐられないやうな気持になるよ……」 「私だつて、あなたより、もつともつと気違ひになりさうよ」 「だから」卓一はつづけて言つた。「僕は君の身体が欲しいのだ」と。  澄江はうつむいた。そして蒼白になり、瞳が死んだ。 「だめ。許して。もうすこし考へさせて」 「どうして」  澄江は長く無言だつた。 「あなたの言葉が正しいの。私が悪いの。だけど、許して。私ね……やつぱり私悪者なのよ」  無言のうちに、あらゆる思考が、捕捉しがたい早い速度ですぎていつた。 「私怖いの。だつて……」冷めたい男。冷めたい理知。まるで獣に理知を与えてしまつたやうに羞恥も感傷も持たない冷めたい野蛮な男だもの。メスのやうに冷酷なその眼の前に裸体を見せることが怖しかつた。あの冷酷な理知の眼に最後の秘密をみんな見られて、そして秘密を失つた身体になつたら。…… 「どうして私達はかうなんだらう」澄江は蒼ざめて呟いた。そして突然卓一の胸にくづれて、顔をうづめた。卓一は屍体のやうに蒼ざめた澄江の顔に驚くのだつた。死人のやうに力なく閉ぢられた眼。そして死人のやうに意志と弾力の失はれた唇。あらゆる表情は死に、微動もしない身体であつた。虚しく長い抱擁ののち、澄江はやがて茫然とはなれた。 「もう帰るわ」  澄江は身なりをととのへながら、然しなほ朦朧と己れを失つてゐるのである。神のやうに幼い魔女なのであらうか。澄江の屍体と蒼ざめた唇と放心をまだ眼の中に残しながら、卓一は自分の冷めたさと醜くさに堪えられない思ひがするのであつた。 「阿呆らしい」──まるで僧侶のやうな! そのやうな己れの醜くさを感じることは、すこしも立派なことではない。卓一は冷めたく自分を嘲笑つた。そして澄江の後姿を眺めながら、突然異様な、痺れるやうな倦怠を感じてしまふのであつた。彼の眼に一人の人をどん底まで軽蔑しきつた嘲りの色がかたまりついた。そして突然狂暴な憎しみの光を眼にこめて、澄江の後姿を刺し殺すやうに射すくめてゐた。たかが一人の女である。実に卑小だ。もともと一人といふ数自体がそもそも妖怪じみた不可解な厭味を押しつけ、胸騒がしい不快感を覚えさせ、みすぼらしい卑小な思ひをせつないまでに絡みつかせてしまふのだ。一人の卑小な存在にそれが存在のすべての如くこだはり、締めきられた一つの家へただ二人とぢこもり、そしてたつた二人だけの一生の人生を完了しやうとする色蒼ざめた切迫感が、言ひやうもなく惨めで、そしてみすぼらしかつた。恰も腐肉の悪臭にみちた暗黒の国に蠢めくところの眼もなくまた耳もない蛆虫どもの行ひのやうに、光なく、そして醜悪である。ひろい大空の下へ行かう。昨日の愁ひを今日はもう忘れることができるやうな、束縛のない青い空へでやう。卓一は思はず心に叫ぶのだつた。そこには昨日のとぢこめられた切迫や暗黒を、今日も亦持たねばならない惨めな予約がないのである。そこには永遠の孤独があり、永遠の旅があるけれども、ああ旅愁のもつ揺籃の唄の愛を思はずにゐられない。卓一は心に繰返した。  然しせつない悲しさが、なんの意味とも分からずに突然こみあげてしまふのだ。澄江澄江澄江。卓一はその名を茫然と心に呼びつづけてしまふのだつた。そして心は侘びしさのために、暗らく濡れるばかりであつた。  当時新潟市に疑紅社といふ幼推な洋画団体があつた。同人はすべて素人だつた。中学生や小学校の教師達で、絵に身を立てる野心もなかつた。東京の展覧会に出品しやうといふ考へを仲間の一人がもらしただけでも、彼等は呆れ、苦笑を浮かべてしまふのである。  恐らく新潟県に限つたことではないらしい。どこの県にも行はれることであらうが、毎年一回県展といふものが県庁所在地に行はれる。すると中央の画壇にはなんの関係もなく恐らく野心もない人々の労作が数千点も集まるのである。東京から人気の高い数名の画家が招かれて審査に当るわけであるが、入選の絵といふものも中等学校の展覧会に年功だけを加へた程度の幼稚なもので、審査よりも変つた土地の遊びの方に興を覚えたに相違ない審査員は、然し年ごとに進歩の跡がみられるとか、特選の絵は中央の画壇へだしても羞かしくない出来栄えであるといふやうな月並なお世辞を残して退散してしまふのだつた。疑紅社の同人達は野心の最大の振幅すら県展の域を踏みださない数千名の一人であつた。Rといふまだ年若い半玄人を中心にして、この人を師匠格に漫然と団体を組んでゐたのである。  疑紅社の同人はその半数が中学生と師範学校生徒で、残りの大半は年の若い小学校の教員だつた。同人といふ名ばかりで、一週間に一度づつ集まるのがいはば彼等の淡い野心や社交慾を充分みたしてゐるのである。そして漫然と集まり各々の絵を批評する一日が終ると、一週間の友情がまつたく終りをつげるのだ。個人的な友情は彼等にとつて不要であつた。まして一般の芸術的な団体にありがちな、徒党を組んで夜通し飲み歩くやうなことは夢想もできないことだつた。彼等はカンバスをぶらさげてRの家の門前で別れてしまふと、一週間は誰の顔も思ひださないのであつた。ただ集まりの芸術的な亢奮だけが彼等にとつて無くてはならぬものだつた。さういふ温帯的な雰囲気の中に、たつた一人毛色の変つた男がゐた。  彼はまだ二十才の若者だつた。ヒョロ長い痩せた男で、毛髪が赤く、鼻が高く、眼がくぼみ、まるで混血児のやうだつた。動作が粗暴で唐突で、無口であつた。顔付のせゐもあつたが、彼が好んで黄色を用ひるところから、Rの冗談が渾名となつて、いつとなく人々は彼をジョーヌさんと呼んでゐた。  ジョーヌは田舎の中学校を放校されると、思ひきつて新潟へ飛びだしてきた。そのとき十七才だつた。すると異国人のカトリック僧侶に救はれて、その教会堂の堂守になつた。カトリック教会堂は即ちユーランバに隣接してゐる。砂丘と砂丘いつぱいに繁つたポプラの影を映す異人池、教会堂は池のほとりに、これも亦ポプラの杜にかこまれてそびえてゐた。異人池といふ名前も、教会堂の異人たちから起つたものに相違ない。彼等は黒衣の僧服をきてポプラの並木をぶらついてゐた。卓一が幼い頃の話であるが、この教会にちようど卓一と同じ年頃の混血少年が住んでゐた。非常に頭が大きくて、絣の着物をきてゐたのを思ひだすことができるのである。それは勿論二昔も古いことでジョーヌとなんの関係もなかつた。異国の尼僧が堂守と通じて生み落した悲劇的な混血児だつた。その尼僧は卓一が物心ついた頃もはや土地にはゐなかつた。そして混血少年は白痴であつた。この少年は小学校へも通はなければ、教会のポプラの杜から一歩踏みだすこともなかつた。異人池は少年達の遊び場で終日ざわめきが絶えないのに、そのざわめきに誘はれてポプラの杜をふみだすことがつひぞないのだ。卓一達が遊んでゐると、ポプラの木陰にうづくまつて、葉の隙間からヂッとのぞいてゐることがあつたが、卓一達がそれを認めた瞬間には逸早く落葉をふんで逃げだしてゐた。その頃の教会堂は屋根に十字架があるために漸く普通の異人館と見分けのついた建物で、塔もなかつた。ペンキは剥げ、見る影もなく破れほうけてゐたものである。今日は改築されて、それらしい様式だけは具えたものがポプラの上にその尖塔をのぞかせてゐる。そしてジョーヌはこの会堂の堂守だつた。もう十年からこの会堂に居ついてゐる先輩の老堂守は船員あがりの乱暴者で、老人のくせに腕力が強く、腕を曲げるとその隆々たる筋肉が虫のやうに踊りだしてジョーヌを不愉快にするのであつた。ジョーヌは生れつきどうにもならない怠け者のひとりであつた。老堂守に罵しられ、脅かされ、殴られて、そして彼は厭々ながらポプラの落葉を掃きあつめ、焚火をして、やがて晩鐘をならすのだが、腹の虫がおさまりかねて、一層動作が粗暴きはまるものになつた。彼は箒を握りしめて自棄に落葉を掃きながら、時々とつぜん首をあげて老堂守に罵りの激しい言葉を報ひやうとしかけるのだが、思ふやうに言葉が喉を通らぬとみえ、やがてうなだれてしまふのだつた。彼はいくらか吃りであつた。癇癪の筋がこめかみにはつきり浮いてゐるのであつたが、彼はなにか呟きながら首をふり、そして諦らめて再び落葉を掃きだしてゐた。けれどもジョーヌは喧嘩相手の老堂守を除いてみると、ひとりの友達もなかつたのである。淋しがる様子もなかつた。たまたま教会を写生にきたRを知り、やがて疑紅社に加はるまでは、彼も亦昔の混血少年と同じやうにポプラの杜を一足踏みだすことも稀れで、日盛りに人眼をぬすみ、教会堂の長椅子を組み合はせてヒョロ長い身体を横たえ、膝をくの字に折り曲げて昼寝をむさぼつてゐたのである。そして老堂守に昼寝の椅子を蹴飛ばされて床板の上へころがり落ちると、散々に罵しられてから、厭々ながら箒を握つて庭へ降りて、額に癇癪の青筋を浮きだしながら、だらしなくあああと欠伸をしてゐるのだつた。  彼は異国の神父達が着古したシャツやズボンをはいてゐた。異人の逞しい肉体を包んだシャツは痩せたジョーヌにだぶだぶであつたばかりでなく、それはまた異人たちの勤倹精神の神聖なしるしのやうに、毛は失はれ、孔はあき、一枚の風呂敷のやうに薄かつた。冬がくるとジョーヌはいつも寒さうで、まるで年中鳥肌だつてゐるやうに見えた。Rにもらつたよれよれのブルーズを羽織つてゐたが、それは上衣と外套の二つの役目を果さなければならなかつた。ある寒い日のことであつた。彼の姿がなんとなく窮屈さうに見えることから、同人の一人がそれとなく注意の眼を怠らずにゐると、やがて彼がシャツの下に何枚かの古新聞紙を着てゐることが分かつたのだつた。人々が珍しがつて、それを着るとあなた温いですかと訊ねたりしたが、彼はにこりともしなかつた。そして返事もしなかつた。人々が画論に熱中してゐる最中に、彼は時々のつそりと立ちあがつて、隣の部屋の隅の方へ怒つたやうな顔をしながらしよんぼり歩いて行くのであつた。彼はもぞもぞと尻餅をつき、あほむけにねて、両腕を頭の下へ組むのである。ひよろ長い膝をくの字に折りまげて、そして睡つてしまふのだつた。解散の時刻がきて人々が彼を揺り起すと、彼はのつそり立ちあがつて、怒つたやうな顔付をすこしも動かすことがなく、絵具箱を肩にかけて、黙つて帰つてしまふのだつた。  彼の絵は素人くさくなかつた。素人くさくないことが玄人風であるといふなら、彼の絵は誰に習つたわけでもなく、元来玄人風であつたのである。ひどく乱暴な絵であつたが、誰の摸倣もなかつた。いはばたしかに幾らか特異な天稟があつたのである。然しほかの同人達がいはば天稟がなさすぎたのだ。人々は彼を天才だと言つたが、それはつまり彼等の中の天才と言ふ意味であつて、セザンヌやゴッホだといふ意味ではない。然し天才といふ極めて神秘的な且又それを語る人までなんとなく味はひの良い言葉を弄んでゐるうちに、元来気の良い小学校の教員達の二三人は彼をほんとにゴッホだと思ひこんだりするのであつた。それは彼の無口と粗暴と唐突きはまる性格のせゐもあつたのである。  十九歳の初夏だつた。土曜の夜のことである。翌日のミサに用ひる葡萄酒を夜更けに半分呑みほして、水を割つておいたのだつた。それまでにも時々同じ罪悪を彼は重ねてゐたのだが、小胆な手口のために露顕がをくれたのであつた。そして彼はまるで一匹の野良犬のやうに教会を追はれた。  この土地では春の歓喜が初夏にくるのだ。なによりも冬の終りといふことほど嬉しいことはないのである。長い長い冬が終る。そして青空が光りはじめる。膚を刺す風の冷めたさが消え、そしてどうやら完全に冬から脱けだしてしまつたとき、それはちやうど太平洋沿岸の初夏の季節になるのである。そして又その季節には山々の谷の雪が漸く消えやうとしてゐるのだ。太平洋沿岸の春日和はいはゆる花曇りで、青空の中にも靄がある。新潟の初夏の青空の中には靄がなかつた。それ自らが冬の終りの歓喜のやうに青々と澄んでゐるのだ。陰鬱な市民達はそれが青空のせゐだとは気づかない季節的な歓喜にとらはれてしまふのである。この陰鬱な港市には、初午だとか雛祭だとか七夕だとか、ほかの土地では盛大なさういふ行事のすくないことを私は前にも述べておいたのであるが、然し凡そこの土地ほど五月の節句をむやみに祝ふ所もすくない。男の子供の有る無しはまつたく節句と関係がなかつた。全市一帯五月の節句を祝はぬ家はないのである。そして家毎に団子とちまきを拵へる。どちらも新潟独特のもので団子も笹にくるむのである。野趣横溢のものだつた。新潟の端午の節句は一月おくれで、即ち普通の六月五日になるのである。子供達は団子を腰にぶらさげて砂丘へ行く。凧をあげる。青空だ。長い冬の荒れた海がしづまつて、水平線が遥かな澄んだ奥の方に休んでゐるのだ。そして雲雀が空に歌ひ、砂丘の茱萸藪へ落下した。それが即ち初夏だつた。長い長い冬の終りが漸く訪れた季節なのである。この土地に端午の節句がむやみに盛大な一因は、陰鬱な住民達が自らは意識せずに季節の歓喜を歌つてゐるのではあるまいか。そのこじつけが、然し極めて自然なのである。この土地では長い冬ほど呪ふべきものはなかつたのだ。  ジョーヌが教会を追はれた時は初夏だつた。もはや寒気はこの土地になかつた。そしてジョーヌは野宿をした。日盛りは砂丘の松林やポプラの杜の奥へ這入つて絵をかいたが、夜は砂丘のくぼみの中でねむつてゐた。神社の中でねることもあつた。畑を荒し青梅をたべ、下痢を起して眼がとびだしてゐるのであつた。そしてRが事の顛末に気付いたとき、ジョーヌの身体は異臭を放ち、坐つてゐても膝がガクガクふるえてゐた。  Rは古川弁護士の家に出入りしてゐた。Rの世話でジョーヌは古川弁護士の書生にやとはれることになつた。澄江はジョーヌの黄色い絵を一枚々々見てゐるうちに、なみの書生には珍らしい才能のために、いくらか尊敬するのであつた。ふん。あんたは天才だわ。澄江は半ば軽蔑しながらRの語つた通りの言葉を言ふのであつた。するとジョーヌは聞き古した同じ言葉に、異様な絢を感じはじめてしまふのだ。そしてジョーヌは天才をみがくためよりも、天才を気取らねばならないために、天才を意識しはじめてしまふのだつた。そして彼の生活の中では、天才でないと言はれることほど激しい苦痛はなくなるのだ。そして彼の平凡を看破しさうな眼付に会ふと、本能的な怯えを感じて、その眼に忽ちおど〳〵と濁つた光が閃めきはじめた。敵を見た犬のやうな姿勢になつてしまふのである。怖れと疑惑が真剣な生活の敵になりだしてゐた。  澄江はジョーヌの野宿の話をRからきき、大笑ひした。そしてジョーヌに野宿の話を語らせやうとするのであつた。真夜中にミサの葡萄酒をのみほして水を入れておいた話に腹を抱えてしまふのだ。そのためにジョーヌはひどく苛々して、まつたく不機嫌になるのであつた。笑ひものになることほど激しい苦痛はなかつたのである。そして洒落を解す心がなかつたのだ。それが可笑しかつたので澄江はわざとジョーヌを困らすのであつた。  ジョーヌはよれよれのブルーズをすてて、赤いルパシカを手に入れた。なんの手入れもしないために蓬々と延び放題の頭髪を芸術家風に刈りいれて、それを火箸で縮らすために、魚を狙ふ猫のやうに音を殺して部屋々々を歩いた。  天才の絵は常に何人の模倣でもなく、ただ奇矯だといふ俗説だけしかジョーヌには分からなかつた。彼の絵は意識的に奇矯なものに走りはじめ、それが愚鈍な俗人達を眩惑すると、彼は自分の天才を信じはじめてゐるのであつた。彼は見る見る驕慢になつた。そしてすべてが人を羂にかけるための企らみと芝居になつてしまふのだつた。最も企らみのない筈の驕慢すらも実は操り人形の惨めさにすぎないことを漠然たる不安の形で感じはじめてゐるのであつた。そして自分の滑稽を最も激しく意識して怖れたものは彼自らにほかならなかつた。屡々無智の少年は自分の醜くさに関する限り最も激しい自意識の所有者である。 「天才は髪の毛をちぢらすものなのね」と澄江は彼をからかふのだつた。「そして赤いルパシカを着るものなんだわ。さうでせう。だけど派手なボヘミヤンネクタイをつけてブルーズを羽織るのも似合ふものだわ」 「どうしてあなたは意地のわるいことばつかり言ふのですか。僕をいぢめるのが面白いのですか。百姓の子供だから可笑しいのですか。ねる家もない風来坊だから絵の才能がないと思つてゐるのですか」  ジョーヌは自分の家系のことまで口走つてゐるのであつた。彼の眼は怒りのためにギラギラと狂暴な光を浮かべた。それは動物そのものの単純きはまる怒りであつた。そして思ひあがつてゐた。けれどもひどく憶病だつた。針一本の反撃が軽く一刺し加えられたばかりでも、彼は突然狂気のやうな悲鳴をあげて飛びあがり、泣きほろめいて呪ひの叫びをあげながら疾走しさうに思はれたほど暗らい怖れを背中に負うてゐるのであつた。 「土百姓の素性からでも芸術の天才は生れるものです。そして僕の絵は愚かな俗衆のために描かれるものではないのです。あなたに軽蔑されることは天才の栄光です。ゴッホの生涯はみすぼらしい狂人にすぎなかつたのですからね」  彼はもう堪らぬやうに部屋の四方を苛々と歩きはじめるのであつた。さういふ彼の動作には日本人離れのした異国風な新鮮さが漂ふてゐた。一般に日本人は尊敬すべき物臭さ太郎である。そして愛すべき生来のニヒリストである。私はかつて某病院の院長から、西洋人と日本人の民族的な性格の相違について興味ある意見をきいたことがある。彼の曰く、西洋の入院患者は無聊の折屡々椅子を立ち窓際へでかけて景色を眺めて帰つてくる。日本人の入院患者は寝たら寝たきり椅子にかけたらかけつぱなしで窓外に青々とした樹木もあり深い蒼穹もあることをとんと知らないかの如く徒らに木像の如く凝念と鬱を凝らしてゐるにすぎない。そして病気も治りがおそくなるばかりだといふのである。この比較は端的に両者の差を知る例として頗る面白いものがある。然しこの結論は自らの日本人にあきあきした老院長の冗談であらう。さてまた次には、青々とした樹木を眺め蒼穹を仰ぐことによつて鬱した気持も晴れるといふ見解も、見やうによれば聊か眉唾ものである。要するに最も皮相な気分の問題にすぎないのだ。日本人にしてみれば、わざ〳〵立ち上つて窓の外を眺めたところで、要するに空があり樹立があるにすぎない。気分がいくらか晴れるにしても眼をとぢれば元の木阿弥である。結局立ち上つて歩くだけの足損だと観念の臍をかためてゐるうえでの凝念自若たる木像であらうと思ふ。別段になんらの知的探究も賭けないところの斯かる民族的なそしてまた本能的なニヒリズムは聊かならず外国人に理解のできぬところであらう。ことに暗澹たる雪国の住民に於ては、かやうに非知識的なニヒリズムが風土的に甚しいのである。そして窓外の風景を決して屡々眺めないところの日本人は、然し風景の飽かざる静観者であり、自らの肉体化した風景の所有者でないと言ふことはできない。日本の愛すべき芸術の数々、能の幽玄も、もののあはれも、さてまた俳諧のさびも、このニヒリズム、この物臭さ、窓外の景色をとんと眺めに行かぬところの動作の節約とその根性から由来するところが多いであらう。  ジョーヌの動作は日本人風でないために、日本人には新鮮だつた。澄江はジョーヌの伝統のなさに眼を打たれ、それが彼の絵の才能であるかのやうに思ひこまねばならない時があるのであつた。 「あなたは主人の威をかりて芸術の神聖に冒涜を加えてゐるのです。けれどもあなたは僕を軽蔑するよりも、もつと僕に軽蔑され、芸術を理解する深い魂に軽蔑されてゐるのです。今に思ひ知る時がこなければ、あなたは一生救はれない驕慢な馬鹿な孔雀です」  ジョーヌは悲痛な泣き声をはりあげて呪ふのだつた。そのころ彼はRの蔵書を借り受けて頻りに知識の贋物を仕込むことに急であつたが、それにしても呪ひの言葉が贋物だけの紋切型であるとはいへ、いささか西洋の十九世紀風に美文であり、一応凝つた芝居調を具えてゐた。澄江はそれに失笑しながら、心にいくらか蒼ざめた、笑へぬ寒さを感じはじめてしまふのである。  さういふ揶揄と呪ひの一幕がくりのべられやうとした一日のことであつた。澄江は突然ジョーヌの長い痩せた腕にだきすくめられてゐたのであつた。家人はみんな出払つて人気の死んだ日盛りだつた。ものういやうなその静かさが、だきすくめられた澄江の耳に沁みこんできた。そして澄江は落付きを感じたやうな逆な気持がするのであつた。ジョーヌの痩せた長い腕には澄江の胸を痺らすやうな異様な力がこもつてゐた。挑みかかる野獣のやうな息づかひが、絞め殺すためであるかのやうに、うるさく無気味に騒いでゐた。そして眼は愛情や色情のためよりも、むしろ恐怖と敵意のために殺気だち、狂つた光をギラギラ宿してゐるのであつた。動物の無情な意志で押し倒されてしまつたとき、抵抗の意志をもたない自分自身に澄江はふッと気付いたのだつた。  秋がきた。そしてまもなく卓一がこの土地へきた。  澄江は卓一の訪れを心ひそかに待つてゐた。やがて卓一を待つことが徒労にすぎないことが分かると、苛立ちすら、力なく湿つたものになるのであつた。澄江の歩く街々に冷めたい敵意がこもつてゐた。すべてのものが無情な意志を彼女につきつけてくるのであつた。澄江は地上にただひとり取り残されたと思はなければならなかつた。心にひとつの曠野があつた。色もなく、そして音も死に絶えた無限のひろさ。その涯に、落日のみが刻々沈んでゐるやうだつた。澄江は人々がいやだつた。そして卓一もいやだつた。外気すら、ものうかつた。卓一に会ふ偶然を思ふと、街ほど悪意にみちたものはないのであつた。人間ほど惨めでみすぼらしいものはないと思つた。つまらぬ愁ひに、どうしてあくせくしなければならないのだらう。そしてやがて、どういふことになると思へば、死んでしまふばかりなのだ。  そのころ澄江のリサイタルを計画する人々があつた。澄江の母や退屈した有閑婦人の群れだつた。むろん利益をもくろんでの興行ではなかつた。めぼしい催しの数すくない小都会のことではあつたが、素人芸に興行価値のないことはどこの土地でも同断である。むしろ人口が多いだけに、大都会では素人芸も通用しやすいものである。元来が小都会といふものは本能的に自卑的な性格をもち、また一面に無名の宝も無名の故に適用しない所である。独自の立場と批判がなく、大都会の模倣と盲従があるばかりである。澄江のリサイタルはひまつぶし、そしてひとつは見栄だつた。澄江の芸術を愛す人はひとりもなかつた。いはば集会の余興を公にしたやうなものである。そして人々は集会の雰囲気をたのしむために集り、演奏は余興にすぎないのであつた。演奏者は演奏会のたつた一人の犠牲者だつた。小都会の芸術家達は大天才の運命と同じやうに生きなければならないのだつた。  澄江は人々の厚意を謝絶した。晴れがましい空虚ほど惨めなものも亦すくない。小なりといへども神聖な己れの生存を自ら敢て罵倒蹂躪するにすぎないのである。かつては百人の一人として合唱の舞台に立つことすら喜びであり誇りであつた。然し心をみたすところの生活なくして、徒らに弄ぶ芸術が生命のなんのたしになるだらう。虚栄、野心、己れを己れのあるがままの姿以上に見せかけやうとすることが、いかにも空虚でみすぼらしく、そして堪えがたい思ひがした。欲しいものはただひとつ──愛だ。そして生活だ。そして卓一であつた。たとひそれは卑小にして暗く惨めであらうとも、然し空虚ではない筈だつた。だが卓一は。── 「人をばかにしないでよ」澄江はすべての人にむかつて叫びだしたくなるのであつた。「私は人のために生きるほど謙遜でもなく思ひあがつてもゐないのだ。ただ自分のために生きたいだけだ。自分のほんとの生活がしたいのだ。それはいぢらしいほど質素な願ひではあるまいか。そしてこんなつつましい願ひすら、すげなく突きはなされてしまふほど、人間はみぢめなものであらうか。生きることは、それほども絶望的なものであらうか」  さうであつてはならないと澄江は心に繰返した。然し卑小な自分の力がこの厳とした現実の向きをどうして捩ぢむけることができやう。 「リサイタルなんて、よしてちやうだい」澄江はたうとう叫びだしてしまふのだつた。「私のピアノなんて、子供の手すさびのやうなものなんですから。たとひ私が天才でも、私の生活のためにしかピアノは弾きたくないのです。私はもう暗らい無気力なこの土地がほんとに厭だ……」  そして澄江はまるで強迫するやうな、改まつた冷めたい声で母に向つて言つてゐた。 「私を新京の叔父さんのうちへやらしてよ。私しばらく頭を休めてきたいのよ。俄か紳士風の出来立ての町の方が私にはよつぽど似合ふわ。一時のまにあはせと荒つぽさが私のちやうどいい友達だ。死んだやうなこの町はもう一日もゐたたまらないわ」  誰がなんと反対しても、逃げてでも新京へ行つてみせると澄江は思つた。その土地には伝統もなく礼儀もなく性格もなく感情もないにきまつてゐる。恐らく町の精神すらバラックだ。表面的な平和にしろ内面的な民族的の不和合にしろそれが一向気にならないほど未完成でまにあはせで不調和で深さがなくて贋物だ。そして黄塵万丈の炎天と、零下何十度の厳烈な冬があるのだ。うすつぺらと出鱈目と棄鉢がどの街角にもごろ〳〵してゐるに極つてゐた。そして一思ひにあの飲んだくれの純情家と結婚して、酔つぱらつて踊つて、だだつ子のやうに眠つてしまふのだ。  自分を棄てたところにはもはや悔ひもないであらう。そもそも悔ひる根性を棄てやうといふつもりであつた。 「天才はあなたのやうに憶病でいぢけて人の眼色をうかがふやうな弱虫ぢやないのよ。あなたのルパシカをごらんなさい。しやれけがあるなら、子供だつてもうすこし色のとりあはせを考へます」  澄江はジョーヌにくひつくやうに言ふのであつた。 「天才だなんて。思ひあがるのもいい加減にするといいわ。うわつ調子に色をぬりまぜてゐるだけぢやないの。こけ威しと小手先と誤魔化しだけよあなたの絵は。どの色にあなたの命がはいつてゐるのよ。どの線にあなたの魂がこもつてゐるの。芸術をつくるつもりなら山師の根性をすてなさい。山師になるつもりなら、あなたの絵筆を棄てなさい」  そのころジョーヌの絵は鋭さと狂気を気取り、異常を衒つて鼻持のならないものになつてゐた。衒はれた異常さや鋭さは、それがひとつの真実であることを強ひる手段によつて、芸術よりもむしろ辛うじて現実の仲間入りをしやうとするものであるが、その真実でありかたは、あたかも巾着切りの技術のやうなものである。彼等は芸術の正道を低俗と同一視し、正道を常識的であるかの如く誤解、もしくは混同しやうと努めてゐる異常好みの俗人である。そして彼等は己れの評価を自ら信じて悠揚せまらざる剛毅の風なく、徒らに他の評価に心をみだし己れを守るために警戒の眼のみ夜禽の如くけはしきこと、これまた恰も巾着切りその人に彷彿としてゐる。異常は芸術の欠くべからざる要件であるが、一応常識に復帰して健康なる異常さに出発しなほすことが必要であらう。  ジョーヌはわけても悲しむべき巾着切りのひとりであつた。彼の一見傲岸にして不屈な自信は実は最も単純にして動物的な敵意にすぎないのであつた。己れを信じ己れを育てる剛気なく、人を怖れ己れを守る警戒だけがあるのみである。 「着物のことを言ふなんて、残酷ぢやないか。卑怯ぢやないか。僕は金もなく家もない一介の貧書生だ。あなたのうちの玄関番だ。絵の具だつて買ふ金がないのだ。カンバスも買えないし、鉛筆一本にだつて不自由するのだ。着物の不調和を笑ふなんて、あんまり残酷ぢやないか。僕は一枚のルパシカを手に入れるにも選択の自由なんか与えられてはゐないのだ」  ジョーヌは眼に怒りを燃して澄江を呪つた。ジョーヌの最も怖れたものは澄江であつた。澄江の眼はたとひ肉体を許しても心の底では決して妥協しないものをいつも冷めたく暗示してゐた。憎いほど、そして絞め殺してやりたいほど、冷淡な、そらぞらしい眼付になることが屡々である。ジョーヌは澄江の肉体を自由にしながら、澄江の精神のことになると、むしろ戦慄を覚えなければならないのだつた。そして澄江が冷めたいものを水のやうに眼に宿して彼をぢつとみつめるとき、ジョーヌは思はず飛びあがるほどの戦きを心に覚え、そして恐怖をかくすために、牙をむいた獣のやうに戦意を燃やさねばならなかつた。 「あなたは不自由を知らないブルヂョアの娘だ。着物を買ふにも色の配合を考へることができるだらうが、そのために貧乏な僕を笑ふのは卑怯ぢやないか。僕は家もなく素性もない土百姓の子供だ。たとひどれほどの素質があつても、素質をのばす修業もできないばかりか、絵の具にも不自由してみすみす落伍者の道をたどる弱者なのだ」  ジョーヌは苛々と部屋の中を歩きはじめた。彼は眼に涙すらためてゐた。そして彼は荒々しく首を頻りにふるために、長髪はみだれて、泣きよごれた顔にかかつてゐた。彼は激怒にまかせて椅子を蹴り、もひとつの椅子を突きとばした。そして花瓶の活花をひきぬき、それをひとまとめに両手に握つて、満身の力をこめて二つに折ると床板へたたきつけて踏みにぢつた。  馬鹿な奴。澄江は軽蔑しきつて顔をそむけた。なんてくだらない、うすつぺらな奴だらう。鼻持ちのならない気障加減! ジョーヌはひときれの教養もなかつた。教養は教育や博識と自ら別個のものである筈だつた。それはただ生き方の誠実さのみが人に贈る宝である。感情の深さ柔らかさ、思ひやり、そして内省、また剛毅なる独立不羈の精神、さういふものの孤独な静かな生長である。それなくして、なんのまことの芸術が生れやう。なんて厭ふべき無智な一匹の獣だらう。そして愚かにも深刻めかして泪なぞを流したりして。芝居気たつぷりに花を折つたりして。毛唐のやうな動作、唐突な表現。その伝統のなさが一度はひとつの新鮮を思はせたにも拘らず、今となつては、むしろ無教養の鼻持ちならぬ符牒にしか見えなかつた。それを見るほど生臭く、毒々しいものはない気がした。彼の絵も要するに無教養な獣の絵だ。すぐれたひとつの魂の、そして悩める深い心のにぢみでた天才達の労作とあまりにもかけはなれた瓦礫である。 「あなたは僕に……」ジョーヌは言ひかけて絶頂に燃えあがつた敵意のために立ち竦んで身ぶるひした。「あなたは僕に──」身体を許した女だといふ意味であらう。それは自分の優越と、そして澄江への軽蔑を最も無智な露骨さで表してゐた。  ジョーヌは次の瞬間に澄江をだきすくめてゐた。然し澄江はその腕を払ひのけて、身をひいてゐた。澄江はジョーヌの横面をなぐつた。馬鹿。ジョーヌの眼に暗らい混乱が陰を落した。彼の意志とは反対に、惨めにも身体の力が脱けてくるのだ。彼は悄然とうなだれて振向いたが、二三歩あるいて椅子に腰を下してしまふと、卓子の上に顔を伏せ、子供のやうにたわいもなく、しやくりあげて泣きだしてゐた。  然しまたこんな出来事もあつたのである。ある深夜ジョーヌは澄江の寝室へ忍びこんできたのであつた。そのとき澄江はまだ起きて雑誌を読んでゐたのである。ふりむいた澄江の顔に驚きと訝しさとが表れて、まだ一言も喋らぬうちに、すでにジョーヌの長い腕があたかも唖の狂人のやうに彼女の胸をだきすくめてゐた。噛みつくやうな開いた口が、澄江のそむけた頬にみだれた。獣の牙のやうに歯の鳴る音が耳にひびき、生臭い熱い息が嵐のやうに厭らしく首のまはりに騒いでゐた。そして彼女は無情な意志で玩具のやうに押し倒されてしまつたとき、然し抵抗の意志のない自分に気付き、もはや肉塊にすぎなかつた。彼女が己れの醜悪を怖れ、そしてジョーヌの汚らはしさに堪えがたい嫌悪の念が蘇つたとき、すでに行ひは終つてゐた。まるで脱獄囚のやうな卑屈な姿で、背をかがめ、膝を折り、一途に跫音を殺すことに腐心しながら部屋を立去るジョーヌの姿をちらと見て、澄江は悪感に顫えながら眼をとぢた。陋劣な下素。なんといふ醜いみぢめな奴だらう。醜い汚い自分。突然涙が喉からのやうに溢れでた。殺してやりたい口惜しさが澄江の骨を焼くやうに、こみあげてゐた。  夜が明けた。澄江はジョーヌと二人だけの数分間が欲しいために、憎しみのために痺れる頭をこらえながら、家人の隙を待たなければならなかつた。そして漸くその時がきた。澄江のあらゆる表情が憎しみのために洗はれて、ジョーヌの前に現れたとき、その顔は一途に冷めたさを宿してゐる無気味な能面にちかかつた。  ジョーヌは恐怖にはぢかれて瞬間本能的に逃げ腰になりかけたが、眼を暗らくして、うなだれた。顔をそむけ、それから次第に少しづつ身体の向きも移動させて澄江に背中を向けてしまふ姿勢になつたが、とつぜん部屋を横切つて庭へ走り降りてゐた。教会の堂守をしてゐたときの癖であらう。この家の書生になつてもほかの役には立たなかつたが、庭の落葉を掃くことだけは自発的に心得てゐたのだ。この窮地に立ち、咄嗟に思ひ得た窮余の場面転換が、やつぱり庭を掃くことだつた。ジョーヌはひよろ長い痩身を折りまげて、できるだけ部屋から離れた庭の隅に後向きの姿勢で立ち、いつまでも同じところを掃いてゐた。澄江の顔にやがて幽かな痙攣が起り、そして涙がこみあげてきた。  そのころジョーヌが一月あまりの手数をかけて拵えた石膏の裸像があつた。澄江はそれを執りあげて、窓際から庭の敷石へ投げつけた。そして自分の部屋へもどつて泣きくづれてゐた。  ジョーヌの裸像は自分も慰み半分のいい加減なものだつた。そのころ彫塑に凝りだしたRの手真似で、はじめて試みてみたものである。裸体の女が水際で髪を洗つてゐる姿だつた。一尺足らずの高さのものだ。相も変らず衒気いつぱいの怪物で、ジョーヌの説明をきいてみないと何物の姿であるのか見当のつかないやうな代物であつた。  割れた破片を拾ひあつめてゐるうちに、天才の涙のにぢんだ労作を無残に冒涜された憤りが嵐のやうにこみあげてきた。あの思ひあがつたブルヂョア娘にこの作品の値打がわかつてたまるものかと彼は心に鋭く叫んだ。父母や神を冒涜することは許されても芸術の冒涜だけは許すことができないのだ。ジョーヌの眼に狂人の閃きが宿つたとき、数個の破片を握りしめて、彼は突然荒々しい跫音をひびかせながら澄江の部屋へ駈けのぼつてゐた。  澄江は寝台へ俯伏してゐた。ジョーヌは澄江の馬乗りになつて、裸像の破片を背中へごしごしこすりつけた。 「世界の愛と尊敬を俺に返せ」とジョーヌは叫んだ。やがて全世界が挙げて讃美と渇仰をささげるであらうところの神の寵愛のこもつた像を澄江は割つたといふのであつた。芸術は再びつくることができない。「世界の愛と尊敬を返せ。貴様はブルヂョア娘の思ひあがつた我儘で、魂のこもつた芸術を破壊することが怖しいとは思はないのか。芸術まで召使の手になつたガラクタだといふ根性がぬけないのか」  ジョーヌの眼に涙が無残にあふれでた。片手には澄江の首の根を抑えつけ、また片手には澄江の髪を鷲掴みにしてこづきまはした。 「お前だつて──」ジョーヌは馬乗りにまたがつた澄江の背から漸く降りた。そして澄江の襟首を掴んで引起こし、璧際へひきづり寄せて、壁に頭を押しつけた。「お前だつて喜んでゐるんぢやないか。たのしんでゐるんぢやないか。お前は助平な女なのだ。そのことを忘れるな」  そして彼は横手を向いていまいましげに唾をはくと、澄江の襟首を掴みなほして彼女の身体を壁に激しく叩きつけ、そして部屋から出て行つた。  然し階段へ一足かけると、不安のために彼はやにはに走つてゐた。自分の部屋へも戻らずに裏口の扉をあけて砂丘の松林へ一散に駈けた。魂のすべてをこめた芸術がわられた。彼は自分に言ひきかした。そして悲しさと口惜しさのために腸のちぎれるほど奥底深くから泣きだしてゐた。ふたたび塒を奪はれて、野良犬のやうに路へ追はれるかも知れない。不安であつたが怖ろしいとも思はなかつた。彼は砂丘の頂上へでて初冬の暗らい海をながめ、うらがなしげな枝のみ残つた茱萸藪の中へ腰を下した。あまりに暗らい運命だ。然し今に奴等は思ひ当るだらう。俺の敵は今に世界の敵として蔑まれ憎まれる時がやがてくるのだ。ジョーヌは砂丘へ朦朧と寝倒れて、薄暗らい灰色の冬空の中へその想念を描きはじめた。そしてその夜は砂丘や街をうろついて、たうとう家へ戻らなかつた。然し翌日は尾を下げた犬のやうに人眼を忍んで裏木戸をあけ、まづ庭箒を持ちだして、部屋の方へ背を向けながら庭の片隅を掃いてゐた。  澄江が卓一を思ひきつて訪ねたのは、長い思案の結果ではなかつた。きはめて唐突にかたまつたひとつの出来心にすぎなかつた。澄江は愈々新京へでかけることに話がきまつてゐたのである。  とにかく卓一に一眼会はふ。