雨 織田作之助 Guide 扉 本文 目 次 雨 一 二 三 一  子供のときから何かといえば跣足になりたがった。冬でも足袋をはかず、夏はむろん、洗濯などするときは決っていそいそと下駄をぬいだ。共同水道場の漆喰の上を跣足のままペタペタと踏んで、ああええ気持やわ。それが年ごろになっても止まぬので、無口な父親もさすがに冷えるぜエと、たしなめたが、聴かなんだ。  蝸牛を掌にのせ、腕を這わせ、肩から胸へ、じめじめとした感触を愉しんだ。  また、銭湯で水を浴びるのを好んだ。湯気のふきでている裸にざあッと水が降りかかって、ピチピチと弾みきった肢態が妖しく顫えながら、すくッと立った。官能がうずくのだった。何度も浴びた。「五へんも六ぺんも水かけまんねん。ええ気持やわ」と、後年夫の軽部に言ったら、若い軽部は顔をしかめた。  そんなお君が軽部と結婚したのは十八の時だった。軽部は大阪天王寺第×小学校の教員、出世がこの男の固着観念で、若い身空で浄瑠璃など習っていたが、むろん浄瑠璃ぐるいの校長に取りいるためだった。下寺町の広沢八助に入門し、校長の相弟子たる光栄に浴していた。なお校長の驥尾に附して、日本橋五丁目の裏長屋に住む浄瑠璃本写本師、毛利金助に稽古本を註文したりなどした。  お君は金助のひとり娘だった。金助は朝起きぬけから夜おそくまで背中をまるめてこつこつと浄瑠璃の文句を写しているだけが能の、古ぼけた障子のようにひっそりした無気力な男だった。女房はまるで縫物をするために生れてきたような女で、いつ見ても薄暗い奥の間にぺたりと坐りこんで針を運ばせていた。糖尿病をわずらってお君の十六の時に死んだ。  女手がなくなって、お君は早くから一人前の大人並みに家の切りまわしをした。炊事、縫物、借金取の断り、その他写本を得意先に届ける役目もした。若い見習弟子がひとりいたけれど、薄ぼんやりで役にもたたず、邪魔になるというより、むしろ哀れだった。  お君が上本町九丁目の軽部の下宿先へ写本を届けに行くと、二十八の軽部はぎょろりとした眼をみはった。裾から二寸も足が覗いている短い着物をお君は着て、だから軽部は思わず眼をそらした。女は出世のさまたげ。熱っぽいお君の臭いにむせながら、日ごろの持論にしがみついた。しかし、三度目にお君が来たとき、 「本に間違いないか今ちょっと調べてみるよってな。そこで待っとりや」  と、座蒲団をすすめておいて、写本をひらき、 「あと見送りて政岡が……」  ちらちらお君を盗見していたが、しだいに声もふるえてきて、生つばを呑みこみ、 「ながす涙の水こぼし……」  いきなり、霜焼けした赤い手を掴んだ。声も立てぬのが、軽部には不気味だった。その時のことを、あとでお君が、 「なんやこう、眼エの前がぱッと明うなったり、真黒けになったりして、あんたの顔こって牛みたいに大けな顔に見えた」  と言って、軽部にいやな想いをさせたことがある。軽部は小柄なわりに顔の造作が大きく、太い眉毛の下にぎょろりと眼が突き出し、分厚い唇の上に鼻がのしかかっていて、まるで文楽人形の赤面みたいだが、彼はそれを雄大な顔と己惚れていた。けれども、顔のことに触れられると、何がなしいい気持はしなかった。……その時、軽部は大きな鼻の穴からせわしく煙草のけむりを吹きだしながら、 「このことは誰にも黙ってるんやぜ、分ったやろ、また来るんやぜ」  と、だめ押した。けれども、それきりお君は来なかった。  軽部は懊悩した。このことはきっと出世のさまたげになるだろうと思った。ついでに、良心の方もちくちく痛んだ。あの娘は姙娠しよるやろか、せんやろかと終日思い悩み、金助が訪ねてこないだろうかと怖れた。「教育上の大問題」そんな見出しの新聞記事を想像するに及んで、苦悩は極まった。  いろいろ思い案じたあげく、今のうちにお君と結婚すれば、たとえ姙娠しているにしてもかまわないわけだと、気がつき、ほっとした。なぜこのことにもっと早く気がつかなかったか、間抜けめとみずから嘲った。けれども、結婚は少くとも校長級の家の娘とする予定だった。写本師風情との結婚など夢想だに価しなかったのだ。わずかに、お君の美貌が軽部を慰めた。  某日、軽部の同僚と称して、蒲地某が宗右衛門の友恵堂の最中を手土産に出しぬけに金助を訪れ、呆気にとられている金助を相手によもやまの話を喋り散らして帰って行き、金助にはさっぱり要領の得ぬことだった。ただ、蒲地某の友人の軽部村彦という男が品行方正で、大変評判のいい血統の正しい男であるということだけが朧げにわかった。  三日経つと当の軽部がやってきた。季節はずれの扇子などを持っていた。ポマードでぴったりつけた頭髪を二三本指の先で揉みながら、 「じつはお宅の何を小生の……」  妻にいただきたいと申し出でた。  金助がお君に、お前は、と訊くと、お君は、おそらく物心ついてからの口癖であるらしく、表情一つ動かさず、しいていうならば、綺麗な眼の玉をくるりくるりと廻した可愛い表情で、 「私か、私はどないでもよろしおま」  あくる日、金助が軽部を訪れて、 「ひとり娘のことでっさかい、養子ちゅうことにしてもらいましたら……」  都合がいいとは言わせず、軽部は、 「それは困ります」  と、まるで金助は叱られに行ったみたいだった。  やがて、軽部は小宮町に小さな家を借りてお君を迎えたが、この若い嫁に「だいたいにおいて」満足していると同僚たちに言いふらした。お君は白い綺麗なからだをしていた。なお、働き者で、夜が明けるともうぱたぱたと働いていた。 「ここは地獄の三丁目、行きはよいよい帰りは怖い」  と朝っぱらから唄うたが、間もなく軽部にその卑俗性を理由に禁止された。 「浄瑠璃みたいな文学的要素がちょっともあれへん」  と、言いきかせた。彼は国漢文中等教員検定試験の勉強中であった。それで、お君は、 「あわれ逢瀬の首尾あらば、それを二人が最期日と、名残りの文のいいかわし、毎夜毎夜の死覚悟、魂抜けてとぼとぼうかうか身をこがす……」  と、「紙治」のサワリなどをうたった。下手くそでもあったので、軽部は何か言いかけたが、しかし、満足することにした。  ある日、軽部の留守中、日本橋で聞いたんですがと、若い男が訪ねてきた。 「まあ、田中の新ちゃんやないの。どないしてたんや」  もと近所に住んでいた古着屋の息子の新ちゃんで、朝鮮の聯隊に入営していたが、昨日除隊になって帰ってきたところだという。何はともあれと、上るなり、 「嫁はんになったそうやな。なぜわいに黙って嫁入りしたんや」  と、新ちゃんは詰問した。かつて唇を三回盗まれたことがあり、体のことがなかったのは、たんに機会の問題だったと今さら口惜しがっている新ちゃんの肚の中などわからぬお君は、そんな詰問は腑に落ちかねたが、さすがに日焼けした顔に泛んでいるしょんぼりした表情を見ては、哀れを催したのか、天婦羅丼を註文した。こんなものが食えるものかと、お君の変心を怒りながら、箸もつけずに帰ってしまった。そのことを夕飯のとき軽部に話した。  新聞を膝の上に拡げたままふんふんと聴いていたが、話が唇のことに触れると、いきなり、新聞がばさりと音を立て、続いて箸、茶碗、そしてお君の頬がぴしゃりと鳴った。声が先であとから大きな涙がぽたぽた流れ落ち、そんなおおげさな泣き声をあとに、軽部は憂鬱な散歩に出かけた。出しなに、ちらりと眼にいれた肩の線が何がなし悩ましく、ものの三十分もしないうちに帰ってくると、お君の姿が見えぬ。  火鉢の側に腰を浮かして半時間ばかりうずくまっていると、 「魂抜けて、とぼとぼうかうか……」  声がきこえ、湯上りの匂いをぷんぷんさせて、帰ってきた。その顔を一つ撲ってから、軽部は、 「女いうもんはな、結婚まえには神聖な体でおらんといかんのやぞ。キッスだけのことでも……」  言いかけて、お君を犯したことをふと想いだし、何か矛盾めくことを言うようだったから、簡単な訓戒に止めることにした。  軽部はお君と結婚したことを後悔した。しかし、お君が翌年の三月男の子を産むと、日を繰ってみて、ひやっとし、結婚してよかったと思った。生れた子は豹一と名づけられた。日本が勝ち、ロシヤが負けたという意味の唄がまだ大阪を風靡していたときのことだった。その年、軽部は五円昇給した。  その年の暮、二ツ井戸の玉突屋日本橋クラブの二階広間で広沢八助連中素人浄瑠璃大会が開かれ、聴衆約百名、盛会であった。軽部村彦こと軽部村寿はそのときはじめて高座に上った。はじめてのことゆえむろん露払いで、ぱらりぱらりと集りかけた聴衆の前で簾を下したまま語ったが、それでも沢正オ! と声がかかったほどの熱演で、熱演賞として湯呑一個もらった。露払いをすませ、あと汗びしょのまま会の接待役としてこまめに立ち働いたのが悪かったのか、翌日から風邪をひいて寝こんだ。こじれて急性肺炎になった。かなりいい医者に診てもらったのだが、ぽくりと死んだ。涙というものは何とよく出るものかと不思議なほど、お君はさめざめと泣き、夫婦はこれでなくては値打がないと、ひとびとはその泣きぶりに見とれた。  しかし、二七日の夜、追悼浄瑠璃大会が同じく日本橋クラブの二階広間で開かれると、お君は赤ん坊を連れて姿を見せ、校長が語った「紙治」のサワリで、ぱちぱちと音高く拍手した。手を顔の上にあげ、人眼につき、ひとびとは顔をしかめた。軽部の同僚の若い教員たちは、何か肚の中でお互いの妻の顔を想い泛べて、ずいぶん頼りない気持を顔に見せた。校長はお君の拍手に満悦したようだった。  三七日の夜、親族会議が開かれた席上、四国の田舎から来た軽部の父が、お君の身の振り方につき、お君の籍は金助のところへ戻し、豹一も金助の養子にしてもろたらどんなもんじゃけんと、渋い顔して意見を述べ、お君の意嚮を訊くと、 「私でっか。私はどないでもよろしおま」  金助は一言も意見らしい口をきかなかった。  いよいよ実家に戻ることになり、豹一を連れて帰ってみると、家の中は呆れるほど汚かった。障子の桟にはべたッと埃がへばりつき、天井には蜘蛛の巣がいくつも、押入れには汚れ物がいっぱいあった。……お君が嫁いだ後、金助は手伝い婆さんを雇って家の中を任せていたのだが、選りによって婆さんは腰が曲り、耳も遠かった。 「このたびはえらい御不幸な……」  と挨拶した婆さんに抱いていた子供を預けると、お君は一張羅の小浜縮緬の羽織も脱がず、ぱたぱたとそこらじゅうはたきをかけはじめた。  三日経つと家の中は見違えるほど綺麗になった。婆さんは、じつは田舎の息子がと自分から口実を作って暇をとった。ここは地獄の三丁目、の唄が朝夕きかれた。よく働いた。そんなお君の帰ってきたことを金助は喜んだが、この父は亀のように無口であった。軽部の死についてもついぞ一言も纒まった慰めをしなかった。  古着屋の田中の新ちゃんはすでに若い嫁をもらっており、金助の抱いて行った子供を迎えにお君が男湯の脱衣場へ姿を見せると、その嫁も最近生れた赤ん坊を迎えに来ていて、仲よしになった。雀斑だらけの鼻の低いその嫁と比べて、お君の美しさはあらためて男湯で問題になった。露骨に俺の嫁になれと持ちかけるものもあったが、笑っていた。金助へ話をもって行くものもあった。その都度、金助がお君の意見を訊くと、例によって、 「私はどないでも……」  いいが、俺はいやだと、こんどは金助は話をうやむやに断った。  夏、寝苦しい夜、軽部の乱暴な愛撫が瞼に重くちらついた。見習弟子はもう二十歳になっていて、白い乳房を子供にふくませて転寝しているお君の肢態に、狂わしいほど空しく胸を燃やしていたが、もともと彼は気も弱くお君も問題にしなかった。  五年経ち、お君が二十四、子供が六つの年の暮、金助は不慮の災難であっけなく死んでしまった。その日、大阪は十一月末というのに珍しくちらちら粉雪が舞うていた。孫の成長とともにすっかり老いこみ耄碌していた金助が、お君に五十銭貰い、孫の手を引っぱって千日前の楽天地へ都築文男一派の新派連鎖劇を見に行った帰り、日本橋一丁目の交叉点で恵美須町行きの電車に敷かれたのだった。救助網に撥ね飛ばされて危うく助かった豹一が、誰に貰ったのか、キャラメルを手に持ち、ひとびとにとりかこまれて、わあわあ泣いているところを見た近所の若い者が、 「あッ、あれは毛利のちんぴらや」  と、自転車を走らせて急を知らせてくれ、お君が駆けつけると、黄昏の雪空にもう電気をつけた電車が何台も立往生し、車体の下に金助のからだが丸く転がっていた。  ぎゃッと声を出したが、不思議に涙は出ず、豹一がキャラメルのにちゃくちゃひっついた手でしがみついてきたとき、はじめて咽喉のなかが熱くなった。そして何も見えなくなった。やがて活気づいた電車の音がした。  その夜、近くの大西質店の主人が大きな風呂敷を持ってやってき、おくやみを述べたあと、 「じつは先達てお君はんの嫁入りの時、支度の費用やいうて、金助はんにお金を御融通しましてん。そのとき預ったのが利子もはいってまへんので、もう流れてまんねんけど、何やこうお君はんの家では大切な品もんや思いまんので、相談によっては何せんこともおまへん、と、こない思いましてな。いずれ電車会社の……」  慰謝金を少くも千円と見こんで、これでんねんと差し出した品を見ると、系図一巻と太刀一振であった。ある戦国時代の城主の血をかすかに引いている金助の立派な家柄がそれでわかるのだったが、はじめて見る品であった。金助からさような家柄についてついぞ一言もきかされたこともなく、むろん軽部も知らず、軽部がそれを知らずに死んだのは彼の不幸の一つだった。