ただ一眼会ふだけでいいのであつた。それ以上の何事も心に期してゐなかつたのだ。嘉村由子と一緒に住んでゐるといふ人の噂が事実にしてもかまはないと澄江は思つた。むしろすげなく扱はれたら、さだめし満洲へ行きいいだらう。それが丁度ふさはしいと冷めたい笑ひを心に感じたほどであつた。 「私ね。戸口のところであなたに会つたら、ひとこと怒鳴つて、さつさと帰らうと思つてゐたの。あなたを愛してゐたのよつて」  澄江はあの日卓一に言つた。それは偽らぬ本心だつた。どうして結婚の申出を予期し得やう。澄江はあらゆる戸惑ひを感じたのである。そして一日夢の中に住んだのだつた。  結婚。それほど欲してゐるものもないやうな気がした。けれどもそれほど怖しいものもなかつたのである。なぜだらう。その問ひになると、なぜかすべてが霞の彼方へ隔てられて、しかと姿を見つめることを拒まれてしまふやうである。肉体だらうか? なぜつて自分と卓一の二人のあひだに残された唯一のことは、もはや肉体があるだけなのだ。肉体が、けれどもそれほど秘密くさい後生大事なものだらうか。  澄江は卓一に向つて由子のことを厳しく責めたことがあつた。自分ではさういふ心算でなかつたにしても、自然に詰問の語気であつた。あなたの口からあの人のことをみんなききたいのよと言つた。そしてまた 「あの人はあなたに棄てられて生きて行けるの」ときいたのである。 「それは生きて行くだらう。あの人は死を弄ぶには冷めたすぎる理知をもつた人だから。然したとひ死んだところで、それは僕に今更どうにもならないことだ」  と卓一は冷然と言ひきつたのだ。  まだ東京にゐたころの思ひ出。四年前だ。はじめて卓一を知り、そして恋を知つたころの話である。古い愛人への憐れみのために別れきれない澄江を、それは憐れみの美名に隠れて自分ひとりいい子にならうと目論んでゐる不潔な意志にすぎないのだと卓一はきびしく責めたのであつた。 「だつて私に棄てられると、あの人死んでしまふのよ」と澄江は殆んど泣かんばかりに混乱して言ふのであつた。「だつて私の愛情を一途の生きがひにしてゐるのだもの。可哀さうで言へないわ。これだけは許してよ。あなたのことがあの人に分かると、あの人きつと自殺するもの」  澄江は蒼ざめて哀願した。 「私だつて、あの人との不潔な愛に堪えられないのよ。だけど……分かつてゐるぢやないの。あなたへの私の愛の純粋なことは」  思ひだせばそれも可笑しな話である。よくもあんな奇妙な矛盾が平気で言へたものだつた。愛する卓一であるだけに、なほさらよくも言へたものだと思ふのだつた。いはばそれもひたすらに愛す人であるゆえに、張らなければならなかつた摩訶不思議な意地のひとつであつたかも知れないのだつた。あるひは窮余にあみだした必死な悪あがきのひとつであつて、そんな歪んだ方法で実は甘えたつもりかも知れないのだ。なぜなら澄江は、卓一にさういふことを言ひながら、陰では男と別れるためにあらゆる智恵をしぼつてゐた。あらゆる工作をほどこしてゐた。それを然し卓一に、公言することができないやうな、ねぢけたものになぜか圧されるのであつたから。  四年前のことを思ひ、さて現在由子のことで卓一を咎めたことを考へると、可笑しくなつてしまふのだつた。「だつてあなたのことが分かると、あの人は自殺するもの」嘗て自分はさういふ風に言つたのである。その弁解を四年後の今日になつてするかのやうに「あの人はあなたに別れて生きて行けるの」と白々しくきいてゐるのだ。むろんそれは企みをこめて言つた言葉ではないのである。自然に流れでたそして真剣な言葉であつた。然しもしも卓一が「さうだね。そのことがあるのだ。あの人は僕に棄てられたら死ぬだらう。僕を一途の生きがひにしてゐるのだから。だから僕はあの人と別れることができないのだ」と四年前に澄江が言つたと同じやうに答えたとしたら、澄江はいつたいどうするつもりであつたのだらう。四年前の姦淫が、それゆえすべての姦淫が、その一言で全部許るされてしまつたやうな明るい気持になりうるとでもいふのだらうか。卓一に自分の罪を犯させて、自分を救はふとしたのだらうか。そしていはばそのやうな心の明るさをとりもどすために、無意識に鎌をかけた企みの深い言葉であつたのだらうか。考へてみると滑稽だ。そして可笑しくなるのである。けれども笑えなくなるのであつた。心の冷めたくなるやうな怖れがする。……  あなたの口からあの人のことをみんな聞きたいのよと言つた。なんの企みなんの余裕があり得やう。それはたしかに思ひあまつた必死の声であつたのである。卓一の口からみんな聞きたい。むしろ由子のことはどうあらうとも──さうである。ききたいのは、むしろ卓一の心であつた。冷めたい理知をひけらかし、冷めたい理知に武装した彼の観念生活が実生活へ生きた時のその冷酷の極点をつきとめたいのだ。観念生活に一匹の悪魔であることが、その実生活でもやつぱり悪魔を意味するだらうか。もしさうなら絶望の暗らさがあるばかりだつた。卓一は理知的生活のすれつからしといふやうな惨めきはまる感じがするのだ。その理知には蒼空がなかつた。海原もなかつた。草原もなかつた。すべて豊かな気配がなかつた。天空の彼方に燦然と輝き地上の現実を指し導く理知はなく、地上に落ぶれ、現実の垢にまみれ、現実の犇めきに圧倒され、現実の惨めきはまる反映の中から辛くも立ち上つた理知である。むしろ現実の指し示すところに従つて辛くも自らの針路を定めた理知である。観念である。傷つき、敗れ去り、気息奄々たるごとき理知であつた。悲しむべき倫理の詭弁家にすぎないのだつた。人間性をその最も陋劣な一線にまで引き下げる愚かな自慰しか知らないのだ。豊かなもの、色彩にみてるもの、甘美なもの、光りみてるもの、それは微塵もないやうだつた。その企み最も陋劣な一匹の陰獣にすぎないのである。その趣味最も陰惨にして陰険な一人の邪教徒にすぎないのだつた。  四年前。然しそのころのことにしても自分ひとり古い愛人があつたわけではないのである。卓一だつて、ちやうどそのころ、日本の古典のよく読める十七才の小娘と、まるでお話にならないやうなねちねちした媾曳を重ねてゐたのだ。そのころは然し澄江は一途な情熱に燃えるばかりで、卓一を咎める気持は微塵もなかつた。たとひ何人の隠し女があらうとも、そのころ卓一の心にはなほ純粋が宿り、胸は豊かなものをみたし、その理知は天空の彼方に燦たるものと共にあつた。ことごとに現実に敗れ去り、理知のもつ甘美な暈をすりへらした擦れつからしではなかつたのである。そして澄江が疑心暗鬼を燃やさねばならぬ陰鬱きはまりない心の襞は、まだ卓一になかつたのだ。今はまつたく違ふのである。  一途の愛情の走るにまかせて全幅の信頼を傾けるには、あまりにも冷酷無残な卓一の心であつた。どうしてそれを怖れ戦かずにゐられやうか。どうしてそれを笑ひ流してゐられやうか。  思ひきつて卓一を訪ねた吹雪の一夜。思ひがけない夢の中へ突き落された一日の心がすぎたとき、澄江が第一に思つたことは、卓一に身体を与えることであつた。喜んで、否、飛び立つ思ひで、それを与えるつもりであつた。それを与へるそのこと自体が、この上もない幸福であり歓喜でなくてなんであらう。けれども澄江にさういふ意志と自然な欲望が息づいてゐるとき、皮肉なことに卓一は澄江の肉体を忘れてゐた。夢のやうな愛の香気に盲ひ、そして酔つてゐたのだ。男は屡々さうである。否。色情を弄ぶことに馴れたところの男が屡々さうなのである。彼等にとつて肉体は常に弄ぶべきものであり、そして高度の色情の中では、肉体を忘れることに唯一の高さを見出さなければならないのだつた。そして卓一の妖しい夢が衰えて、やがて澄江の肉体を意識したとき、いけにえを弄ぶに似たあの冷静な猥褻を、すでに懐いてゐたのであつた。研ぎすまされた澄江の心は、なによりもそれを感じるに早かつた。そして悪感に顫えずにゐられなかつた。怖れ戦かずにゐられなかつた。冷静よりも、むしろひとえに残忍な眼だ。そして肉体を許すはずの澄江の意志は、すでにもはやそれを最も怖れはじめてしまふのだつた。  けれどもああ何よりも欲するものは結婚であつた。何といふまだるつこしいそして無用な頭の働きであるのだらうか。そしてどうしてすべてが自然に混乱し、矛盾にばかり急ぐのだらう。何よりも欲するものは、今もなほ肉体を与える喜びにほかならないのに。然しこの不安と怖れをどうなし得やう。 「どうして私達はかうなんだらう」澄江はたまりかね、そして蒼ざめて叫ばなければならなかつた。そしてもはやあらゆる思念の停止にあひ、混乱のめまぐるしい頂点で、卓一の胸のなかへまるで悶絶するやうに倒れなければならなかつた。けれども愛する唯一の人はもはや死んでゐるのであつた。いや、あの人のせゐばかりではないのである。私が多分殺したのかも知れないのだと澄江は思つた。それにしても、然しせつない愛情だけがあまり生々しく生きすぎてゐる。うるさい。そして、退屈だつた。  もはやほんとに新京へ行かなければならないと澄江は思つた。愛情のせつなさにも、愛情のうるささにも、もはや堪えがたい思ひがした。愛する者には、別れることが自然のやうな、遥かな思ひがするのであつた。愛することほど、歪められた暗らい世界はないやうな気持になつてしまふのだつた。 「愛情なんて、ひと思ひに殺してしまふのがいつと似合ひの運命だ──」澄江はぼんやり考へてゐた。愛なんて、そんなもの。くだらない。ひと思ひに。──ほんとにさうだ。小指の疼痛に堪えがたいために、ひと思ひに片腕すつぱり切り落したらさだめし晴々するだらうといふやうな、無茶な思ひの類ひかも知れなかつた。けれどもほんとに切り落して、それがいつさう苦痛だつたら、今度は笑つてやりたいやうな気持がした。どうせ一生の友達は、哀愁と苦痛だけだ。ほんとに人間を生かすものは、ただ哀愁と苦痛だけがあるのみである。  虚しいくちづけに、心もまた荒涼と蒼ざめはてて、澄江はわが家へ帰つてきた。最初の然しこれが最後の抱擁だと澄江はぼんやり考へた。なぜだか無性に口惜しさがこみあげてきてしまふのだ。勝手にどうにとなるがいい。私だつて、もう知らない。勝手にどうにとしてしまふから。……惨めであつた。そして涙がひからびて、乾いた涙が落ちさうだつた。思ひきり惨めな自分になることが、そして自分を無残に踏みつけてしまふことが、何より自分をいとしむ手段であるやうな、せつない口惜しい思ひがした。  澄江は朦朧とジョーヌの部屋へ降りてきた。深夜であつた。扉をあけると、ジョーヌは洋室にゐるくせに、椅子にかけずに、床板の上へあぐらをかいて、小さな木像を彫つてゐた。ロダンの言葉を読んでこのかた、日本の古い仏像に熱病のやうな傾倒を見せてゐた。そして自分も仏像を刻むために、そのころ熱にうなされてゐたのだ。  ジョーヌは澄江を見るとびつくりして立ち上つた。そして声がでなかつた。澄江もまた無言であつた。二人は部屋の中ほどに向ひ合せに立つてゐた。澄江の顔に電燈の光が斜に流れかかつてゐた。そしてそのために鈍く白い顔色となり、凹んだヶ所には黒い陰も落ちてゐたが、怒りの色もなく、憎しみの閃きもなく、そして抵抗の意志もなかつた。ただ虚しさがその表情のすべてであつた。ジョーヌの驚きの表情がやがて訝しさに変つた。そして彼は立ち上るとき握つてゐた鑿をなかば無意識にかたえの机の上へ置くと、突然澄江をだきすくめてゐた。ジョーヌは片手に澄江の髪を鷲掴みにして光の下へ顔を向けさせ、噛みつくやうに唇をなめ頬をなめた。彼の動悸は狂暴な亢奮のために鋭く鳴つた。彼は高らかに笑ひだしたくなるのであつた。凱歌をあげたくなるのであつた。助平なブルヂョア娘めと彼は肚に嘲笑つた。その正体はやつぱり御覧の通りなのだ。こいつはたうとう負けたのだ。そして俺は勝つたのだ。澄江の喉首へ片手をかけて、まるで絞殺するやうに、激しく椅子へ押し倒した。澄江の腕を捩ぢあげるやうな荒々しさで払ひのけ、首をがくがく振りまはした。そしてまるで引きさくやうな激しさで着物をぐいと引きひらいた。あらゆる軽蔑が心に波立ち、そしてあらゆる憎しみが波立つなかに、彼の眼が色情の油のために異様に輝きはじめてゐた。彼はあらゆる軽蔑を形に示した。然し澄江は屍体のやうに無意志であつた。  澄江は人々の見送りを受けて新京へたつた。然し卓一には知らせなかつた。新潟から満洲航路の船もでるが、やうやく三千噸の小さなもので、乗りたがる人がすくない。然し朝鮮北東端の羅津へ上陸し、ここから汽車で国境を越え新京へ走るコースは、単に距離の上だけではたしかに最短に相違なかつた。然し実際の所要時間は、必ずしも最短時間ではないのである。澄江は汽車で神戸へまはり、賑やかな、そして華やかな道を通つて新京へ行くことにした。落ち、そして流れる気持であるにしても、まるで落ち、そして流れるためにあるやうな暗らくまた荒涼たる新潟の航路は、たうてい澄江に堪えがたいものであつた。  北方へ行かう。北地へそして曠野へ。──澄江の理知的な冷めたさ、そして抑制の厳しさがどれほど大胆をきはめてゐるか、それを語るにふさはしい一例があつた。澄江は親しい友達にも、友達のやうな母親にも、たうとう一言も卓一のことを語らなかつた。夢の中へ突き落されたあの一日がはじまつてから……卓一は凡そ孤独の不安と苦痛に堪えられなかつた。そして誰でも良かつたのだ。人に会ひ、そしてみんな喋りたかつた。痴人のやうに抑制なくみんな吐きだしてしまひたかつた。そして事実痴人のやうに抑制なく、一二の人に、たとへば木村重吉に、みんな喋つてゐたのである。不安と苦痛そして怖れをまぎらすには、それよりほかに方法がなかつた。然し澄江はたうとう誰にも語らなかつた。そして澄江の周囲の人は四年昔のにがい恋の復活に誰も気付いてゐなかつたのだ。──然し澄江の心には、夢の中へ突き落されたあの一日がくる前に、北方へ逃げたい心があまりに寂しくかたまりすぎてもゐたのであつた。そして恋の激しい苦痛の裏側に、恋を、そして現実を、一応逃げたいせつなさが、疼きとほしてゐたのである。そして恋の暗らい末路が、突きつめたひとつの最後の感じのなかで、すでに冷めたく焼印を押され、自らひとつの蒼ざめた虚しいものに還つてゐた。澄江は恐らく卓一よりも遥かに激しくこの恋を愛したであらう。けれども恋の復活のとき、卓一よりももつと厳しいせつなさで恋の末路を感じてゐた。そしてそれゆえ暗らい恋の復活を誰に知らせる浮いた気持も生まれなかつたのかも知れない。とにかく澄江はたうとう誰にも語らなかつた。  越後平野はその大半が水田で起伏ひとつないのである。森かげすら関東平野にくらべたなら実に寥々たるものであつた。すべてがいま白皚々の雪にうづもれ、あらゆる車窓にせまるものが、ただ単調な雪原だつた。そして小川のあるたびに、その両岸のはんの木の並木が裸の枝をむなしく冬空へ撒いてゐる。車輪の響きが喘ぐやうな苦しさだつた。せつないまでに物悲しい単調さのみがつづいてゐた。気笛の悲鳴、そして動揺。ああすべてがまるで帰ることを忘れた旅を暗示してゐるやうである。  ──もう一目卓一に会ひたい。澄江は思つた。もう一目。……汽車が新津へついたとき、澄江は思ひきつて立ち上つた。もう一度こつそり新潟へ戻つて行かう。そして卓一に一眼会はふ。澄江は駅へ手荷物を預けた。そしてうらぶれた待合室の一隅へ腰を下した。夜がきた。澄江は然し動かなかつた。この停車場へ出入する人々は、服装に、顔に、挙動に、すべて都会と没交渉な別の国を示してゐた。ある女は、ある男は、ある子供は、ある老人は、もんぺをはき、藁沓をはき、そして頭巾をかぶつてゐた。彼等は雪を運んできた。プラットホームも濡れてゐる。待合室も濡れてゐる。そして人間も濡れてゐた。そして心も濡れてゐるやうに見えるのだつた。彼等は時々澄江にすら分りかねる方言で話しあつた。まるでひとつの故里のやうな思ひがした。澄江の心も、まつたく彼女に分からない特殊な方言で、何か頻りに語りだしてゐるやうだつた。悲しい思ひはどうしてこんなに限りもなくあるのであらう。素朴な、けれども何か異様な虚しさをもつたこの風景にかこまれて、このまま化石してしまひたいと澄江は思つた。  駅の本屋から離れたところに、便所が雪にぬれてゐた。暗らくそして汚なかつた。便所の扉をあけやうとして、澄江は突然小さな四角な箱いつぱいにぶらさがつた首くくりの姿を思ひ浮べた。自分もやがてそんな風になるのぢやないかと思はなければならなかつた。堪えがたい不快の念が胸に起つた。どうしてつまらないことを考へるのだらう。死にたくなかつた。どれほど寂しく、また惨めでも、生きてゐたい思ひがした。けれども何を目当てにして自分は生きてゐるのかしら。たつたひとつの生きがひから、今逃げやうとしてゐるくせに。澄江は苦笑も浮かばなかつた。それを考へてはいけないのだ。ただとにかく生きなければならない気がした。  澄江は雪の戸外に立つて、懐中鏡に顔を映した。洋装のときはきまつてさうだが、妙にとげとげしい感じがする。そのくせ蒼ざめて生気がなかつた。こんなのが死相ぢやないかとまた思つた。どうして次々にいやなことを思はなければならないのだらう。いぢめられてばかりゐる可哀さうな私。ひといきに酒を呷りたくなるのであつた。  駅前の旅館は明るさうな建物だつた。澄江はそこの風呂にはいり、炬燵にあたたまつて食事をした。 「お泊りではございませんの」女中はこんな田舎でも客なれて自然の笑顔をもつてゐた。 「いちばん晩い汽車で新潟へ帰りたいの。あなたはこの土地の方なの」 「いいえ。ずつと山奥ですの。乗物もないところですわ。小学校を卒へた女の半分が女工、残りの大半も女中になつて大概村を離れてしまふやうな荒れきつた村ですわ。どこへ行つたか消息のない人達も年に二三人はありますわね。みんな東京にあこがれてゐますの。私東京から逆に流れてきたんですの。旅館なんかにゐますと、村へ帰つても、もう信用がないんですわ」 「くにへ時々おかへりなの」 「もうまる三年かへつたことがありませんの。近いんですけど。帰つたつてなんの娯しみもありませんもの。今頃は雪の下ですし、夏だつて谷川の響きが毎日々々変哲もなく鳴りつづいてゐるばかりですわ。私もうくにへ帰ると二日ゐてもうんざりしますの」 「思ひださない? いろんなことを」 「思ひだすやうなことがあつたら」女中は笑つた。「私十四の年にくにを出たんですもの。思ひだすのは東京にゐたころのことですわ。それだつてもう。近頃はもう毎日呑気にくらすことだけ考へてゐますの」  澄江が人眼をさけながら新潟へ戻つてきたとき、街々は朔風の下でねむつてゐた。そして大念寺の離れでは、もはや他巳吉もとつくに引上げた後であつた。卓一は澄江が新京へ行く途中から引返してきたことに微塵も気付いてゐなかつた。  翌日がきた。 「私ね」澄江は出勤する卓一に言つた。「お掃除をしてうちへ帰るわ」 「なるべく早く帰つてくるが、待つてゐるわけにいかないかね」 「だめなの」  けれども卓一が立去つてしまふと、澄江は部屋の片隅に茫然と坐つて、動くことができないのだつた。どうしても満洲国へ行つてしまはなければならないのかしら。私がこんなに行きたくないと思つてゐるのに。何者が満洲国へ否応なしに私を追ひやつてしまふのだらう。無慈悲な、そして意地わるな、その企らみが、手に掴んで握りつぶし踏みにぢつてやりたいほど口惜しいのだつた。行きたくない行きたくない行きたくないのだ。厭だ厭だ厭だ厭だ。ああけれども行かなければならないのだつた。あまり無慈悲な、なさけない宿命だつた。泣けるだけ泣いてみたいと澄江は思つた。然し涙も流れなかつた。さて改めて我に返ると、虚しい冷めたさが漲るばかりで、泣きたい気持もなかつたのである。そしてやつぱり行かなければならないのだつた。けれども澄江は夜がきても動くことができなかつた。  夜が落ちると、他巳吉がきた。 「ねえお爺さん。私と一緒に遠いところへ旅行しない。明るい青空の輝いてゐる街があるわ。海の色も青くてそして静かだわ。もう新潟になくなつた古めかしい洋館がたくさんあるの。倒れかかつた洋館のあひだに、どこへ連れて行かれるのだか分からないやうな曲りくねつた露路があるわ。二階の窓から晴れた海が見えるのよ。行つてみませう。南の方はもう春がちかいわ」  ほんとに他巳吉を連れて行かうと澄江は思つた。せめて神戸から船に乗るまで。船に乗れば気持はいくらか変るだらう。そしていくらか落付くだらうと思はれた。ひとり旅。雪をやうやく切りひらいてたつた一条走つてゐる冷めたい鉄路を考へたり、眠むるまも耳のまはりに絡みついて離れない車輪の響きを考へると、堪えがたかつた。まるで帰路を知らないやうな蒼ざめた疾走だけしか感じることができないのだ。悲しさを暗示することがすべてなのである。その悲しさに堪える力はとてもないと思はなければならなかつた。他巳吉でもゐてくれたら。……冗談ではないのであつた。その珍妙な風景を珍妙なものに想ひうかべる余裕もなかつた。 「私ね。今晩はここへ泊るの。そして、あしたの午すぎに、あの人の留守のうちに旅行にでかけてしまふの。こんなことあの人に喋つちやだめよ。そッと行つてしまふのだから。だからあなたも──あの人が新聞社へでかけた後にここへ来てよ。午後一時頃。お願ひだわ。私ひとりぢやとても行く気がなくなつたの。汽車の音があんまり悲しく響くんですもの。孫のやうにお爺さんを大事にするわ。お爺さんもう一度京都のお寺詣がしたいつて言つてたぢやないの。お爺さんの行きたいところへついてくわ。奈良。高野山。伊勢。永平寺。丹波の篠山でも大江山でも」 「これはまた。やあやあやあ」他巳吉は掛声で誤魔化したが、苦しげな困惑を隠せなかつた。「明智の光秀大謀叛だね。あんたが高野山へ片足かけると全山たちどころに鳴動を起すがね。いやはや人間に謀叛気は絶えないものと聞えてゐるが、はてさてなんだ。とにかくあんたのその虫も殺さぬ可愛いい顔をとつくり見せてもらほうかね。軍師は事の始まる前に洞ヶ峠へ立籠つてゐるやうなものでね。いやはやなんだ。お半長右衛門の話はあるが、これはどうも長さんもいくらか俺より若いやうで。もつとも男振りはそのなんだが……」  と他巳吉は澄江にとんと理解のつかない古風な文句をまくしたてて蒼ざめた苦笑を誤魔化してゐた。然し気持はにがかつたのだ。彼もまた謀叛気の疼くものが、ないことはなかつたのである。謳ふべき若さも知らず、営々としてただ蟻の如く蓄財に追はれ、誰がきめたか知らないが世の中の定規通りの絢もなく味もない世渡りに一生をすりへらしてきた思ひであつた。考へてみると失はれたすべてのことが一途に癪のたねである。年と共にさういふ思ひを感じることは頻りであつたが、さりとて一代の蓄財を浪費するは無論のこと、五円の金を浪費するにも、身を切られる思ひがする。世の中の定規通りの埒を越えず営々として稼ぎに追はれた昔を思ふと、その堅さ惨めさがいとしまれて、浪費の鉾先がまつたく鈍つてしまふのである。すでに浪費を考へただけでひとつの罪悪を犯したやうな胸をつかれる思ひがした。それでは話にもならないのである。けれどもそれは、どうにもならないことであつた。そしてすべては諦らめるほかに仕方がないのだ。何よりもその諦らめがかんじんだと他巳吉は思ふのだつた。後生願ひをして、過ちなく一生を終るほかに希ひうる何物もなかつた。つきつめたところ、結局それが心のすべてだと思ふほかに仕方がないといふ気がする。悪足掻きをしても仕方がないのだ。来世の平穏多幸を信じて大過なく静かな往生を待つことが何よりだ。けれども謀叛気が、それももとより無いことはなかつた。ひと思ひに──まつたくさうだ。この年になつても何か無性な苛立たしさで、ひと思ひに……けれどもひと思ひに扨てどういふことをすればいいのか分からないが、さういふ思ひは然しなほ在るのであつた。年と共にその思ひが色蒼ざめ活気のとみに衰えた侘びしいものにはなるけれども、思ひ自体の存在はなほ牢固として胸底に余燼を絶たず古い煙をくすぶらしてゐるやうである。謀叛気ゆえに人は悲しくまた愉しく、そして愛すべく、またいぢらしくもあるのであらう。けれども謀叛気に走るだけの根気も失せたこの蒼ざめた老年が、一層なつかしい気持がした。その安らかさ、その静かさ、そのなつかしさと取り換えて悔ひないほどの高価なものは、もはや地上に見当らない思ひであつた。 「明智の光秀三日天下といふことがあるね。喉元すぐれば鯛も鰯も同じことだといふがね。住めば都だ。行つてみれば金閣寺も蒲鉾小屋もまづまづ似たやうなものさ。ここのところは、あんた……」  然し他巳吉はさう言ひかけて、ここのところはあんた、ひとつ旅行を思ひとどまることだね、と一息に言ひきるだけの気持の張りが、その瞬間になにがなし崩れる思ひもするのであつた。美女の放埒を見ることが心愉しいのであらうか。その放埒のなにがなしうらぶれた切なさに、老齢の色蒼ざめた虚しさがまるで虚空へ吸はれるやうな一抹の爽やかさで、ひかれる思ひもないではなかつた。それも所詮は然しただ要するにそれだけのことなのである。今更まるで血気壮んな若者のやうに、したい三昧に走らうにも、年が年だし、いざやりだしてみたところで、そもそも気持の張りあひが惨めなほどに衰え、そして凋んでゐるのだ。したい気持はなほ人並にあるにしても、さて実際にしてみれば、すべて虚しく、興ざめて、老齢の悔ひのみ多く、とてもついては行けない筈だ。他巳吉は心が自然に白けるのだつた。そして彼はひやかすやうに澄江に言つてゐるのであつた。 「まあなんだね。とにかくあんた、好きな男と一緒にゐるのが何よりだね。謀叛気を起すと、光秀の天下はつまり三日さ。とかく後がよくないものだ。それよりどうだね。今夜はひとつ博奕をでつかくやらないかね。天下を狙ふも博奕のうちさ。してみればあんた花合戦も、いやはやどうも。あはははは。これも大きに謀叛のうちだね」 「茶化すならもう知らない。こんなもの、やぶいてしまふから」 「まあまあまあ短気を起しては困るがね。風流人は花を手折らずといふことがあるね。公園の立札に書いてある通りのものだ。近頃の娘は気が荒いね。昔の娘は花に短冊をぶらさげたものだ。それが青たん赤たんさ。花より団子の青野山などと三十一文字にさら〳〵したためて、男の心をとろかしたものだ」 「お爺さんが一緒にきてくれなければ、私は死んでしまふから。冗談言ふときぢやないのよ。かうしてゐても、死ぬことができるくらゐの時なんだわ。ほかのこと、考へてゐられない。お爺さんにつれなくされると、お爺さんだけ恨みながら死んでしまふわ。私の顔、見てよ。ほら。私の顔、冗談のやうに見える?」 「さて、嬉しいことを、きいたぞ。きいたぞ。とかく色男は苦労の絶えるまもないが、ええ、かうしてゐても、ぢりぢり痩せるね。これはいよいよ真言秘密の護符がいるね。藁人形に釘はうたれる。大蛇の奴に吊鐘はまかれる。色男はとかく浮世が針の山だ。つれなくされると、死んでしまふは、有難いね。いやはや、耳の毒。木石ならぬ身の大敗北だ。なにも、あんた。死ぬほどこがれた男のそばを、離れなくとも、なんとかなりさうなものぢやないかね」 「だつて仕方がないんだもの。私もうあの人の顔を見るのが怖いのよ。幸福が怖ろしいの。ああほんとに厭だ。私落つきたいんだわ。ねえお爺さん。いくらあなたが呑気でも悲しい夢を見ることがあるでせう。たそがれの淋しい道をひとりぼんやり歩いてゐる夢があるでせう。夕凪で、油を流した水のやうに微動もしない空気のなかに私がゐるの。次第に闇が深くなるわ。孤独の淋しさが堪らないほどこみあげてくるのよ。すると向ふに暗らい森陰が現れるの。森の中には魔者がゐたり野獣がゐたり、木の枝に首をくくつた裸かの女がぶらさがつてゐたり。その女を見ると自分だつたり。すると鴉に屍体の眼玉をついばまれてゐる痛さが胸にせつなかつたりするんだわ。そのせつなさが森の中へ行かないうちにありありと分かつてゐるの。だから森へ行きたくないの。逃げだしたいのよ。そのくせどうしても自然にそつちへ歩いてゐるの。行つちやいけない行つちやいけない。絶望して叫ぶんだけど、どうにもなりやしないのよ。声だつてでないんだもの。さうしてずるずる吸はれるやうに歩いていつてしまふんだわ。さういふ夢がよくあるでせう。お爺さんもさういふ夢をみた覚えがあるでせうね。私その夢とちやうど同じ苦しさなの。分かつてゐても、どうにもなりやしないのよ」 「夢は五臓の疲れさ。菩薩も邪婬の夢をみるといふほどのものだ。せいぜいなんだ。夢はいろつぽいものがいいね。俺はもう若い時からせめて夢は数ある中でいちばん色つぽい奴を心がけてゐたものだ」  と他巳吉はあとは欠伸にまぎらした。それから花札を配り終つてわはわは笑つた。そして澄江の虚しげな顔を認めると、仕方なしにもう一度わはわは笑つて、大きな舌をだしながら、澄江の頬を人差指で突ついてゐた。  然し他巳吉が帰るとき、卓一の隙をうかがつて澄江は執拗に繰返した。あした午後一時頃待つててよ、と。とにかく一度ここへ来てちやうだいと激しい息でささやいたのである。それは懇願といふものではなく、むしろ強請の激しさだつた。考慮の余地や返答の隙すらないほどで、とにかくその場はそのささやきを鵜呑みにして、否応なしに何物かを押しつけられた空虚さと燃焼不足な半端な思ひに悩みながら、落付きなくそわ〳〵と別れを急いでしまふほかに手段もないやうな状態だつた。澄江の表情とそして気魄がきびしかつた。つきつめた気配のために、あらゆる表情の陰影がむなしく漂白されて、鈍い白さが際立つてゐる顔付だつた。 「あした一時ごろ来てちやうだい。待つてるわよ」と他巳吉の耳が澄江の声をきいてゐる。然し他巳吉は言葉よりも、むしろ澄江の表情を印象し、言葉よりも声の感じや色あひを聞いたのだつた。いくらかヒステリイぢみた顔付なのである。思ひ余つた顔でもあつた。けれども凡そ思ひあがつた顔付といふことができるであらう。奴隷に対する女王のやうな、けれども微塵も階級的な要素はなく、それゆえ理知の裏付けがなく、まつたく一に本能的な、そして純粋に女性的な、ある意志であり威厳であつた。いはば女はその時人間としての來雑物やあらゆる中性的な要素を失ひ、純粋に女そのものの立場に立ち、かつまた男一般といふ観念がなく、純粋に男の一人に向ひあつてゐるのであらう。恋には尚かつ理知もあり内省もあつた。女は恋する男の前で必ずしも純粋な女の隙を暴露するとは限らない。  女がここまで思ひあがつてしまふこと、そして純粋な女の立場に立つことは、実際は最後の隙を見せたことになるのであつた。一人の男に最後のものを見破られる時であり、そして敗北する一歩手前の絶巓に立つてゐる時でもあつた。いつの世にも奴隷ほど女王の隙を知るものはない。奴隷ほど女王に勝ちやすいものはない。恋の不安や羞恥を忘れて奴隷を見くだしてゐる女王は、いはば女が純粋な性器でしかない姿でもあり、食卓の皿に盛られた裸像にすぎない時でもあつた。各人各様の好みであらうが、他巳吉は皿にもられた女王の裸像に、他の如何なる煽情的な姿態よりも、むしろ最も五感に沁みる情慾を感じ、広茫たる想像の世界、聯想の世界の隅々にまで漲りわたつて、生動尽きるところを知らない妖艶な姿態を感じ、そして水々しい食慾を覚えた。どんなに貪り眺めても決して乾くことのない水々しさを感じさせるのであつた。あらゆる夾雑物を失つて、単に純粋に男の対象としての要素のみに還元し、その要素に関する限りは、凡そ想ひうる可能の限り欲して想ひあたはぬ姿態のない豊富な泉を思はせる情感の深さであつた。閨房のあらゆる瞬間の表情を一刻毎の変化につれて明確に描きだすこともできるのだつた。その刻々の呼吸のひびきもきこえてくる。そして呻き。手の動き、足のうごめき。胴体のうねり、胸部の蠕動。足の親指の最も微細な痙攣すら、欲して想像しあたはぬものはないのであつた。生れて七十幾年、多くの女王を飽くこともなく玩弄しつづけた彼の生涯の記憶の中でも、その最も微細な小肉片の蠕動に至るまで見破り得、描き得た女王達は極めて稀にしか有り得なかつた。ひとつの得難い快楽の泉であつた。うるほひと光沢と陰の深い森であり、草原であり、流れであり、むせつける匂ひにみちた花園であり、夜のうるんだ庭園だつた。そして現実の太陽も、現実の月光も、その想念の中のものほど美しく現実を照らしだすことはできないのだ。  他巳吉は澄江の頬を人差指でつついたときの冷めたい手ざはりと弾力を思ふのだつた。そして白痴のもののやうなその表情と、一皿の香気の高い菓子の感情を思ふのだつた。冷めたい皮膚の弾力が人差指にじつとり残り、そして生々しく蘇返つてくるのだ。それはやはらかなクリームをのせた菓子のやうな感じであつた。また指さきで軽くつついたゼリーのやうな触感だつた。内部に豊肉と香汁をつつんだ熱帯の実物のやうな思ひであつた。紅毛碧眼の女を知らず、その魅力も分からずじまひに終りさうな一生に、けれどもこれも然しひとつの国境の外の、異国風な新鮮さで、異様に妖しい香夢を包んだ不思議な国を彼の脳裡にひらかうとしてゐる。その国には夜と白昼と薄明が同時に存在するやうだつた。月光と青空も一緒にあつた。暗澹たる嵐の岬に紅の夕焼けが映え残り、そして五月の花園と死滅した吹雪の市街があるのであつた。眠つた深夜の森林に蔓草の無数の繁みが這ひのぼり、乾草の香気がみなぎり、そして海鳴りの響のなかに牧歌に明ける平原があり、燃えるやうな雑沓の街と夜宴があつた。冷めたい頬の弾力のなかに、それらのすべてが一緒にひそみ、一本の人差指に吸ひあげられたそれらの生気がなほじつとりと絡み残つて、静かに然しなまめかしく息づいてゐるのであつた。 「ありがたい」他巳吉はその呟きを心のうちに繰返した。人差指をしやぶつてみた。そして澄江のいぢらしさが異様な近さに、肌のまはりに、燃えあがる思ひであつた。「俺の可愛いいいろをんな……」と他巳吉は澄江の幻に向つて言つた。あしたの一時ごろ待つてゐるといふのである。然しさて出掛けたところで仕方がないのだ。一人旅の憂さ晴らしに、ていのいい幇間代りの道具にされるだけなのだ。そしてもとより他巳吉は出掛ける気持を持たなかつたのであつた。  だいいち費用が大変だからなと他巳吉は思つた。足腰の確かなうちに、もう一度京見物やお寺詣や伊勢参宮や名所見物に歩きたいとは思つてゐた。還暦の年に愈々俺も隠居だといふ心構えで殆んど日本一円をのんびり歩きまはつてきた。然しまだ覇気の残つた年齢であつた。隠居だといふ心構えは否応なしにでつちあげても、これがこの世の見納めだといふ今日此頃の静かな思ひはないのである。百方損のしだらけだつた。宿賃も損、急行券も大損のうち、お賽銭も損のひとつに見えるのだつた。柄にもなく真剣に女中を口説いて、案の定口説きそこねて、その一日の酒肴費からこんな宿屋へ泊つたことも、こんな土地へ来たことも、眺めた景色も、くそ忌々しいまるまるひとつの大損だつた。つひふらふらと買ふ気になつたみやげ物が、また大損のひとつである。毎日々々々々が法外な損のしつづけだつた。旅ぜんたいが、そもそも今更悔んでも、取返しのつかない大損なのである。そして旅籠の夜ごとに、今日の損、昨日の大損、おととひの損、さきおととひの大損に悩んで、やうやく疲労困憊と諦らめがごつちやにまぢつて沈澱して異体の知れないものになるとき、睡魔が損にかはることができるのだつた。 「あの女は鉄火だからな」と他巳吉は思つた。鉄火な娘は不羈独立不屈の大精神をもつてゐるから実は却つて御し易い。そしてわりあひ金のかからぬものである。それだけに、こつちの方も、つひ張りこんでしまふ時があるものだ。さういふ時は夢みるやうに我を忘れた時でもあつた。そして自分を失つた夢のあひだに、どういふどえらい大損をやらかしてしまつてゐるか、ざつと考へてみただけでも胸くそが悪くなつてしまふのだつた。どうも俺は、と他巳吉は澄江の顔を眼前に描きながら、冷やかすやうな笑ひを浮かべて呟いた。鉄火な女が鬼門だて。そして彼は突然澄江の顔に向つて赤い大きな舌をだした。べらぼうめ。他巳吉様は神通力だ。もうろくはしても、小娘の手玉にとられる他巳吉様と他巳吉様が違つてゐるぞ。おかど違ひといふものでげせう。他巳吉は見事な見得を切るのであつた。その手は大きに桑名の焼蛤といふものだ。そこで再び大きな舌をべろりとだして憎たらしげに鼻をひくひくさせるのだつた。