お君にそれを知らさなかった金助も金助だが、お君もまたお君で、 「そんなもん私には要用おまへん」  と、大西主人の申出を断り、その後、家柄のことなど忘れてしまった。利子の期限云々とむろん慾にかかって執拗にすすめられたが、お君は、ただ気の毒そうに、 「私にはどうでもええことでっさかい。それになんでんねん……」  電車会社の慰謝金はなぜか百円そこそこの零砕な金一封で、その大半は暇をとることになった見習弟子にくれてやる肚だった。  そんなお君に中国の田舎から来た親戚の者は呆れかえって、葬式、骨揚げと二日の務めをすますと、さっさと帰って行き、家の中ががらんとしてしまった夜、異様な気配にふと眼をさまして、 「誰?」  と暗闇に声を掛けたが、答えず、思わぬ大金をもらって気が変になったのか強くなったのか、こともあろうにそれは見習弟子だとやがて判った。抗ったが、なぜか体が脆かった。  あくる日、見習弟子は不思議なくらいしょげ返ってお君の視線を避け、むしろ哀れであったが、夕方国元から兄と称する男が引取りに来ると、彼はほっとしたようだった。永々厄介な小僧をお世話様でしたのうと兄が挨拶したあと、ぺこんと頭を下げ、 「ほんの心じゃけ、受けてつかわさい」  と、白い紙包を差し出して、こそこそ出て行った。  見ると、写本の書体で、ごぶつぜんとあり、お君がくれてやった金がそっくりそのままはいっていた。国へ帰って百姓すると言った彼の貧弱な体やおどおどした態度を憐み、お君はひとけのなくなった家の中の空虚さにしばらくはぽかんと坐ったきりであったが、やがて、 「船に積んだアら、どこまで行きゃアる。木津や難波アの橋のしイたア」  と、哀調を帯びた子守唄を高らかに豹一に聴かせた。  上塩町地蔵路次の裏長屋に家賃五円の平屋を見つけて、そこに移ると、さっそく、裁縫教えますと小さな木札を軒先に吊るした。長屋の者には判読しがたい変った書体で、それは父親譲り、裁縫は、絹物、久留米物など上手とはいえなかったが、これは母親譲り、月謝五十銭の界隈の娘たち相手にはどうなりこうなり間に合い、むろん近所の仕立物も引き受けた。  慌しい年の暮、頼まれた正月着の仕立に追われて、夜を徹する日々が続いたが、ある夜更け、豹一がふと眼をさますと、スウスウと水洟をすする音がきこえ、お君は赤い手で火鉢の炭火を掘りおこしていた。戸外では霜の色に夜が薄れて行き、そんな母親の姿に豹一は幼心にもふと憐みを感じたが、お君は子供の年に似合わぬ同情や感傷など与り知らぬ母だった。 「お君さんは運が悪うおますな」  と、慰め顔の長屋の女たちにも、 「しかたおまへん」  と、笑ってみせ、相つづく不幸もどこ吹いた風かといった顔だったから、愚痴の一つも聞いてやり、貰い泣きの一つぐらいはさしてもらいましょと期待した長屋の女たちは、何か物足らなかった。  大阪の町々の路次にはよく石地蔵が祀られており、毎年八月末に地蔵盆の年中行事が行われた。お君の住んでいる地蔵路次は名前の手前もあり、よそに負けず盛大に行われた。と、いっても、むろん貧乏長屋のことゆえ、戸ごとに絵行灯をかかげ、狭苦しい路次の中で界隈の男や女が、 「トテテラチンチン、トテテラチン、チンテンホイトコ、イトハイコ、ヨヨイトサッサ」  と踊るだけのことだが、お君はむりをして西瓜二十個寄進し、薦められて踊りの仲間に加った。お君が踊りに加ったため、夜二時までとの警察のお達しが明け方まで忘れられた。  相変らず、銭湯で水を浴びた。肌は娘のころの艶を増していた。ぬか袋を使うのかと訊かれた。水を浴びてすくっと立っている眼の覚めるような鮮かな肢態に固唾を呑むような嫉妬を感じていた長屋の女が、ある時、お君の頸筋を見て、 「まあ、お君さんたら、頸筋に生毛いっぱい……」  生えているのに気がついたのを倖い、おおげさに言うので、銭湯の帰り、散髪屋へ立ち寄ってあたってもらった。  剃刀が冷やりと顔に触れたとたん、どきッと戦慄を感じたが、やがてさくさくと皮膚の上を走って行く快い感触に、思わず体が堅くなり、石鹸と化粧料の匂いの沁みこんだ手が顔の筋肉をつまみあげるたびに、体が空を飛び、軽部を想いだした。  そのようなお君にそこの職人の村田は商売だからという顔をときどき鏡にたしかめてみなければならなかった。しかし、その後月に二回はかならずやってくるお君に、村田は平気でおれず、ある夜、新聞紙に包んだセルの反物を持って路次へやってきて、 「思いきって一張羅イをはりこみましてん。すんまへんがひとつ……」  縫うてくれと頼むと、そのままぎこちない世間話をしながらいつまでも坐りこみ、お君を口説く機会を今だ今だと心に叫んでいたが、そんな彼の肚を知ってか知らずにか、お君は長願寺の和尚さんももう六十一の本卦ですなというつまらぬ話にも、くるりくるりと綺麗な眼玉を廻して、けらけら笑っていた。豹一は側に寝そべっていたが、いきなり、つと起き上ると、きちんと両手を膝に並べて、村田の顔を瞶め、何か年齢を超えて挑みかかってくる視線だと、村田は怖れ見た。  やがて村田は自身の内気を嘲りながら帰って行った。路次の入口で放尿した。その音を聞きながら、豹一はごろりと横になった。 二  豹一は早生れだから、七つで尋常一年生になった。学校での休憩時間には好んで女の子と遊んだ。少女のようにきゃしゃな体の色白のこぢんまり整った顔は女教師たちに可愛がられていたが、自分の身なりのみすぼらしさを恥じていた。  はにかみ屋であったが、一週間に五人ぐらい、同級の男の子が彼に撲られて泣いた。子供にしてはあまり笑わず、泣けば自分の泣き声に聴き惚れているかのような泣き方をした。泣き声の大きさは界隈の評判で、やんちゃ坊主であった。路地の井戸端に祀られた石地蔵に、あるとき何に腹立ってか、小便をひっかけた。お君は気の向いた時に叱った。  豹一は近くの長願寺の和尚に将棋を習った。和尚は無類のお人よしであったが、将棋好きのためしばしば人にきらわれた。助言をしたといってはその男と一週間も口を利かず、奇想天外の手やと言って第一手に角の頭の歩を突くような嫌味な指し方をしたり、賭けないと気が乗らぬとて煙草でも賭けると、たった胡蝶やカメリヤ一個のことで生死を賭けたような汚い将棋をし、負けると破産したような顔で相手を恨むといった風で、もともと上手とはいえないし誰にも敬遠されて、相手のないところから、ちょくちょく境内の蓮池の傍へ遊びに来る豹一に教えてやることにしたのだ。  筋がよいのか最初歩三つが一日経つと角落ちになり、やがて平手で指せた。ある日、和尚は、 「豹ぼん。何ぞ賭けんとおもろないな。和尚さんは白饀いりの饅頭六つ賭けるさかい、豹ぼんは……」  何も賭けるものがないので、負けたら蓮池から亀の子を掴まえて、和尚にくれてやることにした。実力以上の長考をしたが、ハメ手に掛って負けた。  夕闇の色を吸いこんで静まりかえった蓮池の面を瞶め、豹一はいつまでも境内にいた。和尚は檀家へ出かけた。将棋は負けても、亀の子を掴まえるのは上手だと豹一は力んだが、空しくあたりはすっかり夜が落ち、木魚の音を悲しく聞いた。亀の子がなかなか掴まらぬのですっかり自信をなくし、胸が苦しく焦り騒いで、半分泣いた。ふと、自分を呼ぶ声にうしろ向くと、 「ごはんも食べんと何してるのや」  門のところで母親が怖い顔して睨んでいた。 「亀とろ思てるのや」  と言うと、 「あほんだらやな」  と叱られ、それで存分に泣き声を出した。泣くととまらぬいつもの癖で、まるで泣き声で顔を撲られている気がお君はして、 「泣きやまんと、池の中に放りこんだるぞ。かめへんか」 「かめへんわい。放りこんだら着物よごれて、母ちゃんが洗濯せんならんだけや。そないなったら困るやろ」  困るもんかと、豹一を抱きかかえて、お君は池の泥水へどぶんとつけた。豹一は手をばたばたさせ、半分は亀の子を探す手つきだった。引き揚げて家へ連れ戻ると、お君は盥を持ちだした。  八つの時、学校から帰ると、いきなり、仕立ておろしの久留米の綿入を着せられた。筒っぽの袖に鼻をつけると、紺の匂いがぷんぷん鼻の穴にはいってきて、気取り屋の豹一には嬉しい晴着だったが、さすがに有頂天になれなかった。お君はいつになく厚化粧し、その顔を子供心にも美しいと見たが、なぜかうなずけなかった。仕付糸をとってやりながら、 「向う様へ行ったら行儀ようするんやぜ」  お君は常の口調だったが、豹一は何か叱られていると聴いた。  路次の入口に人力車が三台来て並ぶと、母の顔は瞬間面のようになり、子供の分別ながらそれを二十六歳の花嫁の顔と見て、取りつく島もないしょんぼりした気持になった。  火の気を消してしまった火鉢の上に手をかざし、張子の虎のように抜衣紋した白い首をぬっと突き出して、じじむさい恰好で坐っているところを、豹一は立たされ、人力車に乗せられた。見知らぬ人が前の車に、母はその次に、豹一はいちばん後の車。一人前の車の上にちょこんと収っている姿をひねてると思ったか、車夫は、 「坊ん坊ん、落ちんようにしっかり掴まってなはれや」  その声に母はちらりと振り向いた。もう日が暮れていた。 「落てへんわい」  と、豹一はわざとふざけた声で言い、その声が暗闇の中に消えて行くのをしんみり聴いた。ふわりと体が浮いて、人力車は走りだした。だんだん暗さが増した。  ひっそりとした寺がいくつも並んだ寺町を通るとき、木犀の匂いがした。豹一は眩暈がし、一つにはもう人力車に酔うていたのだ。梶棒の先につけた提灯の光が車夫の手の静脈を太く浮び上らしていた。尋常二年の眼で提灯に書かれた「野瀬」の二字を判読しようとしていたが、頭の血がすうすう引いて行くような胸苦しさで、困難だった。その夜一人で寝た。  蒲団についたナフタリンの匂いが母親のいない淋しさをしみじみ感じさせ、泣くまいとこらえる努力でよけい涙が出た。母は階下の部屋で見知らぬ人といた。野瀬安二郎だとあとで分った。  野瀬安二郎は谷町九丁目いちばんの金持と言われ、慾張りとも言われた。高利貸をして、女房を三度かえ、お君は四度目の女房だった。ことし四十八歳の安二郎がお君を見染めて、縁談を取りきめるまでには、たいした手間は掛らなかった。 「私でっか。私はどないでもよろしおま」  しかし、お君はさすがに、豹一が小学校を卒業したら中学校へやらせてくれと条件をつけ、これはけちんぼな安二郎にはちくちく胸いたむ条件だったが、お君の肩はあまりにも柔かそうでむっちり肉づいていた。  安二郎には子供がなく、さきの女房を死なせると、すぐ女中を雇って炊事をやらせるほか女房の代りも時にはさせていたが、お君が来ると、とたんに女中を追いだし、こんどはお君が女中の代りとなった。彼は一銭の金もお君の自由に任せず、毎日の市場行きには十銭、二十銭と端金を渡し、帰ると、釣銭を出させた。時には自分で市場へ行き、安鰯を六匹ほど買うてきて、自分は四匹、あとお君と豹一に一匹ずつ与えた。いつか集金に行って乱暴されたことがあってから山谷という破戒僧面をした四十男を雇って集金に廻らしていたが、むろん山谷は手弁当で、安二郎のところで昼食すら出されたことはなかった。  ある日、山谷は豹一に、 「坊ん坊ん。ええもん見せたろ」  こっそり見せてくれたのは、あくどい色のついた小さな絵だった。そして山谷は、お君と安二郎にその絵を結びつけ、口に泡をためて淫らな話をした。いきなり、豹一はぎりぎり歯軋りし、その絵を破ってしまった。 「何すんねん」  山谷が驚いて豹一の顔を見ると、怖いほど蒼白み、唇に血がにじんでいた。子供に似合わぬ恨みの眼がぎらぎらしていた。  誇張していえば、その時豹一の自尊心は傷ついた。また、しょんぼりした。辱かしめられたと思い、性的なものへの嫌悪もこのとき種を植えつけられた。敵愾心は自尊心の傷から膿んだ。安二郎を見る眼つきが変った。安二郎の背中で拳骨を振りまわした。憂鬱にもなった。母は毎晩安二郎の肩をいそいそと揉んだ。  豹一は一里以上もある道を築港まで歩いて行き、黄昏れる大阪湾を眺めて、夕陽を浴びて港を出て行く汽船にふと郷愁を感じたり、訳もなく海に毒づいたりした。  ある日、港の桟橋で、ヒーヒー泣き声を出したい気持をこらえて、その代り海に向って、 「ばか野郎」  と呶鳴り、誰もいないと思ったのが、釣りをしていた男がいきなり振り向いて、 「こら、何ぬかす」  そして白眼をむいている表情が生意気だと撲られた。泣きながら一里半の道をとぼとぼ歩いて帰った。家へはいると、安二郎は風呂銭を節約しての行水で、お君は袂をたくしあげて背中を流していた。それがすむとお君が行水し、安二郎は男だてらにお君の背中を流した。そのあと、豹一がはいる番だが、豹一は狸寝入りして、呼ばれても起きなかった。  だんだんに憂鬱な少年となり、やがて小学校を卒業した。あらためてお君が中学校へ入れてくれるようにと安二郎に頼んだが、安二郎はとぼけてみせた。軽部が中等学校教員になりたがっていたことなどもにわかに想いだして、お君はすっかり体の力が抜け、ひっそりと暮した。豹一の優等免状などを膝の上に拡げているのだった。物も言わずに突き膝で箪笥の方へにじり寄り、それをしまいこむその腰のあたりを見ると、安二郎はなぜかおかしいほど狼狽して、しぶしぶ承知した。豹一はやがて中学校にはいったのだが、しかし安二郎は懐を傷めなかった。お君は毎日どこからか仕立物を引き受けてきて、その駄賃で豹一の学資を賄った。賃仕事だけでは追っつかず、自分の頭のものや着物を質に入れたり、近所の人に一円、二円と金を借りたりした。