いつそのこと澄江がさつき言つたやうに、私孫娘のやうにお爺さんを大事にするわ(他巳吉はにやにや笑つて舌をだした)あれとこれと中味はだいぶ違つてくるが、ほんものの孫娘をつれて出掛ける方がむしろよつぽど安あがりだと考へて、裏切りの歴然たる通牒でもあるところの赤い舌を、改めて長々と突きだしたのであつた。  然し翌日になつてみると、他巳吉の心は落付きのないものだつた。  とにかく大念寺の離れまで、一応行つてみるほかに、気持の納まりがつきかねるのだ。そこまではとにかく役徳のうちである。他巳吉は思つた。そこまでは、鐚一文の損にもならない役徳なのだ。逃しては冥利につきるといふものである。あとは野となれ山となれ。その場次第の出放第な口先で誤魔化してしまへばいいのである。なほ敵はぬと見たときには、潔よく旗をまいて、年寄りはもともと生きのびることが恥のうちだ。なんのためらうところもなく一目散随徳寺をきめこむこと。念のため──他巳吉は鼻先に笑ひを浮かべて舌をだした。ふところから縞の財布をとりだして、敬々しく頭の上に押しいただき、抽斗の中へ蔵したのだつた。仙人も雲から足を踏みはずすでんで、ましてこちとら猪八戒はとりわけ煩悩と馴染みの深い間柄だが、かうしてをけば、どういふ迷ひが脂粉をこらして攻め寄せてきても、まづは暖簾に腕押しといふところであらう。 「べらぼうめ。土を掘つても、一文の銭もでないと、昔から譬にも言ふ通りのものだ」と他巳吉はさう呟いて外へでたが、諦らめわるく舞ひ戻つて、縞の財布を再びとりだしてゐるのであつた。  ひと思ひに行つてしまへといふ気持はまづ金輪際ないつもりだが、物のはづみで行かなければならない破目になる時のことが、気がかりであつた。その気がかりのあることは、いはばひと思ひに行つてもいいといふ気持が、やつぱり心にあることの偽りのないしるしであらう。これは愈々危いなと他巳吉は思つた。君子は危きに近寄らずであるが、君子ならぬ小人の身は、危きがゆえにむしろ奇妙に引き寄せられる麻薬の痺れを心に感じる。聖人君子の道よりも、絢のこもつた迷ひの方が、理窟ぬきに心をそそつてくることは、さうでなければ聖人君子が成り立たないからあたりまへ、仁義礼智信の大道は一人二人の聖人君子に身代りに立つてもらつて、小人は小人らしく分相応に迷ふことが大切である。どうせ死ぬ身だ。年寄りはそもそも生きるが恥のうち。もはや恥も掻きすてである。とはいへ矢張り決断はなかつた。ひと思ひに行つてしまへといふ気持は、まづ金輪際やつぱりないと言はなければならないのだ。ただ単に物のはづみで行かなければならない破目になる時のことが……それにしても君子は危きに近寄らず、なるたけそれも避けたいと思ふ心が、強いやうに見えるのだ。ひと思ひに死に花咲かすか、仇にもさうは思へない。いまさら血気な若者の同じ迷ひに溺れてみても始まらないと思ふのだつた。女の心は分からない。惚れない男に心を見せる女ほど、ことにその心は分からないのだ。どういふ秘密な企みと、狡猾な係蹄がかくしてあるか、見当もつかないのである。憎いのは澄江の心だと他巳吉は思つた。そして狡猾な企みである。所詮浮き世は騙し合ひだと他巳吉はかねてから思ひこんでもゐたのであるが。  大念寺の離れへ来てみると、澄江はもう出掛けるばかりに身支度をととのへ、帽子もかぶり、外套も着て、待つてゐた。 「さあ出掛けませう。もう時間がないんですもの、どうしやうかと思つたわ」澄江は他巳吉を見ると侘しさうに言つた。心細さが他巳吉にも沁みわたるやうに思はれた。「私ね。新潟から汽車に乗るのが堪えられないのよ。新津まで自動車で行きませうね。私しつかり眼をつぶつて新潟の街を通りすぎてしまふの。うつかり眼をあけて街をみると大声で叫びさうな気がするわ。もしかすると亀田へんで自動車が走れなくなるかも知れないけど、さうしたら橇に乗り換えて行きませうね。私新潟を出外れてしまへば……ひと思ひに橇に乗つて寒い寒い白い道を走りたい。きつといくらか淋しさを忘れて、ほつとすると思ふんだけど」  澄江は靴をはきかけやうとするのであつた。 「まあまあ落付くこと。落付くこと。昔慌てて死んだ男があつたものだ」と他巳吉は委細かまはず部屋の中へ上りこんで、どつかと坐つた。部屋の中へ上りこむ粗雑な動作の反対に、気持はひどく惨めであつた。「まああんた、汽車は一日に何度もでるがね。雪の日の空のやうな顔を忘れて、女は愛嬌だ。笑ひ顔を見せないかね。昨日からあんたの顔がおつかないがね。まあさ。女の立姿も千両の値打のものだが、葬式の日でもなかつたら、部屋の中では、ぼんやり立つてゐないものさ。ひとつどうだね。しんみり話をしないかね」 「お爺さん。私冗談ききたくないわ。汽車の時間だつてあるぢやないの。私ね、暗くなつてから走りだす汽車が堪らないのよ。ほんとは夜汽車がいやなんだけど……暗闇のなかにごつとん〳〵音ばかりして。どこへ連れて行かれるんだか分らないやうな心細い思ひがしてとても我慢ができないやうな気がするけど、そこまで我儘も言へないもの。せめて明るいうちに走りだす汽車に乗つてしまひたいのよ。後生だから早く立ち上つて。さあ出掛けませう。夕方がちかくなると、私もうきつと気違ひになりさうになるのよ。だつて、あの人の帰る時間が近づくんですもの。そんなせつない時間に私が新潟をたてると思つて。ひどいひどい。夕方がこないうちに新潟を離れなかつたら、私汽車の窓からだつて飛び降りて新潟へ帰りたくなつてしまふぢやないの。私もう一秒ごとに気違ひに近づいてゆく過程がはつきり分るのよ。早く苦しみを助けてよ。早く新潟を離れさしてよ。夕方のこないうちに、もう新潟へ戻れない遠い場所へ連れていつてよ。いまに絶望がくるぢやないの」 「俺はあんた旅の用意をしてゐないがね」と他巳吉は澄江の気色に呑まれて、まつたくへどもどした。「ここまでは約束にしたがつて、あんた。武士の一言さ。やつてきたといふわけだが、年寄りの旅仕度はあんた一日二日でちよつくらちよいとできないものだ。なにもあんた、とにかく好きな男の住む町を、さうまで悲しい思ひをして離れなくともいいがね。子守唄にいふ通りさ。坊やは泣くなねんねしな、かね。まづその通りさ。大人の悲しさも子供の泣くのも、つまるところは同じやうなものだがね。ねんねんころりさ。ねんねして忘れてしまふのがまづ何よりもかんじんなところだと、ざつとかういふ話のものだ」 「ああ、ああ。なんべん同じことを言ふ人でせう。そんな話が今更なんの役に立つものですか。お爺さんは他人ですもの。私自分のことなのよ。考へることはみんな考へてしまつたわ。もうそんな話は止しませう。支度なんかしなくつたつて、どうせ一週間か十日の旅だもの。着流しで出掛けたつて、ちかごろの旅館は決して不自由させないものよ。私がいつしよにゐるんですもの。どんな我儘でもきいてあげるわ。毎晩按摩もしてあげてよ。私お爺さんの娘か孫のつもりだわ。さあ出掛けませう。もうこれ以上せつない思ひをさせないでね。夕方にならないうちに新潟を離れてしまはなければ、私きつと気違ひになつてしまふわ」 「俺はあんた藪から棒のことだから、いやはや大きに泡を食つたの食はないの竹藪の光秀様とおんなじことだ。半分腰が抜けかけたね。あいたたたた。金の用意も」 「お金ぐらゐどうにでもなるぢやないの」と澄江は苛立たしさに堪りかねて他巳吉の手を引つ張つた。「贅沢さへしなければお爺さんの旅費ぐらゐの持合せはあるわ。不足したつて電話か電報で報らせさへすれば、どうにでもなることぢやないの。そんなものにこだはることないわ。もつと真剣になりませう。私せつなくなつてしまふわ。お爺さん。私新潟を離れてしまへば気持がぐつと落付くのよ。そしてもう我儘も言はないわ。お爺さんの子供のやうな優しい親切な娘になるわ。笑顔ばつかりしてゐるわ。ほらごらんなさい。お爺さんが駄々をこねるものだから、たうとう雪が降りだしたわ。冷めたい思ひをしなければならないぢやないの。ああひと思ひに吹雪になつてくれた方が私はよつぽど清々する。さあ出掛けませうね。お立ちなさいつたら」 「あいたたたたたた。さう無茶苦茶に引つ張つても俺はあんた腰が抜けて。あいたたたたたた」  他巳吉はごろりと横にひつくり返つた。渋面つくつて「あいたたたたたた」と腰骨を押へてゐたが、「ああッ」彼はひとつ大袈裟な噦りを洩らしてから手足をぶる〳〵痙攣させて、断末魔の苦悶の形相をあらはしはじめた。 「死ぬ死ぬ死ぬ。水。水」  他巳吉がのたうちまはるにつれて、片手を握りあつてゐる澄江は、よろめかなければならなかつた。他巳吉は断末魔の真剣な苦悶に浮身をやつしてゐる一方に、しつかと握りしめた澄江の掌を、人差指でくすぐることを忘れなかつた。  澄江はもう言葉を発する張合ひもなかつた。握られた手をふり放して、他巳吉ののたうちを足下に冷然と見下してゐるばかりであつた。 「わはははははは。わはははははは」  他巳吉は薄眼をひらいて澄江の様子をうかがつたが、急にげた〳〵笑ひだした。笑ひはもはや彼の意志ではとまらなかつた。そして彼ののたうちは笑ひのためにまつたく真剣なものとなつた。彼は脾腹を両手で押へて、畳の上へ投げだされた海老の形にまるまつたが、やがて部屋の隅から隅へごろ〳〵ころがりはじめてゐた。 「いい加減にお止しなさいつたら」 「わはははははは。いやはや、まつたく」他巳吉はやうやくころがることをやめて、だらしなく坐つた。涙をふいて着物の前を合せたが、残つた笑ひが瓦斯のやうに時々腹からこみあげて、こぼれだしてしまふのだつた。 「いやはや、どうも。わはははははは。あんたはどうもさつきから。わはははははは。お気の毒を絵にかいたやうな姿だつたね。わはははははは」 「笑ふだけ笑つたから、生れ変つたやうに新らしい清々した気持になつたでせう。もう駄々をこねちや駄目よ。さあ勇ましく出掛けませう」  他巳吉はふらつきながら立ち上つた。のろのろと身仕度を直し、雪駄をはき、毛糸の頭巾をすつぽり被つて、たど〳〵しい足どりでやうやく外へでたのであつた。その足つきはもはや関節の力がぬけはじめて、一足毎につまづくやうな危なさであり、地を這ふやうなたど〳〵しい運びであつた。老衰の感じが深い。二十数貫の巨躯ではあるが皮がたるんで生気がなく、全身腐肉のやうでもあり、腐肉の隙間にその混濁した異臭芬々たる漿液を貯えてゐるやうにも見えた。よそ目にももはや旅行は無理だつた。孫達に手をひかれてといふほどの老衰ぶりではないのであるが、まづ孫達に附添はれて湯治にでも行くといふのが恰好の姿であらう。年寄りの旅支度は一日や二日では出来ないものだといふ言葉は一面己れを知つた言葉で、旅そのものにある種の危惧をいだかぬこともなかつたのである。けれども彼はどうやら旅にでかける気持になつたらしい。そして二人は自動車に乗つた。要するに断末魔の悪相や七転八倒ののたうちは、第二の自己に引導を渡すための壮烈な悪戦苦闘でもあつたらしい。  自動車は雪どけの泥濘の街を走り、万代橋を越え、そして沼垂をすぎた。もはや人家はなかつた。平野のすべてが見渡すかぎり雪だつた。自動車は頻りに小さな流れを越えた。車窓がそれを掠めるたびに、小川の水がひどく冷めたく、さうして暗らく眼に映つた。死のやうに微動もしない印象を与えた。そして流れの両側に今は枝ばかりのはんの木の並木が無限のやうに奥深く走つてゐた。雪が激しく降つてゐた。  空に降りみだれる雪は見える。然しながら、その雪が次第に空間の下方へ降りて、地平線の高さへはいると、言ふまでもないことではあるが、平野の雪にくらまされて、突然視界から没してしまふ。それは当然なことではあるが、雪の行方をみつめてゐると、地平線へ没するたびに、広茫たる虚しい思ひに心をなでられる思ひがする。 「雪の中へ雪が降ると、急に見えなくなつてしまふね」と他巳吉はぼんやり車窓の景色を眺めて呟いた。澄江はそれを忘れることができなかつた。 六  左門は文子と卓一の結婚のことを考へてゐた。もはや昔の左門のやうに、すべては自然の成行だといふ悠長な考へ方は、たうてい事情が許さなかつた。否が応でもこの結婚をまとめなければ、いぢらしい一人の女を救ふことができないのだ。不当にも世に蔑まれ踏みにぢられた可憐な罪人を救ふために、左門の思ひ得た唯一の策がそれであつた。  他巳吉がその失踪から帰つてきたのは、二週間の後だつた。そのとき左門は他巳吉の口から、はじめて澄江と卓一の恋のいきさつを聞くことができた。その日まで澄江の名前もその存在も知らない左門であつたのである。  他巳吉の大袈裟な言ひ廻しをどこまで信用していいか分からないが、四年間の思ひをこめた恋といふのが意外であつた。あの冷血な男でも、青年なみのことはするなと思つたのである。四年間のその恋が然しこつちにしてみれば結局むしろ好都合だと左門は思つた。女が満洲くんだりまで逃げたとすれば、卓一も今度は諦らめてゐるであらう。そもそも左門の観察によれば、女に捧げる誠実などは微塵も予想の余地のない冷鬼の姿が卓一であつた。四年間ひとりの女を思ひつめたといふことが、まづ第一に信じられない気持なのである。まして女に逃げられてみれば、綿々たる懊悩なぞは思ひのほかで、むしろ至極の冷めたさで澄江の面影を断ち切つてしまつたらうと思はれた。恋の諦らめが来たために、この結婚に賛成しやすいのではないかといふ気がした。そして他巳吉の言葉によつて澄江との恋のいきさつを聞いてみると、文子と卓一の結婚をまとめることが何よりだといふ考へが、もはや動かすべからざるものとなつてしまつたのである。  左門はある日卓一を呼び寄せてその話をきりだした。ひとつ家に文子がゐては何かと言ひづらく答へづらいに相違ないので、いつそ料理屋へでも呼びだしてと思はぬこともなかつたのだが、それもひどく面倒だといふ思ひがした。むしろ手数のかかることが、ひどく腹立たしい思ひであつた。そしてその手数をかける卓一が堪えがたいほど苛立たしく、無性に憎くなるのであつた。料理屋へなぞ呼びだして、もてなしながら縁談を切りだすことが、まるで文子を貰つてくれと懇願でもするかのやうな形に見えて、その卑屈さに堪えられないのだ。頼まねばならない筋がどこにあらう。左門はさうとしか思へなかつた。どこから見ても卓一には勿体なすぎる文子なのだ。たとひ世評はどうあらうとも文子は可憐な女であつた。ひとりの歪められた犬儒派にすぎないところの卓一に比較すれば、あまりにも多くの美点を身に具えたこの世のひとりの天使であつた。懇願めいた話の仕方はもつてのほかのことである。高圧的に切りだしてすら手ぬるい感じに思へるのだ。ひと思ひに怒鳴りつけたい苛立たしさを覚えるのだつた。 「澄江さんとやら、その人の話も先日大寺老からきいたが」と左門は卓一に言つた。「恋といふものはどうせ一生の伴侶にはならぬものだね。もとよりそのことは私なぞが言ふまでもなく知りすぎるほど知りぬいてゐるお前であらう。私はあまり意気地のない考へ方かも知れないが、人間はどういふ風に意気込んでみても、結局生活の基礎となるものは諦らめがあるばかりだと思つてゐる。勿論希望も勇気も情熱もなければならない。私の言ふのは希望に対する諦らめではなく、もはや一種の本能となつたひとつの絶対的な諦らめる心を指してゐるのだ。老衰、そして死滅。さういふ生理が心理のほかのひとつの心を持つてゐるとは思はないかね。私は左様な生理の心を感じることが、この十年来、とくにこのごろは激しいのだね。いや血気壮んな若者達でも、一見血気に距てられて直接は気付かぬところに、年寄りと同じやうに生理の心の支配を受けて生きてゐるのだ。私はさうとしか思はれない。極端に言へば、恋のもつ魔法のやうな喜びや悲しみすら、恋愛本能の避けがたい宿命でもあらうけれども、もうひとつ底の方に生理の心の支配を受けてゐるやうに見える。やがては死ななければならないといふどうにもならない生理の嘆きがかもしだす焦躁のあらはれのやうな思ひがする。死ぬことがなくなれば生理の嘆きもなくなるだらう。そして心の必要がなく、ただ現実と快楽だけが必要にならう。要するに現実だけを知つてゐる一匹のけだものに生れ変つてしまふわけだね。私はさう思ふてゐる。人間世界の悲しい心のかもしだす様々な絢はなくなるのだ。せつないけれども又なつかしい人生の絢は、要するに死ななければならないといふどうにもならない生理の嘆きがひらいた花園だと思ふてゐる。そして人間を生かすものは、ひとつの絶対のあきらめとその悲しさだと私は思ふ。人間は現に生きてゐるくせに、生きることを夢想しなければならないといふ生来矛盾に富んだいぢらしい悲しみの子だ。くづれぬ現実といふものはない。そして夢だけが生きてゐる。くづれぬ恋は夢の姿ではありうるだらうが現実の姿ではあり得ないのだね。人生もひとつの諦らめであり、結婚もひとつの諦らめだらうと私は思ふ。お前と文子が恋のない結婚をすることは豪も不自然なものではなく、私はむしろ左様な結婚の形式が極めて自然なのだと思ふてゐる」  さうかも知れないと卓一は思つた。彼もだいたい左門と同じ虚無感を人生の大道と感じてゐた。けれどもそれで満足のできないものを否定することも出来ないのである。左門の見方に順へば、それも要するに生理の嘆きに源を発した焦躁のあらはれであるかも知れないが、さういふ風に言つてしまへば、すべての行動を否定して隠者になるより法がない。隠者は賢人の生き方であらうが、必ずしも人間の生き方ではないのである。理窟はとにかくとして、強く生きたい。激しく生きたい。そして自分の生命力を自分の掌に生々しく握りしめたいと思ふのだ。無理強ひに自分を大人にすることが、ややともすればその安らかさに心をひかれるのであるが、然し気持の最後のものがどうしてもその不自然さに堪えがたかつた。  文子と結婚するくらゐ、凡そわけのないことだつた。要するに、結婚しますと左門に一言答えればそれですむのだ。形式が完了すれば心もそれについてくる。だいたいが自分を最も無責任に投りだしてしまふぐらゐ容易なことはないのである。そこにはつまり反省がないのだ。己れを批判するものが己れの中にないのである。一瞬の情熱に己れを委せて、常にただ流れるものであるかの如く生きればいいのだ。そもそも卓一が新潟へくるとき、自分を最も無責任に放りだしたつもりだつた。そして自分を愚弄するつもりであつた。一九二〇年代、卓一が中学生の頃だつたが、当時日本の思想界はこの混乱の初期だつた。そして自分を愚弄する手法によつて怖れと悔ひをまんまと逃げた英雄達がその栄光の中に住んでゐた。卓一は少年時代にその影響を受けたのである。感じる人には悲劇があるが考へる人には喜劇がある。卓一は考へる人の優越を愛し、そして考へることを学んだのである。然し考へることには二つの種類があるのであつた。思考する精神と思考する肉体である。そして思考する肉体に気付いたとき、考へる人の安易きはまる優越は微塵に砕けて飛び散つてゐた。もはや喜劇はなかつたのである。けれども彼はややともすれば自分を投げ棄てる安逸に溺れやうとするのであつた。  文子と結婚することは凡そ最も容易なる行ひのうちのひとつであつた。もし諦らめてさへしまへば、凡そ人間はだらしがないのだ。ずるずるとひきづり込まれてしまふのである。そしてもはやその世界のもつ見方でしか物を見ることができなくなる。そして生涯の不平不満を宝石の如く愛玩し楽しむのである。夕凪のやうなその安逸は、外部からは惨めに見えても、その柵の内側に住む心達はもはや惨めではない筈である。  文子に対する批判計量は問題ではなかつた。ひと思ひに自分を投げ棄ててしまふだけの突発的な勇気だけが問題であつた。程度の違ひはあるけれども、卓一には自殺の場合と結局同じことだつた。 「結婚の意志はありません」と卓一は答えた。「今はもう古川澄江とすら結婚の意志がないのです」  さう答えた瞬間に、然し卓一は思つたのだつた。俺はもう澄江と結婚する意志は金輪際もつことがないだらう。それはひとつの暗黒だけしか予想することができないのだ。けれどもほかの女だつたら、また結婚も自らニュアンスが違ふのである。そしてその痴呆のやうな安らかさがその一瞬たまらない魅力をもつて燃えひらめいたのであつた。ひと思ひに文子と結婚してしまほう。その声が喉から出かかるほどであつた。そして文子の肉体を最も婬らな生々しさで意識せずにゐられなかつた。  ──どうもなにか生きることに焦せりすぎてゐる感じだな。卓一は次の瞬間に考へてゐた。生きたい心の異体の知れない阿呆らしさにうんざりする思ひであつた。 「僕は結婚に安住できない魂の放浪を少年の終る頃から感じつづけてゐました。今はもうそれがすつかり一人前に育つてしまつて、どうやら僕のほんとの姿になりきらうとしてゐるのですね」卓一は苦笑を浮かべた。「十年来の習慣ですが、散歩といへば僕は必ず寺院へ歩いて行くのです。寺域の静寂もありますが、第一に寺院建築が好きなのです。けれども基督教の教会と、仏教のうちでも真宗の寺が本能的に散歩の対象にならないのでした。きつと大衆を意識した様式が厭なのでせう。そして俗習を肯定した安易さが本堂のなんらかの気配の中に惨んでゐて、それが僕をはばむのですね。あいにく新潟は寺といへば殆んど真宗一点張りで、僕には皮肉な土地ですが、先日一応寺町通りを軒並みに寺院建築を見て廻つて、やつぱり失望したのです。何物に失望するのだか、これはつまり勘の世界でちよつと理窟にならないのですが、やつぱり大衆を意識し俗習を肯定した安易さが建築のどこかしらに漂つてゐて鼻持ちならないのだらうと思ふのです。僕はつまり自分の生活にひとつの本質的な宗教を課してゐるのですね。そして寺院建築のもつひとつの宗教の本質的な何物かが、快く共感されてくるのだらうと思ふのです。坊主は堕落してゐるかも知れませんが、寺院建築は堕落してゐません。宇治の黄檗山万福寺はわづかに二百六十年の歴史しかない寺で、総本山のことですから参詣の大衆も意識してはゐるでせうが、寺院建築は堕落してはゐませんね。宗教の本質的な厳しさや悲しさや懐しさを静かに語る何物かを滲ませてゐます。だいたい寺院建築には家庭の要素がないのです。差向ひで暮してゐる夫婦の姿をあの建築様式の中へ想像することはできませんね。法堂や本堂や山門は無論のことですが、斎堂や浴室にも家庭の要素は想像することができません。低俗な安住を感じさせないのです。さうして宇宙的な安住を考へさせ、そのための苦業の愛を感じさせます。その静寂を思はせるのです。……僕が寺院建築を愛すのはまだそのほかにも色々理由はあるでせうが──僕は寺院建築の均整美も愛してゐます。僕は元来破調とか破格といふものを好まないのです。破調はなんとなく饒舌で、そして静かではないからです。なるほど破調は時間的には均整の後にくるものでせうが、それゆえ進歩した姿だと言ふことはできません。僕は寺院建築の均整美ほど荘厳が同時に孤独と静寂に結びついた姿をほかに見出すことができないのです。恐らく我々の家庭の心はあの建築の中に住むことができないでせう。そして、家庭の心といふものがあの高かめられた様式の中では住むことができないとすると、僕はやつぱり結婚を躊躇しなければならないのです。僕はたくさんの女に懸想し、技巧を凝らして言ひ寄つた例は数の知れないほどですが、どんなに我を忘れても結婚しやうといふ言葉はたつた一人の女にだけしか言ひ得なかつたのですね。そのひとりの場合でも、言つたあとで非常な不安を感じたのです。今も内心いつそひと思ひに文子さんと結婚しやうかと思ふ心はあつたのですが、それはつまり、ひと思ひに清水の舞台から飛び降りる気持といふあの自殺的な自棄気味だけのことなのですね」 「仕事にいそしむ者は高められた心でなければなるまいが、然しお前の毎日毎時間が寺院の中に住むやうな心ではゐられまい。休息といふものがいる。現にお前の独身の生活でも、寺院の中に住むやうな高い心ばかりでは生きつづけられるものではあるまい。何等かの方法で世間なみの休息をとつてゐるのであらう。睡むるだけでも世間なみの休息だね。家庭はつまり睡眠と同じやうな種類のものだね。ただその姿が睡眠よりはいくらかガサツでうるさいのだね。私はそのやうに思ふてゐる。けれども底を割つてみれば、結局ひとつのねむりであらう。寺院の中に住む心は、それはまた別のところになければならないものでもあらうし、結婚生活の中にあつても自らその荘厳と静寂は保ちうるものであらう。たかだか世渡りの方便にすぎない結婚といふ形式にわづらはされる心ではいけないのだと私はむしろ思ふてゐる」 「睡眠には愛情がありませんよ。けれども女房には愛情がありますからね。そして僕はもつと高い静寂なそして厳しい愛情を知つてゐるから、もう駄目なのです」卓一はもはや欠伸がしたかつた。「女房の愛情に絡まれては、とても休息にならないのです」  そして卓一はなにか蒼ざめた感じのする苦笑を浮かべて、もはや左門に同じ話を繰返す余地を拒んでしまふのだつた。  左門は卓一の心を誤解せずにゐられなかつた。もつと高い静寂なそして厳しい愛情を知つてゐるからもう文子との結婚は駄目だといふ彼の言葉に激しい屈辱を覚えずにゐられなかつた。なんといふ思ひあがつた心であらうか。そして欠伸でもするやうな退屈さうな彼の苦笑を思ひだすと胸もちぎれる怒りを覚えた。余命いくばくもなく、残された最後の希望がひとつしかない老ひの身に、もはや絶体絶命の裏切りを受け、そして侮辱を受けたのだと思はなければならなかつた。  もつと高い静寂なそして厳しい愛情を知つてゐるからと卓一は言ふ。左門はそれを澄江に寄せる愛情のことだと思つた。あるひはさういふ意味ではなく、寺院建築が象徴するところの宇宙的な安住といふ意味であり、その安住をもとめる心の苦業のせつない愛情といふ意味であらうか。あるひは自分も語つたやうな、最後に人を生かすところのあの絶対の悲哀感がもつところの愛情の如きものを言ふのであらうか。卓一の言葉の真意がさういふものでもありうることを左門は理解できるのだつたが、それにしてもと彼は考へてしまふのである。  結婚の意志はないのです。古川澄江とすら結婚の意志はないのですからね。と卓一は言つたのだ。古川澄江とすら……左門は聞くに堪えない思ひがした。否。思ひだすと聞くに堪えない思ひがし、その屈辱に堪えられぬ思ひがした。もとより四年間も思ひつめた愛人であつてみれば、それも当然の言葉であらう。さういふ理窟は言ふまでもなく充分わかつてゐるのである。然しながらその屈辱に堪えられぬ思ひがし、文子の受けた侮辱に対して許しがたい思ひがし、卓一の思ひあがつた心根に煮えたつ激怒をいだかずにゐられなかつた。してみれば、もつと高い静寂なそして厳しい愛情といふ卓一の言葉の真意がどうあらうとも、理解や理窟を飛び越えて、それが文子を貶しめる侮蔑のこもつた言葉であり、澄江に寄せる愛の高さをひけらかす心のやうにも思はれて、意地の汚い下品な心を覗かせられた不快感がこみあげるのを抑へることができないのである。  澄江の値打に比べたら星と石ほど光の違ふ文子だと思つてゐるに相違ないのだ。きつとさうだと左門は思つた。結婚をすすめた自分を人生の深処にふれぬ俗物と思つてゐるに相違ない。四年間の思ひつめた恋だといふ。考へると、それがそもそも厭だつた。所詮恋といふものは一生の伴侶にはならぬものだねと左門は卓一に言つたのである。四年間の思ひを賭けた深刻面がそれを冷笑してゐるであらう。利巧ぶつた退屈さうなあの顔付が、思ふたびに憎さを増して仕方がなかつた。そんなことは分かりきつてゐるのだといつも嘯いてゐるやうな憂鬱さうな物腰や物憂さうな澱んだ眼。何かと言へば欠伸でも放ちさうな白けきつた素振りを見せるあの傲慢な心が憎い。  人生はひとつの諦らめであり、また結婚も諦らめだと左門は卓一に言つたのである。それゆえ文子と恋のまぢらぬ結婚をすることが決して不自然なことではなく、それがむしろ自然なのだと言つたのだつた。なるほどそれは左門のかねて懐いてゐた偽らぬ思ひのひとつであつた。敢て調子を合せるために歪めた説ではないのであるが、それにしても場合と人によりけりだと悔む心に悩まなければならなかつた。結局会談の結果からあの言葉を考へてみると、まるで自ら文子の立場を卑下したやうなものではないか。左門はそれが口惜しかつた。どうしてもつと堂々と文子の美点を強調し、文子の美点に比べたなら、羂にもかからぬ老獪な狐のやうな卓一の心を発いてやらなかつたのであらうか。それを思ふと口惜しさが身を切るほどの切なさに沸きたち溢れてしまふのだつた。  ──悪党の羂にかかる文子の幼い心こそいぢらしくまた美しい。恐らく世馴れた女達なら一目に仮面を見破るだらう。然しさういふ敏感は比較的なものであり、ひとつの羂は逃れても第二の羂にはかかることがある筈だつた。そして左様な敏感は人間の本質的な美点ではない。騙される素朴な心は雲のためには隠される星のやうに美しい。嵐のために吹き落される花のやうにいぢらしい。その純粋な文子の心に比べたなら、卓一の心の中は暗らい濁りがあるばかりである。彼の顔を見るがいい。頭髪の一本毎に、羂を嗅ぎだす貪婪な警戒の眼がちりばめられてゐるやうだ。暗らい濁つた重い心が自らこれもひとつの貪慾な警戒の鬼と化してゐる。疑心暗鬼の組織化された自衛の動きが彼の理知にほかならぬのである。それは惨めで醜悪にしかすぎないのだ。そして卑劣なものだつた。  どうしてそれを堂々と言はなかつたのだらうか。老獪なお前の心に比べたなら、素朴な文子は天使のやうに美しい。この縁組はいはば狐と天使のやうな組合せだ。そして狐は跪いても天使を迎える義務があるのだ。考慮の余地もないのだ、と。それを怒鳴つてやりたかつた。そして狐を打ちすえて、蹴倒して、踏み押えてやりたかつた。どうしてそれを忘れたのだらう。思ひだすと、煮え立つ怒りにやりきれない。  清水の舞台から飛び降りる気で文子さんと結婚しやうかとも思つたのですね。いはばひと思ひに自殺でもするやうな自棄な気持で。と卓一は言つたのだ。そこまで思ひ出してしまふと、もはや左門はたまらなかつた。自殺するほど自棄な気持にならなかつたら結婚できない文子だといふ意味である。この侮辱まで聞き逃して一言の報讐すらも加えなかつた自分があまり惨めに見えて苛立たしいのだ。せめて拒絶の意志だけでも、卓一に拒絶された形ではなく、こつちから拒絶を食はした激しい形で止めを刺しておきたかつた。  もう一度卓一を呼び寄せて、こつちの方から拒絶を食はせる激しい言葉を浴せやうと左門は思つた。そして文子の素朴な心に比べたなら、老獪な狐の心にすぎないところの醜怪さを完膚なく発いてやらうといきりたち意気込まずにはゐられなかつた。卓一の拒絶にあつたこの形では引込むことができないのだ。どうしてもここは卓一を呼び寄せて、峻烈骨を刺す論旨によつて、あの傲岸な心に止めを刺してしまはなければ腹の虫が納まらないと左門は心に叫びつづけた。  けれども──と左門は一方思はなければならなかつた。卓一との結婚すらも不可能となり、そしてもし自分が死んだら──文子はいつたいどうなるのだらう。……昔の文子ではないのである。恐らく街を通るにも敵地を通る思ひのする文子であつた。思へばただ暗然たらざるを得ないのである。  言ふまでもない話であるが、そのころ文子は外出すらも敢て為し得ぬ状態だつた。人の噂も七十五日といふことがある。噂の主が気にしなければ世間はおのづと忘れるものだ。なによりもひけめを感じるこつちの心が二重の負担を自分に課してゐるのである。左門は屡々文子を劬り、勇気づけやうとするのであつたが、とはいへ弱い女の心は必要以上に世間をはばかることになるのも是非がないと左門は思つた。一層文子をいとしむ心になるのであつた。  左門の屋敷の北隣に彼の貸家が並んでゐた。その一軒に医科大学の学生が二階を借りて住んでゐた。雪の深い山国の温泉宿の子供であつた。同県人すらごく小数の人だけがその名を知るにすぎないやうな山底の部落なのである。汽車に乗るにも曲りくねつた山径を五里ほど歩いてからでないとガソリンカーの停留場へもでられない。乗合自動車は走つてゐたが、長い冬が訪れると、それもきかなくなるのである。さういふ辺鄙な部落ではとにかく一人の村医者だけは何を措いても必要だつたが、ありあはせの草根木皮を調合して医者で通つた維新前とは話が違つて、この節都会で年季を入れた免状持ちはこんな部落へきたがらない。万事が世襲の田舎であるが、村医者の子供が一人前の医者に育つと、村へ戻つてこないのである。  彼の生れた部落でも久しい医者飢饉に悩んでゐた。もう十年の余にもなるが、たつた一人の村医者が死んだ。彼の倅は一人前の医者に育つてゐたのだが、もはや故郷へ戻ることを欲しなかつた。まづ順当な話なのである。この部落は谷川の崖に沿ふた往還に、山を背にしてほぼ一列の農家が散在してゐたが、ものの十町の距離の間に七八十戸もあるであらうか。このあたりの六つの部落のうちにしては最も大きい方なのである。医者の家もさういふ並びの中にあつた。農家の建築は一般に木片で葺いた屋根の上へまるで沢庵の重石のやうに人頭大の石を並べたものであるが、これは恐らく風雪の被害を避ける最も安直な手段なのだらう。山間地方に限つたことではないのである。越後平野の至る所にかやうな屋根を見出すことができるのである。壁は荒壁のままだつた。壁から藁が房を出し、木組は外からまる見えだつた。建築の途中で止したわけではない。もともとこれだけのものなのである。まづ人の住む建築のうちで蒲鉾小屋を除いてみるとこれほど粗末なものもないと思はなければならないのだ。南国の豊かな農村風景に比べてみると凡そ話が違ふのである。一年のまる半分は雪のために耕作ができないところへ、畑といへば無理に山を切りひらいた段々畑だ。先の見込みもないのであるし、また現在の状況としても恐らく最も窮乏した農村のひとつであるに相違ない。故郷を捨て他国へ移住する人が年々増加の一方で、部落は淋れるばかりであるが、汝のふるさとを守れなぞとは義理にも言へない場所であつた。荒壁と沢庵石の農家のまんなかにあるのだが、流石に医者の住宅は壁も普通屋根も普通にできてゐた。が、別に特殊な大建築ではないのである。よその土地へ行つたなら、これが普通の小住宅のひとつなのだ。街道筋の古風な商家を見るやうな表構え一面に格子のはまつた二階家で、我々のもつあらゆる医院の概念に没交渉なものであつた。煤けた格子に朝顔が這ひ凋んだ花をぶらさげてゐる昼下り、屋内の薄暗がりに埃りをかぶつて並んでゐる薬瓶や医療器具を想像しても不吉な感じが漂ふばかりで、溌剌たる治癒の快味や起死回生の新鮮味は微塵も浮んでこないのである。  数年前のことであるが、この村の小学校の校長の若干の縁に連る者だといふ若い医者がやつてきた。学校をでてからまもない独身の男であつたが、見立ての下手はとにかくとして──といふのはもともと名手がこの山奥へくる筈がない。とにかく医者でさへあれば見立てのことは我慢しやうといふ腹である──おさまらないのは人柄であつた。この男は医学のことより三味線や小唄の方がうまかつた。ぞろりとした着流しに角帯白足袋といふ風態で、扇子を握つた手つきの加減で動作のはづみをつけるのである。表構え一面に格子のはまつた医院のことで、なるほど建物の具合では洋服よりもふさはしいかも知れないが、さしづめ芸人か幇間といふ風俗だつた。自動車の迎えがなければ往診に行かないといふ勝手な規則をつくりあげて村を呆気にとらせたが、もとより窮乏この上もない寒村である。乗合自動車を利用するさへ贅沢のうち、まして雇ひの自動車を一台仕立てる身分の人は数へるほどしかないのである。おまけに夜間の診察には九分九厘まで応じなかつた。それほどの我儘勝手ができるのも、この土地に永住の意志がないからである。いつでも飛びだす心の用意がととのつてゐた。怖れるものがなかつたのである。そして金のあるうちは里へ降りて遊んでゐた。こんな医者でも医者と思へばとにかく村になくてはならない男であつた。そのうち数名の村の娘が医者のために妊娠して若干物議をかもしたのである。凡そ雪国の住人ほど唯々諾々と現実を承認し易いものはない。出来たことは仕方がないといふ気持が本能的に激しいのである。新潟にたつたひとつの土地生粋の諺がある。 「杉の木と男の子供は育たない」といふのである。杉の木は至る所にある木だが、どういふわけか新潟市には育たない。そして男……元来新潟といふ町は遊び女の町であり、女の威勢のいい土地だといふ意味もあらうが、ひとつには唯々諾々と現実のみを承認しやすい諦らめと無気力の風が大望に生きる男を育てないといふ意味であらう。由来盆唄といふものはどこの国でも似たり寄つたりのものではあるが、冒頭のひとつぐらゐは土地生粋の感情を歌つた歌詞を伝えてゐる。次に掲げるものは新潟の代表的な盆唄である。 盆だてがんね茄子の皮の雑炊だ あんまてつこ盛りでこいつはまた鼻につく  即ち盆だといふのに茄子の皮の雑炊だ。あまり山盛りでこいつはまた鼻につくといふのである。この土地の一種本能的な虚無感、自嘲、諦らめとそして無気力な反抗を甚だ明白に語つてゐる。この感情は恐らく越後全体のものであらう。この歌詞も土地によつてその方言に変化はあるが越後の諸処に散見してゐるさうである。  村医者の婬乱が多少の物議をかもしはしたが、諦らめの流れの方がもつと自然の流れであつた。むしろ肯定することが最も自然の流れであつた。村医者は孕ました娘のうちから家柄の最もすぐれ容貌も一際すぐれたひとりの娘を選びだしてこれと正式に結婚したが、禍転じて福となるとはこのことだといふ悦びやうではないにしても、村人たちはいくらか愁眉をひらいたのである。やれやれあの医者も村の娘を嫁にしたからこれでどうやら村に落付くことにならう。このさき医者の心配だけは多分なくなることであらう、と。──かういふ因循な村人たちの生活は、青空のかがやく土地の感情では理解のつかないことかも知れない。  小室林平はかういふ村に生れたのである。林平を医者に仕立てる考へはそもそも父親のものだつたが、村全体のものでもあつた。着流しの医者に悩んだ村人たちは林平が村へ戻つて開業する日を夢想して、その日をかなり痛快な日に思つてゐた。着流しの医者は村の娘を嫁にしたが、異体の知れないボヘミヤンで、いつまで落付いてくれるものやらてんで見当がつかないのである。さういふ頭痛の種もあつた。やつぱり村の生れでなければ村を愛す心はないと村の人々は信じてゐた。林平は恰も村の宿命のやうに木訥で派手なところがないのであつた。村の期待はあげて林平にあつまつてゐたが、いづくんぞ知らん彼の心は村を裏切る決意のほかには何物もなかつたのである。彼の心は最も激しく自由の天地にあこがれてゐた。  小室林平は二階の窓からときどき文子を眺めるうちに、その横顔を一瞥しても自然に顔を赧らめる哀れな男になつてゐた。左門の家の表戸があいて人の跫音がきこえるたびに窓際へ誘惑される感情は抑圧するにも骨の折れない瑣末な波動にすぎなかつたが、それにつらなる無限の意識のうごめきが一日の大部分の時間を占めて、彼に疲労を与えるのである。林平は文子に手紙を書いて送つた。因循姑息な自分の性格を省みて、生れて始めて自分以上の行為をしたと彼は思つた。不思議な魔力に恵まれて生れ変つた自分のやうな新鮮さに彼は自ら打たれたのである。文子の返事はこなかつた。彼は二度目の手紙を書いた。やがて三度目の手紙を書いた。愛情の不屈の激しさに感動し、自分の心に突然めばえた強烈な行動力をいとほしんだ。然し返事はこなかつた。 「手紙の末路は──」と彼は思つた。破り棄てられてゐるのだらうか。それとも女中や出入りの人の目にふれて笑ひものの道具にされてゐるのだらうか。それも良からうと彼は思つた。笑ひものになることが尠しも不安でないといふ自分を見出したことだけで充分だつた。  ──あの手紙が世間へ洩れて人々の蔑みを受けても俺は微塵もひけめを覚えずただ傲然と構えてゐやう。病院の看護婦どもがわいわい言つて笑つても冷然と空うそぶいてゐるだけだ。俺をうぶな子供のつもりの父母兄弟や故郷の人が長嘆しても俺の心は動かない。俺は自分を軽蔑しない。それゆえ人を怖れない。これはひとつの身構えだが、こつちの身構えを立て直せば人生は自然に新らしい青空がひらけてくるのだ。強者には青空だけがあるのである。思ふことによつてではなく、意志することによつて、人生は意のままに誕生する。己れを軽蔑しないといふ鉄則によつて、人生は突然二つに岐れるのである。  ──さて、誰にひけめも覚えずに、俺は傲然と恋をしやう。と彼は自信にみちながら自分に言つてみるのであつた。そして四度目の手紙を書いた。破られやうと焼かれやうと人目にふれて笑はれやうと構はないのさと彼は冷然と呟くのである。返事をしないことによつて返事に代えるといふことが、教養の不足に思はれて軽蔑したくなるのであつた。惚れることも勝手なら厭がることも勝手だが、共存する人間同志はその当然の礼節があつて然るべきものである。個人生活は各々独立の尊厳を持ちあひ又尊敬を持ちあはなければならないものだ。個人の自由が許されなかつた封建時代の、個人主義と罪悪を混同した意識がまだ生き残つてゐるのである。日本人は文化人ではないのである。なぜなら個人主義といふものが正当に意識されずまた育つてもゐないからだと林平は思つた。そして無教養な俗世間が彼を苛々させるのだつた。厭なら厭だと言ふがいいのだ。それは当然の礼儀であり、他人の尊厳に対する敬意である。直接返事のあるまでは。……林平は五度目の恋文を書いたのである。そして彼は吊鐘マントに身体をくるんで夜の街へ消えこむのだつた。彼の酒癖は良くなかつた。無口であつたが粗暴であつた。そして女にいやがられたが彼はそれを気にしなかつた。  文子にふられた腹癒せに酒をのみ女にたはむれるわけではないのである。むしろさういふ生き方や、こぢつけや、解釈を彼は最も軽蔑してゐた。それぞれひとつの現象にすぎないのである。首尾一貫した理窟によつて現象を結び合せる労力は愚かであるが、これを生活に就て言へば、その労力は生活を殺す時間にほかならない。人生に脈絡はいらないのである。そして最後にくるものは──ただ自我の終滅があるばかりだ。それは一切の批判を拒んでゐるのである。生きることに敗けつづけた弱者にとつては棺の後にも批評の言葉があつたであらうが、生きた人強者にとつては棺と共にすべては終つてしまふのだ。行動とそして終滅があつたのみ。然りひとつの物質の終滅があるのみである。この宇宙に何物も永遠ではあり得ない。太陽すら。  そのころの一日だつた。かねがね彼と反目してゐた一人の若い看護婦が通りすぎる彼のうしろでくすりと笑ひを洩したのである。ただそれだけのことであつた。彼は矢庭にかたへの椅子をふりあげて物をも言はず一撃した。女の負傷は軽くなかつた。  その事件をきつかけに、かねて彼と不和だつた某先輩が校内を暗躍して、彼に不利な策謀をしたと伝えられた。さういふ噂が行はれてからまもない一夜のことである。林平は某先輩の私宅へ現れ、突然彼を投げ倒し、殴つてゐた。某先輩は晩酌を終つたばかりで、酒気を帯びてゐたのである。相手になつて立ち向つたのがよくなかつた。家人が色を失つて手段を忘れてゐるうちに、二人は戸外へとびだした。近隣の人々が駈けつけたとき、某先輩は私宅の前を流れてゐる堀の中へ投げこまれて、水面へ足だけだしてもがいてゐた。致命傷はなかつたが、危く不具者になりかねない深傷を数ヶ所に受けてゐた。  看護婦と某先輩の負傷は示談ですんだ。学校当局の奔走によるのであらう。一週間目に留置場をでた林平は無期停学の処分を受けて、思ひがけなく穏便に鳧がついたのであつた。冬のはじまる頃である。もう冬休みも近づいてゐた。この学期は停学処分のとかれる見込もまづないからと家人は帰郷をすすめたが、林平は一も二もなく拒絶した。そして謹慎の期間中彼が自ら選んだ日課は、朝夕二回海へでて、逆まく怒濤へ飛びこむことであつたのである。もはや雪が降りはじめてゐた。荒れた日は北風に逆らひながら海へ降りることだけでも苦痛であつた。海上へ低く垂れ落ちた雲の凄味もうんざりさせる。ひどく小さな暗い海が底から揺り動いてゐるのである。彼は泣きたくなるのであつた。そして逃げたくなるのであつた。海と空のうねりのなかで苦もなくひねり殺されてしまひさうに思はれた。けれども彼は逃げなかつた。彼の顔は苦痛のために断末魔の惨めな歪みをつくつたまま、かたまりついてほぐれなかつた。呼吸がとまり、波にまかれて、一枚の布片のやうにくるくるもまれて、波打際へ四つ這ひに投げつけられてゐるのであつた。ヒイといふ掠れた呻きが洩れるほかにはどうすることもできないのである。気が遠くなり、身体の動きが咄嗟に自由にならないのだ。うつかりすると起きあがることができないうちに、足の方からもはやずるずる波にさらはれかけてゐた。そのときは夢中であつた。逃げるためにあらゆる努力を意志してゐるが、それのすべてが徒労に終つて呼吸のとまる瞬間だけがまざ〳〵分かるのであつた。再び一枚の布片のやうにくるくるまかれて波打際へ投げあげられた腕間には死者ぐるひでありながら這ひだすことが精一杯になつてゐた。海へ一足降して以来どうして呼吸がつづいてゐたのか、あとになつて考へると不思議な思ひがするのである。呼吸器が胎内にない思ひであつた。やうやく砂丘へ登りつめて、市街の方へ一足降すころになつても、肺臓がやうやく肩の上あたりへ雀のやうに戻つてきてそつととまつた感じであつた。  ──俺は誰にも負けてゐないと彼は思つた。俺は勝つてゐるのだと彼は叫んだ。異常な苦痛を自分に課した満足が、やうやく街へ戻つたころに細々と分かりかけてくる始末だつた。誰に裁かれてもゐないのだ。もとより自分に裁かれてゐるのでもない。ひとつの課題に答えてゐるにすぎないのである。その満足がすべてであつた。  気違ひじみたこの行動には一人も気付いた人がなかつた。このことが人に知れたら、その日から海へ行かないつもりでもあつた。知る者が自分ひとりであるために、これだけの苦痛も忍べるのだ。また満足もあるのである。学期が変ると彼は処分を許された。  まもなく文子と高梨の事件が起きて、毎日の新聞紙面が賑ひはじめた。そして文子が帰つてきた。 「びくびくするんぢやないわ」と左門の長屋の踊り子が見舞ひがてら遊びにきて文子に言つた。「それぐらゐのこと大概の人が陰でしてゐることぢやないの。あなたは運が悪かつただけよ。男の人を愛してゐるなら仕方のないことぢやないの。誰に羞ぢることもないわ。人目なんか気にしないで街へ気晴らしにでたらどう。うちのホールへ踊りにをいでな。誰もなんとも言はないから。うるさいことを言ふ奴はこつちが真面目に暮してゐてもなんとかかんとか言つてゐるわ。そんなこと一々気にしたら、ああ、きりがない……」  文子はある日踊り子に言つた。 「私ダンサーにならうかしらと思ふことがあるのよ。眠る前にきつと思ふわ。この土地ではどうせできない相談だけど、ひと思ひに東京へでも行つて……」  高梨と泊つた宿屋は壁も柱も煤けたやうな陰鬱な建物だつた。さういふ宿を狙つたわけではなかつたのだが、泊る宿が次から次へそんな煤けた建物だつた。大概は停車場前の恐らく土地では指折りの宿屋であつたには違ひない。汽車の発着があるたびにいくらか休憩の客はあつたが、泊りの客はめつたになかつた。夜中に便所へ起きたりすると、暗い廊下は重たい雨戸が敷つめてゐて内も外も音が死んでゐるのである。便所の小窓を開けてみると腐つたやうな雪明りだ。泣きたくなつてしまふのだつた。もはや家へも帰れないと思はなければならなくなつてしまふのである。遠い所へ行つてしまつてダンサーにでもならうかしらと思つたのは、さういふ宿の一夜の思ひがはじまりだつた。 「真面目な人は私なんか相手にしてはくれないでせう。私も真面目な人達とつきあひたいと思はないわ。ひけめを感じて小さくなつてゐるだけでも窮屈でやりきれないもの。時々お酒がのみたいと思ふことがあるわ」  その酒も亦高梨と泊りを重ねた頃に覚えたひとつであつた。茫莫たる旅寝の夜の部屋に降つた電燈の光が瞼に浮んでくるのである。鈍い光であるけれども、霧のやうな光であつた。それが部屋に降りしぶいてゐて、そして目に沁み心にも沁みた夜毎の思ひがなつかしいのだ。煤けた宿の夜なのである。侘しいものではあるけれども、忘れられないなつかしさだつた。部屋の外の暗らい廊下に濡れきつた重い雨戸がおりてゐたが、その廊下を忍び足で歩いて通つた一人の気配も思ひだすことができないのだ。思ひだす多くのことが、それほど重く濡れた感じで、侘びしいのである。酔つてゐた。そして悲しい思ひをしてゐた。もはやすべてに見捨てられ、帰るところを失つたと思はなければならなかつた。そのせつなさに泣いたのである。然しもはや恐らく生涯忘れることのできないだらうなつかしさ。悲しかつたが、また厳しさが張りつめてゐた。そして若しくはなかつたのである。せつなかつたが澄んでゐたのだ。ひと思ひにどういふこともやれる思ひがしてゐたのである。  高梨もこのまま東京へ逃げやうかと言ひだしてゐた。その言葉をきいた当時は、表面の意味の通りのただ単純な内容とのみ思つたのだが、今になつて考へると、もう新潟を食ひつめてゐたのであらう。そして未練もなかつたのだらう。その高梨を文子は仄かにいとしかつた。 「私も東京へついてくわ」文子は何度も高梨に言はうと思つた。言ひさへすれば恐らく心もきまつたのである。そのころは然しはつきり言ひきることが到頭できないのであつた。どうして言へなかつたのであらう。今なら却つて言へるやうに思へるのだ。そしてこれほど言ひやすい、言ひたい言葉もないやうに思へるのだつた。言ひさへすれば恐らく心のきまることが、あのころは怖しかつたに違ひない。けれども今なら──言つて心がきまるものなら、これほど言ひたいことはなかつた。東京へ行きたいのだつた。いや何よりもこの家を逃げたいのだつた。高梨が恋しいわけでもないのである。けれども逃げるきつかけに、逃げたい心に弾みをつける道具のために、今こそ東京へ逃げませうとあの人に言ひたい思ひがせつないのだ。あの人を盗られた今ではもう手遅れなのだらうか。何よりも夢のやうな広く深いあるロマンスが恋しいのだ。この現実ほど退屈な、死のやうな、惨めなものはないのであつた。高梨と酔ひ痴れ泣き痴れて暮したころはこの現実に未練があつたが、戻つてみると、この現実ほどああ退屈なものはない。そのみすぼらしい正体がいよいよはつきり分つた気がした。左門の愛。それがなんのたしにならうか! 家名。それが何物だらう。もはやなんの未練もなかつた。肉体のよろこび。そして自由。広い世界。もはやそれを忘れることもできなかつたが、何よりも夢のやうなロマンスが生々しいまで恋しいのだ。そのロマンスの逞しい激しい息吹に追ひかけられる思ひがした。その跫音が背中にきこえる思ひがした。その肉体の体温がほのかに肩に伝はるほど追ひつめられた思ひなのだ。それはひとりの男であつた。やがてそれは男のひとつの肉体であつた。意志であつた。そしてひとつの現実であつた。 「私ひと思ひに東京へ行つてしまひたいのよ。東京へたつたひとり投げだされても怖くないと思ふやうになつてきたわ。新潟で人目に怯えながらじめじめ暮すぐらゐなら、ひと思ひに……怖いことや苦しいことも、きつとこれよりましだと思ふわ。ここにかうして暮してゐて、何を待たされてゐるのかしら。お婆さんになるほかには何を待つこともできないぢやないの。働くことも悲しいことも私つらいと思へないわ。苦しいことだつて怖しいことだつて、ここにかうして暮すよりつらくはないと思へるのよ。誰に気兼もない自由な生活ができたら……」 「それはさうにきまつてるさ。だけど我儘かも知れないよ」と踊り子は煙草をふかしながら気のない返事をした。「そんなこと考へたつて結局仕様がないぢやないの。自由の生活つてどこにあるのさ。ほんとに気兼のいらないところは家庭だけだよ。結局さうだわ。あなたのお爺さんぐらゐ物の分かつたお爺さんは世間にざらにゐるものぢやないよ」 「物分かりのいいお父さんなんて、だけど、結局窮屈ぢやないの」 「閑と金と自由があつても、もてあましてゐる人がゐるよ」 「お父さんがいくら物分かりがよくつたつて、とにかくお父さんだけのことですもの」 「なによ、あんたは。男が欲しいの。街へでかけて探しなさいよ。犬を拾ふより雑作もないから」 「私働いてみたいのだわ。自分で生きてみたいのよ」 「勝手におしよ。あああ。私もお酒がのみたいよ。くさくさするね。思ひどほりにできるなら誰だつて苦しみはしないさ」と踊り子は煙草を投げすてて背延びをした。「うちのホールに後家さんが三四人ゐるけど、娘達に比べると却つてひどい夢想家だよ。お伽話にもないやうな夢をもてあましてゐるんだよ。そのくせたいへんな現実家だ。一銭のお金だつて自分のお金は土を掘つてもでないものだと思ひこんでゐるんだよ。あの人達に一銭損をかけさせる根気があるなら、閻魔様をおだてるぐらゐわけがないのさ。年中ぶつぶつ不平を言つてヒステリーを起してゐるよ。人のことによけいな監視の眼を光らしてさ。後家さんは喧嘩が強いね。旦那さんに殴られつけてきたせゐでタフなんだよ」  と、踊り子は帰つていつた。  ある夕暮のことであつた。所用があつて久方振りに外出した文子が白山公園前の堀に沿ふた道を歩いてゐると小室林平にすれちがつた。林平は立ちどまつた。文子のあとを追つてきた。 「お待ち下さい。話があるのです。失礼ですが、長い時間はおひきとめしません」と文子の背中へ言葉をかけた。片思ひの意中の人に言ひかける言葉にしては腹立たしいほど静かな語調であつた。  文子は失踪から帰つた後にも林平から二通の手紙を受け取つてゐた。  林平の手紙は商店の注文状と同じやうに簡単明快なものであつた。彼の生活が自虐的であることや内省的であることや時に火山的な激情ぶりを見せることに比べると、手紙は甚だ冷静であり、饒舌がなく、感情の凸面がそぎとられてゐた。したがつて滑稽味はなかつたけれども、厳しさも甘さも親しみもなかつたので、印刷した挨拶状と同じやうに破りすてるのが容易であつた。文面の底に殺されてゐる感情は通じる筈がなかつたのである。通じさせたい意志があるなら、責は林平が負ふべきであらう。  けれども失踪から帰つてみると、同じ手紙であつたけれどもいくらか違つた感じを受けた。失踪のことに就ては一言もふれてゐない文面と、またそのことに感情をみだされた形跡の見えないことが、いくらか高貴に見えたのである。とはいへ同時にそれだけにまた最もあくどく揶揄はれてゐるのではないかと思はなければならなかつた。そして結局殆んど心にとめることがなかつたのである。ばからしい気がしたのであつた。 「あの大学生は気違ひよ」と踊り子は文子に言つた。「あの人が留置場から帰つてきたとき新聞記者が訪ねてきたのよ。あの人はね。新聞記者が何をきいても知らんふりして孔のあくほど顔をみつめてゐるんだつてさ。そのうちに頭が膝頭にぶつかるほど丁重に最敬礼して、くるりと振向いて二階へ戻つて行つたんだつて。新聞記者も強情なのよ。二階へ追つかけて行つたのよ。するとね。話がだんだん阿呆らしくなるよ。大学生は部屋の隅に坐禅を組んでゐるんだつてさ。新聞記者も意地でせう。ねころんで雑誌を読みながらたうとう煙草を一箱吸つてしまつたつてさ。すると大学生がやうやくのこと立上つたのはいいけれど足駄をはいて外へ歩いて行くんだつて。新聞記者も腹を立ててね、道の上で追ひついて、馬鹿にするなとかなんとか言つたんでせうね。その日は雨が降つてたのよ。今度は返事をするだらうと思つてゐるとね、ぐしよ濡れの道の上へ突然坐つて、両手をついてさ。足軽が殿様にでもするやうに土下座をしたんだつてさ。新聞記者が立去るまで、下げた頭を上げないのさ。袂から裾は泥だらけだし、背中はぐしよ濡れぢやないの」  停学の期間中彼は殆んど寝床の中で暮してゐた。猛烈な喫煙癖をもつてゐたので、ふだんでも朝の目覚めをむかへると夢中のうちに一箱の煙草を空にするのである。さういふ時の林平は恰も鴉片喫煙者であるかのやうに混濁した想念に心のすべてを委ねてゐるに相違ない。涎が頬を流れてゐてもそれを忘れてゐるほどだつた。停学の期間中は殊にそれがひどかつた。海へでかける時間のほかは白昼も寝床へもぐつて頻りに煙草をくゆらしながら幻の中に住んでゐたのだ。とりとめのない幻であるが、その中間のある時間に、現実へ戻つた後にはその印象を追想するのも困難な時間があつた。然し夢ではないのである。まがひもなくこの現実とは別物の然しひとつの空間の中に住んでゐる。色彩もあり物体もあつたに違ひない。そしてそれを経験してゐる彼自身が言ふまでもなく彼自身ではあるけれども、この現実の彼自身とは質量ともにいくらか違つた感じの中にゐるのであつた。然乍ら我々が夢の中の自己を追想する時のやうに、この現実のままではあるが、殆んど気化したひとつの自己を思ひださねばならないのとはいくらか違つてゐるのである。明らかに肉体があり重さがあり、そして経験のすべてに就ていはば密度ともいふべきものの印象が必ず残つてゐるのであつた。いはば我々が月世界へ移住したならかうでもあらうかと思ふ程度に、自己の体積を意識する度が違つてゐるし、また空間の密度も違つた感じがする。そして彼は明らかにひとつの空間を意識してゐるのであるが、それは色彩と言つてもよかつた。然し音と言つてもよかつた。むしろあるひは音楽と言ふこともできたのである。然しまた触覚によつて意識されるひとつの世界に還元することも、恐らく不可能ではない気がしたのだ。──非常に空虚であるけれども充実し、そして甚だ単純なひとつの放心の経験であるが濃厚な密度をもつた快感が残らぬことはないのであつた。  ある日のこと下宿の主人が彼の部屋へ這入つてみると、冬のことで部屋の窓はしめきられ室内は濛々たる煙草のけむりでおまけにいきれた悪臭が鼻をつく有様だつたが、林平は寝床の中にひつくりかへつて、涎を流しながら──然しその両眼はたしかに開らかれてゐるのである。窓の磨硝子をとほしてただ鈍い白色でしかないところのその一点を朦朧とみつめてゐるらしい。けれどもその判断を下すまでには若干の時間を要したばかりか、ひとつの不吉な疑ひを通らなければならなかつた。下宿の主人はその瞬間に思つたのである。この気違ひもたうとうかうして来るところまで来たのかと。それをかねがね案じぬことはなかつたのである。……自殺をしたと思つたのだつた。商売物の劇薬によつて(それはもうこちとら風情に防ぎやうがないではないか)涎を流し、映らぬ瞳を朦朧と見開いて、そしてたうとう爰にかうして阿陀仏である。そのとき然し死者の指にはさまれて一縷の紫煙をあげてゐる吸ひさしの煙草を認めることができたので、彼の考はやうやく変つた。見ると煙草はすでに蒲団を焦がしはじめてゐるのである。そしてまた林平の蒲団といへば肩のあたり一面に如何に多くの焼跡をちりばめてゐることであらう。枕もとの畳の上にも黒い小さな焼跡が無数に点々と散らばつてゐた。彼は林平の指の股から煙草の吸ひかけを取りあげて火鉢の中へ投げこむと、林平の肩へ手をかけて物も言はず揺り起こした。──さういふことが一度や二度ではなかつたのである。 「どつちにしても青山行きか劇薬ものだよ。遠からずさ」と踊り子は文子に言つた。新潟で青山行きと言へば即ち新潟郊外青山なるところに所在する青山脳病院行きを意味し、東京ならば松沢行きといふことになるのである。然しその風景の点に於ては砂丘の翠につつまれたこの病院ほど住みたい思ひをそそる場所も稀にしかない。  大変な男にみこまれたと文子は思つた。すれちがひざま矢庭に椅子をふりあげて看護婦なみに一撃を加えられてはやりきれない。……然し林平に呼びとめられて余儀なく立止らねばならなかつたとき、文子は殆んどさうした怖れに打たれなかつた。愛される者の優越もあつたであらう。けれども呼びかけた林平の言葉はそれほど静かなものであり、そして落付きを感じさせた。 「直接お話の機会ができて幸せでした」と乱暴者は益々冷静に言ふのであつた。「けれども慾を言はせていただくなら、このやうな偶然ではなく、あなたの理解と御厚意によつて定められた時間が欲しかつたのです。僕はあなたを愛してゐます。それはこれまで差上げた度々の手紙で御分かりのことと思ひますから今は繰返して申しません。僕はあなたに自分の愛を強請する権利はないのです。それは言ふまでもなくお分かりのことでせうね。けれども諾否の御返事だけは承る権利があるだらうと思ふのです。いいえ、諾否の御返事は、承らねばならないのです。僕が差上げた手紙は返事の必要のない時候見舞の手紙ではなかつたのです。僕は野蛮人ではありません。そしてむしろ野蛮な行為を最も憎んでゐるものですが、あひにく僕の行動は往々野蛮であるかのやうに批難されてゐるのですね。けれどもあれらの行動はすべて唐突ではありますけれど、野蛮ではなかつたのです。なぜなら僕はあまりに我慢をしすぎたからです。当然立腹すべき機会にも、なほ先方の内省の余地を考へて、こらえるのです。それらの機会があるごとに一々小さく怒つてゐれば、僕の怒りは恐らく異常には見えないのでせう。そしてそれも恐らくひとつの生き方でせうね。然し僕はもつと先方の人格を尊敬したのですよ。つまり僕の内省や謙譲と同じものを人にも予想し望んだのです。そして許しうる限り内省の機会を与え、つひに堪えることができなくなつたとき、唐突な行動があつたわけです。ですから野蛮ではなかつたのです。お分かりでせうね。あなたに差上げた手紙にしても、あるひは唐突かも知れませんが、いささかも野蛮ではありません。野蛮はむしろ──これをたうとう申上げねばならないことを甚だ遺憾に思ふのですが、御返事を下さらないあなたの行ひがむしろ相当野蛮なのですよ。僕達は人を愛す自由があります。また僕達は人を嫌ふ自由もあり、人の愛を拒絶する自由もあります。けれども人の意志を打開けられ返答をもとめられたとき、その返答を有耶無耶にするといふことは、それは決して高尚な行ひではない筈です。また高い教養ある人の行ひではない筈です。むしろそれは他人の自由を剥奪し、弄び、ふみにじつてゐる野蛮な行ひのひとつなのです。誤解しないで下さい。僕はあなたを強迫してゐるのではないのです。ただ御返事をもとめてゐるだけのことなのです。僕の自由な意志に対するあなたの自由な意志をききたいといふだけなのです。この場で早速おききする必要はありません。御手紙で御返事下されば結構です。拒絶の御返事でもそれはあなたの御自由ですよ。ただ僕の自由と存在に相対的な敬意を払つていただくことを要求してゐるだけなのです。御分かりでせうね。僕はあくまであなたの自由を尊重します。けれども若しこのうへの我儘を許していただけるなら、僕の人格を理解して下さるために、このやうな偶然の機会ではなく、あなたの理解と厚意によつて定められた再会の時間を与へていただくことができたら、僕にとつてこのうへの喜びはないでせうね。我儘すぎる希ひであつたら御許し下さい。すべてはあなたの自由です。では、御返事をお待ちできる喜びだけは約束させて下さるでせうね。寒い北風が吹きすさぶのにお引きとめして大変失礼いたしました。お許し下さい。さよなら」  小室林平は言ふだけのことを一気に言ふと、極めて静かに一礼して立ち去つた。取りみだした態度や語調は微塵もなかつた。そして立ち去る彼の姿はむしろ悄然としたものだつた。  ところがちやうどその翌日のことなのである。この市に丸屋とよぶ呉服物の老舗があつた。その番頭が新柄の呉服物をたづさえて文子のところへ立寄つた。かうしてお得意先を廻つて歩く習慣なのである。  丸尾の番頭は三十七八の年配であつた。芝居に登場する優男の番頭、あののつぺりした日本風の好男子がちやうど丸屋の番頭だつた。彼は容貌に自信を持つてゐたばかりでなく、女の弱味を最も露骨に知つてゐた。  文子は自室の炬燵にあたつて新柄の呉服物をひとつひとつ眺めてゐた。番頭は文子の横に坐りながら反物を手渡してゐたのである。文子の手は突然男に握られてゐた。それはむしろこの現実から遠く離れた場所に起つた出来事のやうな遥かな感じがしたのであつた。そしてなぜか反物のふうわり揺れる軽いやはらかな気配だけがその瞬間の意識に強く残つたのである。文子の身体は石でしかなかつた。男の腕を払ふことができないのだつた。すると男の片腕はすでに文子の背をまいて、その胸を抱きしめながら、うしろへ引いてゐるのであつた。そして股間へ降りてゆく虫のやうな指の動きを知つたとき、文子は思はず眼をとぢて袂に顔を蔽ふてゐた。  その夜であつた。文子は小室林平に返事を書かうと思つたのである。甚だ激した気持であつた。もとより愛がめばえたせゐではなかつたのである。ただ堪えがたいひとつの激情があるのみだつた。  文子は丸屋の番頭を憎む気持はなかつた。けれども世間を憎まねばならないやうな気持がした。むしろ世間をはばからなければならないやうな気持がする。そしてそれゆえ世間が憎くなるのであつた。丸屋の番頭が悪いわけではないのである。世間が自分をすてたのだ。そして丸屋の番頭のやうに、もはや恋愛の対象ではなく、ただ好色と玩弄の対象として自分を見るにすぎないやうに仕向けたのである。さういふ世間が口惜しかつた。そしていはばさういふ世間と争ふための激情で、小室林平に手紙を書かうと思つたのだつた。  然し文子は林平を恋の対象に選んだわけではないのであつた。遊びの対象のつもりであつた。ちやうど丸屋の番頭が彼女をそれだけのものにしか取扱はなかつたやうに、そして世間がそれだけにしかもはや彼女を見ないやうに、文子は逆に林平をまるで自分が受けたやうに取扱ふのが至当のやうな思ひがした。世間が自分を浮気な女に見てゐるから、浮気な女になつてやるのが小気味がいいと思ふのだ。誰がするのでもないのである。世間が私をさうさせるのだ。……そして復讐の快味を感じた。復讐の美名に隠れて情慾の盲目的な焦躁を綺麗に忘れてゐるのであつた。  もはや怖れる何物もなかつた。世間の指弾も怖くはなかつた。左門の歎きも悲しくはなかつた。愈々せつぱづまつたら家を飛びだしてしまふだけだと文子は心に決めたのである。東京へ行きさへすれば、きつとどうにか暮される。むしろそこまで追ひつめられて、否応なしに東京へ逃げなければならないやうな羽目になるのが、実は文子の最も欲したまことのものかも知れなかつた。──そして東京へ逃げるにしても、ひとまづ東京へ落付くまでは小室林平に限つたことではないけれども、とにかく一人の男の力が必要なのだ。  古町を下へくだると、つれこみ宿があるのである。高梨とはじめて情交を結んだ場所がそこだつた。時日とその家を指定して、文子は小室林平に手紙を書いた。  左門はある日心を決して卓一を訪ねていつた。暗闇が街をつつむ時刻であつた。恐らく太平洋沿岸は春の訪れのきざしが見える季節になつてゐるのであらう。この雪国でも日がのびてゐる。然し暗灰色の雪空から重苦しく落ちてくる黄昏は、暗さにけぢめがつかないので、春の近づく喜びを黄昏の空の中から読みとる術がないのである。この年は歴史に稀な大雪だつた。例年は雪のすくない新潟市だが、この年は目貫きの街に根雪がかたまる始末であつた。それを砕いて車が通る、雑沓がみだれる。目も当てられぬ泥濘である。  左門が越後新報の応接室に休んでゐると、この新聞の主のやうな二人の老人が挨拶にきた。営業部長と主筆であつた。編輯室はまだ総勢が残つてゐたが、営業部はすでに退けたあとだつた。けれども二人の老人は避けたあとの乱雑な広さの中に、編輯部員が引上げるころまで、ただなんとなくいつも残つてゐるのであつた。この新聞の仕事のためにその一生をすりへらしてきた二人であつた。一生の遺恨、また一生の満足の多くのものはこの建物に滲んでゐるのだ。現役の仕事をひいて隠居なみの扱ひを受ける二人であつたが、この建物に暮す時間が、然し唯一の安息だつた。  そして二人の老人は手づからお茶を入れに走り、まるで我家にゐるやうに、左門をもてなしてゐるのである。 「もう老人のでしやばる時世ではございませんね。この節の若い人達は老人よりも利巧ですもの。不言実行とでも申すのでせうか、大言壮語をつつしんで、実行力がございますね。外側のこけおどしには目もくれず、内容だけを相手にかかつて行かれるのです。今時の若い人達はよくできてゐられますよ。大人びた気取りがなくて、そのくせ気持が概して大人といふわけでございますな」と老営業部長は述懐した。そこには微塵も皮肉の裏打はないのである。彼は若い後継者達の仕事ぶりに、ことごとく満足しきつてゐた。「青木さんは殊に気持が大人でゐられますな。仕事ぶりが実に要領を得てゐられるのですよ。責任のいる記事には手数をかけず定石通りのことだけしかなさいませんね。責任のいらない場所に時間と手数をおかけのやうです。いや、これは冗談でも皮肉でもございません。この節の地方新聞はもうこれでなければいけなくなつてゐるのです。あの方は万事見透してゐられるのですよ。せつかくこの仕事にも馴染まれたのですが、やつぱりなんでございますか、近々東京へお帰りのつもりでせうか」 「卓一が、ですかね」と左門はきいた。 「ええ。いえこれはほんの茶のみ話のやうにして私共に申されたことでございますが、適当な方があつたら仕事を引渡して東京へもどりたい御希望といふ……私共も話だけはうかがつてゐますが、まぢめな御相談とも解しておらぬのでしたが」 「さて、私はそのやうな話を一言も耳にしてはおりませぬが」と左門は極めて静かに答へた。「なにせ気まぐれな男ですから物のはづみで何を考へ何を言ひだすか知れませぬが、だいいち東京へ戻つたところで生活の道もないでせうから、さう簡単にこの土地を引上げることもできますまい」 「いやさうでせうとも。こちらへ来られてまだ半年にもならないうちにあまり急な話だと私共も思はぬではございませんでした。これから追々仕事にも馴れ土地にもなぢむところですから、ここで東京へ戻られては惜しいことだと思ひましてな。まつたくなんでございますな。当節の地方新聞は男子一生の仕事といふ大きな抱負ではかかれませぬので、先のことを考へますと、有為の人にすすめかねる思ひがないでもございません」  と老人達は各々答えた。彼等も曾ては血気のころこの無気力な新聞をすて、東都の一流新聞に走ることのみ夢みてゐた。それも遠い夢なのである。  左門は然し心に新らたな医しあたはぬ激動を受けてゐた。新潟を去る──それは恐らく卓一のまことの意向にちがひない。茶のみ話の気まぐれだとは思へなかつた。土地に馴染みがないからとか、仕事が面白くないからといふ世間で誰も言ひさうな月並な理窟で動く若い心の卓一だとは思はれない。土地に馴染みがなからうと、仕事が面白くなからうと、人生万事そんなものだと鼻唄まぢりに嘯いて平然と己れを投げ棄てて悔まない、不死身のやうな理知の武装を持つてゐるのだ。エチオピヤ詰の特派員でも匪賊討伐の従軍記者でも平然として出掛ける奴だ。月並な寂寥や感傷やあるひは一瞬の感情に盲ひて己れを投げすててしまふやうな幼い心はとつくの昔に忘れてしまつてゐるのである。一度心をきめてしまへば理窟も利益もないのであつた。ただ冷酷な実行が残されてゐるだけなのである。東京へ戻るとさしづめ生活に困るだらうといふやうな常識的な打算によつてつまづく彼の意志ではなかつた。ぎりぎりの所へくれば盗賊も殺人もできるぢやないか──それがその場の感情ではなく、いつも冷めたく考へてゐる心によつて烙印された彼の生涯の合鍵なのだ。そしてもはや最高の理論によつて彼を攻めても、彼の意向を捩ぢまげるには全く無力の思ひがする。さういふ卓一の冷たい肚や理知を思ふと、現に彼の企ててゐる秘かな意志は単に新潟を去ることにしかすぎないが、せんじつめれば結局それも盗賊や殺人と同じやうに陰惨な、冷めたいひとつの企らみとしか思ふことができないのである。然り彼のすべての行為がただ企らみといふ気がした。その企らみは常識や世間の意志や感情を突き放してゐた。無気味でそして陰惨だつた。彼奴がそこまで心をきめたら、もうどうしやうもないではないか。──左門の心は底なしの落下のやうに冷めたくなり、思はず激しく嘆息したい絶望を感じた。  ──やつぱり徒労にすぎないのか、と左門は思つた。屈すべからざる屈辱を忍び、泥濘の道を辿つてきたのだが、やつぱり徒労にすぎないのだ。そして文子はどうなるのだらう。そして自分は──死にきれない惨めな暗さが頭をふさいでくるのであつた。  左門がかうして卓一を訪ねるためには容易ならぬ屈服を己れに課さねばならなかつた。