高利貸の御寮はんが他人に金を借りるのはおかしいやおまへんかと言われた。  中学生の豹一は自分には許嫁があるのだと言い触らした。哀れな弱小感に箔をつけたのだった。周囲を見わたしてみて誰も彼も頭の悪い少年だとわかると、ほっとした。しかし自分の頭のよさにはひどく自信がなかった。だから、たいした苦労もせずに首席になれた時、何かの間違いではないかと思った。クラスの者は彼の頭脳に敬服し、怖れをなしていたが、豹一には人から敬服されるなど与り知らぬところだった。だから、自分でもしばしば首席だということを顧みる必要があった。言いふらした。いつか「首席」が渾名になった。いわば首席の貫禄がなかったのだ。ふと母親のことや山谷に見せられた怪しい絵のことを想いだすと、 「こんど誰が二番になるやろな」  クラスの者を掴まえて言った。そんな風に首席に箔をつけたがるので、皆はいつかそれをメッキだと思いこんだ。点取虫だと言われて、はっと気がつくと、豹一はもう「首席」という渾名に芸もなくやに下っていられなくなり、自分が勉強もろくろくせずに首席になれたことを皆に思いこませようとした。試験の前日にはかならず新世界の第一朝日劇場へ出かけてマキノ輝子の映画を見、試験の日にそのプログラムの紙を持ってきてみせた。それで最初何か自信のなさから来る謙遜めいたものを豹一に見ていた者も、否応なしに傲慢だと思わされた。  やがてクラスの者に憎まれた。しかし彼の敵愾心は人々を最初から敵と決めていたから、憎まれてかえってサバサバと落着いた。美貌に眼をつけた上級生が無気味な媚で近寄ってくると、かえってその愛情に報いる方法を知らぬ奇妙な困惑に陥った。  ずっと首席を続けて三年生になった。ある日の放課後、クラスの者たち全部からとりまかれ、点取虫のくせに生意気やぞと鉄拳制裁をされた。三十人ほど相手に奮闘したが、結局無暴だった。鼻血をふきだしながら白い眼をむいていた。鼻の穴に紙きれを突っ込んだ妙な顔を職員便所の鏡にうつしてみて、今に見ろと叫んだ。それから十日ほど経ち、学期試験が始った。泡喰って問題用紙にしがみついているクラスの者の顔を何とあさましいと見たとたん、いきなり敵愾心が頭をもたげて、ぐっと胸を突き上げた。ざまあ見ろと書きかけた答案を消し、白紙のままで出し、胸を張って教室を出た。はじめてほのぼのとした自尊心の満足があった。落第した。  二度目の三年の時、教室でローマ字を書いた名を二つ並べ、同じ字を消して行くという恋占いが流行った。黒板が盛んに利用され、皆が公然に占っているのを、除け者の豹一はつまらなく見ていたが、ふと誰もが一度は水原紀代子という名を書いているのに気がついたとたん、眼が異様に光った。最も成績の悪い男を掴まえ、相手にはまるで何を訊こうとしているのかわからぬ廻りくどい調子で半時間も喋りたてたあげく、水原紀代子に関する二三の知識を得た。大軌電車沿線のS女学校生徒だと知ったので、その日の午後授業をサボって上本町六丁目の大軌電車構内へ駆けつけた。二時間ばかり辛抱強く待って、やっと改札口から出てくる紀代子の姿を見つけることができた。教えられた臙脂の風呂敷と非常に背が高くてスマートだという目印でそれと分り、何がS女学校第一の美人だ、笑わせよると思ったが、しかしおおげさに大阪じゅうの中学生の憧れの的だと憧れている点を勘定に入れて、美人だと決めることにした。一般的見解に従ったまでだが、しかし碧く澄みきった眼は冷く輝いていて、近眼であるのにわざと眼鏡を掛けないだけの美しさはあった。二時間もしびれを切らしていたことが弾みをつけるのに役立って、つかつかと傍へ近寄ると、 「卒爾ながら伺いますが、あなたは水原紀代子さんですか」  できるだけ月並でないもったいぶった言い方をと考えあぐんだ末の言葉であったから、紀代子も瞬間呆れたが、しかしそんなことはたびたびあることだから、たいして赧くもならずに、 「はあ」  と答え、そして、どうせ手紙を渡すのだったらどうぞ早くと彼を見た。その事務的な表情を見ては、さすがに豹一は続いて言葉が出ず、いきなり逃げだして、われながら不態だった。  不良中学生にしては何と内気なと紀代子は笑ったが、彼の美貌はちょっと心に止った。誰それさんならミルクホールへ連れて行って三つ五銭の回転焼を御馳走したくなるような少年やわと、ニキビだらけのクラスメートの顔をちらと想い泛べた。しかし私は違う。彼女は来年十八歳で学校を出ると、いま東京帝国大学の法学部にいる従兄と結婚することになっており、十六の少年など十も年下に見える姉さん面が虚栄の一つだった。それゆえ、その翌日から三日も続けて、上本町六丁目から小橋西之町への鋪道を豹一に跟けられると、半分はうるさいという気持から、いきなり振り向いて、 「何か用ですの」  と、きめつけてやる気になった。三日間尾行するよりほかに物一つ言えなかった弱気のために自嘲していた豹一の自尊心は、紀代子からそんな態度に出られて、本来の面目を取り戻した。ここでおどおどしては俺もお終いだと思うと、眼の前がカッと血色に燃えて、 「用って何もありません。ただ歩いているだけです」  呶鳴るように言うと、紀代子もぐっと胸に来て、 「うろうろしないで早く帰りなさい」  その調子を撥ね飛ばすように豹一は、 「勝手なお世話です」 「子供のくせに……」  と言いかけたが、巧い言葉が出ないので、紀代子は、 「教護聯盟にいいますよ」  と、近ごろ校外の中等学生を取締っている役人を持ちだした。 「いいなさい」 「強情ね、いったい何の用」 「用はない言うてまんがな。分らん人やな」  大阪弁が出たので、紀代子はちらと微笑し、 「用がないのに踉けるのん不良やわ。もう踉けんときでね。学校どこ?」 「帽子見れば分りまっしゃろ」 「あんたとこの校長さん知ってるわ」 「いいつけたらよろしいがな」 「いいつけるよ。本当に知ってんねんし。柴田さんいう人でしょう」 「スッポンいう渾名や」  いつの間にか並んで歩きだしていた。家の近くまで来ると、紀代子は、 「さいなら。今度踉けたら承知せえへんし」  まず成功だったといえるはずだのに、別れぎわの紀代子の命令的な調子にたたきつけられて、失敗だと思った。しかし、失敗ほどこの少年を奮いたたせるものはないのだ。翌日は非常な意気ごみで紀代子の帰りを待ち受けた。前日の軽はずみをいささか後悔していた紀代子は、もう今日は相手にすまいと思ったが、しかし今日こそ存分にきめつけてやろうという期待に負けて、並んで歩いた。そして、結局は昨日に比べてはるかに傲慢な豹一に呆れてしまった。彼女の傲慢さの上を行くほどだったが、しかし彼女は余裕綽々たるものがあった。豹一の眼が絶えず敏感に動いていることや、理由もなくぱッと赧くなることから押して、いくら傲慢を装っても、もともと内気な少年なんだと見抜いていたのだ。