如何やうに卓一の冷めたい心を憎んでみても、卓一と文子の話をどうしても諦らめきれない左門であつた。にべもなく左門の申出を拒絶した卓一が憎い。憎んでも憎み足りない口惜しさだつた。けれども憎んではならないのだ。文子のことを考へると、どうしても思ひなほさねばならないのである。そして左門は思はなければならなかつた。卓一を憎む心は畢竟するに己れの我儘にすぎないのである。卓一を措いて文子と結婚すべき人は恐らくもはや有り得ないから。たとひ卓一との生活が文子にまことの幸福を与える鍵ではないにしても。──絶対の幸福。さういふものがこの世にあらうか。比較的な幸福すらも、比較の足場にこだはると、あるひは空中楼閣のたぐひであらう。幸福は形骸だけでいいのである。要するに形骸だけがこの人生に共通のそれゆえまことの真実をもつてゐるのだ。人を憩はす所なのだ。そして真の幸福とは──それはむしろ不幸の中にあるのである。悲哀の中にあるのである。愁ひの中にあるのである。嘆きの中にあるのである。諦らめること、そして最後にその安らかさがすべてなのだ。ひとつの墓石となるために、そのやうなひとつの幸福の形骸だけが必要だつた。一応の世間体がととのつてゐれば、人の心はあらゆる場合に、とにかく一応の調和と均整を失はないのだ。──左門は左様に信じてゐた。要点はひとつの家庭と世間体にあるのである。  なるほど卓一の心は憎い。なまじひに内省的な抑制的な生活が、他人の容喙をきびしく拒絶してゐるために、その傲慢が鼻につき、怖れを知らぬ蟷螂の滑稽きはまる毒々しさを見るかのやうに憫笑したい思ひすらする。けれども当面の憎さから一足退いて考へれば、男の仕事の世界では、またそのことがむしろひとつの美点といへる場合もあらう。女の幸福ひとつのために男の人格を規定するのはたしかに狭い見解である。さういふ風に思ふ心もあるのであつた。  とにかく文子が窮地に立つた今となつては、卓一のほかに如何なる男ももとめやうがないではないか。絶対といふ思ひがした。自分の感情にとらはれるのは文子を傷めることでしかない。文子のためにはその長からぬ余命のすべてを犠牲にしてもいい彼だつた。まして肩を張るぐらゐ──それはたしかに我儘だ。卓一とてももとより一個の独立人であつてみれば、彼自らの信念もあり、自由もある。こちらの一存に唯々諾々と従ふ傀儡でなかつたことを咎める筋はない筈だつた。左門は思つた。あまり卓一を甘く見すぎてゐたのである。あるひはむしろ卓一に甘えすぎてゐたのである。先方も独立独歩の一個の存在であつてみれば、叔父の立場に依頼して彼の屈服をもとめたことがそもそも誤りであつたのだ。まづ第一に叔父甥の特殊な関係に依頼する心をすてる必要がある。そしてむしろ甥の前に跪く謙虚な心で、改めて文子と結婚するやうに懇願しやうと心を決めたのであつた。そして卓一を訪れたのだ。  ──新潟をすてる。……そこまですでに企らんでゐたのであらうか。左門は肚裡に嘆息した。なんといふ無残な男を甥にもつてゐるのであらう。その男を唯一の頼みに縋らねばならぬ老人が、それではあまり可哀さうだと言つてはならぬものだらうか。  卓一が仕事を終えて現れた。叔父甥は肩を並べて外へでた。エスパニヤ軒で食事をした。左門はすべて洋風が新鮮な感をそそるために好きだつた。五年前の健康がありそして財力が許すなら早速外国漫遊にでかけるのだがと彼は屡々人に洩らしてゐたのである。 「さて、私は今日も年寄の愚痴つぽさで、所詮お前の不機嫌を買ふにすぎない繰り言を述べるために来たわけだが」と左門は卓一に向つて言つた。自らを嘲るやうな苦笑が浮いてゐるのであつた。「何を言ふにも私は棺桶に片足踏みこんでゐる身の上でね。控えやうとは思ふてゐるが愚痴の方が先に立つのだ。そして又私の考へるすべてのことが、いはば一生の総じまいといふ慌ただしさで、露店の品物を片付ける縁日商人と同じやうに、あと片付けをするほかには何の余念も浮かないやうな状態なのだ。死ぬまでにこれこれのことを片付けて──何事につけても死ぬまでのうちにと、ひとまづ考へなければならない始末で、追はれるやうに慌ただしい。そして考へが偏狭だね。思ひやりのゆとりがないのだ。お前にはお前の立場お前の考へがあるだらうとは分つてゐるが、私の心はそれを言ふてゐられない状態なのだ。俺はもう死ぬのだから……それを笠に自分の我儘を通さうといふ自然の肚ができてゐる。やがて死ぬからと言ふたところで我儘の通る理窟もないわけだが。私は文子のことを思ふと、死にきれない思ひがする。わけてもこのたびの警察沙汰があつてからは、文子の行末を案じることが私の生涯に残された唯一の心残りの種なのだ。もともとお前をこの土地へ呼びよせた私の心は、最初からお前と文子の結婚を計画しての上だつた。それをそもそもの始まりに打ち開けてをかなんだのが私の誤りであつたのだらう。見たところ如何にもお前を甘く見てゐた模様にとれるが、恐らく私の本心は、いはゆる年寄の我儘で、お前に甘えてゐたのだね。私はさう思ふてをる。さて、改まつて物を言ふのも、いかにも我儘を通したい私の身勝手に思はれやうが、私は然しお前に縋ることだけがもはや唯一の頼みの網といふわけで、さういふ私のやるせなさも若干察してもらひたいのだ。何がさて年寄の私には、若い人々の心の奥がわからない。自分の青年期をふりかへつたばかりでは今の青年を理解することができないのだね。非常に時代が違つてゐる。あらゆる時代に老人達と青年達はゐるであらうが、明治初年に書生の私と昭和の今日の青年では、恐らく歴史に二度とない距りをもつた老人と青年の場合であらう。あいにくと老人の負惜しみの余地がないほど今の時代はすぐれてゐる。電気、汽車、飛行機、何をとりあげてみてもいい。さういふ世代に育つたお前は唯物論やマルキシズムといふものにも、おのづと私の読みかたとは違つた読みかたをしたであらうし、違つた受け入れかたをしたであらうに相違ない。また恋愛のことにしても、早い話が、アメリカの活動写真を見てゐると、その安直な恋愛沙汰に莫迦らしい気もしないでないが、なるほどと思ふ心が動くことをどうすることもできないのだね。恋には時間もいらないだらう。余計な深刻な思ひ入れもいらないだらう。時間のかからぬ恋だから安つぽいとは言へないのだね。そんな簡単な真実すらも私の青年時代にはなかつたことだ。理窟は私にも通用するが、その実際の動きにもまれて育つた人の感情は恐らくもはや私から縁が遠いに相違ない。私は如何様に工夫しても友達のやうにお前と話はできないのだね。私は年齢といふものに全く誇りをもつことができない。若々しさ、動物力を失つて自然に行ひすますことは、まづ哀れでしかないやうだね。私は自分が気の毒なのだ。まづ何よりも我自らを憐れむ思ひでどうにか生きのびてゐる思ひだね」  左門は泣きたい思ひがした。それも亦我自らを憐れむ思ひのひとつであらうか。喋りだすと、際限もなく流れて熄まぬ感傷をどうすることもできないのである。卓一に燃やす怒りもそこでは自づと忘れるほかに仕方がなかつた。さういふ自分を左門は卑屈に思ふのである。けれども左門の怒りのもとは要するに卓一を味方にたのむ思のせゐにほかならぬから、泣きたいばかりの傷心に怒りを忘れてしまふのもまた是非もないことであらう。 「私は」と左門はつづけた。「恐らくお前が不可解に、あるひはむしろ滑稽に思ふてゐるのを知つてゐる。つまり私が執拗にお前一人を文子の相手に定めてゐるといふことだね。お前は恐らく無意味だと思ふてゐるに相違ない。私は然し血のつながりを慈しむのだ。特別の血の働きがあるものだとも思ふてゐないが、私はその課せられた約束を愛すのだね。打ちとけて語ることができるところのサークル内に生れてきたといふその宿命に甘んじて縛られたいのだ。私はかやうな宿命に逆らう勇気はもつてゐない。私はむしろ宿命の中で休みたいのだ。そして老齢の私には新らたな宿命をつくるほどの希望も根気ももてないのだね。私はむしろ血にこだはつてゐるらしい。私にはひとつの墓が必要だ。墓も休息に思へるのだね。そしてそれと同じやうに血のつながりの宿命の中で休みたいのだ。私の現身が休みたいといふのではない。ちやうど墓と同じやうに私の死後が休みたいのだ。そのやうに私はもはや無気力だ。私は現身を希つてゐない。むしろ自然に希ふことができないのだね。そしてこの世に心残りといふものがなく、安らかに死にたい思ひがあるばかりだね。ひとつの空になることだとは分つてゐても、墓の形に姿を変えた安らかさを打ち消すことができないのだ。なんとしてもこの世に姿をとどめたい妄執のひとつであらう。そして私は私の墓と同じやうにお前と文子の生活を残したことにひとつの満足を覚えたいのだ。私にもしも生涯の情熱をこめた事業や、たとひ七言絶句でもここに我ありと言ひ得るたぐひのひとつを残してゐるとしたら、墓や血にこれほどこだはる惨めな愁ひを忘れることもできたであらう。私の生涯は眼高手低といふていいのか。眼高といふことすらもおこがましいが、かへりみて、ここに我ありと言ひうるたぐひのひとつの物すら残してゐない悲しさが時に沁々せつないのだね。お前の父はあまり賞讃のできないやうな詩人であつた。然し要するに詩は下手糞でもいいのだね。何物か残した人はそれだけで思ひが豊かであつたであらう。私はたしかに羨しいのだ。見られる通り私の身体は鶴のやうに痩せてゐる。然し一生を貫いてきた私の心も同じやうに痩せてゐるのだ。不毛の曠野を心にだいてゐるやうだね。せめては悔ひと心残りに乱されずにこの一生を終りたいと思ふてゐる。はて、泣き落しの戦術を用ひる筈ではなかつたが、話が愚痴になつたやうだ。この結婚を強ひることは避けねばならぬと思ふてゐるが、私の性根は自然愚痴に流れるものと見受けられる」  卓一は長いあひだ答えなかつた。どういふやうにも答えることができたからではないのであつた。答えることがたつたひとつであつたからだ。彼に結婚の意志はなかつた。それにも拘らず理由がないのだ。いはば彼の半生のそれはひとつの結論だつた。そして彼の半生がその結論の理由であつて、一言にして語るべき適当の言葉はないのである。卓一はむしろ黙つて帰りたかつた。左様な真実の通用しない儀礼の世界は胸苦しい。 「昨夜僕はとある酒店で泥酔したのですが」と卓一は仕方なしに喋りはじめた。「そこの娘が僕の好きな顔立なんです。(さういふ点だけ彼は特に意識的に言ひたかつた)その娘は僕を好いてゐるのですね。帰るだんになると自発的に僕を送つてきたのですが、僕の自由になりたい意志を明らかに認めることができたのです。ところがその娘は母性の要素の強い女で、かういふ女は腐れ縁がうるさいのですね。その懸念がたつたひとつの理由で、僕は大念寺の門前で女を帰してしまつたのです。ところが──」何をくだらぬお喋りをしてゐるのだと彼は虚しさに心の冷える思ひであつた。然し言葉は自然に流れた。「さて女を帰したあとになるとひどく後悔したのですね。いや、直接後悔したわけではなかつたのです。その時は別れたい気持の行き懸りもあり酔つた勢ひもありますので甚だ太平楽なゆとりがあつたわけですが、酔ひがさめたら、さだめし地団駄ふむだらうとひそかに案じたわけなのですね。そしてゆうべはそんなことを考へながら眠つたのです。ところが今朝目をさますと、僕は然し静かな孤独の冷めたさをむしろ安らかに感じながら、ゆうべは女を帰してしまつて良かつたなと沁々思つたのでしたね。僕もまつたく意外でした。けれどもこれは誇張のない今朝の正直な経験なんです。この目覚めにゆうべの女が今朝もゐたら……やりきれない憂鬱だらうなと思つたのです。神経やあらゆる気持を泥でねつた縄のやうな重苦しさに感じることしかできないだらうと思つたのですよ。きぬぎぬの情緒は僕の語彙にないのですね。そして僕は窓から雲を見上げながら、この程度の空虚な思ひで雲を眺めてゐられるのも、ゆうべ女を帰したからだと沁々思つたりしたのです。金で買つた女なら泥の神経を感じぬうちに空の下へ逃げだすことができますが」  その朝の卓一の経験はすべて真実のことだつた。そして彼はこの経験を自分ながら意外に思つてゐたのである。そこまで俺は──と彼は思つた。孤独が身に沁みてゐるのだらうか。然し──と彼は苦笑しながらまた思つた。己れの助平根性が孤独感の厳しさより下のものだとも思へない。要するに孤独の安息と同じほども適合した理想の女にあこがれてゐるのであらう。夫婦は一心同体といふ昔の人の理想のやうな困つた夢にうなされてゐる奴だと思つてみたのである。さういふ批評も可能だと思はなければならなかつた。あこがれといふものの極るところはいつたい何処にあるのだらう? 突きとめてもどうにもならないことではあらうが。 「結局女房といふものは、僕のやうな男にとつては、金のかからぬ売笑婦でしかないのです。金のかかる売笑婦には然し気持の後腐れといふものがないが」  どこまで喋つたらきりがあるといふのであらう。卓一は腹立たしさに喚きたいほどうんざりした。こんな無礼な返答に顔色ひとつ変えやうとせぬ左門も可笑しなものであるが、こんな寝言を否応なしに喋らされてゐる俺の方もやりきれないのだと卓一は思つた。 「僕は今朝窓から雲を見上げながら、空の奥に縄をつるして首をくくつた一人の男を考へましたよ。身の丈が何哩もあるやうな大きな姿が空にぶらさがつてゐたのですが、案外普通の人間なみの大きさなのかも知れません。足の下に町があり、屋根があり、森があり、そして山脈がありましたよ。久しぶりに綺麗な景色を見たと思ひましたね」  いよいよこれは──何を喋つてゐるのだらう。卓一は呆れかへつてしまふのだつた。いまに忍術を使つた話でも喋ることになるだらう。 「結婚したくないのです」と卓一は散々うんざりしたあげく、まるでふざけてゐるやうな大きな声で言ふのであつた。「僕は自由が欲しいのです。そして男女関係をひとつのスポーツと見たいのです。僕は自分の一生もひとつのスポーツに見てゐるのですよ。鍋や釜はレストランへ置いとく方が好きなんですね。男女関係が鍋や釜に結びつく暗らさはとても我慢できないのです」  二人は凍てついた夜道へ降りた。 「むしろ野々宮さんにでも話されたらいかがですか」  左門はそれには答えなかつた。己れの欲せざるところこれを人に施す勿れである。卓一は苦笑を浮べる。そして叔父甥は冷めたい夜道の上で別れた。  ──お前は新潟を去るつもりなのか。左門はそれを訊きそこなつてしまつたのである。もとよりもはや訊く必要もない気がした。然し一応訊きたい気持はあつたのである。  それを訊くとどういふことになるだらう。ええ東京へ戻らうと思つてゐますよ。卓一は当り前だといふ顔をして静かに答えるに相違ないのだ。すると左門はその返答を恰も肯定するやうに黙りこんでしまふことがたつたひとつ可能の態度にちがひなかつた。その沈黙の苦渋にみちた重苦しさが惨めなぐらゐ歴々と左門にわかつてくるのである。その時の惨めな自分を考へると、お前は新潟を去るつもりかと訊きたい気持も凋むやうに衰へるのだ。そしてもしそんな惨めな自分ではありたくないと試みたら──その試みもあるひは可能であらうけれども、恐らくもはや泣き喚いてしまふだけが勢いつぱいに相違なかつた。それも老ひ恥のひとつであらう。……然し左門は卓一に別れてみると、たとひ老ひ恥のたぐひであらうと、泣き喚き、そしてかねての鬱憤を晴らさぬことを悔いたのだつた。なにはともあれ、万事休したせつなさだつた。  左門は野々宮に会はふと思つた。ただ友情が欲しかつたのだ。卓一に暗示されたわけではなかつた。  文子を野々宮にめあはすといふ、それもひとつの場合だが、それが実際有りうる場合を左門は想像もしなかつた。恐らく欲してゐなかつたのだ。  野々宮は文子を軽蔑しきつてゐた。肉体の真実だけを理解するにすぎないところの愚鈍な女と思ひこんでゐるのであつた。左門はそれに気付いてゐた。恐らくこれが他巳吉や卓一の考へであつたなら、左門の胸に敵対感の燃えぬことはなかつたのだが、野々宮の場合になるとさういふことが殆んどなかつた。もともと最初に野々宮と踊りはじめた文子であつた。左門すら気付かぬうちに野々宮をまき、高梨と踊るやうになつたのだ。そのいきさつを考へても、野々宮が文子を嫌ひ、軽蔑するのもまた当然のいはれがあると左門は思つた。さういふ事実にひけめを感じたわけではないが、そもそも友情のはじまりから、まるでひけめと同じやうな弱い心で左門は野々宮に接してゐたのだ。いはばそれも野々宮の弱い心を劬はるために自ら故意にへりくだつた左門の思ひやりかも知れなかつた。弱い人につきあふ時はことさらへりくだる人がある。へりくだることによつて自家の利益を企らんでゐる人もあらうし、又へりくだることによつて実は却つてあべこべに尊敬をもとめてゐる人もある。動機はさまざまであらうけれども、また一部には、親愛の情を表はす手段が即ちへりくだることだといふ、左様な場合もありうるのである。左門の場合は後者に属するものであつた。  そのはじめ左門のひけめは恐らく野々宮を劬はる思ひと、野々宮に寄せる親愛の情から滲みでた自然の態度のひとつであつたに相違ない。いはば極めてゆとりの深いひけめであつたと言ふことができやう。けれども次第に窮屈な、自然に心のこはばるやうなひけめに変つてきたやうである。そしてゆとりはなくなつてゐた。その原因の大きなものは、交際の深まるうちに次第に判然たる姿をとつた二人の性格の差にあつた。左門の心は内外ともに柔らかな肉づきによつて造られてゐたが、野々宮の一見女性的な弱々しさはむしろ内部に金属の艤装をほどこし、人の好意や温かさを冷然と弾き返す強いものがあるのである。土佐犬は小犬を虐めぬものであるが、左様な鈍重な風格は野々宮と対蹠的なものだつた。彼はいつたん儀礼の世界を踏み外すとむしろ意識的に弱者の弱味につけこむことを娯しむやうな、且つそのことのあくどさを気付かぬやうな嗜虐癖を蔵してゐた。左門は屡々とりつく島のない思ひを味ふことがあつたのである。然しそれも野々宮の嗜虐癖のせゐばかりとは言へなかつた。恋愛にしても友愛にしても、ゆとりのあるのは言ふまでもなく受身の方で、左門のゆとりが崩れたのは、いはば受身の野々宮がおのづとゆとりを得たからにほかならない。それは自然の勢である。文子が野々宮にはたらいた無礼、文子と高梨の事件なぞが左門にひけめを与えたわけではなかつたのである。  左門は野々宮に会ふたびに救はれた思ひがするのであつた。すくなくとも、さういふ風に感じなければならないのだつた。そして実際そのやうに感じることができたのである。そして卓一や他巳吉ならば我慢のならない同じことが野々宮ならば別段腹も立たないのは、その友情の静かな流れがあるためだと左門は思つた。それほど彼はこの友情に甘えてゐた。それゆえむしろこの友情は贋物だつた。  恐らく左門の友情は卓一と他巳吉に対するものがその憎しみの激しさから考察しても真物であり、彼のまことの生活に食ひこんでゐたに相違ない。そしてそれに比べれば野々宮に寄せる友情は畢竟するに卓一と他巳吉に対する愛の反逆の要素が多いのである。その窮屈なひけめにしても友情が自然なものでなかつたことがひとつの理由でありうるだらう。卓一と他巳吉の裏切りに怒りを燃したところのものはむしろまことの友愛だつた。野々宮に対して覚大なのは、その友愛が外形上のものであり、本質的には他人であつたからであらう。左門の自ら気付かざるまことの判断の上に於ては、野々宮は決して彼の味方ではなかつたのである。野々宮を文子の配偶にあてはめて考へてみることもなかつたのは、その本質に他人を感じてゐたからと言へないことはないのであつた。我々はとかく他人に対して、彼が他人であることのゆとりから、最も多くの友愛を感じたやうに錯覚しがちなものである。真実の愛は人を疲らすからである。  けれども左門はそのからくりに気付かなかつた。そして野々宮に関する限り、たとへば文子の人格にひけめを懐かねばならないことにしてからが、それは野々宮の人柄が文子に比して一際勝れてゐるからだと思ふのだつた。それは然し体裁のいい左門の心の工夫であつたに違ひない。実際は「他人」に対する遠慮なのだ。いはば左門は「他人」に対して、文子をひけめに思つてゐた。それゆえ野々宮に対しても文子をひけめに感じなければならないのだつた。そして卓一の場合だけが文子をひけめに思ふことがなかつたのは、その友情が他人行儀の埒を越え、心にあらゆる我儘が許されてゐたからであらう。友情のせゐばかりでもなかつたのだ。恐らく自然に卓一をみくびるやうにもなつてゐた。孤独の左門は己れの燃やす友愛の念にいささか狎れすぎてゐたのであらう。  左門は悵然たる思ひを懐いて夜道へ降りた。道で卓一に別れるときが、恰も彼をふりきる思ひに感じられたほど心の孤独が激しいのだ。そして左門は野々宮の顔がみたいと沁みるがごとく思ひだしてゐたのであつた。けれども彼の年少の友は夜間不在の習慣ださうな。友達のほしい夜だつた。そして左門はサチ子の酒場へ行つてみやうとふと気がついた。そこには案外野々宮もゐるかも知れない。サチ子だけでも助かる気がした。その酒場はエスパニヤ軒から近いのである。  酒場に野々宮はゐなかつた。  そしてその夜は左門の最後の饗宴でもあつたのである。翌日左門は卒倒した。そしてそれから二日目に左門はもはやこの世の人ではなかつたのである。  ちやうど左門がサチ子の酒場へはいつたとき、奥の方の長椅子の上に、三人の女給たちがもつれるやうに抱きあひながら、泣いてゐる最中だつた。三種の笛の神楽風な合奏をきくかのやうに三種の音色は張りきつてゐて、各々傍若無人であつた。左門のほかに四五人の客があつたが、三人の女達はその商売気を放擲してひたすら快適な慟哭に傾注しきつてゐたのである。酔ひ痴れてゐたのであつた。  酔はない女が泣く一団をすりぬけてきて、あらはに嘲笑をうかべながら左門に言つた。 「あいつたち、うるさいね。満洲くんだりで男にふられてきたんだつてさ。小娘ぢやあるまいし、三十面さげてみつともないよ。ほかの二人の若いこは同情サボ、ぢやないね。同情出演か。動物園の鳥の国へ行つたやうだね」  さういふ女は十七八の小娘にしか見えなかつた。断髪といふ頭の形がとかく左門の判断を迷はせるとはいふものの、そして身の丈は五尺二寸それより低くは思へぬ身体で充分発育してゐるが、まだどことなく肉づきの感じに子供つぽさが残つてゐて、着物のぐあひ、顔に漂ふ幼さなど、どう睨んでも漸く肩あげがとれたばかりといふ感じである。旧劇の活動写真に荒くれ男を手下にひきいた姐御が現れ、三下奴が御注進々々々と縄張りのことかなんかで殴りこみの一隊が近づいたのを知らせてくるが、画面の中の姐御達は清水港の次郎長もかほどまでとは思へないほど落付いてゐる。片腕を懐手なんぞして長火鉢にもたれ、長煙管をすぱり〳〵とくゆらしながら御注進の三下奴にてんで一睨みもくれないといふ豪勢な姐御ぶりを見せるのである。この小娘もそのいきで、両腕を懐の中で組んでるらしい。ふたつの袂が空になつてぶらぶら揺れてゐるのであつた。 「だれだいあいつは。ひとり蚯蚓の鳴声に似たのがゐるよ。ぴいぴいぴいか。ごめんなさいね。うるさくて」と小娘はべつだん済まなさうな顔付でもなくさう言つて、面白くもなささうにそつぼを向いてゐるのである。多分左門の注文を待ちかねてゐるのであらう。そこで左門はメニューなどといふものも見ず、この前きたとき飲んだ覚えの「日本酒」と言つた。ところが左門の推量に反して、小娘はあながち左門の注文を待つ一方ではなかつたらしい。なにか考へてゐたのであらう。日本酒といふ左門の声をきくと同時に、その声は彼女にとつて運動会の号砲でしかないやうに、くるりとうしろを振向いて歩きだす先に叫んでゐた。 「三十面さげてみつともないぜ。二三合の酒にのまれて、みつともないや。水商売の女は口説かれ方と酔ひ方ぐらゐ覚えとくものさ。四畳半で彼氏とのんでる時と場合が違ふよ。お客様が迷惑するよ」 「なに言つてやんだい。大きなお世話だ。婬売!」と、まんなかの三十がらみの痩せた女が自然にしやくりあげるのを無理に抑えて、恰も声がよろめくやうな啖呵をきつた。「お前さんはお金で身体を売るはかに惚れかたを知らない人だつてね。たのもしいよ。みあげた人だよ。人なみの大きな口をきくんぢやないよ」 「あははははは。勝手なおだをあげてやがる」と小娘は肩をゆすつて哄笑し、空の袂をぶらり〳〵と振りながら奥の帳場へ消え込んだ。そして奥から声だけきこえた。「婬売はよかつたね。お客さんが言つてるぜ。お前さんは女弁慶だつてさ。日本で千人だつてよ。あははははは。それから満洲国とくら。おまけがついてるよ。お前につきあふと骨のくさる病気がうつるから怖いんだよ」  やがて日本酒をぶらさげて戻つてきた。三十がらみの泣き女はもはや再び泣くことに没頭してゐた。そして小娘への応戦は忘却の川へ流したらしい。泣き女の一団へ酔つ払つた洋服男がわりこんでゐた。それを横目で睨んできた小娘が 「あの女バセドウ氏病つて言ふのかしら。ホルモン異常だよ。男欲しさに眼の玉がとびでてら。毎晩ここへ男を探しにきてるんだよ」 「君はいくつだね」左門は内心唖然たる思ひに打たれて小娘に訊ねたが 「十八」小娘はあたりまへの顔をして、左門の思ひになんの拘はる素振りもなく、酒を注ぎながら答えたのだつた。  やがてサチ子が現れた。 「笛と蚯蚓と簫ひちりきだよ」小娘はサチ子を見ると改めて顔をしかめて呟いたが、空の袂をふりながらほかの卓子へ移動した。 「まんなかの女のひと、うちの女給ぢやないのよ」とサチ子はうんざりしながら言つた。「むかしはうちにゐたんだけど、男ができて新京へ行つたのよ。別れて帰つてきたんですつて。お酒に酔ふと女はたいがい泣いちやうのよ。だから女の酔つぱらひはきらひさ。うるさいね」 「然し男にすてられたら、泣きたくもならうと思ふが。さうでもないかね」と左門は我ながら月並きはまることを訊いたが、この世界が万事につけて目新らしく、同じことがここでは意味が違ふやうに思ひたくなる始末であつた。旅行馴れない旅人に見る一々の山の名前が気になるやうなものだつた。 「恋愛の程度によるもの。一概に言へないよ。あのひとなんか、もともと始めから飽いたら別れるつもりなのよ。一生の恋愛なんてもともとあのひと考へてゐないと思ふわ。一人の男ぢや満足できないたちなのよ。しよつちう男を変えてるわ。ひとりの男をつくる時は次の男をみつけるまでのつなぎのつもりよ。男だつて同じことよ。やつぱり代りをみつけるまでのつなぎのつもりさ。あのひとたち別れぎわのうるさい相手は始めから敬遠するから、万事あつさり片付いて、面倒なことめつたにないわ。芝居じみたことが好きだから深刻さうなことを言つたり、小説にでもありさうな愁嘆場を演じることも稀にあるけど、ほんとの気持は平気なのね」 「特別好きな男ができたら──さういふ時もあると思ふが」 「浮気だから仕方がないのよ」 「なるほどな」と左門は言つたが、然しはつきり分かつたわけではないのであつた。頼らずに生きうる気持がわからない。事業や政治や芸術や、一生の野心に生きる人は別だが。何物にか頼らずに人は恐らく生きられない。左門は思つた。女は恐らく男だけが頼りであらうと思はれるのに。浮気やそして頽廃が人を生かすに足るほどの頼りになりうるのだらうか。さういふことがありえやうとは思はれない。「さういふ婦人はなにかね。男ぶりさへ良かつたら誰でもといふ次第のものかね」と左門は訊いた。 「さうでもないけど、好き好きよ」サチ子は鼻唄のやうに答えた。さういふ話は恐らく陳腐で、退屈でしかないのであらう。「たいがい一目で好きになるのよ。好きつて、つまり、嫌ひでないつていふことよ。一目でつまり好きか嫌ひか見分けるわけね。好きな人なら始めて会つた男でも誘はれれば泊りに行くわ。泊つてから恋愛がはじまるのよ。もし恋愛が始まるとすれば。みぢかくて一週間、そんなあつけないのもほんとにあるよ。長い時が半年ぐらゐ。あの人ひとりといふわけぢやないわ。うちで働く女のひと五六割までさういふ人になつてしまふの。お金が欲しいわけぢやないのよ。身体なんか売らなくつたつて、かういふ店の女のひと、かけだしのサラリイマンより収入が多いんだもの。好きなのね。浮気なのよ。なかには真面目な子もゐるけど」 「さういふ人は結局最後にどういふことになるのかね。いつまで若さが続くものではない筈だが」ひとごとながらいささか寄るべない感じであつた。 「そんなことまで知らないよ」とサチ子は退屈したのであらう。紫煙を吹いてうすい流れをぼんやり眺めてゐるのであつた。「ほつたらかしておけばいいぢやないの。好きでやつてることなんですもの。お留守番と子守役の勤め人の奥方よりいくらか幸福かも知れないよ。どうにか自分で生き通してゐるんでせうよ。面白いだけ、ましぢやないの。私はだけど──何をしても面白いことがなくなつたわ。子供のとき覚えのある、胸のわくわくするやうな喜びなんて、どこへ行つてしまつたのかしら」  血族が違つてゐるといふのだらうか。時代が違ふといふのだらうか。七十何年生きつづけてきた自分の国とあまり違つた思ひがないでもないのである。とはいへ如何なる時代にも、もとよりやくざな生き方があり頽廃の思想があつたに相違ない。組織化された社会の面に変りはあつても、むしろ頽廃の思想ばかりは何万年来旧態依然として今になほ原始の姿をとどめてゐる陳腐なものであるかも知れない。左門は思つた。彼が青春の時代にも一部にはさういふ思想と生き方があつたことは分かるのである。否現に彼の青春時代にも、わづかの期間であつたけれども、さういふ世界を通りぬけてきたことは、埃のつもつた思ひ出の底にたしかに足跡があるのであつた。然し──左門は思はなければならなかつた。やつぱりあまり違ふのだ! なるほど彼の世界にも、やくざな生き方と頽廃の思想はあつた。然し人はこんな風にはつきりとその泥濘を生きぬいてはゐなかつた。……それは感じの世界であつて、事実に就てたしかな比較はできないのだが、まづ第一に人のことは言ふ必要がないのである。自分自身が──この頽廃の思想に向つて、これほど全的な魅力を感じた覚えがない。生きることの裏では薄く、生きることの表であり、生きる自体であるやうな、さういふ姿でこの思想を感じたことは決して昔はなかつたのである。  もとよりそれは、ただそれだけの感じであつた。それだから、どうかうだといふ理窟もなければ、また若々しい気持の張りがあつたわけでもないのである。左門は再び侘しかつた。この世界にもすてられてゐる、否。この世界といふ狭い世界の話ではなかつた。もつと広い──いちばん広いひろさのなかへ置き残されてしまつたやうな寄る辺ない当惑だつた。置き残されたといふよりも、もつと幼い少年期の幅のひろい怖れや悲哀が、なにか遥かな気配の彼方に蘇返つてゐる思ひがした。遅刻したといふ感じである。さうしたら、多くの人が集つてゐるべき場所にもはや一匹の野良犬すらも見当らず、すべての人が立ち去つたあとで、虚しいひろさの怖ろしさが頭のしんへ沁みてくる。そんな苦しい思ひのする怖ろしいひろさであつた。  自分にも他巳吉のやうな場合があつたら──左門はサチ子の顔を見ずに、サチ子の面影を頭に浮かべた。自分も失踪するだらう。するかどうかは請合へないが、ひと思ひに失踪したい悲しさだつた。  逃げるといふ。そしてまた帰るといふ。どこへ? どこから? 今左門には逃げるべき、また帰るべきひとりの身内が存在する。文子であつた。然し文子がゐないとしたら──恐らく然し逃げたい思ひ、または帰心の愁ひに富んだひそかな流れが、果つべきものとは思はれない。何物を逃げ、そして何物へ帰らなければならないのか、考へる気も殆んどないが、どつちみち分からない気がするのであつた。あのガランドウの座敷であらうか。それであつてもいいのである。あれもとにかくひとつの逃げるものであり、ひとつの帰るところであつた。風の音も似ぬ夜の思ひかな。人の営みのあるところ、人の愁ひが住むのであらう。凩の音も似ぬ夜の物思ひを逃げだすことはできないのだ。  左門はサチ子がいとしかつた。 「春になつたら、いちど郊外の料亭へあなたをお招びしたいと思ふが」と左門は言つた。「この土地にはあいにく恰好な料亭も心当りがないのだが、弥彦、村杉、せめてあのあたりの風景を肴に一日清遊したいものだね。私はもはや保養の心も忘れるほど、心がやつれてゐるのだね」  左門が帰りかけるころ、さきほどまで泣いてゐた三十がらみの痩せた女が、洋服の男と二人で出て行つた。 「あいつたち、たうとう泊りに行きやがつた」と断髪の小娘が二人のあとを見送つて左門に言つた。「あいつたち、すばしつこいね。今日始めて会つたばかりで、もうできちやつたよ」  小娘が行つてしまふと、サチ子は煙草をくゆらしながら笑ひをうかべた。 「自分だつてさうなんだよ。自分のことは気がつかないから、あのひとたちは呑気だね。それでしよつちう喧嘩になるよ」  やつぱり異常な世界だと左門は思つた。頽廃の思想だけは左門に理解がつくのだけれども、この現実は思想ではない。理窟はいらない。まづなによりも──左門は文子を思ひうかべてゐたのであつた。文子は決してあのやうではない筈だつた。あのやうであつてはならぬと言ふのではなく、あのやうではありうる筈がないといふ意味なのである。その思ひはひとつの無難な満足を左門に与えた。そのうへの真理も理窟も不要なのだ。文子のことに思ひが向ふと、思ひの前後の行きがかりはどういふことであらうとも、それはもう打ち切つていい思ひがする。そしてひとつの俗的な、無難な満足を覚えるだけで、ひとつのことが済んだといふ気持になつてしまふのだつた。 「文子がもしもあのやうな女であつたら、あのやうな女であつてもかまはないのだ」と左門は思つた。あのやうなことが好きなら、好きなやうにするがいいさとサチ子も言つた通りである。「然し文子は、かりにあのやうなことが好きな女としても、好きなことを堂々とやりぬくことができるほど、自分をはつきり持つてはゐない。私はさういふ頼りない文子の弱さが気掛りなのだ……」  とはいふものの、それはたしかにゆとりのある、いはばかなり左門のいい気な思ひであつたに違ひない。なるほど左門はまるで自分をもたないやうな、頼りない文子の姿が心にかかつて仕方がなかつた。それゆえ文子がいぢらしくて堪らぬ思ひもするのである。さういふ思ひに偽りはないのであるが、かりにあのやうなことが好きな文子なら、好きなことを堂々とやりぬく文子であつて欲しいと言ふことは、ゆとりの生んだ余分な感傷のひとつであつた。さういふことの好きな文子でないといふ、ほのかなゆとりと満足があつたからのことであらうと思はれる。文子は別だ。その低俗な満足が結局左門を休ませる。莫連女に比較して一々満足を覚えるほど、実は文子にひけめを感じ、自信を失つてゐたことに結局左門は気付かなかつた。  とはいへ左門は、莫連女と同じ心の文子であるのを気付かなかつた。そのことだけはつひにひときれの憂ひすらいだかなかつた。心は莫連でありながら、自分自身もはつきり掴んでゐないといふ、ゆとりからでたいい気な憂ひが実は文子の事実の姿であることに、結局左門は微塵も不安を懐かなかつた始末である。  その夜の左門の経験は、見やうによれば、彼の最後の饗宴にいかにもふさはしいものであつたといふことができる。その一生が三階席の隅つこに押しこめられた観客にすぎないところの左門であつた。いかにもそれにふさはしい痩せこけそして蒼ざめたこの現実の、然しいはばひとつの豪華なスペクタクルを見たのである。  翌日左門は卒倒した。とある銀行の中である。窓際のベンチに腰かけて、自分の番を待つてたらしい。横にねた左門の様子がおかしいので、人々が気付いたときは、意識がなかつた。  それから二日目に左門は死んだ。 七  左門の葬儀は滞りなく終りをつげた。木村重吉の打算をもたない奔走によつて、卓一はくさぐさの煩労から救はれることもできたのである。その働きは目覚ましいといふ言葉が唯一の適した形容だつた。告別式の日であつた。その日はエスパニヤ軒の舞踏場で踊る文子と野々宮を残してをいて姿を消した卓一が野々宮とあの日以来の絶えて久しい対面をした時でもあつたが、嘉村由子の弔問がまづ誰よりも受付に控えた木村重吉をびつくりさせた日でもあつた。