文学趣味のある彼女は豹一の真赤に染められた頬を見て、この少年は私の反撥心を憎悪に進む一歩手前で喰い止めるために、しばしば可愛い花火を打ち上げると思った。なお、この少年は私を愛していると己惚れた。それをこの少年から告白させるのはおもしろいと思ったので、彼女はその翌日、例のごとく並んで歩いた時、 「あんた私が好きやろ」  しかし、 「嫌いやったら、いっしょに歩けしまへん」  と、期待せぬ巧妙な返事にしてやられた。 「けったいな言い方やねんなあ。嫌いやのん、それとも好きやの。どっちやの」  好きでもないのに好いてると思われるのは癪で、豹一は返答に困った。しかし、嫌いだというのは打ち壊しだ。そう思ったので、 「『好き』や」  好きという字にカッコをつけた気持で答えた。それで、紀代子ははじめて豹一を好きになる気持を自分に許した。  一週間経ったある日、八十二歳の高齢で死んだという讃岐国某尼寺の尼僧のミイラが千日前楽天地の地下室で見世物に出されているのを、豹一は見に行った。女性の特徴たる乳房その他の痕跡歴然たり、教育の参考資料だという口上に惹きつけられ、歪んだ顔で見た。ひそかに抱いていた性的なものへの嫌悪に逆に作用された捨鉢な好奇心からだった。自虐めいたいやな気持で楽天地から出てきたとたん、思いがけなくぱったり紀代子に出くわしてしまった。変な好奇心からミイラなどを見てきたのを見抜かれたとみるみる赧くなった。近眼の紀代子は豹一らしい姿に気づくと、確めようとして眉の附根を引き寄せて、眼を細めていた。そんな表情がいっそう豹一の心を刺した。胃腸の悪い紀代子はかねがね下唇をなめる癖があり、この時もおや花火をあげてると思ってなめていた。いきなり、豹一は逃げだした。  あんな恥かしいところを見られたので自分は嫌われたと思いこむと、豹一はもう紀代子に会う勇気を失ってしまった。豹一が二三日顔を見せないので、彼女は物足らなかった。楽天地の前で豹一が物も言わずに逃げて行ったことも気に掛った。あんなに仲よくしていたのに、ひょっとしたら嫌われたのではないかと心配して、やがて十日も顔を見ないと、もう明らかに豹一を好いてる気持を否定しかねた。だから、二週間ほど経って、ふと彼の姿を見つけると、ほッとしてずいぶんいそいそした。しかるに豹一は半分逃足だった。会わす顔もないと思っていたところを偶然出くわしたので、まごまごしていた。いきなり逃げだそうとしたその足へ、とたんに自尊心が蛇のように頭をあげてきて、からみついた。あんな恥かしいところを見られたのだから名誉を回復しなければならない。からくも思い止って、豹一はいやによそよそしくした。そんな態度を見て、紀代子はいよいよ嫌われたという想いで、いっそう好いてしまった。それで、その日の別れぎわ、明日の夕方生国魂神社の境内で会おうと、断られるのを心配しながら豹一がびくびくしながら言いだすと、まるで待っていたかのように嬉しく承諾し、そして約束の時間より半時間も早く出かけて待っていた。  その夕方、豹一は簡単に紀代子と接吻した。女めいた口臭をかぎながらちょっとした自尊心の満足があった。けれども、紀代子が拒みもしないどころか、背中にまわした手にぐいぐい力をいれてくるのを感ずると、だしぬけに気が変った。物も言わずに突き放して、立ち去った。ふと母親のことを思ったそんな豹一の心は紀代子にはわからず、綿々たる情を書き綴った手紙を豹一に送った。豹一はそれを教室へ持参し、クラスの者に見せた。彼らはかねてこのことあるを期待していたが、見せられると偽の手紙やろ。お前が書いたんと違うかと言わざるを得なかった。豹一は同級生がこっそり出していた恋文を紀代子からむりやりに奪い取って、それを教室で朗読した。鉄拳制裁を受けた。なおそれが教師に知れて一週間の停学処分になった。  同級生に憎まれながらやがて四年生の冬、京都高等学校の入学試験を受けて、苦もなく合格した。憎まれていただけの自尊心の満足はあった。けれども、高等学校へはいって将来どうしようという目的もなかった。寄宿舎へはいった晩、先輩に連れられて、円山公園へ行った。手拭を腰に下げ、高い歯の下駄をはき、寮歌をうたいながら、浮かぬ顔をしていた。秀才の寄り集りだという怖れで眼をキョロキョロさせ、競争意識をとがらしていたが、間もなくどいつもこいつも低脳だとわかった。中学校と変らぬどころか、安っぽい感激の売出しだ。高等学校へはいっただけでもう何か偉い人間だと思いこんでいるらしいのがばかばかしかった。官立第三高等学校第六十期生などと名刺に印刷している奴を見て、あほらしいより情けなかった。  入学して一月も経たぬうちに理由もなく応援団の者に撲られた。記念祭の日、赤い褌をしめて裸体で踊っている寄宿生の群れを見て、軽蔑のあまり涙が落ちた。どいつもこいつも無邪気さを装って観衆の拍手を必要としているのだ。けれども、そう思う豹一にももともとそれが必要だったのだ。記念祭の夜応援団の者に撲られたことを機縁として、五月二日、五月三日、五月四日と記念祭あけの三日間、同じ円山公園の桜の木の下で、次々と違った女生徒を接吻してやった。それで心が慰まった。高校生に憧れて簡単にものにされる女たちを内心さげすんでいたが、しかし最後の三日目もやはり自信のなさで体が震えていた。唄ってくれと言われて、紅燃ゆる丘の花と校歌をうたったのだが、ふと母親のことを頭に泛べると涙がこぼれた。学資の工面に追われていた母親のことが今はじめて胸をちくちく刺した。その泪だった。そんな豹一を見て、女は、センチメンタルなのね。肩に手を掛けた。豹一はうっとりともしなかった。間もなく退学届を出した。そして大阪の家へ帰った。 三  学校をやめたと聞いて、 「やめんでもええのに。しやけど、お前がやめよう思うんやったら、そないしたらええ」  と、お君は依然としてお君であったが、しかし、お君の眼のまわりが目立って黝んでいた。仕立物の賃仕事に追われていたことが悲しいまでにわかり、思いがけなく豹一は涙を落したが、なぜかその目のふちの黝さを見て、安二郎を恨む気持が出た。安二郎はもう五十になっていたが、醜く肥満して、ぎらぎら油ぎっていた。相変らず、蓄財に余念がなかった。お君が豹一に小遣いを渡すのを見て、 「学校やめた男に金をやらんでもええやないか」  そして、お君が賃仕事で儲ける金をまきあげた。豹一が高等学校へはいるとき、安二郎はお君に五十円の金を渡した。貰ったものだと感謝していたところ、こともあろうに、安二郎はそれを高利で貸したつもりでいたのだ。  豹一は毎朝新聞がはいると、飛びついて就職案内欄を見た。履歴書を十通ばかり書いたが、面会の通知の来たのは一つだけで、それは江戸堀にある三流新聞社だった。