彼は思はず呆気にとられて嘉村由子の顔をみつめた。嘉村由子の表情には受付の見知らぬ人を見るやうな冷淡な色が刻まれてゐるばかりであつた。嘉村由子が通りすぎると、彼は思はず眼の前に虚しく白いものを見た。彼は首をふつてゐた。信じきつた現実が信じられないものにならうとしかけてゐた。  残務を処理して田巻家を辞したとき、もはや九時をまはつてゐたが、木村重吉はその一日の内攻が諦めきれず、嘉村由子を訪ねていつた。由子を見ると彼は言つた。 「どうして告別式にきたのです。あれほど行かないと言つてゐながら……」裏切られた少年の単純な詰問の調子であつた。けれども彼はやがて大人の落付をとりもどして悪意のない笑ひをうかべた。「僕はびつくりしましたよ。呆気にとられてしまつたのです」  そのころ由子は東京行きを断念しやうとしかけてゐた。その事情に立ち入るほど親密な友情をつづけてゐたのは木村重吉ひとりであつた。旅行から帰つて以来、彼は由子を訪ねることに恰も己れに約束された慰問使の義務を感じてゐたのだ。  まもなく澄江と卓一の恋愛が復活した。木村重吉はその一存によつて、ありのまま由子に打ち開けて差支えないと判断した。由子はもはや卓一に不要な女であるのみならず、由子にとつても卓一が唯一の男に見えなかつた。あるものはただ感傷の世界ばかりにすぎないのだ。ひとつの破壊の暴力が結局必要なものなのである。彼は思つた。  澄江との恋愛が復活してから、卓一が彼に見せた弱点は想像以外のものだつた。己れの理知を生活以上の高さに置いてその感情を縛つてゐたあの冷静な卓一の意志は影もなかつた。抑制もなく誇りもなく自信もなかつた。澄江に別れた後だとか、澄江に会へない夜になると、孤独の不安と絶望にやつれきつて木村重吉を訪ねてくる。理知もなく高邁な精神もなく教養もない見るからに惨めな姿であつた。澄江にからまる一部始終の些細を語り、不安を語り、また絶望を語るのだが、その精神がそもそも教養の跡形もなく、落付もなく慎しみもなく、さながら一泥酔者の独白と異るところが見えなかつた。万葉の一詩人は賢ら人を猿となし、酔ひ泣きするになほ如かずなりと唄つてゐる。花となつてみめよき乙女の髪を飾り、靴となつてあの娘の足に踏まれたいとアナクレオンのともがらも唄ふのである。そこには歌はれた精神の高さがあつて人をうつが、一酔漢の酔ひ泣きするに異らぬ卓一の現実の姿のなかには、人をうつ高度の精神はまつたくなかつた。木村重吉も一時は呆れるばかりであつた。この男がこれほど己れを失ふ時があるのだらうか。そしてこれほど赤裸々にその弱点を曝露するこの老獪な理知人がむしろ厳しい何物かを暗示してゐるやうに思へた。その一生の切なさが思ひやられぬこともなかつた。 「あのひとが、そんなに自分を失ふかしら」由子は極めて落付いてゐた。そして笑つた。もとよりいくらか普通とちがつたなにがしの翳がその表情を掠めぬことはなかつたのだが、一度は情交を結んだ男の噂であるから、心はさめてゐるにしても先づ当然の話であつて、この程度ならむしろもつとはしやぎながら語つてもいいほどだつたと木村重吉は思つたほどだ。 「絶海の孤島へ流されることも怖れないか。ふふ。そんなこと言ふ時のあのひとの顔が見たいわ。まじめなのかしら。いちど冷やかしに行きませうか」 「行かない方がいいですよ」と木村重吉は落付いて言ふのであつた。「熱病なんです。目下のあのひとの一本調子の激しさには、とてもついて行けないのです」  卓一もこれで愈々済んでしまつた。……その思ひがむしろ由子を落付かせた。そして新潟を立去ることの切迫もむしろ一応緩んだやうな始末であつた。新潟。それにこだはることすらも物憂い。東京。そして、あこがれ。庭につながれた山羊だつて、山のあこがれは知つてゐる。行つてみれば思ふ通りのものでないのはどこの土地いつの時でも恐らく同じことだらう。由子の心は大人であつた。動くことも面倒だ。由子は毎日ねころんで雑誌を読んでくらしてゐた。  そのころ改めて妾の話をもちこんできた人があつた。相手は土地の富豪であつたが、まだ三十を越したばかりの若さであつた。容貌風彩も堂々として、すでに好色の名があつた。  若さ、容貌、金、好色。一時の生活転換のために最上の条件を具えてゐると由子は思つた。若さがあり、そして容貌に自信があり、金があり、そして好色の男なら、恐らく半年で別れるにしても、うるさいことにはならないだらう。それが由子を何より気強くさせるのである。とにかく滅入りこむやうな、この毎日の無気力な暗らい流れに似たものを、一気に断ち切る必要がある。生活の転換が必要なのだ。  恋愛はうるさい。恋愛は人を実際の姿以上に振舞はせる。だから苦痛で、うるさいのだ。非凡な生活は面倒だ。むしろ平凡な結婚。そして妾。打算を許しあひ、不必要な感動をぬきにして生活をはじめるだけでも、すでに気楽で、かつ由子には斬新だつた。なほかつ別れに面倒なことがなささうだ。…… 「私こんど見合ひするかも知れないわ」と由子は木村重吉に言つた。「それが結婚ぢやないのよ。お妾なのよ。だから私、乗気なのよ」  そんな風に言ひ訳じみた言ひ方をすることが由子の神経にひびくのである。なるほど由子は乗気なのだ。それに偽りはないのであるが、それをわざ〳〵言はねばならぬ生活がいや、自分もいや、自分に言はせる相手もいやだ。……子供つぽい。そんなことにむきにこだはらなくつても。由子はすべてを笑殺する。 「お妾つて……」と案の定木村重吉の不審な顔付が予期した疑問を喋りかけてゐる。 「いいぢやないの。私ほんとは昔からお妾志願なのよ。お妾つて、不純ぢやないわ。どうせ純粋な生き方が不可能な意味から言つたら、お妾の方が不純なだけに、純粋だわ。私、純粋な生き方きらひ。純粋つて、怖いのよ。だつて、しよつちう、自分以上のことをしなければならないやうな気がするからよ。恋愛つて、私の性格のせゐかも知れないのだけれど、ポーズなしに出来ないやうな気がするのよ。だけど毎日の生活はポーズぢやくらせないわ。いはば恋愛は非凡なのよ。だけど毎日の生活は平凡なのよ。ポーズや非凡でその生活のはじまりに束縛してしまつたら──うるさくつて、毎日がやりきれない。だから私、男が欲しい意味だつたら、十八九のころから、お妾になることがいつといいやうな気がしてゐたわ。理窟なしに。ただ漠然とした気持だけど、女学生の頃から本心はさうだつたのよ」  そして結局木村重吉に「お妾も貴方の場合はいいでせうね」と言はせてしまつて、再び由子は失笑を深めるのである。こだはりかたが駄々つ子のやうにしつこいのだ。こだはらねばならぬこと、そしてこだはつてしまふことが如何にもいやだが、こだはらずにゐられぬものなら、こだはることを娯しんでやれといふ気になる。そこで故意にこだはつて、たうとう木村重吉に思ひ通りのことを言はせてしまふのだが、自分は故意にこだはつた気持でゐても、実は自然にこだはりたいのを、自分の都合いいやうな名目をつけ利用したにすぎないのかも知れなかつた。要するに敗北を利用してまで勝つた気持になりたい自分が一層失笑したかつた。 「あんまり賛成ぢやなささうね」由子は木村重吉をいくらか冷やかす調子で言つた。「お妾つて、世間の人が言ふやうに、下品なことなの?」 「そのことではないのです」木村重吉はためらひながら眼をふせた。 「ぢや、なんのこと」 「つまりお妾の解釈の問題ではないのです。公爵と結婚したつて立派なことではないやうに、お妾も下品なことではないのです。ただ──」木村重吉は一瞬憐れみを乞ふやうに由子の瞳をちらと見たが、やがて怒気をあらはして言葉をつづけた。「あなた自身が誰よりそれを知つてることではありませんか。それを僕に言はせることすら卑怯です。お妾になることに僕が不賛成な理由は、あなた自身がお妾を軽蔑してゐるからですよ。あなたは自分を玩具のやうに取扱ひ、そして自分でネヂをまいて、自分を踊らして娯しもうとしてゐるのです。むしろ優越を感じやうとしてゐるのです。そんな優越がなんの役に立ちますか。結局あなたは二重に敗けてゐるのです。けれど、そのことは、あなた自身が誰より先に気付いてゐるのではありませんか。僕がそれを言はなかつたら、どうなるのです。あなたの優越は一層深まるわけでせうか。僕はあなたに軽蔑されてもかまはないと思つてゐます。ただあなたの道化芝居の立合人にされることは不快ですよ。落伍者的な優越はみすぼらしいにすぎないのです。我々は自信をもつて行ふ時に正しく誇らねばならないのです。そして友達を冷笑してもいい時は、自信をもつて行つてゐるに拘らず、正当な誇りを理解してはくれない時に限るのです。あなたは自信がないのですよ。そして自信がないために、まがひ物の優越をこしらへあげる一策として、僕にまでひとつの役割を強ひやうとしてゐるのです。それは卑怯なことですよ。僕に対してではなく、まづ何よりもあなた自身の犯すべからざる存在の尊厳に対して」 「犯すべからざる存在の尊厳つて、なんだか大切なものらしいのね」と由子の負けたくない気持が、心にもなく、理窟にならない揚足とりを言はせてゐる。けれどもそれを一ぱし重く見せるやうな退屈しきつた虚無的な笑ひを自然につくらせてしまふのである。虚無と深さを混同する陳腐な重さに誰より退屈しきつてゐる由子であつたが。  然し由子は自信がくづれてゐるのであつた。男の教養の深さが、一般的な問題として、由子の恐怖の種だつた。野々宮がさうだ。卓一がさうだ。そして木村重吉すらさうなのだ。いかにも甘く見えてゐて、結局甘くないのである。人生はどこかしらで誤魔化さずには生ききれないに極つてゐると由子は信じてゐるのであつた。由子の男の友達々もどこかしらでその人生を誤魔くらがしてゐるのであらう。言ふまでもなく自殺などもさういふ意味の誤魔くらがしのひとつなのである。けれども男の友達々は、由子の誤魔くらがしてゐる一足奥の深さでなければ誤魔くらがしてゐないやうに見えるのだつた。  男の全部がさういふ人ではない筈だと当然由子も思ふのだ。そのくせ由子に惹かれる男、そして由子が惹かれる男、それが概してさういふ型の男達にきまつてゐる。理窟なしにさうなのである。  そして由子はさういふ男の友達々とつきあふために、すでにひとつの無理なポーズや技術などをつくらせられてゐるのであつた。さういふポーズや技術の不自然、無理、偽り、生命のなさ、安つぼさ、それに最もうんざりしきつてゐる人が、由子自身にほかならぬのだ。由子は常に自信がなかつた。虚栄心のせゐだらうか。由子は泣きたくなるのであつた。自分自身がまるで自分でないやうな、対人意識にゆがめられ、ねぢまげられた不自由きはまる姿なのだ。  ──あんな奴は愚劣だよ。と、たとへば男の友達が言ふ。  すると由子はそれの否定や肯定ではなく、そしらぬやうな冷淡きはまる顔付をして「愚劣だと悪いの」と言つたり「ぢや、偉くないのね」と言つたり、またある時には決然として「でも立派よ」と言ひきつたりする。それらの言葉は正当な意味によつてではなく、対者の心理の隙につけこむことによつてのみ意味を生じ、かつその意味が正統ならざることによつて実質以上に評価せしめやうとするのである。いつたいさういふ言ひ方がなんの役に立つのだらう。何事を言ひ表はしてゐるのだらう。要するに何物でもないのである。空虚なのだ。技術なのだ。単なる話術にすぎないのだ。たとひ名言を吐いたにしても、所詮名言のたぐひでこの人生が片づけきれるものではない。名言をねらう生き方は無理で空虚だ。名言が人生自身であつたためしはないのである。まして自分の話術のたぐひは名言ですらないのである。名言の穴をねらつてゐるやうな、しがない技巧にすぎないのだつた。屡々由子は己れの言葉に唇寒しの感を懐いてしまふのである。  言葉自身も赤裸々な生活でありたかつた。まことの生活が欲しかつた。  誤魔化すまい、誤魔化されまいとすることがいけないのだ。そんな窮屈な人達とつきあふことがいけないのだ。由子の思ひは突然そんな別の方へ走りだしてしまふのである。まるでくさぐさの憂鬱と一緒くたに自分の全部を投げ棄ててしまふやうに。  だから──平凡な男の妾にならう。なぜつて、だからよ。だから──それでいいぢやないか。騙すことを許しあひ、誤魔化すことを娯しみあふのだ。終り。  そのころ澄江と他巳吉の奇妙な失踪が由子の耳へも伝はつた。  他巳吉を大阪で新潟行きの汽車へ乗せ、そして澄江は満洲国へ行つたといふ。卓一は他巳吉が帰つてきてから、やうやくそれを知つたのである。卓一への言伝の一句すら他巳吉は託されてゐなかつた。もはやそんな友達すら知らないやうな澄江であつたと他巳吉は左門に語つてゐた。 「とにかく気丈なお嬢さんだね。毎日元気が良かつたね。なんといつたね。はやりの文句で。ほがらかかね。まづは、そのあたりさ。いやはや、どうも。俺もとんだ若返りだ。神戸も見た。毎日いつぺん、きつねうどんを食べたがね。なんとかいふ舶来のペアノ弾きを大阪で聴いたね。南の方もやつぱり冬はおんなじ寒ささ。つまるところ俺にも半分このたびのことは呑みこめないね。まるで、夢だ」  と他巳吉は卓一に語つた。  澄江は去つた。それでいいのだ。当然どこかで区切らねばならないことであつたのである。これでどうやら清々したと卓一はたしかにホッとしたのであつた。けれども彼は心に暗黒の涙を流した。それも亦恐らく事実であつたのである。然しどちらも事実でないと言へないこともなかつたのだ。木村重吉が由子に語つた言葉によれば「あのひとは何事もなかつたやうに冷静であつた」のである。 「大寺さんの失踪の動機は──」木村重吉は卓一にきいた。「編輯長は色情のせゐだと解釈しますか」 「勿論それも言へるだらう。面白いのは叔父の左門老人がそこに主点を置いて解釈しやうとしてゐることだ。僕も反対はしなかつた。さう言ひきつてもいいからだ。そのうへ彼は必ずしも自分の説を信じてはゐないからだ。彼はちかごろ唯物的な極論を好んで弄したがる傾向なんだね。実際の気持がその逆でありすぎるせゐもあるのだらう。動機の解釈は結局なんでもかまはないのだ。宇宙的な空とでも言つてよからう。逃げたい心とも言ふことができる。芭蕉の旅も大寺老人の失踪も、詮じつめれば、ひとつ穴の貉だね。動機よりも失踪といふ事実の方が全部だよ」 「僕は然し大寺さんの場合の方が、凡人の生々しさがあるだけに芭蕉の旅よりも、もつと厳しい人間的な悲劇のやうな気がします。けれども僕は苦悩だとか呻吟といふ言葉は使ひたくないのです。僕はただ夢といふ言葉で言ひ表したいのですよ。夢が人間のせつない思ひの全部なのです。この現実はたとひどれほど知性的に生きるにしても、どうしても夢を割り切ることだけはできないのだと」 「すると君──」卓一はやや狡猾な光を瞳に宿して木村重吉に笑ひながら問ひかけた。「夢のせつなさは失踪しなくともあるものだらう。すると、失踪したといふ事実の中には、同じ夢のせつなさにも、さらに特別の人生的な深さがあるのかね。そして失踪しない奴は彼のもつ夢のせつなさにも深さがないといふわけか」  木村重吉は暫く沈黙してゐたが、怒つて言つた。 「それは僕が今軽率に答ふべき問題ではありませんよ。現在編輯長自身が手を焼いてゐる重大問題ではないのですか」 「いや僕自身の当面の生活態度の問題としてではなく、かりにこれを文学の問題としてだよ。かういふことが言へないかね。まづ第一に、夢のせつなさは必ずしも失踪といふ事実が起らなくとも在るものだといふことを僕は仮定する。そこで第二に、失踪といふ事実によつて、夢のせつなさが解決されたわけでもなく、また問題が終りを告げたわけでもないといふ仮定が生まれる。しかも失踪とか、自殺とか、感動とか、さういふ事件は、その人の生涯の時間の中では極めて短い時間で、その人の人生の大部分は事件ではないのだ。ところが我々の習慣的な思考は、とかく事件に意味をもたせがちなのだ。現に文学すらさうだ。文学の興味の問題ではなく、文学の意味の問題としてもだ。その結果我々の実人生でも意味の転倒がはじまるといふ奇妙なことがありうるのだね。たとへば自殺といふ現象だね。これはひとつの現象で意味ではないのだ。ところが事件に意味をもたせがちな習慣のために、自殺者自身が自殺を意味と混同する。たとへば、ここにある条件があるために自殺といふ現象が生まれてくるといふわけなのだが、ある自殺者は自殺がまるで目的のやうに思ひこんだりする。凡そ目的としての自殺なんて無意味なことだ。必ずしも自殺を目的とするのでなくとも、自殺の条件となつた事柄よりも自殺の方に重きを置くといふ錯倒は甚だ多くの自殺者にありがちだと思はないかね。言ふまでもなく我々にとつて死といふことほど重大な事件はないかも知れない。だから自殺は本人にとつて常に大きな出来事だよ。けれども君、我々がもし自殺しなければならないとすれば、そこには常にそれ相当の事情といふものがあるわけで、我々の問題はその事情だ。自殺自体が問題ではないのだ。事情と自殺を秤にかけても、どつちの方を選ぶべきだといふ答のでるべきものではないよ。尤も稀には、どうしても死ぬよりほかに仕方がないと思へるやうな自殺の場合がないでもないね。芥川龍之介の場合がほぼさういふ自殺の例ではないかと僕は考へてゐるのだ。あの人は自分の生活や生命の滲んだまことの眼、まことの教養といふものを知らなかつた。よそから借りた博識で芸術らしきものを創つてゐたのだね。その博識がまことの教養に敗れたのだ。あの人の自殺はさういふものだと思つてゐる。博識は学校の教室からでも学べるし、十年も努力すれば一かどの博学になれるだらう。然しまことの教養はさうはいかない。何代の血を賭けた伝統とそして誠実一途な自省と又幾分は天分の中からでなければ育たない。芥川龍之介は教養をたてなほさうと足掻いたが、その時はもう彼が足を降さうと努力しても、大地の方がむしろ足から遠のくやうな悲劇的な事態になつてゐたのだと思ふね。つまり伝統や祖国やふるさとや生活の中へ足をつけて立ち直らうと焦つたのだが、その時はもう伝統や生活や祖国の方がまるで彼を棄てるやうにあの人には見えたのだらう。あの人は死ぬ前に漸くボードレエルの伝統が分かり、コクトオやラディゲの伝統が分かつたのだ。言ふまでもなくそれは彼の伝統ではなく、おまけに彼自身は自らの伝統や生活の中に育つた眼すら持たなかつたことに漸く気付いたのだと思ふね。つまり誠実な生活がなかつたのだ。芥川の死後に発表された二三の断片、これは芥川全集の普及版の第九巻にはじめて発表されたものださうだが、それ以前に発表されたものには到底見ることのできない悽惨な然し誠実な敗北のうかがはれるものがあるのだね。ある時ひとりの農民作家が芥川を訪ねてきて自作の原稿を読ませるのだ。芥川が読んでみると一人の農民が生活に困つて生れた赤ん坊を殺すといふ話だが余り暗くてやりきれないのだね。こんな生活が実際在るのかねと芥川がきくと、俺が殺したのだよと農民作家がぶつきらぼうに言ふのだ。芥川が返事に窮してゐると、殺すことは悪いことだとあんたは思ふかねと客が訊く。芥川はまとまつた思想を思ひつくこともできなくなつてしまふのだが、その客が立ち去つてしまふと彼は思はずただひとり捨て去られたやうな寂寥に襲はれて、ふと二階へ登り窓の外を眺めたさうだが、もとより客の姿を眺めるためでもなかつたのかも知れないが、客の姿は木立の向ふの道の上にはもう見えなかつたさうだ。そんな話を書いた断片があるよ。芥川の残した芸術はボードレエルの一行に如かないものかも知れないが、この断片は地上の文章の最大の傑作のひとつだと思つてゐるよ。この断片にうかがはれる彼の寂寥は悲痛きはまるものがあるね。知性の極北にさぐりあてた失意、寂寥といふ気がするのだ。誠実な生活をもたなかつた芥川は、一農民の誠実な、然し平凡な生活にすら完全に敗北を覚えたのだらう。結局彼の敗北は誠実きはまるものだつたのだ。死なざるを得ない極地のものがあると言つていいやうに思へる。恐らく最も悲劇的な自殺のひとつだと僕は信じてゐるのだね。知性のすべてをあげて悪闘し、なほかつ悲痛な敗北のみがあつたのだから、やむを得ないと思ふのだ。貧乏とか、病気とか、失恋とか、誠実な知的内省を賭けない失意感とか敗北感とか寂寥とか、さういふものは自殺の決定的な原因にはならないのだ。それは死ななくとも済むものだよ。単に偶然のきつかけで死ぬにすぎない。芥川の場合はさういふものではなかつたのだ。──ところがだね。前置きが長くなつたが、僕が君に言ひたかつたことは次のやうなことなのだ。芥川龍之介ほど誠実な悪闘の結果自殺をした人ですら、なほかつ自殺に意味を持たせてゐるといふ幼稚な誤りをまぬかれなかつた。──恐らく時代のせゐなのだ。洋の東西を問はず時代の思考がすでに間違つてゐたのだ。ラディゲの作品の序文に彼の死に就いて述べてゐるコクトオですらさうだつた。そして芥川もまた間違つてゐた。然し芥川龍之介は自殺の外貌形態に於て間違つてゐたけれど、その真実の内容に於ては極めて凄絶のものであり、外貌形態の間違ひによつて些かも汚されてはゐないのだ。けれども彼の自殺は一見鼻持ちならぬ安つぽさを漂はし、芝居気たつぷり、衒気いつぱいのものに見える。人々はその外見に顰蹙して彼の死をいい加減に見あやまりがちだが、僕は然し彼の死は日本に稀れな悲劇的な内容をもつたものだと信じざるを得ないのだ。要するに、彼ほど誠実な知的敗北をした人ですら、なほかつ自殺を意味と混同する幼稚な誤りを犯してゐるといふことが、一見莫迦々々しく見えるほど、同時に我々がその誤りを甚だ犯し易いといふことを暗示してゐると思ふのだ。だから、たとへばその逆の場合が稀れにある。たとへば牧野信一の自殺だが、これも亦なかば時代精神のせゐがあると思つてゐるが、彼の自殺には芝居気がない。つまり自殺と意味を混同してゐないのだ。そのために自殺の外貌に凄味があるのだ。その外見を比較して、人々は彼の死の場合の方が芥川の場合より深刻な内容をもつてゐるやうに考へがちだつた。然し牧野信一の失意や寂寥は極北の知性を賭けたものではなく、もつと漠然とした失意感、敗北感、寂寥であつて、孤独、貧乏、病気、女、さういふやうなものだつた。必ずしも死ななくとも良かつたのだ。あの自殺した時間の偶然がなかつたら、現に生きてゐるかも知れない。生きてゐても不思議ではないのであるし、同時に彼の生活態度も文学も、従前通り殆んど変りはしなかつたであらう。然しながら芥川龍之介がもし生きつづけることができたら、それは殆んど奇蹟的な場合だが、彼の文学は一変したに相違ないと僕は信じて疑はない。それだけに芥川の死はいたましく、また僕にとつては惜しいのだ。生前残した芸術のためにではなく、死ななければ残したであらう芸術のためにだよ。──話が思はぬ方向へそれていつたが、つまり僕は思ふのだ。牧野信一の自殺の場合の芝居気のなさが大体暗示してゐるやうに、ちかごろは自殺と意味を混同することがわりと好みに合はなくなつてゐるのだね。つまり時代の感じ方が大人になつてゐるのだよ。感じ方。そして好み──僕は今さういふ言ひ方を用ひたが、僕はその言ひ方が正しいのだと思つてゐる。つまり知的な探究の結果自殺と意味を混同しなくなつたのでなく、いはばひとつの感じの世界で、芝居気たつぷりの事大性が好みに合はなくなつてきただけの話だ。着物の柄と同じやうな、単に好みの進歩だよ。文学にしてもさうだ。平凡人の平凡な日常生活に主題が次第に移つてきた。然しそれも大体に於てやつぱり好みの変化だと言へないこともないと思ふね。知的探究の結果ではないのだ。事実に於て我々の実人生の大部分の時間といふのが、事件ではない。いはゆる事件の意味をなすところの甚だ複雑にして平凡な単調が人生の大部分の時間なのだ。時代の好みが事件を離れて次第に平凡ではあるが複雑な意識内の生活へ向いてきたのは、まづ当然な話だと言へると思ふね」 「さうですね。だいたい我々の感じ方が異常さや衒気に反撥しやすくなつてゐるのは事実ですね。そこで編輯長は、つまり、我々のさういふ好みや感じ方を知的探究の結果のものに直さうといふのですか。そして事件ではなく事件の意味に焦点を置き、その意味の扱ひ方、見方、それを新らしい知的な角度でつくりなほさうといふわけですか」 「さう考へたときもあつた。然し近頃の僕の意見は大体に於てその反対へ傾きかけてゐるのだ。つまり改めて事件へ生活の焦点を据えたいのだ。なるほど我々の事件は一生の時間の中のきはめてわづかな部分しか占めてはゐないよ。然し人生の大部分の時間を占めてゐるものが必ずしも人生ではないね。むしろ事件──いや、ひとつの意志によつて創りだされ、そして意志なくしては在り得なかつた新らたな局面だね。それだけが人生のすべてだといふ風に見たいのだ。意志によつて変化せしめられることなく単に環境に押し流された人生だとか、あるひは又意識の内部に意志の悪闘はあつたけれども意志の表現の不足した人生は、たとひ百年のすべての時間を占めてゐても、結局在つて無きが如きものだと思ひたいのだ。大寺老人の夢のせつなさは失踪しなくともあつたものに違ひないが、僕は然し夢のせつなさや抽象的煩悶だけでは人生にならないのだと思ふ。失踪がそれにからまる抽象的煩悶の全部でそして人生なのだ。行はないといふこともなるほどひとつの意志でありひとつの行為には違ひないが、然し元来行ふことが問題となつたために、はじめて行はないといふ態度が意味をなしてきたわけだ。行はないといふ意志が独立して存在したのでは、意識の内部の生活すらはじまらないと思ふね。決行を強ひるものが現れてから、その反対も現れてくる。そして結局決行することがなかつたら、その意識の内部の生活はいかほど複雑豊富であつたにしても、なかつた昔と同じことで、そこには生活がないやうな気がする。我々の一生に決行を強ひるものは無数にあるね。そのうちの何を選んで決行したかがその人の人生なのだ。つまりだよ。僕のこの見方でいふと、人生とは、意志することによつて創りだされるものだと言はなければならなくなるが、君はこれを奇矯好みの言ひすぎだと思ふかね。然し僕はもつと極端に考へたい気持があるのだ。たとへば我々の性格だ。性格は我々にとつて宿命的なものではない。我々は意志することによつて性格を作り変へることもできるもので、ある人の一生がその性格に負けたとすれば、その人の生活が意志的でなく、知的でなく、そして不誠実であつたのだと言ひたいのだ。恰もこれ意志万能論だね。然し僕がかういふ理窟をこねまはしても、それが僕のなんの役に立つのかとも思つてゐるが……」  木村重吉は即座に答える言葉がなかつた。考へてみても結局その場でまとまりさうな自分の意見もなささうだつたが、なによりも卓一が、もはや問答を欲してゐない素振りを見せてゐたからだつた。 「それはつまり──」木村重吉はやがて静かに言つた「編輯長の自分に対する反逆ではないのですか」 「さて……」卓一の顔の上をなんの感動も掠めなかつた。木村重吉の問ひかけたことが、すでに彼をこねくりまはした陳腐な問題であつたからかも知れなかつた。そして彼は答えなかつた。その饒舌が、暇つぶしの役にすら立ちやしない、と彼の物憂げな顔付が語つてゐる。木村重吉もそれに甚だ同感だつた。  木村重吉はその日のことを由子に語つて、かう言つた。 「要するにうちの編輯長のやうな人に向つて他人が何を言へますか。あなたの勝手にしなさいと言ふよりほかに手のつけやうはありませんよ。あの人は自分の世界があるばかりで、凡そ見事に他人の世界を持たないのですね。自分の行為、自分の仕事に対しては、自分の批評がすべてなのです。人の批評はなんの力にもならないのですよ。だからあの人は自分の問題がはじまると、はじめて他人の同じ問題がわかるのです。だから他人の問題を足場にし、それを利用して針路を定めることがなく、あらゆる歴史が自分の中から始まるのです。ですからうちの編輯長のこねくりまはしてゐることは、何千年の昔に人が考へてゐたやうな、ひどく幼稚なことですよ。ただあの人にとつては、それが常に実践の足場として問題になつてゐるので、理論としての幼稚さが一概にさうも言へないのですね。そしてあの人は自分勝手な軌道でこの先何をやらかすかとても見当がつきませんよ。あの人にとつては自分が歴史の一切であつて、この世の歴史すら無に等しいのですね。いはば原始人であり、同時に歴史の最後に生れた人でもあるのです。あの人はいつかあなたを評して犯罪を感じさせるひとだと言ひましたよ。また古川澄江さんを批評してやつぱり犯罪を感じさせる女だと言つたのですね。あの人の場合にその犯罪といふ言葉がどういふ特殊な内容をもつてゐるかは問題外として、犯罪といふ言葉が面白いぢやありませんか。つまり普通行はれてゐる色々の批評の言葉や感じ方が問題にならず、犯罪といふ言葉が特に問題となるところに、批評を受けたあなたよりも、批評したあの人自身の特殊性が現れてゐます。そして、あなたや古川さんが犯罪を感じさせるといふ意味で言つたら、うちの編輯長自身ほど犯罪を感じさせる人はありませんよ。あの人には加害者の要素が激しいのです。自分以外のあらゆるものを先天的に被害者としか感じることができないのですね」  澄江の失踪。──もとより事情のあることに違ひはないが、由子に事情は分からなかつたし、分かりたいとも思はなかつた。話に興味がなかつたのでなく、もはや卓一に興味がなかつた。自分を棄てて遠距かつた男の噂として、ききたくない潜在意識がはたらいてゐるせゐだとも思へなかつた。思ひだすと、卓一の場合ほど科白のない恋愛もなかつたのだ。否。恋愛といふ言葉とそして内容がこれほど拒絶された愛情を思ひだすことができないのである。なるほど卓一が好きではあつた。卓一もまた由子が好きであつたのである。そして二人は「好き」といふ通りいつぺんの感情をまもり、それ以上の激しさをもつた感情を、決して恐れてゐたのではなく、莫迦々々しいと思つてゐた。──思ひだすと、たしかに由子は莫迦々々しいと思つてゐたのだ。どう考へても、莫迦々々しいと思はせられてゐたのではないのである。それがいくらか寂しかつた。淡い屈辱を感じさせられ、興ざめたうら悲しさを覚えぬことはないのである。  なぜなら──由子は屡々己れの冷めたさに思ひ耽ける時間があつた。未練といふ言葉に就いて自分の心を思ひだしてみさへすれば、自づと己れの冷めたさが分かるのである。誰に未練があつたであらう! 誰に未練もなかつたのだ。野々宮にも。卓一にも。それから昔の恋人にも。そして初恋の男にすら。  然り恋人として未練のあつた一人の男もなかつたのだ。男はただ「好き」であればそれでよかつた。それ以上の激しさには不感症にちかい由子であつたのである。──けれども由子は自分のさういふ冷めたさが誇りでもなく又好もしくも思へなかつた。人は誰しも己れを愛さずにゐられないから、由子も自分の冷めたさを常にいたはりはしてゐたが、同時に常にうら悲しさを忘れた時がないのであつた。  恋人としてはあらゆる男に未練がなかつた。然し結婚を対象にすると──いくらか事情が違はないかと、由子は思ふ。  結婚といふことになると、由子の気持は甚だ淡白になれないのだ。たとへば今度の卓一と澄江のことを例にとつてみてもいい。愛情のうるささ。それを逃げたい人の心が分からぬ由子ではなかつた。むしろ由子は澄江にも増してそのうるささに堪えられぬ心に馴れてゐたかも知れぬ。けれども、卓一がもし結婚の意志をもつて由子に接してゐたとしたら、由子は果して澄江のやうに振舞ふことができたであらうか。卓一から逃げることができたであらうか。由子に省みて、いささか疑問に思ふのである。実際事に当らぬうちは、多少のひけめが過大の不安を生むものだ。由子の場合もそのひとつで、実際事に当つてみると又局面も自づとひらけ、かねて不安を感じたやうな惨めな自分でなかつたことを当然知りうるのかも知れない。それも甚だ有りうることだ。けれども然しさういふ悟つた考へ方もしてゐられない由子であつた。実際由子は省みて、まるで澄江に負けたやうな、淡い寂寥を感じたのだつた。それは澄江が由子から卓一を奪つたといふ意味ではない。愛情のうるささ、それを逃げたい孤独の魂。それは誰しも心に秘めてゐるにしても、唯一の男、そして結婚、それすら逃げた澄江の心の打算のなさ、純粋さが、いくらか敵はぬ思ひがした。勿論理窟はどうにでもつく。唯一の男の場合だから、打算の働く余地もなく、ひたむきに逃げざるを得ぬ澄江であつたと見られぬこともないのである。然し理窟は所詮表面の気休めにしかならないのだ。由子の本心はたしかに淡い敗北を感じた形であつたのである。  恋人としてはあらゆる男に未練がなかつた。それはうるさく、そしていくらか陳腐であつた。けれども然し同じ彼等が良人としての新らたな資格で現れてみると、彼等の恋人の資格は消え、それゆえ恋のうるささは消え、打算と妥協がまづ第一に自分の問題となるであらう不純さそして俗人ぶりに由子は気付いてゐるのであつた。恋人としてはあらゆる男に未練がないが、良人としてはあらゆる男に未練があつた。──否むしろ、妥協の余地があつたのである。  さういふ自分は不純だらうか。狡猾だらうか。俗物だらうか。否々! 女なのだ。弱いのだ。そして同時にこの弱点までさらけだした自分の姿は、冷めたい女であるどころか、むしろ甘い女なのだ。性格としての冷めたさだとか甘さなんか、どうでもいい。女として、最後のものが甘いのだ。卓一は由子を冷めたい心の女だといふけれど、卓一には、女が、そして女の弱さが、わからないのだ。自分は結局ひとりの甘い女なのだと由子は思つた。  恋はうるさい。恋の余分な情熱は莫迦々々しいと由子はたしかに思つてゐた。然しさういふ感情すら妥協の余地があつたのである。もしも自分を妻としてもとめてくれたら、恋の余分な情熱は莫迦々々しいと信じる自分であるにしても、妻として女としての自分の態度はまた違ふ。自分を歪め、屈従せしめ、うるささや莫迦々々しさに甘んじてついて行きたい気持なのだ。恋のうるささ。恋の余分な情熱を莫迦々々しいと信じてゐたが、恋を否定しそれを逃げたいわけではなく、そのうるささや莫迦々々しさを承知の上で、甘んじて妥協したいことがあつた。自分はもとより求道者でなく、真理をもとめてゐる人でもない。要するに、ひとりの弱い女なのだ。  そのくせ由子はひとりの弱い女のやうに振舞ふことができないのだ。できないのでもないのであつた。自分の意志ではどうにもならない宿命的な悲劇のやうな思ひがした。──男がそれをさせないのだ。男がそれを拒むのだ。さういふ男とさういふ事情になるやうな宿命だけが分かるのだつた。そしてさういふ感じでいふと、恋の余分な情熱が莫迦々々しいと自分が思ふわけではなく、自分は結局思はせられてゐるのである。男の意志が結局自分をさういふ風にしてしまふのだ。そのくせ自分をふりかへると、男の意志でさういふ風に思はせられてゐるわけではなく、自分自身の意志によつてさういふ風に思つてゐる──まるで男と相対峙して一歩もゆづらぬ丈夫のやうな気構えだけがすべてなのだつた。滑稽である。否むしろ侘しい思ひがするのである。なにがなし蒼ざめた苦笑を感ぜざるを得ないのだつた。要するに由子の心は素直でなかつた。そのことだけは否応なしに由子も一応認めなければならないのだ。それすらも然し悲しい宿命としか分からない。己れのために慟哭したい時間もあつた。 「満洲国に古川さんのお友達でもゐるの?」 「新京に叔父さんとかがゐるんださうです」 「私また当もないのに思ひきつて満洲国へ行つたのかしらと思つたわ」 「そんなこと、実際できるものですか? 女のひとに」 「さうかしら」 「さうかしらつて?」 「あなたはできないと思つてゐる?」 「あなたはできると思つてゐますか。いや、思つてゐるかの問題ではなく、実際断行できるかしらといふ意味なんです」 「深い意味はないでせう。境遇によることだわね。私のやうな身寄のない境遇だつたら、知らない土地へ行つてしまふわ」 「然しですね。意識の内部のことではなく、行動の問題としてですよ。私達はあらゆることを考へることができます。然しそれを行ふことは。──先日編輯長ともその話をしたのですね。編輯長は意志がそして行動が人生のすべてだといふのですよ。私達は然し結局何を行つてゐるでせう。なるほど心には色々と思ひきつたことも考へがちのものですけど、要するに一生を通じて行ひ得たことは、殆んど誰に差し障りもないやうな平凡無難なことばかりではないのでせうか。意識の内部と行動とは自づと世界が違ふやうに思ふのです。行動の世界は意識の世界のやうに万能ではありません。そして私達人間にはその万能でないこと、不自由さ、そして平凡さがまぬかれがたい約束のやうに思へます。僕は時に決断、そして断行が最も重大だとは思ひますが、主として人間実際の行動の不自由さ平凡さを基調とした物の見方、生き方を基本的な態度として用意することも必要だと思ふのですね。常識的だと言へばそれまでです。けれども僕は人間がそもそも常識的な生物だと思ふのですよ。誰しも行動の世界では常識人にすぎないのです。一見非常識に見え、異常人だと言はれる人でも、彼のそして我々の意識の内部に比べたら、彼も矢張り常識人にすぎないのです。意識の内部に比べたら、行動はたかが知れてゐるのですね。そしてさういふ考へ方は、考へ方の基礎として甚だ必要だと思ふのです。我々はその程度には老成することが必要ではないのでせうか」 「だけど結局その人の一生の宿題だけは思ひきつて行つてゐるんぢやないの。まはりくどい手間がかかつてゐるにしても、結局一度は何かの形で思ひきつて行つてしまふのよ。私にはさう思へるわ。私達の身辺をごらんなさい。年中陳腐で平凡で小説的な事件なんかないやうに思へるけど、古川さんは満洲くんだりへ失踪したぢやありませんか。大寺さんの失踪もあるわ。田巻文子さんの駈落にしろ、断髪させたりダンスホールへ通はせたりした田巻さんにしろ、異常でせう。新潟へ落ちのびてきた卓一さんだつて、きつと自棄まぢりに思ひきつてやつちやつたのよ。そして私のお妾志願も案外そんなところでせう。結局みんな自分の一生は退屈で陳腐で平凡だと思ひこんでゐるくせに案外自分の宿命だけの行動は思ひきつて行つてゐるのよ。自分では気付かずに、力いつぱいの生き方をしてゐるのよ。まはりくどい手間をかけたり、散々退屈したりして。そして誰の一生も平凡ぢやないのよ。自分だけの宿命は仕遂げてゐるんですもの。私には意志なんか分からないのよ。自分では意志のつもりでゐる人も、意志の形をかりた不可抗力で、宿命の道を歩かされてゐるやうにしか思へないのよ。とにかく思つてゐることは、何かしらの形で行つてしまつてゐるわ」 「けれども人間はとにかく理知があり意志があり、そして当然な打算や計量が生活の基礎ではないのですか」木村重吉はやや呆れた面持だつた。「あなたのやうな理知的な人が──」彼は唸つた。「人間だけは自然の子供ではないやうに思へるのですが。自分の生涯がそんな儚いものに思はれたら、生きるにも寄辺なくて堪えられなくはありませんか」 「さうかしら」由子の顔に淡い困惑の色が浮かんだ。その困惑は、由子の言葉が、彼女の真実の声であつた証拠のやうに思はれた。そして木村重吉の反駁に、思はずはたと当惑した芝居を忘れたひとときの顔のやうに思はれた。「だつて、寄辺ないかしら。宿命に押し流されるのは気楽ぢやないの。理知だの意志だの、そんな鋼鉄のやうなもので、なにかしら自分の一生を拵へて行くんだとしたら……私にはその方が寄辺なくて、心細さに堪えられないわ。行手の重さや厳しさに泣きたくなつてしまふぢやないの。私には自信がないのよ。人に比較して自分の力を自惚れることすらできない感じよ。自分で道をきりひらいたり、宿命をつくりなほして行くなんて、そんな厳しい大胆なこと。自然の子供で満足だと思つてゐるわ。それが儚いことだつたら、私はその儚さをいたはりたい……」  情熱や感傷に騙されることを極力避けるこの女がと木村重吉は思つた。そして男の眼にすら逞しいまで己れの批判に己れを縛りとほしてゐる厳しさを映させるこの女が。──思ひがけない由子の言葉に、騙されてゐる思ひがせぬでもないのであつた。この人の現実の姿はこの詠嘆の逆なのである。そしてこの詠嘆はいはばこの人の子守唄のたぐひなのだらう。その子守唄で瞬間自分を甘やかし、しばしの眠りに誘ひこもうとしてゐるだけのからくりなのだ。そのからくりに危く自分も騙されかけてゐるのだと木村重吉は思つたのである。たとひ所詮はからくりにしても……木村重吉はまた思つた。由子の顔にふと刻まれた淡い当惑の色を思ふと、芝居や計算をはみだして思はず洩れた行路の愁ひといふべきものがしのばれるのだ。行暮れて道に迷つた当惑のせつなさだつた。厳しく強く生きるひとであるゆえに、そして女であるゆえに、由子の秘めたせつなさが木村重吉の心を暗くさせるのだ。いたいたしい病める心の女よ。と。  田巻左門が死んだ。  葬儀のために木村重吉は多忙であつた。 「私おくやみに行かないわ」と由子は木村重吉に言つた。それは告別式の前日だつた。「私だけど葬式に参列すること好きなのよ。だつて小気味いいほど完全に空虚な礼儀だけなんですもの。死んだ人のこと考へてる人誰もないわね。考へさせないやうに出来てるくらゐよ。安心できるの。私悲しさうな顔をして、おくやみ言つたり、焼香することほんとに好きだわ」 「うちの編輯長も同じやうなことを言つてましたよ。葬式も一時間ぐらゐなら案外新鮮で面白いのだが、といふやうなことを。参列は一二時間で済みますが、その準備をする私達はお祭の仕度以上に目が廻ります。さういふ意味では、誰よりも家族達が、死んだ人を忘れてゐるのが葬式かも知れませんね」  葬式ほど色つぽいものも稀れにしかない──それはもう昔から我国の市井の生活に根を張つた俗な感覚のひとつであるが、恐らく然し今日もなほ凡そ葬式のたびごとにこの感覚は新らしい。我々にとつて、色情自体が古風でありうる筈がない。そのゆえに悲哀と情感の関聯は未来に於ても恐らく常に新鮮でありうるだらうが、由来この感覚を一際深刻ならしめる一因として、儀式自体の完全無類な内容の空虚をあげないわけにいかぬのである。従而この新鮮な色情を見出した日本の昔の市井人は勝れた粋人であるけれども、粋者の感覚であると同時に、むしろこれはより多く虚無家の感覚でもあつたのだ。 「要するに儀式は、葬式だつて、賑やかなほどいいですね。景気をつけるために、あなたも出向いてはいかがですか」と木村重吉は冗談を言つたが、由子はもはやとりあはなかつた。──要するにそれだけのことなのである。告別式に出向かないと約束めいた言葉を誓つたわけでもなく、また深刻な心理を孕んでとりかはされた言葉でもなかつた。そもそも左門の告別式の出欠が、それほどこだはらねばならぬ事情のものではありやうがない。そして木村重吉自身にしてからが、告別式に由子の姿を見出して吃驚するまで、その出欠にこだはる気持を微塵も感じてゐなかつたのだ。 「どうして告別式に来たのですか」木村重吉は由子をみると思はず詰問の調子で唸るのだつた。「僕はびつくりしましたよ」 「急に行く気になつたのよ。一応の礼儀だから」  この男まで──由子はうんざりするのであつた。どうして人はかうまで気軽にとかく特殊な関係に立ち入ることを好むのだらう。そして人の生活へ特殊な食ひ込みかたをしたがるのだらう。 「行つたことが悪いの」と由子は言つた。人のきかれたがらぬこと、そして厭味めくことを言ひたがらない由子であつた。それゆえ余りのうるささから思はず発した言葉であつたが、実際の声となつて外部に現れる時間のうちに意識せぬ意志がはたらき、厭味や皮肉のあくどさは翳もとどめてゐなかつた。のみならず、それはむしろ自分に厚意をもつ男への甘える声に姿を変えてゐるのであつた。余りにも思ひがけないことだつた。味気なさ、自嘲、寂寥。そして夏雲のやうな放心。思はず心が蒼ざめてしまふのだ。 「行つたことが悪かつたの」  由子はいくらか皮肉な調子で言ひ直した。それは然し由子が心に意識したほど皮肉な言葉にならなかつた。けれどももはやそれでよかつた。言葉は心の思ひのままにならないけれど、そのために自ら傷く厳しい時間はすでに過ぎ、舌足らずの効果を逆に利用して、木村重吉をひそかに揶揄するさもしい余裕ができてゐた。そのさもしさを今更悔いてもはじまらないと由子は度胸をすえるのである。そして悪事を企らむ人の優越をたのしむ心にひとときの空虚な満足を覚えた。  然し由子はいくらか違算を犯してゐたのだ。木村重吉は由子に恋情をいだいた覚えがないのだから。 「あなたの言ひ方は子供のやうに皮肉ですよ。僕も言ひすぎたかも知れません。僕はただほんとにびつくりしたのですね。あなたは告別式に来ないものと思ひこんでゐたものですから。ただそれだけのことなのですよ。いい加減なことを言ふあなたではないのですから」と彼は言つた。  もとより木村重吉にも裏面にひそむ感情がある筈だつた。彼の自ら意識する感情だけが彼のすべての心であると言ひ得ないのは言ふまでもないことではある。然し木村重吉は一面甚だ単純に人を信じる男であつて、その信頼の世界では子供のやうに純一な感情に還る人でもあつた。一面世俗の感情に馴れ、世馴れた分別をもつ彼であるだけ、信頼の世界に見せる単純きはまる感情はむしろいささか異常に見え、奇怪なものにも見えたのである。  然しもと〳〵告別式の問題は木村重吉のこだはり方が奇妙であつた。  告別式にでないといふ由子の言葉は約束の意味をもつたものではなかつた。木村重吉にその返答をせまられて答えた言葉ですらないのである。むしろ由子が自らその話題にふれたものであつたのだ。恐らく由子のとりとめもない想念が、たまたま木村重吉との対談中ふとそのことに触れたがためであつたのだらう。その場限りの気まぐれな感情とみて差支えないものだつた。木村重吉にしてみても、翌日の由子の出欠を訊きただしたい目的をもつてゐたわけではなかつたから、もしもあのとき由子が自ら言ひださなければ、恐らく木村重吉も由子の出欠を問ひもせず、結局そのことに微塵もこだはる心をもたず翌日の告別式を迎えたのではあるまいか。──葬式もどうせ儀式のひとつで賑やかなほどいいのだから、あなたも景気をつけるために出向かれてはと、そんな冗談を言つてゐるほどあの時は軽い気分の木村重吉であつたのである。  要するに由子が自ら言ひだしさへしなければ、翌日の告別式の出欠は木村重吉の問題にならなかつたのであらう。由子が自ら言つたばかりに、その場の軽い感情からでた一言が、あたかも堅い約束のやうに、木村重吉に思ひこまれてしまつたのである。それほどもその言葉に狎れすぎてしまつたのだつた。そしてそこまで狎れすぎるためには、木村重吉も自らそれと気付かぬところに、それに相応するだけの気持がなければならなかつた──さういふことは一応言へるに相違ない。  かういふことを或ひは言つてもいいだらう。木村重吉が由子の出欠を問題にしてゐなかつたのは、その問題に淡白であつたためではなく、由子の欠席を信じきつてゐたからだと。即ち由子の出欠は問ふまでもないことだつたのだ。はからずも、たまたま由子が彼の確信通りのことを言つたがために、それに狎れすぎ、恰も堅い約束のやうに思ひこんでしまつたのだ、と。さういふ憶測が言ひ得るものと仮定すれば、由子がそのことを言ひだすまでてんで問題にしてゐなかつたといふことが、逆に由子の欠席を確信しきつてゐる心の深さを表してゐるのだと言へないこともないだらう。然し同時に、自らはその確信に気付いてゐないのではないかと疑ることもできやうし、或ひは気付いてゐたにしても、その確信の深さ堅さの反面には、その確信にてんで自信がなかつたからだと言へないこともないだらう。なぜならば、要するに由子がそのことを言ひだすまでは、その確信が彼の表面の問題になりえなかつたからである。  それゆえ仮りにかういふ場合を想像したらどうだらう。かりに由子が告別式の出欠に就てなんらの意志表示をもしなかつたと仮定する。そしてなんらの前ぶれもなく告別式に現れたものとするのである。勿論木村重吉の胸底には由子の欠席を確信するものが潜んでゐると仮定したうへでの話である。そのとき彼はどういふ感情をもつて由子の出現を迎えたであらうか。──  恐らく木村重吉は由子の弔問が甚だ当然であるかのやうな表面的な気持を感じ、そして殆んど心をみだされることがなかつたのではあるまいかと思ふのである。なぜなら彼は由子の欠席の確信を自ら意識することがなかつたのかも知れないし、たとひ意識はしてゐても、その確信に自信がなかつたからである。それゆえ確信の反対が事実となつて現れてきても、むしろそれが当然のやうに思ふ作用がはたらいたであらう。  たまたま由子が彼の確信するところと同じものを言ひだしたので、彼は己れの確信に必要以上の自信をもつてしまつたのだ。そして狎れすぎてしまつたのだ。然し左様な自信の持ち方、狎れ方が、恋の作用であるかどうかは各人勝手の解釈にまかせる方が便利であり、かりにこれを恋の作用と断じたところで、要するにいらざる労力を費して在つて無きが如き消極的な事実を突き止めた愚を笑はれるにすぎないかも知れぬ。  なるほど我々は次のやうに言ふことはできるであらう。確信の自信のなさ、それはいはばその確信にひとつの禁止がはたらいてゐたからである、と。由子の言葉が禁止のはたらきを開放したのだ。それゆえ彼は不当に狎れすぎてしまつたのである。  何物が木村重吉の確信に禁止のはたらきをしてゐたか。恐らく由子の欠席をひそかに信じてゐたであらう木村重吉は、由子が卓一を忘れきつてしまふことを希つてゐたに相違ない。さういふことは言ひ得るであらう。けれども彼はその心をやましいものに思つてゐたに相違ない。そのやましさが禁止のはたらきをしてゐたのではあるまいか。とはいへそこから、由子に寄せる木村重吉の恋情をひきだすこともいささか早計であらうと思ふ。  私はお妾志願者だと由子は木村重吉に言ふのであつた。のみならず話は着々進んでゐた。木村重吉も承知の上のことなのである。  なるほど木村重吉は一応由子のお妾志願に反対を説えたのだが、それは情熱に偏した人の言葉ではなく、批判者の言葉にすぎなかつた。彼は失恋も意識せず、由子の旦那たるべき人へ敵意や嫉妬も燃さなかつた。──それでもなほ彼の心に恋情の潜む余地を想像することは不可能でないが、それほども自信なく表現なく表面化せぬ恋情は、むしろ無きが如きものである。  由子のお妾志願に落胆せず、その旦那たるべき人に嫉妬を起さず、すでに誰の手を加ふるまでもなく破綻しつつある卓一との愛情にのみ更に一層の破綻を希んでゐるところに、この人の心にひそむ特殊な事情を見るべきであらう。なるほど我々はそこにも尚木村重吉のひねくれた恋情を想像することは不可能ではない。即ち木村重吉は元来由子を我物とすることにまつたく自信がないのである。それゆえ由子を我物とする欲望は表面に現れることがなく、従而由子が他人の妾となることは直接彼の苦痛とならない。そして彼のゆがめられた欲望はまつたくその相貌を変化せしめられ、たとへばすでに破綻しつつある卓一との関係に更に完全な破綻を希むことによつて、その欲望の満足をとげやうとする。いふまでもなく卓一との関係がすでに破綻しつつあつてその完全な破綻に甚だ可能性があるためでもあり、かつまた卓一と由子と自分との三人の関係のみの世界では、卓一と由子の破綻がともかくひとつの独専を彼に約束してゐるからにほかならない。  然しながら我々はむしろ次の如く見ることが一層簡明であり、また確実ではあるまいか。即ち由子へ寄せるところの在つて無きが如き恋情は今更問題とすべきでなく、むしろ卓一への敵対がこの問題の鍵ではないかといふことである。むしろ友情の問題なのである。恋ではなく、愛一般にからまるところの当然なその敵対のひとつなのだ。最も普通にまことの愛は敵意によつてはじまる。我々は常に愛する友への、愛するがゆえの裏切りと陰謀なしに一日のかなりの時間を消費することができないらしい。木村重吉の場合にあつても、由子への嫉妬ではなく、むしろ卓一への嫉妬であつた、と。──勿論私もそれにこだはる気持はない。  連日の葬儀の用に木村重吉は疲れてゐた。そして彼は由子のもとに多くの時間を費さず、いとまを告げて外へでた。  ──私の行つたことがわるかつたの  媚びるやうな揶揄の眼が木村重吉の頭に重くからんでゐた。彼の心は暗かつた。そして怒りが湧いてゐた。失望と、そして裏切られたかの如き愁ひであつた。  所詮は由子も女であると彼は思つた。どうして女はすべて深められた関係を恋情でしか解釈することができないのだらう。我々の周囲には払へども尽きぬ愁ひがあり、嘆けども及ばぬ虚無がある。その世界では恋のごときが果して何ほどの魔力でありうるだらうか。女の心と、そして女の肉体が、渇に対する水ほども、心によつて一途にもとめられる時がありえやうとは思はれぬ。我々が敢て自ら己れを弄ぶ時間のみ女も時に我々の一途にもとめた対象であるかの如き衣裳をまとふて現れてくる。ただそれだけにすぎないのだ。  惚れられてゐる自信。これほども生存の苦悩に縁遠い笑止なる尊大の図は稀にしか見当らないに相違ない。意志的なものも知的なものもないのである。思考を男女の関係のみに限定した狭斜の巷の出来事にしても素直には受入れがたいひとつであるが、まして生存の全的な幅を各々ひろげて縋るやうに交はつてゐる友情の中へ怖れげもなく化物じみた顔をだす、お前は私に惚れてゐると言ふのである。知的なるものの領域では、これに応じて挨拶すべき如何なる礼儀の一言もありようがないのだ。木村重吉は嘆息した。  あのひとですら……いつの世も女は常に救はれてゐるのだ。肉体によつて。男によつて。そしてこの現実に。現実に救はれることのない諸々の男に悲しみと幸あれ。  木村重吉はあるなつかしい思ひをもつて、ふと青木卓一を思ひだしてゐた。彼は闇の深い川沿ひの道を選んで歩いた。暗闇は刃物のやうな冷めたい湿気を孕んでゐたが、友情は香気をふくんで彼の周囲へ流れてきた。 悲しみの子供なれば 悲しみに打ち沈むことなかりき 怖れとあやしみの子供なれば ためらひ戦くことなかりき 心はわたつみの水にして 自ら流す泪なく溺れて果てん渦もなし 生き愛し歌ひたれども ただゆりうごくわたつみの白日の夢なりしのみ くろがねの(所信に富める)詩人ここにねむる  かねて木村重吉はひとつの墓碑銘をつくつてゐた。己れのためのものではなく、また必ずしも青木卓一のためのものでもなかつたのである。今それは然し青木卓一のためにかねて創られてゐたもののやうに思ひだされた。彼の心は、そしてその俄かに溢れる遥かな思慕を甚だ素直に受け入れてゐた。くろがねの詩人よと、彼は卓一の幻に向つて呼びかけた。怖れとあやしみの子供よ。わたつみの水の心の夢啖ふ男。  ──卓一に手紙を書かう……と彼は思つた。そして墓碑銘をその墓の主なる人に捧げやう。言葉は拙く、歌ふ幅は狭くとも、友情を伝えることはできるであらう。友情は孤独の行路に疲れた人のいたはりの世界なのである。それゆえそれは常に孤影悄然たる愁ひを相としてゐるのだ。いたはることの甘さを拒み、いたはられることの愚かさを拒むことは、彼の行路の厳しさを聊かも語ることにはならないだらう。なぜならば、いたはることも、またいたはられることも、それ自体が我々の行路ではなく、そして第一義の生活ではないのだから。まことの行路は孤独でそして厳しいのだ。いたはること、またいたはられることによつて医しがたい世界であり、同時に、そのいたはりを拒むことによつて孤独の相や厳しさを高めうるほど安手なものではないのである。いたはりの甘さを拒むことが直ちに彼の行路の孤独と厳しさであるかの如く信ずる人は幸福なるかな。彼の世界は友情が不要であるほど単純なのだ。友情それは生活の最後の礼儀のひとつであり、また知識の所有に属するところの稀れな礼儀のひとつなのである。ひとりの男によつて救はれることができ、肉体によつて、この現実に、救はれることのできる女達。孤影悄然たる行路がむしろ二義的なものでしかない女達にはフレンドシップが本質的に不要であり、わからないに相違ない。そしてあの由子にも……木村重吉の思ひは巡つて、自然に由子を蔑む論理を運んでゐた。  むしろ手紙を書くよりも──木村重吉は思ひ直した。これから卓一を訪ねてみやう。  彼が田巻家を辞したとき、親戚の人々だけが居残つてゐた。卓一もそれらの人々にまじつてゐたが、特別の用がある筈はなかつたから、彼等のうちにもぽつぽつ帰り仕度にかかつてゐる幾人かがあつたほどだ。恐らく卓一も、もはや大念寺へ引上げてゐる時間であらう。  然し大念寺の離れには主の戻つた気配がなかつた。戸締りを忘れて出たものとみえ、意外に呆気なく戸はあいたが、室内には戸外と同じ冷めたさの闇がはりつめてゐるばかりであつた。  ぶらぶら歩いてみやう、と木村重吉は思つた。そして女のゐる酒場へ──悪徳の棲む酒場へでも這入つてみやうか。歩きながら彼は思つた。  彼は酒が嫌ひなわけではなかつたが、好んでもとめることもなかつた。日本酒なら一合、麦酒なら一本が多過ぎる程で、忽ち顔がまつかになり、十人分の酔をあつめてしまつたやうな賑やかな相貌に変るのである。つきあひの席では飲みもするが、自ら好んで酔ひをかひに出掛けたことは殆んどなかつた。  どこの土地でも新聞記者は酒と一緒に暮しがちなものらしい。この土地の新聞記者もさうだつた。木村重吉は静寂を愛してゐたので、彼等の酒席に加はることがまつたくなかつた。青木卓一に誘はれてエスパニヤ軒の酒場へ二三度でかけたのが、いはゆる酒場と名のつく場所へ出入した彼の経験の全部であつた。エスパニヤ軒は土地で最も高級な社交機関と言はれてゐる。土地の上流の人々が主として出入するところであり、古来からの食堂や宴会室や倶楽部のほかに女の二三十人ゐる酒場があつたり舞踏場があつたりしても、エスパニヤ軒へ行くと言へば山の神も之を許し、人々も之を遊蕩とよばないやうな土地の習ひになつてゐた。従而エスパニヤ軒の酒場といへば一般にいはゆる酒場と種類も品格も異るやうに言はれてゐるが、クレムリン宮殿や法王庁の内部にすら当然の疑惑と憶測の横行しやすい今日、田舎の話にしてからが聊か迂闊千万である。六十才の田舎紳士が人前を怖れることなく奇声を発して女給を愛撫してゐるが、そのことが高級なる社交、ならびにその大精神になんの差しさはりがあるものぞと高説をなす人士があれば、私もまつたく同感であり、敢て異説をとなへやうとは思はない。即ちエスパニヤ軒も高級であるが、どこの酒場も高級なのである。女と酒があつて、そしてその当然の結果があるにすぎないのだ。  その当時まで木村重吉にとつて酒場は不要のものだつた。猟奇の魅力もさして激しく感じなかつたし、手軽に女友達を得られることに憧れも懐かなかつた。もとより酒場の悪徳を憎む心はなかつたのである。いはばただ無関心であつたのだ。そして彼は酒場に就て、極めて普通な、それゆえ手軽な、ある誤れる概念を漫然と把持してゐたにすぎないのである。エスパニヤ軒の光景に二三度接して、彼の誤れる概念は、至極漫然とさらに育つてゐたのであつた。即ち彼は信じてゐた。エスパニヤ軒ですら、あの通りだ。小径の奥の酒と女のある店には悪徳があたりまへに取引されてゐるのだ、と。  彼はいくたびかためらつたのち、極めてしつかりした気持で、さういふ酒場へ這入つてみやうと心を決めた。悪徳の魅力が思ひもかけず彼の心を俄かにいくらか有頂天にしかけてゐた。  彼は遊びに馴れきつた蕩児のやうに、にこにこしながら、一軒の酒場の扉を躊躇なしにぐいと押して中へ這入つた。彼はまつたく落付いてゐた。必要以上のゆとりをもつて内部をゆつくり見渡してのち、自分の座席にあたりをつけて、彼は益々愉しげににこにこしながら歩いて行つた。椅子の上へ帽子を投げだし、無雑作に外套を脱いで投りだすと、お酒だよと女に言つて、女の瞳をしげしげ凝視めて彼は一層たのしげに笑つた。そして女のほつぺたを人差指でちよいとついた。女はその手を物憂げに振り払つて顔を顰めた。 「始めてのくせに、変なことをする人ね」 「始めてで悪かつたな」と木村重吉は益々好機嫌ににこにこした。そして帳場へ立ち去つて行く女の姿を見送ると、漸く椅子に腰を落して、満足しきつた眼をとぢた。然し彼はすぐ眼をあけると、折から横を通りかかつたほかの女に、合図をしたが、女は素知らぬ風をして通りすぎて行つてしまつた。三十ぢかい和服の女と、洋装の若い女が三人ゐた。奥手の方に姿の見えない客がゐて、これも姿の半分見えないひとりの女とまつたく言葉を無視しきつて相抱擁してゐるらしい。室の中央にストーヴがあつて、暑からず寒からざる暖房も申分なく、肱掛椅子も見た眼がすでにずつしりと重く豪華であつた。背中から肱に当る重厚味といひ深々と沈むスプリングの具合まで申分なく、いはば悪徳がその本来の罪悪的な陰影を半ばまで失ひ、かなり上品な夢幻的風韻にその装ひをこらしてゐると言へないこともないのである。部屋の飾りも決して金はかかつてゐないが、悪い趣味でもないやうだ。彼はことごとく満足して、思はず露骨な北叟笑を洩らしたのである。 「いいところへ行かないかね」と木村重吉は女をひきよせて囁いた。女は執られた手首を腕輪でもはずすやうに引抜いて、うつたうしげに立上ると、手を髪の毛に当てて形をなほしながら、木村重吉の隣りの椅子から真向ひの椅子に廻つていつて坐りなほした。曇天の他の水面であるかのやうな面白くもない顔である。そして杯に酒をついだ。 「いくつだね」 「十九」 「三つ以上の割引はなささうだな」  木村重吉は杯をほして女にさしたが、女は拒絶の表現さへ示さずに拒絶した。つまり女は自分の前へ置かれ、そして注がれた杯を、木村重吉が注ぎ終るのを待ちかまえて彼の前へ戻したのである。木村重吉はそのことにこだはらなかつた。むしろ女がその手を彼の身辺へ延した機会を見逃さなかつたばかりである。木村重吉は勿論その手を握りしめた。そしてぐいと引き寄せたために、女は卓子を覆へさぬための咄嗟の弓なりの姿勢によつて一迂廻ののち、縮むゴム紐であるかのやうに木村重吉の胸の中へとびこんだ。それにも拘らず卓子は踊り、木村重吉は危く徳利の顛覆をくひとめたはづみに、徳利の酒を自らの顔へしたたかそそぎかけてゐた。彼がその顔を拭ふひまに「いい気味だ」女は彼を突き放して荒々しく立上つた。 「酒を浴びるといふ洒落さ」と木村重吉は委細かまはずにや〳〵しながら洒落にもならない駄洒落をとばした。 「なにさ。その顔は」女は彼を見下して言つた。「ここをどこだと思つてゐるの。お門ちがひでせう」 「俺も方々で酒をのんだが、御婦人に叱られながら酒をのむのは始めてだね」と彼は笑つた。 「相手にしないからでせうよ」  と女は振りむいて行つてしまつた。木村重吉が目配せをしても、もはや戻つてこなかつた。然し彼はくさらなかつた。むしろ思ふ壺だと思つた。この店へ這入つたときから彼の狙ひをつけた女はその女ではなかつたからだ。この女なら惚れてみてもいいくらゐだと思つたほどの若い女がゐたのである。その女が彼の横を通過したり、彼の方へ偶然顔が向くたびに、木村重吉は笑つたり、目配せしたり、指をあげて合図をしたりするのだが、女はそれが見えない風をしてみたり、顔をそむけたりするのであつた。  三人の女が植木のかげで三つの笑ひを噛み殺しながら額をあつめて話してゐた。やがて三十がらみの和装の女が道化師のやうな剽軽な身振りをしながら木村重吉の席の方へやつてきた。女の感じは下素であつたが、木村重吉はなんの苦もなくそれに応じて、敢て反撥も覚えなかつた。女は彼にしなだれかかつた。 「落胆も悲観もいらないさ。小便をかけられた蛙だ」木村重吉は女をだきよせてカラ〳〵笑つた。「我々は大いに呑もうぢやないか」 「おや意気なことを言ふぢやないの」 「それから」彼はささやいた。「いいところへ行かう」 「万歳」女は叫んだ。「益々あんたは意気な人だよ。大いに呑もう」と女は呑みほした杯で木村重吉の頬をはぢいた。  彼にしては記録的な酒の呑みかたをしたのであつた。然し普通の酔ひどれ達にしてみると晩酌程度のものだつた。そして彼は機嫌がよかつた。 「また来てね」と女は扉をあけて言つた。「大いに呑もう」 「またくるぜ」と彼は答えた。彼は益々にこ〳〵しながら帽子を頭上にふりまはした。  露路をでると、彼はひどい不機嫌になつてゐた。馬鹿にしやがる。彼は帽子を力いつぱい道の上へ叩きつけた。そして足で踏みにじつた。泥だらけの帽子を拾つて家へ帰ると、疲れきつて泥鰌のやうに寝てしまつた。  翌日は木村重吉にとつて絶望的な事件が起きた。嘉村由子が再び越後新報社へ現れたのである。木村重吉が受付へ迎ひにでると、由子は卓一に会ひたいと言つた。  木村重吉は僻まざるを得なかつた。お前なんかに用はないと由子が言つたわけでもなく、さういふ素振りを見せたわけでもないのであるが、あなたは遠慮してねと体よく言はれてゐるとしか思ふことができないのである。  ──あんなひねくれた奴は始めてだ、と木村重吉は肚に叫んだ。やることがあまり陰険ないやがらせである。相手はもともと女性であるが、とにかく仕打が女性的でありすぎるのだ。いやがらせはその本来の性質として厭味の直接の表現でなく、間接的なものであるが、由子のやりかたは間接的ですらないやうな胸糞わるい思ひがねつとり残るのである。どだい厭味の原因がないではないか。あるものは好意と親しみに対する裏切りなのである。好意と親しみに対していやがらせをもつて報ひることがひとつの満足であるらしい。さうとしか思はれないのだ。  もともといやがらせといふものは復讐と同じやうな盲目的な情熱に偏した行為であるのが普通だが、由子には恰も原因のない完全犯罪を企みかつ娯しむやうな冷静にして陰謀的な読みの深さとあくどい趣味は感じられても、盲目的な情熱に溺れて己れを赤裸々に投げだした愚を見出すことができないのだ。いささかの可憐さもないのであつた。巾着切りの技術のやうな器用な業でこつちの心理の隙間を狙つてくるのであるが、要するに巾着切りが己れの技術をひけらかしてゐる程度には情熱的であるにしても、いやがらせに殉じるやうな激しいものはないのである。  ──蔑むべき驕慢な孔雀だ、と木村重吉は心に叫ばざるを得なかつた。己れの小賢しさを誇ることのみが彼女の一生の天職なのだ。見栄が生き方のすべてなのである。人は常に見栄に生き、己れを誇りたがらずには生きかねるものであらうが、なほ心すぐれたる人、正しい洞察の眼をもち悲哀の後にのみあらゆるものの誕生を認識した人々は、ある絶対の批判者を心頭に描いてその審判の後にのみ誇りうることを喜びとする。然し愚かな孔雀達はただ自らの周囲にのみ己れを誇示する喜びを知るにすぎない。  なるほど我々の生存に闘争そして勝敗は避けがたいものであるらしい。我々は平和を正義化することの不自然さにいささか怒りを催す時が多いのである。闘争の正義を認めることは一応甚だ必要なのだ。  然しながら──木村重吉は苦々しげに顔を顰めた。自分の周囲に対してしか君臨することの喜びを知り得ないやうな安手な現実家は──もしも女でなかつたらぶん殴つてやるところだ。知識の負ふ十字架がいはばひとつの宇宙的な闘争であり勝敗であるとすれば、せめて我々はこの現実そして我々の周囲に対して、所詮はそれも一種の誤魔化しであるにしても、我々の周囲を怖れ、なつかしみ、そして友交にしばしの懇ひをもとめずにはゐられない。友情は知識の所有に属するところの稀れな礼儀のひとつなのだ。  ──卓一に会はねばならないなんの用があるものか。と木村重吉は思はず暗い顔になつて思案に耽つた。あいつは卓一を愛してもゐないのである。もしも卓一に会はねばならない唯一の理由があるとすれば、退屈、そしてその気晴らしだけのことであらう。そして自分の気晴らしのためには他人に与えるであらう屈辱に思ひを致さず、礼儀と友情の心得がないのだ。むしろいやがらせに快感を覚えてゐるほど心が驕つてゐるだけなのである。行路の愁ひを知らないのだ。かういふ俗物根性の奴は──あいつが女であるにしても、ええぶん殴りでもしてやるほかに手がなからう。  そして木村重吉は編輯室にゐたたまらず、指をぽき〳〵折りながら、北風の街のなかへとびだしてゐた。 「ロマンチックな感慨があつて来たんぢやないのよ。そんな言訳も気障?」由子の顔は明るかつた。「二三時間サボらない。たまには中学生のやうな気持になるものよ。無駄遊びしませう」  由子は卓一の返事も待たずに立ち上りかける気勢をみせた。言葉の調子がさういふ態度を必要にさせたのだらう。然し動作が明るくて何屈託もなかつたので、卓一は当然な退屈感にわづらはされて湿つた無気力に落込む思ひがわりに少く、うなづいて立上つた。 「もう一度日本海へ降りてみやうか」卓一はにこりともせず、言つた。「ロマンチックな感慨なしにさ。ほかに行くところもないからだよ」 「ロマンチックな感慨があつたつて、いいぢやないの」 「…………」 「結局ロマンチックぢやないの。教へて頂戴よ。だつて私、ロマンチックな人生が好きなのよ。そのくせロマンチックだとなんだか安つぽいみたいに思ひたがつてしまふのよ。教へて頂戴よ。ロマンチックぢや安つぽいの」 「それも……」 「……気障? どうして? 私頭が悪いのよ。だから教へて頂戴。どうして気障なの」 「退屈なんだよ」 「だからロマンチックな感慨にでも耽りませうつて言ふんですよ。そんなら話がわかるぢやないの」 「…………」 「せつかく寒い思ひをして日本海を眺めに行くんぢやありませんか」 「はしやいでみたつて結局どうにもならないんだよ」 「退屈がつても仕方がないぢやありませんか」  と由子は何食はぬ顔をして言ひつのるばかりであつたが、卓一は答えなかつた。所詮言葉にすぎないからだ。傑れた真実ではないからである。  俺は今突然ふりむいて帰つてしまふこともできる。卓一は思つた。なぜなら俺は退屈だからだ。また俺は由子にくちづけしてもいい。また苦笑を浮べることもでき、言葉を弄ぶこともできる。すべてそれらが可能の状態であるからである。そしてどれが唯一の真実でもありえない。事柄の陳腐さだけがむしろよつぽど生き生きとしてゐる。  それは数年前の出来事だつた。ある日卓一は銭湯へでかけた。白昼の銭湯は人と湯気のないせゐか広さや静寂がめだつのである。そのころ彼は神経衰弱の気味もあつた。朝の目覚めを迎えるたびに、後頭部が悪酒に宿酔したときのやうに鋭い緊縮感をもつて疼き、思念が彼を逃げるやうに次々とあらぬことに滑りこんでゐるのであつた。思念の走るままに委せてをくほど神経を疲らせ痺らせ苛立たせることはない。妄想の跳梁を避けるためには──卓一は語学に擬つた。朝の目覚めから夜中まで否応なく辞書や文法書にかぢりついてゐたのである。それでも思念の変幻自在な出没を完全に防ぎとめるわけにいかない。いはば戦さのやうなものだ。悪戦苦闘といふ奴だつた。けれどもこれは医薬以上の偉効があつた。半年後にはほぼ人並に神経を鍛えることができたのである。多分さういふ鍛練中の一日であつたらしい。銭湯へ辞書を持込む手段はないから洵に是非もないのであるが、彼は自然に痲痺した妄想の虜となり、やがて悪夢と区別のない不快な放心が断続してゐた。ふと気がつくと、彼の視線に当るところに人の裸像がちやうどはまつてゐるのである。甚だ不都合なことには、彼の視線の中心が裸像の局所に当つてゐた。どうやらそこを暫く視凝めてゐたやうな形になつてゐるらしい。彼はいささか狼狽して男の顔をちらりと見上げてしまつたところが、威嚇と挑戦と軽蔑以外の何物でもない男の激しい視線を受けてしまつたのである。烈々たる挑戦の気魄の溢れる視線であつた。阿呆らしい次第であるが、まことにてれざるを得ない仕儀でもあつた。浮世風呂の作者でもあつたら駄洒落のひとつも誦んで体よく切りあげもできたであらうが、写実精神旺盛な今日此頃は奇蹟と共に洒落も亡びてゐるのである。卓一は反射的に目を伏せるのがたつたひとつの態度であつた。が、洒落どころの話ではない。目を伏せると、いや目を伏せる気持だけを感じると、むざむざ男に睨み伏せられてなるものかといふ野暮な根性がもはや彼の身体の全部になつてゐた。そして彼は伏せかけた目を利用して、露骨な視線を改めて男の局所に据えなほし、恰も人気の死んだ白昼のものうい画室で一幅の名画に心を吸はれてゐるかのやうに木の葉の陰に隠されてあるべきところを執拗にむさぼり眺めはじめたのである。──その出来事は予期も及ばぬ不快きはまる印象を残した。