受付で一時間ばかり待たされているとき、ふと円山公園で接吻した女の顔を想いだした。庶務課長のじろりとした眼を情けなく顔に感じながら、それでも神妙にいろいろ受け応えし、採用と決った。けれども、翌日行ってみると、やらされた仕事は給仕と同じことだった。自転車に乗れる青年を求むという広告文で、それと察しなかったのは迂濶だった。新聞記者になれるのだと喜んでいたのに、自転車であちこちの記者クラブへ原稿を取りに走るだけの芸だった。何のことはないまるで子供の使いで、社内でも、おい子供、原稿用紙だ、給仕、鉛筆削れと、はっきり給仕扱いでまるで目の廻わるほどこき扱われた。一日で嫌気がさしてしまったが、近いうちに記者に昇格させてやると言われたのを当てにして、毎日口惜し涙を出しながら出勤した。一つにはそこをやめてほかに働くところもありそうになかったからだ。  ある日、給仕のくせに生意気だと撲られた。三日経つと、社内で評判の美貌の交換手を接吻した。  最初の月給日、さすがにお君の喜ぶ顔を想像していそいそと帰ってみると、お君はいなかった。警察から呼出し状が出て出頭したということだった。三日帰ってこなかった。何のための留置かわからなかったが、やつれはてて帰ってきたお君の話で、安二郎の脱税に関してだとわかった。それならば安二郎が出頭しなければならぬのにと豹一は不審に思った。だんだんに訊いてみると、安二郎は偽せの病気を口実にお君を出頭させたのだとわかった。そんなばかなことがあるかと安二郎に喰ってかかると、 「生意気ぬかすな。わいが警察へ行くのもお君が行くのも同じこっちゃ。夫婦は一心同体やぜ」  子供にいいきかすような口調だった。 「そんならなぜお母はんに高利の金を貸すんです?」  と、豹一が言うと、 「わいに文句あるんやったら出て行ってもらおう」  母親もいっしょにと思ったが、豹一はひとりで飛びだしてしまった。出て行きしな、自分の力で養えるようになったらきっと母を連れに来ますと、集金人の山谷に後のことを頼んだ。かねがね山谷はお君に同情めいた態度を見せ、度を過ぎていると豹一は苦々しかったが、さすがに今はくれぐれも頼みますと頭を下げた。便所でボロボロ涙をこぼした。そして、泣いて止めるお君を振りきって家を飛びだした。  その夜は千日前の安宿に泊った。朝、もう新聞社へ行く気もしなかった。毎日就職口を探して歩いたが、家出した男を雇ってくれるところもなかった。月給袋のなかの金が唯一の所持金だったが、だんだんにそれもなくなって行った。半分は捨鉢な気持で新聞広告で見た霞町のガレーヂへ行き、円タク助手に雇われた。ここでは学歴なども訊かれず、かえってさばさばした気持だった。しかし、一日に十三時間も乗り廻すので、時々目が眩んだ。ある日、手を挙げていた客の姿に気づかなかったと、運転手に撲られた。翌日、その運転手が通いつめていた新世界の「バー紅雀」の女給品子は豹一のものになった。むろん接吻はしたが、しかしそれだけに止まった。それ以上女の体に近づけない豹一を品子は狂わしくあわれんだが、しかし、豹一は遠くで鳴っている支那そば屋のチャルメラの音に思いがけず母親の想出にそそられて、歪んだ顔で品子に抗った。  運転手に虐待されても相変らず働いていたのは品子をものにしたという勝利感からであったが、ある夜更け客を送って飛田遊廓の××楼まで行くと、運転手は、 「どや、遊んで行こうか。ここは飛田一の家やぜ」  どうせ朝まで客は拾えないし、それにその日雨天のため花火は揚らなかったが廓の創立記念日のことであるし、なんぞええことやるやろと登楼を薦めた。むろん断ったが、十八にもなってと嘲られたのがぐっと胸に来て登楼った。長崎県五島の親元へ出す妓の手紙を代筆してやりながら、いろいろ妓の身の上話を聞いた。話は結局こういう生活をどう思うかというところに落着いたが、妓が金に換算される一種の労働だと思い諦めているのを知って、だしぬけに豹一の心は軽くなった。今まで根強く嫌悪していたものが、ここでは日常茶飯事として簡単に取引きされていたのだ。そういうことへの嫌悪にあまりに憑かれていた自分があほらしくなった。豹一ははじめて女を知った。けれども、さすがに窓の下を走る車のヘッドライトが暗闇の天井を一瞬明るく染めたのを見ると、慟哭の想いにかられた。  どういう心の動きからか、豹一はその後妓のところへしげしげと通った。工面して通う自分をあさましいと思った。なぜ通うのか訳がわからなかった。惚れているという単純な言葉がなかなか思いつかなかった。嫌悪しているものに逆に引きつけられるという自虐のからくりには気がつかなかった。ある朝、妓が林檎をむいてくれるのを見て、胸が温った。無器用な彼は林檎一つむけず、そんな妓の姿に涙が出るほど感心し、またいじらしくもあり、年期明けたら夫婦になろうと簡単に約束した。  こんなことではいつになったら母親を迎えに行けるだろうかと、情けない想いをしながら相変らず通っていたが、妓は相手もあろうに「疳つりの半」という博奕打ちに落籍されてしまった。「疳つりの半」は名前のごとく始終体を痙攣させている男だが、なぜか廓の妓たちに好かれて、彼のために身を亡した妓も少くはなかった。豹一は妓の白い胸にあるホクロ一つにも愛惜を感じる想いで、はじめて嫉妬を覚えた。博奕打ちに負けたと思うと、血が狂暴に燃えた。妓が「疳つりの半」に誘惑された気持に突き当ると、表情が蒼凄んだ。不良少年と喧嘩する日が多くなった。そして、博奕打ちに特有の商人コートに草履ばきという服装の男を見ると、いきなりドンと突き当り、相手が彼の痩せた体をなめて掛ってくると、鼻血が出るまで撲り合った。  ある日、そんな喧嘩のとき胸を突かれて、げッと血を吐いた。新聞社にいたころから時々自転車の上で弱い咳をしていたが、あれからもう半年、右肺尖カタル、左肺浸潤と医者が即座にきめてしまったほど、体をこわしていたのだった。ガレーヂの二階で低い天井を睨んで寝ていたが、肺と知って雇主も困り、 「家があるんやったら知らせたらどないや」  待っていましたとばかり、母親に手紙を書いた。不甲斐ない人間と笑ってください。どうせ今まで何一つ立派なこともしてこなかった体、死んでお詫びしたくとも、やはり死ぬまで一眼お眼に掛りたく……。最後の文句を口実に、自嘲しながら書いた。さっそくお君が飛んでくると思っていたのに、速達で返事が来た。裏書きが毛利君となっており、野瀬君でないのに、はっと胸を突かれた。行きたいけれど行けぬ。お前に会わす顔のない母です。恨んでくれるな。腑に落ちかねる手紙だった。手紙と一足違いに意外にも安二郎が迎えに来た。  安二郎の顔を見て、豹一は呆気にとられてしまい、しばらくは口も利けなかったが、 「じつはお前の母親のことやが……」  と、わざとお君とも女房とも言わずに話しだした安二郎の話を聞いて、事情がわかった。  