即ち彼はそのことのあつて以来、精神が最も卑屈な状態に落ちていはれなく自卑と悔恨を噛みしめるの日、屡々なんの聯絡もなくあの出来事の印象を甚だ不快な悪感と共にふと念頭に描きだしてしまふのだつた。それは男の顔でもなく、局所でもなく、むしろ持続の時間の意識であるらしい。男は彼の挑戦に応えて、彼も亦動かぬ像となつてゐた。そして開かれ露出せしめられた股間のものを執拗に隠すことを拒んでゐるのだ。洒落の失はれた人生をこれほど醜悪な現実に感じた記憶が思ひだせないほどだつた。局所を露出した男の像を対象としてではなく、時間の持続の妖怪じみた不快の姿を思ふのである。男が突然立上つてずか〳〵と歩みより彼の頭を殴つたら──恐らく彼は直接それには応えずに尚執拗に男の局所を視凝めつづけてゐたであらう。その執拗さの思ひ出もいやだ。また執拗さで瞞着した卑屈で野暮な性根がいやだ。そしてその思ひ出の蘇るたびに常に心がおちこんでゐる自卑と衰えの精神もいやだ。その衰えた精神によつて特殊な加工を施され、現実以上の悪相と悪意を宿した股間の印画もいやなのである。その悪相の真実らしさがいやだつた。むしろその真実らしさに生理的ともいへるところの否定の気持が働くのである。そして恐らくこれらの真実よりも一層真実であらうところの洒落を思ひ、人生に於ける遊びの精神の真実を肯定せずにゐられなかつた。それもいはば折々の精神の衰えがかもすところの過大な加工のひとつであるかも知れないけれども。  意味あることのみが真実ではない。無意味であるところの莫迦らしい真実があるのである。なぜならば──所詮退屈が先に立つこの現実をどうしやう。  金があつたら、飛行機の稽古もよからう。暴風の日の海上飛行。夜間飛行。せめて戦慄はいくらか退屈でないだらう。卓一は思つた。が、戦慄だつて、面白いことがあるものか。どうせ、みんな……  曇つてゐたが、かなり明るい空だつた。ゆりうごく暗らい海。息をとめてしまふやうな海風の荒々しさは相変らずだ。砂丘を降りるとなぎさに近くもうひとつ小さな砂丘があるのである。砂丘と砂丘の襞の中では暗らい水も見えない代りに風もいくらか死んでゐた。海を背にする砂丘の斜面へ二人の男女は腰を下した。砂は濡れてゐなかつたので、さて砂の上に腰を下すと、風に乗つて浜づらを騒ぐ砂のざわめきがうるさいのだ。砂の粒が大きいので、手も足も小さな痛さを覚えるのだつた。 「絶海の孤島へ行きませうか」と由子が言つた。 「あはは」 「笑はないでちようだい。そんな古い手、あなたにも似合はない」 「…………」 「満洲国から便りあつた?」 「ロマンチックになりすぎやうとしすぎるよ」と卓一は疲れきつた笑ひを浮べた。 「せつかくだから、ならしてよ」  由子は卓一の手をとりあげて両手の中へ握りしめた。卓一の手が握つてゐた砂を己れの掌に受けた。それを砂上へ無心にこぼした。卓一の手もあたたかなものではなかつたが、由子のそれは針金のやうに冷めたかつた。すべてそれは景色であると、卓一は思はざるを得なかつた。暗い海へひらかれた虚しいひとつの窓に似てゐる。景色がそこを通過する。景色が心のすべてであり、そして窓のすべてであつた。 「あたたかいのね」由子は卓一の手を再び堅く握りしめた。そして卓一の胸にもたれた。頬に当る毛髪が冷めたい生気を鋭く伝え、肩にかかる由子の重さが現実の苦痛を与えた。重い。……いくらか呼吸が苦しいほど。──そしてそれがすべてであつた。重さのほかの何事を思ひだすこともできないのである。この重さそして呼吸困難に何分間まで堪えるべき義務ありや。  由子は顔をあげ、しげしげと卓一の瞳をみつめた。その佯りの大胆と、面に似た白痴めく虚しさが美しかつた。卓一はその美しさに肚胸をつかれた思ひを起し、なぜか激しい感動に一瞬己れを攫ひ去られてしまはなければならない気持に追はれるのだつた。そして卓一は感動し、その感動を誇大に高めねばならぬ思ひのために胸を騒がせ、けれども事実感動した己れを見出すことによつて、あるなにがしの心のありかを知る思ひがした。心にもひろい海風が張りつめてゐる。寒く、そして冷めたいのだ。身体も寒さのために顫える。卓一は由子を抱いた。そして二人はくちづけした。卓一は砂丘を見た。なぜか砂丘の生気のなさ、その色あせた正体が一瞬鮮明に分かつた気がした。我のみ嗤はるべきかや。我も亦自然の子。わがいとしさに彼はひととき己れを忘れたひとつの経過を意識してゐた。 「噛みついてやりたい」 「こんな風な俺でさへ──」卓一は喋る張合もない気がした。「なにがしの気分のたしにはなると見えるね」 「ふん。偉らさうに、退屈して」由子の声も、由子の瞳も、由子の心も、益々はしやいだ。卓一のしめつた思ひに、おかまひなしに。そして卓一は、由子が自分の暗らい思ひにおかまひなしに振舞ふゆえに、心は更らにしめりながら、由子の姿が新鮮に胸に沁みてくるのであつた。「その退屈、たべちやいませうか」  恐らく言葉にひきづられて、自身すら思ひがけない情慾が由子の瞳と肢体の中にこもつてしまふ。その唐突の情熱に、卓一は新鮮を感じるのだつた。然し卓一の心の重さはそれについて行けないのだ。そして彼は二人の現実の食ひ違ひをまぎらすために、由子の情慾にある淋しさを覚えなければならなかつた。然しそのとき卓一は己れの皮相な淋しさをむしろ厳しく憎みはじめてゐるのであつたが、彼の興ざめた顔色を見ると、由子も自分の情慾について行けなくなるのであつた。  由子は自然に目を伏せて、己れをいとしむ思ひのために淋しくなつてしまふのだ。卓一はその有様の冴え冴えとした情感に打たれ、なにがしの目覚める思ひを覚えたのである。そして再びより高い感動の中に我を沈めてしまはなければいけないやうな追はれる思ひに胸を騒がせ、己が心の慌ただしさに苛立たしさとまた倦怠を覚えなければならなかつた。再び彼は木石の情感のない姿勢をもつてくちづけした。「意地わる……」とささやく由子のいぢらしさに曠野の雪にも比すべきやうな情炎を見いだし、瞬時感動のめくるめくものを意識したと信じながら、心は然し悲しいまでに醒め果ててゐる水の思ひと対座してゐた。  鹿を追ふ猟師山を見ずだと卓一は思つた。私は猟師、お前は山。そして私の追ふ鹿は、お前でもなければ、然し澄江でもないのであらう。夢の中に現れる琥珀色の魔女のやうな、あらゆる微妙柔軟な動きにみちた肢体、あらゆる快楽と秘密をかくした架空の肉体がそれであらうか。所詮現実の悦楽と秘密は、究め得てもなほ余りにも貧困である。追はねばならぬ宿命の鹿がよし何物であらうとも、私はひとりの山を見ぬうかつな猟師であるらしい。愛する者よ。お前がどれほど美しく、けだかく、優しく、いぢらしくとも、この世の美徳の数々と井に、お前の姿は私の網膜に映らない。  所詮現実に夢の中のものをもとめることがいけない。むしろ空々漠々たる夢の時間にわが一生の現実を托した方がいいくらゐだと彼は思つた。  然し現実とは常に限りなく退屈であること、まことに心のもとむるところは常に拒ばまれ、常に生色なく色さめはてて魅力なきこと、そのことが魅力でなくてなんであらうか。美でなくてなんであらうか。充ち足ることは時にいささか醜悪であること、それはあながちひかれ者の小唄ではない。 「帰りませう」そして由子は娼婦の情熱を瞳に凝らして囁いた。「今晩も来てくれるでせう。待つてるわ。Mの二階で。六時に」  卓一はまるで非難するかのやうな黝んだ顔で、然し頷いてゐるのであつた。  その六時。然し由子は自ら言ひだした約束の場所へたうとう姿を見せなかつた。  卓一はただちに感じた。由子の敵意を。待ちぼけを食はされた身の苛立ちを取り去れば、彼は敵意を憎むこともできなかつた。わが退屈の親しさのやうに、それも親しく思へぬことはなかつたのである。  約束があつた。それゆえ裏切りがあるのではなかつた。卓一の靄の心を流れる言葉があるとすれば、恐らくさうであつたらう。むしろ裏切りがあるのである。そしてそれゆえ約束もあるのだ。食事のやうな切実さで果されねばならぬことが約束のまたは誓ひの正しい衣裳ではないのである。裏切りの宿意のために、誓はなければならない報ひもあるのであつた。裏切の遺恨にみちた冷めたい顔が誓ひの中に見えなければならないのだ。  卓一は街を歩いた。どんな親しい人々に出会ひ、呼びとめられても、ひとりでゐたい時間のやうな思ひもした。  去ること、そして去る者を追はぬこと、人に寄せる懐しさのそれにまさるものがあらうか。そのやうにすら卓一は思つた。  女に待ちぼけを食はされること、その事柄はかなりに笑止な色男ぶりに相違ない。ことに自分はあまり女に惚れてもゐず、むしろ女に惚れられて、女の言ひだした約束に厭々ながら出向いたやうな気持もいだいた卓一には、この事柄の皮肉は相当鋭い筈だ。またそれゆえに由子の違約もなければならぬものであつたに相違なかつた。が、それはそれだけのことである。  卓一の誇りが傷き、由子が誇りに酔ふにしても、所詮現実に酔ふことの浅い彼等の時間に、それが何程のことがあらう。むしろそのことに逆行する彼等の不幸、そして常に失はねばならなかつた「何もの」かに愛と微笑を送るほかに詮方もないこの現実と言ふべきであらうか。それも亦所詮ひとつの態度であり構えであるにすぎないのだが。卓一は目当なく街を歩き、同じ闇、同じ灯、同じ寒さの宵であつたが、それとなく近づいてゐる春の気配を沁々気付いてしまつたことに、いくらか異様に新鮮な驚異を覚える気持になつたりするのであつた。むしろ不当にまで新鮮な、子供めく疼きをもつた驚異であつた。現実の発見であり、なつかしさだつた。  要するにこんなことが結局人の生きがひであらうと彼は思つた。そしてふと、このなつかしさと愛のほかに、かつてより以上に新鮮な何物もなかつたやうな思ひもした。  明確に春のきざしの顔がみたいと彼の心は柄になく勇みたつてみたりした。灯もそれにみえ、闇も亦、そして鋪道の甃のほのかな照りかへしもそれに見える思ひがした。そして由子の思ひ出がそれに見えないこともなかつた。この日はこれでいいのだと彼は思つた。人の世に最も静かな事柄があるとすれば、それは恐らく「愛する人よ左様なら」といふことがそれでなければなるまいと不意に思つてみたりしたのもその日のことであつたのである。けれども思ひがひとりの由子にこだはることも阿呆らしかつた。待ちぼけに腹の立つのも事実であつた。  卓一が街をさまよひはじめたころ、由子は自宅の灯の下で雑誌を読んで、ねころんでゐた。待つてゐる卓一のことも殆んど心に浮ばぬやうな思ひもしながら。  けれどもさうでないことは、六時が鳴つて暫くすると、木村重吉を呼びだすために越後新報へ電話をかけてしまつたことで、自分の苦痛が自分にいちばん分る気がした。孝一はもう約束のMの二階にゐる筈だ。あいにく──彼女はあとでさう思つた。木村重吉はまだ社に残つてゐたのである。そして由子の言ふ通りに早速彼女を訪ねるといふ彼の返事が彼女の耳に響いてゐた。由子は自然に不快になつてゐるのであつた。  由子の家に電話はなかつた。隣家で借りるのであるが、受話機をかけて外へでると、木村重吉に電話をかけてしまつたことが、その一日の負担でしかない重苦しさを見出さずにゐられなかつた。言ふまでもなく、そんな筈ではなかつたのだが、計算をはみでた時間の思ひがけない帰結であるから、今更事の重苦しさに当惑を深めるほかには改めて心の在所といふものもなかつた。  もともと……由子は思ひだすのである。卓一と肩を並べて海を去り、街の気配へ再び一足踏み入れたときから、海の心は跡形もなく消えてゐたのだ。もはや海の言葉もなく、そして海の約束もなかつた。一瞬の白日の夢であつたのである。約束を守る心はその時からもはや影もなかつたのだ。否──由子は思つた。思ひだせばそれだけではない。元来が砂丘の襞で卓一にあの約束を囁いたとき、それがもう海風の言葉のやうな実体のないものだつた。その約束を守る気持は微塵も心になかつたのである。否約束の言葉だけがただ痛切に必要だつた。その言葉に、やがて守らねばならぬ場所と時間と物質のあること、それをどうして信じることができたであらう!  それのみでなかつた。思へば一日が夢だつたのだ。卓一を訪ねたことが。昨日の心をどういふ風に突きまはしても、この一日の出来事に結びつくどんな糸口もない気がする。ただ夢を見た思ひである。夢がさめ、昨日の心が戻つてきたといふほかに、この落漠とひろがつた張合ひもない無気力をどうなし得やう。卓一に会ひたい気持もなかつたし、約束を蹴つた快味といふものもなく、さりとて後悔もないのであつた。  木村重吉に会はねばならぬことの圧迫に堪えかねる思ひのため、隣家をでると、由子は家へ這入らずに坂道の方へ登つて行つた。  木村重吉を呼び寄せるために電話をかけたのではなかつた。あんな男に会つたところで一日のこの憂鬱がどうならう。さういふ思ひがするのである。ただ漫然と電話で言葉を交はすために──なぜならほかにこの鬱結した退屈の結び目をどうなし得よう──越後新報へ電話をかけてしまつたのだと思ふことが最も至当な心の状態である気がした。穿鑿はいらない。要するにどうでもいいと由子は思つた。  そのくせ不意に時々由子の頭を掠める影があつた。あながちそれはその穿鑿と論理上の脈絡をもつたものではなかつたが、もし突き詰めれば、脈絡を持ち得ずにゐられぬ種類のものでもあつた。ことさらに論理の外へ投りだしてゐるために、時々頭を掠めることが、むしろ却つてその事柄の無意味と無関心を深め、そして結局救ひがたい退屈を深めるやうな逆な表情を生んでゐるのだ。それは澄江の影であり、そしてまた卓一の影でもあつた。  さりとて由子の本心が、木村重吉は名ばかりのことで、もし卓一が居合はしたら──さういふ仄かな気休めにことよせて電話をかけたわけでもなかつた。元来が木村重吉をめざしたもので、ただ漫然と言葉を交はすためではなく、明らかに彼を呼び寄せるためであつたと断言しうる種類のものであつたのである。ただその決意は甚だ論理が不鮮明を極めてゐた。けれども屡々反芻され、そして突然形をとつたものなのである。恰も受話機を手にしてのちに、唐突に口をついて走つたやうな言葉にみえ、そしてまた結果の不快と重苦しさに拘らず、結局宿意といふべきほどのものであつた。  卓一をめぐる由子の思念は、かねてから澄江の影をさしはさまずに在りえなかつた。卓一に寄せる一抹の未練もないのである。すくなくとも由子の思ひはそれのために乱れなかつた。ただ澄江への敵意のために、なほ卓一が由子の胸に棲みうる心の表情であつたのである。敵意の表情もさして劇しいものではなかつた。日々の屈託が生みだすところの無限のパノラマのひとつであつた。ありていはそれだけのことにすぎないのだ。  卓一は由子にとつて幼友達であるとはいへ、それももう記憶の彼方のものだつた。成人した由子の胸裡に蘇み返つた卓一の名は、その時もはや澄江の名と不離のものであつたのだ。東京の二人の恋が風の便りで由子にひびいてゐたのである。卓一に再会のとき、むしろ澄江の愛人に会ふことの興味の方が強いくらゐのものだつた。その程度の卓一と澄江の結びつきは、然し負担になる筈がなかつた。澄江の影がかなりの深さで由子に絡みはじめたのは、卓一と澄江の愛情の復活からのことであり、むしろ澄江の失踪からのことなのである。然り澄江の登場よりもむしろ澄江の失踪が、はじめて負担の機縁となつた形に見えた。  澄江と卓一の愛の復活。忘れ得ぬ面影の負担に悩む二人の古い愛人達。それがもういささか退屈な定石だつた。その愛情が復活し、当然の結果として、他のひとつの愛情がいはば傍系の刻印を押された。これもまた甚だ古色蒼然とした定石だつた。それらのことはむしろ由子に退屈を与え、かなり緊張を欠いた虚無感を深めさせ、そして月並な物憂さを強めさせたにすぎなかつた。表面の波動はそんな程度であつたのだ。  却つて澄江の失踪が逆な事情を生みだした。即ち澄江等の愛の破綻がむしろ由子に己れの愛のみぢめな破綻を認識する気安さとまた公平な内省を与へる手掛りとなつたかに見え、由子ははじめて仇敵の至当な姿で澄江を意識しだしてゐた。そのときまでは不当に黙殺してゐたのである。  由子の時折の想念は彼女が恰も澄江となつて卓一を追ふてゐるのであつた。即ち澄江が卓一を捨てて去つたやうに、否それよりもより厳しく、悪意にみちて、彼を捨て、誇りを嘲り、その理知とその落付きとその優位を踏みにぢつてゐるのであつた。  幕合の道化のやうに、木村重吉の影がときどき現れてゐた。それは卓一や澄江の影に筋の正確なつながりはなかつた。いはばあくまで幕の前後に登場する息ぬきの茶利狂言の人物だつた。そして由子の想念は木村重吉の登場によつて緊張を解かれ、由子は無為と阿呆らしさに欠伸を放つ思ひを感じてしまふのだ。木村重吉の影の登場が常に実際そのやうな惨めな役割であつたといふ事実に関することではない。由子の漠然とした印象によると、木村重吉の影の登場はいはばさういふ役割にしか思ひつかない感じがするといふ意味である。然し由子は木村重吉の人情味と、器用にみえる不器用さが、時々素直に好感がもてた。  由子は稀に木村重吉を愛人に仮装させて考へてゐる自分を見出して失笑する場合があつた。もとより一時の気まぐれだつた。真面目な愛に関係のないことなのである。平凡な男と平凡な結婚。それもないではなかつたが、必ずしもそれに根ざしたことでもなかつた。退屈の生む無数のパノラマのひとつなのである。  けれども由子は卓一と木村重吉の二つの影を結びつけて思ふとき、どの愛情が真実であるか、どの憎しみが真実であるか、見当がつかなくなつてしまふのだつた。  青木卓一といふ男。彼はたしかに淡白だつた。所有慾が稀薄であつて、物に執着がすくないのだつた。感動も理性の領域内にしかないこの男には、持続の長びく感情があつたにしても、その生色が弱々しくて、いはば無いと同様の結果になつてしまふのだ。けれどもこういふ男にも理性の埒を踏みこえた底なしの穴のやうな混乱もあつた。そして突然言ひ換えると、彼のやうに執着の深い男もめつたにあるまいと言ひ得ぬこともなかつたのだ。私は元来理知的な冷めたい性格を見るたびに、わが国の古い寺院建築のあの均勢を聯想しやすい癖がある。あの均勢を保つために狂人の意志と努力が感じられるのだ。そして均勢のひとつがくづれると、やにはに一人の狂つた男の血を吐くやうな悲鳴が起る思ひがして痛々しい。  由子は卓一の混乱を時々思はずにゐられなかつた。そして由子は思ふのだ。木村重吉を愛人に仮装させてみる自分は、真実木村重吉への多少の好意が生みだす仕業によるのだらうか。それとも青木卓一への憎悪の結果が生みだす仕業によるのだらうか。──分からなかつた。然しいづれであるにせよ事柄は由子の日々の思ひ出の中でまつたく重要なものではなかつた。要するにその愛情もその憎しみも、いづれが真実であるにしても、ともに余裕が生みだすところの生活の剰余のやうな傷口にすぎない感がするのみだつた。それは強がりのせゐではなかつた。毒血のしたたる憎悪、暗涙のにぢむ呻吟、ありうるならば、それこそが欲しい唯一のものではないか。  あんな奴等! 自分の脳膜の映像から、あの卓一も木村重吉も捥ぎとつて粉々に砕いて焼きすてたかつた。朝毎に払ふ毛布のふわ〳〵と舞ふ毛屑のやうな思ひがする奴等。過去の埃にすぎないのだつた。そこには未来と生命がなかつた。未来。そして真実の青い鳥。それは家庭やこの体臭のむんむんする現実の中には在りえないのだ。  もしも未来が自らの体臭に汚れたこの現実の焼却を真実必要とするならば──未来が自らの生命のためにそれを命じ、明日の約束を与えるなら、由子は刃物をふりあげて真実卓一を刺し殺し木村重吉を刺し殺すことが平気な思ひもするのであつた。彼等の血まみれな最後の足掻きに直面していささかも心を乱すことがなく、ただ明日の期待のために冷然として手を洗ひ着物の乱れを正すことがあるのみなのだ。恐怖にすら価しない彼等の屍体といふ気がした。  由子は暗い坂道を登りつめた。それは高い丘ではなかつた。高台の広さもなかつた。降りて行く一本の道のほかに見下しうる何物もないみぢめな小さなひとつの場所にすぎないのだつた。小さな場所に似合はしからぬ松の巨木が怪獣の背中のやうなうねりを見せて立ち並んでゐた。この坂道を登りつめた突き当りには更に小高い丘があつて、彼女が少女のころまでは、そこに二軒の古色蒼然とした洋館が殆んど常にその鎧戸を深く下して部屋の秘密を臭はせてゐたものである。無住のやうに思はれたが石の門標を読んでみると異人が住んでゐるのであつた。ひとつは木立の繁みの中に建物の大部の姿を没してゐたし、ひとつは木立を遠く離した広さの中にその全貌をまるまる浮かし至極悠長に空の大きさを吸ひとつてゐた。ちやうど追憶自体のやうに悠長に──由子はさういふ思ひがした。まもなく木立に隠れた方の建物はあるささやかな女学校の校舎となり、やがて二つとも取り払はれて医科大学の一部になつてしまつたのだ。  心の虚しさを紛らすために由子は無限に歩きつづけてゐたいやうな思ひがした。虚しさは傷のありかの分からぬやうな鈍痛を与え、失はれた遠い思ひをなつかしむ悲しい心を与えるのだつた。このまま足を古町へ向けさへすれば……卓一に会へないこともないのであるが、それは恰も見知らぬ街へ見知らぬ心が赴くやうな、自分の心に縁のない他人の決意に見えるのだ。そんな友達もありえたことがまるで不思議な気さへした。さりとてこのまま家へ戻つて嘘のやうな灯影の下でどうして木村重吉を見出すことの空々しさに堪えられよう。この町の家も樹も見納めだつた。そして闇も、闇の中の空気すら。なぜなら由子は突然最も冷酷にひとつの決意をまるで昨日の記憶のやうに思ひだしてゐるのであつた。この町を去らう。否この町を捨てるのだ。見納めに荒れた海にはりつめた無限の闇をのぞいてみやうと由子は思つた。海鳴りがこの坂上の小径にも遥かな響をつたえてゐた。  由子は砂丘の頂点で殆んど五秒と立ち止まらずに戻つてきた。そのあたりは海の見えるあたりまで殆んど人家がつづいてゐたのだ。海鳴は下にひろびろとつづいてゐたが、結局すべてが暗闇だつた。そして前面の暗黒がすべてひとつの巨大な冷めたい風であつた。たつたひとつの仄かな街燈の下ですら、今のさつき眼前にひらけた巨大な暗黒の風速が嘘の出来事に見えたのである。家へ戻ると、ちやうど木村重吉が訪ねてきたところであつた。  翌日木村重吉は由子の電話があつたことから昨夜由子を訪ねたことを卓一に語つた。彼は由子が卓一に待ちぼうけを食はしたことを知らないので、甚だかすかなものではあつたが、この老獪な理知人の顔に心の動きが掠めて通つた不思議な事実を似合はしからぬことに思つた。  不覚にも心の動きが顔を掠めてしまつたことを卓一は悔いた。二時間ばかりすぎてのち、再び木村重吉が近づいてきた機会をつかんで、彼は言つた。 「あの人が僕に待ちぼけを食はしたことを君はきかされてゐないのか」  木村重吉は言葉の意味をはかりかね、怪訝な面持を深めるほかに返事もなかつた。卓一は事の次第を彼に語つた。木村重吉は昨夜の由子の印象の中にそのやうなどんな素振りも思ひだすことができなかつた。不快なことではなかつたが、誑されてゐる思ひがした。 「僕は犯罪を感じるのだ」と卓一はとつぜん言つた。「うまうま一杯くはされたといふ気分のつながりもあるけれども、この感じはそれと意味の違つたものだ。あの人が僕を殺す場合の想像ができるからだ。君を殺す場合でもいい。その動機は恋でもなく憎悪でもない。強ひて言へばただ友達であるからだよ。そして現実といふものが当然さうであるところの極めて一般的なうるささとつながりがあつたといふだけのことだ。そのほかに殺す動機はなかつたと言ひきることができるくらゐだ。犯した罪に世間なみな後悔も恐怖も感じることがない。いはばまるで古い部屋を立ち去るためにその部屋の扉をしめるやうなものだ。どんといふ扉の音の印象とピストルの音の印象と結局甲乙はないのだね。血なんて洗へば落ちるものだよ。僕の血が恐怖の種にもならないとすると、然し僕もいくらか清々するぢやないか」  犯罪の向ふ側にあの人のふるさとや聖母の像をでつちあげても仕様がないさ。さういふものを見たいためにあの人の犯罪性をかぎだしたわけでもないのだ。卓一は言訳のやうにそんなことも言ひたした。  要するに血で汚れた手も洗えば落ちる。──卓一の言葉の中でそれが奇妙に生きてゐた。血だつて恐怖の種ではないと言ふのであつた。さういふ言葉をきいてゐると、刃物を握つた由子の姿は浮かばずに、インクのしみでも落すやうな冷酷さで血に汚れた手を洗つてゐる卓一の姿ばかりが浮かぶのだつた。まるでもう彼の手が木村重吉の流した血潮で汚れてゐて、しかも彼は現にかうして平然といつものやうに退屈しきつてゐるやうな冷めたいものを感じぬわけにいかなかつた。この人の性格のせゐだらうか。それとも理知がたうとうここまで来たのだらうか。どつちみちたかが理知的な隠坊であり屠殺者だけのことである。たかがそれだけのことではないか。木村重吉はふいに反抗を感じるのだつた。  由子は卓一に待ちぼけを食はしたといふ。木村重吉はそれを思ふと卓一がとつぜん惨めな男にみえた。惨めとは、あらゆる意味で値打がないといふことだつた。まるで土足にかけられた足軽のやうな惨めさが卓一の姿に見えるのだつた。  木村重吉の胸裡に突然蟠居したこの思ひは意外なまでに牢固として抜くべからざるものだつた。たかが女に待ちぼけを食はされたといふだけのことで、そして自分がその時間にまるで卓一を裏切るための共犯者の役割を果してゐたといふだけのことで、どうしてかうまで卓一を惨めな姿に見下げきつてしまふのか奇妙なぐらゐのものであつた。由子は老獪な女である。木村重吉が果せられた共犯者の役割がむしろ甚だ気のきかない道化役のそれであるのを彼自ら現に感じてゐるのであつた。阿呆なのはむしろ彼の役割なのだ。そのくせ自分に比較して(その比較を彼は鮮明に意識した)卓一は土足にかけられた足軽だつた。ただ軽蔑にのみ価ひする惨めな姿であつたのである。その思ひをどうすることもできなかつた。 「その分別くさい顔付を屠殺場の中へ持つて行け」と木村重吉は肚に叫んだ。「そして屠殺場の庭へ理知と虚無の書斎でもつくるがいいさ。さだめし毎朝の退屈な顔があらゆる周囲に似合ふだらう」  そして木村重吉は社のひけるのを待ちかねて、憎みきつた老獪な女の部屋へ、躍る心を抑えながら急ぐのだつた。 八  春がきた。そして忽ち、初夏だつた。雪国は、そのやうに慌ただしく、爽やかなこれらの季節を逃してしまふものである。  そして初夏が訪れたとき、卓一はすでにこの土地を去つてゐた。卓一と恰も偶然に前後して、由子も新潟を立ち去つてゐた。文子すら、故郷をすて、すでに消息を断つてゐたのだ。彼等のその後の行路に就いて、作者は何ごとも知つてゐない。  文子の新潟出奔は、小室林平と一緒であらうか。それに就いて語ることは、すでに作者の務めではない。野々宮とサチ子は。また由子と木村重吉のその後の心のいきさつは。すべて、すでに蛇足なのだ。他巳吉は、奇妙な旅から帰つて以来、めつきり衰え、秋の訪れをきかないうちに、左門を追ふて、死んでゐた。  その年も終りに近いころであつた。また冬だ。あの暗澹たる毎日だつた。  木村重吉は、そのころひとつの謀叛気を起して、ひまあるたびに苛立つてゐた。この市で、手のとどかないものが、ひとつあるのだ。書籍はどのやうな田舎にゐても手にはいる。活動もこの市でなら大概のものは見ることができる。彼の最も欲するものが、然しこの土地では、まづ絶対に見られなかつた。彼は梅若万三郎や、喜多六平太にあこがれてゐたのだ。東京へ行きさへすれば、彼等の演技に接しうる日時と場所を、偶然にも知つたのである。ひと思ひに、東京へ走らうかと、かりそめに思ひついたのが病みつきだつた。すでにその日が近づいてゐた。焦燥は、日増しに深かまるばかりであつた。  そのころ同僚達のあひだに、青木卓一の武勇伝が伝えられ、笑ひの種になつてゐた。卓一がまだ新潟にゐたころのことだ。深夜婦人の寝室へ忍びこんだといふ話だつた。  卓一は女の枕元に突つ立つて、声高に女の名を連呼したさうである。女は跳ね起きた。卓一を認めて、失心しさうになるのであつた。帰つてくれるやうにと、彼女は卓一に哀願した。 「君の考へてゐるやうなことぢやないのだ。慌てたまふな」  卓一はさう呟いて、暫く女の顔を視凝めてゐたが、くるりと振向いて、逃げ去つてしまつたといふ話であつた。  女はおでん屋の娘であつた。木村重吉は、卓一と共に、数回飲みにでかけたことがあるので、娘の顔も覚えてゐた。最近ことの顛末が娘の口から曝露され、社内に伝はつたものだつた。  木村重吉は一夜飄然その店へ客となつた。娘にききただしてみると、噂の通りに相違なかつた。  卓一は、その宵飲んで、一応帰つたのださうである。そのとき娘の母親が他出してゐることを知つた。娘のひとりねを承知の上で、深夜忍んできたらしい。裏口の錠前がこはれてゐて、造作なく這入れることを、とうに心得てゐたのであつた。  その月日を木村重吉が考へてみると、澄江か由子のいづれかと、恋を語らつてゐた時期に当つてゐた。 「人に必要なのは、常に絶えざる加工だね。人の努力に価するものは、加工がすべてであり、また巧みな加工のみが、真実の名に価するものであらう」と、卓一は常に言ひ言ひしたものだつた。すくなくとも、新潟にゐたころの卓一は、原始の姿と自然を憎み、一途に加工の人生を愛し、求めてやまぬ風だつた。「絶望や怖れや悲哀の厚味の深さに比べたら、歓喜や幸福は、概ね刃物の上を渡つてゐるやうなものぢやないか。概して僕達の世界では、積極的な、また肯定的な立場より、消極的な、また否定的な立場の方が強力なのだね。本能に就いて言つてみても、我々の心を掻きむしる羞恥とか怖れのやうな否定的なはたらきの生々しい暴力に比べれば、愛情とか欲望のたぐひは、甘んじて譲歩の余地もあり、どうにでも変化順応せしめうる粘土のやうな気がするのだ」  そしてまた、常に彼は言ふことを好んだものだ。 「欲望の真実を積極的に押しだしてみようたつて、所詮無理だね。一方縫えば、一方破れる種類のものだよ。怖れと羞恥の暴力の前では、欲望の足掻きぐらゐが、どうなるものか。結局積極的に弥縫しようとする企ては、不可能でもあり、また有害無役なものであるとも考へざるを得ないのだ。人間は鋼鉄のやうに強くはない。むしろ否定的な暴力の苦をいくらかでも軽減するために、それと狎れ合ひの加工の人生をつくることだね。今どき、幽霊の恐怖だの、口説の羞恥だの、さういふくだらない負担にすら尚悩まされがちな人間を考へただけで、うんざりせずにゐられない。否定的な暴力を一枚づつはぐらかすやうに加工しながら、巧みに生きぬけるやうにすることだ。怖れや羞恥の対象も常に変つてくるだらうが、こつちは常に一足先手を打ちながら、一生加工しぬくんだね。そのほかに、賢明な策は、あいにく僕に見当らないのだ」  言葉だけではなかつた。彼の生き方が、たしかにそれに沿ふてゐるのを、木村重吉は見出してゐた。それだつて徒労ぢやないかと言へない思ひもなかつたが、生き抜かうとする努力の前には、敬意を払はずにゐられなかつた。  然し娘の寝室へ忍びこんだ卓一は。木村重吉は唖然として思ふのだつた。どこに加工があるのだらう。苦笑を覚えずにゐられないのだ。 「君の考へてゐるやうなことぢやないのだ。慌てたまふな」と卓一は、娘に向つて言つたさうだ。然し高遠な嘆きに追はれて、娘の寝室へ迷ひこんだとも思はれない。それは恐らく、娘に反抗の気勢を見たので、咄嗟につくられた言葉でもあり、心でもあつたに相違ないのだ。なるほどいくらか高遠な悲哀めく情緒が彼の心を瞞着してゐたこともあらうが、深夜娘のひとりねを承知の上で推参した卓一は、その事実が直ちに我々に語るやうに、もとより低俗な劣情が土台なのだ。要はそのほかに有り得ない。  落漠たる孤独の時ではないのだ。色情に飢えてゐる時ではないのであつた。澄江か由子のいづれかと、恋を語らつてゐる頃の出来事だつた。木村重吉は、心が重くならずにはゐられなかつた。  卓一はまた、言葉といふことを頻りに言つたものである。 「こいつだけが真物だ、と言はなければならないやうな、のつぴきならない力で迫つてくるものがあるね。かりに愛や憎しみや嫉妬といふものを挙げてをかう。さういふ真実も、然しいい加減なものだと思ふが、どうだ。今どき、人間に、力そのものだの、真実そのものといふものが、有り得よう道理はないのだ。みんな言葉で育てられたものばかりさ。言葉で理解され、言葉で真実化されたものが、真実らしく見えてゐるにすぎないのだね。みんな言葉のあとからのものだ。肉体の真実すら、あるひはすでに、言葉のものにすぎないだらう。愛も、憎しみも、嫉妬も、育てる言葉が違つてくれば、まるつきり変つた相になるだらうね。特に不変の真実らしい面魂のものほど、うるさい奴はないのだ」  卓一の言葉といふ字義は曖昧だが、場合によつて、思想とか、概念といふ意にとつたら、あるいはいくらか分かり易いのであらう。  卓一の生き方は、たしかに用語をひきずつてゐる激しさがあつた。木村重吉は、その卓一が好きだつたのだ。  あれほど加工を一途に生き抜かうとしてゐながら──木村重吉は思はずにゐられなかつた。やつぱり弥縫しきれないのだ。尻尾を出さずにゐられないのだ。まさしく彼の嘆きの通り、人は鋼鉄ではないからだらう。  肉体の真実なんて、往来へ落ちた馬糞の実感と同じやうなものぢやないか、と卓一は言つた。素朴な真実を避け、加工の中に多彩な真実をつくりださうと努めながら、やつぱり馬糞の実感に追ひまくられずにゐられない彼ではないか。しかも常人のよく為し得ないあくどさで、娘の寝室へ深夜推参するやうな、醜悪そのものの悪足掻きをやらかしてしまふのである。  かりに最も厚意ある見方をして、娘の寝室へ推参した卓一は、それも加工の信念からだと一応見てやることにしよう。つまり彼は、彼なみの営々たる努力を払つた結果、娘の寝室へ深夜推参しても、すでに羞恥も怖れもない自分の信念を信じてゐたかも知れないのだつた。然し言はでもの言ひ訳を残して、忽ち退却する姿が、悲惨以外の何物でもなかつた。元来ひとつの信念で、娘の寝室へ推参したといふ見方が、すでに甚だ不自然だつた。要はやつぱり色情だ。営々たる加工の労力にも拘らず、遂ひに一塊の馬糞たることを免れ得ない卓一なのである。木村重吉は思ひのせつなさに堪えがたかつた。 「一生は、どうせ、浪費だ」と、また卓一は屡々言つた。然り。恐らくその言葉が、彼に最もふさはしいのだ。木村重吉は思つた。  然しまた、そのやうな言葉によつて、心の休まる人生ではないのだ。結果に於て浪費にすぎない人生であつても、甘んじて浪費しきれる人生ではなからう。  どつちみち、この世に解決といふ奴が、有り得る筈がないではないか。木村重吉は、心に叫ばずにゐられなかつた。ひとつ解決ができたとき、ひとつ謎がふえてゐるにきまつてゐるのだ。俺の知つたことではない、と。  人の努力の虚しさが、彼の心を重くさせ、嘆きを与えずにゐなかつた。  ひとつ東京へ走つてやらう。彼は心をきめてゐた。そして名人の至芸を見よう。恐らく心は、泪を流してしまふであらう。内にあらゆる波瀾を抑えた不動の静寂を見るがいい。俺は多くを望まない。その静寂と、その感動で、沢山なのだ、と。  そして期日の前日がくると、彼は社へ欠勤のことはりもせず、同僚にすら一語も語らず、東京行きの列車に乗り込んでしまつてゐた。──その木村重吉に、入場券が売切れだつたら。これは作者の意地の悪いいたづらである。呵々。 吹雪物語(夢と知性)完 底本:「坂口安吾全集 02」筑摩書房    1999(平成11)年4月20日初版第1刷発行 初出:「吹雪物語」竹村書房    1938(昭和13)年7月20日 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※底本のテキストは、函館図書館所蔵の著者原稿によります。 入力:tatsuki 校正:大沢たかお 2013年11月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。