安二郎の話によると、集金人の山谷はお君を犯したのだった。豹一が家出してからのお君の空虚な心に山谷が醜くつけこんだと、豹一にも想像がつき、聞くなり悲しく顔が歪んだ。しかし、安二郎の表情はもっと歪んでいた。むろん山谷を追いだしたのだが、山谷のねっとりと油の浮いたような顔は安二郎の頭を絶えず襲ってきた。安二郎の顔にはみるみる懊悩の色が刻みこまれた。罵倒してみても、撲ってみても心が安まらなかった。安二郎は五十面下げて嫉妬に狂いだしていた。お君がこっそり山谷に会わないだろうかと心配して、市場へ行くのにもあとを尾行た。なお、自分でも情けないことだが、何かにつけてお君の機嫌をとるのだった。安二郎もどうやら痩せてきた。貸金の取りたてに走り廻っている留守中、お君が山谷に会っているかもしれないと思うと、もう慾も得もなく、集金の途中で帰ってしまうのだった。──そんな安二郎の苦悩はいま豹一は隅々まで読みとれた。 「じつはお前の居所を知りとうてな。探してたんや。新聞広告出したん見えへんかったんか」  と言い、そして家へ帰って、お君によくいいきかせ、なお監視してくれと頼む安二郎を、豹一は、ざまあ見ろと思った。けれども、そんな安二郎を見るにつけ、××楼の妓に嫉妬した自分の姿を想い知らされてみると、この男も人間らしくなったと、何か安二郎に同情した。思わぬ豹一に同情されて、安二郎は豹一が病気でなければいっしょに酒を飲みたいくらいの気持を芸もなく味わされ、意外な父子の対面だった。  お君は紙のように白い豹一の顔を見たとたんに、おろおろと泣いた。円タクの助手をやったと聞かされ、それが自分のせいのように自責を感じ、 「みんな私が悪かったのや、私の軽はずみを嗤っとくれやす」  と、顔もよう見ないで言った。着物の端を引っぱり、ひっぱりして、うなだれているお君を見て、豹一は、 「何も母はんが悪いのんと違う。家出した僕が悪いのや。気を落したらあきまへん」  と慰め、女の生理の脆さが苦しいまでに同情された。  ガレーヂの二階で寝ていたころとはすっかり養生の状態が変った。お君は自分の命をすりへらしてもと、豹一の看病に夜も寝なかった。自分をつまらぬ者にきめていた豹一は、放浪の半年を振りかえってみて、そんな母親の愛情が身に余りすぎると思われ、涙脆く、すまない、すまないと合掌した。お君はもう笑い声を立てることもなかった。お君の関心が豹一にすっかり移ってしまったので、安二郎は豹一の存在を徳とし、豹一の病気を本能的に怖れていても公然とはいやな顔をしなかった。  しかし豹一は二月も寝ていなかった。絶えず何かの義務を自分に課していなければ気のすまぬ彼は、無為徒食の臥床生活がたまらなく情けなかった。母親の愛情だけで支えられて生きているのは、何か生の義務に反くと思うのだった。妓に裏切られた時に完膚なきまでに傷ついた自尊心の悩みに駆りたてられていた。熱が七度五分ぐらいまでに下ると、いきなり寝床を飛びだし、お君の止めるのもきかず、外へ出た。谷町九丁目の坂道を降りて千日前へ出た。珍しく霧の深い夜で、盛り場の灯が空に赤く染まっていた。千日前から法善寺境内にはいると、そこはまるで地面がずり落ちたような薄暗さで、献納提灯や灯明の明りが寝呆けたように揺れていた。境内を出ると、貸席が軒を並べている芝居裏の横丁だった。何か胸に痛いような薄暗さと思われた。前方に光が眩しく横に流れていて、戎橋筋だった。その光の流れはこちらへも向うの横丁へも流れて行かず、筧を流れる水がそのまま氷結してしまったように見えた。何か暗澹とした気持で、光を避けて引きかえしたが、また明るい通りに出た。道頓堀筋だった。大きなキャバレエーの前を通ると、いきなり、アジャーアジャーとわけのわからぬ唄歌、とたんに打楽器とマラカスがチャイナルンバを奏しだしたのが腹立たしく耳にはいった。軽薄なテンポに、××楼の広間でイヴニングを着て客と踊っていた妓の肢態を想いだした。カッと唇をかみしめながら、キャバレエーの中へはいって行った。ここのナンバーワンは誰かと訊いて、教えられたテーブルを見ると、銀糸のはいった黒地の着物をいちじるしく抜襟した女が、商人コートを着た男にしきりに口説かれていた。呼ぶとすらりとした長身を起して傍へ来た。豹一はぱっと赧くなったきりで、物を言おうとすると体が震えた。呆れるほど自信のないおどおどした表情と、若い年で女を知りつくしている凄みをたたえた睫毛の長い眼で、じっと見据えていた。  その夜、その女といっしょに千日前の寿司捨で寿司を食べ、五十銭で行けと交渉した自動車で女のアパートへ行った。商人コートの男に口説かれていたというただそれだけの理由で、「疳つりの半」へ復讐めいて、その女をものにした。自分から誘惑しておいて、お前はばかな女だと言ってきかせて、女をさげすみ、そして自分をもさげすんだ。女は友子といい、美貌だったが、心にも残らなかった。  ところが、三月ほどして戎橋筋を浮かぬ顔して歩いていると、思いがけず友子に出会った。あんたを探していたのだと、友子は顔を見るなりもう涙を流していた。妊娠しているのだと聞かされ、豹一ははっとした。友子は白粉気もなくて蒼い皮膚を痛々しく見せていた。豹一は友子と結婚した。家の近くに二階借りして、友子と暮した。豹一は毎日就職口を探して歩き、やっとデパートの店員に雇われた。美貌を買われて、婦人呉服部の御用承り係に使われ、揉手をすることも教えられ、われながらあさましかったが、目立って世帯じみてきた友子のことを考えると、婦人客への頭の下げ方、物の言い方など申分ないと褒められるようになった。その年の秋友子は男の子を産んだ。分娩の一瞬、豹一が今まで嫌悪してきたことが結局この一瞬のために美しく用意されていたのかと、何か救われるように思った。その日、産声が室に響くようなからりと晴れた小春日和だったが、翌日からしとしとと雨が降り続いた。六畳の部屋いっぱいにお襁褓を万国旗のように吊るした。  お君はしげしげと豹一のところへやってきた。火鉢の上でお襁褓を乾かしながら、二十歳で父となった豹一と三十八歳で孫をもったお君は朗かに笑い合った。安二郎から、はよ帰ってこいと迎えが来ると、お君は、また来まっさ、さいならと友子に言って、雨の中を帰って行った。一雨一雨冬に近づく秋の雨が、お君の傘の上を軽く敲いた。 底本:「日本文学全集72 織田作之助 井上友一郎集」集英社    1975(昭和50)年3月8日発行 初出:「海風」    1938(昭和13)年11月 入力:土屋隆 校正:米田 2011年10月15日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。